2003年12月
毎年益々速いスピードで過ぎて
振り返るともう
12月になってしまっていて
今年一年間のことを
思い出してみたの
そうすると
何か大きな変化はなかったけれど
魂の大きな変化はあったように思ったの
何気ないことだけれど
美しいものを
美しいと思える心がよみがえり
そして良い悪いに分けてしまわずに
自分自身が何を求め
何が心地よく幸せになれるかなど
昨年よりも明確に知ることが
できるようになってきたと思うの
数年前ならば
否定されることを恐れる部分があって
人といる時は無難なものを選び
無難な話をし
自分の心とは別に
同調しているように振舞いながら
人間関係を保っていた部分が
あったけれど
おうちに帰ると
ただ時間だけが過ぎていて
言葉では表現できない
疲れに包まれることも
よくあったの
でも今はほんのちょっぴり
心から共感してくれる
ソウルメイトの存在を感じ
自分が自分でいる
喜びさえ感じられるようになれた
気がするの
まだ現実の私を取り巻く昔からの
人間関係の中では
私の役割分担みたいなものがあって
本当の自分自身を表現する事を
許してもらえない部分もあるの
一番近くで長く接してきた家族は
今でもずっと私に何を言っても
私は傷つかないと
思っているみたいなの
だから心のあるつもり積もったストレスや
悩み・不安etc
様々なことを私に手渡していくの
でもその事で
私の中には何もなかったクリアな部分に
相手の手渡されたものが
重く積もっていってしまうの
でも最近友人たちとあった時に
一人の友人に
「あの子はあんな話
私と会っている時はしないんだよ
きっと何か包んでくれるのを発していて
相手が心の中にあるものすべて
話してしまうんだよ」って言われ
生まれてからずっとそのような
過去があったことを
思い出したの
そんなにあったこともない方の内情や
今でもパートナーも知らない
パートナーの親の人生など
気がつけば知っているの
私は今までその事が
負担になっていた部分があったの
それは自分の中に取り込み
手放すプロセスができなかったからなの
すべて知識よりも経験が先にいつも
いっぱいにやってきてしまうから・・・
そして自分は何もしてあげられないと
いつも自分の力のなさを
責めてしまうからなの
だからそんな状況を作らないために
わざと冷たく話して演出したり
身勝手な振る舞いを
無理に演出したりしながら
相手が心を語らないようにしていた
所があったの
それは自分の中のこの部分を
なかなか受け入れられずにいたからなの
自分の中の
恥ずかしくなるような部分にも
いっぱい気づかされたの
でも今は友人に
「人はなかなか心を
普通は開かないものだから
それはきっと素晴らしい癒しの能力だよ」と
魔法の言葉を言われ
今まで嫌だった部分が
今度は自分の中に
秘めた素敵な能力なんだ!って
少しずつその部分を受け入れられる
扉が開いてきたように思うの
今地球上の上で
言葉では表現できないほどの
争いが起こっていて
大きさは違っていても
人間の心の中にある
不安が争いとなっているように思うの
不安が大きく育ってきてしまうと
遠い先まで不安の色に染まり
今すぐに結果を求め
争いが起こることもあると感じるの
大きさは違うけれど
よく車で事故が起こってしまった時など
加害者も謝ることなく
被害者も正当な理由付けがあるから
必要以上に精神的
経済的な要求をしてきたり・・・
それも両者が不安からでる表現だと思うの
加害者は加害者で
あまり弱気に出ていると
被害者の要求が怖いと思っていたり
被害者は被害者であまり優しくしていると
もとのまままで
保障してもらえないのではないかなど
不安な気持が大きければ大きいほど
人間らしい気持ちの表現が
できなくなってしまうと思うの
以前友人の車に乗っていて事故が起こり
その時加害者の方は
あれこれと私たちに
怖い表情でアピールしていたり
確認を何度もしていたの
私はその方たちの不安が
すぐに伝わったので
「車も傷ついていないと思うし
ただ確認のために見てもらうだけだから
心配しなくても色んな請求はしないから
大丈夫と思うよ」と
伝えたの
そしたらすぐに彼らの顔が変わり
「本当にすいませんでした」と言われたの
私は「あの道狭いもんね
誰でもあの道は事故を招いてしまうと思うよ」など
起きた出来事をただ受け入れる思いに
お互いが変わったの
できごとはすべて
立つ立場が違うと
見える景色が変わってくるけれど
その立場はいつ学びとして
逆の場所に立つ機会が
訪れるかわからないから・・・
ほんの少し相手の場所からの
景色を見つめられると
色んな問題を複雑にすることなく
スムーズに解決へ
導かれてゆくと思うの
どんなに時代や世の中が変わっても
変わらないもの
それは「愛」しかないように思うの
このような言葉は
一見きれいごとのように
聞こえてしまうかもしれないけれど
私は心からそう思うの
「愛」にも様々なパターンがあると思うけど
人間が人間を愛する気持ち
人間が様々なものを愛する気持ち
