2008年2月




聖なる存在たちって



身体を持たない光のような存在だから


私たちに


必要なメッセージを


その時々


様々な形で


届けてくれているんじゃないかなって感じているの


時には何気なく耳にしている


音楽であったり


何気なく開いた


雑誌であったり


何気なく開いた


ホームページであったり・・・


私たちが受け取る準備さえ


整っていたならば


いつでも・どこでも


聖なる存在たちから


サポートを受けられると思うの


私たちは


何か心揺れる


出来事とであったときに


自分でどうにかして


解決したいと


迷いや不安で


いっぱい・いっぱいに


なってしあう事があるけれど


私たちは


いつも聖なる存在と


繋がっているのだから


答えを求め


願うことが


大切なんじゃないかなって感じているの


そして願った事を


心に秘めて


願ったことを


72時間の間意識していると


偶然のように導かれた場所や


出会いなどから


答えに繋がる


メッセージがたくさん届けられ


その中で


どれが自分へのメッセージかを


感じ取れるようになると思うの


そうすると


一人で心が泣き出してしまう事が


なくなるんじゃないかなって思うの


私たちはすべての出来事は


自分で選んで


自分だけで


何とか整えてきたと


思ってしまう事があるけれど


後になって見つめてみると


不思議な力に導かれていて


偶然と思っていたことが


人生の大きなターニングポイントに


なっていたりすると思うの


不思議な導きが


私たちの人生を


神秘的で


美しいものに


してくれていると思うの


その導きを


感じ取れるようになると


今よりももっと軽く


人生が豊かなものになると思うの














最近


友人が未来に向けて


夢が叶いつつある中


多くのことに気づかされている毎日なの


長い間


その夢のために


友人は仕事を


続けてきたのだけれど


実際に夢が目の前に


用意されたとき


不安と恐れが


いっぱいになって


私にアドバイスを求めてくれたの


その時ふっと


私が数年前


多くの著作を持つ


山川ご夫妻のセミナーへ


足を運んだときのことを思い出したの


そのセミナーの中で


自分が実際に


夢や喜びを


手渡されたときに


ふっと一歩下がって


受け取る事ができないという


お話しをされていて


その時


私もはっと気づかされた時の事を友人にも伝えたの


幸せになりたいと


願っているのに


実際に用意された時


人によっては


私がこんなに幸福に


なってもよいのかなって思ったり


夢は見ているだけで


実際に叶えたかった


わけではなかった


自分に気づかされる方もいたり・・・


自分はこの幸福を受け取るだけの


価値があるのかと


過小評価している


自分に気づかされたり・・・


様々な心の反応を体験すると思うの


不安や恐れは


どんなに楽しいことでも


その喜びを


長い間守りたい気持ちから


初めは


不安や恐れとして


生まれる事もあると思うの


でも長い間


あたためてきた夢ならば


その時がチャンスと感じられたら


受け取ってもよいんじゃないかなって


私は感じ友人に伝えたの


人は誰でも


自分が描く幸福を


秘めているけれど


自分でも気づかない力によって


その幸福を


招きよせていて


そのたびに


受け取らないまま


自分が恵まれていないと


思い込んでいる事も多いと思うの


自分が秘めている幸福は


人によって


届けられる時間や月日が違い


忘れた頃に


届けられる方も多いと思うの


癒しの言葉の中に


「チャンスが人を


見捨てるのではなく


人がチャンスを見捨てている」という


言葉があるのだけれど


ゆっくりと人生を振り返ってみると


そのような事が感じられる時間が


誰の中にも


あるんじゃないかなって思うの


幸福が自分が思う以上に


大きなものであった場合や


今現在


特に不満がある


わけではない場合


自分が受け取ってよいものなのか?


この幸福に栄養を与え


育む事ができるのか?


