2009年3月






この間とても不思議な夢を見たの


とても美しい森の中で


女性の尼のような方が


優しい瞳で私に向かって


「にそうになりなさい」と


伝え


すぐに場面が変わって


岩の上横に眠っている方が


たくさんいる所で


そのそばには「病」と書かれた


プレートがあったり


ふっと遠くに瞳を向けると


美しい小さな小川があって


そこにもプレートがあって


「心」と書かれていて


多くの方が小川の中につかっていたの


そしてまた遠くを見つめると


海が広がっていてそこには


「魂」と書かれたプレートがあって


多くの方が眠るように


穏やかな顔で


浮かんでいたの


プレートに書かれていたのは


きっと効能のようなものだったのかなって


感じながら見つめていると


また場面が変わり


なぜか多くの方のお家に私が訪れて


とてもよごれているおトイレを


掃除を始めているの


私自身不快に思いながらも


そのような場面が何度も与えられて


すべてをクリアした時に


はっと目覚めたの


夢から目覚めてから


女性の尼のような方が伝えてくれた


「にそう」という言葉がとても気になって


ネットで調べてみると


尼僧というのは


出家して仏道に入った女性や


カトリック教会の修道女の事のようなの


それを知って


なぜだかとてもこわくなった私は


知り合いや友人家族に


「その意味ってどう思う?」って


尋ねていたの


尋ねた方の中に


ちょうどシンクロするように


そのような書籍を最近読んだようで


昔とは違い出家して


現実社会とはなれて修行する形から


今は現実の社会を営みながら


功徳を積み


生かしている尼僧の方も


多いと教えてくれたの


そして尋ねた方すべてに


伝えてもらったのは


「それは形ではなく


尼僧になったと思って


人のために


自分の人生を費やしなさいと


つたえているのでは?」って


教えてもらったの


その言葉を聞いて


とってもほっとしていたのだけれど


今なぜか毎日まるで船酔いをしているような


不思議な体調で


また何か自分の中でシフトチェンジを

整えているのかなって

感じているの

そんな中

母は「だんだんあんたが避けられない


運命に近づいているんじゃないの


だから前から言っている様に


何か自分の持っている力を


自分で使えるように


修行みたいなことをしなさいって


私は言ってるでしょ


そうしたらもっと今よりも体調が良くなるよ」って


伝えられ


確かに10代の頃から


母はそのようなことを伝えていて


そのたびに


色々なことに関わる


わずらわしさと恐怖から


いつも何となく


避けていたの


でも今現在


自分の何が人の力となれる能力なのかも


わからず


よく瞳に映る霊能者のように


ターゲットとなる方のそばに


見えた人が


ターゲットの親族かどうかもわからないし


具体的なメッセージも受け取れるわけではないし・・・


ただ見えるだけだから・・・


でも何か自分のようななにも出来ない人間でも


何かお力となれる日が来たならば


私の意識とは別の


何かが満たされたり


ふれあうすべての人に


素晴らしいものを


手渡すことが出来るのになって


ほんの少し


本格的なことに


心惹かれているの












思っていたように


あっという間に3月を迎え


もうすぐ花々が咲き誇る


季節が訪れると思うと


今からワクワクしているの


以前にも書かせていただいた友人で


男性から女性に生まれ変わった


性同一障害の友人がいて


いつも精神的に不安定になると


すべてを前向きに考えられなくなって


よく電話で話すの


彼女はきっとホルモン剤の影響もあって


そのような時には


いつもならば思ってもいない


心の深い部分に


刻まれている不安を語るの


彼女の悩みや不安は


当たり前に自分の心とフィットした


性別でこの世に誕生した私では


考えられないような


深い不安を持っているの


彼女はとても美しく


努力を重ねていて


当たり前に女性として生まれた私の方が


教えられる事も多いの


彼女の悩みはやはり多くは


将来のことで


努力と経済をいつも続けていないと


また元の姿に近づいてしまうのではないかと


考えていたり


自分のすべてを受け入れて


結婚してくれる人がいるのか・・・など


そしてほんの少しでも


男性的な部分を自分の中に見つけてしまうと


不安が広がって


眠れないこともあるようなの


彼女と話すたびに


自分の中に忘れていた


感謝できることを


ひとつ・またひとつと


教えられるの


私は子宮の病の痛みで


とても辛いとき


彼女と過ごすことで


救われた時期もあったの


同じ性別の方と話していると


いつも子供を授かれない自分に


必要以上にプレッシャーと劣等感のようなものを


感じた頃も合ったのだけれど


そのたび彼女に


「贅沢言っちゃだめ


私があなたになりたいくらいなんだから


期待されるうちが花よ


私に誰がそんな事をいう?


