2008年1月



昨年は変わりない


おだやかな時間を重ね


今年のスタートには


多くの方の笑顔を見つめられて



本当に素敵な年末年始を


迎える事ができたの


年々人の優しさがありがたく


今この瞬間も


戻らない時間になると思うと


人や時間を


とても愛しく感じているの


年初めは


以前から友人にオーダー受けていた


アクセサリーたちと共に


友人たちひとり・ひとりと


会う機会をもらって


改めて


人が求める幸せの形や


幸福を感じる時間が

様々なことを感じていたの


昨年ご縁があって


親しくさせてもらっている


友人のひとりに


性同一障害で


男性から女性になった方がいて


仲良くなってから


しばらく話す時間を重ねた頃


打ち明けてくれたの


その友人は


容姿も美しく


打ち明けてくれるまで


本当に気づかなかったの


ただ話の中に


女性として悲しい体験が


とても多く


とても印象に残っているのは


恋人はすぐにできるけれど


将来的に結婚は難しいと


よく話されていたの


それで私は「どうして?」って


尋ねてみると


「私は子宮に問題があって


子供を産めないから・・・」と


答えていたので


たまたま出会う男性が


そのようなことを


強く望んでいたからなのかなって


思っていたのだけれど


きっと自分の事を


打ち明けるたびに


関係が形をなくしてしあう事が多かった


悲しい体験を


重ねてきたのかなって感じていたの


彼女が私に打ち明けてくれるまで


きっといっぱい・いっぱい


考えて


そしてなにより

私を信頼し


伝えてくれたんだろうなって思うと


本当に嬉しかったの


彼女と話していて


改めて


私自身


自分には当たり前に


備わっているものへの


感謝が足りないなって


日々気づかされているの


その友人の求める幸せは


ただ・ただ自分を


ありのままに愛してくれる人と


人生を共にすることで


それ以上は望んでいないと表現していたの


その言葉を受け取り


人と人を繋ぐ


心の愛の原点を


学ばせてもらった気がしたの


私などは


その時々女性という性別があるから弱さを
.

最もつよい言い訳にして


パートナーを説得しようとしてみたり


結婚という制度で


本当は大きな束縛を


感じると思いながらも


深い部分では


何となく心の安定を


保っている事など


まっすぐに


見つめられる機会を


与えてもらっているの


その友人からオーダー頂いていた


アクセサリーを手渡した時


彼女の笑顔が輝き


とても喜んでもらえたの


その時彼女が


「さーちゃんって


まるで漢方薬を調合する


薬剤師みたいね


薬が石に変わっただけでしょ


これからも


心の薬剤師として調合お願いね」って


言葉をもらったの


私はその言葉がとても嬉しくって


涙が溢れそうなったの


それはきっと


私が最も大切に思っている


ライフスタイルを


認めてもらえたと同時に


その言葉は


彼女の声を伝って


神様が伝えてくれた


メッセージのように感じたからなの


今はまだ理由や意味を


受け取ることはできないのだけれど


漠然と


石との対話やふれあいから


表現できない感覚を


受け取れることが


昔は意味のない事だと


思っていたのだけれど


今この時代は


進化した人々も地球上に


溢れてきてくれたおかげで


意味のある力だよって


教えていただき


ありがたくって


どんな時も


心があたたかく過ごすことができているの


年末年始は


弟の元に舞い降りた


天使ふたりと共に過ごし


その天使たちも


今ではおしゃれが大好きなで


私が身につけているもの


すべてに興味があるようで


「これキラキラしてかわいいねさわらせて」とか


伝えてくれたの


子供はとてもまっすぐに
.

思ったままを表現するので


何か感じてくれていることに


とても大きな自信を頂いた気がしたの


今年は自然災害などの


ニュースが多く届けられる


年になるとは思うのだけれど


私と繋がってくださる


すべての大切な方たちが


みんな


それぞれに自分の花を咲かせられる


年となりますように


心から祈っています












私は物心ついた頃から


数回しか


暗いお部屋で


眠った事がないほど


電気を消してしまうと


安心して眠れない


習慣を持っていて


数少ない電気を消して


眠ったのも


その場で共に過ごす方が


真っ暗にしないと眠れないと


伝えられ


今日だけはがんばろうって


思ったときだけなの(笑)


