2008年3月




今日は友人が遊びに


来たのだけれど


とても落ち込んでいたの


その理由は


次々と故障する電化製品や


仲が良かった友人との


トラブルなどが


重なっていた事が


原因のようだったの


でも話に耳を傾けながら


彼女の声から


伝わる氣のようなものから


きっと今訪れている


すべての出来事は


決してアンラッキーなものでは


ないような気がしていたの


本当にあまり良くない


低迷期の場合は


無意識だけれど


自分から発するもの


すべてがトーンダウンしていて


その嵐のような波が


落ち着くまで


どうすることもできないものだと思うの


でも友人の場合は


訪れた出来事は


望まない形のものではあるけれど


とても内から湧き上る


エネルギーを感じたので


きっとこれは


シフトチェンジの時を


迎えているだけなんじゃないかなって


感じていたの


運やチャンスが


強く働きかけている時って


自分の意識とは別に


今まで持っていたもの


すべてがお役目を果たし


新たなエネルギーに見合うものを


入れるために


形をなくしたり


手放したりすることが


多いんじゃないかなって思うの


それはまるで学生時代に


その頃とても仲がよく


多くの共感を重ね


共に歩んでいた友人だったけれど


別々の学校へ進学したり


別の地域で暮らすようになったことで


自然な形で


古い人間関係が終わるを向かえ


新たな人間関係が


また結ばれてゆくのに


とても似ていると思うの


何となく終わる・壊れるという


響きから


あまりよいイメージを


もたれないことが多いけれど


何か新たなものを


受け取るときには


このような現象が


続くことってあると思うの


エネルギーが活性化されてくると


様々な形で


無意識に古くなったものを


手放してきているものだと思うの


忘れているけれど


数年前には


あんなにお気に入りだった


お洋服やアクセサリーが


狭いスペースのお部屋の中でさえ


今はどこにあるかも


わからなかったり


時々普段は整理しない場所を


整理していて


なぜ?こんなものがって思うほど


今の自分から見つめたならば


信じられないような


テイストのものが


溢れてくることがあると思うの


それはすべて


その時代・その瞬間は


もっとも自分を輝かせ


フィットしていたものだけれど


今の自分には合わなくなったものだと思うの


人間関係でも同じで


その時・その時


自分から溢れるものが


誰かと重なり


美しい色彩を作っているけれど


自分から溢れる色が変われば


また新たなカラーを持つ方との


出会いを求め


互いに気づきや学びを


受け取りながら


歩んでゆくものだと思うの


よくスピリチュアルな事を


学びだした初めの頃は


まるで膿がでるように


良いこと・良いイメージ


良い学び・良い知識を


意識して過ごしているのに


次々とトラブルや


好ましくない出来事が


訪れることがあると思うの


それも今まで活性化していなかった


エネルギーが目覚めだし


ちりのように重ねてしまった


様々な好ましくないものを


手放そうとする


働きから


現れている現象なんじゃないかなって


感じているの


その段階で


すぐに好転反応だと


感じられる方と


逆に何もしなかった方が


良いんじゃないかと


不安や迷いによって


学ぶことをやめてしまわれる方もいると思うの


でも長く見つめたならば


早かれ遅かれ


人生から受け取ってきたものを


整理したりしなければ


ならない場面は


誰にでも訪れるものだと思うの


ただ長くて短い人生の中で


自分の意識とは別に


聖なるものたちが


精神性などのレベルによって


タイミングと耐久レベルによって


速いペースで


進めてゆく場合と


ゆっくりと忘れた頃に


少しずつ進めてゆく場合があると思うの


あらゆる変化が続く方は


それだけ


次のステップへ進んだ時


大きな喜びを


受け取るスペースが整っているので


受け取る事ができたり・・・


人間の歩みって


不思議なもので


ちゃんと次から次へと


人生に飽きる暇がないように


色々なものを


用意してくれているものだと思うの


友人も今


未来に向けて


様々なプランを


実行し歩んでいるところなので


きっとエネルギーが活性化されていて


その強いエネルギーに耐えられない


古いものたちが壊れ


新たなライフスタイルに


フィットするものにチェンジする


時を迎えているんじゃないかなって


感じていたの



















今年に入って


ゆっくりと人生の中の


あらゆるものの整理が


進む中で


体調も今まで以上に整い


すこやかな毎日を過ごしているの


子宮の病も


あれほど痛みとして


私に存在を訴え


かけてきていたのに


最近はそのような時間も


短くなっていてなぜだろうって


考えてみたの


今まではまるで人生の主導者のように


存在をいつも


アピールしていて


