2007年1月



新年明けましておめでとう


今年も未熟な私ではありますが


繋がりあって頂けたら幸せです


またこの言葉を表現し


受け止めてくださる方がいる


時間を続けてゆける


幸せを感じています


今年の年末年始は


不義理な形には


なってしまうかなって思ったのだけれど


パートナーと二人で


ゆっくりと過ごすことにしたの


そして大好きな温泉に


毎日足を運び


心と身体をいたわりながら


改めて魂だけの向上だけではなく


心身の健康も


魂・心の大きな役割を


持っていることを感じていたの


そんな中で


2007年は本来の自分自身と


出会う心の旅をしながら


先延ばしにしていた


様々なものを整理したいなって


思っているの


ここ数年瞳に映るものは


整理整頓して


本当に今の自分自身が必要なもの


今の自分にもっともフィットするものに


気づかされた年を過ごしてきたので


今年は自分自身に


多くの意識を向けながら


本当に自分が望むものなどを


ゆっくりと形にして行けたらいいなって


思っているの


病もきっと今年には


卒業を迎えられるんじゃないかなって


思っているの


2006年は自分の怖れを


心の中から


見つけられる大切なときを過ごし


その怖れが


すべての歩みを止めてしまっている事を


改めて知ったり・・・


たとえば


挨拶代わりに


「結婚しているの?」と尋ねられ


「してるよ」と応えると


次には


「お子さんは?」と聞かれ


「いないよ」と答えると


「今はいいけど


将来寂しいよ」と言葉が返ってくるたび


私の心の中で


関係ないでしょってつぶやきながらも


その言葉に共鳴してしまう


私の中の怖れが


どこかで


そうかも・・・など思う思いがあって


その思いを認めたくない気持ちから


怒りという形で


その方が表現した言葉に


いつまでもこだわってみたり・・・


「許し」という大切な事も


同じように


怖れから


「許し」がスムーズに行えない


自分に気づかされたり・・・


ある時


以前仲のよかったお友達と


意見が合わず


互いに傷つけあったまま


疎遠になっていた友人から


何もなかったように


連絡を頂き


また仲良くなったお話しを


他の友人に話していたとき


「あれだけの事言われたのに


また仲良くなったんだ~


結構さーちゃんって意志が弱いというか


単純なんだね」って


伝えられた事があって


その時


はっとする小さな許しへの悟りが


開かれた気がしたの


「許し」という事は


時間が解決してくれたり


体調や心のコンディションによって


本当は


そんなに心にはもう


怒りや悲しみがなかったとしても


怖れのアクションとして


許さないという中で


過ごしていた事もあったと思うの


たとえば


「許してしまうと


簡単な人間だと思われるかも」


「許してしまうと


相手の意見が正しいと


認めたことになってしまうのでは・・・」


「許してしまうと


また同じ事をされるのではないか」など


怖れから


届けられる声によって


許しという形で


問題から解放される


道を選択できないこともあったと思うの


でも許しという事は


周りの方にジャッジされる事でもなければ


ある問題を手放さない事が


自分の正しい証明には


ならないんじゃないかなって感じたの


それ以来


許さない苦しさよりも


許した自分自身の中にある


神と繋がる魂を感じる


幸せを選ぶようになったの


許せない気持ちを


生み出す多くのことは


言葉という形が多いと思うのだけれど


相手の方も


自分自身も


心身のコンディションが


良好な時には


表現する方も


受け取る方も


しこりとなるような言葉として


心に残さないよう


表現されたり


流したりが


上手にできるのだと思うの


でもどちらかが


コンディションが整っていない時には


不調和になる事もあると思うの


ただ起きた出来事は


変わらないけれど


その後


その出来事をどのように


手放すかという事が


大切なんじゃないかなって思うの


どうしても心通わないようならば


こだわり続けて


自分を自ら傷つけてしまう事から


解放するために


見つめる角度・学ぶテキストが


今は違うのねって


自分なりに上手に流してしまう


言葉を用意されるのもひとつだと思うの


そして


自分が過去に表現した思い込みや


断言した物言いを


自分自身が修正する


勇気を持ったならば


本当の平安が


心に築かれてゆくんじゃないかなって


感じているの











初夢から


数日間同じような


夢を毎日見ているの


それは「ウリエル」となのる人物で


私に色々な事を


伝えてくれているのだけれど


伝えてくれていることが


膨大で


夢日記を書いている


私でも


すべてを書ききれず


途切れ途切れなのメッセージを


自分なりに


繋ぎ合わせながら


何を伝えたいのかなって


謎解きのような時間を過ごしているの


「ウリエル」という人物は


ブルーと紫色の光というか


服というか


印象が紫で数日の夢の中で


とても印象だった言葉は


「今年は日本に神々が滞在する」


「みんなに実りがもたらされる」


「神々が訪問できるよう


魂・心を浄化しておきなさい」という事だったの


それ以外は少し怖い場面


恐怖の印象が強い夢だったので


目覚めた時


とてもリアルな感覚が残っていて


早々に


心の浄化をしようと決めたら


急に「写経」を書きたくなって


お香を炊きながら写経をしていたの


その日の夢には


もう「ウリエル」という人物は


登場せず


これでよかったのかなって


戸惑いながらも


数日の夢を思い起こしていたの


「ウリエル」は天使と同じ名前だけれど


羽根はなかったような気がするの


ただ光が強すぎて


あまりはっきり見えず


その光なのか服なのかは


わからないけれど