そのお話しを


今日友人が大切な親友を


連れてきてくれた時に話したら


彼女も同じ習慣を持っているようで


彼女はアメリカで深い退行催眠を


体験された時に


自分は北欧で


何度も生まれ変わり暮らし


白夜が当たり前の中で


過ごしていた事もあって


明るい夜が恋しく


安心して眠れることを


自分の口から表現していたそうなの


その話を聞いて


ふっともしかしたら


私も何度か生まれ変わりを


繰り返す中で


北欧で過ごしていたことが


あるんじゃないかなって感じていたの


一時期


無意識に


使用していたものの多くが


北欧のものだった事もあったり


今私と共に過ごす


大切なにゃーと鳴く娘の猫ちゃんも


先祖がノルウェーだし・・・


何か生まれる前からの縁が


知らず知らずに


今の現世にも


映し出されていると思うと


とても神秘的な気持ちに包まれていたの


人は生まれ変わる前に


すべての記憶をリセットし


この世に誕生するけれど


すべての記憶が


消えてしまったのではなく


現世で使える記憶メモリーが


オーバーしないように


バックアップファイルのように


ストックされていて


時々


何かのきっかけで


無意識に選択をするときには


今の自分が


コントロールしないこともあって


映し出されるんじゃないかなって感じていたの


私が暮らす北海道は


まるで北欧のような気候なのも


意味があって


自分が選択してきたのかなって感じていたの


誰もが生まれ変わるたびに


その時不足していると思った事を


もう一度チャレンジし


克服したり


逆にまったく違った人生を


選択される方もいたり・・・


昔友人が表現していたのだけれど


「この世の中は不公平なもの


でも長く見たら


公平なんだよねわかるかな?」って


言っていた事があったのだけれど


その当時は


友人の言葉の意味を


理解できなかった私は


変えられない宿命や


あらゆる出来事に不満を


感じて過ごしていたことが


多かったのだけれど


その友人から


精神世界の事を


そっとさりげなく教わることが


多くなってから


言葉では表現できない


納得感を


感じられるようになったの


瞬間・瞬間


人生のひとコマだけで


見つめたならば


公平ではないように


感じられることもあるけれど


長くみつめたならば


やはり


帳尻が人それぞれに


整えられているんじゃないかなって感じていたの


そして


無意識にちゃんと


自分が深い部分で


望んだものを


周りに集めていたり・・・


私たちは表面的な意識を
.

自分として考えて


過ごしているけれど


時々


言葉に表現していることと


心の深い部分から


溢れるものが


違うことがあるけれど


それはきっと


自分が前世から体験してきた


大切な経験から


重ねてきた思いと


自分と感じている


表面的思いが交差した時に


自分中で


調和が整わないから


届けられるサインなんじゃ


ないかなって感じているの


そして


この世に誕生するときに


選択した家族の持つ


宿命的な流れも加わり


自分が思い通りに


歩めないと


感じられることもあるけれど


本当は


大きな意味があって


その家族を選択して


この世に誕生しているんじゃないかなって感じているの


私の友人の中には


何度か結婚に


チャレンジしてみても


家族全員が


添い遂げられない宿命を


持っているようで


自分の思いとは別に


仕事などでは


成功していて


社会と深くつながり


過ごしている友人が


いるのだけれど


友人自身は


今ある幸せとは別の


スタンダードな生き方を


今でも望み


自分は恵まれていないと


時々悲しんでいるの


その友人と話しながら
.

ふっと


私のことも
.

見つめてみると


私の父方の親戚は


一家族の中の


一人の子供だけが子供を授かる


不思議な連鎖を持っているの


その事を


私の母が最近感じたようで表現していたの


父方の兄弟は


7人いるのだけれど


その7人から生まれた


私と同じ世代の21人の親戚


すべてを見つめてみると


不思議なほどその通りだったの


そして


名前を継いでゆく


男のことには


子供が授からなかったり


授かったとしても女の子だったり・・・


この不思議な連鎖は


自分だけではどうすることも


できないことなのだと思うの


そしてその事にも


深い意味を持って


そのようになっているんじゃないかなって感じているの


母から聞くと


父方の先祖は


あまり良い生き方をしていない人が多く


波乱万丈な方が多く


人から恨みを


持たれているけれど


きっと神様の温情で


一家族に一組だけは


子供を授けてくれているんじゃないかって表現していたの


その言葉を思い出しながら


形は違っても


家族に秘められた


連鎖というものが


あるんじゃないかなって感じていたの


でもそのような家族を


この世に誕生するときに


選択してきたのにも


やっぱり意味があるんじゃないかなって感じているの


何度か結婚しても


添い遂げられない連鎖を持つ


友人の家族も


自分では今受け取れないけれど


自分が心に描けない
.

まだ知らない


幸せのために


そのような人生が


用意されているんじゃないかなって感じていたの


友人の場合は


友人がこの世に


誕生して数ヵ月後に


母親が自らこの世を


去ってしまい


その事を知ったのも


ここ数年で


ついこの間生まれて


初めて


ひとりで


お墓参りにいったようなの


そうしたら


30歳でこの世を


去ったことを知って


友人は一層


母親の年齢を超えている自分と


向き合い


どんなに辛く悲しかったかを思うと


胸がいっぱいになったと伝えてくれたの


そしてその時


友人は結婚だけが


幸せだとはかぎらないと


感じたようで


今までのように


結婚にこだわりがなくなり


今ある幸せに


感謝しながら今過ごしているの


その話を聞いて


人生はゆっくりと


問題を紐解き


その方それぞれに


わかるかたちで


答えを手渡して


くれるんじゃないかなって感じていたの



















私とパートナーは


パートナーの仕事の関係で


一年の半分は互いに


別の土地で離れて過ごしているの


初めはとても寂しく


心細く感じることが


多かったのだけれど


この与えられた


環境は


時間と共に互いを知り
.

