雪の数  雪のサイズ  雪の速度  雪の揺れ  風(+右)
 雪質(0:そのまま 1:透明 2:軌跡 3:Glow 4:影1 5:影2 6:波
 フィルター関係色(雪質 3,4,5の時使用)


2006年12月












私は自分の身体をつかって


実験的体験をしながら


自分の中で事実を


重ねてゆく歩みを


自分の意思とは別に


長い年月行って


過ごしていることを


感じているの


以前前世にふれる体験の中で


海洋学や医学など


生まれ変わるたびに


研究していた魂が


私の中に


まだ生きているのかなって


感じる事があるの


受け取る前に


受け取ることには


躊躇はしないのだけれど


素直な自分の意思とは別に


受け取った情報や答えを


後から


噛み砕いて


自分の中へ吸収する時に


少しでも何か違う感覚が


生まれてくると


納得できるまで


向き合っていたり・・・


たとえば


私は女性として大切な臓器に


病があって


自分の意思では


痛みや知識を


多く受け取り


この状況を卒業する覚悟を形として


大切な家族や


ふれあう方たちにも


自分の心を説明しながら


そのような流れで


過ごそうと思っているのだけれど


実験好きな


別な自分の意識が


その流れを止めていて


お医者様と日程について話をし


手術の流れまで


話していたのに


その数日前になると


その先生が急遽学会などで


立ち会えなくなる事が


数回あったりして


その時せっかくだから


卒業できる日が整うまで


痛みというセンサーを使って


色々なことを


体験しようと


言葉では上手に表現できない


喜びと落胆があったの


落胆しているのは


私の意識で


また痛みを体験をしなければならないの・・・っていう


思いで


その意識とは別に


喜んでいる存在意識を


感じていたの


それから様々な食品や


サプリ・パワーストーン


言葉・などから


自分の身体に送られている


影響を体験していたの


その中で言葉というものの中で


「だって」「だめ」などの


濁音がとても痛みと繋がり


その言葉を聴くのも


表現するのも同じくらいの


痛みが身体に広がるのを


感じていたの


この感覚は健康という貯金がある頃には


ダイレクトに感じることはないけれど


確実に心身に


ダメージをゆっくりと


与えるものなんじゃないかなって事を


知識ではない


自分自身で体験させてもらったの


そしてパワーストーンの場合にも


説明書きなどとは別に


身体をとしてサインを感じたりしながら


楽しく繋がりあうことができたの


たとえばローズクォ-ツは


多くの場合恋愛に効果があると


伝えられているけれど


私が感じたのは


その方それぞれに形を持った


心の傷や痛みを


癒そうと働きかけてくれる


石なんじゃないかなって


感じているの


私の場合はよく突然理由もなく


寂しくなったり


不安に包まれるとき


たくさんあるパワーストーンの中から


無意識にローズクォ-ツを


手に取り


胸に当ててみたくなるの


そうした時


少し不思議なのだけれど


ある童謡が口から溢れ


自分でもよく何番も歌詞を知っているなって


思う感覚の中


歌い終え


その時ずーっとやすらかな気持ちになった


体験があるの


それ以来


心身がやすらぎを求めて


いる時には


童謡の歌詞をネットで探し


自分の内に宿る


誰かのために


歌ってあげるの


この不思議な感覚は


センサーとなっている痛みが


言葉のように私にメッセージを送ってくれる事で


感じられる体験だから


今はその感覚を楽しんでいるの


でもその素直な身体の反応を


優先するようになってからは


また人間関係の卒業も訪れたり


入学式が訪れたり


少し心が忙しいの


このような感覚の中で過ごしていると


今までは自分の意思で


無理を重ねても


付き合いができた方とも


少し難しくなって


自分の未熟な言葉では


どんなに説明しても


理解していただけなかったり・・・


そのような場合は


少し優しくないかもしれないけれど


お付き合いを考えるようになったの


そんな寂しい依存関係を


卒業すると


今度は不思議と待っていたかのように


新たな光となる


友人が現れたり・・・


そしてまた何かを学び


受け取るために


共に過ごす時間がふえていったり・・・


親しくさせていただく中で


無意識に卒業を考えるときって


私の場合は


パワーバランスを感じた時が多いの


年齢・経験・環境様々なものが


違うという前提で


大切に思う思いをあたためあいながら


自分の自由を許してもらい


相手の自由を認めてゆけないと


感じた時


心身にすぐにダメージが広がるので


自然に心が離れて


次の光に意識が向かうみたいなの


こんなに年齢を重ねてきたのに


少し恥ずかしいのだけれど


このような関係の中で


初めて知った事も


たくさんあったの

でもなぜ


私はお付き合いを続けてきたかと


考えてみると


やはり自分自身に自信がなく


どこか多数決の思い込みが働いていて


知り合いの多い友人の意見は


きっと私よりも


愛される正しさを持っているのだから


私の考えや行動を


好ましく思っわない言葉を言う


友人の方が


正しく


友人の言葉は何百人の方が


思う言葉なのかもしれないという


自分への過小評価から


無理を重ねてしまった事もあったの


でもある時


偶然足を運んだ場所で


出会い親しくしてくれている方は


一緒にご飯を食べながら


「出会えてよかった」って


私に素敵な言葉を送ってくださった事を


きっかけに


新しい心の旅を始めようという


勇気が育まれ


友人との過去に感謝をし


つきあいを卒業した事があったの


人間は無理を重ねても


心や意思が


心から望むことをする場合は


多くの場合


免疫力の低下はみられないけれど


心惹かれない事・したくないことを


重ねていると


ナチュラルキラー細胞が減少して


健康という貯金を減らし


病という形にまで進み


「自分をいたわりなさい」


「自分を大切にしなさい」という


メッセージが届けられると思うの


その時には


痛みを使って半強制的に


自分を大切にいたわってあげなければ


過ごせなくなってしまうと思うの(笑)