無理なものは初めから


誰も言わないし・・・


私の場合本当のことを言うと


極端に


軽蔑したような目で見る人と


逆にものめずらしくって


友達になりたがる人ばかりだよ


私よりもブスでも


なぜか優越感持つ人もいたりね(笑)」って


何かあたたかい思いで


私を包んでくれたの


私自身毎日感謝できることを見つけては


眠る前に感謝を唱えているのだけれど


性別的な感謝は


考えてもいなく


逆に女性に生まれたことが


生きにくささえ感じていたこともあったので


はっと心の瞳が


開いた気がしたの


その時から


私にとって好ましくない事が


ある方にとっては


宝石のように魅力的なものであったり


するんだなって思ったら


今の自分に与えられたすべてに


感謝しなくっちゃって


思えるようになったの


出会いはすべて神々が


意味があって巡りあわせてくれると


言われているので


彼女との出会いも


私には大きな意味があって


繋がっているんじゃないかなって


感じているの


私たちは当たり前に


様々なものが用意されていて


その当たり前にあったものに


変化が起きて


始めて当たり前ではなく


与えられていたものなのだと


実感すると思うの


人間はとっても傲慢な部分を持っていて


誰から見ても大きな幸せでなければ


幸運とは思わず


不足している部分だけに


意識を向けて不満が広がる事があるけれど


今ある幸せを見つめる


心の瞳を開けるのならば


自分が幸運に恵まれていることを


実感し感謝できることに溢れて


いるんじゃないかなって感じているの


たとえば毎日当たり前に


家族と過ごし


時には煩わしさを感じていても


それは当たり前に


毎日帰ってきてくれるからで


もしもいつもと違った出来事に


出会うことになったならば・・・


そのような当たり前の事が


当たり前の環境にない方も


この世界には多くいると思うの


多くの場合


感謝できることは


幸せなときと同じくらいに


失ったときに


気づく事が多いから


感謝できることを教えるために


時々神々が


ほんの少し思い煩うことや


悩み不安を


与えるんじゃないかなって


感じているの


私自身も病になる前は


雑誌の占いコーナーを見る時や


神社で祈願するときには


はずかしいのだけれど


恋愛や経済しか見る事はなく


その部分が保たれているときには


幸せだなって感じていたの


年齢を重ねた方が


神社で参拝する時


健康を願うこと自体が


まるで意味のないことのように


感じていた事もあったの


でも自分が病を体験してから


何かスムーズに進まなくっても


健康が保たれ体調が良いだけでも


ラッキーだと思えるようになって


今では何よりも自分の健康を


願っているの


そう思えるようになってからは


災いのように思うことも


災いとして終わらせるのも


幸運を見つけるひとつの経験として


スタートするのも


自分が決められるんだなって


思って


出来事は変わらないのならば


自分の見つめる角度を変えた方が


何よりも楽で


幸せかなって感じ


少しずつ方向を変えられるようになったの











ここ数年


パートナーの仕事の関係で


1年の半分は


お互いに遠い土地で暮らし


お互いが


自分らしく自分という存在を感じながら


暮らしていたのだけれど


最近は


少し以前よりも長く過ごす時間が増えて


自分でも思っていないほど


自分という存在に


気づかされているの


本当に小さな事なのだけれど


私自身強いこだわりがありすぎて


あるはずの場所にあるものが収まっていなかったり


インテリアなどでも


テーマがあって


意味があってその場所に置いているのだけれど


それがほんの少し


変わっているだけで


何か違和感を感じ


小さなストレスとして蓄積してしまい


自分で自分にダメージを


与えてしまう事があるの


パートナーと過ごさなかった間は


友人と共に過ごしていても


本当に私ってこだわりがなく


何かこれ!っていうものを持ったほうが


よいんじゃないかなって思うほど


自分という存在を知らなかったくらいなの