そばにいる時よりも


相手のよさや


思いやりが増して


よい距離感なんじゃないかなって感じているの


ただ母には


大人になると人は


誰でも一人が心地よく


その事に慣れてしまうと


今度はふたりで


長く過ごすことが


できなくなるので


その事を


心配しているようなの


確かに


一人で過ごす時間が長くなってくると


お部屋の雰囲気も


知らす知らずに


自分の愛するテイストの


ものだけになっていたり


クローゼットの中も


シンプルに整理されているけれど


彼が帰ってきてからは


え!?・・・(笑)って思うほどになったりして


小さなイライラが


生まれてくることもあるけれど


そんな時私はいつも


互いに元気で会えたから


感じる感覚なのだからって


自分なりに安定剤となる


思いや言葉を


自分で


生み出すようにしているの


そうすると


単純な私は


急にイライラが小さく収まり


幸せな思いの方が


大きくなってくるの


人と共に暮らしている方は


必ず誰でも


小さなイライラを


体験した事があると思うの


たとえば


自分がお掃除して


整えた場所に


洋服が脱ぎ捨ててあったり


歩いていたら


本や雑誌が


歩く道を閉ざしていたり・・・


女性の多くは


美意識が本能的に


備わった方が多い事もあって


美しく飾り付けしたスペースに


無造作に何か


自分の美意識と別のものが


置かれているだけでも


小さなイライラを感じたり・・・


でもこのような出来事は


人と暮らしていると


日常的に届けられる事だからと


その時々


小さなイライラを


自分の中に消化不良のまま


収めてしまい


その消化不良の思いが


時間と共に


自分の意識では


忘れているつもりでも


何か小さなきっかけがあると


消化不良の思いを


外へと出してしまうことがあると思うの


対象は様々で


近くにいる


パートナーや子供であったり


友人や知り合い


偶然に出会った出来事に


登場する


見ず知らずの方であったり・・・


言葉では上手に


表現できないのだけれど


私たちの中には


用途・用途によって


器が用意されていると


私は感じているの


豊かさの器・怒りの器・


有害なものを浄化する器


愛の器など


もっと・もっと器があって


その器の大きさも


浄化のスピードも


人それぞれで


よい事であっても


学び受け取ることよりも


自分の器にいっぱいになっている


思考や思い込みなど


手放し浄化することの方に


時間が必要で


なかなか


思ったように


新しい知恵が吸収できない方もいたり・・・


逆に


新たしい知恵や情報をばかりを


ストックする事で


自分の器の隙間を埋めようと


あれこれと吸収し


受け入れるのだけれど


過去の何かのきっかけで


穴が開いてしまっている


器なので


自分という存在を


ストックできず


いつも流され生きているような


不安を感じ


過ごされている方もいたり・・・


そのような方は


一度器の穴を整える事に


時間が必要だったり・・・


日々

届けられる出来事には


そう違いはないのだけれど


届けられた出来事を


どのように消化し


手放してゆくかという事が


スムーズに行える方と


心の残してしまう方がいると思うの


それはその時の


心身のコンディションも大きく


影響があるとは思うのだけれど


私の場合は


病の痛みを持っているので


こだわり
.

消化不良が重なってしまうと
.

痛みが広がり


身体が教えてくれるので


楽しくない出来事が


届けられたときには


まず


「この出来事は私がイライラしたり


怒っても変わらない」という事を


自分に伝えるの


それから


その出来事によって


安定剤となる言葉を


生み出し心の中に


ストックしておくようになったの


たとえば


人との待ち合わせで


その方がいつまでたっても


こなくって


電話もないので


心配とちょっぴりのイライラが


生まれそうになった時


周りの景色を見つめながら


「人生の大切な時間の中


私と話したいって


思ってくれたから


私はここで待つ事を


体験できているんだよねありがたいな」って思ったり


友人ではなく


何かのきっかけで


話す機会を与えられた方との


言葉の表現に


え!?って思うような


表現が続き


表現しがたい思いが


生まれてきた時には


単純に


「今日はこの方は機嫌がよくないのね」って思うことで


その方を責めたり


自分の心に


相手をあれこれと分析し


同じ空気で気がつくと


傷つけあうことが


ないようにしながら


その空間から離れたとき


意識の中にも


思いを残さないようにしているの
.

誰でもあると思うのだけれど


表現した方も


いじわるしようと表現することは少なくって


たまたま


言葉のニュアンスが


違っていたり


その方の秘めている


言葉の量によって


場面場面で


選択する言葉が


その言葉しか


見つからないこともあるのだと思うの


人生の歩みの中で


人はそれぞれに


親から始まり


友人・社会・本・メディアなどから


言葉を取得して


表現しているので


時々
.

