2007年5月





毎年のことだけれど


またあっという間に


春と夏の間を迎え


新たな出来事の中過ごしているの


久しぶりに実家に足を運び


様々な会話の中で


気づきと感動を受け取る事ができたの


私の中では


手術を受ける私の喜びと不安


そして


そこまで気持ちが整うまでの


経過を伝えたいと思っていたの


それは


私のとっても


両親にとってもよき流れのために


この出来事を選択したことと


結果が形となった時


両親も私が選んだ選択に


ほんのちょっぴりでも

理解してくれたらなって思っていたの


母は自分の体が弱いことや


婦人科に私のように病があった事もあって


この病を手渡してしまったことを


詫びていたの


でも私は


母に

「病気になった時


なぜ?こんなにつらい事を


私が体験しなければならないのだろう


なんて不幸なのだろうって


思った事もあったけど今は違うの


病気になってから


どうしようもない人の心の痛みや


肉体的な痛みなどが


理解できるようになって


人と深く共感できるようになれたの


その事によって


心の親戚がいっぱいふえて


深い孤独感から


解放されたの


私は今病気になって


これはこれで良かったって思っているよ」と伝えると


母も


「あなたは大きな気づきが


できる人なんだね


人生にはそういうことが大事なんだよね」って


良い意味で


親子という意識ではなく


人間としての尊敬・感動を


受け取っていたの


両親は以前とは違い


私が選んだことをどんな形であっても


幸せのために


選択していることを


信頼してくれているのをとても感じ


私の中で


時の流れを持った意味を今感じているの


そして心の交流を終える頃


親戚の叔母が


余命5ヶ月という事を伝えられたの


その叔母は


感情を整理整頓することが


苦手で相手に対する


思いやりというスペースを持たずに


ずっと歩んできた事もあって


年々叔母の元を


訪れる人はいなくなり


叔母は子供たちとも疎遠になっていたの


でも私は


叔母の生き方を見つめながら


たくさんのことを学ばせてもらったの


叔母はすべての出来事を


悪くとらえる人なので


たとえ相手の方が


優しさから行った事であっても


悪くとらえるとこうなるんだなって


叔母の姿から教えられてきたの


叔母の周りには


もう誰もいないこともあって


私の両親は


どうしてもほっておく事は


できないので


住まいや病院などできることを


すべてさせていただいているようなの

でも


叔母はいつものくせで


感謝よりもなぜだか


幸せに過ごしている


両親に繋がるすべての人の悪口を言い出してしまうの


幼い頃は


叔母のこの癖に私も大変だった事もあるの


叔母の娘が


ショッピングセンターで万引きをし


その理由を


私に頼まれたからだとうそをつき


ほとんど会った事もない


遠い街に暮らす所から


急に嵐のような出来事が


私のうちへ運ばれてきて


母は私の言葉を


信頼してくれたけれど


父は自分の姉の言う事だからと


私のいう事を信じてはくれず


何もしていない私が


なぜか叩かれ謝りにゆくという


不思議な体験が数回あったの


でもこのような出来事は


私たち家族だけではなくなり


そのような事が多くなるにしたがって


やっと父も状況が


理解できるようになって私に謝ってくれたの


なぜ叔母が


そのような不幸な流れを自ら作って


生きてゆくようになったのだろうって


とても気になるようになって


叔母を見つめるようになってから感じたのは


叔母はいつも


自分勝手で自分の好きなように


歩んできたように映るけれど


本当は自分を見つめていなくって


いつも無意識に


誰かと自分を比べながら


生きてきたんじゃないかなって感じているの


だから何をしていても


自分以外の人が気になり


自分の幸せよりも


相手の不幸を望む形に


なったんじゃないかなって感じているの


そして自分が誰かに一の親切をしたら


最低でも二の親切の


見返りを自分の中で予測して


施しをしていたように感じているの


叔母は今このような状態になっても


相変わらずの


考え方のまま過ごしていて


改めて


人の学びや気づきは年齢だけで


測られるものではないんじゃないかなって感じていたの


叔母はもうすぐ


この人生を終えるけれど


叔母の姿から


「感謝することの大切さ」


「様々な出来事の中から


良いものを見つける大切さ」


「人と自分を比べず


自分の幸せの形を見つめる大切さ」etc


たくさんの大切さに気づかされたの


疎遠だったおばの子供たちも


状況が状況なので


叔母にあたたかくしては


もらえなくっても


すぐに会いにきているの


そして叔母の子供たちは


残りわずかな命の叔母を見つめながら


すべての過去の出来事や


このようにしか生きられない


叔母を許しているように


私のうちへ来た時に泣いていたの


叔母は


この人たちのぬくもりや


自分が愛されていることを受け入れ


自分に許したならば


どんなに幸せな人生と


なっていたのだろうって


本当にもどかしい気持ちになっていたの


叔母にひどい事をされかた方たちも


今叔母との別れが近いことを


寂しく思い


おばの過去すべてを許しているのに・・・


私から見つめたならば


叔母はとても幸せだと思うの


でも自分が幸せだと


感じなければ


どんなに幸せなものが


整っていても


不幸なのかもしれないなって感じていたの


その逆に


人から見つめたならば


あんな風にはなりたくないとか


同情されるような


人生の方でも本人が幸せだと感じていたならば


この上ない


幸福な人生なんじゃないかなって感じていたの


幸せは自分の心が


決めることだから


周りの評価と必ずしも一緒ではないけれど


誰もが


ひとつの人生を託され


その与えられたスペースで


様々な心の体験をして


自分の魂をより輝かせるために


今この時代に


生きているのだと思うの


自分の持っていないものを数え


嘆き悲しむよりも


持っている幸せを数え


そしてまだ気づいていない


幸せもきっとたくさんあると思うの


叔母のことを


通して感じていたのは


本当に信じられないほど


人に対して


ひどいことをしてきたと思っている方でも


必ず誰かが


自分を愛してくれていて


そして


あなたという生命が


この世にいなくなる事を寂しく・悲しく


思っている人はいるということ


物理的にひとりだと思っていても


本当はそうではなく


自分がその愛に


気づいていないだけだと思うの


その愛に気づけたならば


愛の奇跡が自分の人生に


たくさんの幸福を


与えてくれるんじゃないかなって感じているの


















今よりもはるかに


波動を高くいつも


保っていられた頃の事を


友人と話していたとき今になると


本当に不思議なほど


自分の内なる部分で考えていた事が



速いスピードで


神々が用意をしてくれて



毎日が


驚きの連続だった事があるの



たとえば


偶然素敵な絵画を
見つめる機会があって


見つめていた時



こんな素晴らしい絵を描く方って



どんな方なのだろうって



ふっと思っただけなのに


偶然その場所に絵を描いた方が


来日していたらしく
訪れ紹介されたり


ある時には



お買い物中に



素敵な曲が流れてきて



その声が素敵でCDショップへ向かい



歌っている方が思った通り素敵で


友人にその話をし


数日後


友人がフェリーに乗って


実家へ帰るときに


隣あわせになった方が


そのアーチストの知り合いで会うお話まで整ったり・・・


本当に自分自身も


周りにいた方たちも


驚くほどだったの


それは私が運が良かったからでも


何か特殊な能力があったからでもなく


今になって思うのは


よく精神世界では


当たり前に語られている法則が


働いていたからなんじゃないかなって感じているの


よく精神世界の知恵の中で


自分がイメージすることを


引き寄せるという事が語られているけれど


その法則が


もっとも強く働いていた時だったと思うの


その頃の私は


今よりも


楽しいことを自分のサインとして


行動していたこともあって


いつも波動が高く保たれていたと思うの


よく伝えられる宇宙の法則は


良いものかそうではないものかを


判断基準にはしていないので


日々考えることや


強く思った事が


