炭住の生活-配給所


炭住の消費生活を支えていたのが三井鉱山直轄の配給所と南美唄商店街。
また大通り3丁目には生協があった。
三井美唄の配給所の規模は大きく、大通り2丁目にいわゆる本店があり、
支店が鉱員社宅と職員社宅に数カ所点在していた。

配給所の他、大通り3丁目には生協がありました。

全盛期の配給所の写真はなかなかありません。
これは昭和30年頃。
大通りの配給所の付近です。
多分消防署から撮影したものと思われます。

右手前の建物は、まだ現存しているかもしれません。

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配給所正面。大通り2丁目
すでに三井鉱山から分離して三美商事という別会社になっています。多分閉山直前の写真と思われます。

配給所

配給所の内部の様子。
昭和16年頃

下の3枚は昭和59年頃に撮影したものです。正月だったので営業していません。閉山後20年を経て名前も三北商事となっています。
最近まで頑張って営業していましたが、現在は全て閉店してこの2丁目の建物は全て解体されています。

一番上の写真とほぼ同じですが、名前が三美商事から三北商事に変わっています。建物も大分くたびれています。 反対側から撮ったものですが、こちらは小物家具などを販売していた木造2階建てです。3丁目側には魚、肉を販売していた店舗が別にありました。 これは配給所の倉庫。このような巨大な木造建物がいたるところに建てられていた。3つ並んでいたが、撮影時は真ん中の倉庫はは解体済。
撮影直後に残りの2つも解体されたようである。