2006年9月


私のこの世に誕生した月が


9月という事もあって


私にとっては


もっとも大好きな月を


また迎えることができて


本当に嬉しく


ふれあってくださった方たち


すべてに感謝を


改めて感じる月でもあるの


数年前から私の誕生日の


記憶と結びついた


世の中での出来事は


とても悲しい記憶となっていて


9年前には私が


もっとも尊敬していた


マザーテレサが9月5日に


神様の元へと旅立ち


次の日に葬儀が行われ


同じ日


ロイヤルファミリーとして


花のような笑顔を咲かせていた


イギリス王室のダイアナ妃の


葬儀が行われたの


その年は


なんとなくパーティ-などの


お祝い事を


行う気持ちにならなかった事を


つい昨日のことのように


覚えているの


今年は日本のロイヤルファミリーに


41年ぶりに親王が


誕生した日として


日本国中が


祝福されているのが


メディアで伝えられていて


その場面を見つめるたびに


まるで自分が誕生した日を


お祝いされているかのような


幸せに包まれているの


私は知識をあまり持って


いないこともあって


正直どうして天皇家の方たちが


一般の方たちとは違う


地位を与えられ


今の時代も続いているのか?など


わからないのだけれど


今回日本の多くの地域で


虹や虹色の雲などが


9月6日の早朝から


現れていた事が


伝えられていて


神道の神々が


祝福している事を感じ


何か大きな力がサポートし


意味があって


世界にロイヤルファイリーが


存在しているのかなって


感じていたの


神道などは


日本古来の信仰で


自然を崇拝していることもあって


色々な予言や予知など


自然から受け取られる事が多いから


竜神様は水や雨を司っていると


伝えられている神様なので


雨が降り


その後虹が空に現れると


海の神・山の神


自然に宿る神々が


祝福してくれていると感じ


昔から


虹は良い事の前ぶれとして


受け止められているようなの


私たちは


誰もがいくつもの


命が刻まれたバトンを渡されて


次に命へとバトンを渡される方や


次の世代に受け継がれる


愛の知恵のバトンを


手渡される方など


存在の意味があって


地球という大きな存在の


記憶のひとつを


作り出しているんじゃないかなって


感じていたの
















人は本当に


いくつ物可能性と人を信頼する


強い思いそして


未知なるスペースを秘めた


生き物だと感じているの


平凡なくらいに


当たり前に


流れる時間の中で


生きているという事事態が


奇跡を重ねて続けられている


奇跡なんじゃないかなって


感じていたの


たとえば


私たちは無意識に


瞳に映る方たちを


信頼しているからこそ


人生を続けられるんじゃないかなって


感じているの


よく車に乗っていて


感じるのだけれど


反対車線を走行する方たちが


ルールを守り


こちらの斜線にはこないであろうという


信頼があるからこそ


歩くスピードよりも


早い速度で


互いに走行していたり


街を歩いている時


突然意味もなく


何かをしてくる方はいないだろうと


信頼しているからこそ


心惹かれるものに集中し


周りをきょろきょろと


警戒しなくても


過ごせたり・・・


ここ数年この信頼にも


少しずつ変化が訪れていて


突然思いもしなかった


出来事と出会う方も


多く伝えられていて


改めて


地球に暮らす人


すべてが集合体なんだなって


感じることがあるの


たとえば


自分だけが幸せだったとしても


もし近い場所に


人生に絶望している方がいて


その方がその思いを


自分へ向ける方ではなく


外へと向けられる方であったならば


数分前まで


幸せだった人へももしかしたら


同じ思いを体験する


出来事が


その人によって生まれたり・・・


上手に言葉として


表現できないのだけれど


自暴自棄というものの


エネルギーはすべての破壊を好む


エネルギーだから


直接その方と関係がなくっても


自分のことを粗末に


思い初めている方は


自分以外の方に


対しても


同じ思いでしか


見つめられなくなる事もあるから


自分以外の方も


幸せに包まれた時間を


育んでもらいたいの


もちろんその方が


一人で癒すのが


一番有効な方法ではあるけれど


自暴自棄になっている時には


そのような心のゆとりを


育むことは難しいと思うの


だからといって


直接伝える関係でもない場合


自分は幸せだから


関係ないという線引きではなくって


時間がかかっても


行いや言葉は


回りまわって


その方へ誰かの口々を


伝って届くものだと


信じているの


言葉は生きていて


どこまでも旅をし


時代までも作る力があるから・・・


昔日本では


あまりに表現がリアルで


ストレートな表現が多く


今耳にすると驚くほど


傷つくような言葉の表現が多かったりして


その言葉を日常で


当たり前に使っていた方たちは


意識はしていないかもしれないけれど


魂が心地よさを感じないせいか


その後続く言葉まで


否定後が溢れて


気がつくと


そのような人生を創造しやすかったと


いう事もあったと思うの


でも誰かが


受け取った言葉を


変換し


出会う方たちに


表現していたから


今の時代に溢れる


心地の良い言葉が


溢れているんじゃないかなって


感じているの


今の時代は


否定語と肯定語が


