2008年5月










私のパートナーは


ここ数年仕事で


日本中を旅していて


そのたびにご縁も広がり


瞳がキラキラしているの


そのたびに


まるで母親のように


嬉しい気持ちで見守っているの


私とパートナーの歩みを


ここ数年振り返ってみると


信じられないほど


自分たちが望む


豊かが運ばれてきたと感じているの


その多くは努力や経験というものでは


測れないほど速いスピードで・・・


その大きな要因は


きっと自分の心のささやきを信頼し


大切に過ごしてきたからなんじゃないかなって


感じているの


たとえば昔から


自分の心の体力を考えずに


無理をしても


両親・友人・知り合いの力に


なることばかりに


瞳を向けていて


そのように表現すると


とても優しい印象を


受けるかもしれないけれど


私の場合は


ただ上手にお断りする事が


できなかったというか


冷たい人と思われることを


強く恐れていて


いつも自分の人生を


歩むことができていなかった


部分があったと思うの


お世話になっていればなっているほど・・・


そのため自分の思いよりも


誰かの思いを優先していたの


たとえば両親との間では


長い時間


そのような問題が続いていて


社会的な思い込みの中にもあるけれど


両親の希望することを


無理を重ね叶えてあげることは


親孝行と表現される部分もあるから・・・


でもここ数年


病の事もあって


無理ができなくなって


初めて知ったこともあったの


実は私が両親の持っている力を


表現する機会を奪っていたことを・・・


誰でもそんな部分があると


思うのだけれど


何でも頼れる人がいたならば


自分で行うよりも簡単なので


頼るようになってしまうと思うの


そして初めは


行えるけれど頼んでいたのが


時の流れとともにできた事も


いつも誰かに頼っていたので


できなくって頼むように


なってしまうと思ったの


今では


「あんたは当てにならないから」って


自分たちで考えた事を


自分たちのタイミングで行ない


そのことで逆にイライラしたりもせず


結果報告を


楽しそうに報告してくれるようになったの


そんな中で


私が勝手に思いこんでいた


ルールや常識と思っていることを


見つめなおしてみたの


その間には


同じ思い込みを持っている方からは


私が怖れていた


冷たいんじゃない?とか


自分本位だよねって言葉も


いっぱい伝えられたの


様々な恐れをいっぱい


秘めている私は


孤独になること・自分の力の査定など


様々なことがこわかったのだけれど


自分が変わることで


ゆっくりと自分の周りも


変わってきたの


両親は「この年になって


初めてする事が


こんなにも多いのかと


生きているなって感じるよ」と


伝えてくれたり


友人たちは


「私ももっとらくに生きようかな」って


伝えてくれたり・・・


もちろんそのような


意見ばかりではないけれど


呼吸が楽に感じられない関係は


どちらともなく縁が終わり


違う学びの待つ道へと進んでいったの


私の表現がすべて正しいわけではなく


ただ私にとっては


正解だったっていうことだと思うの


ここ最近は歯医者さんとのご縁があって


歯のこと以外にも


たくさんのお話しをするのだけれど


歯もブリッジといって


失った歯をつくるために


両サイドの歯で支えて


美しく整える方法があるのだけれど


両サイドの歯が


本当に強くなければ


時の流れとともに


歯が抜けたり・割れたりして


失った歯が広がってゆくことを


聞いて


ふっと人間関係にも


とっても似ているなって感じていたの


歯も人間関係も


自分自身をきちんと保って


初めて


本当の意味で


人の支えになって


あげられるんじゃないかなって感じていたの


















自分自身が秘めている


潜在意識って


多くの場合


感情的になった時に


知る事ができると思うの


がんばっていて気力が


溢れているときには


仕事やレジャーが楽しく


とても前向きで


性格だと思っている


表面的な部分が


表現されているけれど


ほんの少し心が曇ってきたり


怒りが溢れている時に


意識の鍵がはずされ


何気なく言葉にしているものが


潜在的に


深く秘められた思いだと思うの


気力溢れたときには


夢を語り・希望が溢れているけれど


そんな時に


「こんなに前向きで


精神世界的な知識も


吸収しているのに


なぜ実現しないのだろう」と


伝えてくれた


知り合いがいたのだけれど


私自身もうん・うんって


