2005・7月






毎日美しい



自然のエネルギーを感じながら



過ぎてゆく大切な時間を感じながら



心のメンテナンスには



時間を注いできたけれど



身体へのケアは



大きなサインを感じなければ



つい最後の方へと



まわしてしまっている事が



多いかもしれないなって



感じていたの



例えば車でも



車検や車税などに



大切なお金を注ぎケアしていたり



おうちのリフォームなど



目から吸収する美しさには



心が動くけれど



気がつけば



そのものすべてを動かす人間を



メンテナンスする事なく



築くという事に



意識が膨らんでいる方も



多いと思うの



私の友人たちは



最近美意識のスペースが広がり



自分に目を向け



会うたびに美しくなっているの



そんな姿を見つめるたび



物質も人の姿も



心のあり方でも



美しいものに触れ合うと



エネルギーが満たされ



幸せになるのを感じていたの



何かの本で以前読んだ言葉の中に



20代は男性のために化粧をし



30代になると同性との時間を



華やかにするために着飾り



40代になって



自分の心を励ますために



美しいものを所有するように



なるみたいなの



その言葉の中に女性が持つ



美意識の流れを感じるの



友人たちは



今まで一生懸命に走り続け



その証のように残る



若い頃とは違う変化にも



気づかないほど



忙しく過ごしてきて



やっと心のゆとりから



一個人としての女性の心を取り戻したいと



感じられるようになったのだと思うの



もちろん心のあり方は



大切だけれど



自らが納得できる



美しさを手にした時



心を引き上げてくれるのも



事実なんじゃないかなって



感じているの



女性にとっては



美しさというのは



とても大きな財産だと思うの



今までもてなかった自信が溢れ



社交性が生まれる方もいたり・・・



体重計に乗り



1kg・2kgの変動で喜んでみたり



落胆してみたり・・・



そんなかわいらしさが



女性の持つ



愛しい部分だと思うの



以前何かのテレビ番組で



老人ホームに住む80歳以上の女性に



化粧を施していると



見る見る表情が明るくなって



今まで体力がなく



あまり移動しない方だったのに



一部屋一部屋に声をかけ



「見て・見て」と



少女のようだったの



きっと女性は年齢を重ねても



美しいものに憧れ



心の栄養とできる



能力が備わって



いるんじゃないかなって



感じたの



その姿から



自分自身が美しいものを持っていたり



美しい笑顔を咲かせたり



美しい資質を大切にしていると



それだけで触れあう方に



エネルギーを生み出す力を



手渡せるんじゃないかなって



とても感じたの









友人と久しぶりに



美しい空間が広がる



フレンチレストランへ



足を運んだの



友人は着実に



しっかりとキャリアを



積み重ねながら歩んでいて



私はいつも彼女を尊敬しているの



彼女が大学へ通っていた頃から



知っているので



私の中では妹のように



愛しい存在なの



長い間ずっと彼女に



自分の伝えられる知識や



ヒントを与え



何となく自分の後を



歩いてきているような



気持ちで過ごしてきたの



でも数年の間に



彼女は心の病を自分で克服し



強くてかわいい女性へと



進化していたの



私の心が何となく晴れない時には



励ましてくれたり



思い出話しで



幸せな気持ちを呼び覚ましてくれたり・・・



彼女を取り巻く環境も



私を取り巻く環境も



まったく違うけれど



それぞれにその中にある



学びを取得して



今こうして話してるのかなって



感じていたら



とても不思議な気持ちになっていたの



まるで家族のように



素直な気持ちを表現するあまり



疎遠になったりした事も



多くあったけれど



いつもどちらかがアクションを起こし



謝りの言葉がなくっても



受け入れ許しあってきたと思うの



お互い言葉にはしないけれど



スペアのきかない友人の一人だと



大切に思っているんじゃないかなって



感じているの



彼女と長い間付き合いが



続いているのはきっと



心惹かれるものが



その時々フィットしていて



話していて共感しあえるからだと



思うの



不思議な事が大好きで



自分のメンタルな部分に



とても興味を持っていて



年齢を重ねていても



ピュアな人なの



私が時々



無理をしすぎて



大人になると生まれる特有の



見栄のようなもので



息が苦しくなっていると



「どうしちゃったの?」って



その一言で



心の目を覚ましてくれるの



このHPに来てくださる方と



彼女のおかげで



私は自分を愛せる力と自信を



与えてもらっている毎日なの









ここ数年



輝くものが多く方の心惹く



現象が生まれていて



とても感じている事があるの



太古の昔から



プリズム・光・鏡などは魔よけとして



様々な宗教儀式に



使われていたりして



特別な方と言われる方や



特別な場所でしか



使われていなかったけれど



今この時代は



人間の中で眠っていた



「魔」の部分が



外からの刺激によって



目覚めているんじゃないかなって



感じたの



だから無意識に光放つものなどで



身を守り心惹かれ



身につけられている方も



多いんじゃないかなって



感じているの



光の反射の中には



何色もの色が重なり



無意識に



私たちの心身に影響を



