2006年3月



春がゆっくりと私の町にも


舞い降りてきているのを


日々感じながら


改めて


季節感がはっきりと感じられる


北海道の楽しさを感じているの


春が近づいてくると


人も町も


何か新たに


スタートしたいエネルギーに


包まれていて


今年はどんな展開となってゆくのか


とても楽しみになってゆくの


必ずものには


陰と陽のようにまったく逆のものが


二つに重なり合って


あまり好ましくない陰のエネルギーが


陽の喜びを増す


働きをしてくれていたり・・・


人間の身体も右半身と左半身で


届けられるサインの


意味が違っていたり・・・


右半身に違和感を感じられる時は


最近ストレスが積もってきた事を


知らせてくれたり・・・


左半身は


過去に思い煩っていたり


過去の出来事での


許しができていない時


違和感を感じる形で伝えてくれたり・・・


心と身体・魂はいつも一緒に


私たちに身体を通して


自分では感じられない


心の健康を伝えてくれたり


魂の可能性の大きさを


伝えてくれているんじゃないかなって


感じているの


私たち人間は


朝目覚めてから


ほとんど無意識に


選択したり


言葉としていたりしているみたいなの


その無意識という意識が


秘められている


潜在意識は


なかなか自分で


整えようと思って


すぐに整えられるものではなくって


長い時間


様々な体験や


日々考えてしまう事から


自然に作られてしまうから


いつも何を


考え潜在意識に届けているのかって事が


とても大切なんじゃないかなって


感じているの


ふれあう方との何気ない会話の中で


相手も自分も


無意識に思い込みで


問い直す事のない言葉を


いくつも表現している事って


あると思うの


その何気ない言葉が


潜在意識のカラーとして


時々


自分で感じ


受け取る事が出来るから


そっと意識して


一日話した言葉などを


思い出してみるだけで


潜在意識が


頭の中にある辞書の言葉を


書き換えてくれると思うの


どんなに素晴らしい本を読んでも


どんなに素晴らしい言葉を


学んでも


深い部分に届けられなければ


夢は夢と


また思い込みを二重にしてしまい


輝く方たちは


きっと特別な選ばれた方たちなのだと


自分の人生の


扉に鍵をかけてしまうと思うの


この世に存在するすべての人々には


必ず瞳には映らない


胸に輝く宝石を


身につけ生まれてきていると思うの


ただその宝石が


ほこりや土に包まれていて


光が見えないだけだと思うの


そのほこりや土を


そっと魂の手で


磨いてあげられるのは


この世に


自分しかいないと思うの


愛という自動的に


研磨してくれる


アイテムを


どんなにふれあう方たちが


手渡してくれても


スイッチを入れ操作するのも


やっぱり自分なんじゃないかなって


感じているの


ゆっくりと心の道具箱を


整理してみると


きっと魂を研磨してくれる


アイテムが


見つけられるんじゃないかなって


感じているの













人生には
よく三つの坂があって
下り坂・上り坂・ま坂という


人生の歩む道に


組み込まれた坂が


誰の人生にも


あるんじゃないかなって


感じているの


どの坂も


ほんの少しのタイミングで


その坂は人生に出現して


私たちの人生に大きな意味を


作り出してくれているように


感じているの


下り坂の出現は


本当に心の学びの復習として


せつない中でも


どのくらい自分が


笑顔を生み出す力が


育まれたのかを


勉強させてもらう機会を


下り坂として


与えられているように思うの


下り坂は


本当に言葉では表現できないほど


自分の中に秘められた


ガラクタや真っ黒な毒のようなものが


溢れて


何を見つめても


何を伝えられても心の輝きとして吸収できず


外の世界からのエネルギーを


受け取る事を


一時的に止められている時だと思うの


それは


あえて自分の中に重ねた


学びが


どのくらい使えるようになったのか


自分が知ることが


出来る荒行のような


悟りへ続く道の途中にある


坂なんじゃないかなって


思うの


そして上り坂は


下さり坂とは違って


高揚や自信に包まれて


何をしていても楽しくって


頭に浮かぶ


すべての事が可能に感じ


本当に楽しい坂だと思うの


夢と希望に溢れて


自分が描く


人生の幸せのパーツを


またひとつ


神様からプレゼントしてもらえたように


祝福の坂だと思うの


この上り坂では


自分が幸せオーラが


大きく輝く事で


周りの方が自分の光で


見えなくなっている時でも


あるんじゃないかなって思うの


そんな中で傲慢になる事なく


どれくらい


自分の中の愛が深く


そして大きく育まれているのかを


知る大切な機会でも


あるんじゃないかなって


感じているの


上り坂は下さり坂とは違って


周りにあたたかいまなざしを


注がれ多くの方から


愛を手渡される時期でもあるから


ついその事に感謝する事を


忘れてしまいがちなんじゃないかなって


感じるの


この坂は1のエネルギーが


何倍にも好転する坂だから


その坂が少し長く続くと


初めは自分から


放たれる光で


周りが見えなくなっていたけれど


気づかないうちに自分が放つ光で


自分さえも見えなくなってしまう


不思議な坂なんじゃないかなって


感じているの


ま坂という坂は


よく言葉の表現でも


イメージしていなかった出来事に


出会うと溢れる言葉の通り


予期せぬ素敵なハプニングや


予期せぬ展開が


たくさん施された


人生の中でそうそう出会わない坂だと思うの


ま坂はサプライズを体験する坂で


思い込みを一瞬にして


溶かしてしまうほどの


魔法に包まれた坂だと思うの


良い事もそうではない事も


自分が思い込みとして秘めていた事を


溶かして


前に歩む方には


幸せなハプニングイがいっぱいの