あれこれと思いが浮かんで


チャンスかどうかも


わからないことも多いと思うの


多くの場合


チャンスって


すべてが整ったときではなく


ほんの少し背伸びをすると


手が届くような


高さに用意されることが


多いように感じているの


そのような場合


経済的にもう少し整ったら・・・とか


今の仕事も


満足はしていないけれど不満もないし・・・という


微妙なバランスのときに


訪れることが


多いんじゃないかなって感じているの


人生の中で


ターニングポイントとなる道を


何度か選択する体験を


誰もが与えられるけれど


今の現状にやりがいや


喜びがたとえ見つけられなくっても


大きく変化が予想され


先の見えない道を


選択することは


誰でも大きな不安と


恐れがあるから


今の現状に先が見えなくなって


初めて


もうひとつの道を


選択する事があるけれど


私が思うのは


その時には


自分自身あまりよい


状態ではないから


もうひとつの道も


しばらくの間は


光が見つけられず


元の場所の方がよかったって


結果になることも多いと思うの


人生って不思議なもので


自分自身が


よい状態の時には


たくさんの幸福な


選択肢が届けられたり


チャンスと思える好条件の


出来事がいっぱい


手渡されると思うの


その時


自分にとって


本当に自分が


どちらの道を


選択したらよいのか


迷うときには続ける事の


メリット・デメリット


新たな道を進む


メリット・デメリットを


書き出してみるといいと思うの


そうすると自分でも気づかない


心や魂のささやきを


感じられると思うの


そして


強く惹かれたメリットが


デメリットよりも


輝くように感じたならば


そちらを


選択したらよいと思うの


人生は一度も


転ばない生き方をすることが


重要なのではなく


転んでも起き上がることが


何よりも大切なのだから


それぞれが秘めた能力を


輝かせられる


時間を自ら


作ってゆく勇気って


とても素敵だなって感じているの


今回夢をかなえる友人を


見つめながら


忘れかけていた


様々な宝物を


見つけられたような気がしたの












数日前


以前から余命を


伝えられていた叔母が


天国からお迎えが来て旅立ったの


その叔母とは


多くの親戚が


よい思い出がないように


私にとっても


思い出すことが辛い


思い出が多いはずなのに


言葉では上手に


表現できないのだけれど


命の儚さにふれ


不思議とすべてが


許しへと変わり


そして


当たり前の事だけれど


この時代の中で


様々な体験ができるのにも


タイムリミットがあることを


改めて


頭だけではなく


心の深い部分で感じていたの


叔母は自分が


招いた事とはいえ


本当に大変な人生を


送っていて


人の愛を知る事なく


過ごしていた人だったので


余命を伝えられたとき


叔母には


この世に生まれてきて


よかったって思ってから


旅立ってもらいたいと


強く願っていたの


子供たちとも叔母が原因で


疎遠になっていたのだけれど


今回のことで


どんなに叔母が


嫌な顔をしても


子供たちは毎日


叔母に会いに行き


優しくふれあっていたの


叔母は言葉を


優しく上手に表現できない人


だったけれど


きっと最後の最後に


子供たちや私の両親に


愛されている事を


感じてくれていたと思うの


叔母は弱さを


見せる人ではなく


なんでも自分ひとりで


背負い込んでしまう人だったと思うの


だから


その強さを人にも求めたりしていたと思うの


そして人に優しくしたいと


思っても


どんな風に愛情表現をしたらよいのか


わからなかったと思うの


以前私が弟夫婦と


話しているとき


弟夫婦が


いなくなったとき


私に


「そんな風にニコニコ


話をしていたらなめられるよ」って


伝えられたことがあって


その時


その言葉の表現に


少し驚いて


しまったのだけれど


きっと叔母はそんな風に


虚勢を張らなければ


生きられない体験の中で


長い間


過ごしてきたのかなって思ったら


言葉は適切では


ないかもしれないけれど


かわいそうになって


抱きしめてあげたい気持ちになったの


弱いところを


見せない人だったから


悲しい体験などは


話さなかったけれど


きっと


いっぱい・いっぱい


涙が枯れるほど泣いて


その時に


心も枯れてしまったのかなって思ったり・・・


人には歴史があるから


過去の体験から


今の自分が


創造されていると思うの


もしも生まれ変わりというものが


