2009年1月







あけまして・おめでとう!


今年もまた気がつくと


この言葉を伝える季節を迎え


年々時の流れに

戸惑っているの


年末には


日頃会う機会が少ない方と


会うことも多く


周りの変化や


自分の変化にも


改めて気づかされることもあるの


年末に久しぶりに会った友人が


両親と絶縁したとのことで


話を聞いて見ると


その友人には小学校に


入学する一人息子がいるのだけれど


友人の姉には3人の子供がいて


10年くらい前に学校へと入学の際に


様々なものを両親が


プレゼントしたようなのだけれど


今年友人の子供が入学する際には


金額が半分以下だったという事で


差別をされたと感じた友人は


両親との関係を


終わらせたらしいの


友人の気持ちもわかるのだけれど


10年前と今では


様々な状況も違うし


仕方がない気もしたり


でも友人にとっては


自分ではなく大切な子供に対することだったから


許せない気持ちが


溢れてしまったのかなって


理解できるような気もするし・・・


私自身友人に


きちんとした答えを手渡せないまま


時が過ぎていったの


そして年末


パートナーの実家へと足を運んだとき


パートナーの両親世代の方が


遊びに来ていて


話している内容が


30代を過ぎた子どこが4人いるのだけれど


一人の娘さん以外は


子供がいないようで


とても悩まれていたの


でも話を聞いていると


他のお子さんたちは自然体で


焦るわけでもなく過ごされているようで


その事が逆に問題に


感じているようだったの


その時直感的に


数日前に友人が話していた問題とは


真逆の悩みだと感じ


数日前に悩んでいた友人の話を


させていただいたの


そしていないからこその幸せと


いるからこその幸せがあって


自分がどちらかに


必ず当てはまるのだから


今の自分と違う方を幸せだと思ってしまったら


ずっと幸せは感じられないし


今の状況で良かった理由だけを


考えたらみんなが幸せになれると思うと


伝えさせていただいたの


そうしたらその方は


「そうね。いたらいたで悩みがあるなんて


考えもしなかったわ


そう考えたら幸せなのかもね」と


急に表情が晴れやかになったの


その方の世代は


みんなが同じでなければならないというような


教育を受けてきた世代なので


自分の気持ちの中では


子供には子供の人生があって


元気に幸せにいてくれたらいいと思っていても


周りからの言葉に


とても心傷つく世代なので


人から言われる前に


自分から表現していたんじゃないかなって


感じたの


人は時に


自分で自分を傷つける事があって


その中には


他者から言われることによって


深く傷つく前に


自分で痛みを緩和しようと


言葉にする事があると思うの


それは私自身の中にも数年前まではあって


ある方には「望んでいない」と表現したり


ある方には病の話ばかりして


そのような話をされないように


複線を自ら張り巡らせていたり・・・


でも静かにゆっくりと考えてみたら


どんな状況でも


人にいいわけしたり


説明をしたりしたりする必要は


本当はなくって


自分が納得できるように


ただ過ごしていたらいいんじゃないかなって


感じるようになったの


それからは自分から


わざわざ説明やいいわけをする事はなくなり


ありのままの自分の与えられた


人生を見つめ過ごせるようになったの


そしてありがたいことに


数年前では考えられないほど


それぞれの方が幸せを見つける能力が


高まってくれているおかげで


ないものを探し


表現することから


今ある幸せへと思いを向けられているので


優しくこのままの私を


受け入れていただいているの


今は目の前にリアルに存在している生活と


インターネットという


二つの世界を持っている方も多く


そこでは様々なことに悩みや迷いを持つ方が


メッセージを表現していているけれど


その方たちも


リアルに存在している生活の中では


笑顔で明るく


もしかしたら悩みや迷いがあるとは


考えられないような方もいたり・・・


人は瞬間的に見つめるだけでは


わからないけれど


大なり小なり


心揺れる思いと共に過ごしていると思うの


そして言葉として表現できる悩みや


出来事は


話している間から


すべては癒されているのだと思うの


本当に深い悲しみや償いの思いは


話せない・言葉と出来ないものなんじゃ


ないかなって思うの


私自身もたったひとつだけ


家族には言葉として


表現できないことがあったの


母の私への虐待


そして子供でその重い出来事を


一人で受けとめらることができいなかった私は


さらに弱い弟へ・・・


この悲しみの連鎖は


母と私の中でずっと


申し訳ない思いでいっぱいで


言葉にする事ができなかったの


家族みんながずっと


忘れたふりをしたりして


互いに思いやりから


話すことはしなかったの


でも私たちにとっては


それが正しい選択だと思っていたの


なぜならば言葉にすることで


家族みんなが償いの思いと


悲しみに包まれ


そして


何よりも変える事ができないことを


しっているから・・・


そしてその出来事を償う思いでも


両親や私自身も


できることをしあってきたのだから


それでよいと思うように


していたの


でもやはり時折自分を責める思いが


母にも私にもあって


母にとっては私が忘れたように過ごしている事を


感じ取り


私にとっては弟が


何もなかったように


私を慕ってくれると


もうしわけない思いでいっぱいになっていたの


でも戻らない時間に


思いを馳せるのではなく


これから出来ることで


