2008年6月




ここ数ヶ月


驚くほどのシンクロを


受け取っているの


偶然のように出会った方が


前の日


私が友人から薦められていた本や


映画のお話をされたり


数日前に


ふっと瞳に映したものが


気になっていたところに


その事が書かれた


ダイレクトメールが届いたり・・・


今数え切れないほどの


シンクロと引き寄せを体験しているの


人にはバイオリズムや


気づきの能力が


冴え渡っている時に


その神秘を感じるものだと思うの


心穏やかに


届けられてくる


何気ない出来事を


心の瞳で見つめられる


ゆとりが整っていたならば


誰でも毎日のように


受け取れる体験なんじゃないかなって


感じているの


現実というベースで


語られ伝えられる


あらゆる恐れに包まれている時には


どんなに奇跡的な事でも


ただの偶然として


受け止めてしまうけれど


聖なるものたちは


あらゆる形とタイミングで


私たちに


気づきを運んできているんじゃないかなって


感じているの


何気なく見つめていたテレビだったり


誰かが語っていた言葉だったり


初めは何気ない


時の流れのひとコマだけれど


もう少し先へ進むと


それは何かの


ファーストアクションだった事を


感じられる方も多いと思うの


聖なるものたちは


肉体を持たないこともあって


人間のように


ストレートに手を差し伸べたりは


できないけれど


あらゆる空間・時間を


超越して


導きとなる


ヒントや答えなど


何度も何度も


届けてくれていると思うの


私たち人間は


つい安心・安定を


求めてしまう事から


逆に焦りや混乱に包まれて


自分だけで早くに


答えを形にしようと


サイズの合わない答えを


無理に生み出してしまう事があると思うの


でもほんの少し


心にスペースを作ることが


できたならば


聖なるものたちが


日々自分に届けてくれている


導きを見つける事に


心の瞳を向けるといいと思うの


そうすると


自分の想像を超えた答えであったり


ベストな方法が受け取れると思うの


このような流れって


一瞬特別なことのように


感じてしまうけれど


毎日の中で


流れていたものを


ひとつひとつ


意識してゆくだけで


ただの偶然なのか


それとも聖なるものたちからの


贈り物なのかが


わかってくるんじゃないかなって思うの


私たちは世界中に


存在している人や


世界中に溢れている情報etc


すべてに


ふれることができない分


必要なものだけを受け取り


心で何かを感じて


過ごしていると思うの


好ましくない人やもの出来事からも・・・


必ず意味があって


瞳に映していると思うの


たとえば自分と


ペースの合わない人と出会い


初めて自分が


せっかちだと気づいたり


逆にのんきだなって気づいたり・・・


社会の好ましくないニュースや情報を


見つめながら


意見の合わない友人や家族と


会話を交わしながら


改めて自分が考えている思想に


気づいたり


逆に日頃は会話が合わないのに


好ましくないニュースを見つめ


互いに優しい心を


表現しあう機会になっていたり・・・


すべての人は


その方の人生に登場し


人生の大切な時間を


ほんの少しクロスしあう


意味のある存在なのだと思うの


そう思うと


そしてそれぞれの方が


自分の瞳で


すべてを見つめる主人公として


人生を創造しているんじゃないかなって


感じているの
















この地球上に暮らす方の中には


ほんの少し歩んだだけの


人生の途中で


自分の可能性や力を


決め付けてしまい


未来に光を注げずに


過ごされている方も


いるんじゃないかなって感じているの


人間の脳は


使われていない部分の方が


使っているスペースよりも


多いと伝えられているように


まだまだ


自分でも知らない


自分の可能性や力を


いっぱい秘めていると思うの


「できないこと」に出会った時


人それぞれに


答えも違っていて


人によっては誰かと比べ


「両親がバックアップしてくれたら・・・」と


思ったり


「これはする必要のないこと」と


割り切られる方


そして


「これは私に与えられた


ステップアップのための問題集だから


これをクリアにした後には


きっとよい流れが待っている」と


