2006年6月
少しずつ太陽が長い間
大地を照らしてくれる事もあって
週末には
遠出したりしながら
その土地土地の
聖地や霊場などへと
足を運んでいるの
昔から聖地や霊場には
多くのエネルギーが
宿っていて
その場所へ立つだけでも
エネルギーが
吸収できると
いわれているので偶然でも
見つけたときには
予定を変更して
必ず立ち寄るの
遠くてスムーズに
その場所へ行けない方などは
霊場や聖地のエネルギーを
宿した土を行った方に
お願いして
少し頂き
その土を踏みしめる事で
その場所へ行ったのと
同じくらいの
エネルギーを頂けたり
徳をいただけるという
お砂ふみという形で
体験されるのもいいと
思うの
霊場などには
様々な方が
様々な思いを持って
足を運ばれる事もあって
静寂の中なのに
心や魂の中には
たくさんの声が届けられて
心地の良い
忙しさを感じながら
その場を離れる時には
すっきりとした
気持ちに包まれるの
私自身は
宗教に属してはいないので
こだわりがあまりなく
たくさんの宗教の中にある
素晴らしい教えや
習慣などを
自分のライフスタイルに
フィットした形で
取り入れながら
どの宗教も
長い年月多くの方に
守護されている意味が
なんとなく理解できたりして
日常の中では
体験できない癒しを
与えていただいているの
その宗教それぞれに
崇める形として
作られた空間や像など
まるで美術館にいるかのような
美しいものが多く
瞳に映しているだけでも
何か魂に
問いかけられているような
感覚があったり・・・
それぞれの宗教がイメージする
癒しの空間が
プロデュ-スされていて
幼い頃から
ずっとなぜか
恐がる事もなく
一人でお寺の中で
過ごしたりしていた事を
思い出していたの
幼い頃は
お葬式などで
両親に手を引かれて
伺う事しかなかったのだけれど
いつもみんなが集まる部屋を
抜け出しては
境内を
一人で歩き回ってみたり
教会の中にある
マリア像をずっと見上げて
心の中で
語りかけていたりしていたの
その後すぐに
母が私を見つけて
「どうした?
なんか見える?
なんか言ってる?」
など
尋ねてくれていた
あたたかい記憶が
癒しの空間にはあるの
母は今でも
私以上に
具体的に
霊感が働くの
瞳で見たりするような
形ではないけれど
突然映像が浮かび
そのメッセージを
ごく少数の
信頼してくれる方には
伝えているの
10年以上前にも
父方の祖父に
家族で会いに行った時
帰り道で母が
「じいちゃん
1週間くらいしかもたないわ」
と
突然言葉にして
その言葉を聴いた
父は怒りだし
「いつも通り
あんなに元気で
遊びまわっているのに
縁起でもない事をいうな!
ずっと思ってたけど
お前そういうとこ
気持ち悪いんだよ」
と
怒鳴り
けんかになってしまったの
私は母の言葉を
受けて
さっきまで話していた祖父を
頭の中で
思い起こしていた時
祖父の右側の頭が
赤い光に包まれていた
写真があったことを
思い出し
その事を両親に伝えると
母は納得していたけれど
直接の父にとっては
信じがたい予言で
怒りながらも
不安な表情に
代わっていったの
それから1週間もたたず
祖父は脳溢血で
天国へと
旅立っていったの
それ以来
父も母の伝える言葉を
意識して気をつけるように
なったの
母の場合
何かを見るような形ではない
霊感を持っているようで
何かあった場所や
あまり良くない念が
広がっている
場所に行くと
母は
表情・顔色などに
大きな変化が現れていて
そんな時には
いつも母に
鏡を見るように進めるの
そうして鏡を見た母は
「やっぱり!ここにいると
息が苦しいの
早く帰りたい」
と
いう事が
多いの
そんな思いの場所で
写真などを撮ると
母だけが白い煙のベールに
包まれて
母が見えないくらいに
映っていて
その写真を撮った
親戚は
手渡すのを
ためらうほどだったの
数年前には
私の大切な友人が
努力をしているのに
いつもスムーズに
物事が運ばず
精神的にも
ダメージを受けて
心療内科へ通うことになって
心配になった
私は
母に友人の事を
相談したら
突然部屋の間取りを
伝えてきて
引越しをするように
私から伝えた方が良いと
言われたの
その友人に
その事を伝えたの
私もその友人の家には
行った事がないので
母に伝えられた通り
地下があるような
不思議な作りで・・・など
伝えたら
その友人が驚くほど
間取りが
あっていたようなの
その友人は
出会った頃から
私自身が
少し不思議な体験と
見てしまう形の霊感を
秘めていることを
信頼してくれていたので
母の助言もあって
金銭的な都合が
整うのを待つ事なく
すぐに引越しをしたの
それからうそのように
順調に運び
病も消え
仕事でも転職先で
速いスピードで
トップとなって
今も頑張っているの
ずっと
アロマオイルなどで
香りを楽しみ
お部屋を浄化していたのだけれど
ここ最近は
お香やお線香など
まるで漢方薬を
調合したような香りに
心惹かれていて
瞑想や空間の浄化に
アジアティックな
お香などの香りを
使っているの
そして祝詞・ロザリオの祈りから
お経へと
なぜか
今変化しているの
特に意味はないのだけれど
そのタイミングで
今仏教に惹かれているのなかって
感じているの
その事を感じていた時
大切なソウルメイトが
遠い町で
キャッチしてくれたのか
京都のお寺や
高野山のお線香やお香などを
送ってくださり
すべての宗教を
心惹かれる形で
ふれあうタイミングが
いつも与えられて
今は仏教の中から
吸収したい学びや
癒しを
体験する時なのかなって
感じているの
お線香の香りに
包まれたままでも
気にする事なく
そのあと
教会へ行ったりもするの
今回ふっと立ち寄った
教会は
夕方ということもあって
牧師さんと数名の方が
お掃除されていて
躊躇していた私たちに
優しく
あいさつを交わしてくれて
心のままに
パイプオルガンにふれたり
マリア様の像を
なでたりしていたの
その時
牧師さんの瞳に
私が身に着けていた
ロザリオが映ったようで
「素敵だね
これは石かな
仏教などでは
数珠や腕輪などに
水晶を使ったものがあって
いいなって
思っていたけど
私がそのようなものを
着けるのは・・・ちょっと
思っていたけど
ロザリオになっているのも
いいね~
ロザリオには
木やビーズ玉を
使ったものはあるけど
石を使ったものはないから」と
私のロザリオを
ふれながら
「時間のあるときで
かまわないから
作ってくれないかな」
って言われて
