2005年・4月



ゆっくりと



日々春を感じながら



初めての体験を探して



過ごしているの



いくつになっても頭で考え



まるで行った様にイメージして



終わらせる事なく



初めてのときめきに出会いたくって



意識して



そのように過ごしているの



年齢を重ねてゆく事で



今のライフスタイルの変化を



好まなくなってきて



楽しくは無いけれど



危険も無いという



時間を過ごしやすくなっている



自分に気づいた時



過去を振り返り



心躍っていた頃は



どのような私だったか?って



瞑想してみるといいと思うの



そうすると



何かひとつの出来事にときめきや



喜びを感じていたのではなく



若い頃は



毎日が初めてのことばかりで



不安よりもわくわく



体験してゆくという時間の中に



包まれていたことを感じると思うの



何かひとつの出来事からしか



ときめきや喜びを



感じられないのであれば



それはその年齢に戻らなければ



取り戻せないかもしれないけれど



初めての出来事を



探して体験してゆく事は



いくつになっても



作れる心の栄養だと感じるの



いつもと違う場所へ足を運んだり



日頃会う事のない方と話したり



いつも食しているものメーカーを



変えてみたりetc



何気ない小さな事だけれど



このような小さな事が



少しずつ重ねてゆく事で



ずっと動かなかった心が



ゆっくりと感動や喜びに



反応してきて



益々ときめきや喜びを



招きよせてくれるようになると思うの













久しぶりに病院へ足を運んだの



心身ともに満たされていたので



特に必要は無かったのだけれど



なんとなく
足を運んだの



その日に病院の勤務期間を終えられる



先生が多くいたみたいで



素敵な言葉を送り



受け取られている方たちを



多く見つめる事ができて



とても素敵な偶然に出会えて



幸せだったの



不妊に悩まれている方が



ある先生に


「本当に出会えてよかったですありがとう」って



廊下で涙で瞳を



キラキラさせながら
伝えられていたの



その先生は



とても優しい女医さんで



私も一度しかお会いした事がないけれど



私以上に前向きに



次々と様々な幸せの提案してくださり



笑顔で包んでくれるような方だったの



彼女との話から



卵管造影検査というものを進められ



臆病な私は



痛みが伴ってまで家族計画に



積極的でなかったので



不安と迷いに包まれたの



でも彼女は



私の不安とニーズを



一生懸命に叶えてくださり



他の女医さんに
引継ぎをしてくれたの



検査してくれた



女医さんと看護師さんは



注射を打つ時も



まるで子供をあやすように



「ちょっとチクってするけど大丈夫よ



はーい終わったよ



良くがんばったね」って



本当に優しくしていただいたの



そのぬくもりのお陰で



不安や痛みは消え




次々と新たな扉を開いてくれたの




その時



自分だけでは超えられない事も



誰かの助けによって



超えられる事も多いんだなって



改めて感じていたの



だから人は寄り添い



今こうして生きてこられたんだなって



出会ったすべての方に



感謝が湧き上がってきたの



何となく私が結婚する時の空気にとても



似ているのを感じていたの



私は一歩踏み出す事に



とても臆病で



大好きなパートナーとの結婚でも



あれこれと考え



その時のライフスタイルの形を



変えない事だけに



いつも一生懸命でいたように思うの



その頃パートナーと



会った事さえない方たちにも



結婚を勧められたり



そっと背中を押される事が多かったの



今回の出来事も



私の意識とは別に



そっと背中を押してくださる方との



出会いから



与えられている祝福された



プログラムが存在しているのを感じたの



初めて自分の中に秘められた子宮を


映像として見つめながら



片方の卵管が詰まっていて



今まで痛みを伴っていた方の卵管は




問題はなく



逆に痛みの無い方の卵管に



問題があったの



その時



ふっと感じたことがあったの



心も身体も同じで
痛みを伴わないから



良い状態とは