自分の中から溢れてくる
あたたかい思いが愛だと思うの
よく「お金は裏切らないけど愛は終わりが来る」など
言われる方もいますが
そのような思いは
「恋」についての表現で
「愛」とはまた違うように感じるの
今この時代に
過去の歴史を振り返って見ると
信じられないくらいの
争いや混乱
人間が人間とも思わない行為など
様々な事があったけれど
今見つめるから
そのように感じるのであって
その時代ではその事が疑うことなく
受け入れていた方が多かったから
そのような事が多かったように思うの
法律や常識などは
とても不安定なもので
その時代背景で数年前には
常識といわれていることも
そうではなくなってしまっていたり・・・
今、日本も世界の常識みたいなものに流されて
法律を犯そうとそていたり・・・
ずっと人間が生まれてから
持ち続け・いつの時代も変わらないものは
「愛」だけだと思うの
「愛」の表現は
様々なパターンがあるけれど
こんなに素晴らしく美しいエネルギーは
他にないとさえ改めて感じるの
特定の人やものだけではなく
自分自身の心の中から溢れ出す
あたたかいもの
それが愛の基準のように
最近とても感じるの
心の影となっていることって
年数を重ねた過去からのものの方が
色濃くなっているように感じるの
心の中を見つめ
振り返ることができるようになって
気づかされる
過去の反省など・・・
ほとんどの場合
その影となったものの中には
相手がある場合が多くて
もう2度と会えない方へのお詫びの気持ちや
自分を恥じるような行いだったり・・・
まずそのプロセスの中で
もっとも大切なのは
そのことに気づいた自分を
ほめてあげてください
そしてもう会うことのない方に
謝る事ができなくても
すべての人は繋がりあった存在だから
その方への償いを
出会う方にできたら
その影は少しずつ解消されてくると思うの
自分の行いから
今になると恥ずかしくなるような思いに
気づかされたときは
きっと過去の自分よりも
魂が磨かれたから知る
反省だと思うの
だからこの事は
とても喜ばしいことのように感じるの
自分の行いから恥じる事で
自分を責める方向には
向けないでほしいの
人生は気づきがベースとなって
体験や学びが与えられる時空だと思うの
決して自分を苦しめるための
空間ではないと思うの
気づきに遅い・早いのスピードもなく
競い合うものでもないと思うの
だから自分のペースで学び
1度目で出した答えが違っていても
正解が出るまで
同じ学びは何度もやってくるから
あせることもないと思うの
できるだけ答えを導きだそうとする時は
頭で考えずに
愛をベースに答えを導き出すことで
スムーズに答えに導かれ
その体験は解消されていくと感じるの
心の中に秘めた不安感や自信のなさが
強くなってしまうと
見えてくるものまで
ゆがんでしまうことがあると思うの
不安感や自信の部分が
小さくなってしまっていると
自分が自分の価値を認めることができず
いつも誰かの口から
価値を代弁してもらう事を求め
そのように相手が言わなかった場合
被害者意識が強く出てしまったり・・・
相手の言われるまま行動しているうちに
相手に利用されているかのように
思いがわいてきてしまったり・・・
不安感や自信の部分が
小さくなっている場合
自分の意思がうまく
表現できなくなってくると思うの
その事で
いつも相手の言動や行動で
被害者的な意識に
包まれやすくなってしまうように感じるの
不安感や自信のなさは
色んな形とあらわれてくることが
あると思うの
たとえば
親が不安感や自信の部分が
小さくなっている場合
子供が他のおうちの親をほめていると
「あなたが思うような人ではないと思う」
「あなたは子供だからわからない」など
形を変えて
子供の笑顔をスムーズに
喜ぶことができないときも
あると思うの
それは不安感や自信のなさのせいで
見えるものが
ゆがんでしまうからだとおもうの
子供は自分の親を信頼し愛してるからこそ
他の親の良さを話しているのに
「私から離れてしまうのではないか」
「こんなに私はあなたのために時間を
費やしているのに・・・」など
友人関係でも同じように
友人の前で
他の友人の事を褒めていると
わざわざその友人の
デメリットを必要以上に伝えたり・・・
スムーズに受け取ることも
難しくなってしまうと思うの
その事で
自分が発した言葉でまた自信のなさや
不安が生まれ
エンドレスの輪から出ることが
困難になってしまうと思うの
どんな事柄も
不安感や自信のなさが作り出した
フィルターで見つめるようになり
人生が色あせてしまうと思うの
本当は
気づいていないとしても
誰でも誰かから愛されて生かされて
同じ体験の中で出会って
自分の中にある
心の栄養を満たし
人と関わる事で
自分が自分の中の優しさに
気づかされたり
自分の中の誠実さに
気づかされたりしながら
自信を高めたり
不安感も話すうちに
心が軽やかになっていったり
そんな風に人との時間を過ごすことで