誰よりも人生を共に過ごし


歩んでゆく


自分の魂と肉体を大切に


喜びを見つけながら


歩むことこそ


奇跡の愛の始まりなんじゃないかなって


感じているの














今日父から電話をもらい


私がパートナーと離れて


過ごしているので


心配して電話をしてくれたようだったの


今パートナーは私の思いより


少し早く偶然にも


四国へ長期出張が決まり


離れて過ごしているので


気にかけてくれた思いが嬉しく


私は以前よりも


「ありがとう」と


内に秘めるだけではなく


言葉に表現するようになったの


それから本当に不思議なほど


両親も愛に溢れた


言葉を内に秘めていることから


表現として


言葉にするようになったの


近い関係の場合


照れや逆に


わかっているだろうという思いから


言葉にして


感謝という表現が


少ない事もあるけれど


私も勇気を持って


「ありがとう」を表現するたびに


受け取った両親の


何か意識にも


変化があったんじゃないかなって


感じているの


今では両親も


会うたびに


「親だからいくつになっても


自分の子供がかわいい


親だから


困ったことがあったら何でも言ってこいよ」など


今までは心にしまっていた言葉を


言葉にして私の心に届けてくれるの


その言葉の力に私は何度も


感情を抑えきれず


涙が溢れ


両親まで


「ばかだな~


親だから


当たり前なんだから」と


いいながら涙を浮かべているの


その素敵な体験の中で


言霊の美しさに触れたとき


伝えている本人も


伝えられた側も


感動してしまうんじゃないかなって


感じていたの


言葉は人間だけが与えられた


素晴らしい能力なのだから


いつも自分を感動させる


言葉をのど仏を通して


表現して行けたらいいなって


思っているの
















「いじめ」問題が


毎日のように伝えられているけれど


いじめって


社会の中で


ある特定の人が


一人をターゲットとする事によって


他の人たちとの


共感・つながりを


強めるために


気が付かないうちに


生み出していることがあると思うの


よくいじめられる側が


弱いという表現もあるけれど


私が感じているのは


その逆で


いじめている側の弱さが


集団的ないじめへと


繋がっているんじゃないかなって感じていたの


人によっては


いじめられる側にも


原因があるという


思い込みを言葉に


される方がいるけれど


その原因って


いったいなんなのだろう?


容姿?話し方?家の環境?


