2007年10月




(2007年分の
私が思う事が
紛失してしまったので
2007年4月分を
掲載させていただいています)




現実を受け入れることって


本当に難しく


だからこそ


現実を受け入れられたときには


新たな視野が広いがって


自分が自分でいる


幸せを最も感じられる


瞬間なんじゃないかなって


感じているの


たとえば


結婚されている方の中には


結婚さえしていなければ今頃・・・


子供さえいなければ


今頃・・・など


今の現実を見つめる事を


幸せと感じられず


過ぎた過去に置いてきた


自分に生命を吹き込み


自分の人生の輝きを奪ったのは


周りの人々で環境だと


思い


逃げ道を探されている方もいると思うの


私の母は


私が幼い頃


いつも口癖のように


「子供さえいなければ・・・」と


人から何かを頼まれ断る口実にして


表現したり


母自身が


飛躍できない理由として


言葉としていた事があったの


幼い頃は


その言葉をストレートに受け止めて


心がいたかった事もあったけれど


年を重ねてゆくと


母が心からそう思っていたわけではなく


自分を追い詰めてしまわない


方法のひとつとして


この言葉を使っていたことを


感じるようになったの


私の母は


子供の頃から優秀で


勉強もでき


そしてがんばりやなので


仕事もふたつも掛け持ちするほどだったの


その事もあって


経済的にも豊かだっただろうし


そして何よりも


若さという貯蓄があった事で


何をしても


楽しい記憶がいっぱいだったのだと思うの


容姿にしても


若さがプラスされ


輝くような美しさもあったと思うの


そのすべてが結婚という


年数を重ねてゆくことで


ひとつ・ふたつと


消えていったのだと思うの


でも本当は結婚したから


消えたのではなく


その頃と社会的なものも変わってゆくし


そして時間の流れが


自分自身にも刻まれてゆくのは


逆に自然なことだと思うのだけれど


輝く過去を過ごした人ほど


現実が受け入れられないことも


あるんじゃないかなって


感じているの


でも言い訳で


心が救われるのならば


私はそれでいいと思うの


だから逃げ道を


ふさいでしまう事はないとは思うのだけれど


ただ誰かのせいにしてしまうことで


その満たされない悲しみが


誰かに転写されてしまうことの方が


問題かなって


感じているの


特に幼い子供は


ストレートに言葉をそのまま受け取り


未来まで


その傷を持って大人になり


自己否定の気持ちを


いつも感じ


生き難くなってしまう原因になってしまうことも


あるんじゃないかなって


思うの


現実を受け入れることは


大きな事から


小さな事まで


本当に難しく感じる事って


あると思うの


私自身も病の治療に


数年前までホルモン療法を受けたとき


驚くほど体重が増え


スリーサイズ以上も服のサイズがアップし


鏡を見つめることも嫌になり


どんなにおしゃれをしても


自分のイメージから遠く


そんな時に限って


昔親しくさせてもらっていた


知り合いと偶然に再会し


私の容姿の変わりように驚き


「あの頃すごく素敵で


あこがれていたんだよ」など


すべて過去形で


伝えられ


なかなか現実の自分を受け入れられず


病以上に


辛かったことがあったの


でも本当に受け入れがたいならば


方法はいっぱいあるのだから


受け入れられるところから


見つめてゆこうと思ったの


そんな時


Hpで繋がりあうソウルメイトの方から


肉体は魂の乗り物なのだから・・・と


優しくエールを送っていただき


意識が変わっていったの


それからフィットネスクラブへ


また足を運ぶようになって


ゆっくりと元の状態に近づき


大好きな自分が


自分の中に戻ってきたの


ありのままを愛することって


人に対しても


自分に対しても


本当に:難しいことを


その頃感じたの


でも時の流れや


経験などによって


スムーズに難しかった問題が


解ける事もあると思うの


だから無理に


受け入れなければって


がんばる必要はないと思うの


嫌なものはいやでもいいと思うの


ただ嫌だと感じている


自分の心に気づいていたならば


それでいいのだと思うの


「嫌だと思っちゃいけない」


「逃げてはいけない」と


自分にプレッシャーをかける事は


ないと思うの


今現在の自分がそう感じている


感覚だけ気づき


覚えておくだけでいいと思うの


時が流れてゆくと


嫌だと思う感覚も変わっていたり


逃げていると思っていた思いも


このときを待っていたという


瞬間に出会い


逃げではなく


ベストタイミングが整うのを


待っていただけだと


意識が変わる事も


あると思うの


社会の中で十分にがんばって


自分にプレッシャーをかけて


過ごされているのだから


これ以上


無理を重ねる事はないんじゃないかなって


感じているの


たとえ


人から見つめて正しくなくっても


自分を裏切らず


自分の未来を信じて


歩んでいたら


それで十分なんじゃないかなって


思っているの



















いつも春が近づいてくると


友人と温泉へ


小旅行にいく事が多いの


友人は私への


思いやりから


泊まる宿のついての情報や


周辺の情報を


いっぱい調べてくれて


私が心からリラックスできる


場所を探してくれるの


友人とは何度も旅行へ


行っているのだけれど


そのたびに


私が色々なものを見てしまい


リラックスできないのを


知っているので


お宿を決めるまでに


とても時間がかかってしまうの


北海道の場合は


昔北へ向かい


自らこの世を去る事が


とても多くあった事もあって


何かしらの現象に


出会うことが多いの


特にスタンダードのお部屋よりも


ちょっぴり良いお部屋に


そのような事が多いの


それはきっと


この世での最後を


決めたときくらいは・・・という


思いから


泊まられることが多いからなのかなって


感じているの


そのような現象に出会うときには


共通のスタイルがあって


お宿に到着し


チェックインする手続きをしようとすると


お宿側の


手違いでお部屋が用意されていなくって


偶然のように


お詫びをかねてという事で


グレードアップしたお部屋を


用意されるの


初めの頃は


このラッキーを喜んでいたのだけれど


だんだんと同じような出来事に


出会うようなってからは


「きっと今日も何かくるかも」って


心の準備をするようになったの


でも私に何かをうったえても


どうすることもできないのに・・・って


何度このような体験の重ねても


怖いだけで


慣れる事はないの


いつもお宿で泊まる時には


これからリラックスするとは思えないほど


全身にパワーストーンで製作した


アクセサリーを身につけて


過ごしているの


上手に言葉で


表現できないのだけれど


その場所・そのスペースに残る


残像のようなものに


影響を受けたり


持ち帰ってしまうのは困るので


自分なりの小さな知恵から


そうしているの


でも本当ならば


見えることを怖がらずに


よき結果に導いてあげられたならば


素敵なことなのになって


時々思うの


スピリチュアルな能力には


様々なものがあって


誰の中にも気づいていないだけで


その能力を持っていると思うの


病を癒したり・予言を的中させる方に


スポットが当たるけれど


他にもたくさん


スピリチュアルな能力の分野もあると思うの


たとえば


あまりにも普通すぎて気づいていない方も


多いとは思うのだけれど


よーく自分のライフスタイルを見つめてみると


悲しみにくれている友人や知り合いの話に


耳を傾けていただけなのに


気がつくと相手の方が


元気になってきたり


逆に何気ない会話をしていただけだと


思っていたのに


相手がどんどん笑顔になってきたり・・・


それは気づいていないだけで


癒しの力を持っているからだと思うの


たとえば歌手の方などは


声に乗せて


聞く人にエネルギーを送る


能力を持っているから


聞いた方の


心に響いたり


心を癒したりできるのだと思うの


文章をかかれる方も


無意識に言霊の力の使い方を