償わせてもらい


その中で自分を癒すことが出来たら


それでよいんじゃないかなって


自分を許す気持ちが


時間と共にやっと生まれてきていたの


弟が長い間


結婚しないと表現したときにも


私のせいかも・・・って思ったり


子供を望まないのも


わたしのせいかも・・・って


心の中でとっても苦しかったの


でも時の流れと共に


弟が愛する人と巡り会い


子供が授かったときには


つい母の前で


「子供がほしかったって聞いて


嬉しかった


子供が生まれてよかった


ずっと私のせいだとおもっていたから・・・」って


号泣してしまったの


そうしたら


その私の顔を見つめて


母まで泣き出し


「あんたが悪いんじゃないんだよ


私がすべて悪かったんだから」と


表現し


その瞬間からお互いに


心がとかされていったの


そして母は具体的には説明はしなかったようなのだけれど


弟に「ねぇちゃんが


あんたの所に子供が生まれたことを


泣いて喜んでいたよ」って


伝えたようで


弟も逆に重かったものが溶かされたようで


冗談のように


「昔のねえちゃんには大変だったよ


まあ俺もそれでかなり鍛えられたけど」って


言葉に表現できるようになったの


その時から


お互いがそれぞれに


相手を許し


自分を許せる機会となったように


感じているの


私の場合はありがたいことに


直接の本人に償うことが出来たり


許してもらえたけれど


中には


過去の本当に辛く悲しい出来事に


自分を責めて過ごされている方で


直接の本人には償う機会がない場合も


あると思うの


その場合はすべては巡りめぐっているから


出会う誰かに


よくしてあげたり


優しく言葉をかけてあげたり


そんな風にすることでも


自分も癒され


そして過去への罪は


消されてゆくんじゃないかなって


感じてるの


そして言葉に出来ない過去の悲しみは


一人のときに


過去の自分に向けて声に出して


「あの時はあの時で


そうするしかなかったんだよね


私は私を許します」など


自分なりにアファメーションを


表現するだけでも


不思議と心が軽くなってゆくものだと思うの


今回私の絶対に言葉に出来なかった


過去を表現する機会を


与えてくれた


このスペースに来てくださる


すべての方に感謝・感謝






私の知り合いには


信じられないほど幸運な方がいて


いつもそのお方を見つめながら


教わること


気づかされる事が多いの


その方はこの世に誕生した時から


すべてが整い


ご本人に聞いても


特に悩んだり


悲しみに包まれたことが


ないそうなの


でも本来どんなに恵まれていても


不満を探す癖を持つ方は持つわけだから


やはり私が感じているのは


彼女自身が


幸運を招き寄せ


そしてその幸運を


受け取り生かしているから


幸せに過ごしているんじゃ


ないかなって感じているの


いつも感じているのは


常識的歩みの中でも


流されない強さが彼女にはあって


いつも周りのことだけに意識を注ぐ事なく


自分のとって心地の良い時間つくりが


とても上手なの


たとえば誰かが好ましくない


その場にいない方の


話題になった時


声はずませ人の批判などをされたとき


多くの方たちは


その場の空気をこわしてはいけない思いから


そうは思わなくっても


相槌を繰り返し


気がつくと同意しているような形となって


帰り道


なんとなくすっきりとしない思いを抱きながらも


そのような過ごし方をしたり


逆に正義感から


「それは違うよ!」などと


いない方をかばう思いで表現し


違う角度から


批判している方と同じエネルギーに包まれたり


する事もあるとは思うのだけれど


その方は


笑う場面ではない場所で


笑いながら


「へぇ~そうなんだ~」と


まるで聞いていないような


アクションを何度も繰り返し


話されている方が


良い意味で話す意欲を


持たない空気の切り返しを


いつもされるの


そして意見を求めても


深くコメントをする事なく


「わからない」とだけ


答えているの


そのような彼女に


好意を持たない方は


自然にご縁がなくなる事もあって


人間関係でのトラブルもないの


そしていつも感じているのは


いつ足を運んでも


驚くほど掃除がされていて


空気も澄んでいるの


よく最近は


スペースをクリアにする事の


大切さを伝えられているけれど


元々そのような事が備わっているようなの


私の友人には


お部屋を掃除したとたん


次々と様々な問題が運ばれてきたり


とてもショックな出来事が


届けられている友人がいたのだけれど


その時は


なぜ?ってこわくなって


掃除をすることをやめてしまおうと


思ったようなのだけれど


たまたま私にも似たようなシンクロがあって


あるブレスレットを


自分の目的にあわせて製作したのだけれど


そのブレスレットを身につけてから


次々に様々なことが


展開していって


追いつけない自分は不安になって


時々はずしたり


つけたりしていたの


そんなある日


上手に言葉として表現できないのだけれど


自分の意識であれこれ


整えようとがんばっていた事が


良い意味でむだとなるような


出来事が運ばれてきたの


自分の意思では


ここがベストと思いながらも


ふっともっとお家から近ければいいのになって


思っていたの


でも自分がベストと思う場所で


自分が思い描いたとおりに


進めようと


小さな努力を重ねていたのだけれど


なぜだか


物事がスムーズに運ばず


ちょっぴりイライラしていた日が


続いていたら


急にその場所で住所を確認し


「お近くの方が通いやすいですよね?


