南美唄商店街

 鉱員社宅と職員社宅を分けるように流れる一の沢川沿いに南美唄商店街がありました。
我路の商店街には及びませんが、最盛期には150店舗以上を数え、炭鉱商店街としては大規模なものでした。
しかし炭鉱直営の配給所の規模が大きかったために、営業的には全盛期でも大苦戦。常に配給所との戦いでした。

炭鉱閉山後は急速にさびれました。
しかし他の炭鉱の商店街がほとんど跡形もなく消えるケースが多い中で、南美唄商店街は現在も商店街としてのまとまりをもち、炭鉱時代の街並みを見ることが出来ます。
平成13年の南美唄商店街。閉山後40年たちましたが、まだいくつかの店舗が頑張っています。

炭鉱時代の商店街

昭和15年頃の写真。
この時代は筆者は生まれてないので詳細不明だが、下の方から郵便局のある中心部に向かって写したものらしい。

三井美唄商店は閉山直後で全部で130店あったということです。

  当時の 主な商店です。
これは昭和30年頃の全盛期の商店街。
「しづ」?という看板が見えますがスナックか?
こんな店あったかな。
「カネボウ化粧品」の看板の店舗は後に焼失してしまいます。
山口時計店などが見えます。
今井商店(洋服、洋品)
桑島商店(洋服、洋品)
小林商事(洋服、洋品)
つぼや衣料店
道山呉服店
すみれ洋装店
西村靴店
平野履物店
クロカワ時計カメラ
林商店(米穀)
高原商店(酒たばこ)
滝川百貨店(食品雑貨)
中沢商店(たばこ食料品)
藤野商店(酒食料品)
宇川商店(食料品雑貨)

岡商店(食料品)
これも昭和30年頃です。
商店街の中心部。
滝川商店です。
後藤商店(鮮魚、食料品)
下出商店(菓子食料品)
東屋そば店(食堂)
かさい食堂(食堂)
西沢食堂(食堂)
新富寿司(寿司)
福寿司(寿司)
小ざくら(飲食)
白鳥(飲食)
ぬっぱ(バー)  

住商店(菓子食料品)
これも昭和30年頃ですが、上の写真よりも少し前です。
昼下がりで人通りもにぎやかです。
こちらに拡大写真があります。
東谷食料品店(魚食料品)
萩生田商店(食料品)
三浦食料品店(食料品)
えびすや(菓子)
小野寺商店(駄菓子)
岸商店(菓子)
後藤商店(菓子雑貨)
山上菓子店(生菓子)
和田豆腐店(豆腐)
大川商店(肉食料品)
水戸精肉店(肉) 
これは昭和40年頃です。
閉山直後の様子
道路が舗装されています。
 
  上田仏具店(仏具)
加藤商店(陶器、金物)
益井商店(化粧品小物)
ヤマヤカネタ(医薬品)
小林電気店(電気器具)
寺山自転車商会
三浦自転車店
市川文具店(文具、化粧品)
上田書店(貸本屋)
三光堂(文具、雑誌)
 閉山と三井美唄商店街
  昭和38年7月の閉山とともに、多くの炭鉱従業員と其の家族が美唄を離れていきました。そのためこれらの人々に直接営業を支えられてきた商店街が、いちばん大きな痛手を受けることになったのです。
 閉山後は売上が減少したり、掛売りによる未収金があったりして営業自体が成立せず、美唄本町や他市町への移転する業者が増えました。
 しかし転出したくても営業のメドが立たず、廃業を余儀なくされる業者多数出ています。
 売掛金の総額は閉山時で1億8000万円にも達し、三井美唄鉱の閉山で回収不能になった分も多く、商店街経済を圧迫しました。 閉山前からヤマの命運を察知した業者のなかには、早々と転出する者が多く、閉山前には20数店が移転していました。
 しかしこのように炭鉱に見切りをつけ、事前に移転することが、出来たのは、資金を有する業者で、残りの大半は移転したくても資金がなく、店舗を売りに出しても買い手がつかず、全く動きがとれない状態におかれたのです。
 閉山5ケ月後の昭和38年12月には、転出、廃業した業者は30店になり、閉山前には130店余あった業者がこの時点で4分の1も姿を消してしまったのです。