知っていて


その力を借りて


心と心を結び


体験していない世界を


体験したような夢を与え


様々な思い込みを


手放す助けとなっていたり・・・


ただ自分の能力が


どの分野にフィットしているのか


気づくだけで


その能力が育まれて


ゆくんじゃないかなって


感じているの









この世に誕生して


30年を過ぎた頃から


人は


必要以上に


物事を深刻に受け止め


現実以上に


予測を加えて


しまう事があるんじゃないかなって


感じているの


それはきっと


多くの体験を見つめてきた


からなんじゃないかなって


感じているの


そして人は


幸せな事よりも


危機回避能力から


あまり好ましくない出来事や


流れが


強く印象に


残ってしまうと思うの


その事が


まるで自分が体験したような


錯覚を脳に伝えてしまい


何も悩みがないはずなのに


急に不安になったり


無意識に悩むことが


くせとなって


その流れを通って


安心を得る形が


できあがっている方もいると思うの


同じような流れを持っている方同士だと


社会の不満・不安・未来への不安などが


いつもの会話のベースとなっていて


その小さなスペースで


確かめ合うスタイルに進化してゆき


益々


予測で前に進めないという事も


あるんじゃないかなって


感じているの


ほとんどの場合


現実だけを


見つめたならば


そんなに不安や悲しみ多き


人生ではないと思うの


もちろん


受け止め方によっては


生きている意味や価値がないんじゅないかと


思われる方もいるとは思うけれど


よーく自分が歩んできた人生を見つめる事が


できたならば


今現在


呼吸をしているのならば


その時々


すべてのドアが閉じられたと思うほど


辛く悲しい現状だったとしても


ドアを一緒に開こうとしてくれた人たちが


いたと思うの


現実に誰かそばにいてくれなかったとしても


知恵を授けてくれる


情報・メッセージを


見つける機会が与えられたり


ほんの少しでも


ドアの向こうに光がある事を


感じさせてくれる


何かと出会ったり・・・


それは現実には


瞳では見えない


それぞれの方を守護してくれる存在が


かならず


どこへいっても


寄り添ってくれているからだと思うの


私たちは


良い流れの時には


そのような存在の事を忘れたり


自分だけの力で


何でもやってきたという


傲慢な心が顔を出してしまうことがあるけれど


悲しみや不安に包まれたとき


初めて


無意識に姿なき存在に


心で語りかける事があると思うの


そしてその存在が


笑顔を取り戻してあげようと


働きかけてくれた時


願った事を忘れ


また普通に過ごす事があると思うの


よく初詣などでは


願い事を伝えるけれど


その後の経過や叶った事への


お礼をされる方も


少ないんじゃないかなって


感じているの


私はよくパートナーに


「何お願いしたの?」と尋ね


パートナーがあれこれと


願ったことを


伝えてくれるのだけれど


そのたびに笑いながら


「何十円で


そのすべてを叶えてはないよね(爆笑)


神様は願い事ばかりで


叶えても


その後感謝をしないくせにって


真剣に話を


聞いていないかもよ(爆笑)」って


よく話すの


誰でも人はそういう所を


秘めているのだと思うの


人が悲しみを


人生に与えられるのは


もしかすると


人間界以外の世界が


存在していることを


感じ


伝えるためなんじゃないかなって


時々感じることがあるの


私たち人間が考えられる範囲を


超えた出来事は


きっと誰でも体験していると思うの


その体験を思い出してみると


不思議と心やすらかに


穏やかな気持ちが


自分を包んでくれると思うの


そしてきっと


一番人間に


パワーを与えてくれる


「感謝」「ありがとう」を


使う機会を


時々与えるために


人生のアップダウンを


体験しているんじゃないかなって


感じているの


言霊のパワーは


声に出さなくっても


見つめているだけで


私たちの中で


意識を超えて影響を受けるものだから


漢字や言葉の流れも


とても大切なんじゃないかなって


感じているの


少し話がそれてしまうのだけれど


私の良くない部分の中に


声にとても強く影響を受けてしまいやすく


とても優しくよい方なのに


自分が少し苦手な声紋の方と


お話しをしていると


体がいたくなったり


その後も


三半規管に異変が起こり


めまいが何日も続いてしまうの


言葉ではどのような声とは


説明できないのだけれど・・・


それ以来


自分の偏見と勘を


見分けられるように


できるだけ


努力をしているのだけれど


なかなか難しく


嫌なものは嫌でもいいんじゃないかなって


気楽に


過ごしているの


声というのは


日々言霊を乗せて


外へと手渡せる


魔法のような能力だから


いつもどのようなアクセントの


言葉を使っているのかが


何気ないときに


一番楽な形として


声に表現されると思うの


顔の表情も同じで


いつもどのような表情を


多く作っているかで


素敵なしわとそうではないしわが


刻まれてゆくんじゃないかなって


感じているの


人はみんな無意識のレベルで


繋がりあっているから


話す相手と同調する部分を


秘めていると思うの


相手の方が話すトーンの会話に


無意識になっていたり


気がつくと


相手と同じような表情を作りながら


聞いていたり・・・


そう思って


相手の表情を見つめて見ると


まるで鏡のように


今の自分の心の状態が


わかるときがあると思うの


そして相手にも


良いこともそうではない事も


与えられる事に


気がつく時が


あると思うの


お互いに影響を与えあうために


瞬間・瞬間出会いが


もたらされているんじゃないかなって


感じているの


偶然に目にしただけの人でも


何か意味を感じるようになると


とても毎日が


楽しく


人間界を超えた繋がりを


信頼できるようになると思うの


人間は必ず


平等に命の灯火が


小さく消えてゆくのだから


できる限り


「感謝」と「ありがとう」を


伝えあえる時間を


つくり


与えてゆけたら


幸福な一生になるんじゃないかなって


感じているの









年々春になると


毎年見ているはずのお花を見ても


感じ方が違う自分を知るの


若い頃には


当たり前にその場所に


花が咲き


そしていつでも見られるという


人生の永遠を


漠然と感じていて


瞬間・瞬間


見つめるすべてのものに


感動する事がなかったの


でも時の流れが


自分が思っているよりも


とても早く


あっという間に


10代・20代・30代を超えてきて


ふっと


私はあと何回


この春を迎えられるのかなって


考えるようになったの


そうしたら


急に当たり前に見ていたものたちが


愛しく感じるようになったの


人生80年といわれるようになった


今の時代から


見つめてみると


40代で


人生の半分が過ぎ


歩んできた時間と


同じ時間しかないのかなって


感じていたの


人生って長いようで


短いって


何度も耳にしてきた言葉だけれど


何となく


その言葉を頭でだけではなく


心で


実感するようになっているの


良い意味で


人生には終わりがあることを


時々意識してみると


今まで見つめてきた


角度からだけではなく


違ったものがたくさん


見えてくるんじゃないかなって


感じているの


たとえば


思い悩むとき・大きな不安に


包まれているときなどは


何となく


人生が永遠に続くという


設定が


自分の中にあって


頭では人生の流れや終わりがある事も


知っているけれど


心で実感できていない時が


多いんじゃないかなって


感じているの


私が昔結婚という未来が


自分の人生プランの中にはなく


年齢を重ねたときのことや


私のお葬式の事などまで


心配していた頃


ある方に


「死んでからのことまで


心配しているの?(笑)


そういう人は長生きするよ


だって本当にこの世からいなくなる日が


くるなって思っていないでしょ?


