2005・8月





ここ数年



今までの時代では



生まれていなかった



形のないものへ流れる経済も



あと数年で落ち着いてくるように



感じているの




インターネットの広がりによって



様々な形の宗教思想を



少しちりばめたビジネスや



昔問題になった



宗教もネーミングを変えて




活動されていたり・・・



何を目安に信じたらよいのか



とても難しい時代の流れに



なっているように



感じているの



年齢を重ねられた方たちの多くは



人を疑ってはいけないという



素晴らしい思想を



伝えられてきて



その思いを



秘められている方も多く



疑うこと自体に



罪悪感さえ感じてしまわれる



優しい心の方も



いると思うの



その想いを上手にコントロールして



展開している



ビジネスや団体が




最近問題になっていて



そのことを思うと



つい心が



大きな波を生んでしまうの



私自身は



少し猜疑心が強い事もあって



自分が納得しなければ



受け入れられないという



プロセスを持っているのだけれど



数年前から子宮の病と共に



歩む人生が訪れて




そのショックと痛みで



体に関する事




病を癒してくれるものに




敏感になっていて



今までならば



出会うことのないような



情報も自分の強い思いが導いて




伝えられることが多かったの



その中にはシャンプ-が



良くないから子宮が・・・と



伝えてくる方もいたりして



その方から購入してみたり・・・



でも残念な事に



今まで使っていたものよりも



肌に合わなかったり・・・



健康な心と体の方から



見つめたら



え!?と思える事にも




心に雨雲がある方には



その雨雲を早く取り除いて



晴天を作り出したいと



方向を間違えた



努力をしてしまうことって



あると思うの



今ニュースなどで



伝えられている



健康食品について




語られる言葉が




薬事法違反だという




表現がよく語られているけれど



健康食品を進められる方の多くは



その方のように口頭では



治る・消える・これは薬ではないから



いくら飲んでもいいんだよ・・・



などの言葉は



よく表現されていると思うの



猜疑心が強い私でも



その言葉を信頼している方に



伝えられたならば



やっぱり手にしてしまうと



思うの



店頭で販売されないものに



このような心の力を使う



ビジネスが多いように



感じているの



それ以来



何が良いかの



一つの目安として



紙面でそのことが



語られているかどうかを



大切に



セレクトするようになったの



口頭で手渡してゆく



ビジネスの多くは




紙面には証拠と



なるような事を



残さず口頭だけで



伝えてくることが



多いように



感じているの



今はそのような



自分から生まれる



感覚を信頼して



自分にフィットする



癒しを行っているの



楽しい時間を過ごし



心の力によって



免疫力が支えられていたり



水をマイルドにしてくれる



ブラックシリカや



バラのオイルで



自律神経を整えたり



熊笹など・・・




できるだけ自然に近い形で



日々心身を労わりながら



過ごしているの



もしそれでも包み込むことが



できなくなったならば



お医者さんに



サポートしていただいたら



いいと思っているの



心身の健康が保たれない時に



様々な多くの



外からのささやきが訪れ




迷いからすぐに



行動をしてしまうことが



あるけれど




どんな時にも



自分の心が伝える感覚に



耳を傾けて



自分を信頼し歩まれたらいいと



思うの












毎年8月になると



多くの命が消えた戦争について



語り継ぐための



番組が放送されていて



いつも複雑な思いと



涙で声が出なくなるの



何度も同じ場面と



何度も状況説明を



聞いているはずなのに



私の中に



秘められている魂が



いつもその場面から



目を離す事ができないの



以前から



今の私に生まれ変わる前に



人種はわからないけれど



体験しているのを確信しているの



それは



同じものを見つめていても



家族や知り合い



友人とは違った悲しみが



心身に伝わってきて



長い時間頭から離れないの



今まで過去にも



魂が招き寄せた縁で



被爆された方と



偶然のように出会い



お話を聞かせてもらう



機会も多く



改めてそのたびに



生まれ変わる前



やっぱり私は地球上で



多くの命が消えてゆく



時代の中で



過ごしていたのを



感じていたの



その国それぞれの



思想や思いは



あるとは思うけれど



どんなに正当性を表現しても



残るものは



悲しみ・恐怖だけのように



感じているの



そして今でも続く



それぞれの




国の悲しみについての



