2007年2月



いつも私の事を


案じてくださっている
方たちには


日々感謝でいっぱいなの


私が女性にとって


大切な子宮の病だという事を知って


自分の事のように心痛められている方


そして病だと知らず


お子さんの写真やハガキを送った事で


私を傷つけてしまったのではとの思いを持たれ


ご自分を責められている方もいたようなの


私は本当に心から


縁あって出会った方たちの


喜びのひとコマを


伝えてくださることが嬉しくって


パソコンの横のピンナップボードの飾り


見つめるくらいなの


病気とは字のごとく気を病む事なので


数年前は


自分自身も信じられないほど


先の見えない痛みと


将来の予定が大きく変更を


求められたことに


言葉では上手に説明できないけれど


朝目覚める事なく


自然にこの瞬間を終わらせたいと


思うこともあったけれど


多くの方の支えと言葉によって


予定していた未来を変更する勇気と


それに向かっての希望が生まれたの


よく子供が授からない方に


子供のお話や


子供の写真などを表現する事は


思いやりとして控えられる事を


言われるけれど


私の場合は逆だったの


弟夫婦に天使が宿った時


家族みんなが私に気を使い


大きな喜びを私の前では表現せずにいた時


上手に表現できないけれど


喜びを表現できない雰囲気を


私が出してしまっているのかな?