本当にあるのならば


今度は愛に包まれた


あたたかいスペースで


たくさんの喜びを


体験できるところに


誕生できるといいなって


思いながら


今時を過ごしているの









この間


何気なく見ていた雑誌に


心惹かれる


開運のヒントが載っていたの


日本人で初めて


世界銀行本部で


人事マネージャーや


カウンセラーとして


活躍していた方のようで


世界中の成功者との


ご縁も多く


その中で


成功者ならではの習慣に


ふれられて


自分もそのなにげない


習慣を行うことで


やはり豊かな人生を


受け取ったようで


その事が紹介されていたの


毎日の日記をつけるのだけれど


ポイントがあって


その日にあった


①ちょっといい感じの出来事


②誰かにお福わけ


③誰かからもらったもの


④○○にありがとうというように


この四つのパーツで


一日を振りかえって書いてゆくようなの


もしもその日に


何も書く事がなければ


今日一日健康を


ありがとうでもよいと思うの


②のお福わけは


物だけではなく


誰かに手渡したものを


書いてゆくようなの


たとえば誰かに


どこかのお店情報を


教えてあげたとか


瞳には映らない情報や


人のお話しを聞いてあげたとか


誰かのためにしてあげたことなの


③の誰かにもらったものも同じで


物だけではなく


励ましであったり


安らぎ癒しだったり


自分がもらった嬉しいことを


書いてゆくといいみたいなの


④の何かに対しての感謝は


対象は人だけではなく


その方の感性で感じ取った事で


感謝できるものを


見つけ書いてゆくとよいみたいなの


そしてその方が


もっとも大切で効果的なのは


②のお福わけと④の感謝が


多くなればなるほど


人生の流れが変わり


幸福がたくさん


流れ込んできて


豊かな人生になることを


伝えられていたの


その内容を読みながら


現実のお話なのだけれど


この流れは


まさに精神世界と


リンクしていることなんじゃないかなって感じていたの

普通に考えたならば


自分が誰かから何かを


頂くことが多ければ


多いほど得と言う思いが


生まれてきそうだけれど


精神世界的に魂で


人生を見つめてみると


得が必ずしも


得とは限らなかったり


人に手渡す心の豊かさが


益々同じ波動の


豊かさを運んできてくれたり・・・


世界的に成功されている方たちって


知識として


精神世界を学んでいなかったとしても


自然に


そのような流れを


毎日の生活の中に


生かされているんだなって感じていたの


確かに感謝ができる時って


感謝を伝えられた方も


笑顔のお返しをしてくれたり


自分自身も心地がよくなって


相乗効果で瞬時に幸せを


目の前に作り出すことができる


素敵な魔法だから


その魔法を


毎日日記という形でも


書きながら感じることで


幸福な流れが


作られてゆくかもって感じていたの


幸せって


とっても大きくって


時には


遠い遠い場所にあるように


思うこともあるけれど


大きな幸せも


ほんの小さな積み重ねで


繋がっていているんじゃないかなって思うの


私たちが過去を振り返って


見つめてみると


過去にちょっぴり無理かなって


思っていた幸せも


今では小さく感じるほど


当たり前に感じていることもあると思うの


そのことに


気づく事ができたならば


今それそれが


望む幸せも


未来の自分が見つめたならば


笑ってしまうくらい


その幸せも


当たり前にできるんじゃ


ないかなって思うの


その流れはどんな時も


今という時が


未来を創造しているから


今感謝や喜びの時間を


重ねるということは


未来に光という


栄養を与え


未来を育む事になると思うの














今ある女性アーチストが


35歳以上の女性に対して


表現した言葉が


問題となっているけれど


私自身も心に深くほど


今回の言葉は


印象に残るものだったの


以前ある男性議員の方が


女性に対して


好ましくない表現をされた事が


あったけれど


その方の場合は


性別・年代


あらゆるものから


そのような好ましくない


言葉があふれることは


私の中では


あまり驚くことではなかったの


でも今回は


言葉では上手に


表現できないのだけれど


女性の多くは


受け止め方が違っていたんじゃないかなって感じているの


私自身


結婚してまもなく


その頃中のよかった友人に


何気ない会話の中で


「子供はやめておいたほうがいいよ


30歳過ぎたら


健康な子供を


産めないらしいし


子供も他のお母さんと違って


ふけているお母さんはかわいそうだよ」って