なんだか
とても嬉しい気持ちに
包まれたの
これから製作する
ロザリオを身に着けて
土曜日や日曜日に
多くの方たちと祈る
その空間で
私のロザリオを身に着けて
くださると
思うだけで
とても大きな力を
与えていただいたような
喜びに
包まれているの
ただ本格的な場面での
ご使用なので
数や色などは
正式なロザリオと
同じように
作らせていただこうと
思っているの
最近このような
出会いも多くって
私の中で
益々普遍的に
存在している
エネルギーに
心惹かれているの
今日知り合いの方から頂いた
お経が録音されたCDを
聞きながら
空を眺めていた時
夕暮れということもあって
雲が
金色に染まり
その間から
光が
スポットライトのように
溢れていて
その美しい光景に
うっとりしていたの
その時
雲の流れが止まったまま
ゆっくりと形を
作っている
場所が目に止まったの
他の雲は
風に吹かれて
どんどん流れてゆくのに
その場所だけが
縦になり
時間と共に
形がまるで
マリア像か
観音様のような形に
なっていったの
そして形が整ってからも
20分くらいは
そのままの姿で
空に描かれた状態だったの
つい私は
ベランダへ出て
何度も見直しながら
つい
手を合わせてしまったの
生まれてはじめてみる
空の芸術に心が動揺して
友人たちに電話をして
伝えたほどだったの
15年位前に
空と繋がり
幽体離脱をした時のように
空と魂が繋がっていて
思いがストレートに
届いている感覚が
また蘇ってきているんじゃ
ないかなって
感じていたの
中学生の頃から
10年くらいの間
毎日のように
空を見上げるたびに
UFOを見つけ
もしかして無意識に
交信しあっていたりして
(笑)
もしかして私は
地球代表に
選ばれていたりして
(笑)
と
思うほど
窓を開けたり
空を仰ぐたびに
昼夜問わず
UFOを発見していたのに
ふっと気がつくと
UFOを見ることが
なくなっているのに
気がついて
地球代表から
落選してしまったの?
(笑)
それとも私の中に埋めた
発信機が寿命で
交信が出来なくなっていたりして・・・
(笑)など
友人たちに
よく話していたので
今回の雲の芸術の報告を
友人に伝えた時
「また来たんじゃない
地球代表に
選ばれたのかもよ(笑)」
って
笑いながら
宇宙の話しをしていたの
いつも
元気を与えてくれる
友人と久しぶりに
素敵なカフェで会ったの
友人と過ごす時間は
なぜかいつも
互いに時間を忘れてしまい
気がつくと5時間も
話しをしていたり
話題が尽きないほど
次々と
心地の良い時間が流れるの
彼女はスピリチュアルな事に
昔から理解がとてもあって
心から信頼を寄せている人なの
彼女と私は
自分から溢れる言葉を
改めて
表現する中で
はっと自分の今抱えている問題や
思い込みなど
様々な事に気づかされ
互いに
無意識にセラピーを
しあっているような
時間となっているの
なぜ?
イライラしていたのか?
なぜ?
うまくいかないのか?
など
人へ伝えている言葉で
自ら気づく時や
相手から伝えられたり
親しい友人って
まるで鏡のようだなって
感じたりするの
彼女が
何かのテレビを見て
感動した
お話の中で
「テキスト通り・間違いなく
作られても
そのものに
ストーリーを感じないものは
やっている本人も
見つめる人たちも
感動しない
という
言葉があったの
きっと彼女は
間違えなく
行うことの
大切さだけではなく
想像性・イメージの
大切さを
その番組から
感じ受け取ったのかなって
感じていたの
確かに物事は
何でも
同じように
何かを教えていただく時
基本は同じでも
その後の展開は
その方それぞれの
秘めている能力や
想像性によって
様々なカラーとなって
ゆくものだと思うの
逆に
まったく基本的なことを
知らないからこそ
子供のように
独創的なイメージを
描ける事もあったり・・・
そして
人が感動するものって
技術ばかりではない
何かその方から
伝わる何かに
感動を
呼び覚まされる事って
多いんじゃないかなって
感じていたの
彼女は外国の言葉を
今習っていて
その中でも
そのような事を
感じているようで
文法の大切さは
理解できるし
基本なのはわかるけれど
彼女は平面な授業が
自分にはフィットせず
音として感じ
イメージを
大切に楽しみながら
ゆっくりでもいいから
その国の言葉を取得したいと
思っているようで
少しおうちから
遠くなってしまうけれど
自分が楽しみながら
習える場所を
探す事にしたみたいなの
そんな彼女の近況報告に
なんだか
天使が彼女の姿を借りて
私に
歩みがゆっくりでも
今のままでいいんだよって
言葉を送ってくれているような
感覚に包まれていたの
私自身
過去に仕事という形の
体験を持たず
学生という学びの時も
ほとんど過ごす事なく
何に触れても
長く心惹かれるものに出会えず
その中で
ずっと変わる事なく
心惹かれているのは
パワーストーンとの
ふれあう時間で
その自然が生み出した
パワーストーンにふれ
対話しながらイメージと
結び
形としてゆく
その時間が
私にとってとても
幸福な時間と
なっているのだけれど
時には
基本的なデーターや
情報・技術などに
瞳を向けた方が
いいのかなって
思うこともあるのだけれど
心がそのように
動いてくれなかったので
それは
それでいいんだよって
改めて
伝えてくれた気がして
とても心強かったの
話の内容は違っていても
答えと結びつくような
教えって
どこからでも
伝えられているんだなって
とても感じた
楽しい時間だったの
Hpを始めさせて頂いて
出会ったソウルメイトが
ハワイで
エンジェルワークを
体験するために
旅立ち
その時に
ありがたい事に
私のアクセサリーを
いくつも共に
連れて行ってくださったの
その方の美しいエネルギーと共に
私のアクセサリーを
身につけてくださったようで
その方が結ぶご縁で
エンジェルワークをされている
RED ROSEの万美子さんの元へも
私のアクセサリーが導かれ
天使が結ぶご縁に
感謝しながら
過ごしていたの
今まで独学で
様々な体験から
歩むスタイルを大切に
過ごしてきた事もあって
セラピーとのご縁は
あまりなかったのだけれど
今回女神アバンダンティアを
受けるタイミングを
与えていただいたの
自分でもストーリーが
イメージできるものには
あまり心惹かれない所があるのに
どうしてなのかなって
自分でも不思議に
感じていたのだけれど
その理由が
テキストを拝見して