責任問題が



伝えられるけれど



参加した国すべてに責任と



愛が必要に感じているの



どこの国が



一番悪いというのは



ないように感じているの



どの国の方も



自由意志が許されず



追い詰められていたり



ストレートに上の方の



マインドコントロールによって



良い事として行っていたり・・・



今の時代では



比べる事のできない




時代の流れの中で



それぞれが大切な方の命を



守るために



行動されていた方が



多いんじゃないかなって



感じるの



よく日本の政治家は



周りの国に配慮を配りすぎていて



自分の意思を伝えていないと



言われているけれど



相手国と対等に発言



行動を行う事に



趣を置くと



やがてまた大きな過去の悲しみを



再現してしまうかもしれないという



大きな悟りから



どうしても歩調をあわせ



歩まなければならないと感じ



今の外交の形に



なってしまったのだと思うの



戦争で多くのものを



手にできたのは



今の世界のリーダーと



いわれている国だけだと思うの



でもその国も



メディアで伝えられるような



美しいものではなく



戦地から



帰ってこられた方の多くは



精神的な病や肉体的な病によって



自らこの世を去られる方も



多いみたいなの



どの国も戦うのは



暖かい家族や恋人と



スタンダードな幸せを



送られている方なのだから



許されているとはいえ



自分の手で



誰かの人生を



終わらせてしまうのは



耐え難い事だと思うの



話は少し変わるけれど



罪を償うために



刑務官などの手によって



この世を去る方がいるけれど



その刑務官は



その日が近づいてくると眠れず



自分まで罪の意識で



長い間



大きなストレスによって



心身が耐えられず



過ごされていて



退職した今でも夢でうなされると



表現されていたの



そのお話を読みながら



傷つける側も



傷つけられる側も



辛い戦争を思い出していたの



私たち一人・一人が



小さな周りの世界に



愛を伝えあう事ができたならば



時間と共にやがては



世界中にそれぞれの方が



大切な人の存在を思い浮かべ



大きな戦争にならない



素敵な地球の仲間となれたら



いいなって



心から願っていたの











8月6日の8時15分



ささやかながら



パートナーと



黙祷をさせていただき



朝を迎えていたの



毎年



この日が訪れると



平和の上に生まれ



改めて



大きな感謝と平和について



心を見つめる



時間を与えていただいているの



歴史的にも



大きな悲しみを生んでしまった



この日を心に秘め



未来への平和が広がる事を願い



そしてその大切な事を



教えてくださった方たちに向けて



手を合わせる方を



見つめ胸が熱くなっていたの



広島の高校球児たちが



他の方たちとも共に



黙祷していただけないかと



お願いし



みんなもこころよく



受け入れてくださったのに



開催されている上の方が



「原爆は広島だけのこと



この場でみんなを



巻き込むのは良くない」と



制したとのニュースを読み



言葉を失い



涙が溢れてきたの



その方も



様々な配慮から溢れた



言葉なのだとは思うけれど



言葉の選択に



心地よさを感じられなかったの



日本人は



とても言葉を大切に



言霊として受け入れる民族だから



少し遠回りでも



言葉に花を飾るような



表現って



大切なんじゃないかなって



改めて



自分の心にも



刻む大きな学びとなったの











最近北海道の短い夏を



満喫するために



その場所・その場所でみかけた



オープンカフェで



週末を過ごす事が多いの



港町では



海を見つめながら過ごしたり



少し街から離れた場所では



森や緑に包まれながら



自然の精霊に癒される時間で



心満たされているの



その場で出会う方たちを



見つめているのも



とても楽しくって



時間を忘れてしまうの



笑顔で恋人と話されている方や



怒りながら電話で話している方



年齢を重ねている



ご夫婦が



それぞれ今日の楽しかった出来事を



話されていたり・・・



この小さな空間の中でも



これだけたくさんの



人生のドラマがあるんだなって



感じながら



つい忘れかけている



人それぞれの



個性を認め・そして



自分のありのままの個性をも



愛するという



とても大切な



心を目覚めさせてくれるの



日々頭では理解していても



心からそのような思いを



大切に思うことは



思っている以上に



大変な事だと



なんじゃないかなって



感じているの



その思いを目の前で



間接的ではあるけれど



教えられているような



気がしているの



何気ない時間の中で



天使がくれるメッセージを