伝えられたことがあって


その当時は


まだ子供のことなどを


考えてもいなかった私でも


何か表現のできないショックを受けたの


言葉の意味だけではなく


それはきっと


同じ性別を持つ


女性だったこともあったんじゃないかなって感じていたの


今の時代は


数十年前の価値観とは変化していて


結婚・出産が当たり前のように


30代でも多い中


伝えられてきた医学的な事や


価値観も変化を迎え


過ごされている方も多いけれど


時々


昔伝えられてきたものを


正しいという


認識で持っている方もいると思うの


私自身も


10代・20代の頃は


頭の中では


30代・40代更に


人生が繋がっていると


理解していても


想像はできず


その当時


きっととても失礼なことを


失礼だと思わず


表現してきたんじゃないかなって感じているの


30代って


10代・20代の頃は


とても大人で


小さなことには揺るがず


過ごしていると


漠然と思っていたけれど


実際その年齢になって見ると


10代・20代の頃と


問題が違うだけで


ぐらぐらと


心が揺れてばかりいて


何も変わっていなかったの


今回問題になっている事柄は


女性にとって


もっともデリケートな


問題だったと思うの


問題は少し違うけれど


以前友人たちと


集まったとき


ある方が子宮ガンになって


手術をし


今は元気に過ごされていることを


手術を考えている


私を励ますつもりで


伝えてくれた友人がいて


そのような会話になった時


もう一人の友人が


「そうなんだ~


あの人前から


男っぽいなって


思っていたんだよね


子宮がないから仕方ないよね」っていうような


表現をした事があって


その瞬間


私も他の友人も


驚いてしまったのだけれど


私自身


ショックはその頃


いくつも経験していたので


ショックというよりは


知識がないことを


何か自分の価値観と


結びつけて


表現する事は


とても人の心に


ダメージを与えてしまうことを


その瞬間気づかされ


自分は気をつけようと


その時感じたの


そして私は手術を


考え日々


過ごしていたこともあって


その方の


心の瞳がこわくなって


ご縁を


終えさせてもらったの


でもその方も


特に悪気があったわけではなく


日々そのような


表現と価値観を持つ方たちと


話していたことを


たまたま


私の前で


表現しただけで


決して


私にダメージをあたえようと


したわけではないとは思うの


人は誰でも


会話や行動・思いを


その時々に応じて


使い分けているけれど


ふっとした


無意識のときに


もっとも根強く


刻まれている


自分の中での真実が


溢れてしまうものだと思うの


だからこそ


日々自分が考えること


思うことが


大切なんじゃないかなって感じているの

私が思うのは


心の中で思うことや


考えていることは


誰に伝えなくっても


オーラへと転写されたりして


言葉に表現はしていなくっても


周りに何かを


感じさせてしまうものとなったり


何気ない会話の中に


心で考えている事思いなどを


言葉にしてしまうと思うの


ただいつも感じることは


同じ性別を持ち


同じような人生の流れを


秘めている女性が


偏見や思い込みで


多くの女性の笑顔を


消してしまう流れは


とっても悲しいなって感じているの












この間


母から今まで


聞いた事のなかった


心のお話しを


聞く機会があったの


母は兄弟の真ん中に


生まれ育ち


両親の愛情は


上下に注がれ


自分が実家に帰るよりも


兄・姉・弟・妹が帰ると


とても嬉しそうな顔をして


悲しかった記憶や


自分が子供を産み


育てることがこわかった話など・・・


言葉では上手に


表現できないのだけれど


今までで


最も母を


近くに感じた瞬間だったの


子育てされている方の多くは


愛する自分の子供に


この世の最も美しいものを


手渡したり


瞳に映してあげたいと


素晴らしい大人の見本として


自分を演出しようと


がんばることが


あると思うのだけれど


人間って


子供も大人も同じで


必ずしも


形の美しさではない


瞳に映して


もらいたくないものから


多くのものを


学び気づきながら


心や魂が


深く熟成されてゆくものだと思うの


時には本人が見せたくない


心の弱さや涙から


接する人たちは


人を愛しく思う気持ちが


育まれたり


表現する言葉とは違った


別の思いをくみとる


愛の瞳が


養われていったり・・・


子育て中の方は


