2004年10月





ここ数週間



自分自身を体験する



ちいさな心の旅をさせていただいていたの



その中ですべてに共通する



テーマのようなものを感じていたの



ちいさな子供と太陽を浴びながら



毎日のように遊び



日々出す事のない大きな声で



いっぱいいっぱい



話したり・笑ったりして



心地よい疲れに包まれながら



日々子供がフラストレーションから



開放され心が安定し



必要以上に泣く事がなくなって



ご両親は喜びの驚きと



感謝を伝えてくれたの



私自身も時間を忘れて



大きな声とアクションで過ごす事が



なかったので



自分に備わっている器官すべてを



体感する事ができた



喜びに包まれていたの



その事でいつも無意識に



与えられている



スペースを飛び越えた開放感が



大人になった私でも



必要なんじゃないかなって



とても感じたの



今日いつも足を運ぶ



自然の中にある温泉へ行き



そのような事をまた感じる機会が



与えられたの



洗い場に座り何となく



一人ひとりが



無意識に自分に与えられた



スペースを認識しながら



ホイップのような泡が隣の方に飛ぶたびに



何度もお隣の方は「ごめんなさい」と



伝えていたの



そして私もシャワーの水が



跳ねるたびに



両サイドの方に



「ごめんなさい」と伝え



それがマナーやルールなのかもしれないけれど



ちっぴり過剰なくらいに



周りの方へ迷惑を掛けてはいけないという



教えのようなものを



どんな時にも応用していて



小さく・小さく生きるように



慣れてきてしまったように感じるの



私たちは



無意識に癒しを求めるために



訪れた場所でも



気を必要以上に使って



なかなか心身共に



開放できなくなってしまっているように



感じたの



日々過ごすライフスタイルの中にも



マンションやアパートに暮らす方の多くは



物音に気を配り



幼い子供がいる方は



泣き声が響いてしまわないかなっていう思いから



子供の感情をコントロールして



自由にさせてあげることができない方も



多くいるんじゃないかなって



感じたの



大人になると



自分さえ我慢をしていたら・・・



好き嫌いで判断してはいけない



気分や心が乗らないからと断るのは・・・など



いつの間にか当たり前のように行っている事でも



このような事が



本当はもっとも潜在意識にまで



影響を及ぼしている



ストレスだったりするように



感じているの



そのような小さなストレスは



スペースとも関係していて



広い見渡せる場所で



大きな声を出したり



大きなアクションで動いたりするだけで



思った以上に



スムーズに手放してゆけるの



私はフラストレーションを



少しでも感じると最近はパートナーと



車で見渡せる自然へ向かい



車の中で



大きな声で単語を声にするの



「何で~」とか「嫌なの!」「いいの!」etc



その時具体的に



ターゲットを決めて行うのではなく



日々伝えられない



しまい込んでいるかなって思うような言葉を



意識して発するの



こんな小さな事でも



日々心に散らかってしまった思いを



お掃除できてしまうように



思うの











秋の夜長を毎日いつも以上に



本を読んで過ごしているの



その本の中に



「ノーとはっきり伝えられますか?



