(2002・5)





人を許すことって本当に難しく





人生の中では





とても大切なことだと





思うの





「なぜ?」許せないかは





自分の現状が





一番影響していると





思うの





自分自身が





その日




嫌なことを抱えいても





忘れ過ごしているように




思っていても





無意識に





心の深い部分に沈めて





過ごしているだけで





キチンと消化し





感情を





手放せてはいないから





何気ない





小さな出来事が





その感情に刺激されて





溢れてきてしまうと





思うの





たとえば





テレビや雑誌に登場する方の





嫌な部分を探し





バッシングなどを初めた時





そのようなことに





瞳を向け出している



自分に気づくことが





なによりも




大切なんじゃないかなって





思うの





面白くない感情は





ひねった形で現れ





自分自身も





そして周りの方も





根底にある





原因に気づける





機会を失ってしまうから・・・






どうでもよいことに






絡んで





いつまでも感情から





離れずにいたり





たとえ自分より明らかに





優れた方の事でさえも





良くない部分を探し出し





分析してみたり・・・





そんな時には





この感情は





どこからきたか?





感じることが





とても大切だと





思うの





一番感じるのは





自分から見て





明らかに





優れた方を見た時の





自分の表現に






気づく事が





できたならば





その事に





まず自分を褒めてあげて





ほしいの





自分が認めたくない





感情を持った事を





責めるのではなく





素直に自分を





褒めてあげて





欲しいの





そして



次のステップを





歩むことが




大事な学びだと





思うの





無理に幸せを装ったり





利口そうに見せるよりは





すべてをありにままに





受け入れられる勇気を





持てた自分を






感じてほしいの





命の旅の





大事なプログラムの中には





自分を知るために



必要な旅でも





あるのだから・・・





好きになれない部分を





見つけても





ありのままに





受け入れるだけで





十分だと思うの





もしも今





心のコンディションが整わず





前向きな考えや行動に





結び付けられそうにないならば





心のコンディションが





良い状態だと感じる時まで





心の整理整頓は





保留にしておく事も





よいんじゃないかなって





思うの





いのちの旅は





長いのだから





あまり自分に





厳しくしすぎず





優しくしてあげる事も





大切な学びの





一つなんじゃないかなって




感じているの









自分自身が





何か決め付けて





話している時など





静かに自分の感情に





気づくことが





とても大切だと





思うの





その思い込みが





すべての障害に





なっている事を





感じると





多くの事が





解けてゆくと





思うの





そのような決め付けは





どのようにして





生まれてきたのかなって





考えると





小さな世界での





自分の経験や





この世に





送り出される前の





無意識の情報が





強く





影響を与えて





しまっているんじゃ





ないかなって





感じるの





世界中の人口の





何人にしか




満たないくらいの





出会いの中での経験で




例え多くの方が





同じようなことを





語られていたとしても





その多くは





ひとつの統計であって





そうではない方も





多く存在していると





思うの





でもそのような




思い込みや決めつけの




フィルターを




お掃除しない限り





とてもすばらしい





資質を




持っている方がいても





いつもの癖で





決めつけてしまい





すべての出会いを





狭めてしまうんじゃ





ないかなって





思うの





いつも出会う出来事は





自分の気持ちを知る





機会でしかないと





思うの





たとえば




年齢を重ねた方が





若い世代をの方を





非難する傾向などは





自分が若い頃





親や周りの方に





同じ言葉を





手渡されてきた記憶が





無意識に





そのように働き





今になって





溢れてきているだけだったり・・・





でもどんな時代も





ニーズがあるから





新しいものが





生まれていて





今は受け入れられなくっても





時間と共に自然に





非常識が常識へと





定着する事も





多くあるんじゃないかなって





思うの





言葉で上手に





表現できないのだけれど





バッシングや





非難してばかりいると





気がづかない間に





真逆の立場となり





同じ立場になって





初めて気づかされるという





学びの時が届けられることも





あると





思うの





そのような経験は





ある意味で





今まで




偏った立ち位置から





自分を解放し





ゆっくりと




自分の人生の視界を





クリアにしてくれるのには






とっても役立つけれど





ちょっぴりつらい経験となるので





しないで済むのならば





せずに済んだほうが





よいと思うの





なので






そのような体験が





届けられる前に





できるだけ





共感能力の




スウィッチを入れるように





意識をされると




よいんじゃないかなって




思うの





相手が話してることに





否定的な感情が湧いた時





その事をまず





自然な形で




受け入れる事が





何よりも





大切だと思うの





とてもむずかしい事では





あるけれど・・・





そして「なぜ?」





そのことを





否定するのか





自分自身に





聞いてみるのもいいと





思うの





きっと自分の中にも





認めたくはないけれど





相手の中に





自分の中にある




嫌な部分があって




反応していただけだったり





真逆だからこそ





違和感が強く





拒絶反応を





しただけだったり・・・





そして





自分自身を





見つめなおす事で





否定的な感情はなくなり





すべての場面が




学びの場へと





変化してゆくんじゃ





ないかなって





感じているの





人間関係の中で





お互いに変えようと





したりする事は





本当の意味での学びを





消えてしまう事も





あると思うから





相手に変化を





過剰に期待したり





自分の描いたとおりに





望まないようにすることも





大事な





プロセスとなるんじゃ





ないかなって





思うの





人は自らが





気づきと学びによって





変わる時期が来た時に





自然に変化して





ゆくものなのだから





どちらかの価値観を





押しつけるのは





違うんじゃないかなって





感じているの












相手の良い部分に





瞳を向ける事を





意識的に





くせつける事で





今まで見えなかったものを





感じられるようになると





思うの





人間には形や





表現は様々でも





優れた部分が





必ずあると思うの





それが見えないとしたら





それは





見ている方に





問題がある事が





多いように





思うの





最近よく





大切な生命を





地球上から





消しさるようなニュースが





毎日のように伝え





聞くのだけれど





そのようなニュースを





見つめながら





私たちに





大きな気づきを





与えてくれていると





思うの





どの出来事にも





原因となった





問題はいくつもあるけれど





すべての事の問題の核は





日々表面張力が





いっぱいいっぱいで





自分を見つめる





余裕をや





スペースを持てず





自分自身に





気づく事をやめ





相手に意識移してしまう事





なんじゃないかなって





感じているの





無意識に自分が





自分を





受け入れていない事が





大きな原因なんじゃ





ないかなって





思うの





そして加害者はいつも





自分以外の





周りに原因を見つけ





すべて裏側から物事を見つめ





自分の人生を生きない理由に





無理矢理に





理由付けをしていたり・・・





人生は





誰のために





与えられたものではなく





それぞれの人たちが





それぞれに意味や





使命や役割を





もって生まれてきただけで





人と比較して





勝者を決めるものでは





ないのだから





自分が自分に





納得できる





生き方ができたならば





それで




人生は





大成功なんじゃないかなって





感じているの











子育て中は





様々な情報が





手渡されたりする中で





子供が思うように





育たないと





「親が甘やかしたから」という





言葉で





多くの方が





何の根拠もない言葉に





納得し





問題を終える事が





あるけれど





私が感じているは





人から見ると





甘やかしに映るくらい





親から愛され育った子供は





愛情に満たされ





育ってきた事もあって





溢れる愛情を





人に分け与える事に





ためらいもなく





人を思いやり





愛情を手渡す事を





自然に




行えたりしているように





映るの





問題行動が





多い子供の多くは





真逆で





大好きな親から





しつけと称して





過剰に恐怖を





感じる時間を





重ね





否定され続けられた結果





幼いころから





自分が大切に





されてこなかった





記憶と





自分を本当の意味で





大切にする事を学ばず





それと同じ感情で





周りの人も





見つめてしまう事で





自分が傷つく事に





鈍感に振舞い





痛みを見せず





人との関わりの中でも





自分が味わった辛さを





知らず知らずに




自分にも





そして相手にも重ね





人との繋がりを





困難なものに





してしまいやすいように





思うの





子育てだけではなく





人との関係も





そうなのだけれど





自分が思う





優しさや思いやりが





必ずしも





相手にそのままの形で





伝わるとは





限らず





誤解を招いたり





タイミングが合わず





喜んでもらえなかったりと





難しい事も





あると思うの





ただすぐに思いが





伝わらなくっても





愛を手渡した方が





その時




どのような思いで





手渡したかどうかで





たとえ相手の愛のサイズに






フィットしなかったとしても





手渡し方が





愛情を重ね





手渡したものならば必ず





必ず





時間と共に理解を





してもらえる日が





来るとは思うの





私が感じるのは





形にこだわる時代は





もう終えていて





新たに迎えた時代は





表面的なものだけしか





見えなかった





ひとつ前の時代から





進化ししていて





深い部分に存在する思いを





まるで透視するように





感じとられる方が





広がっていると





思うの





形にこだわるのではなく





その時の自分の思いに





意識を注がれる事が





大切なんじゃないかなって





感じているの





今は両極端な時代に





シフトしている





気がするの





自分の秘めている思いが





形となってくる速度が





とても速いと





思うの





どんな事を自分が考え





願ってているのか





知ることも





とても大切だと思うの












今地球は





五次元に突入したと





伝えられていて





望むものが形に





変わるのに





時間がかかっていた





今までとは違い





早いスピードで





結果が出てくるように





思うの





もちろん





日々無意識に





考えている事も





同じで





その方の心の中で





無意識に





信じる世界が





目の前の世界に





なってゆくんじゃ





ないかなって





感じているの





たとえば





住みたい所に住み





豊かな心で





過ごされる方たちも





益々増えると思うの




様々に湧き上がる





恐れを手放せば





シンクロという





偶然に導かれて





自分が思い描く世界は





思いのほかスムーズに





実現されてゆくものかも





しれないなって





感じているの





宇宙や神様は





姿を瞳に映る形で





登場できない事もあって





様々な形で色々な事を





私たちに





伝えてくれていると





思うの





そのようなものを





感じ取れるようになると





本当に心から安心と





喜びが沸いてくると





思うの





なぜならば





今まで漠然と何でも





自分一人で考え





過剰に自分に





厳しくかせる





責任の重さによって





軽やかに





翼を広げ羽ばたく事が





できなかった方にとっては





今までとは違った





開放感を






体験できる時代に





なってゆくんじゃ





ないかなって





感じているの





新たなる生き方の知恵が





プラスされる事によって





何ものかに導かれる





神秘と奇跡に身を任せ





ある意味コントロールから





解放され





自分の備わった





運命を感じる事も





出来るんじゃないかなって





感じているの








この間





瞑想で気づかされた





自分の思いが





あったの





リラックスして横になり





いつものように





深く呼吸をして





幼い頃




楽しかった事から





思い出してみたの





瞑想というと





「無」をイメージされると





思うのだけれど




私の場合は





始まりすぐに





「無」になることは




難しいので




初めに




深く呼吸を整えながら





自分が忘れている





遠い記憶に





意識を注いでみるの






そうすることで




さっきまで





意識が向けられていた





昨日・今日までの




意識から離れてゆけるので





そういう流れから





始めているの





今日は





いつものように





瞑想をしていると





頭の中に





浮かんだのは





初めて泳ぎを覚えてから





唇が真っ青になるまで





(北海道は海水が冷たいので(笑)





