雪の数  雪のサイズ  雪の速度  雪の揺れ  風(+右)
 雪質(0:そのまま 1:透明 2:軌跡 3:Glow 4:影1 5:影2 6:波
 フィルター関係色(雪質 3,4,5の時使用)


2007年12月





私は毎月


パワーストーンをご用意してくださる


宝石店にお願いして


何となく


心惹かれた石をセレクトして


一粒だけを


いくつも送っていただき


自分が感じる感覚を


大切に


石とコンタクトをしながら


本の知識やポップなどの


データーだけではない


エナジーを


受け取り過ごしているの


その中には


今の自分には受け取れない


エネルギーを持っている


石もあったり


逆に強すぎて


心地よく感じるまでに


時間が必要で


好転反応の方が長く続き


辛い感覚が


長く続く石もあったり・・・


エネルギーが強すぎて


時間が必要な石の場合は


何となく


石との力を感じやすく


初めて石とふれあう方は


石の知識や求める思いが


強い事もあって


強くパワーを秘めた


石を好まれる方も多いのだけれど


石も人生も同じで


ステップアップしながら


ふれあってゆくのが


とてもいいんじゃないかなって感じているの


お部屋に置く形の


パワーストーンの場合も


何となく大きなものの方が


よい事を運んでくれそうな気がして


購入される方もいると思うのだけれど


その石の持つ力とフィットしなければ


人によっては


よいこととは逆の出来事が重なり


あれ?って思うことも多いと思うの


それはその石が秘めている波動と


同じレベルまで


持つ方の波動を向上させようと


ハイスピードで


働きかけるからなんじゃないかなって感じているの


そのことだけを見つめたならば


よき事のために


働きかけてくれている


時間なのだけれど


私が思うには


持ったときから


優しくゆるやかに


気づかないうちに


自然な形で


シフトチェンジを感じさせてくれる


自分にもっともフィットした


石が


もっとも石とのふれあいが


喜びや楽しみとなってくれると思うの


だから


あまり効能やパワーだけで


石をセレクトするのではなく


瞳から感じる


純粋に惹かれる感覚を


大切に選ばれたら


いいんじゃないかなって感じているの


今月は以前から


宝石店の方から預かっていた


スターガーネットと


コンタクトをする事ができたの


ガーネットは血液のめぐりや


女性のキャリアを


バックアップしてくれる


石なのだけれど


スターガーネットは通常の


ガーネットよりも


パワーが強いものなので


せっかくだから


体調があまり優れないときが


訪れたら


コンタクトしてみたいと思っていて


ずっとそのままにしていたの


そして今月


心惹かれる事が多く


楽しく忙しく過ごしていた時


歯茎にほんの少し腫れを感じ


腫れというのは


多くの場合


血液のめぐりが滞って


私たちにコンデイションが


優れないことを伝えてくれる


身体からのサインだから


スターガーネットとのコンタクトは


今だ!って感じ


早速スターガーネットを


身につけながら瞑想してみたの


そうしたら


不思議と自然に眠ってしまい


目覚めてみると腫れがほとんど


通常通りになっていて


目覚めてから瞑想を


つづけてみると


スターがネットから


「人間は私たちを育んだ


海や川と同じように


美しい流れを持って


生まれてきたのです


でも人間も私たちも


その流れをせき止めてしまうような


開発文明の中で


過ごしているのです」と


メッセージを頂き


その後あらゆる言葉が


溢れてきて


そっか~って


納得しながら楽しい時間だったの


この間はローズクォ-ツや


スターローズクォ-ツとも


コンタクトを改めて


させてもらったのだけれど


ローズクォ-ツは一般的には


愛を導き・出会いや


恋人を得る石と


伝えられているけれど


ローズクォ-ツや


スターローズクォ-ツが


私に伝えてくれている


メッセージは


外から得る愛ではなく


自分の中に眠っている愛を


目覚めさせ


ふれあう人を


どのように許し


どのように愛したらよいのか


答えを授け


自分がどのように


愛とつながれるのかの


気づきと導きを


スムーズにしてくれる


アイテムとして


愛してほしいということだったの


石は


私たち人間に必要な


あらゆる事を


補給してくれる


素敵な地球の子宮から


生み出された贈り物だと思うの











人生の中で


様々な形で与えられる


出来事に対して


答えへとたどり着くまでに


いつもどんな出来事でも


自分が選べる選択って