どれを見つめても


違っていて当たり前で


いじめを正当化できるものは何もないと思うの


ある知り合いが


いじめ問題を見つめながら


「いじめられる側に問題がると思う


一緒になっていじめたりして


みんなになじむように


いじめられない努力をするとかさ~」と


表現していたとき


驚きと同時に


事実として


大人の社会の中でも


そのようにあわせながら


会社の中で


何とか上手に生きてゆかなければ


過ごせない方たちも


多いのかもしれないなって


感じていたの


もっと広く見つめてみても


ある特定の国が


法律のように権力を持っていると


他の国は


よい悪いというジャッジで意見は言えず


従いながら


心惹かれない行動を


受け入れている事もあるなって


感じていたの


そのような流れを


子供たちは見つめながら


希望が見つけられず


早いスピードで


人生に終わりを


自ら


迎えているんじゃないかなって


感じているの


人生は人と人の中でしか


体験できないドラマが


いっぱい用意されていて


自分を好ましく


思ってくれない人もいる事実も


何度も体験してゆくのだと思うの


その逆に自分を誰よりも


好きだといってくれる人も


この世にはちゃんと存在している事実も


用意されていると思うの


だから


狭い世界の中だけで


自分を愛される価値のない人だとは


思わないでほしいの















私は昨年から


にゃーと鳴く娘(猫)と


暮らすようになって


与えられる事


教えられることが多いの


猫って


愛されようと


自分を変えることなく


いつも自分の思いに素直で


とても勘がよいのか


ベストタイミングで


ぴったりと人に寄り添い


ありのままの姿でいるだけなのに


周りから


愛されている猫の生き方に


人間が本来求めている


理想に近い生き方を


しているように感じていたの


そして周りから


強く何かを要求されることなく


ただ生きている事だけで


周りをほっとした気持にする事ができたり・・・


人間も猫のように


無理せず


自然の姿で生きているだけで


本当は愛される価値を


秘めていて


容姿や顔・声・思考が


様々に存在しているのも


自分を偽り


愛される演出をするよりも


本当はありのままの


自分の姿を表現できているときの方が


愛のまなざしを


向けられていることがあるんじゃないかなって


感じていたの


人との結びつきって


必ずしも


非の打ち所のない立派と言われる人に


心惹かれるわけではなく


逆に相手の失敗談を聞いた時


自分も共に


同じニュアンスの話ができる


思いやりのある方だったり・・・


私のパートナーは


苦手だった水泳を


あえて克服したいと


フィットネスクラブへ通いだし


今では大会を目指すまでになり


自分が無理だと思っていたことを


克服できた自信から


心まで向上しているようで


今までは


気にもならなかった感覚が辛くなっているの


それは職場で話す


ゴシップや陰口なの


彼は今では同じ目標に向かう


友人ができた事で


その友人たちが


自分の目標や楽しい出来事を


話している中


自分も同じような波動を受けていて


笑顔がふえてきたのだけけれど


会社へ行くと


必ず今そこにいない人の会話や


お付き合いのある会社の


誰かの話を悪意をもって


興味本位で語っているようなの


そして彼はその空気が


新しくできた友人たちと過ごす時とは


明らかに違っているのを


感じるようになったみたいなの


そして彼は


そのゴシップや噂話に


参加しないようにしていたら


今度は彼がターゲットとなって


陰口を言われているのを


感じるようになったの


私は何を言われているの?と


彼に尋ねると


ここには表現したくないような


言葉がたくさんだったの


憶測レベルで


彼の心を傷つけているようだったので


私はすぐにやめてしまう事を


彼に勧めたのだけれど


彼は


「人の会話って


よーく聞いていると


誰でも自分の事をよく見せるために


周りの人を落としたような話を


するもんだよ


俺は最近運・不運で


人の運命が作られていないことを


知ることができたんだ


幸せに暮らしている人は


運がいいんじゃなくって


いつでも


自分を見ているんだ


うまくいかない人は


いつも人のことばっかり話したり


見ていて


本当は自分のそばに火がきていて


火が自分に移ってきそうなことにも


気づいていないんだ


その事を知っただけでも


今の会社にいる意味はあるし


どんなことを言われても


自分が真剣に受けとめない


技を身につけるには


今の環境がいいように思うんだ」って


返ってきたの


私はその言葉を聴きながら


確かに


無意識によい事も


そうではないことも人の話題を長くしていたり


知らず知らずに


そのような会話で


人間関係が成り立っている


部分が少なからず


あるように感じていたの


でも彼が伝えてくれているように


輝いて生きている方の多くは


自分に興味を持っていて


自分が次に何をしたいのか?


自分が何を求めているのか?など


意識を自分に向けられている方が


多いように感じていたの


私の友人の中にも


今自分の未来を実現したい思いから


いつも未来のヴィジョンを


語っていたり


楽しかった最近の出来事を


話す方もいれば


今目の前にいない方の


夫婦関係や経済事情などを


心配しているという


言葉を用いながら


いつまでも結果や答えのない


興味本位としか


思えないような会話を


無意識に好まれる方もいるの


でも決して悪意に満ちたものではなく


善意だと思っているところに


逆に深い問題があるんじゃないかなって


感じているの


とても恥ずかしいことなのだけれど


つい私も


その場の空気をこわしてしまう事を


恐れて


積極的ではないにしろ


そのような言葉に


合いの手となるような


返事をしてしまっていたり・・・


ある時


そのような時間を過ごした後


別の友人と会った時


無意識に


その友人が好ましく思っていない人の話題を


出してしまった事があったの


その時


先ほどまでの


ゴシップを語っている空気と同じように


友人にも無意識に


ゴッシップを強要してしまっていたの


その時友人に


「さーちゃんらしくないね


どうしたの?