私をかわいそうだと思っているのかな?など


色々と考えてしまって


逆に心に影が広がった記憶があるの


それから


私の方から写真などを


見せてもらったり


子育ての状況などを


尋ねるようになってからは


今では持つ必要のない気遣いはなくなったの


もちろん人によっても違うし


その方が今通過している


心の状況にもよるとは思うけれど


今の私の場合は


すべての感情を通過して


人類みな兄弟的な感覚になっているので


私の元に届けられる


お子さんの写真・近況がとても嬉しく


まるで世界中に子供を宿したような


幸せさえ感じているの


なので気になさらずに


どんどん幸せのニュースを


いただけたら嬉しいです















年齢を重ねてゆくたびに


友人や知り合いに


とても大切にしたい思いが


育まれてゆくのを感じているの


若い頃は


その時々心惹かれることが一緒だったり


時間帯が合うという事が


友人としての繋がりの


基準だったように感じるのだけれど


年齢を重ねると「あの頃は・・・」って話せる


今よりも前の自分を知っている人との


歴史の大切さを感じているの


つい最近のように思っていた事も


もう10年以上前のことだったり


時間の流れを教えてくれる


大切な存在になっているの


このHpもお年の4月には


5年を迎えるのだけれど


移り変わる時代の中


帰る場所として


羽根を休めてくれる方


Hpを始めた頃は幼子だった子が小学生になり


お子さんと共に見てくださっている方etc


様々な時間の流れを歩みながらも


繋がりあってくださる方の


大切さを感じられるのも


長く続けさせていただいたからだと思うの


時代の早い移り変わりや


心惹かれるテーマが変わって


ブログやHpが閉鎖されている時


インターネットの世界とはいえ


とても寂しくなって


その体験から


未熟な表でや刺激的なものは


ないかもしれないけれど


できるだけ長い間


ふっと思い立った時


羽根を休める場所として


続けさせていただけたらと思い


今日まで続けてこられたの


そして何よりも


私自身がこのスペースを


与えていただき


強い愛を与えていただいているの


昔は継続は力なるという言葉を


あまり素敵だとは思わなかったけれど


今は


長く続けなければ


知る事のできない事も


いっぱいあるなって感じているの


私はみんなのおかげで


幸せな人生を与えてもらったと


神様にも感謝し


もちろんご縁ある方にも


感謝が生まれ


そのような心のあり方をできた


自分をも愛せるようになったの


インターネットは時に見たくないものも


瞬間的に知る事もあるし


逆に知ってよかったって思える


知恵にも巡り会えたり


今までの時代では考えられないような


世界が展開していると思うの

インターネットという


誰もが発信できるものを手にした事で


今までならば


小さな声として届かなかった


メッセージにも光が当たったりして


とても早いスピードで


時代をみんなで作り変えられるように


歩んでいるのだと思うの


職業的にも


昔ならばどうしてもどんな仕事を


初めても


必ず人間関係という


大切な通過点があったために


内向的な方や


上手に人と会話をできない方などは


どんなに能力があっても


その大きな通過点を超えられず


おうちに引きこもったりするほか


考えられなかったかもしれないけれど


今の時代は


直接コミ二ケーションが苦手な方でも


インターネットという光を使って


職業を展開されていたり


趣味・思考が合う


人たちとインターネットを通して


縁が結ばれ


知らず知らずのうちに


自信が養われ


仕事場での時間を


スムーズに過ごせるようになった方など


インターネットの持つ素晴らしさも


多いんじゃないかなって感じているの


私自身も今までならば


きっと巡り会う事のない世界で


活躍されている多くの方たちと


縁が結ばれ


様々な形で


自分が作らせていただいた


アクセサリーを身につけられている姿を


拝見できる幸せを頂いたりできるのも


今の時代だからこそ


広がるものなんじゃないかなって感じているの


きっと私たちすべての人々は


自分を幸福にするために


愛に満たされた時代を


一人一人が作る


使命を持って


今の時代の地球に


誕生したんじゃないかなって改めて感じていたの












今地球の変化が日々伝えられていて


小さな島々はどんどん小さくなっていて


この間は


北極では白くまが溺れ


頭数も減り


本当に速いスピードで


生命が暮らせる


スペースが


小さく小さくなってきていると思うの


どんなにこのような危機を


伝えられても


時間が過ぎてしまうと


また忘れてしまわれる事も多いとは思うのだけれど


この問題は


ゆっくりと感覚として


伝わってくるんじゃないかなって感じているの


私個人的にも


パワーストーンを様々な国から


産出されたものを


使わせていただいているので


地球変動が進んでしまうと


きっとリーズナブルにパワーストーンを


誰もが身につけることが


難しくなるんじゃないかなって感じているの


たとえば


マダガスカルから産出される


ローズクォ-ツが大好きな私は


今海面が上昇してきて


マダガスカルの島の


領土が狭くなってきていて


様々な生物たちも暮らすことが


困難になっているようなので


私にとっては


とても身近な問題として感じているの


パワーストーンや宝石たちは


地球の豊かな恵みがなければ


育まれないものなので


地球と私たちの豊かさは


連携しあいながら


育んでゆかなければ


ならない時代が訪れているのかなって感じているの


地球が喜び心地がよければ


きっと私たちにも


たくさんの恵みが


届けられてくる時代なのだと思うの


その逆に


私たち人間だけが


豊かになるために


地球のことを思いやることをしなければ


私たちは


地球の痛み・悲しみを自分の事として


体験しなければならなかったり・・・


今の時代は


日々知ることのなかった


新たなウィルスや原因不明と


伝えられている


様々な病が


人間の世界の中に広がっているけれど


すべては地球の状態が


私たちに


伝わっているだけなんじゃないかなって感じているの


少し話は違うけれど


春から夏の間


お部屋にある植物をベランダに


美しく飾っていた時


日に日に


葉っぱが枯れていたり


白く何かが付着していたりして


不思議に感じていたことがあったの


私は単純に


お部屋よりも太陽の光が注がれる


ベランダの方が心地が良いだろうと


思っていたのだけれど


少し心配になって


数鉢をお部屋に入れて


そして葉を拭いてあげると


拭いた布が驚くほど


真っ黒になっていたの


それからお部屋に入れた


植物たちは


反り立つように


元気に葉を伸ばしだしたの


その時


私たちは瞳には映らない


微量の有毒なものに


いつも囲まれていて


その有毒なものが


身体の中にゆっくりとストックされ


ある一定になった時


病として自分が気づく時を


体験するんじゃないかなって感じているの


私は病になってから


様々なサプリメントや健康食品などを


体験する機会を


与えていただいたのだけれど


数回で効果を感じたものも


あったのだけれど


そのようなものの多くは


身体が慣れてしまって


また痛みが戻ってきることが多かったの


そんな体験の中


手術をする決心をし


自分の中で


手術に向けて体調を整えようと


今まで飲んでいたお水を


ミネラルウォーターにすべて変え


そして毎日食べていたお米を


発芽玄米に変え発芽玄米の中に


自分のフィーリングで雑穀を


数種類ブレンドして食べることにしたの


今までは痛みを消し去ることに


意識を向けて


サプリメントや健康食品を


飲むこととは違って


ただ軽い気持ちで


心惹かれて始めたのだけれど


この二つをチェンジしただけで


私にとっては


大きな喜びが時間と共に


ゆっくりと体験することができたの


私の場合は痛みという


センサーがあるおかげで


健康な方が体験できない


微量の物質の効果を


感じられるので


成分表とは別にとても速いスピードで結果となるの


今まで毎日


吸収するシンプルな


食事・お水の事に


意識を向けることがなく過ごしてきたけれど


やはり


毎日吸収するものの


大切さをとても感じていたの


身体が痛みのMAXの頃には


1ヶ月の半分は


痛みと過ごし後の半分の時間を


自分の喜びの時間として


とっても大切に


過ごしてきたのだけれど


今は1ヶ月のうちの5日だけしか


痛みがないの


その状態に


また希望的観測を広げて


手術はしなくってよくなったりして・・・って


喜びを感じているの


病院での検査は


ずっと受けていないので


私の感覚と現実の比較を


まだしていないので


はっきりとはわからないけれど


そばで私の事を


見つめてくれている友人たちは


私の変化に


お米やお水を私と同じようにチェンジしたの


友人たちは元々健康なので


すぐに何かが変わったという


体感はないようなのだけれど


イライラしなくなったとか


心身に優しく伝わっているようなの


私たちは地球に包まれ


運命共同体として


地球と共に歩んでいるのをいつも感じているの


食事だけではなく


パワーストーンも


私たちをいつもサポートしてくれる


自然霊が宿ったものなので


このご縁を


これからもずっと繋がれる様


自分たちが


それぞれにできる力で地球に感謝を


形として手渡す事が大切だと思うの


たとえばいつもより


数時間意識をしてテレビやライトを消してみたり


酸素を育むために


植物を育ててみたり


偶然瞳に映ったごみを


見つけた時には捨ててあげたり・・・


自分ひとりがこんな小さな事をしたからといって


地球に何も変化を与えられないと


思われている方もいるかも


知れないけれど


ここまで地球が危機的になったのは


そのような思いを持つ方が


集合意識として


今の地球の姿となったことを思うと


一人一人が


小さな思いやりを持つことでも


地球を優しく


癒すことができると思うの


今の時代は


私たちが行ってきたことを


反省しそして


自分以外の大きな存在に


影響を与えられる力があることを


知るために危機という形で


私たちに働きかけてくれているんじゃ


ないかなって感じているの











初めて会った方との


会話の始まりって


事情聴取のようなパターンから


展開されてゆくのが


多くって人との縁が


少し面倒になられている方もいると思うの


たとえば


会員入会などに必要な


データーをお店側が作るとき


記入していると


まるで静かな時間を埋めるように


年齢から予想される


女性の人生の流れを尋ねてくると思うの


30代から上ならば


結婚されているのですか?


そしてその答えが


イエスの場合は→お子さんは?


ノーの場合は→お仕事


何されているんですか?


そしてお子さんはと答えられた方には


お一人ですか?