はっきりと区分けしやすく


言葉を音としてではなく


言葉として心で感じる


時代へとシフトチェンジしたのだと思うの


ただ今でも


悪気はなく


使い慣れた言葉を表現される方もいて


若い世代は音として


言葉を受け入れるのではなく


言葉として


そのまま耳にして


不快に思うこともあるとは思うけれど


決してそのような思いから


その方が表現しているのではなく


ただその方の習慣語という事が


多いとおもうので


自分の中で変換して


心へと吸収してあげたらいいと思うの


ただすぐには


そうできないかもしれないけれど


相手のためではなく


自分の中で愛のエネルギーを


育むためのレッスンとして


行ってみると


驚くほどにすべてのものを


愛で見つめ




解決できるよう


進化するのを


感じられるようになると思うの


私の世代は


日本語のバリエーションがない時代の


両親なので


本人たちも


そんなつもりで言ったのではないのに・・と


思う出来事に


日々出会っているようで


そのたびに


今の時代に溢れている


心地の良い言葉を


覚えることを進めてみたの


それは伝えられて傷つく方のためでも


あるけれど


何より両親の本当の思いが


伝わらず


誤解されないために


そうしてほしかったの


私も幼い頃から


両親の音としての言葉を


そのままの言葉として


受け止めてきた事もあって


その当時は


とてもせつなかった事もあったの


奮起させるつもりで


両親から溢れる言葉が


今の時代ならば


たたみかけるような言葉が並び


私のだめな部分を


並べていた事もあったの


両親は同じような言葉を


伝言してくれた


祖父や祖母の言葉を


良いものとして


表現し


特にうちの両親は


私の行動に


未来が心配になっていたようなの


たとえば


私のことをいじめていた女の子と


何度も懲りずに遊び


その時飴がひとつしかない時


両親から


ひとつしかないものは


そこにいる人みんなに


分けなさいと


教えられていたので


子供の私は


台所へ行って


使い慣れていない


包丁で飴を半分にしようとして


指を切ってしまい


怖くなって


その飴をあきらめて


その女の子にあげていたり・・・


ほかのお友達の時にも


何かを力ずくで


奪い取られても


平気な顔をして


取り返さない私に


父親はよく


「お前は根性がないのか


そんなんでは生きてゆけないぞ


いつも悪口言われているやつと


付き合うな


お前は根性がないのか


取られたら取り返せ


それぐらいの根性を持て!」と


女の子なのに男の子の


スポーツドラマのような表現が


よく伝えられていたの


今では微笑んでしまうほど


あの頃父は


熱かったのだろうなって(笑)思えるけどね


今の父は


やはり知らず知らずに


優しい言葉をたくさん


覚えてきたようで


会うたびに


あたたかい気持ちを


乗せた言葉をくれるようになったの


その言葉に


どれだけ私の過去のわだかまりが


溶かされ


生きる喜びになったか


父にも少し恥ずかしいけれど


伝えられるようになったの


人間は知的生物だから


言葉から


あらゆるものを


感じ・受け取る能力が


備わっていると思うの


だからこそ


美しい・あたたかい言葉が


すべての人の人生を守護し


未来を迎えられる


幸せに


瞳を輝かせられる


大きな魔法だと思っているの












9月を迎えて


私の元に


様々な物たちが


遊びに来ているの


友人たちは


それぞれに


忙しい毎日を過ごしているので


頂いた本やヒーリングアイテムなどを


使う時間を作れないようで


包みを解かないままの


新しいまま


私に貸してくれたの


数日前に


私のおうちに遊びに来たアイテムは


ゴッデス・オラクルカードという


今私の中でマイブームの


女神たちが美しく描かれた


カードと


クリスタル・アライ・カードという


多くのパワーストーンが描かれ


ポジティブなメッセージが書かれた


カードなの


そして数冊の本が順番を待って


本棚に並んでいるの


本来は誰かが友人に


贈ったものなのにいつも気がつくと


私の元へ届けられ多くの場合は


返そうと手渡すと


「使わないからあげる」と


いただける事が多く


本当にその流れの


不思議を感じているの


そして頂いたものから


多くの知識を吸収して


頂いた友人たちと会った時に


内容を説明したりして


読んだりふれたり


する時間がない


友人たちにも


初めに友人たちに贈ってくれた方への


感謝も込めて


伝えているの


パワーストーンが描かれたカードは


とても心惹かれて


今毎日引いているの


パワーストーンに秘められた


エネルギーと


自分へ向けたメッセージなど


とても具体的に書かれていて


共に添えられている本だけでも


とても学ぶことができるの


パワーストーンは


自然が生み出してくれた


宝石で


太古の昔は医療や儀式など


人間が生きてゆくうえで


欠かせないアイテムだった事を


とても感じているの


そしてやはり


人間自体が


地球と共に生み出された


肉体を持っている事もあって


自然なものが


知識や言葉を超えて


しっくりとなじんでくれるのかなって


感じているの


昔私は何か身体に不調があった時など


今ほど病院へは向かわず


漢方薬店で


相談して調合したものを飲んでいたり


していた事を


思い出して


最近は鎮痛剤を