どんなに抵抗しようとも


子宮の状態ひとつで


心身が


自分の進みたい方向へ


ゆけない事も多かったの


そのたびに病む終えず


手術するしかないという


選択がいつもあって


あとはそのタイミングだけだったのに


どうしても前に進んで


ゆけなかったと思うの


でも


数年の間に


自分の人生を見つめ


そして自分とふれあってくれている


人たちと言葉を交わし


そして本能と対話してゆくうちに


病む終えずではなく


手術が私にとっては


ベストだと思えるようになったの


そして今春の手術を


待っている所なの


数ヶ月前までは


不安が大きかったのだけれど


今はなぜか


手術を受けて


その後の自分が楽しみな方が


大きくなっているの


それはきっと


ここで繋がってくださる方の


力も大きかったと思うの


言葉では上手に


表現できないのだけれど


私が


どんな形に幸せを築いても


その事を認めてくれて


見守ってくれている人が


この世界にいてくれている事を


知る事ができたからだと思うの


どうしても現実のせまい


世界の中では


スタンダードな幸せを


築いていないことで


表現できない思いに


包まれることが多かったから


ここでは大きな力と


光を与えてもらい


自分らしさを見つける事ができたの


私は人生の中で


幼い頃から


3回くらい手術を体験していて


その中で


全身麻酔をした手術のときに


どこまでも続くスロープを


天使のような2人に挟まれて


すべっていて


目覚めた時には


とても神秘的な


不思議な思いに包まれた事があったので


また同じような体験ができたら


いいなって思っているの















友人と思いで話をしている時に


今まで忘れていた


友人の事が話題になったの


その当時


仲が良かった友人は


とても頭がよく


無意識に


どんなささいな事であっても


計算脳が働くので


自分の感情や心よりも


損しないように


すべての選択・行動をしていた人なので


感情やその時の


フィーリングで行動してしまう


私と友人は


よく反省していたの


でも時間の流れと共に


形を変えていったの


その当時仲が良かった友人は


どんなささいな事でも


自分にとって得になるかが


すべての源なので


周りの方は


思いやりから


なんで私ばかりが・・・という


思いを重ねながらも


つきあいを続けながらも


ゆっくりと


離れてゆく方も多く


気がつくと


いつも新たな縁で結ばれた方と


過ごすようになっていたの


私たちも自分たちの


人生を満たすために


レジャーが忙しく


自然に会うことが


少なくなっていったの


でも時々


彼女から電話で


近況を聞いていたの


電話を受けるたびに


だんだんとアンラッキーな


出来事が多く


悩んでいるようだったの


彼女はささやかな事でも


自分を主として動くと


すべての責任・経済などが


発生してしまうこともあって


いつも誰かを誘い


行動していたこともあって


共同経営者が


突然いなくなってしまったり


ある時には


誰かからの投資話によって


大変なことになってしまって


悩んでいたの


そのような話を聞くたびに


私と友人は


とても不思議な思いで


いっぱいだったの


なぜなら


あれほど頭の良い人が


こんなトラブルに巻き込まれてしまうのか?


でも友人とその時


もしかしたら昔から


伝えられている


類友の法則が


働いているからなんじゃ


ないかなって話になったの


類友とは


同じエネルギーや波動を


引き寄せてしまう


法則なのだけれど


その当時仲が良かった友人は


とても頭がよく


自分の感情や心のささやきよりも


自分が損しないことを


源として


すべての選択・行動をしていたので


出会う方たちも


やはり同じエネルギーを


持つ方たちだったんじゃないかなって感じたの


ただ時には


思いやり溢れる方の人生にも


時として


好ましくない出会いとなるような


出来事は訪れる事はあるけれど


そのほとんどが


良い学び・経験だったと理解し


その後何度も


そのような出来事は


起こらないものだと思うの


でもその方は


いつもイライラさせられる


出来事が


偶然のような形で


次々と


起こっていたの


その方は大きな夢を持っていて


様々な前向きな言葉を知っていて


私たちは


その時たくさんの事を


学ばせてもらったと


今も思っているの


その方の歩みを見つめながら


本でしか受け取れなかった


精神世界というものを


感じさせてもらったと


思って感謝しているの


私と友人は


もっとしっかりと考えて


行動した方がよいのでは?って


心配される


年齢になってからも


自分の心のささやきや


言葉では伝えられない


フィーリングを大切に過ごしているのだけれど


不思議と


そんなに大きなトラブルに


出会うこともなく


(自分では気づいて


いないだけかもしれませんが)


