2006年2月


いつものようにあっという間に



1月が終わり



また一歩春に近づいてゆく喜びを



雪道を歩きながら感じていたの



昨年の終わりから



手術を決意してから



様々な検査や担当医の先生との



長い時間の対話で



多くの心の体験を



させていただいていたの



その中で



同じ病を持つ方のそれぞれの決意を



先生から伝えていただき



秘められた女性の強さを



改めて感じていたの



ある方は子供を望み



どんな痛みにも耐え



モルヒネのような強い薬を



投与しながらも母になるまで



頑張っている女性や



痛みからの開放を望み



ひとつの未来を手放し



健やかな日々を



手にしたいと手術を決意される方



どちらの方も



強い決意がなければ



受け入れられない



人生の体験だと思うの



そのようなお話しをいつも先生としながら



きっと先生は時間をかけて



私自身が心と対話できる



機会を与えてくださっているのかなって



感じているの



先生は私がどちらを選択しても



不可能な事はないから



あとは私次第だと伝えてくれるの



テーマは



子宮の病についてのお話しなのだけれど



先生から溢れる言葉の中には



どんな時にも



自分が何を望んでいるのかが



最も大切だと



教えてくださっているように



感じていたの



先生自身も



子宮に病を持っている事を聞いて



きっと私が言葉として



表現できない微妙な心の動きを



理解いただいているんだなって



心が繋がり合うのを



感じていたの



意外と何か問題があった時



一番大切なはずの



自分の心が望むものよりも



周りの流ればかりに



意識を向けている事って



あると思うの



そして自分の世界を



自分で変えられるんだよって事も



忘れかけてしまっていたり・・・



先生と話しながら



いつも自分が前世で医学博士だった



記憶が所々蘇ってきて



自分の病について



お話しているはずなのに



人体の神秘や不思議を



レントゲンを見つめながら



ぼ~っとちょっぴり楽しんでいる



自分がいたりするの



病を持たなければ出会えなかった



縁もたくさんあって



今も親しくさせていただいている方も



多いからその部分だけは



心から感謝しているの










人生って大きく見つめると



「出会い」というものから



育まれる愛・経済・喜び



ゆめ・希望etcを体験したり



悲しみ・憎しみ・妬みなど



すべて



「出会い」というものがなければ



知ることのない



自分の心を知ったり・・・



「出会い」ってとても大きな可能性を



秘めているんじゃないかなって



感じているの



「出会い」にも様々なカラーがあって



その時



自分とフィーリングがあう



類友の法則で



縁が結ばれてゆくと思うの



私の知り合いの方で写真やアートを



仕事とされている方がいるのだけれど



これといって他の方よりも輝いていた



才能があったわけでもなかったけれど



彼の友人の友人が



個展を開く事をきき



彼は友人とその方の個展を見に行ったの



その時その会場に



彼のあこがれるアーチストの方も



来場していたらしく



その後個展の成功を祝うパーティ-が開かれ



アルコールも飲んでいた事もあって



緊張からも開放され



いつものありのままの彼になって



その場を楽しんでいたみたいなの



それから数日後



またみんなで飲もうと



誘われどんどん親しくなって



気がつけば海外の憧れの方の



スタジオで今は働いているの



そのお話を聞いて



このような速い展開は



「出会い」ならではの



魔法のようなものだと思うの



例えば



どんな分野にも



有名な方がいるけれど



何かひとつを見つめても



時には隣に住む年配の女性の方のほうが



お花のアレンジが素敵だったり・・・



癒しの言葉を伝えてくださる



有名な方よりも



そばにいる友人の方が



心ある癒しの言葉に溢れていたり・・・



お帽子なども



町の片隅で



ひとつずつ大切に丁寧に



技術も素晴らしかったり・・・



有名な方が最も優れていたわけでも



有名じゃないから



技術が良くないわけでもなくって



私が感じているのはすべて「出会い」から



広がった世界へ導かれた結果が



違いを生んだだけなんじゃないかなって



感じているの



素敵な出会いが自分でも気づかない



才能を引き出してくれたり



出会いが



人生の闇から救い出してくれたり・・・



「出会い」は自分が選んで



「出会う」ものではなく



日々自分自身が何を思い



何を望んでいるのかが



縁を引き寄せてくれるんじゃないかなって



感じているの



例えば



今自分の周りに同じ趣味や夢を



持つ方がいなかったとしても



1人の友人から繋がる



縁の数は



きっととても広い範囲で結びついていて



どのような形で縁が結ばれ



そして自分自身も



縁結びをさせていただくのか



わからないと思うの



「出会い」ほど愛を速いスピードで



広げられる魔法は



ないんじゃないかなって



感じているの










節分を迎えて



やっと新たな年が



始まるような思いがいつもなぜかあるの



日本の古典的な占いなどでは



よく節分を節目として語られているから



きっとその意識が



私の中にもあるのかなって



感じているの



幼い頃は



殻つきの落花生と



なぜかお金(小銭)をティッシュに包んで



一緒に蒔いていた記憶があるの



子供ながらに節分は



欲しいものを買えるお金を手に出来る



嬉しい日だったの(笑)