鎮痛効果があるハーブを


使ったサプリメントに変えたり


できるだけ


なじむものを


受け入れたいなって思い


新たにお勉強中なの


きっと病院という場所へ切り替えたのは


即効性があって


お薬がリーズナブルだという事から


その時は


チェンジしたと思うの


このような意識は


昔から続いていて


スピード・フル稼働


大量生産


このキーワードと共に


日本は豊かさを築いてきたのだと思うの


そのおかげで


リーズナブルな価格で


誰もが必要なものを


手にできる時代になって


ありがたい気持ちは


あるのだけれど


すべての分野でもう


このキーワードを必要としないほど


すべての人に


行き渡ったと思うの


その事から


今の時代は


置き忘れてきた魂


思い・気持ちという


キーワードに新たに


スポットがあたり


様々な分野で


高価なものでも


完売になるケースが多いと思うの


それは決して


購入する方たちが


経済的に他の方を上回るから


セレクトしたのではなく


その物に宿る何かを


感じているから


その価格でも


納得ができるんじゃないかなって


感じているの


今の時代は


大量生産できないものに


希少価値があって


大量生産できない理由も


以前のような機械を


フル稼働して作れない


そして使用するものも


妥協できないから


その価格となっていて


それでも需要と供給の


バランスが保たれていたならば


職人さんの思いと


技術は残るように


なっていると思うの


私は昔


よく「安物買いの銭失い」という


言葉を両親に


表現されるほど


あきやすく


次々と手にしては


また同じようなものを


購入していた事があったの


それは今思えば


自分が本当は心惹かれるものがあっても


価格だけで


妥協をして


手にするのだけれど


結局は何かが違うって


思って


次々と購入した結果


考えてみたら


妥協しなくっても


一番心惹かれたものを


購入していた方が


リーズナブルだったというような事が


多くなって


それ以来


一番心惹かれたものを


購入するようになったの


その事で


逆に無駄使いがなくなって


お直ししてまで


使い続けるようなものばかりに


囲まれるようになって


心まで


豊かな気持ちに包まれるようになったの


もちろん心惹かれたものが


リーズナブルな価格なら


もっと嬉しいけどね(笑)


以前Hpのご縁で知り合った


大切なソウルメイトと


電話でお話していたとき


とても印象に残った言葉があるの


それは


「たとえば同じものを使って作った


おにぎりでも


コンビニのおにぎりと


お母さんが握ったおにぎりって


味が違うでしょ


それは込められた思いというか


波動が違うからなんだよ」って


教えてもらった言葉が


今でも印象に残っているの


その時


父が何気なく昔言っていた言葉を


思い出していたの


「何で家で女の人が料理作るか


わかるか?


女の人は体調によって


味の感じ方にバラつきがあって


同じものを作っても


いっつも同じ味にならないから


家の味はあきずに


家族が食べられるんだぞ


知ってるか?」といかにも


何かの情報から得た知識を


自分が考えたように


表現していたの(笑)」


でも家族に食事を作られる方は


食べてくれる方をイメージしながら


作ってくれているから


流れ作業で作られるものとは


何かが違うと思うの


今の時代の豊かさとは


すべて満たされた今だからこそ


冷静に必要なものだけを


必要な分だけ


選択できる事なんじゃないかなって


感じていたの












今日は台風の影響もあって


強い風が吹いていて


お隣のベランダから


私のおうちのベランダへと


ゴミたちが


いくつも飛んできたの


その時


今年の冬に


友人たちと温泉へ行って


帰ってくるとベランダに


いくつもカップラーメンの


容器や箸などが見つけて


私はてっきり


誰かがベランダで飲食したのかもって

怖くなって


数日過ごしていた時


風の強い日が訪れ


その日に何かが舞うような音がして


窓を開けてみると


カップラーメンの容器が


お隣との非常用の壁の下を通って


入ってきたのを見て


自分が考えていた


結果ではなく


ほっとして


喜んだのもつかの間


すぐに


「なぜ?私は隣人の


ごみに悩まされるのかなって考えてみたの」


以前にも暮らしていた隣人が


たくさんの荷物や生ごみを


自分が借りている


スペースに収められず


私のおうちのドアの前まで


溢れていて


時々尋ねてくる


管理人の方や大家さんが


注意をしてくださったのだけれど


変わらず


その方から見つめたら


きっと私のおうちの前は


何も置いていない


たくさんのスペースがあるのだから・・・と


感じられたのか


今でも理由はわからないのだけれども


今回も


なぜか?同じようなパターンの出来事が訪れて


この問題は


私に何を教えようとしているのかなって


答えを探しているの


私が暮らしているおうちは


決して狭い方ではなく


逆に


スペースが作れたので


猫が走り回っているくらいなの


私が始めに思いついた答えは


いくつかあって


今の私と間逆のスタイルの方と出会い


物を必要以上に溜め込んでしまうのは


それは本当の豊かさではなく


その事が逆に


精神的にもゆとりを持てず


隣人にも


迷惑をかけてしまうという事を


私に教えてくれているのか?


