(2004・2月)




今日は久しぶりに



子宮の痛みを感じたの



その痛みは以前のように



呼吸もできないくらいのものだったの



痛み止めの薬を飲んでも効かず



意識が朦朧とする中で



今世界の中で病は違っていても



同じように



苦しんでいる方がいる事を



感じたの



以前何かの記事に書かれていたのだけれど



海外の病院で末期がんの痛みに



苦しむ方に安楽死を行う



ところがあって



家族や本人との相談で



死期を決めて行うものだったの



日本では



反対意見が多いのですが



私も痛みというものを



経験させていただき



初めて



人間が人間でいられないほどの



痛みを日々感じながら過ごすよりも



もう近いうちに



死期が訪れる事が決まった方には



本人の意思で



安らかにしてあげるのも



この世の去り方の



ひとつじゃないかなって



とても感じたの



日々幸せに包まれて



過ごさせていただいている私でも



今回の痛みの時



このまま眠りこの世を去れたら



どんなにいいだろうってふっと思ったの



その位痛みというものは



心の痛みと同様に



自分を保つ事もできずに



辛いものだと思うの



私の場合は



目が覚めてから



うそのように



痛みは消えていてそれから



ひとつの経験として



受け入れる事ができるけれど



そうではない方たちは



どれほど辛く・悲しく・



いるのかなって思うと



良い悪いではなく



人間が人間らしい



意識の中で過ごす選択が



あってもいいんじゃないかなって



とても感じたの











ここ数年



よく耳にする



「勝ち組」「負け組み」という言葉を



私はあまり



好ましく思えないの



誰の基準でそのように分けているのか?



