2009年2月






2000年を節目に


地球に暮らす私たちは


人間的な暮らしで得られる喜び以上に


何か言葉では説明の出来ない


望郷の思いというのか


ホームシックにも似た思いを


無意識に抱く方が増えてきているんじゃ


ないかなって感じているの


言葉では上手に


表現できないのだけれど


特に大きな悲しみや不安があるわけではないのに


この地球での暮らしではない


別の次元で暮らしていた


あたたかな時間とそして


説明の出来ない誰かとの繋がりを感じ


この地球上に暮らすことへの


執着を持たなくなっている方も


多いんじゃないかなって


感じているの


現実的に人間社会では


その事を自ら天国へと旅立つこととして


映ってしまうので


何か大きな問題がある方だけが


そのような思いや行動へと


流れてゆくように感じてしまうけれど


年齢的に若い世代の方と


話していても


それなりに楽しい事もあったり


友人もいたり


一般的な時の流れを過ごしていても


多くの方が


もしも急に自分がこの世から


いなくなっても


特に後悔もないし未練もないと表現していて


その事に恐れもないと


伝えてくれるの


その言葉を受け取りながら


私たちの多くは


次の段階へと自分が望む望まないに限らず


この地球のこの時代に


送り出されているんじゃ


ないかなって感じていたの


たとえばどんなに楽しい時間だからといっても


また小学生には戻れず


次の中学生へと進学してゆくように・・・


私は表現が未熟なので


思っていることを上手に言葉として


伝えられないのだけれど


宇宙に存在している


それぞれの星から


意味あって地球上に送り出されて


その時に


輪郭だけが描かれた人生創造プログラムのようなものを


手渡され


過ごしているんじゃないかなって


感じているの


こんなことを表現すると夢も希望も


もてないように感じてしまわれるかもしれないけれど


私が感じているには


大きなパーツとしての人生予想図は


それぞれにあって


その部分は運命どおりにしか


歩めず


人はその部分だけを見つめたとき


不公平感や自分を責めたりしてしまうけれど


その部分は与えられた輪郭なので


変える事ができないように感じているの


ただその変えられない運命の中でも


変えられることもあって


それは形ではなくカラーだと思っているの


同じ場所や経験を重ねても


同じ学びや悟りがないように


人生の大きなカラーは


自分が変えられる唯一のものなんじゃ


ないかなって感じているの


そしてよく表現される引き寄せの法則は


形だけではなく


カラーでも同じで


ライフスタイル的には


上下があったとしても


秘めているカラーや思いが同じだと


共感しあえたり


縁が深まったりするように


その部分で自分の人生を


自分の意識で変えられるんじゃ


ないかなって感じているの


数年前にも


伝えさせていただいたことなのだけれど


今までは地球が人間の様々なエゴに


足並みを合わせて


ダメージに耐えてきたけれど


ここ数年は地球があわせるのではなく


地球に人間が


合わせる暮らしへとシフトチェンジしているから


今までの地球との波動と変わってきているので


無意識にわけもなく


急に人生自体が


とても意味のないものに感じたり


つまらないもののように感じ


魂のふるさとへ帰りたい思いに


包まれている方も


いるんじゃないかなって


感じているの


でも私たちが人間という肉体を持って


地球に送り出されたのは


きっと感情ともいう


良い意味での依存をもって


いるからなんじゃないかなって


感じているの


その思いがあるから


自分だけの思いで


旅立ってしまう事なく


過ごせていると思うの


これからもずっと会いたい誰かが地球にいたり


自分がいなくなったとき


大きな悲しみを与えてしまう方の姿が


すぐに思い出されるから・・・


もしそうでなければ


多くの問題集が用意されている


地球での暮らしを


リタイアしてしまうと思うの


ソウルメイトや


ツインソウルと共に


同じ時代に多くの方が


送り出されているのも


地球上で瞳には映らない思いで


共鳴しあい


与えられた使命を果たせるように


力を与えあえるためだと思うの


ソウルメイトやツインソウルと


思える人と出会っていなくっても


