2007年8月










毎年8月を迎えるたびに


命を繋いでくれた先祖への


感謝を強く感じたり


今の日本の平和を作ってくれた


たくさんの人への祈りが多くなるの


私は昔から


きっと私は生まれ変わる前に


戦争を体験しているんじゃないかと感じるほど


時々知るはずのない


近代史を見つめながら


なつかしくそして感情的に


こみ上げてくる
悲しみや怒りに


自分でも驚くことがあるの


図書館などで


近代史が記されたものを


何気なく読んでいて


その内容を


一緒にいるパートナーに


説明しようと語りかけてすぐに


自然に涙が溢れて


自分でも恥ずかしくなるの


その時パートナーに


「どうしてなんだろうね


戦争のことになると


まるで昨日あったことのように感情的になるよね」って


表現されるほど


自分ではコントロールできない


無意識な魂の中に重なる


記憶が


きっと今の私の心身と重なって


表現しているのかなって感じているの


私の祖父2人も


戦争へは行かず


その当時は


男性としてとても辛い状況だったと思うの


母方の祖父は神社を守り


過ごしていたのだけれど


たぶんその当時の思想から考えると


行く事で評価を


受ける時代だったのに


身体が丈夫ではなく


背丈も小さかったため


行く事ができなかったようなの


そして父方の祖父は


社会の思想を生きる人ではない


性格だったため



自分の判断で高熱を出すようあらゆる事をして


行かなくてよいようにして


その時代を過ごしたようなの


父方の祖母は


私の母と相性が合わず


お互いの事を


何も知らないまま


会うことが少なくなっていたのだけれど


私は幼い頃から


祖母が大切に持っている写真を見たことがあったの


それは兵隊さんのような姿で


とても若く美しい青年の写真だったの


私が10代の頃


とても気になっていて


祖母に尋ねてみると


とても愛していた人で


戦争から帰ってきたら結婚しようと


約束していた婚約者で


戦地へと旅立つ前の日に


初めて結ばれ


その方は帰らず


祖母はその方と結ばれたとき


授かった子供を


大切に育てたことなどを話してくれたの


その子供が父の兄弟の長男と


なっているのだけれど


祖父と巡り会い結婚しても


その子供の苗字だけは変えず


その事がずっと長い間


色々な問題を


生んでいたのだけれど


祖母は理由などを


説明することはなかったのだけれど


私はなんとなく


祖母が帰らぬ愛した方の


存在した証を


消したくなかったんじゃないかなって感じているの


祖母の何も語らず


どんな過去にも


後悔などを口にしない


生き方を尊敬しているの


父の兄弟は


あらゆる過去のでき事で


祖母を責めたりしても


祖母は言い訳もせず


幼い私も


強い人だなって感じていたの


愛する人を失い


両親からも愛されない祖母は


その当時祖母の家の使用人だった


祖父との結婚を両親に進められ


今の私まで命が繋がれているの


父方の両親と


母方の両親は真逆の生き方を


してきた人たちだけれど


ふたつの家系のDNAが


私の中に宿っているのをとても感じるの


母方の祖父は神社を守り


子供たちが病になるたび


手をかざしすべて治してき人で


霊能力もあったようで


とても当たるので


遠方から人が


よく尋ねてきていたようなの


そのような事に


今の私が心惹かれるのは


祖父のDNAかなって思ってみたり・・・


父方の祖父は


自分を信頼し直感で


すべて行動する人で


ちょっぴり社会の常識から


少しはみでちゃっているのだけれど


そんな部分も私の中で感じたり・・・


そう思って自分を見つめてみると


とても楽しく


神秘的な気持ちに包まれるの


自分ひとりが


この世に誕生するためには


両親から始まり


更にさかのぼり


どんどんと多くの方が必要で


多くの方の思いと命を繋いで


今自分がこうして


存在していると思うと


ほんのちょっぴりでも


自分を大切に


そして愛してあげなくっちゃって


気持ちになるの


日本には8月という


過去に存在していた方への


感謝を思い出す機会があることに


深い意味を感じているの















年齢を重ねると


悲しみ・喜び・感動etc


どんな場面でも


心と共に表現も一致して


瞳がうるうるする事が多くなってくる事があると思うの


若い頃は


喜びや感動の時には


ただストレートに


笑顔だけだったのだけれど


心の成熟と共に


喜び・感動を表面的な


受け止めだけではなく


もっと深い感謝なども加え


涙が溢れてくるんじゃ


ないかなって感じているの


