(2005・3月)



ここ数年



ニュースの多くは



家族間でのトラブルや



輝き増してくる年代の方たちが



この世を自ら去ってゆくなどが



多く伝えられていて



まるで急に生まれた出来事のように



言われているけれど



私が思うには



今まであった本音と建前の割合が



逆になってきていている



だけのように感じるの



今までは建前を



家族間の中で行われていても



子供たちは矛盾を感じながらも



そのボーダーラインを罪悪感という



大きなエネルギーによって



超える事が少なかったと思うの



でも人間の進化が



進んできた事によって



根拠の無い



恐怖・罪悪感・教えなどを感じ



今までの古い殻を破ろうとする時



周りの関係にも大きな影響が



伝わってしまうと思うの



そしてその思いを



伝えたいと思ったとしても



立場や状況によって



家族はまだその事を



受け止められる準備ができていなく



孤独感を感じられている方



過去が過去にならず



現在に持ち込もうとされている方



様々な形で



心の大きな箱にしまわれていた



静かな怒りのような感情が



開かれだしているんじゃ



ないかなって思うの



親はいつまでも



子供でいて欲しい思いから



「あなたのためなのだから」という



言葉のチカラで無意識に



子供が飛び立つ事を止めてしまったり



子供は子供で



幼子から成長し



親には感謝はしていても



自分の人生を歩みたいと考えていたり・・・



愛という名の依存は



お互いが自立した関係の中でしか



解消されず



本当の愛を感じづらいと思うの



それは相手を



思いやらなくなるという事ではなく



お互いが



「・・・してくれて当然」と思わず



無理の無いできる範囲で



相手の手助けをし



感謝しあえたら



本当に心から



こんなに幸せな事はないと思うの









寒い真っ白な雪に包まれた空気の中



毎日フィットネスへ向かい



日々がんばってる方たちと



ふれあうことができて



たくさんのパワーを頂いているの



昼間という事もあって



年齢を重ねられた方が多く



いくつになっても



向上心を持っていられる



心を私も持っていたいなって



いつも感じさせてもらっているの



サウナなどでみんなが楽しげに



話している姿を見つめながら



身体を巡る血液が



循環させている時には



ポジティブな発想が生まれやすく



その波動が益々



幸せを運んできてくれるのかなって



感じていたの



本来ならば



ジェネレーションギャップが生まれても



不思議ではない中



共通の大切な時間を



共にしている仲間という感覚で



会うたびに何かを見つけては



ほめてくれるの



私もその想いが吸収され



気軽に何かに気づくたび



言葉のプレゼントができるようになったの



良い事もそうではない事でも



その環境の空気を



無意識に吸収してしまう事を



改めて感じたの



そう思うと



いくら適切なアドバイスを



与えてくれる方がいたとしても



その言葉によって



自分を愛する事ができなくなったり



自信が持てなくなるような環境に



長い時間身を置くことよりも



自分の事を祝福してくれる



優しい時間の中に包まれることが



とても大切だと感じたの



そのような空気に包まれていると



自分も自分を肯定できるようになったり



心満たされ



自然な形で



自分以外の方の幸せも



心から願えるようになると思うの












心身ともに



何か満たされていないものがあると



そのものが満たされるまで



無意識に



自分が動かされてゆくんじゃないかなって



感じているの



何か満たされていないのか?



