2009年10月






すべてのものには


瞳には映らない波動を持っていると


ずっと感じているの


私たち人間と同じように


生命を持つもと同じように・・・


ただ大きな動きがない事で


そのものを


ただ停止した物質としてしか


認識していないけれど


私たち人間が選んだと


思い込んでいたものにも


ゆっくりではあるけれど


受け入れてはもらえず


様々な問題を生み出し


手放さなければならなくなったりという形で


離れていったり・・・


私の知り合いの中に


不思議なほど物質の循環が


多い方がいて


その方は


希望とする想いと現実が


フィットしていないこともあって


希望する者を手にするために


その時借りられる方から資金を借り


希望するものを手にされるのだけれど


そのワンランク上の物質と


波動がフィットしないからなのか


なぜだか手にした途端


その物質への思いが消え


日頃の装いとはフィットしない


その物質の出番がなくなり


資金を借りた方への返済に


いつも様々な言い訳を考え


過ごされていたの


それでもそんな彼女を見つめながら


あるときには


自分の思いを形にする事を


自分の力ではなく


周りのおかげで整う生き方が


うらやましいと思ったこともあったの


でもそのような生き方の中で


素敵なおうちを購入された時にも


やはりほかの物質と同じで


その前に暮らしていた


ものにあふれ


お掃除もされていないお部屋と同じように


なってしまい


せっかくの素晴らしいおうちが


もったいないなって


遊びに伺うたびに


感じていたの


そんな中


驚くほど降ってわいたように


トラブルが運ばれてきて


おうちを手放さなければならなくなり


それと同時に


今まで手にしていたワンランク上の


物質も離れていったの


その時ふっと


私たちはいつも自分が選んで


所有していると思っているけれど


その所有されているものにも


波動があって


静かに一緒にいる事を


拒否したりしているのかなって


感じていたの


そして今また一から


自分のフィットしたものに囲まれ


その方は暮らす事を


求められ過ごされているのだけれど


不思議ととっても


幸せそうなの


上手にことは出表現できないのだけれど


ワンランク上のものを


選び共に過ごしてゆくには


ちょっぴり今の自分よりも


努力が必要で


人によっては


その努力が大きな重荷となったり


喜びに変えられなかったりすると思うの


そのような場合は


無理にワンランク上のものを


あえて選ぶ事をせずに


過ごされるのも


その人によっては


幸せなこともあるんじゃ


ないかなって思うの


私自身も物質では


多くの不思議な体験があって


パートナーが私と出会う数ヶ月前に


独身ということもあって


あこがれの新車を購入したのだけれど


その後


その車は驚くほどトラブル・事故を


引き寄せ


経済的に置きな費用をいつも必要とし


それでも大好きで購入した


大切な車なので


パートナーは大切にしていたのだけれど


あまりに重なるトラブルに


支払いが難しいと判断し


手放す事になったの


新車なので霊的な問題は


なかったとは思うのだけれど


乗る人を選んでいたんじゃないかなって


パートナーと私は感じていたの


その後小さなエコ車を購入してからは


何かほかの事まで


スムーズに進むようになって


その時


これがフィットするという事なんじゃないかなって


感じたの


それから直感で


お部屋を見渡し


たとえ高級なものであっても


今の自分にフィットするかどうかという


判断基準で


手放すものを選択し


人に差し上げたり


リサイクルショップに販売したりして


すっきりと


今の自分に必要なものだけになったの


お掃除している時に


驚いたのだけれど


忘れていたものが


奥からいっぱい出てきて


そのほとんどが高級ブランドのもので


出番のないことを


わかっていながら


私のただの見栄で手にしたまま


眠らせていた物質たちに


申し訳ない思いになって


すべてクリーニングに出して


きれいにして


ほしい方に差し上げたの


そうしたら


その物質たちからの感謝の思いなのか


後日商品券やお菓子


使わないからと宿泊券など


ありとあらゆる


今の私にはとっても嬉しいものを


頂いたの

物質の中でも石などには


波動が宿る事を意識されている方も


多いけれど


すべての物質には波動が宿り


いつでも寄り添う私たちと


稼働を重ねているんじゃ


ないかなって感じているの


お引っ越しが多い方も


何となく引っ越しを重ねているとは思うのだけれど


ほとんどが無意識の中で


居心地の良さを感じられず


別の場所を探されていると思うの


それは自分がもっと大きな器が必要に


なってシフトしてゆく場合もあるけれど


身近間に引っ越しが重なる事が多い場合には


そのおうちが


静かに出て行ってもらいたがり


そのような方向へと動くよう


導いていることもあると思うの



世界中で物質にまつわる物語が


多くあるけれど


手にされてから


自分が高揚したり


幸せを長く感じられているものならば


良い運を運んでくれるもので


負担になったり


出番を作ってあげられないようならば


それはまだ手にするタイミングではないのだと


判断基準にされると


自然に周りにあるものすべてが


ラッキーアイテムとなってくれるんじゃ


ないかなって


感じているの








人はだれでも


孤独を無為意識に怖れ


自分にとって実りある時間とならない事が


予想される事にも


多くの時間を注いで


過ごしてしまうものなんじゃ


ないかなって感じているの


たとえば


おひとりならば計画的に


経済・時間様々なものを


整えられるのに


急なお誘いや予定が入り


予定外の事が溢れてしまい


そのいら立ちを


自分ではなく


周りの方へと向けられてしまったり・・・


本当は孤独を怖れ


断れない自分が


一番問題な事は


本人が一番わかっているとは思うのだけれど


ダメージを受けた自分を


これ以上自らダメージを


与えてしまう事はできず


方向を変えられ


なんとなくそのような時間が


流れてゆくのを待つ


過ごし方をされている方も


多いんじゃないかなって


感じているの


日本人は特に


NOが難しく


必要以上に言い訳や