今まで見えていた同じ状況も
自分が変わることで
本当の姿が見えてきて
自分も愛することができて
関わる人たちも自分にとって
大切な存在だと感じられるように
なってゆくと思うの
「許し」は人々の心の中での
永遠のテーマのように思うの
過去にこじれてしまった関係を
修復するということだけではなく
心の許しが大切なように感じるの
よく知り合いの方と話す中で
もう存在しない方にされた苦痛の恨み
もう戻ってこない過去への恨みetcなど
その方も多くの苦労をされ
きっとその存在しない方たちから
辛く悲しい事をされたのだとは
思いますが
その事に無意識にエネルギーが
強く流れてしまい
今・未来にエネルギーが
流れにくくなっていて
その辛く悲しい過去と
今・未来が直結してしまい
今も肉体的にも
精神的にも辛い中で
過ごされているの
その方との会話の中で
また新たに
許しというもの気づかされた気がしたの
私の中では許しというのは
特定の相手に対するもので
許すということは
相手とつきあいがまた始まる・・・など
単純な事しか
思いつかなかったのだけれど
そうではないことを感じたの
フィーリングが合わず
つきあいをしたくないなど
この思いは行動であって
そのままでいいと思うの
「許し」ってもっと深い
心の許しが大切なんだって
改めて気づかされたの
私は相手を許す時必ず思うのは
「私もきっと気づかないうちに
同じ表現をしてきたかもしれない」
「私も同じ立場で同じ環境ならば
そう考えるのかもしれないな」など
あの考えは
変・あの考えは・・・って
思わないように意識はしているの
そうすることで
私の中では
相手を嫌だと思う感情がやわらぎ
相手のよさが見えてくるの
何より自分の心の環境を
保つことができて
自分のために
そう思うようにしているの
そしてもっとも大切な
自分の心に重い影もなく
必要以上に
終わった出来事にエネルギーが
流れずに済んでいるみたいなの
そしてその後
その方と付き合いがなくても
それでも
「許し」は実行できていると思うの
人間と人間の付き合いは
フィーリングと
タイミングの学びだと思うから・・・
何よりも大切なのは
自分の心の許しが
行えたかどうかってことだと思うの
逆に付き合いがなくなった方の事で
思いわずらって
今と未来を台無しにしない事が
許しの出来事の
答えなのかなって感じるの
久しぶりに
教会へ行ってみたくなり
足を向けたの
パートナーは初めてだから
教会の空気や装飾などに感動していたの
私もパートナーも
宗教には属してはいないけれど
自分の心が求めるままに
神社やお寺・教会など
時折導かれるように
足を運んでいるの
その様々な宗教の中の教えで
自分たちが
吸収したいと思うものと出会い
心の栄養としてゆくことが
とても好きなの
この間教会をのぞいた時に
多くの方が牧師さんの部屋のドアの前に
列をなしていたの
その光景を見ながら
今の時代を感じていたの
話を聞いてほしい人が多くいても
聞いてくれる方の数が
半比例しているような・・・
本当の心の内を
話せる相手はなかなか作ろうと思って
作れるものではないのかも
しれないなって感じたの
今多くの方が心の時代を感じ
人と深く関わりたい半面
必要以上に
自分の心の中に入り込まれることを
好まない
ふたつを秘めているように感じたの
まるで毎日がテストのように
答えを間違うと
次がなくなってしまうように
どこかで感じていて
友人関係でもディスカッションを
さけているところもあるように感じるの
私が思うのは
1度では自分のことも
相手のこともわからなくて当然だし
その時の気持ちによって
考え方や話す内容も違うのだから
意見の交換をしなければ
お互いが理解し合えないのでは
ないかなって思うの
そして自分がもっとも大切に思う
価値観を持っていて
共感できると感じた
相手と許しあいながら
付き合ってゆくのが
大切な友人が
できる付き合いなのでは
ないかなって思うの
私はついストレートに
表現してしまう所があるので
私のことをとても
受け付けないという人も
多くいると思うけど
その逆に
何を心で感じているか
素直に表現してくれるから
探ることなく付き合えて楽でいいと
信頼して
愛してくれている方も
いてくれるの
自分に向けられるまなざしは
必ずそのように
二通り現われてくるから
自分が感じたことを
自分が信じてあげて
表現してゆくうちに同じように
共感してくれる人が
現われると思うの
それが自然に結ばれる
ソウルメイトととの関係を
導き深めてくれる方法のように
感じるの
今・多くの方が夢をかなえ
そのメッセージを伝えてもらうたびに
喜びを感じる日々なの
友人の妹さんがアーチストで
ずっと夢をあたため
やっとJAZZのCDを
発売することになったり
HPで知り合った方が本を出版したり
今までなら
夢が形になるのに
時間がかかった事も今という時代は
とても速いスピードで
実現されてゆくのを感じ
改めて夢の大切さを感じているの
私自身も
小さなことだけれど
