2007年9月




毎年巡ってくる


この季節の受け止め方も


年齢を重ねて


ほんのちょっぴり


心の成熟のおかげなのか


感謝の思いが増しているの


人生に与えられた貴重な時間が


人それぞれに違うけれど


その中で


様々なものを見つめる機会や


自分ではコントロールできない


多くの出会いに


とても愛しい気持ちになっているの


そして同時に


なぜ?って思うような


スピリチュアルな魂でしか理解できないような


出来事が届けられたり・・・


最近出会い親しくなった


男性がいて


彼と話していると


とてもわけもなく


懐かしく思っていたの


そんな時彼から


「変な事だと思うかもしれないけど


夢で中国らしき場面が出てきて


格好も姿もまるで違うんだけど


僕が君を助けているんだよね


そして僕は死んじゃうんだけど


その時どんな形でもいいから


また巡り会えるように願っていて


そのストーリーを


出会ってから毎日のように

見てるんだよね


これって何なのかな


ちなみに僕は


最近流行のスピリチュアルとかは


あまり信じていないから


初めてのことなんだよね」って伝えてくれたの


初めは女性と親しくなるための


言葉なのかなって感じたのだけれど


話を聞いてゆくと


確かに時々


私も彼の伝えてくれた


ストーリーの夢を断片的に見ていたので


伝えられたときとても驚いたの


そしてその事を


パートナーに話したら


また驚くような


言葉が返ってきたの


パートナーは愛が深い分


表現はしないけれど


私が異性の友人と


同じ時間を過ごして


欲しくない事もあって


表情が曇るのを感じることが


幾度かあったのだけれど


その彼の時にはとてもこころよく


「楽しい会話が


できたらいいね」って言ってくれたの


生まれて初めて


男性の友人との付き合いの中で


不思議な感覚に包まれているの


互いにわかりすぎている


不思議な感覚の中で


お互いが同じ人生を


繰り返さないように


ストッパーを用意しながら言葉を交わしているの


その出会いの中で


私はいくつもの前世の中で


きっととても迷いながらも


生まれ変わったとき


もっとも出会いたい人を


選択して


この世に誕生してきたんじゃないかなって


何度も感じていたの


パートナーは何度も


私の父としての前世があったり


私が男性の時に


女性の恋人として


心惹かれあっていたけれど


結ばれなかった前世があったので


私はパートナーを


もっとも会いたい人として


選択したんじゃないかなって感じているの


そして次に会いたかった人は


彼だったんじゃないかなって思うの


以前も書かせていただいたことが


あるのだけれど


昔親しくさせてもらっていた


男性がいて


彼はどんな時にも


私のために


私の笑顔のために


いつも力になってくれていて


でも時には


彼にも用事があったり


気が乗らない事もあって


断る事があるのだけれど


その後なぜか


夢で何度も見た場面が


頭の中に浮かぶようなの


その夢では


なぜか私は5歳くらいの


小さな男の子で


雨の中を下を向き


とぼとぼと悲しそうな顔をしているらしいの


その場面が浮かぶと


思いなおし


彼は無理をしてでも


私のために力になってくれていたの


私が当時付き合っている


恋人とけんかをし


涙が溢れていると


何度も励まし


恋人のお家の前まで送ってくれたり・・・


彼は前世で


私の教育係りだった事を


互いに思い出した


不思議な経験があるの


そして


今でも世界中の中で


もっとも


幸せになってもらいたい


人の一人なの


そのような体験があったから


また前世で繋がった人との


巡り合わせが意味あって


与えられているのかなって感じているの


人との縁って


自分でコントロール


できるものではないから


出会いのタイミングによっては


どんなに心惹かれても


祝福をもたらすもの


だけではなかったり


人生に影を与える出会いだと


理解しあいながらも


成就することだけを求め


惹かれあう方もいたり・・・


そのような出会いも


きっと前世からの魂が


深いつながりと使命を持って


この世に送り出されて


巡り会い離れることができない関係だったり・・・


私たちの中には


あらゆる時代を生きた


記憶が眠っていて


ふっと何かのきっかけで


忘れていた記憶を思い出したり


インスピレーションとして


答えをふっと与えてくれたり


無意識に


太古の記憶を使い


自分を救いながら


今の人生を


生きているんじゃないかなって感じているの


世界中には


たくさんの人が存在しているけれど


短い人生の中では


どうしても出会える人が


限られているのだから


きっと何気ない縁でも