思うほど


すべてが備わった人なのに不思議だったの


でもある時


精神的に落ち込む


出来事があったようで


その日カフェで飲みながら


酔った彼女は


「働いてお金持ちになったからって


どうなるんだろうね」


「仕事で成功したからって


何かいみあるのかな」


「結婚したからって


一生幸せを保証されないでしょ」など


今まで聞いたことのないような


思いが溢れてきたの


その時


ふっとわかった気がしたの


彼女はとても頭がよく


成功哲学的な


知識も豊富で


素直に自分の夢に向かい


意欲的で


人とのお付き合いも上手で


容姿も美しく


私はいつも会うたびに


あこがれていたのだけれど


何年たっても


経済的にも満たされず


パートナーにも


巡り会えず不思議だったの


でもきっと


よく伝えられているように


どんなに意識的に物事を行っても


潜在的に備わった価値観や


思い込みのほうが


強い力を持っているんだなって


教えられた気がするの


そんな時


私も感情的になった時


溢れる言葉を意識してみたの


そうしたら


豊かさとは別の


外からインプットされた価値観や


常識を語っていることがあって


自分でも驚いたの


その時


以前心いたくなった


人からの言葉や瞳に


傷ついたのではなく


自分がその言葉や瞳を


理解できるから


その場を離れてからも


自分が自分を責めて


辛かったんじゃないかなって


感じたことがあったの


潜在意識って


日頃なかなか


受け取る事ができないけれど


立ち止まるような出来事や


感情的になった時


知る事ができると思うの


脳科学者の間では


無意識に自分が考えたように


身体が動き


知らず知らずのうちに


自分が思う人生が


創造されてゆく事が


研究されていて


同じ条件でも


結果が違うのは


深い部分で刻まれている


思いが違うかららしいの


逆に私の友人の中には


日頃は心配性で


一見ネガティブに映るのだけれど


次々と夢を実現している


友人がいるのだけれど


その友人を見つめて


「精神世界とか


前向きだから成功する


わけじゃないんじゃない」って


なげやりになっていた人たちもいたのだけれど


その友人は日頃のは


心配性で


ネガティブに映るけれど


実際困難に出会った時


とても気力が溢れて


「これは私が超えられるから


与えられた試練」って


表現したり


「この山を越えたら


何が待っているのかな」って


驚くほど力が


沸きあがってくる人なの


その友人を見つめながら


潜在的に秘めている


大切な信念や真実が


人生を創造していて


表面的なものだけでは


測れないものなんじゃないかなって


感じているの














この間友人から借りた


人相学の本を読んでいたの


その中には目は芽


鼻は花


歯は葉と表現されていて


とても興味深く読んでいたの


きっと目を輝かせ過ごすことで


人生が芽吹き


その後


花開き


人生の後半で


葉を茂らせ


たくさんの知識や


愛を受け取る準備が整い


よい人生が送れる事を


表現されているのかなって感じていたの


心豊かな人生を送っている人と


そうではない方の違いは


言葉では上手に


説明できないのだけれど


全身から溢れる


様々なものが


違っているんじゃないかなって感じているの


私の知り合いの方の中に


マンションをいくつも


経営している方がいるのだけれど


その方は


好ましくない話題を語るときにも


言葉の内容を


しっかりと聞いていなければ


まるで楽しい話をしている時と


同じような声のトーンで


流れるように話されていて


周りから届けられる


心曇るお話も


跳ね除けるのでもなければ


共感したり


同情するわけでもなく


流れるように


受け取り手放すのが


とてもスムーズで速くって


なかなかまねのできない


個性を持っているの


私はすぐに


人の話題なのに


必要以上に感情移入してしまい


その思いが


その場を離れてからも


残してしまう部分を持っているので


なかなか自分の人生に


集中できなかったり・・・


その知り合いから


電話を頂くと


まるでさわやかな風が


心の中に流れてゆくような


不思議な感覚が残り


その後


驚くくらい物事が


スムーズになるの


ここ数年何度も


アクセサリー製作を


させていただきながら


私よりもはるかに


技術・知識溢れた方が


世界中に溢れている事を知って


これから続けていってもいいのかな?