海外に住む日本の方にも
アクセサリーを見ていただき
様々な国に私のアクセサリーが
旅立ってゆくのを
見つめながら
数年前ならば
考えもつかない事だったのに
今ではその事が普通に
流れの中で繋がりあって
実現されているの
大小に関わらず
夢を実現している方たちは
まわりにも無意識に
多くの夢と希望の種を
手渡しているとかなって感じるの
そしてその手渡された種を
花が咲くかどうかわからないと
捨ててしまう人
その種をどんな花が咲くか
楽しみに大切に
育ててゆく人がいると思うの
今ではとても恥ずかしいことだけれど
数年前ならば
夢をかなえた人をまぶしすぎて
見つめることができず
「あの方は運がいいから」
「環境が恵まれてるから」
「あの方は付き合うブレーンに
恵まれているから」など
夢を持たず
夢を実現できない自分を
夢をかなえた人と比べ
わざわざ自分の足りないものを
探していたところがあったの
だからといって
その夢を実現した方と比べても
同じ夢を持っているわけでもないのに・・・
太陽は世界中の人すべてを
差別することなく
照らしてくれているように
誰にでも夢を持ち
夢をかなえる権利を
与えられているように思うの
その事を感じとり
自分を過小評価ぜすに
夢をあたためることができる方が
夢を実現されているように感じたの
特に今の時代は
多くの方がPCを持っていて
個人のチャンネルを発信して
まるで
電波を使ったテレパシーのように
様々な夢や心の栄養を
作り出すこともできると思うの
宇宙の法則が
もっとも人間にわかりやすく
使われているのが
PCなのかなって感じるの
最近母と話す機会があって
自分でも不思議なくらい
心の中の大きな氷山が溶けていったの
母と話すとき
母は母で母親として
私に接してきたと思うの
でもその日は違っていたの
私の中でもいつもと
違った受け止め方があって
母が母の生い立ちで足りないものや
愛情を受けず
育った事などについて
いつものように話し出した時
いつもの私は
「今そのように言っても何も変わらないのだから
今を見つめたほうがいいよ」と
言ってきたのだけれど
そう表現すればするほど
話がこじれていってしまっていたの
その日はなぜか
「子供時代の癒されない部分を
ずっと今まで背負って
知らぬ間に大人にされ
知らぬ間に
親になってしまったんだね」と
口から溢れ
そして私はどうすることもできないくらいに
涙が溢れてきたの
今でもなぜそんなに
涙が溢れたのかはわからないの
その言葉で急に母が
いつもの母ではなく
まるで少女が泣きじゃくるように
子供に戻っていったの
話し方まで少女のようになり
話す内容も小さな子が話すような
お菓子の話など・・・
私はその時に
自分が果たす使命を
母との間で果たした思いがしたの
ずっと私と母の間には
親子が逆なのでは?と
思うような甘えがあって
その事で私自身も悩んだり
避けていた部分があったと思うの
でも母は子供時代に癒えなかった部分を
無意識に
取り戻そうとしていたのだと思うの
それがその言霊で
魂レベルにまで深く響き
大きな変化が現われたのかなって思うの
まるで退行催眠のように
母が幼い頃からの事を
その頃の言葉使いで話
やっと今の現実の母にまで
たどり着いた時には
母から「ありがとう」と伝えられ
私も不思議な感覚と
達成感にも似た感覚が残ったの
この出来事で感じたのは
どんなに避けていても
出会いの中で
与えられた使命のようなものが
何かしらあって
果たして行く方向に
導かれてゆくんだなって
とても感じたの
自分の心に栄養を与えていますか?
人を思いやることも大切だけれど
もっとも大切なことは
自分を満たしてあげることだと思うの
自分自身の心が
満たされていないと
無意識にその思いが外へと飛び出して
結局人のためにも
自分のためにも
素晴らしい時間は作り出せないと思うの
人の期待に添えない自分に
つい罪悪感を
感じてしまったりすることがあるけれど
本当は自分が自分の期待に
答えてあげて
人生を満たし
自分自身が輝くことで
周りをも無意識に照らして
様々な事を手渡してゆく
素敵な人となるように思うの
罪悪感ってすごくエネルギーを
消耗してしまうと思うの
罪悪感のほとんどが
無実の罪悪感が多いと思うの
人の誘いを断ったとき
相手を手助けできなかったときetcなど
その事で感じる罪悪感は
罪悪感を感じる必要がないことが
本当は多いんじゃないかなって感じるの
罪悪感って無意識に子供の頃から
抱え込んでしまった
親の価値観から
生まれたものも多いように思うの
誰かに頼みごとをされても
断ってしまう自分を責めてしまったり
罪悪感が沸くことがあると思うけど
静寂の中で
本当の自分と向き合うと
それは親の価値観から
影響を受けてきたものだったり
周りの大人から受け取った価値観を
吸収して得たことだったり・・・
本当の自分の価値観から
生まれる答えを静寂の中で
知ることができると思うの
「断ったら冷たいと思われるのではないか?
