〜Daily close space〜
〜日常的、非日常の時間〜
表向きは、2月の風物詩であるバレンタインデーを発端にしたハルヒの悪巧み――――実はその裏で、なんやかんやの大騒ぎがあったのだが。
兎も角、そんな一騒動から数日が経過して、バレンタインデーに浮かれていた雰囲気の校内からは、それなりに熱も引き、いつもの日常に戻っていた。
とはいえ、日常に戻っていたのは周囲の状況だけであり、もともと非日常的雰囲気を是とするハルヒは、相も変わらず嬉々として悪巧みなんぞを考えていたのだが。
「ねぇ、キョン。ひな祭りの企画について、何か良いアイディア無いのっ?」
「何だ、唐突に。というか、昼休みくらいのんびりさせろ」
授業も終わった息抜きの時間、椅子に座って脱力をする俺の背中を、手のひらでパシパシと叩きつつ、ハルヒは無駄に元気溌剌に振舞っている。
まあ、実際のところ、もてあました元気を欝屈と内に溜め込まれると、それはそれで困りものなのだが。
さて、俺の物言いがお気に召さなかったのか、ハルヒは端正な眉をきりりと吊り上げて怒ったようにまくし立ててきた。
「なに言ってんのよ、時間は有限なのよ? 企画を立案するだけしといて、締め切り間際に慌てるなんてみっともないまね、私が認めると思ってるの?」
「………分かった、分かった。で、なんだって?」
いいかげん、こういう状況でゴネると、ハルヒがますます絡んでくるのは分かりきっていたので、俺は仕方なしに先を促すことにした。
本来なら、俺が巻き込まれないのが理想なんだが――――あいにく、運命だか未来だかは、それを許してくれそうに無かったようだ。
「だから、来月のひなまつりの企画よ! バレンタインデーの時は、うまく盛り上がったし、あれを参考にして、イベントを企画するのよ」
「そういえば、そんな事を言ってたな。で、お前さんはどんなアイディアとやらを考えたんだ?」
基本的に、俺自身がアイディアを出すということは、ほとんど無い。そもそも、ハルヒに意見が取り上げられるとは、到底思えないのだ。
まぁ、俺の役割は、ハルヒの思いつきとやらを聞いて、周囲に被害が拡大しないように忠告………軌道修正することだろう。
「そうね………雛あられを屋上から撒くのは決定済みとして、みくるちゃんの新コスチュームを考えないとね。ひな祭りにちなんで、十二単とか」
「十二単は、さすがに無理なんじゃないか? いくらなんでも、バニーガールみたいには、手に入らないだろ?」
朝比奈さんの十二単姿を想像してみる。もともと、ほんわかした雰囲気もある分、平安時代のお姫様といわれても通用しそうだ。
しかし、考えてみればマニアックな衣装ばかり集まったものだ。バニーガールしかり、ナースにメイド、etcetc………。
「それに、よしんば手に入ったとしても、管理が大変だろ。この前の巫女さんでいいじゃないか」
「――――なに? あんたってひょっとして巫女さん萌えだったの?」
失礼なことを言う。折衷案を持ち出したことに対し、無用の疑いは勘弁して欲しいものだ。もっとも、朝比奈さんの巫女衣装姿は、そりゃあ確かに萌えるわけなんだが。
そんな俺の心理が顔に出てたのか、ハルヒは急に不機嫌そうな顔になった。むっつりと顔をしかめ、アヒル口をしながら俺を睨んでいる。
「まぁいいわ。ひな祭りは前哨戦なんだから。3月のメインイベントは、もちろん分かってるわよね、キョン」
「ああ、毎日聞かされりゃ分かるって。ホワイトデーだろ?」
結局のところは、それが言いたかったらしい。ここ数日、ことあるごとにハルヒはホワイトデーのことを話題に出してくる。
毎度毎度、急っついてくるのは、俺に任せておいたらハルヒ的につまらない事になりそうだと危惧しているからだろうか?