ありのままの自分で


ゆっくりと子供と共に


時間を過ごすだけで良いのだと思うの


たとえ良くないと思う


自分の行動や思いがあっても


自分を責めたりせず


ただ・ただ


愛しいわが子を


見つめていたら


十分親としてのお役目を


果たされていると思うの


よくこの世に誕生する時には


子供が親を選んで


誕生してくると


伝えられているように


あらゆる事は想定されていて


その中で


共に高めあえると感じて


親として選ばれた人なのだから・・・











日本のことわざって


かならず


同じ事柄でも


ふたつの言葉が


用意されているんじゃないかなって感じていたの


たとえば


「あきらめが肝心」という


ことばがあると思えば


「石の上にも三年」とか・・・


きっとことわざって


言葉の通り


言葉の技だから


どんな方向に選択しても


救いとなる言葉が


用意されていて


今立つ場所が


正しい歩みだと


心に届けてくれる


知恵なのかなって感じていたの


そう思うと昔から


絶対的な正しい道はなくって


その方それぞれに


これでよかったって


思えるかどうかで


選択が


正しいものとしてゆくものなんじゃ


ないかなって感じていたの


同じ出来事でも


ある人は人生に大きな傷を


刻んでしまう事となったり


ある人は


その出来事が


人生のターニングポイントと


なったり


ある人は結果は


望んだ形には


ならなかったけれど


その出来事を


人生の栄養として


よき事として終わらせたり・・・


結局


すべて自分の心が


自分を見つめて


納得できる形に


すべてを収める事ができるならば


それは正しき選択で


幸福なことなんじゃないかなって感じていたの


私の知り合いに


美容に関わる仕事を


ずっと続けている方がいるのだけれど


まだ仕事して


始められる前から


海外に出かけて


あらゆる美容法を


ためしに出かけたり


様々なコスメを購入し


自分を輝かせていたの


その頃


周りはゆっくりと


未来へ向けて確かなものを


積み上げていて


その知り合いを心配していたの


そして彼女も不安が


少しあったので


未来を考えて


結婚したのだけれど


時間と共に


まるで別人のように


心がいつも曇り


慢性的に心が風邪を


ひいた状態になっていたの


そして定期的に


病院へ足を運びカウンセリングや


お薬でなんとか保っていたの


偶然


その方と街でばったり会って


その頃


私自身も


子宮の治療で


心身ともにおしつぶされそうに


なっていた頃だったので


この出会いは


偶然ではなく


とても大きな意味が


あるんじゃないかなって感じていたの


彼女は一生懸命に


平常を保とうと


呼吸が辛そうだったので


私は私の事からお話をしたの


その中で


「私は私にふさわしい


答えを知っているの


でも私が出す答えによって


多くの人の希望や予定が


変わって


悲しまれることが辛くって


ずっと痛みを我慢して過ごしていたの


両親などは


私に会うたびに楽しそうに


まだいない私の子供と


出会うのを楽しみに


話を伝えてくるたび


その思いを消してしまう事ができなくって


心身の痛みに耐えてきたの


でもある女医さんと


出会い話していたとき


両親に辛い思いをさせたくない


気持ちはわかるけれど


あなたが一番辛いはずよって伝えられて


その瞬間


抑えられなくって


声が出てしまうほど


涙が流れてしまったの


私の病は


外から見えるものではないから


わかってくれる人が


その頃いなくって


初めて理解してくれる人と


出会った喜びがあったの


幸せってみんな


同じじゃないと思うの


私の場合は


小さい頃から


幸せ感じるもの


惹かれるものが


その年齢にふさわしいもの


じゃない事も多くって


変だと思われることを


強く怖れていたけど


この世に誕生してきたのは


一人の人間として


私なりの幸せを形にしてゆくためだと


思ったの」って


彼女に話してみたの


そうしたら話を聞いている間中


涙をふくこともなく


ずっと彼女は泣いていたの


私は彼女も


自分にふさわしい答えと


幸せを


知っているけれど


あらゆることを考えて


立ち止まり・何度も止まるを


繰り返してゆくうちに


自分の中の何かが


停止してしまったのだと思うの


男性でも女性でも


結婚前は


輝く瞳に惹かれて


恋に落ちて


深い愛が育まれてゆくけれど


人は確実で


確かなものを


保ちたい気持ちから


相手の瞳に映るもの


すべてに制限してゆくことってあると思うの


そうすることで