宇宙に送信されるんじゃないかなって

感じているの


その送信速度は


その方の波動のレベルによって


様々だけれど


同じ波動のものが


一番早く届けられるので


楽しく過ごしていたならば


楽しいことがすぐに届き


その逆の場合は


ゆっくりと忘れた頃に


自分が考えていたものが


届けられるんじゃないかなって感じているの


ただ精神世界の魔法のような


なんの苦労も悲しみもなく


幸福や富が手に入れられるというのは


少し違うと思っているの


それは


人には自分の思考とは別に


魂の成長のために経験という贈り物が


用意されているのでその贈り物の多くは


時には辛かったり悲しかったり


涙する事も多く


その体験からしか学べない


魂の輝きもあるので


その部分とミックスしながら


冷静に


波動を高く保つ事が


大切なんじゃないかなって感じているの


なぜなら


楽しい気持ちでイメージしても


何もかまわないどころか


あまり良くない事が


続いたように


感じることが誰にでも突然訪れたとき


願うことやイメージする事が無駄に思えたりして


「やっぱり」って言葉と共に


過去の悲しい思い込みが刻まれてしまうと思うの


そうなってしまうと


無意識に


幸せを願うことは


ただの空想だと感じ深い部分で


自分がイメージしていた通りの


人生が与えられるんじゃないかなって感じているの


私たち人間は


毎日何千って思い込みと


選択を繰り返していて


その答えが結果となって瞳に


映る形となっているだけだと思うの


私たちが


何かを夢見たり


希望を持つとき


まず結果をイメージするけれど


今の自分から


結果まで辿るつくには・・・って


考えた瞬間


多くのエネルギーが消耗してしまうと思うの


なぜなら


その望む結果へ


簡単にたどり着けるのならば


もっと早くに


行動していたはずだと思うの


だから結果をイメージすることは


わりと簡単にできても


経過を考えてしまうと


断念してしまう方も多いと思うの


私が感じているのは


私たちは結果をイメージするのは


得意なのだから


楽しい気持ちになる結果を


イメージするだけで


良いんじゃないかなって思っているの


そして


そこまでたどり着く方法は


宇宙にお任せしておくだけで


いいんじゃないかなって感じているの

たとえば


今の私ならば


結果手術をしようと


考えているのだけれど


その結果


とても心豊かになって


楽しんでいる自分をイメージするけれど


その結果に


たどり着く方法を


あれこれと考えてしまうと


人間特有の不安から


前に歩めなくなってしまう事があるの


でも自分が望む結果が


はっきりとリアルに


体感できるようになると


直感的に


どこに向かったらよいのかが


感じられるようになるの


そうすると結果的に


自分が望む形へと


大いなる力が働いてくれて


恐怖や不安というロスが少なく


望む形が整ってくると感じているの


宇宙の法則は


類友の法則で自分が望むものを


引き寄せているんじゃないかなってとても感じているの


私の知り合いに精神世界に詳しく


イメージするものを


引き寄せるという法則を使い


ある豪邸の間取りの書かれたものや


有名人が書いた手紙などを印刷し


毎日見つめ意識して過ごしていたの


でも彼女は何年立っても


その夢は実現されなかったの


彼女はその後


精神世界に興味を失い


そのような話をしなくなったの


私はいつも彼女を見つめながら


彼女は最も大切なことを


忘れていたのを感じていたの


彼女は日々イライラし


誰かのゴッシップを無意識にいつも語り


とても狭い思考で人々の行動に対して


正当な理由を付け非難していたの


彼女がどんなに


素晴らしい言葉を瞳から吸収しても


あらゆる素晴らしいイメージをしても


日々の多くの無意識な思考によって


素晴らしいイメージは消えてしまい


無意識に強く考えてしまうこと


無意識に語る言葉が


ピックアップされて


彼女にとっては


望んでいないものばかりが


彼女の元には


届けられていたんじゃないかなって感じているの


彼女はとても美しく


性格的にも多くのビジネスで


成功できるような条件がすべて整っているように


私は感じていたから


初めは


なぜ?スムーズに物事が


運ばないのかなって思っていたの


でもきっと


宇宙の法則通り日々考えているものと同じものが


届けられていただけなんじゃないかなって感じるようになったの


意識して行うことは


ほんの少しのスペースで働くエネルギーだから


逆に無意識に


考えていることや


行動していることの方が


大切なんじゃないかなって


教えられた気がしたの


逆に特に何かを


具体的にイメージしなくっても


いつも自分を喜ばせてあげて


波動を高く保てていたならば


様々な偶然の奇跡に導かれ


自分が思ってもいなかった


幸せに辿り付ける事も


あるんじゃないかなって感じているの


ただ難しいのは


現状に満足をすると


次のステップには進めずだからといって


今に感謝や満足ができないと


波動が低下してしまうと思うの


宇宙はその現状に


見合ったものしか与えられないから


感謝しながらも自分の夢や希望を


次々と


オーダーすることが


大切なんじゃないかなって感じているの


そのオーダーは


無意識・意識していること


すべての中で


もっとも強く伝わってきたものを


オーダーとして


用意してくれると思うので


無意識の自分に気づくことが


大切なんじゃないかなって感じているの


常に自分が何を感じ


何を考えて


過ごしているのかを知る事が


大切なんじゃないかなって思うの


たとえ悲しみの中にいても


無理に笑うことをしなくっても


自分が悲しんでいる事を


感じ・受け止めていたならば


波動は低下しないと思うの


客観的に


自分が今どのような状態なのか?


自分は何を悲しんでいるのか?


自分の内なるささやきを


聞いてあげるのは


何よりも大切なことだと感じているの


精神世界の知恵は様々なものを学び


理解してもらえるという


前提で具体的に


伝えているものが少ないので


読む方や見る方によって


受け止め方も


様々で


先ほど書かせていただいた


知り合いのように


精神世界の知識が豊富で


受け取った知恵を


そのまま実践していたけれど


心の調和が


最も必要だという事は


自分で感じながら


取得してゆくものという


前提で


きっと知り合いが


読んだ本には書いていなく


もっとも大切な事は


知らなかったんじゃないかなって感じているの


今の時代様々な成功へ導く


知恵を伝えてくれる本やブログ



HPなどが


たくさん受け取れる時代だけれど


すべての知恵を開花させる


大切な人生の肥料となるのは


今すぐに


自分を喜ばせて


あげることから



すべてが豊かになってゆくんじゃ


ないかなって感じているの















誰でも


困難に出会うと


すべての道が閉ざされたように感じ


歩む方向を


選択できなくなることがあると思うの


でも多くの場合は


時間が過ぎて見つめてみると


その困難が意味のある


人生を整える時間だった事に気づかされると思うの


神様って


人間が考える以上に


完璧に結果へ繋げるために


あらゆる方法と出来事を


コントロールしてくれて


いるんじゃないかなって感じているの


自分の力だけでは


解決できない問題や


出会いなどを


奇跡的な展開で最も望む形に


近づけてくれていると思うの


そして


そのスピードを早めてくれるのは


その奇跡に気づき


大いなる信頼と感謝を


感じることなんじゃないかなって感じているの


誰でも人生には


スムーズに


人生の歩みの距離を伸ばせる時期と


少しスローに


自分が望んでいるものを


整理整頓する時期があると思うの


たとえば数ヶ月前には


これが一番!って思っていた価値観が


数ヶ月後には変化していたり


その微妙な変化を微調整する時期が必要だと思うの


そして自分の意思と


神々がもっとも良いと


届けてくれているものとの


折り合いを整えながら最終的に


自分にとって


何が一番幸せを感じられるのかを


見つける事が


大切なんじゃないかなって感じているの


私自身も


大切な体の健康を整えるために


大きな決断の中


二つの選択にゆれているの


いつも通っていた


なれた空間となる病院で行ったらよいのか?