過ごして


その時


やはり人間の人生は


計算を超えたものが


多く存在していて


人生の色や形となっているんじゃ


ないかなって感じているの


一見


こんな事をしていたら時間が・・・とか


こんなことをしていたらお金が・・・と思うことでも


自分を喜ばすことであったり


誰かが笑顔になる事が


嬉しいのならば


瞬間的に損と思える事でも


時間と共に


それは徳となったり


自分と同じような思いを持った


人たちを引き寄せてくれたりして


長いスタンスで


人生を見つめることができたならば


愛に包まれた


素晴らしい人生に


なってゆくと思うの


損得で見つめると


不思議なことで


得に見えた損を


受け取ってしまうことも


多いんじゃないかなって思うの


私自身


自分が今どのような


状態なのかを


感じる目安として


日々出会う人たちの状態を


見つめるようにしているの


一日の中で


どのような方たちと多く


出会ったかで


自分が気づけない


自分から溢れているものを


感じたりしているの


たとえば届け物を


持ってきてくれた方が


とても優しく笑顔だったり


何気なくすれ違った方が


楽しげだったりすると


すべては偶然ではないのだから


きっと


私は今おだやかな愛に


包まれているんだなって思ったり・・・


逆に足を運んだ場所で


トラブルが起きていたりすると


もしかして


私今怒りをおさえているのかなって思ったり・・・


言葉では上手に


表現できないのだけれど


人間って


原因があって結果が


あるというベースの中で


自分の感情も正当化できる場面で


まるで今目の前で


起きていることが原因で


怒りが急に生まれたように


錯覚してしまう事があるけれど


本当はその前から


怒りのスイッチを持って


歩いていて


何かがそのスイッチにふれただけって


事も多いと思うの


たとえば


今心満たされ


幸せな時間に


包まれているときに


もしも飲み物を


こぼしてしまっても


ほんの小さな出来事として


やっちゃった~って思い


そこを掃除しながら


こんな事でもなければ


お掃除しなかったから


いい機会だわって


まるで良いことでも


起こったことのように


受け止められるものだと思うの


私たちの心の反応は


本当は起きたことが


原因ではなく


逆に結果となる事を


自分で変える事によって


原因までもが


素晴らしい出来事のように


変えてゆける


強さと能力を


持っているんじゃないかなって感じているの




















今まで見えなかったものが


ある時


急に見えてくることってあるんじゃないかなって


とても感じているの


姪がまだ小さかった頃


少しでもお嫁さんに


時間を作ってあげたかった


私の両親は


愛の気持ちから


週末だけではなく


時折


姪を預かっていたの


でも心があっても


体力的に不安があった


両親は


いつも私に


サポートしてほしいという事で


時間が作れたときには


よく実家へ


足を運んでいたの


そんな中で


近くまでお買い物に行こうと


姪をベビーカーに乗せて


ほんの少し


母親気分を


味あわせてもらいながら


楽しくベビーカーを


押していたのだけれど


ほんの少し進んでは


歩道の小さな段差で


何度も


スムーズに進めなくなり


母と私は


なれない事もあって


何度もウィリー状態になって


そのたび


母は「母親って大変でしょ


わかったでしょ」と


言葉にしていたの


私もこの小さな体験の中で


今までは当たり前に


通っていた道も


その方のライフスタイルによっては


とても大変な事もあるなって感じていたの


そしてほんの


小さな母親体験だったけれど


母親として


過ごされている方の


労力・精神力etcに


大きな尊敬が湧き上ってきたの


私のこのような体験は


きっと大変なうちには入らないくらい


もっともっと


様々な事を日々超えて


過ごされているとは思うの


以前医学的な情報が


書かれた記事の中で


女性が子供を産むと


耳から聞こえる音にも


変化があって


今まで好ましくないと思っていた音が


気にならなくなったり


脳の分野でも


エンドルフィンが多く


溢れてくることによって


今までならば


小さな刺激でも


不安になっていたことや


悲しく思ったことも


何とかなるという気持ちになり


強くなってゆくことが


書かれていたの


この世の中で


最も大変で


もっとも喜びを与えてくれる


子育てを支える


能力を


神様は必要に応じて


目覚めさせてくれるんだなって思うと


女性の内に秘めたものって


神秘的で芸術的で


この世の光を


いつの時代も支えている


存在なんじゃないかなって感じているの















ここ1年くらいの間


言葉というキーワードによって


人生を大きく変える


出来事が


メディアで伝えられていて


そのたびに


ハイスピードで人の中でも


シフトチェンジが行われているのを


とても感じているの


今までならば気にとめる事のない


言葉という音霊や言霊を


感覚的に


心地よく感じるものと


そうではないものを


無意識に分けて


自分の中に受け取ったり・・・


そして一見


流れは同じように映るけれど


単純に日々の中で


フラストレーションが重なっていて


正当な理由を見つけては


誰かの発した


言葉にいつまでもこだわり


無意識に


自分の心のお天気のように


誰かが悲しみ


人生に大雨が降るのを


見つめることによって


なぜか心が


晴れてゆくという


パターンの中で


過ごされている方もいると思うの


それは数年前から


伝えさせていただいているように


二極化が進んできているから


なんじゃないかなって感じているの


進化によってシフトチェンジしている方と


その逆の歩みの中にいる方も


瞬間的には


同じような反応をしたりするのだけれど


その後の時間の経過が


とても大きく変わってくると思うの