若い頃は


年齢を重ねた方に


「若いんだから


思い切ってなんでもやりなさい」とか


「若いだけで大きな財産だよ」って


伝えられたことが


多くあったけれど


その頃は


「そうかな~」って


実感する事がなかったけれど


今その言葉を贈ってくださった方たちの


思いと共に


言葉の意味がちょっぴり


わかるようになってきたの


今の私から若い方に贈る言葉は


やっぱりその方たちと同じように


何度でもすぐに


軌道修正できるし


失敗もすべて人生の栄養に


変えられるはずだから


自分が思う信じたことに


進んでもらいたいって言葉かな


すべてを輝きに変えられる


人生の中でもいくつかの


もっとも素晴らしい奇跡の季節が


重なるときなのだから・・・














毎年恒例のように


この季節には
日頃会うことのない


姪等と会うことが
用意されていて


また今年も


彼女の見える世界を
聞くことができたの


去年と同じように


まるで何かが
憑依したかのように


大人のような言葉を


用いりながら
必死に私に


説明をしてきたの


昨年は


私の元に生まれてくる
はずだったのに


タイミングが合わず


私の子供としては


生まれてくることが
できなかったことを


昨年3歳だった
姪に聞いたとき


驚きと共に


申し訳なさというか


複雑な思いだったのだけれど


今年は姪が知るはずもない


母の父


私にとっては祖父が



時々心配して


助けに来てくれることを
伝えてくれたの


その瞬間


私よりも母がまるで


神の言葉を聞くように


手を合わせながら
感動していたの


母方の祖父は


36年前に


自らこの世を去った事もあり


母は極楽浄土に


たどり着けたのかという


あらゆる宗教が伝えることが


きっと気持ちの中にあったから


とても嬉しかったのだと思うの


その感動に包まれている中


あとから


子供たちを迎えに来た


弟夫婦に母が



その事を表現したら


当たり前のなのだけれど


信じてはもらえず


言葉では説明のできない


空気が
広がっていたの


その時姪は


私の耳元で


「だから言ったでしょ


みんな怖がるから
言っちゃいけないって


パパとママが


さーちゃんの事変
だと思っているけど許してあげてね」って


私にささやいたの


私は


「仕方ないんだよ
私たちにとって


当たり前の事は


変だと思われることだから・・・


だから私はずっと誰にも



そういうことを
言わないようにしてきたんだよ」と


伝えたの


そして姪はまだ


私と話したいといって


帰ることは選択せず


その後もずっと
お話していたの


そうしたら姪が
知るはずのない


私の過去について
話し出したの


たとえばずっと
イルカが大好きで


イルカの絵画を見に行ったり


きれいな海のそばで


イルカと会っていた過去など・・・


そしてそのイルカとの
ふれあいについて


とてもきれいな海で


海なのに蛇が泳いでるところと


私がインスピレーションで


受け取れるように
説明してくれていたの


その言葉を聞いて


直感的に
沖縄かなって


思いながら聞いていたの


そしてイルカがいつも


私のそばにいるらしく


姪は


「心のきれいな人にしか
イルカはいないんだよ


そしてみんな重いから


助けられないんだって


でもさーちゃんは軽いから
助けられるんだよ」と


伝えてくれて「???」と


思った私は


「身体が重いの?」って
聞き返すと


「ちがうよ!
わかっているくせに」と答えたの


それでその言葉が


とても嬉しい意味を持つ事を
感じていたの


でも私は
そんなに立派に


そして正しく歩んできた
わけではないから


そのような反省を込めた
表現をしたら


「心のきれいな人は
言ってることと


思っている事が


同じの人だよ」と
言葉が返ってきたの


4歳の子供が


伝える表現ではなく


姪の身体を使って


なにかが


私にコンタクトしてくれているんじゃ


ないかなって


幸せな気持ちに包まれながら


あらゆる事を尋ねていたの


このような出来事は


ここ数年続いていることなので


私にとっては


今の自分を知る事


そして今の私に必要な


メッセージをいただける


素敵な時間となっているの


初めは時々


子供ってテレビで見たことや


夢で見たことなど


あらゆる情報から


お話しを作り
面白おかしく


大人たちの注目を


集めるために


語る事が子供はあるので


そのようなお話かなって


思って聞いていた事も
あったけれど


だんだんと時間を


重ねてゆくことで
誰も知らない


私の時間や過去など


私にそっとささやく事があって