それとも初めての病院だけれど


信頼を寄せている


先生が籍を移した病院を


選んだ方が良いのか決めかねていたの


今小さな病院というのは


先生が足りず


他の大きな病院から


一定期間お願いされてきている事も多く


小さな病院では

先生がよく変わる事が最近多いの


その中でなぜだか


初めて会った時から

プライベートな電話番号をくださり


診療時間外にいつも待つ事なく


診察やご相談を


いつもしてくださった女医さんがいて


その方の心使いと不思議な縁は


神様からの贈り物なのかなってとても感じているの


私の知り合いや友人・家族に


何気なく


そのできごとを話すと
通常時間外に


患者の都合に合わせてはくれないから


この縁や出来事は


あなたが誰かに守られているように感じると


表現されることが多く


自分の考えだけではなく


導かれるものに抵抗する事なく


運ばれるままに大いなる存在の力を


信頼しようと今思っているの


こんな出来事があって


はじめて


自分が自分を思っていた以上に


大切にしていることに気づいたり


自分ではどうすることもできない事の中に


身を置き


改めて


人間は自分だけの力で


人生を歩めるものではないし


一人一人が


守られた存在なんじゃないかなって感じているの


ただこんな風に


ストレートに感じる出来事以外にも


日々人間は


奇跡を重ねているから


今日を生きているんじゃないかなって感じているの


つい数日前


パートナーと久しぶりに会って


デートをしながら


信号待ちをしていた時


隣に年齢を重ねて男性がいて


紙袋が風に吹かれた瞬間


大きな包丁が道路に落ちたの


彼はあわてて


袋にしまうのだけれど


何か動揺しているのか


何度も落とし


その包丁をみた瞬間


私はパートナーの前に出て盾となり


「目を合わせてはだめ」と小さくささやいたの


そしてとっさに持っていたショールを


パートナーの手や腕に巻いたの


その時は瞬間的な行動なので


わからなかったのだけれど


後になって


そのようにしたのは


もしもその方がこちらに切りつけて来た時


皮膚を守るために


そうしたのだと自分でも気づいたの


そのできごとは


何時間たってからもこわくって


その出来事から


様々な事を感じていたの


何気なく過ごしている人の中には


あらゆる問題を抱え


過ごしている事もあって


その問題を


自分だけでどうにかしようと考え


消化できないまま


自分の心が壊れてしまうと


すべてを自分が破壊したい気持ちになって


外にそのエネルギーを


向けられる方も


いるんじゃないかなって感じていたの


そして数時間前まで


楽しく過ごしてきた方たちにも


不幸の連鎖がもたらされる事もあると思うの


そう思うと


人は危機的な状況に出会わない事が


当たり前になっている事もあって

退屈だな~とか


暇だなって思う時間が


幸せだとは思えない部分もあるけれど


大いなる存在から守られているから


大きな事件や問題に遭遇せずに


過ごせているんじゃないかなって感じているの


上手に言葉で


表現できないのだけれど


心が壊れてしまった方たちが

街の中に存在し


他の方たちにも大きな不安が


生まれるようになったのは


もしかすると


みんな繋がった集合意識を


持っているからなんじゃないかなって感じていたの


だから


無意識に繋がりあう


私たちの思考にも


原因があるんじゃないかなって感じていたの


ニュースなどでは


日々同じような悲しい出来事や


不安になるような情報が


伝えられていているけれど


人間は楽しい出来事よりも


生命を維持するために


もっとも直結した危機回避のために


悲しい出来事や不安な出来事の方が


強く印象に残り


無意識にその情報を


ストックしてしまう事があると思うの


そうすると


その出来事には


多くの方のエネルギーが注がれ


いつの間にか体験していないのに


ニュースで伝えられる中に


登場する当事者のように心が曇ったり


不安になったりしてゆくと思うの


そして


自然とニュースで伝えられるような方たちと



意識が繋がりあい

エネルギーを注いでしまい


不安な出来事が多く瞳に映すことが


多くなっているんじゃないかなって感じているの


よい事もそうではないことも


エネルギーが注がれたものが


大きくなってくるものだと思うの


そしてこの地球という同じおうちに暮らす


私たちは


自分以外の存在をにも無意識に


エネルギーを手渡し・受け取れる存在なのだと思うの


だからこそ


一人一人が人生を楽しみ


喜び溢れた時間を過ごす事が


大切なんじゃないかなって感じているの


幸せな人が多くなれば


その思いの方が大きく育ち


今困難の中で心壊れそうな方たちにも


間接的にでも救う手助けが


できるんじゃないかなって感じているの


そしてほんの少しでも


時間と心に余裕がある方は


大地の土に手を当てて


大地を伝って


誰かに幸せパワーを祈りと共に送るだけでも


違いが感じられるように


なるんじゃないかなって感じているの


みんな繋がりあった存在だから


たった一人の自分を


幸せな気持ちにしてあげるだけでも


世界平和に


貢献していることになるんじゃないかなって思うの


人それぞれに


幸せを感じることが違うけれど


心から生きている喜びを感じる


時間を


自分にプレゼントしてあげる事は


わがままでも自分勝手でもなく


繋がりあう


すべての人のためなのだと
意識して


罪悪感を持つ事なく


自分の笑顔を大切に過ごす事が


最も必要


大切なことなんじゃないかなって


感じているの
















あらゆる場所に行くたびに


天使のサインを感じ


幸せを感じているの



旅先にゆくとあらゆる数字が


メッセージをくれて勇気をもらっているの


私のHpに載せさせて頂いている


天使のサインをメモして持ち歩いているので


自分が選ぶ数字ではなく


偶然に与えられた数字に出会うたびに


その数字から


伝えられるメッセージを受け取っているの


たとえばお部屋の番号だったり


ロッカーの番号だったり


偶然にのったタクシーの番号だったり・・・


天使は頻繁に


姿を瞳に映すことができない分


その存在を


あらゆる形で伝えてくると思うの


感動や歓びと出会ったときなどには


必ずもっとも近い場所にいて


天使が使命としている


人々の喜びが果たせた喜びが


重ねられていることが多いと思うの


天使は私たちが


創造している姿ばかりではなく


光や影・風など


あらゆる自然の力を借りて


存在を表現していると思うの


意識して見つめてみると外から光が差し込み


壁に映し出される影と光が


天使を思わせるような形になっていたり・・・


時々パワーストーンの中にも


天使のような形に変化した傷や光があったり・・・


私たちが存在を感じたいと思えば必ず


気づける形で存在を伝えてくれると思うの


天使は神々と


人間を繋いでくれる存在なので


私たちにとっては


神様よりも近い存在だから


相談事や願いなどは


天使に伝えて


神様に届けてもらうのも


いいんじゃないかなって感じているの


私が感じているのは


神々は宇宙と同じ存在で


良い事とそうではない事という判断ではなく


日々考えるこ
表現することを


願っているのだという判断で


叶えてくれる存在だと思うのだけれど


天使は人間に近い感性を


持っているので


思いを理解し優しく


私たちにわかりやすい形で


神様からの伝言を訳して



届けてくれているのだと思うの


天使は私たち人間にとっては


友達のような
先輩のような


存在なんじゃないかなって
感じているの

















最近パートナーがカルマというか

自分の今の現状は誰のせいでもなく


自分が行ってきたすべての結果として


与えられているもの
なんじゃないかなって


話すことが多いの


その言葉を受け取った時


自分を責める事もなく


心の中に心地の良い風が


吹いてきたような気がしたの


それはきっと


自分の中ですべての答えと


幸せへの鍵となるものだったように思うの


ただその言葉を伝える人の


ニュアンスでは反発してしまったり


自分を責めるものと


なる事もあるとは


思うのだけれど間違いなく


私の幸せを願ってくれている人の

言葉だったから


スムーズに受け取れたのだと思うの


私の場合


病になってから身体だけではなく


心までその波動が伝わり



物事を斜めに見つてばかりの時期があったの


「なぜ私がこんな風になるの?」


「私が何を悪いことをしたというの?


もし悪いことをしたとしても


もっと悪いことを


している人だっているじゃない」など・・・


その迷路の中で


周りから感じるプレッシャーや


がんばれない自分など


あらゆる自分を


一気に体験する時期があって


もうだめかなって思うほど


自分が自分でいられないほどだったの


それは痛みだけではなく


自分が納得する


腑に落ちる答えが見つからない


苦しみだったように今は感じているの


でも不思議なことに


最終的な結論が


自分の中で導き出せたとたん


あらゆるものが輝きだし


言葉では上手に


表現できないのだけれど


この出来事は不幸な出来事ではなく


共感という人と


人を繋ぐ宝物でそしてあらゆるものの清算というか


浄化なんじゃないかなって感じるようになったの


私が初めに書いたように


「私が何を悪いことをしたというの?