どちらもエネルギーが枯れて


自分の人生を生きることを


やめてしまうことって


あるんじゃないかなって思うの


そして問題が生まれないように


限られたスペースに


収まろうと


努力を重ね


その間に


心が風邪をひいてしまう事もあると思うの


その知り合いはその後離婚し


美容関係の仕事を


初め


今は雑誌などに


小さく表示されるまでになったの


名前を見つけるたびに


なんだか嬉しくって


私も小さな元気をもらっているの











2008年は


自分が日々無意識に


考えている事が


目の前に現れてくる年なんじゃないかなって


ふっと感じていたの


数ヶ月前


友人が自分の夢だった


お店をオーブンする運びとなって


その時から


そんな風に感じていたの


友人が秘めていた夢を


叶えるには


予想を超えた


金額が必要で


いつか・いつかって


思うくらい


遠いことのような


夢だったのだけれど


今年になって急に


偶然の一致が重なり


揃えなければならないはずの


道具などが


80%以上安い価格で


譲ってくれる人が現れたり・・・


でも起業するための資金を


銀行から借りるには


独身女性には


難しいかもって


思っているところへ


以前から取引のあった方が


保証人になってあげると


向こうから伝えられたり・・・


とても速いスピードで


自分の内側に秘めている事が


現実になっていったの


その友人を見つめながら


私にはどんなことが


届けられるかなって


思って過ごしていた頃


なんの違和感もなかった差し歯が


突然抜けてしまって


気の進まないまま


歯医者さんへと足を運んだの


そうしたら


未病ではあるけれど


メンテナンスが必要な歯が


いっぱいあって


せっかくだから


この機会に美しい白い歯に


すべて整えようと思ったの


歯医者さんは苦手で


行くまでは


思いがそのまま現実になる


年だったと思っていたけれど


本当は違うのかな


なんて不運なのって


思っていたのだけれど


その後友人から電話が来て


その事を話しているときに


「さーちゃんは前から


歯を真っ白に


綺麗にしたいって


言っていたから


いい機会だったんじゃない?」って伝えられ


はっとさせられたの


私の場合も友人の場合も


足を止めていたのは


金額的な事だったのだけれど


友人の場合も


私の場合も


背中を押される形で


そのように整っていったの


でも私の場合は


友人と違うのは


人生で貯金というものをした事がないので


迷いもあったのだけれど


歯医者さん専門のクレジットが


あることを教えていただいて


手数料などはかからないしって


踏み切る事ができたの


2008年が始まって


まだまもないけれど


今年はよい意味でも


逆に意味でも


自分が考えていることが


目の前に運ばれて


来る年なんじゃないかなって感じているの


その意味でも


今まで以上に


見つめるものに


注意が必要だと思うの


精神世界で


よく伝えられている事だけれど


神々はその人が望んでいることと


望んでいないことの区別はなく


ただ日々思うことや


考えていることを


祈りのようなものととらえて


現実にするといわれているから


その作用が


今年は大きく働くんじゃ


ないかなって思っているの


そして今までチリのように


積もった考えや思いを


整理整頓するために


過去の膿を出す時期でもあると思うの


その事によって


自分が望んでいたことでも


現実に用意されると


本当は望んでいなかったことに


気づかされたり


言葉では上手に


表現できないのだけれど


今の自分は本物の自分じゃないと


内なるスペースに作り上げた


自分が現実になる日を


待ち望み


すごされている方も


今の自分を


愛せるようになったり・・・


今年は心身の中にあるものが


すべて目の前に出して


整理整頓する年だと思うの


だから


ちょっぴり心身のアップダウンも


いつもより速いペースで


訪れると思うの


人によっては


追い立てられるように


あれこれと様々なことが


次々と訪れて


忙しさを感じると思うの


でも2008年を終える頃には


多くの方が


心身の浄化が整い


振り返ったときには


人生の大掃除ができた


爽快感さえ


感じられるんじゃないかなって感じているの


ただそれまでは


ちょっぴり大変な時間もあるけれど


すべては幸せに


繋がっているのだから


気持ちはリラックスしながら


ありのままに


起こる出来事を見つめ


必要なものは


自分の中に収めてゆけば


いいんじゃないかなって思うの
