近くに探して見ますか?」と


伝えられ


その方が一生懸命に


探してくださり


結局私の心の中で望んでいたことが


奇跡的に整っていったの


人の歩みの中で


このことがよき事のために


起こっている事をわかっていても


その不確かな速いスピードに


つい不安を感じてしまうことがあるけれど


逆に考えてみると


今まで自分がベストだと思うものを


選択した結果で


もしも幸せを感じることが


できていないとしたならば


時には自分の考えだけではなく


外からの良き流れを


授かるアイテムや行いに


沿うことも


大切なんじゃないかなって


感じたの


私の場合は今も


やはり幸福への早回しとわかっていても


自分の意識とは別に進んでゆくことが


こわいので


水晶のブレスレットで


緩和しながら


目的にあわせたブレスレットを身につけているの


それでその事を友人に


伝え

友人もあきらめずに掃除を


毎日1ヶ月続け


生まれて始めて恋人が出来たの


私が感じていたのは


友人の場合


お掃除をすることで


自分の過去の様々な思いが


引き出されるものと共に


過去のこだわりも


手放すことが出来たから


新たな幸せが舞い込んできたんじゃ


ないかなって感じているの


よく好転反応という言葉があるけれど


人生に用意されている


好ましくない思いや


出来事は


大なり小なり誰にでもあって


人によっては


年齢を重ねることと同時に


解決してゆく力が備わり


その時々


問題を解決し

幸福に一歩・一歩近づいて

行く方もいれば


自分の意思とは別に


一気に解消してしまうよう


スピードアップするきっかけと共に


他の方よりも


大きな悲しみに包まれる事もあるんじゃ


ないかなって


感じているの


でも一気にクリアにされた方は


その後幸せを感じ


過ごせる時間が長いと思うの


幸せになる法則が


よく伝えられているけれど


長い時を越えても


語り継がれている


知恵の中には


きっと類友の法則が


すべての共通点なんじゃ


ないかなって


感じているの


この間ある友人が話してくれた


お話なのだけれど


疫病神や貧乏神は


拒絶すればするほど


困らせようと離れないそうで


どんな状況の中でも


笑顔で過ごし


現状を楽しんでいると


波動が合わず


向こうが共に過ごすことが


苦痛になって去ってゆくそうなの


そして心の中で感謝できなくても


魔よけの1つとして


「ありがとう」とか「ありがたい」という


言葉を一日何度も表現するだけで


魔が寄り付かない


バリアが出来ると


教えてくれたの


確かにすべてを波動で考えてみると


そうかもしれないなって


感じていたの


私自身も昨年もう新たな人生を


送ろうと決意し


手術を考えてから


大きな変化があったの


それまでは痛みがいくつになったならば


消えてくれるのだろうと


毎月漠然とした不安と恐怖に


包まれ過ごしてたのだけれど


手術を決意してからは


あと数ヶ月で


この痛みが消えてくれる喜びが広がり


手術の不安はほとんどなく


逆に痛みが訪れたときには


あと何回子宮の存在アピールの


痛みを体感できるかなって


愛しさが始めてあふれ出し


それまで子宮に対する知識などに


毎日意識をむけてきたことから


解放され


始めて


あとは健康になった自分がリアルに想像できていたの


そんな時に


病院で検査に足を運んだら


奇跡的に回復してきているようで


先生も驚き


手術をもう少し先に考えましょうと


伝えられ


この時精神世界で


伝えられている様々な知恵を


体験できた事実の1つとして


私の中に刻まれたの


完全に完治する事はないようなのだけれど


以前のような痛みや恐怖は


10分の1くらいにはなったの


よく精神世界の中では


意識を向けた事が何であれ


同じものを引き寄せると


伝えられているから


それまでの私は


不安を解消しようと


様々な知識に瞳を向けていたけれど


健康になた自分をリアルに


想像させてくれるものには


意識を向けていなかったと思うの


地球という星は


とても不思議で


人間が考えたように流れるときもあれば


想像をはるかに超えた


出来事や出会いなど


様々なものが


一人一人の人生の中に


織り込まれていて


今ではその不思議が


当たり前のようにインターネットという


テレパシーのようなもので


リアルタイムに


感じられると思うの


インターネットの中には銀河系の星の数ほど


様々なサイトが存在していて


一生繋がりあうことも


見つける事もできないサイトもあって


互いの意識や波動が


重ならなければ


通り過ぎてし合うものも多いと思うの


そう思うと


何度も私のサイトを


瞳に映し


何かを感じてくださる方が居てくれることは


私にとって


大きな生きる意味と


存在価値を与えてくれる


とてもありがたい


スペースになっているの


改めて自分が努力して生きてきたというよりは


みんなのおかげで


生かされていることを


実感しているの


いつも本当ありがとう







今年に入って


眠るたびに長編ドラマのように


連続的に夢を見ているの


パートナーにその事を話したならば


パートナーは眠ったとき


夢を見ることはほとんどないようで


「そんなに夢をいつも見ていたら


脳が休まらないんじゃない?」って


心配しているの


夢と現実のシンクロが


多く重なっていて


最近私の内側では


忙しい毎日なの


今までならば


この不思議な神秘に


ただ驚いていたり


感動していたのだけれど


今はなぜ?少し早く私が知る必要が


あったのだろうとか


特に意味がない場面の場合は


私が知ったからといって


何か変化があるわけではないのに・・・など


別の受け止め方をしているの


ただ小さなことだけれど


役立つこともあって


ちょうど友人と会う約束がある前の日に


夢で見た事が


またまた偶然のように話題になって


ほんの少し力になれたり・・・


上手に言葉で表現できないのだけれど


年々多くの方が


望む望まないに限らず


進化と後退を繰り返し


自分という存在を強化する時期を


迎えているから


今はある意味で


自分の持つ個性を


強く認識できる時期なんじゃ


ないかなって思うの


今の時代は全体的に良い意味で


後退していて


多くの方が人間として


大切なものは何かって


見つけようと


自分の心に問いかけたりしながら


今までの時代で重ねてきた


様々なものを


手放し


新たな価値観を


それぞれの方が


それぞれの形に


整えられているんじゃないかなって


感じているの


少し前の時代は


必要のない見栄や


必要以上に自分を大きく見せるために


意味のない努力を


重ねてきた方と感じていた方も


多くいたとは思うのだけれど


今の時代は


今の自分を見つめてもらい


これ以上でも


これ以下でもないことを


表現する喜びに満たされている方も


多くいて


ある意味で元々秘めていた


価値観を目覚めさせている方も


増えていると思うの


そしてそれぞれの方に宿る


個性も時代に流されることなく