私はさーちゃんの事を聞きたくて


会いにきたんだよ最近また心惹かれるもの


何かあった?」と


尋ねられた時


はっとした事があったの


無意識に影響を受けている


こわさと


意識が別の方向に向いていた


自分に気づかされたの


人との繋がりの多くは


会話だから


会話をとめてしまう事は・・・との思いや


もっと心の中を見つめてみると


自分の事だけを語るには


場が持たないと


感じられている方も多いと思うの


自分の事だけを話すのは


逆にエゴイストやナルシストのように


受け取られてしまわないか・・・など


無意識に複雑に


頭の中で情報が処理されて


つい周りの方が語る


今目の前にいない


誰かの話をしてしまうんじゃないかなって感じているの


このような事って


ほとんどの場合は


無意識だから


まずは自分が何を話しているのかに


気づくことがとても大切だと思うの


そしてその言葉を


自分のいない場面で


自分が言われたらって・・・って


思ってみるといいと思うの


その時心が揺れ動くようならば


ゴシップを語る方とは距離を置いてみたり


それができないのならば


その空気を換える


言霊や智恵を


得とくしてゆけばいいんじゃないかなって思うの


言霊の力は


よい事もそうではない事も


何の障害もなく


私たちの魂に入ってくるものだから


受け取っても吸収せず


キャッチボールのように


手渡せる智恵を持つと


自分の世界がクリーンになって


自分をまた愛せる行動と


結びつけて行けるんじゃないかなって


感じているの















自分を大切に


日々ケアしていると


感じる方法って


人それぞれに違うと


思うのだけれど


どんな場合も


自分を大切にしているなって


意識しながら


行うことが


とても大きなパワーとなって


自分が受け取れることができると思うの


私は毎日のように


自分を喜ばせたい気持ちと


労いを込めて


ご褒美を与えてあげたいと


感じている方なので


毎日自分が無理なく行える


範囲の喜びを


その日その日考えて与えているの


たとえば数百円で入浴できる温泉や


フリーペーパーなどに掲載されている


初回の方のみ数百円で


体験できるエステやスパなど・・・


他にはその日どうしても


行かなければならばい場所で


用事を終えた時


したくない事をしたという意識を


持ってしまうと


せっかく時間や労力を


費やしたのに


達成した喜びよりも


フラストレーションを


小さく残してしまうと感じているので


ほんの少し


そこへ行ってよかったと思える


事柄を探したりして


発見の喜びにチェンジしたり・・・


私が感じているのは


自分を大切にする事の重要さを


なんとなく後回しにしている部分が


あるんじゃないかなって感じているの


最近親しくさせてもらっている


私よりもはるかに若い女性と


話をさせていただくたびに


はっと気づかされることがとても多いの


彼女はエステシャンという職業がら


とても美意識が高く


自分で起業したい思いから


とても熱心に


仕事もプライベートでも


美というものを大切に過ごしているの


その中で


彼女の歯がとても美しく


私がその事をほめた時


とても嬉しそうに思いを話してくれたの


「とてもお金がかかって


みんなにもったいないと


言われるけど


ほめられたことがなかったから


嬉しい~


みんなが車を買うけれど


私は車を買わずに


一生美しい歯がほしかったの」と言ったの


その言葉を聞いて


彼女は自分という存在を


もっとも見つめている


生き方を選択されているんだなって感じたの


彼女が表現しているように


私たちは一生のうちに


数台の車を乗り換えている場合も多く


それを見つめたならば


とても大きな費用になっていて


逆にその車を維持して


乗っていることが当たり前になっていて


彼女のように


心満たされた思いになる気持ちでは


ないかもしれないなって感じていたの


私も病と共に暮らすようになってから


身体という魂を運ぶものの


大切さを感じるようになってから


自分自身に心の瞳が


向かうようになったように感じているの


自分でも気づかなかったことだけれど


過去の私は


少し見栄というものが強く


自分が心惹かれるかどうかよりも


周りの方に


自分がどう映るのかという意識で


過ごしていたと思うの


無理なく購入できるのならばいいのだけれど


購入できないのに


見栄からイミテーションのブランドバックを


いくつも持っていたこともあったの


でもパートナーから指輪ではなく


婚約・結婚すべてを込めて


ブランドバックをもらった時


今まで見栄のために持っていたバックに


言葉では説明できない


恥ずかしさを感じたの


いっぱい本物らしく見える


イミテーションで囲まれた


自分のすべてが・・・


それ以来


自分が手の届く本物を楽しもうと


思うようになったの


たとえば車もローンで


高級車に乗るのではなく


今手の届くグレードで選んだり


元々金やプラチナに興味があって


宝石を購入していたのではなく


金やプラチナに


包まれている石が好きだったので


宝石という類のものではなく


石だけを購入し


自分でアレンジするようになったり・・・


そんな風に


自分が好きなもの・喜びを与えてくれるものが


わかってくると


彼女が表現していたように


一瞬は高額に映るものでも


一生ベースで見つめてみると


与えられるものが少ないと思っていただけで


本当に必要なものは


与えてもらっていたことに


気づかされることもあると思うの


特に女性は


人生に美しいものを


見つける達人だけに


美しいものにふれる機会が


少なくなると


心身にも人生にも


ネガティブな思いが広がりやすいと思うの


その逆に


人の美しい心に触れたり


美しいアクセサリーや洋服バック・靴・景色etc


瞳を感動させてくれるものを


年齢・言葉・知識を超えて


感じる能力があるので


意識して


美しいものを瞳に移す機会ってとても大切だと思うの


女性は誰もが女神と繋がる


魂を秘めているので


美しいものに共鳴しやすく


その逆の出来事も


意識としてキャッチし残しやすいので


とても小さなフラストレーションを


重ねてしまいやすいと思うの


世界は少しずつ


女性がメインになるような場面が


演出されているけれど


まだまだ世界は男性優位に進化を続けていると思うの


でも


誰もが人生の始まりを


女性から与えられ


この世に扉を開いているように


地球上で起こる


すべての鍵は女性が


秘めているんじゃないかなって感じているの


女性はいくつになっても


太陽のように


誰かを照らし過ごす


使命を


意識とは別に与えられている


部分があるように


その光をどこからも


受け止められる能力も持っていると思うの












今北海道は


雪で真っ白な世界に包まれているの


そんな時


使っていた小さなストーブが


何度もエラー表示していて


そのエラー番号を調べながら


何度もその通りやってみたのだけれど


一向に改善せず


寒い中


そのまま過ごしていたのだけれど


何度もつけたり


消したりしてしまった事で


お部屋の中が


とてもすごいにおいになってしまったので


お部屋の窓を


あけていたの


その時もう一度最後にって思いながら


スイッチを押した時


元に戻り


暖かくなってきたの


その時瞳に映らないものの


こわさを感じたの


今までこのような小さなストーブを


使用したことがなかったので


その時は空気の入れ替えをしなかったことで


きっと酸素がお部屋の中に


なくなっていて


このようなことになってしまったのだと


思うのだけれど


この出来事は災い転じて福となした事だと感謝していたの


私自身は毎日


外におでかけするので


ずっとおうちにいるわけではないので


心身に感じる事は


なかったのだけれど


共に暮らすにゃーと鳴く娘(猫)は


寒いのに窓のそばを離れず


日ごろ鳴く事はないのに


