2006年5月



ここ数日



朝早くから太陽と過ごす時間が多いの



引っ越してから初めての



ベランダガーデニングに



今とても心惹かれていて



早速



お花たちをプランターに植え替えたりしながら



心の安らぎを感じてるの



最近は太陽がもたらしてくれる



心身への効果を意識しながら



一日太陽から



降り注ぐ光を吸収しているの



太古の昔



太陽信仰されていた



人たちの事を思い出しながら



その方たちが



太陽に日々の感謝と祈りを伝えていた心に



ふれられた気がしたの



地球に暮らすものたちの多くは


太陽が光を注いでくれないければ



生命の維持が保たれないように



作られているけれど



それはきっと太陽が大地と



共に私たちをエネルギーで



サンドしてくれていて



どこにいても



繋がりあっている事を



伝えてくれているからなんじゃないかなって



感じていたの



お部屋から眺める空間に



お花たちが



いっぱいの笑顔を向けてくれている姿に



毎日幸せを感じているの



お花はなぜこんなに人の心に



深く癒しをもたらしてくれるのだろって



ふっと考えていたの



ビジュアル的な美しさや香り



そして瞳には映らない



生命を感じられるからなのかなって



思いながら



それ以外にも



きっと人の心をなぐさめ


そっと包んでくれるエネルギーが



放射されているんじゃないかなって



感じているの



お花屋さんに



足を運ぶと多くの方が笑顔で足を止め



美しい花の前でみとれている姿に



ふっと昔から表現されている



言葉を思い出していたの



よく人を惹きつける魅力のある方を表現する時



「はなのある人」と表現されるのも



きっとこのような



花と花を見つめる方を見つめて



生まれた言葉なのかなって



思って見つめていたの







天使の魂を秘めて



この時代この地球に誕生された方には



共通の感覚と美意識などがあるのを



とても感じているの



人を癒したい気持ちが



とても大きなライフワークとして



過ごしたい希望から



お仕事を選択されていたり



お仕事にしなくっても



自分の生きる意味として



人を助けたり



誰かの人生の道を照らす事に



喜びを感じられたり・・・


美意識に関しても



金属的なものよりもビーズやガラス



天然石などに心惹かれる方が



多いように感じているの



そして人工的なものに



心を合わせることが出来ても



肉体的には受け付けず



アトピーや金属アレルギー



食物アレルギーなどを



肉体に秘めている方も



多いように感じているの



お花では



バラに心惹かれる共通点もあって



好きなバラのカラーでも



天使としての与えられた使命を



感じる事も出来ると感じているの



赤いバラが好きな方は自分が培って



魂に作り上げた



天使としての辞書を



多くの方に手渡す



教師のような役割を



人生の中で表現する事を



使命のひとつとして与えられていて



いるように感じているの



ピンクのバラに心惹かれる方は



知識の交換・魂の共感など



ふれあう方と同じ立場での



学びを求めていて



心の循環・交換の中から



天使としての役割を自然な形で



クリアしてゆける方が



多いように感じているの



黄色いバラに心惹かれている方は



寂しがりやな部分もあって



一人で学び



使命を果たしてゆく形ではなく



誰かに教わり



導いてもらいながらながら



笑ったり・泣いたり



自分の感情との対話から



目覚められてゆく方が



多いんじゃないかなって



感じているの



他にもカラーによって



与えられた使命の個性はあるけれど



同じ美しいバラを



見つめた時感じる感覚は



同じなんじゃないかなって



思うの



天使の魂を秘めて



この世に誕生された方の多くは



スタンダードに幸せを積み上げて



行く人生ではなく



リアルに様々な感情を体験するために



過去を振り返って見つめると



涙の方が笑顔で過ごす時よりも



少し多く過ごされた方が



多いように感じているの



天使のイメージとは少し違った



華やかなものを好み



容姿も華やかなのだけれど



心はとても繊細で傷つきやすく



この世界で過ごす時間に



違和感や生き難さを感じられる事も



多いみたいなの



その逆に



人間としての魂をいくつも重ね秘めて


この世に誕生された方の多くは



スタンダードな生き方に


特に違和感を感じられたりする事なく



淡々と



その年代で与えられた問題を



受け取りながら



人間としての生き方を



大切に過ごす事を優先的に



考えられている方が



多いように感じているの



容姿もどちらかといえば控えめで



周りとの調和を重んじた



ファッションなのだけれど



心の状態はいつも迷いが少なく


自分の真実をまっすぐに通される



心の強さがあると思うの



自分という存在の中には



自分でも気づかない魂が軸となって



その周りに自分が感じる



自分という存在が



コーティングされているんじゃないかなって



感じているの



危機的な状況や逆に



解放された心の状態の時



自分が知らない魂の軸となっているものに



ふれる事ができると思うの



この世界は様々な魂のグループが



集まっていて



その魂がそれぞれに


忘れてしまっている



思いや感覚を思い出すために



何度失敗しても許され



必ず終わりを迎えられる



この地球で



学んでいるんじゃないかなって



感じているの



この地球では



自分が失敗と思う事も



本当は失敗ではなく



必ずその体験から



感情・行動・思いなど


そのような形でなければ感じられない



必要な体験だったり・・・



失敗は人間として感じた



結果のひとつなだけだと思うの



この世界で生命が続いている間は



すべて学びで



失敗ではないのだから



自分や周りを責める事なく



すこやかにこの世界で



体験するすべてのものに



愛を感じることが



大切なんじゃないかなって



感じているの