自分で知っていたら



そのものだけを



吸収してゆけばよいけれど



気づけない事も



多いんじゃないかなって思うの



例えば



身体が求めている栄養を



感じられないければ



いろいろなものをたくさん食し



それでもまだ満たされず



過食になってしまったり・・・



精神的にも愛を誰かから



手渡されていても



いつもまだ足りない様な



孤独感に包まれたり・・・



表面的なものならば



自分も周りも感じられるけれど



深い部分に繋がる



原因をなかなか



見つけ出すことは難しいと思うの



でもゆっくり自分と対話してゆくと



伝わるものがあると思うの



もし受け取る事ができなかったとしても



形を変えて問題の答えを



届けてくれると思うの



それは何気なく目に映るものだったり



グットタイミングで



人の口を伝って感じられたり・・・



その答えを受け取る



心のゆとりさえ持っていたならば



どんな事にも



答えてくれると思うの











思い悩む時ってほとんどが



どちらでも良い場合や



自分の心の希望はわかっていても



両方が笑顔になるために



考えてしまう場合が多いと思うの



でも思い煩うという事は



もうその時点で



両方笑顔になっていないのだから



自分から湧き上がる



答えを選択する方が



いいんじゃないかなって思うの



優しさあふれた方は



相手の立場に



いつも立ちすぎてしまうため



自分を優先できない事も多いと思うの



でも逆に考えてみたら



友人が思い悩んでまで



自分を優先してもらっても



嬉しいかな?とか



「私はこうしたかったのにあの時いえなかった」などと



後になって伝えてくる



温度差と時間差がある方を



大切な心の友人として



つきあってゆきたいのか?など



相手の立場になって考えられる方ならば



そのような形で



相手の立場から見つめ



自分の人生を



大切にしてゆく事で



繋がりあう友人関係ももっと



喜び溢れたものと



なってゆくと思うの



相手の立場に立つという事は



決して相手の都合に合わせることではなく



悲しみや喜びなどの



心を通わせる時に



必要となる



魂の知恵のひとつだと思うの











最近友人から頂いた本の中に



「毒になる親一生苦しむ子供」という



スーザンフォードの書かれた本があるの



とてもストレートなネーミングに



初めはあまり



心惹かれなかったのだけれど



友人は心の混乱がなぜ生まれているのか



気づく事ができて



勇気が湧いてきたと



伝えてくれていたので



一度読んで見たいとは思っていたの



友人は10年以上



親との縁を断ち



住んでいる場所なども伝えず



会う方たちに



「なぜ?」



「生んでくれた親なんだから・・・」など



誰にも理解してもらえない思いを



抱えていたの



私ともう一人の友人は



言葉で彼女が具体的に



伝えないのは



自分が口を開くと



両親が傷つき



そして自分の存在をも



否定してしまう事になってしまうから



表現しないんじゃないかなって



ずっと思っていたの



どんなに傷つけられても



親に愛されたい子供が



喜んで離れてはゆかないと思うの



彼女がそのような決心をしたのは



お子さんが生まれてから



そのタイミングが訪れたみたいなの



今までは気にする事もなかった思いが



本当は気にしなかったのではなく



気にしないように



心の深い部分に



圧縮していたことを感じ



初めて自分と向き合ったみたいなの



幼い頃から兄弟と比較され



大人になってからも



両親は兄弟の家族には



優しく接するのに



自分は両親から粗末に扱われ



時間と共に



パートナーにも子供にも



同じように接してきて



ある日突然



パートナーから



「君には悪いけど



もう君のうちには行きたくない」と



言われみたいなの



その時彼女は



罪悪感と向き合い



本当の真実を見つめる勇気を



持つことができたみたいなの



彼女は十分両親に感謝していたからこそ



悩んで・苦しんで



出した答えだと思うの



きっと彼女が伝えてくれた出来事以上に



様々な事があったと思うから・・・



私もこの本を読みながら



多くの方が



言葉には表現しないけれども



心に混乱や影を抱え



インナーチャイルドが癒されないまま



姿は大人なっても形を変え



癒えない部分を



無意識に癒そうと