最近では



自分なりにアレンジを加えて



様々な種類の豆に



「幸福」って刻み



煮豆にしてパートナーと


年の数だけ


幸福を頂くイベントとなっているの



その地域それぞれに



受け継がれる幸せを願う行事は



きっと日々の忙しさから



幸せを願う事を忘れてしまっている



心に再確認させてくれる



日なんじゃないかなって感じているの



節分を節目として



それぞれの方の運の流れが



変わる時でもあるみたいだから



その日に



幸せへのおまじないを意識して行うことで



幸せになるよ!って



自分の魂に強く



伝えられる日なのかなって



感じていたの













久しぶりに両親に会ったの



ここ数ヶ月は



電話で話しする事が多くって



声での交流ばかりだったの



久しぶりに会ったら



あまりにも速いスピードで年を重ねたように



髪は白く



その姿を見つめた瞬間



言葉では表現しなかったけれど



どれだけ



私の身を案じ


心配されていたのかを



感じていたの



そして口から溢れたの言葉は



「身体を切る以外に



何か他に方法がないもんかなー」と



何度も何度も



唱えるようにつぶやいていたの



そして



私が連れていった



新たな家族となった猫を



可愛がってくれていたの



私はその瞬間



魂から言葉が届けられ



両親に感謝とお詫びと



様々な言葉を伝えようと



何度も思ったのだけれど



言葉がひとつでも



私の口からこぼれた瞬間



きっと涙も共に溢れてしまうように



感じて



言葉を表現できなかったの



でも記憶の中で



心が一番近く感じられた



素敵な日となったの



その後



パートナーの両親が暮らす場所も



近いので足を運ぶと



その時



パートナーのお母さんから



「お医者さんが見離した病気も



治る事があるからさ



あなたなら治せると思うんだけどな・・・」と



宗教家のお母さんは



何度も伝えてくれていたの



この偶然の一致の数日後



病院で担当医の先生と話す時間があって



先生が



様々な患者さんや治療法などを語られ



「私は医者だから



西洋医学という



早く結果を出せる医療しか信じてないけど



患者さんの中には



後がないほど悪化して



痛みも想像を絶するほどの人が



いたけれどお灸や鍼などで



悪化がストップしている人はいるよ



あなたも早急に結果を出さなければならない



病気ではないんだから



ゆっくり結論を出したらいいと思うよ」など



伝えてくださって



この多くの一致が



とても心に残っていたの



その後も



Hpで繋がり合う



ソウルメイトの方の中に



気功を進めてくださる方が数名いて



その時



何か私の中で



楽しさという表現は



少し違うかもしれないけれど



せっかく痛みという


本物か?そうではないのかを


意識や思いではない



もっとはっきりとした判断材料があるのだから



試してみても



いいかもしれないなって



感じていたの



そしてもし緩和されたり



病が小さくなることがあったならば



今同じように



悩みを持たれている方に



伝える手助けもできるし・・・



病巣を取る事はいつでもできることだから



この流れに



少し乗ってみようかなって



今思っているの














母が最近とても楽しげに



過ごしていて



心満たされているの



理由を尋ねてみると



初めて同じ年代の



心から話せる友人の存在ができた事を



話してくれたの



そして



「あんたがずっと



友達が大切だって言っていた意味を



この年で感じるようになった」って



伝えてくれたの



私はそんな母がとても



輝き嬉しくって



私まで



喜びを分けてもらっているの



母親って家庭を守り



そしていつも家族のバランスを整えるために



経済的にも時間的にも



自分が使えるゆとりが



あまりなかったと思うの



私が幼い頃



仲良くさせていただいていた



ママ友も



子供を繋いだ関係から



広がる事もなく



子供たちが大きくなると共に



お付き合いもなくなり



きっと母も寂しかったと思うの



でも友人って作ろうと思って



すぐに出来るものではないし



そんな中でいつも話せるのは



娘の私へと向けられていたの



でもお互いに



世代や立場・環境など



様々なものが違っているから



本当に心から開放される喜びを



作り出す事は難しかったと思うの



今同じ年代の友人とは



きっと子供の事・パートナーの事



孫の事



仕事の事など感じる感覚が



理解しあえるから



楽しい時間を過ごせていると思うの



私自身も母の事を誤解していた部分や



知らなかった部分に最近ふれて



母の元を選んで生まれてきて



本当に良かったって



深い部分から



感謝が湧き上がってきているの














私の両親はまったく違う価値観で



不思議と結ばれた夫婦なの



育った環境も



歩んできた道も違っていて



幼い私は



なぜ?結ばれたのだろうと



とても不思議に感じていたほどだったの



例えばホームレスの方がいて



寒そうだったので



家で使っていない



毛布を私が届けた事を家で話すと



父は「自分で望んで



楽なそういう生活をしてるんだから



同情する事はない関わるな」と言い



母は「誰も好き好んで



そのような生活をしたくて



生まれてきたわけじゃなくって



そうなってしまったから



仕方なく受け入れて生きているんだよ



人を見下すほど



あなたはえらいの?



