(2003・8月)







北海道は寂しいくらいに



夏を感じられないくらい気温が低く



海へ行っても



眺めたりする事しかできないの



それでも愛する海を見ていると



何かメッセージを与えてもらえるので



よく行く事が多いの



以前は海へ行っても



心で何かを感じたり



答えを感じ取って



過ごしていたのだけれど



沖縄から帰ってきてからは



声となってメッセージのようなものが



聞こえるようになったの



はっきりと聞こえる時と耳を澄まさなければ



聞こえないくらいの



ささやきで聞こえたり・・・



何か私の中である部分が



高まっているのかなって感じるの



友人に話したら霊感が高まった人が



占うと当たるから



タロットカードなど



始めたらいいと思うと言われ



友人がプレゼントしてくれたの



そのカードはエジプトをイメージするような



絵が書かれていて



古代のタロットの



復刻版のようなものみたいなの



それを見つめながら



これから占いをマスターしたいと



思っているの



以前に書かせていただいた



5円でダウジングする占いの他には



今までマスターしたことが無いので



ワクワクしながらタロットの歴史や



占い方などの本を読んでいるの



もしこのエネルギーが私に



与えられたものだとしたら



何か意味があって



そのような方向に進んでいると思うから



良い方向に使えたらいいなって



思っているの



前はずっと何かを見てしまったり



感じてしまうことが嫌だったけれど



HPを始めてからは



みんなのおかげで



この個性を受け入れ



愛することができるようになったと思うの



今はためらう事無く



与えられた個性にもっと



息吹を吹き込みたいと思っているの



まだまだ聞こえる声など



怖いときも多いけど



対処の仕方をマスターできたら



きっとすばらしいエネルギー変換が



できるのではないかって楽しみなの










ふっと毎日私達が



こうして生きていること自体が



奇跡のように感じたの



毎日変わりなく過ごしているから



あまり感じていなかったけど



急に頭の中に浮かんできたの



車もこんなに走っているのだから



事故がおきたとしても当たり前で



起きない方が奇跡に近いと感じたの



昔友人の家で火事があって



原因はコンセントに付いていたゴミだった事があって


その時も



誰にでも起きそうな出来事で



毎日気にはとめていないけれど



本当は毎日の危険や



災難から守られていると感じたの



つい人間は



楽しいハプニングがないと



幸せではないと思いがちだけれど



何も無い平凡なことが



幸せなのかもって思ったの



誰にでもきっと



ガーディアンエンジェル(守護天使)がいて



運命として起こる事を軽くしてくれたり



いつも通る道を変えるように



何か私達に伝えてくれていたり・・・



そのメッセージは



何気ない事で伝えてくれるから



それを感じることができるようになると



もっとガーディアンエンジェルが



協力してくれると思うの



その事で必要以上に



労力を使ったりしなくても



ガーディアンエンジェルが



整えてくれると思うの



よくこの世は同じ波動が集まり



類は友を呼ぶといわれているから



エンジェルのものを持っていたりするのも



いいのかもって思ったの



そして美しいものを



日々見つけ見つめる事で



目の外枠ではなく



目の奥の美しさが増して



時間と共に心にも



栄養を与えてくれると思うの



私は最近



心と体を繋ぐ首の後ろ側に触れながら



自分に感謝と喜びを伝えているの



心は胸の部分にもあるけれど



医学的には脳で感じる事を



脊髄を通って体に伝えているから



何か効果があるかなって思って



首の後ろに触れながら



毎日眠る前に色々伝えているの



例えば「明日はたくさん歩くから



体を軽くお願いね」とか(笑)



