2009年11月





ここ数年の自分の歩みを


反省したり


褒めてあげたり


今の私は


とても良い意味で充実した


忙しさを感じているの


人を許す事や自分を許す事が


病という


本来つらい体験の中から


見つけ出す事が出来たり


根拠のない自信のように映る


(本当は自信のなさから)生まれる


エゴや傲慢だった自分に


気づかされたり・・・


そして自分がいつも痛みとういうものから


受け取る生かされているという


実感の中で


人の優しさがこんなにも嬉しく


あたたかいものだと


この年齢になって


初めて感じる事も多く


多くの方のおかげで


自分では気づかなかった


心の氷を溶かしていただき


今は人間として生まれた事に


幸せを感じているの


そして


私が受けてきた教育も


時代とともに変わり


ゆっくりと優しい時代が


長い間凍りついていた時代を


ぬくもりで


溶かしてゆこうとしているのを


感じているの


まだまだ瞳に映る世界は


厳しく辛く映るかもしれないけれど


物事が好転してゆく


スタートは


変化という怖れと


それに伴い


時代に必要なものに


すべてがサイズを整えるために


形をなくしたり


手放す事がいくつも重なるので


今という時が


一番辛く映るものだと思うの


そして人は


生きてゆく知恵として


過去は輝くものとして


自分の中に収める働きをするので


なんとなく昔の方が良かったように


映る事もあるけれど


本当に良かったならば


そこから歩きださず


留まったままなはずなんじゃ


ないかなって思うの


人は何も変わらない毎日を


過ごしているようで


日々何かを感じ


その思いを無意識に外へと発信し


時代を変えてゆく力を持つ


大切なひとりと


なっていると思うの


多くの人間には建て前と本音があって


なかなか心で思う事を


ストレートに表現せず


秘めていることもあって


ダイレクトに


行動として表現しなくっても


一人ひとりが


何かを感じ思う事は


良い事もそうではない事でも


エネルギーとなって


発信・受信し合う人たちが


無意識に時代を創っていっていると思うの


お話は少し違うけれど


私が若いころ


とっても景気がよく


多くの友人たちは


きっと今よりも待遇もよく


(私は就職体験がないもので)