だから今から


悩んでいるんだよ」って


伝えられたことがあったの


確かに


そういえばそうだなって


感じていたの


それから何か


私の心と魂に光が灯り


未来の準備のために


今を生きるのではなく


今できること


今したいことをしてゆこうと思い


その時々


正しかったかどうかは


わからないけれど


自分が信じ


心惹かれた方向を選択してきたの


時には


この選択は違っていたかも・・・って


思う瞬間もあったけれど


違うと思ったならば


それが間違いではなかったと


思うように


その場所で


良かったと思えることを


無理やりにでも


探したり・・・


そうしているうちに


自然に軌道修正されて


やっぱりこれで良かったんだって


思えるときが


自分を迎えてくれるの


人生はその方それぞれに


与えられた時間の中では


何度失敗しても


やり直しもできるし


どんな生き方へも


シフトチェンジができるのだと思うの


大きく変化を求めるばかりではなく


今この瞬間に


瞳に映るものや


ふれあっている人


今携わっている仕事などの中にある


喜びや幸せを


見つけるのも


人生に輝きを与えてくれる


素敵なスパイスとなると思うの


何となく


大きな夢や華やかな希望を持ち


その事を


実現する事だけが


自分を幸せへ導いてくれるものだと


思ってしまうかもしれないけれど


心の充実や幸せは


今からでも実現できるほど


たくさん


近くにあるんじゃないかなって


感じているの


その方それぞれ


必要があって


今その場所にいるのだから・・・











数年前から


ファッションとして


骸骨などのモチーフのものが


流行していて


セレブと表現される方たちや


若い方たちの中に


よく見かけることがあると思うの


昔は


ヴィジュアル的に


ストレートに瞳から受ける印象として


あまり好ましく


思わなかったのだけれど


なぜ?今骸骨のモチーフが


溢れるようになったのかなって


見つめるようになってから


少し印象が変わってきたの


昔ヨーロッパでは


宗教的な教えのひとつとして


使われていたモチーフで


容姿の美しさを自慢しても


地位や名誉があったとしても


必ずみんな平等で


そしていつかは


死が訪れるという事を


忘れず過ごすよう


伝えている形のだったようなの


骸骨のモチーフが


世の中に今溢れているのにも


きっと


無意識とはいえ


その教えが


私たちに何かを


伝えるために


瞳に映すことが


多くなってきているんじゃないかなって


感じているの


そしてその逆のモチーフとして


映る天使も


多くの方に愛され数年前ならば


クリスマスの季節以外は


見ることがなかったけれど


今は癒しのアイテムとして


いつでも


見かけるようになっていると思うの


骸骨と天使は


まったく違う印象のものだけれど


どちらも


私たちに


魂の成長に必要な


教えを伝えてくれているんじゃないかなって


感じていたの


古代文明に残された


大きな骸骨の水晶を


テレビで昔見たことがあったのだけれど


その形にするのにも


きっと意味があったんじゃないかなって


今になって


感じているの


仏教などでも


ひと文字・ひと文字


写経を書きながら


いつも意味を感じていると


よく「無」という意味のものが多く


一見


何をしても意味がないかのように


誤解をしてしまいやすいのだけれど


様々なものに執着をして


苦しみを自ら生み出している事を


伝え


そしてすべては


この世を去り無になる事を


文字の中に込められて


いるんじゃないかなって


感じているの


もちろんもっと深い意味があるとは


思うのだけれど


生きている


私たち人間を


少しでもらくに


そして生きやすくしてくれる知恵として


表現されているものだと思うの


私たちは


時々


ひとつの結果にこだわるがあまり


苦しみや争いなどに


出会ってしまうことがあるけれど


本当は


答えはいっぱいあるのだから


せき止められている道にこだわらず


他に通れそうな道を


通る柔軟な学び方も


必要なんじゃないかなって


感じているの


そして


得ることばかりではなく


手放すことの大切さや豊かさを


様々な形で


教えてくれているんじゃないかなって


感じているの










人にはそれぞれ


ハイヤーセルフの光と


守護天使が宿っていると思うの


でも感情や立場から


話していると


その意識と繋がりにくく


相手の方の中に


宿る


ハイヤーセルフの光や


守護天使との会話も


難しくなって


表面的な人格だけで


会話をしてしまう事があると思うの


表面的な人格は


もっとも人間らしい


くせや数年の歩みから


作られたものだと思うの


でも私たちが


ランダムに偶然という形で


人と出会い


言葉を交わすのは


きっともっと


違う意味があるんじゃないかなって


感じているの


好き嫌いだけではなく


自分のハイヤーセルフの光や


守護天使を


確認しながら


相手のハイヤーセルフの光や


守護天使から


メッセージを受け取ったり


パワーを頂くため


なんじゃないかなって


感じているの


人はすべて集合意識の中で暮らしていて


影響を与え・受けながら


同じ地球の中で過ごしているから


良い思いも


そうではない思いも


すぐに連鎖しやすいと思うの


だから


相手の瞳の動きや


言葉の流れで


自分の心も影響を受け


その方から受け取ったものと


同じ波動で過ごすのだと思うの


それが心地がよく


幸せを感じるものならば


きっと


強くハイヤーセルフの光や


守護天使と繋がって


お互いが


大切な素晴らしい


インスピレーションを交換し合う


素敵な時間となると思うの


多くの場合


悲しみに包まれ


悩みや不安を


表現し伝えてきても


同じ思いになってもらいたいとは


思ってはいなくって


出口となる


光の言葉を望んでいる方が


多いと思うの


それは


誰もが自分が思っている以上に


聖なる魂の力を


秘めているからだと思うの


本当に聖なる魂の力が


弱くなってくると


光の言葉を受け取っても


どうせ人事だから・・・と


光を吸収できないために


無意識に


同じカラーに相手にも


なってもらいたい意識が


強くなってしまうと思うの


その時には


自分が幸せになりたいという思いよりも


誰かのゴシップや悪口などを


語らなければ


自分の心を癒せないくらいに


なってしまったり


気がつくと


自分の人生よりも


誰かの人生の方に


興味をもって


いつも誰かのことばかりを


考えていたりすると思うの


もしそんな瞬間を


自分の中に見つけたときには


まず気づいた自分をほめてあげて


その後


ノートやメモに


自分がしてみたいこと


行ってみたい場所


食べてみたいもの


恋人がいない方は


理想のタイプの異性について書いてみたり


自分に意識を向けて


自分に興味を持つように


意識をシフトしてみるといいと思うの


書き出してみると


ただ書いているという行動に


イメージが加わり


楽しい気持ちが生まれてきたり


自分も知らなかった


自分の意欲的な魅力に


気が付いたりできると思うの


たとえそれが形とならなくっても


人へ意識を向ける時間よりも


よっぽど意義のある時間に


なっていると思うの


それぞれが


ハイヤーセルフの光や


守護天使と繋がって


過ごせていたならば


人間関係というものを超えて


魂に栄養を与え合える


言霊を手渡しあえると思うの


私自身パートナーと間で


様々な感情を体験し


感情的に


言葉を交換し合い


互いに本音のように見せかけた


偽りで


相手を傷つけあった事が


あったのだけれど


その時


私は自分の気持ちに正直に


向き合って


正論だけではなく


私の中にあるこだわりや


パートナーとの未来に


不安を感じ


確かなものを


彼から無理やり引き出そうと


していた事に気がついたの


そして


その不安を告げる事が


弱みになるのではないかと


無理に強気に


語っていた事があったの


でも病という


神様からの贈り物によって


良い意味で


強気な自分でいる事に


疲れてしまい


痛い時には痛いと涙を流すように


彼にも


私が思っていること


そして私が手術を受ける決心をしたこと


その事によって


これから展開してゆく流れ


そして私が望んでいる事を


素直に話したの


そして


彼には彼の人生があるから


責任だけで


結婚生活を続けなくっても


いいからねって


伝えたの


そうしたら自分が思ってもいなかった


彼の心の美しさに


感動する言葉たちが


いくつも・いくつも


私に手渡されたの


私は泣きながら


改めて


愛は


何でも超えてゆける勇気と


何でも成し遂げてゆく


力を授けてくれるのを


感じていたの


私は小さなこだわりを


手放したことによって


大きな愛を感じられる機会を


体験し


手放すことの中にある


豊かさの無限を


感じていたの


きっと彼の中に宿る


ハイヤーセルフの光や


守護天使と


会話ができたんじゃないかなって


感じているの


その体験から


これからふれあう方たちの


ハイヤーセルフの光や


守護天使と会話するためにも


自分がいつも


幸せオーラでいられるように