窓を開けてとうったえるように


鳴いていたので


どうしたのかなって


思っていたの


きっと私よりもお部屋で過ごしている事で


異変を私に


一生懸命に


伝えようとしていたのかなって感謝でいっぱいだったの


それと同時に


瞳に映らないもののこわさを感じていたの


病なども外科的なこととは違い


痛みなどがなく


静かに進んでゆくものや


人から無意識に受け取っている


何気ないことが


ストレスとなっていて


静かに心身にダメージを与えていたり・・・


気づいた時には


自分ではどうすることもできなくなっていたり・・・


瞳に映るものならば


とても簡単に判断ができたりするけれど


人間の人生には


瞳に映らないものへの判断が


いつも求められているんじゃないかなって


感じているの


人によっては好き嫌いという


判断基準だったり


理由は説明できないけれど


どこか身体に異変として受けとめ判断されたり・・・


よく好き嫌いで人を判断するのは


よいことではないと


伝えられ


確かに思い込みや


自分の過去のデーターベースから


人を判断するのはどうかと思うけれど


それが直感と結びついている方もいるので


一概に好き嫌いで


人との付き合いを判断することはよくないとはいえないと思うの


人間は不思議な能力が


たくさん備わっているから


誰かにとってはよくっても


自分にとってはその判断が正しい場合もあると思うの


そのことによって


色々な意味でのロスがなくなり


本当に心高めあえる方との縁を


早くに招きよせられたりする事もあるので


自分を信頼できる方は


好き嫌いだけで


選び取っていってもいいと思うの


そして私たちが日々身体によいと


小さな頃から言われ


食している野菜も


多くの場合は多い少ないはあっても


意識して選ばない限り


農薬などを根から吸い上げ


育ったものが多いと思うの


だから表面を洗っても


細胞レベルに農薬が広がっていて


それを私たちは


何か大きな変化がなければ


大丈夫という判断で食していると思うの


他にもたくさん


瞳には映らないすべてのものに


よい事もそうではないことも


影響を受けて


今生きている事を


何気ない出来事から


気づかせてもらったの


でも何より


今日永遠に目覚めることなく


知らぬ間に


天国に行くことなく


こうしてまた誰かが読んでくださる


コメントを書かせていただけて


本当に感謝と幸せでいっぱいです


繋がりあって下さっている方


すべてに


本当にありがとう













今日友人の知り合いの


いわゆる「感じる」という


能力を持っている方とお会いしたの


その時に


何も話していないのに


突然


「あなたは日本で戦争体験をしているみたい」って


突然告げられ


少し驚いたのだけれど


私の中では


生まれ変わるどこかの場面で


そのような体験をしているだろうなって


漠然と思っていたので


とても納得していたの


たとえば幼い頃から


今でも時々


飛行機の音を聞いた日には


戦火の中両親を探したりする夢を


よく見たり・・・


その中で


自分の身体がやけて泡のように


とけてゆくのを


とても強く記憶に残っていたの


その方に詳しく尋ねてみると


私は若くしてなくなったようなの


そして様々な土地で


人を救い


その救ってきた方たちが


この世を去るとき


強く私を思い出してくださったようで


そのたびその思いをキャッチした


今の私は


突然その土地へ行きたくなったり


思い出してもらおうと


戦争の記憶を持つ土地へ呼ばれているとの


事だったの


確かに沖縄や長崎に行った時


旅行を通してすべてのスケジュールが整い


ホテルも予約されていたはずなのに


ホテル側では予約を受けていないという展開になり


ホテルの方が自分たちのミスということで


天皇陛下が泊まられたホテルに


泊まることになったり


かと思うと


おいしいお店がわからない私たちは


偶然に泊まっていた


タクシーの運転手さんに


お店を聞こうと声をかけさせていただくと


その方のご好意で


ご馳走していただき


さらに次の日はその方が


お仕事がお休みとの事で


色々な場所へ連れて行ってくれることになり


連れて行ってくださった場所は


戦争の記憶を瞳で見つめられる建物や


資料館などだったり・・・


そのような不思議な出会いや


出来事が本当に多く


このような流れはきっと用意されたものだと


まだスピリチュアルな知識のなかった私たちでも


感じる流ればかりだったの


10年以上前には


ある温泉に行った時


露天風呂に入りながら


記念に写真を映していただいた時


ゆらぎひとつない水面には


私の顔が映っているはずなのに


誰が見ても


映画などでしか見たことのない


軍服をきた若く美しい男性だったの


その写真を見た私は驚いて


霊能力がある母に


真夜中起こして


見てもらうと


「これはいい写真だよ


たぶんあんたの中にいるんだわ


何もできないまま


この世からいなくなったから


あんたの身体を借りて


たくさん体験しているんだと思うよ


あんたはこの人に


守ってもらっているから


よかったね」と言われたことがあるの


そのような事もあったので


友人の知り合いの方が伝えてくださったことは


さらに私の中の核心を


形としてくれるものだったの


人間は今生きている世界が


すべてとして考えると


たとえ今未来の不安が


ニュースなどで伝えられても


その頃には自分という存在はないからと


人事のように


考えてしまうことがあるけれど


確実に魂は生まれ変わってくるという


データーも世界的に集まってきているので


来世には人事ではない


状態を迎えたり・・・


人との繋がりでも


その場だけの損得だけで


もう会うことがないからと


ひどいことを意識的に行ったならば


来世にもその思いが


お互いを導き寄せて


もう一度同じ状況を体験しながら


誤りを正す機会が与えられたり・・・


するんじゃないかなって


感じているの


今現在の自分がしてしまった過ちや失敗は


気づいた時から


変える事がいつでもできると思うの


たとえもう会うことのない方への


後悔や反省があったとしても


次に出会った方に


その方にできなかった事を


手渡してもいいと思うの


そしてこの世を去る日が来たとき


どのような思いを残し


この世を去るかで


生まれ変われる環境や宿命が


決まり


そのいくつかの家族の中から


自分が学び魂を向上させるのに


ふさわしいかという選択をして


やっと生まれ変わってくるように感じているの


人によっては最低でも数百年も


生まれ変われない魂もあって


その理由は私にもわからないけれど


今この時代に生まれて


こうして未来を体験する機会を与えられた方たちは


きっとちょうど古きよき思いと


そして未来に適応する


柔軟性を備えた


新たな人種なんじゃないかなって


感じているの










人との会話の中で


ネガティブな思いや感情が


生まれる


きっかけの多くは


自分と真逆の方が


頭に浮かんだときや


出会ったときなんじゃないかなって


ふっと思ったの


たとえば経済的に困難な方は


経済的に豊かな方の


ライフスタイルを見た時であったり


結婚されている方は


結婚されていない方の


生き方であったり


お子さんがいない方は


お子さんのいる方の考え方だったり・・・etc


人は誰でも


心の防衛本能から


自分が今幸せだと


認識するために


真逆の人のことを


好意的ではない発言をしながら


自分を慰めたり


自分を励ましたり


自分が幸せなのだと


自分にインプットしているところが


あると思うの


本来ならば


誰がどのように生きる選択をしても


その方に迷惑がかかるわけではないのだから


問題はないはずなのだけれど


心の防衛本能は


フラストレーションが


強ければ強いほど働いてしまうので


気がつくと


一日中自分に意識を向けることなく


誰かのことを


話していることに気づかされると思うの