ここ数年



人間のサイボーグ化が



進んでいるみたいなの



それは良い方向にも



そうではない方向にも



大きな可能性となっているみたいなの



脳からの電気信号を



読み取った情報を


接続したものに記憶させたり・・・



医療の方面では



手足を様々な環境で



持たなくなった方のために



電気信号を脳から読み取り



何かを思う時に考えただけで



腕や足が動かせる



機械の腕や足に応用されているの



そしてその手足には



何かに触れる感覚までも



受け取れるみたいなの



電気信号は電気を使う



すべてのものと連動しあえるようで



思うだけで離れた場所からでも



テレビをつけたり



パソコンをクリックできたり



そのような場面を見つめながら



もしかすると



機械を使っていなかったならば



この現象はまさにテレパシーや



思いを実現化する



教えそのままのような気がしたの



数年の間には



言葉を声で表現する事が



難しい方たちにも声を必要としない



コミニケーションが電気信号を



交換しあう事で


思いを伝え合えるようになるみたいなの



この進化は私たちが



ずっと欲しいと思っていた



能力が科学という



まったく逆にあると思っていたものの



中から生まれようとしているの



私はその事を知って



少し心躍るような気持ちで



友人に話したら


「え!それは困る・・・だって思っただけで



相手に伝わっちゃうんだよ



今までの人間関係が



保てなくなりそうだよ(笑)」と



表現していたの



もしその技術が



身体的な問題とは別に



誰もが使う事が出来るようになると



今までの人間関係には



変化はあるだろうなって



感じていたの



例えば日頃愛想がなく



あまり好きになれなかった方が



本当は心の中で



とても美しい思いやり溢れる方であったり



逆に笑顔で



素敵だなって思っていた方が



心の中では



とても言葉では表現できないような



好ましくない思いでいっぱいだったり・・・



でも今でも声として脳で



聞く事ができなくっても



相手の思いを言葉とは別に感じる能力も



脳で思うことを



無意識に現実の世界に投影する能力も



人間にはあるんじゃないかなって



感じているの



これから



人間は太古の昔に失った進化へまた



向かっているのかなって



言葉で説明は出来ないけれど



ふっと感じていたの



人間は思いに溢れているのに



言葉で表現する事が難しかったり



適切な言葉が見つからないほどの



感動があった時などは感覚的に



その思いを共有できたら



幸せだろうなって



感じていたの











最近ヨガが多くの方たちの



心身を整えるひとつとして



広まっていて



私も心惹かれていて



友人にヨガに詳しい方がいたので



色々尋ねていた時



とても興味深い



お話しをいっぱい聞く事が出来たの



多くの方たちが体調を整えるために



ポーズを使ったタイプのものが



ハタヨガというネーミングのヨガだったり



声の波動で心身を調律するものが



マントラヨガだったり・・・



その中で日常生活そのものが



修行となっている



カルマヨガというものがあって



形や修行を



意識して行う事がなくても



日々の中にある出来事を



受け入れてクリアしたり



人へ差し伸べる愛や



奉仕させていただく事を重ねてゆく事で



ヨガのように



柔軟に心身が整えられて



自然な形でカルマまで



解消されてゆくものが



カルマヨガというものだったり・・・



ヨガは呼吸に意識を向けて



ゆっくりと行うものなので



きっと日常の忙しさや



目の前の問題に



意識が向いてしまっていて



一番近くにいる



自分の呼吸をゆっくりと



耳を傾ける事が



少ない方には



大切な機会を与えてくれるんじゃないかなって



感じているの



しばらくお休みしていた



フィットネスに



最近また心惹かれて足を運ぶ機会が



増えてきて



今まで気づかなかった感覚や思いを



体験させてもらっているの



足を運ぶまでは



少しめんどうに思いながらも



いってみると



日頃意識しない



毎日微量ではあるけれど



心身に溜まっていく



毒素のようなものが



汗と共に洗い流されて



意識しなくても



心を高いポジションに



保つ助けとなっているみたいなの



その事によって神様や天使に伝えたい



心の手紙も



すぐに届けられいるのを感じているの



人間は現実を見極めて



前に進む能力が長けているために



自分で何とかしようと焦ってしまったり



誰かに答えを求めて急がせたり



様々なコントロールを



無意識にしてしまう事があるけれど



自分自身の心を



高いポジションに保てるようになると



自分の目の前に流れる



すべての出来事は意味があって



例え時間がかかっても



自分の中から答えを導き出せるから



神様や天使が運んできたという



信頼感が持てるようになると思うの



ただ人間社会は



とてもスピードを要求されていて



今すぐに答えを出さなければ



いけないような空気に



包まれる事もあると思うの



でも自分ひとりで



焦って出してしまった答えは



後になってみると



2倍のエネルギーが必要になる事って



多いと思うの



相手の要求に答えようと



自分一人では出来そうにないことまで



受け取ってしまったり



相手の方の笑顔を



消してしまう原因になりたくない



気持ちから導き出してしまう答えは



結局



一番大切な自分自身から



笑顔が消えて



そして



相手に対してもあまり好ましくない



思いを抱いてしまったりして



せっかく大切な時間を注いだのに



幸せな結果に



結びつかないんじゃないかなって感じているの



焦りや相手への気遣いでしか



答えが浮かばない時には


まずどんな時にも



答えを出す前にワンクッション置く



言葉を用意して



おくといいんじゃないかなって思うの



そうする事で冷静に



自分がクリアできそうなのか?