出会う事


それだけで奇跡なんじゃないかなって感じているの















人は人生が終わりを迎える日まで


何を始めるのにも


遅すぎるということはないんじゃないかなって感じているの


自分にとって理想とするもの


ベストと思うことがわかっていても


あらゆる理由を考えて


その理想やベストなものへ


瞳を向けずに


過ごしてしまうことがあるけれど


この思いって


小さな炎の灯火のように

消える事がなく


何かスムーズに進まない


出来事に出会ったときに


その事を理由として


しまうようになってしまうと思うの


ただ理想とするものや


ベストだと感じているものへ


瞳を長い間向けられないのは


きっと


その理想と思うものや


ベストだと感じている事が

整ったとしても


その後のプランが


はっきりと見えない事が


進む力がわかない


理由のひとつなんじゃないかなって感じているの


よく根性・努力で


どのようにでも整えることが


できると表現される方がいるけれど


確かに重ねる努力の後には


形が作られてゆくけれど


その形が整うまでの間は


とても辛く


続けてゆくこと自体が


難しくなってゆくと思うの


私が感じているのは


同じ事をたとえするとしても


自分だけの精神論だけで


歩んでゆくよりも


原動力となるものを


見つけられたならば


同じ事をしていても


辛いと感じる思いも


未来への楽しみや喜びへと


変えてゆけると思うの


その原動力となるものは


形が整った後のプランだと感じているの


たとえば女性の多くは


美しい自分に出会うために


ダイエットをする事があるけれど


今までのライフスタイルを見直し


頭で考え


食事制限や運動をする事で


スリムになることを知っているので


その考え通りに


努力をされるけれど


自分が望む形へ整うまでは


とても辛く


何度も立ち止まり


やめてしまう事があると思うの


それは美しい自分に


出会いたい気持ちという


漠然とした思いが


原因なんじゃないかなって感じているの


たとえば美しい自分に出会ったと


好きな人に思いを伝える!という思いだったり


美しい自分と出会った後


自分の望む仕事を始める!など


美しい自分に出会う意味・


必要性を強く感じるために


次のプランを持っていると


その事が原動力となって


モチベーションが上がり


がんばることが


辛いだけのものから


自分の望む未来へ


一歩・一歩


近づいている喜びに変えられると思うの


他の理想とするもの


ベストと感じていることも同じで


今自分が望む形が整ったならば


次に展開してゆく世界を


具体的に描いてゆくことが


できたならば通過点にばかり


瞳を向けていたけれど


その後に待っている


ご褒美となる幸せな時間に


辿りつくまでの道のひとつを選択して


歩んでいる喜びを


感じられるようになると思うの


人間はロボットではなく


心を授かった


生命体なのだから


精神論や頭で考えたものだけで


進んでゆくことはとても難しいと思うの


心を先にその気にさせてしまうっていうのも


大切なんじゃないかなって感じているの


努力を重ねることの意味を


強く感じられるように


その理想とするものやベストと感じているものを


連想させてくれる


アイテムをいつも瞳に映る場所に飾っておいたり・・・


以前脳科学に携わる方の本を


読んだ事があるのだけれど


その中に


人間はひとつの出来事や物から


想像という能力を使い


様々なものを生み出し


自分の脳さえも


だます事ができるようなの


幸せだと何度も唱えていると


今現実に悩み多き


時間を過ごしているのに


いつのまにか


幸せだという言葉に


自分の脳がだまされ


だまされた脳は


全身に指令を与え


幸せなときと同じ


思考・行動・発言・選択を


無意識にするようになるようなの


そして


その思考・行動・発言・選択によって


現実に幸せを作ってゆくようなの


その本を読みながら


改めて


人間の持つ神秘と


気づきを与えてもらったの


私は以前


今幸せでなければ


次が生まれて


こないんじゃないかなって


感じていたのだけれど


物事が整う事を待たずに


先に気持ちを整えるという


方法もあるんだなって知ったの


人間はいくつになっても


自分の人生に期待を持って生きる


価値と可能性を


秘めているんじゃないかなって感じているの

















前世の記憶って


今の人生の中に


無意識に大きな影響を


与えているものも


あるんじゃないかなって感じていたの


たとえば


いくつもの恋を重ね


恋人と寄り添い幸せなのに


未来へのヴィジョンが


感じられなかったり


心の中では未来を共に