相手の考えそうなことを予想し


傷つけてしまわないよう


言葉を考えたりしながら


受け入れる事の大変さと同じか


もしかしたら


断る方が辛く大変に感じられる方も


いると思うの


なので大体の事は受け入れ


断る辛さを


回避し過ごされていることもあると思うの


私自身もそのような部分があって


今日はこうしたい・こうしようと


決めていても


急に友人が時間がありすぎて


暇だから会おうと


連絡が入ると


何も考えず


とっても良いお返事をし


自分が予定していた事を


すべて行うことなく


出かけてしまう事があるの


そして友人の暇を埋めるためだけに


時間を過ごし


帰り道


「あ~私って何やっているのだろう」と


自己嫌悪うに包まれたり


時には


自分が選んだ事なのに


まるで相手に利用されているような


被害妄想に包まれてしまった事も


何度もあるの


そのような選択を選んでしまう根底には


自分に自信が持てず


孤独を怖れる思いが


強くあったからだと思うの


もしも自分に自信があったならば


数回お断りしたからといっても


関係が変わるわけでもなく


もしも関係が疎遠になってしまったとしても


それはその方が


自分の思い通りになってくれる相手を


探しているのだからと


新たな出会いに心を向けて


進んで行けたりできると思うの


そして時には


本当は自分が予定していた事が


心惹かれる事ではなく


できない言い訳とやらない言い訳がほしくって


人のせいにしてしまって


いた事もあったと思うの


そんな自分がどうしても好きになれなかった私は


あるとき


一週間の予定を何となく立てて


一週間だけ

どんな予定が入っても


自分の予定を優先することを


行ってみようと


初めて見たの


そうしたら次の日友人から


お願い事をされ


もちろん前の日に決心したのだからと


自分に言い聞かせ


お断りしたの


そうしたら


「仕事していないんだから


時間あるでしょ


来てくれないと私の仕事が


困るの


お願い」と何度も伝えられたのだけれど


「仕事ばかりが大事な予定なわけじゃないんだよ


人に振り回されて生きる自分が


もう嫌なの」と告げると


怒ってしまい電話を切られてしまったの


その後その方は


冷静になったようで


私に謝罪してくれたのだけれど


自然な形でご縁がなくなっていったの


その後も様々なお誘いがあって


そのたびに


自分がその方たちにとって


どのようなポジションにあったのかを


悲しいほど感じたこともあったり


逆に


良い関係になった方も多くいて


良い意味でお互いにとって


人間関係を生理整頓できた


良い機会だったように思うの


日本人の多くは


我慢に我慢を重ねているけれど


その我慢が相手には伝わっていないこともあって


急に意見を伝えると


驚かれたり


逆の立場で見つめると


ずっと仲が良かったと思っていたのに


本当はそう思っていたのだと


知ってショックを受けたりと


とても繊細な心を持つ日本人は


人間関係で


多くの苦労を体験されているんじゃ


ないかなって


感じているの


でも何よりも一番つらい心の体験は


誰かに責められたり


否定されることよりも


自分が自分を


誰かに責められたり


否定したり


自分を受け入れ愛せないことだと思うの








私はいつも


感じている事があって


本当は自分で多くの努力や


労力を注ぎ


自分を追い込みながら


得られる報酬よりも


少し能天気なくらい


自分の心の声に耳を傾け


自分の心の健康を保っている方が


速いスピードで


想いが実現してゆくんじゃないかと


思っているの


でもその根拠のない


漠然とした事に


委ねて生きてゆくことよりも


眼に見えた形で


形を整えてゆく方が


心が安心できる事もあって


ついその事に努力という言葉で


依存し


自分を満足させようと進んでゆくのだけれど


気がつくと


スタートした想いはどこかへ消えてしまい


努力している意味や


価値を感じられなくなることもあるんじゃ


ないいかなって思うの


そんな時には


すべての怖れを手放し


何もしない


時間の波動に自分を


委ねてみる事も


大切なんじゃないかなって


感じているの


私自身


現在が何か漠然とした


スムーズに流れないものを感じるたび


私自身が体験した過去が


教師となっていて


過去の波動が高く


怖れが一つもなかった


自分を思い起こしてみる事にしているの


今とは違い


あらゆることへの不安・怖れが


信じられないほどなかった過去には


すべてのものと一体となっているのを


毎日・毎分感じていて


良いのかそうではないのかは別にして


人の痛み・悩みが


理解できないほど


別の次元にいたように感じているの


その頃


私が一番大切にしていた事は


自分が何を求め


自分の心を曇らせてしまわないよう


意識をして過ごしていたの


なぜならば


心が曇ったり


イライラしてしまうと


それと同じような波動のものを


招き寄せてしまい


自分が望んでいるものを


遠ざけてしまう事を


知っていたからなの


でも出会うすべての人や


出来事が


素晴らしいものばかりではない事もあるから


そんなときには


現実は変わらなくっても


自分の受け止め方


反応の仕方を変える事で


心を曇らせる出来事も


心曇る出来事として


自分の中には納めず


一つの経験として


流したり


何かを学ぶ機会として


とらえていたの


その頃は


自分が魔法使いなのでは?(笑)と思うくらいに


通常ではあるえない奇跡的な事を


引き寄せていて


努力とか社会的常識とかの受け止め方も


今とは違っていたの


そして努力する亊の方向性の


一番注がなければならない


大切な事は


自分の心が発信する


波動だととても感じていたの


最近私の友人から


相談を受けていて


未熟ながらアドバイスを


させていただいたのだけれど


私の表現の足りなさなのか


相手には理解してもらえず


アドバイスにはならなかったのだけれど


友人はメディアなどで流れる


世界的不況のニュースに


大きな不安を感じ


何かを始めなきゃいけない思いで


ネットを通して


お仕事を始めたようなのだけれど


それが思うように経済に結び付かないようで


あれこれと情報を集めて


今忙しそうにしていて


いつもイライラし


