2005年10月






魂や心がしまわれている



箱の形や大きさって



人それぞれに違うけれど



中にしまわれている



魂や心の大きさや輝きは



みんな同じなんじゃないかなって



ふっと感じていたの



ただそのしまっている箱の大きさや



形がその方それぞれに



フィットしていないのに



なんとなく



これが幸せなのだと



思い込もうとして



魂や心が窮屈に感じていたり



逆にまだ自分は・・・と思っているのに



気がつくと



自分らしくない



大きな箱の中に



魂や心がぽっつんと



広すぎてしまうスペースに



心地よさを感じられなかったり・・・



その違いはあっても



秘められている宝石は



みんな同じだと思うの



誰でも人生に数回は



自分が望んだ所へ導かれるかもしれなかった



出会いやチャンスがあったとは思うの



でもついこんな私ができるかなって



不安の方が大きくなってしまったり・・・



チャンスや出会いを



素直に受け取って



予想以上に大きく育ってしまう夢に



自分がついてゆけなかったり・・・



夢を大きく育む時



多くの方が体験する



最も高い壁はきっと



自分をすべて表現できるかって事の様に



感じているの



新たな出会いを



体験する時にも



新たな出来事を夢へと繋げる時にも



自分の中でしまいこまれていた部分に



光を注がれ



あまり自分では知られたくない部分も



表現しなければならない時って



あるんじゃないかなって感じるの



数年前に知りあった方の中に



音楽が好きで



作曲を趣味で終わらせるのではなく



一生を通じて



自分のライフワークにしたいと



思われていた方がいたの



でも彼は自分の過去で



知られたくない部分が



多くの方に知られる事が



とてもネックになっていて



なかなか人とのふれあいや



出会いを夢へと繋げる事が出来なかったの



本人の思いも行動も努力をしていて



いつか多くの方に



自分の音楽を届けたいと思っていながらも



深い部分の無意識な所では



自分の過去を知られたくない



恥ずかしい事実を



誰にも知られたくないから



これでいいんだって



多くの方とのふれあいによって



導かれる道を



いつも消し去っていたの



いつも魂と心がフィットせずに



クロスしていたの



でも彼からお話しを伝えていただいた時



彼が思うほど



本当は恥ずかしい事でも



知られて人生がチェンジしてしまうほどの



過去ではなかったの



でも自分の中では



とても気になっている事だったとは思うの



きっと



今の素敵な彼だからこそ



過去を恥ずかしいと感じられるほどに



魂が成長しただけなんじゃないかなって



とても感じたの



その事をいつもメールで伝えあっていた時



だんだんと彼の中で



夢や本当に望んでいる事が



大きく育まれて



今では趣味ではなく職業として



オーストラリアで



音楽に触れ合うお仕事をされているの



私は彼の心に触れて



誰の中にも秘められている思いや



必要以上に心配している事が



あるんじゃないかなって



気づかせてもらったの



今日本のメディアでも



今までならば表現しなかった



知られたくない過去などを



表現し多くの方が



輝いているのを見つめ



そのような勇気が



多くの豊かさを運んでくるのかなって



感じているの



誰でもドラマチックに



人生を歩んできた事は



恥ずかしい事でも



自分を責める事でもなくって



人生の体験として



与えられたプログラムのひとつにしか過ぎず



その体験が



未来へ羽ばたこうとする



錘となってしまわないように



私の人生を映画にでもしたいわ(笑)くらいに



笑えるユーモアをもって



いつまでも自分の求めるものに



正直に歩める方には


きっといつでも光は降り注いでくれると思うの












やっと痛みと共に学ぶステージから



次のステージへと歩む方向へと



自然な形で導かれそうなの



数年前から病と共に



愛を感じ・受け取るという



私にとっては



とても難しい



人生の課題を与えられ



その中で今までには



見つめられなかった本当の自分や



周りのふれあう方たちの



あたたかなに愛を



このステージでは



多く体験させていただいたと思うの



女性のとっては



望む・望まないに限らず



