2006年7月
久しぶりに
友人から本を手渡されて
目次を見つめてみると
その本は
宇宙人の魂を持って
地球に生まれることを
選択した魂について
書かれた本だったの
読み進むにしたがって
共感できる部分が
たくさん見つかって
心惹かれながら
読んでいる中で
テストのような項目があって
覚醒した宇宙人の人格に
ある時突然
何かのきっかけで
入れ替わった
ウォークインという存在や
または
地球以外の惑星から
地球の救いと
なりたいという
思いで
人間の親から生まれる
スターピープルといわれる
存在について書かれていて
きっとこのメッセージを
読んでくださって
くれている方の中にも
「自分はなぜ生まれてきたのだろう?」
「なぜ?みんなと同じように
歩めないのだろ?」
「なぜ?
こんな事がみんな楽しいのだろう?」
など
いつも何かが違うって
感じられている方も
いるんじゃないかなって
感じていたの
そして
もしかしたら宇宙の魂を
秘めた方も
いるんじゃないかなって
感じていたの
地球でのライフスタイルや
ルール・気候etc
すべてに
自分を合わせようと
頑張れば頑張るほど
本来秘めている
目的を見失い
心身が病に
包まれる方もいるようなの
ウォークインと
いわれる
タイプの方の場合は
この世から消えたい気持ちが
高まっていたり
大きな事故や病によって
入れ替わったり
スターピープルと
いわれるタイプの方は
神秘的なことや
精神世界に
強く心惹かれてはいるものの
修行や学問的な学びには
関心を持っていなく
感覚で交信しあえる
能力にたけていているため
地球で伝えられている
説明や証明が出来ない
超能力や念力のようなものに
強く心惹かれるようなの
それは
以前地球で暮らす前に
すべての能力を当たり前に
使い理解し
知っているから
改めて学ぶ意識を
持っていないようなの
地球で
自分を思い出す
きっかけとして
スピリチュアルな事に
ふれている方も
多いみたいなの
その本に書かれている
惑星から来た
魂を持つ方たちの
特徴から
自分自身が答えを
導き出せなかった
自分の中に眠る個性を
知るきっかけを
見つけられたらいいなって
思い載せさせていただきました
☆小さな頃から
UFO・ET・未知の世界に
強く心惹かれていてた
☆一度ならずとも
UFOをはっきりと見た
その体験が
あなたの人生を変えて
しまった
その存在を
知った事により
悩みを解決してくれるのを
助けてくれ
信念と希望を与えてくれた
そして人生の意味と
より大きな目標を
示してくれた
それからあなたは
自分が他人とは
違うことに気がついた
☆あなたは親切で優しく
人を傷つけず
平和的で攻撃的ではない
「誰かが無報酬でやらなければ
ならない事があるとすれば
貧乏くじをひくのは
決まってあなた
あなたはいつも
自己犠牲のくせをだす
人間の冷酷さや暴力
そして
世界のどこかで
絶え間なく起きている戦争が
不思議に思えてならない
あなたは元々こうした怒り
競り合いなどを
理解できない
☆あなたはよこしまなことや
ずるいことをされても
なかなか気づかない
そこで人々は
あなたの事を
世間知らずだと思うの
あなたはいやな事に
直面すると
まず怖がって後ずさりする
そして
「本当にこんなことを
する人間がいるんだ」と思って
大きなショックを受ける
何か良くわからずに
困惑してしまう
多分あなたは
こんな調和に欠けた
世界とは
無縁な別の世界があることを
うすうす気づいている
☆あなたの基本姿勢は
他人に奉仕する事だ
(家族・友人・あるいは仕事仲間など)
あなたは
大きな理想に
燃えている
こうしたことも
あなたが
(世間の言い方によれば)
無邪気で世間知らずだと
おもわれる
一因である
それでもあなたは
心の底から
世の中をよくしようと
願っている
それだけに
こうした願いや
夢が実現しないと
あなたは激しく失望感と
挫折感に襲われる
☆あなたは徹底した
科学的
気質の持ち主である
いつも冷静に合理的に
そして計画的に
人生に対応している
人間の情熱や
燃え上がる欲望などが
不思議に思えてならない
その状態にぶつかると
当惑してしまう
ロマンスのような
世俗的な感情には
馴染めない
あなたは常に
様々な体験を
ことこまかに分析する
それで人々は
「いつもあなたは
頭で考えている」指摘する
☆幻想的なアートや
SFなどの強く心惹かれる
どちらかといえば
現在よりも過去や未来の
夢の中に生きるのを好む
時々地球の生活に
うんざりして
意味がないように感じ
完全な魅力あるほかの世界に
行かなければなあと思う
こうした夢がいつも
あなたの周りについている
☆あなたはUFO現象や
他の別世界での暮らし
あるいは
アトランティスやムー大陸のような
古代の地球の文明に
飽くなき興味を覚える
時々自分が
以前そこにいたような
感じがして
いつの日か
そこに
帰れるかもしれないと
思っている
あなたの本棚には
こうした内容の本が
飾られている
☆あなたは
神秘的な精神世界に
強く魅かれている
その理論と修行の両方に
関心を持っている
そして自分はかつて
大きな力を持っていたが
何かの理由で
それを失ってしまったという
気がいつもしている
自分自身は
改めて
修行必要はないと
思っている
それというのも
「すでにあなたはそこで
修行した」
ことがあり
ただその時身につけた
知識を
忘れているだけだからだ
人々はあなたの強い決意を
疑うかもしれない
しかし
あなたは
これは
そんな単純なことではないと
考えている
☆あなたはETや
地球外の他の存在との
精神的な
交信を行った事がある
そして
自分の人生の目的は
他の人々の成長と進化を
助けることだと
気がついている
☆あなたは強い疎外感に
悩まされている
それは今までの人生で
ずっと感じていたものだ
そして自分が世間に
しっくりと溶け込めず
孤立していると
思っている
多分あなたは
他の人のようになりたい
「普通の人」に
なりたいと
思って
全力を尽くしたにちがいない
そして
他の誰かと同じように
考えようと努力してみた
しかし結局
行き着くところは
自分がどこか違うと
感じるだけだ
この地球上には
自分がいる場所が
もう見つからないという
恐怖感にいつも
包まれる
何か感じるものは
見つけられましたか?