理解できた気がしたの
繋がりあう女神は
ローマの神話では
Abundantiaという
女神で
ノルウェーの神話では
その女神は
Fullaと呼ばれている
女神のようで
その女神の名前を見つめた時
鳥肌が立つほど
不思議な偶然の一致を
感じたの
私の新たな家族として
迎え入れた猫は
ノルウェージャンフォレストキャットという
種類の猫なのだけれど
伝説・神話
おとぎ話に登場するほど
歴史のある猫のようなの
古代スカンジナビア
ノルウェーを源として
アイスランドに伝えられた
中世の西北欧の神話「エッダ」では
愛の女神”フレイヤ”が登場し
ゲルマン系の
北欧神話の最高神である
オーディンの妻フリッグと
並び称される女神なの
そのフレイヤが出かけるときは
二頭の大きな猫が引く
二輪の車に
乗るといわれているの
そして
その車を引いたと
いわれているのが
ノルウェージャンフォレストキャットなの
その女神の名前を
テキストの中に
見つけた時には
受けるべくして
受けるタイミングが
与えられたのだと
今から感動と
楽しみな気持ちで
心躍るような
思いに包まれているの
最近は
仏教にふれる機会を
与えていただいたり
教会の牧師さんとの出会いも
会ったりしたので
次は神話の世界の
女神との出会いを
体験させていただける
プログラムが
私の元へと
届けられたのかなって
今からワクワクしているの
今日は以前から
製作させていただいていた
ロザリオを
牧師さんに届けるために
足を運んだの
いつでもそうだけれど
アクセサリーを手渡す時には
自分の思いと
相手の方の思いが
溶け合い
笑顔を作ってくれるのか
とてもドキドキするの
少し緊張しながら
教会の中に入っていくと
牧師さんは笑顔で
私の方へ歩み寄り
とても楽しみに
待っていてくれたことを
伝えてくれたの
私が作らせていただいた
ロザリオはオニキスで
その石の持つ力や
なぜ?
このようなイメージに
繋がったのかを
お伝えしながら
手渡したの
ギフトボックスから
取り出したロザリオを
とても気にいていただき
すぐに身に着けてくださったの
その光景を
見つめながら
今まで私のアクセサリーを
手にされた方の
ひとり・ひとりの
イメージが
高速スピードでイメージとして
届けられたの
その時
私は
なんて素晴らしい時間を
皆さんに
与えていただいているのだろうと
感謝という言葉を超えた
思いに抱かれていたの
その後
牧師さんが
「おいくらお支払い
したらいいですか?」
と
尋ねてこられたので
いつも通りの価格を
伝えると
私が伝えた価格ではなく
大きなお札を
1枚手渡されたの
その時
私は何度も返そうとしたの
でも牧師さんは
「あなたが素晴らしい作品を
作る部品を買うのに
使ってください
そしてこれからも
多くの人を
私のように
喜ばせてあげて」と
あたたかい言葉を頂き
その時瞬間・瞬間の
短い時間の中で
多くの気づきと
ありがたさで
胸が熱くなったの
それは牧師さんの
言葉だけではなく
その言葉の中には
今まで私のアクセサリーに
優しいまなざしを
向けてくださった方たちの
大きな愛のおかげで
私が思いを表現する機会と
モチベーションを
与えていただき
続けさせて
いただいている事を
改めて
伝えていただいているような
気持ちと
神様が
私が喜びとしている
時間を祝福し
守護してくださっているのを
感じていたの
この短い時間の中で
無意識に刻み込まれた
豊かさを
ブロックしている思いにも
気づかされていたの
言葉では上手に
表現できないのだけれど
相手の方が
喜び手渡そうと
しているのに
自分は返すことが
善意・思いやりという
プロセスの流れとして
潜在意識の中に
刻み込まれていて
その事が
互いに
豊かな思いを循環する
ブロックとなっているような
感覚が伝わったの
正直に
自分の気持ちを
見つめたならば
牧師さんが
手渡してくれた価格が
本当は
私の中でも大きな
喜びを感じ
次の
創造性を
広げてくれるための
アイテムを購入させてもらえるのに
自分へ向ける
過小評価なのか?
自分がこんなに
豊かさを手にして良いのかと
未だに
豊かさを受け取る事が
少し難しく
感じるときがあるの
多くの方は
豊かさを手渡すことは
とてもスムーズに行える
周りへの愛の深さを
お持ちだけれど
豊かさを
受け取るという行為には
少し不慣れな所が
あるんじゃないかなって
感じているの
そして自分が体験から得た
感覚ではない
生まれた時から
6歳くらいの間の
潜在意識を刻む段階で
育ててくれた人が感じている
社会のルールや価値観を
良いこととして刻み
潜在意識のふたは
閉じられるような所も
あったりも
するんじゃないかなって
感じているの
潜在意識は意識して
触れられる場所ではないから
顕在意識だけで思っても
潜在意識へと
届けられなければ
なかなか
新たな思いや考えは
刻まれないんじゃないかなって
感じているの
良いこともそうではない事も
意識の上では
自分という存在が考え
表現している
世界が広がっているけれど
ふっとした時
何か困難に出会ったときは
深い部分にしまわれている
潜在意識から
答えを探すことが
多いと思うの
その潜在意識の中にあるものが
私と思っている価値観を
作っているものが
たくさん収められていると思うの
例えば
困難に出会った時
「やっぱり自分はだめなんだ」
「いつもこうなるんだよな」
などの答えへ
たどり着かれる場合
もしかしたら
幼い頃育ててくださった方が
「だから言ったでしょ」
「あなたにはできないの」
と
いつも言葉として
伝えられていたり
大きな夢にチャレンジして
大変な人生を
歩む方が映ると
夢を見てしまうと
このような結末になるとか
経済的に豊かな方を見つめ
その方が
自分をなぐさめるために
豊かさを否定する発言を
繰り返されて
いたりしていた場合も
よくあると思うの
私の友人の一人に
若い頃から驚くほど
行動力があって
30歳になるまで
その場・その場で
何とかなるという思いで
世界中を
旅を続けてきた方が
いるのだけれど
彼女は
自分が望む事に忠実で
色々な体験をされてきたの
未来の不安を
解消するために
経済的な積み重ねを
する事もなく
ただその時
与え・受け取る事を
スムーズに
行っていたように感じたの
彼女のその感性は
両親から
伝えられていた
言葉にあったようで
悩んだ時には
両親が伝えてくれた
「人生は人と人との繋がりが
大切だけど
一番大切なのは
自分がどうしたいのか?
