2006年4月




カレンダーが一枚・一枚めくれるたびに



春を迎える



喜びを感じながら4月を迎えたの



新たに大きめの水晶を



お部屋に迎えてから



自分との波長を溶け合わせるために



毎日触れているの



触れているうちにいつも昼間から



すぐに夢の世界へと誘われその夢の中で



色々な事を伝えてくれているの



夢の中では



リアルに気持ちを体験できるため



逆にあまりよくない場面を



私にリアルに体験させてまぶたを開くと



その残った思いを大切に



現実として行動する事を



伝えてくれているみたいなの



水晶によって同じグループであっても



個性が様々で夢でメッセージを



伝えてくれるものであったり



メッセージを持っている方を



引き寄せてくれたり・・・



本来何もアイテムを持たなくっても


何かしらの形で私たちに日々



メッセージが届けられてはいるけれど



そのメッセージを



どのように受け取ったらよいのか?


言葉ではない感覚で伝えてくれるのが



水晶なんじゃないかなって



感じているの



年齢を重ねた方たちの多くは



夢で見た事を大切に



自分なりにこれは注意しなさいと



言う事かなとか



周りのふれあう方が夢に出てきた時には



その光景や表情から



気になった時には連絡をしあったり



虫の知らせなどという



周りの何気ない変化を感じる事を



日常に当たり前にあったと思うの



その能力は誰の中にも



宿っているんじゃないかなって



感じているの



でも最近は多くの情報によって



目の前の問題を



無意識にデーター化して処理する方を



信頼されている方も多く



この大切な能力が



少しずつ退化してきているんじゃないかなって



感じているの



その退化しそうな大切な能力を



まるでオーラで包むように輝かせてくれるのが



水晶だと思うの



この間友人のおうちに



数年ぶりに遊びに行った時



とても心地の良い空気を感じて



ずっとその事を



伝えていると光の差し込む場所から



小さな水晶を持ってきてくれたの



その水晶はとても美しく



大きさは小さくっても



とてもエネルギーを感じたの



その友人のおうちには



今まで水晶はなく



この小さな水晶ひとつ置いただけで



こんなにも違うんだなって



改めて感じさせてもらったの













いつも


私の心の中に秘めている


大好きな言葉があるの


その言葉はユングの言葉で


人間関係で


心が揺り動かされる時に


私の心を静寂へと導いてくれるの


ある人に合う靴も


別の人には窮屈である


あらゆるケースに適用する


人生の秘訣などない」という


言葉なの


頭では十人十色など


人の数ほど


様々な考えがあることは


理解していても


なぜ?わかってくれないのなどの


自分が正しいという前提で


無意識に意見を


押し付けてしまいそうになった時や


逆に相手から


自分の人生の歩みを否定された時など


そのような場面と


巡りあった時に


この言葉が


私の心を穏やかにしてくれるの


誰もが靴を履いて過ごしているけれど


サイズや好みが違っていたり


時にはぴったりフィットした


同じサイズの方もいるけれど


ある方にはこれがいいと


感じていてもある方には


そのサイズが窮屈だったり


まったく入らなかったり


現実に照らし合わせると


そのような事は多くあるから


とてもスムーズに


この言葉が


受け取れたの


女性のグループが集まると


何かひとつの話題に


お互いが共感しあう事で


深まりあうという


プロセスをお互いに


求める事が多いから


どんな場面でも


無意識に同じ感覚を


求め合う事ってあると思うの


例えば男性を見つめる時にも


ある方は何でもできる男性を求め


ある方は自分が


何でもしてあげたいと思い


そのようなタイプの違いから


繋がるご縁も違っていて


冷静に考えたならば


両方の意見は


どちらも


その方のタイプの問題なのだけれど


どちらかの方が自分のタイプに


共感してくれないと


否定されたと


無意識に感じる癖を



持っていると


相手のタイプを否定したり


とても重い空気が


生まれてしまうと思うの


このような事は


子育てをされている方などの


場合は



とても深刻で


自分のフィーリングや


類友の法則のまま


