2004年3月





今日は久しぶりに



たくさんの美しい宝石を



見る機会が訪れたの



金属アレルギーな私は



普通のアクセサリーが



ずっとつけられなかったので



自然と宝石を求めるようになって



それからのお付き合いのある方と



久しぶりに会ったの



今は自分の作る



アクセサリーが大好きで(笑)



宝石よりも原石などを



お願いすることが多くて



完成されたジュエリーを



見る機会がなかったの



今日は目の保養にと



おうちが購入できてしまうほどの



宝石などを見せていただき



たくさんのエネルギーを



吸収させていただいたの



その宝石を見つめながら



ほんの少しでも



私と触れ合ってくれている方たちにも



エネルギーが



届いたらいいなって思いながら



過ごしていたの



今日は美しいものを



目から吸い込む日みたいで



私と親しくしていただいている



Sumire さんから



メールでマリア様の絵を見せていただいたの



とてもおだやかな・癒される美しい絵で



ずっと見入ってしまったの



Crystal Angelこちらに掲載されているので



ぜひ見て癒されてください



美しいものに触れると波動が向上して



オーラが広がってゆくのをを感じ



これからも日々意識して



美しいもの・美しい魂・生命の美しさなど



いつも触れ合っていたいなって



とても感じた一日だったの
















人って一人では生きてゆけないと



よく言われている言葉だけれど



本当にそうだなって改めて感じるの



孤独を感じる時って



ひとりでずっとここまで歩いてきて



そしてこの先も



一人で歩いてゆくように



思ってしまうけれど



本当はそうじゃなくって



誰かの言葉に支えられ



大きな壁を登ったり



誰かに手をさしのべられて



転ばずに歩けたり・・・



意識をしていない部分でも



人にサポートされたからこそ



今日まで生きてこられたんじゃ



ないかなって思うの



よく「生かされている」って



言葉があるけれど



誰かから与えられた



大・少様々な愛のおかげで生かされ



そして自分も無意識に



誰かの生きる糧となっていたり・・・



みんながみんな



誰かの愛に支えられていたり



時には



誰かの支えになっていたり



希望となっていたり



喜びとなっていると思うの



だから行動として



何かを成し遂げられないとしても



自分を責めたり



あせる事はないと思うの



自分らしく歩んでいったら



それだけで使命のようなものは



自然に成し遂げられてゆくように思うの



必ず自分にしかない宝石を



平等に神様は与えてくれたと思うの



その宝石を見つける事が



とても大切な



人生のプログラムの



ひとつのだと感じるの











自分の現世に



持ち込んできたものって



無理をしている時って



なかなか気づきずらいと思うの



努力という言葉は素敵な言葉だけれど



努力って自分自身が



力が溢れている時には



素敵に感じられるかもしれないけれど



その事にちょっぴり



疲れてしまっている時には



人生を自分の手で



コントロールしようとしていると



映るように感じると思うの



誰でも人は



無意識にがんばりすぎてしまうから



本来の自分がこの世でやるべき事や



本当に求める事がわからなくなって



多くの情報に迷い



結果が良いものにならなければ



自分の努力が足りないのではないかと



自分を責めてしまったり・・・



もしくは



誰かの言動や行動で出来なかったと



言い訳や理由を探し



相手を責めてしまうとことも



あると思うの



でも本当に大切なのは



自分の心の旅を



続けてゆく事だと思うの



どんなに波動が高く



素晴らしい人でも



どうしても



好きになれない人がいたり



どうしてもできない事があったりして



それが人間として



あたり前の姿のように