何をしたいのか?
だから
周りに振り回されず
流されずに
自分を大事にできたら
どんな場所でも
幸せに
生きてゆけるという
言葉を
よく思い出すそうなの
彼女のご両親は
ご商売で
成功されている方で
その後
両親から刻まれたものが
ずっと彼女の中では
生きているようで
帰国してからも
彼女は自分の持つ
才能を生かし
精神的にも物質的にも
豊かな暮らしをされているの
彼女を見つめていて
改めて
潜在意識の大切さを
感じていたの
そして
彼女を見つめていて
「I・LOVE・YOU]
ではなく
「I・LOVE・ME」
という事の
素晴らしさも
改めて感じたの
彼女は幼い頃から
愛を伝えてくれる
両親の元で自分を
無意識に
愛される価値と
愛される資格がある事を
受け取り
気がつくと
自らも
どんな時にも
自分を大事に
自分wの愛せるように
成長されてきたのだと
思うの
ある時
日本から持っていった
リーズナブルな価格の
文房具など
荷物にならず
高価な価格で
売れると聞いた友人は
現地で
何倍もの価格で売った話を
楽しげにしていた時
私はつい
「え!心痛まないの
しかも物価からしても
すごい金額なんじゃないの」
と
つい余計な事を
言ってしまったの
きっとその形が
私の思いやりの形を
表現する
プロセスの流れだったと
思うの
その時彼女は
「私が売ろうとしたわけではないし
向こうが欲しいというものと
私の欲しいものの
ニーズが
あったんだから
いいんじゃないの
これで私は
スウィートに泊まりながら
次の旅のプランでも
考えるよ」
って
伝えられたことがあったの
彼女はその後も
同じような流れを
いくつも体験し
多くの方が
難しく感じている
経済的な流れへの思いを
クリアにしていて
私は彼女から
経済的な豊かさ・心の豊かさ
創造性の豊かさなどを
伝えてもらった
気がしたの
大人から伝えられる
その方それぞれの
価値観を
一番そばで
吸収してきた子供は
やがて成長し
大人になってからも
知らぬ間に
同じような価値観と
表現を繋げて
ゆくんじゃないかなって
感じているの
顕在意識では
豊かさ恵みを
求めない人間などいないと
自覚しながらも
ふっとした時には
潜在意識の扉が開かれて
富を積みのように
知らぬ間に
刻まれていて
時に
成功されている方を
見つめては
「あんなにお金を持っていてもね~」
など
他者に対しても
自分に対しても
豊かさが
入ってこようとするのを
許していない
言葉が溢れていたり・・・
自分の行動と
結び付けているものは
すべて
無意識の潜在意識だから
その潜在意識に
メッセージを届け伝えることが
大切なように
感じているの
人間は一日に
何度か潜在意識の扉が
開かれる時が
あるみたいなの
それは
リラックスしている時や
ぼーっと何かを
見つめている時だったり・・・
その時に潜在意識に
素敵なイメージや言葉を
伝えてあげると
スムーズに
流れ込んでゆくみたいなの
それを何度も
繰り返してあげる事で
今度は意識しなくっても
潜在意識が働いてくれて
外の世界へと
流れてゆくようなの
例えば今現在
こうなりたいというヴィジョンが
あるのならば
その憧れるヴィジョンに近い
映像や場所・言葉を
イメージしたり見つめたりを
リラックスした気持ちで
一日に描く時間を
持つといいんじゃないかなって
思うの
人によっては音によって
気持ちが動かされ
記憶が
蘇ってくる方は
音を使ったり
香りによって
思いでは
蘇ってくる方は
香りと共にイメージしたり
何かを見つめる事で
記憶にアクセスされる方は
外へ出て
できるだけ多くのものを
見つめる機会の中で
潜在意識に伝えたり・・・
何が自分の心を動かし
記憶が眠る
潜在意識に
アクセスできるのかを
知って
ライフワークとして
取り入れると
より人間としての豊かさが
流れ込んでくることを
自分自身が許し
受け取れるんじゃないかなって
感じていたの
今の時代は
時間の流れが年々
速いスピードで流れていて
つい数日前の
ことと思っていた出来事が
本当は
数ヶ月も前のことであったり・・・
2000年が明けてから
時間の流れが変わっていて
その流れにフィットするために
私たちは
モデルチェンジが
今必要な
気がしているの
それはまるで
テレビの動きととても
似ているんじゃないかなって・・・
テレビも今まで
古いモデルでも
鮮明に映り
自分が心向くままに
見たいものを見られたけれど
あと数年立つと
新たな形の展開となって
今までの古いモデルのものを
そのまま使うだけでは
見られなくなって
モデルチェンジか
もしくは
新たにプラグが
必要になるように
人間の進化も
今の時代は
そのような流れの中で
過ごしているんじゃないかなって
感じているの
きっとそれは
宇宙から降り注ぐ
エネルギーの
周波数やチャンネルが
変わったからかなって
思うの
今までは物事が
順調に進んでいたのに
ある時から
急に理由がわからないまま
スムーズに物事が
運ばなくなっている方や
その逆の作用など・・・
今まで受信できた
エネルギーが
受信できなくなって
まるで独りぼっちになったように
寂しさと混乱などに
包まれ過ごされている方も
いると思うの
宇宙から降り注ぐエネルギーの
周波数やチャンネルが
変わった事で
周波数やチャンネルを
探し合わせようとしないまま
長い時間過ごした方の中には
意識・思考が
ショートしてしまって
何年も前に体験した
辛い記憶を
今解消しようと行動し
周りからは
大きな時差を感じるような
事件へと発展していたり・・・
ニュースなどで
伝えられている
出来事の多くは
過去の記憶から
繋がり
大きな時差を
本人は感じないまま
今という時に
結果を出していることが
多いんじゃないかなって
感じているの
ニュースになるような
出来事にまで
発展しなくっても
小さな子供が
この時間の流れの中で
心身に痛みを与えられても
与えられた環境を
抜け出す準備が
整わない子供は
ただただ耐えてゆくしかない
時間を過ごしていたり・・・
そのような痛みを
与える大人たちの多くは
無意識に痛みわけをしなければ
生きてゆけないほど
人生の中で辛い時間を
過ごしてきた方も
いると思うの
今の大人の姿からは
想像ができなくっても
幼い頃は
誰もが純真で
与えられた環境を
一生懸命に
消化しながら過ごしていて
その幼い頃に
自分という存在の
ベースが作られて
見た姿は
大人になっていても
深い部分では
幼い頃からの体験をベースに
自分なりに求める
幸せを作ってゆこうと
誰もが無意識の行動を
していると
思うの
私の知り合いの中には
お子さんを授かった頃から
様々な病を
持つこととなった方がいて