そんな時には


ほんの少しでもいいので


自分が今日行った事を


思い出して


声にして褒めてあげると


心の防衛本能が静まってくると思うの


たとえば


「今日は面倒だった中


よくお買い物にいきましたね


えらい・えらい」とか


「今日はあんな事を言われたのに


めげずに


よくがんばりました


えらい・えらい」とか


本来ならば人が伝えてくれる言葉を


自ら自分に向けて


送ってあげることで


不思議なほど


自分を愛せるように整ってくると思うの


心の防衛本能が強く働く人は


一見自信に溢れているから


人のことをあれこれと言っているように


感じられるけれど


本当は自分の事を


認めてもらいたい気持ちと


自分はみんなから


愛されているのかな?っていう


不安があると思うの


だから本人が


自分の素晴らしい資質に


気づいてゆくと


真逆の人を落としながら


自分を慰めたり


幸せを認識しなくっても


済むんじゃないかなって


感じているの


みんなそれぞれに


幸せになろうと


それぞれがそれぞれの形で


積み重ねている途中なのだと思うの


以前にも書かせていただいたように


椅子取りゲームのような生き方をしなくっても


ちゃんとみんなの椅子は用意されていて


座るタイミングが


違うだけなんじゃないかなって


感じているの


だから


誰かが幸せにならなければ


自分の椅子が残っているという事では


ないのだから・・・


自分が人のことばかりを


話している事に気づいたならば


すぐに方向転換して


自分が幸せになる方向に


意識を向けて


行くことが大切だと思うの













最近あらゆるシンクロによって


様々なものが


私の元に届けられているの


先月から


不思議と食事に対して


強く嗜好の変化が訪れて


以前から心惹かれていた


古代米や発芽玄米などを


食べるようになったの


自分でもなぜ急に


変化があったのかは


わからないのだけれど


古代米・紫黒米などは


縄文・弥生時代から


神の儀式に用いられ


今でも豊穣を祈願して


神様にお供えするものだと知って


大きな意味を


持っているのかなって


感じているの


そのお米のことから始まり


次々と


嗜好の変化が訪れて


袋菓子などは食したくなくなったり


水道のお水が


スムースに飲めなくなって


すべてミネラルウォーターにチェンジしたり・・・


その不思議な感覚の中


自分の中にあった


すべての思考や思いが


すべて自分でも驚くほど


速いスピードで


答えを出せるようになったの


そのような流れの中で


今まで自分が傷ついた言葉


その言葉を伝えた人が


ふっと浮かんできたの


その時


私の内なる声が


「あなたが傷ついたのは


あなたが思っていることを


相手の人が言っただけ


相手の人が悪いのでも


非情なのでもありません


自分を許してあげなさい


そして愛してあげなさい


そうしたら


意味のない恨み妬み悲しみが消えます」と


はっきりと


この言葉を受け取ったの


私は聖女ではないので


人から伝えられた言葉に


大きく心揺らぎ


せつなく


相手から受け取った言葉と同じ


波動の思いを


自分の中に強くし


いつしか


その言葉を言われたという思いから


次々自分を不幸にしてしまうような


選択をしていたことがったの


私の人生は


多くの方に自慢できるような


仕事・学歴・主人の給料・子供・


がない事もあったのでしょう


何気なく誰かが


誰かのことを噂話のレベルで


その項目の会話をし


あまりよくない流れになった時


私はいつも


自分が言われているような感覚になり


自分の心が傷つき


そのお話をしている方を


愛せなくなってくる事がよくあったの


そして直接自分が


言われた時にも


強く心がいたくなった事もあったの


でもすべては


自分の中にあるものでなければ


反応することができないのだから


きっと私の中に


まだ


自分をありのままに愛することが


できていなかったんじゃないかなって


感じているの


もし自分をありのままに


愛していたならば


その方それぞれの抱える


思考やドラマで見つめ


表現する言葉として受け止め


自分が傷つくというような


反応にはならなかったんじゃないかなって


感じているの


昔ある知り合いが


自分の友人ががんによって


子宮を手放したお話をしていて


その事を聞いた


周りの方の中のひとりが


「あ~だからあの人は


男っぽいんだ~


なんか女って感じがしないもんね」と


表現したの


私も子宮の病を持っていたのだけれど


その言葉には無反応でいられたの


それはきっと医学的知識を学び


自分の中で知っている


事実があったからだと思うの


単純にこの言葉は


何も知らない方が


考える偏見の思考だと思っていたからなの


そんな風に


自分を知っていたならば


きっと本来傷つく言葉を


伝えられたとしても


「私は自分の真実を知っている」という


愛の盾によって自分の心を守り


相手のドラマに


自分が演じたくない配役として


ノーギャラで出演する事は


なくなると思うの(笑)


日本では今の時代にも


明治・大正に作られたままの


憲法や常識が


そのまま進化した


今の時代を生きる


私たちにも適応されていることも


多いと思うの


女性の生き方・男性の生き方


子供としての生き方etc


日本は様々な体験を経て


その時・その時


よいという常識が信じられないほど


変わり


ある方は明治時代の常識を語り


ある方は昭和初期の常識を語り


無意識にどこからか


強く自分の中に吸収した常識を


正しいと信じて


語っていることもあるけれど


今の進化した人々は


普遍的に変わる


常識を語ることを卒業し


自分の中で生み出される真実を


語る事へと


シフトチェンジしていると思うの


そのような意識が


無意識とはいえ


多くの方が形としていると思うの


だからこそブログやホームページといった形で


その方それぞれの


真実を表現することが


広く行われているんじゃないかなって


感じているの


ドラマとして


人間が演じている役には


いくつもの役があるけれど


人間関係や会社で演じる役は


自分を幸せに導くために


演じていると信じられる間は


続けて行けるけれども


演じる姿の自分に


疑問や違和感を感じてしまうのならば


演じる前のそのままの


主役としてだけで


歩んでゆけばいいのだと思うの


元々は主役として


人生を与えられたのだから・・・


自分の瞳で見つめる


事実だけを大切に


憶測で自分の未来を見つめたり


誰かの人生を見つめることなく


自分の人生のドラマを


素敵にプロデュ-スしてゆく事に


全力を注いでゆけばいいんじゃないかなって


感じているの













最近ご縁があって


エンジェルアートで最も有名で


奇跡を体験させてくれると


伝えられている


アンディ・レイキーの絵が


私のおうちにやってきたの


その絵は瞳で見つめている分には


それほど


大いなる力を


秘めているような


繊細で凝った絵ではなくって


まるで子供が


素直に感じたまま


天使を書いたような作品なのだけれど


現実には


とてもエネルギーを感じる


不思議な絵なの


お部屋に飾ってすぐに


お部屋の空気がとても軽く


そしてずっと見つめていると


瞳が熱くなったり・・・


そして自分の心も軽くなってゆくのが


時間と共に感じられたの


友人や知り合いとお話していても


私が頭の中で考える前に


言葉の方が先に出てきて


その言葉は


最も自分がハイヤーセルフと


繋がった時に


生まれてくる言葉ばかりで


自分自身も


とっても心地がいいの


アンディレイキーの絵は


ローマ法王ヨハネパウロ2世や


イギリスのマーガレット女王など


世界的に有名な方たちの多くが


所有しているのが


とても理解できた気がしたの


以前から


物の形だけではなく


作品を制作される方が


どのような方か?


