Kyasuiってどんな人?

本サイトの管理人であるKyasuiってどんなヒトなのか?
結論から言ってしまえば、とことんのめり込み、疑問は絶対解消させたいタイプみたいです。

●初めての乗り物:自転車
幼稚園に上がる前から、自転車を乗り回し、全開で走ってリアブレーキだけキュッとかけて滑らせるヤツをやり、よくタイヤをパンク させていました。
ある日、サイクリングで日本中を周っているお兄さんと知り合いになりました。
私の行動を見て、「せっかく一生懸命回したのに、ブレーキをかけるのはもったいないよ!」と言われたので、「ブレーキ は止まるためにかけるんでしょ?」と聞き返しました。
お兄さんは言いました。「違うよ、ブレーキはぶつからないために使うんだよ!」
「ガガーン」それを聞いて体中に衝撃が走りました。
この「言葉」は、現在でも忠実に守っています。これはドライブテクニックの「奥義」に違い ありません。絶対に!!
小学生の頃には、仲間と井の○公園にジャンプ台を作り、丘の上からダッシュして飛距離を競ってました。
最後はバランス崩して、そのまま近くの木に激突、宙を飛んだ記憶があります。
いま思えば、なぜ立木の横なんかにジャンプ台を作ったのか?おろかすぎです。
サイクリング車を買えば、スプロケットギヤを交換して、体力の限界を試し、どこまで出せるか最高速を楽しんでいました。
その当時の、回しきれそうで、回せない歯がゆい気持ちが、現在ではゆっくりトップエンドに向かって回るタコメーターを見ていると、 このエンジンは、本当は「カーーン」といっきに回りたいのに、歯がゆい気持ちになりながら、一生懸命回ろうとしているだろうなぁ! とエンジンの気持ちが判るようになりました。(少し判りにくいですか?)
このころから、「スピード」に魅かれていったのかもしれません。

●ラジコン
当時発売された、あのタミ○の「ブラック・ポルシェ」を西園で走らせて、ラジコンブームの発祥の地となりました。
買って1週間もするとノーマルのスピードに飽きてしまい、次第にモーターやバッテリー、シャーシーを強化、ピニオンギア等を替えて いき最高速を延ばしていきました。
最後には、1/12電動カーとしては未踏の50Km/h位出せるようになりました。
ボディもロータス・ヨーロッパ、BMW320iターボ、ランティア・ストラトス、(まあ、いわゆるサー○ットの狼ネ!)に 載せ替え、さらに加工してオーバーフェンダーをくっつけて楽しんだりしてました。
しかし最高速との引き換えに、電動はすぐ充電切れを起こすので、燃料さえ入れれば走り続ける、1/12のエンジンカー(京商の ファントム10)へと移っていきました。
そのうちに仲間が集まり、チームを作って練習するようになりました。
走らせるためなら、「30M道路」や「府中競○場」の駐車場まで自転車を漕いで行ったが、今なら絶対行かないと思う距離でした。
当時はフジの09(ゼロキューと読む)が主流だったけど、自分はOSの10(イチマルと読む)を使い続けて熟成させていきました。
まあ、いわゆるこだわりと「オーエス」という響きが好きだったからです。
試行錯誤しながら、ヘッドの面研、ピストンの研磨、コンロッドの軽量化やオイル穴を空けたり、シリンダーのポート拡大したりして、 とどめは1/8エンジンカー用の21(ニーイチと読む)のペリーのキャブをエポキシで付けたりしました。
この頃は、ヤスリでゴリゴリ削るのが、なぜか快感でした。(笑)
この程度は誰でもやっていたので、差がつかないと思い、当時は誰も思いつかなかった飛行機の「チューンドサイレンサー」を削って 付けたりしました。
これはセッティングが難しく、案の定下はスカスカで、いわゆるドッカンターボみたいな味付けになりましたが、回転を落とさなければ、 とても1/12とは思えないスピードが出ました。
燃料にもこだわりました。
最後は市販品では満足できず、ひまし油とニトロメタンを混ぜて、エンジンが焼きつかないギリギリの、究極の燃料を追求しました。
それらの積み重ねのおかげで、相○湖ピク○ックランドで行われた「全日本」に出場したときは、「直進」は日本一速く走れました。
メーカーのひとが見に来てくれるくらいスピードが出ました。(当時の「全日本」はメーカーの宣伝の場だったようで、かなり ・  ・ ・ だったようです)
しかし、曲がらない(曲がれない?)、止まらないで、自爆も日本一になってしまい、いろんな意味で助かりました。
結果はボロボロでしたが、それでも満足でした。
このころ、行きつけの模型屋に「ロータリーエンジン」があったのを覚えています。
当時は「円筒形のエンジンを見て、なんて変な形なんだろう!」という記憶が蘇ります。
これが、初めて実物の「ロータリー・エンジン」を見た瞬間でした。
実は、家のクルマがロータリーだと知ったのは何年も後でした。

●ドライブ
免許を取ってクルマが運転出来るようになると、金曜の夜になると友人宅に行き、「ちょっとドライブにでも行こう!」と誘い出し、 翌日の昼食を瀬戸大橋のパーキングでとっていたりしました。
時には、長崎でちゃんぽんだったり、金沢で加賀料理を食べたり、香川で釜揚げを食べたり、能登半島で泳いだり、十和田湖で銅像と 記念写真撮ったり、クッキーを買うために鈴鹿サーキットまで行ったり、青森の「ねぶた」で飛び跳ねたりしていました。
ほとんど、気まぐれ「イッタラー」の、行きあたり「バッタラー」でハチャメチャでした。
とにかくクルマを運転する(アクセルを踏んでいる?)のが好きで、いくら走っても飽きることがありません。止まっているのは、ガス 給油のときくらいでした。
ある日、友人のCR−Xで「鳴門大橋?」を往復した時など、抜かれたクルマは、パ○カーとベンツ2台くらいでした。
よく免許が汚れなかったものです。
さすがにこの時は、CR−Xには厳しかったらしく、帰ってからオイルを見たら、空っぽになっていて、もう少しでエンジンブロー でした。
ちょっと酷使しすぎたのかもしれませんが、ホンダエンジンは頑丈です。
ピリピリするようなスピードを出すのも好きですが、それの2割減で長距離をガス欠になるまで淡々と走るのも好きです。
そのため、いつも出かける時は、燃費のいい友人のクルマで行きました。
でもあるとき、九州からの帰りに渋滞にはまり、歩くような速度で走っていたとき、東京までの渋滞を合計してみたら、 350キロになったときにはさすがにめげました。
やっぱり、ゴールデンウイークは避けるべきでした。
以上ですが、Kyasuiとはこんな感じです!

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