その方は
とても優しく
正しいルールの中で
女性として・母親として
過ごしているの
でも
いつも瞳には光がなく
髪は抜け落ちて
カツラを使用していた
時期もあったの
周りの方から
見つめても
心配になるくらいに
変化していったの
でも本人は
あまり自覚症状もなく
軽いフィーリングで
「考えすぎちゃったのかな」
などと
笑えるゆとりもあるの
でも彼女を見つめていると
言葉に出来ない思い
そして
自分でも気づいていない
原因があるんじゃないかなって
感じたの
彼女は両親と暮らした時期に
愛情を見つけられずに
過ごしてきて
いつも安定した
自分の居場所を探し
やっと縁が結ばれて
スタンダードな幸せを
受け取ったのだけれど
両親から
自分が受け取るはずだった愛情を
受け取らないまま
飛び越えて
彼女は親となり
子供へと
受け継がれた事から
すべてが
繋がっているんじゃないかなって
彼女の話す
何気ない会話から
感じていたの
そのような思いは
人へ語るには
もう年齢を重ねすぎていて
今更
過去にこだわるのは
おかしいと
思われるのではないか?
時代が変化し
様々なものが変化しているのに
自分の子供に嫉妬する
自分を受け入れられなかったり・・・
様々な思いを込めた
言葉を飲み込んでゆくと
人は病気になって
しまうんじゃないかなって
感じていたの
人間は正直に
気持ちを言葉にする事を
上手に行えなかった場合
大きな誤解を生んでしまったり
伝えたい本当の思いとは
逆になる場合があるから
このようなデリケートな問題は
自分でしか
消化できない
問題だと思うの
私自身の事を
振り返ってみても
デリケートな本心は
言葉を選ぶのが難しくって
一番近い宿命で
結ばれた家族には
伝えていない部分も
あるの
弟に天使が授かり
人生の中で家族が
今までにないくらいに
感動し
涙が溢れている姿を
見つめ
私も神秘的な場面に
出会えた喜びと共に
複雑な思いもあったの
その頃は
まだそんな自分の心に
瞳を閉じて
見つめられなかったのだけれど
時間と共に
ちょっぴり辛い作業ではあるけれど
ひとつずつ
紐解いていったの
そうしたら
今まで両親を
笑顔にしたいと思って
長い間
努力してきたのに
その思いを上回る
喜びを
瞬間的に成し遂げた
弟たちがうらやましかったのと
自分には縁のない
親になる幸せに
みんなが
「これこそが人生の幸せ」
という
笑顔を見つめ
自分が勝手に
自己否定されたような
感覚に包まれたから
複雑だったことに
気がついたの
もし
その思いに気づかないまま
過ごしていたならば
ただただ
自分を正当化するために
意味もなく家族を否定して
その言葉を
表現する自分も
苦しかったと思うの
受け入れがたい思いが
自分の中にある事を
発見した時
忘れたふりや
気にしていないふりをしても
その気持ちは
まるで宇宙空間を漂うように
自分の中を巡っていて
本当の解消とは
ならないんじゃないかなって
感じているの
よく人に
何かを伝えると
相手は
心を軽くしてくれようと
思いやりから
「気にしすぎだよ」
と
表現する事があるけれど
その言葉を受け取っても
軽くなれない場合は
時間をかけて
本当の自分と対話する事が
大切だと思うの
今の時代は
自分たちが進化する
しないの意思とは別に
進化が進んでいて
心の周波数が
宇宙と繋がる周波数と
フィットして
チャンネルから降り注ぐ
映像や知恵・パワーを
キャッチ
できるんじゃないかなって
感じているの
宇宙は人間の感性とは
違う部分があって
言葉や容姿・経歴などでは
計られる事はなく
心や魂から溢れ出す
周波数で受け取れるものが
変わってくるんじゃないかなって
感じているの
人間関係の中では
周りの方に無意識に
自分は安全で
善良な人だという事を
言葉として時々
折込み話さなければ
誤解や不安を
与えてしまう事もあるから
心と言葉が
違う時もあるけれど
宇宙は心と魂に
あるものにしか
反応しないので
自分の中を
いつもクリーンにする事が
とても大切なんじゃ
ないかなって
思うの
例えば
スピリチュアルな
美しい流れとは
違うイメージや
言葉が溢れたとしても
それは誰もが秘めている
パズルのピースのひとつを
見つただけなのだから
「受け入れ体験できた私ってすご~い」
って
自分の一歩・一歩を
ほめてあげながら
消化してゆくことも
大切だと思うの
自分のだめなところを見つけて
反省という名の元で
自分をだめな人間だと
何度も繰り返し
唱えてしまうと
その思いが勝手に
潜在意識に届いてしまい
幸せになる資格さえ
放棄してしまう
暗示になってしまうので
どんな時にも
素直な自分の気持ちならば
その思いを
受け入れてあげて
宇宙と一体になれる幸せを
今後楽しみにしながら
進化を進めて行けばいいと
思うの
アインシュタインが
残した言葉の中に
「常識とは十八歳までに
身につけた
偏見のコレクションのことをいう」
という
言葉があって
その言葉をいつも
自分の隣に
そっと置いて
周りや自分が
コレクションしてきた
偏見に気づくための
魔法の言葉としているの
よくニュースなどを見つめていると
必ずといってよいほど
加害者が女性の場合
その女性が
良い人間ではないという
表現にいつも
家事をしない
身なりにばかり
気を使っていた
男性関係が・・・などの
表現があったり
加害者が男性の場合でも
周りとあまり付き合いをしない
変わった人というような
表現が語られるけれど
すべて偏見コレクションから
溢れた
言葉だと思うの
家事をするから
素敵な女性
あいさつをするから
良い人というような表現は
本当は根拠のない
印象的
思い込みなんじゃないかなって
感じていたの
そして
特に気なっている
印象操作の一つに
「無職」と
記載されていることが
よくあるのだけれど
はるかに高齢で
仕事を持たれ
続けられている方のほうが
少ない年代でも
年齢と共に
「無職」と
記載されていて
時に被害者の方にも
その様に記載されている時
とっても
違和感を感じてしまうの
最近ニュースで
よく流れている出来事を
見つめていた時
周りの方に
インタビューすると
その方の日常を
信じられないほど
詳しく知っていたり
過去の生い立ちについて
加害者が辛いいじめを
長い間過ごしてきた事が
紹介される中
共に学生時代を
過ごしてきた人たちが
心迷う事なく
加害者の印象を語る場面
ご近所の方たちが
加害者の子供を
気の毒に思っていたような
場面を回想しながら
語る場面も
私にはとても
違和感を感じていたの
そんなにも多くの事情を
把握していたのならば
なぜ子供が外で
冬空の寒い中
みんなおうちに子供を迎えて
あげなかったのだろう?
