2009年12月






色って不思議で


今現在の自分を教えてくれるものだったり


求めているものを


教えてくれたり・・・


私は何でも自分で感じたものを


自分の知恵としなければ


納得できない


遠回りな人なので


様々な分野で


体験を重ね


腑に落ちたものだけを


受け取っているのだけれど


その中で色の効果や伝えてくれるものが


いつも共通しクロスしているものが


何年か意識を向けていて


感じる事も多くなってきたの


たとえば


パープルは一般的には


なぜだか欲求不満を表すカラーだと


表現される方もいるけれど


私が感じているのは


パープルに心惹かれ


お洋服やアクセサリーを


身につけられている時って


新たな向上・発見が多く重なり


世の中で伝えられている価値観から


もう少し上の価値観を


自分で見つけ体験された時


気がつくと


このようなカラーに心惹かれる気がしているの


そして無意識に周りに漂う


魔から自分を守るために


好んでいるカラーのように感じているの


そして白に心惹かれている時には


様々な事に迷いは多いけれど


自分を信頼し


前に進もうと無意識に


感情が働いている時に


好んでいるカラーだと感じているの


そして赤は


エネルギーが高まり


様々な事に心動かされ


それを受け取ってゆける準備が整ったときに


好むカラーだと思うのだけれど


ただエネルギーが高まりすぎていて


状況判断が難しいので


感情的になりすぎてしたったりして


本来の目的よりも


感情の方が走ってしまいやすいので


注意カラーでもあると感じているの


そしてグリーンは


何か目標が定まった時に


意識が注がれる色で


人を癒す力も高まり


とてもバランスが整っている時に


心惹かれるのだけれど


多く多用する方の場合は


少し自分に厳しすぎる所があって


予定通りに物事を整えられない


自分を許せず


追いつめてしまう事があるので


自分に優しくしなさいという


メッセージが


そこにはあるんじゃないかなって


感じているの


他にも色から感じる


今の自分ってたくさんあるのだけれど


そんな風に


自分を見つめてみると


客観的に


自分が何を求め


そして今の自分から湧き上がっているものが


受け取れるように


なるんじゃないかなって思うの


よく景気などでも


色で判断できると伝えられていて


黒が流行している時には


景気が上昇していて


グレーが流行している時には


その逆だと伝えられているの


人間の皮膚センサーでは


色を瞳に映さなくっても


判断し


ぬくもりを感じたり


ひんやり感じたり


できるし


最近では超感覚という能力を


持つ方も多く


言葉や場所など


様々なものを色で認識される方もいるから


色は私たち人間を


良い意味でも


そうではない意味でも


コントロールしているものなんじゃ


ないかなって


感じていたの








今メディアでは


経済的に世界中が


豊かではないと伝えられているけれど


私自身


社会の事があまり分からないせいなのか


あまり感じていないの


なぜならば


社会生活を体験し


安定した報酬の中で


過ごしていなかった事もあって


時が流れ


社会が変わっても


自分の過ごし方は


変わっていないの


時々ふっとなぜいつも


私が幸福を感じていられるのかなって?って


過去を振り返って見つめる事があるの


その中で幸福の種となっている事の多くが


幼いころ


両親から受け取った


寂しさや不満足感だった事に


気づかされたの


私の両親は


親からの愛情を注がれ


過ごしていなかった事や


兄弟が多かったこともあって


ただ寂しさを埋めあう存在として


結ばれ結婚し


その頃の時代は


今の時代では


うらやましい時代なのかもしれないけれど


働けば働くほどに


経済的豊かさを


受け取れる時代だったので


幼いころから豊かではなかった


両親は自分たちの満たされなかったものを


満たすために


多くの時間を仕事という時間に注いでいて


その間両親ができない家事などを


私がすべて行っていて


両親にとっても肉体的に


大変な時代だったと思うのだけれど


大人という自由を許された存在だったので


子供の私とは違い


仕事が終わると


両親は仲良くいつも


どこかへでかけ


残された弟と私は


いつも二人で過ごしていたの


ただ弟は男の子という


私には理解ができない理由で


おうちの事は何も


しなくってもよい状態だったので


テレビなどを見ながら


楽しそうに過ごしていたの


両親が帰ってきたとき


おうちの事がすべて整っていないと


叱られるのは私だけで・・・


そのような体験の中


今の自分が作られてゆく


価値観が生み出されていったのを


今でも感じているの


両親は人生を計画的に


進んでいたのだけれど


それと寄り添うように


幼い私たちは


ほとんど両親と共に


どこかへいった記憶がなく


両親は両親で


子供との楽しい思い出を犠牲にしながら