過ごしたいと思っていても


その事が現実的になると


時にも意味もなく


そしてわけもなく


逃げたいような気持ちになったりするのは


言葉では上手に


表現できないのだけれど


私が感じているのは


世界中のどこかに会う必要のある方が


存在していて


相手も自分も


瞳に映した事もないのだから


特にその事を


思うのだけれど


魂で繋がった方たちは


時々


まるで思いつきや


気まぐれのような形で


急にある土地へ


行きたくなったりしていると思うの


そして


その時メッセージを受け取り


その土地へ行ったとしても


特に何か意味を感じるものには


出会わなかったとしても


そこですれ違う事や


見る必要のあったものを


無意識に見つめることで


生まれてくる前に


自分が決めてきた


プログラムがひとつ消化して


以前よりも


スムーズに物事が進んでゆくことって


あるんじゃないかなって感じているの


私の友人で


特に嫌な思い出が


あるわけでもなく


特に不満があるわけではないのだけれど


何となくどんな時にも


自分の人生には


何かが足りないような


不思議な寂しさを感じていたようなの


そんな時


直感的に海外の海のきれいな所で


少し長い休日を過ごしたいと思い


すぐに旅立ったの


そして友人は数日後心満たして帰国したの


友人は旅に間出会った人や


風景などを写真に収めていて


写真から


喜び溢れたエネルギーが溢れていたの


そしてその写真の中に


なぜか?友人に似た雰囲気の


子供が映っていて


私は「あなたの子供っていっても


きっとみんな信じちゃうほど


似ているね」って表現すると


友人は


「なんか理由はわからないけど


自分の人生に必要だったものが得られた気がするの」って


神秘的な事を


言葉ではなく


魂で理解しているようだったの


それから友人は


時の流れと共に


その出来事を忘れてはいるけれど


私は友人のそばで寄り添っていて


その出来事が


彼女を光のある場所へと


運んでくれたんじゃないかなって感じているの


その出来事を見つめながら


魂の繋がりというと


異性に限定してしまいそうになるけれど


異性だけではなく


生まれてくる前に


どうしても瞳に映したい人


すべてなんじゃないかなって感じていたの


たとえその土地へ行っても


何も生まれなかったとしても


必ず魂レベルでは


納得し次の扉を開く鍵を


その時受け取っていると思うの


壮大な魂の旅は


人間として存在する


私たちには理解できないことや


言葉では説明のできない


すべてのものがリンクしていて


ただ感じるという感覚でしか


受け取れないもの


なんじゃないかなって感じているの
















「愛」っていう形にも


様々なものがあるけれど


独占欲という感情から


無意識に相手の自由を


うばってしまったり


輝きまで消してしまう事が


あるんじゃないかなって感じているの


恋人同士や結婚という形でも


長い月日を重ねてくると


安定というものと


輝きをまるで交換したように


互いに


心惹かれあう相手の個性


魅力が見えなくなってしまう事があると思うの


出会った頃は誰もが


相手の人生も


自分の人生と同じように


大切に尊重しあい


共に出会いを


自分の人生にプラスとしてゆけたと思うの


でも長い時間を重ねてくると


互いに相手の事が


わかってきて


今まで相手の好きな部分が


別れる理由となることもあると思うの


たとえば自分の意見を


聞き入れてくれる彼に


優しさと感じ


そんな部分が好きだったのに


見る角度が変わると


優柔不断で


何も自分の意見を


持っていない彼は・・・ってなったり・・・


よく相手を否定する時に


「こういう所がよくないよ」って


表現することがあるけれど


本当は自分の見る角度が


フィットしていなかったり


自分の心と重なり合わないだけで


相手が短所で


いっぱいなわけではないのだと思うの


もしフィットしないなって


何度も感じたならば


無理をしてまで


相手との縁を


繋ぐ必要はないんじゃないかなって感じているの


なぜなら


幸せは本人にしか


わからない形や流れがあるから・・・


どんなに幸せの条件が


揃った方でも


本人が幸せでなければ


それは幸せではないと思うの


逆に人から見つめて


「あんな人とつきあって・・・」とか


「もう少し年を考えて・・・」と


伝えられるような形のものであっても


人生は誰とも交換することはできないし


幸せと感じることも


人それぞれ違うものだと思うの


だからこそ


どんな時でも


自分自身に興味が


湧き上る時間って


必要なんじゃないかなって感じているの


私の友人には


まるで少女のように