花が咲き・・・


今まで忙しくお仕事をされていた方の中には


この時代の後退によって


与えられてた時間や自由


そして未来へを照らす光が


急に足元しか照らされず


不安を感じている方も居るかもしれないけれど


未来を照らす光は


本当は初めから


足元しか照らされてはいなく


遠くまで照らされていると


錯覚していただけで


その時々自分から溢れる力で


光を大きく放ち


足元から少し先を


自分で照らしていただけだと思うの


その事に気づかれた方たちは


発電ばかりしていても


遠くを照らすことはできないのだからと


逆の方向から見つめ


人生初めての充電という


体験を楽しまれている方も


いるんじゃないかなって


思うの


私の友人の中には


今まで走り続け


それなりに評価される仕事をし


歩んで


休みの日にも仕事に


関わっているような人だったのに


特に何かきっかけがあったわけではないのに


急に今まで自分がしてみたかったこと


行ってみたい場所へと足を運び


休日には多くの希望を


果たしているの


その事が不思議に映った私が


友人に尋ねてみると


「私はずっと仕事だけをしてきて


数年単位で


時々去年は何をしていたかなって


考えたりするんだけど


考えるたびに


何も思いでも喜びもなかったことに


気づいたの


そしていつも落ち着いたら


こうしようとか


こんなところに行きたいなって考えてばかりで


休日には疲れて寝てたりして・・・


目を覚ますと散らかり放題の部屋を見つめて・・・


もうそんな生き方を変えたいと思ったの」と


伝えてくれたの


今までの友人はきっと仕事だけしている自分に


特に疑問を持つ事もなく


無意識に人生の中心に仕事が位置していて


年齢を重ね


もっとも女性の場合は


人生に大きな変化がいくつも用意されていて


ふっと周りを見つめたとき


彼女は無意識に何かを感じたんじゃ


ないかなって


感じているの


そしてこの時代だからこそ


目覚めた元々秘めている価値観が


目覚めたんじゃないかなって


感じているの


この間友人が知っているホテルのスパへ


一緒に足を運んだのだけれど


そこはほんの少し高級なスペースで


様々なメニューも


通常よりも高価なのだけれど


年齢を重ねた女性が多く訪れていて


眺めの良い高層階の眺めの良い


リラクゼーションルームでは


ゆっくりとシャンパンやワインを飲みながら


毎日がんばる自分へのご褒美に


ここで過ごされているのかなって


思うような方がいっぱいいたの


ひとつ前の時代ならば


自分が幸せを感じるという価値観以上に


まずは


周りから見える幸せアピールに


経済を注ぎ


その部分が満たされて始めて


自分が本来感じる幸せに


経済を注がれていた方も


多くいたけれど


今は逆で自分自身が満たされる時間に


大切な経済を注ぎ


周りへのアピールに注ぐ経済は


その後になっていると思うの


なので今の時代は


昔ほどブランドなどに包まれていなくっても


幸せな笑顔で


自分だけの小さな幸せや楽しみを


もたれている方も多いと思うの


ただ私が表現しているのは


決して経済的豊かさがないほうが


よいということではなく


自分は本当は豊かなのに


その事に気づかず


豊かさを使い間違っている事で


豊かさを感じられていないとしたら


少しもったいないなって


感じているの


私自身

豊かさを感じられていない時期が


何年もあって


なぜかいつも困っていたの


でもその原因は


自分を満たす事よりも


周りから見える形のものに


経済を注いでいて


でもそのほとんどが


すぐに使用しなくなるような


ものだったりして・・・

初めは私はあきやすいのだと思っていたのだけれど


年々同じ体験を重ねてゆく中で


「私は自分が好きなものに経済を注いでいないから


豊かさを感じられないのでは?」って


ふっと感じ


それ以来ノーブランドであっても


自分が気に入ったものを今でもやっぱり好きで


使いっていたり


それまではビーズなどを用いたアクセサリーで


気に入ったものがなかったのだけれど


自分で製作できるようになってからは


今まで高価だからという理由だけで


眠ったままになっていた宝石たちを


手放し


ビーズアクセサリーを喜んで身につけていたり・・・


私の世代は若い頃日本がバブルといわれていた


時代に青春時代だった方も多く


私の周りでも


未だに価格や社会的価値を


すべての基準として


自分の心や感情よりも


大切にされている方もいるの


なので今の自分が受け取るものと


昔受け取ってきたものが違っていても


変われずに


今という時を楽しめず


過ごされている方も多いの


今の時代は


個人にスポットがあたっている時代だから


社会的価値も価格も


そのスペース・スペースで


大きく変動したりして


確かなものでは


なくなってきているんじゃないかなって


感じているの

今は個人の持つ


瞳には映らない何か説明のできない


個性に価値を感じたり


尊ぶ時代なんじゃないかなって


感じているの






この間


何気なく見つめた番組で


男性と女性の違いや


子孫を残すために


進化を遂げている中で


Yの染色体が500万年後には


絶滅すると唱える学者の話や


現代男性の精子の劣化で退化しているという


お話しを見て


ふっと動物の世界のことを


思い出していたの


数十年前にサケの中に


性別を変えて卵を身ごもり


産んだサケがいて


その時々


周りに必要な性別のサケがいなく


そのように進化したのではないかと


伝えられていたの


その番組でも


やはりおなじようない生き物がいるようで


紹介されていたの


中にはY染色体を持たずに


一匹で妊娠できる生き物までいたの


とても大きな神秘と進化に


知識がない私は


感動と共に次に訪れる


新たな繋がり方が


次の時代には訪れているんだろうなって


想像していたの


日本では血縁関係にこだわりを強く


もたれる方も多い事もあって


大切に迎え入れ


家族として過ごされる方たちが


海外のようには


スムーズではなく


想定できる問題が多い事もあって


血縁関係以外からの


家族を迎え入れずらいと思うの


互いにとってよくても


社会の中で成長しなければならない時期を


過ごす子供にとっては


周りの言葉や視線は


とても辛く


笑顔がない子供の顔を見つめ


どうする事もできない両親も


辛いと思うの


人間の縁というものは


家庭というスペースが一時的に卒業し


社会へと視野が広がってくると


人によっては血縁関係を超えた


絆や信頼を


体験させてくれる方もいたり


家族以上に深く理解し会える方と


巡り会うこともあると思うの


私はよく父と話すとき


父は必ず「血の繋がりが・・・」とう基準で


大切なものか


そうではないのかを


判断するところがあって


私といつも言い合いになってしまうの


そのたび父に


「私と父さんは血の繋がりがあるけど


始まりは血の繋がりのない


母さんから始まっているんだよ


今かわいい孫と出会えたのも


血の繋がらないお嫁さんの


おかげなんじゃないのかな」というと


無言になってしまうの(笑)


