2006年1月





また今年も新たな年を



多くの魂との繋がりの中で



迎えられた事



心から感謝でいっぱいです



ありがとう



今年の新年は



日々のお礼を兼ねて



心が惹かれる



神社をひとつ・ひとつ



尋ねてみたの



そしておみくじを



その場所



それぞれで



引いてみたの



すべてのおみくじには



共通の言葉があったの



それは社会や人に



貢献するよう



書かれていたの



今までならば



そのような言葉を目にしても



恥ずかしいお話しだけれど



「はい・はい」と



受け流してきたの



でも



昨年から様々な避けられないような



運命を受け入れてゆく時が



訪れているのを感じて



ある霊能者の方に



相談をさせていただいたら



「もう避けられないよ



もっと自分に与えられた力に



感謝して



人にも還元できるように



受け取った言葉や見たものを



解釈できるように



修行のような事をしなければ・・・」と



伝えられたの



確かに



この言葉を伝えられて



私は納得しながらも



大きな不安を感じていたの



なぜなら



このような力を高めてゆく事で



言葉では上手に伝えられないけれど



たくさんの大きな



荷物を自分が持たなければ



ならなくなるのではないかなって



不安の方が大きくって



ずっと感じるものや



実際には存在していないものを



見つめるたびに



心に力を込めて



「私は何も出来ないから・・・



私は何もわからないから・・・立ち去って!」と



何度も心で唱えて今までそのような場面を



通り過ぎてきたの



でも自分自身が



一生懸命に避けていたはずなのに



もしそのような事が



私の人生に必要ならば



受け入れてゆかなければ



自分が望んではいない形で



学びが与えられてゆくような気がしたの



私が避けてきた学びは



見えないものや



心や魂で感じるものを



現実として感じやすくするために



肉体を通して痛みとして



今まで学んできたんじゃないかなって



感じているの



様々な思いの中で



手術を決意してから



益々



今まで以上にあらゆるものを見てしまったり



感じてしまう中で



今までには感じなかった



器官を通して



サインを感じるようになったの



今はどのように高めてゆき



どのように



思いを解釈したらよいのかは



まったくわからないけれど



心のままに魂が導くままに



恐れずに



与えられた学びの宿題を



してゆこうと思っているの









よく人が長い間



暮らすことのなくなった家というのは



とても早いスピードで



朽ち果てて



まるでセロハンのように



簡単に窓ガラスのこわれてしまうけれど



そのような



人間と共に



寄り添うものたちは



きっと人間が気づかない



人間だから溢れている



大きなエネルギーによって



生かされているんじゃないかなって



感じているの



今私は



おうちに猫ちゃんを迎え入れた事によって



猫ちゃんが空間になれるために



今まで使っていたお部屋を



ドアで仕切って



ひとつのお部屋だけを



使い過ごしているの



そんな中で



リヴィングなどは



ほとんど使用しなくなっていて



(お隣さんの音が大きく不快なので)