前に歩むか


静かに見つめるかの


二つしかないと思うの


そしてその時


行動した後悔と


行動しなかった後悔と


逆に行動してよかった結果と


行動しなくってよかったという


結果が用意されていると思うの


ただそこで


結果がどのような形であっても


行動をした事を選択した場合


時間と共に


自分の心が


やれる事はやった爽快感や


達成感


心の成長など


あらゆる産物が


必ずごほうびとして


用意されていることが


多いんじゃないかなって感じているの


そして人は


たどり着くゴールへ近づくためには


何度も何度も岩山のような


スムーズに歩めない


道を自分の選択とは別に


用意されていることもあると思うの


その時には


あまりのハードさに


涙が溢れてきたり


なぜ私だけが・・・と思い


心を曇らせてしまうことも


あるかもしれないけれど


それが本当は


必要なもっとも近道だったり・・・


その時には


知る事のできない


人生の神秘と奇跡が


後になって


感じられる事もあると思うの


瞬間・瞬間だけに


スポットをあてて見つめると


どうしても


その時・その時


すべてが輝き


すべてに味方されたように


映る方と人生のあらゆる


清算時期を迎えている方では


とっても人生が不公平に映り


生きている意味さえ感じられないことも


あるかもしれないけれど


人生をトータルで見つめたならば


多くの場合


見つめている部分が違うだけで


そんなに違いはないんじゃないかなって感じているの


違いを生み出すものは


きっと


届けられる出来事は同じでも


その問題を


どのように見つめて


どのような結果へと


形を整えてゆくか


だけなんじゃないかなって感じているの


今思えばとても


はずかしい事なのだけれど


病と共に過ごす時間が始まり


薬などの副作用によって


心身がまるで


今までの自分とは


思えないほどダメージを受けていた頃


見るもの・聞くもの


すべて斜めから見つめ


自ら苦しみを


ひとつ・ふたつと


生み出していた頃があったの


初めはたったひとつの身体の痛みだけだったものが


心も思考も


その痛みと同じ色に変化していったの


そしてそんな時には


周りから手渡される


何気ない言葉も


自ら苦しみのひとつとしてしまっていたり・・・


そして私の場合


弟がいるのだけれど


きっと世の中の人々が考え望むもの


すべてを持っているような


人だった事もあって


はずかしい事なのだけれど


人生で初めて


人と比べる事の意味のない


悲しみ・ねたみという


心の体験もしたの


でもその頃って


今思うと


言葉では上手に


表現できないのだけれど


答えは決まっているけれど


選ぶか選ばないか


わからない人生の選択も


残しておきたかったのだと思うの


今までの自分の人生を振り返って


見つめてみても


たとえどちらかの答えを選んでも


ほとんどの場合


もし違うかなって思ったら


また戻って違う道を選ぶことを


許されていた出来事が多かったけれど


女性の場合は子宮という


もう1つの未来をスタートできる


スイッチのような部分を


なくしてしまうのは


後戻りできない道を歩み


本当に後悔しないのかという


未来の自分を思いやることから


続いてきた


辛い時期だったように感じているの


そして


私の場合はパートナーがいるので


彼が私とさえ


結婚していなければ


普通に舞い降りてきた天使と共に


未来に思いを巡らせ


父親としての人生もあったのに・・・と思ったり・・・


私の決断は


私だけではなく


自分と繋がりあってくれている


大切な人たちの


人生のプランまで変えてしまう事への


辛さから


私の中では答えは見えていても


そのラインに


立つことができなかったの


でもそんな時


主治医の女医の方に


その思いを伝えていたとき


「あなたはすごいわね


こんなに痛いのに


人の事を考えられるなんて・・・


思いはわかるけれど


このデーターを見ると


かなりの痛みがあるはず


痛くて辛いのは


誰でもないあなたなのよ


だからあなたが


どんな結論を出しても


だれもあなたを


責められない」というような


言葉を伝えていただいたの


その時自分でも


信じられないほど涙が溢れて


言葉では上手に


伝えられないのだけれど


神様に


「あなたはあなたが良いと思う事をしなさい」って


背中を押されたような気がしたの


その日から少しずつ


同じポイントを見つめていても


見方や角度が変化していったの


そして


現状には何も変化はないのに


自分の心が


晴れ渡ったことで


周りにも変化があって