私のとって血の繋がりって


父とは違った認識で


DNAとして同じものをいただいたので


様々な場面で同じような選択をしやすかったり


同じようなものを好んだり


自分では気づかないものを


教えてくれる


様々な先を歩く大切な存在という


認識でしかないの


人間は環境などから感情


行動など様々な影響を受け


成長してゆくから


自分独自に進化している部分も多いと思うの


人間が進化として


遺伝子的に後退しているのも


きっと深い・深い意味が


込められているんじゃないかなって


感じているの







最近他の惑星の事が


急に気になっていて


空を見上げるたびに


もしかしたら向こうからも


地球を見上げている人間のような存在が


いるような気がしてならないの


10代の頃は毎日UFOを見ていて


わけもなくこわくなって


家族や友人に伝え


一緒に見ていたの


でもここ数年は出会う機会がなく


でも存在を漠然と感じるようになっているの


最近夢で見た


宇宙人は


テレビなどで紹介されるような


爬虫類的な姿ではなく


とても人間に近くって


まるで宗教画に描かれている


美しい天使のような姿なの


そして年齢も人間よりもスローで


寿命的なものは人間とは比べられず


それはまるで動物が数年で


何十歳も年を重ねるように


宇宙人には人間が映っているようだったの


そして私たち人間の進化を助けているようで


色々伝えてくれていたのだけれど


あまりに長い会話だったので


目覚めてから


すべてを思い出すことは出来なかったの


ただ印象的に覚えているのは


彼らの仲間が地球で暮らしているようで


人間の意識と意識の間で生まれる


エネルギーというか電気のようなものを使って


様々なものをキャッチし移動しているそうなの


あtだこのお話は


表現すると大丈夫?って心配されそうなので


パートナーにしか話していないの


その後も何度も夢で


色々なことを伝えてくれたのだけれど


覚えきれないの・・・


きっと全部覚えていられたならば


何か良い情報が聞けていたかもしれないのに・・・


でも夢だから


現実に出会い話したわけではないので


今のところ私の楽しい夢での


出来事なのだけれど・・・

これだけ宇宙には星があって


私たち自身も地球という星に暮らす


宇宙人なのだから


私たち以外にも


同じような存在がいたとしても


不思議ではないと思うの


そう思うと夜空を見上げながら


私と同じように今この瞬間


地球を見つめている存在がいたならば


素敵だなって思い


つい繋がるすべての人に幸せが届けられるように


祈ってしまったの(笑)