「運も実力のうち」っていう


言葉が日本には


あるけれど


本当にそうだなってよく感じるの


昔は運やチャンスは偶然に


まるで風のように吹いてきて


たまたまその風の吹く場所にいた人が


運やチャンスを一時的に


授かるものだと


感じていたのだけれど


本当はそうではないんだなって感じているの


運やチャンスかなって


思うような出来事って


誰にでも平等に


届けられているのだけれど


運ばれてきた運やチャンスを


受け取る準備が


整っていなくって


無意識に自分から


身を引いてしまう事も多いと思うの


その運やチャンスが


大きければ大きいほど


受け取ることが


こわくなってしまったり・・・


きっとその時のジャッジが


大きく答えが違ってくる


ポイントなんじゃないかなって感じているの


チャンスは運は


準備が整っている人が


受け取れるものでもあると思うの


それは経済だけではなく


逆に経済が整っていなくっても


自分がしたかった事が


やっとめぐってきた時


めぐってくる日を信じて


その日まで


心身を整えておくことだとも


大切なんじゃないかなって思うの


自分に運やチャンスが


巡ってきた時の自分を


イメージしながら


自分のやりたいことに


必ず触れる時間を


作る事が


大切なんじゃないかなって感じているの


少し当たり前のように


思われるかもしれないけれど


多くの場合


漠然と「こうなったらいいな」って


思う事はあっても


そのなりたい自分に


近いものと過ごす時間を


持っていない方も多いと思うの


そうなると


せっかくのチャンスや運が


巡ってきても


何もしなかった


自分が不安を感じて


身を引いてしまうことになってしまうと思うの


そして運やチャンスは


偶然のように映ることが多いけれど


後で見つめてみると


理解できる形のものが


多いんじゃないかなって思うの


よく伝えられている


開運につながる行いや場所に


足を運んでいたり


空間がいつも


気の通りが良いように


整えられていたり・・・


私の友人の中にもあっという間に


軌道に乗って


その世界で成功している


友人がいるのだけれど


その友人を見つめていると


うまく事が運んでいなかった頃は


お部屋もリラックスできないほど


歩くたびに


何かがあたるような空間だったり


会話の中で


必ず愚痴や否定的な思いが多かったの


たとえ楽しい出来事であっても


驚くほど


否定的にとらえて表現していたの


でもある時様々な事情で


引越しをしなければならなくなって


その頃ちょうど


会社の寮から引越しを


しなければならない方がいて


せっかくだからルームシェアをする事にして


通常一人ならば選ぶことのない


素敵なマンションへ


引越しをする事になったの


その時多くのものを手放し


すっきりとしたライフスタイルが始まったの


そして友人は今まで


行動力があるので


おうちで過ごすことが少なく


その事もあって


いつも経済的にも


満たしてくれるほどではなかったの


でも自分が無意識に


望んでいた形のライフスタイルが


始まってから


お掃除を日々するようになったり


あらゆる開運に繋がることを


無意識に重ねていたの


そうして会うたびに


本当に勉強になるなって


思うくらい


自然な形で色々なことを


伝えてくれるようになったの


そんな時


ルームシェアしている方が


一人で暮らすことになったのだけれど


その頃には


会社でのポジションも上がり


あらゆる事が


満たされていったの


私はその友人をずっと


見つめてきた事もあって


運やチャンスは


偶然ではなく


整えられているから


訪れたように感じているの


そして友人がチャンスや運が


訪れたときも


そのことに備えて


今まであらゆる会社の雑用をしてきたから


会社の流れや望んでいること


望まれていることを


把握してきたからこそ


躊躇する事なくチャンスを


受け取ってこられたと思うの


ただ漠然とその場所で過ごすのと


未来に繋がっていることを


今から準備し


整えているのでは


きっと自分の心の状態が


違うんじゃないかなって感じているの


瞳には映らないパワーって


存在していて


そのエネルギーを整えるものは


人それぞれに


違うと思うのだけれど


本当に小さなきっかけで


日常が変わる事って


あるんじゃないかなって感じているの


私自身は自分の自信のなさから


いつも身を引いてしまい


大きなチャンスを受け取れない


臆病なところがあるので


もっと自分に自信を持てるように


自分が受け取りたい


プレゼントに見合うよう