お仕事は?について


答えられた方には


結婚は考えていないんですか?など


このような会話は


ずっとその場所にいる間続き


一見会話が途切れず


楽しい時間のように映るけれど


尋ねられている方は


終わらない質問に少し


つかれてしまうことがあると思うの


本当は尋ねたくって


相手の方も尋ねているわけではないから


答えがどのような流れになっても


お互いに


独り言を言っているような


感覚に似ているんじゃないかなって感じているの


友人とよく


尋ねられることはわかっているから


テープレコーダーに録音して


おきたいくらいだね(笑)って


笑うことがあるのだけれど


そのたび私も


初めて行くお店や初めてお会いする方と


話す機会がある前の日には


友人に


明日はまた記者会見だよ(笑)って笑っているの


特に知りたいと思っていない方が


質問し


答えたくない方が答える


このような流れから始まる


縁をもっと個人として始まる


素敵な時間になればいいのになっていつも感じているの


昨年末から友人になった女性は


今目の前にあるものから


会話を始める方で


プライベートな事は尋ねる事なく


だからといって


会話が詰まってしまうこともなく


今夢中になっている事や


地域の話などを


楽しげに話しながら時間が流れてゆくの


プライベートなことを


お互いに尋ねたことはないけれど


自然な形で


お互いのことを知っているということは


自分が自分の事を


知ってもらいたいという思いから


無意識に会話の中で語っていたのだと思うの


彼女が年齢も様々な


多くの友人に愛されているのがとても理解できるの


女性はコミ二ケーション能力が


とても発達していると伝えられている


素晴らしい才能を秘めているのだから


そろそろワンパターンの


会話をスタートする事から


新たなスタイルで


楽しい時間を作る


言葉の流れを学ぶ事が


大切なんじゃないかなって感じているの












今まで日本人ならではの


繊細な心とは違って


表現に使う言葉が


フットしない部分が多くあって


やっと様々な分野で


フットする言葉を


新たに作る動きがあるようなの


日本語の多くは感覚的に


大昔作った言葉が


今でも存在していて


特に身体的な表現に使う用語は


今の時代では


差別用語として感じる


心豊かな方たちが


多く存在しているおかげで


改正へ進んでいるのだと思うの


逆に良い言葉なのに


あまり良くない表現に受け取られる


適当という言葉も


本当はうまくあてはまること


ふさわしいことを意味していたり・・・


日本語の言葉に


新たな光が注がれて


心地の良い言葉が生まれてくると


いいなって今からわくわくしているの


最近ニュースなどでは


「健全」「普通」という定義が語られているけれど


普通という定義も


今ではみんなに当てはまる


時代ではなく


個人個人持っている


普通が存在しているんじゃないかなって感じているの


そのような話を


両親と話していた時


「そんな事を言ったら何も離せないだろう(笑)」と


笑いながら語っていたけれど


私の両親の世代では


学んできた言葉が


今の時代とは少し違うので


使い慣れた言葉を


使っているだけで悪気があって


表現しているわけではないので


なぜ?そのような言葉に反論が出てくるのかを


理解できないようだったの

数年前


パートナーの母親が


私を思いやる気持ちから


自分も結婚してずっと子供が生まれず


辛かったお話の中で


昔は牛を飼っていて


一頭がメスの双子を生んだ時には


どちらかの牛は


子供を生めない身体だから


すぐにこの世での暮らしを


終わらせてしまうようなの


そしてパートナーの母は


だから人間でよかったというような


表現をされていたとき


涙ぐみながら


話している姿を見つめ


悪気がないことは


すぐに伝わったのだけれど


言葉だけを見つめてしまうと


少し驚いてしまう


世代の私は


もっとこの優しい思いやりの


心にフィットした言葉を


お母さんが知っていたならば・・・って


思ったことを思い出していたの


日本人は言霊・音霊の


美しさを


言葉から受けとめられる


素敵な人たちなのに


表現として学んだ言葉が


あまりにも思いとフィットしない事で


あえて英語の単語を用いて


表現される方も


多いんじゃないかなって感じているの


その部分では年齢関係なく


ちょっとした単語を


日常的に使っていて


逆に日本語で当てはまる


言葉を捜せないことも多かったから


改めて


日本人の繊細な美しさに


最もあう


日本語がどんどん


新たに生まれてくると


いいなって感じていたの















久しぶりに実家へ足を運んだの


そして母が


何かの本を読んだらしく


「人生は気づくことが大切なんだって


私も最近色んな事に


気づかされてるよ


何かさー本読んでたら


本当はあんたってすごい子なのかなって


思っていたよ」って伝えてくれたの


母の年代にとっては


精神世界にふれる事は


宗教と同じような感覚があったようで

過去の失敗から


敬遠していたようなのだけれど


宗教とは別に


今知恵を運んでくれる


テレビ番組などがある事もあって


少し心閉ざしていた所にも


光が届いているようだったの


母にとっては


「気づき」という学びが


今楽しいようで


色々過去を反省するという


過程の中にいるみたいなの


母は色々な答えが欲しいようで


過去に自分が行った行動


言動について


「なぜ?私はあんな事してしまったんだろうって


いつも考えているんだよね


あんたには悪いことしてしまったよね」と


反省と共に


私に答えを求めてくるの


そのたびに


「すべての出来事は


今の私の幸せと繋がったからいいんじゃない」と


答えると


母は無意識に


その答えではない言動を求めているの


それは母の癖で


無意識に被害者というスタイルを


続けることによって


自分にエネルギーが注がれるよう


答えを求めたように表現しているけれど


本当は


答えは求めてはいないの


母との間では


いつもこの問題がどんな時にも


表面化されて


その事をストレートに


伝えたことがあったのだけれど


そうするとすぐに沈黙をし


しばらく続けた後


今度は泣きながら


「すべて私が悪いんだよね」と


泣き続け


その時になぐさめの言葉を


私に求めているのに


言葉を伝えないと母の無意識な癖で


エネルギーを注いでもらいたいと思っているのに


その手法がうまくいかなかったならば


今度は怒りという形で


エネルギーを自分へ向けようと


無意識なパターンを持っているの


このようなエネルギーを


相手から自分へ向けるために


誰でも幼いときから


様々なパターンを秘めていると思うの


私の母のように


脅迫者と被害者のパターンの混合もあれば


ずっと沈黙をし


周りが気にかけてくれる流れを作り


自分にエネルギーを向ける形


正当な理由・常識という


スタイルを言葉に折込


言い返せない形で言われた方が


次は何を言われるのだろうと


相手から目が話せない状態にして


エネルギーをうばうパターンなどがあると思うの


このパターンって自分ではなかなか


気づくことが難しいものだから


人の姿から


気づいてゆく事で


スムーズに自分のパターンを


知る事ができるんじゃないかなって感じているの


私の母の場合は


人よりもストレスを重ねてしまう


心の体質があるようで


久しぶりにあうとそのストレスが


一気に溢れてきてしまうの


私は生まれたときから


接しているので慣れているけれど


パートナーは


母の流れるいくつものパターンに


初めの頃とても驚いていたの


10年くらい前は


私も精神世界を


学んでいなかったので


母の悲しみを癒し


喜びをいっぱい与えたいと思いから


旅行へ行きたいと聞けば


セッティングしたり・・・


でも現実に叶うと


「めんどうだから行きたくない」と


今度は表現し


雑誌を見ながら


モデルさんが素敵なバックや


靴を持っている記事を読んで


「こんなバックが持てる優雅な暮らしがしたい」と


行った時には


そのバックをプレゼントしたら


「高かったでしょ


これなら現金欲しかったな」というので


記念日などには


現金を渡していたの


そして少しでも笑顔になって欲しい思いから


求めることに


答えていたのだけれど


ある方に


「あなたがどんなにお母さんの事を思って


色々な要求にこたえても


お母さんを幸せにすることはできないよ


本人が自分の力で


幸せを望まない限り


誰もお母さんの人生と


変わってあげられないんだから」と伝えていただき


それでもこれが


親孝行なのだと私の中に


幼い頃から


インプットされていて無理を重ねていたの


でも結婚してからも


そのようなパターンが続いていたとき


パートナーにも


「自分たちのしたい事もしないでお母さんに


そんなにするのはおかしいよ


俺もお母さんのために


働いているわけじゃないからさ」と


静かに私に伝えていたの


でも私は幼い頃からの


マインドコントロールで


その当たり前の言葉を受け入れられず


二人の問題ではけんかをしないのに


母のことで口論がふえ


そのたび


「私がしたいんだからいいでしょ」って答えていたの


そんな時に


パートナーが外に愛を求めるようになって


その時


私は今まで向き合うことのなかった


