2009年6月





ここ数週間の間


私にとって


とても神秘的な体験が重なり


その豊かな思いを受け取り

様々なことにも気づかせてもらっていたの


ここ数週間


目の周りがピクピクと痙攣することが多く


少し心配になった私は


病院へ足を運ぶと


とても目が疲れているので


休ませることで治ることを伝えられ


ホッとしていたの



ただPCや読書が大好きな私は


そうは伝えられても


なかなか目を労わりながら


過ごすことができずにいたの


そんなある日


何のサインもなく


朝目覚めるとPCの電源が入らず


パニックになった私は


パートナーが暮らす遠い町まで


電話をかけて相談し


パートナーに直してもらうことになったの


その瞬間


急にパニックだった思いは消えて


「なぜ?このような状況が私に


そして今与えられたのだろう?」って


考えてみたの


そうしたら


これはきっと半強制的に


私よき方向へ導き


私が願っていることをかなえるためなんじゃないかなって


ふっと感じたの


そう思った瞬間から


次々とシンクロする様々な事が運ばれてきたり・・・


パートナーのもとへ届けられたPCは


なぜか何の問題もなく


使用できているようで


パートナーは久しぶりにふれるPCと過ごす時間が楽しいようだったの


それからこちらに送り返してもらおうか


どうしようかと悩んでいた時


偶然パートナーが家電店へ足を運んだ時に


見かけたノートパソコンが


あまりにも可愛かったようなのだけれど


ディスプレーされている


現品限りの商品だったこともあって


少し気が乗らずにいたようなの


ただカラーもサイズも価格も


思っていたよりも希望以上に


満たしていたようなのだけれど…


そのようなことを店員の方とお話をしていると


その場で急に


先ほど同じものの新品を購入された方が


返品しにこられたようで


店員の方が


それならばと新品のものを


ディスプレーされているものの価格で


どうですか?と


伝えられたの


そしてパートナーは私に相談しようと


電話をくれたのだけれど


私の方は


急なこともあり


「明日また返事するから


明日電話して」と伝えたの


そしていつものように


自分の届けられた出来事を


受け取ってよいのか?