頑張って報われる



恵まれた人間ばかりじゃないんだから



出来る事はしてあげなさい」と



表現するの



この二つの意見はどちらももっともだなって



幼い私は受け取り



そして



自分なりの答えをいつも出してきたの



どんな出来事でも



私の家庭では



二つの意見が正直に語られてきたおかげで



ひとつの意見だけにとらわれることなく



過ごす事が出来たの



この間も



ショッピングセンターで



両親とベンチで休憩していると



ダウン症という個性を持った



小さなお子さんを連れた



若いお母さんが横に座ったの



その時そのお子さんが


ニコニコ私の顔を見つめたので



「いいねぇ~お母さんといつも一緒にいられて」って



笑顔で伝えたら



ニコニコお子さんは喜んでいたの



その瞬間



隣にいた若いお母さんは顔を覆い



泣き出してしまったの



その瞬間



私はすぐに謝ったのだけれど



その若いお母さんは



「違うんですいつもこの子といると



大変だね・気の毒にねって



言われるの



出産の時も



みんなおめでとうって言われているのに



私はこの子がいる事で



不幸なのだという前提で



人が言葉を言うの



私は幸せなのに



幸せだねって言われたのが



初めてで何かこみ上げちゃって・・・」と



大粒の涙を流しながら



一言一言



言葉としてくれたの



その時



両親は下を向き



若いお母さんが去った後



二人とも



「反省しなきゃならないな



よかれと思って言った言葉で



そんなに傷つけるんだな



考えて物を言わないとな」って



とても大きな愛の悟りを



感じていたの



私がその時なぜそのような言葉が



溢れたのかというと



昨年末から



新たな家族として迎え入れた



猫のおかげだと思うの



どこへ行くにもつれて行きたいほど



気持ちがあっても



入れる場所が限られていて



一緒に楽しむ事ができない時



人間のお子さんと比較すると



怒られてしまうかもしれないけれど



一緒に喜びを共有できる



人間の子供は



幸せだなって感じる事があったの



人から見つめて



「あのような状態ならば不幸」



「あんな風にはなりたくないよね」など



思われる状態の方がいたとしても



本人は幸せだという事も多く



逆に幸せ芝居で心を開放できずに



辛い時間を



重ねられている方もいると思うの



人によっては



共に悲しみを共有してくれる事に



癒される方もいれば



「あなたは幸せなんだよ」って



その方の幸せをひとつ・ひとつ伝え



祝福する事で幸せが広がる方もいると思うの



私自身も



今回何気ない出来事から



人の心に向けられる慰めが



人の心を傷つけ



逆に



素直に相手の幸せを受け取り表現する事が



大切な時もある事を



知ったの
















いつも



自分の身体で様々なエネルギーを



実験的に



楽しみながら受け止めているの



自分個性の中には「電気」というものに



とても強く反応しあう部分があるの



例えば感情的になったり



精神的にパニックが続いてしまうと



お部屋を照らすライトが微妙に反応したり



電化製品が故障してしまったり・・・



そのような個性があるので



「電気」を用いた健康器具なども



なぜか身体が



耐えられないほど痛み出してしまうの



以前友人が



私の身体を気遣ってくれて



強い電気を流しながら



身体の滞った部分を正常に近づけるという



健康器具を使える場所へ



連れて行ってくれた時にも



その後耐え難い痛みで



良い結果へと結びつかなかった事が



あったの



それ以来



「電気」というキーワードを