自分になれたらいいなって


日々美しいものを見つめながら思っているの















今日友人と話していて


とても


考えさせられた時間があったの


何かの会話の途中で


友人が霊能力について


尋ねてきて


「生まれつき能力のある人と


能力はないけれど


勉強したり


学んでゆくのでは


どちらが力があるのかな?」って


聞いてきた時


この間偶然に見た


TV番組を思い出していたの


優秀なDNAから


生まれた方がいて


やはり幼い頃から


天才で


周りからも期待されて


きたのだけれど


彼はみんなの期待から


離れるように


普通に学校の教師になったの


彼の素質は


きっと最高のものが


備わっていて


どのような方向にも


人生を選択できるとは


思うのだけれど


人間はロボットではないから


心や感情という


あたたかいものがあって


自分が求める


幸せを選んだと思うの


友人に尋ねられたとき


その事を思い出しながら伝えていたの


友人は私の事を


長い間見つめてきていて


ありがたいほどに


信頼と尊敬を


伝えてくれていて


いつもいっぱい


自信を与えてもらっている


大切な友人なの


その友人には


私と同じ年齢のお姉さんがいて


そのお姉さんは


私とはまた違い


生まれたときから


スピリチュアルな体験を


重ねてきたのではなく


20代後半から知識を重ね


今様々な形で


スピリチュアルな時間に包まれ


過ごしていて


学びを求める方に


そのような知識を教えたりする


仕事をされているの


友人は生まれたときから


不思議な体験に包まれ


過ごしてきた


直感的生き方をする私と


知識とあらゆる学びを重ねて


論理として理解し


霊的力を育んでいる


お姉さんを見つめながら


ふっと感じたのだと思うの


それはきっと


ひとつには


友人が無意識に


私にもっと高めてゆけばいいのにって


エールを送ってくれているようにも感じたの


ただ私って


いつもそうなのだけれど


自分との折り合いをつけて


自分の心が


向かう方向にしか進めない


心の羅針盤を持っているので


わかっていても


そのタイミングが整わないと


立ち止まってしまう所があるので


自分自身でも


背中をしたくなる時が


度々あるくらいなので


やはり独学プラス


自分の心が選び取ったものや


タイミングでしか


高めてゆくのは


難しいかなって思うの


幼い頃から


何か周りから届けられる


あらゆるものから


心が動いて


心と身体が一致して


体感してゆく形で


学びを重ねてきたので


きっとこれからもそうだと思うの


ある部分は


とても素直なのだけれど


ある部分は


とても疑り深いというか


いったんその受け取った知識を


自分で試してみて


結果によって


教えとして吸収するかどうか


決めているところがあるので


とても学びが他の方よりも


スローなところがあると思うの


たとえば


パワーストーンなどでも


様々な本などに書かれた


知識を読んでみてその石が


そのような作用を持っているのか


数週間触れ合ってみて


私が感じたことが


その本に書かれた効能と


違う感覚が伝わってきたならば


その感覚を大切に


また新たに期間をあけて


その石と触れ合って


やはり同じ感覚を感じたならば


その感覚を自分の中では


石の持つ効能として大切にしているの


たとえば同じ水晶という


枠組みでも


微妙に違ったささやきを


伝えてくる水晶もあって


なぜだろうって思って


親しくさせていただいている


宝石店の方に尋ねてみると流通している


水晶の球体の多くは


水晶を一度溶かして


形を整えたものも多く


その水晶の分量によってじゃないかなって


教えてくれたの


確かに本水晶は


どうしてもクリアにする事は難しく


クリアな部分だけを使うとなれば


10mm玉くらいでも


何十万もする高価なものになるから


そのような加工技術が


発展してきたのだろうなって感じていたの


でもガラスではない限り


バイブレーションの大小はあっても


伝わっているので


人工美であっても


石が放つエネルギーが


とてもすきなの


言葉では上手に


説明できないのだけれど


石と心と波動で繋がり


言葉ではない


感覚的なささやきで


いつもたくさんの答えを


与えてもらったり


心身の浄化&パワー充電をしてもらい


私にとっては


カウンセリングの先生と


祈祷師がいつも


そばによりそってくれているような感覚なの(笑)


今海外から


50kg前後の大きなクラスターが


私のおうちまで


旅を続けていて


届く日を楽しみに待っているの