☆過去に知らず知らずに


私も隣人に何かしら


不愉快な思いをさせてきた


清算なのか?


☆目の前で起きていることは


小さなことだけれど


地球のごみ問題がこの小さなところから


始まっているということを


教えてくれているのか?


☆私の心が狭すぎるのか?


導き出せた答えは


このような形のものばかりなの


ただ今の時代は


自分のまったく原因があって結果が


あるという流れの


出来事ばかりではないから


ストレートに周りの方へ


心配りするゆとりを生み出すことが


できない方も多いのかなって感じているの


やはり


この間も書かせていただいたように


みんなが幸せに


心満たされていてくださらなければ


直接関係のない方たちまで


相手の問題を


受け取ってしまうと思うの


だから


私は壁越しに


隣人の幸せを祈ってみようかなって


今思っているの













パートナーが今


脳について興味を持っているようで


脳について書かれた


本をいくつも読んでいるの


私もその中の本をいくつも読みながら


心惹かれる


アドバイスが多く


意識して過ごしているの


脳は確実な安定した事を好まず


冒険のような出来事が


大好きで


そのような体験が


脳に栄養を与えて


どんどん細胞が再生されてゆくみたいなの


小さな成功体験や感動・喜び・驚きを


体験すると脳は生まれ変わり


いつも脳を直接マッサージしているような


感じなんじゃないかなって思うの


それは日常に溢れている事でも


自分の意識を変えたならば


すぐに体験できる事だとは思うの


ある方の言葉で


「人間は楽しいから笑うのではなく


笑うから楽しくなるのだ」という


言葉があるように


どうしてもやらなければならないことを


いやいや行っても


同じ時間


気が進まないけれど


どうせやらなければならないのだから


その中にある


何かを発見しながら


「私ってえら~い」とか言いながら(笑)