与えてくれていると思うの



その中の単色だけではなく



すべての色が必要なくらいに



心身共に



エネルギーが不足されている方も



多いんじゃないかなって



感じているの



そう感じるようになってから



アクセサリーを作らせていただく時



光の反射が



長く広がるスワロフスキークリスタルを



パワーストーンと組み合わせて



作りたいと思うようになったの



今この時代は



リーズナブルな価格によって



多くの方にも



天然石を持つ事ができるように



なったので楽しみながら



おしゃれができると思うの



昔ならば



ごく限られた方にしか



持つことの許されなかった輝きだけれど



そのような時代から開放された今



美しい輝きで守護してもらえる



喜びを感じているの



私の住む北海道の様々な場所では



ヒスイ・水晶・砂金etcなどが



眠っているらしく



以前知り合いの方から聞いたお話で



とある山には



水晶の大きな塊があるけれど



万年雪に埋もれていて



氷なのか水晶なのか



見分けをつける事ができないまま



自然と共に暮らしている



水晶があると聞いて



とても心惹かれたの



それ以来



その山の近くを通るときには



車を止めて



その山から吹く風を



両手を広げて



吸収しているの











人生の成功について



考えてみたの



様々な成功について書かれた本や



セミナーなどが華やかに並ぶ



今の時代だけれど



成功している方と



その逆に分かれている方の違いって



なんだろうって考えてみたの



きっとそれは



一般常識と伝えられているスペースの中でしか



選択する事なく過ごされている方と



何の根拠もないけれど



自分の心のスペースも含め



自分の感覚を大事に選択してゆくかの


違いなんじゃないかなって



感じているの



違いはそれだけのように



感じているの



一般常識と伝えられている



スペースというのは



危険回避のエネルギーに強く働きかける



ストッパーが多く



その中で答えを導き出す



くせのようなものがあると



何か新たな夢や希望が生まれても



すぐに打ち消すだけの



過去の経験や



多くの方の生き方に



心が無言で説得されてしまい



幸せの選択へ



結びつかない事が多いと思うの



その逆に心のスペースでの選択は



思い込みや固定観念がないからといって



決して常識がないわけでもなく



世間が求めている思いを



受け止めながらも



自分から広がり繋がる



道を歩む事だと思うの



その何気ない違いが



大きな違いを生むんでゆくだけのように



感じているの



自分の心を見つめると



小さな事から大きな事まで



思い込みや固定観念で



溢れていると思うの



何気なく誰かとの会話で



自分が話している言葉に



耳を傾けてみると



気づかされる事も



多いと思うの



以前友人たちと



自分の思うことが



無意識に現実を導いているという



話をしていて



「それならば



何で私は幸せじゃないのだろう



思うことが現実になるんでしょ」と



伝えてくれた友人がいて



たしかにそうだよねって思いながらも



長い時間話していて



教えられた事がいっぱいあったの



意識して話した言葉は



「幸せになりたい」という



言葉だったけれど



その言葉以上に



自分の口から溢れている



固定観念のエネルギーの強さが



ストッパーとなっているのかもしれないなって



教えられたの



このような学びは



自分の心では中々気づけないので



誰かの話す言葉で感じる事が



一番見つけやすいと思うの



私の中にも



そのような部分があるの



とても難しい表現だけれど



何かを見つめ



それがあまりよくないと



表現される方が多い時



肯定しているような表現をする事で



自分の人格までも



「おかしい」「常識がない」などの



飛び火を受けてしまう事を



避けるために



自分の思いとは別に



言葉を生み出している事もあるの



きっと



心のスペースが広い方は



跳ね除けたりしなくても



自分の心の中で溶かしながら



共感とは違う



理解できるという思いとして



魂の辞書には



刻み込まないのだと思うの



良い・悪いのボーダーラインに



すべて分けてしまう事で



見えなくなってしまうものも多いと思うの



そのボーダーラインを



もたれていない方が



一般的に伝えられている



成功者となっているんじゃないかなって



感じているの



ただ成功とは



本人が心で



自分の人生に納得し



幸せを感じているかという事が



人生に成功しているという事だと思うの



だから誰にも知られていない



心の成功者は



きっといっぱいこの世界には



生まれていると思うの











何気なく足を運んだ本屋さんで



小学3年生の算数学習ドリルを



手にとって



友人と見ていたの



その時友人は懐かしそうに



問題を解いていて



その姿を見つめながら



突然不思議な感覚に包まれていたの



私は自分でも驚くほどまったく



その問題がわからなかったの



そのような問題を



忘れているのではなく



本当に触れ合った



記憶事態がなかったの



とても恥ずかしい事だけれど



今でも掛け算の九九は



部分部分しかわからないの



その事を友人に話しながら



自分が今まで



どのように学校生活を



送ってきたのだろうと



改めて



とても不思議になっていたの



こんなに基礎的なことも



学ばないまま



よく高校に2回も



入学できたなーって(笑)