言葉の持つ


音霊・言霊を感じる


感性が開かれたことによって


今までよりも


言葉一つ一つに


エネルギーを感じていると思うの


ただ今は


まだ始まったばかりの


進化の途中なので


新たなパラダイムを


ひとり・ひとりが


創造しているところだと思うの


なので時には


心とは別に


今までの内なる


言葉の辞書からしか


言葉が選べず


誤解を生んでしまうこともあると思うの


ただいつも自分の


フラストレーションに気づかず


無意識にターゲットを探しては


正当な理由をつけて


誰かの人生に


まるでシューティング‐ゲームを


楽しむように


攻撃するのは


もっと時間が流れた後


自分の人生を壊していることに


気づかされてゆくことになると思うの


誰もが幸せに満たされ


過ごしたいと心の中では


思っているはずだと思うの


でも誰かの悲しい顔や


ゴシップが楽しく


感じる事がもしあったならば


まずはそんな自分に気づいて


あげることだと思うの


その事に気づくことは


恥ずかしいことでもないし


気づくという能力と勇気が


なければなかなか


認められるものではないと思うの


だから気づいた自分を


責めたりせずに


逆にほめてあげてほしいの


そして輝く人たちがまぶしくって


その光をまるでカーテンを閉めて


一時的に


自分を見つめる時を


自分が無意識に


作っていたことを感じてほしいの


それからゆっくりと


誰の人生とも違う


誰の人生とも比較できない


自分らしい人生を


イメージしてみるといいと思うの


そんな時間を


何度も重ねてゆくと


人の歩みや


人の人生と自分の人生を


重ねて


心揺れることはなくなると思うの


どんなスペースにも


自分と同じような年代


ライフスタイルの方が存在するけれど

すべてを並べて


どちらが幸せで


どちらが勝ち負けは


決められないものだと思うの


そして今の時代は


心・魂にフィットする


言葉を多くの方が


無意識に選別して


これから未来に残したい言葉を


表現する流れの


始まりだから


言葉を受け取る方も


表現する方も


あまり急いで枠を決めずに


ゆっくりと


音霊・言霊を


楽しみながら


受け取ってゆけばいいんじゃないかなって感じているの














精神世界に


深くふれあえば


ふれあうほど


たくさんの矛盾と出会うものなんじゃないかなって思うの


知恵と現実などを見つめて


知恵とは違った


生き方をしている人のほうが


幸せに過ごしているのはなぜ?って思ったり・・・


精神世界では


自分がイメージするものを


引き寄せるといわれているのに


まるで望んでいないものばかり


届けられているんだけど・・・って思ったり・・・


そんな疑問や矛盾の中


やっぱり確実な計算の元で


すべてを得てきた方が

良いのではないかと思い

行動しても

やはりそんな中でも


形は違うけれど


疑問や矛盾が生まれて


まるで前に大きな壁が


現れたように感じ


前に進めなくなったり・・・・


人間はどのように進んでも


答えはひとつと決められていなくって


どんな選択をしても


正しいっていう


矛盾の中で


過ごしているんじゃないかなって感じているの


何億年という時の流れの中で


天才的な人たちが


どの時代にも存在していたけれど


やはり確実な幸福を


得る方法は


共通するひとつには


解けなかったと思うの


言葉では上手に


表現できないのだけれど


神様はきっと


人間がどんな道を選択しても


正しく


だからといって


その事に依存し


他の事が見えなくならないように


疑問や矛盾という形で


他の道を選択した方の歩みも


受け入れられるようにしてくれて


いるんじゃないかなって思うの


だから精神世界を


受け入れたことで


自分の人生が苦しいものとはせず


自分にとって


呼吸がらくになる


偉人たちが残した


知恵を受け取ってゆけたらいいと思うの















自分の人生を


振り返って見つめてみると


今だから


感じられる事が多いの


昔は自分がイメージするものを


引き寄せて


イメージしないものは


体験することはないと


思っていたのだけれど


その中でも


いくつも自分がイメージしないものを


受け取り


心が曇っていたことがあったの


そのたびに


あらゆる疑問や猜疑心から


一時的に


精神世界から


少し距離を持って


過ごしていた事があったの


でも不思議なことに


私が心惹かれる形で


その時々


精神世界にふれるようになって


色々な答えがあることを


知る機会があったりして


自分なりの精神世界学を


ゆっくりと創造していったの


私が今まで


望まないものイメージしないものを


受け取ってきたのは


きっとその望まないもの


イメージしないものと周波数が


フィットしていて


自分の中のチャンネルが回されて


心の瞳で


見つめていたんじゃないかなって感じているの


人間ってとても信じられない


能力を誰もが秘めていて


意識では感じられなくっても


自然な形で


発信・受信できていると思うの


だから言葉などでは


互いに説明しなくっても


浮かんできた事を


ふっと言葉として話したりしていて


時には


その何気ない言葉が


心を傷つけてしまったり


深く気になったりする事があると思うの


その時も


自分から放たれる


周波数にあわせて


対象となる人やものが


チャンネルを合わせて


放送しているだけなんじゃないかなって思うの


そしてその放送を見つめ


私たちは様々な感じ方を


しているんじゃないかなって思うの


自分の中の波動が


低下している時には


その波動と見合うような


反応をしてしまい


知らず知らずのうちに


益々心曇らす


時間が届けられたり・・・


逆に


目の前に放送されているものを


見つめながら


自分の波動が


低下し始めていることを


意識して


反応を変えることによって


本来はあまり


好ましくなかった出来事を