長い時間





海に潜っていた所や





親に内緒で





自分の身長の





5倍はあるだろうと





いうくらいの





深い海を





浮き輪につかまって





水中眼鏡で





海の底をのぞいた時など





鮮明に思い出されて





体も





水中にいる時のように





体温が下がってきたなって





感じた頃





次には





高校生くらいの時の





短くはあったものの




楽しかった時間が





浮かんできたの





それも





幼い頃と





同じ共通の





海がでてきて





その景色を





幸せな気持ちで





眺めていたの





高校は自分の意志で





選択したのではなく





何となく流れで





周りの方の配慮で





その時





暮らしていた





街から離れた





海が見える街に





暮らす事になって





今思うと





ある意味で





自分の魂が求める





何かが





海にあったのかなって





感じていたの





たとえば





海を見つめる事で





消化しきれなかった思いが





消化されたり・・・





遠い記憶を





意識に登らせ





今の私に





何かを





伝えたかったのかなって





感じたり・・・





自分の意識を





超えたものと





今の自分がクロスしながら





オリジナリティ溢れた





自分らしい人生を





日々





創造しているのかなって





感じていたの





日々の忙しさと





環境の変化が怖くて





そのような事を




感じないように





過ごしていたけれど





自分では




感じられない





魂は





海を求めていた




みたいなの





理由は今だに





わからないのだけど・・・





前世で南の方に





住んでいた





懐かしさからかもしれないし





逆に前世と





まったく違う





生き方を





望んで生まれてきた





感覚なのかもしれないし・・・





今の私には





理解できず





不思議な感覚なの





人生の中で生まれる





その様な感覚は





ベストな時期が




来なければ





きっとわからない事だと





思うの












時間がもっと





先に進めば





結果は




ひとつだけど





未来は





3通りくらい




あるみたいなの





何もしないで





過ごした場合の結果と





選択によって





細かく枝分かれした





未来と





どの道を選択するかは





最後は




自分の自由意志のように





映るけれど





人生を長く





体験してくると





わかる事なのだけれど





必ずしも





努力をしたからとか





頭で計画通りに





したからといって





自分が思い通りに





描く結果に





なるとは限らず





ある意味





そういう部分が





あるからこそ





自分の思考を超えた





体験ができたり





神秘的で





奇跡に溢れた所が





人生の至福だと





思うの





私が思うのは





愛から選択した方は





たとえその時点で





あまり望んでいなかった





結果になったとしても





最終的には






スムーズに





思い描いた以上の方向に





運んでゆくんじゃ




ないかなって





思うの





何か瞳に





見えないものの力が





助けてくれるような





気がするの





知り合いの方に





大切な子供や





パートナーが





アトピーや喘息を





持っていて





身体を労わり





過ごしていたのだけれど





その時の





ライフスタイルを





変える事は





とても大きな決断と





大きな不安を





乗り越える必要があって





ずっと後回しにしていて





深い部分から届けられる





愛からのメッセージは





「都会の空気が合わないから





都会から離れて





空気がいい場所に





引っ越したらよいのに・・・」





などの





メッセージが





湧き上がっていたと





思うの





でも今の環境





経済を優先して





なかなか





選択できずにいたと





思うのだけれど





その結果





病が時間と




共に悪化し





病院代の負担も増え





家族を思う気持ちとは





逆の作用が




起こったりして





本当に大変そうで





見ている





私も辛くなるほどだったの





愛からのメッセージを





もしも受け入れ





都会から離れて住む事を





選択したとしても





スタートしてすぐには





スムーズに運ばない事も





あるかもしれないけれど





人間には




慣れるという





素晴らしい能力が




備わっているから





最終的には





決心をした





志と同じ愛の波動に





辿りつける流れに





ゆくゆくは





辿り着いてくれるように




思うの





知り合いはよく





「都会の空気とか食べ物が





この子には




合わないんだよねー





田舎に住んだりすると





きっといいんだろうね





でもだんなの





仕事の事ももあるし





病院で薬もらって





抑えているからいいけどね」って





よく表現していたの





愛からのメッセージを





感じながらも





今の環境や状況から





なかなか踏み出すことが





できなかったの





もちろん





頭で考えて





すべての結果を




出そうとすると





変化への不安から





ストッパーが





働いてしまうから





今のままが





一番予想の範囲内で





無難だから





変化をしない





選択しやすいのは





わかるの





でも結果





本当に本当に





悲しい事なのだけれど





そのお子さんは





2歳になるくらいの年齢に





魂の故郷に




旅立ってしまったの






もちろんその病だけが





原因だったかどうかは





分からないのだけれど





小さな命にとっては





環境の風土が





フィットしないのは





とっても大きな負担に





なっていたと





思うの





友人は今も





自分を責めて





つらそうに過ごしているの





そしてその後まるで





その子が




生まれ変わったように





また新たな命を





授かった知り合いは





また同じような病を持って





生まれてきて我が子が





もう一度





まるで





やり直すチャンスを





与えてくれたように感じた





知り合いは





再び同じ事に





ならないように





今の現状から





変化する事を





選び取ったの





とはいっても





その様な決断が





すぐにできたのは





ちょうどそのタイミングで





知り合いのパートナーの





会社がなくなり





まるで





決断できない両親の





背中を押すように





見えない力に導かれ





気候の良い場所に





移り住む事になったの





私は彼らの歩みを見つめ





共感できる部分と共に





本人がなかなか





人生の軌道修正が





出来ないでいると





見えない力が





後押ししてくれる





ものなんだなって





改めて





瞳には映らない





神秘的な力があることを





感じていたの





愛のメッセージを





恐怖と





不安で





打ち消してしまっても





進むべき道には





光が灯されて





何度も何度も





導きが





与えられるものなんだなって





感じていたの





多くの人間は





本当に





何かが起きなければ





行動に





起こせない所が





あると思うの





そのことからも





自分の内からくる





メッセージに





素直に





できるだけ





寄り添う勇気を





持つ事の





大切さを




感じていたの










どんなにのんびりし





特に努力を重ね





頑張っているように





映らない方であっても





形や方向性は





違っていても





向上心はあり




生きている限り





努力をしていない人間は





いないんじゃないかなって




思うの





ただ





誰もが





自分の価値観フィルターを





通してしか





物事を





見つめられないから





自分基準で





自分や他者を





傷つけてしまう事も





あると思うの





たとえば





年頃になると





「年頃なのに結婚しないの?」と





言葉を手渡されたり





結婚すると





「子供は?」と聞かれ





子供が1人の場合は





「一人じゃかわいそうよ





兄弟がいたほうがいいよ」




など・・・





男の子しかいない方には





「女子いるとかわいいよ」





女の子しかいない方には





「やっぱり男の子いたほうが・・・」





という具合に





次々と求められる





展開になってくる事が





あると思うの





このような表現で





多くの女性が





傷ついているのを





感じるたび





哀しくなってしまうの





自分のことでも同じように





次々進む道の答えを





ひとつに決めて





自分自身で





苦しめてしまう場合も





あると思うの





ここ数年





少しずつ定着している





医療の力を借りて





命を産みだす技術が





進化するたびに





様々な議論や





思い倫理など





様々な方法で





議論されているけれど





このような事を





願う人が





多くいるから





発展し




進化していると





思うの





きっと多くの女性の悲しみが





その様な技術を





進化させていると思うの





ただ今は





経済的なゆとりがある方にしか





望めない技術ではあるけれど





もう少し時代が進めば





多くの方が関わる事が





できる技術に





なって行くように





感じているの





これから時間をかけて





望むことが





叶えられてくる時代が





きっと訪れて





今度は別の問題に





多くの方が





関わって行く時代に





なって行くんじゃないかなって





思うの





女性は結婚し





子孫を残さなければと





深い部分に





刻まれていて





そのような





思い込みにも似たものが





長い歴史の中で





女性の自由を





遠いものにしてきたんじゃ





ないかなって





感じているの





言葉では上手に





表現できないのだけれど





今の時代にある





常識や倫理的な事を





語られる方も





静寂の中で





自分の歩みを





思い返してみると





ありのままの





自分を受け入れ





生きられず





それに代わる




多数の意見を





自分の価値観として




受け入れようと





誤った努力を




されている部分に




気づけると




思うの





今の時代は





ひとつ前の時代では





当たり前と




表現されていた





生き方とは違う





一つのスタンダードな形に





こだわらない





生き方もできる時代で





女性でも





外交的な能力が高く





家族を養う





ポジションにいる方も





いれば





男性でも





細やかな気遣いと





母性にも似た感覚に





あふれていて




男性的社会生活に





向いていない方は





パートナーと話し合い





男性が





家事や育児を受け持ち





過ごされている方も





いたり・・・





そして





ふっと気がつくと





結婚の必要性を





感じないまま





特に理由は





ないのだけれど





結婚されていない方や





結婚したのだけれど





家族が増える事なく





夫婦二人だけで





過ごされている方も





いたり・・・





本当に様々な





過ごし方があって





ひとつ前の時代では





計れない





幸せに溢れていると





思うの





そしてそれと同時に





ひとつ前では





考えられなかった





不安やアンバランスさも





あるとは思うの





人は今





自分が持っていないものが





最も輝いて見えて





そのものを持つ人が





幸せに映る事が





あるけれど





実際に自分が





そのものを手にしたら





本当に幸せを





感じられるかどうかは





また別だと思うの





私たちは





誰よりも自分を





幸せにするために





真剣に考え





いつも最も良い





選択を重ね





歩んできたはずなのだから





今の自分を





自分がたとえ





受け入れられなかったとしても





今の自分は





自分にとっては





最もフィットした





姿なのだと





思うの





もしもどうしても





受け入れられないのならば





なぜ?変わろうとしないのか?