夫婦関係・子供との関係が


あまり良い状態ではないようだったの


彼女は自分のがんばり大変さを


理解してくれない


家族に対し不満があふれて


日々けんかになり


そのあとお仕事をされているようだったので


私は


「焦る気持ちは理解できるけれど


人は楽しいもの


嬉しい事


幸せを感じる時間や・ものに


ありがとうという感謝のようなものを


経済として手渡し


受け取っているのだから


自分が豊かになりたいのならば


まずは自分の心をおだやかに


幸せにすると


そこから溢れる波動をキャッチした人が


来てくれるよ


人はみんな繋がりあっているから


見えないものを感じあえているんだよ」と


伝えたの


でも今いっぱい・いっぱいの友人にとっては


もっと具体的に


経済と結び付くアドバイスを


求めていたのだから


あまり意味のないアドバイスだったかなって


力になれない自分が


ちょっぴりさびしかったの


でも別の角度から見つめると


物理的に力になれなくっても


すべての人間は繋がっているのだから


祈りという形で


友人の力になれたらと思い


友人への日々の感謝と


友人が心豊かになり


それと同じ経済の流れを


与えてくれるよう


祈ったの


それからその事を忘れ


過ごしていた私のもとに


友人から電話があり


友人が加入していたネットでのお仕事が


詐欺か何かがあったようで


販売個数がひとつもない友人は


自分の加入する時に支払った


数万円だけで


他の方に迷惑をかける事なく


済んだ事を


伝えてくれたの


私はよくわからないのだけれど


今ネットでは


様々なビジネスがあるから


友人のように


今すぐ大きな経済を望む方には


魅力的な言葉がきっとあったのだと思うの


友人は急に


「やっぱり焦ってもだめだね


冷静に判断もできないし


忙しくしてもこうなんだから


ちょっと一ヶ月くらい


何もしないでゆっくりするよう


努力してみるわ」と


表現したの


一見何もしない事に


努力してみるという言葉は


不思議に感じられるかもしれないけれど


多くの方が


物理的な忙しさがなくっても


頭の中・心の中は


あれこれと忙しく様々な事を考え


自分に戻る時間を


持てない・持たないまま


過ごす事が


当たり前になっているので


友人が表現してくれたように


何もせずゆっくりする事には


別の努力が必要なのだと思うの


それから数カ月後


友人と久しぶりに会う事になって


近況報告してくれたの


友人はその後


ママ友達が仕事を辞めるので


そのしていた仕事を


引き継いたようで


とても幸せそうだったの


そこには彼女が望んでいた託児所もあり


何の不安もなく


楽しそうだったの


友人は私が以前に伝えた言葉に意味が


とてもわかったと


私に感謝を伝えてくれて


私は心が温かくなると同時に


涙が溢れそうになったの


なぜならば


人は人を救っているという形の流れの中で


自分自身に宿る可能性に


気づかせてくれたり


成長できるものだから


本当は友人をサポートしているようで


私自身が


改めて友人に対して


深い感謝を感じたの


私が孤独を感じる事なく


過ごせて


今自分らしく過ごせるのは


自分だけの力ではなく


繋がりあってくださる


すべての方の力がベースにあるから


自分が幸せに過ごせている事に


改めて感謝が沸き起こっていたの








今日は以前


頂いた数十冊の本の中から


心惹かれた本を読んでいたの


私は読書が大好きで


本屋さんを貸し切りたいくらいなのだけれど


不思議な事に


進めていただいた本や


頂いた本などが


たくさんおうちにあっても


何か心がその方向へ向かす


そのまま本棚に眠ったままに


なっているものも多いのだけれど


何か自分の中で


無意識に必要があって


スイッチが入ると


一気に読んでしまうような


流れを持っているの


今日は月について書かれた本を


読んだのだけれど


とても興味深い事が多く


すぐに読んでしまったの


その中には


新月や満月の働きによって


人間に影響のある流れが書かれていたの


思い起こすと


昔恋愛詩を重ねているころ


恋人と会って楽しかった時間を


過ごせる人


そうではない時間があって


その頃精神世界に


多くの時間を注いでいた私は


月の満ち欠けが影響している事を感じ


新月から満月の間の


月が満ちてくるときに


デートを重ね


月が欠けてくるころには


自分一人で過ごす時間を


作って過ごしていたの


月が欠けてゆくときには


人間の体や心に溜まったものを


手放す時に


とてもスムーズに働きかけてくれると


聞いていたので


そうしていたの


逆に月が満ちてくる時には


すべてが満ちてくるときなので


ダイエットなどには不向きだけれど


心身の回復力が高まるので


何かを始めると


結果が早くに形となり


嬉しい時期のようなの


そう思うと


新月に物事を始めると良いとか


新月に願い事をするとよいというのは


理にかなっているんだなって


感じたの


体内に宿る体内時計とも


リンクしている部分があって


真夜中から朝方に


喘息の方は病状が強く現れたり


出産や天国に旅立つ方も


この時間帯に多いのは


その時間帯が


一日の中で最も体内のお掃除をし


エネルギーが低下しているからのようなの


そのように時間帯や


月の動きを


ライフスタイルに重ね


見つめてみると


私たちの中には体内時計と月がリンクしていて


微調整してくれているから


毎日同じ朝を迎えられているんじゃ


ないかなって


感じていたの


たとえばたばこやお酒を


嗜好される方は


AM1時~AM3時の間は


体内をデトックスしている時間なので


控えられると良いとか


朝目覚めてからの2時間くらいは


胃・腸のデトックスタイムなので


できるだけ水ものを飲まれると


毒素がスムーズに


流れてゆくとか


無意識に過ごしているものに


スポットををあてると


とても楽しく


人間の神秘を感じてしまうの







新たに生まれ変わる前兆として


二つのパターンが


いつも用意されていると感じているの


特に深い意味や理由がないのに


心身からエネルギーが湧かず


眠たくって眠たくって


やらなければいけない事


やりたい事があっても


強い力で


休息しなければならない状況が