とても高貴な位の高い


オーラの方だとは感じていたの


もし伝えてくださったメッセージが何か


予言的なものだったならば


きっと神々が


日本という国に訪問され


多くの方の幸福を


手渡してくださるのかなってわくわくしているの


ただ神々が訪問できるように


魂・心を浄化しておかなければ


幸福を手渡したくっても


その空間に入ることができないようなので


心の整理整頓が


今年は大切なのかなって


感じているの


恐怖の印象が残る場面や


出来事は


どの時代なのかどの国なのかは


またまたわからないままだったけれど


きっと時間と共に


その意味も理解できる時が


訪れるのかなって


あまり期待したくない出来事に


ちょっぴり


不安を感じているの














今日突然


リフレッシュをしたい気持ちが


高まって


髪をベリーショートにしたいなって思って


おうちの近くを歩いていたの


その時


数件のおしゃれな美容室を


見つけたのだけれど


その中で


唯一レトロな寂しげな


小さなお店に足が向かったの


少し失礼な表現かもしれないのだけれど


大丈夫かなって不安が


気持ちはよぎりながらも


足はそのお店のに向かい


気が付くとドアを開けていたの


ドアを開けた後も


お店には誰もいなくって


奥のお部屋から寂しげな年齢を重ねた


女性が出てきて


やっぱりって


予想通りの印象だったの


初めは


どの美容室の方にも


伝えていただけるように


「きれいな髪ね


めずらしいはね」とほめていただき


またいつものように


美容師さんが


伝えてくれているように


「もったいないね~


もう少し髪を伸ばして


売ったらいいのに」など


会話を交わしながら


しばらく


私の髪をなでながら


「健康な人は


こんなに髪がきれいなんだよね


うらやましい」と言いながら悲しげな瞳になったの


その時


きっと私はこの方と


何か縁が結ばれるために


ここに来たのかなってふっと感じたの


そう思った瞬間


その方が戸惑いながらも


つい何年か前に


愛するパートナーを亡くされ


その悲しみに


自分自身も驚くほど


衝撃が合ったようで


心の病と共に


心身もダメージを受け


やっと最近立ち直ってきていることを


話してくださったの


そのお話を聞きながら


こんなにも愛し合っている


愛の強さに


自分の未来の姿が


重なるようで


涙が溢れそうになり


私は


「年齢重ねて再婚された方たちのような


仲のよさですよね」と伝えると


その通りだったようで


その方の人生の歩みを


すべて語られていたの


その時ふっと私も


子宮に病がって


痛みから解放されたくって


手術を考えている事を


伝えたとき


とても驚かれて


知り合いのお医者様を


ご紹介してくださることになったの


そしてその方が


初めの結婚では


病のために子供を生めない事を知った

相手の方から


離婚をされた経験から


「だんなさんがそれでも


あなたを愛してくれるなんて


本当にあなたは


よい相手に巡り会ったんだから


幸せよ


それに命には問題のない病気なんだから


ゆっくり考える時間があるんだから


納得できるまで


先生と話して


決めたらいいよ」って言葉を送ってくれたの


何時間もその方と話しをしながら


様々なアドバイスや


励まし・気づきを与えていただいたの


私はきっと今日


この方との出会いのために


導かれたのかなってとても感じていたの


偶然のような必然に導かれて


偶然にも


お医者様の知り合いが多い方で


私の少ない知識だけではなく


もっと選択肢を


知ることができるかもって


今から楽しみなの


改めて


自分が答えを求めているとき


突然のように


様々な流れの中で


人との出会いを与えられ

そこで更なる


人生のドラマに発展し


きっと未来の自分が


今の自分を見つめられる時が来たとき


人生のターニングポイントと


なっているような


出会いもあるんじゃないかなって感じていたの


数日前に立てた目標が


今年は今まで


問題を先送りしていたものを


ひとつずつ答えを出して


心の中を


整理整頓してゆこうと思っていたので


とても速いスピードで


答えが出せそうなので


本当に今から


わくわくしているの


その方が伝えてくださったように


パートナーとご縁があって


私の支えとなってくれる


ボディーガードのような人を


神様が授けてくれたことに


心から感謝をしているの


ある方が昔どこかの


ご夫婦を見つめて


「子供がいない人は哀れだよ」とか


「かわいそう」と


表現していた事があったけれど


その方は


大切な未来へ遺伝子を残し


その使命を果たせた喜びが


何よりも大きく


その思いから見つめたとき


そのような表現が


ストレートに出てきたのかもしれないけれど


子供に限らず


結婚でも同じように


していないからといって


本人がそのように思うことがない場合も多く


幸せを日々感じ


与えられた人生の中で


満足し


感謝している方もいると思うの


私自身も


これから家族を増やすことは


できそうにないけれど


今この瞬間は


とても感謝できる事に


囲まれていて


これでよいのだと


納得しているの


人はないものを求め


自分が手にしていないものが


とても輝いていてるときがあるけれど


それぞれが


誰かと交換したくない


幸せを与えられているんじゃないかなって感じているの


以前にも


書かせていただいた事だけれど


私は弟が


あまりにも優秀で幼い頃から


比べられてきたの


でもありがたいことに


両親は上手に生きられない私に


多くの愛情と瞳を


向けてくれていたので


まだ大丈夫だったのだけれど


ふれあう大人たちには


「弟さんはいいんだけど


お姉ちゃんはね・・・」と


必ず表現され


今でも両親がよく笑いながら


話すことなのだけれど