ま坂という坂を


登ることが出来るんじゃないかなって


感じるの


人生にはこの三つの坂が


時々私たちの人生に出現して


坂で過ごす時間の長さで


自分は運がない


自分は選ばれた人間など・・・


人生のほんのひとつのパーツで


決め付けてしまう事があるけれど


この三つの坂は


まるでテレビゲームのように


人生をスムーズに歩み


幸せのゴールへ辿りつくための


経験値をあげてくれる


ほんの瞬間的に現れる


ひとコマに過ぎないと思うの


どんな時にも


神様は自分にクリアできない


ステージには導かないから


どんなに難しく困難に感じられる


出来事に出会っても


ゲームのように


必ず隠された宝物が


そのスペースにはあるんじゃないかなって


思うの












以前ゲルマニウムの


ブレスレットを友人に頂いた


お話を書かせていただき


そのコメントを読んでくださった


ゲルマニウムにとてもお詳しい方から


メールを頂いたの


私は身に着けて


すぐに吐き気や痛みが


広がって


友人には申し訳ないのですが


それ以来身に付けていなかったのだけれど


今回メールをくださった方が


その病状は敏感な方が


初めに受けとる反応である事を


伝えてくださったの


その好転反応を3日くらい過ごすと


その後は


すぐに楽になると


教えてくれたので


早速一ヶ月に一度迎える


女性の証でもある


生理の日に身につける事にしたの


その日はお薬を飲んで


過ごすので


痛みを感じないまま


その3日を過ごせるかなって


感じていたの


そしてその日を迎え


身に着けて


過ごしてみたの


もちろんお薬で


痛みを消し去っているので


特別何も感じなかったのだけれど


いつも


生理が終わりを迎える時


お薬も飲まずに


やわらかな痛みが


数日続くのだけれど


その痛みが


生理の終わりと共にまったく感じないまま


すっきりと


過ごす事が出来たの


その小さな変化が私のとっては


とても嬉しく


心踊る思いだったの


そんな時ふっと人生も


知らず知らずに


心の痛みを


いっぱい体験してしまう道を選択して


歩む自分を悲しく思うことがあるけれど


本当は


とても速いスピードで


幸せを作り上げてゆくための


好転反応って


事もあるんじゃないかなって


感じていたの














言論の自由って


先進国ほどできていない事が


最近発表されて


そのデーターを見つめながら


とても驚いていたの


自由の国のトップと伝えられていた


アメリカは日本よりも


言論の自由が


認められていなくって


世界の中でも


最も自由な発言が


受け入れられない国みたいなの


そのデーターでは


日本よりも低くってイメージと実際の


違いが


とても大きくあるのかなって


感じていたの


確かに先進国はすぐに


裁判という形になってしまう事もあって


発言や行動が


抑えられてしまうんじゃないかなって


感じていたの


言論の自由の範囲って


とても難しい部分でもあるなって感じていたの


誰もが秘めている


言葉という凶器を


表現してしまったならば


とても傷つかれる方も


多くなって


日本人のような繊細で傷つきやすい


DNAを秘めた人種には


耐え難い時間を


重ねなければならなくなってしまうし・・・


でもある角度から見つめると


真実という光が


強い圧力によって


消し去られるという形も


あるから


本当に難しい問題なんじゃないかなって


感じているの


本当は


言論の自由と表現される言葉の意味は


きっと


どんなに圧力があったとしても


愛に基づく真実の言葉を守るために


生まれた言葉なんじゃないかなって思うの


その言葉の意味が


時間と共に


受け取り方が変わって


それぞれの都合に応じて


変化してしまったのかなって


感じているの










最近の医学や科学の発表も


過去のものとは違った新たな発表が多く


届けられていて


柔軟さと進化を受け取っているの


例えば


今までならば


栄養をたくさん身体に


吸収する事が


とても大切だとずっと考えられていた事も


今という時代には


その逆で


蓄積してしまったものを


身体から出す事に


とても注目されていると思うの


朝食はあくまで体内時計を


整え心身を目覚めさせる


アクションのひとつで


朝食をとらなければ


健康が保たれないというものでは


ないみたいなの


その事を知ってから


周りをぞっと見つめてみると


一見か弱く


スリムに映る方のほうが


健康な身体であったり・・・


脳医学でも


今までは毎日


何十万という細胞が


消え去って


その細胞は2度と再生される事はなく


それが


老いという事だと


伝えられていたけれど


ある実験で


70代の方数十名の男女が


輪になってフォークダンスを


踊りながら


音楽にあわせて


男女が手を取り合って


パートナーチェンジをしながら


30分くらい過ごした後調べたら


生まれるはずのない


脳の細胞が


新たに生まれていたの


それはとても新鮮な


刺激と楽しさから


細胞が活性化された


あらわれなんじゃないかなって


感じていたの


私たちにとって


一番身近な身体という


未知なるものの事は


専門的な知識をあまり知らないこともあって


どうしても


専門的な方から


伝えられる言葉を


すべて受け入れてしまう事があるけれど


その中には


その方のフィーリングで


表現される言葉もあるだろうし


逆に責任ある立場から


イメージや感覚で言葉を表現する事が


できないために


データー的に


多いものを伝える事しかできない


場合もあると思うの


まじめな方ほど自分の感覚よりも


知識が豊富な方から


伝えられる言葉を


まっすぐに


受け入れられる事もあって


違和感を感じながらも


受け入れてこられたと思うの


でも今という時代はすべての分野で