もし悪いことをしたとしても


もっと悪いことを


している人だっているじゃない」という


思いがあったけれど


本当は見つめたくない見つめられない


あらゆる過去の出来事の中で


悲しみを


人に手渡し


ひどい事もしてきた事を自分でも知っていたの


でもどうしても


その部分を認めて


受け入れて消化できていなかったの


ひどいかひどくないのかは


個人差や感じ方があるとは思うのだけれど


自分自身が


その出来事を心の尺度でそう感じているの


その出来事にやっと


光を灯し


あたため溶かす事ができたように感じているの


そうしたら


何も自分の中で


光の当たらない場所がなくなって


ありのままの自分が自然に


表現できるようになれたの


少しオーバーじゃない?って


自分でも感じるのだけれど


Hpで繋がりあう方から


喜び報告や


友人が喜びごとがあったことを


私に軽く


会話の中で伝えただけなのに


「よかったね~」って


気がつくと涙が溢れてしまい


自分でも


ちょっぴり恥ずかしいの


でも魂と心と体が一致しているので


すべてが反応してしまうようなの


自分でもどうしちゃったのかは


わからないのだけれど


愛の悟りが開かれたような


幸せに日々包まれているの


過去の自分が行ってきた


すべての事を受け入れるということは


自分の存在すべてをありのままに感じ


認め
愛する事の


始まりなんじゃないかなって思うの


誰でも人は


幼子じゃない限り


あらゆる体験の中に


自分が認めたくない


認められない


良くない行いをしてきた過去を


持っているものだと思うの


でも


それを誰かのせいにしたり
忘れようと


心の深い部分に押し込めていても


何度も何度の時折


その思いが形を変えて浮かんでくると思うの


だからといって


過去の出来事は自分を責める


アイテムとするものでもなく


きっと


もっとも受け入れがたいものを


受け入れられるように与えられたもので


すべては自分がしてきた事だという事を


ありのままに受け入れ


自分という


存在を無条件で愛してあげるための


レッスンなんじゃないかなって感じているの


今私の周りでは


公言したわけではないのだけれど


このようなレッスンが広まっているようで


急に友人や家族などから


過去の自分の行いを告白される事が多いの


ほとんどの場合



本人が思っているほど


悪いことではない


出来事なのだけれど


本人にとってはその出来事が心を重くしていて


懺悔のような流れとなる事が多いの


人は語っている時


言葉と共に重いものを


外に手放している作用によって


心が軽くなり


無意識に語るという行為によって


その出来事を受け入れ



清算できているんじゃないかなって



感じているの


話を聞くたびに


その本人にとっては


自分のイメージダウンになっていると


思っているようだけれど


私にとっては逆で人間って


なんて優しくあたたかく


素晴らしいのだろうと感じさせてもらっているの


私の親友は


自分がこの世に誕生して


数ヵ月後



母親が


自らこの世を去ってその事を


いつも自分のせいなのではないかと


無意識に時折


自分を責めていたようなの


大人になってからも


友人や仕事場で
自分の至らない部分を


注意されたり


人から受け入れられていないと


感じる出来事があるたびに


その出来事と結びつけては苦しんでいたようなの


仲良くなって


数年たってから


彼女から母親のことなどを伝えてもらったの


彼女はきっと


私の反応を予測しながら


戸惑いながらも
伝えてくれたと思うの


よくある事なのだけれど


自らこの世を去った方が


家族や身内にいるとその家族が


幸せになれないなどという思い込みなどが


受け付けられている事も多く


悲しみを抱く当事者に


その出来事が


幸せになれない原因として


話される方もいるので


彼女も不安だったと思うの



でもその教えは


あくまでも


できるだけ自らこの世を去る事を


止めるために語られている説法のひとつだと


私は感じているので


友人には



母親のことを伝えてくれた


彼女の勇気と私を信頼してくれたことに



感謝しながら


私の祖父も同じ形であった事


そしてその祖父は


偉大な力によって


あらゆる人の病や心を救い


神社を守ってきた存在だという事


そのようなあらゆる教えや


行いをしてきた人でさえ


そのような選択しかできなほど


何かがあって


そうしなければならなかった事を


私は感じているので


良いかそうではないのかという


問題に分けたくないことを
伝えたの


彼女はまるで憑物が消えたように


明るい表情になって


今とても幸せに過ごしているの


人ぞれぞれに


言葉にできない思いを


秘めていると思うのだけれど



自分がその事を感じているのならば


光は注がれているのだと思うの


あらゆる時代の教えや


考え方など


集合意識によって流行が生まれるように


時代の変化と共に


受け止め方も様々に


存在するようになったけれど


どんなに時代が変化しても


人は自分の心の中を旅して


自分自身が納得し


幸せを感じられる生き方を探す旅を


それぞれの形で続けているのだと思うの


あってる・間違っているの
ジャッジも


周りがするものではなく


自分自身が


するものなんじゃないかなって感じているの


でも宗教的な教えやご供養の作法など


専門的な事を


知る機会のない私たちは


そのような時


専門家に相談したり


お知恵を授かることがあると思うの


たとえば


命を授かったのに



この世に生み出す事ができなかった


過去をお持ちの方は


何となく罪悪感から



形として何かしなければならない


思いを持っていたり何か運が良くないと

感じると


その事を思い浮かべ


専門的知識をもたれている方に
相談をし


お地蔵様を奉納されたり


ご供養をされたりする事を


進められると思うのだけれど



この流れは


あくまでも自分が自分を


納得させるための形でそうしたから


幸せになれて


そうしなければ


幸せにはなれないと


いうものではないと思うの


たとえお地蔵様を奉納しても


ご供養されても



それで終わったと
何もなかった事に


なるわけではないんじゃないかなって



感じているの



逆に時折


思い出す事のほうが


本当の供養に
なる事もあるから


形にこだわらず


そして自分が幸せになれないことを


