2004年8月




例年にないくらいの暑い日が



私の住む北海道でも



続いているの



寒さにはなれていても



暑い日が何日も続いた



暮らしをあまり予想していない方も多く



北海道では



冷たい風が恋しく



風を作り出す家電がどこのお店でも



姿を消してしまっているの



暑い夜が私にとっては珍しく



せっかくだから



外で毎日眠る事にしたの



テントを持っていって



一番近い海や山へ出かけ



毎日のように



自然に包まれながら



リフレッシュしているの



本当に静かで真っ暗な場所なので



風や鳥・波・



星の瞬きたちの会話を



感じる事ができるの



自然に包まれながら



私の中に宿る



煩悩を感じていたの



仏教では昔から



108の煩悩



(心身をを混乱させたりして



愛の選択ができないもの)が



誰の心にもあって



欲のようなものみたいなの



欲が無いといわれる方の中にも



108個はあって



大晦日の除夜の鐘



108回叩かれる事で



ゆっくりと鎮められるって



お話を聞いたことをも出だしていたの



自然の中で時を過ごす事で



私の中に宿っている



煩悩に気づかされるの



なかなか神様にすべてを



ゆだねる事はできずに



健康でいたいと願い



おいしいものが食べたいと



日々思っていたり



時には輝く方を見て



うらやましく感じたり



良い意味でも逆の意味でも



人間は上昇志向を持っていたり・・・



今の現状以上に望む事を



そのように表現するみたいだから



私は108個以上多くの煩悩が



あるんじゃないかなって思ったの



その煩悩を



まるで除夜の鐘が鎮めて



癒してくれるように



自然の会話の音色で



鎮められているように感じたの











日々



友人たちから溢れる



愛の光の恩恵に



感謝が溢れているの



暑い日々が続いている中



パートナーがお休みではない日には



車で海に連れて行ってくれたり・・・



沈みかけた心の時には



さりげなく溢れだす言葉を



聞いてくれたり・・・



生きる希望のようなエネルギーを



与えてくれる



HPを見てくださってくれている方たちに



本当に日々支えられ



生かされていることに



感謝でいっぱいなの



その感謝を



少しでも手渡してゆけたらと思い



繋がりあっている事を信じ



私自身が波動を高めて



何かを伝えられられたら



いいなって思って



今回はお寺で



早朝から座禅と写経を



体験してみようと思っているの



今まで教会や神道とは縁があり



触れ合ってきたけれど



仏教の方は私の偏見もあって



今まで



避けていた部分があったの



戒名の文字によっての料金制度や



苦しい修行やその逆に



とても尊敬からほど遠い生き方をされている



僧侶が多くなっているような感じで



心惹かれなかったの



そんな時



何気なく本屋さんで読んだ本に



基本的には



自分と向き合う時間を作るものなのだと



書かれていて



私の中にあった表面的な見方が変わり



心の栄養になるのならば



是非体験してみたいと思ったの



すべての神様と触れ合ってみたいなって



意識が芽生えたの



すべての神様は



愛を伝えているけれど



きっとそれぞれに



愛の表現が違うだけだと思うから・・・












人生に与えられた時間って



本当にあっという間に過ぎていて



驚く事が多いの



大人になると



日々変化があまりないせいか



あまり気づかされる事も少ないけれど



周りにいるお子さんたちを見つめると



その月日の速さをとても感じるの



人生は選択の積み重ねだから



今ここにいるのも



目の前に与えられたものから


無意識に選択したから



今の人生を歩んでいるのかなって感じたの



過去から今に繋がる出会いも



自ら選んできた



選択の中に与えられた



宝石のひとつだったり・・・



出会いは何気ない事から



始まっていても



私の人生をカラフルにしてくれる



絵筆を持っている方だったり・・・



頭でイメージできる範囲を飛び越えた



おまけのようなものの方が



大きな価値と喜びがあったり



人生って頭でイメージできる事だけを



考えてしまうと