今の出来事には何か意味があるのかを


瞑想の中で教えていただき


答えを出そうと思っていたの


瞑想し深く深くなってゆくと


いつもの瞑想のように


私の意識が遠のき


別の感覚が表面に現れ


数年前に私が話していた言葉や


その時の状況を


教えてくれたの


私は数年前に


病のこともあって


温泉などに連泊し過ごそうかなって


思ったことがあったのだけれど


PC大好きな私は


PCに触れられない時間に耐えられないと思い


予定をやめたことがあって


その時


自分自身をもっと自由にしてあげるためにも


ノートパソコンの購入を考えないとねって


友人や家族に話していたの


でもなかなかそのように踏み出さない私に


今回半強制的ではあるけれど


自分が望む時間を受け取るために


軌道修正してくれていたのかなって


感じ


購入することにしたの


PCが届く間


数週間ではあるけれど


私のとっては自分が思っている以上に


PCがパートナーとなって助けてくれていたことを


感じたの


少し大げさかもしれないのだけれど


人生のドアの役割をしてくれていたのを


感じていたの


なんで・なんで星人(笑)の私にとっては


すぐに答えを教えてくれて


思いを満たしてくれたり


様々な世界で過ごす方たちと


魂でつながりあえる


アイテムとなってくれていたり・・・


そして面白いことに


今私自身自分の中でエネルギーが変換されているようで


家電がすべて止まる現象が重なっているの


でも私から離れた場所に持ってゆくと


問題なく使用できるようなの


今回とても実感として感じたのは


人生の幸せ設定ゴールというものは


自分でも願ったり


イメージしたりしながら


定められるのだけれど


そこまでたどり着く道筋は


自分で決めるのではなく


聖なる存在たちが


その人それぞれによって導き方があって


今回の私のように


半強制的に目を労わるために


映像やPCなど見られない環境が用意され


そのおかげで


目のけいれんは治まり


そして長年自分が望んでいたことではあったのに


忘れていた


自分をもっと自由にしてあげるために


ノートパソコンも手にすることができて


結果だけを見つめたならば


とてもよき流れだとは思うの


私たちは


つい瞬間・瞬間だけを見つめて


運が良いとか


ときには落胆するほどの出来事も


届けられることもあるけれど


そのほとんどが


長いベースで見る目る事が出来たならば


それぞれは望む幸せを受け取るための


軌道修正なんじゃないかなって


感じているの


私たち人間が考えるゴールまでの道筋のほとんどは


できるだけ安全だと考えられる方法しか


頭では考えられず


逆に見つめると


慎重すぎて


それでは自分が望む幸せへのゴールへたどり着く前に


この世の学びが終わってしまうよっていうほど


時間が必要であったり


または瞬間・瞬間


そのむ幸せが変わりすぎて


聖なる者たちも


そして自分自身も


自分が何を望み


何を幸せと感じるのかもわからなくなってしまうことも


あると思うの


だから私たちからすると


ハプニングと感じたり


トラブルと感じる形ではあるけれど


様々なことを人生に用意してくれているんじゃ


ないかなって


感じていたの


人生は今この瞬間だけでは決められず


この世の学びが終わるまで

結果は出ないし

決めつけてしまうものではないように感じているの







私の友人がこの間引っ越しをしたのだけれど


本当に運気が向上するだろうなって


感じる物件だったので


勝手に私自身


友人の今後を楽しみにしていたのだけれど


とても速い形で


それがあらわれてきたようなの


友人はここ数年


実力とは伴わない報酬と


労働時間の中


希望が見えなくなっていて


大きな不安もあったの


でも本来前向きな友人は


その思いを打ち消し


だめならだめでまた何か始めようっていう思いで


今までためた貯金を使い


自分が望み憧れていた地域への引っ越しを考えたの


ただ今の家賃と同じで探すと


部屋数や広さが


驚くほど狭くなり


初めは戸惑っていたのだけれど



すぐに友人は動き出したの


そして今まで広いお部屋に暮らしていたので


ほとんどのものを手放し

今までならば考えもしなかったほど


自分の生活を見直されたと思うの


気がつくと


すべてコンパクトなものに


新たに買い替えたの


そして自分にとって大切なこと


自分にとっての価値観を


見つめながら過ごしているの


そんなあるとき


会社のトップが代わり


報酬の見直しなどが始まり


本来もっと報酬を受け取っても良い友人に


見合った報酬が約束され


1か月の間に


引っ越しで使った金額が


戻ってくる形となったの


そしてあこがれの場所で過ごし