それは同じで


世界のどこかに暮らす


ソウルメイトやツインソウルと無意識に


エネルギーを共鳴しあって


支えあっていると思うの


そして勘が研ぎ澄まされてくると


無意識に同じ魂のふるさと出身の方と


繋がりあい説明の出来ない無音の言霊で


励まされたり・・・


自分で何か新たなひらめきが生まれたり・・・


今の時代は


とてもわかりやすく


このような感覚のことに答えを授けてくれる


書籍も多くあるので


そのタイミングが訪れたときには


きっと自分等存在への疑問を


解決してくれるものに


出会えるんじゃないかなって


感じているの








自分の幸せを願いながらも


願いが叶わないと感じたり


今までのデーターが


まったく意味のないもののように


感じている方も


数ヶ月前から


多くなってきているんじゃ


ないかなって


感じているの


私の知り合いの方で


ビジネス的に


夢と希望に溢れ


ずっとその夢をひとつづつ形としている方がいて


この間久しぶりに


会う機会があって


話しているときに


いつもの彼女らしくない言葉や


表情が溢れていたの


もちろん社会的な不況が伝えられているので


当然の流れなのかもしれないけれど


彼女は前とはまるで違っていたの


それは鶏と卵


どちらが先?という問題と同じで


スムーズに流れなくなったから


そうなったのか?


もしくは


何か流れを止めてしまうような


思考や流れを自ら作ってしまったのかは


わからないのだけれど


私が感じたのは


以前は彼女の口からは


何かあると「ありがたい」とか


自分のショップで販売しているものを


手にしてくれたお子さんが笑顔で


そのものからその人の想い出の中にまで


自分の商品が記憶の残ることを


幸せに表現していたの


そして一年に一度は


福祉などが豊かな国へと旅行をし


子供たちが安全で豊かに


過ごせるヴィジョンを膨らませていたの


でもある時から


人間としてあたり前といえば


当たり前の判断で


利益を考え


製造を問題が色々伝えられる国に


依頼するようになったの


その事で思ってもいなかったトラブルや


処理などに時間が必要になったようで


心身のゆとりが持てず


自分の大切にする価値観よりも


維持しなければならない現実だけに包まれ


時間と共に


購入しないお客様への不満や


自分に足りない環境などに


意識が向かうようになったの


でも彼女が魂レベルが特別低いから


このような流れになるのではなく


人間はこの世に誕生したときから


経済という


大きなエネルギーと共に


様々な選択肢を与えられ暮らしているので


追い詰められたならば


このような流れの中に


包まれてしまうのは


よくあることだと思うの


ただ彼女が私にその事を


表現しているのは


本心から自分が表現している事が


正しい答えではないことを感じているから


私の声と言葉から


別の答えを聞きたくて


表現しているんじゃ


ないかなって感じていたの


本当にどうでもよかったならば


自分の心の思いは表現しないから・・・


それで私は彼女に


「最近自分以外の誰かに感謝したり


誰かの幸せを願ったりした時間はある?」って


尋ねたの


そうしたら


「人のこと願っている場合じゃないし・・・」と


伝えてくれたの


それはそうだなって私は感じながら


「私が感じているのは


これからの時代は今までの時代とは


違うと思うの


それはすべての分野で。


同じ事をしていても


行う人の思いが違うと結果が違うんだよ


初めにすべてがうまくいっていたのは


あの頃のあなたは


無意識に社会の子供のために笑顔のために


働いていたから


子供を大切に思うお母さんたちが


同じ波動で引き寄せられていたんだよ


一見遠回りのように映るけど


自分が幸せになりたかったら


先に人の幸せを願うと


うそのように速いスピードで


自分の願いも叶うよ」と


伝えたの


そうしたら彼女は


急に何かひらめいたような表情になり


忘れていた何かを


目覚めさせたようだったの


このような事って証拠や表明を


目の前に提示することが出来ないので


体験した方でなければ


腑に落ちない答えになってしまうと思うのだけれど


彼女は初めの一歩を


思い出したようで急に笑いながら


「今まで私って失礼だったよね(笑)