「断ったら力のない人間だと
思われるのではないか?」など
そのような思いから自分の力以上のことを
引き受けてしまって
自分自身を苦しめてしまうと事も
あると思うの
このような思いから人の希望に添っても
結果はあまり良い結果を
生まないことが多いと思うの
たとえば無理をして相手の期待に添って
お金を貸してあげたとしても
感謝ではなくお互いの関係が
こじれてしまったり・・・
本当の意味で人のためになるのは
自分自身の勘を大切に
心から何かしてあげられると感じた時や
自分の力の中で
無理のない範囲の手助けを
することのように思うの
何でも相手の問題を
クリアにすることが
相手のためにならないことも
あるんじゃないかなって思うの
神様がその方のために与えた
せっかくの学びのチャンスを
奪ってしまうことにもなると
場合もあると思うの
昔ある方が言っていた言葉があって
「何でも手を貸してやる事が
思いやりではなく
その人が
自分の力で立ち上がれる
知恵を与えるのが
本当の意味での思いやりだと思う」と
言っていたの
その言葉の意味を
私自身も日々意識しながら
過ごしているの
この間朝偶然テレビを見ていたら
印象に残ったお話があったの
外国人牧師さんが
日本の道徳について語っていたの
日本では子供を成功させるために
本当の意味での道徳心が
失われつつあるといっていたの
その牧師さんのお子さんの話をされていて
ある時
お風呂の前でお子さんが泣いていて
その事が気になり
その牧師さんがお子さんに尋ねたところ
「神様のところからお金を取ってしまったの」と
泣いたの
その言葉を聞いて
牧師さんはまずはじめに
自分の職業柄牧師の子供が
お金を盗むなんてという
世間から見た自分を考えたら
恥ずかしいという思いが沸いてきたけれど
すぐにその子の中に芽生えている
本当の道徳心に気づき
喜びへと変わったみたいなの
言わなければわからない事だったのに
自分の心の中で
悪いことをしてしまったとに気づいて
そのように表現してくれた事を
大切に思うことにしたみたいなの
その時の言葉に
「体は石鹸をで洗えばきれいになるけれど
心は石鹸を飲んでも綺麗にならず
愛や道徳心でしか
綺麗にすることはできない」という
言葉だったの
その時日本の道徳心についても語っていたの
人に迷惑をかけてはいけない
子供が何かをしてしまった時
その子の気持ちや気づき
良いことを伝える前に
「こんなことしてお母さんは恥ずかしい」など
いわれる方が多いことなど
自分の幼い頃を
思い出と照らし合わせながら
聞いていたの
人に迷惑をかける事って
本当に迷惑がかかっている場合って少なくて
相手の感情に添えなかった時に
多く表現される言葉のようにも感じたの
その中の話の中で売春をした
少女の話もされていて
両親は「こんなに人に迷惑をかけて
私たちは恥ずかしい」と
表現していたみたいなの
その時その牧師さんは
「彼女は誰にも迷惑をかけていません
合意のもとでの事で
お金を盗んだわけでもありません
彼女は自分を大切にしなかったことに
罪悪感を感じる必要はあるけれど
両親や先生に
恥ずかしい思いをさせたことに
罪悪感を感じる必要はないと思います」と
言ったの
その事で今まで反発していた少女が
幼い少女の顔になり
泣き出したみたいなの
きっとこの言葉はずっと求めていた
魂の答えだったのかなって思ったの
私自身もそのように愛から
言葉を選択できずに
パートナーに
「私が恥ずかしい思いをする」と
表現したことがあったなって
反省しちゃったの
誰かの目を気にして
きっとそのような表現をしたのだと
思うけれど
本当はそのようにしか思うことができない
自分が一番恥ずかしいのかもって
反省と感動を感じた
時間だったの
もうすぐクリスマス
そして今年も
終わりを迎えようとしていて
今年の自分を振り返ってみたの
今年は勇気を持って
自分の思いを優先して
過ごせた事が
自分で自分を
ほめてあげたいなって思ったの
でもその事で逆に
周りとの調和が取れない時も
多くあって
自分自身の内面と外の
ギャップを感じる事も多くあったの
自分自身は心に
秘めていたものが開放され
本当の意味で
幸せを感じる時間が多かったけれど
今までの自分を好ましく
思っていてくれた方たちとは
感情的になる場面も多く
付き合いにも変化が
あった年だったように思うの
初めは自分を責めてしまったり
相手を攻めてしまったりしていたことも
あったけれど
今はそのプログラムも
神様が決めたストーリーなのだからと
心から思えるようになれたの
私を成長させてくれる役割として
登場してくれた人たちと
ここからは別の道を通るのねって
感じられるようになってからは