どうなのかなって


思っていたのだけれど


その方は


たまたま出会った時


作らせていただいたアクセサリーを


身につけて


いつも商談がスムーズに


運ぶそうで


(きっと偶然だとは思うのですが)


「わかる人は必ず


あなたを見つけてやってくるから続けていなさい」と


伝えていただき


気がつくと6年も


多くの方のおかげで


楽しい時間を


与えてもらっているの


とても恥ずかしいことなのだけれど


私は何をスタートしても


ひと回りして理解すると


すぐにあきてしまい


続けられない所があるので


こんなに長い間


続けてきたことが初めてなの


よく自分だけの事を考えていると


続けられないけれど


そこに「誰かのために」


「誰かとともに」っていう


キーワードがあると


乗り越えられると


伝えられているけれど


本当にそうだなって感じているの


私のアクセサリーが


様々な街や国のどこかで


身につけてくださっている方が


みんな笑顔で


素敵な思い出とともに


私のアクセサリーが


寄り添っていると


想像するだけで


私にとっては大きな


ロマンスなの


最近は今まで日本には


流通していなかった石も


瞳に移す機会も多く


その石の持つ個性や効能が


書かれたものがない事もあって


先入観なく


石からのささやきを受け取りながら


みんなの前に


お披露目できる日を待っているの
















今日はプライベートでも


仲良くさせていただいている


皮膚科の先生と


いつものように


なるほど!っていう事の多い


お話しをして


過ごしていたの


その先生は数年前


大病をして


そのたび最新医療を


受け入れていたらいいのだけれど


そのたびほんの数年たつと


もっと良いものが生み出され


過去のものには


問題があることを


医師に伝えられ


今は自分が待てる間は


もう少し・もう少しって


待っているようなの


その先生が表現するには


医療は驚くほどの


スピードで開発されているから


少しでも疑問に思ったり


無理を感じるのならば


待つのも悪いことではないと言っていたの


病に限らず


人生の中でも同じように


つい焦ったり


無理をしてもなんとかって


思うことがあるけれど


レースではないのだから


速く決断して


速く行ったから


すべてが良いわけではないと思うの


私はどちらかというと


せっかちなタイプで


パートナーはすべてがゆっくりと


スローなタイプなのだけれど


時と場合によっては


せっかちな私も


パートナーのようにゆっくりと考えて


それでタイミングをはずしたと


思うことがあっても


それはタイミングを


はずしたのではなく


今はタイミングではないと


思えるようになってきたの


私は生まれた頃から


直感的にものごとを決めて


計算・計画という


脳をどこかに


忘れてきたんじゃないかなって思うほど(笑)


何も考えられない人なので


今は私の行く方向が決まったら


私よりも一歩先から


明かりをもって


誘導してくれている感じなの


でもよく考えてみると


人生その時々


私の行く方向が決まったら


私よりも一歩先から


明かりをもって


誘導してくれている人が


いつも寄り添ってくれていた気がするの


多くの方はそのような役割を


両親などがしてくれていたと


思うのだけれど


私のおうちは


小さなときから


大人同士のように


繋がりあっていたのと


両親が誘導してくれても


そのまままっすぐに


進んでゆけなかったと思うの(笑)


だからより友人や知り合いが


私にとっては大切だったの


学生時代も


あることで私がいじめられる側になって


毎日危険がないように


ある男子たちに先生が


毎日家に送るように伝え


私は2年間くらい


その男子たちに守られ


家に帰っていたり


10代の後半には


何もわからない私に


何でも教えてくれる


今の私を作ってくれた人が


毎日私が心向くまま


つきあってくれたり・・・


その人は以前にも書かせていただいたように


前世のつながりがあったようで


彼が私の伝えたスケジュールを断ると


必ずその日夢で小さな男の子が


雨の中下を向いて


とぼとぼと歩いているのを


見ていたようで


どうしても私のスケジュールを


断れないと教えてくれたの


私も漠然と彼が


前世で私の教育係だった気がしていたので


やっぱり!って思っていたの


その後も私の行いたい事を


いつもサポートしてくれる人たちが


私の思い出とともにいてくれたの


その頃はなんとも思っては


いなかったけれど


今になると


今の私が育まれたのは


その人たちがいなかったら


ありえなかったと思うの


そして日々


悲しいことや心曇る出来事に


出会っても


彼らの事を思い出すだけで


すーって


心が晴れてあたたかい


気持ちになるの


そして


言葉では上手に


表現できないのだけれど


私が私をどのように扱おうと


勝手だと思うのだけれど


ずっと今まで


自分を守ってきてくれた人のおかげで


こうして新たな時代を迎え


過ごしていることを思うと


自分は自分のものだからって


なげやりには


なれない部分があるの


そしてもしもどこかで


彼らが


私を見つめたとき


私を見て


幸せそうで良かったって


思ってもらえたら


彼らにも感謝が


伝えられるかなって


日々過ごしているの
















叔母が天国に旅立って


それから何年も


あっていない親戚などと会う機会が多く


昔話に花が咲いたり


今の話で花が散ったり(笑)