ノーと言えない人は



イエスといっても信頼されません」という



言葉を見つけたの



つい必要以上に気を使ってしまい



素直な自分を表現せずにしまいこんで



相手が求めている事を抱えきれないほど



受け入れてしまったり・・・



誰からも好かれたいという思いから



ノーが伝えられない事もあるけれど



本当は



その思いとは逆に



相手に受け取られている事も



あるように感じたの



自分が気を使い受け入れるタイプだと



相手の方にもそのような思いが伝わり



本心が見えないととらえられ



信頼されていなかったり・・・



それとは逆に



意見を伝える事で不快になったり



意見がぶつかり合う事があっても



お互いを信頼している事って



あるように思うの



好意的に感じている方ではあるけれど



信頼できるかどうかとなると



少し考えてしまう方もいたり・・・



どんな時にも姿勢を変えない



自分を表現できる勇気を持っている方は



自分を信頼していると共に


ふれあう方たちにも



信頼されているんじゃないかなって



とても感じたの












過去に体験した傷のようなものを今もリアルに



自分の人生に大きな影となっている時



体験自体は過去のものであっても



今この瞬間にも



大きな影となっていたならば



その影は過去にはなっていないように



感じるの



忙しく過ごす事で



見つめずにいても



ふっとした時に



無意識に言葉として溢れてきたりして



その出来事に感情が


一緒に揺れ動くとき


それは過去の出来事には


まだなっていないように感じるの


ここ数週間の間に


ゆっくりと瞑想しながら


私の今のライフスタイルに


影響を与えている場所を伝えてもらい


ひとつ・ひとつ



ゆっくりと尋ねてみたの



幼い頃住んでいた場所から始まり



学校や独身の頃



昔の恋人と過ごした場所など・・・



その場所は無意識に私の中で



あまり想い出したい場所ではなかったせいか



記憶が薄れているのに



感情や心の方は



とても大きく揺れ動き



自分でも戸惑ってしまうくらいだったの



時々悲しい気持ちになってしまった時



過去の小さな楽しかった情景を思い出し



今という瞬間よりも



過去に光を感じてしまっていた事もあったけれど



過去と出会う旅をして



本当は今がもっとも



幸せだって事を教えてもらったように



感じたの



そして何よりも



自分が過去を振り返ることが



できる勇気があった事が



とても嬉しかったの



過去を振り返る事ができた時



半分以上が自分の中で



消化されているんじゃないかなって



感じながら



心に散らかったままになっていた記憶たちを



ゆっくり整頓する事ができて



大きな意味を持つ



セルフヒーリングができた



爽快感に包まれているの











初心者でも登れる



ちょっとしたハイキングができる場所があって



以前から一度



足を運びたいと思っていて



やっとそのタイミングが訪れたの



その道には



何十体ものお地蔵さんが歩く人を優しく



迎えてくれていて



心鎮まる空気が溢れていたの



木漏れ日の中ですれ違う方たちが



「こんにちは」ってご挨拶しあう



山のマナーに触れ



その言葉をひとつかけられるたびに



都会の中で吸収してしまった様々なものが



浄化されてゆくのを



感じていたの



私は幼い頃から



その土地の神様や



守り神などが祭られている場所に心惹かれ



その前に走っていっては



ひとりでブツブツと話をしていたと



母から聞いていた事を想い出しながら



また同じように



ブツブツと話している



自分がおかしくなっていたの(笑)















今日久しぶりに友人と会い



その晴れやかな笑顔に



とても驚いてしまったの



友人はここ数ヶ月の間



自分でもどうする事も出来ない



心に耐えられず



カウンセリングへ



通っていたみたいなの



決して特別な病でもなく



誰もが無意識に抱えてしまっている思いだとは



思うのだけれど



親子関係での共依存が益々



強く感じてきてしまい



長い間の抱え込む必要の無い



罪の意識などで



心が病んでいたみたいなの



その思いがやっと消え去り



開放されたみたいで



輝く笑顔で数ヶ月の事を



私に伝えてくれたの



彼女は幸せな結婚をしお子さんが2人授かり



忙しいながらも



幸せに過ごしていたの



彼女は独身の頃から



様々な呪文のような否定的な言葉のせいで



結婚はしたくない



もちろん出産などはありえないと



表現していたの



それは彼女が



自分の母親から言われ続けて来たことや



母親を見つめてきて



同じDNAを持つ自分は



同じ人生しか歩めないと



思っていたからだったの



「結婚は大変な事ばかり」



「子育ては自分の人生を



すべて犠牲にしなければできない」



「あなたは私の子供なのだから



きっと私と同じ人生しか歩めない」と



幼い頃から



ささやかれていたみたいなの



その強い呪文のようなものから



開放されたのは



今のだんな様と出会ってから



少しずつ小さな思い込みに気づきゆっくりと



溶かしてゆく事ができるようになって



彼女は結婚し・彼女も



母親となって



改めて自分の心の中の子供が



抱えている罪悪感と出会い



普通の親子関係を



作り上げてゆきたいと思ったみたいなの



彼女の歩みのスピードと



ご両親のコントロールの強さが重なって



お子さんを授かってから



益々ご両親との間で



彼女は癒されずにいたの



ご両親が「子供に甘すぎる」



「養っている人が一番偉いのだから



子供に合わせるのではなく



大人にあわせるようにした方が



親のありがたさがわかるからいいよ」



「あなたはいいわね



私が子供を育てていた時は



すべてを我慢して



大変な思いをしてあんたを育てて来たのよ」etc



様々な何気なく伝えられる言葉たちに



追い詰められていたみたいなの



彼女はその言葉から恩を必要以上に感じ



今の自分の家族を



大切にしてゆく事が困難になって



友人などにも相談したりしても



自分の表現の足りなさで



誤解を生んでしまったり



理解してもらえない事も多く



勇気を奮い立たせて



専門機関で



ゆっくりと癒されていったみたいなの



その癒された言葉たちを



私にも伝えてくれて



私まで涙が溢れてきてしまったの



「親も無意識の中子供をコントロールする



手段の一つとして



子供に罪悪感という形で



相手からエネルギーを奪い



縦関係を維持してきてしまったんだよ」



「お母さんが何もかもあなたのために



我慢してきたというけれど



その事を恩に着せられる必要は無いよ



あなたは



今お子さんかわいいでしょ?