職場へも歩いて5分くらいなので


時間という豊かさも重なり


とても幸せそうなの


そんな友人の笑顔に寄り添い過ごしていると


時には思い切った決断や


自分を幸せへと導く地図を持っているのは


自分だけなのだと


改めて感じているの


よく私たちは慎重に頭の中で


計算し絶対に近いくらい


確信を持たなければ


前に進まないことがあるけれど


整うまで待っていられるものと


そうではないものも多いから


動き出してから


考えてみるのも


よいんじゃないかなって


感じていたの


そして幸せは幸せを呼ぶようで


友人は小さなことから大きなことまで


様々な情報が届けられるようで


また笑顔になれる時間を


そこから広げているの


まだなにも始まっていないのに


もう自分は終わりだと


感じ過ごされている方も多いようなのだけれど


多くの方は


自分の実力をわかる前に


決めつけてしまっているだけで


全力は出してはいないと思うの


人間って信じられないほど


パワーを秘めて


この世に誕生した


神秘の生き物なのだから・・・







よく何気ない会話の中で


自分は何が好きで


何を望んでいるの?って問われた時


具体的に考えてもいなかった


自分に気づかされることって


あるんじゃないかなって


感じているの


なんとなく漠然と幸せならば・・・とか


でも幸せといっても


自分がイメージしなければ


宇宙には送られず


その思いを宇宙は


送り返すことはないと思うの


でも急に望んでいることと言われても


思い浮かばない方もいると思うの


そんな時には


逆の角度から


心を見つめてあげると


望むことがはっきりと見えてくるんじゃ


ないかなって


感じるの


私たち人間は危機管理能力が優れているので


危機管理としてのイメージや表現のほうが


慣れているので


こうなったら困る・嫌だと思うことを


書き出してみるの


そうするとその逆を望んでいることがとても


わかると思うの


たとえば支払いに困る生活はしたくないと


望んでいるとしたら


それを見方を変え


叶えられる表現としては


人によっては仕事が順調に運び


周りの人に認められたい


その報酬として収入があるのだから


そのようにストレートにイメージしたり


表現するほうが


スムーズに招き寄せられるんじゃないかなって


思うの


人によっては


人生のパートナーとなる人を


あれこれと想像し


こんな人は嫌だとか


嫌なほうには具体的なイメージが


出来上がっている方もいると思うの


それをひとつずつ


ひも解きながら


なぜそのような人がいやなのか


考えてみるのもよいと思うの


たとえばやさしく話を聞いてくれる人が良いと


思っている方は


別の角度から見つめると


自己表現してこられなかった


自分の歩みをうめたい気持ちや


また別の角度から見つめ


話すばかりではなく


人の話にも耳を傾けてこなかった自分を反省したり・・・


このようなことは


だれに表現するわけでもないのに


自分の中で行うだけで



周りまでも変わってくるものだから


とても小さなことだけれど


自分が望む世界に


近づいてゆくのを


感じられると思うの


自分の中での変化は


自分だけの中でだけ納まっているものではなく


連鎖反応という形で


みんな繋がりあっているから


同じような考え・思いのものを


引き寄せ


招き寄せてくれると思うの


特に2000年を迎えてからは


時間の流れが倍速になり


すべての結果が


過去の時間よりも早くに受け取れるので


逆に「これは違うかな」って


思えば


すぐにチェンジすることもできて


そして新たに始めたことの結果もまた


早くにっ答えを受け取れるので


待ち時間が少なくなっている利点もあると思うの


ひとり・ひとりが考えること


思うことが


時間の流れとともに


時代を創ってゆくように


自分が考えること


思うこと


瞳に映すもの


あらゆるものに宇宙から


責任を持たされているように感じているの


だから私たちは無意識に


だれかを自分が笑顔にできると


嬉しかったり


悲しませてしまうと


自分まで悲しくなってしまったり


持つ必要のない罪悪感を感じてしまうんじゃないかなって


感じているの


だから自分だけが幸せになるのは・・・と


持つ必要のない罪悪感を感じるのではなく


自分を幸せにする責任を果たす時


間接的であったとしても


その繋がりあうすべての人にパワーを与え


光あふれた


時代を創る


力となると思うの


なのでみんながどんどん


よい意味で自分だけを見つめ


毎日小さな幸せを発見できる


心の瞳を開いて


過ごすことが大切なんじゃ


ないかなって


感じているの






20012年までは


様々な物のシフトチェンジに伴い