多く光が差し込み



暖かい部屋なのに



ふっと見つめると植物たちの



エネルギーがなぜか小さくなっていて



葉が枯れている植物などもあったの



植物にとっては必要な



光や水・温度は保たれていても



きっと



人間や生命のあるものが



そばにいなければ



まるで寂しいと



メッセージを送っているように



葉の色を変えているの



きっと人と寄り添い



過ごすものたちは



与え・与えられるという



循環が必要で



植物なども



何気なく人間が見つめる瞳から



エネルギーを受け取り



そして酸素というお返しを



私たちに与えてくれているんじゃないかなって



感じているの



意識って



私たちが思っている以上に



大きなエネルギーがあって



そのエネルギーの存在を



一番私たちにわかりやすく



伝えてくれるのが



生命のあるものたちだと思うの



意識って瞳には映らないから



何となく



形があるものよりも



後回しにしてしまう時もあるけれど



本当は



意識が私たちすべての世界を



ゆっくりではあっても



変えるだけの



偉大な力を秘めているんじゃないかなって



感じているの










動物たちは人間とは違って



統計や予測などを



持ち合わせていないせいか



人間が失った



スピリチュアルな力だけで



この世界を



感じているんじゃないかなって



感じているの



うちに迎え入れた猫ちゃんも



やはり勘が育まれているようで



何もいない神棚やマリア様の像を



じゃれたりする事なく



前に座ったまま



見つめているの



そしてその場所に漂う



姿なき存在を追って



追いかけては



姿のない存在とじゃれあっているの



よく私の頭の上を見つめては



小さな声で鳴いているの



そんな猫ちゃんの姿を見つめながら



私が幼い頃



共に暮らしていた猫を



思い出していたの



その頃飼っていた猫が



私たちのお世話が行き届かず



お子猫をたくさん産み



かわいさから



育ててあげたいと思っても



現実的にはとても難しく



両親と相談して里親を求め



とてもよいタイミングで



旅立つ場所が見つかったの



ほっとしながらも



寂しい思いで過ごしていて



一年近くがたった頃



早朝お庭のところで



鳴いている



とてもよごれた猫がいたの



父はすぐに



その猫が数ヶ月私たちの元で



過ごしていたあの頃の猫だと



気がつき



おうちに迎え入れ



家族全員で感動のあまり



涙が溢れ



父は「もう絶対に



他の人のところにはやらないからな・・・」と



抱きしめていたの



その後すぐに



飼い主の方に電話をかけたら



飼い主の方も



ほっとされていて



うちでもう一度暮らすことになったの



でもずっと私は



人間でさえも車に乗っていて



景色を見つめていても



道順などを覚えていられない事もあるのに



どうやって帰ってきたのだろう?など



様々な行動に心惹かれながら



情報などを集めていたの



そうしたら動物も人間も



耳の中に磁石のようなものがあって



方向をキャッチしているみたいなの



人間の場合は



地図やデーターによって



その磁石は



肉体的なバランスを保つだけのものに



今はなってしまっているみたいだけれど



人間も何もない中で



愛する人の元に



どうしてもたどり着きたいと



思う気持ちに包まれて



その思いが強くなる機会が



あったならば眠っていた力が



目覚めてゆくんじゃないかなって



感じていたの



人間の中には地球での生存に



必要なアイテムがすべて



備わっていると思うの



ただ日々身体だけではなく



頭の中が忙しく



働いている事もあって



簡単にそして



出来る限り確信できる



情報を手に出来る時代を



求めてきたんじゃないかなって



感じているの



そのような流れの中で



長い間眠っている人間の中に秘められた



大いなる可能性が



時々



活動したがっていると思うの



何気ない出来事でも



データーや統計から



セレクトするのを少し休めて



自分がわけもなく惹かれる道



惹かれる色



惹かれる音など



自分が選ぶという時間を



ライフスタイルの中に取り込むことで



言葉にして説明の出来ない



確信と安心を自分の中で



育んでゆけるようになると思うの



今の時代は



多くの情報や考え方



様々な事が



簡単に手に出来る



素晴らしい時代だとは思うの



でもその事によって



自分というものを



見失いかけそうになってしまう時代でも



あるように感じているの



ここ数年



絶対に安全といわれていた



乗り物・会社・人物・物質etcが



その思い込みを



すべて溶かすような



出来事が多く表現されていて



何を信頼したらよいのかという



言葉をよく耳にしていたの



きっと信頼できるものは



自分の中から



湧き上がるサインしかないんじゃないかなって



感じているの



私は仕事と表現できるような



仕事はした事がないのだけれど



20代の頃



友人が働いていた



コンパニオン会社に人手が必要で



一時的にお願いをされて



働いたことがあったの



その頃



同じ年代の方も多くって



まるで毎日が学生の放課後のような



楽しさの中



お願いされていた期間よりも



長くその中で



時間を過ごしていたの



そんな時



数ヶ月お休みもなかった事もあって



いつもの私が



心の中で自由な時間を



求めていたの



とても忙しい時期で



お休みを頂く事が難しいのは



わかっていたのだけれど



「どうしても今日買い物に行きたいの」と伝えたの



なぜか私はオーナーなどの



説得の言葉も聴かず



その頃の私らしい表現で



会社をお休みする事にしたの



その後友人たちと



電話で連絡をしながら



「じゃー私も休む」と



何十人もの友人が会社に電話をいれたのだけれど



その日はとても大切なお客様が入っていたようで



オーナーから



また説得の電話を頂いたの



今考えても



その日じゃなく



次の日ならば休みを作ってくださると



いってくれているのに



なぜだか



私はその日じゃなければって



自分でもわからないのだけれど



自棄に抵抗しお休みしたかったの



友人たちとその日は集まって



楽しく休日を過ごす予定でいたのだけれど



気づくと日々の疲れからか



そのまま眠ってしまい



気づけは次の朝を迎えていて



友人から電話があって



私たちがいつも乗ってゆくバスが



転落事故によって



全員亡くなった事がニュースで



伝えられていたようで



幾つもの電話をもらい



それぞれの安否確認をしあっていたの



その事を父に伝え



新聞記事を探していたら



その記事は本当にあって



言葉を失ったの



その時父が



「お前のようないいかげんな人間は



良く言えば勘だけど



悪く言えばわがままで



相手にあわせることがないから



助かったけど



まじめな人は何か調子が悪いと思っても



相手のこと考えて



無理して出て行って



悪い結果になるからな~」と



何度もつぶやいていたの



私はその言葉から



今まで自分が



自分でもコントロールできない



わがままと映る思いや感情にも



救いの手として



強く自分の感情に



働きあけるものもある事を



知ったの



それ以来



自分から溢れる思いに



耳を傾けるようになったの



たとえ言葉にして理由や意味を



その時は感じられなくっても



その思いが強く感じた場合は



自分の思いを優先してあげるように



しているの










最近数字についての



夢を見ることが多いの



以前にも書かせていただいた事だけれど



私はいつも眠る前に



紙とペンを用意して



眠り夢が始まって



うとうとしながら



半分夢を見ながら



紙にその夢を書きながら



過ごしているの



目覚めてから



夢を見ながら書いた字は



まるでアラビヤ語のような感じで



解読が難しいの(笑)