今の時代は
様々な分野で知識が
受け取れる時代なので
何を受け取り
何を手放したらよいのか
とても複雑になっていると
思うの
ひとつ前までの時代ならば
正しい人生の歩み方という
テキストが
その時代に合わせて
すべての人に
あうあわないに
関わらず
手渡され
心に
不満が沸きあってきても
その通り歩んでいたならば
何となく形となる
幸せがあって
バッシングを
受ける事もなく
誰もが
同じようなスタイルの人生を
歩めたと思うの
でも
今の時代は
自由が許され
みんなそれぞれに
白紙のテキストを
手渡されていると
思うの
時には
たとえ誰かと同じように
歩んでも
結果が同じようにはならない
時代を迎えていると
思うの
今まで自由に憧れ
自由がやってくるのを
待っていたものの
実際に自由が手渡されると
その自由を
どのように
楽しんでゆけばよいのかを
戸惑われる方たちも
多いと思うの
そして多くの場合
自由というイメージを
違う形で
受け取っている場合も
あると思うの
この間
母と話しをする機会があって
母に「自由」って
どういうものだと思う?」
と
尋ねてみたら
「私の場合は
仕事を持っているから
味わえるものだと
思うの
たとえ
自由に時間があっても
お金がなければ
今自分がしたい事
何もできないし
そうしたら
その時点で
自由じゃないよね
フリーで仕事している人は
自由でいいなって
思った事があったけど
与えられたことだけをする
私の方が
本当は自由だと思うの
仕事が終われば
それで解放されて
休みの日には
そのお金で
自由に好きなことを
出来るけど
フリーや
会社経営している人は
時間の自由は
作れるかもしれないけど
休みの日も頭の中が
休まる暇もなくって
見えない束縛が
長いと思うの
それに
私は元来なまけものだから
何もかも満たされて
自由だったら
今頃ごろごろ何もしないまま
年を取っていると思う」
と
母が言っていたの
その言葉を聴いて
確かに自由と
イメージすると
仕事に束縛されない
イメージが
すぐに浮かぶけれど
母が伝えてくれているように
仕事をしているからこそ
自由な感覚を
味わえるというのも
自由のひとつの形だなって
感じていたの
自由の豊かさを数えたら
きっとたくさんあるんじゃないかなって
感じていたの
経済的に満たされていても
時間が消えてゆくと
時間という自由を求め
時間の自由が
保たれている時には
次の自由を求めて
今持っていない自由を
人はいつも
求めてしまうものだと
思うの
でも自分が思う思いを
自由に発言・表現できる自由は
世界が最も求めている
自由なんじゃないかなって
感じていたの
もし
その自由を何気なく
行えているのならば
それは
最も自由の素晴らしさを
体感し許される環境に
過ごしているという
自由の恩恵を
受けているという事
なんじゃないかなって思うの
人は誰でも
プラスーボ効果と
ノーシーボ効果の
ふたつの影響を受けて
過ごしていると
思うの
プラシーボ効果は
ポジティブな信念
期待の暗示として
心身に幸せな効果へと
導いてくれるもので
ノーシーボ効果は
まったく逆の
ネガティブな信念と感情を
生み出す暗示で
心身に知らぬ間に
ダメージを与え
それは
まるで自己呪いを
自らかけてしまうような
結果
家と
繋がってしまうものなの
例えばプラシーボは
周りの方に
自分の
素晴らしい資質について
伝えられたりすると
謙遜しながらも
その言葉が
無意識に
自分の深い部分に
流れ込み
何か困難な
出来事に出会った時に
素敵な暗示として
自分を支えてくれたりして
いつまでも
人生の光となってくれると
思うの
ノーシーボも
とても大きな影響力を秘めていて
たまたま
言葉を伝えてくれた方の
ご機嫌が悪かったり
その方のフィーリングで
八つ当たりに近い形で
人格的な事を
否定されたりした言葉を
受け取ってしまった場合にも
長い間
いつまでも
記憶に刻んでしまい
困難に出会ったときなどに
「やっぱり私には無理だったんだ」
「やっぱり自分が悪いのかな」
など
自分を責めてしまう言葉を
答えに
してしまうと思うの
やっぱりと
言葉の前につけてしまう時
ほとんどの場合
過去の中で
そういわれた事があって
問い直すことのない
確信として
思い込んでしまっている時
やっぱり
と
いう言葉を
つける事が
多いと思うの
それは
ノーシーボの効果として
無意識に
自分に呪いの
魔法をかけてしまった
結果だと思うの
人間は
無意識に
危機管理能力の一つとして
ネガティブなエネルギーに
注意を
払っている事もあって
ネガティブな出来事に
強く反応し
記憶に刻みやすく
ポジティブな出来事や
エネルギーが
そっと
寄り添ってくれている事よりも
気を惹かれやすい
流れを持っているので
90%良い流れの中にいても
10%の思い煩う出来事に
強く意識が
向いてしまうんじゃないかなって
感じているの
それは
個人的なことだけではなく
世界的な流れの中でも
同じだと思うの
例えば
「あの人は
とても偉い人だから」
とか
何気なく
映される
人々を見つめながら
語られることがあるけれど
実際にその方が
どのような事を成し遂げて
どうしてこのような
大切な接し方をされるのか
知らない方も
多いと思うの
ただみんなが
偉い人だというから
そう思い込んで
自分も知らないけれど
表現していたり・・・
その逆に
あまり良く伝えられない方の中にも
そう思い込んで
フィルター越しから
見つめて
評価されているけれど
本当は
素敵な表現の
場面を見逃してしまっていたり・・・
人間はとてもすごい力を
秘めていて
良いことそうではない事も
思い込んだ瞬間に
何を見つめても
そのようなフィルターがかかり
そのカラーで
見つめられるという
すごい能力が
秘められていると思うの
信頼を寄せている方や
大好きな方から
伝えられる言葉は
その語られた言葉以上に
光を注ぎ
受け止められるのに
その逆の相手とは
言葉・行動・ライフスタイル
すべてが
非難の対象として
無意識に
見つめてしまうと思うの
だからこそ
素敵な言葉を暗示として
自分の中へ吸収し
ノーシーボになりそうな
言葉や出会いには
跳ね除けるのではなく
どんどん自分を通過して
ぬけてゆくような
イメージをしたり
「この方は今日
嫌なことが
あったのかな?」
って
思えるようになると
何でも自分のせいだと思う
不必要な癖を手放し
お互いにダメージを
与え合うようなことが
なくなると思うの
年齢を重ねた方などは
良かれと思って
自分の経験から
忠告やアドバイスを
与えてくれる事があるけれど
語られる方の
エネルギーが強いと
その言葉と共に
まだ起きてはいない