友人関係を築けず


大切な子供のために



子供が笑顔でいるために


付き合わなければならない


身近なグループってあるんじゃないかなって


感じるの


すべてのフィーリングが
フィットしていなくっても


否定されたと無意識に感じる癖を持っている方を


出来るだけ刺激する事なく



合わせて過ごさなければ


毎日がスムーズに歩めない事から


小さな限らせた空間で


思い煩われている方も


いるんじゃないかなって


思うの


数年も過ぎれば


その思いが晴れて


笑える事はわかっていても


今この瞬間が


人生のすべてのように感じる時も



あると思うの


きっと人生の中で


一番大変で


一番幸せなのが


子育てなんじゃないかなって


感じるの


女性の人生は



今まで積み重ねてきた
キャリアや人間関係が


結婚を節目に


良い意味でもそうではない意味でも


一度リセットされる気がするの


そしてその後


自分が望む・望まないに限らず


また新たな人間関係が築かれたり


与えられた空間で


新たに育まれるものができたり・・・


その大きな人生の変化に


戸惑いながらも


何度も何度も
自分を適応させ


何気ない時間の中で
ふっと気づけば


「私の人生はこのまま終わってしまうんじゃないかな」という


不安が流れ込んできたりして・・・


そんな時には


今まで歩んできた自分の人生を


否定してしまうような思いに包まれて


自分が選択しなかった人生の方に



エネルギーを注ぎ


益々悲しい気持ちになってしまうと思うの


でもどんなに悲しい事も


思い煩う事も


必ず卒業できる日がくると思うの


今心煩うことは


人生のひとコマなのだと


心が理解できたならば


その超えなければならない


時間はきっと違った角度から


見つめられるようになるんじゃないかなって


感じるの


私自身子育てという


プログラムが人生の中には


なかったけれど


子育てをされている知り合い方には


いつも


うらやましいという言葉と同じくらい


私の生き方や
人生を否定する言葉も


多く受け取ってきたの


そのたび


努力でどうにもできない事なだけに


その問題を考えだしてしまうと


深いく暗い宇宙に漂っているかのように


自分に立ち返ることが出来ず


自分を責めて


涙が止まらない時期もあったの


ひとつの問題にスポットを当てると


恵まれた方と


そうではない方が存在するけれど


人生はトータル的に


人間が考えもつかない形で


帳尻がすべて


調整されているんじゃないかなって



感じているの


例えば


子育てをされている方とそうではない方


どちらが楽で幸せか?と


ひとつの問題だけでは


計れないんじゃないかなって


感じるの


またその方それぞれの


レベルに合わせた



違った
問題は用意されていて


みんな幸せになろうと


一生懸命に


問題をクリアしていると思うの


心が未熟で


おりこうではない私は


一人で消化する事が出来ず


たびたび



恥ずかしいくらいに


泣いたり・笑ったり・怒ったりしながら


手を引いてくれる


家族や友人のおかげで


前に一歩・一歩歩めていると


感じているの


一人ならば思い通りに


何でも運ぶけれど


本当の意味での


揺るがない


魂の成長には


良くても・そうではない場合でも


人生に大きな



成長を与えてくれるのは


人間関係なんじゃないかなって


とても感じているの













今日久しぶりに


両親と電話で話していた時


長い間


私たち家族を癒してくれた


猫が天国へと旅立った事を


知らされたの


15年以上も共に過ごしてきた


家族の一員となっていた事もあって


両親はとても寂しそうだったの


そんな両親に


何もしてあげられないけれど


せめて少しでもやすらぐ時間を


与えられたらと思い


今私と共に過ごしている


猫を連れて


実家へと足を運んだの


両親は


寂しさと悲しい気持ちで


猫との思い出や


両親が無言の救いを受けた事など


いなくなって


初めてその大きさに気づいた事などを


伝えてくれたの


子供たちが巣立った後も


両親は


猫と共に暮らしてはいたものの


必要以上に


ふれていたわけでもなく


気にしていたわけでもなかったけれど


実際に存在していた生命が


消えてしまった事に


何気ない時


とても感じていたみたいなの


例えば帰ってきて


無意識に話しかけていた猫が