限らないんじゃないかなって



感じたの



心が痛い時



良い状態だと
思うことは難しいけれど



自分の人生をあきらめずに



幸せになりたいと思うからこそ



痛みが生まれることも多いと思うの



例えば過去に悩んでいた



大きな出来事もなぜあんなに



悩んでいたのだろう?と思えるくらい



今ならば簡単に



クリアできる事も多いと思うの



それはきっと



その時々痛みを受け入れ



ひとつずつ与えられた



ステージを無意識に



クリアしてきたからだと思うの



例えば結婚された方たちの中には



過去の恋愛を振り返り



恋人との小さな喧嘩で



涙したり・小さなこだわりから



別れたことさえ



笑えてしまうくらい



今ならば誰とでも



上手に付き合えたかもしれないなって



思えてしまう事もあると思うの




気づかないうちに



心のスペースも広がっていたり・・・



子育てを終えられて



過ごされている方たちの中には



手を煩わせ思い通りにならない時間に



思い悩み・人生を悲観していたけれど



華やいでいた過去を懐かしみ



愛おしく



一番大変だと感じていたはずの



時間が人生の中で一番の



幸せな時間となっていたり・・・



もし人生を




同じ時間・同じ相手etc



すべての条件がそろい
過去に戻って



もう一度やり直しができるのならば



きっとみんな心が痛む事はないくらいに



上手に前に進み



立ち止まる事無く



クリアできるかもしれないけれど



人生は往復できない一方通行だからこそ



価値があって



生命を大切に



感じられるんじゃないかなって思うの



変えられない過去を



後悔したり・悲しむのではなく



目の前に与えられた
出来事を



自分のペースと形に変換して



心の栄養としてゆく事が



とても大切だと思うの













幸せになりたいと



誰もが願い過ごしているけれど



すぐに幸せになれる方と



そのように進めない方がいると思うの



その違いって



何かなって考えてみたの



きっとどちらも



与えられた悲しみ・喜び・は



そんなに違わないとは思うの



大きな違いはきっと



小さな受けとめ方と



幸せの置き場が



違うんじゃないかなって



感じたの



なかなか幸せになれないと



感じられている方は



きっと幸せを



思いっきり手を伸ばしても届かないけれど



なんとなく



いつも見える場所に幸せを置いていて



幸せになる事を



無意識に先延ばしにして



しまっているんじゃないかなって



思うの



「もう少しゆとりができたら・・・」



「もう少し人に見せられるようになってから・・・」



「もう少し給料が上がったら・・・」



「もう少し痩せたら・・・」



「もう少し・・・もう少し」と



いつまでも



過ごしてしまうと思うの



一見計画的な夢のように



映るかもしれないけれど



そのために



今をどのように



満たしているかって事によって



幸せを形としてゆけると思うの



何となく先延ばしされていて



今現在未来に
思いをはせながらも



今の自分が



笑顔を咲かせていなければ



きっとそれは



何かが原因で理由付けしながら



深い部分のどこかで



幸せになりたいという思いよりも



先延ばしする事の方が都合が良いと



無意識に



秘めているからだと思うの



とても難しい心の深い部分に



しまわれた思いだから



意識しづらいかもしれないけれど



そのような思いって



少なからず




秘めていると思うの



幸せになろうとする時って



必ず今よりも



一歩前に進まなければいけないから



想定以外の出来事も訪れたり



大きな変化かもしれないし



小さな変化かもしれないけれど



その変化を



自ら起こさなければいけない



心身のエネルギーも必要となるから



特に今困難なわけではないから



今の現状をがんばって



変えなくてもいいかなって



過ごしてしまう事もあると思うの



とても恥ずかしい話だけれど



私も数年前は様々なこだわりから



踏み込まれたくないエリアが



心の中に多くって



自ら作ってしまったエリアから



自分も出る事が



できなくなっていた時期があったの



今思うと