恋に恋して


会うたびに美しく


輝いている友人がいるのだけれど


その事を周りが


あれこれと心配し忠告するのだけれど


そのたび彼女は


「だって次々と出会いがあるんだもん


みんなだって


素敵な人が次々現れたらきっと私と同じだって」って


表現する友人がいるの


そのたび私たちは


笑いと共に妙に


納得してしまうほどなの


彼女はとても人生の自由を


満喫していて知識としては


スピリチュアルなことはなにも


知らないのだけれど


彼女の行動すべてが


私にとっては


気づきと学びになっているの


多くのスピリチュアルな


お話の中には


体験・気づき・出会い・導きなどが


あるけれど


結婚という契約を交わしたとたんに


お互いに


安定を受け取り


その代わりに個人的な自由や


感動・喜びなどは


多く手放し


互いに共通に喜べるもの


感動するものを見つけることに

努力を重ね


時間と共に


同じ思い出を共有し


家族となってゆくという


なんとなく決まった


形が存在するけれど


彼女の場合は


とても自分が望む形


自分自身をよく理解していて


その事を理解してくれる


パートナーと結婚していて


小さな心の私の理解を


超えているくらいに自由なの


でも本来みんな誰もが


一人でこの世に誕生することを選択して


それぞれが


ソウルメイトを探す旅をしているのだと思うの


彼女は


その事を無意識に行って


いるんじゃないかなって感じているの


彼女と共に過ごしていると


私って小さいなって思ったり


心がかたいなって


気づかされることがあるの


人間が作り上げた契約の


ひとつの結婚で


人生の輝きを無意識に手放し


お互いに必要な情報や


答えを受け取る出来事を


倫理観というもので


受け取れなくしてしまったり・・・


そのような時間を重ねてゆくと


次第にエネルギーが少なくなり


お互い少なくなった


エネルギーを満たそうと


エネルギーの奪い合いへと


流れて行くこともあると思うの


私の大好きな本の


「聖なる予言実践ガイド」の中にも


恋人・夫婦などに


ついて書かれていたけれど


そこにも


パートナーがいる方たちの


自由な学びが難しいことに


配慮されていて


カウンセラーや第三者が加わり


実現する方法が綴られていたの


スピリチュアルな世界では


本来


自由な学びや導きが


どれほど大切かを


伝えているけれど


人間には感情というものがあるから


本当に難しいことなんじゃないかなって感じていたの


恋人同士ならば


愛すれば愛するほど


自分の瞳にずっと映る場所で


共に過ごしてほしい思いから


束縛という感情が生まれてきたり・・・


夫婦ならば


安定という未来への計画を


共に歩むパートナーなので


自分が把握できる


スペースだけで


過ごして欲しい気持ちが生まれたり・・・


でもきっとすべては


恐れから生まれる拘束なのだと思うの


わかっていても


すべてを理解し


ゆるし


歩んでゆくことって


とても難しいなってふっと感じていたの
















ついこの間とても不思議な体験をしたの


いつも眠る前に


水晶を使い瞑想し眠るのだけれど


ここ数日はベッドの下にも


水晶を敷き詰めて


額には六角形の水晶を置いて眠っているの


そうしたら昨日


急に金縛りのように


体の動きがスローになってきて


その後耳の奥に


まるで海があるかのように


波のような音が響きだしたの


私はいつも


不思議な体験を


いくつも重ねてきたはずなのに


またこわくなって


体の動きをできるだけ止めずに


自分という存在が


自分をコントロールできるようにがんばっていたの


それからしばらくすると


耳の中から聞こえる


海のような音が大きくなり


私の体から


意識が抜けようとしているのを感じたの


その時とっさに


大変だって思い


その抜けようとしている意識を


繋ぎとめておこうと


自分の意識を


強くコントロールしたのだけれど


瞬間的に抜けてしまい


ある方の中に


重なるように入っていったの


その光景がなぜ見えているのかも


わからないのだけれど


その方はあるホテルの1室で


眠っていて


何かを考える間もなく


その方の中に吸収されたの


その時何となく


こわさよりも嬉しさというか


成し遂げたような


言葉では説明のできない感覚だったの


そしてその数秒後


何となく


このままではいけないような気がして


自分で自分の意識を自分の中に戻したの


目覚めてからも


このことが意味することを


知りたいと


色々と調べてみたのだけれど


見つからず


とても不思議な気持ちで過ごしていたのだけれど


数日後


ある出会いがあり


その方に
.