不思議な落胆と感謝に



包まれていたの



幼い頃から



父方の祖母は



字を読む事も書く事もできなかったけれど



多くの友人に囲まれて



毎日のように



歌を習い・ゲートボールをし



踊りが大好きで



踊れる場所があれば足を運んで



過ごしていたの



私の弟が親戚や両親から



褒められていると



祖母は必ず大きな声で



「勉強ばかりが人生じゃないんだよ



知らない事があったら



人に聞ける勇気があれば



何にも困らないし



この子は絵も上手だし



優しいしたいしたもんだよ」と



心をいつも支えて



あたためてくれていたの



10代になってからも



私の着ているものを欲しがるような



とてもかわいい人だったの



そのような祖母の存在があったおかげで


学歴に対するコンプレックスを持つ事なく



ここまで歩んでこられたように



感じているの



高校に通っていても



すぐに心惹かれなくなってしまい



別の道を選択した時には



親戚の方が



おもしろおかしく



私の話題で時間を過ごしていると



祖母が



「あの子は頭がいいから



学校へは行かなくてもいいんだ」と



少し怒った感じで表現してくれて



両親もその言葉で



心が軽くなったのか



母親は



「この子はぐるっと



学校の中を見渡したら



それで満足しちゃうんだよね(笑)」って



言葉にしてくれていたの



このような流れのおかげで



私がずっと深く持っていた罪悪感という



心の影を光で打ち消してくれたの



今でも私のわがままを




許してくれた両親に



心から感謝が生まれ



心があたたかくなる



私の大切なエピソードとなっているの



小学3年生の問題集を見つめながら



友人と共に



友人とは違う思い出ではあるけれど



お互い



懐かしい思い出に包まれていたの



私は自分の力だけではなく



多くの巡りあった縁に支えられて



今日こうして



幸せな気持ちで



過ごせているんだなって



感謝が心の中に広がって



涙が溢れそうになっていたの











以前読んだ本の中にあった言葉をふっと



思い出していたの



オーラを映す



キルリアン写真で



様々な実験が行われ



その中に10円玉を握り締めながら



怒り・不安・喜び・感謝などを



それぞれにイメージし



手放した10円を



キルリアン写真で映すと



手放した10円にも



オーラの様な残像が残るみたいなの



その感情によって



その残像のカラーにも変化があって



ずっと残るみたいなの



その後参加してくれている方には



知らせずに



それぞれの10円玉を握ったまま



話をしていると



怒りのエネルギーを込めた10円玉を握った方は



無意識に日頃感じている



怒りをもっている話へと導かれたり



不安も喜びも・感謝も



同じように込められたエネルギーと



同じ感情と同じ波長の



お話をしたみたいなの



その事を思い出しながら



自分って思っている感情も



何かに影響を受けて語っている事も



あるんじゃないかなって



感じていたの



オーラの残像は何かで浄化されて



そのエネルギーを転写しない間は



残っているみたいだから・・・



住まいも以前住んでい方の過ごしていた



思いが残っているから



住んですぐに



お香をたいたり



水晶などを置くといいと思うの



そのように見つめていると



たしかに



お店などでも開店してすぐに閉店し



また新たなお店が



何度となく繰り返し



開店・閉店がある店舗や



逆に小さな店舗から初めて



すぐに会社として成長し



店舗を構えるために



引っ越された空き店舗は



また次に開店した店舗も



大きくなって・・・という



不思議なエネルギーが



あると思うの



そう感じるようになると



ものの見方が少し角度を変えて



見つめられるようになって



目で見つめる楽しみと一緒に



楽しみが増えてゆくと



思うの



何かを手に取り



「これはどこの国のものだう」



「これはどのような方が作ったのだろう」など・・・



何かで見た本に



アメリカ製のものは



新たな展開を求める時に



エネルギーを与えてくれて



イタリ-製や



フランス製は今の自分よりも



ワンランク上を目指す時



日本製のものは現状維持に・・・など



その国などでも



与えてくれるエネルギーがあるみたいなの



世界的にも



ものが運ぶエネルギーについて



伝えられるお話も多く



キルリアン写真がない頃から



人間が感じる五感に触れる



エネルギーがあるんじゃないかなって



感じているの



日常の中でも



ふっと振り返ると



「あの時あの場所へいった頃から



いい事が多いような気がする」



「あれを買ってから運の流れが良くなった」



「ここに引っ越してから



素敵な縁が多くなった」など・・・



自分の持つ人生のプログラムと



リンクするエネルギーたちが



大きな変化をいつも与えてくれていて



自分の秘めた力に



魔法をかけてくれる



瞬間があると思うの



そしてその魔法を



自分で意識的に



受け取ってゆく時間を



作りだしてゆく事で



知らない間に好転しているのを



感じられると思うの











人生の中でも一番難しく



大切な「許し」は



大きなものから小さなものまで



手放せないまま



心の中に塊となって



いるものもあると思うの



「許し」すという事は



自分が負けを



認めるような気がしてしまい



中々実現できなかったり



また同じ事を



繰り返してしまうような



恐怖に包まれてしまったりして



心から



「許し」が実現できない事もあると



思うの



でも本当は「許し」って



心で行うものだから



相手の方へその思いを



必ずしも伝えなくっても



よいんじゃないかなって



感じているの



私たちは過去に出会った



もう会うことのなくなった方へも



「許し」という塊を溶かす事が



必要な部分もあると思うの



今・目の前にある「許し」を行う事が



とても難しい時には



過去の「許せない」感情を



思い起こしてみるといいと思うの



そしてその過去を



過去のものにするために



自分で過去の出来事に



答えを作って



納得させてあげるといいと思うの



ゆっくりと時間をかけて



「なぜ?あなたは私に



そのような事をしたの?