その中で



最近毎日数字についてのお勉強のような



メッセージが届けられているの



残念ながら



文字があまりにも乱れすぎていて



わからないものもあったのだけれど



誰もが与えられた数字を



持っているみたいなの



生まれた日などは



自分でコントロールできないから



その数字には



人生を通して関わる



意味が秘められているみたいなの



そして例えば



姓名判断などでの画数や車のナンバーや



いつも気になる数字などは



自分や周りから



コントロールする事が出来る事もあって



自分以外の方からの願いや



使命にも似た思いが



秘められているみたいなの



少し話は違うかもしれないけれど



最近



私の周りでは



宝くじやロト6・立ち寄ったお店でのくじなど



大きさは様々だけれど



数字というものの



恩恵を受けられている方が



何人もいて



Hpで縁が結ばれた方の中にも



そのような嬉しい出来事が多く



訪れている事を



伝えていただいていたり・・・



心の豊かさと



経済的な豊かさとのバランスが



整い始められているのかなって



感じながら



私も幸せを感じているの



数字や音楽は世界共通のもので



意味合いも



ほとんど同じ事が多いから



数字には



確かに大きな意味が



秘められているんだろうなって



感じているの



この間は6という数字の夢を見て



その意味は先祖の守護らしく



たとえば誕生日や自分で



コントロールできない場面に



6を目にする方は



先祖の方の中で



徳を積まれた方がいて



その恩恵によって



救われている場面も多いみたいなの



そしてその喜びと共に



先祖の方の徳を



ダイレクトに使える人だからこそ



減った徳を



6に縁のある方は



自分も積まなければならないみたいなの



この6が姓名判断の画数であったり



自分が選ぶ数字として



コントロールできる場所に



現れている方は



周りがあなたの幸せを望んでいたり



自分自身が無意識に



思い出す血縁関係のある方から



守護を受けている場合が



多いみたいなの



そのような場合



その思い出す人に向けて



心の中で



「いつも見守ってくれてありがとう」って



伝えてあげたり



感謝を伝える事で



二つのエネルギーが溶け合い



守護してくれている方に



エネルギーを与える事にもなって



素敵な人生を



作り上げるお手伝いをしてくれるみたいなの



今は6という数字について



書かせていただけたけれど



他の数字でも同じように



コントロールできる数字と



宿命のように備わった数字があって



その数字からのメッセージを



感じる事によって



目には映らない存在からのメッセージを



現実の世界に



生かせるんじゃないかなって



感じているの










エンジェル・カードで知られている



ドリーン・バーチュ―博士の本を



友人が持ってきてくれて



少し開いてみたの



その中に



とても心惹かれるものがあったの



私たちの世代は



インディゴと言われている世代で



次の世代の



スピリチュアルな子どもたちを



クリスタルチルドレンと



表現されているみたいなの



側にいるだけで人を癒したり



深い叡智



その姿から教師のように



私たちに様々な事を



気づかせてくれたり



教えてくれたりする



資質をもっていて



人類の新しい可能性を



示してくれる子供が



この地球上に



誕生してきているみたいなの



クリスタル・チルドレンの特徴は



・普通1995年以降に生まれている



・自閉症やアスペルガ―症候群と



診断されることが多い



・子どもの頃話し始めるのが遅い



・ヒーリングの能力を見せる



・クリスタルや石にとても興味を示す



・普通の食べ物より



菜食やジュースを好む



・よく天使やスピリット・ガイド



過去世の記憶について話すなどの



サインがあるみたいなの



その文面を読みながら



この間



ほんの少し目にしたテレビ番組で



自閉症のお子さんで



上手に言葉にできない男の子が出ていたの



昔私は知識が浅く



自閉症というのは



静かで聴覚障害の方のように



言葉としての表現が



出来ない方だと思っていたのだけれど



そうではなくって



自閉症という言葉の中には



多くの個性が秘められている事を知ったの



言葉として伝える事が出来ない姿から



自閉症のお子さんは



あまり理解が出来ていないのではないか?などの



思い込みも



世の中には育っていたけれど



その男の子は



お母さんが感情や思いを



言葉として



周りに伝えられるように



キーボードの使い方を教え



今では



自己表現だけではなく



童話などを書かれていて



その物語が舞台となって



上演されていたの



その男の子は



上演中眠っていたの



あまりに心躍りだすと



その感情の伝達がおこなわれず



眠りと結びついてしまうようなの



でも私は



その男の子の中に



人間の価値観を超えた



素晴らしさを感じ



言葉では表現できないような



高貴なものを感じていたの



私のような



魂の修行中の人間ならば



きっと



ステージから自分の名前を



紹介されたならば



誇らしげに



そして少し自慢げに立ち上がり



神様が与えてくれた力だという事を



忘れてしまい



「私は他の人よりも



優れている」という



態度や顔表現をしてしまうように思うの



でもそのようなものを



ひとつも持たない