人の幸せの形も様々だなって


改めて感じているの


私は相変わらず


若い頃と何も変わらないほど


何も築いたものがなく


周りは新たに家族・家etc


様々なものを


未来のために築いていて


私は尊敬というか


うらやましい思いで


見つめていたのだけれど


話をしてゆくと


「背負っているものが重くって


ふっとどこかに消えたくなるよ(笑)」と


笑っていたの


そのたびに


「あなたは何もなくっていいね(笑)」って


伝えられていたの


最近の時代は


多くの方が素直に


心開き


言葉を表現するから


とてもあたたかいけれど


昔は


自分の人生を肯定するためにも


自分と違う人生を歩む人に対していいねって


表現はせず


心曇る表現が多かったら


私にとっては


お互い違った人生でも


お互いの人生のよい部分を


伝え合えるので


呼吸が楽なの


そして時間とともに


お互いやっぱり自分の人生は


これでいいのかなって


思ういい時間になっているの


人って天国に旅立ってから


その方の本当の部分に


ふれることがあって


叔母は生きている間


人との関係がなぜだか


整わず


孤独な人生だったのだけれど


そのたび


叔母のことをよく言う人は


いなかったのだけれど


天国に旅立ってから


色々な方が尋ねてきて


その方たちから


叔母の本来の姿を


伝えていただいたの


叔母は10代ですぐに


家計を支えるために


夜の世界で働き


初めて雇ってくれたママさんに恩を感じて


長い間交流があったようで


そのママさんがこの世を旅立つとき


遠い街なのにかけつけて


見取ったり


その次に勤めたお店のママさんが


病になったときも


遠い街から週末には


看病に足を運んでいたようなの


そのお話しを聞いて


叔母は本当は


義理堅く・尽くす人なんだなって知ったの


人には相性もあるから


親族には愛溢れた


叔母の姿を


表現したくなる機会がなかっただけで


本当は優しく思いやり


溢れた人だったんだなって


なぜか涙が溢れてきたの


私の方の親戚の女性たちは


とても苦労が多く


語りつくせないほどの


大変な人生を過ごしてきたのだけれど


私がいつも尊敬しているのは


誰一人として


後悔や愚痴・弱音を


表現した人がいないことなの


母方の方が逆なのだけれど(笑)