ゆっくりと受け取りながら



自分らしく



そしてその方らしい表現を



愛し受け入れられる



心のスペースを



広げられたらいいなって



感じているの











最近



私の住む北海道の夏にも



少しずつ



温暖化を感じられるほど



熱い風が吹いているの



今までならば



太陽から離れた影に入ると



涼しいかったのだけれど



湿度が増していて



昨年から



私たちの友人たちから溢れる言葉も



変わってきたの



今までならば



北海道の短い夏を



寂しく感じるあまり



「寒いよりも暑いならば



いくら暑くてもいいよね」などと



表現していたのに



最近では



「やっぱり今までの涼しい北海道がいいよね」などと



多くの方から



溢れているの



南の方に住まわれている方は



その土地にフィットするように



進化を遂げて



毛穴の数が多く



熱を放出しやすく



身体の方も



太陽に対応できるみたいなのだけれど



北の方で暮らす方は



一定の温度を過ぎてしまうと



とても対応できないみたいなの



北海道に暮らす方の多くは



夏が短い事もあって



クーラーがおうちに



つけられていない方も多くこの暑さを



やわらげるためにカフェなどで



長い時間を過ごす方を



よく見かけるの



私も太陽が元気な間は



お気に入りの近くのカフェに



さまざまな物を持ち込んでゆっくりと



過ごしているの



時々



仕事をこなすために



書類を持って現れた友人と



偶然に出会ったりして



とても楽しい時間へと



導かれているの



おうちでは毎年夏になると



ミントのアロマを炊いたり



化粧水などにもミントのオイルを使い



香りから



涼しげな時間を与えてもらっているの



もう10年以上リピートしているもので



北海道の北見の方で



栽培されている



100%ピュアなものなの



飲みものに入れて飲む事もできるので



安心して使える



大好きなオイルなの



よく見かけるオイルよりも



質・量・価格とも



とても満足できる



北海道の大地からの恵みに



感謝が溢れてくるの



今の季節ならではの



農家の方たちが



おうちの前で開かれている



無人の直売所にもよく足を運び



そしてどこまでも



広がる大地を眺めたくなると



友人と足を運びながら



ほっとした



安らぎを感じているの



そんな自然との調和が生み出す



恵みを受け取れる



今の季節の輝きを



体験できる事に



心から幸せを



感じているの














人は無意識に本能的に



溢れてしまった言葉や行動で



人を傷つけてしまう事って



あると思うの



心が穏やかな時には



自ら吸収した心の栄養を



そのまま感じ



表現できるけれど



不安や焦りetc



あまり好ましくない気持ちの時には



意識はしていなくっても



今まで過去に



シャワーのような感じで



自分に浴びせされた言葉を



ふっと言葉にしてしまう事って



あると思うの



その言葉で



いっぱい傷ついてきて



その言葉を伝えられたら



相手がどんな思いに



包まれるのかを



一番知っていても・・・



人間は



きっと心にもスペースがあって



自分が我慢する事で



平和が保てるのならばという思いから



様々な感情を



詰め込んでいても



一定の量になってしまったら



無意識に溢れてしまうんじゃないかなって



感じるの



自分で努力をして



新たな言霊や愛の表現を



受け取っていても



そのスペースが



過去の言葉や行動で



いっぱいになってしまっていると



なかなかスムーズに



しまっておけない事って



あると思うの



一生懸命に



新たなる叡智やヴィジョンを



自分で魂に



刻み込もうとしているのに



スムーズに歩めず



何度も・何度も



同じ事を繰り返していると



自分を責める事はないように



思うの



ただそれは



心のお掃除が



できていないだけなのだから・・・



誰でも人は



悲しい・恐怖・辛いという思いの方が



一瞬にして



深い記憶に刻まれやすく



楽しい・喜び・幸せという思いは



その倍体験しなければ



刻み込めないんじゃないかなって



感じているの



周りの方の法則ではなく



自分が生み出す法則を



頭で理解しているのではなく



心や魂から感じられる時



初めて過去を肯定し



触れ合う方たちにも



自然に自分らしい表現が



できるようになると思うの



そして



過去にシャワーのように浴びた



好ましくない言葉たちも



キラキラと



ダイヤモンドダストのように



空気に舞って



消え去ってゆくように感じているの










昨年から



身の回りを見つめ整える事を



重ねてゆくうちに



やっと心の深い部分にまで



たどり着けたように感じているの



多くの物たちと



対話と感謝をし手放し



多くのスペースができた事で