行っても同じ時間なのだから


心を切り替えて


同時に脳に栄養を


与えるチャンスと


受け止められるようになったならば


毎日が


自分に取って


良いことで溢れていることに


気がつかされると思うの


私は幼い頃


両親が仕事で忙しく


私は遊ぶ時間もないほど


頼まれた家事をいつもこなしていたの


時には泣きながら・・・


そんな時父は


「どうせやらかきゃいけない事なんだから


笑顔で楽しんでやれ」と言っていたの


幼い私は


納得できないまま過ごし


今でも子供にとって


遊ぶのが仕事と表現されるほど


感受性を育むために


大人から見つめたら


意味のないような時間が


子供にとっては大切なので


このような流れは決して良いとは思わないけれど


父が言った言葉は


今でも場面場面で


思い出すことがあるの


人間は無意識に


知識はなかったとしても


何が脳にとって


身体にとって


ベストなのかを


感じ取って


生きているんじゃないかなって


感じているの


よく笑うとナチュラルキラー細胞が広がって


免疫力があがる事が


実証され免疫という


未知なる力を秘めた分野に


多くの方の力が注がれ


様々な治療に


一歩・一歩


結果を残してきているの


世界的に脚光を浴びている


脳科学者の茂木健一郎先生が


以前テレビで


アハ体験という


発見から生まれる感動を生み出す事によって


どんどん脳に栄養を与える方法を


ご紹介されていて


ゆっくりとある部分が変化している


写真を流し


どこが変化したのかを


見つけるのだけれど


ゆっくりした変化は


驚くほどに


何も変化を感じないのだけれど


答えを伝えられてから


見つめると


大胆なほど変化しているの


見つけられなくっても


その後に変化したものを見つめながら


「ほんとだ~」などの


驚き・感動などが


生まれたならば


脳は確実に良くなってゆくようなの


お話は少し違うけれど


パートナーが長年喫煙していた


タバコをやめられたのも


パートナーが生み出した


脳をだます方法によって


やめられたの


タバコは吸うたびに



酸化炭素、二酸化炭素のよって


一時的に


脳に酸素が運ばれないらしく


それがくらっとした


感覚を生む出すの


その流れを禁煙中にも


脳に伝え


自分も今タバコを吸っているというポーズを


しながら


息が苦しくなるほど


息を止めて・はいて


また息を吸って止めてはいてを


繰り返していたら


脳がタバコを吸っていると認識して


ラクにやめられたと


以前話してくれていたの


脳は未知なる領域で


すべての司令塔として


休むことなく働いていて


私たちが送る


小さなアクションもキャッチして


何かしらの


サインを送ってくれていると思うの


記憶も現実に起こった事共に


感情も添えられて


しまって出してしている内に


現実はひとつなのに


感情の方が


その現実の出来事を


書き換えてしまい


感情が刻んだストーリーの方を


現実の記憶だと思うような


こともあるようなの


それは良いことでも


そうではないことでも・・・


同じ記憶・思い出を


共有していたはずなのに


話して行けば行くほど


違う現実が語られていたりする事って


あるんじゃないかなって


感じているの


母の親戚が集まっていた時


思い出話をしていた時


母は母の妹に向かって


「私はあなたを背負い


勉強する暇もなかった」と表現すると


母の妹は


「あなたは祖母から可愛がられ


いつもおいしいものを


一人で食べていた


勉強もいつもしていたよ


だから頭が良かったんじゃないの」と


けんかが始まってしまったの


ゆっくりと話の流れを聞いていると


たった一度の体験が


その時の感情を添えることによって


お互いにふくらんで


その事を事実だと


記憶が認識して


事実と書き換えられていたようだったの


せっかく


記憶を書き換えられるのならば


自分にとって


人生が喜びに溢れたものであったと


思えるように


思い出も書き変える事もできると思うの


人の好き嫌いも


脳が何かのきっかけで


認識したデーターベースから


判断していることもあると思うの


たとえば


理由はないけれど


好きになれない方がいたとして


よーく考えてみると


過去にとても思い出したくない


体験と結びついている


名前・香り・瞳・容姿・話し方であったり・・・


人間は学ぶ生き物だから


楽しいことや喜びなどの


やわらかなものよりも


危機や悲しみ・痛みのような


衝撃を深く


記憶として刻み


同じ体験をしたくない気持ちから


無意識に


すべてを記憶して


そのデーターベースが


判断して


避けるように


働きかけているんじゃないかなって


感じているの


もし深く内観しても


思い出すことが


できないのならば


その場合は


やはり前世での関係の中で


残された


小さな記憶から


意味があって浮かび上がる感覚であったり・・・


記憶ってなんだか


生きているような・・・


終わった出来事ではないんじゃないかなって


感じているの


脳はまるで


アカシックレコードのように


その方個人の記憶を


すべての時代記録している


小さな宇宙なんじゃないかなって


感じているの














血液型占いというのは


日本にしかなく


当たるのかなって


思われる方も


多いと思うのだけれど


今世界では血液型による


かかりやすい病や身体に合う食品が


発見・研究されていて


日本で伝えられる


血液型占いもその部分にとても


当てはまって


形成されているようなの


たとえばA型は協調性


人への気遣いをいつもされ


少し神経質などというような


伝え方がされているけれど


それはA型の方が


ウイルス性の病にかかりやすく


軽いものでは風邪など


1年の間に何度も


体調が整わない日が


訪れるために


誰かの手を借りたり


誰かにお世話になることが多いので


無意識に人と調和を


大切にされるようになったようなの


その事から


自分以外の方への


自己主張が難しく感じられる方も


多いようなの


B型の方は


肺など呼吸器の病や


良性腫瘍になる事が多く


慢性的な病になる事はあっても


逆にがんなどには


最も強い血液型のようなの


ある研究では


他の血液型の方が


がんになると


多くの場合なぜか


B型に変化されることもあって


初めからB型の方は


がんになりにくく


たとえがんになっても


免疫システムが働き


生還される方も多いことから


「なんとかなるだろう」という


楽天的なとらえ方から


あまり細かいことにこだわらず


その時・その時をを


生きる思考になったようなの


O型の方は


最も免疫システムが


強く病になりにくいことから


自分の思い通りに


歩んでいたとしても


人生の中で


人の手を借りる場面があまりない事から


自己主張して


もしも人間関係が保てなかったとしても


自分ひとりで


歩んでゆける強さから


自分を抑えてまで


関係を維持しなくっても困らないことから


社交的で


自分の思いを最も


表現できる性格となったようなの


AB型の型は


伝染病など人から手渡される


病にかかりやすい事から


無意識に人との付き合いに


距離を置き


クールな印象を与えてしまう


性格が形成されていったようなの


そのようにして無意識に


自分の身を守り


続いてきた血液型のようです


もちろんすべてが当てはまるわけではないけれど


血液型占いで伝えられる


性格が作られたのは


このような意味があったことを知って


とても興味深く見つめていたの


話は少し違うけれど


この間


「死ぬ前にしたい10のこと」という


映画を見る機会があって


自分を見つめる時間を


与えられたの


その映画のストーリーは


10代で二人の子供を授かり


貧しい中


トレーラーの中で暮らし


自分の父親はもう10年くらい


刑務所の中にいたり


友人は拒食症など


様々な問題の中で暮らしていたの


そんな時彼女は余命あと2ヶ月と


医師から伝えられる病になったの


その宣告を受けて


初めて自分の人生を振り返り


残されたわずかな時間の中で


自分がしたいことを


リストアップしてみたの


☆「毎日娘たちに愛していると言う」


☆娘たちの気に入る新しいままを見つける」


☆娘たちが18歳になるまで


毎年贈る誕生日のメッセージを録音する」


☆「家族でビーチに行く」


☆「好きなだけお酒とタバコを楽しむ」


☆「思っていることを話す」


☆「夫以外の人と付き合ってみる」


☆「誰かが私と恋におちるように誘惑する」


☆「刑務所にいるパパに会いに行く」


☆「爪とヘアースタイルを変える」という


ものだったの


彼女はパートナーと初めての恋で


結ばれ


与えられた人生を


ただただこなしてゆく毎日の中


このリストについては


誰にも言わずに


死ぬまでの準備をすすめてゆくの


ひとつ・ひとつ


リストに書かれた事を


実行しながら


死というものと


初めて向き合って


今までと何も変わらないはずの


日常が生きる喜びで


輝きだしたの


そのストーリーを見つめながら


自分ならば


何をしたいだろう?