至福の時間の中に


自分を連れて行って


あげようって


思っているの








今の時代は


知識レベルが


速いスピードで上昇した事もあって


多くの方が


数年前では考えられないほど


様々な知識を


吸収していると思うの


ただ体験による


心の実感が


その知識のスピードに追いつけず


無意識に突然生まれる


漠然とした焦りや


小さなパニックに


たびたび


出会っている方も


多いんじゃないかなって


感じているの


今の時代は


地球上の多くの人が


人類レベルで


進化を託され


この時代に誕生してきた方も多く


その集合意識に


影響を受けて


大なり小なり


ライフスタイルの中に


瞳には映らない神仏や


占い・スピリチュアルなことを


取り込んでいると思うの


2020年までの間に


今までにはないくらいに


魂の成長を


遂げてゆく方も多くなるんじゃないかなって


感じているの


その頃には


知識だけのものではなく


実感として


知識を感じられる体験も重ね


知識と魂・心が


調和した


本当の意味での


神聖な教えを


受け取り・与え合える時代が


訪れるんじゃないかなって


感じているの


ただ今のスピリチュアルブームは終わり


ひとり・ひとりが


自分にとって必要なものを


深く理解できるようになるので


その時々


まるで主治医のように


信頼している方から


アドバイスやメッセージを頂き


心の傷を癒し


魂の充電を


誰に・どのタイミングで


行えばよいのかが


見えてくると思うの


今は進化のスピードに


背中を押され


知識だけが先に


多く与えられ


体験や実感がないまま


なんとなく


過ごされている方も


いるかもしれないけれど


その小さな違和感も


あと数年だと思うの


2008年から2年くらいの間は


今まで吸収してきた


知識を


自分のサイズにフィットするものだけに


整えるために


良い教えであっても


自分にはフィットしないものだと


手放す勇気と


判断力が養われる時なんじゃないかなって


感じているの


そのような覚醒の時期を


迎える方が多くなり


なんでも吸収する


今の時代とは少し変化し


スピリチュアルな知識や


能力が


特別な人だけのものではなく


誰でも


当たり前のように


ライフスタイルの中で


実現してゆける時代に向けて


歩んでゆくんじゃないかなって


感じているの










開運ツアーが今とても


人気があるようで


旅行会社が企画しても


すぐに定員いっぱいになる


お話を聞いて


改めて


運を大切に思われて


いる方が多いんだなって


感じていたの


私が感じている運って


普遍的に循環しているもので


不運がずっと続くこともないし


逆に


幸運をずっと


とどめておくこともできないもので


人間が


感覚的に感じる


エネルギーなんじゃないかなって


感じているの


そのエネルギーを


招きよせ


できるだけ長くとどまってもらう


様々な知恵が


昔から何となく


伝えられてきたのだと思うの


でも時々


友人との会話の中で


生まれ持った運の良い人って


いるという事が


語られるのだけれど


ちょっぴり落胆してしまうかもしれないけれど


そういう方はいると思うの


友人の知り合いに


そうかんじる方がいるようで


人格的にも少し問題はあるし


開運によいと言われることは


何一つ行っていなく


でもいつも運がいいなって


思うような展開になるようなの


必ず


誰でも


そのような方と


出会ったことがあると思うの


なぜそのような流れになるのかは


わからないけれど


私が思うには


生まれた時には


それぞれ


受け取れる出来事・


物質・出会いなどを


そっと納めておける


器を持っているのだと思うの


その器の大きさは


どのような基準で定まり


そうなっているのかは


神様にしかわからないと思うの


器が生まれ持って


他の方よりも


少し大きい方は存在していると思うの


ただ器の素材も


様々で


とてもデリケートな


ガラスのようなものであったり


逆に


何度ダメージを与えられても


傷ひとつ付かないものであったり


大きさも素材も


様々だと思うの


そしてその器は


生まれたときに


与えられたものよりも


大きくもできるし


素材も変えることも


できると思うの


それは


人生の歩みや経験によって


変化してくるものなんじゃないかなって


感じているの


たとえば


友人の知り合いの方のように


初めから運がよく


器が他の方よりも


少し大きかったとしても


溢れそうなくらい


受け取ってばかりならば


時間と共にこぼれ落ちて


最近運が良くないなっていう


時期が訪れるかもしれないし


こぼれ落ちなくっても


重みに耐えられなくなって


ひびなどが生まれてしまい


修復に時間を


費やさなければ


ならない時間が


訪れる場合もあると思うの


様々なものを納めておける


瞳には映らない


器は


時々変化していると思うの


それはほんの小さなタイミングで


良いものと交換される時も


あると思うの


それが人生のターニングポイントとして


語られることなんじゃないかなって


感じているの


運というものは


字のごとく


運ばれ・運ぶものだから


誰にでも


幸運になるチャンスと権利は


あるのだと思うの


たとえば今もっとも笑顔輝く


幸せな方と


言葉を交わしたりするだけでも


運を分けて頂けたり


今の


自分よりもワンランクアップした


雰囲気を感じられる


場所で時間を過ごしてみたり


様々な開運法が


あると思うの


私自身も


心身の浄化とパワー充電のために


毎週日帰りではあるけれど


温泉に入っているの


温泉は地中深い場所から


地球のエネルギーを


自分の中に吸収できる


私にとっての


パワースポットになっているの


開運法は


語られている以外にも


自分で感じながら


実験的に


行ってゆくのも


楽しみながら


運が向上し


満ち足りた時間を


重ねて行けると思うの











今日ちょっぴり難しい


専門的な風水の本を


パラパラって


見ていたとき


とても気になる事が


書かれた部分を


見つけたの


もう10年くらい前になるけれど


神戸の震災は


意味があって


その場所で起こったものだという事が


書かれていたの


神戸という地名は


文字の通り


神の戸で


神々が降臨するときに


出入りをする場所で


その後の調べによって


神社に向かって亀裂が向っていて


神社から


日本に下りてきたという


風水師の見解が


書かれていたの


確かに


神戸の震災の時には


不思議な事も


いっぱい感じていたの


ほんの一本の道路を隔てて


まったく何もなかったかのように


震災を感じない場所があったり


かと思うと


見たこともないほどの


街が形を変えていたり・・・


その本の中には


水脈によって


身体に大きな影響を与え


引越しをしてから


次々と大きな病になったりして


その驚くほど微妙な位置によっても


大きな違いがある事が


書かれていたの


ベットの右と左の違いによって


水脈のラインが


ずれていて


助かったり・・・


地球には人間のようにつぼが


いくつもあって


そのつぼのラインが


多くの場合


パワースポットと呼ばれる


場所になっていたり


巡礼地になっていたりするのだけれど


そのラインに沿って


家が建っていたりすると


エネルギーの通り道をふさいでしまうようで


そこの暮らす方にとって


大きな影響を与えてしまうので


本当に人間のように


大地のつぼに


杭を打って鎮めたり


するようなの


その事を知って


改めて地球自身が


人間と同じで


人間は地球をコンパクトにした


存在なんじゃないかなって


感じていたの


今年は神々が


日本に舞い降りるようなので


2007年が明けてから


ちょっぴり地震が多いのも


そのせいなのかなって


感じていたの


宇宙から何百という


隕石が地球に


いつも落ち


そのたびに大きなくぼみとなっているのも


もしかしたら


地球の治療のひとつとして


宇宙と連携して


働きかけているのかなって


感じているの


宇宙が人への警告や


ダメージを与えるためならば


ほとんどが大地ではなく


人の暮らす場所に


落ちるけれど


そうではない場所をめがけて


隕石が置かれているのは


きっと


大きな意味があるんじゃないかなって思うの


隕石自体


パワーが込められていると

伝えられているので


私たち人間が


つぼに針を打ったり


お灸を施し


身体を癒すのと


同じなんじゃないかなって


感じていたの


地球が心地よく過ごせる事は


きっと私たち人間にとっても


心地よく


のびのびとした


気持ちで暮らせるんじゃないかなって


感じていたの










数ヶ月前から


仲良くなった友人と


何気ない会話の中で


とても不思議な感覚を


体験したの


友人が語る


過去の悲しみや病のお話を


流れるように聞いていた時


彼女と自然に繋がり


彼女に伝えるメッセージが


私の中に用意されているように


スラスラと


自分の意思とは別に


伝えている


もうひとりの自分と


驚いている自分の


二つを感じていたの


なぜそうなったのか?