家族って友人とは違い


自分のコンディションが


整っていないときにも


共に過ごし


他の方には表現しない甘えもすべて


溢れてしまうこともあって


逆になぜこんなにもフィットしない人と


共に過ごしているんだろうと


感じることさえあると思うの


でも家族にも


友人や他者に接するように


良い意味で距離をもち過ごすことができていたならば


こんなにいい人はいないと


感じられると思うの


家族という地球でのグループは


そのグループに届けられた問題を


すべて自分の事として受け止め


助け合うことが


ひとつの約束事のようになっている部分もあって


簡単に放棄できないので


友人や他者とは違い


距離を持った優しい思いだけを


手渡す関係ではない部分もあると思うの


なので一番近くで支えあっている人たちの間で


憎悪を感じやすいんじゃないかなって


感じているの


心理学では


自分と行動や性格が似ている


人物が近くにいて


自分のコンプレックスを


客観的にいつも見せ付けられることを


無意識に人間は嫌う傾向を持っていて


DNA的にも


同じものを秘めている


家族へは愛と同じくらいに


憎悪を感じやすいようなの


きっと人間に秘めたすべての感情や思いを


体験させてくれる場所が


家族というスペースなんじゃ


ないかなって思うの


そしてそのスペースで


自分が受け入れられない自分や


逆に優れた自分の能力を


褒めてあげながら


自分という存在が日々考えることや


大切に思う価値観などに


気づき


様々な問題への答えを解いてゆくための


大切なスペースなんじゃないかなって


感じているの







人からの念や思いには


良い方向へと導く力となるものと


そうではないものがあると思うの


その事を何となく敏感に感じ取られ


良くない念や思いに対して


不安になる方もいると思うのだけれど


どんなに強い念や思うという


電流が流れてきても


自分がコンセントのようにジョイントしなければ


その念や思いに


自分の人生が翻弄されることは


ないんじゃないかなって


感じているの


多くの場合どちらが先かはわからないけれど


誰かが自分の事を思ったり


誰かが自分の心無い


噂話などをされている時

自分の方も


ふっとその相手を思い出すことがあると思うの


その時あまりよい感情が


沸いてこない時には


自分の心のコンセントと


相手の電流をジョイントせずに


違うことをされると


良いと思うの


私やパートナーは


そのようなエネルギーにとても敏感で


パートナーはよく


「邪魔が入っているような気がする・・・」と


表現した後


無意識に気がつくと永遠と


その相手と思われる方のことを


話すことがあるの


でもそんな時


「どんなに思いが降り注いできても


受け取らなければ問題ないんだよ


相手と同じ波動で


こんなに長い時間話していると


それこそ妨害になるんじゃないのかな」って


伝えると


ふっと自分の魂の力がよみがえってきて


意識を違う方向へと


向けているの


そして一番感じるのは


自分に対して快くない思いが


降り注いでいるのを


まっすぐに受け止めてしまう時って


自分自身の波動が下がっているときが


多いんじゃないかなって


思うの


だからその波動を元に位置に収めるには


必ず誰でも思っている


楽しい記憶を思い出したり


良い意味で空想の時間へと


意識を向けられると


いいんじゃないかなって


感じているの


脳というのはとても不思議で


心身とダイレクトに繋がっていて


その事が真実か空想なのかの区別がなく


脳は認識して


心身に良い作用を与えてくれるから・・・


少し話は違うのだけれど


この間パートナーが


「このお茶すごくおいしいんだよ」っていって


私に入れてくれて


そのお茶を飲んだとき


なんだかとても不思議な味がして


「どこのお茶なの?」と尋ねると


パートナーが笑いながら


「人間の思い込みってすごいよね


これはいつも飲んでいる


コーヒーだよ」って


伝えてくれたの


その言葉を聞いて


もう一度飲むと


今度は本当にいつものコーヒーだったの(笑)