何ができるだろう?と考えながら


友人と


話していたの


やはり命があと2ヶ月しか


ないと思うと


潜在的な影を


何のためらいもなく解決しようと


答えを出すことが多いみたいなの


友人は様々な理由から


両親が健在なのだけれど


施設で育ち


施設を卒業してからも


両親と暮らすことなく


自立して


過ごしているの


彼女はもう何十年も


両親とは会っていなく


自分の人生の歩みから


結婚や子供を生むことに


前向きになれず


そのほかの人生に


幸せを築いていたのだけれど


この映画のお話をしながら


「自分が主人公のように


命があと2ヶ月と伝えられたら


10個何がしたい?」と


尋ねると


初めは表面的に感じている


したい事が続き後半から


☆「両親に会いに行く」


☆「友達の愚痴をずっと聞いてあげる」


☆「友達の悩みを解決してあげる」


☆「恋人を作る」


☆「子供を産んでみたい」


☆「どうせ命が残り少ないんだから


危ないといわれる地域に暮らす


子供たちに何かしてあげたいから


世界旅行したい」だったの


この何気ない言葉を耳にしながら


命が永遠ではない事を


誰もが知っていても


期日を伝えられたならば


多くの方が


自分を守らなければという意識から


開放されて


本当に望んでいるものが


見えてくるのかなって


感じていたの


そして彼女だけではなく


与えられた命をぎりぎりまで


意味のあったものとしたい気持ちが


無意識に働いて


大変な中でも


人のために何かさせてもらいたい


何か力になれないかと


考える人間の愛の深さを


感じていたの


私も彼女も初めの方は


最も美しい自分と出会うために


爪を整えたり


毎日美容室へ通うなど


やはり女性は


どんな場面でも


美しくいたい気持ちが


すぐに言葉となって


ならば「何でしないんだろうね」と


話していたの


まだまだ時間があるという


意識からいつでもできるという思いから


気がつけば


後回しにしていることって


あると思うの


以前にも書かせていただいたのだけれど


神戸の震災を体験された方と


偶然のように用意された


必然的な出会いがあって


その方が私に伝えてくれたのは


「定年になったらゆっくり


旅行いこうとか思っていても


お金と時間があっても


今度は自由に身体がついてきてくれないと思うのよ


だから私は


楽しみは後に取っておいても


何が起こるかわからないから


生きて・身体が自由な間に


したい事をする事にしたの


一生に一回行きたいと


あこがれていた


北海道にも年に何回もきてるんよ


震災で壊れた部分も直さないでね(笑)