後になってゆっくりと考えてみたら


きっと私の中で


彼女の思いを共感できる


体験を過去に重ね


自分の過去が


今・この瞬間のために


あったのを感じていたの


過去の悲しみの中にいる時には


その悲しみが


意味を持たない


ただ自分を苦しめるために


神様が与えたものと思ってみたり


自分の行いが


悪いから


こうなっているのだと


自分を責める


材料にしてしまうことがあるけれど


本当は


深く自分の中にある


優しさを育み


その優しさによって


人と共感し


魂の言葉を


伝え合う機会を作る




鍵を受け取るためだったのかなって


感じていたの


今たとえ悲しみや苦しみの中に


いる方がいたとしても


その体験は


必ず未来に必要な場所へ続く


鍵を受け取るための体験だと


信頼してほしいの


少したとえが


違うかもしれないけれど


名選手は名監督にはなれないという


言葉があるように


何でもスムーズにできる方は


人との共感を繋ぐ


体験をされていない事もあって


知識や感覚には


優れていても


その知識や感覚が


相手に伝わりにくく


教える方も


教わる方も


向上しづらいという事なんじゃないかなって


感じていたの


私も友人との会話の中で


教えられる事が多く


自分の人生の体験を


改めて


意味のないものはひとつもなく


肯定できる


気持ちにさせてもらっているの


人は本当に閉ざされた気持ちになった時


頭の中や心は

混乱していても


魂のスペースにはゆとりがあって


その魂が働き


ランダムのように思っていても
ちゃんと


魂が選んだ相手に


相談しているものだと思うの


そして


納得できる言葉を受け取り


元気になったり


また前に進む力となって


今日まで


生きてこられたのだと思うの


私自身


友人が私に愚痴や


悩み・悲しいことを


相談して来たときには


私にこの思いを


伝えてくるということは


共に泣くことを


求めていないことを


知っているので


全部彼女の話に


耳を傾けて


その時々言葉を挟んだり


自分の知っている


精神世界の知恵を語らず


ただただ


話を聞き


彼女が落ち着いてきた時


彼女が無意識に


心を開き


語っていた真実にスポットを当てて


本当はそのことが問題ではなくって


その問題でベールのように


隠している真実の


不安を取り去るために


自分の体験や見てきたものなどを


話すの


そうすると


友人も納得しながら


最後には笑顔になって


「またがんばるわ


ありがとう」って伝えてくれて


私自身も


お役に立てた喜びと


魂の栄養となる


気づきをもらえるの


私は昔


本当は理解できていないのに


共感したふりをし


相手と同じ波動で


話すことが大切だと思い


悲しみに包まれている友人には


自分も同じように


悲しみに包まれるような


過去の悲しみを語り


そうしているうちに


これから起こる未来が


不安になるような会話にまで


発展してゆき


これでよいのだと


思い込んでいたの


それは私自身が


過去に


自分は何でもスムーズに


思ったように進み


楽しく過ごしていたとき


意味もなく


人に


「あなたはわからないのよ」と


いつも言われてきて


人との距離を感じてきた


体験から


そのようにしたらよいのかなって


手探りで


人との距離を


学んでいたの


でもその友人は


同じ波動で会話したのにも関わらず


「さーちゃんが不安だって言うと


私のほうが不安だよ


さーちゃんは


どんな時も


いい意味で例外の人だから


勇気もらっていたのに・・・」って


伝えられたの


その時


私が与えられ


求められている


ポジションは


今まで通り


ありのままの私でよかったんだって


教えてもらった気がしたの


過去に出会った方との


トラウマで


無理に同じものを演出しなくっても


私のところに


話をしに来てくれた時には


相手も


私が共に泣くことを求めてはいないし


魂が私を


選んで来てくれたのだから


正論や知識ではなく


私の感覚で


スムーズになった体験や


他にも方法がある事を


伝えたらいいんだって


感じられたの


人生にはその方それぞれの


ポジションがあって


時には求められるものが


違う方もいるかもしれないけれど


体験からしか


共感という鍵は


受け取れないと思うの


そしてその受け取った鍵が


多くある方は


深い優しさという


魔法のような


人との共感を作り出し


人生がより色鮮やかに


なってゆくんじゃないかなって


感じているの


私は社会経験が


あまりない事もあって


あたりまえに


多くの方が持っている鍵は


持っていないけれど


病という体験から


受け取った鍵がひとつ


増えたので


これから


必要になるの日がくるのかなって


感じているの


怖がりな私は


手術をする前から


想像だけで


泣きそうになっているのだけれど


きっとこの体験も


意味があって


私が体験する必要があると


信じて


今その日を整えているの













病ともうすぐお別れ


できそうなの


やっと解放される


喜びと


今まで存在を


アピールしていたものが


なくなる寂しさを


感じているの


苦しめられてきたはずなのに


別れられない


この感覚って


まるで


ドラマチックな恋愛ドラマのようだなって


感じていたの(笑)