自分に尋ねてみるのも





よいと思うの





そうしたら





やはり





今の自分に辿りつく





答えに繋がって





ゆくんじゃないかなって





思うの











人間の体の中には





小さな宇宙が





あるんじゃないかなって





ふっと





感じているの





地球環境などに





知らず知らずに





反応してしまうような





所がある事を





感じるの





森林が





減っていることが





最近





話題になっているけれど





瞳には映らないけれど





少なくなってくるから





無意識に





呼吸が浅くなって





イライラしやすくなったり





考えを深くする事が





難しくなって





つい安易な判断を





しやすくなっていたり・・・





そして前から





思うことなのだけれど





どこか遠い国で





核実験や戦争が起こり





直接関係ないように





感じるかもしれないけれど





その振動が





地球にダメージを





与えて





そのダメージが





忘れた頃に





大地震を生み出したり





津波や噴火などに





様々な形で





地球が受けたダメージを





発散しているようにも





感じているの





あまりにも単純で





未熟な発想なのかも





しれないけれど





私はいつも





そう感じているの











子宮の異常を訴える





女性が多いのも





女性は





よく神に近い存在とか





女神のように





表現されるように





無意識に





あらゆるものに宿る





エネルギーを





受けやすいから





なんじゃないかなって





感じているの





その結果





子供を身体に宿し





育み生み出す事が





難しくなっていたり





地球と同じ反応に





なっているんじゃ





ないかなって・・・・





地球も今





悲鳴を





上げているんじゃ





ないかなって・・・・





私たちは





一個体で





存在している





わけではないから





様々なものから





エネルギーを受け取り





そして自らも





エネルギーを





外へと手放し






知らず知らずに





誰かに影響を





与えあっているんじゃ





ないかなって





感じているの











スピリチュアルな事に





目覚めてくると





少しずつ





周りの人間関係が





変わってくると思うの





今まで





仲が良かった友人と





距離が開いたり





急にわけもなく





お互いが話していても





退屈に感じたり・・・





それはすごく寂しくて





戸惑いも生まれたり





するかもしれないけれど





それは




よい変化だと思うの





魂レベルの進化の





速度が上がると





今までの人間関係の学びが





急に終わリを迎え





新たな人間関係を迎える





準備を迎えたり・・・





あまりにも早い変化に





戸惑いや





理解できない方もいるとは





思うのだけれど





心の奥深いところには





目覚めを待つ





眠ったままの感覚を





秘めていると思うの





これからどんどん





同じような事を





求めている方たちとの





交流が始まっていく





扉の前に





やっと辿りついたのかなって





感じているの





なので





今までとは違う





感覚に





孤独感を感じる事も





あるけれど





もう少し





時間を進める事が





できたならば





このような体験に





感謝できる日が





やってくると





思うの





孤独を怖れ





わざわざ





相手の波動まで





波動を下ろしてしまうのは





長い人生を考えると





後悔に繋がったり





つい人間の弱さから





人のせいにして





しまうようになって





しまう事も





あると思うの





愛によって





相手に寄り添うのは





良い事だけれど





そうではなく





自分の人生の歩みを





後回しにして





自分の成長や進化を





軽んじてはいけないんじゃ





ないかなって





感じているの












今日





催眠の番組を





見つめながら





催眠って





潜在意識に





働きかけるようで





言葉に力を使いながら





潜在意識に





インプットすることによって



今まで





好きに





なれなかったものが





好きになったり





できなかった事が





できるようになったり・・・





本当に不思議だなって





感じていたの





人間は





意識してる部分は





12%にしかすぎないようで





あとは





無意識の領域が





自分を創ってるみたいなの





その潜在意識に





働きかけるのが





催眠のようにな暗示で





「できる!」と





インプットすると





できるように




なるのかなって





感じていたの





不思議なのだけれど





そう思うとやっぱり





眠っている才能や力が





人間の中には





多く秘められているんじゃ





ないかなって





感じていたの





それを意識的に





引き出せたならば





不可能を





可能に変換されて





ゆくんじゃないかなって





感じているの





逆に自己催眠に





無意識に





かかってる事も





あるんじゃないかなって





感じているの





日々自分が言葉として





表現している事などを





何回も耳から吸収し





無意識に自己催眠のように





インプットされて





いるんじゃないかなって





思うの





何気なく





「できないよ~無理だよ」って





言葉にしていたならば





本当にできなくなっちゃう事も





あると思うの





何かを行う時に





「できない」ではなく





「できるけれどしたいと思わない」の





ような





表現の方が





自分に限界を





設ける事なく





良いんじゃないかなって





感じているの





私たち日本人は





謙虚さの表現を





持っていて





あえて自分を





下に表現したりする事に





慣れ過ぎているために





自分を賛美する事には





少し照れや躊躇が





生まれてしまうと





思うのだけれど





言葉の力を





意識的に受け取るのを





必ずしも





人前でする必要はなく





一人の時でも





よいと思うの





よくネガティブな事を





ひとつ表現すると





そこから生まれる





エネルギーを消すためには





ポジティブな事を





100表現する





必要があると





聞いた事があるので





その事を意識して





過ごせたならば





いつでもよい状態に





立ち返る事は





出来ると思うの





無意識の部分には





前世の記憶や





遺伝的先祖の





記憶などからの





長い年月をかけて得た





知恵などが





授けられていて





その力に





働きかけるのも





前向きなエネルギーだと





思うの





その様なエネルギーから





与えてもらうものは





自分の生まれてからの





短い年月の経験よりも





よい結果を





生み出してくれる事も





あるんじゃないかなって





感じているの





わずかな人生の歩みだけで





自分と言う存在を





決めつけてしまうのは





まだまだ





早いんじゃないかなって





感じているの











人から聞く言葉にも





力があるから





そこで思い込みを





作ってしまうのかも





しれないなって





思うの





自分の思い込みには





なかなか





気づく事が





できないけど





人の言葉の中には





見つけやすいと





思うの





同じ本を





読んでいても