思いと言葉が


フィットしていないこともあると思うの


大人になると


みんな自分と同じように


知っているだろう


わかっているだろうという


前提で


言葉を受けとめてしまうから


え!?って思うような表現が


心に留まってしまうこともあると思うの


私の母は


とても心の中は


優しく素直で


とてもよい人なのだけれど


なぜだか


人に愛される事が


少なく


本人もいつもショックを受けて


悲しみと怒りを


心に感じているの


私は母のよい部分も


そうではない部分も


なんとなくわかる気がするの


母は真意だけを


ストレートに伝えるのだけれど


人には


その言葉を消化し


受け入れるためには


時間や笑顔


他にも


ギフトのように包む言葉も


必要だったりすると


思うのだけれど


母はその部分がないの


なのでストレートに


自分の中の言葉を


そのまま伝えるので


受け取った方は驚きも多いと思うの


私は自分なりに


母が伝えたい言葉を


自分がギフトのように包んでから


受け取っているので


慣れてはいるのだけれど


私のパートナーは


初めの頃


とても驚きとショックとで


複雑だったこともあったの


人は言葉という


言霊によって


強く・深く


心に浸透してゆくこともあって


言葉の表現が


その方の人格まで


決めてしまう


ひとつとなってしまう事もあって


受け取る方も


表現する方も


大きな誤解を


生んでしまうこともあると思うの


なので相手を変えようと


たくさんの時間と怒りを


重ねるよりも


自分自身の中で


解毒してゆく言葉や思いを用意したり


安定剤となる


時間を作ったり


自分自身の中に


たくさんのものを


整えてゆくことが


大切なんじゃないかなって感じているの


















世界は


様々な時代を経験し


地球で過ごす方たちは


その時々


深い悟りを


無意識に受け取り


その中で


自分を満たし・支え


この地球に


自分が存在している意味を


言葉では表現はしないけれど感じ取り


愛への進化をしているんじゃないかなって感じているの


多くの方が


今までならば


感動したりしなかった事に


感極まるほど


心があたたかくなったり


形を超えて


愛という瞳には映らないものを


心で受け取れたり


体験されているんじゃないかなって感じているの


20年位前の地球は


活動期でそれに伴い


地球で暮らす人々も忙しく


個々の人生を考えるというよりは


世界全体の空気に包まれ


届けられる出来事を


ゆっくりと見つめる時間もなくって


それがとてもよい事として


過ごしていたけれど


地球が瞑想期に入り


今までのことを


ゆっくりと見つめる時間が


多くの方にも訪れて


今まで見つめずに済んだ問題を


長い時間


見つめなければならなくなって


瞑想できず迷走し


心がかぜをひいてしまって

迷いや不安が多くなり


この世を自ら去る方も


多くなっていると思うの


ポジティブな言葉が


この時代は溢れてきて


頭では理解していても


自分の心身に


フィットしていない違和感を


体験されている方もいたり・・・


逆に


瞑想期を迎えた


地球を受け入れず


そのまま活動期を続け


歩んでいる方もいたり・・・


同じ事をしているはずなのに


地球が活動期の頃とは


やはり少し違って


立ち止まるとふっと


寂しさや大きな不安が


瞬間感じることが多いと思うの


それは個々の性格や


ライフスタイルが


問題なのではなくって


活動期から瞑想期へと


地球がシフトチェンジしたから


そのエネルギーを


無意識に感じて


そう感じているだけだと思うの


そして


多くの方が


抽象的だった愛を


頭と心と魂で


見る素敵な機会を


地球が用意してくれているんじゃないかなって感じているの


現実に今寂しいくって


まるで世界中の


誰も自分がここにいることに


気づいてくれていないのではないかって


思ってしまうほど


寂しい気持ちに


包まれている方も


ゆっくりと静かに


自分の歩んできた人生を


振り返って見つめてみると


あなたの笑顔のために


がんばってくれた人


今のあなたに辿り付ける


きっかけという


光を


届けてくれた人


あなたの幸せを


願ってくれていた人が必ずいたと思うの


それはすべて神様が


あなたのために


人生に登場させてくれた人たちだと思うの


もし思い出せるのならば


その方たちが


手渡してくれた言葉や


風景を思い起こしてみると


いいんじゃないかなって思うの


そうすると


自分は自分だけの


ものではなくって
.

誰かの希望や


大切な思いでとなっている


大切な存在だと感じ


知る事ができると思うの


そして


あなたが出会った方たちに


何かを形で
.