でも病自体は


私の存在を超えて


私自身の行動や思考まで


コントロールし


本当にせつない時間だったのだけれど


この病のおかげで


多くの体験と


気づきを


与えてもらったの


病というものが


なければ


受け取れなかった


人の優しさや


自分の中の思いもあったの


そしてこの体験によって


心身がとても敏感になったのか


今までならば


何も気にしない言葉に


とても心まで痛かったり・・・


本当の意味で


未来にまで繋がっていたい


友人もわかってきたり・・・


私自身


自分の病だから


知識を持っただけなのに


毎月痛みが増し


お医者様には


「毎月出産の痛みを


体験するほどだと思うよ」と


教えていただくほど


せつなく


突然訪れる痛みに


何も知らないその頃


仲が良かった友人は


「めんどくさがりだよね」とか


「外に出なきゃだめだって」とか


良かれと思って


アドバイスをしてくれたり


たまたま婦人科の病で


子宮を全摘した方の話のとき


「子宮がないから


あの人は女性らしくないモンね」と


何気ない言葉に


胸が痛かったの


でも私も


きっとこの病がなければ


知識は知る必要がないのだから


勝手な思い込みだけで


話していたのかもしれないって


思うの


今でもたくさんの病が


この世には存在しているけれど


私もその病について


どのような症状があって


どのようにふれあっていったらよいかなどは


何も知らないから


仕方がないのかなって


思っていたの


そのような事が多くあったかと思うと


優しいうそを


語ってくれる方もいたり・・・


何となく長い間


年に数回しか会わない


友人が


私の病を知ってから


気分転換に様々な場所へ連れて行ってくれたり


病院へ一人で


行くのが心細い時には


一緒に行ってくれたり・・・


パートナーの両親や


私の両親は


逆に今まで


よく会っていたり


会話をしていたのだけれど


そっとしておく思いやりから


距離を作って


遠くから見守ってくれるように


なったり・・・


このHPで繋がってくれている方から


頂いたメールやお手紙・はがきの中に


そっと私の気遣う優しい言葉を


下さる方の言葉を


何度も読み


今でも


どれだけ


心強く励まされ


毎日を


過ごさせてもらっているかと思うと


本当に


言い尽くせないほど


ありがとうでいっぱいなの


頂いたメールやお手紙・はがきは


私のお守りだから


きっと入院するとき


持って行くものになると思うの


人の心の温かさが


こんなにも嬉しくパワーを


感じられるようになれたのも


この体験がなければ


感じられない


ぬくもりだったと思うの


今はがんばった自分を


癒しながら


お別れする子宮には


今まで共に歩んでくれたこと


そして色々なことを


教えてくれたことに感謝して


新たな未来を夢見て


過ごせたらいいなって


思っているの











生まれて初めて


夢うつつの中


未来の自分と


対話したの


目覚めてから


とても幸せな気持ちになって


パートナーにその事を


話たのだけれど


さすがに


パートナーも信じてはくれず


まるで私が作った


物語として


楽しげに耳を傾けて


聞いているという感じだったの


私は時々


何か思い煩う出来事があると


「この思いが始まったのは


いつからかな?」って


水晶を使い


自分の内側を旅する事があるの


そうすると


多くの場合


今起きている原因の反応は


幼い頃のトラウマや


形を変えた学びによって


身に付いた反応だと


気づかされることが


多いの


そうした事に気づいてゆくと


今起きている出来事の


答えを複雑にして


迷うことがなくなるので


よくそうしていたの


今回手術という決断も


その不安よりも


大きな希望と喜びの方が


勝って


後悔はないと


心から思っているのだけれど


私自身に


本当にこの選択でよいのか


何度も尋ねていたの


そうしていた時


急に眠たくなって


うとうとと意識が遠くなり


夢と現実の間の


心地の良い時間に包まれている時


7年後の私が


私の語りかけてきたの


私はあまりにも心地の良い


夢うつつの中だったので


驚く気持ちでもなく


すんなりと


テレビ電話のように


目の前に大きく映るスクリーンに映る


未来の自分と会話をしたの


その7年後の自分は


「私は今とても幸せよ」と


何度も私に伝えてくれて


7年後に住んでいる住まいや


ライフスタイルを紹介してくれたの


私の知らない友人やスペースもあって


楽しそうだったの


そして最後に


「あなたが今どんなに辛く悩んでいても


あなたの決断が


正しかったのよ


私と重なる日まで


今いっぱい悩むことを


楽しんで


もう私は悩みがなさ過ぎて


少し退屈なのよ(笑)」と


伝えてくれた時


私の意識が目覚めたの


起きてすぐに


あまりのリアルさと


興奮で


友人やパートナーに


すぐに話したの


私の中ではリアルな確信ができたけれど


聞く方は


あまりに現実から


離れたお話だったので


「素敵な話だね」とか


物語を聞いているように


楽しげに信じてはくれなかったの


もし私が逆でも


すんなりと


イメージできないから


それは当たり前かなって


感じていたの


昔月に誘われ


信じられないスピードで


宇宙へ飛び出し


背中越しに地球が見えて


その後


すごい勢いで


戻ってきたとき


感じた感覚と同じような


驚きと興奮だったの


その時にも


周りの反応反応は


今と同じような感じだったので


きっと


数年後には


同じ体験をされた方と出会い


この出来事に


改めて


確信を持てるときが


くるんじゃないかなって


感じているの


人の未来は2~3つ


用意されていて


どのような選択をするかという


今によって


その未来と繋がるといわれているので


今回


会話ができた


幸せそうな7年後の私と繋がるために


今を大切に


そして未来は


今作られているのだという事を


改めて感じていたの


今回の体験で


とても感じたのは


未来がわかると


傲慢になったり


がんばる気が起きないと


いっていた友人がいたけれど


私は逆で


幸せな未来がひとつの


未来として


用意されている事を知って


励まされ


そして今の体験が


どんなに辛いものであったとしても


未来に私が待っていてくれるのだから


それまでの間


もっとチャレンジしてゆこうという


気持ちに包まれていたの











人には


それぞれ通らなければならない


経路が


人生のプログラムの中に


存在しているんじゃないかなって


感じているの


様々な体験を経なければ


辿りつけない場所や出会いなど・・・


フィットするものに出会ったときや


喜びとであったとき


「こんなんだったら


初めからそうしておけばよかった」


「こうなるのをわかっていたならば


もっと早くにしておけばよかった」などと


思うことがあるけれど


ある意味で


そう思えるという事は


自分が選択したことを


良かったと感じ


後悔がないから


溢れる思いだと思うの


でもその思いは


ゆっくり振り返ると


過去に様々な経験を経たからこそ


後悔がなく


喜びの方が大きくなるんじゃないかなって


感じているの


人によっては


自分の心が納得するまでに要する時間が


必要で


その時間も様々だと思うの


恋愛や健康・仕事・人間関係etc


魂の学びとなる


場面があるけれど


恋愛でも


相手の気持ちを何となく


わかっていても


自分の心を納得させるために


フェイドアウトができず


はっきりと


答えを聞くまで


がんばるスタイルの方もいると思うの


周りからは


あれこれとアドバイスや忠告を受け


本人も


十分にわかっていても


無意識に


自分の経験を心に傷として


刻まなければ


次に進めない方もいると思うの


自分が中心から離れて


見つめたならば


何でも


どうしたらよいのか?