踏み込まれたくないエリアって



自分の恐れから



作り出してしまっていただけで



周りの方は



何にも感じないほどの事だったの



でも自分の劣等感が強いあまりに



完璧にできるだろうと思える事にしか



チャレンジせず



狭い・狭い世界でしか息をする事が



できなかったように思うの



でも7年位前に



フィットネスクラブへ行くようになってからは



私の中で



ゆっくりと変化が訪れたように



感じているの



以前にも書かせていただきましたが



私は相変わらず



できること以外行わないタイプだったので



毎日同じ事を繰り返し



例えその事が退屈に感じても



はずかしい思いをするくらいならば



退屈な方を選択するような



過ごし方をしていたの



でも自分を大切にし笑顔でその空間で



過ごされている方たちに導かれて



ダンスを始めたり・・・



上手な方たちの中で



私はぎこちない動きに自分が自分に



耐えられない思いに包まれながら



「早く終わらないかな」って



楽しむゆとりが無かったの



でも周りの方が



いつも笑顔を配ってくれて



「初めてでここまでできたら



すぐ上手になるよ



まずは楽しんで無理しない事だよ」って



伝えてくださったの



そんな空気が流れる中に身を置く事で



私はなんてつまらない事に



こだわってきたのだろうと



大きな心の扉が



開いていったように思うの



その小さなきっかけから



わからないものはわからないと



伝えられるようになって



とても楽に生きられるように



なれたと思うの



多くの出会いの中には



とても悲しい言葉を伝えてくる方とも



出会う事はあるけれど



そのたび心の中で



「私は幸せになりたいから



幸せを先延ばしせず



未完成のままでも



今を楽しむ選択をしているだけ・・・」って



思うようになったの



そして



悲しい言葉を吸収しないように



「できない事にチャレンジする勇気」を



自分で自分を



そっとほめてあげたり・・・



完璧にできる事を求められる分野は



生命に関わる分野くらいで



日常の中では毎日が



レッスンの場所となっていると思うの



転んでから考えても遅くはない事の方が



本当は多いと思うの



転んだのはなぜだろう?と様々な道を選択し



体験しながら



その道を通った事は



きっと未来に生かされてゆくと思うの



答えをひとつにしてしまう事なく



訪れる多くの体験を楽しんでゆける



思考のチェンジが



すぐに幸せになれる



方法なんじゃないかなって



とても感じているの











この間心身共に



日常を離れた空間で



過ごしたいと思い



パートナーと近くの温泉街へ足を運んだの



お部屋へついてすぐ



無音に近い時間の流れに



心がとけてしまいそうになっていたの



現代人のライフスタイルの中では



静寂といっても



冷蔵庫のモーターの音や時計の音など



当たり前に存在しているから



本当の静かな空間って



こんな感じなんだなって



心地よさに包まれていたの



持ってきた本を読みながら



いつも以上に



そのストーリーに



溶け込んでいる自分を感じながら



心地よい反面



何もしない時間の過ごし方に



まだ違和感がある私たちは



時間と共にパソコンやテレビが



恋しくなっている事に気がついたの



そしてふたりでその思いについて



なぜかな?って話し合ってみたの



立ち止まることや休息することに



誰に向けられるわけでもない



小さな罪悪感や小さな不安が



あるように感じていたの



たとえば


パソコンに出会うまでは



最小限の情報でも満たされていて



もっと知りたい事は



本屋さんへ足を運んだり



人との会話の中で



限られた時間の中



過ごしていたように思うの



でも今は



思いついた言葉や



ちょっぴり知りたい事も



少ない時間で



見つけることができることもあって



特に必要を感じない情報にも



知識が豊富になってきていて



それだけで満足してしまっている



部分もあるように感じていたの



それと引き換えに



実践が少なくなっていて



情報の海を泳いでいるのではなく



少し溺れかかっている様な・・・(笑)