よい意味での


ターニングポイントへの


変えて行けると思うの


多くの場合


ふれあう人々が


伝えてくれる言葉は


自分から放たれている


オーラのカラーに合うものだったり


気づかない


自分の問題であったりする事もあると思うの


ただ波動が高い時でも


様々な心曇らせ出来事に


出会うことはあると思うの


そんな時はきっと


今だから過去に重ねてしまった


好ましくない因果を


解消するために


届けられることもあるんじゃ


ないかなって感じているの


なぜならば


波動レベルが高まる事によって


悲しみや恐れ・不安迷いという


そのチャンネルが


必要なくなったから


手放すために急スピードで


好ましくないと映る出来事が


届けられることもあると思うの


だから


そんな時には


高まっている波動を


低下させてしまう事なく


高まる思いから生まれる


イメージや答えによって


1つずつ


手放してゆけば


いんじゃないかなって感じているの


自分から発している


周波数を数字で知ることは


できないけれど


心のささやきからは


感じられると思うの


私自身


自分自身が気づかなかった


思いを好ましくないはずの


病から教えられた事も多くあったの


病になる事は


人生の中で


考えたことはなかったけれど


私は全身全霊で


きっと愛を誰かから


注がれることを望み


叫び


その叫びと似た痛みを


生み出して


過ごしていたように感じているの


そして不思議なほど


手術という最終的な答えを


自分の中で選択してから


周りの方に伝える前から


あたたかい言葉や人たちと


出会う機会が多くなったの


その時ふっと


もしかしたら


私が放っていたカラーが


今まで


悲しみを導いていたのかなって感じたの


今はありがたいほどに


背中を押される言葉というか


まるで天から手が差し伸べられて


引き上げられているような


言葉や人に


出会っているの


科学的には説明が


できない精神世界だから


自分で体感してゆく


データーしかないけれど


自分の心の中が整理されてゆくと


無意識に


お部屋のお掃除がしたくなったり


運の流れが変わってくると


無意識に


今までとは違った


行動パターンをしていたり・・・


そんな何気ない


変化から


瞳には映らない


自分が過ごしている空間の


空気を感じたり


無意識に


自分の心が合わせている


チャンネルに気づくことが


大切なんじゃないかなって感じているの















雨がたとえ好ましくなかったとしても


虹を見たいならば


雨は必要で


やむのをがまんしなければならないけれど


人生もお天気と


とても似ていると思うの


悲しみ・不安という


雨がいつやむのかわからないけれど


知恵という傘を使い


ありのままに


ものごとを受け止めながら


ふっと気がつくと


心の大空に


虹が描かれていたり・・・


人間は無意識に


人と比べたりしてしまうことがあるけれど


人は語らないけれど


その方にとっては


大きな悲しみという雨を体験し


今虹のように


輝いているのだと思うの


みんな自分にとっては


大きな問題でも


誰かが聞いたならば


え!そんな事が問題なの?っていうほど


小さく感じたり


その方それぞれに


感じ方は違うものだと思うの


多くの方は


自分では気づかないうちに


小さな池や川のような空間から


大河へと流れ着き


そしてすべてと繋がる広い・広い


海のようなスペースで


過ごしていると思うの


小さなスペースでは


自分で把握できる人や出来事も多かったけれど


大きな海では


人生で初めて出会う


人や出来事も多く


正しい・正しくないでは


答えを出せない問題もあると思うの


大きな海には


ひとつのものを見つめても


みんなが共感し


同じ見方をする人


ばかりではなかったり・・・


でも大きな海に出るには


自分では気づいて


いないかもしれないけれど


小さな勇気を重ね


前に進んできたから


たどり着いた場所だと思うの


私自身小さな池のような空間から


ほんの少し大きめの川に


進んだ瞬間


今までであったことのない反応や


言葉の流れなど


他の方に比べたならば


そんなの当たり前じゃない?って思うほど


小さな出来事でも


大きなダメージをいうけて


何度も神様に


自分に合った学びの場を


作ってくれるように


祈っていた事があったの


それまでは


自分の事を理解してくれている親友や


両親・恋人という


小さなサークルの中で


すべてが満たされていたのだけれど


結婚という新たな風が入ってきて


パートナーから繋がる縁に


自分も触れる機会が増えたとき


誰かへの僻みやねたみなど


話す人たちとの


出会いがあって


「なぜ?あの人はあんなこと言うの!」とか


いつも怒りと


不思議でいっぱいだったの


それは私がいい人だからという事ではなく


私の心の体験が少なく


自分が体験していないことが多すぎで


理解や許しという


ものが生まれてこなかったの


そして


そんな流れの中


愛する人と暮らせる


心の豊かさはあっても


生活にどうしても


必要ではないものを


手にする経済的な豊かさがなかった頃


周りが次々と


豊かになっていって


私は始めて


人の幸せが喜べていない


自分と出会ったの


とても言葉にすると


恥ずかしいことなのだけれど・・・


そんな体験を


何度か経験したとき


私が過去に人から


あまり好ましくない言葉を


表現してきた人


すべてを許せるようになったの


それまでは


「あなたがそうだから


そんな生活しかできないんじゃい?」とか


「人間として最低!」など


今では信じられない


言葉を返してきたと思うの


私は幼い頃から


両親に


「お前は人の痛みのわからない人間だ!」と


何度も伝えられた事があるのだけれど


きっとそれはその通りで


ただ悪気があったわけではなく


人生すべてが晴れ渡り


(人から見つめたならば挫折いっぱいなのだけれど・・・)