学校に出向き


弟の担任の先生と話すときには


とても優越感を感じ


その後すぐに


私の担任の先生と話すと


おこられてばかりで


がっくりしていたようなの


でも両親は


「鼻高々になったと思ったら


すぐに恥ずかしい思いをして


だからよかったんだ両方味わって」って


言ってくれるの


大人になった今でも


弟は誰もが知るような会社に勤め


結婚した相手の方も


資産のあるおうちの方で


その後ふたりのかわいい子供に恵まれ


人がうらやむような

ライフスタイルを送っているけれど


人生を変わりたいかと聞かれたならば


それはまた違っていて


今の私の人生でいいかなって思うの


理由は上手に表現できないけれど


結局は


自分が大好きなのかなって思うの


何度も涙を流しながらも


前に一歩一歩


進もうとしている


いつもよちよち歩きの


自分を応援していきたいと


思っているのかもしれない


神様は人間それぞれに


必ず恵みを


与えていると思うの


人によっては


何の自慢できるものがないと


思っていても


健康な身体を授かっていたり


ある方は気が付くと


いつも誰かに助けられる


恵みを与えられていたり


ある方は結婚相手には


恵まれなくっても


仕事という大きな支えを授かっていたり


その与えられた恵みに


ひとつずつ気が付いてゆくと


本当に多くの恵みを


一人一人が


授かっていることを感じ


人生が幸せに満たされて


ゆくんじゃないかなって


感じているの


人が一番辛く悲しくなるのは


選択しなかった人生を


今よりも幸せだったんじゃないかって


思うときだと思うの


人間には人生の歩みの中で


いくつものターニングポイントがあって


その時道がふたつに分かれていて


選択をしなければいけない時が


あるけれど


自分が選択した道は


自分にとって正しい道なのだと思うの


神様はおおまかに


運命という歩みを知っていて


見つめているから


本当に正しい道を選択していないのならば


人生の軌道修正をしようと


同じ問題で


何度も選択をまた


求めてくるものなんじゃないかなって思うの


結婚された方の中には


結婚せずに仕事を続けていたならば


今頃・・・と思ったり


結婚を選択されなかった方は


今頃結婚していたならば・・・と思う事って


あると思うのだけれど


幸せを測るものさしを


人から借りて測るのではなく


それぞれが与えられた


ものさしで測り


人生を設計してゆくものなんじゃ


ないかなって


思っているの


もしかしたら


私のものさしは


人よりも短いので


測れない部分も多く


瞬間・瞬間の判断しか


できないのかもしれないけれど


自分を信じる事から


すべては始まってゆくような


気がしているの














毎年お正月に頂く


年賀状を


この時期はピンナップボードに


貼っている事もあって


パソコン周辺のスペースは


カラフルでにぎやかな空間となっているの


お子さんの成長を映されたもの


ご家族での楽しかった


旅行の写真をハガキにされたもの


ペットの写真をハガキに


されたのもetc


その方の大切に思う


時間を収めた


瞬間が届けられるの


何より


みなさんの心の中に


私を住まわせて頂いていることに


生きる糧を


授けてもらっているような


喜びを感じているの


私はこのようなおはがきや手紙を


頂くことがとても大好きで


友人が海外旅行などに行く時にも


おみやげはいらないから


ハガキを送ってと言うほど


何度も読み返すことができる


言霊に


とても心が癒されるの


メールがまだない頃は


言葉で伝えられないことや


距離を乗り越えて


言葉が届けられ


多くの人々の人生に


光をもたらしてきたんだろうなって


とても感じるの


文字のくせがとても


あたたかく感じたり


ぬくもりをとても感じるの


超能力者の方などは


よくその方が触れたものから


色々な情報を読み取るように


人には不確かではあるけれど


何か感じるものが


あるんじゃないかなって


感じているの













人は誰もが


何かを恐れ


その恐れをクリアにしたいと


望みながら


その後


二つのパターンに


分かれてゆくんじゃないかなって感じているの


ひとつは自分が抱いている恐れを


幻想なのだと頭では理解しているので


その幻想をクリアにするために


自分が恐れていることを


「それはただの恐れだよ」って


示してくれているような


生き方をしている方を


見つめ


恐れをクリアにしてゆかれる方


そしてもうひとつは


自分が抱いている恐れを


何度か経験してゆくうちに


恐れは予言なんじゃないかなって思い


その恐れを人にも


アドバイスという形で


手渡し


心を軽減されている方が


いるんじゃないかなって思うの


人は恐れを強く抱いている時には


よい事もそうではないことも


心がオープンに開かれているから


スムーズに入ってくるので


強く断言に近い言葉が


とても印象に残りやすいから


ますます恐れの色が濃くなってしまう事が


あると思うの


人それぞれに恐れているものは


違うけれど


すべては自分の知識の中だけで


広げている世界であって


もっと視野を広げて見つめると


自分の思い込みから


作り上げた恐れだったことに


気づかされることが多いと思うの


私の場合も数年前


病になった時


それから心身がとても恐れでいっぱいに


なっていた事があったの


見た感じでは


そのような印象がなかった事もあって


結婚して2年目くらいだったのもあって


ふれあう人たちが


私の将来について心配をしているような


会話になることが多かったの


たとえば


「将来年をとって歩けなくなった時


子供がいないと困るよ」


「将来年寄りふたりで


さびしくなるよ」etc


様々な展開を私以上に


提示してくれていたの(笑)