今まで自分でも気づけなかった



自分が大切に



描くものを感じていたの



病が生まれ



その病が子宮すべてと引き換えにしか



直る事がない事を伝えられて



大きな選択に迫られていながらも



どうしても答えを導き出せず



温存する選択をし



薬の副作用と共に



一時的に小さく保ち



その後は



薬以外のもののサポートや



心の力によって奇跡的にも



大きさが保たれたまま



過ごせていたの



でも本来は



私の中に宿った病は



ブルーディの日を迎えるたびに



痛みが増してくるものなの



毎月



その日が近づいてくると



いつもせつなく



言葉では上手に表現できないけれど



涙が溢れてくるの



それでもなかなか



心の深い部分を



見つめる事ができず



月日が流れたのだけれど



シンプルなライフスタイルが



整ってくるうちに



なぜ?私はこの痛みを



解消しようとしないのか?



なぜ?私たちには



子供が授からなかったのか?など



ゆっくりと考えてみる事にしたの



でも自分一人で出すには



少し難しく感じた私は



パートナーや友人との



何気ない会話から



自分の心のささやきを



受け取る事にしたの



友人との何気ない会話の中で



いつも彼女が伝えてくれる言葉があって



その言葉からも



メッセージを感じていたの



彼女は彼女を生んでまもなく



母親が自らこの世を去って



両親以外の方に



愛情いっぱいに育てられ



彼女はよく



「必ずしも実の親でなければ



幸せになれないわけではないし



実の母親でも



愛情を注いでくれたとは限らないし



私は今の環境で育って良かった



血の繋がりにこだわる人がいるけど



問題は愛情の問題じゃないかなって思うの



私は独身で



これからも結婚するかどうかは



わからないけど



子供は大好きだから



機会があったら



両親がいない子供でも



愛情を注ぎ



育てられたらいいなって思っているの」と



表現していたの



彼女のその言葉は



私の無意識の部分に



スポットを当ててくれたの



その希望を実現するには



自分から生み出さなければ



無理だとずっと感じていたの



でもその希望は



形にこだわらなければ



実現できる事を感じていたの



その後



パートナーにも



今後の未来について



話し合ってみたの



彼はとても優しい人だから



言葉のすべてが



本当に彼が望むものかどうかは



わからないけれど



私の心身が健やかに



毎日これからも過ごせるならば



2人のままでも幸せだと



伝えてくれたの



友人やパートナーの



愛の言葉を受け取り



身体に宿る病を



すべて手放す勇気が



少しずつ沸いてきたの



ずっと忘れていた元気な私と



再会したいしたい心が







少しずつ高まってきているの











数年前までは



触れ合う世界のスペースが



決まっていた事もあって



心が呼吸できない時間の中で



過ごす事も多かったのだけれど



インターネットと出会い



人の数ほどある答えや



幸せの形を知って



心から



深く深呼吸できるようになったと思うの



一見このHpも



私が遠く離れた場所に住む



ソウルメイトを癒しているように



感じられるかもしれないけれど



本当は一番



癒され心強く



幸せを感じているのは



私だと感じているの



共感していただける幸せを



教えていただき



自分から溢れるイメージを表現した



アクセサリーを



遠く離れた街で



身につけてくださる方がいる喜びが



また明日への笑顔となって



数珠のように結ばれ



幸せな数年を



過ごさせていただいているの



よくインターネットは



現実の世界ではなく



とても寂しい人間関係のように



伝えられているけれど



私にとっては



目の前にいる友人と同じように



現実の心の友人だと感じているの



そんな事もあって



友人と話す時にも



ここを訪れてくれる方から



伝えてもらった言葉や



悩みについても



よく話すの



そのたび友人も真剣に考え



言葉を伝えてくれるの



そんな心と心を繋ぐ出会いは



自然に生まれる



愛でしか導き



出会う事はできないと



いつも感じていて



改めて巡り会えた



喜びと感謝に包まれているの












また速いスピードで



次の展開へ進む



答えが与えられたの



小学生の頃から数年間



文通していた友人で



彼女が高校を卒業し



私の住む街の病院へ就職してから



いつも会って



話すようになったの



それから彼女が結婚し



また遠い街へ引っ越されて以来



お付き合いが16年くらい前から



フェイドアウトしていたの



その彼女が



私の実家に電話をし



今の私の住まいを聞き



電話をいただいたの



私は驚きと懐かしさに



包まれながら



どうしたのかなって思っていると



彼女が



「何かあった?