本能という太古から



与え受け継がれた記憶が



秘められている



子宮が自分の体から



消してしまうというのは



思っていた以上に



様々な整えられない問題が溢れてきていたの



それはきっと私自身が



深くいつの間にか



思い込みとして刻まれた情報を



整理する必要があったからだと思うの 何年もかけて



パートナーとも日々話し合い



怒りという心の鍵を開く方法を使って



パートナーをわざと苛立たせ



本当の心に触れようと何度もしてみたり



周りの方に協力していただき



お子さんと共に過ごす時間を与えていただきながら



いつも彼の変わらない答えを



信頼できるようになっていったの



女性は一度決断してしまうと



たとえその後



心がチェンジしても



その道は歩めないけれど



男性はその後心変わりが訪 れても



女性をチェンジしたならば



いつでも描く未来を変えられるでしょなどと



私の心からは



言葉が溢れる事も多かったの



痛みが訪れた時には



つい無意識に



パートナーの心にも



自分の痛みを手渡してしまっていたの



でもそのたびに私の背中をさすり



パートナーは



「きっと世界のどこかで さーちゃんの力を必要として



待っている人が居るんだよ



だからもう素直に次に進もう」と



ささやいてくれていたの



そのような時間を重ねている時



パートナーのお母さんから



「うちは孫がいっぱいいるから



もう孫はいいよ



二人仲良く



健康に暮らしてくれたらそれでいいんだから・・・」と



伝えてくださり



様々な病院を調べてくれたり 少しずつ



もうがんばらなくっていいのかなって



思えるようになってきたの



数年前に



初めて病と知ってから



どうしてよいのかわからない時



痛みが私を包み



その姿を見つめる事が



絶えられなかった母は泣きながら



私の背中をさすり



「ごめんね・ごめんね」と



自分の事を責めていたの



私は自分の身体の痛みにしか



その頃は気を配れなかったのだけれど 時間と共に



私だけが痛みを体験しているのではなく



私と共に



変わってあげられない痛みを



見つめなければならない



パートナーや家族は



本当に切なかったんじゃなかなって



今は感じているの



だからこそ



私が決断をしなければ



前には歩めないように



感じていたの



そう思っていた時



様々な情報が届けられたり



意味のある偶然の一致が



次々に扉を開いてくれて



子宮腺筋症の痛みから



自分も周りも開放してあげようと



決めたの









今まで人は一人で居る方が



強くなれると



思っていたけれど



本当は逆なんじゃないかなって



感じていたの



誰かが自分を



愛してくれている事を感じると



自分が自分だけのものではなく



自分を愛してくれる方のためにも



笑顔になりたい



幸せに過ごさなければって思いが



強く魂の深い部分から



生まれてくると思うの



与えられた宿命の家族から成長し



新たな縁に導かれて結ばれた



ご家族の中での立場が変わることで



大きな責任という



プレッシャーを受け取り



この思いから開放されたい・・・でも・・・などと



時折浮かぶ思いは



多くの愛に包まれているからこそ感じる



ちょっとした



ガス抜きなんじゃないかなって思うの



もし今のライフスタイルを



数年前・数十年前に



作り上げようとしても



きっと不可能だと決め付けてしまうほど



今の自分が



大きく魂も心も成長している事を



改めて誇りに思って



ほめてあげるために



与えられたクロスする時間だと思うの



誰でも本当は今という時を



意味もなく生かされている人は



いないんじゃないかなって思うの



誰かの必要とされていて



そのエネルギーが



たとえ目に映らなかったとしても



注がれるエネルギーがあるからこそ



今こうして心臓も休む事なく



動いてくれているんじゃないかなって



感じるの



よく昔から



人から届けられる念や祈り・想いは



時空を超えて



奇跡を生む事が



伝えられているのは



上手に言葉では表現できないのだけれど



自分のものであって



自分のものではない



宇宙から与えられた地球を動かす



ひとつのエネルギーになっている



自分に愛を注ぎ



その自分へ注いだ愛は大地を伝って