私はとても悲しかったんだよ



でも私はとても



えらかったと思うの



あなたの気持ちをすべて



受け止められたのだから・・・



その心の広さを



養えた事に感謝します



私は幸せになるために



重い悲しみの過去を手放すね」など



自分なりにアレンジして



最後に心が軽くなってきたら



イメージの中で



蝶などの羽根のあるものへ



思うを込めて



両手の中から



飛び立ってゆくのを



思い描くの



そのような事を



必要なときに



何度も行ってゆくうちに



心のエネルギーを奪う



許せない事を



手放してゆけるようになると思うの



相手がいる場合は



もう答えをいただけない思いから



エンドレスで


心わずらってしまう事も



多いと思うので



許しが実現できる答えを



自分で与えてあげたらいいと思うの



「許し」は相手へ



負けを認めてしまう事でもなく



相手の意見の正しさを



理解したから行う事でもないと思うの



自分が未来へ舞い上がる



困難となっている



錘を外すために



行う人生の大切なプログラムの中にある



ひとつのなぞなぞのようなものな



だけだと思うの



その方それぞれに



許しへと導きやすい



言葉をイメージしながら



行ってゆくといいと思うの



私たちは日々



怒りや不安・恐怖を



呼び覚ますような



言葉や行動と出会い



そのたびに



生まれた怒りを



深い部分へと



押し込めてしまっていると思うの



その怒りは何かのきっかけで



伝えやすい人に表現してしまったり



正当だと思える発言に乗せて



手放すという



プロセスを何度となく行い



小さな怒りは手放してこられたけれど



本当の問題となっている



大きな怒りは



ちょっぴり自分の努力が必要で



「許し」という



エネルギーで溶かしてゆかなければ



消し去る事はできないように感じているの



「許し」は



相手の意見の正しさを受け入れたわけでも



負けを認めるものでもなく



ストレートに



自分を幸せに



導く答えなのだと思うの



人を許せない思いから生まれる



自分から溢れる言動や行動に



自分の魂が傷つけられてしまう前に



ゆっくりと錘を外し



天使のように軽く



羽根を広げて



未来を空から見通せる



安心感を手にして欲しいの













よく何か心に迷いが生まれ



答えが欲しいときに



スピリチュアル形の本を手にとって



心のままに



パッとランダムに開いた所に



今必要な答えとなる



メッセージが書かれている事があると思うの



私たちを一人一人



守護してくれている存在は



何かの形でしか



ヒントを与えられないから・・・



私たちが一心に求める時



周りに意識を広げていると



すぐに



答えを与えてくれると思うの



そのメッセージに



心の瞳が向けられるように



大きな存在を信頼しているだけで



私たちはいんじゃないかなって



感じているの



でもつい焦りや



コントロールしなければ



ならないという思いから



いつも答えを出してしまう事が



あると思うの



私たちが



子宮という小さな宇宙から



この世界へと送り出された頃から



「不安」という気持ちが芽生え



子供ながらに食事を求める時



移動したい時などに



大きな声で泣く事で



周りの空気をコントロールしながら



その力を強めてきたように



感じているの



そのコントロールの始まりによって



内なるエネルギーに



目を向けるよりもスピーディ-に



答えを自分から作り出す事だけに



寄り添うようになったんじゃないかなって



感じているの



以前何かの本で読んだ言葉の中に



「人間は子宮から切り離され



母親との距離に不安を感じ



いつも本能的な部分で



子宮にいた安らぎを求めている」という



言葉なの



たしかに大人になってからも



私たちは



両親の愛情を向けるために



様々な形で過ごしてきたと思うの