日々進化し


その結果が伝えられているのだから


その時・その瞬間


伝えられたデーターだけが


すべてではないんじゃないかなって


感じているの









猫と共に


暮らす時間の中で


自分を包み込む


エネルギーの流れを


伝えてもらう事が多いの


ペットなど動物たちには


人間には


瞳に映す事のできないものを


感じる能力が


本能的に備わっていて


おうちの中でも


エネルギーが一番集まっている場所へ


無意識に向かい


その場所で過ごす事が


多いみたいなの


風水などで


自分のおうちの方角などを調べて


良いといわれる方角を探していると


ふっと気がつくとその場所で猫が


休んでいたり・・・


私のおうちの猫は


水晶から放射されるエネルギーが


とても好きなようで


毎日クラスターに両手を添えて


枕代わりに


眠っているの


その姿を見つめながら


人間は


様々な知識などで


動いてしまう事があるけれど


動物は本能を大切に


この世に存在している生命なので


猫の行動から


教えられる事が多いの


昔のおとぎ話などに


登場する魔女が猫と共に過ごしていたのは


もしかしたらそのような


能力が動物に備わっている事を


知っていて


力を借りていたんじゃないかなって


感じていたの


魔女というイメージは


あまり良いイメージでは


伝えられていないけれど


本当は自然の中にある


すべてのものに宿る


エネルギーや効能を


知っていてそのつど


使っていた事から


その当時まだ知識が浅かった人々から


見つめた時


それが魔法のように


映ったんじゃないかなって


感じているの


祈祷や薬草・気候などを


上手に


ライフスタイルの中に


取り込んで


過ごしていただけだと思うの


今私たちにとって


当たり前に


受け入れている


お薬たちは


薬草の成分をヒントに作られていて


太古の昔ならば


瞬時に痛みを消し去る


お薬を処方してくれる


お医者様は


きっと魔法使いだと


感じていたと思うの


今でも具体的に


説明はできないけれど


効果だけを


受け入れ使われている


お薬もあったり・・・


私が幼い頃


ちょうど女の子が見る


アニメーションのほとんどが


魔法を使う女の子が


主人公のものが多く


憧れながら


見つめていた事もあって


ヨーロッパで伝えられているような


ダークなイメージを


持っていないの


魔女が残してくれた


知識や儀式は


今の時代の中にも


たくさん溢れていて


それが少しずつ形を変えて


おまじないとして


残っていたり


お薬やアロマセラピーのような形で


人間を癒してくれていたり・・・


魔女と伝えられた人たちは


きっと


本能や感覚的な


勘のようなものが


とてもたけていた方たちで


進化した私たちのような人間は


その感覚を


もっと知識として知りたい


向上心から


それを具体的に説明が出来ない


魔女と伝えられた人々の


行動や姿から


勝手にイメージを


膨らませてしまったのが


魔女なんじゃないかなって


とても感じているの


今の時代でも


思いは溢れているのに


口下手で


思いを上手に言葉として


表現できないために


誤解されてしまう


心の優しい方がいるように


説明は出来ないけれど


感覚として手渡したり


受け取ったりという


人間も含めた


この地球上に生きている生命にだけ


与えられた感覚って


これからの時代


益々大切なんじゃないかなって


感じているの














人の思いって


一本のホースのようなものだと


感じているの


一本のホースには


時間と共に


作られてしまった


小さな傷や穴があってその部分から


ほんの少しずつ


思いが水のようにしみでていて


本来活きよいよく


思いが流れる方に


流れずにいたり・・・


そんな傷があっても


自分から湧き上がる


エネルギーが満ちている時には


どの傷や穴があっても


耐える事無く


逆に傷や穴からも思いが水が溢れ


芸術的にさえ映るけれど


ほんの少しでも


流れが弱まってしまうと


本来流れる場所へは


流れず


横に・横にと


思いが散乱してしまうと思うの


そのポースの傷や穴は


自分が


いつも心わずらう出来事であったり


無意識に


自分に意識を向けず


誰かの事ばかりが


気になっていたり・・・


そんな時に


知らぬ間に


作られてしまうんじゃないかなって


感じているの


よく女性同士のグループが


集まると知らぬ間に


その場にいない


誰かのお話になっている事って

あるけれど


決して悪口などではなく


その方を心配しているという


表現をしながらも


そのお話しから離れる事がなく


いつまでも


自分自身というテーマに


たどり着かない時って


あると思うの


本当はそこに


答えなどは求めていなくって


ただ言葉が絶えないように


自然に提案した


テーマだとはおもうのだけれど


このような


何気ない時間が自分自身に


ダメージを作ってしまう


時間なんじゃないかなって


思うの


思いが溢れエネルギーが


通るコースはホースのように


一本から繋がり


流れてゆくものだから・・・


とても恥ずかしいお話しだけれど


昔・何もかも1の労力で


10倍以上の恵みを


受け取っている方がいて


私はその方の事が


とても気になり


初めは気になって


見つめていただけなのに


気がつくと


友人などに


その方の事を


否定し・ねたみ


自分が何かをされたわけではないのに


相手を憎むような


発言をしていた事があったの


大半の友人は


私と同じように感じていたのか


同じような空気を広げ


救われない自分たちを


見つめる事からはなれ


多くの時間を


その方に向けていたの


でもある友人が


その時


「あなたは自分の幸せを望んでいないの?


相手の不幸を望んでいるの?


どっち?