どのような流れの中にいるのかを


とってもわかっているものだと思うの


たとえば


人は眠たくなったら


眠りを求めて


そのように行動するように


わかっているのだと思うの


わかっていても


できないのが


ある意味で


人間に備わった


可能性を探す能力のひとつだと思うの


ひとつしか道がないわけではないことを


知っている


人間ならではの


小さな混乱だと思うの


でも様々な体験がなければ


その後に訪れることの


幸せはなかったと


思うような体験を


誰もがお持ちだと思うの


多くの悲しみを知っている方ほど


小さなぬくもりや愛を


喜びに感じることもあると思うの


私自身も


今までならば足を運ぶことのなかった


病院へ行くようになってから


様々なドラマを見せていただき


深く心や魂に


響いてくる


メッセージを頂くことがあるの


たとえば


婦人科の場合は


お子さんを望み苦しい治療などに


かんばっている方や


納得して次のステップに進まれる方などが多くいて


この間偶然に


待合室でお話しする機会があった方と


お話していたとき


その方は


お子さんを望み


婦人科の病を持っていたのだけれど


そんな時に


ガンが見つかり


手術をされた方で


その方は


晴れやかな顔で


「こんな事になるならば


もっと早くに手術をしておけば良かった」と


話されていたの


その時


彼女の顔には後悔ではなく


自分がやれるだけやった結果を受け入れ


執着していた思いから


解放されている


清清しさを感じたの


その方と話をした時


誰でも


自分の心を納得させるために


経なければならない


プロセスがあるんじゃないかなって


感じたの


もし彼女が自分の望む形を


見つめず


手術をしていたならば


もしかするとガンという病にまで


ならなかったかもしれないけれど


その後


心が喪失感や後悔に包まれ


癒される日が


ないまま


年を重ねていたんじゃないかなって


感じるの


病になってから


そのような体験を持つ方と


お話しする機会が与えられて


多くの方と話すのだけれど


プロセスは同じ流れでも


その後


大きな違いがあるの


私のように痛みがある病の場合は


遺体からの解放を


時の流れと共に


願う気持ちが大きくなることもあって


あまり後悔や喪失感はもたれない事も


多いけれど


痛みもなく


ただMRIなどで病を告げられ


手術をされる方の場合は


その後の心のケアの方に


多くの時間が必要になる事も


多いようなの


痛みがない事を


私はとてもうらやましく思った事もあったけれど


今は子宮が


自己主張してくれた痛みのおかげで


自分が納得するまで


自然に時を過ごせたと思っているの


人の心も


痛みがなく傷つくこともなく


スムーズに


その場・その場を


通ってゆけたならば


幸せだと


客観的に見つめたならば思う事は


あると思うけれど


それが本当に


幸せなのかは


次のステップに進まなければ


わからない事なんじゃないかなって


感じているの


今もし誰かに愛されている事を


実感できたり


逆に


自分が誰かを愛する思いの中


涙することがあったとしても


それはすべて


過去が育んでくれた


心だからこそ


感じられる想いだと思うの


どんなことでも


そうだけれど


周りを納得させる事よりも


自分自身が


その時々必要な事を


選択して


納得してゆく事が


大切だと思うの


そして


その選択の積み重ねが


未来に繋がっているのだと思うの


今自分がいる場所は


過去の自分が


たくさんの選択をして


たどり着いた場所だと思うの


だからこそ


自分の築いてきたすべてに


誇りを持って


ほしいの


あってる・間違っているという


価値観は


抽象的で


普遍的に


人が語る価値観で


自分の価値観とは


また別のものだと思うの


自分が納得する形を大切に


今を大切に生きることが


人として


この世に誕生した意味のある


学びなんじゃないかなって


感じているの










美容室などで


何気なく週刊誌を見ていた時


多くの記事が素直ではない


人の心を映したものが


多いなって


感じていたの


たとえば


ある有名な独身女性が


恋多き人という表現が


されていたのだけれど


誰にも問題はないはずなのに


そこにわざわざ


悪意を持って


表現されていたり


ある有名な結婚している


女優さんに対しては


家事をしない事や


ショッピングで高額のものを


購入している事実が


書かれているけれど


その事で


誰かに迷惑をかけたわけではないのに


悪意を持って


見つめた表現が


たくさん書いてあったの


有名な方に限らず


人はうらやましい思いを


素直に表現せず


あれこれと


理由をつけて


表現したり・されたりすることが


あるんじゃないかなって


感じていたの


自分がいない場所で


自分の好意的ではない


言葉が


耳に入ってきたり


感じたりすると


とても傷つき


辛くなってしまう事があるけれど


ゆっくりと


見つめてみると


多くの場合


何かうらやましい部分を持っていたり


好意的ではない言葉を表現する方よりも


優れたものがあって


その能力を


無意識に認め感じたから


自分を建て直し


慰めようと


そのような形で


表現している場合が


多いんじゃないかなって


感じているの


そのような表現をされている方は


表現すればするほど


相手の方へと


気やエネルギーが注がれ


エネルギーが不足すると思うの


人の気というものが


集まる事を


「人気」というように


そこに存在していないのに


気になり


好意的な思いもそうではない思いも


注がれる方に


人の気が集まるから


様々なことをささやかれる方は


それだけ


人の印象に残り


エネルギーを集めることが


できる方なんじゃないかなって


感じているの


人間は本当に何も心に


感じるものが


ない方に対しては


会話の中に


登場する事もなかったりするほど


感想もないと思うの


私の少ない経験の中でも


優れた方ほど


好意的ではない


表現がされていたり


逆に


言われてもおかしくないような


過ごし方の方には


エネルギーを注ぐことさえ


人はしないのを


見つめてきて


そう感じているの


私の友人で


若い頃実家が裕福で


仕送りなどが多く


それでも彼女は仕事をし


豊かに


過ごしていたのだけれど


そのたび


他の友人たちが


「何で働いているのに


仕送りもらっているの?」


「親が亡くなったら