クリアできないかもしれないけれど



させてもらいたいなどの気持ちが



はっきりと見えてくるんじゃないかなって



感じているの



今の時代はどんなポジションにも



プラスアルファーが求められているけれど



外からの要求や望みを受け入れる事は



多くの方が上手にできるけれど



自分から湧き上がる要求や望みを



外の世界に形作ることは



少し難しく感じ



与えられる事・受け入れる事だけで



自分が描く心のヴィジョンは後回しにして



過ごしてしまいやすいと思うの



自分のヴィジョンを言葉にしてしまうと



その言葉には力が宿り



自己主張として



対立を作ってしまうのではないかなって



不安になったり



夢を語ると一生懸命に



現実を親切に伝えてくる方が



出現したり大なり小なり



言葉に力が宿り



霊言となっている事を感じる機会が



訪れると思うの



誰もが秘めたる力が存在していて



周りに影響を与えられる



存在だという証が言葉となって



自分に伝えられている



だけなんじゃないかなって



感じているの



人は傷つきたくない



傷つけたくない気持ちから



人間関係が作られているけれど



昔ある方の言葉の中に



「人に傷つけられる言葉を



言われた時は喜びなさい



それはあなたの能力を認めた嫉妬なのだから・・・」という



言葉があったの


もし心が傷つく


言葉を受け取られた方は



その方から見て



うらやましい何かを持っている事を



相手が言葉を変えて



伝えているのだと



思えばいいんじゃないかなって



思うの



声の波動で調律するマントラヨガや



日本古来から伝わる言霊も



自分の中で変換して



素敵な音色として調整してから



受け入れたら



きっとすべての言葉が



心のお薬のように



効果が現れるんじゃないかなって



感じているの










ゴールデンウィークは毎日のように



ドライブ途中で見つけた



神社に立ち寄らせていただきながら



過ごしていたの



静寂に包まれた



その空間に立つと



いつも心が落ち着いて



なぜか過去の様々な出来事が



思い起こされ



なつかしくあたたかな思い出だったり



無意識に忘れたいと



思っていた思い出に戸惑いながらも



今だからこそ



自然に反省の思いと



それぞれの思い出に対して



答えを出して



本当の意味で



自分の中で消化させてもらえるの



昔毎日のように



会っていた友人の事を



今回何度も思い出していたの



彼女はスピリチュアルな事を体験として



意味もわからず



見たり・感じたりする



私に知識として



多くの事を教えてくれた



人生の中で出会った



大切な友人の一人だったの



彼女は知識が豊富で



私が疑問に思うことを



ストレートに答えてくれたの



ある時



彼女のおうちに



初めて泊まった時に



お部屋に男性の気配を何度も感じ



感じたまま姿・香りetcを



伝えると彼女は



「あ!やっぱりいるんだね



私父が幼い頃なくなっていて



昔霊能者の人にお父さんが



ずっと守っているって言われたの嬉しいな」って



説明してくれたの



私自身



いつもこのような感じで



解釈が上手にできず



私が伝えようとしている事を



受け取ってくれる勘のよさに



助けられてきた気がするの



彼女と何気なく



スピリチュアルな話になった時



私がその場所場所で



何かを感じた話しをすると



真剣に話を聞いてくれて



それが何時であっても



「今から行こう」って言っては



その場所に向かい



私が求めていた



答えを与えてくれていたの


彼女と共に過ごしてた後


眠りにつくと必ず



美しい天使が登場する



夢を毎日のように見ていた



不思議な時期だったの



スピリチュアルな事を感じても



話すとほとんどの方が



半分笑いながら



真剣には聞いてくれなかった時期で



その頃



自分が体験していることを



真剣に聞いて欲しいがために



霊能者のように難しい言葉を覚えて



必要以上に能力があるように



表現してみたり



相手の方が期待するラインまで



見よう・見ようとするあまりに



見えなくなるときもあったりして



自分が求めている答えから



離れていたこともあって



素直に学ばせてもらえる幸せと



見えたもの・感じたものを



そのままに表現させてもらえる事に



たくさんの勇気をくれた人なの



彼女は私のことを良い意味で



おもしろがってくれて



次は・次はって感じで



私の深い部分に眠らせていたままの



エネルギーを目覚めさせてくれたの



その頃



彼女は愛人生活を送っていて



とても優雅な暮らしをしていたのだけれど



彼女の瞳がいつも寂しげで



その頃の私はその事がとてもせつなくって



今思えば



その方それぞれの考えがあって



そのような形のライフスタイルを送っていたのに



少し怒りながら



「何でそんなに美しい心を持っているのに



それと逆の暮らしを選ぶの



そのままじゃ何を学んでも実を結ばないよ」と



いつも伝えてしまっていたの



そのたびに



彼女は泣きだしそうな顔をしていたの



そんな時を



数ヶ月過ごしているうちに



何となくお互いがお互いの人間関係や



仕事の変化で



会うことが少なくなっていったの



そして最後に



彼女から電話を頂いた時



彼女は豪華なマンションを引越し



自分の力で自由に過ごせる空間を手にし



ずっと心惹かれていた



遺跡の発掘の仕事をスタートさせたことを



伝えてくれたの



その時何となく



彼女はずっと昔から



自由に羽ばたくことを恐れていた事



そして



お父様を幼い頃になくさ


自分の人生に



何か不足しているような感覚がずっとあって



その何かを埋めようと



好意を抱けない相手でも



経済力やその方の持つ地位や



人脈によって埋めようと



過ごしていたことを伝えてくれたの



私は彼女から



その言葉を聴いたとき



自分が彼女の生き方に対して



自分がそんなに立派に人生を



歩んできたわけでもないのに



もっともらしい



正論で彼女を傷つけてしまったのでは



ないかなって



ずっと思っていたから



心が晴れずにいたのだけれど



彼女が自分が長い間



望んでいた事を



考える時間となっていた事を知って



本当に嬉しかったの


その事を今回ふっと思い出していたの



彼女の事を思う時



スピリチュアルな知識に



初めてふれた感動が蘇ってきて



私は私の歩幅で正直に



歩んでゆけばいいんだって



改めて感じさせてくれるの



過去を振り返ると



多くの方を傷つけてしまった事への



反省が多くって



恥ずかしい気持ちになれるけれど



そのような気持ちになるということは



その頃よりは



自分が成長できたのかなって



反省の思いと



自分を褒めてあげる気持ちで



心が忙しかったの(笑)