地球へと伝わり



誰かの中へと流れ込んで



ゆくんじゃないかなって思うの



そして自分の中へ



愛が流れ込んでくる事を許す事が



大切なんじゃないかなって思うの











久しぶりに



友人たちと私の新たな



ライフスペースとなる街の中にある



ホテルのテラスで



楽しい時間を過ごす事が出来たの



今回の私の選択についての



流れもお話ししたりしながら



また新たな事を



たくさん気づきとして



与えてもらったの



私の世界が小さく



病になる事はちょっぴり特別な事で



なぜ?私が・・・との思うが



小さく形となって



残っていたのだけれど



友人に伝えた時



その問題がまるで自分が思うほど



大きなものではなく



大丈夫と思えるように色々と



伝えてくれたの



知り合いにも 同じような病の方がいて



いつかは答えを



出さなければならないのだから



それならば



今という時を



大切にしたいという思いから



手術を選択された方のお話しや



今現在も



幸せに元気に過ごされている方のお話など・・・



そのようなお話しが私の中にあった



小さな不安を溶かしてくれたの



そして



未来に待っている



楽しみや喜びを



膨らませてくれるようなプランをも



与えてもらったように


感じていたの



よく人は希望がないと生きられないと



表現されるけれど



地球上で唯一



未来を見つめられる



生き物なんじゃないかなって



改めて感じていたの



そしてここ数年で



一番強く心を慰めてくれたものは



「美しいもの」だったの



それはキラキラと輝く物質だけではなく



心や言葉etc・・・



美しいと感じられるようなものを



見つめたり



美しい心や言葉に触れた時



私はこの世に誕生して



本当に良かったと感じられたの



それからは



美しくおしゃれをした友人を



見つめるだけでも



なぜか嬉しくなったり・・・



数年前からホルモン治療によって



私自身は3サイズ以上



身体が大きく育ってしまったのだけれど



それでも



アクセサリーの輝きや



Hpで繋がりあったから届けられる



カードや便箋の美しい絵柄に



とても励まされたの



人は美しいものにエネルギーを感じ パワーを与えてもらえる



能力が備わっているんじゃないかなって



感じているの



人それぞれに



美しいと感じるものは違うかもしれないけれど



元気がないなーって感じた時や



不安などで心が



つぶれてしまいそうな時には



美しいと思えるものを



ネットサーフィンで見つけてみたり



街を散歩しながら



美しいものを発見する小さな旅を



してみるといいんじゃないかなって思うの



きっと美しいものが



気づかない間に



たくさんのパワーを



心に注いでくれると思うの










人は同じ音を聞いてもまったく 聞こえ方が違うみたいなの



聴覚が育まれる幼少期に



トラウマになるような出来事があったり



幼いのに



ストレスなどに包まれている



時間が長く続いてしまうと



聞こえる音を



無意識にゆがめてしまったり



ベールのようにカーテンをして



ある音は聞こえなかったりするみたいなの



そう思いながら



自分の事を見つめてみると



都会の中で育った私と



のどかな場所で育った友人は



聞こえる音や心地の良い音



ストレスを感じる音などに



違いがあったの



私は当たり前に多くの車が



往来する環境だった事もあって



今でも多くの車が走る音は



無意識に半分くらいにしか



耳に入ってこないように



進化し過ごしていたからなのか



車の音が



ずっと気になるような事はないの



でも誰かが大きな声で



話したりしている声や



集合住宅などに暮らす方から溢れる



衝撃音などには



とても敏感に反応して



ストレスを感じてしまうことがあるの



友人は私とは逆で



車などの騒音に



とても大きなストレスを感じてしまうために



今暮らす都会の中では



外から無意識に



日々与えられるストレスが大きくって



気が休まらないみたいなの



でも周りの方から溢れだす音に対しては



寛大で


衝撃音や大きな声で話す音は



ほとんど気にならないの



きっと人は生きてゆけるベースを



その時々に応じて



進化させてきたのかなって



感じているの