手渡すことや繋がる事が


できていないと感じ


自分の存在価値を


感じられなかったとしても


この世界で存在している


すべての人は誰かの記憶には


大きな力を残してきていると思うの


人によっては


過去の記憶が


今の支えであったり


道を照らしてくれる


灯火となっている事もあると思うの


逆にあまり好ましくなかった


記憶であっても


人によっては


その記憶が立ち上がる力となって


前に進むスピードをあげてくれたと


あなたに


感謝している方もいたり・・・


自分が思っている以上に


一人・一人が


誰かの人生と重なる


素敵な瞳には映らない


プレゼントを


交換し合ってきていると思うの


過去を振り返ったときに


見つめたくない自分ばかりが


登場してきてしまう事ってあるけれど


今後悔を感じているのならば


その事は


やはり今のあなたを作るためには


必要な出来事で


そして


後悔を感じられるのは


その当時よりも


ステップアップし


ほんの少しでも高い所から


過去の自分を


見つめられるから


感じられる思いなのだから


深く自分を責めずに


後悔できた自分を


お祝いしてあげたらいいんじゃないかなって思うの


ずっと気づかないまま


年を重ねられることもあるのだから・・・


後悔や反省を言葉とすると


ネガティブだと思われている方も


いるとは思うのだけれど
.

私はそうは思わないの


何も気にもとめず


テンション高く過ごすことが


とてもポジティブだと映るけれど


その行動がタイミング的に


その時の心にフィットしているだけで


そのように映るのは


ポジティブだからではなくって


本当にポジティブなのは


今そのような


心のお天気ではないのに


自分の心を晴天にするために


導いてゆける力を


秘めているか


どうかっていうことなんじゃないかなって感じているの


そんな風に見つめてみると


多くの方は


表現が違うだけで


今よりも笑顔になりたい


今をどうにかしたいという


思いから


悩んだり・考えたり・不安に


なっているのだから


本当は


とてもポジティブなんじゃないかなって感じているの


だから


あまりポジティブという言葉を


あまり気にしなくっても


いいんじゃないかなって感じているの


そしてスピリチュアルな世界は


現実的に


答えが出せないものへの


ヒントを与えてくれる


知恵の1つなのだから


くれぐれも


自分の世界を小さくし


苦しめてしまわないように


過ごすことが


大切なんじゃないかなって感じているの




















私たちは


人生の中で


自分が選ぶものを


周りも理解し


祝福してもらいたいと


強く思うことがあると思うの


でも自分が思ったように


周りの方が


理解してくれなかったり


誤解を招いてしまうと


一生懸命に説明をし


そんな時間を重ねていると


時間と共に


自分が決心したことや


思い描く世界へと歩んでゆく事さえも


迷いが生まれ


不安になったり


逆にわかってくれない相手へ


怒りや非難を


生み出してしまう事があると思うの


そして理解してもらおうと


長い時間をかけて伝えても


難しい事もあると思うの


それは相手が


理解不足なのでも


伝える自分が


問題だからでもなく


お互いに秘めている真実


価値観・人間観・人生観など


あらゆるものが


違っているだけだと思うの


だから


理解してもらえなかったとしても

その事柄が

自分の人生に必要なことならば


自分を信じて


自分を幸福にする事に


一生懸命になったら


いいんじゃないかなって感じているの


私の友人で


創作活動を仕事としている方がいて


結婚しているのだけれど


パートナーと別に暮らす事を選択して


自分の人生を満たしている友人は


今の暮らしをする前は


周りの反応に対して


どのように


理解してもらったらよいのか


考えすぎてしまって


何度も考えているうちに


心身に疲労が重なって


そのたびに


踏み出すことをやめてしまっていたの


でもなにかきっかけがあったようで


すぐに自分だけの新居を探し


自分だけのために


過ごす時間を楽しんでいたの


でも予想していた事だけれど


両家の両親から心配と


妻という役割について


あれこれと伝えられ
.

何度も理解してもらおうと


時間を重ね


伝えていたようなの


そしてそのことが


あまりに重くなってしまって


最終的には


すべてを手放したくなってしまって


本当に仲がよい


ご夫婦なのだけれど


彼女は


自分が独身になったならば


個人として


生きられるんじゃないかと思うほど


追い詰められてしまったの


そんな時彼女のパートナーは


「理解してくれない人を


説得する時間は無駄だから


自分たちが納得する


人生のために


時間を使った方がよい」と


伝えてくれたようで


今の暮らしをしているの


確かに


スタンダードなパターンは


結婚すると


妻・夫・人によっては父・母など


たくさんの役割分担があって


一人一人の


人生を満たすゆとりを


持つことも難しくって


家族という単位の形を


整えてゆくことが


理想的と伝えられているけれど


社会もそうだけれど


個々が集合体と


なっているのだから


個々の人生も大切だと思うの


大きく見つめた形だけではなく


ミクロで見つめたならば


個々の人々が


人生を満たしてゆくことによって


世界も変わってくると思うの


このように生きるのが


女性として幸せとか


このような生き方が


男性は当たり前などの認識は


これからもっと


変わってくるんじゃないかなって感じているの


この世に誕生し


年齢を重ねてくると


男性も女性も
.

無言のプレッシャーから


笑顔になることが気がつけば


少なくなって


ただ・ただ


人から否定されたりしないよう


生きることだけに
.