様々な物が淘汰されて


多くの方が第三の目が開眼し


本物とそうではないものを


見極められるようになったり


急速に魂の向上を天から求められ


今までにないほど


大変な時間を過ごされている方もいると思うの


でもそれは


地球上で理想とされてきた


愛溢れた


人間らしい生き方を


実現するために必要な時間なのかなって


感じているの


ここ数年


食肉とされている動物から


人間に感染するウィルスが


伝えられるようになっているけれど


そのたびに


私は動物たちの無言の反乱のように感じているの


以前にも書かせていただいたことなのだけれど


地球が今まで


私たち人間の行いに


長い年月耐えてきたけれど


もう耐えられない地球は


今度は私たち人間が地球に合わせなければならなくなると


ずっとアクションを送っていると思うの


様々な先進国が今少子化対策を進めているけれど


地球規模で見つめると


人口はとても増えていて


様々な国の政府は


次の段階として食糧確保に


意識を向けていて


その矢先


動物たちの無言の反乱によって


思い煩っていると思うの


上手に言葉で表現できないのだけれど


少子化の中には


多くの場合不妊という形で


望んでも授からないというものも多く


それも深く見つめると


もしかしたら


生き物としてのDNAの働きなのかなって


感じることもあるの


動物の世界では


ある一定数を超えると


集団で自らこの世を去る現象が多く


イルカは岸辺に自ら上がろうとしたり


ネズミなどは水の中に入って行ったり・・・


そのような形で一定数を保っているようなの


人間の場合はそれぞれの国は


自国利益のために


人が多いほうが


様々な分野で潤いを維持できることもあって


進めているけれど


その人間の知恵だけではどうすることもできない


神秘が人間の中には宿っていて


計算通りには


運ばないことも多いと思うの


最近喫煙に害について


伝えられることも多いけれど


昔はそのような知恵もなく


逆に学者の方が書き残した資料に


そのような害について記されていたようなのだけれど


どこの国も


たばこは国の大きな利益となることもあって


ずっと表には


伝えられずにいたようなの


そして今では世界でブータンという国は


販売中止になるくらい


このことを重く考えていたり・・・


今世界中で


問題になっているので


利益だけを追求できなくなってきていると思うの


そしてだんだんと


多くの方が愛に目覚めてくると


今まで見えなかったものが見えてきて


よい意味で


問題にならなかったことにスポットが当たり


解明されてくると思うの


車の販売低迷も


私が感じているのは


愛の視点で見つめると


排気ガスも本当は喫煙と同じくらいか


もしかするともっと問題なのだけれど


それも利益を考えて


伏せられている部分も多いと思うの


でも私たち人間は

自分が意識するしないにかかわらず


愛が基本として


人間としてこの世に送られてきた


生き物なので


自分の意識だけではない


無意識の部分で


愛を持って地球と連動して


生きて・生かされているんじゃないかなって


感じているの


だから本当は愛に基づいた形で


フリーチケットとなる報酬を受け取ることが


理想であり


一番人間の中でしっくりとくる


豊かさなんじゃないかなって


感じているの







私にとって毎月


何気ない日常が


とても幸せに感じる日が


必ず届けられるの


それは毎月病のせいで体験しなければならない


女性として実感する日が


あるからなの


その痛みは数日間


言葉では表現できないくらいのもので


慣れることはなく


自分の中に秘めている


心身のデトックスでもあるの


その日は痛みというものに包まれ


冷静ではいられず


自分の認めたくない個性や考えなど


様々なものが溢れ


まるでそれは人生の絶望を


体験する日でもあるの


それがやがて


ゆっくりと時間が流れてゆくうちに


私を痛みから解放し


何気ない日常が


最も素晴らしく


生きていることを


感じさせてくれるの


そのたびに


きっとこの痛みを体験したからこそ


感じられる


幸福感なんじゃないかなって


感じているの


それは人生の中でも同じで


特に思い煩うことも


心配も不安も体験がなければ


幸福感も大きく感じられないんじゃないかなって


思うの


私の知り合いの中には


人から見つめると


特に問題もなく過ごしている方がいて


その方はとても慎重な性格ということもあって


新たなことはできる限り受け入れず


歩きなれた体験


人間関係・空間の中だけで過ごしているの


なのでハプニング等もなく


すべてが予定通りなの


もう一人はあれこれと