瞑想というと何となく無になって



時間と共に過ごしながら



自分の中から気づきや答えを



導き出すイメージがあるけれど



私が思うには無意識に



多くの方が



毎日のライフスタイルの中で



瞑想と同じような



時間を過ごしているんじゃないかなって



感じているの



瞑想からは気づきや答え



日頃の自分を見つめるために



とても大きな意味を持っているけれど



無になるって実際やってみると



とても難しい事だと思うの



あれこれと急に浮かんできたり



つい考え事をしてしまったりして



長い時間瞑想スタイルを保つ事を



心地よく感じられないこともあると思うの



でも多くの方が日常の中で



誰かと会話している



自分の心の中を声に出して



自分の耳から聞きながら



はっと自分の心の状態に気づいたり



ふっと求めていた答えを受け取れる



瞬間があったり・・・




それは瞑想と同じ悟りに



とても似ているように



感じているの


他に誰にも目に触れないという



前提で書かれた日記などを



書かれる習慣がある方も



日々瞑想しているのと



同じような



効果があるんじゃないかなって感じているの



誰もが内なる世界に



答えを秘めていて



その答えを一番長く



一番近くによりそっているけれど



自分がわからないことも



多いんじゃないかなって思うの



まるでそれは自分の背中を



直接見られないのに



似ているような気がするの



その背中も鏡に映したならば



はっきりと見られるように



誰かを通して知ることの出来る



自分っていうのも



あるんじゃないかなって思うの


仲の良い友人との会話の中だったり



逆に心揺り動くほど



好意的に感じられない方との



時間だったり・・・



仲の良い友人との会話の場合は



無意識に心を解放してくれるから



自然に音楽のような楽しい流れの中で



改めて自分から溢れる



言葉の中から本当に求めるものや



思い込みなど様々なものが



溢れてほんの少し意識をしただけで



感じ取れると思うの



そして好意的に



感じられない相手については



紙に好意的になれない



理由を20個くらい


書き出してみるといいと思うの


初めは心を


表面がベールに包まれていて


相手の振る舞いや言動など


瞳に触れる部分が


受け入れられないと


自分自身も


思い込んでいたりして


そのような書き出しが


多いと思うけれど時間と共に


書き出すものがなくなってくると


やっと自分の心の本質部分が


顔を出してくれると思うの


その中には


好きになれない理由ではなく


うらやましい部分や


自分が最も大切に思う


価値観とは逆のものを


表現する相手に対して


自分の正義感が


心の解放を止めていたり・・・


言葉として形は違うけれど


自分に愛が入る込む事を


赦すために答えをだしてゆくと


色々な本当の気持ちを受け取る事が


出来るようになると思うの


それはまさに瞑想で得られる


悟りととても似ているんじゃないかなって


感じているの


自分のいやな部分を


発見するために行うものではなくって


愛が入り込む事を赦し


閉ざしていた扉の鍵を開けて


そのスペースを整えるために


見つめたくない自分と


自分が大好きな自分を


探す心の旅だと思うの


そのプログラムが終了すると


次の訪れる意識の進化として


地球に広がる


自然に心惹かれるようになったり


宇宙に瞬く


星や月を見つめる機会が増えたり・・・


自分以外の


大きな世界にまで


意識が広がってくると思うの











一生懸命


頑張っているのに


実を結ばない事って


誰にでもあると思うの


その理由も様々で


タイミングだけの問題だったり


本当は


今取り組んでいる事の


成功ではなく


別に望んでいる事があったり・・・


私の友人で


クラブで働いていた


友人がいたのだけれど


彼女は容姿にも恵まれ


順調に


仕事での収入も上がり


数年を過ごしていたの


それでも


彼女はいつも何か


満たされない思いを秘めながらも


順調に流れる


その時の中で過ごしていたの


そんなある時流れが変わり


今まで順調に流れていた


仕事がなぜか滞り始めたの


彼女は今までにないくらい


一生懸命に頑張って過ごしていたのだけれど


なかなか実を結ばす


悩んでいたの


そのような時間を長く過ごすうちに


自分のやり方が


良くないのでは?


自分は人に


評価されなくなってしまったのは


魅力がなくなってしまったから・・・など


自分を責めていたようなの


その時


ちょうど電話を頂いて


その流れを聞きながら


私は


「初めはなぜ?クラブで


働こうと思ったの?」と


尋ねてみたの


そうしたら彼女は


「留学したくて高収入の仕事を探していて


リストアップして


この仕事なら


すぐに留学できると思って


働き出したの」と


答えてくれたの


私はその言葉を聴いて


「自分に問題があって


うまくいかないのではなくって


きっとそれならば


目標は整ったのだから


留学するタイミングがやってきたんだよ」と


伝えたの


そうしたら彼女は


何かを思い出したように


元気な声で


「そうだよね」といって


すぐに


スケジュールを整えて


仕事をやめて留学したの


その後彼女は


モントリオールでパートナーと出会い


小さな天使も授かり


幸せな人生を歩んでいるの


彼女の人生のひとコマに


ふれさせていただいた事から


うまく流れない時


つい自分や周りの方を責めたり


無理を重ねるくらいに


がんばっているのに


実を結ばない時には別の角度から


その問題を見つめることを


諭された気がしたの


スタートした時


何を求めて始めたのか?


本当にこの事で


成功したいと望んでいるのか?


他に心惹かれている


未来の自分の姿が


あるのではなか?など


うまく流れない時


実は本当に


自分が望んでいた事を


忘れていていつまでも


思い描いたヴィジョンを


歩まない時


少し強引ではあるけれど


タイミングとして


与えられる形って


あるんじゃないかなって感じていたの











最近両親が年を重ねた事で


歩んできた時間よりも


これから


残された時間の方が


少ない事を感じているみたいで


寂しさや後悔などよりも


逆に


少なくなってきているからこそ


毎日が輝く


大切な時間となっているようなの


私が幼い頃は感情起伏が激しく


その心の動きに


本人たちも大変だとは思うけれど


周りも大変だったの


それが年を重ねて


良い意味で欲やコントロールから


解放されて


両親も今が一番


幸せだと言葉として


いつも表現しているの


そして


両親は今まで


様々なものを所有する事に


どれほどの


時間とエネルギーを


注いだかについて


語ってくれたの


例えばおうちも


家族との幸せを包むために


それぞれのお部屋を


用意してあげたいから


長期でローンを払っていたけれど


子供たちが巣立つ頃


ちょうどおうちのローンも終わり


夫婦二人では


使わないお部屋ばかりなので


もう少し


小さなおうちに住み替えを


考えている事や


その事で維持する費用も


軽くなるし


何よりお掃除が楽になると


母は笑顔で


語っていたの


そのような手放すということが


両親の課題となっているようで

次々と


自分たちのライフスタイルを


自分たちらしいスタイルに


整えようと


しているの


次に会った時には


車に意識が向いていて


年間あまり乗らなくなっている


車を所有する必要性について


話していたり・・・


両親の姿を見つめながら


私たちの意識も


少しずつ変化があって


交通機関が便利な場所に


住み替えたのに


本当に車が必要なのかな?など


パートナーと話すことが


多くなっているの


遠くへドライブに


行きたい時にはレンタカーを借りた方が


いいかも?など


ライフスタイルを軽くする事に


心惹かれだしているの


そんな中で以前読んだ


「神様はハ-レーに乗って」という


本があって


その中の主人公の事を


ふっと思い出していたの


彼女は看護師をしていて


毎日ほとんどや休みを


もてないまま過ごしていたの


そんな毎日の中


不思議な男性との出会いがあって


その中で


色々なことに気づかされてゆくの


彼女が


毎日が忙しすぎて


愚痴を


その男性に伝えていた時


その男性が


「なぜ?そんなに忙しくしているの?


自分の好きなように


過ごしたらいいのでは?」と


問いかけると


彼女は


「だって生活費がかかるのよ!