自分の本当の気持ちを


見つめる機会を与えられたの


そして私は泣きながら


母に


「私はお母さんを幸せにしてあげられない


もう私は自分の幸せを選びたい」と伝えたの


その時母はいつものパターンで


被害者行動の後


脅迫者パターンになった時


もう私は精神世界から


少し知恵を頂いていたので


自分を責める事無く


自分の心を優しく包みながら言葉を続けたの


そして母の新たなパターンの言葉が増え


「親ってむなしいよね


色々面倒みたって


求めちゃいけない


無償の愛じゃなければ


いけないんだよね」と展開してきたの


それでも


泣きながら私は答えを揺るがす事なく


伝えてからは


私との関係も変化してきたの


たとえ今


いつものパターンが現れても


そのようなパターンの時には


私自身も


いつものパターンの流れにのまれる事なく


母がコントロールしようという


エネルギーの中で


話をする時には


無理に言葉を続けようとはせず


沈黙し


コントロールがない


エネルギーの時には


とても優しく話すように表現するようになってから


母のパターンも


今までよりも短時間で


はっと気づくようで


コントロールのない


楽しい会話が多くなってきたの


自分の両親のあまり誇れる


部分ではない事を


書かせていただくのは


とても恥ずかしいのだけれど


私の母親のような人が


特別変わった人だとは思っていないの


形や度合いは違うけれど


誰でも自分が思い描くように


人を惹き付ける


成功パターン・失敗パターンを


持っているんじゃないかなって感じているの


私の母は少し個性が強いかも知れにけれど


これは


心許せる家族だから見せる


人間が秘めている


素直な思いのひとつだと思って


学ばせてもらっているの


そして立場が違っていたら


また同じ出来事でも


感じ方は違っていたんじゃないかなって思っているの


私と母の場合は


私が子供の側なので


信頼や愛を母親に求めるので


与える事よりも


受け取る側なのにっていう


立場の思考があるけれど


これが逆のパターンで


この世に誕生し私が母親で母が


私の子供だったら


きっとこのような心の学びはなかったと思うの


大好きな人だから


心のそこから


幸せになってもらいたいの


今母のテーマが気づきという


とても素敵なテーマなので


会うごとに


自ら幸せを望み


幸せは周りが用意してくれるものではなく


自分の心で


築いてゆけるものだという


大きな気づきにたどり着けるよう


私もそっと見守っているの











私の友人は


霊界について深く研究していて


時々様々なことを


尋ねられるの


私はまだ行った事がないので


はっきりとした事は


わからないのだけれど


その時々


自分が感じている事を伝えさせてもらっているの


たとえば自らこの世を去った方は


地獄へ送られるとか


生まれ変わってくるのに


とても大変な思いをして


また生まれ変わってくると


言われているけれど


私は少し違っていて

人生を自ら選び


この世に誕生してきたけれど


人生をリタイヤした場合は


また違う環境に


生まれ変わってくるのだと思うの


その時自分が


生まれ変われる場所が


自分に見合った


リストになるので


今度はリタイヤしないで済む事が


大きな条件として加わり


選べる国や環境が限られていて


今度は違う形で


障害を与えられまた次の人生で


以前下げてしまった経験値のようなものを


高めるようにまた


この世に誕生してくるんじゃないかなって感じているの


私が感じているのは


霊界は休息する場所で最終的ゴールには


みんなたどり着く


愛に溢れた場所で永久的に過ごせるために


まるでスゴロクのように


人生が回っているんじゃないかなて感じているの


以前18世紀に存在していた


神学者で霊界と現実を


行き来していた方の本を


読んだ事があったのだけれど


宗教家や心霊家の多くは


とてもみにくい言葉や姿で


生まれ変われない所を見て


とても驚かれたようなの


そして偉大だと言われていた人ほど


現世での姿とは


まるで違っていたようなの


きっとそれは


霊界は飾ることができない


心の瞳で見る世界だから


心がそのまま


溢れてしまうんじゃないかなって感じていたの


最近スピリチュアルな事に


意識が高まって


ライフスタイルの中にそのエッセンスを


取り込まれている方も多いと思うのだけれど


私自身最近


そのような番組を


以前ほどは心惹かれなくなっているの


なぜなら


欲を持つことはよくないと


説いている方の多くは


その教えを実践せず


逆に一般的に暮らしている方たちの


罪悪感を強め


優雅に華やかに幸せになることから


遠ざかることを


説いているように感じる事があるからなの


でも教えを説いている方たちの多くは


とても華やかで優雅な


ライフスタイルを送っていて


私はそのようなほんの少しの


違和感から


心惹かれなくなったの


私の知り合いの方で


とてもスピリチュアルな能力があって


その事を仕事とされているのだけれど


いつも「自分の能力に見合った報酬を


頂くのは


仕事だからありがたく受け取っているよ


私はお金じゃないとうそはつけない


最近よく見る霊能関係の人たちはうそが多い


お金じゃないといいながら


しばらくたつと


金運があがるから金・黄色を着ているといっていたり・・・


よーく見ていると


見えてくるはずなんだよね


少数の豊かな人を守るために


大多数の人が


豊かになると困るのかもしれないね」と表現されるの


彼女の言葉は


私の中にとてもすっと


入ってくる言葉が多くって


いつも話に花が咲いてしまうの


私自身


母が昔過去の悲しみを癒すために


様々な宗教に入信し


様々なスタイルの教えを聞いたり


母がその教えを


実践している中で


母の心が癒され


幸せになれていたならば


きっとどんなものであっても


意味のあるのだとは思うのだけれど


子供の私からはまるで


小さな箱が用意され


その中に入って母が


生き難くなっているように映っていたの


幼い私は


「どうしてみんなお金をよくないっていうの?」


「お金じゃないって


おばちゃんいいながら


なんでお母さんからいつも


お金をもらいにくるの?」


「なんでお金じゃないっていいながら


宝くじ並んで買うの?」など


疑問に思うことを


素直に尋ねていたの


そのたび母にとっては


幼い子供の素直な疑問に答えようと


初めて考えるという作業の中


様々な気づきがあって


宗教というものではなく


自分のスタイルで


選び・学んでゆく人生へと進んでいったの


何となくお金というものへの


イメージが


太古の昔から宗教的な流れで


あまり良いイメージを描けない


思考が刻まれているけれど


お金は愛の表現を


大きく広げてくれる


ひとつのエネルギーであったり


前に進む勇気を与えてくれたり


フリーチケットとして使う方によって


何倍もの幸せを作るアイテムと


なってくれるものだと思うの


ただお金って


とても強いパワーを秘めているから


自分の人生の1番に


ランクインしちゃうこともあると思うの


でもそうなってしまうと


自分の人生は


自分の人生ではなくなり


どんなに心惹かれる事があっても


損得だけで人やものを


見つめてしまうようになって


周りが自分の人生を作る主導になて


益々心が思い煩う


問題で溢れてきてしまうんじゃないかなって感じているの


どんな時でも


自分が主導となって


人生をエンジョイしなければ


お金も喜ばないと思うの


私たちの瞳に映る


すべてのものはファッションと同じで


組み合わせ方やバランスで


どんなに素晴らしいものもそうではなくなったり


逆に


もっと大きな素晴らしいものとして輝くのだと思うの


私たちは明日の食事を


選択する豊かさが


用意された環境に生まれたけれど

世界中には


明日もわからない方たちが


たくさんいるのだから


逆に与えられた豊かさに


感謝し


余力がある方は


豊かさをおすそ分けする


豊かさも体験する事も


素敵だと思うの













私のアクセサリーを手にされた方の


反応の中に


受け取った日から


体調の変化が急に訪れて


解毒作用のような時間が


数日ある事を


多くの方から伝えていただき


作らせて頂いている


私がいうのも変なのだけれど


とても不思議だなって感じているの


そして


他にも突然アクセサリーが


宝石箱の中から消えていたり・・


その消えたアクセサリーが


なぜか初めて乗った


タクシーの座席に現れたとか・・・


様々なアクセサリーのドラマを頂き


スピリチュアルアイテムのパワーストーンの


神秘を感じているの


人は何か大きな出来事が起こらなければ


気づかない事が多いけれど


未然に危機から


持ち主を守るために


身代わりになる場合や


逆にパワーストーンを持っていたのに


問題が起こったと思うときにも


その問題はもっと大きなもの


だったかもしれなかった所を小さくしてくれていたり・・・


10年くらい前に


仲良しの友人だけに


アクセサリーを作らせて頂いていたとき


その頃は


みんな何よりも人生の大切なものとして


恋愛という時間を過ごしていて


友人たちの多くは


恋愛を結婚へと発展させたい願いを


伝えてくる事が多く


一般的に恋愛に力を与えてくれる


ローズクォ-ツを使い作る事が多かったの