感じるの



万能でパーフェクトな神様が



作った人間はそんな部分も



私たちが考える以上に



パーフェクトな存在



なんじゃないかなって思うの



過ちやを犯してしまったり



無意識とはいえ



人を傷つけてしまったりするのも



神様が人間を作る時に



必要があって組み込んだ



プログラムだと思うの



その必要性を感じられた時



私たちの中に眠る



大きなパワーが



目覚めてくるんじゃないかなって



感じるの



コントロールすればするほど



天使や神様のサポートを必要としていないと



天使や神様が感じ



益々自分のコントロールの中で



限界を感じながらも



焦りや不安を見ないようにしながら



走り続けていなければ



いけなくなってしまうと思うの



立ち止まる事を考えただけで



益々不安なイメージが



湧き上がってくるかもしれないけれど



自分の人生に与えられた



時間・場所・学びetcは



自然に任せていた方が



整ってくるように思うの



上手に言葉に表現出来ないけれど



最終的には



帳尻が合ってくるように思うの



私自身よく迷いが訪れた時に



出来る限りすべてを



手放すようにしているの



始めは焦りや不安で



早くに自分で決断して



重いものから開放されたいと思って



行動しそうになるけれど



そのような行動は



最終的には遠回りして



始めの頃よりも



大変になってくる事が多いの



だからまったく別のことをして



心身をそのもの



すべてから開放してあげているの



そして見えない力に任せているの



そんな風に過ごす事で



頭で考える以上に



心からのやすらぎや安心感が蘇り



また心の旅を続ける



エネルギーとなって



自分のペースを大切に



人生を体験してゆけるのだと思うの












今日は今まで



眠っていた石や真珠などを



箱から取り出して



インスピレーションのままに



色々作っていたの



その箱には欠けてしまった



石やでこぼこの真珠など



アクセサリーとして



皆さんに手渡せないなって



思うようなものをしまって置いていたの



捨ててしまう事はできなくって・・・



その数を見たら



ちょっぴり大作も作れそうだなって思ったので



パワーストーンと真珠で



暖簾のようなものを作ったの



形は歪かもしれないけれど



本物のパワーを秘めているもので



暖簾を作れるなんて



とても心豊かな



気持ちに包まれていたの



お部屋がさらさらと浄化されていくようで



見ていて嬉しくなっていたの



その後も石たちを握り締めながら



伝わるイメージを受け取りながら



ランプシェイドをまるで



シャンデリアのように



石や真珠を飾ったり



思っていた以上に



石たちが生き生きと蘇ったのを感じたの



人の人生も同じで



色んな出来事で泣いたり傷ついたりして



そんなに素晴らしい



人生ではないと思っていたとしても



すべての出来事を繋げると



美しい作品で無意識に人にエネルギーを



与えているんじゃないかなって



とても感じたの












偶然のように目にしたテレビで



牧師さんが語られていた言葉に



改めて心を見直す



機会を与えていただいたの



その中でとても印象的だったのが



人間が人間を見つめるとき



傷つきやすい人や



挫折してしまったりした人



何かを成し遂げられない人を



だめだという深い思い込みがあって



その思いが人を見つめるときにも



そして自分自身を見つめたときにも



当てはめてしまい



過小評価をしてしまうみたいなの



その時に牧師さんが



1万円札をクシャクシャにして



「これを欲しい人はいますか?」と尋ねると



みんなが手を上げたの



その時



「1万円札は汚れても傷ついても



クシャクシャでも価値が変わらないのに



なぜ



お金以上の尊い存在の



人間の評価は



低くなってしまうのでしょうか?