意識しながら避けていたの



そして今回



友人からゲルマニウムの施された



ブレスレットを頂き



私も耳にした事があったので



早速感謝し付けてみたの



それから数分後



すぐに具合が悪くなってしまい



またあの頃のような



痛みが広がってきたの



なぜだろう?って不思議に思い



様々な情報を探して


瞳に映ったのは



私の個性のキーワードともなっている



「電気」という言葉だったの



ゲルマニウムには半導体特有の



相手がプラスの電気を持っていると



マイナスに相手がマイナスの



電気を持っていると



プラスになる働きがあるみたいで



身体に流れる



電気を帯びたものと



結びつく性質があるみたいなの



多分病のある部分には



強く電気を放っているから



その部分を調整してくれる



作用がゲルマニウムには



秘められているんじゃないかなって



感じていたの



でも私の中に秘められた個性には



「電気」というものが



フィットしてくれないので



身体に良いといわれるものでも



使う事が出来ないみたいなの



きっと人それぞれに



秘められた個性って



あるんじゃないかなって



感じていたの



私の友人の中には



「フルーツアレルギー」の方がいて



本人はフルーツが大好きで



よく食していたのだけれど



偶然何かのきっかけで



アレルギーを持っているのかを



調べていただける機会があったみたいで



その時初めて知ったみたいなの



それ以来友人は



気になってそのフルーツを



食さないようになってから



今まで持病だと思っていたものが



消えたみたいなの



そのお話を聞いてから自分でも気づかない



不調和なものを感じる事なく



受け入れられている方も



多いんじゃないかなって思っていたの



私の場合は「電気」というものへの



敏感な反応のおかげで



物質や空間に流れる



電気のようなエネルギーを



感じやすいのである部分では



判断基準のカテゴリーが増えて



助かっている部分も多いの



最近では物を購入する時にも



なんとなくそのものから発する



電気のようなエネルギーを



感じやすいので



作られた国などの



表示を見ないようにしながら



心の中で


その国を当ててゆく事を


楽しんでいるの


そして


その国独特のエネルギーを自分の中に


記憶しようと試みているの


そうする事によって


刻印や表示に信頼を寄せるのではなく


自分が感じるものを


信頼できるようになるかなって


楽しんでいるの














最近病という個性を持って


過ごされる子供たちが


テレビなどで


紹介される事が多く


なせ?今という時なのかなって


ふっと考えてみたの


きっとそれは


今までの時代から進化を遂げて


誕生の扉を開いたご両親への


厳しい瞳や慰めなどではなく


そのお子さんから溢れる


愛をストレートに


受け取る事が出来る方が


この世界に増えてきたという


証だと思うの


そして社会の中でいつも大人たちの


フラストレーションを


ただただ受け入れるしか出来ない


子供たちが様々な場面で


ニュースで伝えられるような


被害者へとなっている事が多い


今という時だからこそ


子供たちから溢れる


無言の主張を


私たちはテレビという形で感じる必要があるのかなって


感じているの


子供は言葉という


コミニュケーションの辞書には


まだまだ多くの


選択できる言葉がないから


その言葉を受け取る


大人たちがインスピレーションを働かせて


あげることが大切だと思うの


大人同士でも同じ事かもしれないけれど


言葉だけに意識を集中してしまうと


言葉の流れが美しいか?