与えられる事があると思うの


その様なときには


新たに生まれ変わる自分自身に必要な


スペースを作るために


自分の意志ではどうする事も出来ない力が働いて


思うように


行動できないものなんじゃないかなって


感じているの


そのサイクルは人によって違うと思うのだけれど


大体7年くらいの感覚で


訪れるように感じているの


ただ人によっては


1年に定期的に


訪れる方もいるとは思うのだけれど


その場合は季節的なものであったりと


人間に秘めている


サイクルの場合も多いので


精神世界的なものとは


少し違うように感じているの


このように一見停止いしている時間は


本当は停止ではなく


高まった自分が次へと


シフトしてゆくサインだと思うの


幼子がよく眠るように


毎日・毎日


気づき・学びを


本当の意味で行っていると


肉体を持つ人間の場合は


脳や肉体を


早く進化してゆく


魂・心のスピードに合わせなければならず


休息も長く必要になり


それが睡眠という形で


行われているんじゃないかなって


感じているの


そしてもう一つの


新たに生まれ変わる前兆として


パターンは


今までには考えられないほど


エネルギーが溢れて


何にでも興味を持ち


行動的になるときだと思うの


それは子供に例えると成長期で


自分が吸収し


受け取ってきたものを


神々がテストそして


手渡してくれている時間だと思うの


その時の過ごし方で


次の進化の速度や方向性を


無意識に自分で決めている時期のように


思うの


この時期には


何でも可能に見えてきて


ちょっぴり走りすぎてしまったり


自信過剰になってしまったり


すべてが過剰に溢れる時だと


思うの


この時期は自分でも


周りからも


変化を感じられる時期だと思うの


初めに伝えせさせていただいた


一見停止に見える時期とは


真逆なのだけれど


霊的な高まりによって


新たに進化してゆく時期なのは


一見停止に映る時期だと


感じているの


この時期は


自分の意志ではどうする事も出来ず


この時間をどう受け止めるかによって


また様々なものが


プラスアルファーされ


次にたどり着く場所では


すべてがとても


簡単にスムーズに


答えを導き出せるくらいの


自分になっていると思うの


この与えられる休息の時期には


行動的に


心身が働かないのは


きっとちゃんと意味があって


静寂の中でしか


気づくことのできないものが


たくさん用意されているからなんじゃ


ないあkなって思うの


たとえば読もう読もうと思いながら


何となく行動を優先してきたので


読めなかった本を読んだり


書こう・書こうと思いながら


そのままになっている


大切な方への手紙やメールを


書いたり・・・


そのような過ごし方を


してみることで


人によってはそのふれあう時間の中で


忘れていた感情に気づかされたり


新たな発見に目覚めたり・・・


ゆっくり流れる時間の中なのに


いつもよりも


学びが多かったり・・・


上手に言葉では


表現できないのだけれど


今の世界の多くは


まるでハイテンションにしてくれる薬を


投与しなければ


こなせないくらいの問題


出来事・仕事などで溢れていて


様々なものを処理する事や


行動的な動きによって


心身が沈静化するような


真逆の働きを持っていて


ゆっくりと立ち止まり


しっかりと見つめる事や


考える事を


良い事として


大切にはされていないように感じているの


人間は本来


静かにゆっくり過ごしていると


心が平和になり


やすらぎを感じられるものだけれど


この社会の中では


ゆっくりしていると


すべての問題・出来事だけが


次々と積み重なり


それに伴い


人間と共に寄り添う経済的な


大きな不安という知識があるので


心から休む事が


難しくなっているように思うの


でも本当は


その事自体も


人間みんなで作り上げた


思いこみのルールで


表現が上手にできないのだけれど


忙しく物事に向かうから


すべてがうまくゆくわけでもなく


たくさんの時間を


その部分に使ったから


形となるわけでもないと思うの


その部分がもっとも


人間の住む世界の神秘だと思うの


すべての物事には


タイミングがあって


昔はそのタイミングを計り


人間は大切にしてきたけれど


今はその優れた直感に寄り添うよりも


とにかく


行動をし走っている方が


周りへのアピールにもなるし


何よりも自分自身の心の安定剤と


なっているだけなんじゃ


ないかなって


感じているの


なので神々から与えられた


休息に焦る事もなく


自分との対話に必要な時間を与えてもらった事に


感謝しながら


自分がしたかった事


忘れたままにしているものに


瞳を向けられるとよいと思うの


そして今行動的にエネルギー溢れている方は


走りずぎてしまわないよう


良い意味で余力を残しながら


高まる自分を楽しまれる事が


大切だと思うの








私のパートナーが


ここ数年やっとお仕事での


評価が高まっているようなの


その内容も


今年ならではだと


私は感じているのだけれど


今年の初めに


伝えさせていただいたように


今年のキーワードは「過去」なので


多くの方が


良い意味で過去を振り返ったり


過去から届ける問題


過去に忘れたままになっているものを


見つめる時期で


パートナーにも


やはり今年のキーワードが


働いているようだったの


パートナーは本当に


損だと思うような事でも


俺がやらなければ・・・という思いがあって


人よりも多くの時間を


誰かのために注ぎ


上の方へ上手な言葉を言える人ではないので


ただただ


自分が正しいと思う事を


行って過ごしていたの


そんな時


彼の会社の取引先の社長さんを


彼の会社で接待する事になり


初めて会う事になり


会った時


その社長さんが


パートナーの小学生


中学校の時からの同級生だったの


今は社長さんになっている彼は


幼いころから近所で


よくいじめられていて


そのたびパートナーが


助け・かばい過ごしてきたようで


パートナーも彼に会い


元気そうで喜んでいたの


そして彼も


「お前がいなかったら


俺は今頃生きていなかったかもしれない」と


感謝の言葉を伝えられ


パートナーはとても嬉しそうに