困難を克服することを


楽しまれる方もいると思うの


どのような答えでも


その方が一番しっくりと


腑に落ちる形のものが


自分にフィットした答えになるんじゃ


ないかなって思うの


初めの答えの


「両親がバックアップしてくれたら・・・」と


思われる方は


きっと今まで


がんばりすぎてきたから


何かに寄りかかり


休息したい思いから


生み出してしまう答えだと思うの


そのような答えを出される方は


他の問題が


届けられたときにも


「もっと勉強してよい会社に


就職をしておけば・・・」と思ったりして


自分の人生すべてを


責めてしまうこともあると思うの


なので心身の休息を

ほんの少しでも作られると


いんじゃないかなって感じているの


休息といっても


何もしないという形ばかりではなく


計算すべてから解放されて


理由はないけれど


ただ・ただ好きなことをする時間を


過ごすことでも


逆に休息となることもあると思うの


疲労の多くは


「やりたいこと」よりも


「しなければならないこと」を


多くこなしていて


蓄積されるものが多いから・・・


そして


「これはする必要のないこと」と


割り切られる方は


とても堅実で


自分のサイズよりも


はるかに余裕のあるものだけを


受け取り


大きな困難もなく


歩んでこられたかもしれないけれど


心の深い部分で


自分を過小評価され


本当はもっと可能性も力もあるのに


その事に気づかずに


穏やかな毎日が


とても退屈で窮屈だと


日々


感じられることも


多いんじゃないかなって感じているの

そのような答えを


出され過ごしている方は


本当は自分が思っているよりも


余力を秘めていると思うので


年に一度でも良いから


ほんの少し


背伸びをしなければ


届かないかなって思うことを


受け取ってゆかれるといいと思うの


その小さな無理と思うことが


実現できるたびに


まるで車のエンジンを


チェンジするように


スピードを上げて


できないことよりも


できることがこんなにも多いんだって


人生が


自分の思っていた以上に


輝いてくるんじゃないかなって思うの


そして


「これは私に与えられた


ステップアップのための問題集だから


これをクリアにした後には


きっとよい流れが待っている」と


困難を克服することを


楽しまれる方は


確信はないけれど


予知のように


未来に何かが待っていて


その時のために


今与えられた問題を


クリアにする必要を


無意識に感じていると思うの


そのことが原動力となって


次々と運ばれてくる


問題をほんの数時間


悩んだり考えたりするだけで


すぐに進まれていて


コンディションが


よい状態の方だと思うの


ただ時々


走りすぎてしまい


余力のバランスを


確認することを忘れてしまい


まるで急にガソリンがなくなった


車のように


止まってしまうこともあると思うの


そうすると


自分でもバランスが保てなくなって


また心身が満たされるまでの間


辛くなってしまうこともあるので


意識して走れるけれど


あえてゆっくりと過ごす時間を


作られるといいと思うの


答えは様々だけれど


たったひとつの問題でも


見つめる方向


その時の心身の状態などによっても


違うと思うの


人によっては


今日だした答えがベストだと


思っていても


明日になってみたら


また違う形の答えを生み出していたり・・・


人は多くのものからも


影響を受けているので


何がベストかは


その時の自分が感じたものを


受け取るしかないんじゃないかなって


感じているの


そしてもし少しでも


心にスペースがあったならば


生み出した答えの影に


隠されている


自分の心のささやきに


そっと耳を傾けてみるといいと思うの


誰でも疲れた時には


前向きで明るい性格の方でも


いつもの自分らしくない


答えを導きだしてしまうものだし


そして


多くの方は


本来の力をだしきる前に


無意識に深い部分で


「こんな素晴らしい人生が


送れるはずがない・・・」という


前提で無難な答えを


選択しやすいから


本当に自分に秘めた


能力・個性には


気づきにくいものだと思うの


でも本当は


自分でもまだ気づいていない


能力が見つけてもらうのを