驚きと共に


スムーズに受け入れるように
なったの


眠る少し前に


私が母にプレゼントした


アクセサリーを持ってきて


「きれいね・きれいね


みんなも


どーもありがとうって
言ってるから


ずっと作ってあげてね


みんなにも


かわいいイルカちゃんが
行って守って


あげられるように」って
伝え


すぐに眠ってしまったの


もちろんただ子供の表現と


思えば思えるのだけれど


子供は言葉の表現が


その年齢その年代で


違うから


用いる言葉は幼いけれど
伝えてくれている


真意だけを見つめると


とてもすごい


透視のようなものを
感じていたの


母は姪を見つめて


私の幼い頃と


同じようなものを
持っている事を


伝えてくれていたの


私も幼い頃


近くに住む方が天国へと


旅立つ数週間前に


母に伝え
そのたび母は


とてもおこって


そのような事を言うのは


良くないと叱られて
いたのだけれど


そのような事が


何度も重なり
両親は何か


大きな選択があるたびに


私に尋ねてくれるように
なったの


でも周りには


言わないようにって
教えられていたの


それは私自身が


傷つく結果へと繋がる事を


両親が感じて
いたからだと思うの


今回も弟夫婦に


スムーズに受け取って
もらえなかった時


過去の悲しみを
思い出したの


今の時代は


様々なメディアなどにも


不思議な説明のできない


精神世界に繋がるものが
表現され


理解される方が


多くなっているとはいえ


頭の中で理解し


説明のできないことは


ストレートに怖れに繋がるので


そのような表現をする人を


少し違った感覚で


見つめてしまう事が
あると思うの


でもこの世界は


ゆっくりと見つめると


説明のできないことで



溢れていると思うの


人間はいつどこから
始まったのか・・・など


進化論などがあるけれど


何百年たっても


類人猿は類人猿のままだと


気づいた学者たちが
多くなってきて


益々目の前にある


問いにフィットする答えを


探されているけれど


様々なものの始まりは


やはり知識や学問だけでは


答えを出せないもので
溢れていると思うの


そしてその最も


不思議で神秘的な
人間として生まれた


私たちは本来


頭ではなく


魂でものごとを理解し


解明できる能力が


備わっているんじゃないかなって



感じているの













「類友」って


同じ価値観・性格を


持った人たちが


集まるイメージがあって


その事が


喜び・苦しみ・裏切りへと


繋がることがあると思うの


類友のイメージが


誰にでも刻まれているから


著名な方との繋がりを


自分の類友の力として自慢したり


自分が憧れる人と仲良くなれたことに


ストレートに


喜びを感じたり・・・


逆に「この人と付き合っていたら


周りにどう思われるだろう」って


いうような価値観で


人との付き合いを選んだり・・・


でも私が感じているのは


長い年月


繋がりあう方たちは


本当に類友と思うほど


大切に思う価値観や


大切に思うものが似通っていて


その大切な思いが


リボンとなって


繋がりあっているけれど


数週間・数ヶ月・数年の


繋がりの方たちの中には


合う・合わないという


感情だけではなく


互いに


学び・気づきを体験しあうために


出会った方も
多いと思うの


たとえば自分は
とても前向きで


明るく
活動的なのに


まるで重なるように


愚痴や悩み・
不安を抱えた方に多く


出会うという方もいたり・・・


このような出来事って


無意識に


光の柱となっている方に


寄り添ってくるものなんじゃ


ないかなって
感じているの


類友とは違い


真逆のエネルギーを


集めることも時には
あると思うの


このような出来事に出会うと


明るく活動的な方にとっては


煩わしさや


共に同調し
しずんでしまう事も


あるかもしれないけれど


きっとこの出来事の中には


たくさんの気づきや


学びがちりばめられて


いるんじゃないかなって



感じているの


明るく活動的な方としては


聞いた以上


解決に繋がる答えを


与えたい気持ちになるとは


思うのだけれど


人は尋ねながらも
心の深い部分で


自分の中にある答えを


探すためのヒントを


探しているだけで


答えを提示してほしいわけでは
ない場合も


多いと思うの


前向きな明るい方に


表現しているという事は


表面にあらわれているものは


暗く悲しいもの


かもしれないけれど


前に進もうと思う


気持ちがあるからだと思うの


そして相談されている方も


相手の思いに