理解できないから・・・



知り合いの方が「負け組み」と



決めつけている方を見たとき



私にとっては



とても幸せに映ったことがあるの



狭いアパートに暮らしながらも



家族の会話も多く



笑い声が絶えず



何よりもみんなが健康で・・・



私は健康な方がうらやましいせいか



とても幸せに感じるほどだったの



たとえ何でも持っているように



映る方がいたとしても



心から幸せに包まれているかは



誰にもわからない事だと思うの



人それぞれに前世で与えられた



使命のようなものを



クリアにするために



ただこの世に



存在して過ごしているだけだと思うの



この間不思議な夢を見て



益々そう感じたの



その夢では3人の見知らぬ人と



それぞれに



与えられたリストのようなものを



見ていたの



隣の人のリストを見たら



そうそうたるメンバーの家系が載っていて



そのリストの中から



自分が生れる所を決める作業だったの



私は目の前にいる



ぼんやりと輝く人のような影に



「なぜ?私のは隣の人のと違うリストなの?」と尋ねると


「自分が今まで



行ってきた事・考えてきた事・思ったこと



すべてをまとめ・選べる家族が決まっている



そしてうまくいけば



何回も生まれ変わるたび



クリアにできなかった事をクリアにする事が



可能な魂の元にゆける」と言われたの



そして私は



自分の家族の名前の書かれた



ところを選んだの



選んだ瞬間から



目の前の大きなヴィジョンで



妊婦の若い母の姿と若い父の姿が映ったの



それからどのくらいの時間



見ていたかはわからないけれど



ヴィジョンの中の父と母は



とても速いスピードで



毎日を送っているのを感じたの



そして少しずつ私の体が薄れてゆき



目が覚めたの



とてもリアルで



不思議と心があたたかくなる



夢だったの



自分の使命ははっきりとはわからないけれど



きっとその使命に



続く道の上を歩いているんだろうなって



思ったの



その夢からも「勝ち組」「負け組み」は



本当は存在しない事で



一人ひとりが宿命や運命・使命などと



共に与えられた範囲で



生まれ変わるまでに



クリアにできなかった部分を



ゆっくりと溶かしてゆく



だけなのかなって思ったの











また私の中で変化のときが



訪れているみたいなの


今までのインテリアをホワイトにしたくなったの



早速カーテンや小物を変えていくうちに



何か私の中で失っていたものに



気づかされてゆく



感覚があったの



ホワイトは浄化や初心・純粋など



求めている時や気づく



必要のあるときに



心惹かれるみたいなの



本来は大好きな色だけれど



汚れが目立ってしまうから



多用できなかったんだけど



逆に綺麗に保とうとするから



汚れが目に見えた方が



いいように思ったの



心も同じで



心の中の見たいくない部分を



見ないでいたら



益々静かに見たくない部分が増えてしまい



溢れ出てきた時には



始めの頃に気づいていた時よりも



大変な事になってしまうんじゃ



ないかなって感じたの



ホワイトが多くなって



ふわっと明るくいつでも



光に包まれているような気がするの



フリルのかわいいクッションカバーに変えたり



カーテンも真夜中でも



まるで光が差し込んでいるような



喜びを与えてくれるの



私は時々



その時に心惹かれる色で



自分で気づく事ができない



今の自分の求めている事を



教えてもらっている気がするの



ずっと長い間



グリーンが私の心惹かれる色で



以前ボイスヒーリングを受けた時



私の中にはMAXまで



グリーンを持っているので



違う暖色系の色を日常に取り入れるように



アドバイスを頂いていたけれど



その頃も



グリーンが大好きだったの



その後淡い優しいピンクに移り変わり



そして今ホワイトに心惹かれていて



振り返って思うと



グリーンを多用していた時は



ちょっぴり自分にストイックな部分が多く



自分自身に対しても厳しく



柔軟さが少なかったから



他の色にはまったく



心惹かれなかったのかなって感じるの



今はきっと大人になって



気づかないうちに失いつつある



純粋な思いやすべての事の初心を



思い出す時期なのかなって感じて



過ごしているの













今私は眠る前に



シャーリーマックレーンの



「カミーノ」という本を読んでいるの



その中に書かれていた



「レイ・ライン」というのに心惹かれているの



「レイ・ライン」というのは



地球と繋がった最も高い波動とエネルギーが



走っている場所みたいなの



その道を巡礼しながら



多くの気づきや人生を学んでゆくらしいの



自分自身が恐怖や不安があると



それがすぐに形となって目の前に現われたり



逆に澄んだ心でいると



そのような方たちと出会ったり・・・



今の時代



思ったことが現実を作り出す事は



多くの方が知っていても



形となるまでに



時間がかかってしまうせいか



「私はこんな事望んでいないのになぜ?」って



自分が無意識にイメージしてしまった事を



忘れてしまうと思うの



でも波動が高ければ高いほど



人にはわからなくても



自分自身が心や頭で考えてしまう事に



心を配らなくてはいけないんじゃないかなって



感じたの



私の友人で人生の半ばを過ぎて



一人で人生を



楽しんでいる方がいるんだけれど



その方は結婚しないと決めているのではなく



結婚している人に幸せな人を



見た事がないからしたいと



思わないと言っていたの



そしてもう一人の友人は結婚しているけれど



子供は作らないって決めて



夫婦だけで人生を楽しんでいる方がいて



その方も目に見える



大変な事をあえてしたいとは



思わないといっていたの



その素直な心の声を聞かせてもらい



最近メディアに取り上げられている



未婚の女性や少子化の



本当の意味のようなものを



知ったような気がしたの



以前の私ならば



このような考えにちょっぴりでも偏見を



持ってしまっていたことも



あったかもしれないけれど



今になるとたしかに彼女たちの言う事は



その通りだなって思えていたの



頭で考えたら