でもそれはすべて


彼らが恐れていたことを


言葉にしただけだったのだと思うの


そして


私自身が病で心身が


恐れでいっぱいだったから


無意識に相手を誘発して


そのような言葉の展開に


なっていたように感じているの


でもなぜ私がその恐れを


手放せたかというと


誰かに教えてもらった言葉なのだけれど


「みんながカラスは


黒しかいないというならば


たった一羽でいいから白いカラスを


見つけたらいいんだよ


そうしたら思い込みは一瞬に消える」という


言葉だったの


それから


意識の方向が変わったせいなのか


偶然に手にした記事に


60代から水泳を始めた


女性の記事で


今は90代でシニアの大会に出ている


輝く女性がいる事を知ったり


70代でホノルルマラソンを


何年も完走している女性がいる事を


知ったり・・・


その時


自分が知らなかっただけで


シニアといわれる世代の中にも


新たな風が吹いているんだなって


嬉しくなったの


その年代の方たちは


国の教えを正しく真面目に


行うことが


人の生きる道だと


今でも信じ暮らされている方も


多いのかもしれないけれど


人生は「生きがい」を持っているか


持っていないかで


大きく違っているんじゃないかなって感じているの


人は正しい人になろうとすると


楽しいこと・嬉しいことの多くを


体験できないまま


年を重ねてしまう事があると思うの


先ほど書かせていただいた


女性たちは


運動を始める前には


家族みんなに反対されたようなの


それは「年を考えなさい」というものだったの


そのような考え方は


日本にはとても多く


20代までは多くのことが


許されるけれど


それ以上の年齢になると


とたんに


スタートする事よりも


落ち着くことを


周りが求めてくると思うの


でも人生はこの世を去る日まで


どれだけ感動を重ね


心身が現役で


いるかという事なんじゃないかなって


感じているの


そして将来に備えて


貯金などをするのと同じように


様々な体験を重ねることも


ある意味で


貯金のようにたまっていって


将来元気に笑顔という


重ねたものを手にできるんじゃないかなって思うの


独身の友人なども


時々将来への不安を


語ることがあるのだけれど


今の時代は


よい施設もできてきているし


昔とは違ってきているのだからって


私はいつも伝えているの


私の暮らす街では今特に


そのような部分にスポットが


当たっているようで


同じ年代の方たちが暮らす


マンションが多く


建設されていて


その中には様々なサービスもあって


オプションでは


いくらかプラスすると


すべての食事が料理人の方が


提供してくれるところもあったり・・・


独身の友人は経済的にはゆとりがあるので


少しでも視野を広げ


恐れや不安が和らぎ


今という時を


こわしてしまわぬように伝えているの


確実なものは私たち生きている間


ほとんどないくらい


どのようにも創造できる


自由を神様は


与えてくださったのだと思うの


たとえば今毎日のように


事件が伝えられる中


お子さんと暮らされる方は


加害者・被害者にならないか


未来に不安をもたれる方が


いると思うのだけれど


実際はニュースになるような方向へ


進む人は


どの時代でも


そんなに多くはなく


だからこそニュースに


なるのだと思うの


ただ多く感じるのは


その出来事にスポットライトがあたるほど


平和に暮らす方が


多くなったからだと思うの


戦前・戦中・戦後は


今以上に低年齢の人が多くの


事件を起こし


それが日常的だったことと


電波を使って放送する事が


他にもっとあったから


国民があまり知らなかっただけなのだと思うの


格差社会という言葉が


最近ピックアップされているけれど


このような事は


人がこの世に生み出されたときから


存在していて


今よりも昔の方が


そのカラーが強かったと思うの


今の時代は経済的に豊かなろうと思えば


誰でもなれるけれど


昔はどんなにがんばっても


越えられない壁として


家系などの格差が存在していた事を


考えると


今の時代の方が


平等にもっとも近くなった


時代なんじゃないかなって感じているの


どんな問題も


ひとつずつゆっくりと


見つめたならば


一人一人が自分の知っている範囲での


恐れから生み出される


智恵を語っているだけで


それは予言でもなければ


事実でもないのだと思うの


語っている方にとっては


事実かもしれないけれど


その事実を自分が体験するかどうかは


また別だと思うの


恐れから生み出される


智恵を語る方の言葉は


そのような世界もあるのだと


ひとつの世界として受け取り


その受け取った智恵に


深刻な人生の答えとして


ストックはしておかない方が


いいんじゃないかなって思うの


私たちが当たり前に


今でも使っている言葉の中には


不思議に思うこともなく


続けている言葉があるように


いつまでもその時代の人の生き方が


幸せのバイブルのように


語られていることもあると思うの


少し話は違うけれど


時々


靴を収納するものを


今でも下駄箱といい


ハンガーなどもえもんかけなど


多くの日本人が着物や下駄を


日常的に使わなくなった今でも


当たり前に表現するように


なんとなく言葉として


続いているものも


あると思うの


その時代・時代にはなかった


幸せの可能性が


今はとても開かれている時代だと思うの


昔は女性は結婚をし


子供を生み育て


それ以上を望む事は欲として


あまり好意的には


受け止められなかったけれど


今の時代は逆に


主婦になっても母親になっても


生まれた時からつきあっている


自分自身でいられる時間を


持つことの


大切さを多くの方が


理解してくれる時代だと思うの


私はどんな時代よりも


今という時代が


もっとも優しい時代なんじゃないかなって


感じているの


時代は多くの方が望み


一定の人数に達したとき


集合意識によって


時代が動いて行くものだと思うの


だからこの地球上に暮らす


一人一人が時代を


作っているんじゃないかなって


感じているの


今が優しい時代だからこそ


私のようなちょっぴり変わった人間を


多くの方が受け入れてくださっているのだと


私は時代に感謝しているの


私は幼い頃から


心惹かれる事や考える思考が


いつも人と違っていたようで


人となじむために


自分にとっては興味のない


人生の知識を学ぶ時間を


多く過ごしてきたの


でもインターネットという縁が結ばれて


私は変じゃなかったんだって


涙が出るほどの


幸せを多くの方から頂くことができたの


その時


自分の世界がただ自分のサイズに


あっていなかっただけだったんだって


みんなのおかげで


自分を肯定することができたの


人はいくつからでも


世界を開くこともできるし


思い込みや恐れも


今の狭い知識だけで


生み出したものだったことを


知ったの














人には


様々な心わずらう出来事が


人生の中には


用意されているけれど


その困難の受け止め方にも


数通りのパターンが


あるんじゃないかなって


感じているの


困難に出会ったとき


解決策をすぐに考える方


困難は因果応報によって


自分にもたらされていると