いつも待っているんじゃないかなって感じているの















私たちは


時々


素敵な方に出会うと


尊敬や感動


感謝が生まれてくるけれど


それは


多くの場合


自分の中で求めていたものを


与えてもらった感覚が


広がったときに


そう感じるからなんじゃないかなって


思うの


でも本当は


完璧な神様が


創造した人間の中には


不足したものはなくって


与えてもらった喜びではなく


自分の中に眠っているものを


目覚めさせてくれた


感動なんじゃないかなって感じているの


自分と最も長く


寄り添い過ごしていても


知らないことはいっぱいあって


何かのきっかけで共鳴し


内に秘めていたものが


目覚めるんじゃないかなって思うの


人とのご縁は


出会った時の波動によって


決め付けてしまったり


不調和によって


縁がなくなることもあるけれど


数年後に出会うと


上から見つめていた自分を


恥じるくらいに


相手の方が


素晴らしい人として


出会うこともあると思うの


それはきっと


秘めているものを


ひとつひとつ


目覚めさせてくれる機会と


受け入れる器を整え


過ごされてきたからなんじゃないかなって


思うの


人間はこの世での学びが


終わるまでは


どんなに年齢を重ねても


すべてを悟り


決め付けてしまうことは


できないんじゃないかなって思うの

よく恋人から夫婦・家族へと


変化してゆく中で


良い意味でも逆の意味でも


「変わった」と


表現することがあるけれど


それは変わったのではなく


元々秘めているものが


相手によって


外に溢れてきただけだと思うの


私の知り合いの中に


言葉では表現できないほど


ともに過ごすことが困難なほど


乱暴な性格で


そしてお仕事もせずに


いつも


奥さんに甘えて過ごしていて


周りも心配し


色々とアドバイスをしたりしていて


数年間


重ねた努力と忍耐に


自分で納得した奥さんは


その方と別れたの


そしてその後も


共通の友人がいた事もあって


互いにその後の歩みを


見つめる機会があったの


互いに素敵な方と巡り会い


結婚されたのだけれど


お互いに信じられないほど


幸せな生活を送っているようなの


そのお話を聞きながら


だめな人間って


本当はいないんだなって感じたの


逆にどんなに


素晴らしい出会いがあっても


その良い風を受け入れられる


スペースを


その時に持っていないければ


良い共鳴にはならなかったり・・・


でも世の中の多くの方は


意識するしないに関わらず


人に支えられ


その時々


瞳には映らない力によって導かれ


今こうして文字を読むゆとりと


心に何かを感じながら


過ごしているから


何の根拠も確信もなくっても


人生に意味を持って


素晴らしいものとしてゆけるんじゃ


ないかなって思うの


よく世の中では


様々な職業スタイルが


生み出されていて


正社員として契約されないことで


未来が見えず


不安を感じられる方もいるかもしれないけれど


私は社会生活が


あまり経験ない事もあって


よくわからないのだけれど


未来が約束されたものは


実際にはないのだと思うの


あくまでも会社・自分の人生が


すべて順調に進んだならば


想像する範囲の流れで


未来があるかもっていうだけで


その長い月日の中では


時代やルール・常識も


変化して


どのようにも変化してゆくこともあると思うの


逆に周りが整っていても


自分自身の心身によって


想像していた未来が続けられなくなったり・・・


遺伝子的にも日本人は


確信がなくっても


長いスタンスでの安定を


提示してもらうことが


大きな安定剤となる事も


あるようだから


今の時代は新たな目覚めの時で


とっても大きな不安に包まれて


過ごされている方もいるとは思うの


でもどんなライフスタイルの方でも


絶対的な安定と幸せはなくって


その時々の自分が


幸せだと思うことを重ねた結果


安定と幸せが


続いている結果となって


確信へと変わって行くものなんじゃないかなって思うの


今の時代はメディアなどによって


それぞれの方のハードルが


高くなってきているのを


時々感じているの


メディアはあくまでも


人生のひとコマを


伝えているだけなのに


「なぜ同じ女性なのに私は・・・」と