職業も選べ


豊かに暮らしていたと思うの


そんな中で


私たちの世代は


エゴや自信過剰からなのか


年功序列や終身雇用に


あまり良い印象を持たず


実力社会の実現を

よく言葉として表現していた事があったの


でもそれは


その頃の私たちの世代の立ち位置でしか


見えなかった感覚ではあったのだけれど


年齢を重ねた


当時の友人たちや知り合いは


今の時代の思いやりのない時代に


不安や不満を語っていて


その時はっとしたの


無意識とはいえ


今の時代は自分たちが望んでいたものを


実現した社会なんじゃないかなって・・・


そして今でも仕事を頑張っている


友人の中には


自分をサポートする人たちの


やる気のなさや行動力のなさなどに


いつも不満を表現していたのだけれど


友人自身も新入社員のころ


同じような感じに


上の方からは映り


よくしかられていた事を


思い出したの


それも私たちの世代が親世代から


受け継ぐひとつの教えで


そんな親世代を拒絶してきたはずなのに


自分が何度も伝えられてきた教えを


今度はまるで親世代の立場になって


相手の良くない所ばかりを指摘し


相手のリズムに合わせる事や


相手のできる事を見つけてあげる事は


できなくなっていると思うの


でも


このような事をしてあげる事も


してもらうことも


すぐに甘えとして


あまり良くない事のように表現されるけれど


私個人としては


働こうとして社会に出られているだけでも


十分がんばっていると


感じているの


そこで助け合う事は


お互いの人生を支え合う


大きな思いやりの実現の形の一つなんじゃ


ないかなって


感じているの


私の知り合いの息子さんは


一流大学を卒業され


そして健康で望まれるところも


多くあったと思うのだけれど


好ましくない形で


必要以上に頭が良いために


相手を無意識に見下したように


接してしまう所があって


最終的には


自分よりも下の大学を出て


能力もない社長の下では働きたくないと


社会に出る事はやめてしまい


私の知り合いは


とても悩んでいるの


息子さんにはやりたい事はなく


これといった趣味もないので友人もいなく


知り合いは心配のあまり


仕事を見つけてきたりするのだけれど


そのたびに


生まれてきた事を後悔する言葉を


表現するそうで


とても悲しんでいたの


その様な方が最近では


よくメディアなどで伝えられる中で


時々親御さんが甘やかしすぎだとか


突き放した方が良いというような


考えも伝えられるけれど


その方が表現していたのは


産んだのは自分の責任だから


傷ついたり


悲しんだりするのはいいけれど


突き放す事によって


まったく関係のない方を


傷つけてしまったりしてしまう事を


考えると


なかなか難しい問題だと


伝えてくれたの


当事者にしかわからない事も


あるんだなって


改めてその時感じていたの


私自身


その息子さんとは真逆の


何にも誇れるものがないのだけれど


共通するのは


社会経験があまりないという事で


何となくだけれど


息子さんが表現する言葉とは裏腹に


本当は社会の厳しさと


適応できない自分を


よくわかっているから


今の場所から動き出す事が


できないんじゃないかなって


感じているの


無力の人間はいなくって


どんな人も


何かのきっかけで


生まれ変わる事が出来るものだと


私は感じているの


人間の多くは高尚な魂を持っているからこそ


社会の中での生きにくさを


感じやすく


だけれど


高尚な魂だからこそ


自分を導く言葉や体験を


見つける事も


できると思うの


それは何気なく見つめていた


テレビ番組であったり


何気なく入った本屋さんで見た言葉だったり・・・


それはすべて


自分を守護している存在が


いつも一緒に答えを探しているという


アクションだと思うの


誰でも一度は体験した事があると


思うのだけれど


なにか悩みごとがあると


すぐに心にある重さから


解放されたいあまりに


何も考えずに


誰かに相談すると


自分がまるで望んでいなかった答えが


帰ってきて


益々心が重くなったり


怒りを感じてしまったりという


体験をした事があると思うのだけれど


本当はもう少しだけ


自分で聖なるものを信頼して


答えを求めて


せめて3日くらいは


偶然という形で届けられる


聖なるものたちからの


メッセージを


意識して過ごしてみるとよいと思うの


そうする事で


高尚な魂が求めている


答えが目の前にやってくると思うの


何でも周りに答えを求めてしまうと


せっかくいつも守護してくれている


存在の出番がなくなっちゃうから(笑)・・・


今の時代は


長い間大きなピースでしか


見つめられなかった社会の流れが


良い意味で一人一人に


スポットが当たり


努力した事・頑張った事が


生かしてゆける時代へと


動き始めていると思うの


そして多くの場合


過去を見つめてみると


自分を生かせる経験という


宝石がいっぱい


人生にちりばめられている事に


気づかされると思うの


その中で人生を通してしてみたい事


自分は望まないけれど


人のためになる事で


多くの人の笑顔が見れる事が


大きな喜びになる事など


自分が求めている


自分の未来が


過去に眠っていると思うの







この間


何気なく立ち寄ったコンビニで


お買いものしている人が


気になって見つめていると


急にリアルに


その人の過ごしている映像が


頭の中に入ってきてしまい


驚いたの


本来特定の人と意識が繋がるには


互いのタイミングと


互いが繋がる意識でなければ


繋がらないと思っていたので・・・


その方は少し前にパチンコ屋さんで


過ごしていたらしく


その後あまり心のコンディションが良くないようで


その心を立て直そうと


見知らぬ女性との出会いを


心の中で準備されているようだったの


そのような事は


私にとって特に意味もなく


知りたい事ではないので


意識を切る事を


何となく意識的にしてみたのだけれど


勝手に次から次へと


私の頭の中に入ってくるので


一緒にいた友人に事情を説明して


その場を離れたの


よくテレビなどで語られる霊能者の方たちは


ONとOFFを意識的にできるというけれど


今の私にはまだ難しく


その空間の中で


とっても強い思いを


受信してしまうようなの


それで一緒にいる友人に


その事を話してみると


怖がったりせずに


聞き入れてくれて


面白がってくれたの(笑)