その時人間って


思い込みからすべてを見つめている事も多くって


真実をちゃんと


見えていないことも


多いんじゃないかなって


感じたの


昔出会ったある方に


知り合いを紹介する機会があって


その方のプロフィールを少し


伝えておいた方が良いかなって思い


あれこれと小さなデーターを伝えた事があったの


その時その方に


「ありがとう。私の事を心配して伝えてくれているのは


わかるけど


それはあくまでもあなたの価値観から見た


その人の人柄だから


会う前から先入観をあまり持ちたくないんだよね


その人の事は自分で判断するから」って


伝えられたことがあって


その時幼い私は


親切で伝えたのに・・・って


とても重い気持ちになったのだけれど


その後数年後には


私が逆の立場になる機会があって


あれこれと会う方のことを


伝えられ


先入観いっぱいで


会って見るとやはり


その方のことを何も知らないはずなのに


そのような印象に自分が作り上げて


見てしまうことに気がつき


先入観をゆっくりと消しながら


話してみるととてもよい方で


今でも時々お話をする大切な


出会いになっているの


脳って無意識に


事実ではなく


私たちが見たいように


見られるように調整してくれているだけなんだなって


感じたの


幸福かそうではないのかも


現実に揃ったもので判断しているのではなく


自分の脳が


決めているもので


多くの場合は


無意識に周りのデーターから


これだけ揃っていたら幸せとか


判断しているだけで


もしも周りのデーターすべて


手放して


一個人として見つめたならば


何も揃っていない自分が


意味なく幸せなときもあると思うの


すべては自分が見つめる方向に


脳が反応しているだけだから・・・


本来人間は


天気が良いだけで幸せな気持ちになったり


花咲く季節になると


わけもなくウキウキしたりして


生きてきたと思うの


それはきっといつもならば


自分の判断が脳の見方を作っているのだけれど


その逆で


脳本来が届けてくれている


ありのままの幸せなんじゃ


ないかなって感じているの









毎年その年のキーワードとなるものが


大きく人々を包み込むのだけれど


今年は今まで見つめてこなかった


過去を見つめ


置き忘れてきたものに気づき


そして素直な気持ちになって


その思いを未来に繋げてゆく


年なんじゃないかなって


感じているの


ここ数年はとても速いスピードで


その速度に追いつくことだけで


いっぱい・いっぱいになっていたけれど


今年は少し速度がスローになって


一歩・一歩歩んできた道を


良い意味で振り返り


その歩んできた


自分の足跡に


そっと咲いている花を探す時間が


未来の幸せへのヒントが


秘められているんじゃないかなって


感じているの


たとえば今仕事などがスムースに進まない方も


そのピンポイントだけに


心煩うのではなく


仕事は何を実現するために


行っているのか?