いつから人間の価値をゆがめて



見てしまうようになったのでしょう」など



尊い人間一人ひとりについて



語られていたの



その言葉を聴きながら



頭では理解していた事でも



人から伝えられた言葉や表現で



自分の中で感じている事の確信を



再確認させてもらえたような



気がしたの



とても大切にしているものが何であれ



そのものよりも



何よりも大切で尊いのは



ひとりひとりの人間なんだって



改めて感じたの



とても大切な美しいものも



持ち主がいなければ



輝かせることは出来ないし



お金も使う方がいて



本来の役目を果たすように思うの



主体となるのは



ひとりひとりの人間なんだなって



感じたの



忙しい毎日で静寂を作れずに



過ごしていると



知らない間に



逆転している事もあると思うの



会社やお金・もの・などが



気が付いたら主体となっていて



その為に



自由を満喫できる



時間が作り出せなかったり・・・



機能的な解釈が



長い間疑う事もなく



心の中に根付いてきたと思うの



その機能的な解釈は



様々な方面にも広がっていて



時々私たちの広がりを



妨げていると思うの



頭で考えると



理屈はみんな理解できても



それで幸せかどうかは



また別なように思うの



心の豊かさは



頭で考えて行っているときよりも



感覚や感情に



現われやすいと思うの



私は年2回くらい



とても飲みたくなって



アルコールを飲むのだけれど



アルコールのおかげで



考えて話すのではなく



感覚的な会話になるの



その時一緒に飲んでいる友人や



パートナーなども



同じようにアルコールを



飲んでいるせいか



普段の頭で考える部分が



停止してくれて



心や魂で会話が出来るの



いつもなら深刻に理屈が並ぶような話でも



アルコールを飲んでいるときのは



希望的な会話に包まれて



そんな周りの方たちといると



やっぱり人間誰でも



深い部分には



スピリチュアルなものを秘めていて



ただそれを言葉として



表現していないだけで



心や魂の深い部分には



美しいものが宿っているのを感じるの











何気なく日ごろ使っている言葉の中に



本当の自分を発見できる事が



多いんじゃないかなって感じたの



「やっぱり」と会話の中に使っている時などは



自分の心の深い部分にある



問い直す事のない



刻印された価値観などの



現われのように感じたの



心の状態が安定している時には



どんな方も



ポジティブに物事をとらえられるから



自分の中に眠る



天使や神様に近い



答えを導き出せるけれど



ネガティブな時こそ



逆に自分の心の中に



作り出してしまった



本来の自分の価値観などに



気づかされる事が多いように思ったの



私自身・パートナーと



意見が違った時などに



そのような事を感じたり



勝ち負けにこだわってしまったり



その度に



本当の自分の姿を目の前にして



相手を責めているのと



同じように



自己否定をしている時があるの



そしてその時の



問題とは違った事を話している



自分に気が付くと



本当の問題は別な場所にある事に



気づかされたり・・・



後になると



とてもはずかいい位に



自分を知る事ができるの



でもこの世は失敗を許され



何度もやり直しがきく



学びの場なのだから



恐れる事無く



自分の知っている自分と



自分の知らない自分を



探していこうと



思っているの










最近知り合いの方になにげなく



「もう年なのだから子供は生まない方がいいよ」と



言われたの



なぜ?って尋ねると



「障害のある子が生まれる確率が多いから・・・」と



言葉が返ってきたの



初めて自分の中に眠る



命の尊さを問われる



機会が訪れたように感じたの



様々な情報では



高齢になるにしたがって



そのような不安が多く



産婦人科では



お腹に細くて長い針を刺し



羊水検査で調べたりする方法があるみたいで



その結果流産を引き起こしてしまう事など



様々な記事を見ながら



全てを受け入れず検査をされる方の気持ちも



そしてその逆の気持ちも



どっちらの方の気持ちも



わかるような気がしたの



不安なまま10ヶ月過ごす事も



本当に辛い事だと思うし



その後も大変な事が予想されるのが



わかってまで産む勇気を持てず



早いうちに決めてしまう方・・・



どんなに困難が予想されたとしても



数パーセントの確率を信じ



自分を選んでくれた



天使を受け入れ



愛を育んでいこうと思われる方・・・



羊水検査は世界中で



普及しているって事は



それくらい



ニーズがあるのだから



否定は出来ない事なんじゃないかなって



感じたの



私の周りに住むふた家族が



脳に障害を持って生まれた



個性的な子を授かり



そのふた家族の子供に対する



対応もまったく違うの



ひとつの家族は



私のおうちの下の階に暮らす家族で



子供二人とも脳に障害を持っていて



大きな男の子なの



その男の子たちは



外に出れないフラストレーションから



おうちの中で大きな声を出したり



物を壊したりしているみたいで



引っ越してきた頃は



何がおきたのかわからず



驚いたけれど



お母さんが謝りに何度も訪れて



初めて知ったの



私は逆に自分が



私が今暮らしているアパートは



きっと築年数が私と同じくらいの年だと思うから



とってもレトロで



気になりだす時に暮らせないほど



生活音が溢れた住まいなので



ある意味



何かあっても互いに聞こえるので



安心と言えば安心かなって思ったり(笑)