今回改めて感じたのは


やはり人はみんな無意識とはいえ


エネルギーを発信していて


無意識に受信した方にもまた


影響を与えてしまうものなんだなって


感じていたの


話は少し違うのだけれど


偶然に真夜中


立ち寄ったスーパーでレジで働く


男性を見かけたのだけれど


彼はとっても楽しげで


そしてお客様一人一人に


とっても優しく接していたの


通常レジは


商品の計算を済ませ


生気のないマニュアル通りの言葉を


声にして


仕事をされている方を多く見かけるのだけれど


彼は雨の日には


「今日は雨が降って足元が悪いので


お気をつけて」とか


購入商品を見て


「今日は寒いのであたためて食べると


おいしいですよ」など


自分の心で言葉を表現しているの


その彼に心惹かれた


パートナーと私は


何気なく話しかけ


話を聞いてみると


ずっと派遣社員として


道外で働いていたようなの


そして今もアルバイトで給料も


満足のゆくものではないのだけれど


あたたかい部屋で過ごし


明日食べるものも


与えてくれる仕事に感謝していると


表現していたの


その時パートナーと私は


この何気ない言葉に


自分たちが忘れていた


感謝を目覚めさせてくれたの


当たり前になっていることも


当たり前ではない方もいて


感謝を忘れていたたなって


反省していたの


そしてパートナーと私は


今の状況がたとえ満足するものでなかったとしても


感謝しようと決めて


二人で思いつく事を


一つ一つ言葉にして


感謝していたの


その後数日後


パートナーの会社の社長から


贈り物を頂き


その時


やっぱり事無いして相手に伝えていなくっても


感謝の思いは


届くんだなって


感じていたの


そう思うととっても楽しくなって


今はパートナーと毎日


眠る前に言葉にして


その方を思い浮かべて


感謝の言葉を


表現しているの








神々が届けてくれるものは


いつも偶然という形として


届けられる事が多いと思うの


そして同じ出来事からも


同じ答えを


みんながみんな導き出さないように


ひとり・ひとりが


感じたものが


その方にとっての真実だと思うの


なので人に自分と同じを求める事も


周りと違う事に


不安を感じる事もないんじゃないかなって


感じているの


ただ女性の多いのだけれど


女性というのは共感性が高い事もあって


自分とは違う考えや思いに


強く違和感を感じやすく


そしてデリケートな繊細な


感受性を持っているので


自分の考えに不安を感じやすく


違う相手に自分の正しさを認め証明するために


無意識に


違う見方や考え方の方を


否定した表現をされる事があると思うの


そして女性の不思議なところは


そんなに自分とフィットしないのならば


縁を保つ必要がないのではと


男性は思われると思うのだけれど


よほどのことがない限り


ご縁を終わらせる事はないと思うの


それも女性ならではの感性で


心のどこかに


すべてのものを受け入れる大きなスペースと


何でもおもしろがれる


強さがあるからなんじゃ


ないかなって思うの


私の友人の中には


会うたびにある特定の方の


不満を語る友人がいるのだけれど


その方とは縁も長いようで


縁が繋がっているの


そのたび私が感じているのは


友人はとっても愛情溢れる人なんだなって事なの


友人は相手を思い


できるだけ相手が心地よい時間を


いつも作り


急な予定でも


相手が寂しい思いをしているんじゃないかと


必要以上に考え


受け入れていたの


でも相手は自分が思っているような


想いで自分を見ていないのではと


いつも感じているようだったの


ある方には素敵な贈り物を送るのに


友人には何もなかったりというような事を


間接的に知ったりして


不満を表現しているの


でも本当は不満ではなく


悲しい気持ちと


友達って何なんだろうって


いつも自問自答していたんじゃないかなって


感じたの


人間は時に


甘えというものによって


一番大切な人にその思いが伝わらなかったり


形とする事に


意識を向けないまま


過ごしてしまう事があるの


友人の場合は


とても甘えやすい存在だったから


とくに相手は悪気はなく


そのように接していたんじゃ


ないかなって感じていたの


よくあることだと思うのだけれど


誰にとっても親や家族などは


とっても大切な存在なのに


その思いを表現したり形にせず


少し距離のある相手には


素晴らしい贈り物や


感謝の言葉を意識的に


伝える事があると思うの


それは距離のある相手には


自分の良い部分を表現しなければ


まだわかってもらえないという


思いがあったり


でも近い存在にはどこかで甘えがあって


表現しなくってもわかるだろうとか


形にしなくっても


理解してくれるだろうなどの思いから


そのような流れを作ってしまっている事も


あると思うの


でも親も家族も


自分と同じ心と感性を持っているのだから