危険を回避するために行動して



うまく道を歩めるはずだったのに



そのようにならなかったり・・・



本当に人間に秘められた



パワーって無限の可能性が



あるんじゃないかなって



感じるの



例えば結婚も出産も・仕事も



頭で考えて出す答えは



すべて一人で過ごす事で



今以上に



大きなものを抱える事はないけれど



本当にそのように



プログラムが進んでゆくのかは



わからないと思うの



人生には



素敵なハプニングの連続で



そのハプニングが



本当は人生の一番の



喜びになっていたり



想い出になっている事も



多いと思うの



現代人は



過去から様々なものを学び



無駄を省く能力に優れているけれど



その事でエネルギーを無意識に



持て余してしまい



混乱して過ごされている方も



多いと思うの



頭はオーバーヒートするくらいに



フル回転していても



その逆に身体は



静かに時を過ごしていたり・・・



すべてはバランスだから



頭で考える事を



身体の方にも分け与えて



調和する事で



きっと生きている喜びを感じ



過ごせるように



なれるんじゃないかなって



感じるの



頭で少し考えて



そしてそこに足を運ぶ



このプロセスを行うだけで



頭でイメージして決めかねていたことも



スムーズに決断できたり・・・



それはきっと



目には見えないけれど



心の瞳でしか見えない



精霊や天使が



力を与えてくれるからなのかなって思うの



自分の力だけしか



信頼できない時って



きっとスピリチュアルな存在すべてが沈黙して



見守っている時だと思うの



その気持ちを開放して



頭で考えるのではなく



前に一歩進む事で



私たちの目の前に



精霊や天使が現われ



誘導してくれるように感じるの








暑さも少し和らぎ



夕暮れと共に心身ともに



静寂が戻ってくるようになったの



札幌の上空は



オゾン層が破壊されていて



もっとも広がってしまっている



みたいなの



冬が普通に訪れ



寒さを感じると



本当に温暖かなのかなって?って



思ってしまうけれど



この反作用は



地球にエネルギーが保たれている間は



大丈夫だけれど



今地球のエネルギーも補給されないまま



何百年も立っていて



何かできることはないかなって思い



ここ数年緑を育てているの



ヨーロッパでは昔から



庭に緑を植えたり



花を育てる事は



「神様のお手伝い」と



表現されているくらいだから



地球に栄養を与え



やがては



自分たちの元にも



おいしい空気と



自然治癒力を蘇らせてくれる



力を与えてくれるんじゃないかなって



思うの



今は多くの町で



緑を植えるサポートとして



助成金を出している所あるから



今後滝や森へ行かなくても



マイナスイオンに溢れた



街が増えてゆくといいなって



思っていたの



小さくても



緑を愛でる優しい心に



植物の陰から



精霊たちが感謝の気持ちを



送っているように感じているの











自分がずっと大切にしていた



幸せの形を日々整えながら



益々自分が心から



望む幸せに光を注いでいるの



私はよく



意味も無く



心が押しつぶされそうになる時があって



そういう時には



パートナーと近くの



川が見える場所へ行くの



そこへ行くと



開放的な広い空と様々な方たちの



楽しい笑い声が広がっていて



自分自身が



何を魂で求めているのかを



再確認させてくれるの



日常では



あまり意識する事のない



自分の心に広がる思いに



静寂の中で



気づかされたりして・・・



都会に住まれている方は



何もない空間に身を置く事で



自分が自分らしくいられていない時って



何がそのように働いてしまうのかって



答えを自分の心の奥から



導き出す事ができると思うの



例えば



人よりも先へ先へ進まなければとか



人から伝えられる言葉を期待しずぎて



コントロールしたり・されていたり



見栄から



心の糸が張り詰めてしまっていたり



そのような事で



心の羅針盤がぐるぐると回り始めて



自分を見失ってしまう事も



多いように感じるの