その事のせいにしては


ならないんじゃないかなって思うの


現実的に見つめたならば


多くの親子はあらゆる事があっても


心のどこかで親を愛し


遠く離れていたとしても


身を案じているものだと思うの


親も同じでそれが親子だと思うの


そして水子と伝えられる


多くは4ヶ月以内で


存在しなくなった命だと


思うのだけれどそれを過ぎると


法律的に存在していたという届けを


出すはずなのだけれど


それにもきっと意味があると思うの



私は多くの方たちの懐妊後


これからその方たちの中に宿る


胎児の中に入る予定の



光の玉(魂)を見たことがあるけれど


私のお部屋にごあいさつに来てから



消えて胎児の中に入るのは


かなり後からだった事が
多いので


魂の問題からいっても


人間が考えているような


祟りという事は


ないんじゃないかなって感じているの


ただ現実的にその事によって


見えない部分に傷などが



できることもあるので



婦人科的な病状が生まれることは


あると思うのでできるかぎり


心身にダメージを与える事はしないように


大切にしてあげる事は大事だと思うの



どうしても自分の中で



自分を許せない部分を



もたれている方がいたとしても


カルマといわれる自分の行いは


今からでも解消してゆけるのだと
思うの


たとえば


ほんの小さな事でもいいから


損かなって思うことでも


相手のために何かをしてあげたり


あえて自分の点数とならない事を


重ねてゆくといいと思うの


そうする事で


カルマといわれるものは


消化してゆけるのだと思うの


そして気がつくと



自分を愛し


撒いた自分の種たちが開花をし


幸せの花を


いくつも咲かせて


ゆけるんじゃないかなって感じているの



人生はすべて帳尻があっているものだから


長い目で見つめたならば


損得はなく



自分が撒き育んだものしか


収穫ができないものだと思うの


良い意味で


自分の幸せは


自分が今から


作って行けるという事だと思うの


いつも伝えさせて
いただいているように


もちろん経験という形で



魂の成長のために


自分が撒いていない種の


収穫を行うこともあるとは思うのだけれど


それも



すべて未来の自分から見つめられるときが


きたならば



その事に感謝できる事が
多いと思うの


神様は完璧な存在なのだから


完璧な神様の作った


私たち人間は


あらゆる失敗をしたとしても


それさえも神様の完璧な


プログラムの中の出来事なのだから


自分の生き方を
恥じることも


否定する必要もないのだと思うの


与えられた出来事をどのように見つめて


どのように解決してゆくのかを


いつも神様は


天使と共に見守り


エールを


送ってくれているんじゃないかなって


感じているの













ふっと

人生の幸せって


自分が考えている事以外の中にも


秘められているんじゃないかなって



感じていたの


私の友人は


よく自分の事を流されやすいと


自分の事を表現すのだけれど


その流されるという


部分が
本当は流れに逆らわず


流れに乗っていただけだと後になって



私も彼女も
感じるような出来事が多くあったの


彼女が勤めている部署は


彼女にとっては


望んでいる部署ではなかったのだけれど


望んだ部署では



すべてがスムーズに流れず


その状況を見つめていた方が


彼女の望まない部署へと


配属を決め


彼女も迷いながらも


会社の指示なのでまぁいっかって


軽い気持ちで移ったの


でも彼女は



自分が望む形を願い


私に望む事が
叶えられるようにと


アクセサリーをオーダーしてくれて


作らせていただいたの


彼女には伝えなかったのだけれど


特定の願いが必ずしも


その方の幸せに繋がるとは


限らないので大きな意味で


彼女が喜び・幸せを感じられるように


願いを込めて作らせて頂いていたの


時が過ぎても彼女の望みは


叶わずにいたのだけれど


彼女は新しく移った部署で


生まれて初めて恋をし


そして恋愛・結婚と幸せな流れの中で


配属された部署での仕事も


続けながら


今も幸せに過ごしているの


その流れを振り返りながら


彼女と話をすることが


あるのだけれど


幸せっていつも


形の変わるものの場合


特定の幸せに限定して


願ったりしても
時間と共に


自分自身の幸せも形を


変えてゆくから大きな意味で


自分が幸せになるように
願う方がいいのかなって


お互いに感じていたの


幸せをイメージする時って


それぞれ体験した中での


心の色や



見聞きしたものの中からしか


イメージができないものだと思うの


でも自分が知らないだけで


本当は



もっと無限に広がる


幸せもあるんじゃないかなって感じているの


友人の場合は


自分の過去に報いようと


どこかで思っていた部分が


わけもなく新たな部署が・・・って


思っていただけで深い意味はなかったの


過去にあらゆる資格を取得し


その資格を生かさなければ


取得した意味がないと


無理に意味を持たせたかっただけだった
ように


感じているの



誰でもそのような



部分って秘めていると思うの


でもストレートに過去の体験が


生かされているって実感を


無理に作らなくってもミクロで見つめたならば


きちんと



すべては


生かされているものだと思うの


たとえば


当たり前に学校を卒業したけれど


特にやりたい事が見つからず


学校を卒業した意味があるのかなって


思われている方もいるとは


思うのだけれど


何かを始めようと決まった時には


その当たり前に卒業した


学校の卒業証明が


意味を持つことも多いと思うの


私事ではあるけれど


私は学歴を持っていないので


あらゆる選択が早い段階で狭くなり


本格的な資格などは取得する資格さえなく


ちょっぴりではあるけれど


困った事も
体験してきたの


ただ私の場合は


元々自分が進む方向へ導いてもらい


その導きが


自分の望む形だった事もあって


今幸せに暮らしているので


これはこれで


良かったと思っているけれど


私の小さな体験から感じているのは


まだ自分が望む


幸せの形がはっきりと見えないうちは



できるだけ選択肢が多く


間口を広げていた方が


より自分が幸福を感じる道を


自分で選んでゆけるので


あらゆる証明書を持っているほうが


いいんじゃないかなって思うの


そして直感的に


自分の元へ運ばれてきた