やはり言葉や形にして


表現してもらえば


とっても嬉しいものだと思うの


時にはその甘えが


最も大切な存在を失うことも


人間関係の中ではあると思うの


私自身も昔


親友だと思っている友人が


私と他の友人との接し方が違う事で


深く傷ついた事があったの


それはとっても小さな事なのだけれど


ある友人にはとても心使いがあって


私にはそうではない事を


間接的に知った事があったのだけれど


その時傷ついた心の中で


いっぱい色々な事を考えていたの


そしてその時


私はもっとも大切な家族やパートナーを


すべて後回しにし


その友人をすべて優先し


過ごしてきたけれど


それは違うという事だったの


それは友人を思いやらないという事ではなく


私の中の優先順位に


間違いがあった事を


私はその問題の中から


感じたの


家族もパートナーも

私の事をいつも心から案じてくれているのに


その事に甘えすぎて


少し距離のある友人や知り合いばかり


意識を向けていた事に


とても反省したの


それからは逆に友人という


存在への誤解が解けて

今では楽しい時間をシェアしあう存在として


お互いに人生を豊かにして行けたらいいなって


思う存在へと変わっていったの


同じ問題であっても


同じ答えを導き出すわけではないから


人それぞれ感じ方はあるかもしれないけれど


私の場合は


その部分が大きな課題であった亊を


その時感じたの


女性同士の友人とは


恋人や夫とは違う


楽しい時間を共有できる大切な時間だから


大切にしたいとは思うけれど


以前のような


自分の事・家族の事・パートナーとの事を


後回しにしてまで


共有することではない事を


やっと感じられるようになって


今はとても楽になれたの


女性同士って


とっても複雑で


男性から見つめると


どうでもよいような事で優越感を感じたり


逆に何気ない事で


劣等感を感じたり・・・


そうかと思うと


共感し合い


相手の力になりたいと動いたりするものだと思うの


なのでもしも何か快くない言葉を


伝えられたときには


自分をうらやましいとどこかで思っているから


その様に表現しているのかなって


相手を許してあげたり


自分なりの許しの法則を


心の中に作っておくと


ダイヤモンドのように強く美しい


傷つかない心を


保ってゆけるんじゃないかなって


思うの








私たち人間には


この地球という学びの場で


様々な気づきと共に


自分を笑顔にしてあげる使命を


果たせるように


神々が様々なものを


この地球に備え


そして私たち人間の内には


そのすべてを受け取れるよう


直感という


素晴らしい能力が


備わっているんじゃ


ないかなって


感じているの


でも直感は衝動的な感情と


とても似ているので


判断が難しく


何度も実りのない時間を


過ごされた方の多くは


不確実な直感を封印し


世の中に昔から語られる


データーや統計などで


判断されるようになっていると思うの


でもそのデーターも統計も


よーく見つめてみると


本当に正しいデーターなのかもわからず


たとえ正しいデーターだったとしても


地域や年齢・環境によっては


重ならず


そのデーターを用いる事ができなかったり・・・


今の時代は


2000年を迎えてから


二極化が進み


その二極化は


すべての分野でスタートしていると思うの


昔ながらば少数だった


才能や可能性を花咲かせていた方も


今の時代は意識の力で


その才能に見合う場所を


自分に招き寄せたり


その様な場所へ繋がる


ご縁を導いたり


無意識ではあるけれど


そのような力を備えた方が多く


良い意味でとびぬけた方が


一人という時代ではなく


みんながなりたい自分になれる時代だと思うの


そして逆に


データーや統計通りに


歩んできた方は


違う想定には対応するデーターは


まだ用意されていなく


今がその時で


これから何十年先に


今データーを元に歩まれている方の


データーが


データーを待つ未来の人のために


生かされるのだと


感じているの


誰もが同じ分量


能力や才能を秘めているけれど


その才能や可能性を


蕾のままで


終わらせてしまう方が多いだけだと思うの


言葉では上手に表現できないのだけれど


自分の内にすべての答えは用意されていて


もしも内なる自分と対話し


答えを求めていくと


答えられない質問は


本当はないんじゃないかなって


思うの


人間は繊細なあまり


自分の本質に宿る思いの中で


受け入れられない


エネルギーのものもあって


そこにたどり着かないよう


迷いや不安という想いで


逃げているだけで


本当は自分が何を求め


どのようにしたらよいのかを


とっても知っているんじゃないかなって


感じているの


その時人によっては


過去のデーターや統計に寄り添う事で


意味のない責任回避が


できたりするかもしれないけれど