毎日が手術までの間の


勇気を吸収する時間となっているの


もしかしたら


よく周りの方が表現するように


年齢を重ねてから


子宮というものがなくなった事を


後悔することもあるかも


しれないけれど


私の人生には意味があって


神様が用意した出来事なのだから


消えてゆく未来に


潔く手を振り


他に用意されている


未来の扉を


開いてゆくことに


わくわくしていようって思っているの













最近


あらゆる方向に


自分の心が何かを思うと


周りが動き出し


様々なものが


用意されていることを体感しているの


スピリチュアルな知恵の中では


よく語られていて


頭では理解していたけれど


毎日その事を実感として


体験することを重ねて


改めて人間に秘めた


能力のすごさに驚いているの


もちろんすべて偶然として


見つめたならば


それは偶然なのかもしれないけれど


自分の心で思うこと考えることを


誰にも語らなくっても


招きよせている事って


きっとあるんじゃないかなって思うの


それはよい事であっても


そうではないことでも


そのような事ってあると思うの


そして無意識に


言葉としている事が


自分の人生に影響を与えていたり・・・


誰でも経験


あるかもしれないけれど


まるで自分じゃない自分が


言葉を発していて


言葉として外に表現して


はっと驚くことって


あるんじゃないかなって思うの


たとえば


誰かの相談に耳を


かたむけていた時


自分でも日頃使うことのない表現や


言葉のワードが溢れてきて


無意識にその方の心に


深くパワーを届ける事ができたり


逆に


何気ない話題の時に


いつもそのような事を


意識していなかったのに


批判的な言葉や


否定的な言葉が飛び出したり・・・


これってどちらも


自分という存在の


深く根ざした部分から


溢れてきている真実だと思うの


私もこのような体験をいくつもしてきて


どちらの場合でも友人を驚かせ


私自身も驚いたことがあったの


何かに対して


何気ない話題だったのに


何か私の中で


スイッチが押されたように


否定的な言葉が


自分の意識とは別に溢れて


その瞬間


自分自身でもはっとして


溢れてしまった言葉を


取り戻そうと


様々な言葉を重ねてはみても


言葉として発信してしまったら


後は受け取った


友人がどのように


感じるかしかないので


そのまま素直に


「私って自分でも


気づかなかったけど


偏見と思い込みを


何個も持っているんだなって思ったよ」って伝えたら


友人は


「さーちゃんは偏見とか少ない方だよ


でもさーちゃんからは


あまりそういう事は聞きたくないかも」って優しく伝えられたの


その時色々なことを感じていたの


人はたったひとつの経験から


様々な事を


自分の中のデーターベースに


無意識に保存していて


何か似通った話題


大検のときに役立つ日まで


ストックしているけれど


保温しているデーターベースの


ほとんどはあまり意味のない


データーが多いんじゃないかなって感じていたの


こうしたらこうなるという


データーが多く


そのために


何もする前から


そのデーターが答えを導き出し


頭の中で疑似体験し


思い込みを強くしてしまう事も


あるんじゃないかなって感じているの


たとえば


過去に思い出したくない


体験があったとして


その体験に関わる人の顔を


自分の中で無意識に


ネガティブ認証してしまって


いたならば


その後その方に顔が


似ているというだけで理由もなく


人との縁を繋ぐ妨げになったり


声や音・場所・言葉など


あらゆるワードとなるものに出会うたびに


思い出したくない過去が


よみがえってきたり・・・


これって


きっとデーターベースがいっぱい・いっぱいで


本来の機能を果たせて


いない状態なのだと思うの


自分の中のデーターベースの


本来の働きって


自分が安全に


人生の目的・希望・使命などを


果たすために


神様が用意してくれた


記憶装置なのだと思うの


でも人間って


喜びや幸福という


ふわふわとあたたかい記憶よりも


危機管理能力の働きの方が


生命の維持にも関わることから


あまる好ましくない体験や


出来事の方が


無意識に強く印象に残り


同じようなデーターを


いくつもストックして


しまっているんじゃないかなって感じているの


そのストックしたものが


時々無意識に溢れてしまい


自分でも思っていないような批判的な言葉や


否定的な言葉が


溢れてしまう事があると思うの


ただ新たに更新された


光となる記憶によって


古かった記憶は