受け止め方の違いで





作者が伝えたい事が





ストレートに





伝わらなかったり





してる事も





多いと思うの





その自分の





受け止め方の違いで





世界が違ってくるように





思うの





バスケット選手の





マジックジョンソンが





黒人の子供たちへ送った





言葉があって





この言葉に





励まされている人も





いたり





何となく不快に





感じる方も





いるようなの





なんでもそうなのだけれど





受け取ったものを





どのように





感じどのように





消化できるかで





今の自分の





心のお天気を





知る事が





できるんじゃないかなって





感じているの






「お前は無理だよ」と





言う人の事を





聞いてはいけない





もし





自分で





何かを成し遂げたいと





思ったならば





できない時に





他人のせいにしないで





自分のせいにしなさい





多くの人が僕にも





お前は無理だよと





言った彼らは





君に





成功して





欲しくないんだ





なぜならば





彼らは





成功できなかったから





途中で





あきらめてしまったから・・・





だから





君にもその夢を





あきらめて欲しいんだ





不幸な人は不幸な人を





友達にしたいんだ





決して





あきらめてはだめだ





自分のまわりを





エネルギーで溢れ





しっかりした考えを





持っている人で





固めなさい





自分の周りを





野心で溢れ





プラス思考の人で





固めなさい





近くに誰か





あこがれている人がいたら





その人にアドバイスを





求めなさい





君の人生を





考えることができるのは





君だけだ





君の夢が何であれ





それに向かっていくのだ





君は幸せになるために





生まれてきたんだから・・・









この言葉も





今の自分の状況や





環境によって





受け止め方や感じ方は





様々だとは





思うけれど





多くの方が





無意識に誰かに





「お前は無理だよ」って





表現している言葉を





自分の耳からも





その言葉を





インプットしていていて





自分の可能性の種を





知らず知らずに





芽が出ないように





踏みつぶしている事も





あるんじゃないかなって





感じているの












私たちは無意識に





何時も





イス取りゲームのような





生き方が





深くインプット





されていると





思うの





誰かが成功しそうになったり





幸せになったりすると





先を越されたような気分になり





それによって





イスが減ったような





感覚に包まれ





あせったり





心から人の幸せを





喜べなかったり・・・





でも本当はイスは





人数分あるのに





椅子取りゲームのような





意識で





遅れたらもう





自分が座る椅子が





なくなってしまうかのように





表現しがたい思いに





包まれると思うの





ただその様な気持ちは





無意識だから





気づかないくらい





静かに行われてしまうと





思うの





でもそのような思いを





生み出していると





自分も





信頼できなくなってしまうと





思うの





この感情はとっても深く





根深いものだから





厄介だと思うの





このような流れは





人の中に見つけるのは





簡単なので





人の姿から





学ばせてもらうのが





よいんじゃないかなって





感じているの










ブッタが伝えているように





苦行の中でなくても





日常の中に





悟りがあるって感じているの





私たちは様々な悩みや





考えに答えが出ない時には





自然に聞く事にしているの





森や海などの





大きさの中に包まれて





過ごすだけで





答えをもらえるような





気がしているの





それもきっと





潜在意識が持ってる





答えを引き出してくれるから





なんじゃないかなって





感じているの





海は何も声に出して





答えてはくれないけれど





帰る頃には





そのモヤモヤした思いが





消えていたり





何か決心できたりして





それが答えのように思うの





自分にとってフィットした





正しいものを





受け取ると





深い安心感や





体のかるさなどを





感じるはずだと思うの





そして自然に





周りの方たちとの





関わり方にも





何かしら変化が





起こったりして





すべての存在する事と





一体になった感覚などを





体験できると思うの





多くの労力を





必要としなくても





自然に宇宙が





準備してくれている安心感





それが感じられない場合は





ただ詰め込み理解をし





悟ったふりをしているだけで





本当はは宇宙との繋がりが





結ばれてはいないと思うの





自分の力だけしか





信じられない方は





どんなに素敵な言葉や





悟った方のような事を





表現したとしても





すべてのバロメーターとなる





感情や心が





穏やかで幸せな安心感を





感じているかどうかが





今の自分を知る





大事な計りと





なってくれると





思うの








本来スピリチュアルな知恵は





利口そうに見せたり





利害関係を





保つためのものではなく





自分のための学びなだけで





人を説得する手段に





使うものでもないと





思うの





もちろん心の中で





自分の方が優れてると





優越感を





感じるためのものでも





ないと思うの





世界に一人の





尊い個人個人を





大切に思えたりしなければ





いくら高尚な知恵や





知識を持っていても





自分のレベルを高く装い





ふりをしているだけだと





思うの





学びが進んでいようが





逆にまったく





わかっていないとしても





その方それぞれの





進み方があるのだから





その事を





否定したりするための





ものではないと思うの





つい年齢が




若い方と出会うと





無意識にその相手の方に





上から見つめて





言葉を表現してしまう事が





あると思うの





でもこのようなスタイルも





無意識であったり





良かれと思っている





意識からの行動なので





ゆっくりと





自分を見つめなければ



気づかない動きだと思うの



よく「リラックスしてね」とか



「気を使わないでね」と



伝えられても



相手の方によっては



そうできない場合と




できる方がいると思うの



それは人間が感じる



瞳には映らない



エネルギーを



感じとるからだと



思うの



かと思えばどんな方をも



リラックスした気分に



させてくれる方もいたり・・・



自由に思いのまま



発言できたり



寝転んだり・・・



繋がりあった



年数は関係ないと



思うの



私が思うのは



人をリラックスさせる



オーラがある方は



それを受ける相手の方も



無意識に



すべてありのまま



受け止めてくれる安心感を



感じさせてくれる方だと



思うの



その逆に言葉とは



裏腹に周りに



緊張感や攻撃的な印象を



感じるさせる方もいると



思うの



第三の目で見る力というのか



感じ取れる力が



すべての人の中に



秘められているんじゃ



ないかなって



感じているの



私たちは無意識に



日々何気ない時間の



流れの中で



いつもあまりにも



当たり前に



スピリチュアルな



能力を使いながら



自分にとってより



よいものを選択し



歩んでいるんじゃないかなって



感じているの