家庭の中でヒーロー・ヒロインのように



ストレートに



両親に喜びを伝え



愛情を受け取るパターンや



心配や不安・手助けがなければ



生きてゆけないような



雛鳥のように表現し



いつも目を離せないように



表現しながら



愛情を受け取る表現であったり・・・



この世界の多くの方は



好き嫌いに問わず



両親から褒められたい



自分を認めてもらいたい思いを



秘めていると思うの



子宮にいた安らぎを



母親から感じやすい事もあって



大人になってからも



愛情を求め



益々自分を傷つけてしまう方も



いると思うの



血の繋がりがなければ



人間として冷静に



見つめられる部分も



両親との間では



とても難しい感情が



生まれてしまうと思うの



最近何気なくテレビで拝見した



心の病と共に過ごす方の中に



とても心惹かれた方がいたの



その方は母親との間で



愛情を受け取る事ができないまま



祖母に愛情を注がれ



大人になって



結婚・出産をされ



生まれた子供をとても可愛がる



母親の姿を見つめながら



複雑な思いで過ごされたみたいなの



意識では



自分の子供を大切にしてくれる



母親に感謝しながら



感情の部分では



「そんなに愛情があるのならば



なぜ?私には・・・」という



ふたつの感情を往復しているうちに



自分でもコントロールできなくなって



自傷行為やこの世から消えたい



思いの中で



今も心静まる事なく



過ごされているみたいなの



その方の複雑な



言葉では表現できない思いに



胸が熱くなっていたの



私たちの両親の世代は



高度成長期という社会の中で



両親が幼い時



そのまた上の



両親から満たす事ができなかった



物質的な幸福を求め



食べられる幸せ・物に満たされた生活に



心が向かっていたのだと思うの



そしてその中で育ってきた私たちは



寂しさと引き換えに



豊かな生活をしてきたのだけれど



今度は



満たされていない心の部分に



豊かさを求めているんじゃないかなって



感じているの



その寂しさを深い部分に沈めていたのが



何かのきっかけで



溢れ出てしまったり・・・



そのきっかけの多くは



孫となる自分の子供に



愛情を注ぐ両親と出会って



目覚める方が多いみたいなの



今思うと私も友人も



そのような時期があったんじゃないかなって



最近話していたの



両親は自分たちに



愛情を注ぐ時間がなかった思いを



孫に注ぎ



できるタイミングで



今までしてやれなかった事を



してあげたいと表現しているのだと



思うのだけれど



私が思うのは



まだ両親の子供として



私たちは存在しているのだから



愛情を飛び越えた形で行うのではなく



ストレートに



その子供たちに



今からでも遅くはないので



愛情を手渡して欲しいなって



感じていたの



ただ私たちも両親と同じ時代に



生まれ子育てをしていたならば



きっと何の疑いもなく



社会の中で



目に見える豊かさを満たし



それが家族を幸せにする事だと思い



過ごしていたんじゃないかなって



感じていたの



私たちはそのような思いを



心に問いかけながら



話す事で



素直な自分の心に導かれるまま



両親との間で様々な形で答えを



作り出してきたの



以前にも書かせていただきましたが



友人は大きな努力の末に



ご両親との決別を選択し



私は少し共依存的な関係から



距離を作り



遠く離れた場所から



両親に感謝が生まれる



解決法を選んだの



心というものは不思議で



どんな選択をしても



これでよかったのかなって



時々ふっと友人と



言葉にする事があるの



でもこれでよかったのかなって



思える時って



きっと安らかな時間の中で



過ごしている証なんじゃないかなって



感じるの










私はいつも自分から生まれる



インスピレーションのままに



すぐに行動したいという思いから