でも不思議なことに


ローズクォ-ツのアクセサリーを


手渡して数日すると


彼と別れたり


彼から別れを伝えられた友人がいて


どうしてだろうって


作らせていただいた私の方が不思議になっていたの


そして友人たちに手渡した


ローズクォ-ツを見つめると


大きくひび割れていたりかけていたりして


私の中では


きっと何か伝えてくれているんじゃないかなって感じていたの


それから数ヶ月が流れて


友人たちが別れた彼には


様々な秘密があって


次に付き合った方たちが


大変な思いをされていたり


別れてよかったと


友人たちが思うような状況が伝わってきたの


その時友人たちから


「よかった。ありがとう」と言われ


数年間の間


お役目を果たしたアクセサリーに変わる


新たなものを


その時々で作らせて頂いていたの


パワーストーンは世界中で


大いなる力を秘めている事から


太古の昔から


大切にされてきたのがとても理解できるの


たとえば私のアクセサリーを


手にされてから


体調の変化が訪れた方の場合は


きっと無意識に


秘めたる力が備わっていて


その備わった力が


パワーストーンに反応し


心身にストックされた


必要のないエネルギーを


心身から洗い流すよう


パワーストーンと共に


働きかけているんじゃないかなって感じているの


パワーストーンが


長い時間かけて海を渡り


多くの方の手を伝って


私の元に届いたとき


包みを開くといつも


旅の疲れから


本来のエネルギーが


少し不足しているのを


感じる事が多くって


まずは


水晶のクラスターの上で


個々によって違うけれど


数日から数ヶ月


休息させてあげて


それからお作りさせえ頂いているの


私の元から旅立つ前にも


ひとつ・ひとつ話しかけながら


お香を焚き


大きな水晶のクラスターで


エネルギーの充電&浄化をして


お届けさせていただいているので


敏感にそのエネルギーの


強さを


体感される方もいるのかなって感じているの


突然パワーストーンが消えてしまう場合は


自分よりも先回りして


これから歩む出来事・場所を整えてくれていたり・・・


私が感じているのは


パワーストーンを持つことは


自分が二人になるような


感じにとても


似ているんじゃないかなって感じているの


自分の思いを2倍にしてくれたり


内に秘めている


ネガティブな自分と


ポジティブな自分を


パワーストーンの力がプラスされ


ポジティブな思考が強まったり・・・


パワーストーンは昔ならば


ごく一部の方しか持てないほど


大切なものだったけれど


今の時代は多くの方が


幅広いグレードのパワーストーンを


持てる時代になったので


魂の成長や神秘体験を


誰もが体験できる素敵な時代だと思うの


ただ・一般的な効能・効果によって


パワーストーンを選択すよりも


今心惹かれるものが


一番今の自分に必要な効果を


与えてくれるんじゃないかなって感じているの


そして後から


パワーストーンの個性を調べたりしながら


無意識に自分が


望んでいること必要なことに


気づくひとつとされると


いいんじゃないかなって感じているの


いくつもパワーストーンをお持ちの方は

その日・その日


心惹かれるものによって


まるで占いのように


自分の内から伝えられる


その日のコンディションを知る事にも


役立つと思うの


そして時々実験的に


身につける日と身につけない日の


違いを体感しながら


楽しまれたりすると


自分の中の直感を育む事にも


大きく役立つんじゃないかなって感じているの


パワーストーンは命を持っているので


日々見つめている


形や色など


様々な変化に気づかれると思うの


私のおうちにある水晶も


小さなロッククリスタルが


数年かけて


横から小さな水晶が成長をしていたりして


時々遊びに来てくれる友人たちを


驚きと喜びに包んでくれているの











困難な人間関係を


多く体験されている方は


相手の中にある


長所を見つける


能力に長けた方が


多いんじゃないかなって感じているの


もし相手を悪として決め


自分が善として


すぐに分けて見つめる方ならば


心が辛くなるまで


関係が続かないと思うの


困難な人間関係の中でも


関係を改善しようという


前向きな姿勢と


相手の中に秘めた数パーセントの


長所に気づける能力があるからこそ


終えられない


人間関係があるんじゃないかなって感じているの


とても心傷つくことを


手渡されても


その原因が自分にあるのではないかと考えられたり・・・


でも本当に自分が自分らしく


関係を続けられないときには


まだ心深め合える


タイミングではないのだから


距離を持つ事も大切だと思うの


相手の長所を見つける


素晴らしい能力を


自分に向けて自分を責めずに


関係を終わらせたり


距離を持つことに


罪悪感を持つ必要はないんじゃないかなって


感じているの


この世には


様々な人たちが暮らし


同じものを見つめても


見つめる角度やその時に


心の状態によって


真実が変わってくるものなのだから


あってる間違っているという議論を


たとえ何時間も重ねても


わかりあえないことも


あるんじゃないかなって感じているの


互いに経験してきた事が


たとえ同じでも


受け取った答えや出会いによって


現実・事実も違ってくると思うの


人間が幸せと定義した形が


何となく存在しているけれど


その通りの形を実現したとしても


自分自身が


幸せと感じていなければ


幸せの定義は


自分には合っていないという事もあるし


逆に


不幸の定義のような形から

スタートした事でも


本人が幸せを感じていたならば


それは幸せそのものだと思うの


私たち人間は何もないところに


ぽつんと身を置かれる事に


慣れていないこともあって


どんな事柄にも


社会の定義が一応用意されているんだと思うの


それはそのように生きなければ


いけないと示されたものではなく


ただ基準として存在しているだけなのだと思うの


だから基準とフィットしなかったとしても


それは人それぞれの


オリジナルなのだから


逆に当たり前なんじゃないかなって感じているの


人との関係の中で


最も大切で素敵な要素は


楽しい気持ちや笑いなどの


光をお互いに


生み出してゆけるかどうかって


事なんじゃないかなって感じてるの


笑いは誰かと言葉を交わし


心が動き


脳までもがマッサージされるとても貴重な時間だと思うの


そのようなお互いに


笑顔になれたり


魂の成長にプラスにあれそうもない時には


新たな心の学ぶ場所へ


歩まれた方が


いいんじゃないかなって感じているの


必ずこの広い世界の中には


自分じゃなければならないと


思ってくれる人は存在していると思うの


そして自分が嫌いな


自分の性格や個性を


そこがいいと思ってくれる人も存在していると思うの


わざわざ


自分の嫌な部分を


ピックアップするような関係に


身を置くことは


大切な人生の多くの時間


すててしまう事にもなってしまうと思うの


もっと愛を交換し合える


素敵な時間を


秘めている能力で見つける事が


大切なんじゃないかなって感じているの













毎日遠距離のパートナーと


いつも長い時間


電話で話しながら


今日は夫婦という関係について


考える機会が与えられたの


遠距離で過ごす中で


少しずつ


自分の人生を


お互いに謳歌しながら


今日あった出来事や


新たな発見・気づきを


交換し合っているのだけれど


その事で


今までは近すぎて


見えなかった相手の良さに気づいたり


私が相手に依存しずぎて


自分が描く流れじゃなければ


勝手にイライラしていた事も


すべて手放せるようになったの


そんな中で


今まではパートナーがそばにいてくれた事で


できないと自分でも


おもっていた事も


必要に迫られてできる事に気づいたり・・・


今良い意味で自立を日々


学ぶことができているの


私の友人の中には離婚して楽しく


自分の人生を謳歌している人


結婚はせず


自由を謳歌している人がいるのだけれど


何となく


彼女たちってすごいなって改めて感じていたの


あらゆる出来事の答えを


自分で生み出しそして行動する


本来ならば当たり前の流れなのだけれど


私はいつも


自分の都合が悪くなると


女性という守られた常識を言葉にし


パートナーにやってもらおうと


何時間も費やし


冷静に見つめたならば


自分で行動をした方が


どんなにかスピーディーで


問題を大きくすることなく


解決できたかと反省することがよくあったのだけれど


そのような依存関係は


人生の輝きを


ひとつずつ消してしまう


時間になってしまうんじゃ


ないかなって感じている頃


今のような長期出張という


機会を与えられお互いに


考えるという


良い時間をたくさん与えられたの


ある時電話で彼が


「程よく相手に依存し程よく自立した方が


人として


いい関係ができるんじゃない


もし相手が必要ないくらいに


自分が何でもできるようになったら


自分からも相手からも


離れてちゃうって恐れて


何もできないふりをする事はないよ


お互いに追いつこうと


向上しあえるって


男女関係を超えて


人間として


素晴らしいことなんじゃないの」って伝えられたの


私は彼が言うような


何でもできる人ではないのだけれど・・・(笑)