嵐が去るまで耐えられる方


困難を運・不運として受け止め


攻撃的に


外へとぶつけられる方・・・


問題をどのようにとらえたら良いのかの


答えはその方にしか


見つけられないことで


正解・不正解もないのだと思うの


たとえば逃げてはいけないと


耐えたからといって


すべてが解決へ向かうわけでもなく


逆に逃げているように映る生き方をしている方でも


長い人生の中で


開いているドアを見つけられる方もいると思うの


人生は縁とタイミングが


すべての大きな鍵を


持っているように感じているの


ほんの少しのタイミングによって


よい結果に結びついたり


そうではない結果に結びついたり・・・


そして時々


まるでメッセンジャーのように


言葉を授けてくれる人が


ふっとあらわれたり


心支えてくれる人々があわられたり・・・


すべては平等に神様は


私たちに授けてくれているのだと思うの


ただそのメッセージを


授けてくれる人の言葉の中に


光を見つけ


神様や天使が


その方の声・姿を一瞬借りて


自分に伝えてくれていることを


感じられるかという事も


解決には大切なんじゃないかなって


感じているの


神様や天使からの


メッセージを受け取るためには


いつも自分自身の波動を


クリアに高く保つことで


受け取りやすくなると思うの

でも


心わずらう問題の中にいるときに


高く良い波動を保つことは


とても難しいと思うけれど


そんな時には


単純に受け取った言葉を


そのまま見つめ


肯定的なものか


その逆のものかだけで


判断してみるといいと思うの


分析したり


様々な角度から見つめず


ただそのふたつに分けてみると


少し判断がしやすくなるんじゃないかなって


感じているの


神様や天使は


肯定的な言葉でしか


メッセージを伝えてこないので


後は


伝えられる方の主観や恐れから


表現している言葉も多いので


他の言葉は受け取らず


自分に必要なメッセージだと


感じられる

メッセージを受け取ったときには


神様や天使に感謝を込めて


「ありがとう」を


その人に伝えられるといいと思うの


そうすると不思議と


もっとその方の口を伝って


素敵なメッセージを


受け取りやすくしてくれると思うの


人はみんな深い部分では


繋がっているから


感謝やありがとうという


暗証番号によって


ハイヤーセルフの扉が開かれ


感謝した方もされた方も


鍵が開かれて


無意識に


有効なものを循環しようと


働きかけるようになるんじゃないかなって


感じているの


心わずらう問題の多くは


新たなる自分を体験するために


与えられた事が多くって


たとえば


人に頼ったり甘えることが


苦手な方は


いつもは一人で解決してきたけれど


人に相談してみたり


弱さを表に出すことを


体験するために


与えられていたり・・・


逆にいつも人に何でも頼って


責任を自分で持つことから


避けてきた方は


自分で解決できる自身と


自分の人生の創造主である


自信を養うために


与えられている場合もあると思うの


私の場合は


人に甘えることが苦手で


その理由はきっと


様々あるのかもしれないけれど


大きく見つめると恐れから


人に甘えることよりも


自分で解決する方がって思って


そのようなスタイルになったと思うの


それは時に


せっかく愛を手渡そうとしてくれている方の


目の前で


扉を閉めてしまうような


所もあったように思うの


今でも少しそのような部分があって


それはすべて


自分の短く狭い人生の中での


体験から


良い悪いは別にして


進化した結果


そのようになってしまったんじゃないかなって


感じているの


まだ無邪気な頃には


人に甘えることは


お互いの縁を深め


助け合うことが幸せに思えた頃が


あったのだけれど


年齢を重ねてゆくたび


言葉と心が違う方たちが


私の人生の登場し


初めて


自分の無神経さに


気づかされたと同時に


人との関係に


距離を置くことの大切さを学んだの


そうして過ごすうちに


人との心の距離が


離れていって


ほんのちょっとした事も


頼んだりすることもできなくなっていったの


だから自分が頼まれたことを


受けるのは


スムーズにできても


頼んだりすることが


今でも少し苦手なの


でも人間の多くは


愛の余力を秘めているので


頼まれたら


快く助けとなってくれるのだと思うの


数年前に一度


私の不注意で薬をきらしている事に


痛みの当日まで気づかず


痛みで気を失いそうになっていた時


タクシーで病院まで


行こうと思っていたときに


ATMなどにいく余力も残っていなく


その時


初めて友人に電話をかけて


事情を説明して


病院に共に行ってもらったことがあったの


その時友人が


「大丈夫になってよかった」って


涙を瞳にいっぱいためている姿を見て


私はひとりだとずっと思っていたけれど


私の事を心から心配し


助けになることを


喜んで行ってくれる人がいることを知ったの


それからその友人には


ちょっぴりではあるけれど


甘えられるようになったの


私の場合は


心という問題ではない形で


次の扉を開いてもらったけれど


一見困難に見える事でも


後になってみると


その問題があったから


今こうして


幸せを築いてこられたんだって


思える事が多いんじゃないかなって思うの


恋愛でもすべてがうまくいかなかったからこぞ


どうしようもない気持ちや


人の痛み・喜びも


理解できるようになったり・・・


すべての経験は無駄ではないと思うの


悩むときには


その溢れる思いを閉じ込めてしまわず


悩みが枯れるまで


悩んでもいいのだと思うの


そして涙も止めるのではなく


自然にとまるまで


泣くことも良いのだと思うの


そうして


すべてを出し切った時


人間が秘めている力が


自らを立ち上がらせようと


するんじゃないかなって


感じているの














年末から友人が


ルームシェアしていた方との


暮らしの中で


少しずつ違いを感じ


心を重くしていたの


今まで自分が体験したことのない


美しい住まいに一人で暮らすには


少し無理があった友人は


グッとタイミングで


同居を望んでいる同僚と


暮らし始めたの


暮らししてすぐに


友人は共に暮らす方のくせや


自分ばかりがやらされているという


不満でいっぱいになっていたの


でも友人は二人だから


暮らせる家賃だけれど


一人では・・・という


思いからできるだけ


不満を持たず


お掃除も食事も


友人が一人でやっていたようなの


その話を聞きながら


きっと自分が求める方向に


ちゃんと整ってゆくよって


いつも表現していたの


その時友人が


「さーちゃん豊かになる何かやっているんでしょ


私もお願いできる?」て言われたので


できる限り


友人が望む形で豊かさが


届けられるように


祈らせていただいたの


そのような流れの中


共に暮らす方が


別に暮らす提案をされてきたようだったの


でも不思議だったのは


「あと1万円安かったら


ここに暮らしたいけれど・・・」と


友人に提案してきたようで


そのお話を聞いていた私は


「今4万円でとても


よい環境が整った場所に


暮らしているのだから


本当にそれ以下で


探す気があるのかな?