クリスタルチルドレンは普通に映る方よりも



自然に自分が秘めている才能を



表現しているように感じているの



最近は



画家や音楽家



作家の方など



様々な分野で



クリスタルのように澄んだ輝きを



放っていると思うの



そのような



美しい高貴な魂に触れるたびに



自分が恥ずかしくなってしまうの



そのような輝く魂が



この世界に



無償の愛を



いつも降り注いでくれているのかなって



思ったら



本当に天使や神様が



そのような素晴らしい魂のまま



成長してくれるお子さんを



この世に誕生させてくれて



本当に



感謝でいっぱいになったの










「自分はこんなに良い事をしているのに



何も良い事がない」



「あの人よりも



悪い事をしていないのに



あの人の方が



恵まれているのはなぜ?」など



頑張っている人



素直な方にはよく心に生まれてくる



思いだと思うの



周りで自分がないものを



持っている人と出会った時や



無理を重ねて



頑張られている方は周りで



楽をして過ごしながらも



楽に人生を渡っているように映る方を



見てしまうと



どうしても生まれてしまう



不公平感という



心のフラストレーションが



生まれてしまうと思うの



でも私が思うには



今まで意識した愛



無意識に行った愛すべて



カウントされていて



損得などというものはなく



悪い行いをしていると映る方でも



恩恵を受けているのは



単純に



今ある愛の貯金を



使っているからなんじゃないかなって



感じているの



あまり良い行いをしているように



映らない方も



もしかしたら



過去には辛い体験の中でも



相手に復習というような事もせず



耐えながら



その方にしかわからない



思いのなかで



積まれた愛の貯金もあるかもしれないし



他の方には



見えない部分で



愛の貯金を減りそうになると



補給しているかもしれないし



今だけでは



恵まれた人間とそうではない人間を



図れないと思うの



がんばっても



がんばっても



自分が望むものを手に出来ない



恵まれない人間だと感じられている方は



私が思うには



単純に愛の貯金は



貯まっていても



引き出す暗証番号を知らなかったり



知っていてもその暗証番号を信頼せずに



試す事がないだけじゃないかなって



感じるの



愛の貯金を引き出すには



心の豊かさという



暗証番号がないと



多く貯まった愛の貯金は



引き出せないと思うの



何もしないのに



恵まれているように映る方は



愛の貯金を出来る前に



愛のお財布に



何もないから



ストックとして



全愛の財産が入っているので



暗証番号なしに



使えているだけなんじゃないかなって



感じているの



でもいつ愛の財産を



使い果たしてしまうかは



わからないと思うの



損得・不公平感は



一瞬の出来事を



何度か見つめた時に



感じる感覚であって



長い時の中で



見つめたら



本当は図れないものだと思うの









最近ヒットしている



商品を見つめていると



今という時代を



とてもリアルに



伝えてくれると思うの



最近では



ある化粧品会社が



「美容は心の安らぎから」という



コンセプトで



赤ん坊がベビー服を着て



すやすやと眠る様子を再現した



とてもリアルな



指人形を発売されていて



ターゲットとしていたり・・・



女性だけではなく



老人施設や保育所



単身赴任の中高年の方たちにも



多く求められているみたいなの



ほんの少し前は



電子レンジで一人分の



炊き立てのご飯を



簡単に作る事が出来る



お茶碗を



若い独身の方傾けとして



販売されていたのだけれど



一番多く手にされた方たちは



初老の方たちだったり・・・



会社などがイメージしていた



コンセプトやターゲットは



どちらかというと



エネルギーが溢れ



ごく狭い範囲の方ばかりに



意識を置かれているけれど



昔の時代の年齢のイメージを



遥かに飛び越えたくらいに



今の時代は



心の青春を生涯過ごされている方も



多いと思うの



日本では



年齢を重ねると周りからの



勝手なイメージがあって



お年を召された方だからと



少し渋い色のものを



選んで贈ったりするけれど



本当に



その色が好きかといえば



また別なんじゃないかなって



感じているの



私の祖母は



生前よく



私が身につけている



アクセサリーや洋服などに



いつも心惹かれるようで



「売って・売って~」と



80代になってからも



私と会うたびに



表現していたの



そのたびに



父や親戚の方は



「年齢を考えなさい」



「こんな派手なもの着ていたら笑われるよ」など



すぐに祖母の趣味思考を



あえて


お年寄りらしくという言葉で



お年寄りにさせていたんじゃないかなって



感じていたの



海外などでは



年を重ねてゆくと



あえて華やかなきれいな色のものを



身につけられているのを



見つめるたびに



日本もシルバー世代が



美しく華やかに



過ごされていたならば



その世代へ向かう



私のような世代は



年を重ねてゆく事が



人生の楽しみの一つにもなって



ゆくのになって



思うの










最近ペットが秘めている力に



意識を向け



数年前から



海外では



オフィスの中や病院



おうちで療養をされている方に



心のお薬として