そして過去の話は語らず


いつも今日・明日・未来について話すの


いつもその強さが


もしも私の中にも


受け継がれていたら


嬉しいのになって思っているの
















ある知り合いが


今のままの人生に


何か大きな方向転換を


望んでいて


そんな時あるセミナーに


参加したようで


その時受け取った


印象的な言葉や思いを


私にもおすそ分けしてくれたの


その知り合いの話の中で


私にとってのギフトとなる


言葉もあったり・・・


頭で考えたら


当たり前の事なのだけれど


「今の自分の人生は


誰かが作ったものではなく


その時・その時


自分にとってベストだと思う


選択をした結果だから


もしも今の人生に


違和感を感じているのならば


自分の価値観を変える事で


選択するベストなものにも


変化が出てきて


その結果


人生にも変化がでてくる」という言葉だったの


私たちは本当に


自分が体験して刻んできた


価値観や常識は


意外と少なくって


その時々


生きてゆく知恵を


吸収する時期に


ふれあう人々の価値観や


常識から溢れる思いから


その事を


社会の常識・ルールだと


思い込んで


自分の価値観として


刻んできてしまった


マイナスのギフトも


いっぱいあると思うの


そしてどんなに年齢を重ねても


まだまだ知らない世界


価値観は溢れているのだと思うの


特に日本人は


自分が周りからどのように


見つめられているかという


ベースがあって


すべてがスタートしてしまう部分を


秘めているから


独走した生き方は


認めてもらいづらいので


本当は自分でも気づこうとしていない


才能・個性溢れた方が多くいても


表現に躊躇してしまうのだと思うの


海外では


自分がどのように周りに


見つめられているのかではなく


自分が周りを


どのように見つめているのかという


ベースから


すべてが始まっているので


自分の思いに気づくこと


形にしてゆくことが


私たち日本人よりも


スムーズに感じられるのだと思うの


そして私たちは


人との調和が何よりも


大切だと


ほんの少し強迫観念のようなものを


無意識に刻まれていて


相手の価値観と合わないとか


縁を終えたいと思っていても


フラストレーションを抱えながら


無理を重ねても


縁を繋いだままが


ベストだと感じてしまう部分も


あるんじゃないかなって思うの


その事で


人生に注がれるはずだった


エネルギーが消耗してしまっていて


新たなことに心の瞳を


向けてゆくパワーが持てなかったり・・・


その延長線上で


たとえば


何か物事を悩んだ時や


逆に自分が本当にしたい事に


出会ったときでも


メッセージを頂く相手を


きちんと見つめる事なく


なんとなく


よりそう人々に相談したり


伝えたりすることで


共感という調和を


生み出す場として


過ごしていると思うの


その事自体は


問題はないのだけれど


言葉では上手に


表現できないのだけれど


私たちの人生が


自分の描く人生と


微妙に違ってくるのは


もしかすると


そんな何気ない


時の過ごし方なんじゃないかなって感じていたの


たとえば健康になりたいと


願いながら


無意識に今・病で


切ない人生を


過ごしている方に相談していたり


これから結婚に夢を持って


人生を考えているときに


無意識に


結婚生活に対して不満や


もしくは別れられた方に


意見を求めていたり・・・


そうしたら


多くの場合


その方の体験・経験から


受け取りたくない


言葉のギフトを受け取り


無意識に自分の中の


恐れを育んでしまうと思うの


ふっともっとシンプルに


ストレートに


自分のほしい結果を


出している人から学ぶことが


もっとも大切で


恐れを速いスピードで


手放してゆけるんじゃ


ないかなって思ったの


今・心満たされない時間を


過ごされている方に


無意識に相談することで


恐れを手放し


勇気をもらいたいとの思いは


逆の結果になる事も多く


そして


希望溢れる事を語る人といることで


相手の方も


益々心が曇ってしまったりする事も


あると思うの


私は数年前


病によって


様々な心の体験をし


そのたびに


メッセージを求める相手を


選択する事なく


できるだけ多くの意見を


聞きたいと


相談したりしていた事が


あったのだけれど


益々心曇り


人生が不安になってきた


経験をした事があったの


パートナーとふたりの人生で


本当によいのかな?って


自分の中での不安があったから・・・


多くの場合


自分でも想像していないほどの


不安要素を目の前に


並べられて


不安とプレッシャーと


その思いに答えてくれない身体の事で


いっぱい・いっぱいに


なった事があったのだけれど


初めて


ご夫婦二人で


人生をエンジョイされている


健康的な


未来にこんなご夫婦がいいなって


思うような方と出会い


その方に


その時の思いを相談すると


「二人だからできること」


「二人だからこそできたこと」を


いっぱい聞かせていただき


私の視野が一気に広がったの


私は幼い頃から


ふれあう大人や両親などを


見つめ


話を聞くたびに


未来に備える事=子供という


お話しをずっと


耳にしていたので


きっと益々不安が高まっていたのだと思うの


そんな時


今度はHPで