学生時代
ずっといじめていた
本人たちが
心晴れやかに
なぜ?
加害者の事を語れるのだろう?
など
感じていたの
このようなニュースを見つめるたびに
知らず知らずのうちに
国や街・市や村に暮らす
一人一人が
信じられない事をする
加害者をを作り出している
事件も
多いんじゃないかなって
感じていたの
私たちは
みんな繋がりあった
存在だから
できる限り
幸せな方が
地球上に多く
存在していただけたならば
誰もが
自ら傷を癒せる
治癒力を強化し育み
循環がしあえる
理想郷と
なるんじゃないかなって
感じているの
私が今の新たなお部屋に
引っ越す前
母親が
夜お仕事に行って
男の子二人で
毎日
留守番している
おうちがあって
ある時
その子たちが
兄弟げんかをして
弟の方が
外へ出されてしまい
真冬の寒空の中
私のおうちのドアの前で
泣いていたの
ドアをあけて
話しかけると
「お兄ちゃんがいっつも
ひとりでゲームしたいから
僕にじゃまだっていうの」
と
泣いていたの
その時
出すぎた事になってしまったら・・・
と
思ったのだけれど
下に下りて
その子のお兄ちゃんに
話しを
しにいったの
そのお兄ちゃんは
私たちが訪問した事で
驚きながらも
了解してくれたの
そして時々けんかしては
チャイムを鳴らし
私たちの所へ
弟の方が
遊びにくるようになったの
彼からおうちのことが
いつも語られていたので
知らぬ間に
いっぱい事情を知ったのだけれど
母子家庭という中で
お母さんは
色々な男の人と
つきあっている事や
お仕事が
夜のお仕事という事もあって
周りからは
お母さんだけではなく
子供たち同士でも
遊ばせないような
空気が流れていたの
そして
定番のあいさつをしないという
言葉が周りから
ささやかれていたの
そのお母さんは
子供たちが
私のところに来ていることを
知っていたようで
小さな声で
「いつもすいません」
といって
いつも足早に
出かけていたの
周りからの常識という
偏見コレクションから
見つめたならば
調和できない
暮らしを
営まれていたかもしれないけれど
その母親は
自分が持っている
精一杯の愛情で
子供たちにも
ふれあっていたように
私は感じていたの
料理を作らないかもしれないし
男性と次々と
付き合っているかも
しれないけれど
料理を作らなくても
バランスよく
惣菜を
毎日購入していたようだし
男性とのお付き合いは
女性として
満たされる時間なのかも
しれないし
もしくは
生活の安定を求めて
子供たちといる時間を
作りたいと考えて
結婚を望み
そうされていたのかもしれないし・・・
その方にしか
わからないことだと思うの
どちらにしても
私が意味のない
正当性から
そのご家族の歩みについて
あれこれと語る事は
ないと思っていたの
その方それぞれに
人生の与えられた
スペースで
一生懸命に
命の灯火を
灯されているのだから・・・
母親になったならば
人生すべてを
あきらめなければ
いけないわけでは
ないと思うし
その子供たちが
笑顔で過ごせていたのならば
母親としても
お役目は
十分に果たされていると
感じていたの
その方は
私が新たな場所へ引っ越す
一足先に結婚が決まり
引っ越されていったの
その事を
子供たちも喜んでいたの
社会的なルールは
どこの国にもあるけれど
個人的な
偏見コレクションから
人のことを詮索する
必要はないんじゃないかなって
感じているの
そんな私の中にも
小さな偏見コレクションはあって
無意識に言葉にしていて
はっと
気づかされることがあるの
でも
その偏見コレクションを
表現している時って
自分が何か
満たされない思いを
抱えている時が
多いんじゃないかなって
感じていたの
100%こうだから
この結果というものは
この世には
何一つなくって
でも人間は
原因があって
結果があるという
流れの中で
答えを無理に
出そうとしてしまう時が
あると思うの
それはすべてが
本当の意味で
自由という事を
恐れているからじゃないかなって
感じているの
今日
久しぶりに友人から
電話をもらい
話していたの
何かあったのかなって
思いながら
彼女が話すことはに
耳を傾けていると
彼女の会社の経営者が変わり
ボーナスや退職金制度が
なくなり
未来への不安が
彼女の心を
包み込んで
いたようだったの
私はあまり社会経験がないので
いつも彼女から
今の社会の動きなどを
感じる事が多くって
色々と
学ばせていただいているの
多くの方は
社会の中で
安定というベースとして
お勤めされているのだけれど
これからの時代は
今という瞬間・瞬間の
積み重ねを
大切に過ごすことが
重要とされていて
未来のための
備えのために
長いスタンスで
物事を
考える時代ではないように
感じていたの
備えあれば憂いなしという
言葉や
転ばぬ先の杖など
日本には
備えることの大切さを
伝える言葉が
多いけれど
それはあくまでも
日本はいつも
自然と寄り添い生きているので
自然がもたらす
災害に備える事の大切さであって
人生で考えられることすべてに
備えなければならないと
いう事ではないんじゃないかなって
感じているの
今の時代は
備えてばかりいたら
憂いばかりだったり
転ばぬ先の杖を
いつも持って歩くことで
荷物が増えてしまったり・・・・
石橋をたたいてばかりいたら
渡る頃には
あまりの慎重さに
割れて
渡れなくなってしまったり・・・
昔から伝える
知恵の言葉の中には
多くの教えがあるけれど
その時代・その時代によって
変化しているんじゃないかなって
感じていたの
私の友人は
今とても幸せに
充実した毎日を
送っているのだけれど
未来の約束が
なくなってしまった事に
心が曇り
不安に
包まれていたようなのだけれど
彼女が
今という瞬間
幸せに感じる時間を
持っていたり
笑顔になれる
時間があるのならば
それは彼女にとって
正しい道を
歩んでいる
証なんじゃないかなって
感じていたの
未来の確実な約束など
誰にも
本当はなくって
自分自身を信頼して
今を生きてゆく
その時間の積み重ねが
未来を作っている
だけなんじゃないかなって
感じているの
自分を信頼する事って
どこにスポットを当てて
信頼したらよいのか?
