炭住の生活

石炭ストーブの
ある生活
 
 


石炭の配給   これが石炭箱
各戸に備えられていた。
社宅には全戸に大きな石炭箱が設置され、そこには1カ
月分以上の石炭を貯蔵することができた。石炭は会社から
無料で配給され、約1カ月に一度馬車で運ばれてくる。
そして石炭箱の前に、今でいう1トントラック一台分くらい
の大量の石炭が荷台からおろされ(落とされて)ドカンと積
み上げられる。
この玄関の前に山と積まれた石炭をスコップで石炭箱の
中に入れなくてはいけないのだ。
これは大変な作業だった。
 
 

   台所の真中には必ず石炭ストーブがあった。
長く厳しい冬には欠かせない炭住の守り神である。
取り扱いは恐ろしく面倒なものであった。しかし石炭を一杯に
してがんがん燃やすと石油ストーブなど裸足で逃げ出す暖か
さであった。
 調子にのってうっかり空気穴(前面にあいている)を全開にし
たままに燃やし続けると、ゴーと轟音をたてはじめ、湯は沸騰し
上蓋がカタカタ鳴って、ストーブ本体から煙突にいたるまで真っ
赤になるのである。これは凄かったな。
ストーブの横にあるのは石炭箱。屋外の石炭箱から毎日石炭
を運んでここに入れる。ここから十能(じゅうのう)と呼ばれるス
コップを小さくしたようなもので約30分毎にストーブに石炭をくべ
るのだ。
 ストーブの下にある引出しは、あく(石炭の燃えカス)受け。ストーブの横においてあるデレキ(火かき棒)で燃焼済みの石炭を時々ひっかいて下に落としてやる。これをしないと火は消えてしまう。そして燃えカスがいっぱいになったらゴミ捨て場に捨てにいくのである。
 煙突はすすが詰まってくるので1カ月に1回取り外して掃除を
しなくてはならなかった。
 いやはや実に面倒くさかったな。
今はリモコンのボタンひとつで冷暖房だ。全く夢のようですな。
この他にルンペンストーブというものがあった。下を見てほしい。
迫力の石炭ストーブ

残念ながら写真がなく、これは筆者がいい加減に
描いたもの。絵が下手で迫力がないが実物は重量
感たっぷりでいかにも存在感があった。
ストーブの後ろには湯沸しがあり、常に大量の湯が
沸いていた。これはなかなかいいものであった。

 そしてこれが恐怖の
ルンペンストーブ
何故ルンペンストーブというのか、不明である。
これは石炭ストーブと共に、当時の暖房の主力であった。
このストーブの特徴は一度火を入れると、約12時間、暖房が持続すること。火力は上下の空気穴の開閉で調節する。
火が落ちたら、ストーブごと煙突からはずして、えいや!と持ち上げてゴミ捨て場まで運んで石炭カスを捨てる。
そして新しい石炭を上までいっぱいに詰めて、部屋まで運び込んで煙突につなげるのである。
火をいれるのは、上ふたをあけて薪を石炭の上に置き、さらに新聞紙をまるめて火をつける。石炭に火が入った

ら上ふたを閉め、あとは上下の空気窓で調節するのである。


右側がルンペンストーブ
左はたぶん薪ストーブだ。
る。石油ストーブが普及するまで暖房の主役であった。 
 
上下に空気穴がある。これを開けると酸素が供給されて、次第に温度が高くなる。
 絶対に、この空気穴を開けたまま、部屋を離れていけない。そのまま放置すると、どこまでも火力が高まり、ストーブはもとより煙突が天井まで真っ赤になり最後は部屋が燃え始める。
当時火災の原因の王者は、このルンペンストーブであった。
しかもルンペンストーブが原因の火災はボヤで終わることはなく、必ず大火災になったものである。 
 
ルンペンストーブ 取り扱いを誤るとこの通り
昭和38年10月8日
閉山直後の三井美唄青雲寮から出火。
原因はルンペンストーブの過熱で床から引火。
独身寮の他、隣接の社宅4棟を巻き込む大火災となる。
33人が焼け出される。