「私ならばこういうわ」などの


相手の本当に伝えたい思いやりよりも


言葉尻ばかりが


気になってせっかくの縁を


あたためあう事ができない時って


あると思うの


誰でも同じ言葉の辞書を


持っているわけではないから・・・


相手の方が


何を伝えたいのかを


愛のフィルターで見つめてあげると


相手にもそして


自分の中にも愛が流れ込んでくると思うの












最近とても氣というものに


心惹かれてそのご縁で今までは知らなかった


知識を頂いているの


病を癒す氣を


受けられていくうちにその方ご自身も


氣が高められ


人を癒す事ができるように


なったり


氣をコントロールしながら


様々なことを成し遂げられていたり・・・


氣というものを


注がれ


秘めていたパワーが


目覚めてゆく方などがいて


病を癒すという部分だけではなく


秘めているエネルギーにも


刺激を与えてくれるみたいなの


今思いやり溢れる多くの方から


気功師の方をご紹介いただき


私の少ない知識では


判断がなかなかできず


ランダムに


選択させていただこうと思っているの


そして自分とフィーリングが合う


エネルギーを感じる事ができたら


いいなって思っているの


そしてその方から


大いなる癒しを


感じられたならば


病でせつない思いの中過ごされる方にも


ご紹介させていただけるし・・・


もしも運良く


私の中に秘められた


エネルギーが刺激を受けて


私自身が誰かを癒せるような


パワーを授かる事が出来たならば


今までとは違う


目に映る形で


愛を手渡してゆけるんじゃないかなって


感じているの


元々電気という個性を


キーワードとして持っているので


その体から溢れる電気を


漏電や感電(笑)などで


上手にコントロールできなかった部分を


少しでもコントロールする事が


できたならば


きっと大きな使命へと


出会えるような気がしているの


日本語の中には


「氣」を用いた言葉が多く


きっと現代の魔法のような医療が


誕生する前には上手に氣と


おつきあいしていたんじゃないかなって


感じているの


人が瞳を向ける方向には


良くてもそうではなくても


エネルギーが流れ


影響を与え合う事から


昔から「生霊」などの表現で


人からあまりよくない感情を


持たれない方が良いとか


その逆で


誰かに守られているような


エネルギーを感じたり・・・


日本語の中にある「気」という言葉が


使われた言葉を見つめると


面白いほど「氣」というものの


流れを


受け取れるの


気を使う・気が滅入る・気が抜ける


気が合わない


元気がない・気づき・気がみなぎる


気がある・気を入れて取り組むetc


すべて人間から生まれる


エネルギーが言葉となっている


日本語は語源がとても


わかりやすいと思うの


生命を持つすべてのものには


きっと気が宿り


その気で無意識に日々何かを


感じ取り
自分らしいと思っている


性格までも


作り上げているんじゃないかなって


感じていたの


何気なく言葉としている


「気があわない」という言葉も


その言葉をストレートに


受け止めると


「気があわない」物や人と


長い時間過ごす事によって


そこには摩擦というものが生まれ


お互いにとって


あまり良くない影響を


与えあってしまうと思うの


その逆に「気が合う」場合は


少しくらいの違和感に出会っても


乗り越えられる力を与え合ったり


お互いに整っていない心の状態までも


無意識に修整しあえたり・・・


人間は知性というブレーキを持って


コントロールできる生き物だから


瞬間・瞬間フィットさせる知恵や


気が合わないことを理解したうえで


お付き合いの形を選択できるから


つい無理を自分にかせてしまう事が


あると思うの


そんな時は人間としての知恵を


使った時間だけ


心弾む楽しい時間に身をおくことが


大切なんじゃないかなって


感じているの


私自身


自分が歩んできた道を


思うと誰かのために


小さな自分の予定をキャンセルしたり


本当は眠たくっても


相手のお話に付き合っていたり


小さな事ならば


自分のカラーを出さなければ


自分以外は


みんなスムーズに笑顔になれると


思っていた時があったの


でもそんな形の思いやりは


病という形で