これから自分がしようとすることを



先にやっている方がいて



その方が幸せそうに見えなかったり



辛そうに映ったら



その事を望まなくなるかもしれないなって・・・



一般的な幸せの形と言われていたものが



絶対的な未来の幸せを



作ってくれるわけでもないから・・・



自分自身の過去を振り返っても



その時の寂しさから離れたいと思い



無意識に誰かを



探して恋愛をしていた時などは



一時的にはその思いから開放されても



その寂しさはまたやってきたりして・・・



まるで輪廻の輪のように



何度もめぐってくると思うの



人間はとても優れた生き物だから



目の前にある問題を解消するために



無意識に



すぐに答えを出そうとしてしまおうとして



動いてしまうときがあるけれど



始まりのタネのDNAが



不安から蒔かれたのならば



やがては不安という花を



咲かせてしまうんじゃないかなって



思ったの



そのタネのDNAは私たちが決めて



蒔く事ができるのだから



すぐに答えを出さずに



勇気を持って自分の心の声を聞いて



歩んでゆく事が



大切なんじゃないかなって



とても感じたの












今日もとても



不思議な感覚の夢を見たの



そこはヨーロッパの教会で



美しいステンドグラスから



木漏れ日が溢れていたの



そこにフードの付いた



黒いコートのようなものを着た影と



私がいて



私は強い痛みを背中に感じ



その部分が



裂け羽根が見る見る現われたの



でもその痛みに耐えられず



「もう止めてください」と言ったの



その時その影が



「人は痛みを知り天使になってゆくのです



心の痛み・身体の痛みがあるのは



羽根が生えている途中なのです」と



言ったの



私は夢の中で涙をためて



張り裂ける背中の痛みと



なぜか心にあった



辛い思い出を語っていたの



張り裂けてゆく背中からは



血がこぼれるのではなく



真珠のような小さな光がこぼれていたの



その中で意識が薄れて行く中



その影が「心の辛さを言葉にできるのは



許し・癒されているからなんだよ



懺悔などはその力を引き出し



過ちを自分で気づいた事で



すべてを神が許してくれる



行為なんだよ」と言って



私の意識と共に



消えてしまったの



目覚めてから背中に



痛みが残っていたのが



とてもリアルで不思議な感覚に



包まれていたの



最近とても不思議な感覚の夢が多くて



実際には



睡眠時間が



あまりとれていないんじゃないかなって



心配になってしまうほどなの(笑)



私の寝室の頭の所に



マリア様の絵を最近飾ったから



もしかしたら



多くのあたたかなメッセージを



伝えてくれているのかなって



感じているの



今回の夢は



心の痛みや身体の痛みは



羽根が生えている途中だと



伝えられた事で



とても勇気と希望を与えられた



思いがしたの














人って上を見ても



下を見てもきりがない事を



改めて感じるの



自分よりも下・上っていう基準も



人それぞれに違うけれど



ある方から見たら



下に設定して見えるだろうし



ある方から見たら



うらやましいくらいに



上に設定されると思うの



無意識に誰でも



ないものを持っている人を



うらやましく満たされていると



感じてしまいがちだと思うの



10年くらい前に私を振り返ると



その頃つきあいのあった知り合いは



何をしても実を結び



経済・結婚・健康etc



人が望むものすべてを



持っていたように思って



私はとてもうらやましかったの



彼女といると



私は「何で私はこんなに違うのだろう



世の中って不公平だな」って



思った事があったの



そして自分自身の人生に



不満を持つようになって



輝く彼女といる事が辛くなっていた時



彼女の長袖の裾から



ちらっとアザのようなものと傷が見えたの



私は彼女に躊躇しながらも尋ねると



パートナーから日々暴行を受けている事を



伝えてくれたの



彼女も泣きながら日々の辛さと



自由な私のことが



ずっとうらやましかったと言ったの



私はその時



言葉ではうまく表現できないけれど



自分の愚かさと向き合ったの



相手の心の影もわからずに



自分だけが恵まれていないなどと



自分を否定して



相手の努力も認めずに



漠然と「運のいい人」と分けてみていた



自分の心が



泣き出してしまったの



その時の経験が



今の私を作る栄養の



ひとつとなっているの



自分が作る



自分が思う



自分だけの幸せという形が



大切な事に気づかされたの



人から見た幸せを演じていても



心から幸せに満たされていないと



意味が無い事を



その方に教えられた思いがしたの



美しい箱を持っていても



開けば何も入っていないよりも



開けばワクワクして



楽しい・喜び・幸せを



感じる生き方を選択できる自分で



これからもいたいなって



過去を振り返りながら



ふっと感じたの












心から・大きな学びや



感謝や喜びがこみあげてくると



今まで話していた言葉が止って



胸の辺りが熱くなって



気がつくと涙がこみあげてくるんだなって



最近よく体験させてもらう事が多いの



テレビや本・まわりの方の言葉etc



恥かしいと思う前に



もう涙が溢れているの



生まれてから



悲しくて涙する事は多かったけれど



喜びや感動で流す涙の方が



段々とその回数を上回ってきている事に



喜びを感じているの



人は泣く事で



浄化されてゆくみたいだから



悲しくても我慢せずに



泣きたいときは泣いて



嬉しいときも涙が溢れ



その繰り返しも



人間としては大切な事なんだなって



とても感じているの



前世から何度も生まれ変わるだび



新たな魂として



泣きながらこの世に誕生し



今までの溜め込んできたものをすべて



涙と共に浄化しながら



今までの人生がリセットし



この世を新たに歩む



人間になってゆくのかなって



ふっと感じたの



大人も子供も泣く事で



免疫力が高まってゆくと言われているから



どんどん抑える事無く



泣いちゃおうって思っているの(笑)