迷いや不安に
包まれている時には
感じられないことも
多いけれど
自分がとても
よい流れの時には
すべての流れと
調和していて
自分の感覚すべてを愛し
信頼していると思うの
その感覚をできるだけ
早く取り戻すよう
その頃の事を
思い出してみるといいと
思うの
ただそれだけで
一度体験した感覚が
呼び覚まされてゆくと
思うの
悲しみ・不安を
感じられるのは
いくつもの階段を登り
様々なステージを
クリアしたからこそ
感じられる
体験なんじゃないかなって
感じているの
その体験を受け取るだけ
成長した自分自身を
祝福してあげてほしいの
不安も
人間が秘めている
防衛本能が
ちゃんと働いているよっていう
サインとして
感じる感覚なだけで
不安の多くは
現実ではない
頭の中で描く
世界に過ぎないのだから・・・
今日hPの縁で
繋がってくださっている
ソウルメイトの方から
お電話を頂き
驚きながらも
とても幸せな気持ちを
与えていただいたの
彼女の声は
優しさがそのまま
音となっていて
何気ない会話の中にも
優しい教えが
いっぱいあって
新たな愛の知恵を
感じていたの
彼女が私に抱いていた
イメージを
知りたくって
尋ねてみると
とてもおとなしいイメージを
抱かれていたようなのだけれど
お話しをさせていただいて
元気溢れる私に
少しイメージは
違ったようなのだけれど
とても心地のよい
時間を過ごさせて
頂いたの
私はつい数日前に
知り合いの方の縁で
透視をしていただき
私は人の何十倍も
エネルギーが
次から次と
湧きあがってくるので
そのエネルギーを
内に秘めたままにしておくと
自分の中で
ショートしたり
体の器官を伝い
そこから
まるで漏電するように
エネルギーを放出しようとして
自分の体に
ダメージを与えてしまうので
多くの方と会ったり
会話したり
人のために労力を使ったり
とにかく
自らエネルギーが
外へと
流れるようにしなければいけないと
言われていて
その後から
すぐに友人たちと
長い時間
話しをさせていただいたり
一日に
何にもの友人や
家族など
会う機会を作って
会っていたの
そして友人と話すたびに
体が軽くなるのを感じ
「いつもすっきりさせてくれて
ありがとう
また新しいエネルギーに
交換できたよ」
と
伝えると
「それはお互い様だよ
私もいつもエネルギーもらって
家に帰ってからも
元気すぎて
眠れないよ
笑う」
って
言葉を伝えてくれたの
そのお話しを
今日お電話いただいた
hPの縁で繋がれた
ソウルメイトに話していたら
彼女はにも
同じニュアンスの言葉をいただき
改めて瞳映らない
エネルギーを
体感する体験を
させていただいたの
そして友人と
会っている時
友人が
「黒はエネルギーを
低下させてしまうカラーだから
あまり良くないんだよね
私たちはあまり着ないよね」
と
話していた時
私は
え!?って
驚いてしまったの
なぜなら
友人と会うタイミングの時
ほとんど
私は
ブラックカラーのお洋服を
よく着ているはずなのに・・・
と思い
「私いつも黒い洋服着ているよ
ほら
今日もそうだよ」
と
伝えると
友人は少し驚いて
「ほんとだ!
なんか
いつもピンクの洋服着ていた
イメージが
あったんだけどなぁ~」
と
言って
不思議がっていたの
彼女の瞳には
事実として
黒い洋服を着た
私が映っていたのだけれど
無意識に友人は
私から溢れる
エネルギーの色を
魂の瞳で
見ていたのかなって
話していたの
そして私が
ブラックカラーを
着るのは
きっと
溢れ出す
自分のエネルギーを
コントロールするために
無意識に選択して
着ていたように
思うの
他の友人にも
同じような話しをしたら
その友人も
その友人と同じように
少し驚きながら
「黒着てたっけ?