誰かが無理をしてまで
関係を持続させることに
エネルギーを注がなくなれたの
そのおかげで
かけがえのない心や
魂が繋がりあう友人関係が
自然に作り出せていると思うの
ついこの間も何でも話せる友人たちと
忘年会をかねて
友人のおうちでおいしいワインを飲みながら
色んな話をしたの
こんな風に心に思うまま話せて
信頼できる友人とは
人生を通しても
なかなか出会うことができないと
みんなが感じていて
感謝が溢れていた時間だったの
お互い様々なものを持ち寄って
「お勧めの本」「アクセサリー」
「おいしい食べ物」etc
外見や抱えているもの・性格が違っていても
もっとも大切に思う価値観が同じだから
速いスピードで通じ合えるの
その日の話題は
「許し」についての話だったの
友人が家族間の中で
許せない想いを抱えたとき
いつも思うことを聞いて
とても印象に残った言葉があったの
「どうしても許せない想いがやってきた時
もしもその相手が
明日この世から去ってしまったらって
考えると後悔が
残ってしまうのが嫌だから
許しをこの関係から
学ぼうと思うようにしているの」と
友人は言ったの
その言葉から友人は友人のスタイルで
許しのパターンを作り上げて
穏やかな心とすこやかな体を
調和させているんだなって感じたの
謝る事や許すことは
負けではなく
相手のためでもなく
自分のために行う行為なんだなって
改めて感じたの
私は今まで読みたかった本を
最近何十冊もオーダーして
少しずつ読んでいるの
頭では理解している事も
文字として自分の中に吸収することで
改めて気づかされることも多く
スピリチュアルなことを学び始めた頃
まるでスポンジのように何でも
スムーズに受け入れていた
自分を思い出して
素直に心と魂が震えるような
感動がまた蘇ってきているの
今私の周りにいる方たちは
魂の力と心の力を
感じられる方が多いので
私がその方に向けて祈りを送ると
数日たってから電話があって
「もしかして私の幸せ祈ってくれた?」って
私自身も驚くくらいに速いスピードで
伝わっていることが多いの
まるでマイクロフォンが
心の声を運んでいるみたいに
本来人間には備わっている力
なんじゃないかなって感じるの
昔から以心伝心という言葉があるように
表現だけではなく
感じあうものがあるんじゃないかなって思うの
魂が磨かれてくると
今までは気づかなかった事にも
多く気づいてしまうせいか
人の見方が変わったり
傷つきやすくなって
感情の揺れを感じる方も多いと思うの
それは魂が成長して感じる
大切な感覚の始まりだから
その感覚に気づいた
自分をほめてあげてほしいの
魂が磨かれだしたからこそ
目に見えない空気を
無意識に感じ取ってしまったり
出会う方の言葉と心の違いを
キャッチしてしまって
人付き合うが苦手になってしまったり・・・
様々な感情を体験すると思うの
太古の魂から秘めてきた
素晴らしい能力を閉じたまま
一生を過ごして
また次の人生まで
持ち越してしまう方も多い中で
今世でその魂の扉が少しでも
開くことができたことは
本当に幸せなことだと思うの
だから感情の揺れが起きても
自分や相手を責めずに
この感覚を体験できるまで
魂を磨いた自分を
ほめてあげてほしいの
そして益々その扉が大きく開かれ
扉の中に入ってゆけるように
してあげることが
とても大切なことだと思うの
25日クリスマスに昨年と同じように
幸せのエネルギーを多くの方に送れたらと
思っているの
昨年よりももっと強く
送りたいなって思って
いろいろな方に相談してみたら
ピンポイントの方が
大きな効果があるといわれたので
今回はHP始まってから
アクセサリーを送らせていただいた方
ひとり一人にエネルギーを
送らせていただこうと思っているの
昨年は15分くらいだったけれど
今年はPM10時から1時間くらいの間に
幸せを送らせていただこうと思っています
昨年はみんなに
同じイメージを送らせていただきましたが
今回はその方それぞれに
私自身がインスピレーションから
感じたものを送りますので
楽しみにしていただけたら
嬉しいです
25日愛のエネルギーを送らせていただいて
多くの方になにかしら感じていただけて
本当に嬉しく幸せに感じています
ありがとう
昨年は水と星にサポートしてもらい
広い範囲で送らせていただきましたが
今回は以前アクセサリーを購入していただいた方の
住所と名前を唱え
多くの水晶とマリア様に
サポートしてもらったの
1時間とほんとうに長い時間だったのに
その方それぞれにイメージが浮かび楽しく
祈らせていただいていたの
ニットを着て私のアクセサリーを
身に着けてエネルギーを
キャッチしてくれている方
友人とお店で楽しく飲まれている方