お客様の懐具合まであれこれ


文句言ったりして(笑)」と


笑顔になったの


今の時代だからこそ


必要な才能や能力ってあって


その中には


小さな流れの中でも


幸せを見つけられる才能や能力だと思うの


それは意識しなければ育めない才能・能力で


人間は安全に人生を歩めるために


危機管理システムが働いているから


人によっては過敏に


ストレス反応として心地よくないものを


感じ取ってしまうので


時間と共にシステムエラーを起こし


不満や文句など


今の現状だけではなく


過去までさかのぼって


長い時間溢れてしまいやすいと思うの


なので


小さな流れの中でも


幸せを見つけられる才能や能力というのは


自ら育んでゆかなければ


すぐに悲しみ・不安・迷い・怒りにetcに


包まれてしまいやすいと思うの


小さな流れの中では


角度を変えなければ


キラッって光る宝石のような


時間は見つけられないと思うの


でも角度を変えたならば


驚くほど


キラッって光る宝石のような時間は


足元にいっぱいあると思うの









私の元には


みゃ~と鳴く猫の娘がいるのだけれど


いつも私の寄り添い


幸せそうにしている姿を見つめるたびに


「ママと一緒にいられて


みゅーは幸せだね」って


表現しながら


私自身が一番幸せになっているの(笑)