されているんじゃないかなって



感じていたの



私も同じような思いに気づいたのは



6年位前パートナーと出会い



今まで感じた事のないやすらぎの中



住まいも無意識に



自分が幼い頃住んでいた建物に



似ているものを選び



日々パートナーに頼り



ずっと一緒にいる事を強要したり



何かを話していて感情的になると



気がつけば



親に自分が言われ



傷ついた言葉を


パートナーに放ってしまったりしていたの



そして罪悪感が湧き上がったり・・・



その時ふっと



私の中で癒されていない思いを



パートナーで代用している



自分に気がついたの



でも本当は



いくら相手を変えても



当事者ではない相手に



親にしてもらいたかった事を要求し



たとえしてもらったとしても



癒されないことを感じたの



それは大人になった自分が



要求している事ではなく



自分の中に住む



幼い日の自分が



自分と共に年齢を重ねる事ができず



泣いているからだと思うの



それから



私の場合は



ゆっくりと両親に



自分の気持ちを伝える努力と



両親も過去を呼び覚まされる事への



複雑な思いの中



以前よりも



自分が自分でいられる時間が



増えてきたの



親子関係は



一言では言い尽くせない



深い縁で結ばれた関係だから



家庭というのは



色々な感情の体験する



場所となっていると思うの



どうしても今許すという道を



選択する事ができそうにないのならば



私はそれでいいと思うの



心ある両親ならば



自分の子供が幸せになってくれる事を



本来望むものなのだから



無理をせず



笑顔でこの世に存在さえしてくれたのならば



十分親孝行のプログラムは



達成されていると思うの












幸せになろうと思った時



何が前に進むための障害となっているのかは



人それぞれに違うけれど



建前的な言葉に包まれ



前に進めない方も



多いんじゃないかなって感じていたの



例えばあの年齢で定職に付かないなんて・・・



あの年齢で結婚もしないなんて・・・



年老いたを面倒見ないなんてetc



いつの頃からか



当たり前のように



表現されている言葉たちだけれど



ゆっくり考えてみると



それによって大きなプレッシャーを秘め



心から納得していない



言葉たちを無理に



自分の人生にはめこもうと



辛くなっている方も多いと思うの



どれも本当は



誰に迷惑がかかるものではないのだから・・・



少子化などから



お子さんができないご夫婦や



作らないご夫婦に



スポットが当たる事も多いけれど



いないからこその幸せや



いるからこその幸せもあると思うの



結婚して一人前



子供を育てて一人前という



言葉を何度も過去に



耳にしたことがあったけれど



それは個人の感じ方であって



スタンダードに歩む事だけが



素晴らしい人格でも



素晴らしい人生でもないと思うの



人間みんな違う顔を持ち



ある部分は似ていても



どこか違った感性を与えられたのは



みんながみんなスタンダードでは



世の中で問題が生まれるからこそ



逆に



違う生き方や選択を選ぼうとする



魂がこの世に宿ったのだと思うの



一見すべて一緒ならばスムーズに運び



楽しいように



思われるかもしれないけれど



ある意味とても偏った



無色の世界になってしまうと思うの



人は与えられた



自分の立場で見つめ



感じることをストレートに



歩んでゆく使命が



みんなに与えられていると思うの



心に少しゆとりがある時に



慈悲の思いを相手の方に



向けられたらそれでいいと思うの



様々な意見に



心傷つく事もあるかもしれないけれど



倫理的に無意識に



対応して



言葉とされている方も多いと思うの



本当にその方の心から



溢れる言葉ではない場合もあるのだから



その言葉を心に沈める事なく



自分に与えられた



自由を満喫し



今だからこそできる事



したい事に目を向けて



歩んでいたならば



心の影から開放され



自分の素晴らしい感性や心に



再発見できる時間が



訪れると思うの











良い母親になろうと



世間からの無言のプレッシャーに



いつの間にか



自分らしさや自分の良さを



自分で感じられず



そのフラストレーションから



子供に理由を付けては



日々どうしようもない思いを



発散されている方もいると思うの



子供を愛情から知識として