自分を重ねすぎる事なく


自分が光を放ち


そのような方たちを


招き寄せた事を感じ


日頃学び吸収した


スピリチュアルな知恵を


生かしてみたら
素敵な時間となると思うの




















世界中で暑い日が続き


毎日メディアでは
伝えられていて


改めて人間は


奇跡の生命体だなって感じていたの


気温が数温高くても


低すぎても


生存が難しくなったり


程よい気温


程よい空気など



あらゆる分野で
程よい中でしか


精神・身体が
保たれない


デリケートな生命体の
人間は


生きているだけで


奇跡的な時間を重ね


この時代まで


命を繋いでこられたんじゃ


ないかなって
感じていたの


この季節になると


地球温暖化について


深く実感と
地球へ向ける思いも強くなるの


でもつい寒い冬が


毎年訪れる


北海道に住んでいる私は


冬になると


その思いがうすれてしまい


改めて反省しているの


この暑さを冬のためにストックできたら


どんなに幸せだろうって


友人たちと話しているの(笑)



これからもまだ


暑い日が続く


街が多いと思いますが


太陽と程よい距離を


保ちながら


今年の夏の素敵な記憶に残



思い出を重ねてくださいね












今年は


オーダーアクセサリーを製作させていただく機会を


多くの方の愛のおかげで


過ごさせていただくことが


多いのだけれど


そのたびに感じているのは


オーダーしてくださっている方


自身が思っている以上に


その方それぞれ


たくさんの能力・個性が


秘められていて


そのたび


その方に最もフィットしたものを


感謝を込めて


作らせて頂いているので


つい予算以上になってしまうの(笑)


この間はどうしても


難しいかなって思うほど


その方の意識と繋がり


瞑想していたら


ある宝石が何度も


浮かんだのだけれど


原石ひとつだけでも


ご予算以上だったので



オーダーいただいた方
ご相談したら


その宝石は


その方のお母様の形見になっているリングの


石だったそうで


その事を聞いた時


直感的に


その石を使う事を


伝えているのではなく


私を伝って


その方のそばにいつもいる事を


教えていたんじゃないかなって感じ


改めて瞑想し


その方自身の今に


フィットするものを


作らせていただいたの


瞑想中時々


オーダーいただいた方の


意識と繋がる時


意識を包む周りのエネルギーが強い時などには


このような不思議な事を受け取ることがあるの



中にはその方の意識に


辿りつけないほど



別の意識というか念が


その方を包んでいるようで


その方の歩みを


いつも止めて


悲しみに導く事を願う存在を感じていたの


そしてずっとその場面を


見つめていたら


その存在の瞳が


私のエネルギーに気づいて


振り返り私を見つめたの


私はその形相に驚き


こわくなって


何度も瞑想しなおし


その存在が


どのような繋がりなのかなって


見つめていたら


その方の仲のよい友人というか


知り合いの方のようで


その方の事がうらやましく


恵まれている事を


逆恨みのような感覚を


抱いているようだったの


でもそのような事はオーダー頂いた方に


伝えられないと感じたので


本来その方の意識とは


違ったカラーの石を使い作らせていただいたの


気に入っていただけるか


少し心配はあったのだけれど


そのまま受け取っていただき


その数週間後


正直な気持ちと共に


日常の中にあった


変化などを伝えてくださったの


やはり受け取った時には


「え?私はパステルカラーが好きなのに


なぜこのようなカラーなの」って


思われたようなのだけれど


受け取ってから


今までならば


心配事が的中してしまうほど


ある出来事を行う時


望まない結果に繋がる事が


あったけれど


そのような事がなくなった事を伝えてくださったの


そして友人関係にも変化があったり・・・


もしかすると


その方にとっては


友人と疎遠になって


寂しさを感じる事も


瞬間的にあったかもしれないけれど


その事をネガティブに


見つめる事よりも


良き変化の方に瞳を向けてくださったので


私もほっと


嬉しくなっていたの


以前私の友人の中にも


同じような出来事があって


友人の場合は


何でも伝えても


自分の中で自分サイズに


整えながら


消化してゆける方なので


すべて感じたことを伝えたの


彼女がとても若い女性に


よく思われていなく


その事がいつも


トラブルを招いている事など・・・


彼女はすぐに


「あ!わかったそうそう!