この世の中には



美しい魂を振るわせる物語や出来事が



たくさんあるのだから



その事に目を向けて



日々感動する涙を流して行きたいなって



思っているの













バレンタインデーが



私とパートナーの



結婚記念日という事もあって



今までに足を運んだ事のない所へ



行こうと決めて



勘に任せて車で走っていたの



その間私たちは



出会ってからこれまでの事を



まるで昨日の出来事のように



話し合ったの



出会った頃は



ただ・ただ



お互いが一緒にいたい気持ちで



無理のない範囲で借りられる



階段が壊れて登るのに気をつけないと



登れないほどのアパートから始まって(笑)



そして互いに夢や希望で溢れ・・・



年数と共に



本当に大切なものを



忘れそうになったりした時期もあったり・・・



様々な経験をして



今になるとその出来事すべてが



学びと感謝を教えてもらう



大切な大切な体験だったんだなって



とても感じるの



数年たった今でも



パートナーも私も何かをしてもらった時は



ありがとうって伝えあっているの



一見当たり前のような事だけれど



結婚して年数を重ねてくると



お互いが



何をしもらっても当たり前に



なってしまい



ありがとうよりも先に



要求ばかりしちゃいそうな



わがままな私は意識しないと



できなかったの



でもその意識していたありがとうも



今は無意識に言葉として伝えているの



せっかく神様が



出会わせてくれた人なのだから



お互い一般常識などで



魂の輝きを失う事無く



この世のパートナーとして



サポートしあえたらいいなって



改めて感じたの











私は毎日眠る前に



自分の体をさすりながら



「かわいいね」



「今日は一生懸命歩いてくれてありがとう」



「今日は素敵な言葉をのどを伝って



人に伝えてくれてありがとう」etcなど



自分の体の部分部分に



向けて言う事をしているの



以前にも書かせていただいた



水の波動を映した本などを



見るようになってから



人間の体のほとんどは水だから



素敵な言葉に共鳴しやすいと思ったの



自分を誰かが



ほめてくれるのを待たなくても



自分自身が



自分を愛している事を伝える事で



時間と共に



大きな変化となってゆくと思うの



失われた自信が蘇ってきたり



今まで気になっていた部分が



気にならなくなったり・・・



声に出す事で



自分の耳を伝って



脳に伝達されて



身体もそれにそってくるように



なるみたいなの



心も心地よくなってくるけれど



一日中がんばってくれた



身体をいたわり



感謝に言葉を伝える事で



とてもエネルギーが



湧き上がってくるの



どうしてもその日に



思い煩う出来事があって



感謝できそうにない時は



無理をせずに心身に



「ごめんね。



今日はできそうにないからお休みね」って



伝えているの



できない時も



少ない言葉でも



自分の心身に意識が伝わるから



声を掛けてあげているの



そんな風に



自分を賞賛してあげていると



自然に人と会った時にも



そのような波動の言葉を



自然に伝える事ができて



とても心地よい空気に包まれるの



いつでも自分が



自分の心身を満たしてあげる事は



大きな笑顔をまわりにも



咲かす事に繋がってゆくんだなって



とても感じたの












人の魂の美しさを感じられる



心の健康の大切さを



日々感じているの



自分の心の健康は



体の健康と違い



意識してあげなければ



気づきずらいと思うの



誰かの言葉が



ずっと頭から離れなかったりして



重い気持ちに長い間なってしまったりするのは



その言葉だけが原因じゃなくて



受止める自分自身の心の健康状態にも



よるんじゃないかなって



とても感じるの



例えば自分自身が



熱いな~って思っている所へ



冷たい風が吹いてきたら



その風を心地よいと感じると思うの



その逆に自分が寒いと感じている所に



同じように



冷たい風が吹いてきたら



とても辛い気持ちになってしまうと思うの



風ひとつでも



自分自身の心の状態で



恵みのものと感じられたり



その逆だったりすると思うの



私も日々



訪れる出来事の受止め方で



自分の心の色に



気づかせてもらっているの



心の健康に



おもむきを置くようになってからは



何でも一人で解決しようと無理をしたりせず



出来る限り心と身体・魂の



自由を感じる時間を



作るようになったの



その自由の過ごし方も様々で



エネルギーが溢れるときには



多く集まるエネルギーのある場所へ



行ったり



そうかと思うと



静かな自然の中に足が向いたり



その時々に無意識な



部分が求めている事をしているの



食べ物でもその時に



身体が欲してるものを



食して自然の流れに任せているの



すべてをありのまま・自然のままに