あなたが優しい人だし


自分が出て行ったら困るから


交渉できると感じているだけ


なんじゃないのかな


もう少し答えを出さないで


様子を見た方がいいんじゃない?」って伝えたの


それからすぐに結果が出たようで


その伝えた通りだったようで


友人が心決めて


自分一人で更新の時に


今の場所に残って暮らす事を


その方に伝えると


迷ったように


「なかなか住まいが決まらないからどうしよう」って


何度も伝えられたけれど


友人は一人で暮らす事を決心していたので


「じゃー私は上の階に住むから


ここに残ってもいいよ」と言うと


また


「ひとりでは無理だよ」と


答えに辿り付かない


言葉を何度も交わしていたようなの


友人は決心したのはいいけれど


やはり始めての事なので


これからの不安もあって


よく私にアドバイスを


求めてくれるようになったの


私から見つめる友人は


友人が思っている以上に


できる人なので


何の不安も必要ないことを


いつも伝えていたの


そして必ず整ってゆくから


自分自身を信頼する事を


いつも伝えていたの


そして彼女のから


久しぶりに電話を頂いた時


とても明るい声で


「さーちゃんにお礼をいたくって・・・」と


数ヶ月の間にあった


心の整理と


喜びごと


そして一人でも払えるように


給料が上がり


それも足りない4万円がきっちりと上がったようで


この不思議な出来事に


至福を感じていたの


その出来事を見つめながら


まず自分の求める方向性に気づき


初めて


その求める豊かさが


大きくはっきりと形に


なってゆくんじゃないかなって感じていたの


友人がもし


「足りないお金が


何とかなったら決めよう」と


思っていたならば


また方向性は違っていたのだと思うの


人間が考える


堅実な選択としては


確かにベースが整ってから


その後自分の心をって


思うものだとは思うのだけれど


神秘的な宇宙の法則では


心が先で


その後に付随するように


物事は後から整って行くのだと思うの


女神・天使・神々に


お力を借りる時には


まず自分の心が何を決めるかが


先でなければ


お力を添えることが


難しいんじゃないかなって思うの


言葉では上手に表現できないけれど


人間は安心の道を誰でも


通り歩みたいと願うあまり


何も用意されていない時に


自分の心で何かを思う事は


難しいかもしれないけれど


逆にベースが整ったようになったとしても


「こうなったらこうする」という


約束は果たされないことも多いと思うの


その思いを


天使や神々・女神は


よく知っているのだと思うの


だから初めに


心の整理によって


心から望むものを知ることが


大切なんじゃないかなって


感じているの


私がアバンダンティアを始めさせていただき


数ヶ月になるのだけれど


幸せの形もかなうスピードも


初めに与えられる事柄も


様々だけれど


明確に揺るがない望みを


もたれる方は


アバンダンティアがどの方向に


導いたならばよいのかが


はっきるとわかるせいなのか


結果となることが


早いように感じているの


そして


受けられたすべての方に


言えることなのだけれど


小さな事はお願いするのは・・・との


思いから


アバンダンティアとのコンタクトを


無意識にあまり望まれず


本当に大きな困難や望みが


浮かんだ時にだけ


願うのではなく


いつでも気軽に


コンタクトをしてほしいの


そうすることで


伝え方・自分が本当に今望んでいることが


見えてくると思うの


その時女神が与えてくれた


不思議な展開によってもたらされた


豊かさを受け取ってゆけるんじゃないかなって


感じているの












私たちは長い間


与えることの心の豊かさや


思いやり優しさは


体験してきたけれど


受け取る・受け入れることを


許す体験は


あまりないように感じているの


時には心から分け与えたい


手助けできると思わないことでも


非常な人間と思われたくない思いから


自分の力以上の事


受け取ったり


してしまった事も多いと思うの


私自身も


そのような体験が多く


自らプレッシャーとなるものを


生み出してしまった事もあるの


時には


相手が悲しむ顔になったのは


自分のせいだと思うほど


強迫観念に包まれたり・・・


でも本当は


すべてそれぞれが


与えられた人生を生き


変わってあげる事も


変えることもできないのだと思うの


ただアドバイスや小さな智恵を


手渡しあったり


それで十分


結ばれた縁を大切に


しあっているのだと思うの


でも人にはそれぞれの


物差しがあって


「友人ならばこれくらい


してくれてもいいと思う」と


表現するくらい


友人に強く大きく求められる方もいたり


様々だけれど


それは友人となった方に


大きなプレッシャーとなって


言葉には表現しなくっても


益々心の距離が


離れてしまうんじゃないかなって


感じているの


親友という定義も


人によって様々だけれど


私が感じているのは


一緒にいる時間が長いとかではなく


心の繋がりを感じられるのならば


その方は親友なのだと思うの


たとえば学生時代は


学校という同じスペースで


同じとき学ぶ共通のものの中で


長い時間共に過ごし


本当に仲がよかったかも


知れないけれど


学ぶスペースがそれぞれ


違ってくると


自然に会うこともなくなったりした経験が


あると思うのだけれど


それもその時は親友だったのだと思うの


そして社会人になってから


忙しさやタイミングから


年に数回しかあわない関係でも


あった瞬間


心ほどいてくれる時間を


与えてくれる人ならば


その方は親友だと思うの


与えられることを強く望まれるのも


与えすぎてしまうことも


相手によっては


大きなプレッシャーに


なる事があると思うの


私は昔


人から何かを受け取ったとき


すぐにお返しをしなければいけないという


思いから


受け取った気持ちや


受け取ったプレゼントを喜ぶ間もなく


お返しに意識が向かっていた事があったの