考えさせられたり


ドラマのような家族を見つめ


自分の家族がまるで


とてもよくないものとして思い込んだり・・・


そのたびに


自分の人生がまるで


意味のないもののように感じたり・・・


本当はそれぞれに


歩みの歩幅やスピード


幸せを計るものさしも違うと思うの


そして時々感じるのは


正当な事を


表現しているつもりでも


時には


人に自分が思う幸せを


無意識に


強制してしまうこともあると思うの


私の母はこの世で


子供を産んだことだけが


人生の最も大きな幸せだった事もあって


今でもその幸せを


私にも体験してほしいようで


時々言葉で表現するの


でもその思いを表現したことを


忘れたように


医学の進歩に助けられ


子供を授かった方に対しては


とても厳しい意見を


時々表現するの


そのたび母に


「多くの女性が母さんのように


感動したり喜びを


体験する事を望むのならば


医学の進歩によって


結果を出す人を


認めなければいけないんじゃない?」と伝えると


瞬間的に空気が


止まったようになるのだけれど


母は急に


「あんたの言うことは


言われた瞬間はどっきりするけど


後で考えると


何か妙に納得しちゃうんだよね


宗教家になったら(笑)」って


さずが私の母という


言葉が返ってくるの


私はそんな母の元に生まれた事


年々幸せを感じる


気持ちになっているの














最近私の友人は


起業しようと決めてから


すべての見つめる角度が変わり


様々な素敵な


出来事や出会った人について


教えてくれるの


そのたびに


たくさん感じることがあるの


人間って


もしかしたら


現実といわれるものも


見たいように見つめていたり


初めに与えられた


データーがあった場合は


そのように見えるように


無意識に


自分の中で調整が


できているんじゃないかなって感じていたの


友人は以前から


とても情報通で


社会で伝えられるニュースなども


知らない事がないほどだったの


その事もあって


自分が体験していないことまで


あらゆる事に不安が広がっていて


何でも不安という


フィルターを通して見つめていたの


なので出会う方・出会う出来事


耳に伝わってくる情報も


不安を大きく育むものが多かったの


そして彼女にとっては


不安というものが


予言のようになっていて


「やっぱり」って思うことが


次々と届けられていたのだけれど


ある時起業の


タイミングが訪れて


ゆっくりと


本来の自分と向き合う時間が


与えられて


今まで感じていた不安は


体験から生み出したものではなく


自分の想像から


作っていたものばかりだったことに


気づいていったんじゃないかなって思うの


それ以来


同じ出来事や人との出会いでも


見つめる角度が変わっていったの


以前TVで


脳や視覚というものは


もっとも信頼できない部分で


見ようと思ったように見て

脳に伝えるという事を


伝えられていたので


無意識に


私たちの中にも


事実を作り変えている部分が


あるんじゃないかなって感じているの


たとえば人との関係で


相手も周りも


好意的に思ってくれていても


自分自身が


そのような思いで受け取っていなければ


相手から伝えられる言葉や行動は


ひとつなのにあれこれと


好意的じゃない意味づけをして


そのようにしか


見えなくなるんじゃないかなって思うの


そしてそれが自分の中では


事実で本当の事になってしまうと思うの


人との関係以外でも


自分の視野が広くないと


知らない事実


知らない知恵


知らない愛etc


すべて出会うことができないと思うの


そして知っている事実だけが


現実でルールとなって


表現してゆくんじゃないかなって思うの


最近友人が自分にかけていた


良くない暗示に気づき


少しずつ修正しているお話をしてくれて


その時


私たち人間は


いつからでも


すぐにでも


自分が見たいものを


見つめる心の瞳の柔軟性を持っていて


今からでも


すぐに自分を幸せにして


あげられるんじゃないかなって感じていたの
















昔ある友人から聞いた


知恵を今も


ライフスタイルの中に


受け入れている事があるの


それは


日々心からのありがとうを


頂くことを