お母さんも同じ思いで



楽しい時間を



あなたのおかげで過ごせたんだから・・・



人間本当に



辛い事ばかりだったなら



逃げ出してしていたはずだよ



子供が生まれて知る親の恩も



あるかもしれないけれど



子供をもって知る



大きな愛を与えてくれる



子供への恩もあるんだよ」など



彼女の心を縛ってしまっているものを



ひとつひとつ



解いてくださったみたいで



その言葉を聞きながら



私も同じような思いが



深い部分にあって



「やさしさ」「おもいやり」という



思いだけでは



消し去る事ができない



私の中の



大きな影となっているものを



感じていたの



彼女と同じように



私の中にも母とは違う



新たな自分の人生を歩もうとする時



同じような表現をいつも伝えられ



自分の意見を伝えると



泣かれてしまい



持つ必要が無い罪悪感でいっぱいになり



母の思う通り行動する事が



親孝行なのかもしれないって



自分の意思を押さえ込み



新たにできた今の家族にまで



今度は私が影を与えてしまうのかも



しれないなって



とても考える時間を与えて



もらったの



両親に愛情を感じ



思いやりや優しさを持つ事は



とても大切で人間として



素晴らしい事だけれど



それによって



自分の人生を捨ててまで



表現する事ではないなって



彼女の言葉から



改めて教えられたの













中国医学で人間が3m半径に



電気を発している事が認められ



発表されたの



オーラのようなものが



広い範囲で放っていることを知って



その事が人間関係にも



大きな影響を与え



合っているんじゃないかなって



とても感じたの



同じような輝きで光りあう方たちならば



光が増し



感謝や喜びに満たされていったり



どちらかが



大きく輝いている場合は



光が満たしきれない方に



手渡してゆけたり・・・



どちらも満たしきれていない場合は



その少ない光を



循環する事もできずに



出会う方すべてから無意識に



エネルギーを与えてもらうばかりで



相手の方は疲れてしまったり・・・



私たちは



エネルギーそのものなんだなって



改めて感じていたの



私自身も



病を知る事になってから



光が少しやわらかくなった事で



出会う方の光も重なりあい



光が増してゆく事に感謝できるように



なれたと思うの



日本には昔



おさすりさんという



手で患部をさすり



治してゆく病院のような場所が



あったみたいだから



今以上に人間から放つ光を感じ



ライフスタイルに



取り込んでいたんだなって



感じていたの



身体の中で手と足の裏から



とても強いエネルギーが



放射されているみたいで



本来人間は足の裏から大地を伝って



地球からエネルギー補給が



毎日のようになされていて



手から溢れるエネルギーで



自分を癒したり人にエネルギーを



分けてあげたりするもの



なんじゃないかなって



ふっと感じていたの



だからよくエネルギー溢れる方たちに



握手を求めるんじゃないかなって



感じたの



私たちは



目に見えたものから



エネルギーを補給しようと



つい小さな権力闘争のような事を



繰り返してしまう事があるけれど



本当は宇宙や地球から



毎日のように



エネルギーが充電してもらって



いるんじゃないかなって思うの



幼い頃



地球は丸く宇宙に浮いていて



回っているので



人間は宇宙に落ちてしまわないか



心配していた事があるのを



想い出していたの(笑)



私たちから溢れだす光と



自然界にある光は



きっと調和できる



同じ光のように思うの



だからこそ月の美しさに



心の静寂を感じたり



風に揺れる木々のささやきが



心地よく感じたり・・・



自然から送られるすべてのものに



心が感動で共鳴しあって



いるんじゃないかなって思うの



人は心の疲れを感じると無意識に



自然を求めるのも



日々与えてもらうエネルギーと



消耗してしまうエネルギーのバランスが



なかなか整わないから



補給するエネルギーを今以上に必要として



自然を求めてしまうと思うの



そんな時はできるだけ



地球から湧き上がるエネルギーと



触れ合うために



温泉で身体を癒してもらったり



美しい緑の中で木々から放たれる



エネルギーを両手を広げ



深く深呼吸し吸収するといいと思うの



目には見えなくても



神聖な森の神様や精霊たちが必要な



エネルギーを与えてくれると思うの













今月は14日が



新月を迎える日なの



新月ってとてもパワーが溢れる時で



新月に物事を始めたり



予定などを立てると



スムーズに物事が運ぶといわれていて



毎月



新月を意識して



小さな目標のようなものを



いっぱい書きだしているの



満月は少しハイテンションになるみたいで



私が独身の頃は月のパワーを借りて



片思いの彼と会う日を満月にしたり・・・(笑)