経済的豊かさを育んでいたと思うの


でも不思議なもので


私が16歳くらいの時に


父は伯父の保証人になり


すべてを失い


さらに足りないものを


補うために


働くこととなっていったの


その時父に


「無理してためた金は


必ずなくなるんだから


いろんなもんをお犠牲にして


金をためないで


楽しい事をしながら


少しよけるくらいでいいのかもしれないな」って


私に伝えてくれたの


その時私の中で


両親を許す気持ちが初めて生まれたの


それは言葉ですべて語られてはいないけれど


本当は両親だって


子供の私たちの成長と共に


笑顔で過ごしていたかったと思うの


両親の愛情は


その時々与えるスタンスではなく


きっと遠い未来に待っている


子供の困難を照らすひとつとして


備え


考えていたのではないかと


その時感じたの


ただ幼いころに育んだ


価値観というものは


気がつくと


自分では意識できない深い部分に


秘められているようで


今の自分が判断するすべてが


幼いころの体験から


生まれた価値観のように感じているの


私が幼いころから


大人になるまでずっと


私に結婚の大変さや苦しさなどを


表現していた事もあって


私は結婚にあまり希望を持っていなかったの


でもそのおかげで


パートナーの何気ない優しさが嬉しかったり


感謝が生まれやすくなっているのは


両親のおかげかなって


感じているの


そして幼いころ


どこにも連れて行ってもらった事がない事もあって


大人になってから


近い場所なのに


足を運ぶと新鮮で


楽しい気持ちが生まれるのも


すべて


満たされなかった幼い日があったからだと


今は感じているの


そして私の家庭とは真逆な環境で


育ったパートナーは


お父さんが家事や育児を


積極的にする家庭で


その当時は


男性がおうちの事を行う事に


あまり良い印象がなかったせいなのか


お母さんがよく周りの方から


快くない事を伝えられていて


それでもお母さんは


パートナーに何でもできる男性になってほしいと


幼いころから


おうちの事を色々教え


手伝わせていたようで


今の私はありがたい事に


自分の幼いころのトラウマを


意識することなく


過ごせているの


そう思うとすべてのストーリーは


今日の私を作るために


通らなければならなかった体験で


決して過去を悔んだり


否定するための体験では


なかったんじゃないかなって


感じているの


この間久しぶりに母に会った時


母が突然


「あんたは私が望んだもう一つの人生を


見せてくれているのかもしれないね


私はずっと結婚を後悔し


ある時には


申し訳ないけど


子供がいなかったら・・・って


思っていたんだよね


でも


あんたは私が思いこんでいるものすべて


「それは違うんだよ」って


教えてくれる存在で


視野が広くなっているの


そしてもう一つの自分が選ばなかった


人生をあんたが生きている気がしてるの


だからあんたが幸せにしていると


私の人生も救われるの」って


とても深くて


不思議な言葉をもらったの


私は子供がいないので


想像の域を越えられないけれど


多くの親御さんは


測定機では測れな


深い愛情のもとで


子供の人生を支えているんだろうなって


感じたの


時にはその愛情の形や大きさが


フィットせず


受け取れなかったり


拒否したりしていても


年齢を重ねてゆくうちに


子供の理解力も


大きく育まれ


周りからは測れない


理解と愛情で


家族という縁が


繋がれているんじゃないかなって


感じていたの









今日友人のお祝いを兼ねて


みんなで飲み会を開いたの


その友人はとても恵まれた仕事と収入で


学校を卒業してから


ずっと働いてきたのだけれど


長い間あたためていた夢のために


今日退社する事になったの


今の世界情勢などから伝えられる


不況から


一歩前に踏み出す事が


できないと思いこんでいたり


自分の心を励まし


喜びを与えてくれるものを


手にすることを躊躇され


人生を小さく考えてられている方も


いるかもしれないけれど


この時代だからあえてと


考えられている方もいて


逆に様々なものの価格が


下がっているから


チャレンジしやすいと


考えられている方もいるようなの


その友人に話を聞いてみると


「人生は一度きりだし


大きな借金が残っても


その時にはもう年をとっているのだから


苦しむ時間は短いし


今は色んな制度があるから


どうにでもなるし・・・


世の中や時代というものが


私の人生の邪魔をしていると


私は思ってはいない


ただ私は私の人生を生きるだけ」と


表現していて


とても強いかっこよさを


感じたの


友人はしばらくの間は


勉強がてら旅をして


それから自分の夢を形にしてゆくそうなの


そしてその大きな夢を


現実的ビジョンにするのに


助けとなったのは


周りで成功している人が


いてくれた事だったようなの