「どこかでお会いしていますよね?」って


言葉を伝えられたとき


まるでデジャヴのように


すべてがよみがえり


私の意識が入った方が


その方だと知ったの


その方にはそのような説明は


しなかったのだけれど


それ以来


何度も会う機会があったの


友人には伝えていたので


友人はそのたびに


「あの人と顔や雰囲気が


とても似ているから


何かあるのかもよ」って伝えられているの


ここ最近


もしかして前世からの繋がりなのかなって


思うような方との出会いが多く


少し戸惑っているの


確かにその方はあらゆる動きや考え方


好みなどが


まったく私と同じなの


きっと私が男性として生まれてきたならば


その方のような感じなんじゃないかなって


想像ができてしまうほどなの


そして驚いたのは


その方も私も天使のネックレスを


共にしていて


その時このなにげない


一致はきっと予定されていた


出会いなんじゃないかなって感じていたの


このような方と出会ったのは初めてなので


まだその方と私のであった意味までは


わからずにいるの


でも10年以上前に


月を見つめていたら


体から意識が飛んで


宇宙まで行き


なぜか地球を


背中に見つめていたときと


同じくらいに戸惑いと疑いと


答えを知ることのできないもどかしさを感じているの


でもきっと年内には


その事の答えとなる


メッセージが


届けられるんじゃないかなって


漠然と感じているの

このような体験をするたび


とても感じているのは


瞳には映らないけれど


私たちの思いや意識は


いつも無意識に飛んでいて


誰かと繋がりあっているんじゃないかなって感じているの


そしてどんなにスピリチュアルな


知識や言葉あらゆる事を学んでいても


やっぱり


自分が自分で


コントロールできない事への


恐れの強さを感じていたの


それと同時に


いつか天国へ旅たつときには


こんな風に


静かに意識がどこかへ


運ばれてゆくのかなって思っていたの


いつも不思議な体験をするたびに


言葉を超えた感覚という


センサーでしか


受け止められなくって


上手に表現できないのだけれど


魂の旅は


肉体という乗り物に乗って


共に歩んでいるのを感じるの














北海道は


もう秋がゆっくりと


広がってきていて


毎年この季節を迎えるたび


星がいっぱい


見つめられるので


とても大好きな季節なの


でも長い時間


見つめているとまた


こわくなってしまうので


何度にもわけでは見つめているの(笑)


私の弟は心霊的なものや


スピリチュアルなものは


信じる事がないのだけれど


地球以外に生命体がいることは


とても強く思っているようで


時々真剣な顔で


私に色々なことを教えてくれるの


両親や弟のパートナーは


真剣に話している私たちに


微笑みながら


「いくつになっても純粋だよね」って伝えられるの


でも弟は科学的な事を


ずっと学び


あいまいなものは信じる事がないの


私が頻繁に


未確認飛行物体を


空に発見するたび


弟に知らせ


何度も一緒に見つめながら過ごした後


「向こうからはこっちのことはっきり


見えているはずだよ


得意の何かテレパシー送ってみたら?」って言われ


単純な私は


「こっちが見えているなら上下に動いて!」って


心で思い


言葉に表現すると


本当に上下に速いスピードで動いたの


それ以来


私は始めて


弟に尊敬されるようになったの(笑)