思いがあふれた方向へと


小さな冒険をしてしまうので


多くは自分が思ってもみなかった事に出会ったり


とても心身忙しく


過ごしている人がいるの


でもその方は


そのハプニングに言葉では


「あ~どうしよう」と表現しながらも


とても人生を楽しんでいるように


感じるの


初めに紹介した方は


何の問題もないのにいつも


退屈な毎日にとても不満を持っていて


いつも自分の人生を嘆き


この人生が早く終わりを迎える日を


望んでいるような表現が多いの


二人を見つめていて感じるのは


なにもないから幸せなのではなく


自分の人生を作り上げる方法が違うことなの


上手に言葉で表現できないのだけれど


ハプニングにいつも忙しそうな方の方は


受け取る日常を


大きな幸福感として受け取るために


時にはストーンっと


道から外れ


不安や悩みを


無意識に体験しているんじゃないかなって


感じているの


そうすることで


何気ない日常が


そのハプニングが晴れた日には


とっても幸せを感じたり


また次に進む希望が生まれてきたり


すると思うの


その友人は大変そうなのに


いつも楽しそうで


人生に感謝する表現がいつも溢れているの


もう一人の慎重な知り合いは


なにも問題がないはずなのに


いつも悲しそうなの


そう思うと


もしも今人生に喜びを感じていない方がいるとしたら


自分では気づいていないけれど


とても安全な場所で


過ごしているということなんじゃないかなって


思うの


人間って自分が思っている以上に


大きな力を秘めていて


何か大きな問題があると


それをどうにかしようと


そのことに意識を向け


小さな悩みや不安は脳裏から消され


大きな問題にだけ


意識が集中しているので


逆に自分の意識では思い煩っていても


どこかすっきりとした結果へと


歩きだしているんじゃないかなって

思うの


なのでよい意味で


悲しんでいる余裕を持つことがなく


自分の人生をしっかりと見つめる


機会にもなっているんじゃ


ないかなって思うの


人は不思議と


目の前に届けられた出来事を


解決するたびに能力は高まり


学校のような点数や数値では


教えてはくれないけれど


自分の中で小さな満足感や


達成感を重ねてゆくうちに


人生が満たされてゆくのを


魂レベルで分かっていると思うの


そして何よりありがたいのは


この世には必ず終わりがあることだと思うの


どんなに恥ずかしいことがあったとしても


失敗をしたとしても


それは永遠ではないのだから


今の自分を


すべて表現しきってもよいと思うの


神様は


私たちが永遠に思い悩まないために


必ず終わりがあることを


人間にだけ悟らせてくれたのだと思うの


そしてもっと表現すると


人それぞれに


この世で学ぶ時間も


それぞれで


その時間の長さだけは


だれにも知らされていないのだから


毎日今日できること


したいことは先延ばしせずに


過ごしてゆくことで


一週間後・一ヵ月後・一年後・10年後

その先に

大きな違いが出てくるんじゃないかなって


感じているの


将来・未来は


とても遠くに用意されているように


感じることがあるけれど


未来も将来も


今日に繋がっていると思うの


過去は変わらないけれど


今日からの変更は


すぐにでもできるんじゃ


ないかなって感じているの


そして受け入れることが難しいことでも


いったん・これが私の人生のバイオリズムに必要なこと!って


思ってしまえば


あとは考える必要も


思い悩むこともないと思うの


どんなに素晴らしい歩みの中でも


そうではない出来事も


人生を色鮮やかにするためには


必要として


神様が与えていることなのだから・・・





この間友人に


「なんで世の中には大変な人生の人と


そうではない人がいると思う?」と


尋ねられ


答えに困っていると


その友人が


「ある人が言っていたけど


恵まれない人生なのは


生まれ変わる前よくないことをしたからなんだって」と


伝えてくれたの


確かに精神世界や宗教では


答えが見つからない分野で


そのような答えを表現していることもあるけれど


私自身


そのような智恵は


あまり好ましくない智恵の一つなの


もしかしたらそうかもしれないけれど


それを周りが表現することではないし・・・


何より新たに始まったこの人生が


大変な中で過ごし


だれよりもがんばっている方に向かって


そのような瞳を向けるのは


違うんじゃないかなって


友人には伝えたの


そして生まれ変わりは


私も何となくあるような気はするけれど


それは一つの物語のようなものであって


人が判断することではないと思うの


昔から世界中で信心深い人ほど


そのような思い込みが強く


心身が人と違う個性で生まれてきた方がいると