私に話してくれていたの


それから数日後


パートナーの会社に仕事の依頼があったのだけれど


そのすべての指名が


パートナーで


その報告を聞いたパートナーの会社の社長さんから


初めてパートナーは


頭を下げられ


涙が溢れそうになっていたようなの


そしてパートナーは私に


「人はどこでどんな縁があるかわからないから


やっぱり会う人


ひとり・ひとりに誠実に接していかなければ


いけないよね」って


自分が評価された喜びに


包まれていたの


その時


人との縁の大切さを


改めて感じながら


どんなに小さくささいな


ふれあいであっても


その方にとっては


大きな力として


未来へ歩む力になるんだなって


学ばせて頂いたの


そう思うと


私自身が生み出し


手渡すものが


どんなに小さくささやかなものであっても


出会う方と一緒に


越えられないものが現れた時


一緒に踏み台となるものを


見つけ


一緒に運び


越えられなかったハードルを越える


お手伝いができたならば


生まれてきた意味が


あるのかなって


感じていたの







私にとって


無言で様々な事を


学ばせ気づかせてくれる


存在となっている


みゃ~と鳴く娘のみゅ~は


日々エネルギーが浄化され


パワーが集まる場所を


無言で私の教えてくれているの


猫は元々


霊感を持っていて


通常見えないものが見えていたり


エネルギーの流れがわかるそうなので


今の私に無言で


アドバイスをしてくれているの


たとえばみゅ~の姿がなく


探していると


お掃除が済んで


今一番きれいになっている場所で


眠っていたり・・・


ある時には


おうちの中のあるスポットに


毎日長い時間過ごしていたり・・・


そういう時には


風水的に


そのスペースに宿るエネルギーの意味を


調べたりしながら


今我が家に宿っている


運を知る事が出来るの


数年前の事なの事なのだけれど


みゅ~がなぜか毎日


おトイレのふたの上で眠り


おトイレの中を


まるで住まいのように心地よくいた事が


あったのだけれど


そのような事が数カ月続いたころ


決まった金額までの


お買い物をされた人に


プレゼントととして渡される


宝くじ3枚にうちの一枚が当たり


車の購入資金にしたり


お風呂場や洗面所に


みゅ~が長い時間過ごしている時には


健康面などで


あらたなものを教えていただいたり


新たな先生に出会ったりと


そのスペースに宿るものを


みゅ~が実体験させてくれているの


人間は瞳に映るものに


大きな信頼性を持つこともあって


瞳には映らないものは


わかりずらいのだけれど


誰のお宅でも


その月・その年などによって


エネルギーの強い場所や


留まる場所があるんじゃ


ないかなって


感じているの







友人がフランス旅行から


帰国したので


楽しかった旅行のお話プラス


私がお願いしていた


ルルドで手にできる


様々なものを受けとりにいったの


友人は元々教会に通い


その縁で数名と旅行へ足を


運んだのだようなの


その中で夜のミサの美しさや


人のエゴ・逆に人の優しさにも


短時間に経験された事を


伝えてくれていたの


本来ルルドでは


お水を販売し利益を得る事は


禁じられているらしく


ボトルなどは販売されているけれど


教会経由で


水などの販売は行っていないそうなの


そして友人にお願いしていた


ロザリオパーツの中に


ルルドのお水が入ったパーツがあって


友人が私に手渡す時に


「ルルドのお水を取り扱うには


決まりがあるの


利益がメインでルルドのお水を使うことは


あまりよくない事なので


通常は関税・輸送費以外の価格を


乗せて販売しているものは


効果が消えるといわれていて


強い信仰を持っていて


利益は寄付してくれるような人でなければ


効果がないから


取り扱う時には祈りと


受け取ったお金は神に戻してね」と


伝えられたの


今回ルルドのお水が入った


ロザリオパーツは


友人が信頼する信仰によって


私の体が回復すると強く信じて


選んだもののようだったの


私は本来ちょっぴり


疑い深い部分があるのだけれど


今回は友人が


その場所へ足を運び


大切に運んできてくれたものなので


ありがたく


神様の御加護を


受けてみようと思ったの


ルルドには


様々な美しいロザリオパーツがあったようで


そのたび現地から


メールで写真を送ってくれて


私が選べるように


配慮してくれたの


友人は数年おきくらいに


キリスト教の聖地と伝えられる場所に


足を運び


そのたびに


私に知識と感動を


まるで私まで一緒に連れて行ってもらったような


感覚になるほど


リアルに伝えてくれるの


ただ友人も


私と同じで少し疑り深い部分があって


すべてを自分の確認し


感じたものを


受け入れているようで


ある時には


ヌベールの修道院の聖堂で眠る


ベルナデッタが死後も


在りし日の姿のままの美しさの奇跡に


他の方たちと


感動と神秘を感じながらも


本当なのかなって


調べていったら


検査のために何度も空気に触れる事で


腐敗してきた個所が見つかり


それ以来


特殊なマスクをされ


今のように多くの方が


見られるようになった事を知り


友人の中での奇跡が


一つ消え


少しショックを受けていたの


でもその友人の価値観や


判断に


私は信頼を寄せていて


盲目的ではなく


自分で判断するスタイルに


私は尊敬しているの


そしてその友人はよくボランティアで


様々な活動に参加しているのだけれど


そのたび私は


彼女の事を尊敬し


表現すると


彼女は


「私のように宗教に属しているのは


無宗教の人よりも


決められなければできない人間だから


宗教に属しているのだと


思っているの


世界中に山ほど法律があるけど


法律が多い国ほど


犯罪があるから法律で決めているんだよ


日本は細かい法律もなく


無宗教の人間が多いって


いわれているけど


それは決められなくっても


みんな神の心理を


知っているから


必要ない人が多いんだと思うの」って


言葉では表現できない


大きな心で


様々な事にこたえてくれるの


私がロザリオを制作させてもらう


きっかけも彼女の愛があったからで


何も知らない私に


ロザリオの意味や歴史


そして必要なパーツを