でも何かのきっかけで


これって与えたい気持ち


溢れている方から


受け取る愛情を


拒絶している事なんじゃないかなって


ふっと感じたの


それから相手にも


自分にもプレッシャーとなるようなものを


ひとつずつ手放していったの


初めはそんなに親しくない方からは


常識がないというような


言葉を表現されたこともあったけれど


受け取る事を


素直に喜び


感謝を伝えるようになると


相手の方も形ではなく


感謝を形にしたい時だけに

贈りあうようになり


とてもカジュアルな付き合いが


できるようになったの


私の周りでは


お正月をはずして


訪れる方が数名いて


以前からお正月のお年玉の事でも


色々な思いがあったの


今の時代は様々なライフスタイルの中


暮らしている方も多く


中にはそのタイミングの時には


お仕事をされていなかったり


様々な事情でお年玉が用意できない方も


いると思うの


でもストレートにそのようには


表現できないから


行きたい気持ちがあっても


華やかなお正月には足を運べず


思い立ったかのように


数日後に


訪れる方もいるの


そして逆にお年玉をもらった家族は


もらったお年玉を


他の家族に手渡す資金として


考えられていたり・・・


でも本来お正月って


日々忙しい家族が


様々な話をしながら


笑顔を見つめ合う機会として


与えられたお休みなのに・・・って


時々思うことがあtったの


私は結婚してから


ずっとその長い年月続いてきた


行事ごとを少しでも


もっと楽しい時間としてゆきたい思いから


¥10円や¥1円そして所々に


¥500や¥100を


周りから集めて


大きな深い入れ物に入れて


子供たちにつかみどりしてもらっていたの


そうすると


出す方も負担は少なく


受け取る子供たちも


兄弟の年齢による分け隔てもなく


自分で取れる分が


受け取れるのでけんかもなくなったの


そしてお返しする家族もすべて


同じ方式なので


何も考えず


その事を楽しめるようになりつつあるの


長く続いてきたものを


意味もなく変えてしまう事に


抵抗を感じた方も中には


いたかもしれないけれど


今では私たちがお正月足を


運ばないときでも


そのような流れが少しずつ


定着しているようで嬉しかったの


宗教的な思想では


与えることは


美として語られてきた事もあって


日本人の多くは


与える事を


長い年月体験をしてきたと思うの


でもいつも心に


満たされない思いを抱え


湧き上がるエネルギーを


すぐに人に与え


その生み出されるエネルギーを


自分には注ぐことをしてこなかった方も多いと思うの


でも人は平等に


心にスペースを与えられているのだから


与えてばかりいても


心が枯れてしまい


受け取ってばかりいても


自分の心は満たされないものなのだと思うの


すべてはバランスなのだと思うの


与えられる方が心から喜び


心枯れずにいられるのは


相手の感謝というお返しを


受け取れる時だけなのだと思うの


そのような方は


形やものなど


瞳に映るお返しを求めない


エネルギーの循環を感じる


感覚にたけているので


与える幸せから


魂の成長や学びを行えるのだと思うの


でもそれはとても


難しいことなんじゃないかなって感じているの


そして次に難しい


受け取ること・与えられるものに


感謝する感覚


自分が必要を満たそうと望むことを


許す事を


今この時代に生まれてきた方は


課題として与えられているように感じているの


今いくつもの時代を経て


日本という国に暮らす方の


シフトチェンジが求められてきているんじゃ


ないかなって


感じているの


大きく見つめても


世界中で与える事ばかりを体験している日本は


そろそろ


与えられる位置にシフトして


きているのだと思うの


もっと求めても良いのだと思うの


日本で語られてきた美は


沈黙することでも


耐えることでもないのだと思うの


日本の美は


言葉ではない感覚的なものを


どこの国の方よりも感じる能力に


あるんじゃないかなって


感じているの


日本に暮らす方たちは


長い間心の深い部分では


豊かさを望みながらも


言葉に表現してしまうことで


それは欲となり


美しいものとならないという


感覚を持っているけれど


欲と表現されているものの中には


人間が必要な感覚だからこそ


神様が与えてくれたものも覆いと思うの


意欲がなければ


今人間は地球上の存在していないのだから・・・

















今日友人がかわいい犬と出会い


新たな家族に迎えることを


楽しげに語っていたの


その中で


私が歴代ふれあってきた猫との


思い出できて


その中でも


猫から与えられた不思議な経験があって


大切に共に暮らしていた猫が


突然姿を消し


どんなに探しても見つからず


毎日気にかかっていたの


そんな流れの中


半年が過ぎ


真冬の雪が静かに降る中


私にとっては珍しく


バスに乗って出かけようと


バス停に向い


時刻表を見ると


ちょうど発車した後で


30分以上待たなければならず


バス停で静かに佇んでいると


バス停の前にある


小料理屋さんの戸が開き


着物を着た女将のような方が出てきて


「寒いでしょう・まだバスが来るのには


時間があるから


うちでお茶でも飲んで待ってなさい」と


言ってくださり


私はその優しさに導かれて


そのお店の中で


時間を過ごし


気がつくと


バスがすべて終わってしまっていて


結局はお出かけできなかったのだけれど


とても楽しい時間を過ごし


その中で


「ほんの少しでも良いから


お店のお手伝いをお願いできない?」との


言葉もあって


社会勉強経験がない私は


戸惑いながら


この偶然を楽しもうと思い


週に数時間だけ


伺うことになったの


そのような時間の中


女将さんが


最近迷い猫が来てくれた喜びと


触れ合う楽しさを語ってくれて


私も猫が大好きなので


お休みの日に


おうちに招かれてトコトコト


歩いてきた猫を見て


びっくり!


