2006年8月






夏になると心霊に関する番組などが


多く放送されていて


いつもこの季節になると


様々な体験を


思い出したり


周りから相談を受けることが


多くなるの


私の人生に寄り添ってくれている


宿命の家族たちは


不思議なエネルギーで


繋がりあっているようで


パートナーの母親・私の母親


共に違う形ではあるけれど


霊感能力が


授かっているようで


パートナーの母親は


宗教家ということもあって


見知らぬこの世に存在しない方たちが


真夜中に


尋ねてくるようで


パートナーの母親は


何十年も前から


眠りにつくと


うなされる事をあらかじめ


わかっているので


パートナーが子供の頃は


「お母さんがうなされたら


起こしてね」と頼まれていて


よく起こしては


尋ねてきた見知らぬ人について語り


とても怖がっていたようなの


パートナーの母親も


私と同じように


供養や成仏させてあげるすべを知らないので


尋ねてくる人を見つめては


ただ・ただ恐怖だけが残り


いつも困惑しているの


よくそのような方が


尋ねてきたら


「私は何もしてあげられないから」と


心の中で唱えるといいと聴き


試したこともあったのだけれど


同じ方は尋ねてこなくはなるけど


新たな場所に行った時


見てしまうこと自体がこわいの


よく母親には


幼い頃から


修行をしたら良いとか


見える時と見えない時を


コントロールできるようにしたらよいなどの


アドバイスを友人に頂くことがあるのだけれど


どのようにコントロールしたらよいのかも


わからないまま


今日まで来てしまったの


私が意識して


気をつけている事は


波動をさげない事なの


たとえどんなタイプの霊体と


出会っても


自分の波動を同じ高さにしなければ


入り込んでくることはないと


幼い頃から思っているの


ある知り合いの方が


数年前地下鉄を待っていて気がついたら


ホームを降りようとしていたみたいで


周りの方が


その動きに気がつき


手を引っ張ってくれて


はっと我に返った


お話しをしてくれていたの


その方は


その時結婚しようと約束を


交わしていた相手がいて


その方にもうひとり女性がいて


相手の女性に子供が授かり


そちらと急遽結婚すると


告げられた後だったので


彼女は思い悩み


きっとすべてが


どうなってもよいと思うほど


悲しみに包まれていたと思うの


その時


瞳には映らない


同じ思いのさまよえる霊体が


彼女に寄り添い


誘ったのかなって感じていたの


そのお話を聞いて


同じ高さにならなければ


霊体が主導権を持つことは出来ないんじゃ


ないかなって感じていていたの


ただ誰でも


心が曇ったり


人生がモノクロに見える時は


誰にでも


瞬間・瞬間訪れるものだから


心弾まない時には


お出かけを


控えることも大切かなって


感じていたの


私の母親の場合は


例えばニュースに流れる


場面などを見つめて


まだ見つからない


加害者がどんな繋がりがあって


このような流れになったのかや


速いスピードで


解決するなどの


無意識なプロファイリング能力があるようで


無実の罪で捕まった方や


逆に本当は加害者なのに


法律というもので


解放された方などについてよく語るの


多くの場合


母から何気なく聞いていた事が


本当にそのような形ととなっていたりして


とても不思議な


能力を秘めているの


母はよく私に


「あんたが不思議な力があって


誰かのためになっているなら


あんたの力ではなく


じいちゃんの積んだ徳の


おかげなんだから感謝しなさい」と


伝えられるの


祖父は不思議な能力を持っていて


独学で様々な事を


学んで


学校も行かなかったのに


外国語を話せたり


神主さんではないのに


神社を守り


どこからか噂を聞いてきた方たちが


尋ねてきていたようなの


そして悩みを抱える方に


不思議な力で問題を解決したり