言葉でも「つきが向いてきた」「つきがある」



「つきに見放された」など



運を表現する時に語られる言葉の中に



月が登場しているのも



昔の存在していた方たちが無意識に



月のパワーを感じ取って



いたからなんじゃないかなって



とても感じているの



遠い宇宙から



地球に光を届けてくれて



闇を照らしてくれる月は静寂を作り



心や精神を照らし



自分を見つめる事を



手助けしてくれているように


感じているの












全国的に



台風や山からの使者による



ニュースが伝えられているのを



見つめながら



自分の心の内から謝罪にも似た



感情が湧きあがってきたの



人間は自然を愛しているけれど



神聖に互いに守っている部分にまで



入り込みすぎてしまったように



感じていたの



まるで恋愛と同じように・・・



神様は神聖な山々に



私たちが必要なものを



作ってくれて



そしてその神聖な場所を守る



動物たちによって



本当の意味で



地球が守られてきたのだけれど



人間は支配欲が



あまりにも強く秘めているために



相手との距離を大切にするよりも



従わせるという形で



どんどん相手のスペースにまで



入り込みすぎたために



少しずつ調和が保てなくなってきて



相手も自分に与えられた場所だけではなく



命を繋ぐために人里まで



命を懸けて降りてきていると感じるの



年々ニュースでは



森の動物たちが



人里で食べ物を探す姿が伝えられる事が



多くなってきていて



森では今何が起きているのだろうって



とても心配になっているの



神聖な森で起こっている出来事は



ゆっくりと時間をかけて



私たちにも多くの影響を



運んでくると思うの



この間私の友人のおうちの近くには



鹿が現われ



都会の中に現われるその姿を



イメージしていたら



突然涙が溢れてきたの



近くには森もなく



どこかにひっそりと姿を潜め



震えながら



命を繋ごうとしているんじゃないかなって・・・



森の動物たちは



神聖な使者だと思うの



きっと私たちに



何かを伝えるために



やってきているように



とても感じているの












今多くの方がシフトチェンジの中で



過ごされているのを



とても感じているの



それは今まで



何気なく過ごしていた事から



上昇してゆく事のように



私は感じているの



そのスピードは様々だけれど



今回のシフトチェンジは



自分の意識とは別に魂のパワーが



大きく働き



招いている事のように思うの



友人やHpで出会った方の多くも



シフトチェンジの中で



ちょっぴり不思議な思いを感じながらも



ゆっくりと今までの自分を考えたら



信じられないほど



出来事の意味を



上手に解釈できていたり



例え思い煩う事でも



受け止め方に変化を感じていたり・・・



以前には困難に感じていた



出来事も魂と心の連携によって



速いスピードで



答えを導き出す事ができるようになって



思い煩う時間が



以前よりも短縮していたり・・・



私自身も数年前ならば



「どういうしたいのか?」という事を忘れて



つい感情の方に



時間を多く使ってしまい



目的の場所まで



辿り着くのにとても時間がかかっていたの



相手がある場合には



「なぜこんな事いうの?」



「なぜ?あんな事するの?」など



そのような事へ意識が



大きく向いてしまい



自分が本当に望む事から



離れていっている事さえ



気づかずに過ごしていたの



でも今は



価値観やその時の相手の状況・環境



様々な心の置き場によって



その時表現された事なんじゃないかなって



感じられるようになってからは



今までのように



無理に自分の感情を抑えるのではなく



自分を納得させられるような



魔法の言葉をいっぱい



心の中に用意する事ができるようになれたの



言葉をそのまま受け取るのではなく



言葉の中にある



本当に伝えたい真実を



見つめられるようになれたの



言葉の表現も方言と同じように



悪気が無くても



互いのフィーリングによって



感じ方が違い



本質が見えなくなってしまうことも



多いと思うの



小さなシフトチェンジを



何度も与えてもらい



無意識に過去に困難だった事が



今だからこそ



スムーズに受け入れてゆけるほど



上昇できた事



心からほめてあげる事で



益々魂に感謝が伝わり



シフトチェンジの時を



そっとサポートしてくれると思うの













私の住む町は



もう吐く息が白く



毎日ストーブを付けなければ



肌寒い毎日なの



夏の思いでの整理と共に



これからの季節に必要なものを



交換するために



リサイクルショップへと足を運んだの