いつも物をデスクの近くに目に見える



場所に置いていたの



でも最近しまいこむ事を



しないでいた本当の意味に



気づいたの



それはしまいこんでしまうと



探す時間が倍以上かかって



その間に



情熱が消え去ってしまうからだと



感じていたのだけけれど



本当は



必要ではないものがスペースを占めていて



その間・間に必要なものを



しまいこもうとしていたからなの



でもここ数年



物を手放す=過去を手放す



こだわりを捨てる



今の自分に素直になる事を



ゆっくりと行ってきて



様々なものを手放す事で



埋もれていた本当の自分が



やっと顔を出してきたように



感じているの



初めの頃は



「もしかしたらまた使うかも・・」などの



ストップタイムがあったのだけれど



今では



少しずつ自分が求めるものや



好きなものがわかるので



テイストにあわない事を



すぐに受け取れるので



あまり迷いはなくなっているの



ここ数年で



ゴミ袋に換算すると



100袋以上のものたちを



手放してきたけれど



手放して困ったものは



何もなく過ごせているので



きっとものとの対話で



上手に手放せているのかなって



感じているの



でも不思議な事に気がつくと



その開いたスペースには



また違うものたちが



私を笑顔にしてくれるために



存在しているの



今という時代は



物が溢れている事よりも



スペースという空間に



大きな価値があって



スペースがあるということも



豊かさなんじゃないかなって



感じているの



今になって



ものに埋もれていた頃の私を



振り返ってみると



その部屋に自分の心がすべて



表現されていたと思うの



10代の頃は



きっとどこか心が寂しかったのか



友人と映る写真を壁に



何枚も張っていたり



ぬいぐるみなどで



部屋のスペースを埋める事と



心の寂しさを埋める事は



同じだったように



感じているの



20代になって



まるで劣等感を埋まるかのように



わざわざブランドロゴの入った



紙袋を使う事がないのに



何十枚も



溜め込んでしまっていたり・・・



使う事がないバックや靴などを



いくつもクローゼットに



押し込んでしまっていたり・・・



30代になって



やっと「自分」という存在をいたわり



少しずつエネルギーの循環が



上手に行えるようになれたと



感じているの



そのように過ごせるようになってきて



お掃除が苦手だと



自分で思い込んでいた部分も



ものが溢れている方が



きれいに整頓された部屋よりも



好きだと感じていた部分も



本当はものに溢れ



どのように掃除したらよいのか



考えてしまうだけでエネルギーを



失ってしまっていただけだったり



自分では気づかない



慢性的なイライラ感は



どのエリアも



くつろげない日常にあったり・・・



よく年齢を重ねられた方たちは



無意識にそのような事を



理解しているのか



「部屋をきれいにしていないと



悪いものが入ってくるよ」など



言葉として表現される方も



多いと思うの



たしかに住まいには



まるで神様の通り道のような場所があって



その部分にものが溢れていた頃は



不思議なアクションが



私の住まいでもよくあって



トイレなど鍵のかけられる場所の



鍵は中からかかっていて



開けるともちろん誰もいないのだけれど



何かの存在を感じていたの



そのエリア・エリアに



存在している



目に見えないエネルギーが存在していて



波動や空気が変わるたびに



その見合った存在が



入れ替わると伝えられているから



一生懸命にがんばっているのに



結果が・・・と思われている方の中には



自分の力不足などではなく



過去から繋がるエネルギーによって



いつも足踏みしなければならない



時間を与えられているかもしれないから



ほんの少しエリア別に



手放すものがないか?