そして弟が伝えてくれたのは


「向こうから実験的に


ずっと観察されていると思うの」と言われ


不思議に思った私は


「なぜ?私は何もないのに?」と伝えると


「普通人間の成長や


進化というものの形が


その国々時代によってあるのに


姉ちゃんは俺から見ていると


うちの子供と変わらないくらいの


とらえ方と言うか表現というか


自分で建設的に考えて


行動しないから


珍しいんじゃないの?」と笑うこともなく


真剣な顔で伝えられ妙に納得していたの


確かに


今でも今暮らしているマンションで出会う子供の多くは


私を大人とは思っていないようで


朝ごみを捨てに行こうとした時


エントランスで会うと


「おはよ~ごみ捨てしてえらいね」と


よく表現され


ドアを開けてくれたり


私があいさつをせず


通り過ぎようとすると


「朝はおはようでしょ」ってしかられる事もあるの


その後その子供の母親が


やってくると


私の事を友達だと紹介し


母親は


「何を言っているのすいません」って


子供たちが叱られたり・・・


外見的にも大人で


年齢も重ねているのだけれど


フィットネスクラブのインストラクターの方の中には


あきらかに私よりも

年齢が下のような方からも


「お嬢さん」と表現されたり・・・


きっと私が思うには


そのもの見た感じというよりも


オーラのように感じるものが


幼いのかなって感じていたの


弟に伝えられたように


年齢相応に


求めるもの・必要なものなど


よい意味で変化をしてゆくものなのに


私の場合は


あまり変化がないまま


長いスパンで物事を考える事が難しくって


瞬間・瞬間


心を満たしてゆくことが


一番の関心ごとになっているの


少し早すぎる選択に


選択した自分も


周りも戸惑うくらいに進めてしまうの


昔の言葉で


幸運の女神は前髪しかないって


言葉の通り


考えている時間がほとんどないの


でもそんな自分につきあうのも


時には大変だなって


感じることもあるのだけれど


そんな自分が


次は何に心惹かれるんだろうって


楽しんでいるところもあるの


今は気功やヨガ・太極拳などが


日々楽しくって色々と学んでいるの


誰でも手や足から


とてもエネルギーが出ていているようで


自分のエネルギーを上手に


使う方法などを教えていただいているの


その方が言うには


「エネルギーを上手に循環できず


あなたのように


手のひらから大量に


エネルギーが出すぎると


肉体的な手の平が耐えられず


真っ赤な手だったり


アトピーなど中にこもった


エネルギーを外に出ようとして


その部分にダメージがあるのよ」と教えてくださったの


確かに私の手は手のひらと甲で


色が極端に違い


まるで線が引かれた様になっているの


そしてその方に


自分が感じている疑問を尋ねてみたの


私は右半身と左半身で


まるで違う温度にできるのだけれど


その事に意味があるのかを尋ねてみると


とても驚かれていて


短い時間では


話しきれないとの事で


次にそのような事が


書かれた本を貸してくださるとの事で今から楽しみなの


昔は自分が人との違いに


コンプレックスを持っていたことも


今では


多くの知識をもった方たちとの


出会いによってありがたいくらいに


どんな形であっても


自分の個性として


受け止められるようになってきたの


私がこのスペースで


自分らしく


自分の言葉で


色々なことを表現でくるのも


見つめて心重ねてくださる方の


おかげだと


日々感謝でいっぱいなの


人生の大切な時間の中


いつも私のHPで


時を過ごしてくださっている


すべてに感謝ありがとう

















人間に与えられた


人生という限られた


時間の中で私たちは


それぞれに必要なものを学び与えられた問題を解きながら


過ごしているんじゃないかなって感じているの


自分の人生を振り返りながら


見つめたり

周りの方の人生を見つめたとき


「なぜ自分の人生はこんなにも辛いことが多いのだろう」って


思うこともあると思うの


でもそれは人生のひとコマを見つめ


比べただけで


人生をすべて見つめ


照らし合わせたわけではないから


本当に比べ測ったものではないと思うの


人はこの世に生まれてくる前に


あらゆる選択をし


ちょっぴりせっかちで


大きな強さが備わっている方は


長い人生の中で解いてゆく問題や


学びをハイスピードで吸収し


その後自分が描く


夢や目的を果たす


人生へとチェンジしながら


歩んでゆくんじゃないかなって感じているの


だからそのような


人生の歩む方を


選択肢この世に誕生された方は


幼い時代


笑顔で過ごす出来事よりも


何をしても裏目に裏目に展開していったり


まるでこの世の悲しみ・苦しみなどと


繋がる人々とばかり縁がつながれたり


人生すべてが