ここ数日ずっとあなたの夢を見て



どうしても気になったの」と



伝えてくれたの



その瞬間



この再会はここ数日



答えを求めていた事への



メッセージを



彼女の言葉を伝い



伝えていただけるんじゃないかなって



感じて


子宮についての病について



話してみたの



話を聞きながら



彼女は泣きながら



「うん・うん」と聴き終えた後



「辛かったでしょ



すごい痛みだもんね



でもきっとあなたに



その痛みが備わったのは



大きな意味があると思うの



あなたが



私に昔言ってたんだけど



子宮は女性にとって



子供を育むだけではなく



心と繋がっているから



胸を痛めた出来事が



多かったのかもよ



最終的な事を



決意しているのなら



他にも色々としてみたら?



もう忘れてしまったかもしれないけれど



昔私が背中が痛くて



起き上がれない時



私のうちに来てくれて



治してくれたの



覚えてる?



うちのお母さんも



今でも



あなたからもらった



石大切にしていて



足とかさすってるよ



そのエネルギーをもっと高めてみたら」と



伝えていただいたの



その話を聞きながら



少しずつ



思い出の中に



忘れてしまっていた



エネルギーを



思い出していたの



彼女が突然



長い年月を超えて



きっとメッセージを



運んできてくれたのかなって



感じながら



電話を終えると



すぐにパートナーが



「前に雑誌での読者体験で



手をかざしたりして


もらっていたところがあったよね



誰かに一回



気を入れてもらったらいいんじゃない



もともとパワーがあるんだから



自分でも癒していけるかもよ



試してみてもいいんじゃないか?」って



言葉が溢れてきたの



その言葉を聴きながら



無意識にそのエネルギーの



パイプが詰まってしまっているのかも



しれないなって



感じていたの



そのパイプの通りが



昔のように



スムーズになればと思い



以前足を運んだ事のある



ヒーリングを受けてながら



自分の忘れていた



エネルギーを



また目覚める時間となればいいなって



感じていたの











昨日とても印象に残る



夢を見たの



様々な小さな国の首相と



大国の首相などが集まり



とても深刻な話し合いが



なされているような



光景を空気のようになっている



私が見つめているの



その様子の中で



日本人らしき方が



まるで今まででは考えられない



強い口調で



大国の首相に詰め寄っていて



その発言に周りも自分たちも



今まで秘めていた



思いのようなものを



強く発言されていたの



その発言をしている人の周りには



まるでオーラのように



黄色光を放っていて



なぜか大国の首相には



黒とグレーのような



スモッグがかかり



その場で



唯一違う光に包まれていたの



他の小さな国々や



先進国の数国を除き



みんなリーダを必要としない



愛に満ち溢れた



地球の作り方のような事を



説明しながら



魂が繋がりあった国々で



実現してゆく事を伝えたら



急に今までとても



愛に溢れた国だと



思っていた国の首相が



赤いボタンのようなものを押し



沈んだ瞬間に



急に大きな火の様な



光が放たれたと共に



怖さのあまり



目覚めたの



その瞬間もしかしたら



脅威と伝えられている国よりも



怖い国が



存在しているんじゃないかなって



感じていたの



世界中の多くの方は



きっと愛に溢れた世界を



望まれていて



その思いがオーラとなって



地球を包んでいる間は



その夢のような事は



起こらないとは思うの



そのオーラは地球に住む



一人・一人から



放たれる愛の灯火で



作られていると思うの



自分を喜ばせ日々を楽しんで



いただけるだけで



自然に愛は外へと流れ



地球に貢献できているように



感じているの



愛が不足してしまうと



自然のままでは



愛のまなざしを



誰からも向けられないと



無意識に感じ



権力・名誉・経済など



必要以上にこだわり



その部分で人々から



まなざしという



エネルギーを得る事が



愛の得られなかった



隙間を埋めてくれると信じて



歩んでしまうと思うの



どんなにがんばっても



がんばっても



いつまでも



心の渇きを潤す事ができず



本人も周りもせつない



思いに包まれてしまうと思うの



誰もが最も



求めているものは



愛のぬくもりだと感じているの



そして地球が求めているものも



同じように愛だと思うの



その事をいつも私も心に



育みながら



過ごしてゆけたらいいなって



感じながら



その夢から



与えられた問題集の答えを



出していたの