ペットと共に過ごす時間を



提案されているみたいなの



日本でも最近は



ペットと共に過ごす事の



素晴らしい効果を伝えられる



記事をよく目にするようになって



人は誰でも



自分以外の



呼吸を聞いたりする事だけでも



癒されるのかなって



感じていたの



日本では



対立を避けるために



出来る限り



自分の気持ちよりも



相手の気持ちや



要求にこたえようと



無意識に過ごされる方も多く



その思いが積もってしまうと



精神的な病を生み出してしまい



セラピーなどに



通われる方もいると思うの



でもセラピストに



思いを伝えながらも



改善が見えない方の多くは



自分が癒されに



足を運んでいるはずなのに



そのセラピストにさえ



小さな気遣いを働かせてしまい



表面的なことしか告げられず



本当に感じている事は



話せなせていないんじゃないかなって



感じているの



そのような方にとても



大きな効果が見られた



記事を偶然に目にして



読んでみると



精神的に積もってしまった思いから



病を生み出された方は



誰かに何かを求めているわけではなく



ただ・ただ



自分の思いを



聞いてくれる存在がいてくれる事で



大きく癒され



改善してゆくみたいなの



精神的に疲れを感じられている方は



あまりお世話が必要なペットよりも



インコなどの小鳥ちゃんが



良いみたいなの



小鳥ちゃんに



毎日自分が感じる思いを



語ってゆくたびに



自分が本当に感じている思いに



気づいたり



相手が小鳥ちゃんということもあって



涙を流しながら



溢れる感情を



表現する恥ずかしさも



気遣いもないので



大きな効果を挙げているみたいなの



私自身も



ペットがもたらしてくれる癒しに



とても心惹かれていたのだけれど



以前はペットと共に過ごす環境では



なかったので



よくワンちゃんや猫ちゃんが



何十匹もいて



自由にふれあえるカフェなどに



足を運んでいたの



足を運んで



数日は本当に嘘のように



痛みから解放されて



身体で



その効果を感じていたの



今は大きな都市ならば



数時間のレンタルもあったり



もっと気軽に



ほんの少しの時間でも



ふれあいたいなって



感じられているのならば



ペットショップなどに足を運んで



抱かせていただくだけでも



とても癒されると思うの



もちろんペットショップで



抱かせてもらう場合は



購入する意思を



アピールしながら・・・(笑)



人は本来



有り余るほどの愛情を



秘めているけれど



その愛情を



受け取ってくれる存在が



欲しいんじゃないかなって



感じているの











ドリーン・バーチューのメッセージに



触れる機会が多くって



いつも



気づきを受け取っているの



その中で



ライトワーカーについてのメッセージに



とても心惹かれていたの



日頃の忙しさから



自分が



ライトワーカーである事を



記憶の奥に



無意識にしまいこんだまま



過ごされている方の多くは



特別不満があるわけでもなく



過ごされているのに



なぜか?ふっと



よくわからない不安が



湧き上がったり



何をしていても満たされない



何か人生に



忘れ物をしているような



そんな思いに包まれるみたいなの



ドリーン・バーチュー



メッセージの中に



ライトワーカーの特徴が



紹介されていたの



その特徴としては



☆人を癒すのが自分の使命だと



感じている



☆世界の社会問題や



環境問題を解決したいと



思っている



☆どんな状況もスピリチュアルな方法で



解決できると信じている



☆自分は神のように



完璧であるという認識を



そこなわせるような



過酷な人生に耐えてきている



☆霊的な予感や



天使との遭遇といった



神秘体験を持っている



☆世界を癒すための



第一段階として



自分の人生を



癒したいと思っているなど



ひとつでも



共感できるものを持っている方は



ライトワーカーとして



地球を癒し



人々を癒すために



地球を選択して



生まれてきたみたいなの



ライトワーカーの活動は



その時代によって



様々な形で



繋がれていて



今の時代では



文字として自分の体験から



受け取った愛や



ハイヤーセルフとの繋がりの



素晴らしさを



どうしても伝えないければならないような



秘めた思いに



背中を押され



Hpやブログなどを



用いて配信されていたり



ダイレクトに



ボランティア活動を



自分のライフワークとされていたり



意識しなくっても



日常で出会う方との



コミニケーションの中で



優しい言葉を出来る限り



手渡そうとされていたり・・・



大切なのは



大きな活動かどうかではなく



純粋に



自分の使命を満たすために



この地球に生まれて来たことを



思い出しながら



自分ができる範囲で



無理せずに



自分を満たし



人々を癒す時間を



過ごされたらいいと思うの











ライトワーカや



スターピープルについて



多くの方が



心惹かれているのを知って



やはりここに



訪れてくださる方の多くは



宇宙と繋がりあった魂を秘めて



この地球を選択して



誕生された方なんだなって



感じていたの



ライトワーカーはきっと



宇宙から降り注ぐ光に乗って



この地球にやってきたけれど



幼い頃から



自分がなぜ?