幸せになりたくないの?」と


私に尋ねてくれたの


その時私は


「もちろん幸せになりたいよ」というと


「じゃ-相手の事に


エネルギーを流さない方がいいよ


人間はそんなに


いっぱいエネルギーが


あるわけじゃないんだから


もったいないよ」と


伝えてもらったの


その時は


まだ理解が出来るほど


私は成長していなくって


よくわからなかったけれど


時間と共に


ゆっくりと深く


理解できるようになったの


彼女が伝えてくれた言葉から


良い思いも


そうではない思いも


意識を向けた方へと


流れてゆくから


自分を自分の思いから


生まれる


エネルギーを向けて


満たす事の


大切さを教えてもらった気がしたの


それ以来


意識が流れる方向に


物事が進展してゆく事を


実感しながら


過ごしているの


よく悪い事は重なるという言葉が


あるように


初めはたったひとつの小さな


ネガティブな


思いだったはずなのに


その小さな思いが


仲間を導いて


類友の法則が語られているんじゃないかなって


感じていたの


日常には


まるでベルトコンベアーのように


様々な答え・ヒント・アイテム・などが


流れていて


その時々


自分が何色のメガネを


心にかけているかで


見えないもの・はっきりとみえるものに


わかれるだけで


目の前を流れているものは


本当はみんな


そんなに変わらないんじゃないかなって


感じているの


めがねの色が何かのタイミングで


気づかないうちにチェンジして


今まで心惹かれなかった事に


心惹かれるようになったり


学びたい思いが高まってきたり・・・


それとは逆に


何を見つめても感動できなかったり


人間のいやな部分にばかり


意識がひかれ


そんな自分を愛せなくなったり・・・


めがねの色をチェンジするのは


意識で変えられることも多いから


今心惹かれなかったとしても


あえて


美しいものを見つめたり


幸せに包まれている方の


お話しに触れたり


人が集まる場所へ足を運んだり・・・


初めは


心惹かれない分野の場合は


とても退屈に感じたりするかもしれないけれど


私たち人間の中には


意識とは別に


記憶とエネルギーをしまって


置く場所があるから


よい波動を吸収する


時間をほんの少しでも


作る事で


何かが変化して


行くと思うの


よく氣の世界では


0磁場という表現があるのだけれど


それはきっと


ふたつのエネルギーが


ぶつかり合って


作られる調和の取れた場所を


意味していると思うんだけれど


きっと人間の中にも同じように


エネルギーが


存在していると思うの


人に教えたい気持ちが溢れたり


自分自身の免疫力が高まったり・・・


学びたい気持ちが育まれたり


人を癒す力が生まれたり・・・


まったく逆のエネルギーの働きだけれど


調和が保たれている時には


すべてがスムーズに流れているけれど


そのエネルギーのバランスが


保たれなくなった時


心身にサインとして


伝えてくれると思うの


エネルギーはまるで


水のように


高いところから低いところへ


流れるものだから


自分でエネルギーの低下に気づけたならば


エネルギーが溢れた場所やもの


人・音etcに


ふれる事で


エネルギーが魂の中に


注ぎ込まれると思うの


そしてやがて


小さな傷や穴があいてしまった


エネルギーを通す


ホースのようなものを


自分で修復する力を


受け取って行けるんじゃないかなって


思うの
















日本がWBCで


優勝し


野球に詳しくない


私も


とても嬉しさに包まれているの


つい数日前には


審判員のジャッチにより


勝てるはずだった試合が


クリアする事ができずにいたのに


変えられない


ジャッチとは別の形で


真実が表明され


優勝という


大きな幸せを手にして


その姿を見つめながら


やっぱり人間が


計算してずるをしても


帳尻を


神様があわせてくれるんだなって


とても感じていたの


ここ数年


世界のリーダーといわれている国の


行動や言動etc


様々な形で


世界から問われていて


昔のように


力関係だけで


永遠に人を導く事の


難しさを


伝えてくれているように


感じているの


その時


ふっと昔読んだ本を


思い出していたの


極道といわれる世界に暮らし


その後様々な転機があって


牧師さんになられた方の本なの


その方は長年


力というものだけを


頼りに


いつも強く見せていたけれど


本当は毎日


心の中で


恐怖や失望を感じていたの


でも自分の暴力に


いつも耐えている奥さんが


クリスチャンで


日々


彼の幸せを願う姿を見つめ


彼が奥さんに


尋ねるの


その時神様について


話を聞いて


半信半疑ではあったけれど


少しずつ


信じる気持ちが沸き起こり


生まれて初めて


やすらぎを感じる


時間に包まれたの


その後彼は


極道の道から何も告げず


去ってから


牧師さんとして


過ごされているの


彼は


「テレビや本に顔を出すという事は


もしかしたら


命が狙われてしまうかもしれないけれど


自分の親分は神様だから


どんな事があっても


大丈夫」って表現していたの


その言葉は


信じる事の素晴らしさと


どんなに強い力のある方だったとしても


その方は人間なのだから


目に映る事は


コントロールできても


神様は


様々な方法で


バランスを整えてくれるという事を


伝えてくれているように


感じていたの


その言葉が


今回のWBCで


見せてもらった気がしたの


素敵な気づきを


瞳に映してもらった


本当に素晴らしいWBCだったなって


今とても感じているの














最近新たな家族として迎えた


猫の事を


知りたいなって思って


たくさんのデーターなどを


調べていた時


とても心惹かれた