闇のように感じるような出来事ばかりが


多く目の前に運ばれて来たと感じている方も


いると思うの


でもそのような体験の中で過ごされた方の多くは


長い時間の中で解いてゆく問題や


学びをハイスピードでクリアにしてゆく力が


備わっているからこそ


自らその流れを選択しこの世に


誕生してきた場合が


多いんじゃないかなって感じているの


特に女性として


この世に誕生された方たちは


愛の統合やバランスも

学びの中に

与えられている事もあって


自分という個人の人生以外にも


家族という宿命の繋がりや


自分が望んだ新たな家族という縁など


たくさんの繋がりから


広がる問題や学びをすべて愛というものへ


変換できる大いなる能力と必要性が与えられているから


女性の人生って複雑に色鮮やかに


微妙に違った

人生という織物となっていると思うの


女性は母性・プライドなどから


自分以外に共に過ごす人たちのために


多くのうそを重ねることもあると思うの


素直に自分お気持ちを表現する事で


繋がる人々を傷つけてしまわぬよう


幸せ芝居をしたり


逆に自分は愛の保護がいつも必要だと


無意識にアピールする事もあると思うの


その場面・場面を見つめ


人は誰かと人生を比べ


「あの人は幸せ」


「私は・・・」と思ったり


「私はあの人よりも


恵まれている」と優越感になってみたりという


気持ちを味わっているだけで


本来人と比べても


人生は同じ答えを


導き出すものではないから


比べようがないものなんじゃないかなって感じているの


この広い世界で同じ人が存在せず


全員が違う容姿・思考


ライフスタイルだという意味や必要性があって


すべての人は


神様によって創造されたのだと思うの


そんな風に


地球はバランスを保ち


その中で


それぞれに輝ける時間を探し


生きているんじゃないかなって感じているの


時々誤解をおそれて

心を表現できないこともあったり


心のお天気によって


光を闇だと見間違うことも


あるかもしれないけれど


それが完璧な神様が創造した


人間の心のひとつの


プログラムなのだから自分を責めたりせず


自分らしく


輝ける力を育んでゆくことが


大切なんじゃないかなって感じているの














子供って


もっとも人間の中にある


すべてのものを


そのままダイレクトに表現している


存在なんじゃないかなって感じているの


その中でも


愛情を自分の中に必要だと感じると


何気ない特に意味のない行動をするときでも


「見て!」「見て!」と


言霊を飛ばし


周りの方がその子供を見つめると


にっこりと


「愛情を吸収しました」という


笑顔のサインを送りながら


愛情が満たされる瞬間を見つめていると


人間は愛の瞳で


見つめられるだけで


魂・心・あらゆる備わった


能力に必要なエネルギーを満タンに


充電されるんじゃ


ないかなって感じていたの


そして充電が満タンにしてくれた相手に


送ってくれたエネルギーに


幸せを乗せてエネルギーを戻し


滞っていたエネルギーを


新鮮なものへと


循環してくれるんじゃないかなって感じているの


大人になっても同じで


何気ない会話でも


意識・心を自分に向けられ


その方がとても興味を持って


お話を聞いているのを感じたり


自分の言葉から


相手の方が笑顔になるのを感じると


私たちはそれだけで


自分の中にエネルギーが満たされてゆくのを


感じるものだと思うの


ただ私たちは


幼子とは違い


人から頂くエネルギーと


与えるエネルギー以外にも


育み生み出すエネルギーを


自分の中で作り出してゆく


段階へとステップアップしているので


周りの方から頂くエネルギーや


与えるエネルギーだけに依存することからは


卒業し


自分の内なる部分からも


エネルギーを生み出す力に


目覚めつつある


段階へと進んでいるんじゃないかなって感じているの


特に対象がなくっても


心をエネルギーで満たすには


それぞれが


すべてのものと繋がっているのを


一人でいても


感じられることなんじゃないかなって感じているの


たとえば何気なく空を


見つめていただけでも


空が地球を優しく包んでいる所が


想像できたり


野に咲く花を見つめたとき


この花は神様が


咲かせてくれたのかなって


思ったときなど


あらゆる場面で


すべてのものが近くに感じたとき


自分の中に


自分でエネルギーを


充電できることが多いと思うの


だからこそ


人は忙しい時間の中で


癒しが必要になると


自然が溢れる場所へ


足を運びたくなったりするんじゃないかなって感じているの


そして無意識に


地球に存在しているもの


すべてに宿るエネルギーと


無言の会話を交わし


エネルギーを内なる部分に


満たしながら


明日へのエネルギーを


充電いているんじゃないかなって感じているの