このような考えをするのだろう?



なぜ?みんなのように



この事を楽しめないのだろう・・・



どうして?これを幸せと思うのだろう・・・



なぜ?なぜ?というような



人が当たり前と考える事に



疑問にも似た感覚が



初めに生まれて来るみたいなの



それは



地球での暮らしの価値観と



宇宙のそれぞれの星の価値観の違いから



幼い頃から



大人になってからも



戸惑われるみたいなの



そして地球では多数決で



正しいと間違っているを



決める場面が多い事を知って



人との違いを



出来る限り表現しないように



心とは違う



多数の方へ身を寄せるけれど



心から納得していないところも



あるんじゃないかなって



感じているの



宇宙には多くの惑星があって



地球の人たちが



高度な技術を使っても



辿りつけない場所では



地球のように生命が暮らし



まるで地球の中でも



国や地域によって



考え方の真実が違うように



正しいと感じることも



違うんじゃないかなって



感じているの



そして年代によっても



地球に旅をしにきた魂の使命も



違うんじゃないかなって



感じているの



あくまで私が感じている



感覚なのだけれど



1960年~1964年の間に



誕生されたライトワーカーは



長く続く



地球での愛を吸収し



地球との調和の中で



地球をベースに



多くの方が求めている事を



手渡してゆく事が



心や魂のゆとりを生み



喜びを与えられると感じ



その部分に愛を注ぎ



使命を満たそうと



働かれていたと思うの



でも本来の秘めた感覚とは



微妙に調和していない思いに



もうひとつの心では



新たな時代の訪れを待ちのぞみ



長年続く愛の形と



新しい愛の形の間で



自分の心と葛藤が生まれ



周りとの間にも



ぶつかりあう事を体験しながら



新たな流れを受け入れ



愛の伝え方を



モデルチェンジしていたり・・・



1965年~1975年の間に



誕生されたライトワーカーの方の多くは



地球で語られている



幸せの形や



すべての出来事の意味を受け取り



感情と知識を



いつも寄り添わせながら



地球で伝えられている



スタンダードな幸せの形に



疑問を感じ



そのスタンダードと伝えられる



幸せのスペースに入れない方



入ろうとしない方にも



この地球での暮らしに



誰もが喜びを感じられるように



スタンダードな幸せの形以外にも



喜びを育むヒントや



悩み・不安を溶かす方法などを



無意識に



提案し続けているような方も多いと



感じているの



地球で暮らしている生命は



他の惑星以上に



美しくまだまだ



進化の途中に位置している為に



迷いと共に



新たな進化に



包まれているんじゃないかなって



感じているの



人間は心という



もっとも



愛の基準値を計れる



素晴らしいメーターが



備わっていると思うの



その心を



良い悪いという



世間的な常識だけに



使ってしまうのは



その心のメーターを



錆つかせてしまうんじゃないかなって



感じているの



地球上では



心のメーターで愛の選択を計り



感じていても



その事を認めることによって



立場が弱まったり



その部分に刺さってくる



追い込まれている方も存在するから



愛の表現が



スムーズに行えない時もあると思うの



でも何より



心で愛の選択に気づけたならば



それでひとつまた



学びを受け取れたと思うの



数年前



パートナーとゆっくりとパーキングで



車を止めようとしていた時



ほんの少し後ろに止まっていた車に



ぶつかってしまった事があったの



その時



その車に乗っていた若い方が



まくしたてるように怒りを表現し



携帯電話で仲間を集め



気がつくと数十人の男女に



私たちは囲まれ



彼らが「どうしてくれるんだよ!」など



何度も同じ言葉を唱えているのを見つめ



その少ない時間の中で



私は自分の心に尋ねたの



私はこの場をどうしたいのか?