どのような思いで製作されたのかという事に


何かを購入する時に


最も意識して


手にしてきたので


改めて技術ばかりではなく


秘められたエネルギーの


大切さを感じているの


大量生産はリーズナブルに


購入できるものが多いけれど


不思議なほど


飽きてしまうのが早く


消耗品になってしまうのは


きっと


作る方たちの方も


時間に追われ


働かれている方も


したくない仕事をしながら


その物を


大切に見つめる事もなく


形となったものも


多いんじゃないかなって


感じているの


誰にとっても大切なお金を


わずかであっても


注ぐのならば


やはり更なるパワーをいただけるものへと


使うことが大切だと思うの


お金は私たちが


喜び感動するものや出来事・時間に


注ぐことで


益々豊かになって


私たちの元へ戻ってくるものだと思うの


私自身


以前は本当は頭に浮かんだ


心惹かれる場所があっても


リーズナブルだからという理由だけで


その場所へ足を運び


過ごしていた事があったのだけれど


結果的には


自分自身が心地よく


過ごせなかったりした事がよくあったの


そのたびに


一日の大切で楽しみな


食事をできるかぎり


幸せなものとしたい思いから


自分の直感を大切に


その思いに大切なお金を


注ぐようになったの


そうすると


不思議と心の満足・瞳の満足・身体の満足が


逆に


わずかなお金で整い


一日のたった数時間という


短い時間なのに


まるでレジャーをしたような


喜びさえ与えてもらえるの


私たちはほんの少し目の前にある


損得だけで


様々なことを選択することがあるけれど


人間が考える


損得の多くは


大きく広く見つめたならば


得を考えて選択した事で損をしたり


逆に


損かなって迷いながらも


選択したことで


思わぬ得や喜びと出会ったり


するものなんじゃないかなって


感じているの


そしてお金というものは


とっても不思議で


本来使う予定のある方に


ちゃんと用意され


手元へとやってくるものなんじゃないかなって


感じているの


私の知り合いに何千万ものお金が


くじという形で


数回受けとった方がいるのだけれど


彼女とお話させてもらったとき


そう感じたの


一見くじという


ランダムに降ってきた幸運のように


感じると思うのだけれど


彼女に


「同じ金額当たったら


あなたならどうする?」って


尋ねられたとき


即答できなかったの


その時彼女に


「ただ漠然とお金がほしいと思っていても


使うプランを立てていない人には


必要が満たされているのだと思って


神様は与えないのかもね」って


表現していたの


たしかにそのように言われると


「あればいいよね」などの


言葉を表現しても


細かく具体的に


プランを考えた事がないなーって


思っていたの


彼女はいつもやりたい事でいっぱいで


お金を受け取ったとき


そのプランをすべて実行していたの


その事でも


人によっては


初め立てていたプランや望むがあっても


それは当たらないものとして


夢見たプランで


実際に手にしてから


変更し貯蓄という


まだ訪れない未来の備えのために


プランを変更される方もいる中で


彼女の行動は


自分の望みに正直で


そして神様に出したオーダー通り


約束を果たしているから


数回もの幸運を


招きよせたのかなって


感じていたの


そして彼女は流れ・生きているものが


好きだと言っていたの


それは日常に溢れるすべてに言える事で


造花やドライフラワーよりも生花であったり


絵画も作者が幸せな思いで


書かれたものだったり・・・


物ではないけれど株のように


生きているかのように変化するものにも


心惹かれていたり・・・


ひとつずつ夢を実現している方には


運だけではない


小さな選択に違いがあるんじゃないかなって


とても感じていたの


人は地球の引力によって


大地と繋がり


生きる生き物だから


引き寄せる力が


誰にでも備わり


時には集合意識に


影響を受けて


自分が体験していない事なのに


イメージしてしまい


心がしずんでしまったりする事も


あるかもしれないけれど


地球という大地の上には


自分が尊敬する偉大な方も


エネルギーとエネルギーで


繋がっているように


自分の心に希望の光を与えてくれる


物や人・場所にゆくために


様々なものが


私たちに影響を与えて


くれているんじゃないかなって思うの











最近とてもかわいい女性とご縁があり


お話させてもらう機会があったの


その方はある方に心寄せていて


そのせつなく


美しい思いが


言葉から溢れていて


なんてかわいくって


素敵な方だろうって感じていたの


人の事を愛することは


辛いことも時には訪れるけれども


自分以外の方を愛する


慈愛が


養われた方でなければ


人を愛する気持ちって生まれてはこないと思うの


人は人生の歩みに


無意識に向上を持ち


その思いが


恋愛にも求めてしまう事があるけれど


恋愛って


たとえ自分が思った形へと


実を結ばなかったとしても


決して意味がないことではなくって


今の自分が未来へと進んだとき


必ず心を研磨してくれるために


必要な出会いだと感じるものだと思うの


そして何より


女性にとってはどんな高価な美容液を


つけるよりも細胞レベルで


美しくしてくれる素敵な時間だと思うの


24時間自分以外の


誰かを持って


過ごす時間は作ろうと思って


作れるものではないから


恋愛って


人生の潤いそのものだと思うの


人によっては


自分は愛が足りないと思われる方でも


愛情を注ぎたいと思う対象が


存在していたならば


自分でも信じられないほど


愛情豊かな自分に驚かれるほど


情熱が生まれてきたり・・・


人を愛する気持ちって


本当に素敵だなって改めて感じていたの














またいつものように


驚くほど早く過ぎた


2006年だけれど


今年も様々な経験や気づきを


受けとる機会がたくさんあったの


私はとって心の中は