それでも無意識に



「何かをしている」という意識から



小さな罪悪感や小さな不安を



感じられないですむ時間の



過ごし方になっているのかなっとも



思ったの



たとえば温泉などの情報と共に



写真を見つめていても



その場所の空気や香りは



その場所へ足を運ばなければ



感じられない体験で



その体験は



誰かが体験した知識や感想ではなく



自分から湧き上がる



五感が伝えてくれた



体験へとなってゆくように思うの



そのような事をふたりで話をしながら



いつもは面倒だなって感じてしまい



行動しなかったことを



ライフスタイルに少しずつ取り入れていこうと



話していたの



そう思ったら



急に温泉ホテルから出て



歩いて見たくなって



小鳥たちの祝福の中



たどり着いたのが



岩戸観音が祀られた場所で



山をくりぬいた洞窟の中に



33体の観音菩薩像が



安置されている所だったの



それぞれに意味があるみたいで



ひとつずつ手を合わせながら



進んでいったの



水が壁から



少しずつ溢れていて



とても神秘的な空間だったの



その横には足湯があって



自然を眺めながら入っていると



年齢も様々な方たちが



ひとり・ふたりと入ってきて



何気ない会話に



笑顔や笑い声が広がり



時間の豊かさを感じていたの



心から私にフィットする



このような学びのスタイルを



神様が与えてくださったことに



感謝が湧き上がり



小さな素敵な旅行となったの











未来のヴィジョンって



日々漠然と考え



目の前に訪れた



出来事を消化してゆくことに忙しく



忘れてしまうことも多いと思うの



そんな時



行動と未来のヴィジョンの思いを溶けあわせ



記憶や潜在意識に



伝えておくといいと思うの



例えば



お庭でお花に囲まれて



ゆっくりと将来暮らしたいなって



イメージしていたならば



そのイメージをまるで



現実化したかのように



体験できる場所へ足を運ぶの



開園している庭園でくつろぎながら



頭の中だけに留めていた



ヴィジョンを瞳からも吸収し



沸きあがる感情と共に過ごすの



人間は



感情・心の動きを強く記憶していて



その感情や気持ちが



過去の出来事と結びついて



思い出を



自分で紐解いてゆける事って



多いと思うの



感情や心の動きが



ヴィジョンやイメージと結びついた時



強く記憶に残る



ヴィジョンになるんじゃないかなって思うの



漠然としたヴィジョンやイメージでは



感じられなかった事にも



足を運ぶことで



気づかされることも多いと思うの



なぜ?こんなにも



イメージしているのに



叶わなかったのか?