その言葉に心はすぐに



メッセージを届けてくれたの



相手も私たちも



恐怖と損得の思いから



無意識に



いつもの自分ではない感情の



芝居をしているんじゃないかなって



感じたの



相手の方はせっかくの機会なのだから



これをラッキーに変え



少しでも経済的に



ゆとりを持てたら・・・と思い



私たちは必要以上の経済を



要求されるのではないか?と



お互いに



そのような思いから



答えへとスムーズに流れていないと感じ



「心配しなくってもいいよ



必要な費用は払わせてもらうから



私はあなたの事を



信頼しているし



きっとあなたはこんな風に



汚い言葉を



私たちに伝えているけど



絶対にいい人だと私は感じてるの」と



相手の方に私の深い部分から



届けられる言葉を



そのまま伝えたの



その当事者同士は表情が変わり



とてもなごやかな空気に包まれたのを



感じながら



それでも周りが



あれこれと当事者に



知恵を与え



その場を立ち去ろうとしなかったの



でも相手の方と私たちの中で



何か繋がり合うものを感じて



多くの言葉が飛び交う中で



スムーズに話し合いが行われたの



そしてすべてが終わり



次の年を迎えた時



海を見つめたくなって



パートナーと砂浜へ車で向い



海を眺めながら



パートナーと癒されて



帰ろうとした時



車がのタイヤが砂浜に埋まって



動けば動くほど



深く埋まってゆき



夕暮れが夜へとバトンタッチしてゆき



パートナーも私も



どうする事もできなかったの



そんな時に限って



携帯電話を忘れていて・・・



周りは明かりひとつなく



とても寂しい気持ちに包まれていたの



パートナーと私は



不安と焦りを感じ始めていたけれど



「最低でも明日になれば



誰かが見つけてくれるよ」と



私はのんきに過ごしていたけれど



パートナーは次の日



大切な仕事を控えていたようで



イライラとしてきて



その姿を見つめて無意識に



「この場所でこのような出来事に出会う事が



何か意味のある事ならば



必ず天使が助けに来てくれるよ」と



言葉が溢れたの



その言葉を聴いてパートナーは



「いいよね・こんな時でもメルヘンで・・・」と



落ち込んでいたの



それから5分くらい立った時



遠くに砂浜を走る明かりが



私たちに近づいているのが



見えたの



「ほら天使が助けに来たよ」って



私が伝えると



パートナーも笑顔になって



「ほんとだ!」と



希望が広がったの



その車が私たちに近づき



運転されている方の顔を見て



お互いとても



驚いてしまったの



天使と表現し



待っていた明かりを



ともしてくれたのは



アウトローな印象を受ける



コワい印象を受ける方二人の男性で



自分の偏見が溶かされる思いを



感じていたの



懸命の助けていただいた



感謝の表現の一つとして



お財布に入っているお金全部



ただ全部といっても



ファミリーレストランで食事が



できるくらいの金額ではあったけれど



手渡すと



彼らは「いいよ・これも何かの縁って事で



二人でデートに使ってよ」って



受け取る事なく



走り去っていったの



この出来事は私とパートナーに



改めて



自分の行いを澄み渡るものへと



導いてくれたの



この出来事を体験した時



人間の中に秘められた



意味のない偏見が溶かされ



美しい尊い愛溢れた人たちの



素晴らしさを感じたの














友人から聞いたお話について



新たな感覚を感じていたの



そのお話しは



給食の時に



「いただきます」という表現に



違和感を感じている



母親のお話しだったの



給食費を払っているのに



なぜこちら側が「いただきます」と



言わなければならないのか?