しかしな、ホワイトデーのお返しなんて、ありふれたものが普通なんだよ。そもそも、一介の高校生にそこまでの甲斐性を求めること自体、間違っているだろう。
「いい? ちゃんと考えなさいよね! 適当なプレゼントなんて、受け取ってやらないんだから」
「ああ、出来るだけ期待に添えるようにする、それでいいだろ?」
「分かればいいのよ。ま、無茶なことをしろって言ってるわけじゃないんだから、勘違いしないでよね」
俺の返答に満足したのか、ハルヒは話を切り上げるとそっぽを向いてしまった。
それにしても、こうも毎日、ホワイトデーのことで催促してくる光景は、普通なら舞い上がっていると取っても支障は無いだろう。
さらに思考が飛躍すると、こいつめ俺にほれてるな――――などと妄想めいた結論に行き当たりかねず、谷口あたりなら、間違いなくそうなっているだろう。
だが、幸いというか残念というべきか、ハルヒはこれで普通に振舞っているのだから始末に終えない。
ほんとにな、いいかげん忠告する気も失せたがハルヒよ………お前さんはもう少し、周囲を気にした振る舞いを心がけて欲しいものだ。
授業が終わり、放課後――――ハルヒとは別々に教室を出た俺は、一足先に文芸部の部室に向かう事にした。
年末の一件で、SOS団の根城として公認されてしまった文芸部室には、いつも通りの先客が存在した。
「よう、長門」
「………」
俺の言葉に顔を上げたのは、色素の薄い髪、どことなく人形めいた整った顔立ちの少女、長門有希である。
長門は俺のかけた言葉に、顔をあげ………半秒の硬直のあと、僅かに顎を引いた。どうやら挨拶のつもりのようだ。
基本的に、いつものことなので俺は気にせず、長門の対面の席に座る。基本的に愛想が少ない長門だが、それが意識してのことでないのは、長い付き合いで分かっている。
『やぁ、キョン君おはよう〜 にゃはははは〜!』
とか、鶴屋さんみたいにフレンドリーに応対されたら、リアクションに困るし、色々怖いだろう。
『おはようございます。どうでしたか、今日の授業は?』
と、古泉の口調を真似ても――――まぁ、悪くは無いかもしれないが、違和感が残る。丁寧語は古泉らしいだろうし、長門は無口の方がらしい気もする。
そんな俺の内心は露知らず、長門はいつも通り、少々うつむき加減で読書を続けていた。
日常的に、長門からコミュニケーションを取ってくることは、皆無である。そんなわけで、普段は俺から長門に話題を振ることが常だった。
まぁ、別に無理に話を振る必要は無い。誰かが部室に来るまで、お互い黙ってそこに居るのもいいし、時折そんな場面もある。
黙って本を読みふける長門は、見た目の通りの美少女であり、また見飽きることも無かった。そういうわけで話題の無い日は、俺は長門を眺めて時間を潰すこともある。
さて、今日はというと、話題がないこともなかった。専ら、ここ最近に頭を悩ませている問題であり、長門なら良い相談相手になってくれると思うのだが、果たしてどうか――――、
「長門、ちょっと相談があるんだが」
「…………なに?」
声を掛けると、長門は読書の手を止め、俺の方に顔を向けてくる。読書の邪魔をしてしまったように見えるが、長門のことだから、どこまで読んだかを忘れることなんてないだろう。
静かな、深い光彩を湛えた瞳に見つめられながら、俺は今日も昼休みに出た話題について、相談する事にした。
「今日、ハルヒにホワイトデーのことで、色々言われてな――――って、ホワイトデーの意味は、分かるか?」
「文化、風習については理解している。ただ、それにどういう結果が伴うかは不明」
「………まぁ、分かってるんならいい。つまり、ホワイトデーにプレゼントが欲しいってハルヒは言ってるみたいなんだが、どういう物を送りゃいいか、何かアドバイスは無いか?」
俺の言葉に、長門は表情を変えることなく小首を傾げる。どうやら、俺の質問の明確な答えが無いようだった。
「長門なら、ハルヒの好みとかも把握してるだろ? なにを送ればあいつが喜ぶか、知ってると思ってな」
「私の調査は鈴宮ハルヒの存在に対して。そこに、嗜好や感情を挟むと、情報の伝達に齟齬が生じる。現状、私のアドバイスではあてにならないと判断できる」
重ねて聞く俺に、返ってきたのは、そんな素っ気無い回答。ま、そう簡単に行くわけも無いか。
どのみち、あいつの事を理解しようってのは無謀にもほどがあるだろう。そんな器のやつじゃないしな。
「そうか。ま、仕方ないな――――まだ時間があるし、色々考える事にするさ」
「…そ」
俺の言葉に、話は終わりとばかり、手元に視線を落とそうとする長門。ふと、思い出したことがあった。
よくよく考えたら、長門もチョコをくれたんだったよな。朝比奈さんには、当然お返しするつもりだったし…ハルヒも毎日言ってくるから、こっちもその気になっていたんだが…。
長門に関しては、本人が欲しがる様子も見せないので、ついついスルーしそうになっていた。だが、さすがに一人だけ放ったらかしというのもまずいだろう。
長門にだけプレゼントが無いなんて状況になったら…それはそれで、ハルヒあたりに締められそうな気もするしな。
「ああ、そうだ長門」
「…?」
「いや、長門はどうかなって。せっかくのホワイトデーだし、何か欲しいものでもないのかなって。出来る限りのことならするけど」
俺の言葉に、再び顔を上げた長門は、俺の顔を見ながら、長い長い沈黙――――常に即答する長門にしては、珍しく長い沈黙だ。
なにやら、長門の脳裏で色々と情報伝達が行われているようだ。しかし、いったいなにを考えているんだろうか?