今年のお盆は



自然との対話と共に



過ごそうと思い



パートナーと連日自然と



触れ合える場所へ



足を運んでいたの



海の輝きも



大好きなのだけれど



ここ数年は



山や緑のエネルギーと



フィットするみたいなの



海や滝などの水辺は



浄化のエネルギーを



秘めている事もあって



若い頃は心惹かれ



毎日無意識に重ねてしまう



小さな過ちや罪を



クリアにしてくれていたように



感じているの



それとは逆に



山や緑などは



エネルギー充電をしてくれる



パワーを秘めているので



年齢を重ねてくると



心惹かれてゆく方も



多いと思うの



瞳に映る



グリーンの色に癒され



そこに咲く花たちの



たくましく可憐な姿に



言葉ではなく



魂にたくさんのささやきを



伝えてくれるように



感じているの



私の住む北海道は



日本のキッチンガーデンとも



表現されるように



広大な大地に



様々な野菜やフルーツが育まれていて



ダイレクトに



大地の恵みを頂き



心身同時に満たされるのを



感じていたの



数日間いつもの空間ではない場所で



朝を迎えながら



静寂の中で



もっと深い気づきと出会いたくって



過ごす事にしたの



今まで近くにあって



いつでも足を運べると思い



一度も宿泊をした事がなかった



心惹かれていたお宿に



日替わりで宿泊させていただいたの



一日目に宿泊させていただいたお宿は



露天風呂から川や



小さな滝が流れていて



その流れを見つていたら



突然まるで精霊が



ささやいてくれているかのように



心に言葉が入ってきたの



「川の流れを見つめてごらんなさい」と



いうささやきと共に



私の心に様々な気づきが



生まれていたの



川の流れは



深い緑と透明感のある



美しい流れなのだけれど



岸に近い場所では



留まったままになっている



川の水は色も変わり



植物などもそばには



寄り添ってはいなくって



同じ川の水とは思えない



感じだったの



その川の流れを見つめながら



人の生き方にも



とても似ているんじゃないかなって



感じていたの



人間も



歩みをやめてしまうと



きっと岸辺の水のように



なってしまうように



感じているの



人にも与えられた



人生の流れのようなものがあって



その流れの中では



多くの出会いがあって



その出会いの中には



好ましくない出会いもあったり・・・



でも流れの中には



想像を超えた



美しい景色のような



心の風景を共に重ねてゆける



魂が導いてくれる



出会いがあったり・・・



様々なものがあるから



無意識に小さな喜びを



膨らませる能力が



育まれていたり・・・



失敗のない人生を歩む方法は



きっとひとつだけあると思うの



それは何もしない事



それだけだと思うの



人と過ごす時間がなければ



傷つく事もないし



外へ出なければ



事故に出会う事もないし



何かにチャレンジしなければ



その結果が生まれないから



いつも評論家のように



もっともな事をいつも語れるけれど



トータル的には



失敗がない人生って何もしていない



何もできないという事を



表現しているだけなんじゃないかなって



感じていたの



今幸せに過ごされている方の中にも



その幸せまで辿り着くまで



まるでスポーツのように



受身の練習ばかりだった方も



多いと思うの



今幸せだと感じられる方は



きっと無意識に



小さなチャレンジを



重ねてこられた方たちだと



感じているの



何かを始めようとする時



大小にかかわらず



先にあまり好ましくない



結末を伝えてくる方や



何かにトライして



思ったように運ばず



心が沈んでいる時に



「こうなると思ったよ



だからやめておけばよかったのに・・・」などの



言葉が風のように



届く事があるかもしれないけれど



何もない人生よりも



前に歩みだした



自分を誇りに思いなさいと


伝えられているんだなって



感じ受け止めたらいいと思うの



その言葉を伝えてくれる方たちは



その言葉の通り



踏み出す事が難しいと思っていて



その事に自分は



チャレンジしたのだから・・・
















最近



北海道に流れる



公共広告機構のCMに



胸が熱くなっていたの



そのCMは



球場の景色と共に



言葉が流れてくるの



「まさか、と思っていました



どうせ次で



なんて考えている



自分がいました



でもやっぱり



信じていました



北海道の力。



そして確信しました



やればできるんだってことを


あの、あつい夏を



ただの思い出にしないために



まちから



職場から、家庭から・・・



北海道の元気で



日本を沸かせてやろうじゃないか