今でも手渡してくれる


友人には


とってもとっても


感謝しているの








今日友人の計らいで


友人の知り合いの神父さん2人と


お会いする機会を


与えていただいたの


お一人は厳格な教えをそのまま


過ごされているのかなって思うような


厳しい言動が何度も


溢れる神父さんで


もう一人の神父さんは


おだやかな笑顔で


あたたかな雰囲気の神父さんだったの


厳格な神父さんからはよく


同じ仲間の神父さんの


行動・言動に不満を持たれているようで


言葉にされていて


その時


私の中で何か消化できない


感覚が積もってきて


つい


「神様はすべての人を


平等に照らし


差別・区別はしないのだから


その様な言動を


神父さんがされるのは


少し違う気が・・・」と


表現してしまったの


そうしたら


温かな笑顔の神父さんが


「その通りだよね


ただ私たちも人間で修行中の身で


同じ教えを読んでも


同じ受け止め方ではないんだよね


今はいろいろな神父さんがいるから


信仰される人も


自分に近い信仰の人を探して


学ぶ時代なんだよね」と


伝えてくれたの


確かに厳格な神父さんが


表現していた事はすべて


正しいのだけれど


私のとっては


ちょっぴり窮屈で生き苦しい感じがしただけで


その神父さんに


信頼を寄せられている方も


多いと思うの


今回友人が神父さんと会う機会を


作ってくれたのは


友人が教会へ足を運んだ時


私が作ったロザリオをして行ってくれたようで


その時神父さんの奥様達が


友人に私の事を聞いてくれたようで


制作させていただく事になったので


それならば会って


色々と伺ってから


制作させていただこうと思い


友人がセッティングしてくれた


素敵な時間だったの


私は幼いころから


自分の意志とは別に


カトリック系キリスト系など


十字架に近い場所で


過ごしてきたせいか


無宗教なのだけれど


何か自分のフィーリングに


フィットするエネルギーを感じ


特に深い意味はないのだけれど


教会へ足を運んだり


友人がカトリックに繋がる人たちが多く


何か深い部分で


癒され


安心するの


キリスト教では生まれ変わりは


ないとされているのだけれど


人間が何度も生まれ変わり


すべての時代で


十字架を見つめてきたからなのか


幼いころから


十字架はただのアクセサリーではなく


パワーアイテムだという事を


感じていたからなのか


幼いころ大好きなアニメの


「キャンディキャンディ」のグッズとして


その当時¥500だった十字架が


どうしても欲しくって


両親のお手伝いをしてためたお金で


購入したの


その購入したものを


すぐには身につけず


画用紙に教会のステンドぐらうのような絵を


クレヨンで描き


誰にも見られない場所の壁にはり


その上に十字架のネックレスを


配置し


本格的な祈りは知らないので


「神様ここにきてください」って


言いながら


毎日人に話せない


自分の思いや


反省など


様々な事を伝え何年も過ごしていたの


きっとそれが内なる対話の


始まりだったのかなって


今では感じているの


そして幼いながらも


その十字架というモチーフに


何かを感じていた自分に


今の私か驚いているの


大人になると


すべて意識して受け取り


行動するので


幼いころよりも


神秘的なものを感じにくく


すべては自分がこうしたから


こうなったと


答えを出してしまう事があるけれど


自分が絶対的な主導ではなく


自分が主導しているものに


複線のように寄り添い


主導しているものも


あるんじゃないかなって


感じているの


それがなかなか解明できない


霊的世界であったり


心の法則なんじゃないかなって


感じていたの









今の時代は


自己責任という言葉で


問題を生み出し


手渡した方の責任は問われず


ご自分を責められ


過ごされている方も多いと思うの


そして責任感が強い方は


悩みや不安などを


誰にも相談せず


自分一人で


なんとか解決しようと抱え込み


その重さに耐えかね


すべてからの解放しか見えなくなり


自ら人生をリタイヤしてしまわれる方も


年々多くなっていて


改めて


人の持つヴィジョンの大切さを


感じる機会があるの


たとえば問題が経済や健康


あらゆる大きなものであっても


人はその事だけで


人生をリタイヤはしないんじゃ


ないかなって感じているの


なぜならば


私たちが生まれるずっと昔の方が


経済的にも健康的にも


大きな問題を抱えた方は多くいたけれど


今の時代と大きく違うのは


未来への希望ヴィジョンが


描けない苦しみだと思うの


私たちが生まれるずっと昔は


多くの方が今は何もないけれど


がんばれば豊かさと共に


自分の描く人生が


明確に見えていたから


その時の苦しみを乗り越えられたんじゃないかなって


感じているの


人は本来どんなに自分が弱い人間だと


思っていても


秘めているものはとっても強くって


いくつもの苦しみを


乗り越えられるように


神様がプログラミングしてくれていると思うの


でも自分の努力が形にならないと


思いながら


今ある事を受け止め


過ごしてゆく事は


本当に辛いことだと思うの


そして人間は肉体を持つ


高尚な魂そのものなので


肉体とのバランスによっては


光がまぶしすぎて


自ら日陰を探し休息することもあると思うの


人間は年齢を重ねてゆく事で


幸せを感じるホルモンが減少してゆく事もあって


若いころあんなに何気ない事を


笑いに変えたり


何をしていても楽しかった気持ちが


なかなか湧きおこらず


気がつくと


笑っている自分に出会う機会も


少なくなっていたり・・・


年齢を重ねると


意識しなければ


ホルモンの関係で


怒りや悲しみ・不安に包まれやすく


益々自分の人生が


まるで意味のないもののように


感じてしまいやすいのだと思うの


でも人間は素晴らしい


共感能力を持っているから


誰かが笑顔になると


初めは怒っていたりイライラしていた人も


よい意味でつられて


笑顔になってしまうものだと思うの


私の友人は


私以外はとても真面目で


すべての物事をしっかりと分析する方ばかりなので


どちらかというと


話題のテーマが


まるで討論番組のようになってしまうことも


多いの(笑)