今住んでいる


マンションの家賃だってあるし


車がなければ不便だから必要だし・・・」というと


「なぜ?そこに


住まなければならないの?」と返すと


「そこにはプールがあって


休みの日には心休まる」とか


「荷物がちょうど納まるの」など


様々な理由を並べるの


でも実際は


プールは年間2回くらいしか


利用していないのに


その維持として


家賃が高額になっていて


そのマンションでの暮らしのために


自分が人生の大半の時間を


注いでいる事に気がついてゆくの


その思いに目覚めた彼女は


本当に自分が求めていたものが


見えてきて


ライフスタイルを軽いものとしてゆこうと


決意してゆくの


クローゼットを開けると


高価で美しい洋服たちが


並んでいるのだけれど


その洋服たちを着たのは


何年も前でサイズも時代も


合わないものばかりなの


いつもつい気に入って


着てしまう洋服は


数着で着れない洋服の維持に


お部屋がいつもひとつ


必要になっている事を


解消しようと悩みながらも


手放してゆくの


物には思い出が織り込まれていて


その思い出までが


自分から離れてゆくような


寂しさが沸きあがってきて


すぐには手放せないのだけれど


何度見つめても


必要がない事を時間と共に感じて


手放すと


次には


お部屋が必要以上に


持たなくていい状態になって


やっと彼女の夢だった


海が目の前というおうちを借りる事になるの


そのおうちは


以前の半分くらいの広さなのだけれど


家賃も半分以下で


立地は勤め先へも


遠くなったのだけれど


その事から


自分が本当に好きなもの・


自分が本当に望んでいた事に


気がつき


忙しすぎた仕事も


やらなければ維持ができない


ライフスタイルから


自分を大切にできる


時間の余裕を持つために


臨時職員と同じような


少ない時間の労働に


切り替えてゆくの


その事で自分ではどうにも


できないと思っていた


すべてから解放されて


お休みには一人で歩いて


海のそばにある場所でランチをしたり・・・


人生の豊かさは


所有することよりも


手放すことで得られる事を


伝えてくれていたことを


思い出していたの


ちょうどそのような流れの中で


過ごしているからなのか


親しい知り合いと偶然


ショッピング中に会った時


そのような流れの話になったの


その方は


一般的な方よりもきっと恵まれていて

車を2台所有し


おうちも自分たちでデザインした


素敵なおうちに暮らしていて


小さなお子さん2人と


幸せに暮らしていると私の瞳には


映っていたの


でも彼女は


「何も持ってなくて幸せだよね」と


ためいきと共に


私に言った時


え!?と


初めて伝えられた言葉に驚いたの


彼女は今あるライフスタイルを


維持するために


大切で楽しい


子供との時間を


過ごすことがないまま


お仕事へ注ぐ時間に追われていて


切ないことを


正直に素直に伝えてくれたの


彼女のように過ごしていても


女性の場合は特に自分のライフスタイルが


経済的な理由で


変わることを表現してしまうと


パートナーの評価を下げてしまうのでないか?


今流行の言葉の


負け組みと思われてしまうのではないか?など


様々な思いから


なかなか表現できないことだと思うから


彼女の素直な思いに


私は逆に


素晴らしい人だなって感じていたの


彼女が


その素晴らしいおうちの中で


心はいつも晴れない毎日を


過ごしているのならば


何か私に出来ることはないかなって


思って


「神様はハ-レーに乗って」を


手渡したの


それから数週間後


彼女はパートナーと


お互いの心を見つめあい


本当にこのライフスタイルが


必要だったのか?


見栄のために人生の大半を


注ぐむなしさに気がつかされたと


電話で伝えてくれたの


その後すぐにご夫婦共に


今まで本当に望んでいた


ライフスタイルを送りために


札幌にある


おうちを手放し車も1台にして


以前から夢だった


富良野へ移住していったの


彼女はうらやましいくらいに


元気ではつらつとした声で


「素人が作った野菜だから


形は悪いけど


おいしいから食べて」と


野菜を送ってくれたり


「うちの前に


花が咲いて今きれいなんだよ


遊びにおいで」など


あれから月日がたっていないのに


こんなにも


夢の実現が簡単に


実現できる事を


彼女たちに


教わった気がしたの


そしてそのようなライフスタイルとなった


彼女の元に


友人たちは「どうしちゃったの?


だんなさんリストラでもあったの?


なんで?どうして?


それから・それから・・・」と


興味津々に


わざわざ電話をしてくるみたいで


そんな時


彼女はライフスタイルを


軽くしたのだから人間関係も


見直さなければと人間関係にも


新たな変化を生み出したの


そんな中で彼女は今まで


一番親しくしていた人よりも


そうでもなかった方との


縁が深まっているみたいで


彼女は


また新たな気づきを


受け取っていたの


「自分は彼女たちの


興味津々な思いが恐かったの


そし彼女たちと同じように


周りの人の事も


自分の事も見ていたの


きっと彼女たちは


前の自分と同じ姿のままな


だけだと思うの


でも今は


自分自身が軽くなって


まるでマジックカーペットに乗って


上から広く見えるように


なっただけなの(笑)」と

次々と溢れる


素晴らしい教えに


私はついメモしたい


気持ちになっていたの(笑)


両親がそのような気持ちを


実現するタイミングの中で


私もパートナーも


自分たちの歩みを見つめ直しながら


恥ずかしい気持ちになったり


自分たちが望む形よりも


誰かの理想を形とする事に


意識が向いていないかなど


自分たちが


どこかに置き忘れてしまっている


夢はないか?