病を癒したり


時にはその時代にそぐわない


愛の思想を信じて


国籍を問わず


自分の元へ


救いを求める人たちを


押入れなどにかくまい


命を救ってきたようなの


その祖父の姿を見つめながら


育った母は


深い部分では愛が溢れているのだけれど


一時的には


信仰するような事を


否定していた時期もあったの


祖父は自給自足に近い


暮らしをしていて


日々祈りと勉強をベースに


人を救ってきたけれど


経済的に満たされた生活ではなく


そのような姿を見つめていた母は


「祈って思い通りになるなら


苦労はしない


祈っていても何も


豊かにならなかった」という思いと


その尊敬する祖父が


自ら選択して


この世での人生を終えた事への


疑問などの


複雑な思いから


母は祖父を愛しながらも


否定していた時があったの


でも根底には


愛の流れが知らぬ間に幼い頃から


整っているようで


実際には困っている方と


偶然に出会っても


その出会いは偶然とは


とらえずに力になろうと


一生懸命になっているの


今も介護のお仕事をしているけれど


やっと自分の居場所を見つけたような


笑顔で仕事をしているの


それは


みんなが母を待っていてくれたり


母が来ると嬉しくて


年齢を重ねた方たちが手を握り


嬉しそうにしている姿が


母にエネルギーを与えているようなの


そして時々母が生きていたら


きっと祖父と同じ年齢だと思える


近い年齢の方と出会うと


出来なかった親孝行を


その方に向けて


させてもらい


自分が納得するために


機会を与えてもらっていると


よく表現するの


母が伝えてくれていたように


祖父が積んだ徳のおかげで


今幸せに過ごせているならば


その徳を使い切らずに


自分からも徳を


積み重ねてゆけるように


少しでも


人の力となれる自分を


創造して行けたらいいなって


思っているの











今スポーツのジャッチについて


とても注目が集まっていて


この出来事の中に


様々なことを


教えられている気がしたの


テレビでは多くの場面で


司会進行されている方が言いたいけれど


言えない事を


コメンテーターや


一般に方の口を伝って


伝えようとしていたりして


その事が


とても印象に残っていたの


このような事って


一般的な時の中にもあって


人間は本来


目の前にいる方を


喜ばせたい・笑顔の花を咲かせたい


素敵な欲求を秘めているから


敏感に


相手が望む事をキャッチして


自分がそんなに感じていないことまで


無意識に言わされて


印象があまりよく映らなくなったり


責任が生じたりして


気がつくと


それまで心楽しく過ごしていた時間まで


目の前にいる方と同じような


気持ちに同化してしまうことって


あるんじゃないかなって


感じていたの


今世界的にスポーツの世界では


ジャッチが問題視されていて


昔ならば


周りの方が声を上げてくれても


静かに問題が


終わってゆく場合が多かったと思うの


ただ最近は


国際問題も


トップの方だけのイメージだけで


その国に暮らす方を


決め付ける事もなくなり


インターネットという


繋がり合う方法で


愛の交流をされている方たちも


多くなっていて


昔ならば消された声も


今ではインターネットなどから


問題がピックアップされる事も


あると思うの


それはインターネットの誕生の


光の部分だと思うの


どんな出来事も


自分が心から


自分自身を裏切っていなかったならば


私はそれでいいと思うの


心が痛む事なく


自分が自信を持って


今振り返えられるか


自分を毎分判定しているのは


自分自身だと思うの


今回のニュースから


改めて


自分自身が


自分を信頼する事の大切さを


教えられた気がしたの











最近意識の高まりを


求められているようで


急に耳が痛くなったりして


まるで高い山へ登った時のような