「明日は少し気が



重くなってしまう人と会うけれど



その感情を自分の中に



取り込んでしまわないようにね」など



様々なことを伝えることで



心のダメージが体のダメージに



変換されることが



なくなったように思うの



人間の体って本当に不思議で



神秘そのものだと



最近感じているの












私は1969年生まれなのですが



私の知っている



1969年生まれの友人や知人は



みんな神秘的なことや精神世界に



とても心惹かれている人が



多いように感じたの



それはきっと1969年は



人類が不可能と思っていた



月面着陸をした



歴史的な年だからかなって感じたの



お腹の中に居る時に



今まで人間があきらめていた事が



現実とできることを知って



人間の可能性が無限だと感じ



そして誕生し



今大人になってからも



無意識に心惹かれる



分野なのかなって思うの



生まれた年によって傾向を



最近とても感じることがあるの



1940年代は地球の中での混乱の影響で



何も無かったところから積み上げる



そんな時代だったから



ものや何かを失うことにとても



不安を感じやすい方が多かったり・・・



もちろんすべての人がそうではないけれど



そのような傾向が



多いように感じたの



そのようにすべてを見つめると



自分が生まれた年の新聞や情報など



調べる事で無意識に



影響受けている部分に



気づかされると思うの











今日自分が恥かしくなってしまう



出来事があったの



久しぶりにバスに乗ったら



車酔いをしてしまって



具合が悪くなってしまったの



自分では表に出さないように



着くまで我慢しているつもりだったのだけど



立っていていた私はまわりを見渡したら



一番近い場所に



大きな刺青の少年と女の子5人



その子達を見た私は



自分が偏見いっぱいな嫌な



大人になっていることを感じたの



その時その子たちが



「どうぞ」ってみんな席を空けてくれたの



その時涙が出るほど嬉しかったのと同時に



私はいつからか



偏見いっぱいの大人の部分も



芽生えて持ち合わせていることを感じ



とても恥かしくなったの



世間で言われている情報を



私の中にもいつのまにか



取り込んでいてしまっていたのだと思うの



自分が経験していない事なのに・・・



自分が経験していない統計的なものを



受け入れていた事に



気づかされたのと同時に



世の中のニュースが伝えているほど



人間にはまだまだ素晴らしい



思いやりや優しさがいっぱいある方の方が



圧倒的に多いことを



知った素晴らしい日だったの












昨日夢でメッセージがあったの



美しい女性が現れ



「あなたが日々気になっている部分を



さわってごらんなさい」と言われたの


起きてからもまるで



現実のようにはっきりとしていたの



以前婦人科の治療前後から



胸や腕がつるような痛みがあったの



でもこれも薬の副作用の一種かなって



気にしないようにはしていたのだけど



本当はもしかして・・・と



不安で数ヶ月過ごしていたの



でもなかなか勇気が



無くて触ることができなかったのだけど



勇気を持ってワキあたりを触って見たら



しこりを発見してしまったの



その瞬間



まるでカウントダウンに



入ったような気持ちになったと同時に



この事がどうして私のもとに



着たのか?など考えてみたの



要因はいっぱいあるとは思うけれど



もっとも大きな要因は



不安という想像力が知らず知らずに



祈りと同じように



叶えられたような



形なんじゃないかなって思うの



良い悪いに関係なく



長い間思うことは無意識に現実となって



そして形となってゆくと思うの



病院へ行くまでは



私はこの地球を離れるという



前提で過ごしていたので



別の次元を感じながら過ごしていたの



雨が流れる音も



美しい音楽のように感じたり



植物や花を見ていとおしいと感じたり



空を飛ぶ鳥のささやきが



私だけのためのメッセージのように感じ



「ありがとう」と言ってみたり・・・



このような感覚は



今のライフスタイルを失うかもっていう



リアルな中でしか



感じられなかっただろうなって思うの



そして病院へ行ったら



まったくそのようなものではなかったの



その事でまた時間を与えられたような



気持ちになったのと同時に



想像力のすごさを改めて感じたの



無意識に考えたり思うことが



まるで望んでいると



潜在意識は勘違いして



何も無いところに



何かを出現させてしまうんだなって



日頃読ませて頂いている



精神世界に多く書かれた事を



頭で理解するだけではなく



経験させてもらったように思うの



そのことを体験して今まで以上に



その力を自分が望む



世界に向けることでの大切さを感じ



自分の意識に



もっと焦点を当てて行きたいと思ったの



そして今回の事で



本当に自分がしたい事や大切なものを