最近よく話し合っているの










今日は母の日という事もあって


お花屋さんに


足を運ばれる方も多かったようで


ふっと駐車している車の中には


カーネーションのお花を


積んだ方を多く見かけたの


パートナーの母親と私の母親に


いつもリクエストいただいている


ハンドメイドのアクセサリーとお花を


プレゼントさせてもらったの


毎年年を重ねた


母親たちの少女のように喜び


身に着けてくれる


笑顔を見つめながら


女性はいくつになっても


美しいもの・輝くものが


大好きなんだなって


同じ女性に生まれた


私も年齢を超えて


気持ちを共感しあえる


嬉しい日になっているの


パートナーの母親は


いつも


私の身体を気遣ってくれて


温泉のチケットを


パートナーに電話をしては


手渡してくれたり


私の母も私の写真を


母なりの形で祭壇を作った場所に


飾って


毎日私の身体が


痛みから解放されるよう


祈ってくれているみたいなの


二人の母親の


気持ちがあたりがたくって


いつも


心があたたかくなっているの


二人の母親は


霊感体質でパートナーの母親は


夢などでお告げを受けるタイプみたいで


私の母親は


何かを無意識に感じ言葉として


口から自然に溢れるタイプなの


私の母親の場合は


何かに言わされているのかなって


思うくらいに顔の色や表情が


言葉では表現できないような


変化が見て取れるの


本人は無意識だから


わからないようなのだけれど


急に変化するので


今溢れた言葉は


母の心から話している言葉なのか


そうではない言葉なのかが


とてもわかりやすいの


元々私の母親の家系は


祖父が


今で言う祈祷や占いが


できるほど


独自の方法で行っていて


遠方からも訪ねてきていて


無料で困った方たちを


救っていたようなので


きっと母にもわずかだとしても


DNAに同じものが


プレゼントされているのかなって


感じているの


パートナーの母親は


今でも宗教家のおうちなので


そのような知識も豊富で


日々


人を救う事を喜びとして


過ごしているので


何か深い縁があって


やはり


出会ったのかなって感じているの


誰もが過去を振り返ると


必ず


不思議なシンクロから


出会った方がいると思うの


出会いって


人間が計算して


出会えるものではないから


すべての人々の出会いは


神様が書いた童話を演じている


キャストなんだろうなって


ふっと感じていたの








人にはそれぞれに


スピリチュアルな能力が


大きく働いている


器官を持っているんじゃないかなって


感じているの


例えば


お散歩している時


眠りについている時


何か迷いがあって


答えを求めている時など


突然ほのかに


お香の香りが


自分にだけ届けられているのを


感じたり・・・


そのような香りや気配を


鼻を伝って感じられる方や


グットタイミングで音という形で


耳から


感じ取られる方の場合は

何かを考えている時に


急に遠くから音が届けられたり


テレビから流れる


何気ない言葉の音色から


どの言葉が


自分に伝えられているのか


本能的に感じ取れたり


瞳を伝って


感じ取られる方は


そのまま瞳で映して


映ったものを


自分なりに解釈できるから


瞳を伝って


見せてくれていたり・・・


瞳にスピリチュアルな能力のある方の


ほとんどは


霊能者などとして


活躍されている事が多いと思うの


瞳にスピリチュアルな


能力を宿している方だけは


クローズアップされる事が多いけれど


多くの方は


同じような能力を


他の器官に


秘めているんじゃないかなって


感じているの


よく脳に病という個性を持って


生まれてきた方は


色彩から


何かを感じる能力がたけていて


素敵な絵画を描かれたり


気持ちを色で表現される方も多く


そのような個性を持って


生まれた方たちの多くは

色を通して


スピリチュアルなものを


感じたり表現できるものを


与えられているんじゃないかなって


感じているの


私の友人たちをそのようなパーツで


見つめてみるとやはり


耳から感じられる方


色や音から無意識に


その時間の中の空気を読まれて


行動されている方など


人間の本能が宿る場所に


それぞれに与えられた現実とは別の


世界と繋がる


器官が宿っているのを感じているの


よく信号がひとつも赤になる事がなく


スムーズに進む事ができた時


何か良い事が起こる予感を感じたという事を


表現として


耳にした事があるけれど


そのような何気ない空気を意識してみると


自分に与えられた


神秘の世界と繋がる


器官を見つけられると思うの












温泉には地球上に含まれる


大地の鉱物や


金属成分(金の気)を


含んだ水(水の気)が


地熱(火の気)に


よって温められ


地中(土の気)から湧き出た温泉に


入浴すること(木の気)で


運をすべて


吸収できてしまうという事を


友人から聞いて益々温泉ライフが


開運プログラムのひとつとして


大切な癒しの時間になっているの


風水では


五行の生気を受けることで


悪い気が身体に溜まらなくなったり


思考も自然に前向きになって


運気が良くなると以前何かの記事で


読んでいたので


その金・水・火・土・木を


すべて吸収できる温泉は


心身ともに


人を癒すために


神様が授けて


くれた恵みなのかなってありがたく感じているの


北海道は温泉の効能も


たくさんあって


本当に地球から湧き出ている


エネルギーの


不思議を感じるの


温泉によって血の巡りが


良くなると


心身の循環もよくなって


思い煩う事から


解放されたり


とても即効性のある


喜びを受け取れると思うの


そして開運体質が整うのならば

毎日でも

足を運びたい気持ちになっているの(笑)