ものだというのを感じた時には


感情とは別に


トライしてみるのも


いいんじゃないかなって
感じているの


その中には


自分が知らなかった


楽しさや未来が見えることもあると思うの


幸福って普遍的なものだから


その時々


幸せを感じられる場所に


自分がいられるように


願いながら



今を大切に過ごすことが


大切なんじゃないかなって感じているの

















神様は

私たちがこの世に誕生する時に


生命と共に


必ず


生命を維持するための


知恵・才能・能力・心を


授けてくれていると思うの


その秘めた宝石に気づいたり


この世に誕生する時の


記憶をゆっくりと


思い出すような体験の中で


もっとスムーズにラクに


人生を歩んでゆけるんじゃないかなって


感じているの


この世に誕生するときの


記憶は通常


見る事ができないように


この世に生み出される時に


新たな書き換えがされている事もあって


意識として思い出すことは


難しいとは思うのだけれど


たとえば初めて
何かを食している時


何か問題を


解決しようと悩んでいる時


あらゆるできごとの体験をしている時に


ふっと感じる感覚で


現世に誕生する時の必要な契約として


与えられた時間という事を


感じられるんじゃないかなって思うの


わけもなくこだわってしまうものや


理由を語れないけれど


大好きなものや時間って


あると思うのだけれど


その多くは



前世からの無意識な記憶で


現世では初めてなの


だけれど


ほっとする気持ちになったり


上手に行えたりして


心地が良かったりすると思うの


私の友人の中には


お互いになんとなくかすかに


前世からの繋がりや


ポジションを感じている


友人がいるのだけれど


無意識に


私は彼女とお話をするとき


指導的な会話になることがあるの


日頃私は


教わることは多くあっても


誰かに指導するような



知識を持っていないし


自分の考えを押し付けてしまうような事が
ないように


意識をしているのだけれど


彼女にはまるで上司のように


溢れる知識を伝え


ちょっぴり押し付けのような表現が多いの


それでも彼女も私も


その流れが


心地よいと不思議な感覚があって


通常ならば彼女は


指導・アドバイスを望む体質ではないのに


スムーズに
受け取り


その会話の中で


あらゆる事にお互い気づかされているの


私が10年位前に


油絵を習っていた時には


初めて描く絵に
イルカしか思いつかず


自分でも不思議に思いながらも


イルカを描き


その絵を完成させた時その友人にどうしても


渡したい衝動に包まれ友人にプレゼントしたの



本来の私ならば



社交辞令で受け取ってくれても


迷惑かもって思いストレートに


まるで依頼されていたかのように


手渡すことなどがないのに


そんな自分にも驚いていたの


そして彼女は


その絵を大切にお守りのように


お部屋の中で


一番見える空間に私の絵を飾ってくれていたの


その頃


何かの目覚めで



私と友人は人生のすべてが


海・イルカという時間を過ごしていたの


それはきっと何かのきっかけで


思い出したからだと思うの


以前読者体験という企画で


前世を見ていただいた時に


私は何度も生まれ変わり


そのたびに


研究などに携わり人生を過ごしていたと聞いて


今の性格にとても


映し出されているのを
感じながら


その職業も「海洋学の研究」


「医学博士」「聖書を運搬する人」など



専門的分野の中で



過ごしてきたようで


その話を友人にした時


友人は少し驚いたような


顔になって


私に突然


「海洋学・・・私も最近すごく興味があって


海の水質調査や


海に関わる仕事がしたいと



考えていたの



もしかしてさーちゃんとは


その時に出会っていたのかな」と表現しながら


まるで何か頭の中で


浮かんでくる映像でも見つめるように


思い出す作業を無意識にしていたの


私も友人とは


長い付き合いなのだけれど


心惹かれるものや


引越し・出来事など様々な事の


タイミングが同じなので


疎遠になる事なくいつもフレッシュな



自分たちが知りたいこと


興味のある会話をしながら


縁が続いてきたの



私たちは


現世で習得してゆく事ばかりに


意識が向かう事があるけれど


本当は



私たちの中には
何世紀にも渡り


前世という形で経験から


取得してきたものが


いっぱい秘められていて


その体験から得たものを


思い出す体験を



この現世でしているんじゃないかなって


感じていたの


このHpでも


何人も感覚として
前世の繋がりを


感じる方もいるの


現世での年齢は


私よりも若いけれど


前世で私はこの方に


いつも光の言葉を頂き過ごしていた記憶が


ふっと瞬間的に見えたり・・・


私の祖父が健在だった頃



祈祷し救った方のおかげで


次の代の方が


今縁として来ているのではないかって


思うような方もいたり・・・


逆に私と共に


研究をし助手として


長い時間を過ごしてくれていた方だと


ふっと感じる方もいるの


前世でふれあった方たちは


他にも何気なく入ったお店の店員さんだったり


あらゆる形で
出会いを


果たしてゆくんじゃないかなって感じているの


すべての出会いには意味があって


たとえば初めて会ったのに


何かなつかしい思いになったり


過去の恋を思い出すような



似た人とであったりする時


この縁が意味するものを


ほんの少し考えてみると


過去の思いを消化するものであったり


逆に


未来に出会うパートナーとの


縁を暗示するものであったり


とても楽しく


人との出会いを過ごせると思うの














私はよく食事に行くと


多くの場合


2人だけなのに


私の隣にもうひとつグラスを


用意されることが多いの


初めは驚いたのだけれど


今ではよくある事なので


友人たちもパートナーも


驚かないくらいなの


そして


私はその共にいる存在が


良いものなのか


そうではないものなのかは


よくわからないのだけれど


あきらかに


よくない存在が好まない


光溢れた空間や


オブジェなどがある場所では


きっと良いものなのだと


判断して


「ありがとうこれからも力になってね」と


ささやき
ごあいさつをするの


ただ店員さんからは


二人分の注文が終わっても


時間がたってから


また注文を聞かれるの(笑)