でも私は社会生活を


あまり経験ない事や


笑うつぼのようなものが


少し人とずれていることもあって


ここで笑ったら怒っちゃうかな?とか


失礼かなっと思いながらも


つい笑いながら


受け答えをしてしまう事があって


そのたび不思議と空気が変わり


友人の怒りや不安な表情が変わり


「何で笑うの?何がおかしいのハハハハ」って


友人まで


笑う私がおかしいようで


笑顔になっているの


昔は人と違う私の感覚に


とても強いコンプレックスと


疎外感を持っていたので


相手の空気に合わせて


お話を聞き答えていたのだけれど


多くの方は


その悲しみや不安を


大きく膨らませてしまう共感を


求めてはいない事を


知るきっかけがあって


それ以来


その様な共感ではなく


ほんの少しでも


不安材料となっているものを


一緒に溶かしてゆけるようなものを


手渡して行けたらいいなって思って


そのようにまるで空気を読まない


私なりの愛情が作られていったように感じているの


少しお話は違うのだけれど


昔親しくさせていただいていた


尊敬していた方に


教わった事なのだけれど


幸せホルモンが


不足しているなって感じた時には


両方頬の一番高い場所を


少し強く数回押してあげる事で


その刺激によって


幸せホルモンが湧きだし


全身に伝わり


物事を冷静にそしてありのままに


見つめ


よい判断ができると伝えてもらい


今でもその教えを実行していて


毎朝目覚めたときに


行っているの


人間関係の中では


無理をしても明るく


そして社交的にふるまわなければ


暗いとか


勝手に周りから判断されるkとがあるけれど


それは暗いのではなく


ただ冷静だったりするだけで


逆に必要以上に


社交的に・そして明るく表現されている方の方が


心の中に闇を抱えている事も


多いと思うの


周りが暗いと判断されている方よりも


社交的に明るい自分を演出されている方の方が


持つ必要のないプライドが高く


自己プロデュ-スに厳しく


自分が描く自分しか許せないので


人間が誰でも体験し


乗り越えるものと直面した時に


人生をリタイヤしやすいんじゃ


ないかなって


感じているの


日本人はDNAに恥を重んじる事を


刻まれた


人種なので


周りからだけではなく


自分の判断で恥だと感じる事を


乗り越えるのは


どこの国の方よりも


大変なんじゃないかなって


感じているの


でも冷静に周りや自分の事を


見つめてみると


恥ずかしいと思うような体験


出来事は多くあって


忘れるという素晴らしい能力によって


乗り越え封印しているだけで


多くは自分が思うほど


周りからはそう思われていないことも


多いと思うの


日本では美しいままのイメージのまま


幕を閉じる事も


一つの美学として持っているけれど


それ以外にも


限界まで挑戦し


ぼろぼろになるまで


自分の可能性を果たしてゆく


美学もあると思うの







運命に逆らうことなく


自分の与えられた運命に気づき


その運命につきあう事が


自分にとっての幸せな人生が


歩めるんじゃないかなって


時々感じているの


私が感じているのは


人間には解明できない形での


運命が宿っていて


その事にどんなに抵抗しても


その事が自分の人生のプログラムになかったり


もしくは様々な固定観念を


打破するために与えられている


困難などもあると思うの


私の知り合いの中に


何度も結婚し


その後いつも悲しい別れが訪れ


そんな中で運命論などを


信じていなかったその方も


もしかしたら・・・って


自分の人生の流れに宿るものを感じられたようで


その後戸籍にこだわらず


愛する方と寄り添い過ごそうと思い


過ごされているせいか


今回の方はもう10年以上も


共に暮らすパートナーとなっていて


幸せそうなの


その姿を見つめながら


私は教えられる事が多くあって


がんこに形にこだわる事が


どれだけ心身の疲労とダメージ


そして幸せから


自分自ら遠ざけている事があるのかを


考えさせられたの


運命とは不思議なもので


人生のプログラムに宿っているものは


どんなに自分が避けても避けても


受け入れるまで出会い


その道に進むよう


働きかけられ


逆に運命にないものは


どんなに素晴らしい資質や努力を重ねても


受け取れないものも


あるんじゃないかなって思うの


そのように表現すると


なんだか少し悲観的なように


伝わってしまうかもしれないけれど


そうではなく


自分が自分でいる意味を


発見する事が


多くの方の現世の使命の一つだと思うの


自分の人生には


目的があり


出来事はすべて


その目的達成のために


起こっていることに気づく
事が


大切だと感じているの


光り輝く


誰もが称賛する場所に立つ方を


多くの方はあこがれ


そんな自分を思い描き


そのたびに遠い夢のように感じ


輝く方と自分を比べ


落胆される方もいるかもしれないけれど


その事が本当に


自分にとって幸せをもたらすものかは


体験しなければわからない事で


逆に見つめると


体験する前から


ある意味で人生を無駄にせずにいられる


今が幸せということもあると思うの


私の友人の友人に声楽家の方がいて


声楽というのは


声が大きな宝物なので


私たちが当たり前にしている


おしゃべるなどにも


のどの負担がかかってしまうこともあって


おうちにいる時には筆談で


お食事も刺激物などになるものは


食さず過ごされているのを聞いて


月に数回のスポットライトの中で輝き


過ごすためだけに


大きな努力と犠牲を


重ねているのを知って


私ならばちょっと・・・と思ってしまうけれど


その方の人生の中には


声楽というプログラムが宿っているので


犠牲と努力を重ねても


大きな幸せとモチベーションを保つ


機能が働いているんじゃないかなって


感じていたの


私が出会うご縁の中には


不思議と音霊を持つ方が多く


仕事や趣味などで


音楽と共に過ごされている方も多く


中には耳のために日頃


耳栓をして過ごし


大事な時には


小さな音まで拾えるように


努力されている方もいたり・・・


人はだれでも


努力を重ねる事で


ある程度の場所までは辿りつけるけれど


人生のプログラムにないものに対しては


越えられない壁が現れ


その事柄からの学びは終わり


次の道が用意されているものだと思うの


だから何か努力を重ねても


形にならない時


自分を責めるのは


本当は違うんじゃないかなって


感じているの


あるラインからは


運命という神々が


私たちの中に宿した


プログラムがあるので


同じようにスタートしても


同じ結果にはならないものなのは


逆にに当たり前なんじゃ


ないかなって感じているの







人は何か


今よりも上昇してゆくと


急に今まで保たれていた


平和な状態から


アップ・ダウンの激しい


出来事や心の体験を


する事があって


そうなるとその瞬間だけで


判断すると


何かよくないような


感覚になったりしてしまうkとがあると思うの


たとえば飛行機が


低空飛行し前が見えている状態から


上昇しようとすると


どうしても大きな雲を通り抜けて


雲の上にある


晴れ渡る場所に辿りつくまでは


驚くくらいに


アップ・ダウンが


あると思うの


その時二つの判断が用意されていて


安全そうな低空飛行に戻る場合と


もう少しで晴れ渡る場所にたどり着くまで


信じて上昇する


どちらかだと思うの


低空飛行は安全そうだけれど


鳥や他の飛行機


建物にいつも出会うという


可能性があって


本当は心地の良い飛行にはならないと思うの


その事にとっても似ているのは


人間が新たな考えや


行動をしようとした時から


無意識に離陸が始まっていると思うの


そしてすぐに大きな雲の乱気流に


出会う方もいて


「私には向いていないのかな?」とか


良い行いであっても


こうする事で


余る良くない事が起こるととらえ


止められてしまう方など


様々な形で


選択する機会が訪れると思うの


とっても不思議なもので


良い行いや考えほど


妨害されるという事があると思うの


それは物理的にというよりは


今まで低い場所にいた自分が


上昇した場所に


心身がフィットするまでは


あまり心地よく感じられないこともあると思うの


話は少し違うのだけれど


お掃除があまり好きではない方でも


ある時スイッチが働いて


急にお掃除がしたくなり