幸福な気持ちで過ごせる


小さなスペースで


わからなかっただけだと思うの


私の思考はとても単純で


たとえば


何かをお願いされて


しばらくたって断ったり


行動が始まってから


断れなくって・・・という


人の心理さえも


理解できなかったの


それはすべて自分基準でしか


人も見つめられず


その枠にぴったりと


フィットしなければ


もういいかなって


縁を終わらせてしまうような所もあったの


でも病という


自分でもコントロールできない


私にとっては


弱点となる中で


過ごす機会に恵まれて


人の痛み・どうする事もできない思い


良い悪いでは測れない


人の生きる道を


ほんの少し


知る事ができたと思っているの


病を良いことのように


表現するのは


とても変だけれど


私にはベストなタイミングと形の


学びの時間だったんじゃないかなって感じているの


元々幼い頃から


氣や勘が強すぎて


あまり睡眠を必要としないことも


きっと影響しているとは


思うのだけれど


自分の思いの方が強く


時々肉体を持っている


存在なのだということを


忘れて過ごしていたので


病になってからは


自分としてはまだしたい事があっても


ある程度の時間になると


孫悟空の頭の輪のように


「早く眠りなさい」と病が宿る場所を


しめつけられて


痛みが広がってしまうので


すぐに指示通りに


眠るようになったの


それでも


やはりほとんど


睡眠時間を必要としない事もあって


手術を終えてから


ちゃんと休息するように


意識しなければって思っているの

















私は昔


前向きな思考というものを


勘違いしていたことがったの


考えたり


悩んだりすることは


後ろ向きで


何でもYESというのが


とてもポジティブなのだと


思っていたような気がするの


なので悩んでいたり


考えている知り合いがいると


否定的な思いで


見つめ言葉を


表現していたことがあったの


でも本当は否定している


自分がもっとも


後ろ向きだった事に


気づかされたの


前向き・ポジティブを


誤解している方の多くは


悩んでいる方・考えている方を


励ますつもりで


かけている言葉の中に


相手の思考や行動を


無意識に否定している


表現が溶け合っていると思うの


前向きな歩みって


悩んでも考えても


最終的に


自分が納得し後悔しない


答えにたどり着ければ決して


後ろ向きではないんじゃないかなって思うの


そして前向き・ポジティブを意識され


歩まれている方は


否定という低い波動を


生み出してしまわない事が


大切なんじゃないかなって感じているの


ポジティブと映る人の多くは


エネルギーが溢れている事もあって


エネルギー調整が


次の課題だと思うの


エネルギーが溢れてくると


日頃の行動の中だけでは


エネルギーがまだあまってしまって


そのエネルギー調整を


無意識に怒りや攻撃という方法で


調整しようと働くこともあるので


エネルギーが溢れている時には


新たな場所・新たな体験を


いくつも意識して


作ってみるといいと思うの


そうすることで


エネルギーが調整され


本当の意味での


前向きな歩みが整ってくると思うの














今の時代は


自分が感じる


勘で感じたものが


とても大切なんじゃないかなって感じているの


以前足を運んだ病院で


初めて病を知った時


手渡されたお薬の飲み方や


お薬の効果などを


説明していただき


その通りに飲み始めたのだけれど


ないといわれた副作用を


微妙に感じた私は


通常3回飲むものを


1回にして調整していたの


回数を少なくしても


効果は感じられたので


そのようにしていたのだけれど


お薬を受け取りに行くたびに


受け取りに行く回数が


少なかった事で


きちんと飲むように伝えられていたの


でも私の中では


副作用を伝えず


効果が感じられるかどうかよりも


お薬の回数など


数字的なものだけしか


見つめていない


その病院に


なんとなく信頼ができなくなって


昔から通っている


天使病院に変わったの


その時


偶然のような出会いで


たまたまその時期


その病院に勤務されていた先生と


言葉では表現できない


信頼感を感じ


お薬のことなども聞いてみたの


そうしたら


そのお薬は強いものだから


効き目を感じているのなら


自分で調整してもかまわないことを


伝えていただき


自分の勘を信じて


移ってよかったなって


感じた事があったの


私は過去に病院というものと


縁がない事もあって


なんとなくイメージができていて


専門家・先生がいうことは間違いがないと


ずっと思っていたことがあったの


でも学問として学び


専門家となるものなのだから


やはり経験とは違うものなんじゃ


ないかなって思うの


そしてどんな仕事でもそうだけれど


毎日自分にとっては


当たり前の流れの中で


患者さんやお客さんと


ふれあっているけれど


相手の方は


多くの場合非日常の中に


身を置くことの不安というものがあるから


小さな事でも恐怖を感じたり


ショックを感じてしまうものだと思うの


どんな場合でも


相手を信頼しすぎて


後悔してしまわないよう