ネガティブな
イメージが湧きあがって
無意識に自分の中へと
吸収してしまう事もあるから
もし忠告やアドバイスが
ネガティブなエネルギーに
包まれたものならば
「ありがとう」「ありがたい」
などの
大きな光の言葉を
自分から発する事で
不思議と
その場所に流れていた
エネルギーの流れが
変わると思うの
早ければすぐに
相手が笑顔で
違う話題へと
チェンジしたり・・・
光に包まれた
愛溢れる言葉は
過去も現在も未来にも
光の道を作ってくれる
人間だけに与えられた素敵な
神様からの贈り物だと思うの
ここ数日
北朝鮮のアクションによって
世界的に
大きなニュースとなって
地球を包んでいて
その思ってもいなかった
強いエネルギーに
心身に変化を
受けている方も
いるんじゃないかなって
思っているの
今回の出来事は
私の心にも
大きな怒りと
そして戦争が作られてゆく過程を
理解できるものだったの
冷静に対処する日本政府に
不安と怒りとこのままでいいの?っていう
感情が生まれ
このような思いが日本中に
広がってしまったならば
きっと60年以上前のような
過去を繰り返してしまうんだなって
反省しながら
心の静寂を取り戻していたの
海上に落ちたというけれど
もしも船が出ていたならば・・・と思うと
デモンストレーションとして
なかなか受け止められなかったの
北朝鮮は進化の歩みが
諸外国よりもスローなので
60年以上も前にどの国も終えたような
スタイルで
歩みを続けているのだと思うの
親戚が北朝鮮に住んでいる方や
食べる事にも
困難な方たちのために
多くの国が寄付をしてきたけれど
その大切な流れは末端の本当に
手渡したい方たちには
手渡されずもしかしたら
その流れを今回のような形のものに
注いでいたりしているのならば
経済的な援助ではなく
今北朝鮮でせつない思いで
命の灯火を続けられている方たちが
その国から解放され
自由に幸せになれるよう祈り
経済的な流れは
ストップした方がいいんじゃないかなって
感じているの
そうでなければ
多くの方の善意が
世界を不安にさせるものを
作り出す手助けとなってしまうと思うの
日本も昔は
ぎりぎりまで
どの国とも交流する事なく
まるで北朝鮮のように
貧しく
軍の力を高めたならば
必ず世界が
自分たちの望むものとなると
信じて歩んできたけれど
すべてを失い
日本は悟ったと思うの
たぶん北朝鮮も同じような思想で
今でも歩んでいるんじゃないかなって
感じているの
娘さんのために
頑張っている横田さんさんご夫妻が
母の知り合いの
ご親戚ということもあって
いつも祈るような気持ちで
拝見させていただいているの
年月はどんどん流れて
今世で会えるのかを
不安に感じるほど
年を重ね
それでも愛する娘を救出しようとする
ご夫妻にいつも胸が熱くなり
涙が溢れてしまうの
素敵な奇跡を
多くの方が望み願うことで
奇跡は生まれると思っているの
だからこそ
北朝鮮を怖れずに
信じるスタイルを新たに
作ることが
とても大切なんじゃないかなって
感じているの
全国的に
7月7日は七夕なのだけれど
北海道は8月7日が
七夕のところが多いの
七夕は中国から伝わった
ロマンティックな物語と共に
日本的な信仰が溶け合って
今に残るスタイルになった
イベントになったようなの
日本人の多くは
自然崇拝の考え方を持っていて
自然から頂く
笹には神霊が宿るという
考え方を持っていて
その笹に
それぞれが願い事を書いた
短冊をつるし
神様に願いを伝えてきたようなの
日本には
無宗教の方が多いけれど
その方たちの中には
特定の神様ではなく
宇宙を創造したであろう
シードマスターや自然に宿る
太陽・山・海などの中に
神様を感じ神社や山など
神様が降臨すると
伝えられている場所に
心惹かれている方も多いと思うの
最近シードマスターという
存在にスポットがあたっていて
その存在が
全宇宙に影響を与えていて
地球では
彗星が地球に近づく年に
未知なる病や伝染病が
現れて
その病によって
多くの方が地球でに
人生を終えるのだけれど
その後
残った方たちは
無意識に身体の中で
進化をし抗体が作られていたり
次の進化が
加えられている事が
多いようなの
ダーウィンの進化論を元に
今の人間は
類人猿からの進化として
類人猿を研究されている方たちも
いつになっても人間のようには
なりえない事を発表されていたり
進化論を元に
様々な生き物の歴史を
辿ってみると
500年前に突然地球に現れた
イルカは進化の過程がないまま
今の姿のまま
地球に現れていたり
キリンはどんな環境の中でも
植物を吸収できるように
首が少しずつ長く伸びたと
ずっと伝えられていたけれど
その進化の過程はなく
今でも
生まれた瞬間から
首は長く
進化の過程を持たない
動物も多いと思うの
人間も同じで
類人猿からの進化ではなく
人間は人間として
初めから存在していたと思うの
シードマスターは
地球を実験の場としているようで
様々な種類の種を
彗星に乗せて
地球に散配していて
その種が
何を与えてくれるものなのかは
わからないの
以前友人が何となく
感じるという感覚で
去年からランダムに
地球に向けて
まるでボールのようなものが
飛んできていて
そのボールは
受け取る・受け取らないに
限らずそのボールをキャッチした人に
そのボールに
秘められた出来事が
突然起こるように
働いているように感じると
表現していた事を思い出していたの
友人はスピリチュアルな知識を
持ってはいないのだけれど
感覚的な
能力は知識を超えていて
きっとそのような感覚を
感じたのだと思うの
その時私が
「でも正しく生きていたなら
大丈夫なんじゃないの?」と
伝えると
「正しいという定義も国や人などによって
正しいという定義も
決まっているものではないし
みんなそれぞれに
正しいと思っているものを軸に
暮らしているわけだから
それが基本にはなっていなくて
この現象はランダムなものだと思うよ
そしてそれは
突然やってくると思うの
例えば良い事で言えば
個人的な趣味で
らくがきレベルのものが
なぜか世界的に認められて
アートとして世界に広まるような
奇跡を受け取る人もいれば
理由もなく突然家族が
ニュースで伝えられるような
加害者・被害者になったり
昨日まで大富豪だった人が
犯罪者やホームレスとなるような
不思議なものが
空から降っているように感じるの
何を受け取るかは
選べないと思うの」と
彼女は私に
理解しやすいように伝えてくれたの
そういえば
確かに特別な理由も見つけられないままに
展開していることも多く
どうにかして
答えを辿りたいと
答えにたどり着く見つめ方をしても