そんなに豊かに暮らせないんだから


今から自分のお金だけで


生活するようにしたら」など


アドバイスというよりも


今幸せに暮らしている友人を


うらやましく思い思いの


表現を変えて


あれこれと友人に


伝えていたの


その会話の後


友人はまだ訪れない未来に


急に不安が生まれ


私に相談してきた事があったの


私は素直に


私ならばうらやましい事


そして友人は仕事を持っているので


特に今から


不安を感じる必要がないこと


与える喜びが両親にはあるようだったので


ありがたく


与えられた恵みに感謝して


過ごしていたらいいんじゃないかなって


伝えたの


その友人は


何かあるごとに


人から様々なことを


ささやかれることが多く


その時


私は無意識に


友人は多くの方の


気を集める


人気があるんじゃないかなって


感じていたの


非の打ち所がない人の事でも


悪意に見つめ


表現することが


上手な方は存在しているので


その言葉を


ストレートには受け取らず


「あなたがうらやましい」という


言葉を変えて


表現していると


感じる事が


大切だと思うの


そう思えるようになると


自分の知らないところで


自分にエネルギーが注がれていて


そして


自分がどれほど


人の印象に残る


存在なのかを


感じられると思うの


そして


それほど人のささやきに


せつなくなる事も


なくなってくるんじゃないかなって


感じているの











年齢を重ねなければ


感じられない感動が


たくさんある事を


最近とても


感じているの


若い頃は


ただ見つめる感動よりも


自分が体験できる形で


受け取る感動に


心惹かれていた事もあって


自然の美しさや


人のぬくもりという


心の瞳でしか


見つめられないものに


出会えるのも


今の自分だからなんじゃないかなって


嬉しくなっているの


一般的には


年齢が増すことで


手放してゆくものが


多いと思い


印象としては


老いてゆくという


ネガティブなイメージが


あるかも知れないけれど


本当の老いって


心の問題なんじゃないかなって


感じているの


老いは心の年齢で


若くっても


心が老いている方もいると思うの


老いって


自分の人生に興味をもてなくなった頃から


始まるものなんじゃないかなって


感じているの


だから


実際の年齢は


いっぱい重ねていても


本当に輝く笑顔で


朝を迎えることを


楽しみに


瞳をキラキラとさせ


過ごされている方は


老いてはゆかないのだと思うの


年齢相応に若い頃よりは


年輪を感じられる容姿になっても


内から湧きあがる


輝きが


実際の年齢よりも


若々しい


光を放っていると思うの


そして


様々な経験によって


今まで気づかなかった


近くにある感動を


見つける能力が育まれ


年齢を重ねるほど


人生の喜びが


増えてゆき


濃密な人生の過ごし方が


できるようになるんじゃないかなって


感じているの


私もそんな年の重ね方が


できる生き方が


できたらいいなって

今から


年を重ねることを


楽しみに


思っているの

















夫婦や両親・子供など


縁が簡単に


消滅しない関係でなければ


学べない経験って


あるんじゃないかなって


とても感じているの


たとえば夫婦ならば


解消しようと思えば解消できるので


問題を終わらせても


その関係の中で


受け取る必要があった


学びが


受け取れなかった場合は


子供や両親との関係の中で


気づきという形で


魂の成長をさせてくれたり・・・


誰でも経験はあるとは思うけれど


友人や知り合いならば


スムーズに解決できる問題も


家族間では


複雑に


大きな愛と知恵がなければ


解決できない問題が多く


天涯孤独のほうが


どんなに楽だろうと


思うほど


次々と情や恩という


強い感情の体験の中で


無意識に


大きく心と魂を


成長させてくれた体験を


お持ちだと思うの


中には


どうしても愛せない特徴を持った


両親の元で


暮らし


自分の嫌な部分を


クローズアップされる体験の中で


自分の嫌な部分や


逆に反面教師的な学び方を


されてきた方もいると思うの


人はその方に合った


もっとも深く理解できる形で


学んでいるのだと思うの


そしてクリアできるまで


何度も


形を変えて


学ばせてくれる場所や人へと


運んでくれるんじゃないかなって


感じているの


私自身


幼い頃から


両親が自分の事を


何でも自分でできるように


そして独立心を育むために


幼い頃から


あらゆる場所へ


一人でゆく訓練をされていたの


でも私は幼い頃から


両親は子供へ愛情を


注ぐ時間よりも


自分たちの時間が大切だから


理由をつけて


そのようにしていたのだと思っていたの


私は幼い頃から


どんな小さな事でも


人にお願いする事が苦手になって


その事が


時には人の好意を


ありがたく受け取る事までも


苦手になって


自分で生き難くしていた事があったの


でも私の思いが


間違っていた事に


気づく時が


数年前に訪れたの


それは私が幼い頃


一人でどこでも行くように訓練されていた頃


持ち物を包むために


いつもとても印象に残る


風呂敷に包み


持ち歩いていたのだけれど


大人になってからも


その風呂敷を母が


大切そうに


いつもバックの中などに


持ち歩いていたので


「その風呂敷


私が小さい頃いつも持っていたものでしょ?


まだあったんだね」と


母に伝えると母は


「これは私の母親が毎日


身につけていたもので私の一番大切なお守りなの」と


表現したの


その時私は


言葉を忘れるほど


今まで私が抱いてきた


思いよりも


母の思いの方が深い愛情だった事を感じたの


きっと母は幼い私を


ひとりでどこかへ向わせながらも不安で


私にとっては祖母だけれど


祖母に守ってもらう願いを込めて


私にいつも持たせていたのかなって思ったら


心があたたかくなって


愛されている確信に涙が溢れてきたの


そのような経験も


長く消滅できない縁だからこそ


感じられたぬくもりだと思うの


家族って


知り合いや友人では


体験できない


様々な学びがあると思うの


時には憎しみあうような感情を体験したり


理不尽な事も


たくさんあったりするけれど


それでも


愛情を持つという


大切なプロセスを経て


やがては


その体験が


家族の間だけではなく


ふれあうすべての人にも


応用できるよう


育むスペースになっていたり


するんじゃないかなって感じているの