宗教的な表現で



「いただきます」という表現を子供には



させたくないという事が



一部の空間で



問題となっているみたいなの



私は食事を頂く時



その作物を作ってくださった事に感謝し



食事として



手を加えてくださった方に感謝し



そして自分の命を繋ぐために



多くの命が支えてくれている事へ



敬意を感じ



そして毎日食事を



与えてくれる大地の恵みに



感謝している表現だと



思っていたので



そのように感じられている方も



いるんだなって



初めて知ったの



確かに宗教的な部分も



秘められているかもしれないけれど



何に対しても



感謝出来る部分を見つけて表現するのは



一見相手のためへの



表現に映るかもしれないけれど



感謝というエネルギーを



生み出すことによって



自分自身の心身が心地よく



幸せを感じられるから



続けられている



素敵な習慣なんじゃないかなって



感じているの



今という自由な時代には



まだまだ自分の知らない感覚や



表現がたくさん届けられ



改めて



自分が何気なく表現している言葉の意味を



再確認する機会を与えてくれているのを



感じているの














今私と友人の間では



淡いピンクとレースフリルが



マイブームになっているの



友人は



今まで甘いイメージの



フリルやピンクなどに



心惹かれたことがなかったみたいなのだけど



急にその甘い空気を運んでくれる



癒しにはまったみたいなの



きっとそれは



今心の安定を味わい



そして



今までは忙しさから



女性という自分自身を



体験する時間をもてなかったけれど



今やっと



女性としての喜びや幸せに包まれ



その思いの形に



ピンクやフリルが



フィットしているんじゃないかなって



感じていたの



今まで彼女には



ターコイズがフィットしているのを感じて



作らせて頂いていたのだけれど



彼女のオーダーで



ローズクォ-ツでアクセサリーを



作らせていただいたのだけれど



色からの癒しとは別に



彼女の元では



すぐに形を変えてしまい



未だに長くお付き合いしてくれているのは



ターコイズのアクセサリーだけなの



私はあまり知識がないから



深い意味はわからないけれど



ターコイズは彼女に



日々求愛していて



彼女のターコイズを見つめては



優しくさすったり



気に入っている事が伝わり



相思相愛なんじゃないかなって



感じているの



彼女は海を連想させてくれる



ターコイズの青い色



海からの贈り物の真珠や珊瑚が



自分の意思とは別に



彼女を美しく包み



そして守護しているのを感じていたの



人にはそれぞれ



好きな色・好きな石



好きなカットなどがあるけれど



恋愛と同じように



片思いであったり傷ついたり



相思相愛になったり



初めは何も感じなかったけれど



石が一生懸命に



自分の元へ幸運を運んでくれたり



守護してくれる求愛から



時間と共に好きになっていったり・・・



自分がその瞬間・その瞬間



与えられた体験の中で放つ



周波数とフィットするものに



出会えた時



ひとつのエネルギーが



もうひとつオーラの層を増し



人生の歩む道の先に



明かりをともしてくれると思うの












2006年という年は



少し一息つく時間を与えられる方と



新たな事を展開する機会を



与えられる方の



両方が織り成された



年の流れとなってゆくように



感じているの



今までの流れが



順調に流れていた方には



ほんの少し



初心を思い出し



もう一度感謝という流れを



整えるために



休息を与えられると思うの



そして今まで



なかなか時の流れとの



タイミングが整わなかった方には



様々なサインという形で



メッセージを受け取りながら



スムーズに



運んで行くように感じているの



2000年から続いた



時空のねじれによる



進化の展開が



やっと収まりつつある



2006年はある意味で



とてもピュアな年となってゆくように



感じているの



今まで自分の心に問いかけながら



歩まれた方や



人と同じ事をしていても



結果が望む形とならずに



運に恵まれていないのかなって



感じていた方には本当に喜びが



運ばれてくる



素敵な年となってくれるように感じているの



心の豊かさと見合う



喜びをやっと受け取れる



タイミングが



広がっているのを感じているの



2000年という



千年紀の扉が開かれると共に



私たちは



様々な感情・思い・夢・希望を



自分の中で感じ



自分自身の中でも



宇宙と共に



無意識に進化を遂げていたと思うの



2000年から今までの数年を



振り返ると



今までには体験した事のない出来事に



心がマッサージされ



その時には



小さなパニックや戸惑いも



いっぱいあったかもしれないけれど



今この瞬間



呼吸をしているのならば



その方それぞれに与えられた



問題を一生懸命に



クリアにしてきたという



証なんじゃないかなって



感じているの



そして走りすぎた方たちはほんの少し



心との対話が



必要となる年となってゆくと思うの



人の人生はすべて



その時々のタイミングの違いはあっても



休息・展開・気づき・手放す



得るなどの



体験を体験してゆくものなんじゃないかなって



感じているの



ただその中で



一番自分にとって



何をダメージと感じ



何を幸せと感じるかで



体験している時間の長さを感じたり



短いと感じたりするだけなんじゃないかなって



感じているの



どんな時にも



自分の心に問いかけてゆけば



自分だけに与えられる



答えと出会えると思うの



すべては内なる自分と出会うために



与えられた時間の流れなのだから・・・
















今日は久しぶりに



図書館へ足を運んでみたの



なぜか



この本の香りに包まれると



それだけで



おりこうさんになれる



魔法をかけられているように



学びたい気持ちが溢れてくるの



ふっと児童書や絵本が置かれた場所に



心惹かれて



見つめていた時



「シンデレラ」と「人魚姫が」並んで



置いてあったの



内容は何度も



幼い頃に読んでいて



知っていたけれど



大人になって



また読み返してみると



多くのメッセージを受け取る事が



出来る気がしたの



シンデレラは心豊かで



与えられた環境を受け入れ



いつか誰かが



自分を救い出してくれる事を信じて



過ごしている時



やっと素敵な出会いが訪れ



心と同じ豊かさに見合った



生活を送る事が



出来るようになったお話で



人魚姫は



恵まれた環境にあったけれど



多くのものを手放しても



自分が信じる愛の道を



自分で選択して



歩もうとしてゆくお話しなの



どちらのお話しも今読んでも



あこがれる女性としての



生き方なんじゃないかなって



感じていたの



シンデレラのように



ラッキーが突然やってくる人生も



憧れてしまうし



人魚姫のように



自ら幸せを迎えに行くような



女性も素敵だなって思うの



この二つのお話が



世界で色あせない意味が



今とても理解できた気がしたの



たまには



忘れかけていた過去から



その頃いとおしく



思っていたものや



心惹かれていたものに



もう一度



触れてみるのもいいと思うの



多くの体験をし



様々な言葉の意味のキャパが



広がった大人になってから



見つめると



その頃には気づかなかった



メッセージを



感じ取る事が出来ると思うの


















Sallyの宝石箱~私が思うこと☆2006・1