答えを導き出せない
出来事は
今世界に溢れているなって感じていたの
正しいという定義は
国や地域・人によって
違うけれどその中でも
全世界に共通する
人間にだけ与えられた
愛から生まれる思いは
どんな出来事をも
克服する
大きな力となるように感じているの
それは感情を持たない
シードマスターにとっては
予想外の未知なる展開となって
必ず時間と共に
大きな力を授けてくれると
夜空を仰ぎながら
私は信じて
過ごしているの
ショッピングをしている時
ふっと懐かしいメロディと共に
新鮮な歌声が
耳に流れ込んできたの
それは「そして僕は途方にくれる」という
曲で私が聞いていた頃は
大沢誉志幸が歌っていたのだけれど
その時耳に流れ込んできたのは
新たにカバーされている
女性の声だったの
この曲は
まだ私が10代の頃
はじめて愛し・愛される事の
喜びや大切さ
複雑さetc
教えてくれた恋人から
プレゼントされた曲だったの
それも付き合っている時ではなく
別れる時に頂いたの
私の都合で
学生生活を終える決心をし
その事で私の方から
離れてしまう相手に忠実を
つとめる事は若い私たちには
難しいことだと感じて
別れる事にしたの
彼との関係の中で
私は気持ちや思いを
いつもしまいこんでいて
表現する事を怖れて
私という存在を
表現する事なく
過ごしていたの
それが彼と仲良く
過ごせる方法だと思っていたのだけれど
彼との縁が終わりを迎える時に
彼から
「言いたい事を言わない所が
好きじゃなかった
それじゃ-だめだって
もっと自分に自信を持って
自分らしくいた方がいいって
それでお前のことイヤだっていうやつはそれまでだろう」って
言ってくれた言葉が今も
心に刻まれているの
自分が好きになれない所を
好きだといってくれる人が
この広い世界の中に
待っていてくれる自信というか
確信を持つことが出来たの
それから
他の誰からのイメージや
求められる姿ではなく
自分が自分らしく歩むことで
様々な出来事の答えも
自分から
受け取れるようになったの
「そして僕は途方にくれる」という曲の
歌詞の中にもあるように
「ひとつのこらず君を
悲しませないものを
君の世界のすべてにすればいい」
「君の選んだことだから
きっと 大丈夫さ
君が心に
決めたことだから 」という
メッセージが今になって
深く心に
響き渡っているの
ここ数日
喜ばしい出来事が
友人たちの元に
届けられ人生の流れの中にある
それぞれの幸せの形を
知ったの
彼女は心身共に
とても憧れるほどに
美しい人で
数回の結婚・別れの中で
唯一心煩う思いが
いつもあって
その心煩う思いとなっている
2歳で別れた息子さんの姿を
いつの時にも思い描きながらも
彼女は後悔を言葉にする事なく
歩んでいたの
そんな流れの中で
ショッピングをしていた時
昔のお姑さんと偶然を装った
必然的な出会いが
結ばれ
20年ぶりに息子さんと電話で
お話しを出来る機会を
与えてもらい
その事を伝えてくれている彼女は
冷静に出来事を話しながらも
彼女の瞳の奥には
私の姿がゆらゆらと映っていたの
人には人生の幸せと
本能的に感じているものが
それぞれに秘められていて
人生の折り返し地点を
迎えている彼女は
新たに芽吹く喜びよりも
自分が歩んできた道を
振り返り心煩う出来事が
ひとつ・ひとつ整理されて
整う幸せを
心から感じているように
伝わっていたの
人は幸福を思うとき
つい新たな出来事の訪れを
待ち望んでしまうけれど
時の流れの中で
ずっと心置いたままになっている
出来事が現在の消化不良となっている事を
感じながらも
どうする事もできない思いから
忘れる事に多くのエネルギーを使い
歩んでいる事を思えば
過去が整い
塊を溶かすことが出来たならば
それは本当に
大きな幸福なのだ思うの
彼女は息子さんから
色々な事を尋ねられ作る事なく
正直に息子さんに
答えを手渡していたようなの
そして
話しを終える時には
息子さんに
結果は望む形ではない
深く繋がる縁となってしまったけれど
その時・その時代は
息子さんを心から
夫婦で望み
大切に思っていたことを
伝えられた事が
彼女の心に輝く光を注ぎ
その光が更なる
幸福を運んでくれて
長い間ルームシェアをしていた
パートナーと結婚される運びとなったの
彼女の幸福な
出来事を見つめながら
人はすべての出来事が
一本の赤い糸で繋がりあっていて
ひとつ紐解けると
次々と流れが整い
自分がなぜ?このように
選択し歩んでいるのかが
感じられるんじゃないかなって
感じているの
すべての人が語ることはなくても
今というライフスタイルを
創造しているのには
何かしらの学びから得た考えによって
作られていると思うの
例えば
新たな家族を作る事や
子供を授かる事に
前向きに考えられない方やの中には
宿命として結ばれた家族と
過ごす時間の中で
両親から頂いてきた言葉と別に姿から
前向きになれない
学びを受け取られてきた方も
多いと思うの
そして女性性を受け入れられない時
母親の姿を見つめながら
母親としては尊敬
愛する気持ちが湧きあがるけれど
同じ女性として見つめた時
違った道を選択し
過ごされている方も多いと思うの
人にはそれぞれ
語ると誰かを
傷つけてしまうために
言葉をいくつも飲み込んで
過ごしているけれど
どんな歩みの中でも
その方それぞれに
これで良いと思うような
出来事の体験を経て
今現在の姿があると思うの
だから人生の歩みを
良い悪いという
判断で語ることは
誰にもできないんじゃないかなって
感じていたの
友人たちが
それぞれに一番こころやすらぐ形で
幸せを受け取って過ごしてゆく姿を
そばに寄り添い
見つめさせていただける事が
なぜか
とても幸せに感じ
その幸せの報告を聞いて
「よかった・よかった」と
まるで自分の事のように
嬉しく私の瞳には
虹がかかっていたの
数年前
小樽によく足を運んでいて
その時
ちょうど夜を迎えたので
夜景の美しい人がこない
材木置き場から
夜景を見ようと
入り組んだ道を入って
たどり着いた時
車から降りて
美しく輝く夜景が
海に映って2倍の光を放っていて
うっとりしていた時
突然車が入ってきて
車から3人の妙に姿勢がよく
きちんとした男性たちが
車から降りてきたの
その瞬間
心臓が大きく脈を打って
パートナーに大声で
「帰ろう!早く!」って伝えながら
急いで車に乗ったの
その時
その男性3人は
何かを話しながら
私たちの元へ
駆け寄ろうとしていたの
その時
話していた言葉が
日本の言葉ではない
最近よく耳にする言葉だったの
パートナ-と
動揺しながらも
落ち着いた時
瞬間的に見た光景を思い出しながら
話し合ったの
私は車に