データーがあったの


猫がご機嫌が良い時


よくゴロゴロのどを鳴らす事があるけれど


その行動は


ご機嫌がいいからだけではなく


自ら免疫力を上げている


魔法のようなものらしいの


人間が美しい音色に触れた時


心がやすらぎ


細胞が輝くような効果に


似ているんじゃないかなって


感じていたの


ただ猫のゴロゴロは


科学・医療などで


調べたら


骨の密度が増して骨の


強化している結果が


発見され


そのデーターを元に


ある有名なサッカー選手が


骨折した時ずっと長い時間


猫に触れる時間を作る事で


治りが早く


すぐに復帰されたお話しなどもあって


世界的にもイルカや猫・犬などの


人間と寄り添い過ごす


ペットの未知なる能力が


科学や医学の世界で


証明されて様々な分野で


私たち人間を


サポートしてくれているの姿に


本当に多くの事を


学ばせてもらっているの


そんな無言で


愛だけを与えてくれる生き物たちの


悲しいニュースが


ここ数年伝えられるたびに


私たち人間の中には


いつの間にか


愛を形に出来る


大いなる力と能力が


枯れてきてしまった方も


登場してきているのかなって


とても悲しくなるの


地球上の生き物の中の


リーダーとしてずっと長い間


人間は


自分よりも小さなものや


弱いものなどを


愛しむ気持ちが


本能として備わっているのだけれど


その本能さえも


停止してしまうほど


社会の中で


幸せを感じづらく


何を見つめても


希望が持てず


ただ時間が過ぎ行くままに


不安が増してしまい


その思いを一瞬でも忘れようと


無意識に信じられない形の


刺激を作り出しているんじゃないかなって


感じているの


その思いは下へ下へと流れて


絶対に自分を傷つける事が


できない優しいものへと


向けられているんじゃないかなって


感じているの


動物だけではなく


人間の中でも


これから成長を遂げようとする


お子さんだったり


お年を召された方だったりが


そのような思いを抱く方の


ターゲットとなるニュースが多く


言葉を失う事が多いの


それはまるで


大きな美しい海に


インクが数的加えられたくらいの事だと


信じているの


なぜならニュースは


当たり前になったものは


ニュースにはならないから・・・


それほど


まだまだ愛を胸に温めている方が


多い事を


逆にニュースは伝えてくれているように


感じているの
















友人と話しながら


今の時代は倍速で


物事が進んでいるという


お話になったの


今までならば


10年で成し得た事も


1年で形となったり


昨日まで


幸せに包まれていたかと思うと


明日には


崩壊していたり・・・


この流れによって人の感情も


アップダウンが大きく


まるで船酔いのような


言葉では


上手に表現できないけれど


適応が望まれている時期だと思うの


人それぞれに


倍速スピードは違うけれど


大きくステップアップを成し得た方ほど


スピードが速く


2日~3日で


展開が変わり


気持ちの切り替えを


必要とされると思うの


ゆっくりとライフスタイルを作られている方でも


1週間単位で


何かしらの展開があって


気持ちの切り替えを


学ぶように出来事が


訪れるんじゃないかなって


感じているの


この倍速の波は


ちょうど宇宙の流れの中の


スポットに今位置している事から


地球が影響を受けて


地球に暮らす


私たちにも


倍速で日常が


展開しているんじゃないかなって


感じているの


この時期は


気持ちの切り替えが


とても難しく感じられる方も


いるかもしれないけれど


その分展開が速いので


答えを導きやすかったり


思い煩う時間が


とても少なくって


すむ時期でもあると思うの


たとえ思い煩らう事があって


悩んでいても


すぐに周りが展開して


良い結果であったり


その逆の結果であったりを


届けられてくると思うの


あとは


その答えに


自分がどのように


対応したらよいのか?を


考えて歩んでゆけばよいだけだと思うの


今一番大切なのは


倍速で与えられる時間の中で


その時々一喜一憂しても


すぐに気持ちを切り替え


立て直すことで


心や魂が消耗する事なく


ゴールへと近づいてゆけるんじゃないかなって


感じているの












友人と最近


よく足を運ぶ


中国茶のお店で何かのきっかけで


ビーズでおしゃれした民族が


映った写真集を見つめていたの


その時無意識に


ビーズの秘められた意味や


歴史について話していたの


相手の方も様々な知識が豊富な方で


話に花が咲いていたの


でもふっとした瞬間


「なぜ?私はこんな事しっているのだろう」と


心をよぎったの


自分の事なのだけれど


どこでその知識を


受け取ってきたのだろうって


思う場面が


最近頻繁に訪れているの


そのお店の女性と友人とで


スピリチュアルなお話しをしていて


とても大きな気づきを


頂いたの


私が色々な事に対して


予言というような勘が


働くお話しをしていた時


彼女が


「あなたは頭がいいんだよ


それは予言じゃないよ


きっと膨大な知識が


自分の中に眠っていて


その時必要な情報やデーターを


引き出しているんだよ」って


伝えてくれたの


私は友人と瞳をあわせながら


「知識なんて


私はきっと他の人よりもないよ


学校も行かなかったから


歴史的なことも


社会のルールも何も知らなくって


毎日知らない事だらけでだよ」と


伝えると


少し驚かれていたの


でも私も日々


自分自身に驚く事でいっぱいなので


周りの方が驚くのも


最もだなって感じているの


ビーズに対しても


なぜか?とても深い思いが生まれたりして


若い頃から


高価なダイヤモンドよりも


水晶に心惹かれたり


価格的な価値ではない


別な角度から


何かを感じていたんじゃないかなって