隠したり


離縁したりと


悲しい過去がよくあって


本人が一番悲しくつらいのに


一番ちかくにいる人が


それ以上に


その方を悲しませてしまったり・・・


精神政界や宗教は


私にとっては


心癒し


現実社会の中では見つけられない答えを


見つけられる素晴らしいものだと思っているけれど


どこからか


とても厳しい


生きにくさを


素晴らしい厳格なものと


考えられている方もいるのかなって


感じていたの


確かに神様というのは


瞳に映す事ができず


心の深い場所に宿っているものだから


人それぞれ


感じる神様というイメージが違うのかもしれないけれど


私が感じている神様は


いつも表現させていただいているように


完璧な存在で


たとえ人間が過ちや失敗をしてしまっても


それも想定して


私たち一人一人を


創造された思うの


だって完璧な神様が創造した作品なのだから・・・


ただその失敗から


何を学び受け取るかは


私たちの自由範囲で


その選び取ったものが何であっても


その後も


成長を見守り


いつも一緒にいてくれていると思うの


そして神の存在を最も感じるのは


愛を表現したりした時だと思うの


それは自分の意志と


神様の意志が重なった時だと思うから・・・


時には


理想の自分に近づこうと


努力を初めても


続けられず


自分を責めるときには


きっと神様も悲しんでいると思うの


だって自分が良いと思わなくっても


神様にとっては


だれもが理想通り


神様が考える完璧なのだから・・・


だからきっと


私たちは


自分の好きになれない部分も


愛してあげられるようになることが


神様はもっとも望んでいて


そうなることが


自己実現なんじゃないかなって


感じているの







私がいつも利用している


ごみステーションの片隅に


どこからか種を宿した


美しい大きなお花が咲いていて


その姿をいつも瞳に映すたび


その強さに無言の励ましや


メッセージを感じていたのだけれど


今日行ってみると


なぜかそのお花の上に


大きなごみが置かれ


花が折れてしまっていたの


ごみを捨てるスペースの横なのに


なぜわざわざここに置いちゃうの・・・って


思わずすぐにごみを移動させたのだけれど


もう折れてしまっていて


きっとあとは枯れてゆくのを


待つだけの状態だったの


この小さな小さなできごとから


様々なものを感じて


心が朝から曇っていたの


どんなに恵まれた環境の中にあっても


自ら困難の中に身を置き


自分とは明らかに違う


人たちに愛を手渡し


そのたびに傷つけられてゆく


高貴な生き方をされている人の姿のように


感じていたの


そのお花ももともと美しく大きなお花なのだから


そのままどこかのおうちで


大切に愛でられる人生を過ごしていたならば


このような姿にはなっていたかったとは思うの


でもたった一人でも


自分の姿から


生きる希望や夢・愛を感じてくれたらと


わざわざもっとも人が好まない


ごみステーションの片隅に


宿ったんじゃないかなって


感じていたの


とても小さなことだけれど


人の心の状態を図るときに


今目の前にあるものに愛を感じられない


その状態が長く続いてしまうと


初めは小さなアクションでも


益々時間と共に


環境・人の心・自分以外の生命etc


様々なものを傷つけてしまうことを


何とも思わなくなってしまうんじゃないかなって


感じているの


今の時代は


10年くらい前から心の時代と言われ


自分で意識するしないに関わらず


急激に魂・心のスペースが


成長を求められ


無意識に気づかぬうちに


ハイヤーセルフといつも繋がり


過ごされている方と

その真逆の方に


分かれてきていると思うの


なので真逆の方にとっては


本当につらい修行のような時代の


スタートとなっているので


心折れてしまい


投げやりな思いや


自分だけを守ることに


必死になってしまうのも


仕方ないのかなって


感じているの


ただ真逆の方も


そんな自分をどうにか軌道修正したいと


思えば


すぐにでも


魂・心の上昇は始まり


何も変わらなかった朝が


素晴らしい朝に代わってゆくと思うの


ただ魂・心の成長に必要な学びは


何かきっかけがあって


もたらされることも多いから


人によっては残念だけれど


目覚めることのないまま


この世の学びを


終えてしまう方もいるとは思うの


それでも


その方にとってていうよりは


間接的に


彼らから何か学ぶものがあるから


そのような方もこの世に存在しているのだと


思うの


地球上では同じ意見も必要だけれど


まったく違う人もいて


色鮮やかに存在している星だから


それはそれでよいのかなって