見つけることもできたように思うの



今ある当たり前の幸せの輝きに気づかされた



素晴らしい数日だったの











キリスト教のロザリオは



一つ一つの玉に触れながら祈り



玉の数も決まっているのですが



私がアクセサリーを作る時に



湧きあがってきた



インスピレーションやメッセージは



堅い決め事や宗教の枠を超えた



美しく愛を感じられるものだったの



どんな事にも日々



小さな強迫観念が誰にでもあって



「こうしなければ・・・」



「こうじゃなっきゃ」など無意識に



狭めてしまっている部分があるから



もっと本当の意味で



神様に近い広い心と魂にそって



作るようになったの



そうする事で私自身も楽しく



そしてマリア様からの



サポートも強く感じられるようになったの



本来誰にでも素晴らしい



潜在的なパワーが宿っていて



高い波動と魂に繋がっていると思うのだけど



人間としてのプライドが邪魔をして



感じにくくなっているのだと思うの



自分を大きく見せることに



虚勢を張っていたり



尊敬される人物でいようと無理をしたりetc



人間としてこの世に生まれた時から



みんな持ち合わせた部分で



その部分が強くなってきてしまうと



人生を楽しむことよりも



人に自慢できることばかりを



探してしまったり



そうする事で多くの人と会っている時は



それでも楽しく過ごすことが



できるかもしれないけれど



ひとりになった時には



ため息が出てきてしまうと思うの



よくニュースなどで魔が差して



日頃良い方やまじめな方が



事件を起こすのを見るたびに



日々無理を



重ねてきてしまったんじゃないかなって



いつも感じて心が痛くなるの



何よりも大切なのは



自分の心の声に気づくことだと思うの



人と意見合わなかった時



自分の意見を主張するのもひとつだし



自分の心で思うことが相手にダメージを



与えてしまうだろうなって



初めに感じたのならば



無理に自分の気持ちを



伝えなくてもいいと思うの



自分さえ自分の心の声に



気づいていたら



自分を取り囲む人間関係に



心が痛み・魂をも傷つけてしまうようならば



思い切って付き合いを



やめるのもひとつだと思うの



本来は心広く



どんな人とも仲良く



心通わせて付き合いたいと思っていても



そのタイミングではない場合もあると思うの



そう思ったら無理はしないで



距離を置くのもいいと思うの



時間と共に



合わないと思っていた相手が



高い波動で戻ってきて



自分に多くの学びを



与えてくれる人になっていて



かけがえのない存在になっていく



場合もあるしね



どんな場合でも大切なのは



自分が自分に



気づくというプロセスだと思うの



相手に自分を知ってもらうことばかりに



エネルギーをそそいでしまわぬ前に



自分を知ることに目を向けて欲しいの



そうする事で



自然にまわりの世界が変わっていき



思っていた以上に素晴らしい所に



自分が立っていることに



気づかされると思うの











私の親戚には



幼い頃に熱で5歳から脳の成長が止まり



50代になった方がいるの



その方と接するたびに



多くの学びを与えてもらっているように



とても感じるの



5歳の頃のままの純粋な心を持っている



奇跡的な大人の彼は



損得なども考えず



人が喜ぶことを加減する事無く



くたくたになるまで行ったり



そんな姿に触れるたび



ただ先々を考えられる



大人だというだけで



私達は普通と判断されて



彼の事をまるで



同じ人間ではないというような態度を



同じ親戚でもしてしまう方もいるの



私はそんな中で過ごす事で



いつも魂を問われているように



感じていたの



美しすぎる彼の魂は



大人から見たら無意識に



まぶしすぎてしまうのかなって思ったり・・・



年齢は私の方が若いけれど



私の事をさん付けで呼んでくれたり



様々な所に優しさを感じているの



逆に私の方が無意識とは言え



人を傷つけてしまう事を



言ってしまったりしているようにも感じるの



医学的には彼は



判断能力とかが無いから



考えて行動したりは



できないみたいなんだけど



相手によって話す事も違うの



たとえば結婚していない人には



そのような話はしないし



子供がいない人には



そのような話題は出さないし



仕事で不安を抱えた人には



そのような話はしないの



もし無意識だとしたら



本当に表現しがたい



計算のない美しい魂の存在だとさえ感じるの



今の時代



心の病を抱えた人たちも多く



はっきりした病名も



知らないまま過ごされている方や



自分が心の病だとは思ってもいないで



過ごされている方など



本当の意味で心も体も健康で



過ごされている方のほうが



この時代少ないように思うの



病院へ行って病名を告げられていないだけで



心や体が病んでいる人も多くいると思うの



だから表面的に



自分達と違うからといっても