確かに


昔から女性は


できるだけ男性よりも知らない事が多かったり


できないことが多い方が


愛されるというような


知識をいつの頃からか刻まれているけれど


今の時代は


男性だからとか


女性だからとかではなく


尊敬できたり


精神的な成長を共にしてゆける


パートナーとの巡り会いを


求められている方が多いように感じているの


今までならば


結婚生活が長く


お子さんが生まれ成長された


ご家族は人生の安定期という


周りからの見方があったけれど


そのような当たり前の幸せの中で


過ごされていた方が


本当に心から幸せな時を


過ごしてきたかどうかは


今の熟年離婚の多さから感じられるとおもうの


多くの場合


年代・時代背景などで


常識といわれてきたものや


教育も違い


周りがすべて同じような


ライフスタイルを送っているのならばと


自分の心が輝くことがなくっても


普通という枠から


はみ出す事なく過ごそうと思い


年齢を重ねた方がよく言葉にする


暴力をふるわないから


お酒を飲まないから浮気しないから


給料を入れてくれるからetc


そのような慰めを自分に唱え


自分よりも大変なパートナーを


持つ人よりは


まだ良いという判断で


過ごされてきた方も多いとおもうの


でも今の時代は


様々な自分たちの知らない


優しさに溢れたパートナーと


年を重ねるご夫婦がいる事を知ったり


自分の子供たち夫婦などと


ふれあう内に何か深い部分で


今まで信じてきた思い込みに


変化が生まれて


今まで築いてきたものよりも


残りの自分の人生を


素直にそして豊かに


過ごそうと


行動されているんじゃないかなって感じているの


そして今結婚を望まない方の中には


両親を見つめてきて


結婚を幸せの広がりとは

イメージできなかったり


両親とは違う


高めあえる人との巡り会いを

時間をかけて


待っている方もいると思うの


母の知り合いに


最近結婚された方がいて


親子ほど年が離れた


若い男性と結婚し


幸せに暮らしている方がいるのだけれど


その女性は


たくさんの友人や周りの方を見てきて


自分の人生だけならば


自分ですべてやっていけるけれど


相手の人生・子供の人生


その周りに繋がるすべての問題を


考えた時


わずらわしいよりも


寂しい方が自分には良いとの判断で


ずっと長い間独身で過ごしていたようなの


今回の結婚も


相手の優しさと自分自身が


自立していた事から踏み切れたと言っていたの


彼女と同じ年代の男性の多くは


女性に多くのを


望まれるようなのだけれど


今回結婚した方は


若い事もあって決まりごとが少なく


抵抗なく手を貸してくれる事が嬉しいようなの


その幸せな日常を


母に幸せそうに話しているみたいで


母もうらやましい気持ちと


自分が歩んできた人生を


肯定したい思いから


その後


自分の思い込みの正しさを


確かめるように


私に「でも」から


始まる言葉をいくつも表現しているの


私の友人の多くは無理に結婚しなければとの


思いはないけれど


もし結婚するならば


たくさんは求めないけれど


精神的な支えとなってくれたり


高めあえる相手がいたならば


結婚したいと思っている方も多いの


きっと今の時代は


昔刻まれた思い込みが


自分を幸せにはしてくれない事を


冷静に見つめられている方が


多いんじゃないかなって感じていたの


逆に男性側も


周りの既婚者を見つめながら


給料のほとんどを女性に渡しているのに


さらに


家庭の手伝いを求められたり


少ない休日


ゆっくり過ごせなかったり


趣味のほとんどを


手放さなければならない


結婚生活に


幸せを求めなくなってきているんじゃ


ないかなって感じているの


そして結婚されている方の中で


家庭の中に幸せを見つけられない方がいたのならば


思いを閉じ込めていないで


外に表現されたらいいと思うの


今はとても優しい時代なのだから


言葉や態度で


強さをアピールする必要もないし


共によりそってくれる女性に


相談したり


自分が弱さだと思っている事も


素直に伝えられたらいいと思うの


女性の多くは


男性が弱さだと思っている事を


弱さだとは受け止めないと思うの


女性は元々聖母の魂を秘めているから


話し合いながら共に歩む事で


愛が深まるストーリーもあると思うの


男性は自分ひとりで


何でも決断し行動をする事が


男性としての責任だと


思っているかもしれないけれど


そのような責任の取り方は


女性にとっては身勝手と映る事も多いと思うの


だんだん地球も進化を遂げて


人間にもゆっくりと


進化の流れが届けられ


男性にしかできない事


女性にしかできない事は認めながらも


精神的には


男性・女性ではなく


人間としての繋がりを


確かめ合う時代に


入っているのかなって感じているの













昨年末に


縁を自分から卒業した方がいるのだけれど


彼女との縁を卒業して


学んだこと・気づいた事が


今ゆっくりと


私の元に届けられているの


彼女はとても社交的で


明るく


そして瞳に部分とは違い


深い部分では


とても真面目でふっとした時に


常識・ルール・思い込みが溢れていたの


彼女とはとても楽しく


時を過ごしてきたのだけれど


私には彼女の真面目で


常識やルール・思い込みを


表現する部分が


フィットしなかった事を


今になって感じているの


もちろん人として過ごす上で


ベースとなる常識やルールは


必要だとは思うのだけれど


私自身


自分を否定されたくない思いから


無意識に彼女と会う時間


自分らしさを


少しずつ表現できなくなっていたの


彼女はとても意志が強く


自分が思う事は絶対的な所があって


違う意見を許さず


その意見を正そうと


言い合いになってしまう流れを


知っているので


だんだんと彼女と共に


過ごす時間は


心の対話が多くなり


言葉に表現している思いと


心で対話している言葉が


あまりにも違うようになっていたの


そのような自分の中での


フィットしない思いがだんだんと辛くなっていたの


私は幼い頃から


自分の中に


人と違うという事への


コンプレックスを秘めているので


「少し違わない?」「変だよ」などの


言葉を伝えられると


相手がっていうよりも


すぐに自分がきっと変なのかもって思う癖があるので


相手が伝える常識の枠の中に


がんばって収まろうとするところがあるの


彼女は自分らしく過ごせてきっと楽しかったと思うの


でも私は


意見がぶつからないように


いつも胃のあたりがいたがったの


彼女に問題があったというよりは


私自身の秘めている問題が


彼女によって


表へと溢れてきたんじゃないかなって感じているの


世の中は多数決の部分が


広く伝わっているから


たとえば


社交的で友人が多い人は


それだけ多くの方に受け入れられ


認められているという思いが


あったのだけれど


一人一人の心のうちを


尋ねたわけではないから


もしかしたら


私のように胃の辺りがいたい方もいるかもしれないし(笑)