意識が向かい


そんな時間を長く重ねていると


周りのことはわかっていても


自分が何を望んでいるのかも


わからなくなったり


大好きだったことも


意味のない


もののように思えたり・・・


そんな時に人の


心が風邪をひいてしまうんじゃないかなって感じているの


そして重くなってしまうと


自らこの世を去ったり・・・


みんな誰もが


この世にたった


一人の人として存在している意味が必ずあって


それぞれが人生に必要だと思うことも


描く未来も違うと思うの


その中でも


似たようなものを


求めあっている人たちは


友人となり・恋人となり


夫婦として暮らしているだけで


すべてが同じわけではないと思うの


私の友人は今でも


周りに否定的意見を


伝えられることが


多いようなのだけれど


今では


まぶしいくらいに輝いていて


私などは


うらやましいくらい気持ちで彼女を見つめているの


人は形だけで


あの人は幸せか


そうではないのかを


判断しあれこれと


時間を埋める


ひとつとしているけれど


本当の幸せは


本人が幸せを感じているか


どうかで決まるものだと思うの


周りが決めることではないと思うの


特に夫婦の形態は


周りが判断できない
.

結びつきも多いから


わからないんじゃないかなって感じているの


私の友人の中には


本当に仲がよく


意見が合わない事がないほど


共に過ごしていた


友人がいるけれど


ある時


後になって


別々の人生を歩んでいる事を


伝えてくれたりして


とても驚いたことがあったの


その逆に


どうして巡り


会ったのだろうというほど


何もかもがフィットしていない


ご夫婦でも


周りにはわからない


深い結びつきが合ったり・・・


周りにばかり


意識が注がれると


自分の大切な人生を満たす


エネルギーが


不足してしまう事も多いと思うの


周りは様々な角度で見つめ


サポートできても


自分を笑顔にし


幸福へ導けるのは


自分だけなのだから


自分を信じて


未来を描いてゆくことが


大切なんじゃないかなって感じているの















ここ最近


私もパートナーも


閉ざされた未来を見つめる事なく


与えられた未来への


会話が多くなっているの


30代というのは選択肢が多い分



考えてしまったり悩んでしまうことも多いけれど


年を重ねる事で


よい意味で


自分たちには必要のない


選択肢が


ひとつ・ひとつ消えてゆくので


迷うことよりも


今残されている


未来への扉に


スムーズにたどり着けるように


なった気がしているの


30代って


どんな選択も可能で


無理を重ねることも


そんなに


苦とはならずに


歩んでゆける事もあって


誰でも


自分の未来への選択が


これからを決めてしまう気がして


慎重になって


あれこれと


心揺れる時期だと思うの


悩みが溢れているということは


決してよくないことではなくって


逆にたくさん選べるだけの


未来があるからこそ感じる


思いなんじゃないかなって感じているの


私とパートナーは


二人で人生を深めてゆく


未来を


自分の意思とは別に与えられて


子供という宝物は


持つことができないのだけれど


ここ数年は


与えられた人生に


やっと心がフィットしてきていて


不思議な感覚さえ感じているの


私が病で


心身が痛みを感じていた頃は


閉ざされた未来へ思いを重ね


益々自分を


悲劇のヒロインのような
.

ポジションに立たせて


しまっていたことがあったのだけれど


今はこの痛みとも


お別れできる事が嬉しくって


その思いの方が大きいの


そのような気持ちになれたのも


逆に


痛みに耐えて


長い時間過ごしたことで


想像していた喪失感よりも


今までできなかった事が


できる喜びの方が


大きく育まれたんじゃないかなって感じているの


それはきっと


自分が納得できるまで


待ったことも


意味があったのかなって今は感じているの


最近は弟夫婦の所に
.

授かった天使や


ソウルメイト・友人たちから届けられる


子供たちの成長を


勝手に自分の子供のように


楽しみにさせてもらっているの


パートナーと私は


勝手に自分の子供を


世界中の母親たちに


預けているような


大きな幸福を感じているの


そしてパートナーと私は


自分たちに


与えられた人生の中で


子育てという体験がない部分を


どのように何かを育み


魂を成長させてゆけるのかを楽しみにしているの


数年前は時々


私が病だとは知らない方に


「どうして子供を作らないの?」と


尋ねられて
.