繋がってくださっている方の中で


子育てを楽しまれている方からも


優しいメッセージを頂き


改めて


自分の視野が狭かった事を感じたの


それまでは誰かが


自分を


不安に導いているように


感じていた時もあったのだけれど


本当は自分の中に秘めている


恐れと周りの意見が共鳴し


自ら不安な方へと


傾いていっただけだったのだと気づいたの


それ以来


できるだけ自分が思い描く


自分のほしい結果を


出している方に


意見を求めるようになったの















人生のギフトって


好ましいと感じるものもあれば


逆のものもあると思うの


そして与えられた


出来事の意味も


すぐにわかる出来事もあれば


もう少し未来を進めて


見なければ


感じられない出来事もあると思うの


好ましくない出来事の場合は


少し心が揺れ動いてしまうこともあって


何がいけなかったのだろう?と


思ったり


なぜ私だけが・・・って思ったり


感情のほうが先に


溢れてくることで


意味を感じることが


難しいと思うの


でも未来をもう少し進むと


その意味が


幸せのために起こり


選択させるために


起こっていたことを知ったり・・・


好ましい出来事よりも


好ましくない出来事が


急になぜ?っていう形で


届けられるときって


言葉では上手に


表現できないのだけれど


自分の意識や価値観だけでは


作る事のできない


未来を創造されている時に


流れを変えるために


届けられることが


多いんじゃないかなって感じているの


人間って自分が


思っている以上に


様々な事を超えて


創造してゆく力があるのだけれど


つい頭で考えて


無難で安全なことばかりを選択し


気がつくと


つまらない人生に


なってしまわないように


神様がそれぞれの方に


贈ってくれている


ギフトだと思うの















2000年以降から


多くの方に


合わせられるチャンネルが


増えたと感じているの


言葉では上手に


表現できないのだけれど


私たちが思うこと


感じること


気になる事が


すぐに瞳には映らない


私たちの周りをただよう


周波数と合って


現実として瞳に映したり現実となったり・・・


今は10倍速で


時間が流れている事もあって


以前のように


ゆっくりとその流れに


調整してゆく事が


とても困難に感じていたり


漠然とした不安や疑問も


溢れている方も多いと思うの


たとえば


私は何のために


生きているのか?と思ったり


このままお仕事を


していたからといって


自分が望むような


人生にはならないと


すぐに答えを出してしまったり・・・


そのすべては


時間の速度が変わったことで


自分を調整し


ついてゆくことに


疲労していることが


大きな原因なんじゃないのかなって感じているの


そして今は数年前にはなかった


誰でも合わせられる


心のチャンネルが増えた事もあって


自分の人生に特に


不満を持っている方ではなくっても


急に大きな不安や


人生をリセットしたい思いが


生まれてくる方も多いと思うの


人はすべて深い部分で


繋がりあっているので


今・この瞬間


誰かが悩み・苦しむ気持ちを


受信能力が高い方は


自分の意識とは別に


キャッチしてしまい


何度も心曇る時間を


体験されている方も


いるんじゃないかなって感じているの


誰でも人間は


深い・深い部分には


日頃見つめる必要がない


生まれた時から


12歳くらいまでの間に


誰かから受け取った


古くなっている人生訓があって


その事が不安と


共鳴しあってしまいやすいと思うの


私たち人間は生まれた時から


12歳くらいまでは


心をすべてオープンに


まだ自分の意思が


育まれていない間に


様々な方から


ささやかれたことを


何かと比べることも


疑うこともできないから


そのままストレートに


受け取ってしまっていて


その上に年齢を重ねるように


自分の体験から得た知識や


価値観というふたができて


その表面的な部分を


働かせ生きているけれど


何か問題が届けられた時や


人生に疲労してしまったときには


表面的な意識だけでは


解決できないと


無意識に自分の中で


判断し


ふたとなっていた自分が重ねた


ふたとなっている意識を開き


古くなっているインプットされた


過去のデーターから


無意識に答えを選択してしまうと思うの


中にはその事で


新たな答えに出会い


道が開かれてゆく方も


いるとは思うのだけれど


多くの場合は


その方が生まれた時代背景や


価値観・常識も


今の時代には


フィットしないものも多く


益々心曇らせてしまう


言葉の知恵しか


見つからなかったり・・・


私の友人で自分で


仕事をし


自分が望む夢に向かって


人の数倍も


努力を重ねて


ある程度までは


結果が形となるのだけれど


あともう一歩という所で


いつも壁が超えられない


体験を


この数年の間に


何度も何度も重ねている


友人がいるのだけれど


その友人には


すべての成功要素が


あるのになぜなのだろうって


不思議に感じていたのだけれど


ある時


恋人ができて


あっという間に


結婚という運びになったの


その後落ち着いてから


お祝いをかねて


会うことになって


何気ない楽しい会話をしている時


会話の所々に