次は俺の番だ」という



言葉たちだったの



この言葉は



高校野球で夢と希望を与えてくれた



駒大苫小牧の姿を見つめ



心の中に生まれた



思いだと思うの



この言葉のような



思いが北海道では広がっていて



どうせ・・・などという思いから



夢を描く人に



スムーズに応援するという事に



慣れていない方も多く



デメリット・できない理由を



先に探し



できなかった自分を無意識に



慰める事で



ある意味ダメージには



強い方も多いの



昔は



球児たちの滞在費を



心配するあまり



どうせ上にはあがれないのだから



一回戦で帰ってきたらいいと



表現される方も多く



私もそんな風に思っていたことが



あったの



参加できただけで



幸せという思いから



それ以上の夢を描く事は



できなかった時



大きな落胆を生んでしまうから・・・



それはある意味



北海道の方のおおらかさによって



球児たちに



プレッシャーを与える事ない



素晴らしい部分ではあったと思うの



昨年優勝という奇跡と夢が



ミックスしたような出来事が訪れ



少しずつ



夢見ることの素晴らしさを



応援し言葉として



表現される方も



多くなってきているのを



感じているの



それでも中には



この現実がまだ夢のように感じていて



まぐれ・奇跡・偶然だと



思われていた方も



今年の優勝で



心の瞳が開かれて



自分の人生を見つめられ



やればできるという



強い光のエネルギーが



差し込んでいる方もいたと思うの



今までどんなに



素晴らしい言葉を取得し



成功された方の体験を聞いたり



読んだりさた方でも



近くに感じられる方の



成功は言葉を超えた



教えが心に刻み込まれると思うの



よく人間の可能性についての実験で



みんなが飛び越えられないと



思っているものを用意し



次々に飛んでみるの



その時やっぱり



飛び越える事ができないの



でもその中で



たった一人飛び越えただけで



その後なぜか?今まで



飛び越える事が



できなかった方たちが



不思議なくらい



次々と飛び越えられるようになってゆくの



それは人間の心にかかる



無理という鍵が



近くにいた方の成功によって壊され



自分の秘めている



可能性の扉が



開かれたからなんじゃないかなって



思うの



人それぞれに



叶えてみたいけど無理・・・と



思うことを



成し遂げられている方を



まぶしすぎて



見つめられないのならば



形は違うけれど



もっと身近にいる



データーなどではない



新たな歴史を刻まれた方たちから



溢れ出す言霊や歩みから



間接的にでも



パワーを頂けると思うの



今回高校野球を毎日見つめながら



数字での勝敗では



量りきれないものを



いっぱい分け与えていただいた



感謝でいっぱいなの



それぞれのチームが



流す涙の中に



言葉を超えたものが秘められていて



その思いと共に涙の輝きも



おすそ分けしてもらっていたの









数日前までは



喜び溢れていた高校野球の優勝校が



今とても大きな悲しみに



包まれているの



そのたび表現されている



「連帯責任」という言葉が



とても心に響いていたの



学校でも社会でも



日本ではこのような



「連帯責任」というものが



あるんじゃないかなって



とても感じていたの



この「連帯責任」という言葉は



無意識に



私たちの心の中に大きく刻まれたもので


何よりも大きな錘と



なっているんじゃないかなって



感じていたの



私は社会生活をあまり経験ないので


いつも



パートナーから職場での



「連帯責任」のせつなさを



両方の立場で体験した事を



語ってくれることがあるの



自分が失敗をして




自分にストレートに



責任が問われるのならばいいけれど



そうではなく自分以外の人が



責任をとらされる事の方が辛く



その逆に自分が失敗していない事も



所属のネームから



自分が謝罪し



責任を果たすために



今度は無意識に



つい失敗した人を監視し



言葉が強くなってしまうみたいなの



きっとそれは無意識に




自分のテリトリーが広がり



仕事以上にその部分に



エネルギーが注がれ




疲れてしまうからだと思うの



自分が過ごすエリアの人の数が



多くなればなるほど



様々な個性が育まれているのだから



すべてを同じ色にすることなど



とてもできる事では



なんじゃないかなって



感じていたの



太古の昔から



人間の思いやりや



優しさを理解したうえで



作られた心のストッパーとして



「連帯責任」というものが



作られたように感じているの




親子関係であっても



子供がおかした過ちは



その子の責任ではなく