少しくらい感情的に言葉としても



本来罪悪感などが



生まれることは無いと思うけれど



心のどこかで



自分の行動に



違和感を感じられている事に



なんとなく



気づかれている方は



子供に言葉を表現しながら



罪悪感が同時に生まれ



益々癒されない思いに



包まれると思うの



何となくどこの世界でも



母親に対する



重いプレッシャーがあって



そのプレッシャーから



個人の良さよりも



母親として・・・と思う想いが



益々子供との関係に



影を落としてしまうことも



多いと思うの



でも子供は



素晴らしい非の打ち所の無い



母親を求めては居ないと思うの



逆に自分の母親にしかない



人間らしさやあたたかさに



触れたいと思っていると思うの



私の友人で



お二人子供がいて



独身時代の仕事を続け



がんばっている方がいるのだけれど



周りから



「あの人の子育ては・・・」



「あの人は家の事もしないで



だんなさんがかわいそう」など



様々な言葉で



一時期は仕事も休職し



悩んで子供たちと



ずっと一緒にいる時間を



過ごしていたの



でも彼女は外に見せる自分と



本来の自分との反動で家で暴力を



振るってしまうほど



自分を壊しかけてしまっていたの



その頃



良く話す機会があって



私が幼い頃の事を思い出し



伝えていたの



私の両親も仕事に忙しく



多少の寂しさはあったけれど



それよりも辛かったのは



自分の人生を生きることよりも



世間体ばかりを気にして



外で表現している立派な親と



家の中でのギャップによって



心身に与えられる



痛みだったの



その事からも



必ずしも人に評価される母親が



子供にとって良いとは



限らないと思うの



その事を友人に伝えながら



私自身も



彼女から素晴らしい答えを



生み出す機会を与えてもらったの



それから彼女は



人から評価される母親ではなく



自分の子供に愛し愛される



母親になる事を選択したの



未だに周りの方は



様々な事を表現してくるけれど



私が思うには



彼女はストレートに



勇気を持った素晴らしい



行動をできたと思うの



やがて子供たちが大きくなった時



自分の人生を犠牲にせず



笑顔で自分の人生を謳歌している



母親に子供たちも自分の人生を



大切にする事を学び



母親に感謝できるときが



来るように感じていたの











人から理解を得たいという



想いは誰の心にも秘められた



欲求のひとつだとは思うけれど



経験・年齢・思考などによって



みんなが同じ真実を持って



いるわけではないと思うの



その時代や身を置く場所によっても



当たり前と思う



感覚も違うから



その部分でわかってもらいたいと



時間を重ねてゆくのは



お互いの人格まで



否定してしまう事に



なってしまう流れになって



呼吸がやすらかに



保てなくなってしまうと思うの



そして益々



本来伝えたかった事からかけ離れ



お互いの歩みにまで



認めてもらえなかった怒りが



広がってゆくと思うの



でもゆっくり考えたら



自分の心さえ



自分が知らない事も多いのだから



時々



触れ合う方が理解できないのは



逆に当たり前なんじゃないかなって



思うの



そう思えるように



心のスペースが少しでも



作る事ができたなら



程よい距離を保ちながら



自分の人生を



大切にしてゆく事に



いつでもスポットを



あてていられると思うの



互いに理解されたい欲求が



強まってしまうと



相手のことも



自分の事も見えなくなって



勝ち負けのレールに移行して



世の中で伝えられる



ニュースのような



結果となってゆく事も



あると思うの



理解されたいという思いを



ゆるやかにしてゆく事で



相手の人生も



自分の人生も否定する事なく



臨機応変に訪れた出来事の中から



宝石となる言葉や喜びを



見つけ出してゆけるように



なるんじゃないかなって思うの













最近髪の毛を30センチくらいカットしたの



美容師さんや友人からは



「何かあったんですか?」と尋ねられる事が



多いのだけれど



私自身は特にその行動に



意味は考えてはいなかったけれど



自分でも気づいていない



アクションのひとつなのかなって



感じているの



自分の心が何かから開放された



表現なのか?