あまり詳しくはないのだけれど
今の車はミラーがドアの横に
着いたものが多いのに
その方たちが乗っていた車は
まるで私が幼い頃
父が乗っていた時代の
ボンネットのそばにミラーが
ついたものでそして
材木が置いた
誰もこないような場所で
男性3人で何を
していたのだろうと
不思議に感じていたの
その事にとても
説明できない恐怖を
感じたのだけれど
無知な私たちは
それ以上の想像力がなく
この事は誰にも
伝えなかったのだけれど
最近になって友人や両親に
「あれだけ行っていたのに
最近小樽にいっていないの?」と
尋ねられて何気なく
その話しを伝えた時
「だめだよ!夜だれも来ない場所にいっちゃ
最近聞いた話だけれど
日本では新潟と小樽に
北朝鮮の船が入るのを
許可されていて
今でも行方不明の人が
けっこういるみたいだよ!」って
伝えられたの
その時やっぱり
私たちの理由はわからない
恐怖の意味がわかったの
そしてその時
身に着けていたロザリオにありがとう・ありがとうって
頬を寄せていたの
北海道では
今でも行方不明のままになった
海辺の町に暮らしていた方も多く
もしかしたら・・・って思うと
とても複雑な気持ちになっていたの
日本だし
見慣れた街だから
安心だと思っていたけれど
そうではないのかなって
感じていたの
小樽はロシアの方たちが
いつも船から降りて
街でお買い物をしていたり
釣り人に知っている片言の日本語で
話しかけたりしながら
過ごしてはいるけれど
その光景はとてもほのぼのとしていて
船が旅立つ時には釣り人たちに
見えなくなるまで
手を振っていたりして・・・
それぞれの事情や
問題はあるかもしれないけれど
私たち自身には問題のある
出来事へと結びつくような事はないので
日本なのだけれど
ちょっぴり異国情緒が残る
小樽がとても
大好きだったのだけれど
あの出来事以来
少し遠ざかっていたの
もし私の思い込みだったらと
思って
語らなかったのだけれど
今のこの時代でも
信じられない
出来事がもしも
あるのならば
できるだけ
そのような場面に
遭遇してもらいたくないと
思って
今回は書かせていただいたの
満月を迎える日には
残念ながらお天気が優れず
お月様を見ることが出来なかったのだけれど
前の日に
美しいまんまるいお月様を
見つめ
月のパワーを頂くことが出来たの
ずっと見つめていると
雲との芸術で十字に光が作られ
とても不思議な幻想的な空の芸術だったの
その時月の女神
アルテミス・ダイアナ・ヘカテ・テイア の
名前が次々に私の元に届けられ
たまたま頭の中が
忙しくなっていたの(笑)
最近は何かがきっかけとなって
今まで知ることのなかった
女神の名前が届けられているようで
単語として浮かび
そのたびに
メモをし後で
調べるようにしているの
元々宇宙に心惹かれていて
最近になって
プラネタリュ-ム体験を
させていただき
その度に
空に浮かぶ
星座の意味やネーミングを
教えていただき
夜空にも
女神がたくさん存在していて
楽しく学ばせていただいているの
私の場合強く
アバンダンティアと同一視されている
ノルウェーのフレイヤとの
ご縁が結ばれたのでは
ないかなって感じているの
フレイヤは神話に登場する
女神の中で
最も美しい女神で
愛と美と豊穣をもたらしてくれる
女神なの
魔法にもたけていたり
そしてたくさんの宝石を持っていて
自然が産み出す
美しい石を
愛していてたようなの
ある時
フレイヤは虹の橋を渡り
偶然細い小道を見つけ
どんどん進んで行くと
4人の小人が一生懸命に
何かを作っていたの
彼らは
黄金の首飾りを作っていて
その首飾りは
とても美しいもので
美しい光にフレイヤは心惹かれ
それ以来
黄金の首飾りをいつも
身に着けていたようなの
フレイヤとのご縁は
この間も
お伝えさせていただいたように
偶然に出会った
新たな家族として迎え入れた猫が
元々
ノルウェーの神話で
女神フレイヤと共に
過ごしていた猫だったこともあって
このようなご縁が繋がれたのだと思うの
フレイヤが運んでくれる豊かさには
これ!って決められない
豊富なバリエーションの豊かさが
用意されていて
その方それぞれに
よって違うみたいなの
周りの方にも
その豊かさを手渡したいと思って
お互いに時間を決めて
送受信してみたの
そうしたら
心煩っていた問題が
速いスピードで解決へと向かったり・・・
漠然とお仕事をしたい気持ちはあっても
どのようにこうどうしたらよいのか
わからなかった時
送受信後
数日後にポストに
募集広告が入ってきて
そのまま受け取って
面接を受け
今はじめての事に忙しくも楽しく
毎日を過ごしていたり
結婚が決まったりetc・・・
様々な形で
それぞれが幸せと思える
結果を導いてくれているようなの
でもアバンダンティアは
擬人化した
女神なので
経済的・物質的な事を
サポートしてくれると
考えられていて
貯金・投資・財産の保護者と
考えられているようなので
そのような形の豊かさと
ご縁を結ぶ自信を持つことが
まだできないの
なのでアバンダンティア
アバンダンス・レイの
アチューンメントという
スタイルで
豊かさを手渡してゆくには
まだまだ時間が
必要なようなの
今たくさんの神々・女神が
サポートしてくれているので
きっと私の中で
確信を持てるスタイルで
幸福を手渡してゆける日が
訪れると今とても楽しみに
過ごしているの
毎日アバンダンティアとの
コンタクトを願いながら
過ごしていた時
やっと
アバンダンティアとの
コンタクトが叶えられたの
金色に輝く姿が
夢に登場し
そして
その証として
次の日に
私に経済的な流れを
運んできてくださったの
私はどちらかというと
疑い深い所があるので
夢だけでは
納得できないとおわかりのようで
現実の生活の中で豊かさを形として
私の手渡してくれたのだと感じていたの
その経済の流れは
もう私が忘れてしまうほど
15年くらい前のお話で
その頃
親しくさせていただいていた
大切な友人がいて
その友人が
結婚しようと心通わせていた方の
子供を授かって喜びの報告を受け
共に喜んでいたのも
つかの間で
その後すぐに
その男性が姿を見せなくなって
彼女は一人残され
自らこの世を去ろうと
何度か様々な行動をとっていた時
子供だけが
彼女の中からいなくなって
その後彼女は
心身ともに光を失っていたの
その頃
病院の費用がなく
彼女から費用を貸して欲しいといわれ
その当時
自分が持っているお金とそして足りない分は
私の持っているものたちを手放し費用作って
彼女に手渡して
やっと彼女は
病院へゆくことができるようになって
数ヵ月後
彼女が引越しをし
どこへ行ってしまったのか
わからない状態になってしまったの