半年前に突然姿を消した


私の大切な猫ちゃんだったの


その事を女将さんに伝えると


「この縁を結んでくれたんだね」って


この不思議な出来事に感謝しながら


その後お店のお手伝いをやめてからも


数年に渡って


猫ちゃんがこの世を去る日まで


交流があったの


そのお話しを友人に話していたら


友人も同じような体験があったようで


家族には内緒で


猫をそっと飼っていたのだけれど


猫が突然姿を消してしまい


その頃友人は人生の大きな悩みの中で


過ごしていたようで


大切な猫を探しながらも


自分の悩みについて迷っていたようなの


そんな時


自分の猫を抱いて歩いてくる


カップルが瞳に映ったの


そして友人はすぐに駆け寄り


自分の猫だという事と


家族には内緒なので


飼えないことを伝えると


いつでも遊びにおいでと


ゆってくださり


毎日猫に会いに行っていたとき


だんだんと親しくなってきた


カップルに自分の抱えている


様々な悩みを語ったら


偶然にも


その問題を解決してくれる力を


喜んで与えてくれたようなの


その時友人は


この猫が自分のために


姿を消して


この人たちと出会うために


導いてくれたのだと感じたようなの


猫は昔から


様々な伝説や逸話があるように


優れた超能力が備わっているようなので


きっとこのような不思議な出来事を


作り出すことができるのかなって


感じているの


神話の中にも登場したり


日本では大奥で好んで


大切に飼われてきたり


招き猫の由来として語られている


江戸時代お殿様が鷹狩の帰り


貧乏なお寺の前を通りかかると


猫がすっと


手招きしていて


その導きを受けて


境内に入ったとたん


今立っていた門前にカミナリが落ちて


お殿様の命を救い


このお寺も繁栄し


この猫は観音様の化身として


祭られるようにリ


それ以来縁起物として


招き猫が誕生していたり


不思議な出来事を


コントロールできる力が授かっているのかなって


改めて


今とも暮らす猫ちゃんと


仲良く幸福を重ねて行けたらいいなって


感じていたの

















友人から聞いたお話なのだけれど


友人が通う整体の先生が


様々な智恵を手渡してくれるようで


友人が持つカラーが黄色で


その黄色を右の足に身につけることによって


筋肉がほぐれるよって


教えていただいたようなの



そして実際にその場で


右に黄色を身につけた後


足に触れると


張っていた筋肉がやわらかくなって


友人はとても驚いたようなの


そして上半身はブルーなど


場所によっても放つ色が違うようで


身につける場所やカラーによって


自然治癒力の働きを助け


自ら心身を癒せるようなの


どんなに素晴らしいものであっても


その方にフィットしないものや


身につける場所がフィットしなければ


効果が半減してしまう事を


先生から教えていただいたことを


友人から聞いて


なんとなく私が感じている


フィーリングと会う方のような気がして


近いうちに


足を運ばせていただこうと思っているの


いつも私も


アクセサリーを製作する前に


たくさんあるパワーストーンをひとつずつ


手にとって


何かささやきかけてくる感覚を感じた時に


そのメインになる石に


共にいたい石を選んでもらい


製作させていただいているので


もしかしたら


もっとパワーストーンをより良い状態で


多くの方にお届けできる


ヒントをいただけるかなって


今からわくわくしているの


人間の身体には


瞳以外にも


何かを感じ・心や魂でしか


見つめられない


エネルギーがあって


その感覚は誰にでも備わっていると思うの


ただその感覚が退化していたり


冬眠のように


眠ったままになっているだけ


なんじゃないかなって感じているの


その感覚の目覚めは


何かのきっかけで


急に目を覚ます時時があると思うの


そのきっかけを


私も手渡せる人となれたら


嬉しいなって


感じていたの















自分の意識とは別に


与えられる


感覚ってあるんじゃないかなって感じているの


特に何かがあったわけではないけれど


何か行動を起こしたい気持ちが


湧き上がり


まるで何かに


背中を押されているような


感覚を体験されている方


逆に必要以上に


眠くって


夢に導かれて


多くの時間


夢の中で過ごされる方・・・


どちらも


自分の意識とは別に


神々が与えている


タイミングなのだと思うの


たとえば


決まった事が特にあるわけではないのだけれど


何か行動を起こしたくって


早い時間から目覚め


多くの時間を与えられている方は


自分が思っている以上に


今人生を形としてゆける力と


タイミングが


与えられているんじゃないかなって感じているの


そういう時には


特に目的がなくっても


外へ出て


様々な場所へ足を運ばれるといいと思うの


そうする事で


今まで気づかなかった


素敵な贈り物を受け取れると思うの


そして逆に


特に疲れているわけでもないのに


眠たくって眠たくって


本を読んでいても


気づくと夢に誘われ


眠ってしまわれる方は


外からの情報を吸収する事を


お休みして


内観する時間を与えられ


夢という時間を使って


心揺れ動く体験をしながら


新たな気づきを感じたり

今まで重ねてきた情報を


整理整頓する時間を


与えられていると思うの


どちらも


いつもと違った感覚が


訪れたときには


シフトチェンジが


内なる部分で行われている


しるしなんじゃないかなって感じているの


そんな時には


その感覚に抵抗せず


過ごされた方がいいと思うの


私たちの歩みの中で


吸収・行動・休息は


あるサイクルで


必要があって


与えられている感覚だと感じているの


私もこの感覚が


ある一定サイクルで


与えられ


体験しているのだけれど


初めてこの感覚を体験した時には


休息したくはないのに


わけもなく


眠たくって眠たくって


夢に誘われ


そんな時間の中


何もできなかった


持つ必要のない罪悪感や


焦りで


その時間に身を任せることができず


色々と行動をしようとしたのだけれど


すべてスムーズに進まず


一人で過ごさなければならず


ちょっぴりあきらめのような気持ちで


一人で自分を体験するための


時間として


過ごしていたの


その時


イメージしていた以上の


満たされる感覚を体験できたの


いつもは誰かと共に


楽しく会話の中で


情報を吸収し


アクティブに過ごしていたのだけれど


その楽しいときの中だけでは


感じられない


内なる部分のハイヤーセルフとの


繋がりが高まって


外に求めるエネルギーを


自分の内なる部分に求める事を


学ぶことによって


次に与えられる


行動の時には


少し進化した形で


時間ととけあえるようになったの


その体験から


時がもたらす


感覚に抵抗することよりも


信頼を寄せるようになったの


何となく私たち日本人は


何もしない時間に


焦りやパニックを感じる事が多く


その感覚を避けるために


漠然と何かをして過ごすことに


慣れているのだけれど


時間という豊かさの中で


自分に向き合う時間を


過ごすことも


とても大切なんじゃないかなって


感じているの


太陽の日差しに包まれ


お昼ねするのも


怠けている時間ではなく


自分をいたわり


メンテナンスしている


大切な時間だと思うの


人間には


自分の計画通り


進ませてもらえる時と


ちょっぴり立ち止まり


自分の歩みを見つめたり


魂や心だけではない


共に行動をしてくれている


身体にも


心配る時間を与えられるのだと思うの


瞳に映る世界を


整えることに


エネルギーをそそぐ時と


内なる部分を


整える時間は


自然に与えられるものだから


その流れに抵抗せずに


与えられているものが


どのような流れなのかを


感じる勘の良さって


必要なんじゃないかなって


感じているの

















今様々な分野で


ネガティブキャンペーンが


広がっているように感じているの


ここ数日では


ある政治家が


女性に対して


ストレートに言葉として


表現したことが


問題になっているけれど


私は個人的に


あの方だけが


そのように思っているわけではなく


戦前・戦中生まれ育った方の多くは


国の政策の洗脳から


まだ目覚めていなくって


あのような考え方をされている方も


まだまだ多いんじゃないかなって


感じているの


戦中は子供を10人近く生まれた方は


国から表彰されるというお話も


あるように


幼い頃に得た価値観って


時代が変わっても


なかなか変えられない方もいると思うの


その政治家の方は


すこし表現がストレートだったけれど


昔は女性が子供を生めなければ


外に作ることを


周りが進められたり


離婚理由にもなる事が


長い時間あったという事は


言葉にはストレートに表現しなくっても


その政治家の方が


表現したような言葉と


同じような


感覚で女性を見つめていたのだと思うの


この話題は

知り合いの方と


お話しした時にも出てきたのだけれど


最近


それぞれが抱えている


フラストレーションを


正当な形で発散しようと


ターゲットが見つかると


必要以上に


その問題にいつまでも


意識を向けられる方が


多いように感じているの


そしてターゲットから近い方たちは


その問題を


自分のよいアピールとして


利用されていたり・・・


時々感じているのは


いつももっと見つめなければならない


問題から


私たちの瞳をそらせるために


ひとつの問題に


意識を向けさせられているように


感じているの


何かひとつを守るために

何かが犠牲とされているような・・・


この間はテレビ番組で


紹介された食品のデーターが


問題となっていたけれど


食品メーカーとの繋がりで


消費を上げるために


番組が組まれることもあるんじゃないかなって


感じることも多いの


ある有名番組で紹介される


食品のデーターが事前に


大手スーパーに


伝えられていたりする事を


知ったときには


気づかないところで


コントロールされている


こわさを感じたの


やはり今の時代は


与えられたものを


ただ受け取るだけではなく



自分自身で感じる感覚って


とても大切なんじゃないかなって


感じているの