だってきっと地球よりもはるかに


進化した存在のような気がするから


ワンタッチでそうできてしまいそうだから・・・







今の時代は


ほんの少し時代の後退を


迎えている中で


経済的にも上昇するスピードが


ゆるやかだったり


ストップしている方も


多くいると思うの


それだけを見つめると


あまる好ましくないことのように


映るけれど


そのおかげで世界が

エゴだけでは歩めない事実を体験し


本来人間に必要な歩みへと


調整されているんじゃ


ないかなって感じているの


企業でもそれぞれが持つ誇れる個性で


今までは他者と競争してきた歩みから


それぞれの企業が単体では


前に進むことが難しい時代になったことで


それぞれが持つ誇れる個性を持ち寄り


更なる良いものを生み出していると思うの


大きな世界だけではなく


人間・個人として見つめてみても


今までならば無駄が豊かさだと


どこか思いこんでいたこともあって


たとえば


消費しきれないほどの食品を


リーズナブルだからという理由だけで


手にしていた方も多くいたと思うのだけれど


今の時代は


友達や家族・知り合いなどにおすそ分けしたり


一緒にひとつのものを分け合ったりして


互いにちょうど良い分量を


受け取る機会を


体験されている方も多くいると思うの


今の時代らしく


ひとつのものをシェアしあうビジネスも


多く生まれていて


そのたびに


今の時代は愛・支えあいが


すべてのキーワードとなっているのを


感じているの


私自身も最近は


いつも友人や知り合いを誘い合って


ショッピングに足を運ぶようになったの


友人が最近給料がダウンした事もあって


そのような機会が増えたの


友人や知り合いの多くは


一人暮らしなので


一緒に行くことで


欲しいものも分けて


程よい分量と価格で


多くのものを食せるとお互いに


喜んでくれているの


私自身も思ってもいなかったことだったのだけれど


そのような分け合うという事を


体験してゆくうちに


欲張りな私は


ほんの少し食べてみたいなって思うものでも


たくさんは・・・って思っているものでも


友人と分け合うならばと


気軽に楽しくおいしいものを


頂ける機会が増えたり


自分にとっての程よい分量がわかったり・・・


これはこれで素敵な時間だなって


感じているの


言葉で上手に表現できないのだけれど


人は何でも自分の意思だけで


どうにでも出来るときには


少しエゴが強くなってしまう事もあるけれど


どうしたらよいのかという


不安や迷いが広がっている


この時代は


その部分が良い意味で弱まり


弱い部分を受け入れ歩む知恵や


新たな愛の形を


見つけられる良い機会だと思うの


そして程よい分量以上に


持ちすぎたあらゆるものを


見つめ人生をもっと軽やかに


自由に過ごすために


開運方法として環境学の風水的お掃除が


流行しているのも


今に時代だからこそだと思うの


忘れていたものが


ふっと出てきて懐かしさはあっても


今必要か?使用するかというというと


やはり過去の自分が好きだったもので


それから心・魂・環境などの


成長や変化があって


その成長した今の自分にフィットするものが必要だからと


思い切って手放される方も


いると思うの


その意味の大切さが


今の時代は知っている方も多く


自分から進んで人生のスペース作りが


できるようになってきていると思うの


言葉で上手に表現できないのだけれど


ひとつ前の時代ならば


知識的なものがあまり広がっていなかったこともあって


様々なものへの執着から


手放す時期が来ていても


執着し


結果的に半強制的に


手放さなければならない状況が訪れ


その後新たなものが入れるスペースができ


そのスペースに幸福が収まっていたと思うの


でも今は多くの方が初めから


自ら嵐を呼ぶ事なく


上手に人生の整理整頓を


行っているように感じているの


その時代・時代には


必ず前向きな意味合いの気づきが


用意されていると思うの


その気づきがこれから人生を


心からより豊かに導いてくれるんじゃ


ないかなって


とても感じているの






今日はお願いしていた


パワーストーンが届いたの


流通している水晶の多くは


漂白されそして研磨し


美しく整えられたものや球体の多くは


水晶を溶かし形としたものが多く


その後多くの方の手に触れ


届けられるので


届いたときにはとても疲労しているというか


吐息しか感じないような状態の事が多く


いつも私のおうちに着いた後すぐに


ミネラルウォーターの中につけておき


旅の途中で吸収した


自然にはないあらゆるものが


浄化させてあげているの


数日お水を取り替え


水晶とのコンタクトをしながら


もういいいかなって思ったら


今度は大きな水晶のクラスターの上で


パワー充電をまた数日して


それからエネルギーが整ってから


アクセサリー製作をさせてもらっているの


なので言葉では説明の出来ない


感覚だけでも


感じてくださる方も多くいてくださり


とっても嬉しいの


私にとってはこのスタイルが


ひとつの儀式のようなものなの


私はすべてのおいて


何かと自分が納得するまで


実験的なことをする部分があって


以前届いたものをそのまま


使いアクセサリーを作ったものと


様々な儀式的なことをしたアクセサリーとでは


エネルギーがとても違っていて


その時まるでパワーストーンが


心臓が止まった状態から


息を吹き返したような


感覚を感じたの


私自身パワーストーンだけではなく


色々なことに自分なりに確信を深めるために


データーを作っていて


最終的に私なりのデーターが重なる部分があった所を


大切にしているので


多くの方が語られているデーターとは


違っている事も多いの


たとえばローズクォ-ツなどは


広く恋愛に効果がある石として


伝えられているけれど


私がふれてきたローズクォ-ツの多くは


過去に傷ついた心を


修復してくれたりするのに力となってくれる石で


その後時間と共に


自らの力で愛を心に満たしてくれるような効果が


いくつもあって


それから私は恋愛というピンポイントだけでは


見つめなくなったの


他の石も同じで


たとえ同じ石でも微量に溶け合った別の鉱石によっても


効果が違っていて


何年石とふれあっていても


まるで初めて出会う感覚が広がり


とても楽しく幸せなの

数年前まではパワーストーンも


世界中に豊富にあった事もあって


リーズナブルにグレードの良いものを


多くの方が手にできたけれど


今は少しずつ


パワーストーンを溶かし形としたものや


着色などで純度が低くなったものが


多くなってきていて


瞳に映すだけではなかなか


見分けがつかない事も多いの


ただ純度が低いものならば


エネルギーがあまりないので


石が変化したりする事もないので


割れてし合ったり


色の変化があまりないので


おしゃれだけを目的としている方には


適しているんじゃないかなって思うの


でも神秘的エネルギーなどを


大切にされる方は


自然に近い石を選択されるほうがよいと思うの


自然に近い石は呼吸をしているので


身につけている方の小さな心の変化や


日常の中で届けられる


様々なものに反応してくれるので


自分とのコンタクトが時には心強かったり


無言のエールを感じたりして


楽しいと思うの


少しお話は違うけれど


動物の方が人間には感じない


エネルギーを感じられるかなって思って


うちのみゃーと鳴く娘のみゅ~の前に


様々な石を並べると


大好きなのはいつも水晶らしく


遊びだしてしまうの(笑)


その逆に飛び上がって驚くのは


隕石で


そのたびにやはり何か感じているのかなって


みゅ~にも


私のデーター作りに協力してもらっているの(笑)


その姿を見た友人やパートナーは


私の探求心に


「さーちゃんって自分が確信を持てないと


だめなんだね


でもそういう姿を見ているから


さーちゃんがいいよって薦めるものは


何でもいいような気がして


いつも


ついいらないものまで買って食べちゃったり・・・(笑)」と


みんなで笑っていたの


でも私のデーターや感覚が


他の方にとって絶対的なものではないので


あくまでも


私の感覚的確信なの


このような自分の感覚を


大切にするようになったきっかけは


きっと私の幼い頃にあったと思うの


それは何か父が薦めた事があって


行ったら


それが失敗に終わった事があって


「父さんがいいっていったから


やったのに・・・」と伝えたら


父に「誰かに薦められたとしても


やろうと決めたのは自分だろう


自分で判断したことは


誰のせいでもないんだから・・・」というようなことを


言われて


それから人のせいにしないよう


自分が納得して


すべての選択をするようになったように記憶しているの


それからは自分で判断して


たとえ失敗しても


その時の自分が良いと思ったのだからと


誰かのせいにして


問題を長く秘めることは


少なくなったの


でもそれが時々周りとの調和に


問題を生む事もあったり・・・(笑)