何か新たなスタートラインに



辿り着いた表現なのか?は



わからないけれど



春が近づいてくると



雪で閉ざされた道も開かれ



様々な植物たちが



新たな芽をふいてくるように



自然の一員でもある



人間も心軽やかに



何か新たにスタートしたい思いが



生まれやすいのも



春が多いように感じていたの



今は日々プールで



私が私に戻れる



大切な時間を満たしながら



言葉が羽根をつけ舞い踊る



心地の良い時間を過ごしているの












心のストレッチと心に栄養となる



自分を愛しむ時間を



作られている方たちの多くは



心の表情が



自然な形で時間と共に



表にも現れて来ると思うの



一番気づきやすいのは



瞳を囲むラインが広がっていたり



頬が高い位置にある事で



自分も周りからも



変わってゆく部分だと思うの



人からの否定や評価を気にしてしまう



想いがライフスタイルに



大きく影響を与えている時には



心の表情と同じように



瞳も伏目がちになっていたり



瞳で表情を表す事ができなく



口を持ち上げた形で



笑顔を作ってしまっていたり・・・



瞳は心の窓という言葉もあるように


瞳が一番


心の状態を


伝えてくれる大切な部分のように思うの


私はよく



自分や周りの方の



心の状態を受け取るために



向かって右と左に



分けて瞳を見つめるの



向かって右側は正直な心の



表情が見られる場所で



左側は周り伝える表情だったり



自分が理想としている表情が



表現されていると思うの



そのように自分や周りの方を



見つめる事で



今まで感じられなかった



心の表情をかんじられるようになると思うの











益々今という時代の表情が



日々伝えられ



知る機会が多く



時代の変化に



戸惑う事もあると思うの



今という時代は



遠い昔から誰もが望み



その集まったエネルギーが



この時代の表情と



なっていると思うの



何となく



昔から目上の方に意見を伝える事は



あまり良いとされていなく



会社や家族間・人間関係の中でも



知識や素敵な



インスピレーションを持っていても



それよりも



年を重ねてきた方の



体験が現実のすべてと



受け止めなければいけない



部分が多かったと思うの



その大きな殻からこの時代は



飛び立とうとされている方も



多く存在していると思うの



とても小さな事だけれど



私が幼い頃



「どうしてしちゃいけないの?」など



何かでしかられるたび尋ねていたの



その時両親は



「そういうものだから・・・」と



私に伝える事が多かったの



でも幼い私は



「どうしてかな?」って



益々疑問の答えを



求めるようになっていったの



そのような小さな体験が



年齢を重ねても



何かを見つめる時に



冷静さを与えてくれるようになったように



感じているの



両親は理屈ではなく



雰囲気や空気を読める事を



当たり前に学ぶ環境を



きっと与えてくれたのだとは思うの



でも今この時代を歩んでいる方たちは



言葉のエネルギーが



大きく進化を遂げている事もあって



まずは



頭で理解したいという



思考になってきていると思うの



本当の答えを求め



その表情が



今の時代となっていると思うの



私の友人で



結婚して10年目にお子さんが授かり



幸せに包まれて



過ごされている方がいるのだけれど



息もつく間もなく



周りからは



「一人っ子はかわいそう



もう年なのだから



すぐに作った方がいいよ」など



何気ない会話の流れの中で



いつも誰かが



話の間を埋めるように発言されるの



みんなが帰った後に



ため息が彼女から溢れいるのを



見つめながら



このような何気ない



重い影を無理して



押さえ込んでも



人間関係を続けられる方と



言葉で説明する事に



エネルギーを注ぐ事から遮断され



過ごされる方が



いるんじゃないかなって



思っていたの



兄弟が多く楽しく過ごされている方もいれば



ニュースに流れるほどではないにしても



大きな問題を抱え



過ごされている方もいるのだから



いる幸せ・いない幸せは



その方のライフスタイルによっても



違うと思うの



このような小さな



世界の中で起こっていることを



大きくしたものが



社会の「こういうものなのだから・・・」



なんじゃないかなって



感じていたの



そう考えると



「こういうものなのだから・・・」という



言葉によって



社会信仰をなんの疑問も持たずに歩む事って



自分自身を偽る事にも



なってきてしまうと思うの



極端な話ではあるけれど



この間ニュースで北朝鮮での



処刑風景が流されていて



画面とはいえ



静止して見つめる事ができず



音だけを聞いていたの



見物している方たちの姿も



近い場所で見たい方



その場を立ち去る方



様々だけれど



場所取りに揉めてまで



そのような場面を



見たい方などの姿が伝えられていて



私たちのような娯楽があり平和な国では



このような行為は



言葉では表現できないくらい



悲しみと恐怖を感じ



避けたいことだけれど



その国ではこのような事を



「こういうものなのだから・・・」という



答えにならない答えを受け入れ



行われているのだと思うの



そして見物されている方の声を聞きながら



もしかしたら