運という瞳には


映らない不思議なエネルギーは


スケジュール表などを


振り返って見つめてみると


面白いくらいに


色々な事を知らせてくれると思うの


幸せが運ばれてきた時の


数週間前・数日前を


見つめると無意識に


その方それぞれの


開運方を行っている場合が多いと思うの


例えば


ある友人と頻繁に会っていたり


話していたり・・・


ある場所に行ってから


急に運が高まっていたり


あるものを購入してから


運が良くなってきていたり・・・


気づかないうちに


アクションを起こしている事を


きっかけに


好転していることであると思うの


何度も幸せの前に行っている


同じ出来事に気づかれたら


運がこっちを向いてくれていないなって


感じたならば


焦ったり・考え込む前に


幸せの予約を入れるように


開運アクションを行うといいと思うの


お水取りや土を持ち帰るという


開運方法もあって


持ち帰ることでその土地に宿る


エネルギーを吸収したり


類友の法則で


同じ場所にあるものを


持ち帰ることでもう一度こられるよう


大切に持っていたりするのも


世界的な開運アクションとして


行われているひとつだから


楽しい時間を過ごせた場所で


おみやげを購入するのも


無意識な開運方法なのかなって


感じていたの


普遍的で瞳に映らない


パワーを秘めた方には


きっときっかけや


理由があるんじゃないかなって


感じているの













最近あたたかな


光がやっと


地上に降り注がれる日が


続いている事もあって


週末には


自然の中で過ごす事が多いの


自然と対話していると


それぞれの植物が


それぞれに与えられたスペースで


すべてのものを受け入れながら


個々の美しさを


誰のまねをする事もなく


命を育んでいるのが


一番心に響いてくる


私への


メッセージのように感じているの


タンポポなどは


誰かが手入れをしなくっても


毎年春になると


周りを笑顔にしてくれていて


いつ与えられるか


わからない雨の恵みを


信頼して過ごしていたり


環境に恵まれない


都会のタンポポたちはアスファルトの隙間から咲いて


私たちに春の使者となってくれていたり・・・


自然の中には言葉ではない


心と心のメッセージが


いくつも届けられて


自分の事を反省したり


新たな目覚めを頂いたり


さわさわと草花が


ささやく音色しか聞こえない


空間の中では


人間としてというよりも


地上に暮らす同じ生命として


色々と着込んだ重い


知識やプライドなどひとつひとつ


消してくれるのを感じているの


特に水辺のある場所では


日本に昔からある言葉のように


すべてを水に流す事で


思いが浄化するのを


サポートしてくれるような気がしていて


週に一度は


水辺で


数時間でもいいから


身を置く時間を


作っているの


どんなにお洋服やお化粧で


飾り立てても


内から湧き上がる


美しさが備わっていなければ


美しいと感じない


審美眼を人間は秘めているから


日々心満たして


過ごすことが大切だと思うの


日々心のデトックスをして


クリアにしていないと


つい無意識に


何気ない会話の中だったり


何気ない行動の中に


自分では気づかない


とげがいっぱいあって


知らない間に


せっかく寄り添ってくれようと

そばに来た方を


傷つけてしまったり


正論という盾によって


いつまでも誰かを攻撃的に


見つめてしまったり


してしまうんじゃないかなって


感じているの


そうなってしまう前に


自分を満たし愛せる時間を


日常の中に加えてあげると


思っていた以上に簡単に


人生が明るい輝くものへと


チェンジしてくれると思うの


例えば人間は


元々は善から大きく


育まれた生命という事もあって


良いこと・素敵なこと


頑張っている人などを


見つめた時


本人ではなくても


心にあたたかなものが


伝わり


その方を好意的に感じられると思うの


それと同じように


小さな事でも


自分をほめてあげたくなる事を


一日ひとつ


しようと決意して


いつもの日常を見つめてみると


自分をほめる機会に


溢れていると思うの


そんなに大きなことは出来ないし


しようと思うと


それだけで一人でプレッシャーを


感じたりする方などは


いつも通る道でごみをひとつでも


拾い捨てたのならば


「私って素敵


なんて地球に優しい人なの」(笑)って


思ったり


言葉にして自分に


伝えてあげることで


自分で感じている以上に


自分の細胞が喜び


美しいオーラが広がるものだと思うの


人間は良い行いをした時


つい誰かに


その事を報告して


ダイレクトに言葉として


誰かにほめられたい


本能が働いてしまうけれど


誰にも言わずに


行われた善意ほど大きな実りをつけて


戻ってくるものはないんじゃないかなって

感じているの


戻ってくるまでには


時間の流れを待ったり


もしかしたら


自分ばかりが損な事をしているのではないかなど


疑問を感じたくないために


早い結果を求めて


誰かにアピールしてしまうのだと思うの


言霊は自分から


自分にも手渡すことが出来るので


日々自分をほめてあげたりする事で


自分を日々愛している事を


自分に伝えていると


当たり前のように


自分とふれあう人間関係の中にも


愛の言葉を


みんなにも


おすそ分けしてゆけるように


なると思うの












精神世界の中には


よくカルマについて


語られているものが


多くあるけれど


時々カルマの受け止め方が


とても悲しい偏見を生むことが


あるんじゃないかなって


感じているの


例えば病に苦しむ方


容姿に恵まれない方


人生スムーズに運ばない方etcを


見つめた時


そのカルマの法則という


フィルターで見つめて


「あの人は前世の行いが良くないから」


「先祖が良い行いをしてこなかったから」など


本人も周りも


はっきりと確認できていない


迷信めいたものから


答えを導き出してしまうと


過去に大きな悲しみを生んできた


歴史を繰り返してしまうんではないかなって


感じているの


カルマの法則は


あくまで


自分自身では


どうする事もできない


出来事に出会ったとき


誰かを責めたりするのではなく


意味があって


自分の目の前に訪れた事として


受け入れるために


得てきた知識のひとつで


自分以外の方を


見つめて評論するための


知識ではないと思うの


カルマについては


とても深い意味や


歴史があるとは思うけれど


意識できない


生まれる前の行いで


病になった・人生に喜びが訪れないなどを


語るのは


私はあまり好ましく


感じていないの


ハンセン病なども


病で容姿が


美しく保たれなくなり


本人が一番せつないのに


今度は移るのではないか?