今の時代は良いと感じる方と



最悪だと思われる方が



はっきりと分かれた



時代だと思うの



経済だけを



見つめてみると



やってもやらなくても



会社に依存し



何とかなってきた方たちに



とっては



きっと今は最悪だと



嘆いてると思うの



今の時代は



リストラというものが



広がっていて



その様な経験を受け取られた方は



私たち家族の人生を



無責任に



路頭迷わせたと



思われるかもしれないけれど



静かに人生を



見つめる事ができたならば



会社というものは



自分の人生の一部であって



自分の可能性や



経済的なものを



広げるための



最も早い手段であって



ひとつの方法に過ぎず



ひとつ前の時代のように



会社はそこで働く方の



人生を面倒見る



機関とはなってはいないと



思うの



あまりにもその事だけに



依存する事の怖さを



最近教えられた



気がしているの



最悪の場合は



自分の命までも



自ら消し去る事しか



浮かばず



そこに見つめなおすことのない



深い思い込みの



プライドがあるんじゃ



ないかなって



感じているの



この地位をなくしたら・・・



子供の学費が・・・



今持っているものを



手放すのは・・・etc



色んな事が複雑に



見えてくると思うの



でも命を捨てる



価値のあるものなど



何一つないと思うの



素直に本当の自分に立ち返り



最も大切な自分を消しさる前に



大事な事に気づく



必要があると



思うの



例え自分の理想と



かけ離れた場所に



立っていたとしても



自分をそのまま



見つめ受け入れ・表現し



問題を解決できたならば



命を今消さずに



済む事もあって



今気づいていない



多くの可能性の扉が



見えてくると思うの



私たちが人生をシンプルに



考えられないのは



プライドと



表現されるものが



フィルターとなって



見えにくくしてしまうけれど



本当のプライドは



転ぶ事を怖れ



姿形を保つ事ではなく



転んでも起き上がる力に



注がれるものだと思うの



会社や自分が



過ごしてきた場所



人を否定する事は



自分の人生をも



否定する事に



繋がってしまうと思うの



その方や場所で



いいと思って選択し




長い年月



つきあってきたのは



自分なのだから・・・



自分の選択する



まなざしや考え方を



否定しながら



過ごしているのは



自分が願う幸せから



遠ざかる事と



なってしまうんじゃ



ないかなって



感じているの










私の友人の中に営業が苦手で



いつも不平不満や



将来への不安を



表現していた



男の子がいたのだけれど



ある時



その友人の会社が



倒産してしまい



不安や焦りで



ふっと気がつくと



あれほど嫌がってた



営業の仕事をベースに



妥協して慣れた



仕事を



探していたのだけれど



何百件面接に行っても



なかなか決まらず



3カ月過ぎた頃



不安と焦りで



いっぱいだったと思うの



たまたま友人の家に



足を運んだのだけれど



その時



友人は私に



「人と会うのは久しぶりだ」って



嬉しそうに



迎えてくれたの



そして今の現状を



聞いて友人に



「あれほど文句を言ってて



休みが欲しいって



言ってたから



休みが与えられただけだよ」とか



「会社なくなっていなければ



嫌いな仕事でも



なかなか転職



できなかったから



きっと今がその時なんだよ」って



伝えたら



素直な友人は何か



心に何か響いたみたいで



「そっかー!!」って何かひらめきと



何かが吹っ切れたような表情で



営業以外の仕事以外で



探す事にし



せっかくだから



今の休みを使って



後回しのしたままの事を



一つずつしながら楽しんで



過ごそうと思ったようなの




島から都会に出てくるまでは



島にはなかった事や物を



楽しもうと思っていたのに



仕事に追われ



休日には疲れすぎて



寝てばかりいて



何一つ楽しむ事が



なかったようだから・・・



社会経験のない私は



ある意味無神経で



ストレートでシンプルに



疑問に思う事を



そのまま伝えてしまう事で



相手の心の痛みを



理解していないと



不快な思いを



抱かせてしまう事も多いので



自分の思いを伝える事に



躊躇してしまう事も



あるのだけれど



その友人との間では



互いに良い影響を



与えあえたようで



心に変化があったみたいなの



その後



数日の時間が流れて



友人から電話で


「仕事決まったわ!



何年も会ってない友達から



急に電話が来て



会う事になって



今仕事探している事を



話していたら



その友達の会社で



社員募集してるって事に



なって・・・」と



話してくれたの



私が感じていたのは



彼の心が変わった事を



誰に伝えたり



教える事をしなくても



人生は不思議なもので



自分の心が変わると



スムーズに悩みや



不安から開放され



経済的にも以前よりも



心満たすものとなっているの



一見悪い事のように



映る出来事も



心が変われば



良いことの前触れに



変えられる事を



友人から教えられたような



気がしているの



今の仕事の中に



楽しさを見つけるのも



能力・才能だし



それでもどうしても



好きになれないのならば



転職するのもいいし



人間は一つの要素ひとつで



成り立っている



わけではないのだから



好きだと思える事は



色々あると思うの



今何をしたらよいのか



見つけられない時には



私が思うのは



別の世界を持つ事が



いいんじゃないかなって



思うの



環境的に転職が



どうしても難しいのならば



まったく仕事とは



関係ない空間で



過ごす時間を作るとか



日頃



自分が過ごす場所と



離れた繋がりの



仲間を作るとか



たくさんの世界を作ると



すべては



自分の中の一部分の



時間だと思えてきて



無意識に背負っている



プレッシャーや



重圧も和らぐと思うの



無意識に日々



狭い世界から



抜け出せないような錯覚で



労働は8時間で



あったとしても



頭の中では



24時間営業で



働いているのと



同じような感じに



なってしまうと



思うの



そうなるとその狭い世界で



自分が思い描くように流れないと



どんなに小さな事も



大きくとらえ過ぎて



心身が保たれなくなる事も



あると思うの



人生に様々な



柱となるものを



どんなに


小さなものでもよいから



たくさん作っておくと



たとえ一つが消えても



自分自身が



揺るがされる事なく



過ごせると思うの



いのちの旅は



時間と言う限りが



あるのだから



自分を笑顔に



幸せにする時間を



みつけるのは



生まれてきた大きな意味を



消化する



大事な作業だと思うの








何かを達成した喜びや



よくある



ランナーズハイのように



苦しい後の



軽い体の感覚と



心で爽快な



気分になる経験を



私たちは人生の中で



無意識に経験し



自分自身を高め



過ごしていると思うの



自分の内なる意識に



ふれるようになると



自分が見たくない



認めたくない自分を認め



小さな事なのだけれど



初めのうちは恥を



書きたくないって



気持ちが強すぎて



チャレンジしたりする事も



楽しめなかった事も



前に一歩進めるように



なっていたり・・・



自分の能力を決めつけ



苦手そうなものには



チャレンジせず



簡単にできそうなものばかり



無難に選んでいながら



そんな自分の生き方に



納得していない事って



あるんじゃないかなって



感じているの




自分自身も



日頃



フィットネスクラブに通い



気がつくとチャレンジする事よりも



頭で考え



無難にできそうな事ばかり



選んで



行っていたのだけれど



ある日



知らない70代くらいの



女性たちから誘われ



今まで経験のない



ダンスのプログラムに



出る事になったの



もちろんダンスは苦手で



もっとも恥をかきそうな



分野だったの(笑)