違和感が続いているの


以前霊能力に優れた方から


聞いていた事を


ふっと思い出していたの


私たちは肉体は人間だから


人間界とは別な世界へ


交信やコンタクトを


整えるために


肉体に無理がかかり


チャネラーの方の多くは


健康が保たれない方が


多いと伝えてくれた


言葉を思い出していたの


確かに


最近驚くほどに


以前よりも


浮かぶヴィジョンが具体化してきているのは


感じていたのだけれど


まだまだお伝えするほどのものでは


ないなって


感じているの


ただこれから


肉体とハイヤーセルフが




フィットするように


整えられて祖父のように


誰かの問題解決の


お手伝いをさせていただけるくらいの


レベルになれたらいいなって


感じて今過ごしているの
















この1ヶ月


女神たちの存在を


感じる出来事を


毎日のように体験させてもらっているの


例えば街を歩いていると


偶然に女神たちの絵画と出会い


そこには女神の名前が


書かれていないのに


名前が浮かんだり


お部屋も以前よりも


物質の入れ替えが多く


ほとんどは


自分の意思ではなく


流れができているようなの


よくエネルギーが高まってくると


物質的なサイクルも


早くなってくるようで


物質的なものが


壊れたり・・・


その事でお金が少し


思っていた以上に使うこととなるのだけれど


そのようにして


経済の詰まっていたパイプの


流れがスムーズに


循環できるように


してくれているのかなって


感じているの


何でもフレッシュなものと


交換して


その時・その時代の


エネルギーを受け取って


ゆくことが


今の自分を益々高めて


くれるんじゃないないかなって


感じているの










毎週末


今の季節は花火大会が開催されていて


ありがたい事に


今年からはベランダから


はっきりと見ることが出来るので


パートナーはビール片手に


私はアイスコーヒーを片手に


小さなスペースではあるけれど


貸切の優雅な時間を


過ごしているの


ちょうどその日は


月が三日月で


その真下に花火の花が咲き


とても幻想的だったの


何気なく今こうして


二人で花火を見つめ


なんて豊かな時間だろうと


幸せな気持ちに包まれていたの


私たち二人は結婚してから


同じ年齢の友人たちが


未来に向けて


幸せを積み重ねてゆく中


私たちには


そのようなプランを


与えられていない事から


瞬間・瞬間の幸せを


大切に歩み


何一つ自慢できるものは持っていないけれど


自分たちはとっても豊かな人生を


与えられたんじゃないかなって


日々語り合っているの


昔は周りの方に


評価されることを


無意識に求めていたこともあって


年齢相応のプランから


外れている事を


誰かに何か言葉にされるたび


心が痛くなった時期もあったけれど


人生には


自分の努力で変えられるものの他に


意味があって


変えられないものもある事を


受け止められるようになったの


昔ならば何か相手に


納得と理解を求めるために


自分に問題があるような答えを


返してきたのだけれど


今は


すべてユーモアで


言葉の交換が出来るようになったの


例えば


おうちを買わないの?という問いには


昔ならば


「パートナーの給料が・・・」などの


思いエネルギーを生み


何気なく聞いた相手の方も


どう答えてよいのか戸惑われて


いた事もあったけれど


今は


「引越しが気分転換になっているから


きっとやどかりのように


人生旅人気分で


過ごすんじゃないかな」とか


子供がまだ?の問いには


昔ならば


「今病院へ通っているのだけれどできなくて・・・」と答えると


相手の方は


追い詰めようとして


問いかけたわけではないのに


言葉を詰まらせながら


重い空気に包まれていたのだけれど


今は


「私もパートナーも


人間として大切なパーツが