本当の心はわからないと思うの


たとえ私一人が


彼女とフィットしなかったのだとしても


今は私の人生だから


少数意見の中に


私が入ってしまっても

私が幸せを感じられるならば


それでいいと思っているの


彼女のおかげで


多くのことを学び・知ることが


できたと今は感謝しているの


そして私が私を知る大切な機会を


与えてもらったと思っているの


人は自分とフィットしない相手と


出会って初めて


自分が何を大切に思い


自分のコンプレックスや


様々な考えに気づけると思うの


私も彼女と同じ部分もあって


自分は良かれと思い


強く自分が良いという


考えを相手に


押し付けてしまっていた事があったの


でも自分が逆の立場になって


相手に逃げ道を与えてあげる事の


大切さも知ったの


自分が心地よく過ごせていても


相手も心地が良いとはかぎらないのだから・・・


特に自分よりも年下の友人・知り合いと


話すときには


押し付けないように意識できるようになったの


独身の頃


付き合っていた男性と


共に暮らしていた頃にも同じような学びがあったの


彼は真面目でまっすぐで


間違ったことをひとつもしない人だったの


彼の言うこと・行動すべて


誰が見つめても否定する部分が


ひとつもない人だったの


でも私は


時間と共に心身に変化が現れてきたの


私が感じた事を表現すると


「君はおかしいよ」と


いつも言われていたの


でもだんだんと


変わって行く私を見つめて


友人は


「確かに彼は正しいよ


でも何かが違うんだよね」と


正しいのは誰もが認めていたけれど


言葉では表現できないものを


私と同じフィーリングの友人たちも語っていたの


彼は自分の事も私の事も


完璧にこなしていたの


その自信からなのか


私が意見を受け入れず


とても厳しい人だったの


ある時


友人から電話がかかってきて


友人と会話を交わそうと


思った瞬間


自分でも信じられないのだけれど


急に声を出して泣いてしまったの


友人は驚いて


「どうしたの?どうしたの?」と


尋ねてくれているのに


言葉が出てこないの


そんな時間が数分流れて


友人が「これから行くから待ってて!!」って


電話を切り


家に訪ねてくれたのだけれど


泣いたまま言葉が出てこなくって


ただ声を出して泣く私を


見つめながら


心配になって私を実家に送ってくれたの


実家についても言葉が話せなくって


泣き続けている私を見つめて


両親は


「まず寝なさい」と何も尋ねないでいてくれたの


その日の夜


家にいない私を心配して


彼が私の洋服などを持って


実家に訪れたのだけれど


両親はドアを開ける事なく返したの


それから数日


私は生まれて初めて


言葉が話せない・声が出ないという体験をしたの


それはきっと長い間


正しいといわれる人と暮らし


私はどんどん自分の


だめな部分をクローズアップし


自分を責めていたように思うの


その彼との時間の中でも


多くのこと学び・知る事ができたように思っているの


私はその頃


年齢が上で離れている人は


包容力があって知識レベルも高く


年下の男性は・・・などの


決め付けがあったり


彼と出会うまでは


何でもできる男性が理想だったの


でも彼と出会ったからこそ


今のパートナーとの縁も


繋がったととても感じているの


今のパートナーは年も下で


彼の部屋を訪問したときには


部屋が散らかっていたのだけれど


その何気ない事がとても


ほっとしたり


誤ってコーヒーをこぼしてしまった時にも


優しく「適当でいいよ」と


言ってくれることが幸せに感じられたり・・・


以前ならば


そういう男性を良いとは


思うことがなかったのだから・・・


私は共に成長してゆける


歩幅のあう相手を


本当は


求めていたのだと思うの

友人関係でも


立派といわれる人でなくってもいいの


泣いたり・笑ったり


失敗したりを素直に話せる


そんなあたたかい繋がりが


私の宝物なの













人から受け取る言霊には


メッセージとなるものや


相手の恐れから受け取る言霊が


あるんじゃないかなって感じているの


人からの言葉には


力が秘められているから


相手の恐れから映る


出来事への言葉を時々予言のように感じ


何度も浮かんでくる


自分が描くヴィジョンを


あきらめていたり


でも本当は予言ではなく


心配から伝えられていた


メッセージという場合も多いと思うの


相手から伝えられる言葉が


天使や神々が


伝える自分へのメッセージなのか


それとも


相手の恐れや主観から


伝えられているメッセージなのかを


見分ける事って


本当に難しいときがあると思うの


そしてその時には


メッセージであったとしても


そのメッセージが長い間必要ではなく


その時だけのものであったり・・・


それはまるで


手相と似ているんじゃないかなって思うの


よく手相なども


3ヶ月くらいで変化すると


伝えられているように


見ていただいたときに必要な


忠告も


数日~数ヶ月で変わると思うの


でも意識として


自分のどこかに残ってしまうこともあると思うの


自分へ向けた必要な


メッセージなのか


相手からの恐れから映るメッセージや


主観から伝えられたものなのか


見分けられない時には


自分の中で答えが欲しい


メッセージを紙に書いて


強く答えを求めると言いと思うの


そして3日以内に


自分に届けられたメッセージ


(テレビで偶然見たものから


答えを感じ取ったり


雑誌などで誰かがj語っていた


言葉に心動かされたり


友人・知人に相談してみたり)の中に


同じような答えが多く


重なっていることを


メッセージとして


受け取ったらいいんじゃないかなって感じているの


そのような流れをいくつか


体験してゆくうちに


いくつも答えとなる


メッセージを探さなくっても


答えがスムーズに


わかるようになってくるんじゃないかなって思うの


もし答えとは違う


メッセージを受け取ったとしても


その流れが違うものであった場合には


スムーズに


物事が流れてゆかないので


またスムーズに流れてゆく方を


選択できるように


メッセージを求めたらいいと思うの


自分が進みたい方向が決まっているのに


スムーズに運ばない場合には


今はそのタイミングではないとか


もし誰かに相談されるのであれば


相談された方の


心の状態にもよるので


何人かに


相談された方がいいんじゃないかなって思うの


ただ何度も何度も


自分の中に実現したいヴィジョンが


浮かぶのに


思った答えやメッセージを


いただけないような時には


時を待つことを


教えているんじゃないかなって感じているの


早くスタートできたから


すべてが良いわけではなく


たとえ時間かかかっても


ベストなタイミングに物事を始められた方が


瞳には映らない


多くの問題から回避できていて


本当はよき状態の中に


いる場合もあるんじゃないかなって感じているの


今の時代は


自分に必要ではないメッセージも


織り込まれている事もあると思うの


それは社会の流れと共に


歩んでいる私たちは


様々な事に


対処できるようにひとつの知識として


スライドのように速いスピードで