ただ



いつもスタジオを



眺めながら



楽しそうに



過ごされている方を



見ては



心惹かれてはいたの



その中には女性が多く



60歳を超えた方も



いたりして



とても失礼とは



思うのだけれど



運動が得意そうには



見えなかったのに



リズムが始まると



激しい動きで



軽やかにダンスをしていたの



もちろん



私はついていくだけで精一杯で



ダンスにリズムに乗る



余裕はなく



まるでロボットのような



ぎこちない動きだったの(笑)



もうやらない!って



心で思いながら



早く終わるのを



待ち望んでいたの



長く感じたレッスンが



やっと終わりホッとしていると



レッスンに



参加されていた方たちと



話す機会があって



その方たちに



「昔からダンス



やっていたんですか?」って



尋ねると



その方たちは



「この年で始めて5年かけて



これだけできるように



なったんだよ!



はじめは



ひどいもんだったよアハハハ」って



表現されていたの



そしてスタジオを出る時には



インストラクターの方から



「どうでした?まだ楽しむ余裕はないし



苦しく感じる事ばかりで



もう出たくないと



思ったと思うけど



だまされたと思って



5回は参加してみて



それでも好きになれなかったら



仕方ないけど



1回だけでは



自分に向いている事って



わからないから」と



伝えられ



私はくだらない形もない



プライドで



今まで世界を狭くしていた事を



感じていたの



最近では様々な初体験へ



一歩踏み出すたびに



いつも恥ずかしい思いをする事が



あるのだけれど



そのたびに



「初めからできるならば



教える側になってるもん



わからないから



教えてもらってるんだもん」って



ちょっと開き直りにも似た思いで



チャレンジしているの



そう思ったら



とても楽になって楽しくなって



いつも私の歩みを



邪魔していた思いが



少しずつ消化できるように



なったの











最近昔にはなかったと



表現される事件や



出来事もあるけれど



私が感じているのは



昔からあった事も



私たちが感じていなかった



情報格差などによって



一部の方にしか



知らされていなかったり



ただ気づかなかったり



したものが



今の時代は



多くの方が知る機会が



増えたりした事で



昔はなかったものが



今は



多く感じるんじゃないかなって



感じているの



そして昔とは違い



人の数と同じだけ



幸せに感じるものが



ある事を知ると



昔のように多くの方が



同じ事に心惹かれて



同じような考えに



着地しない不安定さに



居心地のよくない感覚を



感じてしまうのかも



しれないけれど



それはただ



今の時代は



素直に表現できる



優しい時代ではなかったから



様々な考えの人が



多くなってきたように



感じるだけで



昔から本当は人の数ほど



価値観や



心惹かれるものも



あったと思うの



でも昔はその事を



表現しやすい環境が



整っていなかったから



多くの方が周りの方に合わせ



自己表現せずに



調和を保つ事に



意識が注がれていたのだと



思うの



たとえば



女性がスタンダードな



生き方以外を望むと



昔は「女のくせに!」って



表現され否定される事が



わかっているので



多くの女性は



自分の内面を表現せず



人当たりが良く・



気がきく・などを



演出してきたのだと思うの



今の時代は



理解してくれる方も



多くなって



自分らしい自分の人生を



おくれる時代に



なりつつあるから



よい意味で



自己主張ができるように



なってきているんじゃ



ないかなって



思うの



それと共に



スタンダードな生き方を



否定してきた方も



年を重ねる事で



スタンダードな



歩みの中にある幸せや



安心感があるのを知り



ひとつ前の時代とは違う



幸せを望まれる方も



増えてきていると思うの



どんな時代も



きっと今の私たちのように



過去と現在を重ねながら



よい部分とそうではない



部分を感じ



それぞれが大事にしたいものを



選び取りながら



歩んでいるんじゃないかなって



思うの








なぜだか



初めて会う人なのに



ふっと懐かしさを



感じたり



まるで



今までずっと



友達だったように



意気投合する事って



あると思うの



その多くは



現世の自分になる前に



縁を持っていた可能性が



あるんじゃないかなって



思うの



私は以前



夢で深く繋がる



家族の夢を見たのだけれど



性別や年齢・容姿も



まったく違うのだけれど



不思議と誰かわかったの



パートナーとは



何度も共にしていた



みたなのだけれど



夢で見たのは



スイスのような風景が広がる



山に住んでいて



パートナーは



ひげもじゃの



まるでハイジに出てくる



おじいさんのような容姿で



私はその足元に



絡み付いて甘える



4歳くらいの男の子だったの



兄弟は男の子ばかり5人いて



目がさめてからも



不思議な感覚に



包まれていたの



その何年か前に



透視能力がある方に



前世を見てもらった時には



私は権力を振りかざし



今でいう



フェイシングのような



スタイルで



人を集めては



戦わせていたようなの



今のスポーツフェィシングとは違い



装備はなく剣で戦うため



命がなくなるまで



行っていたようなの



そこで息子だった



今のパートナーが



勝つものと思いで



当時の私は出場させたようなの



その後息子だった



パートナーは



まさかまさかの



戦いに敗れ



天国へと旅立ち



逆切れした私は



その相手を倒すため



適当な理由をつけて



戦いに出場したの



その結果



右足に大きな怪我をしてしまい



そのせいなのかは



わからないけれど



今の私の



痛みを持つ場所と



ピンポイントで重なるの



今私の周りいる人たちも漠然と



前世でも縁を感じるそうなの



今までお互いに



同じ夢を見たり



漠然と前世での関わりあい方を



具体的に



感じ会う人たちもいて



その多くは私の教育係りだった



人や海洋学の時の



生徒など・・・



精神世界のお話は



とっても怪しげで



どちらかというと



避けている友人でさえ



意識的に引き出せない



記憶の中で



繋がりあっているような



気がすると



伝えてくれるの



私たちはどんなに行動的に



人間関係の広がりを



作ったとしても



世界中の人と会う事はできず



そこからすれ違うだけでも



限られた人で



それから言葉を交わす



機会がある人は



さらに少数で



人生の中の共に



一時期を過ごす人たちも



人生を共に



歩んでくれる人も



それはもう奇跡的な



縁だと思うの



私たちが知らず知らずに



知り合いたいと願うから



引きあえた



縁なんじゃないかなって



思うの












もしも前世で



私がひどい事した方に



出会ったらどうしようと



ふっと思う事があるの



無意識に



大好きなものだったり



部屋を見渡すと



どこかの国のものばかり


購入していたり・・・



多くの方は知らず知らずに



前の人生からの影響を



少なからず受けて



過ごしているんじゃ



ないかなって



感じているの



前世での生き方に近い



生き方のほうが



一度経験しているせいか



楽にこなせたりするけど



生まれる前にどんな目的



目標を持って



生まれてきたかによって



人生の大まかなプログラムが



作られているんじゃ



ないかなって思うの



前世に気づかせてくれる



退行催眠を以前行ってもらい



その時幾つもある



前世の一つ前の前世では



研究ばかりし一人で



何日も外出せずに



何十年も



過ごしてきたせいか



現世でも


一人で過ごす時間が



心地よく



苦にならないのだけれど



生まれてきた目的



目標がまったく逆の人生を



求めてきたらしく



何かと人と会う機会が



多かったり



学問よりも人間関係に



今回は重点をおいて



生まれてきたのかなって



感じているの



輪廻は最終的に



すべてのバランスを



整えるために



行われていると思うから



今まで経験していない事が



与えられ



それを受け取り消化する事に



きっと意味があるから



苦手な事も人生には多く



届けられると思うの



前世の時のように



無意識に選ぶ本が



とっても難しくって



今の私は理解できそうに



ないものばかりなのだけれど



不思議なもので読み出すと



面白さを感じたり



もっと知りたい



思いが生まれてくるの











何気なくアルバムを



見ている時に



10年位前に



温泉へ行った時の写真に



心が止まったの



記念に友人たちと



露天風呂で



写真を映したの



その時



水面に私の顔が



反射した部分になぜか



青年の顔が



映っていたの



なぜか不思議と



怖い感じではなく



私はいつも



ついている人だと



直感的に感じたの



歴史の本などでしか



見た事のない



古い時代の軍服を着ていて



その写真を見ていると



「自分は楽しみも何もない時代に



生まれてきたけど



今は楽しんでいる」と



私に伝えているような



気がしたの



たまたま



私の生まれてくる



使命のひとつに



ストレートなキーワードの中に