昨日も電話が来て・・・」など伝えてくれたの

その場合は


身内の方で


複雑な問題があって


彼女がそのスペースに


入ってきた事を心よく思っていないようだったの


その体験からも


ただ自分らしく


人生を一生懸命に


歩んでいるだけなのに


どこで誰かの心を傷つけ


どこで人から


あまりよくない気持ちを


持たれているのか


わからないものだなって感じていたの


でもそれと同時に


人から送られる念によって


物事がスムーズに


運ばないこともあれば


逆に10%の労力が


すぐに100%に進む


追い風となってくれる事も


あるんじゃないかなって感じていたの













人の人生を


見聞きするたびに


改めて


普通という人生は


存在しないんだなって感じているの


よくこうするのが普通


こう生きるのが普通という


言葉を何気なく


表現してしてしまう事があるけれど


誰もが与えられた命・環境


心・身体で


一生懸命に前に進もうとしている形を


誰かが見つめて


見つめる方の価値観で


普通とかそうではないと


言葉として


表現しているだけなんじゃ


ないかなって感じていたの


でも本当は


普通というものは


存在していなくって


ただ基準がないと


まるで宙に浮いているように


不安になるから


自己確認のために


周りの方たちと


ターゲットとなるものを見つけて


その事を話しながら


価値観が一致すると


安心するというスタイルを誰でも


秘めているんじゃないかなって感じているの


今の時代は


何が普通かわからないほど


多様化してきていて


自分が秘めている


価値観が


多くの方に受け入れられるとは


限らず


今までのように


外に価値観の


確認をしながら


歩むことで安心感を


得られない時代だと思うの


そうなると


何を信じたらいいのだろうって


思いがうまれるけれど


これだけ


世界中に人がいるのに


同じ人が一人もいない意味を


考えてみるといいと思うの


もしも神様が


みんな同じような容姿で


同じような考えではなく


この世に生み出してくれたのだとしたら


一人・ひとりが


違うことに意味があると思うの


自分らしく


自分の中で育まれる思いや


夢・価値観を大切に


周りがたとえ自分を認めて


称賛してくれなくっても


自分が自分を信頼し誇れる歩み方が


できたらそれで十分


この世に誕生し


存在している意味があるんじゃ


ないかなって感じているの


特に女性の場合は


普通という生き方の


サンプルが


長い間用意されていて


そのサンプルにぴったりと


フィットした歩みでない場合


様々な事をささやかれたり


尋ねられることが多いと思うの


女性の場合は


「結婚は?」から始まり


結婚したら


「お子さんは?」と続き


子供が授かったならば


女の子が授かった方には


「次は男の子が・・・」


男の子を授かった方には


「次は女のこが・・・」


一人しかいない場合は


「ひとりっこはかわいそう」


「きちんとしつけが・・・」と流れて


人の思いを


すべて受け止めすべて


クリアにしたとしても


永遠と言葉は続いてゆくものだと思うの


冷静に見つめたならば


どの言葉も


その方の価値観で


その方の理想であって


幸せになるサンプルではないと思うの


ただ長い間


続いてきた普通といわれる


サンプルの枠の中に入っていることに


安心して生きてきた


時代が長かったから


まだ目覚められない方も多いと思うの


ただその逆に


自分が望む幸せがたとえ


確かなものではなくっても


今の自分が望むものを


一歩・一歩


手にされている方も多いと思うの


私の友人夫婦は会社を退社し


おうちも売却して


オーストラリアへ数年前移住したの


その理由は


「将来的に退職金を受け取れる


保証もない会社に


人生の多くの時間を使うくらいなら


細々でも食べられるだけ


稼げたらどこにでも暮らせるし


若かったら何でもできるでしょ


本当に人生って素晴らしいって

毎日思いながら暮らしたい」という理由だったの


そしてエアメールや葉書など

届くたびに

笑顔のバックには


美しい景色が映っていて


充実した日々を


送っているのを感じているの


彼女の場合


こちらに暮らしている頃から


とても思い煩うことが多く辛そうだったので


すぐにこのような決断が


できたのだと思うの


彼女ご夫婦は仲良く二人暮しで


その事が跡継ぎを必要とする


パートナーの家系的な問題が


ずっとあって


私たち夫婦とはまた少し違い


授かりものとして


ゆっくりと待っていられないくらい


長い間代々続く家業があって

パートナーの方の家系からは


別れることを強く


求められていたらしく


パートナーのお母様が


気に入った女性を


おうちに呼んでは進めたり・・・


初めその事を


聞いた時には


驚きと愛が試される問題が多く