誰も様々な情報や


知識などから受け取る


不安はあると思うけれど


そのすべてを光で消してくれるのは


周りで幸せを


実現している人の姿だと思うの


私自身


夢をかなえた人と


夢に近づいたけれど


そのあと大変な暮らしをしている方


両方を見つめてきたけれど


共通しているのは


人生の充実感を


体験され


たまたまその体験が長く続いた方と


そうではないだけの違いで


得るものは大きかったように


映っているの


私たちはどんなに年を重ねても


すべてのスペースで


展開している事を


知る事は出来ないから


小さなスペースで


体験した事から


知識を受け取ったり


誰かの失敗から


見聞きした失敗の中から


自分は失敗せずに


歩む高度な能力を


高めて歩んでいるけれど


その働きが強くなってしまうと


自分が体験していないのに


失敗にばかり


知識が深まり


逆に成功する知識が


納められるスペースをも


開けておく事を


忘れてしまい


自分の人生を曇らせてしまう事も


あると思うの


確かに友人が表現するように


世の中や時代が


どんな流れであっても


自分がどう生きたいのかが大切で


誰もが限られた時間の中で


自分の可能性を


試せる場所がこの地球で


自分を


表現するのが人生なんだよなって


感じていたの











人と人を繋ぐ


瞳には映らない


魂を結ぶリボンは


自分が望む望まないに限らず


すべての人と繋がり


意識を向けると


その方とのリボンが


強く結ばれるのを


感じているの


それは自分が好まない相手であっても・・・


人間って力は小さくなったとはいえ


超能力を秘めているから


キャッチし合い


受信しあっていると思うの


たとえば


社会で働かれている方の中には


不満を持ち


リーダーに対して


快くない思いを持っているとすると


それは言葉にしなくっても


空気を伝い伝わり


その不満と同じ波動のものを


引き寄せ


人間関係に問題が生まれたり


逆の角度から見つめると


不満イコール解放されたいと


天は受け取り


職場を離れる事になったり・・・


今私とパートナーは


実験的に


毎日パートナーの職場の人に感謝し


そして忙しすぎて


不満が溢れそうな時にも


パートナーは


「仕事が忙しいという事は


会社にとって利益になり


自分の人生もその利益から


分け与えられるものだからありがたい」と


自分の思考を変換しているの


そのおかげなのか


その事を言葉に表現していないのに


会社から様々な恩恵を


受ける機会が多くなったの


そしてパートナーとは逆に


リーダーの前では


機嫌を伺い


上手に行動していた方だった


ある方は


リーダーがいない場所で


パートナーに


「こんな会社やめたい」


「給料が安すぎる」と


不満をよく言葉にされていたようなのだけれど


ある時から急に


リーダーが知るはずもないのに


「仕事そんなに嫌で


やめたいならやめていんだぞ


お前の変わりはいくらでもいるんだから」と


皆の前で伝えたそうなの


そうしたら


不満を表現していた方は


解雇しないよう


謝罪を何度もしていたようで


パートナーがおうちに帰ってきて


私にその事を伝えながら


「やっぱりさーちゃんが言ってたように


みんな繋がっているから


心で何を思うかが


大切なんだよ


だって怖いくらい


伝わっちゃうんだから」と


伝えてくれたの


私は社会経験があまりないのだけれど


ショッピング等で


お店に足を運ぶと


その様な感覚はよくあって


与えられた仕事に感謝ができず


でも報酬だけは求め


働かれている方を


よく見かけるので


言葉を交わさなくっても


言葉では説明できない


領域で感じあうものが


人間の中には


備わっているものだと思うの


よく最近仕事を見つけられない方に


すぐに介護の仕事を・・・との


表現があるけれど


そのような考え方は


少し違うと思っているの


年齢を重ねた方たちは


好きではない仕事でも


贅沢を言わずする事を


勧めているようなのだけれど


介護という職場は


尽きる事のない


介護と愛情を


必要とし求められている


職場なので


経済だけを求めて続けられる


職場ではないと思うの


そして


もしも私が介護のお世話になる事があった時


機械的に嫌々


施されるとしたならば


とても辛いなって思ったの


私の母は介護を何十年も


仕事としてきていて


初めに入り口は


経済的事情から


その当時高額だった介護を


始めたのだけれど


母は若い時に両親が


天国へ旅立ってしまった事もあって


すべてのお年寄りが


自分の親だったらって


重なっていたようで


人生が残り少ない方がいると


自分は睡眠時間を少なくし


できるだけ


その方のわがままを受け入れてきたそうなの


初めは母も


病気の人は


体が動かないからなんでも目につくのか


わがままだし


お金で雇っているという


気持ちがあるのか