なぜ?このヴィジョンに



こだわりを持っているのか?など・・・



私はとてもお家がほしくって



頭の中で様々なイメージをして



過ごしていたことがあったの



そして住宅メーカーなどに足を運んだり



今あるお家を見に行ったりしていた時に



まさに自分のイメージとフィットする物件と



出会ったの



私は喜びと心躍るような気持ちが



現実を忘れるほど



前へと進んでいたの



そんな時パートナーに



「もしここへ住んだら今あるものは



すべて手放すことになるよ



フィットネスもないし



歩いて何でもできる今の暮らしを



すべて手放せば



今ほしいと思うライフスタイルは手に入るよ」って



伝えられて



ふっと心落ちつかせて



考えられる自分になった時



今の自分が恵まれていることを



再確認したと同時に



私は今ないものに



意識を巡らせていただけなんだなって



気づかせてもらったの



自分が手にしていないものが何であれ



手にしていないから



逆に



とても魅力的に映る事も



多いんじゃないかなって感じたの



もちろん夢が叶う喜びも



大きな幸せだけれど



こんな風に探している時や



夢に辿り着くまでのプロセスも



本当はとっても楽しい


心のレジャーなんじゃないかなって感じたの













精神科医の方の本を



本屋さんで手にして



ぱらぱらっと読んでいたら



太陽の光を浴びているような



幸せ物質が脳から



放出されるらしく



心が風邪を引いてしまった時には



とても効果のあり



自己治療になると書かれていたの



それを目にしてから



特に思い煩うことがなくっても



お天気の良い日には



日差しの差し込む喫茶店などへ行き



脳のマッサージをしているの



そうすると不思議なくらい



感謝できる過去の思い出が


思い起こされたりして



幸せな気持ちになったり



気になっていた友人の何気ない一言も



心地の良い解釈に自然に



置き換えれるようになったと思うの



子供の頃は



太陽とお友達で



毎日太陽に見守られ



駆け回ったり



時にはけんかしたり



親に怒られたり



様々な出来事があったけれど



深く傷を作らず過ごせたのは



太陽の光に



癒されていたからなのかなって



ふっと感じたの



青空を見たら



なんとなく外へ誘われるのも



曇りの日に



ちょっぴりさびしい気持ちになるのも



太陽から降り注ぐ光が



大きく影響していたのかなって思うと



大昔に太陽信仰が行われていたのも



とてもわかる気がしたの










本当の親友って



様々なとらえ方によって



違うとは思うけれど



親友って多くいるものではないように



感じているの



たまにおしゃべりができる友人や



楽しい場所へ一緒に



足を運んでくれる友人だったり



そのような形の友人は複数いても



心からお互いを必要と感じ



大切に理解しようとしあえる友人って



なかなか作ろうと思って



出会える縁ではないように思うの



友人の数を競い合う年齢はもう過ぎて



深まりあう



心あたためあえる友人が



一人・二人いたら



人生がとても豊かに



なってゆくと感じているの



ここ数ヶ月の間に



新たな出会いがあって



親しくさせていただいている



年下の友人がいるのだけれど



彼女は本当に多くの気づきを



言葉や決め付けではなく



自然な形で



私に与えてくれる大切な友人なの


以前パートナーの浮気を



見つけてしまい



悲しみに包まれていた私は



自分でその心に



押しつぶされそうになっていて



言葉を考えて表現する余裕もなく



会う友人たちに



「あんなに優しいまじめなパートナーが



浮気をしちゃっうのだから



世の中の男性すべてが



浮気をしているんじゃないかなって



思ってしまうくらいの出来事だったよ」と



伝えてしまっていたの



それは私の悲しみのフィルターからしか



世の中を見つめることができなかったから



そのように思い言葉となっていたのは



その時の事実だったとは思うの



でもその言葉は後から様々な



受け止められ方となって



いる事を知ったの



「私のパートナーももしかして?」と



不安になる言葉に形を変えていたり



「そのような事をいうと友人をなくすよ」と



忠告の言葉となっていたり・・・



「同じ事を体験したら私もそう思うかも」と



心のフィルターが曇っていることを



理解してくれようとする



言葉となっていたり・・・



様々な結果を生んでいたことを知ったの



その時



私は親友と思い



勝手に理解してくれるものと思い



甘えて心をストレートに



表現しすぎてしまっていた事と



大切な友人たちの



心を不快にしてしまった事を



反省したと同時に



親友ってなんだろう?って



考える時間を与えられたの



人間はどうしても



自分を基準としてしか



何かを見つめ表現することができないから



多くを理解しあうことは



とても難しいことだと思うの



その事を優しく包むように



教えてくれたのが



今親しくさせていただいている



友人だったの



彼女はよく



「それでいいんだよ



パネルクイズのように答えが