彼の方が私なんかよりも



健康な魂と心を持っていると



自分が恥かしくなるほど



感じるときがあるの



そしてふっと彼を見ながら



私達の体の中にある



「喉仏」について浮かんだの



文字の通り本来は



喉を伝って仏ように優しい言葉を



言霊として伝える



器官なのではないかなって思ったの



そう思うのと同時に



私はどれだけ出会う人に



優しいあたたかな言葉を伝える



本来の使い方をしているかなって



少し反省してしまったの



ついイライラして本来と違う



使い方をしてしまったことなど



思い起こして



これからその意味を感じながら



本来の自然の使い方が



できたらなって思ったの












最近ストレスがぎりぎりまで



溢れそうな方たちに



多く出会うことがあり



自分自身を見つめる機会が



与えられているの



そのような話題を変えてしまうほどのエネルギーが



無い場合



そのエネルギーの渦の中で



そのエネルギーを無意識に吸収し



心の中に思い影が残ってしまうと思うの


私自身まだまだ自分自身が



そのような影が見えなくなるほどの



光を持ち合わせていないから



できるだけ距離を置き



自分を保つようにしているの



そうするようになって



自分自身がどうしたいのか?



自分は何を感じたいのか?など


静かに感じられるようになったの



でも今まで付き合っていた方たちには



とても変わったように映るみたいで



思いやりが無くなったと



思われているみたいなの



その外と内のギャップが今は埋まらないけれど



時間と共に埋まってくると思うの



元々私の中にあった「喜ばせ癖」が今まで



自分を大切にできなかったのだと



気づいてから



勇気を持った進化だったの



人の笑顔が見たいために注がれるエネルギーが



相手が笑顔になることで



また戻ってくるのですが



そのようなならなかった場合



いつのまにか上手く表現できないけど



相手のエネルギーと入れ替わったように



なってしまっている事に気づくの



それは相手を満足させることで



自分を評価してしまっている



無意識な癖があるからだと思うの



その部分が強くなってくると



相手の行動や言動で



自分を責めてしまうようになると思うの



そんな時は



「自分の人生を私は生きているだけ」と



思うようになると



自分の思考や



行動を責めることはなくなると思うの



例えば悪いと思わないけど



謝った方がいい場面でも



無理に間違っていないと



思い謝らないよりも



心の中で



「私は私の人生を大切にしているから



あなたの思い通りになれなくてごめんなさい」と



心で思いその事を謝ることで



自分の心の声も尊重し



そして相手の望む行動も行えたり・・・



すべては心のあり方だと思うの



そういう風に同じような事でも



自分自身の心に



無理したり・無視する事無く



行動に変換していくことが



できるようになってくると思うの



起こってくる出来事に



必要以上にエネルギーを奪われること無く



自分自身の体験のために



与えられた人生だと感じられると思うの









私は何年か前から



できる限り初めての事・初めての場所などを



探して体験するようにしているの



大人になるにつれて



何となくすべてにパターンみたいなものが



できてしまって



五感が刺激されるような事が



少なくなってきたと感じたからの



幼い頃は毎日が初めての出来事ばかりで



わくわくした感覚などが多くあったけれど



大人になるにつれて



何となく頭でわかったように



思ってしまう部分があったり



すべての事に冒険するような感覚に



エネルギーを注がなくなっているように感じたの



今、若年性の健忘症が多いのも



毎日同じ作業・同じ会話・同じ道etc



すべてのパターンが



できてしまう生活にあるみたいなの



同じ生活のパターンは



その事だけ覚えていたら生活に支障がないから



そんなに本人も健忘症が進んでいるのを



感じないみたいなの



何年か前に友人と



1週間のメニューを覚えていたら



脳が活発に刺激されていると聞いて



何気なく思い出そうとしたら



驚くほど覚えていなかったの



自分でもその事に驚いてしまって



それからできる限り



新しい出来事や場所を



体験するように心がけているの



何年か前までは



何となくすべての事を



知ってるつもりでいたけれど



探すと初めての食べ物や初めての経験など



未知のものが多く



地球体験はこの世を去るまで



たくさん新しい楽しい事が



多いことを感じたの



自分の知っている自分が



本当の姿ではなかったことにも



気づかされたりするの



こんな事は興味がないと決め付けて



体験しなかったことも



体験して思った以上に楽しかったり・・・



今まで付き合うことのない世代の方たちと



接することも大きな喜びを生んでくれたり・・・



進化していく心と体・魂の凄さに



改めて驚きと感謝が湧き上がってくるの