意識する必要のない


感覚で


見ていることがあると思うの


ただ


そのスライドのように映るものに


あまり意識を向けてしまうと


自分の心や魂が


限界を設ける機会にしてしまうことがあるので


今の自分に必要のない


言葉・映像・メッセージには


長い時間費やすことがないように


過ごすことが


大切なんじゃないかなって感じているの










私たち一人・ひとりが


自分の人生に


責任があって


そしてどんな答えを選択することも


許されている


存在なんじゃないかなって感じていたの


時々


誰かの言動によって


自分の心が揺れ動いたり


怒りや傷が


生まれる時があるけれど


その怒りや傷は


突然今その方からの言動で


刻まれたものではなく


元々自分の中に


うっすらと刻まれていて


その刻まれていたものが


誰かの吹く風によって


浮き彫りになり


はっきりと


感じられただけなんじゃないかなって


感じているの


そして相手の方が


何を表現しようとも


自分は違うから・・・と思う


気持ちならば


その瞬間に時間と共に


その言葉も流れていったり・・・


依頼心が無意識に


強く働いてしまう時には


相手の言動・表情・行動


すべてが


自分の言動・表情・行動に


託されているような気持ちになって


相手の流れる時間にまで


全責任が


自分にあるような気がしてしまったり


するけれど


本当はそれぞれが


どんな状況でも


自分の人生に責任があって


怒りや悲しみなどは


もっと深い部分で


長い時間かかって


刻まれているものだから

誰かの責任では


ないんじゃないかなって感じているの


本当はその言葉に


反応した自分に意識を


向けることが


とても大切なんじゃないかなって思うの


私自身もこの体験を


何度も復讐・予習しても


定期的に


テスト問題のように


突然与えられる事があるのだけれど


つい感情的になってしまったり


逆に


相手を不快にさせてしまわないかと


気にしすぎてしまって


自分の頭の中で


勝手に忙しくなって


疲労してしまうこともあるの(笑)

私の場合は


自分が反応するキーワードとして


常識・ルールから


話されると


とても反応してしまうところを秘めているの


それはきっと


自分の人生自体が


その年代・年代で


体験することとは別に


自分の世界を持っていて


誰もが当たり前に知っていること


誰もが常識という事の


枠が理解できないからだと思うの


もちろん誰かとお話をするときには


長い時間かけて


多くの方が語っている


常識を耳にしてきたので


わかったふりをするのだけれど


深く話してゆくと


やはり


無意識に自分の考えで話してしまい


心がフィットしていない事を


感じ取り


できるだけ相手の表情から


笑顔を消さないことだけに


意識を向ける事があるの


そんな中で


相手に意識を向けてばかりいると


自分の人生すべてが


自分以外のすべてのものに


委ねられているような


錯覚に包まれて


誰かに自分をあまりよくない


表現をされると


相手の事も


そして自分の事さえも愛せなくなっていたの


でもある時


「なぜ?私は私として生まれてきたんだろう」って


自分に問いかけてみたの


そうしていると私でなければ


ならない必要があったからだと


内なる声が届けられたの


それから


時間と対話を重ねながら


自分が好きになれない


自分のくせや


自分に厳しく決まりごとを与えていたのは


周りではなく


自分自身だと言うことに気がついたの


何か行動を起こすときなどにも


誰かがネガティブな言葉を


手渡していたとしても


その言葉を


無意識に2重・3重に


わざわざ深く刻んでいたのは


自分自身だということも感じたの


たとえば何気なく


「え~そうなったのは自分が悪いんじゃない


だって考えたらわかるでしょ」と


言葉を言われたとしたならば


私の場合はきっとその時


その言葉に自分の感情を重ね


その言葉に


自らパワーをもたせ


相手の生き方の否定


そして自分の選択の否定へと流れていったと思うの


それは人への依頼心が


いつもそのような答えへと


たどり着くようにしていたのだと思うの


依頼心を強く働かせてしまうと


すべての答えは


自分が生み出すのではなく


相手から手渡されたものによって


結果となり


その結果がベストなものじゃないければ


また相手のせいにしてしまう


悪循環を


続けてしまうんじゃないかなって感じているの


依頼心ってストレートに誰かに


寄り添う形ばかりではなく


自立・独立の中でも


織り込まれている事もあると思うの


結婚されている方の中には


瞳には映らない


スペースガードのせいで


何もできないと語られる方もいるけれど


本当に自分ひとりで


何でもしてみたい気持ちが強く


一人で何でもやってゆけそうだと


思えるのならば

一個人としてスタートされるはずだと思うの


言葉では上手に表現できないのだけれど


人に寄り添いたい思いを


持つことは決して


よくない事ではなく


自分が依頼心を強く


働かせている事に


気が付かないことが


問題なんじゃないかなって感じているの


依頼心を働かせていることに


気づけたならば


その行動は


時には人との縁を


深めるものとしてであったり


人への感謝へと


結び付けられるものだと思うの


私は結婚してから


パートナーへの依頼心が


無意識に強く働くようになって


何でも当たり前に思い


感謝よりも不満を


表現していた頃があったのだけれど


よーく考えていると


私がこうして

自分の時間をもてるのも


パートナーがいてくれたからだと


当たり前のことに


気づかされたとき何でもありがたく感じたの


それはよい意味で


心の自立が果たせたからだと思うの


たとえば


ごみ捨てをいつもならば


パートナーがやってくれて

当たり前だと思っていたのだけれど


自分で捨てに行こうとすると


パートナーがひとつ持ってくれたことが


嬉しくなったり


お買い物に行くときにも


おうちの前に車が用意されているのが


当たり前だと思っていたのを


自分の足で

歩いてゆこうと決めたとき

パートナーが

「寒いから

車を持ってくるまで

待ってて」と伝えられただけで


幸せを感じたり・・・


現実にはいつもと変わらない


出来事の流れなのに


自分の心が変わったとたん


幸せはいっぱい


日常に溢れていることに気づかされたの


家族の場合は


この依頼心が互いに


強く働いている事も多く


わざわざ


不満に感じる事を


互いに作ってしまう事もあると思うの


でもお互いが


良い意味で心の自立をして


寄り添っていたならば


やってくれるという


依頼心がない分


手を差し伸べてくれると


感謝も大きいと思うの


その意味では


家族よりも離れた関係の方のほうが


ひとつの思いやりでも


感謝が生まれやすく


一番近くにいる方への



感謝は


生まれにくいんじゃないかなって


感じているの


人生をどのように見つめるのも


どのような幸せを築いてゆくのも


すべて自分の中に


生み出される


思いからなんじゃないかなって


改めて


感じていたの