意識して過ごしていることなの


そう表現すると一見


誰にでも親切に


何かしなければって


大きく大変なことを


想像してしまいがちだけれど


そうではなくって


ほんの小さな意識でいつでも頂けるの


たとえば今まで大型スーパーで


お買い物をしていたけれど


それを個人で経営している


小さなお店で購入したり・・・


それは


友人が教えてくれたことなのだけれど


パートさんやアルバイトの方を


雇える大きな店舗では


経営者が直接


その場にいる事が少なく


多くの場合は


雇われて時間内で働き


マニュアルどおりの「ありがとう」を


言葉として表現するけれど


心からありがとうという


気持ちになる事は少なく


個人の小さな店舗では


経営者が直接お店にいる場合が多く


たったひとつのものを


手にしてくれたり


見ていただくだけでも


本当に心からありがたい気持ちが


湧き上り


お客様へ心からのありがとうを


伝えられる方も多く


そしてまた来ていただきたい気持ちが


無意識に相手の幸せを願う行為と


エネルギーが似ていて


互いにお福わけが整い


よいエネルギーを頂けるそうなの


そのエネルギーが多ければ多いほど


自分の運に大きな力となって


ゆくのを友人は感じて


その事を意識するようになったようなの


私自身も


その事を教えていただいてから


何気ないことの中にも


互いに感謝が生まれる


空間やタイミングを


大切にするようになったの


そのなにげない事を


意識して行ってみると


驚くような変化もいくつもあるの


チェーン店などの大きなお店などは


感じることのなかった


ぬくもりを感じ


益々感謝と喜びを


頂くことも多くなったの


たとえば小さなお店では


お食事にいくスペースでも


私の好きなものを覚えていてくださって


添えてくださったり


「いつもありがとうございます」という


言葉と共に


ドリンクなどをサービスしていただいたりして


私の方がありがたい気持ちで


いっぱいになり


心の中があたたかな感謝で満たされて


そんな時ふっと


こうして感謝の輪というものが


広がってゆくんじゃないかなって


感じることもあるの


そして心からのありがとうを


頂く場所が


まるで自分のパワースポットのようになって


その場所で過ごした後には


良いことが次々と


運ばれてきたり・・・


友人が教えてくれていたことが


とってもわかるようになったの


今の時代は


あらゆるものすべてが


多くの方にいきわたっていて


昔のように


所有することだけに


エネルギーを注ぐ時代は終わり


個人・個人が


選択する時代に入っているから


形だけが存在している時間や


空間に


何か無意識に空しさを


感じられている方も多いと思うの


まるでベルトコンベアーのように


流れる行動の中で


ただ経済を消費をし


心や体力を消費していて


中には喜びを体験するための


フリーチケットとなっている


経済の事が


逆に苦しい体験となっている方も


いるんじゃないかなって感じているの


でも同じような行動でも


ほんの少し


心からのありがとうを


受け取れる場所や時間を


見つけて過ごすだけで


消費ばかりだった時間が


お福わけを受け取ったり


不足していた


エネルギーを満たしてくれて


喜びを頂ける


素敵な機会へと


変化してゆくと思うの


私の友人は


この小さな事を意識してゆくうちに


素敵な人間関係が作られて


経済的にも人間関係でも


大きな財産を築いていったの


私自身


ちょっぴりひねくれているというか


疑り深い部分があるので


社会の中で表現されるような


努力だけが幸せになる方法だとは


昔から思っていないところがあったので


このような知恵は


とっても深く


私の中に吸収されるの


人生に花を咲かせ


過ごされている方の多くは話を伺うと


不思議なくらい


瞳には映らない運を


大切にされていて


色々な知恵を持っていて


人には理解できないような


こだわりを大切にされているの


その友人からこのような知恵を


教えてもらったとき


気づくこともなかったことだったから


とってもわくわくして


聴いていたの












人は誰でも


愛された記憶を


深い部分に納めて


過ごしているんじゃないかなって


感じているの