答えに困っていると


「自分の事ばかり考えて


楽ばかりするのはよくないよ


少子化問題も


あなたのような人が多いから


解決しないんだよね」などと


表現されたことがあって


心が痛かった事が


あったのだけれど


今思うと


病を感じないほど


私が笑顔で楽しげに


過ごしているのを感じ


そのように伝えられたのだとは思うのだけれど


そのような言葉を伝えられるたび


持つ必要のない


罪悪感でいっぱいになった事があったの


そんな時


友人たちから


「少子化問題に自分が


貢献しているようにいう人がいるけど


誰も国のために


子供を産んだんじゃないと思うよ


たまたま最近テレビで


繰り返し言っているから


マインドコントロール


されているだけだよ


今の時代は


戦時中じゃないんだから・・・


マインドコントロールってこわいよね


気にすることはないよ」と何度も伝えてくれて


ほんの少し気がらくに


なったことがあったの


テレビの影響って


とても人の心に


大きく影響を与えているようで


本質的な部分よりも


インパクトのある言葉だけが


印象に残って


何気ない話題の中で


そのような会話が


溢れる事があると思うの


少子化で問題になるのは


今まで溢れるほど


製造されていたものが


すべての人たちに


行き渡ることで商業的に


今までのまま大量生産ができなくなることや


年金問題などが


大きいと思うのだけれど


年金問題は


今の若い世代が


今の年齢を重ねた方たちを支える


システムになっていることで


少子化になると


次に年金を受け取る方たちが


困るという

印象だけが残り


私のように子供が


いない人たちや独身の方が


とても問題のように印象に残る形で


テレビなどでは伝えられているけれど


静かに見つめてみたならば


それぞれが


自分の分は自分で


収めていて


逆に今独身の方などは


あらゆる助成を受け取る事なく


与えることの方が


多いんじゃないかなって感じているの


本当は


今のこの世に存在している


子供たちを


間接的ではなるけれど支えていると思うの


そして今も解決しない年金の問題も


根本的な部分から


瞳をそらすために


問題を別な方向へと表現する


テレビなどに長い時間瞳を向けていると


本当に必要で


大切な答えを受け取ることが


難しくなってしまうんじゃないかなって感じているの


私たちは長い歴史の中で


あらゆるメディアから


ゆっくりと


マインドコントロールされて


確かめる機会がないまま


そのまま


自分の知識としてしまう事があると思うの


その状態が


過去のあの悲しい争いへと


繋げていってしまったと思うの


今の時代は


目覚め・覚醒を


多くの方が


無意識にされているので


昔とは少し違っていて


与えられた問題を


そのまま受け取るのではなく


自分の中にある


愛のものさしで


それぞれが測りながら


自分の中に


ルールを作る時代だと思うの


ここに縁あって


来てくださっている方たちは


同じ愛のスペースを


持っていると信頼して


書かせていただきましたが


独身であっても


私のように子供を


持つことない人生の方でも


決して


社会のために


何もしていないのではなく


メディアで伝えられないだけで


形を変えて


何か支えの1つにはなっていると思うの


だから


社会が安定しないことを


その方たちのせいにはしないでほしいの


そして


独身であっても


子供を持つ人生を


過ごされている方たちも


持つ必要のない罪悪感で


自分を責めないでほしいの


必ず理解してくれている方は


言葉にしないだけでたくさんいるのだから・・・













最近


スピリチュアルなことを


伝える番組が問題になっていて


少し残念な気がしているの


私は個人的に


最近のスピリチュアル番組を


見る機会がないので


内容的なものは


あまりわからないのだけれど

スピリチュアルなことって


受け手のベースが整っていないと


大きな誤解を生んでしまうから


大多数の方が見つめる


テレビなどでは


問題になってしまうことも


多いんじゃないかなって感じていたの


そして必ず


問題になるのは


その部分に経済的なものが


加わることが問題で


奉仕として


何も受けといらない事が


善として伝えられるけれど


そのたびに


私はとても違和感を感じているの


コメントされている方たちも


私たちが直接経済を
..

手渡してはいないけれど


時間という大切なものと交換し


経済を受け取り


その場所でコメントを


されているのに


スピリチュアルな事を


仕事とされている方たちには


無給を求めるのは


どうなのかなって感じているの


音楽を提供し


対価として経済を受け取る方


仮想空間の中で


色々なものを与えてくれる


小説や映画・アニメーションなどを


製作し


対価で経済を受け取る方と


何も変わらない気がするの


すべて自分がその時納得して


対価を手渡していると思うの


スピリチュアルな事に


携わる方たちは


完璧な神のような存在として


過ごしていてほしい望みから表現されているの


かもしれないけれど


スピリチュアルなお仕事を


されている方たちも


肉体を持つ人間で


たまたま現実的に答えを


出せない問題を別の角度で


紐解いてゆく能力を


持っていたり


人にパワーを


与えられる能力があるだけで


同じ人間なのだから


他の方と同じように


時間は経済と同じように


大切なものなんじゃないかなって感じているの
.

一番悲しいのは


このような問題がメディアで


日々伝えられるようになると


やっとスピリチュアルなことに


心開き


よい意味で道徳的や愛を伝える事の


よい流れができたのに


閉ざされてしまうことだと思うの


私が幼い頃から


ちょっぴりこわい形で


瞳には映らない存在がいる事を


伝える番組が
.

夏になると放送されていて


それを見つめながら


幼いながらも漠然と


人が見ていなくっても


瞳には映らない存在が
.