私は修行などをした経験がないので


漠然とした自分の自己流というか感覚だけで


過ごしていたのだけれど


自分でも理解できないほどの


恐怖体験もいくつかあるの


あらゆるものを見てしまう事は


ほんのちょっぴり


未だに怖いのだけれど


そのようなものではないくらい


まるで映画のような体験が人生の中で


ふたつあるの


ひとつはあるご縁で


であった女性で


何となくその女性の過去が気になっていて


失礼とは思ったのだけれど尋ねたら



お父さんがお母さんの友人の人生を


自己中心的に恨みで


終わらせてしまい


今刑務所にいる事を伝えてくれたの


その会話を喫茶店でしている時に


彼女の顔が今でも思い出すと

こわいくらいに変化していて


表現できない表情だったの


私は彼女が私を信頼して話してくれた事が嬉しくって



私も今まで親しか知らない


不思議な感覚が


私にあることを話したの


その会話の中で


私が


「ライトのついていない外灯があるけれど


いつも私が通ると


明かりが灯るんだよ面白いでしょ」って伝えると



彼女は少し躊躇しながら


「絶対に怖がらないでね


私は外灯も下を通ると


明かりが消えたり割れたりするの」と言ったの


私は驚きながらも


そのような方とは


出会った事がなかったので


話を半分にして
聞いていたの


そして彼女にほんの少しでも


励ましになればと


あらゆる希望的な言葉を伝えていた時


注文していたコーヒーが運ばれてきたの


その瞬間


今でも理解できないのだけれど


私はその店員さんが


持つトレイごと払いのけて


割ってしまったの


周りの方も私自身も驚き


すぐに謝り


平常心を保とうとしながらも


自分の意思で動かしていない


腕が勝手に動いた事実が


とても怖くなって外に出たの


そしてさっき


彼女と話していた話を思い出し


私が


「じゃーあの外灯が消えているから


私が通って明かりを
灯すね」といい


外灯の下を通ると


すぐに明かりが灯り


彼女と私は


「ほんとでしょ」「ほんとだね」と


少女のように楽しんでいたの


その時彼女が


「本当に怖がらないでね」といいながら


外灯の下を通ると


明かりが灯っていた外灯が



1つ消え


次の外灯はすごい音と共に割れて


ガラスが道路に落ちてきたの


離れて見ていた


私は次々と


割れたり消えたりする


現象を瞳に映しながら


涙が自然に溢れてきて


怖さのあまり言葉にならなかったの


彼女は数年前から


そのような現象があって


知られてしまうと


みんな離れていってしまうから


知られないようにしていたようなの



その話を聞いたら


私が離れてしまうのは・・・という思いもあって


しばらくは会ったりしていたの


でも不安だった私は霊感の強い母に


相談したら


すぐに会うのをやめなさいと忠告されたの


それ以来彼女とは縁が消え


どうしているのかもわからないのだけれど


今までの人生で


ナンバーワンの恐怖体験だったの


そしてもうひとつは


ある縁でであった男性がいて


彼と話している時


目の錯覚なのだけれど


犬のような動物が彼の足音に



チラチラと
時々見えて


彼にその事を伝えるとすごく驚いた顔で


「もしかして霊感とかある人なの?」と


尋ねられたのだけれど


その頃は


変だと思われたくない事から


両親以外には伝えていなかったので


「私はまったく霊感ないよ」と伝えたの


そうしたら


彼が話すのを急にためらいやめたの


誰でもそうだと思うのだけれど


話を途中でとめられると


とても気になって


何度も話してくれるように言っていた時


彼の足元に


目の錯覚で見えていた


犬のようなものが


犬ではなくきつねだったのが見えたの


その瞬間赤い布のようなものが


小さな部屋に広がっていて


そこに女性がいて暴れているのが


すごく早いスピードで


私の頭の中を映像が走ったの


それで彼に


見えたものを伝えた瞬間


泣き出して


彼の妹さんが
ある出来事以来


きつねのように行動をし


何人もの霊媒師にお願いして見てもらうと


きつねが憑いていると言われ


お払いなどを施しても


良くなることはなく精神科の病院へ連れて行き


今は病院で治療をしているのだけれど


人相まで変わり


彼の家族も離れ離れとなり


彼自身も事故や様々な出来事で


すごい状況だと話してくれたの


でも私はなにもして
あげられないけれど


せめて彼だけにでも


少しでも力になれればと思い


お塩を持ったり
水晶などを持つと


少しは違うんじゃないかなって


ありきたりではあるけれど


アドバイスをさせてもらったの


そしてまたまた不安になった私は霊感の強い母に


相談をしたら


「その女の子が何をしたのかはわからないけれど


他の家族だけでも



エネルギー奪われるのを


防がなくっちゃだめだね


彼も弱っているから


あんたは毎日その男の子にエネルギーあげなさい」と


アドバイスをもらい


私たちは恋人でもないのに


一時間だけ毎日会うことになったの


そして私が考える


エネルギーが高まること・場所


魔が嫌う行ない・場所に


向かうよう過ごしていたの


時にはダイレクトにお塩を振りかけたり・・・


そんな時間を数週間過ごしていた時


彼の顔色が


鮮やかな肌色になっている事に


気づいたので


彼に「最近はどう?」と尋ねてみると


お母さんの体調も良くなり


自分自身も


元に戻ったように感じると伝えてくれたので



もういいかなて思い



少しずつ会う時間を
少なくしていったの


そんなある時


彼がナンバーズというくじを買い


高額当選したのでお礼がしたいと


電話をくれたのでありがたい気持ちで会いにゆき


その時現金が何十枚も入った封筒を


私にプレゼントしてくれたのだけれど


彼が本調子になっているのか


まだ不安だった私は魔が嫌う行ないとして


人を救うという
行為のために


使うことを提案したの


私の考えすぎかもしれないけれど


この出来事にも



何か意味があるんじゃないかなって感じていたの


彼は数万円を


あえて妹さんが思い当たるという


狐を祭る場所に寄付をしたの


それから


今までの事がうそのように


通常暮らす方たちよりも


大きな幸運に恵まれたようなの


その出来事とふれあいながら


見えないものの存在が


確かにいることを感じたり


見えないものの測る知れない
力や


災いと思うようなものを


今度は逆に守り神のように


変えることもできるんだって


教えてもらった出来事だったの


この出来事は


私がとても若い頃だったので

私自身も



湧き上るエネルギ-量が豊富で


分け与えることができたのだと思うの


この間


懐かしそうに母が


このふたつの出来事を話して私も急に思い出したの



私が忘れていることも話の中には多く


また母には


「修行しなさい~避けても避けられないみたいだよ


何か意味があって


あんたには生まれた時から


色々あるんだから・・・」と伝えられたの


でも私にそんなにすごい力があるとは


思えないんだけど・・・(笑)


確かに


ただ見るだけよりは
理解を深め


その存在を鎮める事ができたら見てしまう事への


恐怖にも意味が生まれるのは


わかっているのだけれど


なんとなく


本当に必要ならば自然な形で


そのような方向へと導かれると思うの


今は人間としての理解を深めるために


あらゆる体験をし共感という


大きな愛を通過しながら


次のステップに
現実的天界の業が


必要になるんじゃないかなって感じているの


私は幼い頃から


当たり前のことができずできるだけ


自分が心惹かれる時間を過ごしてきたこともあって


苦労といわれるものも


人が感じる悲しみ・辛さを


心から理解する事が


理解できない部分があったの


たとえば


職場や学校での時間が


辛いと聞けば


「なぜ悩むの?やめたらいいだけなのでは?」と


思う思考で
悩むという事は


この場所で環境・状況を


自分のできる範囲で


改善したいと思う前向きな思いから


悩みが生まれるのだけれど


その思いがずっと理解できなかったの


そんな私の思考は無意識に人との


深まる機会となる贈り物を


受け取る事ができず


寂しい思いは
体験していたの


でも数年前に


病という贈り物を強引に手渡されて(笑)