リサイクルショップでも



これからのシーズンのものしか



受け取っていただけないので



1年待って



いつも循環させているの



今年持っていったものは



去年と今年の初めに



一緒に想い出を



作ってもらった物たちなの



数年前から



手放すというプロセスを



学んでいる私は



「今という瞬間」を意識できるようになって



過去の思い出は心や魂の



引き出しにしまい



物は「今必要か?」という



セパレートにして



考えられるようになれたの



そのおかげで



毎シーズン新たな気持ちで



空いたスペースに



「今の私」が演出できるようになったの



ただプレゼントしていただいたものなどは



あたたかな思いが強く感じられるので



手放す必要を感じないので



毎日その物から



エネルギーを頂いているの



今回行ったリサイクルショップは



カジュアルなものが多くあるところで



私の価値観では



引き取っていただけないのではないかなって



思うようなものが



価値を見出していて



私が素敵だなって思うような



エレガントなものには



あまり価値を見出していないようで



店頭にはとてもリーズナブルな価格で



売られていたの



いつもは価値観の違いなどで



不快な気持ちになる事を学んできたけれど



今回は価値観の違いが



こんなに嬉しい気持ちを



運んできてくれる事を



初めて知ったの



その時・世の中に



様々な価値観の人がいてくれる事に



ありがたさを感じたの



私はおうちに眠っているもの



ほとんどに価値を見出してくださる方を知り



クローゼットや押入れのものを



何枚か残し



あとはすべて引き取っていただいたの



そしてできたそのスペースに



新たに今年の思い出を



私と作ってくれる



パートナーとなるものたちを



迎え入れられるなって思うと



またひとつ楽しみができた



喜びで溢れているの













いつもパートナーがキッチンを掃除した後



感謝と共に



ひとつ・・・ふたつ



お気に入りのものたちが消えていて



ゆっくりと見渡すと



そっと隅の方に



壊れてしまっているのを見つけてしまい



「なぜ?謝らないの?」



「壊れてしまったものは仕方ないけれど



きちんと伝えてよ」など



せっかくパートナーが



行ってくれた好意に対する



感謝を伝える前に



彼の気持ちを壊してしまうの



そんな事が続いていた中



友人のお宅で友人の大切なものに



傷を付けてしまいすぐに謝って



許してもらいながら



ふっと



パートナーの心が問題なのではなく



私に伝える事で



問題が大きくなるようなイメージを無意識に



私がパートナーに



与えてしまっているのではないかなって



とても感じたの



私が友人に



素直に気持ちを伝えられたのは



日頃から



友人は人の過ちを責め立てたりせず



許している姿を



見つめてきたからなんじゃないかなって



感じたの



私が幼い頃



母の留守の時間に



母のアクセサリーやお化粧を使い



楽しさのあまりに



夢中になってしまい



化粧品をすべて使ってしまった時も



謝りたい気持ちの前に



その後のイメージが浮かんできてしまい



気づかれるまで



伝える事ができなかったことを



思いだしていたの



母が近づいて



私をなでようとすると



私は条件反射で



目を瞑ってしまっていたみたいで



母はその姿を見つめ


手を上げてばかりいた



自分の心が痛かったと



以前私に伝えてくれていたの



様々な事を過去の出来事から



今必要な気づきを伝えてもらい



ほんのちょっぴりでも



心のスペースが広がったようで


嬉しかったの












ニュースではここ数年



地球のフラストレーションの



大きさを伝えているのを



見つめながら



その中で過ごす方たちに



多くの事を



教えていただいているように



感じているの



不安や恐怖の中でも



相手を思いやる心の大きさ



今置かれている状況の中でも



幸せをみつけ感謝できる心etc



私がもし同じ状況にあったとしたら



その方たちのように



過ごせるのかなって



ふっと思いながら



見つめていたの



平安な心満たされた時間の中でならば



何もかもが輝き



優しさに包まれた選択が



スムーズにできるけれど



まったく逆の状況の中で



優しさに包まれた思いが



表現できるって



本当に素敵だなって



とても感じていたの



すべての人に宿る魂が



誰かを思う時



一番輝いているように感じるの



そしてそれを見つめる人の魂も



共に光り輝き



言葉にならない感動や思いを



共有できるパイプが繋がりあう



人間としての最大の喜びを



体感できる瞬間じゃないかなって



とても感じたの