このような極端なものではないにしても



誰の心の中にも



自分の悲しみ・不安を忘れるために



誰かの大きな悲しみに



意識を向けていたいと



思う部分があるのかもしれないなって



思っていたの



そのような自分の心が



満たされない部分がある時



人は



無意識に



もっともらしい理由を用いて



相手の歩みや考えに大きな影を



置いてゆく事となると思うの



自分の心が満たされる方法は



その方にしか知りえない



目に映らない部分で感じるものだから



ほんの少し



自分から溢れた言葉に耳を傾ける事が



大切なんじゃないかなって



感じていたの



フィットネスクラブで出会う方たちは



日々小さな達成感と



ストレートに身体の心地よさに



包まれている事もあって



年齢も様々で



その時代・時代の背景を



秘めていても



今この時代というものの中に



生きているの



初めて一緒になった



40代の独身の女性が



他の方たちに話しかけられた時



真っ先に



「誰も貰ってくれないから結婚できないの」と



みんなに伝えたの



きっとその部分は彼女にとって



一番深く聞かれたくないことだからこそ



人に言われる前に



自分から



その部分を開いたのだと思うの



その時他の方たちは



「あら~いいわね



貰ってもらわなくたっていいのよ



私たちも次結婚する時には



お嫁さん貰おうと思っているのよわははは」って



その部分に深く詮索する事無く



笑顔で



その方の生き方を肯定しながら



楽しい時間となっていったの



そんな時間の中に包まれていると



多くのことを学ばせてもらい



たった一言で



人を幸せにするチカラとなる



実践を見せてもらえるの











心が燃え尽きてしまっている方に



ついて書かれた本を読みながら



感じたことが多くあったの



自分を縛りつけている思いや



言葉が深い部分にあって



そのエネルギーから



解放される事なく



大人としての社会生活を



送られている方に多い症状みたいなの



無意識な部分なので



なかなか気づかず



ただ感動がなくなったなーって



感じていたり



やる気が湧かないなって



思うだけの方も



多いとは思うの



その本にかかれていた



思いの切り替えを



書かせていただきますね



心を縛り付けている信念が多い方は



少し意識をして



心を優しくマッサージしてあげる事が



大切だと思うの


あなたを縛り

付けている

信念



がんばりすぎの人に

提案したい信念


誰からも認められ

好かれなければ

ならない



私を気に入る人も

いれば

気に入らない人もいる



強く有能で

人の役に立って

初めて

自分の価値が感じられる



私はかけがえの無い

存在だ

誰も私の価値を

否定できない



私には問題は

あってはならない



問題があってもいい

大切なのは

問題との付き合い方だ



物事の正しい

解決法は

常にひとつだ



物事の解決法は

常にたくさんある

考え方は

人それぞれだ



意見が食い違ったら

私が正しい事を

証明しなければ

ならない



意見をぶつけあってこそ

よりよい方法を

見つけられる



私の行動が

正しい事を

誰かに証明してもらう

必要がある



私は自分が決めて

行動する

誰かの顔色を見て

決める必要は無い



失敗してはならない

間違ってはならない



自分も他人も

間違う事はある

そこから新しい事を

学べるのだ



いったん始めた事は

途中で

投げ出してはならない



考えを変えてもいい

人の心も状況も

変わるものだ



人にものを頼むのは

借りを作る事だ



上手にものを頼むのは

相手を引き込む

魅力となる



助けてほしいと

いうのは

自分の無能さを

さらけ出すような

ものだ


助けを求める能力は

私の人生に

とても役立つ



頼まれて

頼りにされているのに

断る事は

悪い事だ


気が進まないことや

無理な事は

断っていい



機嫌の悪い人が

いたら

機嫌を直して

もらうように

しなければ



相手の機嫌が悪いのは

その人の問題であって

私の責任ではない



いつも前向きで

明るくしていないと

周囲の人に

嫌な感じを

与える



私だって

気分がいい時もあれば

落ち込むときもある



私を完全に

理解できる人など

いない



私を大切に思う人がいる

その人の存在は

私の心を

あたたかくしてくれる



しょせん人間は

一人ぼっちなのだ



私は人と繋がりたい

だから自分から

心を開く



今まで

私が決めたことは

ろくな結果に

なっていない



私はいつも

その時できる

最善をやってきた



間違いはちゃんと反省し

二度としないように

改めるべきだ


私はいつも

よりよい方法を学んで

成長している



人生とは

辛く苦しいものだ



私は人生を楽しむ

まだまだ言葉の選択は



あるとは思うけれど



一番自分にとって心に優しい



栄養となる言葉へとチェンジする事で



自分が自分に一番厳しく涙を与えている



存在なのだと



気づく事ができると思うの



人には優しいまなざしを向け



ふれあえるものだから



その優しさをほんの少しでも



自分に注いでみて欲しいの



心が燃え尽きてしまったら



自分が愛する人をも



傷つけ悲しませてしまう事に



繋がってしまうと思うの



誰か愛する方がいるのならば



ます自分の心を満たし



その心から溢れだす



大きなパワーで



誰かを幸せにして欲しいの