感じているの


年を重ねる事によって


友人たちの幅も広がり


自分が知りたい事を


知っている友人が出来たりして


ビーズが儀式や祈りに


用いられていた大切なアイテムであったり


もっと古い時代になると


お金と同じように扱われ


美しく珍しいものは


価値が高く


多くのものと交換できた


歴史などを知って


心の中で導き出せなかった答えが


一致して


すとーんと


腑に落ちるような事が


多かったの


最近とても感じているのだけれど


人生の様々な出来事や


知識と出会うと


人はとても新鮮に


その事を感じたと思うけれど


本当はすべての出来事から


新たな事を学ぶというよりも


自分の中に元々宿り


眠っているものを


呼び起こしたり


目覚めさせているんじゃないかなって


感じているの


とても素晴らしい言葉や知識に


心が潤ったり


心が豊かになったりするのも


元々


その言葉や知識が


キーワードとなっていて


ドアの扉の鍵が


開かれただけなのだと思うの


そのキーワードが


人によって違いがあって


人の個性を作り出していると思うの


何かの記事で


病を癒す薬の開発での


新たな発見の多くは


身体の中に同じものを


持っているかが前提で


開発されているような事が


書かれていたの


共鳴しあうものがなければ


影響を与えないから・・・


今の医療では


ガンのように広がってゆく病の特徴を


受け取り


がん細胞が


自ら隅々まで


薬を運ぶような研究がされていたり・・・


今までは逆の流れを作る事が


とても大切だと思われ


無理なお薬によって


病と共に自分自身まで


小さく消えかかったりしてきたけれど


今の医療は


逆流をのぼる事から


流れを理解した


調和した医療へと


変化しつつあると思うの


様々な分野でも


意識の変化が育まれているのは


きっと意識していない私たちの中でも


意識が変わりだしているから


なんじゃないかなって


感じているの


そして自分の周りに


知識が豊富で


尊敬する方がいたとしたならば


きっと本当は


自分もその方と同じくらい共鳴しあう知識を


秘められていると思うの


知識が豊富な方は


たくさんのキーワードとなる鍵を


持っているだけで知識が少ない方が


劣っているののではないと思うの













過去の痛みの中にある


「差別」は


時に喜びの思い出としての


思い出でもあると思うの


例えば兄弟・姉妹の中で


同じ事をしていても


言いやすいからという理由だけで


自分だけが叱られたり


かと思うと


周りにふれあう誰かに


他の方よりも


優しくされたり自分だけが


何かをプレゼントされたり・・・


相手の方は


意識して「差別」をしようと思ってしている事は


少ないんじゃないかなって感じるの


ただ


その時のフィーリングや


その方の感覚的な


行為だったんじゃないかなって


感じるの


でも「差別」を体験された方は


その事が


大きな傷になったり


大きな幸せの思い出になっていたり・・・


私たち自身も無意識に


「差別」ではなく「区別」をしている


部分ってあると思うの


例えば


悲しみにくれて


お話だけを聞いてもらいたい時


ついいつも電話したり


会ったりする方っていると思うの


他にも友人・知人がいるのに・・・


かと思うと


楽しく幸せを受け取った時


その思いを2倍にしてくれる


明るく楽しい友人に


連絡をしたり・・・


それもある意味で


「区別」なんじゃないかなって


感じているの


もしかしたら


いつも悲しみを受け止めてくださる方は


「なんで自分にばかり


こんな話しをしくるのだろう


困った時だけ


私の元へきて・・・」と


「差別」を感じて


少し不愉快な


思いをされているかもしれないし・・・


やはり人生の行いって


お互い様なのかなって


思うの


私自身


生まれた時から


弟とはまったく違う


対応を両親はしてきたの


両親にとっては


意識して私を


悲しませようとしたわけでは


なかったと思うの


私から溢れる何かが


両親をそのような


行動に


導いていたんじゃないかなって


感じているの


良い意味でも逆の意味でも


相手の素の部分に


触れさせてもらえる


機会が多い私にとっては


両親を甘えさせてしまう


エネルギーがきっとあって


言葉では上手に表現できないけれど


まるで私が最果ての地のような


存在なんじゃないかなって感じたの


周りに心を配り歩き


疲れたら


戻ってくる場所のような


そんな感じなのかなって


理解できるようになったの


そのような


お話しをしていた時


パートナーも


幼い頃の「差別」や「区別」で


記憶に刻んだ


悲しみを話してくれたの


パートナーが幼い頃


文房具店でえんぴつ1本を


手にレジへ向かうと


その後に


ダースで何十本も


えんぴつを持った方が来た時


自分が出したえんぴつは無視されて


多くを購入される方が


優先された時


幼いながらも


「差別」や「区別」に


悲しかったようなの


それ以来彼は


どんなに小さな仕事でも


大切に


順番を入れ替える事なく


行うようになった事を


伝えてくれたの


その逆に幼い頃


近くに暮らすご夫婦から


自分だけに


お菓子をくれた話しを


笑顔で語ってくれたり・・・


きっと誰の記憶の中にも


「差別」や「区別」で


織り成される記憶を


秘めているからこそ


人の悲しみに共鳴できる部分が


育まれていたり


両方の体験をされたからこそ


人への優しさや


許しを受け取れる


スペースが作られているのかなって


思うの


そう思うと


「差別」や「区別」を体験され


本当に辛く悲しい


思い出を秘めている方は


人に優しいまなざしを向けられる


意識が


育まれたはずなのだから


人を憎んだり


ねたんだりする事で


もう自分を悲しみ色で