相手にもご迷惑をかけてしまうと


初めて気づかされたの


結局気を使いすぎてしまい


自分の中に余力が


少なくなっているよって


病は教えてくれていたんじゃないかなって


今は


感じているの


その体験から自分が望むことを


大切にすることを


意識するようになったの


私の場合は病を秘めている事が


周りの方にひとつの理由として


理解して受け止めていただけているので


スムーズに心の自己実現が


できたけれど


瞳に映らない心の問題は


時には甘えと受け止められたり


わがままという形で


誤解を受けてしまう事も


あるかもしれないけれど


自分という存在は


頭と心と身体の三つのパーツが共に


手を繋がなければ平和な調和が


保たれないから


上手に言葉として表現できないけれど


自分だけ我慢すれば・・・などの思いは


自分の中に宿るエネルギーにも


周りの方にも素敵なエネルギーを


広げられなくなってしまうと思うの


気という瞳には映らない


エネルギーの交換が


大切な友人を引き寄せてくれたり


愛する事を教えてくれる人との


出会いを認識させてくれたり・・・


これだけ科学や医療が進歩しても


完璧な状態の人間を


作り出すことができないくらい


人間には自分が思う以上に


すべてが神秘を形となったものだと思うの


無意識に心臓を動かし


呼吸をし


記憶という膨大な過去からの


情報をストックし


未来に必要なものだけを


ピックアップできたり


それ以上に


様々な機能を秘めた人間は


一人一人が


奇跡の人なんじゃないかなって


とても感じているの












オリンピックを


ゆっくりと見つめる事が


今までなかったのだけれど


今回は


美しく優雅な世界の衣装と演技が


いくつも見られる


アイスダンスやフィギアスケートに


心惹かれてずっと見つめていたの


どなたも身体から


放たれる光や笑顔で


氷の上を照らし


まるでこの世に姿を変えて


舞い降りた妖精のようで


見つめながら


感動を受け取っていたの


私は知識などが


あまりない事もあって


過去の実績などや


どの方がスポットが当たっているのか


演技の得点についても


まったく知らなかったけれど


何となく


言葉では表現できない


輝きとオーラのようなものが


一番その瞬間溢れていた方が


表彰台にあがっていたように


感じていたの


誰もが人生


すべての時間を重ねその場所へと


招待されたのだから


実力には


大きな差はないはずだと思うの


その中で小さなミスがあって


階段をひとつ下りる方


その事にによって


階段を上がられる方など


オリンピックほど「運」という


瞳には映らない


エネルギーが集まっていて


多くの方に伝えている


場所はないんじゃないかなって


感じているの


ほんの少しの計算外の


素敵なハプニングによって


背中を押してもらえる


タイミングと一番


その瞬間

フィットした方がその年の最も輝く


メダルをいただけるというだけで


メダルをいただけない方が


劣っていたというわけでは


ないんじゃないと思うの


オリンピックには様々な問題も多く


個人的に


いつも感じていたのは


なぜ?アジア系の方が


トップへと登りつめることが


多くなってくるとどの種目もルール変更


ルール改正などという形が


なされるのかなって私は個人的にいつも


感じていたの


もちろん


そのルールの変更には


様々な意味が


込めてなされた事だとは思うのだけれど


いつも出来上がった


新たなルールを


見つめると


アジア系の方には


かなりの努力が必要とされるような


ルールになっている事も


多いんじゃないかなって


感じていたの


それでも努力するアジア系の方たちは


またそのルールを


乗り越えて


輝くメダルを手にして・・・


そしてまたルールが変更されたり・・・


その繰り返しを


ここ数十年


続いているように感じているの


ここ数年


オリンピックという


世界中の視線が集まる場所から


発信されている


「時代の更新」は


私たちのライフスタイルの中にも


ゆっくりと流れていて


不可能だと思っていた事が


本当は可能であったり・・・


昔は何となく


人生の地図のようなものを


誰からともなく手渡されて


その地図を見つめながら