今はいないから


話しかける事もなく


それぞれが自分のポジションへ座った時


深い悲しみが
訪れたり


無意識に瞳を向けていた場所には


猫の存在がいない事を感じるたびに


人間のように何か


目に見えた形で


サポートはできなくっても


猫から与えられた救いに


両親は毎日感謝と悲しみと


ふたつの思いに


包まれているようだったの


私と共に暮らしている猫を連れて行くと


両親は喜んで



ずっと猫をなでたり


何時間も猫に瞳を向けていたの


その姿を見つめながら


私は今共に暮らす猫に


心の中で感謝を
伝えていたの


ペットは時に


人間同士では
上手に結べない


心の糸を結ぶ



大きなサポートをしてくれている事を


とても感じているの


そして言葉の交換が


辛い時などには


無言の癒しを与えてくれて


心の安らぎを作ってくれたり・・・


今回天国へと旅立った猫は


若い頃


両親とあまり会話がスムーズに


流れなかった頃など


猫を理由に


お互いが言葉をかけあったり・・・


思い出が尽きる事のないほど


重ねてきた家族にとっては


まだ癒るまでには


時間が必要なんじゃないかなって


感じていたの


ペットに限らず生命が宿るもの


すべて


この世を去る事は


見送る方にとっては


過ごした時間の数だけ


悲しみ・後悔・感謝etc


様々な思いが溢れて


言葉として


表現できないくらいに


たくさんの思いに
包まれると思うの


でもそれは


素敵な縁と出会えたからこそ


感じられる


心の経験なのだから


無理にその気持ちを


変えようとしたりする事なく


感じたまま


天国へと旅立った存在へ


思いを向けていていてもいいと思うの


そして


時間の流れと共に


ゆっくりと悲しみよりも


感謝が広がった時


自然に癒されて


ゆくものなんじゃないかなって


思うの


年を重ねてゆくと


喜びや幸せも育まれてゆくけれど


その時間の流れの長さを


まるで教えてくれているかのように


天国へと旅立つ生命を


見送る事も


何度も経験してゆくと思うの


その時


もし大きな悲しみを感じたのならば


それは素敵な縁に恵まれた


人生を自分が送っている事を形を変えて


伝えてくれているんじゃないかなって


感じているの













ここ数週間


ずっと自分の元で


寄り添ってくれている


水晶たちとひとつ・ひとつ


ゆっくりと対話していたの


今回


新たに仲間入りした


大きな水晶たちを迎える


ための準備もかねて


久しぶりに


心を通わせていたの


今回は大きなクラスターと


大きなボール型の水晶と出会い


毎日助けられているの


ずっと大きな水晶と共に過ごしたいと


思っていたのだけれど


なかなかフィーリングの合うものに


出会えずそのたびに


まだ大きい水晶を使いこなせるだけの


力が備わっていないのかなって思い


今まで共に過ごしていた水晶を大切に


用途用途に応じて使えるように


勉強していたの


そんな時にふっと巡りあい


私の元にくる事となって


まるでお見合いが成立したような


感じなの


今は私の元に辿りつくまでの


疲労や様々なエネルギーを


浄化するために


大きなクラスターで囲み


休息させているの


大きなボール型水晶は


よく占い師や預言者などが


透視を行う時に


時間を繋いでくれるアイテムとして


必ず登場してくるけれど


私が今まで持っていたボール型水晶は


手のひらに乗るくらい


小さなものだったので


今回迎え入れた大きなボール型水晶と


これからエネルギーを通わせ


もっと自分の解釈の能力が


高められたらいいなって


今から楽しみなの


ボール型水晶には


思う人・願う人へ
届ける


メッセージを受け取ったり


インスピレーションを


与えてもらったりする時などに


きっと活躍してくれるんじゃないかなって


感じているの


迎え入れてから再充電が


私の中でも始まっているようで


眠たくて・眠たくて


数日間は


夢の中で


水晶からのメッセージを受け取ったり


コンタクトをしていたの


年々夢で受け取るメッセージの


ピントが合ってきたようで


近い日に



訪れる出来事と



その答えをセットでいただけるようになったの


この間も


友人からバイオリンのクラッシック


コンサートの演奏会に


誘われたのだけれど


私はその場面を


前の日に夢で見ていたので