見つめなおしてみるのも



いいと思うの



以前も書かせていただきましたが



私たちの目には映らなくっても



思いなどが転写されて



エネルギーを持ったまま



お部屋に分散されていると



心の迷いに繋がってしまう事も



あると思うの



今の自分のテイストに



フィットするものなのか?って



感じながら見つめるようになると



自分で感じている以上に



今お部屋にある



多くのものは手放す必要がある事を



感じられると思うの



そしてそのスペースに



心のやすらぎを感じられたら



もっと今以上に



素敵なプレゼントが



そのスペースを



埋めてくれるように感じているの










私のおうちのすぐそばには



高い建物がない事もあって



花火大会などが開催されると



大きな美しい空に咲く



花火が見られるの



毎年見ているのに



なぜか花火の音と光は



心躍る子供に戻してくれるように



感じているの



日本でも今ではなかなか



和装というのは



着慣れない事もあって



好まない日本の方たちでも



ゆかたを着られる



タイミングのひとつとなっていて



花火大会の日には



地上にも多くのお花たちが



咲き乱れているの



お父さんに



肩ぐるまされた子供たちの



喜ぶ歓声や



恋人たちが瞳を輝かせながら



空を見つめる姿を見つめながら



心から



今の日本の平和に



感謝がこみ上げてくるの



数年前にも



書かせていただいたのだけれど



なぜか私は



日本での戦争について



まるで体験してきたかのように



冷静な気持ちを保てない部分があるの



説明はできないのだけれど



言葉を失ってしまうの



自衛隊の方を見返るだけでも



少し涙がこみ上がってしまうの



2年位前に



ずっと呼ばれているのを感じていた



沖縄へ足を運んでからは



少し冷静になれるようにはなっているの



沖縄の美しい海に



嬉しく心はずんだかと思うと



わけもなく



恐怖・不安の思いに包まれて



その事をパートナーに伝えると



不思議そうに



大丈夫だよと何度も



伝えてくれていたの



今の時代はインターネットで



ネットサーフィンしていると



求めていない映像を瞳に



してしまう事もあって



ここ数年で



何度も言葉では伝えられないような



戦火の画像やテロなどの影響で



信じられないニュースが伝えられ



インターネットなどで



このような画像を偶然とはいえ瞳に映してしまうと



やっぱり意味あって



このような場面を知り瞳に映すのは



自分が望むかどうかを別にしても



多くの人々は深い部分で



繋がりあっているのを感じているの



何気ない日常の中で



何もなく退屈感を感じたり平凡すぎると



大きな変化を



人間は時として



求めてしまうけれど



何気ない日常でも



人と同じくらい車が多くなっている



都会の中では



事故が起こらない方が奇跡だと思うし



歴史的に見つめても



60年くらい前には



多くの日本の若い方は



将来の不安を考える間もなく



地上から姿を消し去らなければならない



想像を超えた中で



過ごされていたと思うの



そう思うと



未来に不安を持てたり



パートナーに不満を感じたり



恋人との間で



何も進展がなくイライラ感が



募っていたとしても



すべては



これからも与えられた時間がある



今目の前の世界が



平和という豊かさに



包まれているから



感じられる事なのかなって



無意識に



手を合わせてしまっていたの











この間何気なく見つめていたテレビに



美和明宏さんが出演されていて



とても印象に残った



言葉があったの



「世の中の出来事は全て



正と負という



相反するもので



成り立っています



良いこともあれば



悪いこともある



人生もその時々で


プラスとマイナスが



あります



高いところに登って



そこから落ちる人は


大けがをしますが



低いところにいる人は



落ちても大してけがはしません



嫌なことがあったら



それは幸せの代金だと



思えば良いし



これを人生というトータルで



考えるとプラスマイナス



ゼロになるんです


これが『正負の法則』なのです」と



伝えられていたの



確かにこの言葉は



心の大きな慰めとなり



不満ではない



感謝を生み出してゆくには



とてもわかりやすい表現だなって



感じながら見つめていたの



よく有名人となられた方が



必要以上に注目を集め



様々なイメージから



心が傷ついた時



「これは有名税と思って



気にしないようにしている」など



表現をされるのと



同じような受け止め方なのかなって



感じていたの



私たちのように



一般的な暮らしをしている中でも



様々な言葉で



心が傷ついてしまう事があるけれど



よーく考えてみたら



人間は本当に辛く悲しい方や



自分よりも恵みが少ないと感じた方には



慰めたい・支えてあげたい



気持ちが働く事もあって



傷つけようなどとはしないように思うの



それとは逆に



幸せそう・何の苦労もないように感じる



豊かそうetcそのように感じた方に



無意識に皮肉やいやみ・悪口などが



ささやかれる場合が多いと思うの



本来ならば



みんなそれぞれの人生を



個々で考えたら良い事なのに



無意識に誰かの心に



雨雲を呼び込む方って



いると思うの



でもそのような表現をされる時



正負の法則を



思い浮かべるといいと思うの



「きっと自分は幸せ税を払っているんだ」など・・・



すべては生きてこそ



体験できる感情だし



何も成し遂げてきていないと



感じ過ごされている方でも