正直、言ってはみたものの、とんでもない事を言われたらどうしようかと、不安になってしまうほど、長門の沈黙は長かった。
たっぷり、一分ほど沈黙を続けたあと、長門は――――、
「ある」
と、短く簡潔に答えた。どうやら、長門の中では答えが出たようだった。あとは、俺の身に危険が及ぶような申し出じゃないことを祈ろう。
長門のことだから、そうそう無茶なことは言わないだろうけど――――浅倉の時にみたいに、命をくれとかは、言わないだろうしな。
「それで、いったいどんなことなんだ?」
「立って」
「?」
長門に促され、俺は言われるままに椅子から腰を上げた。長門は、膝の上に置いてあった本を机の上に置くと、自らも立ち上がった。
何をするのかと思っていると、長門はトテトテと俺の傍に歩み寄ってきた。俺の正面、間近に立つと、今度は――――、
「かがんで」
「え? 何でだよ」
「――――中腰になって」
俺が動かないのが、言い方が悪かったと判断したのか、長門は重ねてそういってきた。しかし、どうしたことだろうか?
立ったと思ったら、今度はかがめって――――肩車でもさせようというんだろうか? ひょっとして、部室の蛍光灯が切れてたのか?
と、そんな事を考えていたのが、まずかったのだろう。不意に、長門の左手が俺の服の襟をつかんだ。
俺を引きずり倒すつもりか!? 一瞬、そんな不安に駆られたが、そうではなかった。長門は腕を引く。が、それは俺を引っ張るのでなく――――、
「な――――」
「動かないで」
その言葉が、まるで魔法のように俺の動きを止めた。俺に掛けた左手を支点に、背伸びをした長門は俺の顔と自らの顔を密着させながら、瞳を閉じたのだった。
突然の出来事に、俺は目を閉じることも忘れ…間近にある瞳を閉じた長門の顔と、唇の感触がひどくアンバランスな出来事のように感じられた。ふと――――、
実際の接触からは二秒と経っていないだろうが、それ以上に長く感じられた時間のあと、長門は背伸びを止め、俺から身を離した。
正直なところ、俺は固まっていた。いきなりキスは無いんじゃないかと。そもそも、長門が俺にキスする理由が皆目見当つかない。
「長門………いったいなんでこんなことをしたんだ?」
「検索した様々な情報を元に、現在調査中の概念に対する明確な状況判断のため――――端的に言うと、興味があったから」
そういうと、長門はいつもの指定席に座り、読書を再開する。その光景を見て、俺は憮然とした表情で天を仰いだ。
要するに、長門の行動は、俺の想像も及びもつかない部分があってのことだろう。情報思念体とやらの命令か、長門自身の判断かも分からない行動。
とりあえず、俺は長門に忠告をしておこうと思った。興味があるからといって、だれかれ構わずキスなんぞしては、大騒ぎになることうけあいだろう。
「あのな、長門………いくら興味があるからって、あまりこういうことはしない方がいいぞ」
「………?」
「だからな、だれかれ構わずキスするってのは、さすがに人としてどうかと思うんだが」
俺の言葉に、長門はしばしの沈黙。そして、俺の方に顔を向けてきて、ぽつりと言った。
「相手を選んでいないわけじゃない。貴方は、特別」
「…は?」
それはどういうことか、と聞こうとしたが、その時、トントンと控えめにドアがノックされた。
そちらに視線を向けると、静かにドアが開かれ、SOS団のマスコットである朝比奈さんが、部屋に顔を覗かせたのだった。
「失礼します。こんにちは、キョン君」
「こんにちは、朝比奈さん」
今日初めて会うため、通り一遍等の挨拶を朝比奈さんと交わしながら、俺は傍の長門をちらりと盗み見る。
長門は、いつも通りのポーカーフェイスでページをめくる様に、これっぽっちも動揺は見られなかった。普通は、誰かとキスしたら多少はリアクションがあると思うんだが。
朝比奈さんが部室に来るたび着替えるので、俺は暗黙の了解で、彼女と入れ違いに部屋を出る事になる。
ともあれ、今はこれ以上、長門に質問することも出来無そうだ。部室にはこれから古泉もハルヒも来るだろうし、いくらなんでもその中で、例の件を暴露する勇気は無い。
とりあえず、帰りに覚えていたら、長門にもう一度聞いてみよう。俺は、部室のドアを閉める寸前、読書を続ける長門をちらりと見る。
長門は変わらず、俺の視線に顔を上げることも無く、静かに本を読み続けていたのだった。