その場面を思い出しながら


友人に「チケット取れるかな?」って


お返事したの


なぜなら


夢ではチケットが1枚しか取れず


行けない結果を知っていたからなの


そうしたら


数時間後



友人からメールで


チケットが取れなかった事を


伝えられたの


今はこのような小さな事しか


メッセージを受け取る機会がないけれど


時間と共に自分が高まって


ふれあう方たちの


心の影を溶かせるほど


大きな手助けをさせていただける日が


訪れたらいいなって思いながら


日々水晶との対話をしているの











何気なく


ニュースを見つめていた時


通り魔的に命の灯火が


誰かの手によって消されようとした


出来事が伝えられていたの


その時


同じ場所で同じ時間


もしかしたら被害にあわれて


いたかもしれなかった方が


インタビューで


心弾ませたような声で


自分はとても幸運だった事を


感じられているような


メッセージを表現されていたの


その言葉を耳にしながら


昔友人から聞いた


お話しを思い出していたの


友人は警察官で


航空機事故に関わった事があったようで


私たちが知っている以外にも


生存者がいた事を教えてくれたの


その男性は


自分が助かった喜びが大きく


怪我も奇跡的に


ほとんどなかったようなの


一応病院で検査を受けて


そのまま帰る事になって


悲しみにくれる


多くのご家族の中でも


一人だけ笑顔で


友人はその方が


とても印象的だったようなの


その男性は


その後家族や親戚を集めて


生存の祝いに


宴会を開いていたみたいなの


それから数時間後


その男性は酔っていて


階段から転落して


命の灯火を消されたようなの


事故から24時間以内の出来事の場合は


その事故が原因で命の灯火が


消えた事となるようで


生存者の中には


紹介されなかったようなの


友人はいつも


その話しをしながら


私に


「感謝する事はいい事だけれど


人が悲しんでいる時に有頂天になって


祝い事をするもんじゃないよ


いつ・どこで


誰が同じ体験をするのかわからないのだから・・・」と


伝えてくれていたの


その事を何かあるたびに


思い出していたの


つい無意識に


自分に幸運の光が当たると嬉しさのあまり


悲しみにくれる方が見えなくって


相手の心に


何度もフラッシュを放ってしまい


その事で


誰かを益々悲しみに包んでしまう事って


あるんじゃないかなって


感じているの


そんな時にこの言葉を


魂の辞書から引用させてもらっているの


日本では昔から


おめでたいお正月に年賀状で


日頃会わない方にもご挨拶されるけれど


天国へと旅立った方が前の年に


ご家族や親戚にいた場合は


控えられるのも


このような思いが込められた


優しい習慣だったのかなって


感じていたの














本を読まない方が


ここ数年多くなってきた事の原因を


様々な形で


伝えられているけれど


私が感じているのは


昔は本の世界でしか


あるえなかった出来事が


今では毎日


メディアで伝えられていて


現実の世界の方がリアルに


不思議な世界となっている事も


ひとつなんじゃないかなて


感じているの


現代人は


日々無意識に脳疲労を積み重ねてしまう


ライフスタイルの中で


文字を長い時間


読み脳を使う


スペースが少なくなってきてると思うの


その容量の中でも


何かを学びたい


何か刺激が欲しいなどの


向上心や好奇心は生まれ


そのスペースの中で


一番スピーディ-で考えなくても


相手が展開を伝えてくれる


映像の方へと


多くの方が惹かれていったから


なんじゃないかなって


思うの


想像力ってすべての脳の信号が繋がりあって


フル回転するくらいに


スペースが必要だから


日々瞑想や休息を


ライフスタイルの中に


とけ合わせていなければ


スペースが作られないと思うの


本をゆっくりと


読みたい気持ちの時には


無意識に脳のスペースに


ゆとりが作られているんじゃないかなって


感じるの


以前何かの記事で読んだのだけれど


本を読んだり


お手紙を書いたりする時に


使われる脳は


開いたスペースでおこなわれるみたいで


現代人のように


脳をいつも忙しく過ごしていると


会話も文字を書く事も


ストレスのひとつとなっていて


メールで数文字


交換するだけのコミニケーションが


精一杯になっているみたいなの