いつもピンクのイメージが
あったけど」
と
同じような言葉が返ってきたの
きっと人は無意識に
目の前に
見つめているもの以上に
その方それぞれから
放つ光の色や心の色
そして相手へ向ける思いを
カラーとして
感じ見ているのなかって
感じていたの
よく昔からカラー占いのような
心理テストなどでも
白のイメージを持つ人の名前を書くと
その答えは
生涯共に過ごしたい人であったり
ピンクを連想する人を書くと
いつも癒しを与えてくれる人など
自分が気づかない
相手へ抱くイメージが
カラーとして
感じていることって
あると思うの
その出来事は
改めて
良い意味でも
そうではない意味でも
人間が現実に
見つめているものとは
別のものを
作り出してしまう
力があることを
教えてくれていたの
ダークカラーは
精神的にエネルギーを
低下させてしまう
イメージが
強いかもしれないけれど
冷静な判断が必要な時や
心身に静寂の流れを求める時には
とても役立つカラーだと
思っているの
癒しや安らぎを
求めている時などには
優しいパステルカラーなど
用途用途に応じて
使ってみると
楽しいと思うの
よくその時似合う色が
今のオーラの色と
いわれているように
昔大好きだったカラーの洋服を
今着ても
似合わないのは
年齢を重ねたからではなく
オーラのカラーが
その頃のカラーと
変化した場合が
多いようなの
今心惹かれる色は
自分が求めるエネルギーの色で
似合わないけれど
好きな色は
憧れる人間像であったり
自分が好きではないけれど
身に着けると
周りから似合うといわれるカラーは
人から求められているものが
秘められたカラーだったり・・・
色という何気ないものが
伝えてくれている
今の自分を見つめてみると
新たな自分を知るきっかけとなって
くれると思うの
ずっと忘れたまま
実家に眠っていた
マウンテンバイクの事を
ふっと思い出し
受け取りに向かったの
結婚する前は
このマウンテンバイクに
名前までつけて
毎日乗っていたの
お天気の良い日には
いくつもの街を
走り抜けてみたり・・・
結婚して気づかないうちに
変化した
ライフスタイルの中で
パートナーに依存する時間の中
一人で行動し
一人で
心満たす時間をやめ
パートナーに
満たしてもらおうとする
スタイルが
普通になっていたように
感じているの
そんな中
ショッピングをしていた時
昔
とても仲良くしていた
友人と再会して
少し話しをしていた時
その友人が
「昔はすごくアクティブに
毎日
思い残すことがないほど
楽しんでいたよね
まだ自転車乗っているの?
でも何か
雰囲気変わったよね
昔
あなたの事憧れてたんだよ」
と
伝えてくれた時
ふっと
私の笑顔のそばにあったもの?
それは
マウンテンバイクだった事を
思い出したの
そして
すぐに実家に電話をしたら
父が
「すぐに乗れるぞ!
いつも磨いて
タイヤの空気も入れているから」
と
私が乗らない間も
まるで
私の健康を願うように
自転車を磨いていた
父の心がありがたくって
胸があたたかくなったの
久しぶりに再会する
マウンテンバイクは
きれいに手入れをされていて
私が迎えに来るのを
喜んでくれているようだったの
早速乗ってみると
それまでのギャップが
自分で感じていた以上にあって
まるで子供に戻ったように
バランスを保ちながら
乗る事が
難しく感じるくらい
身体の感覚が
蘇ってくるのに
数十分も必要だったの
でもその後すぐに
ずっと前に忘れていた
感覚が蘇ってきて
日々一人で
マウンテンバイクに乗って
温泉や自然とふれあう
時間を過ごしに
向かっているの
今回のように
過去の自分から
エールを送られたり
過去の自分に
教えられることも
あるんだなって
感じていたの
人は前進を続けてはいるけれど
素敵な学びを
取得したまま
実用的に
使わないままになっている
感覚や思いを
改めて
見つめてみると
自分で思っている以上に
今を輝かせてくれる
答えが過去の自分から
受け取れることが
あるんじゃないかなって
感じているの
私のおうちから
すぐ近くに
プラネタリュ-ムがあって
一度体験してから
気がつくと
今の私のマイブームになってしまったの
人工的とはいえ
星空に包まれながら
星座や惑星の説明を聞く
その時間が
とても
癒しの時間となっているの
私が以前
勇退離脱した時
浮かんでいた
宇宙と同じような
星空の中に
疑似体験しながら
自分がどの位置で
地球を見つめていたのかを
知ることも出来たの
つい自分の星座を
探し喜んでいたの
今まで自分の誕生月に
その星座が
見つめられるのだと
思っていたのだけれど
本当はそうではなく
太陽をはさんで
一直線に並ぶようで
地球からは見つめられず
太陽と並ぶ前の
3ヶ月前に
地球が
見つめられることを知って
その小さな知識が
嬉しくなって
私の星座のおとめ座に
心惹かれて
色々と調べてみたの
初夏の夜空に輝く
スピカのそばに
大きく横たわる
背中には翼を持つ女神
ギリシア時代には
麦の穂を持つ女神の姿が
描かれたり
豊作の女神としても
描かれていたようで
急に自分が与えられた
星座に喜びを感じていたの
昔はあまり星占いなどには
心惹かれなかったのだけれど
ここ数年
見つめるものすべては
偶然はない事を感じ
偶然のように手にした言葉は
必然的に
私に用意された
言葉なのかもしれないなって
思えるようになっているの
星占いに限らず
夜空を見上げて
自分が心に
何かを願う時や
自分が導き出した答えで
本当に良いのかなどの
迷いがある時など
星のまたたきを
見つめて心に届けられた
感覚によって
教えてもらったり・・・
私たちの人生は
偶然が重なり
素敵な人生になっているように
映るけれど
すべては用意されていた
出会いや空間・場所・物質etc
なのだと思うの
ほんの少し
時間がフィットしていなければ
会えなかったり
手にする事ができなかったり・・・
でも必然的に
用意されていることは
どんな形でも
また何度も
自分が気づき受け取るまで
偶然のように
訪れると思うの
そして受け取ってはじめて
必然性を
感じたりして
益々スピリチュアルな感性が
豊かに磨かれてゆくんじゃないかなって
感じているの
先週末
ハワイに暮らす万美子さんから
アバンダンティアとのご縁を
結んでいただいたの
受けてすぐに
両手首を
ぎゅっとつかまれたような
感覚を感じ
もしかしたらアバンダンティアは
私の両腕・手・指に関する
豊かさを万美子さんに
伝えているのかなって
感じていたの
そして本来ならば
すぐに届けられるメールが届かず
どうしたのかなってって
心配していた時
なぜか突然
さっきまで流れていた
おトイレが詰まっているようで
水が溢れそうになっていたの
その現象を見つめながら
特に焦る事もなく
自然に元に戻る
気がしていたの
そして元に戻った時
女神からのメッセージが
届けられると
感じていたの
そうしたら数時間後
何度かお水を流していると
スムーズに元に戻り
その後
万美子さんから
メールを頂きその感覚が
正しかった事を感じたの
おトイレはよく
金運を司る場所として
風水などで
語られているから
きっとこの現象は
自分でも感じていなかった
豊かさが流れる
心のパイプのようすを
表していたんじゃないかなって
感じていたの
アバンダンティアから
万美子さんへ
伝えられたメッセージは
Sallyさん、美しい人。