過ごすようになってから



気づかされる事も多いの



こんな小さなことでも



無意識に色々自分が



自分に規制してきた



小さな積もり積もったストレスが



あったんだなって感じるの



人とのふれあいの中で



生まれるストレスは



相手があることだから



少しくらいは



ストレス生まれる事はあっても



それ以外の場面でも



自分自身が作ってしまっている



ストレスの多さにも驚いたの



そのストレスが自分の中で



ストックできなくなって



初めて体の不調や



まわりの状況への



不満に繋がっていくんじゃないかなって



思うの



自分の心の健康を



満たしてあげる事は



無意識にまわりにも



幸せの光を



運ぶ事になってゆくと思うの












人は美しいものや



愛しい人を見つめている時



自分では気づかなくても



周りから見ていると



本当に素敵な表情をしているなって



とても感じるの



そんな時間を多く過ごしてゆくと



きっと知らぬ間に



その表情が自然になって



年を重ねるごとに



素敵な人になってゆくんじゃないかなって



とても感じたの



若さの美しさは



誰もが平等に与えられたものだけれど



年齢と共に



心の中にあるものや



歩いてきた道の景色が



知らぬ間に表情に



現れていくのかなって思うの



たとえずっと茨の道を歩いてきて



その事が美しい表情を消し去り



長い間過ごしてしまってきたとしても



日々の意識しながら



肯定的な見方や発言・美しいもの・楽しかった



思い出etcなどを見つめる事で



取り戻せると思うの



誰にでも歩んできた道の中で



幸せを感じられる



瞬間はあったと思うの



その事を思い出したりする事で



自分がこの世に生まれた喜びを



思い出させてくれたりすると思うの



私が思うのは



想い出って今の自分を励ましてくれる



エッセンスになったり



たとえ過去に辛い体験をしたとしても



未来の自分に必要な大切な意味のある



体験へとなるために想い出って



存在してくれているのかなって



とても感じたの



私自身の事を振り返っても



心も身体もエネルギー溢れていた時期には



気づく事のなかった



自分をいたわる気持ちや人への感謝など



過去の自分と比較しても



やっぱり今の自分が



一番愛せる存在だなって思うの



今でも時々つい自分以外の人を



思いやるあまり



自分を大切にする事を



忘れてしまいそうになるけれど



意識して自分の事を



見つめてあげるようにはしているの



一瞬ならば



自分以外の人を優先して過ごすのも



心が満たされる思いがするけれど



自分自身が満たされないで



長い間過ごしてしまうと



自分を見つめてあげなかった心が



寂しさや・疲労・イライラ・etcが



少しずつ積もってきて



無意識に自分と出会う人に



エネルギーを求めて



相手を疲れさせてしまう事に



なってしまうと思うの



だから自分を満たす事=人のため・



自分のためにも



とても大切だと感じているの













私は十年位前から



小さなノートに日付けを入れて



自分がしたいこと・



手元に置きたい物など



よく書いていたの



今もよく記入しているのだけれど



ずっと過去にさかのぼったノートを



読み返してみたの



その頃には



まったくの夢だと思っていた事も



今では知らぬ間に実現している事に



気づかされ感謝が溢れたの



今では毎日の大切な時間に



なっているPCをしているって事も



その頃には私にとっては夢だったの



でもそのノートが自分の力とは別に



歩き出している事に気づいたの



独身の頃私が思う



理想のパートナーなども書かれていて



今のパートナーは見つめると



自分が望んでいたイメージと一致していたり・・・



そのノートには



手の届きそうな事かどうかにこだわらず



固定観念は持たずに



もし何でも失敗がないとしたら



何をしたいか?



値段を気にしないのならば



何かほしいのか?などを



記入する事で



本当の自分に気づかされたり



心の安定にもなっているの



そのノートに書き出して



日々言葉に出している望む事が



自分は本当に望んでいると思っていても



もし何でも失敗がないとしたら



何をしたいか?



値段を気にしないのならば



何かほしいのか?と



静かに自分に問う事で



自分が知っている自分以外の望む事や



可能性にも気づかされると思うの



よく自分がイメージした通りに



物事は進んでゆくと言われているけれど



「こんな事望んでいるわけがない」っていうような



出来事が訪れたりしても



いつかはわからないけれど



過去にイメージしていた時期があったり



言葉としてそのような事を



表現していた事が



時を越えて



忘れてしまってから



訪れる事もあるんじゃないかなって



過去の記録を見ながら感じたの



ノートを読みながら



過去の自分と対話しているようで



とても楽しかったの