しようと思っていなかった場所まで


きれいにお掃除した体験があるとは思うのだけれど


それはこれから神聖なものが


家に来る前に無意識に自分が


受け取り


場所を整えている行動らしく


それとは真逆に


お掃除しようと決心しているのに


なかなか動けないまま


お掃除しないこともあると思うのだけれど


それはお掃除を邪魔するものの存在のせいらしの


その様な事を本で読み


人生も同じで


良い事・自分を向上させてくれるものに


意識が注がれてゆく事を


望む存在と


望まない存在がいて


どちらを選択するかで


方向性が変わってくるんじゃ


ないかなって感じているの


私が精神世界に出会い


その様な知恵を受け取れば受け取るほど


今まで当たり前にあったものとの


調和が難しくなり

やがては人間関係にも

新たな風が入ってきた時

「なんか何もせず

何も知らなかった方が


幸せなんじゃないかなって」って


思う事が何度もあって


離陸するとすぐに乱気流に出会い


またすぐに着陸を繰り返していた事が


あったのだけれど


私自身の魂の瞳が今まで


自分以外の周りの人や物に


向けられ


ちゃんと自分を見つめられていなかった事に


気づいてからは


何度もアップダウンがあっても


「そろそろ変化が来るかな」って


予測ができるようになって


どのように上を向いて羽ばたいてゆけばよいのか


何となくではあるけれど


わかるようになってきたの


そして乱気流を抜けたならば


晴れ渡る安定した場所にたどり着き


次の上昇までは


その場所で


今まで身に付けた知恵を生かしながら


楽しむだけでいいんじゃ


ないかなって


感じているの








人には


自分の思いをすぐに悟られてしまうタイプと


逆に


人の心を悟ってしまうタイプがあると思うの


どちらも初めは


勘違いかなって思うけれど


よーく自分と


自分の周りを観察していると


どちらに強い能力があるかが


わかるんじゃ


ないかなって感じているの


たとえばあまり良くない事をした時に


すぐにばれてしまったりする方は


悟られてしまうタイプで


どんなに大勢の人の中にいても


孤独を感じる事が多い方は


人の心を悟ってしまうタイプだと思うの


私が感じている感覚なのだけれど


最近


人の心を悟る方が多く存在していて


その事で


人との距離が今まで以上に必要と


されている方も多いと思うの


ただその事に気づかれていない方も多く


自分の事を内気だとか


人見知りだと


自分も周りも勘違いしている場合もあると思うの


人間が年々進化が倍速になってきていて


進化が進んでくると


ごく一部でしか感じなかった


以心伝心も進み


自分の心が悟られたり


相手の心を悟ったりという現象も


多くなってくると思うの


今は無意識の中で進んでいる事なのだけれど


その部分に意識を向けてみると


もっとその部分が開花されてゆくので


まずはどちらの能力を


自分が秘めているのかを


気づく事が大切なんじゃ


ないかなって感じているの


2012年までの間


今までよりも速い速度で


物事が処理され


新たな時代を迎えるために


今の時代は


今まで人類が体験していないほど


様々な出来事が


訪れ


その多くはネガティブなものが多いのだけれど


人間を早いスピードで


進化させるには


あえて近道となる安定していない道を


歩む事を与えられたのだと感じているの


もう進化した人間には


不必要になっている物質や


思考・環境etc


様々なものを半強制的に


手放さなければならない方もいれば


まだゆっくりと


自分で手放すものを選択できている方も


いると思うのだけれど


ある意味で人間の理想としている姿の


軽く輝くライトボディに


導かれているんじゃないかなって


感じているの


私の周りでも


特に精神世界的な考えをおたれない方であっても


その様な減少が広がっていて


特に経済的に問題はないけれど


たまたま自分が引っ越したい場所に


引っ越せないネックとなっているのが


駐車場の価格の高さだと感じた友人は


車を手放し


自分があこがれる場所で今暮らし


自分が思っていた以上に


車がない軽さを心と経済で


感じていたり


事務仕事を続けてきた知り合いは


今まで温めていた


小さな夢を40歳を機に


始めたいと思い


今までの仕事を手放し


若いころに購入した中古のマンションを


手放し


小さな中古の平屋建てのおうちを購入し


動き出していたり・・・


ここ数年デトックスという


言葉をよく耳にするようになってきたけれど


すべて繋がっていて


私たちは肉体的にも


精神的にも物質的にも


得る事を


人類は長い間行い


満たされる感覚の体験の中で過ごし


その後得たものを


その時々整理整頓し


必要なものとそうではないものを


選択しなければならない時を


与えられてはいたとは思うのだけれど


人間の中に秘めた怖れから


生み出される欲は


溢れるほど得ても


どんどん吸収を重ね


重くなりすぎてきた人類は


今度は手放す時代を


迎えているのだと思うの


だた手放すといっても


あくまでも今の自分の感性にフィットしないものや


自分の夢の妨げとなっているものだったり・・・


そのようなものを


次に待つ方のために


循環させる時期なのかなって


感じているの


なので何かを失ったり


手放す意思がないものを


手放す体験をされている方は


その事に落胆するというよりは


これからもっと軽く自由に


動きやすくなった自分を


楽しむことが


大切なんじゃないかなって


感じているの










今日母と久しぶりに会い


話していた時に


母の仕事の介護の話なり


「人は年齢を重ねると丸くなるのは嘘!


年をとればとるほど


わがままになっていくから


益々人が離れて行くんだよね


でも本人は気づいていないものなんだよ


そんな人を見ながら


私も気をつけなきゃと


いつも思っている」と


母が表現していて


私も母と同じように


気をつけなければって


考えさせられたの


人は年齢を重ねてくると


自分という存在が望む事も


はっきりとわかってくるので


迷いもなく


その代わり


相手に合わせるという思考よりも


自分に合わせてもらおうという


考えが強くなるようなの


それでご本人は幸せかもしれないけれど


その方の幸せを持続するために


周りがどれだけ我慢しているのかは


わからないようなの


そして我慢に限界を感じられた


周りの方は


静かにいなくなり


気がつくと


大きな孤独に包まれ


その時にハッとさせられるそうなの


母は介護という職場で


人の最後の時を


何度も共にしてきたので


色々感じる事が


あるようなの


確かに年齢を重ねると


若いころよりも


色々な意味で時間が大切になるからなのか


まぁ~いいかって


柔軟に譲る心が


持てないこともあると思うの


よく年齢を重ねると


がんこになると表現されるけれど


それはきっと


多くの体験から


その方それぞれに得た知恵や知識


価値観が固まってくるからだと思うの


私の周りを見つめてみると


今子育て中の友達がいて


その友人は独身の頃と


結婚してからの価値観が


良い意味で変わり


さらに天使を宿してから


秘めているあらゆるこだわりが


溶かされたようで


良い意味で別人のように


幸せな日々を過ごしているの


その姿を見つめながら


こんな風に新たな風を心地よく迎え入れ


柔軟に生きている友人を


時々うらやましく感じているの


友人が独身の頃には


長く一緒にいる事が


とても難しいかなって思うほど


「これはこう!」という


彼女ならではの型があって


その型と違うものには


驚くほど攻撃で


周りも意見をあまり表現できないくらいだったのに


結婚されてから


何か人の事を思いやるような


言葉が多くなり


そして数年後天使が宿り


それからは


型を持たず


起きた出来事を柔軟に受け流し


頼りがいのある


素敵な妻・母となっていったの


本人はおおざっぱになったと


表現しているけれど


私にはそうではなく


愛受け入れられる


スペースが大きくなっただけだと


感じているの


私はまだまだ


小さなこだわりという


小さいけれど重い塊が


いくつもあって


これが年齢を重ねてゆく事で


一つになって


大きな岩のような塊にならないよう


今から


ひとつずつ


ゆっくりと柔軟に軽くなれるよう


溶かして行かなくっちゃって


感じていたの