そんな時


私が子供の頃


両親にいつも


「あんたは幸せだよね」って


伝えられていたことを


思い出していたの


私はそのたび


「う~まあまあかな」って表現していたのだけれど


最近同じような言葉を


みゃ~と鳴く猫の娘に表現する自分の


心を見つめてみると


きっと現実的に与えた物質などだけではなく


親自身が持っているすべての愛情を注いでいるという


自信と良い意味で


自分が与えるくらいの愛情を


誰かから与えてもらったならば


幸せだと感じて


表現していたのかなって


感じたの


自分が望む形のものか


どうかは別にして


そしてそれだけ大切にされてきたんだなって


感謝でいっぱいになるの


私は子供と共に過ごす人生を


歩んでいないのだけれど


ありがたいことに


みゃ~と鳴く猫の娘のおかげで


母親のまねごとをさせてもらい


本当のお母さんたちとは


比べられないほど


小さなことではあるのだけれど


色々なことに


気づかせてもらう時間を


与えてもらっているの


昔親しかったグループで


子育てをされている方が


たまたま幸せなグチを表現した時


ある方が


「自分が望んで子供を産んだんだから


不満は言うべきではないと思うよ


だってこんなこと


わかりきっていたことでしょ」と


表現した事があったのだけれど


確かに言葉だけを受け止めたならば


その通りかもしれないけれど


予想を超えた大変さや


予想を超えた喜びなどがあって


言葉だけでは計れないと思うの


特に後悔をしているわけではなく


本当はたくさんの幸せがあって


子育て中の方は


たまたまガス抜きで


信頼している間柄だから


溢れてしまっただけの


ため息だっただけだと


思うの


私もみゃ~と


鳴く猫の娘ではあるけれど


望んで迎え入れて幸せだけれど


それでも自分の心とのタイミングが合わず


くっつきたいみゅ~から離れて


一人で過ごしたい時間もあったり・・・


迎え入れる前に


当たり前にしてあげなければならないことを


考えたら


煩わしさやめんどうなことが


いっぱいあるなってわかっていたけれど


それを超えられるほどの愛情があったから


迎え入れたと思っているの


そして互いに命・感情のある存在だから


ゲームや物語のようにはならないと思うの


でも実はその思い通りに展開しない


いつでもストーリを書き換えられる


人生のストーリーを


無意識に楽しんでいられるから


子育てって続けられるんじゃ


ないかなって感じているの


そうして社会の中で


ひとつ気になっていることの中に


無意識ではあると思うのだけれど


「あの人は結婚していないから理解できない」とか


「あの人は子供がいないからわからない」と


区別表現が


社会の口癖として存在しているけれど


そのような体験の中にいないから


現実の中にいると見えないものや


理想だけを見つめられる環境の方から


知恵を頂くことも


良いことなんじゃないかなって


思っているの


そして


「あの人は結婚していないから理解できない」とか


「あの人は子供がいないからわからない」ではなく


本当は単純にその方とのフィーリングが


合わないだけで


無意識に相手がどうすることも出来ない部分に


ダメージを与える表現は


私個人としては


あまり好きではないの


ならば素直に好きになれないと


表現した方が


すっきりとしていて


腑に落ちるの


そして同じ体験じゃあければ


得られない答えが欲しいときには


やはり同じ体験をされている方と


お話される方が


互いにとって実りある


時間となってゆくんじゃないかなって


感じているの


社会というのはとても速いスピードで


変化してゆくから


誰にとっても愛情溢れた


社会になっていったら


幸せだなって


感じているの










とても速いスピードで


地球上が浄化されていて


そのスピードに乗って行くことに


今は多くの方が


戸惑いを感じているけれど


私たち人間は


いつの時代でも


その変化を無意識に


当たり前のものとなるまで


受け入れ歩みながら


新たなものを生み出してきたんじゃないかなって


感じているの


言葉では上手に表現できないのだけれど


今までは弱い自分を演出する事で


得られることにこだわり


本来の力を表現できずに過ごされていた方も


弱い自分を演出することで


得られることよりも


自分が出来ること


してあげられることを表現することで


得られることが多くなってくる時代に


流れがシフトチェンジしてきているので


一見昔よりも


あたたかさがない社会のように


映る場面もあるかもしれないけれど


これは人それぞれが持った可能性や力を


表現せずに終わることがないよう


宇宙が与えた変化だと感じているの


社会では様々なスペースで


女性が大切にされている事が


サービスや表現で感じられるけれど


逆に男性には


多くのプレッシャーや課せられている事が多く


この世に誕生したときから


性別だけで許されないことも


多いと思うの


男の子は幼い頃から


何か不満や悲しい事があったとき


その辛い思いを表現すると


「男の子でしょ!」とか「男なんだから」と


日々男としての性別を意識し


男になろうと無理を重ねていたのだけれど


逆に見つめると


それほど周りが長い間


性別を意識させるのは


そのように刻み込まなければ


男女という役割が保てないからだったんじゃ


ないかなって感じているの


女性は様々な分野で弱いとされていて


社会が守るシステムが整っているのだけれど


実際には女性が色々なことで優れ

心身の耐久性も


男性よりも保たれている方が多いと思うの


女性の社会進出に時間がかかったのも


女性が社会の中で


男性と同じ条件で長い間


お仕事が出来るようになれば


女性は男性とペアを組むことが少なくなり


問題が多いと


考えた方が多かったからだと思うの


よく感じるのは


何かを販売されている男性・女性がいて


同じようなことを表現し


笑顔で話をされているのに


男性が言葉数が多いと


口がうまいと受け取られ警戒される事があるけれど


女性はまるで関係のない話から


今必要な話題まで豊富だと


感じさせる


言葉の表現がいくつも備わっていると思うの


すべての社会は


人とかかわりのないスペースはないから


そういう意味でも


女性の方が


すべての中に無理なく溶け込み


楽しめる能力を


秘めた方が多いと思うの


でも優れた女性たちでも


一人では整えられない


ホルモンバランスや必要としている腕力などを


整えるために


男性を必要とするよう


母性というものを神々が備えてくれたんじゃ


ないかなって感じているの


生物の中には今でも


女性しか存在しなくって


子孫を残している生物も多いらしいので


合理的に考えると


そのような動きの流れに


人間も流れやすいのは


生物としては特別不思議なことではないようなの


たとえば誰でも女性ならば


感じだ事があるとは思うのだけれど


何気ない会話やお出かけをする時


男性と共に出かけるのとは違い


同性の友人や家族と


おでかけすると


その行動だけではない


話すという言葉の交換がスムースで


共感する部分が多く


とても楽しく


スッキリすることがあると思うの


でもだからといって


一緒に暮らすという長い時間の共有は・・・って


思ったり・・・


そのスペースを埋めてくれるのが


男性との愛だと思うの


そんな風に女性はバランスを整え


生きているんじゃないかなって


感じているの


男性が最近弱くなったと伝えられているけれど


弱くなったのではなく


ただ正直になっただけだと思うの


強がること・無理を重ねる事から


少しずつ自分を解放し


もう少しらくに生きられる


選択をしているだけだと思うの


でも私自身は


それでよいんじゃないかなって


感じているの


昔のように男性が自分の弱さや辛さを


隠し


その思いを暴言や暴力などで


強さをアピールするよりも


愛溢れた女性たちと共に


何かを考え


本当の意味でパートナーとして


歩み


お互いにとって


助けとなれるソウルメイトとして


過ごせたら

素敵なんじゃないかなって

感じているの







今日は以前知り合いのお医者様に


ご紹介頂いた歯医者さんへと


足を運んだの


そうしたらなぜだかお子様専用診察室に通されたの


そこにはきっとお子さんと共に過ごされる


お母様ならば知っているであろう


キャラクターのぬいぐるみやおもちゃなどが


お部屋いっぱいに溢れていたの


その瞬間


ご紹介してくださったお医者様は


私の事をどのように


伝えたのだろうって


とても気になっていたの(笑)