あなたはまだ若いんだから


借金しても返せるんだから


したい事を


できる間におなかいっぱいしたほうがいいよ」って


この言葉が


私の中でいつも生きているの


その言葉は


ただ知識からではなく


生命がほんの奇跡によって


続けられた体験を持つ方の


深い言葉だと思うの


病は決して


幸福なものではないけれど


病や生命の危機を


体験された方たちの多くは


その方自身の内なる世界が


速いスピードでシフトチェンジして


毎日当たり前に流れていた


時間の素晴らしさに


気づかされるんじゃないかなって


感じていたの



人の命は永遠ではないから


輝き愛しいものなんじゃないかなって


感じていたの














ここ数年


山で暮らす


動物たちが自然の恵みが少なくなった事から


民家などに降りてきて


大きな問題になっているけれど


そのたびに


ハンターの方たちが・・・


パーン・パーンという音が響く


流れるたびに


私たち人間のエゴと怖れの


恐ろしさを


いつも感じているの


もしも動物たちが


お話をできて


人間と同じように


法律などで問題を解決できたならば


私たち人間は


間違いなく


敗訴してしまうと思うの


平和に暮らしていた


動物たちの領域まで


ルールを守ることなく


入っていってしまったのだから・・・


北海道では


自然動物と出会うことは


そんなに珍しいことではなく


めったにハンターの方が


生命を消し去るような解決法が


ほとんどなく


小熊の場合だと


麻酔銃で眠らせ


ハンターの方たちが


はぐれた母親熊が


迎えにこられるように


山奥まで


小熊を放しに行かれたり


ある地域では


熊の行動パターンを理解していて


熊が通る時間は


その場所を通らないように


伝えられていたり・・・


今では有名な知床などでは


当たり前に熊が暮らしている地域なので


海などで猟師の方が


網を直している横を


程よい距離を保ちながら


親子熊が通りかかったり・・・


でもその光景は


特別なことではないので


自然の中で暮らす人間たちが


熊たちが嫌がる事


怖がることをせずに


共に暮らしているので


内陸のような問題にはなっていないの


この間海外で進められている


動物とのコミニケーションが


紹介されていてとても驚いたの


類人猿に世界共通の手話を教え


人間とコミ二ケーションできるようにと


始めたのだけれど


今までならば


マネや芸のように


覚えることがあっても


自分の意思を表現するような


独自に生み出す


行動はなかったのだけれど


時間と共に


自ら意思表示をしてくるようになっていたの


ご飯を食べる前に


教育される方に向けて


手話で「いつもありがとう」とか


ある指導員の方のことが嫌で


その理由を


教育される方に手話で伝えたり・・・


その試みは


世界的に大きな意味を生んでいて


動物は今まで


意思を持たず生きていると思っていたのに


そうではなく


ただ人間とのコミ二ケーションツールが


なかっただけで


意思がある事が


証明され


動物たちの意識というよりは


人間の意識が変わってきているのだと思うの


人間が自然という神秘的な


領域を大切に考えられなくなって


目の前に現れた


動物たちの命を


その場で消し去るだけの解決法では


やがて生態系に問題が生まれて


私たち人間がやってきたことを


清算しなければならない日が


くるんじゃないかなって


感じているの














病という苦しみを


緩和してくれるように


大きな愛も


受け取れるスペースが


与えられているんだなって


感じる事があるの


ふれあう人たちと


何げない話をしている時にも


「そういえばあれがいいみたいだよ」


「そういえばその場所に


お参りに行くといいみたいだよ」など


伝えてくれるたびに


ふれあう方たちには


接点のない情報なのに


詳しく知っているのは


きっと


心のどこかに


いつも私のことを案じてくださっているから


そのような情報が


瞳に映るんじゃないかなって


いつも心があたたかくなるの


その中で数年前に


友人とドライブ中に


発見した泳げる場所から


すぐの所に


神様が宿るといわれている木があるようで


しゃもじに願い事を書いて


木にふれるように置いてゆくと


願いがかなうとか


その木の落ち葉を拾い


病のある場所を


なでると治るなどの


情報を伝えてくれたの


いつも近くまで


足を運んでいた場所に


そのような聖地があるんだって


今とても心惹かれている場所の


ひとつになっているの


私自身


数年前まで


「友達ってなんだろう?」


「私は友達がいないかも」など


思っていたことがあったのだけれど


それはきっと


出会うすべての方に


無意識に過剰オーダーを


心の中でしていたからなんじゃないかなって


感じているの


自分が辛い時・必要なとき


いつでも寄り添い


長い時間過ごしてくれる方を


友達と感じ


両親に対しても


何もかもを手放しても


私の元へ来てくれる事を


愛だと思っているような


そんな部分が


あったように感じているの


そしてその過剰な心のオーダーに


答えてくれないと


「私は愛されていない」という


思いが心の影となって


人との距離を


必要以上にあけたお付き合いになったり・・・


でも本当は


それとこれは別で


愛していても


できないこともあるし


愛していてもそれぞれが


自分の人生の歩みを止めてはいけないのだと


思うの


両親や友達・知り合いは


自分の人生を


より豊かなものにしてくれるために


人生の大切な時間を


シンクロして


出会わせてくれた方たちで


お互いが


相手に自分の人生の


舵を取ってもらうものではないのだと思うの


よく


「友達なのだからこうしてくれても


いいと思わない?」


「親なんだから普通こうじゃない?」など


無意識に言葉にしてしまう事が


あるかもしれないけれど


この世の中に


普通といわれる見本はなくって


ただ自分が望むスタイルを


形にされた方を


偶然に見つめる機会があって


そのスタイルと違う事への不満から


そのように言葉にされただけで


一人一人


世界にひとつの個性として


必要があって


この世界に誕生しているんじゃないかなって


感じているの


私自身


人に甘えたり・お願いするのが


とても苦手なのだけれど


心の深い部分では


もし甘えられる方がいたならば


自分の人生なのに


何もかも


誰かに頼りすぎてしまう所が


あるのを時々感じているの


だから両親が何でも


手を差し伸べてくれなかったことに


今だから


感謝できることもあるの