最近ニュースなどでは



音というキーワードが多く



事件と結びついて



命をも消し去るような



出来事が伝えられているけれど



音や香り・色などは



本当にその方それぞれに



感じ方が違うから



とても難しい時代なんじゃないかなって



思うの



私が幼い頃は



何となく大人が



青は男の子・赤やピンクは女の子のように



少ない選択の中から



それを疑う事もなく選んでいたけれど



今は人の数ほど



香りも色も音も存在しているのだから



心地の良い色や音も



多く生まれていると思うの



人の口から溢れる言葉も



いつも心を傷つけられ



育ってこられた方は



無意識に



その溢れた言葉を



ストレートには聞こえず



ゆがめてしまったり



涼やかな虫の奏でる音も



まるで神経に触れる音のひとつのように



感じられたり・・・



どのように聞こえたとしても


自分の耳から受け取った音は



真実の音なのだけれど



変えられない音から



ダメージを生んでしまう事だけは



緩和してゆけるんじゃないかなって



思うの



私は静寂が大好きで



テレビなどもつけずに



過ごす時間が多いのだけれど



そのような時間は



集合住宅では



なかなか難しく感じられる時



周りの方が音を生み出す時間帯には



「これはおでかけのタイミングかな」とか



「せっかくだから体操でもしようかな」など



音が音を緩和してくれたり



別な空間へ足を運んで



過ごしてみたりするようになったの



ずっと心地が良くないと感じる音に



包まれていると



自分の大切な人生を育む時間にまで



響いてしまうように思うの



それそれが与えられた空間で



営まれるライフスタイルを



一色には


なかなか出来ないんじゃないかなって思うの



今与えられた空間の中で



必ず良い事へ導いてくれる



ラッキーポイントがあるように思うの



それはもしかしたら



今後数年流れなければ



わからない事かもしれないし・・・



導かれた空間に感謝していたならば



きっと今よりも



心地の良いスペースへと



心身が運ばれてゆくんじゃないかなって



思うの










私たちは時々 「プライド」というものの意味を



間違って吸収してしまっている部分が



あるんじゃないかなって



感じていたの



「プライド」という響きは私にとって



金属的なシャープな音に感じていたのだけれど



その事が何となく気になって



辞書で探してみたの



そこには



自分の優越感を誇示するという意味の



ニュアンスが書かれていたの



その中には



誇りなどの言葉もあったので



私の中では今まで



誇りを持つという



この言葉を



受け入れていたんだなって思ったの



よく誰かとの会話の中で



「プライド」を持つという



言葉の表現が流れてくるたびに



何かフィットしないものを



感じていたことがあったのだけれど



その意味が辞書によって



教えられたの



「プライド」とは自分の中で育み



自分が自分の事を



肯定し誇りに思って



その事を感じていられたならば・・・と



ずっとその言葉を受け止めていたの



でも辞書などでは



周りの方に



自慢できるものであったり



自分自身を守るためのものと



表現されていて



今まで何となく周りの方から



溢れる「プライド」と表現する言葉から



生まれる違和感が



溶かされていったの



例えば「私はプライドを持って相手を選んでいるから」



「私はプライドがあるから



このブランドしか購入しないの」など・・・



何気ない流れるような会話の中に



いくつも登場する言葉だったので



いつも心の中で



「ふむっ?」っと感じていたのだけれど



辞書の通りを解釈すると



彼女たちの言葉の使い方が



本当はぴったりだったんだなって知ったの



そう思ったら



私は幼い頃から



もっとプライドを持てと



何度も大人から伝えられていたけれど



本当は



「プライド」というものは持たない方が



スムーズに自分らしく歩める



楽しい選択だったんじゃないかなって



感じていたの



私自身



周りに見せられる「プライド」は



きっと何もないと思うの



もしあるとしたならば



たった一人の家族のパートナーかな



でも私が自慢しても



自慢にならないかもしれないけど・・・(笑)