「遊ぶ」という



感覚的なものを



感じていたので



何かが一致したような





思いに包まれていたの





霊視や前世療法などで





見てもらった時にも





研究だけで





友達もいなく若くして





天国へと





旅立ったみたいだから





もっと世の中の楽しさや





人間関係を体験するために





今度は





様々な関わりのある





人生を望み





生まれてきたみたいなの





アルバムの整理を





していると





今までは映っていなかった





存在が





あちらこちらに





存在していて





霊現象に詳しい





知り合いに尋ねると





霊たちは先を見通す力が





あるから





私はこのタイミングで





アルバムを見るのをわかって





そこに姿を





現しているそうなの





だから理解した思いを





伝え





お線香をたいてあげ





それでも消えない場合は





お塩で清め





お寺や神社に





持ってゆくといいと





伝えられ





そうする事にしたの





そうしたら不思議な事に





何枚かは





お線香をたきあげた後





見ると





映っていたはずのものが





消えていたの





ただあと何枚かは





何も変化がなく





ちょっぴり怖かったので





神社へ持っていったの











最近たくさんの方が





自分は





何を求めているのかを





魂レベルで気づき





始めている方たちが





多い事を感じているの





インターネットを始めて





本来ならば





出会う機会の





なかった方たちとの





多くの出会いがあって





たくさん勇気を





与えてもらったりする事が





よくあるのだけれど





ひとつ前の時代のように





うそや偽りで





自分を大きく見せるために





行動したり





利益追求だけを求めて





過ごす方も少なくなり





本当に自分が満たされる





時間を大事に





人生を歩んでいる方が





多いように思うの





その個人個人の歩みが





自分の周りだけではなく





地域・国・世界・地球にも





広がっていると思うの





その事もあって





社会の動きも変わり





企業と勤める方たちの





関わりあい方も





変化していると思うの





ひとつ前の時代ならば





勤める方は自分よりも





上のポジションの方が





提示する事・アドバイスには





無条件で意見せず受け入れ





勤める時間以外にも





関わりを求められても





断る事は





その後の仕事の流れに





問題が生まれる事が





想定できるから





ふっと気がつくと





仕事よりも





人間関係の疲労が多く





なかなか自分の人生を





生きられない方も





多かったのだけれど





これからの時代は





ゆっくりと





立場的にも対等になり





自分の意見や思いを





受け入れやすい場所に





整えられてくると思うの





ただ新たな時代の幕が





上がったばかりの時には





今までの時代の方が





都合がよい方や





変わる事を





怖れている方たちは





新たな時代を批判し





よくない部分ばかりを





ピックアップしたりして





新たな時代が





スピードを上げて





進まないようにする事も





あるけれど





世界中の集合意識が





進む流れを決めている以上





新たな時代は開かれて





ゆくんじゃないかなって





思うの





今はインターネットなどで





昔の番組などを





見る事ができるので





何気なく見ていると





今の時代では





信じられない光景や発言を





当たり前にしている事に





気づかされると思うの





気づかないうちに静かに





個人個人が発する





エネルギーに合わせ





新たな時代が





創造されてゆくのだと





思うの








今までならば





ネームバリューなどで





選んでいた商品も





だんだんと





波動が





高くなってきた方たちが





多くなってきた地球では





通用しなくなるのでは





ないかなって





感じているの





ひとつ前の時代ならば





本当に心艪ゥれたものを





選んでいたかというと





必ずしもそうではなく





人から





うらやましがられる物や





世界中で認められている





ハイブランドならば





間違いはないという感覚で





選んでいた事も





あったと思うの





でも今は周りの価値観や





ネームバリューに





惑わされる事なく





自分が心惹かれるもの





エネルギーで





購入しているの





よく聞く言葉なのだけれど





「ものが人を選ぶ」というも





あって





大量生産されて





いないものには





作り手や流通などで





多くの人の手を経ない分





強くエネルギーを





放っている事が





あると思うの





そのようなことは





昔から語られていて





宝石や石は





もっとも持つ方を選ぶって





聞いた事があるの





海外の大富豪たちがある





大きなダイヤを購入しても





その石が持つ人を選び





それゆえに





不幸な出来事が重なり





今では博物館に





貯蔵されているそうなの





個人的に





地球が何億年もかけて





育んだ石が大好きで





ひとつ前の時代には





石を使った





アクセサリーといえば





宝石店に並ぶ





加工された





高価なものしかなく





石が大好きだった私は





月に一つペースで





宝石を





手にしていたのだけれど





今は必ずしも





宝石店で購入するような





高価なものじゃなくても





リーズナブルな価格で





デザインも豊富に





楽しむ事ができるので





ある意味で





自分サイズで無理せずに





フィットしたものに





出会いやすくなっていると





思うの





この間





知り合いが





話していた事なのだけれど





数年前に





百貨店で手作り作家さんの





作品ばかりを集めた





フェアのようなものがあって





その時に陶器の器と





ティーカップを





ペアで購入したそうなの





その方は独り暮らしで





本来ならば





ひとつずつでよいのだけれど





その時作家さんの





イメージがあって





その器とティーカップは





あたたかな





人間関係のそばに





いつも寄り添う





イメージだという事もあって





単品ではお譲りできないと





説明され





購入したその日から





不思議と今まで





人など





訪ねていた事がなかった





マンションに





何かと人を招き入れる





機会が増え





そのたびに





その器とティーカップが





活躍していて





ふっと気がつけば





ずっといなかった恋人もでき





自然な流れで





家族ができていたそうなの





その知り合いは





あまり神秘的な事には





興味や知ッのない方





なのだけれど





あまりに不思議な





出来事に出会い





今では選び取るものには





心注ぎ手にしているそうなの











私は学生時代から





大好きな石と





ふれあって




いたかったのだけれど





今のように





パワーストーンで作られた





アクセサリーは





あまりなかったので





見よう見まねで





念珠ような





ブレスレットを作り





楽しんでいたのだけれど





それを見た





友人からも頼まれて





よくアクセサリーを





作ったりしていたのだけれど





その中には





その方が持つと





天然石が割れたり





何度も磨いても





曇リが消えずにいたのに





人にプレゼントしたら





こんなにきれいだった?って





思うくらい





きれいになったりそれは





人間と同じように





波動の現れだと思うの





物にはよく





魂が宿ると





伝えられているから





もしも自分が持つもので





気持ちが注げていないものや





あまりよい状態では





ないなって





感じる物があるならば





そのものは





他の場所に行きたい場合も





あるんじゃないかなって





感じているの






風水が





マイブームになっていた頃





その事を知った友人が





龍の置物を





プレゼントしてくれたのだけれど





なんとなく私のおうちの





インテリアの中で





フィットせずに





居心地がよくない





感じだったのだけれど





だからといって





くれた友人の思いを思うと





捨てるにも





捨てられないし





困っていたところ





とても気に入り





欲しいう方が現れて





すぐに喜んで





贈らせていただいたの





人から頂いたものを





また人に手渡す事に





罪悪感が





広がらなくも





なかったのだけれど





ある本を読んだ時に





贈り物は





贈る人の気持ちを





現したものであって



それを受け取った方が





喜んで気持ちを





受け取った時点で





物のお役目は





果たされているのだから