友達がいないと思われている方も


見つめる角度を変えたならば


本当は多くの人たちに


囲まれていたり


支えられていたりする


人生の豊かさを感じられると思うの


よく人間は一人では


生きてゆけないという言葉があるけれど


本当にそうだなって感じるの


自分に不足している部分を持っている


友人や知り合い


偶然に出会った方たちによって


補ってもらったり


その逆に自分が与えられるものを


贈らせていただいたり・・・


人との関係は


そのような流れの中で


育まれてゆくものなんじゃないかなって


感じているの












猫は太古の昔から


神秘の扉を開いてくれる


存在として


大切にされてきて


古代エジプトの時代から


様々な国に渡り


中国では環境学の風水の中にも


猫が登場してきたり


ヨーロッパでは


魔術を使う方たちに


霊能力を授けていたようなの


風水では


猫は予知能力が備わっていて


気の流れを感じとれる事もあって


猫が休んでいる方角によって


その日訪れる出来事や


今現在の気の流れを


受け取っていたようなの


そのような事を知ってから


共に暮らす


にゃーと鳴く娘のみゅ-を


見つめていると


誰かがおうちに来る事になっている日や


その方から感じる


情報を会う前から


わかるようで


ある友人が訪ねてくる日には


玄関の前に待っていて


おうちに友人が入ってからも


その友人の髪を手でなでたり


毛づくろいしたりと


離れないほど歓迎しているの


ある友人の時には


いつも玄関から部屋に通っている


最もエネルギーの集まっている場所にも


姿が見えず呼んでも


姿が見えないことが多く


友人が帰るまで


出てこないことがあるの


どちらの友人も


私にとって大切な友人なので


私自身は


感じられない


オーラを


にゃーと鳴く娘のみゅ-は


感じているのかなって


感じているの


いつも実験的に


オーラが本当に見えるのかを


試しているの


たとえば意識的に


やさしい気持ちになるような


過去の出来事や物etcを思い描き


その後


私の周りに


淡いやさしいピンクをイメージするの


そうすると


その広がったオーラの中に入ってきて


ごろんとおなかを見せて


にゃーと鳴く娘のみゅ-は


安心して心地よさそうにしていたり


怒りや強いエネルギーが


湧き上がってきた時のイメージをしながら


赤いオーラが広がっている所を


イメージしてみると耳をぴくぴくしながら


少し距離を置いて


そばには寄ってこないの


それがとても面白くって


自分が無意識に


放っているオーラを知る


助けにもなっているの


そして意識で瞬間的に


心が変えられるようにオーラのカラーも


調整できるんだなって


最近感じているの



そう思うようになってから


日常にオーラーヒーリングを


取り入れているの


たとえば思い煩う事が


生まれた場合


シャワーを浴びる時には


瞳を閉じて


淡いブルーの光に浄化されるようなイメージで


シャワーを浴びたり


経済的なこと・仕事のことなどで


思い煩っているときなどには


浴槽につかる時


瞳を閉じて


淡いグリーンとイエローの光の中に


包まれて


その色を吸収するような


イメージで入っていると


時間と共に自分自身の心も回復し


そのカラーが心の回復によって


強くカラーが定着し


外からほしい情報を与えられたり


答えを持っている方との


出会いがあったりするの


オーラは心の色を


外の世界に


放っていて


言葉では何も伝えていなくっても


「近寄りがたいオーラ」


「親しくしたいオーラ」など


様々な印象を相手に


与えているんじゃないかなって


感じているの


最近友人がオーラを映すカメラと波動測定器を


体験したようで興奮して


私に話してくれたの


オーラも波動も


何も身につけないときと


身につけたときの


違いが大きかったようで


感動し


まっすぐな友人は


その後私にアクセサリーのオーダーを


いくつもしてくれたの


パワーストーンにエネルギーが


存在していることは


友人も知っていたのだけれど


そのエネルギーを


測定や映像として


瞳で見て確認できたことで


自分が思うものが


確信できたことが


とても嬉しかったようなの


風水やパワーストーン・縁起物が


世界中に時代を超えて


語り継がれているのは


きっと幸せを願う方たちが


幸せに過ごしている方たちがもつ


共通するものを発見し


幸せな人生を


築いてゆく知恵のひとつとして


受け継がれているからなんじゃないかなって


感じているの


人の人生はすべてフィフティ-フィフティ-で


設定されているんじゃないかなって


感じているの


半分は生まれる前から


決められたおおまかな


プログラムがあって


その部分だけを見つめたならば


平等ではない恵まれた部分と


そうではない部分が存在していると思うの


そして後の半分は


まったく決まっていない


白紙のページが用意されていて


出会った方・頂いた思い


経験から学んだ知恵などによって


人生が構成されてゆくんじゃないかなって


感じているの


与えられたプログラムは


おおまかに起こる日も決まっていて


避けられないものが


あるのかもしれないけれど


その出来事を


どのように受け止めてゆくのかによって


次に繋がる


出来事が選択されて


ゆくんじゃないかなって


感じているの


よく昔から不幸中の幸いという


言葉が語られるように


変えられない起こった出来事の中でも


恵まれている事


救われた事への感謝を


見つける知恵の言葉があるように


その魂の力を


支えてくれるものが


形となって


縁起物や風水・パワーストーンなどのとなって


今の時代にも


受け継がれているんじゃないかなって


感じているの


私の周りに寄り添ってくれている


友人たちを見つめていても


様々な困難があっても


その困難が逆に


幸福へのジャンプアップのための


ばねへと変換できている方たちもいて


色々なことを


学ばせていただいているの


そのような方たちの共通点は


☆楽しいことをできるだけ


優先して暮らしている


☆どうしてもしなければならない事は


楽しいと自分で思い込んで


後回しにせず


早く済ませる


☆愚痴や悩みを語りながらも


最後にはネガティブな空気を洗い流すように


聞いてくれてありがとう


すっきりしたよなどといって


感謝という空気で終わらせる



☆先入観・思い込みを


できるだけ持たないように


意識しているなど


そのような共通したものを感じながら


いつも私もそうありたいと


友人たちと話しながら



尊敬の思いで


話をさせてもらっているの