いつもの空間以外の場所へ足を運ぶ事で



一度日常がリセットされて



自分の幸せの形を



整える事ができると思うの



私自身も



心がわけもなく泣き出しそうな時は



開放的な中で



自分の中に秘めている



思いも開放するようにしているの



そして常識や見栄などではなく



心から同じような



価値観を大切にしている



友人とゆっくりと話すの



最近は



「勝ち」「負け」という言葉から



線引きされる事の多い人の人生を



ユーモアで受け流しながら



誰かが作った



レースには始めから参加しない勇気と



自分が自分でいる喜びを



伝えてくれるかけがえのない



大切な人が一人でも居たら



それはきっと



この世に存在する人間としての



成功だと思うの










最近新たに出会った友人ができて



多くのエネルギーを



与えていただいているの



言葉で知っている事も



頭で理解できている事も



言霊として



耳から細胞へ広がる



エネルギーのスピードと



パワーってすごいなって



とても感じているの



私は以前にも書かせていただきましたが



一般的に



社会生活を送る事なく



過ごしてきた事もあって



人との関わりの中での



常識といわれる事を



知らない事も多く



その事で



会話に中でなにげなく



「これって常識だよね」という



言葉が苦手なの



その言葉が出るたびに



その常識を



わかったふりをしなければ



自分がおかしいと



思われるんじゃないかなって



自分を出せなくなってしまうの



その事で



新たに出会った友人に



きっと変だと思われるかもしれないなって



思ったけれど



私の事を勇気を持って伝えたの



その友人は



「この地球には様々な人がいるから



成り立っていると思うよ



みんながまじめでも



みんなが悪くても困るから



上手くバランスは取れているんだから



心配しなくてもいいんじゃない



逆に何も知らないから



利口ぶったりもしないし



押し付けてきたりしないし



私はそんな人間が



もっといてもいいと思うよ(笑)」って



言ってくれたの



彼女は笑って伝えてくれたのに



私は気が付けば



涙が溢れていたの



私自身も気づかない



心の深い部分で



その事がどれだけ



自分のコンプレックスになっていて



辛い思いを抱え込んでいたのかを



改めて



教えられたように感じたの



相手を受け入れる



彼女の心の広さが



とても嬉しかったの



彼女から人生を歩んでゆく



勇気と自信



私が私でいる



素晴らしさを教えてくれたの



私も彼女のように



例え自分と違う価値観の人と出会っても



自分は自分としての生き方を



大切にしながら



相手に同化するのではなく



相手のスタイルを受け入れてゆける



歩み方ができたらいいなって



とても感じた素敵な一日だったの












今日外からのざわめきに



目を覚ましたの



何が起こっているのか



わからないまま



テレビをつけてみたの



そうしたら



高校野球の決勝が行われていたの



あまり見ることが無かった



高校野球に



気が付けば



心が熱くなっていたの



いつもならば



大きな声を出す事もなく過ごす



周りに住んでいる方たちの声と共に



私の声も結ばれて



顔は見えない方たちとの



連帯感に包まれながら


数時間



過ごさせてもらったの



最後の結果が決まった時



窓の外は大きな拍手と



気がつけば


私も拍手と涙でいっぱいになっていたの



毎年この季節



熱い思いで見つめている方の



気持ちがとても理解できた気がしたの



この出来事から



やはりデーターなどではなく



前を見つめ



歩く方には



奇跡というプレゼントがあるんだなって



とても感じる事ができたの



そして同じマウンドで過ごす



多くの高校生のピュアな


声にならない思いの美しさに



誰もがみんな



一番輝いている場所なんじゃないかなって



感じながら



本当に素敵な時間を



瞳に映す事ができた


夏の日のだったの











本当の意味での



ポジティブってなんだろう?って



ふっと考えてみたの



何でもYesという事?