最近また数年前のような



時空のうねりを感じているの



地球から伝わるエネルギーと



自分自身の次へ進むために



与えられた小さな変化を



無意識に受け取り



あまり眠る時間を過ごさない私が



数年前



何をしていても眠たくって



そのような状態が



数ヶ月続いた事があったの



その時ととても似た



時間が今訪れているの



何となく感じているのは



現実には



身体を休ませ眠っているのだけれど



魂は身体を抜けて



様々な所へと飛んでいるんじゃないかなって



感じているの



そう感じたのは



夢で大きな満月を見つめ



褐色の肌の異国の小さな少年と



泣きながら抱き合い



素敵な未来や楽園が



この地球上に存在しているから



もう少しがんばってと



何語かはわからないけれど話していたり



そしてその後



目覚めてみると



まるで何十キロも歩いたような



足の痛みで



起き上がるのに時間が必要だったり・・・



一番驚いたのは



何気なくテレビをつけた時



夢で一緒だった少年が



赤土の上で座り込み



泣いている映像が映っていたり・・・



毎日人や場所は変わるのだけれど



夢という時空にサポートされながら



色々な体験と



教えを伝えてもらっているのかなって



感じているの



このようなお話は



自分で書かせていただきながらも



自分自身が大丈夫かなって



思ってしまうような事なのだけれど



とてもありがたい事に



このような神秘的な出来事を



今は信頼してくださる方が



多くいてくださるので



昔のように自分の心の中で



いつまでも悩んだりする時間に



包まれる事無く



すぐに開放させていただけるので



とても幸せを感じているの










私には人生を通して



自分の気持ちを



表現する・伝えるという



課題が与えられているように



感じているの



今までならば何かを感じても



その思いを伝えて



今の状況の流れが



大きく変わってしまうことを



無意識に



深い部分では恐れていて



何となく不快だなって思ったり



もっとこうなったらいいのに・・・などの



思いをしまいこんで静かに



その場を立ち去るような



選択をいつも



してきたように感じているの



その思いが生まれたのは



きっと幼い頃



自分から溢れる思いを



触れ合う大人たちに



何度も何度も伝えたけれど



何も変わる事なく逆に



関係が良い流れとはならなかった



遠い記憶から



学んだからなんじゃないかなって



感じているの



たとえ正当な主張であったとしても



言葉が未熟な私は



上手に伝えられる



自信がきっと



持てないまま歩んできたのかなって



思うの



本当に小さな事だけれど



例えばエントランスの電気が



灯っていなくって



とても気になっていたならば



その事を伝えたらいいだけなのに



自分から伝える事もなく



思い煩う時間に包まれながら



同じ思いの方が



登場してくれるのを



待ってしまうような



そんなところがあるの


問題が大きくっても小さくっても・・・



すべてそのような意識が



働いていたように思うの



そしてそれが運命の流れで



バイオリズムとフィットしている時ならば



その流れに乗って



無理な抵抗となる事もなく



良い流れが来るのを



持つ大きな力となるとは思うの



でも人間は声や言葉・耳などが



せっかく自分の思いを表現するために



与えられ・サポートしてくれているのに



眠らせてしまうのはどうなのかなって



最近ふっと思うの



数年前



大切な友人から溢れた言葉で



「交渉べただよね」って



伝えられた事があるのだけれど



本当にそうだなって思うの



たとえ素晴らしいものがあっても



相手の方が訊ねてきたりしなければ



その素晴らしさを伝えられなかったり・・・



その必要を感じなかったり・・・



そんな私のことを



愛して受け入れてくれてくれている



友人やパートナーは



いつも私がどう感じているのかを



初めに訊ねてくれるの



そのような魔法の言葉によって



いつも



自分を表現してよいのかなって



まるで許されたかのように



思ったまま



表現をさせてもらうような



癖を私は秘めているの



自分をひとつ・ひとつ知るたびに



恥ずかしさと共に



鍵のかかったまま開こうとしなかった



心の扉が開かれてゆくのを



感じているの











つい2日くらい前に



自分に与えられている



新たな課題を感じ



書かせていただいて



すぐにその課題が



すぐに実践へと導かれたの



大家さんが



突然訪ねてきてくださったの



「住み心地はいかがですか?」と



笑顔で訊ねてもらった時



こんなにも速いスピードで



自分の思いを表現する



機会に恵まれるとは思っても



居なかったので



とても驚いていたの


このタイミングの中にいても



自分を表現できないでいたの



その時



大家さんの方から



「みんなに支えられて



私は管理させてもらっているから



学ばせてもらえたら嬉しいの」と



伝えてくださったの



その言葉に何か私が



言葉として何かを表現する



テストのような時間を



与えられているのかなって



感じていたの



そして自分が感じる



景色や光の豊かさを



日々感じられる喜びを伝えたり



少しおこがましいかなって思いながらも



このようにされたら



もっと素敵になるのでは?など



アイデアを伝えさせていただいたの



とても笑顔が素敵な方で



つい1時間も



話し込んでしまったの



私は以前から



エネルギーの流れは



その物を所有している方のエネルギーの中で



自分のエネルギーも溶け合い



その場所での運のようなものが



育まれると思っていたので



とても素敵な方で



その事がとても嬉しかったの



例えば食べ物も



作られる方のエネルギーを



記憶していると思っているので



自分自身が



パワーを頂きたいなって思う時には



人気のあるお店に足を運んだりするの



目には映らないけれど



人間が無意識に感じている



エネルギーが



人気のお店には多かったり



使われているものが



とても大切に収穫されたものであったり・・・