今回のお花のことを


自分なりに納得させているの







今年から急に


自分でも思っていなかった


変化が私だけではなく


周りにも広がっているのを


感じているの


今まで大好きだったコーヒーが


急にあまり好ましくなく感じ


紅茶や日本茶が


体になじむ感覚になっていたり


当たり前にお肉を毎日食していたのが


急に体に合わないのを感じ


お肉に代わる食生活に


心身が軽くなるのを感じていたり・・・


ほんの少しこの変化に


どうしちゃったのかなって


不安になっているのだけれど


たまには自分の意志がリードする歩みを止めて


何かわからない感覚が導くままに


今は受けとっているの


ただ不思議なのは


このような導きのまま


過ごすうちに


驚くほど直感・正夢を


体験する機会が増えていて


言葉では上手に表現できないのだけれど


漠然ともしかしたら


様々なものに抵抗する生き方をしてきたけれど


本当はこのような過ごし方が


私にも知らなかった


本来の私なのかなって


感じているの


以前にも書かせていただいたことのなのだけれど


母には幼いころから


「もっといろいろな修業をして


霊感を磨いて


人を助ける仕事したら?」とか


伝えられていたのだけれど


私自身ほんの少し感じるというだけで


わざわざ大変なことに関わりたくない気持ちと


瞳には映らない存在との


関わりあい方がわからない私は


見えたりすることで


よい感覚を持てなかったので


そのような歩みは強く心の中で


避けていたように感じているの


そのたび母に


「どんなに自分が避けていても


結局与えられた運命には逆らえないんだよ」といわれ


「ふ~ん」と流していたの


そして私は瞳に映らない存在と


関わることよりも


避けられる方法という形で


精神世界を学ぶようになって


そこで水晶などの


パワーストーンを知って


身につけるようになって


心強いお守りのような感覚を感じ


入り口は違ったけれど


無意識にスピリチュアルな世界に


導かれていったと思うの


少しお話は違うけれど


食生活や嗜好が変わったことで


自分がどんなに無理をしてきたのか


周りにどのように自分を演出してきたのかを


知る機会となる方もいると思うの


人は自分が好きだから


こうしていると思い込んでいるけれど


本当はそうではなく


周りの空気になじむよう


そのような事を


好きになろうと小さな努力をしてゆくうちに


好きだと錯覚していることも


あると思うの


私の場合は


食生活が変わることで


すぐに届けられたのは


実家に足を運んだ時だったの


母がおいしそうな料理を作ってくれて


そのほとんどには


大小様々なお肉が使われていて


その時普通に


「私最近お肉を食べなくなったの」と


伝えればよいのに


他のものを食しながら


しばらく迷い伝えることに躊躇していたの


それは母の優しい気持ちを


拒否するように受け取られてしまうのではないか?と


だれの心にも宿る


相手を思いやる気持ちから


一番先に湧き上がる感情に


しばらく戸惑ったのだけれど


小さな勇気を持って伝えると


「どうしちゃったの?お肉を食べないと


元気が出ないよ」と


伝えられ


お互いが相手を思い言葉を手渡していたの


ただ両親の場合は


私の心身をいつもすこやかに


過ごせることを日々案じてくれる存在なので


なんとなく納得してくれていたの


ただ知り合いの方の中には


このような導きの中で過ごす私に


「すごく神経質になんだね


そんなこと言ったら何も食べられないんじゃない?」と


表現する方もいたり・・・


そのたびに


私はこのような言葉を一番恐れていたように


感じているの


なぜならば


私自身自分が思う理想の自分は


おおらかで小さなことが気にせず


人生を謳歌しているよう演出してきたからだと思うの


でも逆の角度から見つめると


そのような言葉を表現される方の多くは


形は違うけれど


思いやりあふれた方だと感じているの


なぜなら


本当に相手にことが関係なければ


相手がどのように生きようと


どのようなものを好み


どのようなものを食してもかまわないはずなのに


心の深い部分で


相手がそうしないのに


自分だけがそうすることに


持つ必要のない小さな罪悪感を


感じるから


何か言葉として


はきださまければいられないのだと思うの


たとえば喫煙していた方と


そうではない方がいると


そのような感情をよく耳にすることがあるの


喫煙される方は


たばこをやめ喫煙しない方に気を使い


「吸ってもいい?」と尋ね


多くの場合


「いいよ」と返事が返ってきても


無意識に


喫煙される方はたばこをやめ


喫煙しない方を


気遣いながら本数を抑えられていると思うの


そんな事もあって