その思いを下の階の方に伝えてからは



お互いに気にもならなくなったの



もうひとつの家族は



二人子供がいて



一人の子が脳に障害があるみたいで



一緒には生活していないの



偶然真夜中にどこかに預けられた



お子さんを抱いて



帰ってきた時に



初めて会ったの



3ヶ月に一度の週末だけ



家に連れて帰ってくるみたいで



初めはその子と



一緒に住まない親の事を



否定的に感じた事もあったのだけれど



その家族も考えて・考えて



出した決断だったのだろうなって



感じられたの



自分の愛する存在を



そのような決断にたどり着くまでには



人間としての倫理観や世間体など



様々なもので



苦しまれたんじゃないかなって



感じたの



その本人にしか



知りえない思いって



あるんじゃないかなって思うの



私は一度お腹の中で赤ちゃんの



心臓が止まってしまって



産む事ができなかった経験があるから



私がもし子供を授かる機会が



またあったら



きっと喜びの方が強くなってしまい



自分を選んできてくれた事だけで



感謝や感動で



無条件に迎えると



改めて感じさせてもらったの



以前にアメリカで


手足が生まれた時から備わっていない方が



子供を宿し



周りの反対の中



出産し子育てもし



仕事もしている姿をテレビで見たけれど



その方自身が



とても幸せな笑顔で過ごしている姿から



表面的に何かがみんなと違った



個性を持っていたとしても



幸せな人生を歩む事は



出来る事を伝えてもらったの



以前何かの本で読んだお話の中に



顔に大きなあざか何かがある少年がいて



みんなに自分から声をかけたりしても



話もしてもらえなかったの



たまたま近所の女の子に



「どうして友達になってくれないの?」と尋ねると



その女の子は



「あなたのような醜い子と一緒に遊びたくない」と



言ったの



そしたらその男の子が



「みんなが悲しんだりしないように



僕がアザを持って生まれたんだよ」と



言ったの



その時その女の子は



自分だったらと思える気持ちが湧きあがり



泣き出してしまったの



その男の子が



どんなに辛く悲しい思いでいたかが



理解できた瞬間だったの



その本を読んで



自分自身も出来る限り



よい悪いに分けたりせずに



周りの人を



受け入れられる人でいたいし



そして自分自身のありのままの姿を



周りの人にも



受け入れてもらいたいなって



とても感じたの










病と共存するようになって



様々なことに気づかされるの



それまでは



まるで時間は永遠とあるかのように



今のように人生を



深く味わう事もなかったと思うの



そして小さな事でも



24時間の中で



心が喜ぶ事を意識して



過ごすようになれたと思うの



何もない時にも



気分転換にネイルを美しくしてみたり



そんな小さな事でも



美しい指先を見て心が躍ったり・・・



こんな小さな事でも喜びを感じたり



幸せを感じられる時間が重なり合って



振り返ると



幸せな人生を迎え入れられる



波動と体質的なものが



できあがっていくんじゃないかなって



感じるの



今ちょうど様々なものを



入れ替えるタイミングのようで



新たな出会いが多く訪れているの



ものも人も考え方も・・・



今まで違和感もなく



数年使っていた寝具に寝ていて



突然



一人では起き上がれない



日が続いたの



人間は起き上がるときに



無意識にお腹と腰に力が入ってくれて



起き上がれるんだけど



力が入らないの



無理に起き上がろうとすると



激痛が走ってしまって



起き上がれず



パートナーに仕事を遅れてもらい



数日私の身体を抱きかかえ



起こしてもらい



仕事へいってもらっていたの



その時初めて気づかされる心の多さに



自分の中で反省や感謝etc



すべてが



涙となって溢れてきたの



今まではパートナーに何でも



してもらう事が嬉しかったはずなのに



出来るけどお願いしていたのと



まったく出来ないでお願いするのって



上手に言葉に出来ないけれど



まったく違うものなんだなって



初めて気づかされたの



自分で出来ない寂しさや悲しさ



パートナーに



迷惑を掛けてしまっている事への



申し訳なさと感謝



以前友人が親の介護を



拒否した話をしていた事を



思い出しながら



私も同じような気持ちを



共有していた事があったような事を



思い起こしていたの



今思うと言葉では



上手に表現できないけれど



その時はきっと無意識に



自分は介護される側には



立つ事がないという前提の上で



話していたんだと思うの



でも自分が人の手を借りて



初めて介護される方の



気持ちのようなものも



少し知る事ができたように思うの



パートナーのぬくもりが



本当にありがたく



改めて多くの方に支えられて



生かされている自分の人生を



大切にしなくっちゃって



自分を愛する思いと



多くの方への感謝を



とても感じたの



その後人に聞いて



低反発のものに変えて



また自分でも起きられるようになれたの



今はぜんぜん大丈夫なので



心配しないでくださいね(笑)



でもきっとまた治療する必要な



時期が訪れたのかなって



感じるの



私の人生の歩み方は



きっと何かをひとつ手放して



多くの恵みを



得ているような感じなのかなって



感じたの



健康を失ったけれど



人の優しさや



感謝・湧き上がるエネルギー



アクセサリーを作る喜び



自分の気持ちを



表現させていただける



この場所etc



様々なものを与えてもらったと



感謝でいっぱいなの



そして多くの事にも



気づかせてもらったと思うの



そう思うとなかなか



手放せなかった思いやものも



自分から選べる間に



手放していこって思っているの(笑)












今日はフィットネスで



初めての方たちととても楽しいときを



過ごす事ができたの



みんな年齢は60歳代なのですが



まるで女子高生のように(笑)