人から溢れ出すエネルギーを



物質は記憶していて



無意識に私たちに影響を与えてくれる事も



あるんじゃないかなって



感じているの



例えば外観も味も



とても素敵で



その空間で楽しく過ごしたにも関わらず



気がつくと



足が遠のいているお店などもあると思うの



これといった問題もないのに・・・



そのようなエネルギーの流れって



多くの所で流れていると思うの



新車でとても気に入った車を



購入したにも関わらず



トラブルが訪れたり



ライフスタイルにも



好ましくない問題が



多くなってきたと感じていたり



この洋服・アクセサリー・



お財布を購入してから



とても好転してきたと感じていたり・・・



またその逆を感じていたり・・・



説明の出来ないエネルギーの流れと



私たちのライフスタイルは



繋がりあっているんじゃないかなって



感じているの











多くの時間をこのHPで



重ねさせていただいた事もあって



私のアクセサリーの里親さんに



なってくださった方から



頂いたメールやお手紙を



すべて大切に印刷し



何度も読ませていただき



この感謝の思いと共に



未来のために



スペースを作らせていただこうと思い



ベランダで



祈りをささげる事にしたの



お香を炊きながら



ひとりひとりに



感謝を送らせていただいたの



美しい星空が瞬きながら



まるで思いを受け取ってくれたように



私に光を届けてくれていたの



その時遠くから



日頃聞いた事のないような音が



耳に入ってきて



その音が少しずつ大きくなってきたの



真夜中という事もあって



街は静寂に包まれていたので



その音は夜空に響き渡り



少し手を止めて



周りを見渡してみたの



その時



白い玉のようなものが



私のおうちの方へと向かってきたの



その時今度はVの字に変化をし



その白い玉に見えていたものが



50羽以上もの白鳥だと



気がついたの



生まれて初めての経験で言葉を失うほど



感動してしまい



つい真夜中なのに



大きな声で「ありがとう」と



叫んでしまったの(笑)



このシンクロは



私と繋がりあってくださってくれている方に



幸せを運んでくれる使者のように感じ



これからもメイドインアースのパワーストーンを



使わせていただきながら



思いを表現させてもらってもいいのかなって



とても心強く


幸せな時間だったの












遺伝子の99・9%は



みんな同じで



あとの1%に刻まれた情報によって



病や性格といわれるベースが



刻み込まれているみたいなの



でも今までは



その1%に刻まれている



遺伝子に繋がる地図を



見つけられなかったのだけれど



今回やっと



その地図ともなるものが



すべて見つけられたみたいなの



その事によって



難病といわれ治らなかった病や



この世を去るしかない病までもが



完治できるみたいなの



ただその応用までには



きっと年数をまだ


重ねなければならないとは思うけれど



様々な難病によって



人生の喜びが



半分しか体験できなかった方たちには



とても大きな希望の光となるように思うの



その情報を拝見しながら



ふっと以前


読んだ本を思い出していたの



その本の主人公の方は



ミス・インターナショナルや



モデルをされていた美しい方で



婚約中に車の事故によって



車椅子と共に過ごす人生が訪れ



そのダメージを受けた心身を



支えられていたフィアンセと結婚し



そのパートナーの方は



毎日動かない彼女の足を



一日も欠かす事無く



マッサージをしていたの



その理由を尋ねられた時



その方が



「これだけ医学が進んでいるのだから



医学が進化した時



いつでも歩けるように



足が固まってしまわないようにしているのです」と


表現した言葉を思い出していたの



病に限らず



愛と希望が



この世の中のすべてを



進化に導いているんじゃないかなって



教えていただいた気がしていたの



私も病と共に過ごすようになってから



ご縁が結ばれたお医者様が多く



色々な事を



教えていただく事も多かったの



今の時代は



お医者様といっても



レベルも治療法も価格も様々で



都会の中では


お医者様がひとつの分野では不足し



ひとつの分野では余ってしまっている



状態みたいなの



それはきっと



志の違いが


すべての違いを生んでいるのではないかなって



感じているの



私が幼い頃は



報酬を志として



お医者様になるというよりは



何か人生の中で



きっかけがあって



「誰かのためになりたい」



「誰かを救いたい」という思いが



先に生まれ



お医者様になられる道を



選択された方が多かったのだけれど



今の時代は



報酬やできるだけリスクの少ない分野での



医師を目指す方が



多分多くなってきていて



報酬が見込めない小児科や婦人科



そしてリスクを日々意識しなければならない



外科医などは



不足しているんじゃないかなって



感じているの



最近新たに出会ったお医者様は



なかなかお時間を作る事も難しいほど



全国を飛び回られている方で



たとえ予約を入れていても



突然予定が変更になって



なかなか話しが形と出来なかったのだけれど



なぜかそのお医者様に



相談をしたい気持ちが膨らむの



そのお医者様とは



一度しかお話しをした事がないのだけれど



その一度で



彼女から伝わるものを感じたの



きっと多くの方も同じように感じ



お忙しいのなかって感じていたの



自分にとってフィーリングの合う



お医者様にめぐり合うのは



恋人と出会うくらいに



難しく縁としか思えないようなほど



多くの方が存在していると思うの



人によっては



励ましできる限り



リスクやデメリットなどを



告げないような方を求められる方もいれば



デメリットリスクを



きちんと説明を受け



その治療を受け入れるか



受け入れられないのか



ご自分で選択したいと思われる方など



お医者様も患者さんも



それぞれだと思うの



どんな場合でも



やっぱり相手を選択する前に



自分が何を望んでいるのか?