喫煙される方はその小さな気遣いに疲れてくると


たばこをやめ


喫煙しない方をあまり好ましくない


表現で言葉にすることもあると思うの


その多くは


小さなことにこだわり神経質で


おもしろくない人というような


ニュアンスの表現がだと思うの


私のパートナーも数年前にたばこをやめ


喫煙しないようになったのだけれど


そのたび


会社の方たちからは


「そんなに我慢してまで長いきしたい?」とか


「吸わない人の前で吸うのは


気を使う」など


いろいろ表現されていたようなの


でも年数が重なってくると


周りの意識も変わり


「すごいな」とか「俺もやめたいけどな~」など


本当の心を伝えられ


そして強い依存の洗脳から解放された


パートナーを称賛してくれる方も増えてきたの


自分自身が変わるといことは


周りにも変化があるのは


逆に当たり前で


たとえよいと言われることであっても


長い歴史の中で


人間の中に刻まれた伝統的な洗脳が


様々な言葉として


返ってくることもあると思うの








ここ15年くらいの間に


食物アレルギーや


好き嫌いを多く持つ子供がいて


心配されているご両親の事などを


知る機会が多く


そのたびに


時代が作ってきた結果が


少しずつ表れてきているのかなって


感じているの


純粋にありのまま作られた食物は


今の時代高価で


多くの方に行き渡るように


作るには


スピード・採算などを考え


遺伝子改良されていたり


肥料や肉を育てる穀物にも


ホルモン操作がされているものが


加えられていても


不思議ではないのだと思うの


ただすべての結果が


人間に現れるのは


どんなものも20年以降から


少しずつ現れてくるので


何が原因だったか


わからないようになっていると思うの


この間友人の4歳のお子さんが


食事中に


「ママこれ何?」と


ミートボールを指さし


友人は「お肉だよ」と答えると


「お肉?モ-モ-さん?」と尋ねてきたので


友人が軽い気持ちで


「うん・そうだよ」というと


急に泣き出し


「いやだ~いやだ~」と泣き出してしまったの


それ以来


すべての食べ物を確認し


気がつくと穀物・お大豆食品


お野菜などになっていったようで


友人は


「お年寄りみたいでしょ」って微笑みながらも


心やさしいお子さんの思いを


尊重してあげているの


友人はおこさんにどうして食べないのかを


尋ねたようで


そうすると


「わんちゃんとかねこちゃんとかは


ママは食べられる?」と言葉が返ってきて


言葉を失っていると


「どうしてモーモーとかはいいの?


かわいそうでしょ」といいながら


また泣いてしまったようなの

それで心配になった友人は


精神世界から何か答えを求めて


私に相談してくれたの


そのお話を聞いて


大人の私が思うのも


少しへんかも知れないけれど


確かにそのお子さんの言う通りだなって


感じていたの


それに豊かな国に生まれ育っている方は


たくさん選べるほど食材があり


栄養の面からいっても


心身を満たす食品はあるのだから


わざわざ食することもないよなって


感じていたの


最近は著名な形の中にも


体調管理やアンチエイジングのために


意識的に食さない方も多くいるから


そんなに悩まなくってもよいのではと


伝えたの


そして私が感じているのは


年々愛を軸に生まれてきている方が


本当に多く


その方たちの多くは


特にだれに迷惑をかけることもなく


平和で物質的豊かさではない


心の豊かさを満たしている方が


多いのを感じているの


でもその新たな存在は


今までの伝統的な世界の欠点に


スポットを当ててしまうので


伝統的洗脳にある方たちにとっては


バッシングの対象となっているように感じているの


本当はどんなものでも


必要な時間をかけて


大切に作られ


その作る方の思いや愛情が


波動として作品以上に


意味のあるエネルギーとなって


みんなが手にされるのが


理想的なんじゃないかなって


感じていたの


それを一番表してくれるのは


母親の料理だと思うの


料理の資格も持たない母親たちでも


何か説明のできない


愛情とういう瞳には映らないスパイスを持っていて


時には有名シェフを超える


心身を満たしてくれる


喜びを感じることがあると思うの


特に日本人は


音にならない言霊や


風・空気・鳥の声etc


様々な表現できないものから


何かを受け取れる繊細な


精霊のような感性が宿っているので


瞳には映らない何かを


物質を通して


感じられている方も多いと思うの


なので趣味嗜好は様々ではあるけれど


働かれる方が機械的に働き


不満に溢れた場所から


生まれるものは


やはり何か無意識に


しっくりこない時代だと思うの