親の責任へと流れ



一社員がおかした過ちも



その方だけではなく



会社全体へと広がったり・・・



夫婦や恋人であっても



相手の行動が自分の責任のように



表現されていたり・・・



このような流れが



愛のまなざしの光を消してしまう



ひとつになっているんじゃないかなって思うの



たとえ同じ空間に



過ごしていたとしても



それぞれ個人が



自分のストーリーを秘めていて



その部分までは把握できないと思うの



今回のニュースを聞きながら



いろいろな事を感じていたの



年を重ねられた方たちの時代では



当たり前に行われてきたことも



今という時代の変化によって



それが当たり前ではなくなってきている事も



多いと思うの




新しい流れと昔から



信じてきた教えを大切にする思いの




はざまの中で



今という時代が一番心のディスカションが



多い時なんじゃないかなって感じていたの










偶然ネットオークションを



見つめながら



とても素敵な家具と巡り会い



メールをさせていただいたら



お近くに暮らされている方で



おうちを新築され



そのおうちに今の家具たちが



フィットしないから



手放したい事を伝えてくれたの



その方は運んでくださるのならば



無料で差し上げたいと伝えてくれて



とてもエレガントな



猫足のヨーロッパ家具のチェストを迎えに



その方のおうちへ伺ったら



そのおうちの中は



優雅なヨーロッパ家具がたくさんあって



とても美しく



ずっと見つめていると



「もしよろしかったら



すべて持っていってくださると



嬉しいのだけど・・・でも



こんなにいっぱい



邪魔になっちゃうわよね」と



伝えてくれたの



たしかに



2~3年前ならば物に溢れ



スペースのなかった頃には



欲しくっても場所がないから



きっと



いただく事ができなかったと思うけれど



ここ数年



心の整理と共に



本当に愛しているもの



自分が大好きなテイストが



わかるようになってきて



本当にシンプルな空間になっていたので



ありがたく



すべてを数日かけて




運ばせていただいたの



私とパートナーも



このご好意がとっても嬉しくって



気持ちばかりではあるけれど



バラエティーにショートケーキを



プレゼントさせていただいたり



そのご家族からは



大型ごみとしての費用が



かからずに済んだのでといって



ホテルのディナーチケットまで頂き



本当に喜びと感謝で



いっぱいになった



出会いだったの



おうちの中の今まで空いていた



スペースに



素敵な家具たちを並べてみたら



とても優雅な時間が



流れていたのだけれど



カラーが白ならば



もっといいのに・・・って



いつも眺めるたびに感じ



その事をパートナーや家族に



何気なく表現するたび



「この色だから高級感があるんだよ」と



伝えられていたの



でもそのたび



カラーチェンジを



踏みとどまっていたのだけれど



やっぱり白が・・・との思いが



いつもあって



その時こんな小さな出来事の中から



色んな事に気づかされていたの



高級そうだから



自分に似合わなくっても



身に着けるファッションや



高級そうに見えるから



愛していないものを




飾っているインテリアも



私自身が求めていないという



強い思いが溢れてきたの



私自身が暮らす空間で



心地がよく感じられる時間を



共に作ってくれるものを求めていて



たとえチープに映ったとしても



誰かに自慢すために



この空間に置く訳ではなく



それが私らしさのひとつ



なんじゃないかなって感じ



思いきって



カラーチェンジしてみたの



よくよく見つめると



塗ったというものが



残ってしまったのだけれど



それでも


やっぱり何度見つめても



自分の心は満たされていたの



私の中の私らしさって



10代の頃は意識しなくっても



感じる事も



表現する事も自然に行えていたけれど



年齢をを重ねてゆくうちに



少しずつ消えていっていた事に



気づかされていたの



このような事って



恋人を紹介する時や



結婚する相手を紹介する時にも



少し似ているんじゃないかなって



感じていたの



周りの方に紹介するたび



経歴・職業・ルックスetcについて



あまりよいコメントをいただけなくっても



共に歩むのは自分自身で



自分自身が心地よく



相手の中の美しいと思う部分を



見つけあえる価値観って



とても大切だと思うの



今回はダイレクトに



空いたスペースに物質としての



喜びが運ばれてきたけれど



心も同じように



ゆとりや余裕のスペースを



少しでも空けておくことで



幸せが受け取れる



大切なスペースとなってくれると思うの



改めて


循環する事・スペースを作っておく事の



大切さを感じていたの