何かのきっかけで


心が大きく揺れ動き


生きている意味がや使命が


見つけられなかったとしても


今こうして呼吸しているのは


無意識に


愛された記憶が


自分を消さないように


ささやいているからだと思うの


大人になって


人間関係の中で


愛を感じられない言葉や


体験の中過ごしていると


自分ひとりが世界の中から


いなくなっても何も変わらないとさえ


思う事があるかもしれないけれど


神様は意味があって


一人一人


違う個性として創造され


今思い出せなかったとしても


必ず自分は


誰かに愛され


必要とされ


存在していてほしいと


願われて


この世に誕生してきていると思うの


よく生まれてきた意味や


存在価値を残したいと


好ましくない行動をし


ニュースとして伝えられる方たちは


自分が現実に


存在している実感や価値を


周りが認めてくれなかったと


表現したり


愛されなかったと


誤解をしていたのだと思うの


一番存在価値を認めず


愛していなかったのは


自分自身だと思うの


一番近くで


がんばっている姿や


優しい姿を


生まれた時から知っている


自分が自分を認め


愛してあげられなかったら


周りの方は


もっとその良さがわからなくても


当然だと思うの


誰がどう自分を評価しても


自分が自分を


認めてあげて


その自分が呼吸しやすい場所を


自分が探してあげたらいいと思うの


幸せはみんながうらやましがるものを


いっぱいもっているから


幸せなのではなく


自分が好きなものを持っているから


幸せなのだと思うの


幸せは心の問題で


集合意識で


ある程度は幸せの


定義のようなものはあるけれど


必ずしも


その定義に当てはまるから


幸せとは限らないと思うの


人間は大まかに


似たような思考を秘めて


暮らしているけれど


ミクロで見つめたならば


みんな違う


神様のハンドメイドで作られていて


幸せも人それぞれに


オーダーメイドするものなんじゃないかなって思うの


私自身も


時々自分が理解できないほど


不思議な感覚を持っていて


みんなが幸せを感じる事に


あまり心惹かれなかったり


逆に人があまり心惹かれないことを


とてもこだわり


大切に思っていたり・・・


でもそれが私なのかなって


今は必ずしも


みんなと同じじゃなくってもいいかなって


自分を許し


受け入れられるようになったの


いつも感じることなのだけれど


世の中や人々が


厳しいとよく表現される方がいるけれど


最も厳しく


許さないのは


自分自身ってことも多いと思う


自分に必要以上に


プレッシャーをかけて


ほんの小さなミスやあやまちを許さず

自分自身を


愛するために条件を


出し続けているのは


自分自身だったり・・・



ほんとうは


そのままでも無条件で愛せる


素晴らしさを一番知っているのに・・・


人生の中で


困難を感じることが


誰でも出会うけれど


困難を感じることが


多ければ多いほど


その方は


次のステージへと


ステップアップしているからこそ


困難を感じることに


出会っているのだと思うの


いつも何度も体験したことを


クリアするのは


時間と共に


簡単になってくるけれど


初めてのことや


少しでもランクアップした場所へと


進んでゆくときには


困難に感じるものだと思うの


それは無意識に訪れた


チャレンジをいつもクリアして


歩んでいるからこそ感じられる


心の体験だと思うの


誰でも想定内の楽な選択が


好ましく感じるけれど


もっと時間が進んで


振り返ってみると


妥協ばかりの人生になっていて


本当に自分のサイズにあった


人生になっていないことも


あるんじゃないかなって思うの


多くの方は


自分が思っている以上に


秘めている力がって


もし振り返る時間が合ったならば


過去の歩みを


ゆっくりと見つめてみると


それはわかるんじゃないかなって思うの


自分が想像していた力以上に


がんばってきたからこそ


子育てができていたり・・・


お仕事を続けてこられたり・・・


大きな変化ばかりに


スポットを当てるのではなく


小さな歩みの重なりが


今の自分なのだから


自分に誇りを持って


自分らしく生きてゆくことが


何よりも大切なんじゃないかなって


感じているの