おんなじ絵柄になる人と



楽しく過ごしたほうがいいよ(笑)」って



どんな場面でも



表現してくれるの



私はいつも人が何にも感じないところに



とてもこだわりをもっていたり



人がこだわるところに



何にも感じないような部分があって



この人格について



「普通はこうだよ」



「普通は・・・普通は・・・」と



伝えられてきたので



私にとって普通という言葉は



とてもいたみを感じる言葉なの



でも多数決の社会では



正論を伝えやすくするために



多くの人も同じ意見を



持っていることを伝えるために



ごく自然に



普通という言葉を使うことが多いけれど



その友人も



普通という表現に



とてもつらい体験をしてきた方なので



深く理解してくれて



とても幸せな縁を感じているの



彼女は足の指が一本事故でなくし



それでも心も体も



上手にバランスを保って過ごされていて



彼女がある時私に



「一般的に足の指が5本あるのが



当たり前だというけど



当たり前じゃない人も



いるんだよね



年齢がともなってきたら



結婚するのが当たり前とか



結婚したら子供を



生むのが当たり前とか



当たり前にそろっている事を



要求されても私の指は生えてこないし(笑)」と



明るい笑顔で



伝えてくれた言葉が



私の心の琴線に触れ



涙があふれてきたの



それ以来



自分自身の中にある



思い込みや決め付けの多さに



向き合えるようになって



恥ずかしいほど



小さい自分を感じていたの










ここ数日



難病を持って生まれてきた



アシュリーヘギちゃんの



ママが書いた本を読んでいるの



アシュリーは天使のような心と



この世を去る日が近づいてくる



足音を感じながらも



家族に愛を伝え過ごしている様子が



綴られているの



アシュリーのママの素直な表現が



とてもストレートに心に響いてきて



同じようなタイプの本はいくつも



読ませていただいたけれど



こんなにも自然に



自分の知られたくない過去も



すべて表現されていている本と



出会ったのは初めてだったの



男性遍歴やドラック・



そして素晴らしいママではなかった事など・・・



自分の評価を下げてしまうような



出来事を言葉にできる彼女の素晴らしさが



とても伝わり



彼女のような繊細で傷つきやすい心を



支えるために



アシュリーのような天使が



彼女のそばでいつも



「自分を責めないで」って



ささやいてくれているんじゃないかなって



胸が熱くなっていたの



アシュリー自身



心身ともに痛みと



不安に包まれているのに



その中でも愛を優先し



表現できるその姿に



言葉では表現できない尊いものを



教えられているように



感じているの



言葉を超えた



美しさに出会うと



人は自然に五感が刺激され



涙となって表現するしか



見つからないほど



魂で無になってゆくように感じたの














今日本では



気づかない軽いうつ病の方が



多く過ごされているみたいなの



単調な流れの中で



流れを乱すことなく



過ごすことができているから



特に喜びや感動がなくても



気に留めることなく



過ごされている方も多いと思うの



軽いうつ病は



何気ない変化から



感じられることが多いみたいなの



例えば何でも迷うようになって



決められなくなっていたり



とても楽しいと思っていたことが



急につまらなく感じるようになったり・・・



それは日常の小さな出来事の中にもあって



何を食べようかと何十分も迷ったり



したい事が見つからず



流れるテレビを見つめていても



楽しいと感じなくなっていたり・・・



このような小さな一致が



一瞬ではなく何週間も続いているのならば



心が風邪を



ひきかけているサインみたいなの



軽いうちは



自分で意識して癒してあげられるから



ほんの少しの労力で楽しめる



読書をしたり



近くのショップを歩いたり



草花を見つめ季節を感じたり



ちょっぴりの贅沢を感じる



おいしいものを



体に取り込んでみたり・・・



疲れてしまわないようなペースで



ゆっくりと心に



栄養補給してあげたらいいと思うの



心の風邪は幸せを感じる



脳からあふれる物質が不足していたり



喜びを感じ受け入れる



かごが日常のやらなければいけないことで



いっぱいになっていて



スペースが開いていない



場合が多いと思うの



そのような状態の中で



すべてを忘れて休息することも



難しいと思うし



休息することに益々不安な気持ちが



増してしまう場合もあると思うから



ほんの少しの時間で



ほんの少しの幸せを受け取る事を



日々ライフスタイルに



取り入れてゆくことで



ゆっくりと自然な形で



笑顔が溢れてくるように



なってくると思うの












毎日



大・小の地震が起こっていて



その中で過ごされている方たちは



とても不安に



包まれて過ごされていると思うの



まるで人間と同じ



今まで重ねてきたフラストレーションを



ゆっくりと発散していて



人間にはどうすることもできない