その後
彼女から手紙が届き
お金を返せない苦しさから
姿を消した自分を
許して欲しいというような内容の
お手紙を受け取り
正直寂しい気持ちに
包まれたのだけれど
その頃私は実家で暮らしていたので
経済的に
彼女をどうしても
探さなければならないほどでは
なかったので
彼女が幸せになるお手伝いを
させてもらったのだからと
自分に何度も伝えながら
納得する事にしていたの
そして
つい数日前
街でショッピングしている時
肩をたたく方がいて
振り返ると
その友人だったの
多くの人の流れがある中で
突然彼女は泣き出して
「ずっとごめん
今まで心苦しくって・・・
でもそれから連絡したんだけど
もう引越ししていて・・・」と
言葉を詰まらせながら
泣いていたの
その後カフェで
今までの流れを伝えてくれて
彼女が今幸せに
別の土地で過ごされている事を
聞いて
私のさせていただいた事が
無駄ではなかったことに
私もとても嬉しかったの
そして彼女が
キャッチュコーナーから
お金を引き出し
「今まで本当にありがとう
私もこれでやっと
心が軽くなれるよ」と
お金を手渡してくれたの
その出来事が
アバンダンティアの夢の後に
訪れた出来事だったので
この出来事は偶然ではなく
必然的に繋がれたものだったと
確信しているの
豊かさや経済というと
新たな流れを必要とするような
イメージがあるけれど
過去に置き忘れてきた
豊かさから
今その豊かさを
受け取るという形も
あるんじゃないかなって
感じていたの
そして
この出来事が
私にゴーサインを
与えてくださっているように感じ
身近なパートナーと
繋がりあって
アバンダンティアのエネルギーが
注がれるよう
アチューンメントしてみたの
そうしたら数日後
彼の会社で数年ぶりに
昇給があって
パートナーも喜んでいたの
彼の会社の方の奥さんが
そのような神秘的なことが
とても好きなようで
初めてのオーダーとなって
アバンダンティアと繋がり合う時間を
楽しまれていたようなの
その方は数週間後
小さいものではあるけれど
懸賞が当たって
届けられたようで
嬉しそうに
報告してくださったの
アチュ-ンメントを受けられて
結果が速いスピードで
訪れる方豊かさの大きさは
その方それぞれだけれど
アバンダンティアが届けてくれる
豊かさは
経済の豊かさ・物質的な
豊かさと共に
心の豊かさも
セットとなって
届けられているように感じているの
数年前
何かの本で読んだ
言葉をメモに書いて
いつも
自分に問いかけたり
刻んだりしながら過ごしているの
その言葉は
「自分自身を批判・批評すれば
他人はあなたを批判・批評するでしょう」
「自分自身を傷つければ
他人はあなたを傷つけるでしょう」
「自分自身に嘘をつけば
他人はあなたに
嘘をつくでしょう」
「自分自身にいい加減であれば
他人はあなたに対し
無責任な態度をとるでしょう」
自分自身を非難すれば
他人はあなたを
非難するでしょう」
感情に走り
自分自身に危害を
加える事があれば
他人は
感情あるいは暴力でもって
あなたに危害を加えることであるでしょう」
「自分の感性に耳を貸さなければ
他人はあなたの感性を
思いやったりしないでしょう」
「自尊心があれば
他人はあなたを
尊敬するでしょう」
「自分に自信があれば
他人はあなたを信じるでしょう」
「自分自身に正直であれば
他人はあなたに
正直にうちあけるでしょう」
「自分自身に優しく
思いやり深ければ
他人はあなたに
おもいやりのある態度で
接するでしょう」
「自己賞賛するならば
他人はあなたを
誉めたたえるでしょう」
「自分自身が楽しんでいれば
他人はあなたと楽しむでしょう」などの
言葉なの
例えば
とても心に痛みを感じる
出来事に出会った時や
人間関係の中で
調和を保つために
自分自身を大切にできず
相手の望むスト-リ-に対して
不満が生まれても
その気持ちを抑え
湧きあがった言葉を飲み込み
そこまで
無理をしなければ保てない
人間関係の中に
身を置かれた時などに
この言葉たちを
自分に唱えてみるの
そうすると
色々なものが見えてきて
相手の方を責めたり
不満に思う事で
問題を進めるのではなく
自分に対して
自分が責任や使命を
果たしていないことに気づかされるの
私の場合は幼い頃
何をしても母親のイメージする
家庭の配役として
満足をさせてあげることができず
何をしても否定をされてきた
記憶が
大人になった今でも
二人以上のグループの中で過ごす時に
蘇ってくるの
二人で話す場合には
お互いに瞳を見つめ
ダイレクトに思いや言葉を受け取りあい
違った意見が生まれても
腑に落ちるまで
話し合ったりできるけれど
それ以上の人数になると
無意識に多数決のような
空気が流れて
違う意見が生まれた時には
疎外感を感じてしまったりするので
とても心地よく過ごせないの
だからといって
誰かを好意的に思えないのではなく
人は自分と意見が近い人と
多く会話を交わすものだから
人数が多くなってしまうと
違う意見を伝えることが
難しかったり
私の場合は
幼い頃の記憶があるから
常識的に振舞わなくては・・・という
思いが強く働いてしまうので
あまり楽しめないことも多いの
私は常識がないというよりも
人が気になるところが気にならず
人が気にならない部分に
心惹かれたり
意識が流れてしまうところがあるので
その部分をできるだけ
みんなと同じように振舞うことが
調和を保つために
必要な部分だと感じて
自分の内なる部分から
湧きあがるものを
できるだけ表現しないように
過ごす時間が多かったの
そんな時に
この言葉たちと出会って
ちょっぴり心が強くなれた気がしているの
自分を大切に
心の声を優先するということは
もしかしたら
周りから少しわがままに
映るかもしれないけれど
本当の調和は
お互いが無理する事なく
お互いが
思いを表現する事に喜びを感じ
自分自身の思いを
受け入れることだと思うから
自分という存在を消してまで
保たなければならない
イミテーションの人間関係ならば
早かれ遅かれ
形を保てなくなってしまうと思うの
自分を大切にし
一番自分を輝かせられる
魔法を知っているのは
自分自身しかいないと思うの
今日本当の豊かさとは?という
問いかけがあって
改めて
豊かさについて考えてみたの
豊かさって
きっと人によって
違うと思うのだけれど
すべては
バランスなんじゃないかなって
感じているの
人間がイメージする豊かさは
大きなパーツにしてみると
経済・時間・人間関係・
健康なのではないかなって
感じているの
どれを失っても
幸福を感じづらくなると思うの
経済はこの地球上の中では
大きな役割を持って