壊れているみたいなの


ロボットみたいに部品交換できたら


便利なのにね」などと答えると


相手も笑顔で


「ほんとだよね私も痛い腰交換できないかねぇ~」と


まるで楽しい会話のひとつの


きっかけのような


流れを作り出せるようになったの


人はよほどのことがない限り


相手にダメージを与えようと


問いかけているのではなく


話しのきっかけを


探す中で


容姿・年齢・雰囲気から


きっかけを探しているだけで


具体的に何かを知りたいわけではない事も


多いと思うの


私自身も


何気なく話しのきっかけを


探して


「最近仕事は順調なの?」と


尋ねた時


ちょうど相手にとっては


そのお話しがもっともいやな話題だったようで


「能力もないし年も年だから


リストラされて・・・」などの


言葉が返ってきたとき


私は何でこのタイミングで


聞いてしまったのだろうと


ちょっぴり罪悪感に


包まれたことがあったの


もしその相手が例えば


「仕事は忙しいし


色々やることはあるし


たこのように手が8本あったら


きっと今頃


リストラになっていなかったかもね」など


笑ってねオーラで語ってくれていたら


きっと同じ状況を説明するのでも


違っていたのを


その出来事から


教えられて


出来る限り


ユーモアで言葉を返せるように


自分の心を晴れやかにしていようと


意識するようになったの


そして


日本では古くから語られているように


「隣の芝は青く見える」という


言葉があるように


瞬間周りを見渡すと


自分よりも恵まれ


豊かに映るけれど


本当の心まではわからない事だし


たとえ周りの方が


自分よりも恵まれていたとしても


同じものを受け取っても


笑顔になれるのかは


まだ別の問題なんじゃないかなって感じているの


この世にたったひとりしか


存在していない


スーパーブランドとして


誇りを持って


精一杯より自分が幸せになれる


プログラムを創造し


歩んでいったらいいと思うの










毎年この時期になると


先祖を思いそして家族と


同じ思いで会話する事が


用意されていて


今日も
弟家族と両親と


久しぶりにお話ししたの


ずっと楽しいあたたかな時間を過ごし


なぜか弟の上の娘が


一人だけで


私の両親のうちに泊まると言って


その姿に


私の両親は


とても嬉しそうにしていたの


そしてしばらくすると


日頃無口で


まだ3歳という事もあって


単語的な会話しか出来ないはずの子が


急にどこで息継ぎをしているのだろうと


思うほどの勢いで


私の瞳を見つめ


あれこれと話しだしたの


「上の部屋に3人のおばけがいたよ」と


教えてくれて


その人たちが誰だかわかっている


私と母


具体的に説明したりしながら


その姿に


父は驚き


母は霊気を感じた時の


特有の皮膚の色と


表情になっていたの


母は私に


「この子はあんたと


話す時を待っていたんだわ


あんたとコンタクトしている


全身金粉が浮いてきているわ」と


表現したの


私も母が伝えてくれている事を


感じていたので


せっかくだから


色々な事を聞いてみたいなって思って


「ママのお腹にいた時の事


おぼえてる?」と尋ねると


おへそを指差し


「ママのここと私のここで


繋がっていたの」と


教えてくれて


その後


次の年に生まれてくる妹も


おへそと繋がって


待っていたようなの


そして急に母が


「さーちゃんは赤ちゃんできるかい?」と尋ねると


「お腹が破けているからできない」と


言葉が溢れ


私は鳥肌が立つほど


驚いていたの


そして更に母が


「さーちゃんはもう子供はできないかい?」と


尋ねると


「まだ!まだ!呼んでないから


出来ないの!」と声を荒立てながら


答え


また母が


「なんでさーちゃんに赤ちゃんできないのかな?」って


何度も同じ質問をし


言葉にすると


「今さーちゃんに赤ちゃんできたら


私が嫌なの!