きっとそのような行動は


我が強く映ってしまうこともあったり・・・(笑)


でもある意味で我とは


その人の持つ個性が


強く現れた状態で


心の中では誰でも


個性として自分を持っていると思うの


もしそうでなければ


みんなが同じ方向を見つめ


みんなが同じ色を好み


逆に不思議な世界になってしまうと思うの


無意識だとは思うのだけれど


逆にすべての人が本当は


個性的だからみんな平均に近づこうと


努力を重ねていて


それがストレスの原因になっているなのだと思うの


平均とははあらゆる世界が


人を統一し導きやすくするために


提示しているだけで


事実かどうかはまた別なんじゃ


ないかなって感じているの


本当は誰もが素晴らしい個性を持っていて


長く過ごし心許して話してみると


とてもおもしろい人だったり


好奇心旺盛で個性的間隔を持っているけれど


否定や非難を恐れて


平均的なお話・考えを


表現されているだけだと思うの


私の周りでもとてもまじめで


非の打ち所がない


逆に表現すると


次に言葉とされることがすべて


わかるようなテキストどおりの方がいるのだけれど


その方と知り合って数年たち


たまたまその日は長い時間一緒にいたの


そうしたら少しずつ


彼女のおもしろさというか


素敵な個性が少しずつ溢れてきたの


その前に私が身につけているアクセサリ-について


尋ねられたので


ついちょっぴり精神世界的なお話をしてから


彼女が真顔で


急に


「私かっぱとか宇宙人っていると思っているの」と


表現し


その後永遠と情熱的に


そのことについて読んだ本などのお話をしてくれたの


私は嬉しさと同時に


彼女がそのようなことに興味が深くあったことに


驚いたの


彼女はその事を誰にも言わず


ただ自分の中で研究し


「話せる人がいなかったから・・・」と


その時嬉しそうに話していたの


そしてそのよう話を聞いても


驚かない私に


驚いていたの


その時本当は誰もがそれぞれに


本当は否定されるであろうと思っている事が


個性の輝きとして


人の縁を深めてくれたり


逆に寂しい関係を


心・魂が遠ざけるバリアにもなってくれるんじゃ


ないかなって感じていたの


私はそれ以来


彼女の事が大好きになり


いつも少女のように純真な瞳で


話してくれる彼女を見つめていると


年齢を重ね


心に年齢相応というあらゆるものを重ねてきた


彼女が解放されていて


私まで少女に戻してくれる


素敵な時間になっているの







私の友人の中には


今でも幼い頃の環境に対して


うらみに近い感情を持っている方が


数人いるの


その多くは経済的事情で


豊かな時間を過ごせず


幼いながらも


小さな我慢を重ね


あまりよい記憶がないようなの


でもその数人の友人は


私なんかと違い


計画をしっかりと立てて


その事を実行にうつす


意志力がとても強く


いつも尊敬しているの


友人たちを見つめていると


本人たちにとっては


好ましくない環境ではあったかもしれないけれど


そばで見つめる私としては


こんなに素晴らしい人間に成長したのは


その環境のおかげでも


あるんじゃないかなって


感じているの


私自身も理想としていた両親とは


違っていたけれど


逆に何でも甘えられ叶えてくれる両親だったならば


私の場合は


本来きっと甘えられる人がいたら


何でも甘えてしまう部分を感じるから


今のような私にはなっていなかったんじゃ


ないかなって感じているの


そのたびに両親を選んで


この世に誕生してくると伝えられることが


信じられるの


私の友人たちの中には


友人をこの世に産みだしでから


自ら天国へと旅立った母親を持つ


友人もいるけれど


人間には計り知れない


何か意味や教えなどが


そこには秘められているような気がしているの


友人はいつも


「自分さえ生まれてこなければ・・・」という思いがあって


自分を」必要以上に自分を責めたり


過小評価しているけれど


私は友人の母親に


とても感謝しているの


今こうして私が生きている1つの理由が


友人の存在でもあるから・・・


無意識に人は


自分が学べる場所


成長できる場所を


ちゃんと選んでこの世に誕生しているんじゃ


ないかなって感じているの


届けられた出来事だけを


ストレートに見つめたならば


問題となることも多くあるけれど


その中で何かを見つけられると


自分も神々も信じたから


今の環境があるんじゃないかなって


感じているの









ここ2日間の間


とても不思議でちょっぴり


こわい出来事があったの


数日前から玄関のドアを


何度も何度もノックする音が聞こえて


外を見ても誰もいなくって


どうしてかなって考え


風か何かがいたずらしているのかなって


納得しようと思っていたのだけれど


まるでリズムというか


私に何か伝えているような


少し不思議なリズムだったの


そして節分を向かえ


その日友人が遊びに来ていて


その日もノックが何度もあって


友人が「誰かきているんじゃない?