存在していて使う人によって
まったく違う価値観を生んだり
とても強い力が
宿っているものだと思うの
いつの頃からか
本当はただの紙でできた
お金を
長い年月をかけて
価値あるものとして
今では世界のフリーパスとなった
地球上にある
もっとも不思議な物質だと思うの
でもそのような価値の中で
過ごす私たちにとっては
とても必要なものだと思うの
そして時間も
止めることの出来ない
かけがえのないものだと思うの
今こうして書いている間にも
過去へと時間が流れて
自然に未来に
時間は進んで
私たちのこの世での学びの時間が
消化されていると思うの
巻き戻せるならば
誰もが
この瞬間・あの瞬間に
戻りたいと思っていても
やり直せないからこそ
人生の価値を
生み出している大切なものだと思うの
人間関係も
様々な事を体験させてくれて
冷たい風を与える方もいれば
太陽のように道を照らし
ぬくもりを与えてくれる方もいて
人生をより色鮮やかにしてくれる
人生になくてはならない
体験だったり
健康は人間として生まれた以上
心・魂を運ぶ乗り物としてだけではなく
心・魂と繋がり
互いに影響を与えあう大切なものだと思うの
どのパーツも大切で
心で感じる豊かさを
想像するために
必要なものなんじゃないかなって
感じているの
豊かさって
その時・その瞬間
不足しているものが
満たされた時
もっとも豊かだと感じられるだけで
本当は豊かさって
それぞれの方の心が
感じ取るものだと思うの
同じものを与えられても
ある人は
「え!これだけ」と感じる方もいれば
「ありがたい」と感謝が
生まれる方もいると思うの
それはその時の
心の器が
どれだけ満たされているかという事を
表しているだけの違いなのだと思うの
でもいつも心の器が
傷によって満たせない状態の方も
いると思うの
どんなに周りの方が
応急処置してくれても
永久的なメンテナンスは
自分でしかできないんじゃないかなって
感じているの
感謝は感謝できる出来事を
更に招きよせ
不平不満は
更なる不平不満に思う
出来事を呼び寄せてくると思うの
誰にでも
人生のバイオリズムがあるから
スムーズな時ばかりではないけれど
そのような出来事の中にいるときにこそ
一番自分の心の器の状態を
知ることが出来るんじゃないかなって
感じているの
怒りや不安など
愚痴という形で短時間に手放し
心身が健やかになれる方は
一時的なスランプでまた
軌道修正が整って
笑顔になれると思うの
愚痴ってあまり
よい行動ではないかもしれないけれど
心通わせられる
人たちの間では
お互い様のストレス発散となって
明日の元気を生む
源となってくれる場合もあると思うの
そんな人間関係を
持っていたならば
きっと人間関係に恵まれた
豊かさを手にされていると
いうことだと思うの
豊かさって
気づかないくらい
当たり前に持っている事の中にも
豊かさはあるんじゃないかなって
感じているの
以前インターネットで見つけた
世界がもし100人の村だったらという
統計を読ませていただいたことがあったの
その時言葉を失うほど
心揺れる思いにつつまれたの
もし
現在の人類統計比率を
きちんと盛り込んで
全世界を100人の村に
縮小するとどうなるでしょう
その村には・・・
57人のアジア人
21人のヨーロッパ人
14人の南北アメリカ人
8人のアフリカ人がいます
52人が女性です
48人が男性です
70人が有色人種で
30人が白人
70人がキリスト教以外の人で
30人がキリスト教
89人が異性愛者で
11人が同性愛者
6人が全世界の富の
59%を所有し
その6人ともがアメリカ国籍
80人は標準以下の
居住環境に住み
70人は文字が読めません
50人は栄養失調に苦しみ
1人が瀕死の状態にあり
1人はいま
生まれようとしています
1人は(そうたった1人)は
大学の教育を受け
そしてたった1人だけが
コンピューターを所有しています
もしこのように
縮小された全体図から
私達の世界を見るなら
相手をあるがままに
受け入れること
自分と違う人を理解すること
そして
そういう事実を知るための教育が
いかに必要かは
火をみるよりあきらかです
もし、あなたが今朝
目が覚めた時
病気でなく健康だなと
感じることができたなら・・
あなたは今
いきのこることのできないであろう
100万人の人たちより恵まれています
もしあなたが戦いの危険や
投獄される孤独や苦悩
あるいは飢えの悲痛を
一度も体験したことがないのなら・・・
あなたは世界の5億人の人たちより
恵まれています
もしあなたがしつこく苦しめられることや
逮捕、拷問または
死の恐怖を感じることなしに
教会のミサに行くことができるなら・・・
あなたは世界の
30億人のひとたちより
恵まれています
もし冷蔵庫に食料があり
着る服があり頭の上に屋根があり
寝る場所があるのなら・・・
あなたは世界の75%の人たちより
裕福で恵まれています
もし銀行に預金があり
お財布にお金があり
家のどこかに小銭が入った
入れ物があるなら・・・
あなたはこの世界の中でもっとも
裕福な上位8%のうちのひとりです
もしあなたの両親がともに健在で
そして二人がまだ一緒なら・・・
それはとても稀なことです
もしこのメッセージを読むことができるなら
あなたはこの瞬間
二倍の祝福をうけるでしょう
なぜならあなたの事を
思ってこれを伝えている
誰かがいて
その上あなたは
まったく文字の読めない
世界中の20億の人々よりずっと
恵まれているからです
この言葉を始めて瞳に映した時
言葉では上手に表現できないけれど
自分よりも
大変な生活をしている方を見つめて
優越感というか
大変な生活をしている方を
見つめなければ
自分が恵まれていることを
感じられない人間って・・・と
あまり素敵な言葉として
受け止められなかったのだけれど
この言葉は
何度も読み返してゆくうちに
「あなたは感謝が足りない」と
伝えられているように
感じられるようになったの
豊かさはその国・地域人によって
様々で
日本の様に豊かな国では
経済的な事を
素直に求める事を
あまり好ましく受け止められないけれど
経済的な事が満たされない国では
経済の大切さは
命と同じように大切に考えられていて
ストレートに
願う人たちも多いと思うの
私たちが生まれ育った日本は
未来の予想や予定を
考えられるゆとりが
当たり前にあるけれど
それは
本当に幸せなことなんじゃないかなって感じているの
だからこそ
自分を幸せにしてあげなければ
この国・この時代・この環境に
生まれてきた意味や
使命を果たせないんじゃないかなって
感じているの
みんながそれぞれの形で
自分を幸せにしてあげることが
出来たならば