その後は





物へ必要以上の執着は




しなくてもよいような事が





書かれていて






それ以来




今の自分には



フィットしないと





感じながらも





手放せずにいたものを





ひとつずつ





手放していったの





その龍の置き物を





手渡した友人は





それ以来





運がとてもよくなったと





喜び今も





大切にしているの





私はなんとなく





気になるものがなくなって





気持ちも軽く





体調もよくなって





お互いにとって





よかったなって





感じているの





もしお部屋で





ほこりをかぶってしまって





愛情を与えられないものが





あったならば





旅に出すのもいいと






思うの





そしてできたスペースにまた





新しい何かがやってくると





思うの





知らず知らずに





進化し成長している





今の自分にフィットした物を





自分に選び贈ってあげると





また新たな扉が





開かれてゆくんじゃ





ないかなって





感じているの












地球はまわっている!





これが





私のすべての考え方なの





物も、お金も・愛も・





すべて





循環させまわさないと





いけないと思っているの





なんとなくもったいない





思いから





いくつものものを





しまって置いたりし





その事でだんだんと





スペースがなくなり





もっと広いところに住まいを





探さなければとか・・・





でもそうなると





家賃が今よりも





多くの場合





高くなってしまい





自分自身より物のために





自分が住みたいところに





住めなかったりそのような





塊ができてしまうと思うの





お金もそうで





出すことができる場面では





惜しまずまわす方が





またそのスペースに





お金も戻ってくると





思うの





愛も照れずに





湧きあがってきたならば





言葉として手渡したり





行動として





表現してまわしたりすると





その愛をもらった人たちが





もっと大きな愛を





与えてくれると思うの





よく日本人は





何かしてもらったときなどに





「すみません」と無意識に





表現する事があるけれど





これを意識して





「ありがとう」に変えるだけで





何か大きく





変化してゆくように





思うの





なれないと





言葉にする事が





恥ずかしく





感じたりするけれど





言葉には力が





あると思うから





感謝は感謝の言葉が





心地いいとも思うの











私は十代のころ





今思えば毎日のように





不思議な体験を





していたの





実家に暮らしていた頃は



私の部屋に





現実には





存在しないはずの





訪問者がきたり・・・





今になって思えば





とても





おろかな事だったのかも





しれないかも





しれないのだけれど





深く傷ついた出来事もあり





何日も悩んだ末に





この人生に





ピリオドを打とうと





考えた事があって





後は実行するだけと





言う所まで





心決めていたある時





昼間ウトウトしながら





ベッドに横になっていると





年を重ねた





老人の男女2人と





若い女の子と男の子が





私の目の前に現れたの





夏だったせいか





藍色と白のシンプルな





浴衣を着ていて





柄まではっきりと





覚えているの





そして今思ってもとても





不思議なのだけれど





お互い口を動かし





声を出さなくても





話ができていたの





私の心で思う事が





まるで声のように





自分の耳にも





聞こえていたの





その人たちは私に





「そんなに辛いなら





連れてってやる!」って





言ったの





それがどういう意味か





なんとなく理解できた私は





今までこの世に





別れを告げようと





思っていたにもかかわらず





「もう少しがんばってみる!





もし今度辛い時には





また迎えに来て」って





伝えたの





そうしたら窓の正面にある





押入れの中に流れるように





みんな入っていったの





漠然とても





私と近い関係に感じて





背格好など母に話したら





アルバムを持ってきてくれて





「この人じゃない?」って





見せてくれたの





見たら本当に





その人たちだったの





私のおじいちゃんと





おばーちゃんと





母のいとこたちだったの





私が生まれる前に





天国へと




旅立っていたので





会ったことが




なかったのだけれど





この機会に会う事ができて





とても嬉しかったの





今でも何かあるたびに





あの時の事を思い出すの





今でも現実的な





経験として残っていて





次元の違う





世界に住む人間は





心を偽ったりできたりするけれど





あの世界では心に思う事が





みんなに聞こえてしまうから





形よりも心の中で





どう思っているかが





大切なんだって今も





現実の世界でも





そう思って生きているの





ただそのために





誤解を受けちゃう事も





多いけど





自分が自分を





大好きでいたいから





ちょっぴり人には





伝わりにくい形であっても





愛を持って関わりあって





行きたいなって





思っているの












ありのままの美しさに





最近気づいたの





赤ちゃんや子供のような





ありのままでいる姿





つい人を





傷つけて





しまわないようにとか





好感をもたれようと





無意識に





そこにエネルギーを





使い果たしてしまい





相手の態度に





敏感に反応し





そのあと家で





そんな自分をいやだと





思ったり





人にいやみを言った後





人の悪口を言った後





後味が悪いことに





気づけた事





そのことが大切だと





思うの





間違いが悪いのではなく





気づかないことが





問題のように思うの





気づいたってことは





その行為に価値が





生まれると思うの





難しいことは





ぜんぜんわからないけど





私はそう思うの





だから





人がほめてくれなくても





自分自身で気づいたことを





ほめてあげてほしいの





私は眠る前に毎日





感謝できることを





20個くらい





無理やり探して





表現したりしているの





たとえば





重いものを持った手に





「えらかったね」とか





自分の体にも





ささやきかけるの





するとその部分が





「ピクッ」っと反応するの





細胞が聞いて





喜んでいるのかも





しれないって





思うの





このような日課を





友達に伝えたら





友達も反応するって





言っていたから





とても効果があるみたい













様々な事を喜んで





行っているからなのか





どうかは




わからないのだけれど





子宮腺筋症も





普通なら半年薬を使用して





小さくして半年休んで





また半年薬を使わなければ





ゆっくりと





また大きくなって





痛みが増してくるのだけれど



ありがたい事に





もう1年以上大丈夫だなの





すべてに感謝してゆくと





うその様に





細胞まで変わるように





感じているの





その薬を半年間使って





生理を止めて生理痛がない分





らくなのだけれど





その後の副作用が





それがとても辛かったの





人間は元々自然に





自分を癒す力が





備わっているから





大丈夫って思い直して





初めは薬を使用するのも





薬をやめるのも





怖かったのだけれど





自分を信じて自分の感じる





よいと思う事にしたの





自分を喜ばす事に





時間を注いだり





たとえ興味はないけれど





初めて経験する事は





心身共に





何かよいエネルギーが





広がる気がしているので





そういう体験を探して





体験してみたり・・・




大人になるにつれて





子供のころのように





毎日はじめての事で





わくわくする事がなくなって





後先が





読めてしまう事もあるとは





思うのだけれど





頭で処理してしまうから





何かを行う前から





疲れちゃったりして





その部分を





ちょっと変えてみたりしたの





そしたら初めは





興味がないことでも





初めての経験特有の





良い意味での





緊張感や





感動があったりして



頭で考えるような





予想以上の事に出会えたり





本当に





ちょっとしたことなのだけれど





例えばケーキを





買うならここのお店





本を買うなら





ここのお店って





何気なくいつもルートが



決まっちゃっていた部分を





少し冒険して意識して





初めてのところに





足を運ぶという





そんなことでも私たちの





無意識部分で





私たちの心身に





エネルギーが





チャージされてゆくと思うの