自分を知る事が



何よりも大切だと思うの



自分が望んでいるものが



自分ではっきりと感じていたならば



必要以上に



ドクターショッピングをする事なく 心身共に



安心できるようになると思うの












女性の多くは占いという



ひとつのアドバイスを



迷いの中の光として



楽しまれている方も多いと思うの



私を含め



友人たちも占いが大好きで



よくそのようなお話しに



花が咲くの



ある友人は何か迷いが生まれると



占い師の方へ相談され



その答えに納得が出来なければ



他の占い師の方を探し



何度もひとつの答えを求める



人生の導きとして



占いをとらえているの



その中で



彼女が信頼を寄せていた



占い師の方が



運命として恵まれない理由のひとつに



お母様の信仰や



先祖が問題だという事になって



お墓を移動しなければならないとか



彼女の中で一番気になっていた



自らこの世を去る選択をした



お父さんについて



あれこれと伝えたみたいなの



彼女からその事を聞いた時



とても怒りのような感情が



私の中で生まれていたの



なぜなら



家族ならば誰でも



何もメッセージを残さないまま



この世を去った人の思いを



何年たっても知りたい



そして自分は何かしてあげる事は



できなかったのか?



自分は何も出来なかったという



表現しがたい



残された家族にしか感じられない



感じる必要のない罪悪感を



秘めていると思うの



彼女が父親のこの世の去り方を



説明した段階で



誰でも想像はできる場面をあえて



残酷なまでに具体的に説明をし



家族に災いをもたらしている様な表現をした



その占い師の方を私は許せなかったの



私は彼女に



ストレートにその思いを伝えたの



「無言で返答を出来ない人を



問題あるように表現するのは



違うように思うよ



私が父親ならば



娘の幸せを望む事はあっても



不幸へ導くような事はしない」と



強く表現したのだけれど



彼女はまっすぐに信頼したら



自分が納得するまで進まれる方なので



その占い師の方が伝えるように



行動を起こしたみたいなの



占い師の方と二人で



お寺に行き



お香などを炊いて



何かの儀式などをして



お寺の住職さんにその思いを伝えると



とても不快な顔をされ



家族の間でも



大きなトラブルが生まれたの



そのようなできごとを幾つも経験してゆく中で



彼女は占いから



少し距離を置く事で



内なるメッセージを自分で受け取り



迷いもなく



歩めるようになったの



その歩みをずっと見つめながら



多くの事を



私も学ばせていただいたの



人は誰でも



永遠に解決を出来ない問題を



ひとつは秘めていて



その部分に答えらしき事を



伝えられたならば



何か救われたような気持ちと共に



その占い師さんを



彼女でなくっても 信頼を寄せてしまうものだと思うの



でも私はきっとみんな



「自分教」という



宗教を持っていて



何かの信仰や巡りあった人々と



クロスする部分を感じたり



フィットする言葉を



見つけられたりしながら



「自分教」を極めてゆくために



色々な方と巡りあったり



様々な体験をしているだけなんじゃないかなって



思うの



その占い師さんの秘めた



「自分教」は



きっと彼女に伝えたような



教義ではあったのかもしれないけれど



それを人の教義にまで



刻み込もうとするのは



どうなのかなって感じていたの



この世を去られた魂は



肉体から離れ



私たちよりも少し高い位置から



見渡せるようになっていると



私は感じるの



その事によって



私たちが見える距離よりも



広く見える事によって



大切な存在に



何かしらのアクションで



危機を回避させてくれたり・・・



そして



それぞれの魂が



この世の忙しさから開放されて



人生を回想する時間が与えられて



反省と感謝を繰り返し



そしてまた



ベストなタイミングで命を与えられ



生まれ変わってくるんじゃないかなって



私は感じているの