ほんの少し角度を変えて


見つめてみたならば


未来が開いてゆけるんじゃないかなって


感じているの


他にも人との繋がりでも


過去に出会ってきた人の中には


その頃理解力や思いやりの形への


こだわりから


縁が遠のいた方などもいて


でも今ならば


まだ清算できていない思いを


解消できる方もいると思うの


今年は過去がキーワードかなって


感じているの


過去を見つめる事ができたならば


これからどのように歩んでゆけばよいのか


自然に見えてくると思うの


今私の周りでは


何十年もの間


喫煙をしなければ


ハードな仕事やストレスを


解放できなかった方たちも


まるで目が覚めたように


禁煙を始められたりしているの


それはきっと心身のあまり好ましくない


情報は以前から知ってはいたけれど


ライフスタイルを大きく支えるものだという


幻想と社会的に与えられているプレッシャーに


さらに自分が自分に


我慢という思いを重ねる事を


考えただけでも


実現しようとは思わなかったと思うの


でも実は逆で


自分に辛く我慢をさせて


毒を持って毒を制する形で


自分に無理をさせていたことに


気づかれて


もっと自由に楽に生きたいと


過去の歩みを見つめ感じたんじゃ


ないかなって感じているの


今は経済的流れが世界的に


変化の時を迎えていて


過去を見つめ


何となくで手にしていたものにも


意識を向けられる方も多く


そのおかげで


自分にとって大切なものが


埋もれていた様々なものが取り除かれて


見えてきている方も多いと思うの


私自身も数年前から


心身のささやきに


耳を傾けるように意識するようになって


数年間も手にする事なく


眠っていた


見栄からだけで購入した


宝石やブランド品などを


欲しいという方にプレゼントしたり・・・


その事で思わぬおいしいお返しを頂いたり・・・


様々な形で


今の自分にフィットするものだけを


選択したり手放したりするうちに


今度は今のおうちが


驚くほど風が流れるような


スペースが広いがり


もっとコンパクトな住まいでも問題ないかなって


思うほどになっているの


もしもこれからこのような流れを大切に


過ごすことが出来たならば


我慢をする節約とは違い


自然な形でもっと自分を自由に


そして軽やかに


その時心惹かれるものや


出来事を


その時・その時


受け取りながら


心も人生も豊かに過ごせるんじゃ


ないかなって感じているの


私の友人たちの中でも


報酬が今までとは違い減っていて


一時期悩んだり


不安を感じていた友人たちも


それぞれがそれぞれの答えを


過去から見つめ


動き出しているの


一人は何となく一人で人生を歩んでゆくだろうと


数年前から感じていたので


身動きがしづらくなるものは購入せず


自分の将来のために


憧れの場所をいつもイメージし


今の仕事を一生懸命に


仕事をしていたの


でもいつの間にか


その夢や憧れを忘れて


仕事をこなすことだけでいっぱい・いっぱいになり


それでも


その月に受け取る報酬だけで


自分を評価し満たされるようになったの


でもここ数年


報酬が自分が思ったように


受け取る事ができないようになって


不安とグチが溢れてきていて


望まない


今出来る節約に意識を向けていたのだけれど


そんな時


偶然に私のお家に遊びに来たときに


数年前友人から頂いた絵ハガキや


お手紙が出てきて


懐かしさから友人は


自分が書いた言葉たちを


瞳に映していたの


その時友人がまるで忘れていた思いや


置き忘れてきた自分の人生を


思い出すように


キラキラとした瞳で


「そうだよね!私はずっと何も持たずに


自由に生きていたんだよね


今の仕事を選んだのも


手に職を持つことで


自分が住みたい土地で


暮らすための準備だったのに・・・


そうだ!少し早い実現という事で


その土地で仕事探してみようかな」って


表現していたの


そして1ヶ月くらいたった頃


その友人は自分があこがれている土地で


仕事を見つけられたそうなの


報酬は今よりも少ないのだけれど


都会の暮らしは


手元を通り過ぎてゆくだけの経済も


計算に入れれば多くっても


その土地では物価が都会よりも


高くはないようなので


十分楽しんで自分がしたい事ができるようなの


そして引っ越した友人が何よりも


幸せを感じるのは


仕事以外の自由な時間が毎日あることのようなの


都会で暮らしていた時には