書き換えることができると思うの


同じ体験でも


違う結果を


たった3回しただけで


私たち人間は


それを常識として認識し


ネガティブ認証してしまったものを


更新できるんじゃ


ないかなって感じているの


私たち人間は本来


どんな風にも生きられる


柔軟でしなやかな思考を


持っていると思うの


そして限界を決めるのも


本当は周りではなく


自分自身なんじゃないかなって感じているの


自分の人生は


自分の思いに反応し


それにあったものを探し出し


無意識に自分の人生を誰もが


プロデュースしていると思うの


そして


価値観も星の数ほど


存在しているのだから


自分が良いとおもうものを


大切に歩んで行けたら


それだけで


それぞれが


輝ける素敵な人生なんじゃ


ないかなって感じているの













今日はずっと


繋がりあってくれている


大切な友人と


ふたりで忘年会をしたの


その中で


友人が心曇らせるひとつのお話しを伝えてくれたの


友人は自分が描く


幸せを一生懸命に整え


今心満たされ


過ごしているのだけれど


数年前から


結婚という生き方を


選択していない事を


周りの方から


否定的なあらゆる言葉で


伝えられているようで


その事が彼女の笑顔を


唯一曇らせる


出来事となっているようだったの


たとえば


「女の幸せは結婚出産だよ


いくら仕事ができてもねぇ」と伝えられたり


「何で結婚しないの?」など


この言葉だけでは


彼女も流すことができる


ようなのだけれど


その言葉を包む空気が


とても辛いようだったの


私はなんとなく


彼女が伝えたい思いがわかる気がしたの


きっと彼女は


言葉に辛いのではなく


その言葉に含まれる


「結婚できない人間」


「かわいそう」など


周りの偏見や思い込みが


ひとつの言葉から感じ取ってしまうから


辛かったんじゃ


ないかなって感じていたの


彼女は最終的に


「誰でもよいから一度結婚して


離婚したなら


もう誰も何もいわないでしょ


だから結婚しようかな」って


表現した時


言葉では上手に表現できないのだけれど


抱きしめ


心をあたためてあげたい


気持ちでいっぱいになったの


私も事柄は違うけれど


自分の病の事もあって


同じような気持ちになった事があったの


私の病は周りの方の瞳に


映るものではないから


何も知らない方があいさつのひとつとして


将来の家族計画を


強く勧めてこられるたびに


そうできない自分に


今まで感じたことのないような


劣等感から


私は生きていてよいのかなって思うほど


自分を追い詰めてしまった事があったの


友人の場合も


そうだと思うのだけれど


できない事が悲しいのではなく


哀れまれる事で心が深く傷ついて


しまったんじゃないかなって感じているの


今の時代は


ひとりでも心豊かに


過ごされている


サンプルとなってくれている方が


多く瞳に映るように


なってきたけれど


まだスタンダードな生き方を


幸せの見本として


深く刻まれている方も多く


それ以外の歩みは


幸福の分類として


考えられない方もいると思うの


でもどちらも


自分たちが信じている


幸福をそれぞれに


創造しているだけだと思うの


私たちは小さな経験から


その事を事実として確信へと深く


人生に刻んでいるけれど


どんなことも確実な答えは


1つではないのだと思うの


何となく人間って


この世に誕生したときから


人間が作った生き方のルールが


存在していて


そのルールに納得したように


振舞って生きているけれど


本当はどの問題も


深く見つめて言葉として


答えを求めていったならば


答えは出せない事が多く


「それが社会のルールだから」


「それが当たり前」などで


はっきりと


答えが出せないものばかりだと思うの


性別の違いによっても


なぜ?って思うような事は本当は多いと思うの


そしてそのなぜ?と思うことを


表現したならば


変わった人だと思われる事もあって


暗黙している事も多いと思うの


だれがどのような


人生を歩んでいようと


ジャッジするのは人ではなく


神様のお仕事だと思うの


どんなに恵まれていても


本人が幸せを感じていなければ


それは確かに幸福ではないし


その逆に


何も誇れるようなものを


もっていなくっても


いつも笑顔で


楽しく過ごしているのならば


その方は確実に


幸福なのだと思うの






幸せを


自分の内に


見つけるのは


やさしいことではない


 しかも


自分の内以外に


幸せを見つけることは


できないのだ



アグネス・レプリアー