大きなエネルギーが



溢れ出しているんじゃないかなって



感じているの



地球と人間の魂は繋がりあっていると



私は感じていて



人間が生きる希望



生きている喜びを感じて



そのエネルギーが地球へと伝わり



人間に必要な喜びを



地球が私たちに与えてくれようと



エネルギーを蓄え



様々な形で



サポートしてくれていたけれど



今・この時代



生きる意味を感じられない方



不安や悲しみに



包まれている方が多くなってきていて



その思いが地球へと伝わって



大きな自然災害へと形を変えて



私たちに何かを



伝えてくれているんじゃないかなって



とても感じているの



淡々と人生の出来事や



未来を見つめただけならば



劇的な喜びを



イメージできなかったとしても



それはまだ大まかな絵でしかなくって



そこに体験・経験から



織り成される感情という色が塗られてゆき



大作となってゆくと思うの



それは



自分でも想像できない



素敵なハプニングがあったり



想像を超えた喜びがあったり



今この時点ではわからないと思うの



もし



心が行き止まりにたどり着いた時があったら



必ず他の扉も開かれている事を



忘れず



ゆっくりと出口を探してみる事が



大切だと思うの











私たちの中には



生まれた時から様々な



カウント計のようなものが



組み込まれていて



28日周期や33周期で



細胞が生まれ変わっていたり・・・



その中でも



運命を刻むバイオリズムもあって



多くの方がそのバイオリズムを無意識に



実行しているみたいなの


とても不思議なお話があって



自分が生まれた月から



様々なカウントが作動していて



その中には危機を招きやすい



時期というのがあるみたいなの



その理由はよくわからないのだけれど



自分が生まれた月から次の月が



一番バイオリズム的には



誤作動が起こりやすいみたいなの



精神的なダメージがあったり



事故や病など様々な中へ



招かれやすいみたいなの



いつもならば



無意識に誰もが



勘のようなものを生かしながら



日々過ごしているけれど



その部分がストップしてしまう事で



いつもの自分らしくない




行動と結びついてしまうみたいなの



私もふっと過去の事を思い起こすと




誕生月の次の月にいろいろな



出来事があったように思うの



きっとその月は



いつも休息することのなかった



器官をすべて休ませてあげたり



いつも守護してくれる



大きな存在に感謝する月で



自分をいたわりなさいって




伝えてくれているのかなって



思うとその前後が近づいてくると



意識的に気をつけるようになったの










涙って様々な心のサインとして



溢れることが多いけれど




医学的にも泣くことは



ストレスを緩和してくれたり




癒しの効果があることが認められているの



泣いた後



コルチゾールという



ストレスホルモンが減ったり



ナチュラルキラー細胞が



免疫力を活性化してくれたり・・・




何となく日本では心を



素直に表現してしまうよりも




その心を押さえ込んで耐え忍ぶ姿のほうが



美意識のような思いが長い間あったせいか



今この時代でも



あまり人前では涙を見せることが



恥ずかしいような感情が伴うけれど



本当は心身にとてもよい




癒しになっているんじゃないかなって思うの



本当に辛くい悲しみの中にいる時には



涙も溢れてこないことがあるけれど



それはきっとあまりの衝撃に



心身にこれ以上



ダメージを与えないために



心にまるで麻酔がかかってしまったように



なっているからじゃないかなって思うの




そしてほんの少しでも



心にゆとりができた時




癒しのプログラムが作動して



涙と共に言葉として表現できるように



なるんじゃないかなって



感じているの



涙と共に過去の悲しみが語れたり



自分の中の失敗や過ちと思うことも



表現できている時



ほとんどが無意識にもうプログラムを



自分の力で消化していて



その言葉と共に洗い流してくれるのが


涙なんじゃないかなって思うの



涙の効果を知ってから



意識して感動を与えてくれるような



ストーリを見たりしているの



子供はその機能が自然に備わっているから



生まれてからずっとたとえ



小さな出来事であっても



すべて涙と共に大人に伝えてくるのは



泣くたびに免疫力を



育んでいるからなのかなって



感じていたの



よく友人のおうちへ遊びにいくと



お子さんたちが泣いていて



友人は私に気を使ってくれて



「うるさくてごめんね」といいながら



お子さんたちを静かにさせようと



エネルギーを注いでいたの



でも私は涙効果を知ってから



その事を友人に伝え



大きな声で泣くたびに



きっと肺も丈夫にしてくれるかもよって伝えたら



今では友人も涙の時間を



作られているみたいなの



そして今まで辛く感じていた



子供の泣き声も一生懸命体を



作ろうとしているんだなって



思えるようになったみたいで



以前ほど気にならなくなったと聞いて




心の方向をチェンジしてくれる




知識のありがたさを感じていたの