自分の心のささやきに


耳をかたむけてあげる事が


何よりも大切だと思うの


勘というのは


この地球に生命を持つものにとって


大きな宝石のような


宝物だと思うの


今は動物的勘と表現されるくらい


データーに頼り過ごす


人間の中では


退化した部分ではあるけれど


一日の中で


ほんのささいな事でも


勘を意識して


過ごすだけでも


元々秘めている才能だから


ゆっくりと


目覚めてくると思うの


たとえば何かを選ぶときなどに


あれこれと考えるのではなく


直感的に惹かれるものを選択したり


あれこれと順番を考えずに


ふっと行きたい場所に行ってみたり・・・


私たちの中に眠る勘は


理論的に説明のできない形で


私たちに


たくさんのものを


運んできてくれると思うの


たとえばカラフルな心惹かれるバックがあって


もうひとつは何にでも


あわせられる色のバックがあった時


賢い選択は


きっと何にでもあわせられる


バックの方だと思うの


でも心は理由はないけれど


個性的なカラフルなバックに


心惹かれていたり・・・


そんな時


多くの方は長いベースで見つめ


賢い選択をすることがあると思うの


でも実際手にしてみると


自分が考えていた以上に


使う回数が少なかったり


あきてしまって


わすれてしまうこともあると思うの


逆に個性的なものだからと


躊躇していたけれど


自分の心惹かれる


直感にしたがいバックを手にしてみると


思っていた以上に


楽しい気分になったり


考えていた以上におしゃれで


無難じゃない個性的なものを


持つことで


周りの方からほめたれたり・・・


いくつも幸せな事が運ばれてきたり・・・


直感って不安定で


データー化できないものだから


絶対とは断言できないのだけれど


自分が惹かれるものが


今の自分のオーラや


フィーリングに最も


フィットしていることを


潜在意識は知っていて


瞬間的に信号を送っていることが多いと思うの


私たち人間は


ありがたいことに


自分が経験しなくっても


あらゆる方面のデーターを


見つめることができて


初めはほんの参考のつもりだったデーターも


いつのまにか


自分の勘や思いよりも先に


データーを大切に


選択するようになった


部分があると思うの


でも現実は


これほど世の中に


データーが用意されているのに


幸せな選択に結びついていないのは


やはりデーターは


あくまでもデーターで


絶対的なマニアルでは


ないということだと思うの


その方それぞれに


この世の中にはその方に合うものが


用意されていて


それを見つけ出せるのも


自分の中から溢れる


ささやきだけなんじゃないかなって感じているの
















人は誰でも


何かを選び取るときに


後悔しないよう


いっぱい・いっぱい


考えて


答えを出すけれど


後悔しないという前提で


選択すると


意識して気がつくと


無難な選択をしてしまう事が多いと思うの


本当は心惹かれる選択が


ちゃんと自分でわかっていても


無難な選択の方にはあるていど


統計が提示されているけれど


心惹かれるもの


インスピレーション・霊感というものには


確かな統計がないこともあって


恐れや不安の方が大きくなって


無難な答えを選んでしまうのだと思うの


でも無難な答えが


自分を幸せにしてくれるか


後悔しない選択かは


また別なんじゃないかなって思うの


自分の心が感じ取る


インスピレーションや霊感で


選択した道は


無難な道のように


遠くを細く長くは


照らしてはくれないけれど


まるで夜が明けるように


輝く太陽が


すべてを照らしてくれることも多いと思うの


後悔のない選択って


本当はあるようで


ないんじゃないかなって思うの


その方の性格によって


起こった事実を


どう受け止めるかでも


違ってくると思うの


私自身も


本来ならば


後悔いっぱい感じてもよいくらい


スムーズに歩めない時期があったけれど


そのたびに


「きっと私には必要ない事なんだ」って思ったり


「今は知識を高める時期だから


時間を与えてくれているんだ」と思い


過ごしていたこともあって


周りからは不思議がられた事もあったの


私は学校を2回もやめてしまい


働こうと思い


何となくできそうなものを


選んでも学歴がない私は


働くところまで


こまが進まなかったり


働いても


意味もなく涙が溢れて


仕事が続かなかったり・・・


その当時の私の友人はよく


「学校辞めなければよかったって


後悔することある?」って尋ねられたけど


不思議とそのような思いはなかったの


私が社会生活ができないのは


学歴だとは


本人は思っていなかったからなの


今でも不思議なのだけれど


漠然と


「神様は私が悲しむことを与えない」と


なぜだか思っていて


いつも何かがスムーズに


進まないときには


別の道へと導いていて


私が気づかないだけだと思っていたの


でもどんな時にも


ありがたいことに


素敵な縁に恵まれていた事もあって


後悔することはなかったのだと思うの


今でも変わらず


なんの保証もない


自分の心のままに


選択することが多いけれど


後悔って


不思議なほど