身体とは違って


脳自体には


痛みを感じる神経もないので


頭の中でどんな風に疲労しているのかは


感じられない


部分だから


自分の何気ない行動や言動などで


自分が受け取って


感じてあげる事しか出来ないと思うの


人間の脳は


これだけ医学が進んでいても


まだまだ未知なる宇宙のような


スペースで


伝えられていない事も多いけれど


日々同じ事を繰り返し


過ごしてしまいがちな


ライフスタイルにはほんの少しの


刺激を含んだスパイスが


必要なんじゃないかなって


感じているの


つい行きなれた


イメージがすぐ浮かぶ場所にばかり


足を運ぶ事から


通った事のない道を選んだり


いつもは素通りしてしまうお店へ入ってみたり・・・


小さな冒険が大人になってからも


少年や少女のようなトキメキで


脳細胞に


刺激を与えてくれるんじゃないかなって


感じているの


仕事での緊張感とは違う


何度失敗しても許される


空間での緊張感は


心身ともに


リフレッシュさせてくれると思うの


主婦の方などは


自分だけが楽しむために


経済を使う事に


まだまだ小さな罪悪感を


持たれている方も多く


ショッピングは食品や家族みんなで


楽しめるものを


セレクトして


ストレスが重なるたびに


まだあるのに


無駄にはならないもの


例えば


トイレットペーパーや洗剤類


日持ちのする食品を


買いだめしてしまったり・・・


心はシンプルに


片付いたお部屋で過ごしたい気持ちとは


逆に生活感に


包まれたお部屋で


長い時間過ごしている方も


いるんじゃないかなって


感じているの


お部屋を見つめてみると


無意識に心や脳の状態が


住まいの中で表現されていると思うの


脳疲労や心が


いっぱい・いっぱいになっている時には


お部屋も何となく


調和もなく


いつ購入したのか


忘れたままになったものがあったり


イライラの原因になっている


スペースに気がついていても


整える気力が


沸いてこなかったり・・・


でもこの疲労も


まるで魔法のように


ほんのちょっとした


初めての事を


取り入れるだけで


溶かされてゆくと思うの











猫と共に過ごす中で


色々な事を感じているの


ペットは言葉で


思いを伝える事が出来ない事もあって


共に暮らす人間が


行動や鳴き声から


その生命が求めている事を


理解しようという姿勢で


いつも無意識に


ふれあっているせいか


意思の相通を感じられると


とても大きな喜びになっていて


その時ふっと


人間同士のふれあいも


このような思いで


心が結ばれたのならば


きっとみんな幸せなのになって


感じていたの


このような思いは


人間が恋をスタートさせた


数ヶ月に似ているんじゃないかなって


感じているの


相手の事が


まだよくわからないから


理解したい気持ちと


相手を知りたい気持ち


そして相手が求めている


幸せを手渡したい思いだけで


見返りはその時には


思い浮かばないほど


そばに寄り添う事だけで


心を満たしていると思うの


でも人間同士の関係は


時間を重ねる事で


気持ちにも変化が訪れて


今まで自分が与えた時間・思いetcを


今度は与えてもらくなって


その頃から


幸せの形が変わって


自分が作り出していた幸せから


相手によって


幸せになったり・そうではなくなったりして


相手を変えようと多くの時間を


注いでしまうんじゃないかなって


感じていたの


人間同士の場合は


無意識に


「自分が出来るのだから


相手も出来て当たり前」という


固定観念を秘めているために


言葉を伝える側は


答えを求めた相手の出すであろう答えを


意識とが別に


頭の中に用意していて


その答えとフィットしないと


イライラが生み出されたりして


人間関係に


大きな壁が作られてしまうと思うの


それぞれの個性の違いに


笑えるゆとりや個性の発見を


楽しめたならば


どんなにこの世界は愛に包まれ


美しい魂の表現の場として安心して


過ごせるだろうって


感じながら


自分の心にも


愛の言葉を刻んでいたの












数年前まで私は


両親と話しを始める時に


必ず不安げな顔をして


相談話しから


会話の扉を開いていたの


そんな流れを


数年過ごしていた時


なぜ?私はさっきまで


楽しかった事を