見ていてくれる安心と


こわさと同時に感じ


自然な形で


人として生きる愛の道を


心の中に


作っていたように感じるのただ今の時代の


スピリチュアル番組は


伝えられる方が


自分たちはあなたたちとは違う


特別な存在として


アピールする場面が多く


その演出が過剰に


なっているんじゃないかなって感じているの

なので自分のすごさを


アピールすることに


一生懸命になってしまい


時には


相手を不安にさせて


しまったりする機会が多くなって


見つめている視聴者も


求めているものとの


違和感が生まれてきているんじゃ


ないかなって感じているの


ただどうしてもメディアに


登場する方たちの印象が


強すぎてしまうと


スピリチュアルなことに携わる


お仕事をされている方


すべてが問題のように思い込まれることで


開かれた門が閉ざされ


魂の成長を


サポートしていた方たちまでもが


そのような瞳で


見つめられる事が


なければよいなって思っているの


こんなに時代が進んでも


答えをさせない事が


世の中にはたくさんあって


時には


確かめることが


できない事であっても


救いとなる答えや


メッセージを与えてくれるのが


宗教や


スピリアチュアルな世界だと感じているの


私もどうしても


自分で答えを


見つけられないときや


自分が思っていることを


他者から言葉としてもらい


確信として


受け取りたいときに


占いやヒーリングなどを


その時々


心惹かれた場所で


受ける事があるのだけれど


私の場合は


見てくださる方が


当たっているかどうかばかりが


問題なのではなく


そこへいって


心が晴れたり


そうだったのか~って


何か納得できるものをいただけたら


それでよいと思って


足を運んでいるの


そしてそこで必要な


経済は


大切な時間を使ってくれて


ありがとうという


感謝を形にしたものなので


もしも一度足を運んで


フィーリングが合わなければ


行く機会はなくなるだけで


リーズナブルだから善


高価だから悪とは思っていないの


逆に自信がなければ


薄利多売でものごとを進める流れになる


場合もあると思うから


価格だけでは決められないと思うの


私の知り合いには


スピリチュアルな能力を秘めた方


スピリチュアルな能力は


特にないけれど


日々学び知識と実績を


重ねている方がいるのだけれど


彼女たちを見つめていると


どちらも誰かの人生に光を届けるために


存在してくれている人だと

感じているの

彼女たちは今では


一般の方を見る事はなく


企業や著名人などだけに


なっているのだけれど


だからといって


一般の方たちを


見下しているわけではなく


自分たちで学び高めた結果と


薄利多売だと


自分たちが学び高める時間が


持てないこともあって


自然にこのような


流れになっていったようなの


でもやはり


そのような選択をし


自分の描いた人生を


満たしている友人たちに


あらゆる否定的な言葉を


表現する方たちも


いるようなのだけれど


別の角度で見つめたならば


受ける方が納得をし


評価してくださる方が多かったから


対価として豊かさが届けられただけだと思うの


自分だけががんばっていても


受け取ってくれる方がいなければ


友人たちも続けてはこられなかったと思うの


もっと身近で見つめたならば


職種は違っていても


誰も自分の仕事や人格を


評価してもらい


その評価によって


給料が上がったならば


それは経済だけではなく


他の部分を見つめても


大きな喜びとなると思うの


日本人は心の中では


豊かさを望んでいるのだけれど


受け取ることが


上手に行えない事が多いと思うの


持つ必要のない罪悪感や


豊かさへの恐れなど・・・


言葉では上手に


表現できないのだけれど


長い歴史の中で


誰もがまるで


修行僧のような生き方が


もっとも素晴らい


お手本のように


刷り込まれている部分があって


その教えを間違った形で


刻み込まれている部分も


あるんじゃないかなって感じているの


たとえ修行僧であっても


肉体を持つ人間なので


命を繋いでゆくためには


経済が必要で


強く印象に残らないだけで


多くの方から経済や


それ以外の形であらゆるものを


受け取っているから


修行を続けられるのであって


決してなにも受け取らずに


過ごしているわけではないと思うの


最近私の友人の中に


スピリチュアルなことに


目覚めて


たまたま手にした本の中に


「学びが終わったときこの世を去る」という


言葉を読んで


不安と恐怖で


いっぱいの友人がいて


その時


同じ言葉を読んでも


受け止め方が


こんなにもたくさんあるんだなって


教えられた気がしたの


その言葉を読んだ友人は


「だからよい人は


早くこの世を去るんだ


だから長生きするには


あまりよい人に


なってはいけない」って思ったようなの


その言葉を耳にして


最近話題になっている


生まれ変わることがあるのならば


今の人生をリセットして


また生まれ


変わればよいのだと解釈し


この世を去る


幼い年代の方がいるのもわかる気がしたの


言葉をそのまま理解し


受け取る人もいれば


その言葉の中に秘められた


別のメッセージを


感じる方もいたり


様々だから


どんな事柄にも


伝える側の思いが


そのまま伝わらない事も


多いんじゃないかなって感じていたの


特にスピリチュアルなことは


現実的に具体的に


形として


目の前に用意することが


できないことだから


やっぱり


自分の価値観と


感覚的なものを信頼して


繋がってゆくしかないんじゃ


ないかなって感じているの


ただスピリチュアルなことは


自分の人生を


生きにくくするための


知恵ではなく


逆に解放してあげるための


知恵なのだから


人生の中の


光のエッセンスとして


大切に育んでゆけたら


いいんじゃないかなって感じているの