人を人とも思っていない人もいると


不満を表現していたけれど


それでも元々情の深い人だから


その方がこの世を旅立つ日が


近くなると悲しくって悲しくって


おうちに帰ってきても


何も手にできないようだったの


でも今の母を支えているのは


その多くの介護してきた人すべてが


死期を感じてから


「ありがとう


あんたと会えてよかった」と


言葉をくれるようになった事だったようなの


今は母自身も


ハードには仕事を望んでいないこともあって


新たに介護する方を


受け付けてはないようで


その当時からの数名の方で


どうしても母でなければという方だけ


定期的に介護させてもらって


過ごしているの


この間は介護させていただいている


家族から個展か何かのパーティーに


どうしてもと言われ


母がパーティーに招待され


そのご家族から


身につけるすべてのものを


プレゼントしてもらったようで


私の前で何度も


「素敵でしょ」と


喜んでいたの


私はそんな母を見つめてきた事もあって


できれば報酬のために


始めた仕事であったとしても


そのスペースで


感謝しながら


そして人によっては


自分の人生のカルマを


解消する場所として


次の人生の飛躍のために


過ごしてほしいなって


思っているの









私はこの時期の街の景色が大好きなの


あちらこちらに


イルミネーションが施され


華やいでいて・・・


ただ少し年々


控えめなのだけれど


それでも


嬉しくなるの


この間高校生の友人のお子さんが


何気なく


「人生リセットするのに
死にたいって時々思うんだけど


さーちゃんはどう思う?」って


尋ねられたの


それは私がいつも不思議な事を


表現するので


理解してもらえると思って


尋ねてきたのだろと


感じていたの


その言葉をそのお子さんが


何気なく表現した言葉ではあったけれど


母親としてそこにいた友人は


瞬間的に


表現できない表情をしていたの


私はありのままに


「自分で人生を終わらせても


リセットはできないと思うよ


きっと生まれ変わるときに


人生に消化できなかったものが


負荷として背負って生まれ変わるから


今よりも大変になると思うよ


リセットしたいなら


生きている間に


方向転換しなくっちゃ」と


自分が思う事を伝えさせていただいたの


友人は私が何を表現するのか


不安そうに見つめていたのだけれど


お子さんが納得し


「じゃー嫌だと思っても


今どうにかしなきゃ


嫌な事が何回生まれ変わっても


終わらないなら


やばいから


ちゃんと考えよっと」と


言葉に表現してから


ホッとしていたの


生まれ変わりの考え方は


様々な宗教や個人的考えによって


違うけれど


どんなことであっても


ベースが整い


自分のぶれない価値観がある方ならば


どんな学びを受けても


その中から


自分に必要な学びや


伝えたい愛だけを見つけられるけれど


まだベースを整えている最中の方には


言葉のすべてを吸収してしまうので



誤解を招きやすいと思うの


スピリチュアルの世界では


一つの知恵として


生まれ変わりを表現されていて


その様な知恵は


今までならばごく少数の方が


心惹かれる世界であったけれど


ここ数年は


良い意味でもそうではない意味でも


多くの方に広がり


言葉では上手に


表現できないのだけれど


元々日本人が秘めている美学の一つの


プライドをなくしてまでも


生きてはいたくないという思いを


ノックしてしまった所も


あるんじゃないかなって


感じているの


なので自分が描く理想から


離れてしまうと


もう一度生まれ変わりに


望みをかけたいと


無意識に動いてしまうのかなって


感じていたの


でも年齢を重ねてくると


今までならば


いさぎがわるく


かっこわるいと思っていた事が


実は人間らしく


かっこいいと思ってしまう事も多いの


なぜならば


すべてをありのままに受け入れ


受け入れたうえで


まだ自分の限界に


チャレンジしている姿だから・・・


引き際の美しさが


多くの人の心に感動を


与えるのと同じように


人生が続く限り


どんな姿であっても


人生を自分で終わらせない


強さは



私にとっては


時に大きな感動になっているの


私は弱い人間なので


すべてを受け入れ


人生を続けている方を


とても尊敬しているの


私は病になってから


自分で判断し


選択しなければならない機会が多くなり

改めて


今まで人任せで


自分の人生に責任を持たずに


歩んできた事に


気づかされたの


そして何でも自分一人で


歩んできたような気がしていたけれど


本当は真逆で


多くの方に支えられ


生きたい気持ちを保つ事が


できたように感じているの


私はいつも蓮の花のように


安定して根を張る事ができなくっても


どんなに困難な環境の中でも


心の栄養となるものを吸収し


美しい花を咲かせられる人にれたらいいなって


思っているの