相談に乗ってあげられなかったの


でも本当に仲が良く


ふたりが話している姿を見つめている


私たちまで笑顔になるほど


幸せそうだったから


きっと大丈夫って思ってはいたの


魂が引き寄せ結ばれた縁は


誰にも引き離すことは


できないんじゃないかなって感じていたの


女性の多くは


自分自身を過小評価している方が多く


女性としてできる事が


できないかったり


望まなかったりすると


周りからの言葉以上に自分が思い込んでいる


過小評価によって


自分を責めて


自分には価値がないと感じてしまう方もいると思うの


でも男性・女性共に


性別的に秘めている


価値ばかりが


人としての価値ではないと思うの


そして人は


物質ではないのだから


価値という評価ではなく


ただただ尊い命として


見つめあえたら


どんなに素晴らしいだろうって感じていたの
















「感謝」って

その方によって


表現する場が違うけれど


大きな事だけが感謝を感じる場では


ないんじゃないかなって感じていたの


「感謝」は表現する方も


受け取った方も


とてもエネルギーに満たされる


魔法のような言葉だと思うの


この間


友人たちとの会話で


みんな年齢と同じくらいの収入を


受け取るようになった事もあって


私のパートナーは


相変わらずだけれど不安はないの?という


表現があったの


もちろん多いことに越したことはないけれど


彼には彼の人生があって


そして私にも同じように


私の人生があって


協力し合って


共に歩んでいるだけで


基本的に


彼に多くを望んでいなかった私は


「家賃とか生活費を払ってくれるだけで


ありがたいと思っているよ」と


表現すると


「そんなの当たり前じゃない?」と言葉が返ってきたの


もしかしたら


また社会の空気をわからない私は


人と違ったことを表現しているのかなって思いながらも


ほんのちょっとがんばって


自分の思うことを伝えていたの


そうしたら友人は


「あなたは幸せだよねそんな当たり前の事に


感謝できるって」って言われたの


その時


改めて感謝する気持ちや


ありがたいと思う気持ちは


相手のためではなく


自分をも幸せにする


魔法の思いなんだって


友人に教えられたきがしたの


私は今1年の半分は


彼が長期出張なので会えず


一人暮らしのように過ごしているので


余計に感謝を素直に感じやすくなっていると思うの


私たち夫婦の場合は


ほどよくお互いに


自分を体験する時間が欲しい事もあって


今のような形が心地よいの


よく知り合いには


冷たいねとかさめているねって


表現されることもあるのだけれど


同じ体験を重ね


思い出を共有する素晴らしさもあるけれど


せっかく二人いるのだから


お互いに


自分たちが見た感動や体験したものを


伝え合いながら


心を共有する喜びもあるんじゃないかなって感じているの


そこで一番不安を生み出す事は


他の女性へと


心が動いてしまうことだと思うのだけれど


もし彼が人生のその方が必要で


そのような形を望むのならば


仕方がないと思っているの


そのような話は


私が子供を育むことが


難しく未来に二人だけになる


可能性が大きくなったとき


以前にも彼と話し合っていて


その時私は彼の気が変わり違う人生を歩みたくなったならば


私は共に歩むことを終えるといっているので


未来の流れは


神様しかわからない事だから


今ある幸せに感謝して過ごそうって


心が決まったときだったの


それまでは


人に何か表現・伝えられるたび


まだ起きてもいない問題に思い煩い


不安になっていた事もあったけれど


それは


本当に意味のないことで


せっかく用意されている


今の幸せまで手放してしまうように感じ


自分の心のままにパートナーに伝えたの


そうしたらパートナーは


「そっちも不安かもしれないけど


俺だって


他にいくらでも俺よりも優れた人間はいっぱいいるんだから


いつ別れることになるか不安だよ


でもお互い不安を少しぐらい


持っていたほうが


相手を思いやる気持ちになるからいいんじゃないかな」って伝えてくれて


それ以来


感謝できる事が多くなった気がするの


それはパートナーだけに限らず


友人と会った時にも


今日楽しい時間を過ごせたことに感謝したり


逆に楽しい会話にならなかったときにも


必ず自分が聞く必要のある


題材や答えと繋がる


会話があったことを思い出して感謝したり・・・


初めの頃は友人たちも


テレながら「そんなに感謝されるほどのことでもないけど・・・」って


言っていたけれど


最近は互いに


感謝できる事を探しながら


伝え合うようにあっているの


「感謝」「ありがとう」っていう言葉は


まるで神々に手を合わせながら


ありがたい気持ちになるときと


とても似ていて


お互いの心身が浄化され


素敵な時間をまた


新たに運んできてくれる


魔法なんじゃないかなって感じているの