自分一人の大切なあたたかい時間に


誰も自分の思いや考えを


否定する人が入ってこないのだから


素直に自分と対話してあげる事が


大切なんじゃないかなって


思っているの


なぜらなば


そこが人生の不思議なのだけれど


すべての出来事は


自分が何かに気づき


正しい宝物を見つけるまで


続いてしまい


それは何度も形を変え


人生に届けられるから・・・


確かに自分の思いをまっすぐに見つめ


受け入れる事は


とても難しく


時にはあまり良くない思いを


持つ自分を責めてしまったり


過去の様々な行動や価値観を


否定してしまうんじゃないかと


後戻りしちゃいそうになるけれど


この思いは


必ず現実の目の前の世界に


時間の流れに乗って


良い意味での影響を


与えて行ってくれると思うの


心が美しい人ほど


自分との対話で


誰に聞かせたり


見せたりしないと知っていても


とても辛い流れではあるとは思うのだけれど


一度認め受け入れてしまえば


逆に今度は


周りの方に認めていただけない事があったとしても


自分の学びや人生から


逸れることはなくなり


直感という自分の内から溢れる


導きのまま


進んでゆけるようになると思うの


私の知り合いの中には


夢をかなえられた方もいて


その人たちの話を思い出してみると


自分の中での対話やイメージが


揺るがなくなってから


外の人たちに


夢を語っていたので


周りが「そんな夢みたいなこと・・・」とか


「無理でしょ」などと


言葉が返ってきても


落ち込み事も怒りを産み出す事もなかったの


その時私はその冷静さに


尊敬と不思議さを感じ


尋ねてみると


「私はほかの人に同意も


意見も求めていないの


ただ夢を招き寄せるのには


言葉の力が大切だと聞いていたから


発信しただけなの」と


表現され


私はその言葉に


自分の未熟さと反省の思いで


一杯になった事があったの


その方は数年後夢をかなえ


今ではメディアでしか見る機会がないほど


忙しく


なかなか話す機会もないくらいになったの


その言葉をいただき


やはり人間には計り知れない


引力という念が備わり


自分が日々考えイメージしたり


言葉にしている事が


自分の人生を作っている事を


改めて知り


ワクワクした想いと同時に


自分のあまり好ましくない


興味本位だけの事に


大切な時間を注いでしまう


自分を意識しなくちゃって


思ったの







人生を振り返ってみると


人に語れない行い


人に誇れない行い


「あの時あんな事をしなければ・・・」と思う想いなど


様々な事が


記憶のカギによって開かれ


今現在の自分の心にアクセスし


心が揺れる事があるけれど


平均寿命の半分も歩んでくると


やった後悔よりも


やらなかった後悔の方が


多くある事に


気づかされる事があるの


昔ならば


自分がしてしまった事への後悔が


強くあったのだけれど


年齢を重ねてくると


やれるという事は


やりたい事と


できるという選択肢が多いから


良い意味で失敗も


重ねられるけれど


年齢を重ねてくると


様々な状況・事情で


やれる事の選択肢よりも


やりたい事とやれることの


選択肢が重なり


一つになっているので


ある意味で失敗は少なくなるけれど


その分


時間が流れてゆくと


「あんなことしければ」よりも


「こうしておけばよかった」の


思いが多くなるのを


感じているの


よく人生の中で


自分が思う後悔してしまう出来事を


とっても悔んでしまう事が


あるけれど


本当にその事が失敗だったのかは


誰にもわからないことだと思うの


なぜならば


それを確かめるには


もう一度同じ人生をやり直さなければ


確かめる事が出来ないのだから・・・


そして今の自分が


こうして生き


心で何かを感じられているとしたならば


どんな後悔する出来事も


今の自分を作るには


必要な栄養で


きっとすべてが正しい歩みだったんじゃ


ないかなって


思うの


人生は永遠に続くものではないのだから


どんなに恥をかいても


どんな大きな失敗をしてしまっても


そこに生きているという


感覚を宿すものが


あるんじゃないかなって


思うの


人それぞれ考えや思いがあるけれど


失敗ができるという事は


誰かに何かを託されたり


自分が選びとれるだけの


選択肢があるからこそ


できる体験で


失敗や後悔をしない方法は


ただひとつ何もしない事だけなのだから・・・


そして後悔や悲しみあらゆる


大きな心の体験ができる人は


それだけ良い意味で期待を持ち


前に進める


可能性を秘めた人にしかできない事だと


感じているの


逆に見つめると


成功も素晴らしいけれど


失敗も同じくらい誇れる事も


多いと思うの


人生は誰もが限られた中で


自分という存在を体験する時間で


その時間がどれだけ尊く


素晴らしいものなのかは


その方それぞれの心が決めるものだと思うの