包む事なく自分のために


人を許し


自分にも優しいまなざしを


注いであげる


その時が


気づきを受け取った


瞬間から


スタートラインだと思うの









人間はとても


繊細で頭が良すぎてしまう


地球上で暮らす


生きものだから


必要以上の


データーや情報をストックしすぎて


自ら不安や


ストレスを作り上げてしまう事って


あるんじゃないかなって


思うの


人間は複雑な情報を


いつもストックしていて


人間関係では


その情報を上手に引き出しながら


「この方はこうしたほうが」


「この方は・・・」など


同じ出来事や場面でも


その方の状況などに合わせて


頭をフルに


働かせていたり・・・


人間の脳は


空いたスペースで


何かを表現するアイデアを作り出したり


空いたスペースで


本を読んだり


言葉を書いたりしているみたいで


気がつかないうちに


脳が疲労していると


本を開いても


進まないまま閉じてしまったり


文字を書いたり・読んだりしたい


気持ちが失われるようなの


そのような小さなサインが


訪れた時には


脳が休息を求めているから


何も考える事なく癒される


美しい映像だけが流れる


DVDを見つめたり


逆に


現代社会の恩恵をすべて


手放す時間を作って


PCや携帯電話・テレビなど


当たり前にふれているものを


一時的にOFFにしてみると


いいと思うの


初めはもしかしたら


自分で思っている以上に


そわそわしてしまったり


退屈間が生まれたりして


禁断症状のような体験が


あるかもしれないけれど


その当たり前にふれるものを


当たり前に使用できる


データーが頭の中に


無意識のうちにいっぱいになっているという事を


感じると思うの


そのデーターを


整理するためには


一時的に空間が必要なんじゃないかなって


感じるの


私たちは毎日何気なく


目にしたり耳にしたりして


多くの情報を


無意識に吸収して


記憶にとどめてしまうほど


進化した優秀な生き物だから


自分と関係のないデーターも


人とのコミニケーションの話題のひとつに


ストックしていたりして


頭の中が


整理整頓する暇が


なかなか作れていないんじゃないかなって


感じるの


その忙しい働きの中に


新たに数年前から


テロ事件などから


広がった不安という意識が


誰の中にももたらされて


いつの間にか


不安と結びつく


情報だけが強く瞳に止まったり・・・


脳の中は


いつもスペースが少なくなっている


状態なんじゃないかなって


感じるの


毎日を必死に


頑張って生きる事だけに


意識が向かい


日々疲れている方も


多いんじゃないかなって


感じるの


それはその方だけが


作り出した事ではなくって


連鎖的に受け取る情報が


今の時代は多くって


その疲労がピークへ来た時


初めて立ち止まり二つの道へと


別れてゆくんじゃないかなって


感じているの


立ち止まるという事は


すべてを失う事だという


意識で頑張られた方ほど


その思いの通り


自らこの世を去る選択をされたり


同じように立ち止まって


様々な環境が変化しても


これが本来の私という意識が


目覚められた方は


新たなスタートを歩まれるんじゃないかなって


感じているの


今の時代の二極化・三極化は


大きな不安と希望が


一緒に進んでいる


不思議な時代だと思うの


メディアの影響を受けて


それよりも下回っていたら


「自分はだめなのではないか」などの


意識を抱かれる方も


いるかもしれないけれど


流れている情報が


どの部分をターゲットとして


表現しているのかはわからないし


アップ・ダウンしたとしても


やはり


自分は自分の


与えられた幸せを


ひとつずつ


積み上げて言ったらいいと思うの


誰かと比較したり


誰かの望む幸せを


演じても


自分の人生というステージで


自分が演じたくない役を演じても


心から喜びが


感じられないと思うの


自分という


今鏡に映る存在で


与えられた人生は


今しかないのだから


たとえ「あの人のようには


なりたくない」と


思われるほど


輝く人生とならなくっても


自分が心から幸せならば


この人生は大成功だと思うの














パートナーと重ねた時間の中には


たくさんの痛みと


小さいけれど


とても力強い


心の体験をさせてもらったと


感謝しているの


独身の頃は雑誌の中で


一番初めに見るのは


占いの恋愛と金運だったくらい


ほかの事は意識しないくらい


整っている事が当たり前で


何でも


一人で受け止めてゆく勇気と


どんどん自分の意識が


向かう方向へと


扉を開き


良い意味で


周りに意識が


向かう時間がなかったの


そのおかげで


わがままではあったけれど


自分のエネルギーが


いつも満たされていて


自分を信頼できていたの


でも結婚という人生の


大きなイベントと共に


病までも授かり


それから


私の今までの良い部分も・悪い部分も


すべてに


大きな影響が広がったの


幼い頃から


不安いっぱいの両親と


過ごしてきた事もあって


寄り添う・手助けしてもらうという事が


とても苦手で


どんなに辛くっても


自分ひとりで


解決し


頼る事はいけないことだとさえ


私の中では


思い込んでいたの


でも病の痛みが私を包むたび


肉体的な痛みだけではなく


これからの未来にまで


不安が広がって


前を歩むための


灯火が消えかかった事もあったの


そんな時


パートナーが背中をさすり


「大丈夫だよ俺がいるから


絶対に守ってあげるから」って


私に言葉を伝えてくれたの


その瞬間


涙がこぼれ


彼との時間の中で


許せなかった出来事までも


溶かしてくれたの


その時


私は自分が愛する


両親に「もう大丈夫だよ」って


ただその言葉を


ずっと言ってもらいたかったんじゃないかなって