我がままで


人とは比較できない


感情をたくさん持っていることを改めて知ったの


ある友人とは


楽しい時間と同じくらい


自分を表現できないせつなさもあったようで


自分では今まで気づかなかったのだけれど


別の友人とお話していて


気づかせてもらったの


その事が本当に自分にとって


せつなくなる理由なのかも


私自身わからないほど


違和感を持っていなかったのだけれど


いつも話をする友人とは


心から笑い


何でも言えて


「わがままでごめんね」って言いながらも


自分の希望を伝えることができるの


そして


友人も


「本当だよ~でもいいよ


さーちゃんが行きたい所行った方が


楽しいから」といってくれるの


でもある友人は


自分の中の真実と違うものを


許さない空気を持っていて


その方にとっての正しい人を


演じなければ


付き合えない自分に気が付いたの


それから私が私らしくいる事を


自分自身も許さなくなり


自分が求めているものも


自分がどうしたいのかさえ


わからなくなる時が


たびたびあったの


その時いつも話をする


友人に


「私ってわがままかな?


そんなに変かな?」って


しょんぼりしながら尋ねると


「うん・さーちゃんは変だよ


気づかなかった(笑)


でもそんなさーちゃんだから


私はつきあっているんだよ


他にはいないもん」って


伝えてくれた時涙が溢れてきたの


でも泣きながら


「え?私ってどこが変わっているの?」と


聞いてみると


あらゆることが変わっているようで


バスや地下鉄を一人で


乗るのが苦手だったり


お部屋のドアをすべてはずして


カーテンをつけたりetc・・・


でも友人が


それが私で


それでいいんだよって言われた時


言葉にはならない


思いに


勇気がわいて


人間関係を見つめる機会を


与えてもらったの


それである友人に勇気を持って


「私はバスや地下鉄に


乗るのが苦手だから


近くに来た時にでもいいから


その時に会おう」と


伝えたのそうしたら


「そんな事を言ったら会えないんじゃない?


誰だって乗りもに乗るのは面倒だしさー」と


言葉が返ってきたの


その時


確かに彼女の言う通りだし


私の我がままだという事も


感じたのだけれど


胃が突然痛みだし


このままではお互いにとって


楽しい時間を作ることが


難しいんじゃないかなって


思うようになって


彼女との関係を卒業したの


初めのうちは


友人の一人がいなくなったような


寂しさもあったのだけれど


これが私なのだから


私が私のままでいる事が大切って


前を見つめるようになったの


よく我がままという言葉があるけれど


この言葉は文字の通り


「自分のまま」という意味なんじゃないかなって


感じていたの


何も演じず


自分のままでいると


人に合わせることがないから


「自分のままだね」という


語源から


語り継がれているんじゃないかなって


感じていたの


こだわりを持たない方が


広く生きやすくはなるけれど


人にはそれぞれ


言葉に出さなくっても


譲れないもの・こだわっていることが


あると思うの


それが個性というものなんじゃないかなって


感じているの


たとえ何も発言せず


誰かに合わせて生きていても


ある方には「いい人」と表現されたかと思うと


「あの人は自分がないよね」と


表現する方もいるように


自分と波長が合うと


その我がままや個性が


もっともスペアのきかない


その人の魅力となってゆくんじゃないかなって思うの


人間関係には意識的に


関係を卒業する場合もあれば


自然に距離ができて


離れてゆく場合があると思うの


その時その方からしか


経験値を上げられない


学びがあって


そのたくさんのものを受け取った後


縁が次の方へと結ばれて


行くこともあると思うの


私は自分が自分らしくいることの


大切さと


自分が変わっていることに気づき


そんな自分が大好きになれたことは


彼女がいなければ


気づけなかった事だったから


今は心から感謝しているの














今年のクリスマスは


パートナーが遠い街へ


出張へいっている事もあって


ひとりとにゃーと鳴く娘と


静かに聖夜を迎えていたの


そんな時


パートナーからのプレゼントが届いたの


それは平井堅さんの


「美しい人」という曲をCDにしてくれたもの


私はポップスをあまり


知らないので


心わくわくしながら


プレーヤーに乗せ


音色を聞きながら


語るように流れる歌詞を


心で追っていると


自然に涙が溢れてきたの

なんだか


今までパートナーと歩んできた


数年


私が病の存在を知って


目の前が真っ暗になったあの日


そして


私の心が迷い


今まで自分が築いてきた


すべてをこわしたくなるほど


自分の心も壊れかけていた日々を


まるで労い


優しく包んでくれているような


過去への感謝を


教えられたような


不思議な感覚の中


何度も何度も曲を聴いていたの


とても美しい歌詞に


音がなくっても


心にぬくもりを


あたえてくれそうなので


書かせていただきますね





「美しい人」




無理をしてはしゃぐことも


飾ることももしなくていい


胸の奥


深い闇に迷い込んでいるのならば


僕は何も出来ないけれど


一緒に迷い込み


光を探したい


泣かないで美しい人


その涙は


輝きへのステップ 


微笑んで美しい人


その涙を守り続けたい


ずっと・・・


悲しみを言葉にする


すべを知らぬ僕らのように


空は泣き


世界を濡らし


光と影は気まぐれに変わる


君が君を嫌いな時も


その手を離さない


痛みを重ねたい


そばにいて美しい人


過ちさえ


優しさへのステップ


微笑んで美しい人 


その涙をぬぐうため


この手がある


泣かないで美しい人


その涙は


輝きへのステップ


微笑んで美しい人


その涙は


けがれなき君を語る


そばにいて美しい人


その全てが


優しさへのステップ


微笑んで美しい人


その涙を守り続けたい


ずっと・・・