何でチャイムを鳴らさないんだろうね


でないの?」と


友人にも不思議に感じたようなの


それで私は数日間のことを伝えると


「え!!こわ~い


そういえば今日節分だよね


何か来ているのかな


もしも幸運の女神が来ていて


入れなかったら・・・」といってくれて


急いで二人で節分セットを購入して


幼い頃のように


交互に鬼のお面をつけて


豆まきをしたの


めずらしく節分を忘れていた私は


何かスッキリした気持ちになったの


そうしたら本当に不思議と


ノックがなくなったの


よく意味はわからないけれど


日本の風習を


重んじる神道とご縁のある私は


自分が意識するしないに関わらず


行うタイミングを


教えてくれているのかなって


感じていたの


最近時代の後退を迎えていると


伝えさせていただきましたが


その流れに沿うように


私自身も前に進む歩みから


過去に得てきた輝く知恵を思い出す


きっかけとなる


出来事が届けられているの


ある本が懐かしくなって


ふっと軽い気持ちで読んでみると


言葉では上手に表現できないのだけれど


この本に書かれたことをすべて理解し


わかったつもりでいたのだけれど


それは過去の私で


今の私が読むと逆に


波動が低下している部分や


ピュアに疑う事無く受け取る気持ちが


少し消えていることを感じたり・・・


瞳に映る人間の成長は


ずっと進んでいるけれど


内に秘めている思いや


価値観は過去の方が


成長し進化している事も


あるんだなって感じていたの


恥ずかしいのだけれど


昔の私は


引き寄せというものを


何の根拠がなくっても信頼し


精神世界の知恵を学び


実践してゆくことが


私のライフスタイルのすべてだったのだけれど


いつの頃からか


世の中で流れる言葉が


自分の中に何度も入ってきているうちに


無意識に


誰もが納得する形の


努力や計画などがすべての先にあって


ベストなタイミングを


待つゆとりや楽しみを


忘れていたように感じているの


そんな私に今様々なことを


伝えようと最近


小さなハプニングが


届けられていると思うの


たとえばとてもイライラして


わけもなくパートナーにそのストレスを


ぶつけ


もちろんそうすることで


解消されるよりも


逆に益々自分の中で自分の事を


好きになれず


イライラ+自分を責める気持ちが加わって


過ごしていると


決まって


何度もお断りしている


勧誘的な電話がかかってくるの


そしてその電話を受け取るたびに


私は


「前も伝えたはずなのですが


もう電話をしてこないでもらえますか?


何度伝えたらわかってもらえるの!」って


伝え電話を切ってから


ふっとそのたびに


この言葉は私自身に必要な


言葉なんじゃないかなって


ふっと


感じるの


最近ではイライラしたりすると


あ!もしかしたらまた電話が・・・と思っていると


やっぱり電話が(笑)


そんな風に気づいてみると


自分の周りに届けられる出来事が


自分にの状態に


気づかせてくれるために


届けられている事が多いことを感じ


ユーモアを持ちながら


自分に対する


預言者になれるの(笑)


そして他にもお家のあるスペースを


お掃除すると必ず


友人から楽しいニュースが届けられることに


気づいた私は


友人と楽しい時間を過ごしたいなって


思うときには


そのスペースをお掃除するの


そうすると数時間後に


電話がきたり


友人からお届け物が届いたりして


幸せな気持ちに包まれるの


運って字のごとく


運ぶ・運ばれてくるものだから


自分ひとりで学ぶだけではなく


何か瞳には映らない


神聖なものたちと共に


連携しあって


それぞれが人生を豊かに


成長させているんじゃ


ないかなって感じていたの









ジャック・キャンフィールドの言葉の中に


いつもしていることをし続けていれば


いつも得ているものしか


手に入らないという言葉があって


そういわれてみると


そうだなって思う言葉なのだけれど


言葉として瞳に映してみると


納得する気持ちと同時に


私たち人間は


なかなか慣れ親しんだ習慣から


違う方向へは歩みを進められない


恐れとそこに伴う労力や


失うものへの予測をを持っていて


つい自分が作った習慣という


スペースから


新たなことへと歩みを進められないことも


多いと思うの


でも人生を大きなパーツとして


見つめてしまうから


変化へと歩めないけれど


もっとミクロにパーツわけして見つめてみると


大きな恐れも不安もなく


変えられる行動もあるんじゃないかなって


感じているの


たとえばつい無意識に


近いからという理由だけで


生活用品をいつもの場所で購入することから


ほんの少し足を伸ばしてみたり・・・


とても小さなことだけれど


その小さな変化を自分で作ってあげることで


何かが自然に今までとは違った


流れを作り出してくれるように思うの


何よりも


新たなことは人間にとってとても大切な脳を


活性化してくれるので


自分が予測している以上に


次へと続く道が見えてきたり


自分を喜ばせてあげられることを


見つけられたり・・・


私たち人間は


変化というとまるで革命のように


大きくとらえてしまい


あれこれと考えて準備をしている間に


人生の多くを過ごしてしまうけれど


本当は本の小さな糸口から


すべてが変わって行くものだと思うから


その一歩は小さなものでも


効果的だと思うの


今年は今までの自分とは違ったことをする事が


幸運の鍵だという事を


知り合いの風水の先生から教えていただいたので


私自身もまたひとつ新たなことを


自分のライフスタイルに加えて生きたいなって


思っているの


そして私たちが年齢を重ね


後悔するのは


行動して失敗したことよりも


やらずにいた事に後悔をすると


伝えられているから


そのようなテキストとなる言葉を


自分で経験する事なく


教えていただけるのは


今の時代に生まれて本当に


幸運だなって感じているの


以前何かの番組で


何十年も料理人として活躍し


その何十年もの経験の中で編み出した


レシピを使って


料理経験があまりない方が作ったものと


食べ比べをするのだけれど


ほとんどわからないほど


おいしかったようなの


それは何十年もの経験から編み出した


おいしく作るレシピがあったからだと思うの


それは他の分野でも同じで


今の時代は様々な分野で


様々な経験を重ね生み出された


レシピが用意されていると思うの


なのでスピーディーな流れの今の時代には


自分に必要なレシピを受け取り


歩みの中で


自分らしい経験やカラーを


加え


自分の人生を創造することも


とてもいいんじゃないかなって


感じているの


そして今特に不満がなかったとしても


心満たすことが出来ていないのならば


今までの行動では開けないドアが


あるのかもって思うので


小さな時間の中に


小さな変化を作ってみるのも


いいと思うの