話さずに不安げな顔をして


話を始めるんだろうって


心に問いかけてみたの


初めのうちは


両親には本心を語れるから・・・と


思ってみたり


両親は頼りになるから


話してしまうのかなっていう


表面的に意識としての


答えが溢れてきたのだけれど


長い時間


静寂の中で瞑想していると


自分でも思ってもいなかった


答えが届けられてきたの


そのような流れを作っているのは


両親から溢れる思いを


無意識に感じ取った私がそのように演じ


演じる事によっていつもよりも


両親の愛情を感じられた事をきっかけに


今度はお互いに役割分担が


出来上がってしまっていた形が


このような


流れを作り上げてしまったみたいなの


このような流れが作られる前は


子供として当たり前に


友人との楽しい時間について話したり


その時購入した素敵なものを


見せたりしていたのだけれど


そのたびに


母は自分の人生と


私の人生を比較して


「今の時代はいいよね」など


声はほがらかなのだけれど


表情が曇ってきて


その瞬間的なものを


キャッチしてしまった私は


自分が幸せだという事を


表現する事から


母よりもせつなく


大変なのだという自分を


演じるようになったの


そして両親がいなければ


何もできない子供を


演じるようになると


両親も


無意識ではあると思うけれど


自分たちの経験や人生論などを


語ってくれたりして


言葉を上手に


選択できないけれど


両親も親としての役割が長かった分


自分たちを頼って


相談してくれる事に


心配もあるけれど


幸せもあったんじゃないかなって


感じているの


やっと数年前に


自分が自分を愛したい気持ちが芽生えて


自分のライフスタイルを


見つめた時私自身が


意識をチェンジしなければ


何も変わらないって思い


巣立ちを迎えている事を


感じてもらおうと


不安げな顔をして語ることを


手放したの


初めは


思っていた通り


行動的で思い煩わない


私を見つめて


自分たちはもう


必要とされていないのか・・・との


寂しげな思いが表情に


現れていたのだけれど


すぐに


時間の流れを感じ


ここまで子供を育て上げた事を


ふたりは賞賛しあっていたの



その姿を見つめて



持つ必要のない



うしろめたさから



開放されたの


それ以来逆に


私が笑顔で過ごしていないと



両親は何気ない出来事を



面白おかしく話しながら



私を笑わせてくれるの



年を重ねてゆくたび



益々



両親に感謝と



ありがたさで



いっぱいになるの














自分を大切に


自分を幸せにしてあげるという


表現だけを耳にすると


もしかしたら


周りの方へ


優しさを手渡す事を


後回しにして


自分さえ良ければいいという


とらえ方をしてしまうかもしれないけれど


誰もが


自分という窓から


すべての世界を見つめ


体験してゆくものだからこそ


自分という存在を高められる事が


とても大切だと感じているの


スピリチュアルな知識が


豊富なのに


スムーズに物事が運ばない方が


もしいたならば


それは単純に知識を知った事と


知識を取得したことの


違いだけなんじゃないかなって


感じているの


本や人から伝えられる言葉で


知識を知っても


その事を


実現する事は


思っている以上に


とても難しい事だと思うの


初めは


現実の世界とは違う


自由に惹かれて


精神世界を学んでいたはずなのに


精神世界を学ばれる方の多くは


とてもまじめで


まっすぐな方が多いから


いつの間にか


枠決めや決め付けに


しばられてしまい


楽しめない世界と


なっている方もいると思うの


私が感じているのは


本来精神世界ほど


自由で


ひとつの出来事の中に


答えはいくつもあって


どの答えも


その方それぞれに


正しくって


その溢れる答えの中で


自分にフィットするものが


必ず見つけられる世界が


精神世界なんじゃないかなって


感じているの


そして何よりも


今までは自分で人生を変えられないと


思っていた思い込みに


気づかせてくれて


無意識に


自分から


エネルギーが発信していてる事を


意識して


過ごせるようなって


ふれあうものを


見つめる


心の瞳が輝き出す喜びが


精神世界が


伝えてくれている事なんじゃないかなって


感じているの