初めて



自分の思いや意思では


変えられないものがある事を知ったの


それからあらゆる心の体験が


初めてのもので


戸惑い・不安・悲しみを体験させてもらったの


それから


人が悩むという一呼吸は



決して無駄な時間ではなく


自分の心を整理し


自分を最も知れる機会だという事


そして他者に置き換えて


相手を理解する大切な時間だと気づいたの


きっとこのような心の体験は


多くの方は


子供の頃に体験し学んだ事だと思うのだけれど


私の場合の


適齢期はその時だったと思うの


人にはそれぞれ学ぶのに最も


ふさわしい
ベストタイミングが


あるんじゃないかなって感じているの


そして早い遅いという


競い合いではなく


その取得した気づきや学びを


ライフスタイルの中で


生かせているかどうかが


大切なんじゃないかなって感じているの


病になるまでは


超人的に恵まれた


願うものを叶える力や


神秘的な体験を多く過ごしてきたので



今は人間として与えられた


心の体験を


きっと与えられているのだと思うの
















今の時代に生きる


私たちは幸福への


ハードルが無意識に


高い位置からの設定となっていて


感動や喜びが見つけにくい



時代なんじゃないかなって感じているの



たとえば


幼い頃はケーキはお祝い事がある時にしか


食べる機会がなかった事もあって


お祝い事を祝う喜びに
重ねて


日頃食べられないものを


食べられる幸せもあったり・・・


でも今ならば


毎日


食べたいと思えば


いつでも食べる環境が整い


当たり前になってしまうと


基本的な歓びは


クリアしているので


その中に


今までにはなかった感動を探し


見つからなければ不満まで



生まれてしまう事があると思うの


他にもたくさん


満たされているはずなのに


幸福を感じられない時間って


あるんじゃないかなって思うの


私たち人間は



繋がりあった意識の中で


誰もが進化し


歴史を刻む一員として


この世に誕生し


前の時代にはなかったものを生み出し


歴史を前に進めることも


集合体の


ひとつの任務として


存在している部分を


秘めているから
前に前にという


変化を生み出せないと


漠然とした


焦りやイライラした気持ち落ち込みなどが


届けられると思うの


進化をしてゆくことは


とても素敵だと


思うのだけれど


心がそのスピードに


追いついていない部分が


あるんじゃないかなって感じているの


物質の世界は


心の進化よりも


3歩進んでゆくけれど



心はいつの時代も


ゆっくりと実感という形で


魂・心に刻まれてゆくから


便利になったはずなのに・・・


望んでいたはずなのに・・・と


あらゆる望みが


実現していっても


幸せを実感する事は後になる事が多いと思うの


私たち人間の


最も素晴らしい
才能の1つには


「順応」というものがあると思うのだけれど


それはどのようなコンディションの中に身を置いても


あらゆる事に対応しその中から


気づきを得られるよう


神様が


与えてくれた才能だと思うの


でもこの「順応」が


時に


なれという形で


感動を見つけにくくしてしまう事があると思うの

なので


失って気づくという形で



大切なもの・幸福なものに


気づかされるという


プロセスを歩むこともあると思うの


そして


数年前と何も変わっていない日常を見つめ


ご自分が進歩がないと


思われている方も


いるかもしれないけれど


実際は


ゆっくりとした速度で進化していると思うの


もしも数年前と同じ問題が


届けられたならば


きっと過去の時とは
違った


対応によって


意味を見つけ


答えを内なる部分から


導き出すことが以前よりも


スムーズに行えるようになっている事に


気づかされるんじゃないかなって思うの


お子さんと共に暮らす方などは


小さな幼子が



大きく成長してゆく姿を瞳に映し


過ごしていることもあって


リアルに時の流れを感じられると思うのだけれど



そうではない場合は


カレンダーで月日を見つめ


時の流れを知るだけなので


結婚・出産など



次々と人生のステップを登ってゆく方を


見つめては


変わらない自分に



不安や焦りを感じられる方もいると思うの


私の友人たちは


不思議なくらい


ライフスタイルがそれぞれ違っていて


友達として心惹かれあう


話題があるの?っていうくらい共通点がないの


その中の友人で


独身の友人がいるのだけれど


この間何気ない会話の中で


「街を歩いていると


結婚しているかしていないかがすぐわかるの


だって結婚している人は


みんな目に輝きがなくって


その曇りがファッションや行動すべてにでていて


どうでもいいっていう


オーラ全開だもんね


でも最近


自分が結婚していないって事は


その人たちよりも



劣っているって事なのかなって


落ち込んじゃうんだよね」と表現していたの


私は彼女の言葉に


共感する部分と


改めて結婚している私は


女性としてせっかく


生まれたのだから


女性としての楽しみ


喜びを大切にしパートナーに


ときめきをあたえられるよう


自分自身を


大切にしなくっちゃと思っていたの



そして彼女が


一番強く表現していた自分が劣っているという思いは


女性ならば人生の中で


何度か形は違っていても


経験してきたことがあると思うの



恋人はいるの?


結婚はしないの?


子供は作らないの?など


このような事をクリアしていないと


なぜか意味もなく


劣等感というものが湧き上ってくる


歴史を歩み


女性たちのDNAには


そのような言葉で本能的に反応して


受け止めてしまう


回路を持っているように感じているの


でも友人は性格もよく


容姿もチャーミングなので


私は逆に縁がない事の方が


不思議なくらいなの


ただ友人は



自分のことをよく知っているし


頭が良いので


見えている困難を今幸せなのに


形を変えることはしたくないという


意識が無意識に働いていて


心で望んでいることと


魂レベルで望む事が違っているのだと思うの



だから友人にとっては


本当は深い部分での望みは


叶えられているのだと思うの


結婚された方の多くは


経験あるとは思うけれど


神々が結んだ縁は


避けられないというか


その時には


魔法にかかったかのように


すべてが輝きだし


相手の良いところだけが


はっきりと見えて


そして自分の知らなかった


自分のよい部分がピックアップされて



本当に心地がよく


愛こそすべてだと


思う感覚があったと思うの


その後は様々だけれど(笑)・・・


私たちは時に


自分が望んでいると


思い込んでいることと


本当に望んでいる事が違うことがあると思うの


本当に望んでいることは注意深く


自分の語る言葉や表現などに


耳を傾けていないと


なかなか気づくことが難しいと思うの


なので多くの場合


周りの方のほうが


気づきやすいのだと思うの


私たちは知らず知らずに


自分が深い部分で


望んだとおりに生きていて


望みは叶えられていることが多いのだと思うの


その望みが心と魂で


一致したものだけを


望みが叶えられたと受け取り


表面的な望みが叶えられないと


とても不運だと


感じてしまう事があるけれど


いつも心と魂が


コンタクトをとりながら


人生を誘導してくれて


いるんじゃないかなって感じているの


心は



私たちが誕生した時から


スタートするスペースで


どのように成長させるかも自由で


その心が感じたものを魂に伝え


魂がその方それぞれに


必要な場所へと


導いてくれているんじゃないかなって感じているの


魂は何度も生まれからるたびに


その時代・時代の


経験によって刻んできた


知恵や予知のような


機能が備わっていると思うの


たとえば


愛する人との別れがあって


自分の意識・心はその事が悲しく


涙が止まらないほど


光が失われていたら


この出来事は不運だと


感じるかもしれないけれど


魂がそのように導いたとしたならば


予知的な判断で


そのような形にした場合もあると思うの


その悲しみが癒えた頃には


次の未来を作る大きな力となったり



新たな素敵な


パートナーとの出会いが待っていたり


月日がたって別れた相手と


結ばれずに良かったと思える


ニュースが届けられたり・・・


私たちは瞬間・瞬間しか


見つめられないように


神様がストッパーを


かけている事もあって


長いスタンスで見つめられないから


悲しみに出会うと


人生すべてが


無意味に映る事があるけれど


長い時の流れを


見ることができたならば


これでよかったって


思えることが多いと思うの


そして進歩や進化は
人生の大きな


イベントだけでは測れないと思うの


人には


それぞれ与えられた


スペースの中で意味があって


生かされているのだと思うの


だから



無理にこうしなくっちゃとか


思う必要はないと思うの


この地球が


あなたを必要とし


神様が地球に授けた


宝石のような贈り物が


あなたなのだから・・・


存在してくれているだけでも


意味があって時代の進化に



協力し


自らも成長しているのだと思うの