ママが呼んだからあっちにいったのに・・・」といい


泣き出してしまったの


母も父も私も


小説や他の方の体験として


そのような体験があることは


知っていたけれど


自分が体験してみると


あまりの生命の神秘に


言葉を失い


母と私は涙を流していたの


何となくこの子が


伝えてくれていることが


伝わって


とても複雑な思いに包まれていたの


私自身数年前まで


病を癒し


子供を授かりたいと


治療を始めたのだけれど


治療を終える頃には薬の副作用によって


心身から初めの目的を


貫くほどの意思を保てず


これからの未来を


パートナーと二人で


過ごそうとの思いから


その時


本当はこの子が


スタンバイしてくれていたのに・・・と思うと


とても言葉では表現できない


思いに包まれていたの

そしてその頃


とても強い思いで


子供が宿ることを望んでいた


弟たちに呼ばれて


この子は


この世に誕生してきたようだったの


この子の口から溢れた言葉は


瞳に映る世界以外にも


やはり魂が変えるふるさとが


ある事を


改めて教えてくれた気がしているの


よくスピリチュアルな世界では


子供が親を選択して


この世に誕生すると伝えられているけれど


それは本当だったんだなって


改めて感じていたの


でも


ここ数年様々なニュースの中で


幼い子供たちが


寿命を全うする事なく


魂のふるさとへ帰ってゆく


ニュースを見つめるたびに


生まれてくる前に


あらかじめ


人生のストーリーを知っているのに


なぜ?この親御さんを選択して


生まれてくるんだろう・・・


本当に親を選んで生まれてくるのかなって


スピリチュアルな知恵に


すーっと納得できない部分があったのだけれど


今回子供の口から


改めて本人が


自分の体験として


伝えてくれた事で


理屈や頭で考えるのではない


人間として生まれてくる


感動のドラマがある事を


知ったの


お盆はいつも姿なき多くの人たちが


訪れるので母も私も


表現できない忙しさに


包まれながら


お互い情報交換のような事をしているの


母と私は秘めているエネルギーが違うので


わからない事や


自分が感じている事を


改めて知るために


聞こえる声・音・姿などを


伝え合うのが


なんとなく母と私の


お盆とコミニケーションとなっているの













今年の夏は


自分のエネルギーを


最も強く感じるための


体験を与えてもらっているの


アバンダンティアとの


ご縁を結んでいただき


その後


ご縁のある方たちへと


アチューンメントをさせていただく


運びが整い


言葉では上手に表現できないけれど


今まで私の中に


こもったままになっていた


エネルギーを解放できた喜びと


その後その方それぞれに


望む豊かさが


ゆっくりと


形となって


喜びのご報告をいただける事で


もっとも私自身が多くの方から


心に豊かさを


与えていただいていて


本当に幸せな時間を


過ごさせていただいているの


私は何十年も


2日に一度眠る


睡眠サイクルを過ごしてきて


自分も周りの方も


心配になるほどだったのだけれど


睡眠サイクルが


ここ数週間


毎日眠りへと誘われるようになったの


それはきっと


湧きあがるエネルギーが


内にこもったままになる事なく


外へと


手渡す機会を


与えていただいたおかげだと思っているの


エネルギーって


人を動かす原動力だから


内に秘めたままだと


それがたとえよいエネルギーでも


漏電を起こして


自分自身にだめ-ジを与えてしまう事も


あるんじゃないかなって


感じていたの


子供たちは
日々


エネルギーが湧きあがり


そのエネルギーを


自分の行動範囲で


上手に発散して


いつも新しいエネルギーと交換しているように


大人になっても


同じなんじゃないかなって


感じているの


お仕事や社会との関わりの中で


疲労を感じて


とてもエネルギーなんて


残っていないよって


思われる方も


エネルギーは毎日


内から湧きあがってきていると思うの


ただ心の疲労が大きいために


その傷を癒す事に


多くのエネルギーが流れているだけだと思うの


エネルギーは


自分が瞳を向けた方向へ


流れてゆくようになっているから


心が疲労している時には


心の自然治癒力が働いて


明日へと繋げてくれるために


のりづけしてくれていると思うの


エネルギーは


自分が考える以上に


広く・大きく働いてくれているから


心の疲労を


解放してあげるための


時間を過ごす事によって


驚くほどの


神秘体験ができるんじゃないかなって


感じているの














今の時代は


与えられたこの世での体験が


長く与えられるようになって


ある意味で


やり直しが何度もできる


時代となったんじゃないかなって


感じているの


私の祖母の時代は


16歳で母親となって


50歳~60歳には


この世での学びを終え


今の時代の私たちから見つめると


とても急ぎ足で


人生が流れていって


考えたり・迷ったりする時間が


許されていなかったと思うの


だからその頃は


国が決めた事に


従い


社会が決めた常識に


多くの方が意義を感じる事も


なかったんじゃないかなって


感じているの


例え感じたとしても


議論に長い時間


費やすほど


人生に時間を与えられなかったと思うの


その事を


何気なく父と話している時


父が


「今の時代は結婚も出産も


30代から40代で


ちょうどいいと思うぞ


人生も倍になったんだから」と


表現していて


私はその言葉に


とても納得していたの


寿命が延びた事で


人類が体験したことのなかった