感じていたの


何か形として


助けてもらいたいわけでも


相手の時間を


私にすべて注いでもらいたいわけでもなく


ただ「私がいるからもう大丈夫」って


言葉がほしかったんじゃないかなって


その時感じたの


自分が感じていた以上に


いつも自分なりに幼い頃から


張り詰めてがんばっていたのかなって


自分の足を無意識に


さすってあげていたの


「自分がいるから大丈夫だよ」って


言葉は


とても力強くやわらかくあたたかな


毛布に包まれるような気持ちに


させてくれるけれど


その言葉を表現する方は


責任感やこれから相手の人生をも


支えなければならないような


感覚に包まれ


近くにればいるほど


なかなか思っていても


表現できない言葉なんじゃないかなって


感じていたの

それから数年を重ね


Hpという新たな扉が開かれ


多くのあたたかい言霊という


エネルギーを注いでくださる


多くの方のおかげで


消えかけていた灯火も


いつの間にか


たいまつのように


大きな炎となって


周りまでも照らしてくれたの


そのおかげで


両親との関係を見直す勇気や


自分を信頼する力が


また育まれていったの


そんな中で


言霊の神秘的な力を


再確認させてもらい


言霊として


言葉を表現する事の大切さを


諭された気がしたの


簡単に言葉にしてしまうと


無責任に映るかなって


感じていた言葉もその言葉が


言霊として


心身にお薬のように心地よく


効果を届けられたならば


それでいいんじゃないかなって


感じられるようになっていたの


私が幼い頃


よく両親が


人を殺すには刃物はいらないという


昔から伝わる言葉の意味を


私が誰かの言葉で


傷つき涙を流していると


伝えてくれたの


励ますのではなく悲しいのは当たり前


弱いから傷つくのではない


言葉はそれほど


力があるものなのだと今思うと


いつも教えられていたような気がするの


言葉はそれほど


ダメージを心身に与えられるのだから


逆に見つめたら


言葉は人を救う事も


出来るって事なんじゃないかなって


幼い頃


ひらめいた記憶があるの


でも成長と共に自分を守るために


言葉の刃を尖らせていたり


必要以上に


自分を大きな存在に映るように


言葉を学んだり・・・


私たち人間のように


知能レベルがアップしてくると


言葉を自分の中で


無意識に


レベルわけするスペースを


持っているため言葉が美しいと


伝えている内容よりも


その単語のレベルに意識が向かい


わからないうちに


マインドコントロールされやすい


部分も持ち合わせているんじゃないかなって


感じているの


本当は言葉の美しさだけではなく


その言葉の中に伝えてくれる方は


どんな思いを込めてくださっているかが


何よりも大切だと思うの


精神世界的な事を


学びだすと許しや愛以外は


あまり表現してはいけないような


思い込みから


断る事・怒り・疑うなどの


自己表現が生まれても


押し込めてしまわれる方も


いると思うけれど違うものは違うでいいのだと思うの


ただ怒りや疑いなどが


日頃の心に積もったごみを捨てるために


ターゲットを探しているのでなければ。


だって精神世界に一番必要な事は


自分がどのように感じているのか?


自分はどの方向を向いているのか?など


自分を中心として


周りを見つめる生き方を


提案してくれているものだと思うから・・・


以前私自身もそのような考えに


包まれていた時


ちょうどグットタイミングに


まるでテスト用紙が


届いたかのように


ある会社から電話がかかってきて


その方は熱心に


人生の成功哲学を語り


教材のようなものを購入する事を


進めてくれていたの


そのような分野はとても


心惹かれる分野なので


話を伺いながら


疑問に感じた事を色々尋ねていたの


その時何気なく


相手の方が


「あなたはそれでいいのですか!


成功したくないんですか!


理屈ばかりでは


負け組みになってしまいますよ」と


言ったの


その時その言葉が


私の心の何かに響いて


一番疑問だった


質問をストレートにしてみたの


そしてもしその疑問がクリアになったならば


この情報は私に必要があって


もたらされたものなのだと


思えると思ったの


そして相手の方に


「なぜ?そんなに人生の成功する方法を


一番そばで一番詳しいのに


あなたはいつまでも


電話でセールスマンをしているのですか?」と


尋ねてみたの


私は信じたいからこそ


疑問を伝えたのだけれど


相手の方は急に


人が変わったように大きな声で


「あなたのような方は


一生くだらない人生を歩むでしょう


今まで私は時間と電話代をかけて


とても損した気になりました


もういいです」といって


電話を切られてしまったの


その数日後には


よくテレビなどで伝えられているような


形の浄水器を・・・などと


笑顔で語りながら


進める方が訪れ


相手が伝えたい事をすべて受け取り


その言葉の単語の美しさとは違う


疑問が生まれた時また何かを尋ねたの


そうしたならば


あわててもういいですといって


帰っていったの


その話しを


友人としながら


疑うって言葉の表現は


あまり良い音色ではないけれど


信じたいからこそ気になる部分を


クリアしたい行動の表現が


ワンクッション置いた形を


疑うというのかもねって


話していたの


ここ数年


言葉の波動を上手に


用いられた形の事件が


伝えられるたびに


肯定後の後には


否定後として断りずらい心理も


働いて展開している


問題あるビジネスも多いので


自分から生まれた


怒りや疑う感情は


ネガティブな事ではなく


逆にポジティブな未来を作り上げてゆくのに


必要な時もあるから


いつも自分の心に


耳を傾けてあげる事が


大切なんじゃないかなって


感じていたの






Sallyの宝石箱☆2006年3月☆私が思うこと