人生という


大切な時間を


みんなと同じように


消化する方法を


選択しその形が最も人間として


幸せなのだと


思って過ごされていた方


幸せなのだと


自分に思い込ませようと


過ごされていた方


心はいつの時代もこの


ふたつがあったと思うの


でも今という時代は幸せのスタイルも


様々で


それぞれの方が


心の自己実現を


満たす時なんじゃないかなって


オリンピックを通して感じていたの










10年一昔から


五年一昔


今は一年一昔へと


速いスピードで


時間が流れているのを


感じているの


その時間の流れは


無意識にゆっくりと


早くなっているので


あまり感じない方もいると思うの


でも私たちの思考には


変化が少しずつではあるけれど


現れているんじゃないかなって


感じているの


お年を重ねられた方たちから


見つめたらきっと


移る気に映るかもしれないけれど


短い時間の中で多くの体験を通して


学ぶ時代のように感じているの


それは自分で選択してゆく


体験もあれば


与えられる体験もあると思うの


そしてすべての体験から


何を感じ


自分はどのような


世界の住人となってゆきたいのか?


十年位前から


多くの方に与えられた


繋がり合う共通の


テーマだと思うの


今の時代は


日本でも様々な形で


輝くライフスタイルを


過ごされている方がいて


なりたい自分を


イメージしやすい環境にあると思うの


そして何より


社会の中には


大多数のやさしい思いやり溢れた方たちがいてくれる


今という時は


傷つきやすい繊細な


心を持つ方にも


一歩前に歩める勇気を


与えてくれるんじゃないかなって


感じているの


誰もが毎日・毎分・毎秒


人生の大切な時間が


消化されていると思うの


そのような事を


時々思い起こす事だけでも


何か始めようかなって


気持ちが生まれてくるんじゃないかなって


思うの














心に願いを秘めている時


速いスピードで展開を願うけれど


人それぞれに届けられるスピードが


どうしても違うと思うの


それは


願う時の自分の波動によって


スピードに変化があるんじゃないかなって


感じているの


でも何かを願う時って


多くの場合は


少し不安な思いもあったり


焦る思いもあったりして


心から軽い状態で


願う事が難しいと思うの


そんな時には


お花に宿る精霊に


力を貸してもらうといいと思うの


お花から溢れるエネルギーは


とても美しく


力強い波動が溢れているから


たとえ自分が


あまり好ましくない


波動であっても


その波動を包んで


カバーしてくれるんじゃないかなって


感じているの


私は何か願う時や


速い展開を望んでいる時には


玄関・おうちの中心・


いつも自分が一番長く過ごす場所に


お花を飾るようにしているの


玄関はエネルギーを


取り込む場所で


そのエネルギーを家の中心で


あたためながら


お部屋全体へエネルギーを広げ


そして一番自分が過ごす場所へと


届けてくれるように


感じているの


自分が一番長く過ごす場所って


きっと自分では


見つめる事が出来ないかもしれないけれど


エネルギーの残像のようなものが


いつもそこにあるんじゃないかなって


感じているの


だからおうちに帰ってきて


いつもの場所に座ると


お留守番していたエネルギーと


フィットして


心地よくなったり


疲れていたはずの心身が


癒されたりするんじゃないかなって


思っているの


独身時代


今のパートナーと出会った時


友人関係を望んでいた彼を


何とか恋愛として


私を見つめてもらいたいと思った私は


ピンクのお花を絶やす事なく


玄関・おうちの中心


そして一番自分が過ごす場所に


1輪ずつではあるけれど


飾っていたの


そして飾り時には


お花に向かって


願いをささやき


手助けしてくれるように願ったの


それから


1週間くらいの早い段階で


様々なハプニングがあって


今のような


ライフスタイルを共に


過ごすパートナーとなったの


それ以来


心のビタミンとしてお花を


求めたり


まるで魔術を行うための


アイテムのように


お花と触れ合っているの












Sallyの宝石箱☆私が思うこと~2006年2月