病や出来事もあるけれど


それは次の人類へとバトンタッチするために


その時代・その時代の方たちが


わずかでも


前の世代から進化をして


バトンを手渡すために


体験する事なんじゃないかなって


感じているの


せっかく倍の時間を与えられたのだから


ゆっくりと


人生を体験の場として


様々な事のチャレンジしても


いいんじゃないかなって


感じているの


時代と共に価値観にも


変化が現れてきている方も多く


昔ならば高価なものが良いもの


だから大切にするという


価値観だったものが


今の時代は


たとえ安いものであっても


自分が好きなものを


大切にするという


自ら価値観を生み出す時代へと


形を変えて


本来ならば安い価格のものに


価値が生まれて


高価になっているものも多いんじゃないかなって


感じてるの


ある国のプリンセスは


宝石よりもパワーストーンや


ビーズに心惹かれて


ブランドを立ち上げたり


ある国では私たちが幼い頃遊んだ


玩具が今では


セレブといわれている方たちの間で


信じられない価値となっていたり・・・


最近では


新品のジーンズに


手間隙をかけて


ダメージを与えたデザインのものが


ファッションとなっていたり・・・


きっと何代も前の世代の方が


見つめたならば


驚いてしまうほど


新たな価値観をこの地球上に暮らす


今の世代が作り上げてきたと思うの


長い時代を見つめる事が出来たならば


価値というのは


その時・その時代に生きる人たちが


多く支持したものが


時代となっているだけなんじゃないかなって


思うの


人の生き方も


これが正しくって


これは間違っているという


価値観は存在していなくって


それそれの方が


その時・その時の立場で


見つめて思う事を


表現していて


たまたま違う立場の人たちが出会った時


正しさを証明しようと


議論するだけで


どちらも間違ってはいないし


どちらも同じ場所に立ったならば


正しいと思えたりするんじゃないかなって


感じているの


日本が今あまり良くないように


感じられる方もいるかも知れないけれど


私は時代をパーツに分けたならば


日本が創造されてから


ナンバ-3に入るほど


良い時代の中で


過ごさせていただいていると


思っているの


この時代だからこそ


体験できる


幸せをそれぞれに重ね


この世での学びを終えるまでに


自分の人生が最高のものであったと


思える方向へと舵を取って


進んで行けるよう


エネルギーを


向けてゆくことが


今の時代には許されているんじゃないかなって


思っているの












この間テレビで


体に個性を持って


生まれてきた方たちの


輝く姿が映っていて


言葉を失うほどの感動と


人間が秘めている


大きな可能性に


改めて気づかせていただいたの


昔から体に個性を持って


生まれてきた方たちの事を


表現するときに


ハンディキャップという言葉が


用いられていたけれど


この言葉をスムーズに


受け入れられない所があったの


ハンディキャップとは


弱者から見た強者との


差を意味していて


言葉では上手に表現できないけれど


その意味が違うように


感じていたからなんじゃないかなって


今回知る事ができたの


本当は弱者と位置づけられている


体に個性を持って


生まれてきた方たちは


逆に多くの健常者と


表現されている方たちよりも


精神力や周りの大きな愛の支えに


恵まれていて


様々なことを成し遂げられる


能力が備わっているから


神様があえて


本当は強者の体に個性を持って


生まれた方たちに


私たち弱者との間に


ハンデを与えられたんじゃないかなって


感じていたの


体に個性を持って生まれた方たちは


この世に存在してくれているというだけで


自然にそして無言で


私たちに様々なことを教えてくれたり


誰もが秘めたままにしている


愛の扉を開き


自分自身がこんなにも


愛のエネルギーがある事を


感じる機会を与えてくれたり・・・


山田火砂子監督の


「筆子・その愛」の撮影風景画


テレビで放送されていて


その中で知的障害を持つ子供さんたちが


ある一人の男の子をいじめるという


場面の撮影中


どうしてもその演技ができず


泣いてしまう男の子がいたの


初めはスタッフも


「しない」のではなく「できない」のだと思い


その子をお休みさせていたの


その時その子の母親が


演技という事が理解できず


みんなで一人の男の子の事を


いじめることがどうしても


いやなのではないかという事が


伝えられ


「できない」のではなく


自らの愛の選択によって「しない」のだと


周りの方たちも理解をし


その場面には


その男の子に演技を求めず


次の場面の撮影が始まろうとした時


先ほどいじめられる役の男の子に


駆け寄り


「大丈夫?」って優しい言葉をかけたようで


いじめられ役の健常者の男の子も


あまりの優しさに


驚いていたようだったの


私たちは時々


正しい愛の選択を知ってはいても


なかなか表現できずにいる事が多いから


ストレートに


優しい愛の表現を受け取ると


まるでそれは


目の前に天使が舞い降りてきたような


驚きと戸惑いと


そして大きな感動に


包まれるんじゃないかなって


感じていたの


私自身


幼いころから


体に個性を持って生まれてきた方との


出会いが多く


日々無言のエールを送られて


来たように感じているの


どんな困難に出会っても


乗り越えてゆく精神力や


愛そのものをストレートに表現される


知的障害と表現される方たちも


現代に溢れる


殺伐とした空気の中で


もっとも大きく愛を広げてくれている


存在なんじゃないかなって


感じているの