お客様と接しお仕事されている方etc
様々な情景が浮かび
私が決め付けている幸せではなく
その方が幸せと感じられる事を
これから与えていただけるように
微力ではありますが
祈らせていただいたの
聖夜には聖夜にしかない
大きなエネルギーが働いてくれると
いつも感じているの
24日と25日の真夜中に
目に見えてまるで
マリア様のような形の光が現われたの
パートナーも見ていて
きっと愛を送るサポートに
来てくれたのかなって
純粋に嬉しかったの
愛を送っているとき
悲しみにくれる魂を感じる方もいて
変わってあげられない痛みが
とても切なくなったり・・・
いろいろな方と
また繋がることができて
本当に幸せを感じたクリスマスでした
本当にありがとう
悲しいことや嬉しいこと
すべてを共有しあえる人って
本当に深い魂レベルで
愛を学びあうために
今世で出会えた方たちだと思うの
でも日々の中だと悲しいけれど
そういう出会いは
本当に少ないように感じるの
知り合いの方と話す機会があって
誰かが悩みを話し出したの
その時みんな優しいまなざしで
彼女の相談に乗っていたの
なぜだかその悩みの答えは
いつまでも出てくる気配はなくって
相談している彼女の顔が
初めの頃よりも曇りだしてしまったの
私はその空気で
彼女が求める空気ではなくなって
しまっていることを感じ
今までスピリチュアルな会話を
したことがなかった人たちだけれど
なんとなく話したくなって
前世の話や運命や使命などの話をしたら
その彼女の顔が晴れやかになって
彼女の方から話題を切り替えて
最近あった喜びごとを話しだしたの
その時今度は
優しいまなざしで
相談に乗っていた方たちの
顔が曇りだして
話が弾まなくなったの
その時改めて大切な人の
価値観が私の中で変わったの
以前は一緒に悲しんでくれる人が
本当に大切な友人だと思っていて
その事を以前今の親友に話した時に
「それはただ傷のなめあいをして
安心したいだけで
本当の友達ってもっと違うと思うよ」って言われ
私の中ではその頃理解できなかったけれど
その意味が少しわかった気がしたの
逆に人の喜び事を自分の喜びのように
思ってくれる人って
本当に自分の幸せを願ってくれて
大切に思ってくれている人だって
その事から学んだ気がしたの
悲しい話や悩み事って
わりと聞いてくれる人も多いけれど
喜び事は
受け取る方の状況で
自慢話に聞こえてしまったり・・・
聞く方の状況や心境によっても違うと思うの
そう思うと喜びことを聞いてくれる人って
本当に数少ないなーって感じたの
もちろん悲しみも喜び事も
すべて共有できる関係が
もっとも理想的な繋がりだとは思うけどね
そう思って友人をイメージすると
今の友人は私が
HPで知り合った方からいただいた
嬉しいメッセージなど
一緒になって喜んでみてくれたり
パートナーの浮気事件があった時も
一緒に悲しんだり
私の至らなさを責めるでもなく
「この人がどの位
自分にとって大切な存在か
知ることができてよかったんじゃない」って
うまく言葉では表現できないけれど
誰が悪い!っていうような答えではなく
私が一番いい状態に戻れるように
表現してくれていたと思うの
自分でも無意識に
相手によっては自分が失敗した話や
本当はそんなに深刻な事はないけど
悩んでいるような事を探して
話していた事もあったな~って
ふっと思い出したの
きっとその時点で
相手も自分も魂で感じ
あうソウルメイトではなく
人間としての常識的な付き合いを
維持しようとしているのかなって
とても感じたの
今日友人と来年のことについて話していたの
その中で
テーマは二極化と軽量化という
例えで話したの
今という時代は数十年前と違い
外からの見る自分の姿ではなく
自分から見る自分を
大切に感じられる方たちが多くなって
すべての事に変化が
あらわれてきていると思うの
家電も重厚間や高級感があるからではなく
自分のサイズに合うとか
好きな色だからという価値観が広がり
まるでおもちゃのようなかわいい色の
家電が売れていたり・・・
見た目にはリーズナブルなTシャツと変わらない
何気ないTシャツで
数万円するものが売れていたり・・・
なぜだろうって思い
そのTシャツを着ている友人に聞いたら
「着心地がいいのと素材がいいの
外から見るとわからないかもしれないけれどね
自己満足かな」って表現していて
自分の価値観を大切にしているのを感じたの
10枚安いのを買うならばと
そのTシャツを購入しているみたいなの
そして最も軽量化は
今の時代情報ビジネスや
カウンセリング・セラピーなど
固定観念から開放された方たちが
様々な展開をしながら
この時代を彩っていると思うの
物が存在していなくても