心に愛を育てることが出来て
その小さな行動が
やがて
意識をしなくっても
出会う人たちに
優しい言霊を与えたり
その言霊を送られた方は
また次に出会った方たちに
同じような優しさを手渡していたり・・・
すべて自分から溢れるものが
自分の周りの世界となってゆくと思うの
幸せはおすそ分けしても
減る事なく
逆に益々増してくる
この世で最も神秘的で
高貴な贈り物なんじゃないかなって
感じているの
オーラって
通常瞳に映して
見つめる事ができないけれど
オーラが大きく広がり
輝きだすと
人と視線が合うことが
多くなってくると思うの
それは無意識に
人間が感知する能力を秘めていて
身体が触れていなくっても
オーラ同士がふれあったりして
大きく輝くオーラを放つ方が
気になり
見つめたり見つめられたりするから
なんじゃないかなって感じているの
オーラはその時々の感情に
大きく影響を受けるので
自分が心おどるような時には
大きく広がり
周りにいる方にも
幸せな気持ちのオーラカラーが移って
幸せを無意識に
伝染させることができるし
その逆のこともあると思うの
オーラのカラーを意識的に
変化させたい時には
私の場合
いつもシャワーを使うことが多いの
シャワーを浴びる時
瞳を閉じて
降り注ぐ水の色を
その時々必要なカラーをイメージして
自分の身体に吸収してゆくような
イメージをするの
そうする事で
リアルに肌にあたる水が
イメージに力を与えてくれて
数分でも
癒されるのを感じられるの
寂しい気持ちや不安な気持ちに
包まれた時には
淡いピンクのカラーをイメージしたり
思い煩うことや怖れが
広がっている時には
淡いブルーをイメージしたり
経済的な不安・悩みが増してきた時には
淡い黄色や金色のようなカラーを
イメージしたり
カラーセラピーのように
心が浄化されてゆくの
水は浄化作用と共に
心身を清め
いつも新たに生まれ変わる機会を
与えてくれるものなので
いつも何気なく浴びている
シャワータイムをほんの少し
幸せのセラピータイムにする事で
日常が少しカラフルに
セルフコントロールが
整うようになると思うの
人の幸せは
人の数ほどあることを
わかっていても
ついエネルギーが何かのきっかけで
ダウンすると笑顔を輝かせ
過ごしている方よりも
自分が恵まれていないのではないかと
初めは小さかった影を広げてしまう事って
あると思うの
そうして
人が喜びごとを
心許し表現してくれた事も
自慢や自分の人生を肯定しようとして
語るアピールと
受けってしまう事もあると思うの
そんな時には
心の大地が乾いていて
雨を求めているのだから
無理に心に太陽の光を照らすのを
休息して
雨となる涙を流したらいいと思うの
そして
その乾いた大地には
浄化の雨が注ぎ込まれて
今度は太陽の光を
自然に求める
タイミングが整ってくるんじゃないかなって
感じているの
人への優しさや思いやりがある方ほど
心の大地にお水をまくことを忘れて
相手の方の心の大地に
一生懸命に水を注がれている方も
多いんじゃないかなって思うの
大地の渇きを自分で満たすには
多くの時間が必要になるほどになっている方は
無意識に
相手から注がれる水を求めて
感謝を求める気持ちが
生まれてくると思うの
感謝の言霊は
一瞬にして
心の大地を潤してくれる事を
知っているからだと思うの
でも相手も同じような
心の状態であったならば
スムーズに
注ぎあう事が出来ないときも
あると思うの
多くの人間は親切で
愛情を注ぐ対象があったならば
無意識に愛情を注ぐ事から
幸せを感じられるほど
湧き出す愛のエネルギーを
持っていると思うの
ただ
その手渡した愛情に対して
「届きましたよ」というサインとして
「ありがとう」「助かったよ」
「感謝しているよ」など
伝えていただきたいと
思っているのだと思うの
このような出来事が
私の周りで今多く届けられているようで
友人や家族から
このような出来事をよく
伝えられているの
ある友人は
自分がのどが渇いたり
お腹がすいたりした時
自分だけ目の前で食べる事に
抵抗を持っていて
いつも相手の分も買ってきて
共に食べていたの
そんな事が
1年くらい続いた時に
友人が始めは親切な思いやりから
表現していた行動だったのに
その逆の感情が
芽生えてきたようだったの
友人は相手を責めるというよりも
必ず自分を責めてしまう
スタイルで答えを
求めようとする所があって
私に伝えてくれる時にも
「私はものが欲しくって言っている
わけではないんだけど
何となく
私は何をしているのだろうって
思うようになったの
相手は何となく当たり前のように
何も感謝を伝えてこないし
それどころか
今度買ってくる時には
もっとこういう風なのって
注文まで伝えてくるんだよね
こんな事気にしている
私って本当に心狭いと思うんだけど・・・」と
伝えながら
言葉では表現が上手に伝えられない
もどかしさを感じながら
気持ちを伝えてくれていたの
よく昔から
相手からの見返りを期待して
人に施しをしない方がよい
人にはプレゼントしたと
思って・・・など
様々な表現があるけれど
人間関係の中では
上手に言葉として表現できないけれど
無償の愛に甘え
エスカレートされる方や
当たり前のように受け止められる方も
存在しているのは事実で
友人が心が狭いからというような
答えとは違うような気がしたの
人間関係の中では
形のない心を通わせたい
それだけで多くの様々なものを
交換し合っているだけ
なんじゃないかなって
感じているの
どちらが良い悪いではなく
心通わすには多くの時間が
必要な場合も多く
同じ事をしあっても
気にならない人もいると思うの
その友人から
私はいつも色々なギフトを頂き
その都度
お返しに気が回らない私は
ただ喜びを伝えるだけで
友人に何も返せていないけれど
いつも友人は笑顔で
私にその都度見つけた喜びを
おすそ分けしてくれるの
私は彼女のお誕生日にも
プレゼントを手渡す事もないの
ただ旅先や何気ない日常の中で
とても美しい感動を与えてくれるものを
見つけたとき
何のイベントでもないのに
プレゼントしたり
ただ・ただ
思いのままに付き合いを
させてもらっているの
でもそんな私に
彼女はいつも優しく
感謝の言葉を伝えてくれる
思いやり溢れた人だから
私は彼女が心狭いとか
そのような事ではないと
思っていたの
人って多くの場合
周りにも
自分にも納得のする理由を
あれこれと語ったりするけれど
相性という理由を語れないフィーリングが
大きく影響していることって
あると思うの
だから
人間関係の問題の多くは
悪い人は
存在していなくって
互いの心が
重ねあえないだけの場合も
あると思うの