キャーキャー言いながら



たくさんの好奇心で



目を輝かせながら話していたの



無意識に年齢を重ねるごとに



自分自身についての話よりも



自分を取り巻く環境について



関わる人の話が多くなってきている事が



多いように思うの



自分自身が希望や好奇心がいっぱいだと



そのことが



自然に話題になっていると思うの



年齢を重ねても



自分自身の話が出来るって



とても素敵だなって



感じたの



フラダンスの衣装の話や



エアロビのコンテストの話



ホノルルマラソンへの意欲etc



希望や夢について



話されているときは



年齢などではなく



少女のままの笑顔が輝き



私に対しても



若いからとの区別もなく



色々な事を聞いてくださったり・・・



私がこの方たちと



同じ年齢になったとき



同じように



好奇心と夢を持って



過ごせたらいいなって



とても感じたの



一人の方は



昔の写真を持っていて



今からは想像も付かないほどなの



今はおしゃれで



とても元気溢れる方なの



その方が言うには



「何年か前までは



あっち痛いこっち痛いって



家で一日中テレビ見て



誰かの事ばっかり



あーでもないこうでもないって言ってたんだよ



だからこんな怖い顔に



なっちゃったんだよ・あはは」って



すべての事をクリアにして



そして輝いているからこそ



過去を振り返る事ができるんだろうなって



教えられた気がしたの



自分の知られたくない心の動きや



人には見せたくない自分を



表現出来るときって



今満たされているからこそ



表現できる



影なんだろうなってとても感じたの



私自身も本当に心が



満たされていない時には



素直に言葉にはできず



見栄を張ってしまったり・



大きく見せる事に



気を取られていたりして



素直に自分を見つめる事が



できなかったように思うの



本当に幸せな時って



人からの目線が気にならないせいか



本当に自然体でいられると思うの



年齢もまったく気にならない



新たな友人ができて



いつもその姿から



パワーをもらっているの










ここ数日の間に



私の身体に宿るエネルギーの



交換のようなものが



行われたように感じているの



自分を守ってくれている



守護霊や指導霊などは



自分の魂レベルにあった方しか



一体になれないから



自分の魂や心で思うことなど



その事をベースに



入れ替わるみたいなの



数年前の入れ替えを感じた時は



何度で寝ても眠く



何をしているわけでもないのに



疲れたような疲労感などを



感じていて



その間は何も身体に



守護霊や指導霊は



存在していなくって



数日の間で自分にフィットする



守護霊や指導霊が選ばれ



また守護してくれるんじゃないかなって



とても感じたの



今回はとても



そのことを感じる事ができたの



魂が求める事を



優先しようって思い



瞑想をしていたら



次々と私の元に訪れようとしている



ものや出来事が浮かんできたの



そのためにはまた



その新たなものや出来事を受け入れる



スペースが



必要なんじゃないかなって



とても感じ



パートナーにお願いして



大きなものはリサイクルショップへと運んで



小さなものには



「今まで私を楽しませてくれてありがとう」って



言葉をかけて



手放す事にしたの



このような事を心がけて



数年前から行っていたつもりだったのに



気がつくと



車で2往復分もの量の



手放すものがでてきたの



そのおかげで



心と同じように晴れやかで



清清しい気持ちになったの



どんなに高価なものであっても



日々見つめてあげたり



使用してあげられなければ



そのものは使命を果たせず



かわいそうだと思うの



自分の成長と共に



好みも必要とするものも



変化するのだから



その成長に応じた



輝きを共有できるものだけあれば



物にも素晴らしい魂が宿り



存在している喜びを



互いに感じられるようになれると思うの











私はハープが大好きで



あのフォルムも音色も



弾かれる方の姿も



ハープに関わるすべてが美しく



魂の喜びを感じるの



何気なく見ていたハープ教室の記事を



読みながら



触れたいって気持ちが溢れて



気が付けば



1日体験をさせていただく事になったの



大きなハープを肩で支えた瞬間



トキメキが溢れ出したの



こんなに間近で



見つめたり触れたりしたのは



初めてで



本当に嬉しかったの



弦には色が入った弦があって



その部分から



音階がわかるようになっている



みたいなの



指先で弦に触れると



頭の先からつま先に向かって



何かが通り抜けてゆくような



不思議な感覚を感じていたの



よく天使や妖精などの楽器に



表現される事が多いけれど



その意味も何となく



感じられた気がしたの



魂の栄養のひとつとして



ハープで曲を奏でられるくらい



ハープと共に時間を過ごそうかなって



とても今心惹かれているの