それとも精神世界でのマニュアルにある事を



すべて把握してゆく事?など・・・



精神世界を学んでゆく事で



今までスムーズに判断できていた事も



スムーズに判断ができず



前に進みずらくなっている方も



多くいると思うの



私が感じるポジティブって



何でもYesという事でもなく



自分自身が



心から自分の存在を



喜びに変えてゆけるような



受け止め方に繋がるための



魔法のようなものだと思うの



目の前で起きている



現実だけを見つめて



悲しみや辛さが広がって



それに繋がっている



自分自身の存在をも



壊してしまわぬようにするために



角度の切り替えのような



ものだと感じているの


よくポジティブっていう表現を使われる時に



相手の方の思いに



意見が溢れてきたりしても



その思いを抑えて



相手の意向通りに求められるまま



行動するもののように思い



窮屈さを感じている方も



いると思うの



例えよいものでも



心が不安に包まれたり



判断ができない時に



今の自分には必要がないと感じ



断る事などは



逆に私は



ポジティブだと感じるの



何よりも自分の心を信じている



心の強さと冷静な判断力が



備わっていると思うから・・・



よく精神世界の中で



伝えられている事と



現実の今の自分を



上手に調和されているからこそ



立ち止まれる事もあると思うの



その時何よりも大切なのは



自分が前向きに考えて



導き出した答えだと思うの



みんながよいと思う事でも



自分自身が



そのように感じないのは



ネガティブなわけではなく



それは好みや思考の違いで



すべての方の性格が



違うのと同じなだけだと思うの



今の自分を見つめる前に



何段も飛び越えた



夢を見る事が



決してポジティブなわけではないし



日々の生活の中の出来事を



自分の魂の栄養とするために



様々な角度から見つめ



そして最終的に



自分自身が



「これでよかった」と感じられる



選択を導き出してゆけるのが



本当の意味での



ポジティブなんじゃないかなって



私は感じるの











毎日オリンピックを



テレビで拝見しながら



日々感動と勇気を与えてもらっているの



多くの方の目に映る



選手の方たちには



様々なドラマがあって



私たちの目に映る場面は



短い時間だけれど



その方がその日のために



積み重ねた時間と



そしてすべての分野で



多くの方たちのサポートがあって



みんなの夢をいっぱいに



吸収した選手の方が



私たちの目に映っているのを



感じているの



私たちも同じで



今もし幸せを感じられる時間を



持つことができていたとしたら



今日までの間



多くの出会ってきた方たちの



思いやりや



両親の無償の愛で



生命を育んでくれて



サポートしてくれていたからこそ



今・幸せを感じられるんじゃないかなって



ふっと感じていたの



最近私のまわりにいてくれる



友人や兄弟の子供たちを



見つめ触れさせていただける



時間が多く



そのたびに



その場所の空気中に



ふわふわと浮かんでいる愛情を



子供は全身全霊で



吸収しているんじゃないかなって



とても感じる事があるの



その姿を見つめながら



意識が芽生えてから



両親との意識や意見の違いなど



様々な心の体験をしてきたけれど



心の深い部分で大切に感じている



繋がりあったものが



あるんじゃないかなって



感じるの



時には反面教師となってくれたり



人の優しさに感謝が溢れたり



人を信頼する強い力も



過去から繋がっている



贈り物なのかなって



感じるの










幼い頃教育テレビで放送されていた



「できるかな」に出演されていた



「のっぽさん」の高見映さんが



いつも表現されている



言葉があって



無意識なプレッシャーから



解き放たれたの



その言葉の中で



「大人」を「大きい人」



「子供」を「小さい人」と



表現されていて



その言葉は



文字のままなのだけれど



とても優しく



気負いを感じない



素敵な表現だなって



とても感じたの



成長と共に



ずっと大人になる事って



どういうことなのかなって



いつも答えを求めていて



複雑に絡まるほどになって



そのままどこかに置いたまま



年齢だけは重ねていたから・・・(笑)



高見さんは



多くのお子さんと接してきて



対等にいたいとの事から



自分はただ見たまま「大きい人」で



君たちがそのまま「小さい人」



ただその違いだという思いから



表現されているみたいなの



そのストレートな表現が何か心の中を



羽根が舞うような



感覚に包まれていたの



「大人」だから



知っていて当たり前



できて当たり前との認識から



外から求められている



空気を感じ取り



「大きい人」たちは



ただ「大人」を演じているだけで



本当は幼い頃感じていた



喜怒哀楽も失っていないし



純粋に人を思いやる気持ちも



人生を楽しんで過ごしたい気持ちも



キラキラと心で



輝いていると思うの



ただ「大人」だったら?と



考えて選択してゆくうちに



本来の美しさに



ベールがかかってしまっているのが



大人なのかなって



長い間導き出す事が



できなかった答えを



感じたような気がしたの










日に日に秋の風の香りを感じ



収穫の季節を楽しんでいるの



知り合いの方の多くは



おうちの小さな畑で



様々なものを作っていて



いつもおすそ分けしてもらい



大切に頂いているの



ここ数年



食に対する思いが



変わってきたの



以前は



ただお腹を満たすという感じで



食事をしていたように思うの



でも病と付き合うようになってから



様々な事に



心を配る事ができるようになって



自分の人生を振り返りながら



私は毎日を楽しんで



過ごしてきたかなって



考えてみたら



毎日の生活の中にある事以外に



訪れたハプニングは



楽しんで受け入れてきたけれど



何も変化がない時間は



意味の無い事のように



ただ流してきたように感じるの



毎日必ず与えられている時間って



時々訪れるハプニングよりも



人生の多くの時間だから



その部分を大切に・幸せを感じないと



細胞が輝かないのかなって思ったの



それから食事をする時間を



最も幸せを感じられるように



したいと考えて



色々と始めてみたの



初めに思いついたのが



有機野菜や無農薬野菜などで



価格も今まで購入していたものよりも



少し高くなってしまうので



ほんの少しだけ食していくうちに



様々な変化が訪れたの



私があまり好んで



食べなかったものも



本当はこんなに



甘いんだって知ったり・・・



今まで体に良いといわれてきた



食べ物を食しても



そう思いながら



食べてはいたけれど



味わって食べる事はなかったの



それは今思うと



無意識に目には見えないものを



栄養よりも先に



細胞がキャッチしていたから



なんじゃないかなって



感じたの



今は満たされない栄養を



補うために



必要以上に食べなくなって



ひとつ・ひとつ



生産者の方の思いも



一緒に感じながら



毎日の食事の時間が



とても大切な時間へと変わっているの