先祖の行いが悪いから


あのような子供が生まれたなどの


心無い言葉をささやかれ


家族もハンセン病を持って


生まれてきた子供がいると


すぐに家から


出て行かせたみたいなの


世界的にも


カルマの法則が浸透していて


スムーズに運ばない方を


いつもターゲットにして


正義という盾を持ち


それぞれの方が


ストレス発散をしてきたように感じているの


今では


根拠のない事を理由に


ストレス発散されるような事も


少なくなってきていて


そのような偏見もなく


幸せに暮らせる


時代が訪れたと思うの


カルマや生まれ変わりは


あるだろうなって


私自身も信じているけれど


現世で一生懸命に


頑張っている方に


その法則を当てはめて


見つめることはないの


あくまでカルマの法則は自分自身の反省と


受け入れる方法として魂に刻んでいるの










今までパワーストーンとの


コンタクトに


いつも同じタイプの石と


ばかりふれあってきたのだけれど


ある知り合いの方に


頂いたラピスととてもスムーズに


コンタクトが出来た事が嬉しくなって


今様々なタイプの


パワーストーンと対話しているの


毎日対話しているのは


ラピスとエンジェライトという石なの


淡いブルーの優しいカラーに惹かれて手に持って


心で対話をはじめてみたら


優しいエネルギーが帰ってきたので


宝石店の方に尋ねてみたら


ギリシャ語で


天使を意味する「angelos」が


語源となっていて


「天使を呼び寄せる石」と古くから


伝えられている石のようだったの


そのコメントを


聞いたら益々


エンジェライトと交流したくなって


その石の秘めている


パワーや好みなど


尋ねている毎日なの


チューニングが上手に出来るようになったら


この石でアクセサリーを


作らせていただこうかなって


思っているの



石はすべて

呼吸していて生きているので


相性や効能も


それぞれに個性として


持っているのでせっかくならば


一番心地よく


パワーを発揮しやすく


セレクトしてあげたいと思っているの


パワーストーンは愛してあげれば


どんどんと瞳でわかるくらい変化として


楽しませてくれると思うの


私の友人の中には


ムーンストーンのアクセサリーを


大切に身に着けていたのだけれど


見る見る


丸からゆがんで


楕円形にまで変化した友人がいたの


その事で友人は


自分に何が原因があるのではないかと


心配になって


私のところに持ってきてくれたのだけれど


はじめに


手渡した時よりも


石自体は澄みきって


美しい虹がいくつも生まれていたので


彼女が何か原因があるというよりは


彼女は日々アクティブに


活躍されている方だったので


彼女の強いパワーと


ライフスタイルの必要な用途に


少し無理がかかっていただけだったの


なので


昼間は水晶や珊瑚などを身に着け


アフターファイブからムーンストーンを


身に着ける事をおすすめしたの


それからは急スピードで


ゆがむ事はなくなったみたいなの


他にもある友人は


女性らしい幸せを求めて


ローズクォ-ツを


自分の心惹かれる


インスピレーションとは別に


効能に惹かれて


友人からのプレゼントとして


リクエストしては


身に着けていたのだけれど


何十個もひび割れしてしまうの


少しぐらいならばと


そのまま身に着けていると


すごい時には


真っ二つに割れて


床に落ちて


彼女の気持ちを


曇らせてしまうほどだったの


その時も


友人が割れてしまった


ローズクォ-ツたちを


持って相談に来てくれたので


石と対話してみると


彼女の心の中に


エネルギーが流れていかず


送ったエネルギーが


戻ってきて


ローズクォ-ツ自身に


ダメージとなって


そのような姿になった事を


私に伝えてくれていたの


その事を彼女にそのまま伝えて


ターコイズが一番合うと


ローズクォ-ツが


伝えていることも伝えたの


彼女は少し


驚いた顔で


「私昔から


ネイティブアメリカンが着けている


青いターコイズが好きだったの」と


伝えてくれたの


そのメッセージを聞いて


ターコイズについて


調べたら


思考や意思を強化し


仕事を順調に


運んでくれる効能があったので


まるで占いのように


「本当は仕事での成功を


望んでいるんじゃないのかな


恋愛はお年頃になって


周りのプレッシャーから


そうしなくちゃって思っているのでは?」と


伝えたらそうだったみたいで


好きなものを身に着け


自分の本当に望んでいる


ライフスタイルを


大切にし今はスムーズに


店舗のトップとして


頑張っているの


友人たちの姿から


色々と教えられることも多くって


本能的に


自分が心惹かれるものが


一番自分の力になってくれるんだなって


感じているの


私たち人間にとっては


言葉という音色が


一番強く深く心に届き


その逆に物言わないもに対しては


エネルギーを感じにくい


部分があるけれど

パワーストーンに限らず


物には魂が宿ると


私は昔から信じているの


よく昔の恋人から頂いた


プレゼントに対して


物には罪がないから(笑)という事で


新たな恋人や人間関係が


始まっても


身に着けられている方がいるけれど


私自身は


ふっとした時に


終わった関係の恋人を


思い出したりすることで


過去に執着しているわけではないのに


思いがその方へ


飛ぶことが


気になって


すぐに手放すようにしていたの

思いって


考えている以上に


大きな力があるように感じているの


それは良い意味でも同じで


心から誰かを思い


プレゼントしたりすると


その物というよりは


その思いがその物に宿り


もらった相手も


そのものを見つめるたびに


喜びや感謝を


呼び覚ますアイテムとなって


心地が良いんじゃないかなって


感じているの


形式で手渡すものは


渡す方も


常識的な形を考えて


心から送りたいものではない場合


頂いた方も


もらった物を誰かにあげてしまったり


一度も使う事無く転売したり


いつも見つめていたいとは


思わないんじゃないかなって


感じているの


人間には意識とは別に


愛や思いをキャッチする


センサーが備わっているんじゃないかなって


感じているの


例えばかわいいお子さんが


道端で花を見つけて摘んできて


手渡してくれた時


そのお花の価値ではなく


そのお花を自分を


喜ばせようと


持ってきてくれた思いを感じ


高価なプレゼントと同じくらいに


価値を生み出してくれることって


あると思うの


その愛を感じるセンサーは


誰の中にも備わっていて


無意識に働き


過去の思い出を


作り上げてきたと思うの


その愛のセンサーは


言葉を超えて真実をいつも


おしえてくれていると思うの












ここ数年


プライドというものの


形も少しずつ


変化を遂げていると思うの


例えば


スポーツの世界ならば


少しでもスランプが続いたり肉体的にも


以前の栄光にこだわる


周りの言葉に押しつぶされて


続けられる余力があっても


だめになってやめるよりも


惜しまれながらやめてゆく形の


プライドを選択される方も


多かったけれど最近では


限界にチャレンジされる各スポーツの選手たちが


とても輝いているのを感じているの


それはご本人の意思や思いが


持続の強い力とはなっているとは


思うけれど何より


周りの方たちの中にも


限界までチャレンジする


プライドの美しさに


エールを送られているから


なんじゃないかなって


感じているの


人間には大なり小なり


限界を悟られる恐れを


いつも秘めていて


その物事が


たとえ小さな事であっても


そうだと思うの


とても恥ずかしいお話しだけれど


私自身


中学生・高校生の頃


勉強が理解できない自分自身を


そのまま受け入れる事ができず


あえて勉強に必要な教科書を


忘れてみたり


テストの時にも10問中8問しかわからなかったら


わざとひとつも答えを書かず


周りに


わかるのに書かない


勉強しないから


理解できないだけという姿勢を


アピールしていた事があったの


それは今思うと


自分の限界を知られてしまう事の


恐れだったように思うの


そのような形は


大人になってもあると思うの


私は学生時代には


このようなスタイルを


いつまでも続けていた時


母に「そんなに辛いなら


やめたらいい


あんたは学校を一周すると


満足してしまう人なんだよ


良く言えば


適応能力がありすぎて


すぐにあきてしまうから


他に自分がやりたい事探しなさい」って


私を傷つけるでもなく


優しく私をぐるぐる巻きにしていた


鎖を解いてくれたの


その優しさに私は


大きなエネルギーをもらってからは


限界を知られてしまうのも恐いけれど


何もしないで


周りの評価ばかり気にして


何も出来ないのも


かっこわるいなって思うようになって


それからは


違う意味で恥ずかしいくらいに


何もできない自分を表現できる


自分がうれしくなった事があったの


そんな風に


正直な自分を表現すると


自分が思っていた以上に


優しく受け入れてくださる方の方が


非難・評論する方よりも


多くいてくれて


神様が人間に与えてくれた


優しい心に感謝が溢れていたの


個人で楽しまれる


スポーツの分野でも


意識が変わっているようで


私が通っている


フィットネスクラブには


昼間は自分の両親よりも


お年を重ねた方たちが


私以上に


体力・気力が溢れていて


私も年を重ねた時


目の前にいる方たちのように


活き活きと元気に


年齢であきらめる事なく


トレーニングしていられる


自分でいたいなって


感じていたの