今は医者さんはコンビニよりも多いと伝えられていて


大変だというニュースを見たことがあるのだけれど


やはり志が高くあたたかいスペースには


広が集まるようで


いつも混んでいるの


バブルの頃何をしても


今よりもスムースに簡単に軌道に乗る時代だったから


その印象をもたれている方には


今の時代は少し困難に感じられるのかも知れないけれど


今の時代だからこそ


心の中から溢れる波動に見合ったものしか


受け取れないことを体感できる時だと思うの


そして限られた大切な経済の中で


あらゆるものを選択し


日々自分の心のささやきに耳を傾けたり


勘を研ぎ澄ませる機会が与えられているのも


今という時代のカラーだと思うの


良い意味で自分が何を求めていて


何を大切に思っているのかを


日々感じている方も多いと思うの


私自信も以前とは無意識だけれど


経済の流れは変わってきていて

ずっと続けて欲しいショップまで

少し足を伸ばし応援のつもりで購入していたり

食品などの場合は無意識に数十円の差を大きく感じ


リーズナブルなものを手にしていたけれど


今は数十円の価格だけではなく満足度を


購入するというレジャーのひとつとして


意識が変わってきているの


なので逆にひとつひとつの価格は高価なはずなのに


トータルで見つめると


食さずにおいてあっただけの無駄をなくすと


そんなに変わらず満足度は高くなっていて


生活を楽しむスタイルが整ってきているの


最近ショッピングモールなどに足を運ぶと


最近は仲良く家族でお買い物をされている方を見かけ


その方々が


色々と相談しながら手にしているのを見つめながら


別の角度で見つめると


生活がコンパクトになることによって


寄り添いあう機会にもなっているんじゃ


ないかなって感じているの


私はバブル期も見つめてきた世代なので


その当時は経済の流れが


すべてを消化してくれていた時代なので


心や思いよりも


経済ですべて保たれていた時代だったと思うの


私は体験ないけれど


私の知り合いの中には何人も


その時代仕事以外に


アルバイト的な事をしていて


週末パーティーなどを開催して


毎週末数時間で100万円くらいのおこずかいを


得ていたらしく


私はそのお話を聞くたびに


楽しそうだなって単純に感じていたけれど


彼女たち自身の今を見つめると


様々な場所でお勤めをしても


その当時のような報酬がもらえないこともあって


続けられない感覚が宿っていて


今現在はとても困難を感じているようなの


なので私自身にとって普通のことでも


彼女たちのとっては


みじめであったり・かわいそうだと映るときもあるようで


パートナーの給料について


快くない言葉を伝えられた事もあったの


でも私自身友人たちが


様々な世代という事もあって


今というときに必要なキーワードなどを


感じることが出来ていたので


過去の時代の価値観に


こだわりは持っていなかったの


その当時の価値観を持って過ごされている方には


今の時代は困難に映るかもしれないけれど


今の時代が与えてくれている


良い価値観も


たくさんあると思うの


昔はお医者様に診てもらう時


なぜか患者さんのほうが


恐縮しながら病状を伝え


その結果あたたかさのない言葉を


伝えるお医者様も多かったけれど


今の時代は


お医者様が話し方教室へ通ったり


診療以外のスキルも高めようとする時代になったのも


有り余る経済を誰もが持たなくなった分


今の時代は患者さんが


大切な経済を手渡すお医者様を


きちんと判断する時代になって


淘汰されてきているのを


感じているからだと思うの


この地球はどんな場所で過ごしていても


必ず人と人とが繋がりあうよう


創造されているから


どんなに時代が進化しても


原点となる


人の心が大切だと


今の時代は教えてくれているんじゃ


ないかなって感じているの