自分自身が納得して


選択したことには


後悔ってないと思うの


これが自分はこう思っていたけれど


誰かが提示してくれた知恵や


答えにその時は


安心を感じて選択したのに


そうならなかった場合には


その提示してくれた方へのうらみや


自分に対する後悔は


生まれてくると思うけれど


自分自身が納得していたならば


たとえスムーズに


進まないときにも


何度も何度も軌道修正しながら


笑顔で過ごせるものだと思うの


私の友人の中には


ビジネスを自分で始めた人が


最近では多いのだけれど


始める前は


当然のように


スムーズにならなかった予測の中で


不安いっぱいに過ごしていたけれど


始めてみると


自分が見つめるものすべてが


ビジネスのヒントになるようで


保証はないけれど


毎日が楽しいと


表現しているの


ある友人は


大成功しなくってもいいけれど


自分の力量が


いつもよい意味で試せる


場所を維持できたらっていいながら


今では年数回


大きな休日を作って


世界中の楽しく


美しいものを探す旅をしているの


でもその友人も


1~2年は


今までイメージしていた通りの


閉ざされた状態が続き


無意識に相談する相手も


その波動と同じ人たちと話していたようで


「だから言ったでしょ」とか


「もっと悪くなる前にやめた方がいいよ」とか


今後の予期できる


不安を表現され


益々不安いっぱいに時期もあったの


でもその友人は


何か無意識だとは思うのだけれど


自分が求めている答えは


これではないと思っていたのか


何かのセミナーに


足を運んだようなの


そうしたら


今までは悪化しないためには


どうしたらよいのかを


考える人ばかりだったのが


良い状態に整えるためには


どうしたらよいのかを


表現する場所だったようなの


一見同じようなニュアンスのように


感じるかもしれないけれど


本質的には


見つめる角度が


まるで違うと思うの


私も以前仲の良かった友人に


何かがスムーズに行かない時には


つい「何でうまくいかないのだろう」と


考えてしまいがちだけれど


わからないから悩んでいるのだから


過去を振り返ってみて


「うまくいっていた時は何をしていただろう」って


考えた方がいいよって


教えてもらった事があって


本当にそうだなって


感じたことがあったの


うまくいかないことの原因がわかっていたら


初めから悩まないし


逆に


うまくいった経験を持っているのならば


その時の事を


思い出してみた方が


悩みも晴れて


忘れていた過去の中から


宝石のようなものが


見つけられる可能性のほうが


大きいこともある事もあるなって思ったの


私たちは自分の人生への


責任感や不安から


長いベースで物事を


考える事に慣れていて


今・今週・今月・今年という


目の前に用意されている


時間を楽しむことが


不慣れになっている部分があると思うの


よくお家を購入した方が


30年くらいの長期ローンを組み


無意識に人生の主として


重い存在となっているのを


見るたびに


30年という期間は


私たちが感じている以上に長く


そして時代も


自分たちのライフスタイル


好みなどが変化してゆくものだから


購入というシステムではなく


もっとリーズナブルに


ライフスタイルに合わせて


住み替えできる


システムが世界中で


必要になっているんじゃないかなって感じているの


多くの方は老後の心配から


家を用意されたり


その時子供たちが


のびのび過ごせるためにと


購入するけれど


時の流れと共に


子供たちは巣立ち


大きすぎる家は


使用しないお部屋もあったり・・・


今様々なニュースなどから


老後の不安を考えられている方も


多いかもしれないけれど


今は過去の恵まれていた


時代のつけを


払っている時代で


最終的には帳尻が


意識するしないに関わらず


整ってくるので


心配はないと感じているの


時代は地球と共に


進化していて


目まぐるしく変わっているけれど


どんな時代も


その時代に合ったものが生まれて


そして手放すものは手放し


望んでいた時代を


作ってきたと思うの


今は幸せの定義が


ひとつではなく


個人個人が


感じる幸せを大切に


歩んでいる時代だから


よい意味で昔ほど


差別がなくなり


自分で気づいていない方も


無意識に本当の意味での


愛の悟りが開かれている方が


この世に広がっているのを


いつも感じているの


上手に言葉で表現できないのだけれど


本当の意味での施しと


自己犠牲は


一見同じ形に見えるけれど


時の流れと共に


喜びが生まれてくるのが施しで


愚痴や不満が生まれてくるのは


自己犠牲だと思うの


そのような一見同じようで


本質が違うものを


今の時代は


知っている人が多いと思うの


なので形だけにこだわる方にとっては


今の時代は冷たい人が多いと


映ることもあるかもしれないけれど


人の中に宿る


愛の量は


いつの時代も変わっていないと思うの


今の時代は


形ではなく


そこに宿る思いという


エネルギーが大切だと思うの


なぜならば


瞳には映らないエネルギーを


無意識にキャッチできる人が


この世界に広がってきているのだから・・・