「女は男に愛されて


養ってもらうのが


女にとっての幸せだよね」と


言葉が溢れていたの


その言葉を受け取りながら


このような言葉は


私の母世代が


繋いできた言葉で


もしかしたら


彼女の中には


いつもこの言葉があって


壁が超えられなかったんじゃないのかなって


感じていたの


そしてその友人は


しばらくは幸せに


暮らしていたのだけれど


今度は自分が重ねてきた


価値観や思いの方が


また強くあらわれてきて


仕事を始めようと考えていて


そんな中


相手の方とも


様々な問題が生まれて


別々の人生を


歩む事もなったの


そしてまた数年前と同じように


仕事を再開し


また同じような壁に出会い


超えられず過ごしているの


その姿を見つめながら


人の事は冷静に見つめ


原因となっているものが


簡単に見つけられるけれど


自分の事は


近すぎて気づけない事も


多いんじゃないかなって感じているの


今の時代はすべてが


光のような速さで


思いがすぐに形となる


時代で


ゆっくりと自分の心を見つめたり


考えたりする時間が


以前よりも少なくなっているとは


思うのだけれど


ゆっくりとリラックスすることで


自分の深い部分に


納められている


あらゆるものと


アクセスが可能になって


誰かの価値観で


受け取った


もう必要のない古い人生訓や


その時々


受け取ったマイナスのギフトを


新たなものに


入れ替えた方が


急いでただただ


時間についてゆくよりも


充実した人生の旅が


続けられるんじゃ


ないかなって感じているの















なにかひとつ


大きな確信が


持てる時代が


過ぎ去り


ひとり・ひとりが


価値観や確信を


築いてゆく


ある意味自由な時代が


訪れた今の時代は


自分なりに核心を持てるものを


誰もが探している時だと思うの


中には「神様って本当にいるのかな?」って


今までの価値観が


壊れそうになっている方もいたり・・・


私も以前


自分ではどうすることもできない


病というものが授けられ


痛みの中過ごしていた時


「良いものが届けられると


すべて神様のおかげで


悪いことがおこると


すべて自分のせいっていうけれど


なんか神様っていいポジションだよね」って


疑問に思うくらい


辛い日々を過ごしていた事があったの


そんな時


パートナーが


「神様はいるよ


でも何もしてくれないよ


見る事もできないよ


たとえて言うなら


太陽のようなものじゃないかな


人間は自分で何でもできるのに


子供のように何でもしてもらおうと


期待しすぎだよ


太陽は何も直接してはくれないけれど


もし太陽がなくなったら

作物もできなくなるし


外も真っ暗で歩けないし


すごく大変だよ


色々なものをもうすでに


与えてくれているんだから


感謝することを


覚えなきゃね


誰よりも神様の存在を


信じているくせに・・・


きっと意味があって


神様が与えてくれた事なんだから


早くに答えを見つけよう


そうしたらいつもさーちゃんが


いっているように


この痛みも消えてくれるかもよ」って


伝えられたことがあったの


その時さずか


宗教家のお家で育った人だなって


感動した事があったの


古くから神道系の家系の


パートナーと私の母方は


無意識に自然崇拝から


始まった神道が


ベースになっていて


自然の中に


神様を感じたりして


過ごしてきたようなの


私たち人間が


自分の思いのまま


行動を形にできるのも


ベースとなる


すべてのものが整っているから


自分という存在に集中し


色々なことをできる


時間も与えられているんじゃないかなって


感じていたの


空を見つめながら


何かを感じる能力も


きっと人間と神様が


繋がりあっているから


受け取れる感覚だったり・・・


人は心身が疲れてしまうと


無意識に癒しの場を


自然に求めてしまうのも


本能的に


その場所で神の存在を感じ


まるで母親に優しく


両手で抱かれ


包まれているような


やすらぎを


感じるからなんじゃないかなって


感じているの













数年前に体験した


またシフトチェンジの時期が


訪れているようで


毎日の睡眠バランスが


変わってきているの


私は本来


毎日眠ることがなく


2日~3日に一度


眠るバランスなのだけれど


何か自分の中で


次のステップへの


シフトチェンジが訪れると


バランスを整えようと


毎日眠たくなって


寝ても寝ても


眠い時間が数日続くの


私が思うには


時間の流れは


瞳には映らないけれど


感覚だけではあるけれど


年々スピードがアップしていて


24時間が


人によっては振り返ると


3時間くらいの疲労として感じたり


5時間くらいの時間の感覚として感じたり


とても短くなっていると思うの


なので


したい事があっても


すぐに行動にしなければ


あっという間に


数日も流れてしまっていたりという


体験をされている方も


多いんじゃないかなって感じているの


まるで地球上の生活が


少しづつ


バーチャルのように


感じられている方も


多くなってきていると思うの


経済も昔とは違い


現金にふれる事なく


生活が営まれていたり


時間も


人それぞれに


感じる時間の長さも違っていたり・・・


すべての感覚を


数字で理解しているけれど