平日は長い時間働き


お休みの日も心身の疲労のために


ずっと眠ってしまって


何か説明の出来ない


罪悪感や満たされない思いを


いつも持っていたようなのだけれど


今は平日でもお仕事が早く終わった時には


歩いてゆける海に出かけて


美しい夕日を眺めながら


自分で作ったお弁当を食べたり


あたたかい季節には泳いだり・・・


聞いている私も

幸せな気持ちになるくらい

満たされた人生を過ごしているの


他の友人も結婚している中でも


色々と考えていて


ずっと今までの生活を変えない努力に


意識を向けていたのだけれど


数ヶ月前に


友人の大切なパートナーが


様々な心身の疲労から病になり


友人自身も追い詰められていったの


人は追い詰められると


驚くほどの力が湧き上がるようで


友人はとりあえず生活をしてゆけるために


必要なものを紙に書き出し


1つずつクリアにしてゆくために


情報を集めだしたの


そうしたらお子さんがいることで


補助が受けられる地域や


移住してくれる人に優しい制度が


いくつもある地域があったりして


家族で相談して


移住したの


時々手紙などで交流しているのだけれど


いつも書かれているのは


ここに暮らして始めて


本当の意味で家族になった幸せを


感じているとか書かれているの


周りの方が幼い友人の子供を


とてもかわいがってくれるらしく


預かることが楽しみなようで


気を使いすぎることもなく


夫婦二人でお出かけしたり・・・


そんな時間を数ヶ月続けただけなのに


友人のパートナーの病が癒され


今では近くの小さな会社で


正社員として働くまでになったようなの


そんなお話を聞きながら


もしかしたら人にはそれぞれ


求められる場所や


フィットする場所があって


そんな場所で暮らすことが出来たならば


自分の心身も満たされ


人生の豊かさを感じられるんじゃないかなって


感じたの

私自身友人たちの生き方を

見つめながら

たくさんの選択肢があることに

勇気をもらい

少しわくわくしているの








引き寄せの法則や類は友という


昔から


世界中で語られている


人生の知恵があるけれど


自分でも気づかない間に


その法則は


働いているんじゃないかなって


感じているの


人生の学びに必要な縁や


出来事はランダムに


届けられることもあるけれど


その物事も


答えを導くのは


きっと自分の中に秘めている


価値観から生み出した


真実だと思うの


同じ物事でも


「あ~何でこうなっちゃうの・・・」と


落ち込んでしまったり


悲しくなったり


時には怒りを感じる


出来事として結論を出される方もいれば


「スムーズに行かないのは


何かほかに気づかなければならないことが


あるのかな」って


受け止められる方もいると思うの


ステップ1のこの反応は


きっと価値観や真実からの反応ではなく


ただその時の気分や


気持ちのコンディションから


反応しているだけだと思うの


その時に


落ち込みや怒りなどの反応があった場合は


自分でも気づいていない


ストレスを自分の中に探す機会として


受け止めてみるだけで


過剰に心身が疲労する事なく


次に招きよせる事柄の質を


その瞬間から自分で


決めることができるんじゃ


ないかなって感じているの


もしもその時の気分や


気持ちのコンディションのまま


反応している時間が長ければ長いほど


無意識に


引き寄せの法則や類は友という力が働いて


好ましくない感情を感じる


出来事を


招きよせてしまうと思うの


上手に言葉で表現できないのだけれど


私が感じているのは


意識している間は


自分の感情が発信して招き寄せたことに


敏感だけれど


日々流れる時間の中では


無意識領域も多く


そのつど発信する好ましい感情と


好まない感情が


どこかにストックされていて


忘れた頃にランダムに


ストックされたものを


外へと放ち


その波動が外の世界と繋がり


人生に現れるものを


選んでいるんじゃないかなって


感じているの


よく表現されるのは「願えば叶う」


「イメージするものを引き寄せる」という


教えの通り


行動されていても


少しも形にならず


疑う心のほうが大きくなられる方もいるとは


思うのだけれど


それはきっと


瞬間的にその教えを意識して


行動したり考えたりするよりも


無意識レベルで考え・行動し


心重ねていることの方が


多く強いので