その年齢になったからこそ



人生に登場してくる



人物や言葉もあると思うの



私は結婚してから



一人ではきっと生まれなかっただろうと



思う問題や人とに出会いの中で



自分の感情と共に学んだ事も多く



そのたびに



ここまで階段を登ったからこそ



見えてきた事なんじゃないかなって



思うようになれたの



そしてすべては


無意識に「できる」と思われているからこそ



もっともっとと



周りも自分も思い



求めすぎてしまうように感じているの



そのような正負の法則を



理解されている方の多くは



幸せ税の請求が来る前に



ボランティア活動など



誰かのために時間や経済を注がれ



正負のバランスを保たれている方も



多いと思うの



そうする事によって緩和され



大きな支払いがやってくる事は



なくなるように思うの



その「幸せ税」の請求は



突然にやってくるけれど



その払いも



人生の瞬間・瞬間にすぎないのだから



落胆する事なく



来た!って感じで払いながら



次の幸せが訪れるのを



楽しみにしていたらいいように



感じていたの











最近何事にも



ハーフ&ハーフを意識しながら



過ごすようになったの



例えば忙しい気持ちに追われていると



人は誰でも



その事に意識が



向かいすぎてしまうために



たとえ楽しい・大好きな事であっても



心満たされなくなってしまうと思うの



そんな時には



あえて別な時間の中に身を置く事で



好きな事を益々愛し



大切に思える



エネルギーが生まれくると思うの



急いでいる時などは数分であっても



違う事をするのが



とても無駄に思えて



しまうかもしれないけれど



そのように感じてしまう時ほど



その空間に違う事をする



時間って必要なんじゃないかなって



感じているの



そう思えるようになったのは



私の友人たちの姿から



教わったからなの



私の友人たちは



みんな自分に向いていると思う仕事や



幼い頃から好きだと思っている事を



仕事とされている方が多く



仕事とライフスタイルを楽しんで



行っていたの



料理が大好きな友人は休日に



素敵なお店に出かけては



自分の仕事にプラスとなってくれそうな



アイデアや良さを見つけていたの



でもここ数ヶ月



休日もなく



仕事だけの時間の中で



毎日過ごすうちに



満ち溢れていた情熱の光が



少し感じられなくなっていたの



友人は



自分の仕事に誇りを持っているし



その仕事が大好きであっても



その情熱を生み出してゆく



時間ってとても大切なんだなって



感じたの



今まで以上に



仕事への時間が増えたからといって



今まで以上の成果に繋がらない



気持ちと結果が



同じ波動として繋がりあって



がんばったのに・・・という



思いでいっぱいになってしまうと思うの



人生にとって



無駄だといわれるような時間って



本当は



私たちを前に歩ませてくれる



大切な原動力となって



いるんじゃないかなって



感じているの



そう考えるようになってから



何でもハーフ&ハーフを意識して



見つめるようになれたの



半分しなければならない事や



自分に必要な事をしたら



あとの半分は



そのまま続けたい事があったとしても



いったん手放して



別な事や場所で過ごすようにするの



そのような心を開放する時間を



意識して作る事で



次々としたい事



しなければならない事と



上手につきあえる



自分をスムーズに



形作る事ができてくると思うの











今の季節の北海道は



多くの花々が咲き乱れ



本当に目を楽しませてくれているの



ラベンダーやバラ・ひまわりなどが



広大な大地に



パッチワークのような



彩を与えてくれているの



太陽に向かって話しかけるように



花たちが咲いていて



その太陽のエネルギーを



一日中吸収している花には



きっと目には映らない



多くのパワーが秘められいるのを



感じながら



見つめているの



バラ園などは優雅な気持ちに



導いてくれる事もあって



よく足を運ぶのだけれど



今回行った札幌から車で



1時間以内で行ける



岩見沢にあるバラ園へ向かったの



ここは無料で



広大な土地に咲き誇るバラを楽しめる



とても素敵な場所なの



世界各国のバラのネーミングを



見るだけでも



そのバラに込められた思いや



そのバラのイメージが伝わるようで



とても楽しくって



時間を忘れてしまう所だったの



太陽に照らされて



それぞれのバラから



香りが溢れていて歩くたびに



バラの香りに包まれて



心身にやすらぎと



美しい波動調整へと



整えてくれるのを感じ



世界中で愛される



バラは瞳から吸収する



美しさだけではなく



香りや効能すべてにおいて



大きなパワーがあるのを



感じていたの



ふっと今のパートナーと出会った頃



私流のおまじないとして



東側の方向に



毎日ピンクのバラを一輪



飾っていたのを思い起こしていたの



パラは女性の情緒を安定さ



ホルモンバランスを整えてくれる



薬のような役割で



ヨーロッパの方では



太古の昔から



大切にされていたのが



とても理解できるように気がしていたの



今でも美を意識して



過ごされている方の多くは



バラの紅茶や



バラのエッセンスが



カプセルになったものを飲む事で



身体の中から癒されそして



汗などの身体から溢れるものが



ほのかなバラの香りになると



愛されているみたいなの



私も友人からいただいた



ブルガリア産のバラでできた



ジャムをいただきながら



バラから優雅な癒しを



日々受け取っているの