目に見えない自分の魂を満たしてくれる事に
心惹かれたり・・・
話は少し違うかもしれないけれど
数十年前に買った毛皮や
ムートンの高級コートなどを
着ないのに手放せない友人たちは
口々に「高かったんだから」と言いながら
最後には
「これももう時代じゃないよね(笑)
もっと軽いあたたかいコートが
今はあるんだから・・・」ってわかっていながらも
昔の価値観にとらわれていたり・・・
なによりも心も軽量化し
自分が満足を得られない仕事でも
重くならずに
今の時代は週末企業家と
言われる人たちも多くいて
週末だけ自分の大好きなことで収入を得て
日々の仕事の悩みを緩和したり
喜び溢れる人生を
過ごされている方もいると思うの
友人の家の近くにも
普段はサラリーマンで
週末だけ小さな店舗で
手打ちそばのお店を
開店されている方がいたり
週末だけネットで
趣味を展開し仕事をされる方など
自分の世界を無理することなく
神様が与えてくれた時間内で
とても楽しんで
過ごされている方もいるの
本当はみんな幸せになりたくって
この世界をもう一度望んで生まれてきたのだから
人の価値観に傷つく必要もないし
人の期待に添えない自分を責めることもなく
自分の価値観を大切に
大きな花を咲かせ行くことが
この世に生まれた
大切な答えのひとつだと思うの
花屋の店先に並んだ
いろんな花を見ていた
人それぞれ好みはあるけど
どれもみんなきれいだね
この中で誰が一番だなんて
争うこともしないで
バケツの中誇らしげに
しゃんと胸を張っている
それなのに僕ら人間は
どうしてこうも比べたがる
1人1人違うのにその中で
一番になりたがる
そうさ僕らは
世界にひとつだけの花
1人1人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい
小さい花や大きな花
1つとして同じものはないから
NO.1にならなくてもいい
もともと特別なonly one
(スマップの世界にひとつだけの花より)
今日はこの一年の中であった出来事
すべてを感謝に変えようと
言葉に出して
自分の辞書に書き換えようと思ったの
今まで思い煩っていた事も
まるで自分を魔法にかけるように
新しく作り変えることで
スーって自分が楽になるのを感じたの
友人関係でボタンの掛け違いから
互いに人の性格を分析して決めてしまい
問題を複雑にしていた部分を
「友人もその時ただ疲れていたのだろう
私も疲れていて
心の余裕が作れていなかったのだろう」って
思うようになると
今度は気づき・反省・許し・感謝と
繋がっていくの
すべての問題をそんな風に
新たな書き換えをしていくと
本当にありがたい気持ちで
いっぱいになるの
つい数時間前まで
重くなっていたことも
不思議なくらいに自分の思いが変わると
見えてくるものも変わって
幸せなエネルギーに
サポートされているのを
実感できるの
そのようなエネルギーに包まれていると
自分に喜びの光をもたらしてくれる
すべての人と巡りあわせてもらえた
奇跡にも本当にありがたい気持ちになるの
言葉では表現しつくせないくらいに
私が喜びを感じ
今ここに存在させてもらえているのも
私の未熟な心と言葉を
ポジティブに受け止め
自分自身の気づきのヒントの
ひとつとして
読んでくださっている方が
存在してくれているからこそだと日々
感謝と心の深い部分から
ありがたい気持ちが溢れてくるの
私の友人でいつも
どんな時でも「ありがたい」って
表現する友人がいて
そのエネルギーが伝染して
何でも「ありがたいよね」って
私もスムーズに
表現できるようになったの
幸せや愛・感謝・喜びetcも
無意識に人に影響を与え合っていて
気がつけば自分自身が
その中にいる事に
気づかされると思うの
その逆のエネルギーも同じだと思うの
人は誰でも悩んだり迷ったりして
必要なトンネルを通らなければいけない
時もあるけれど
そのトンネルを少ない時間で
ぬける事が大切だと感じるの
数十年・1年・数ヶ月・数日・数時間
人によって様々だと思うの
その間常に答えは近くにあって
示されていると思うの
私自身ずっと今年から思い煩っていた
家族間の事があって
本当の原因を見つめられず
問題を複雑にしていたことで
エンドレスモードになっていたの
何気ない会話の中から
友人や家族の言葉で
本当の原因は
別なところにあった事に気づかされて
その問題はクラッシュして
新たに感謝できる事が生まれたの
こんなに自分自身が楽になれるのなら
もっと素直に答えを
受け取っていたらよかった(笑)って
反省と同時に
「さーちゃん気づいてよかったね
★えらいえらい(笑)」って
自分がステップアップ
できたことをほめてあげたの