深い部分にまで届かず


「叶わない」と受け止められるのだと思うのだけれど


角度を変えてみると


無意識レベルで考えたり・心重ねたりした事の多くは


実現していると思うの


引き寄せの法則はまさに


類友の法則なので


イメージするだけでは空想だけになってしまうので


2次元から3次元・4次元へと


繋げてゆくには


そこに感情・心を重ね


現実のものとして


心が動いたとき


反応してくれるものなんじゃ


ないかなって


感じているの


私たち人間は


辛いことや悲しいことに


無意識に耐えうるすべてを備えていて


無意識にその部分を強化するために


ありとあらゆる世界中の悲しみや


苦労などを


無意識ではあるけれど


気づいたら心のチャンネルを合わせていて


その時


心が様々な反応をして


実体験のように心動かされていると思うの


そしてその事柄が


大きなインパクトがあると


もうその時間が終わっているのに


ずっと心の中に余韻が残っていて


なぜか悲しみに強く感応するようになったりして・・・


誰にでも自分の人生を見つめたならば


もしかしたら見つけられる出来事だと思うのだけれど


それから数日の間


その事を忘れていたのだけれど


たまたま知り合いや友人との会話の中に


偶然のようにその時の話に似た出来事が届けられて


「あ!そういえばこの間・・・」と


その話をする場面が訪れることがあると思うの


それが無意識レベルでの引き寄せの法則が


働いているということだと思うの


私が感じているのは


長い時間その事を思うから


引き寄せるのではなく


瞬間であっても


引き寄せの法則は働くんじゃないかなって


感じているの


引き寄せたい事柄が


何かを得たいという事柄ならば


それは豊かさというキーワードに分類することだから


そのキーワードにフィットした


波動に自分がなっていたならば


すぐに叶うと思うの


たとえば


何気なくインターネットを見つめながら


おいしいものを見つけ心惹かれたり


読んでいたい本に


意識を向けているとき


時間は瞬間・瞬間だけれど


その時の心のコンディションが


豊かな気持ちを感じているのならば


偶然のように


数日の間に手にしている自分がいると思うの


偶然のように友人知人から頂いたり


売っているお店がこんなに近くにあったなんてと


発見があったり・・・


自分で購入する形であっても


経済の豊かさがあったから叶えられたことだし・・・


心の豊かさが整っていないうちに


様々に受け取ることを願っても


受け取るという波動とフィットしないので


受け取ることが


どうしても難しく


そのような時間が長く続いてしまうと


逆にその豊かではない心とフィットした


ねたみや恨み


疑いなどの感情が広がり


希望を持つことがなくなってしまうと思うの


そして気がつくと


すべてのできごとを否定しながら


過ごすようになり


自分の価値観や真実に合った


現実を引き寄せながら


「やっぱりそうだろう」と


幸せや喜びの結果が現れない事が


正しいとジャッジとして


認識しながら過ごしてしまうと思うの


心の豊かさはほんの小さな事に


感謝する心があるだけで


どんどん心は豊かになり


豊かなものが収められるスペースを


作ってくれるんじゃないかなって


感じているの


何も変化がなく平凡な毎日だと


思いこんでいる方も


紙などを用意して


探し出して書き込んで見るといいと思うの

そうすると


感謝したくなる出来事で


溢れていると思うの


いつもならば見過ごしていることも・・・


たとえばたまたまショッピングに出かけて


とても感じの良い店員さんに出会ったと


思い出したならば


「とてもよい気分でお買い物させてもらい


ありがとう」と紙に書き出してみたり

もっと感謝を広げたい方は

「店員さんが笑顔で話しかけたくなる

容姿に産んでくれたお父さん・お母さん

ありがとう」でも良いし

「よい波動がよい出来事を引き寄せたんだわ

知恵を実践している

私ってえらい!」と

自分をほめてあげても良いと思うの


1つの出来事でも感謝したいとゆっくりと


見つめたならば


自分自身が豊かなライフスタイルを


過ごしていることに


気づき益々豊かな気持ちが


育まれてくると思うの


そうするとたとえランダムに


望まない形のものが現れても


それ以上に望む出来事が


人生の中に届けられていることに


気がつき


自分が豊かで幸せな人生を


与えられていることを


受け取って行けると思うの