〜史実無根の物語〜 

〜其の二〜



曹操の侵攻を退けてから、一月程の時間が経過した。
大事を取って静養をする事になった雪蓮に代わり、蓮華がしばらくの間、国主代行として政戦両務を取りしきる事となり、多忙な日々を過ごしている。
雪蓮が負傷し、一時的に第一線から退いた事は、揚州内外にも様々な影響を与えていた。

まずは、曹操である。揚州を手に入れようとし、兵を進めた曹操であったが、一部の兵の暴走により、雪蓮の暗殺未遂という事件を起こしてしまう。
彼女自身は、その事が不本意だったのか、雪蓮の完治までは、いたずらに揚州に兵を向けないことを確約。また、暗殺を企てた者達の、扇動者の首を送ってきたのである。
その姿勢は、彼女自身の高潔さから出たものであるが、彼女にしても、北方に袁紹という大敵を抱えている以上、揚州に兵を向ける余裕は無いのかもしれない。
使者を丁重に迎えた蓮華は、一連の騒動については、これ以上の追求をしないことを約し、こうして呉と魏には束の間ながら休戦状態に入る事になった。

さて、次は劉備である。雪蓮の負傷に慰問の使者を送ってきた劉備達は、同盟の継続を求めてきた。雪蓮の容態をみて、ひとまずは呉も安泰だと考えたのだろう。
ただ、同盟が効力を発揮するのは、雪蓮の傷が癒えて復帰をしてからという条件付けを出してきたのであった。
これは、雪蓮と蓮華の今までの実績の差というものであり、蜀としても国主代行の蓮華に、全面的な信頼を向けることが出来なかったのだろう。

正直に言えば、蓮華は良く頑張っていると思う。今までの雪蓮の行ってきた仕事をこなし、更に幾つかの放って置かれていた懸案を解決したりもしていた。
ただ、今まで華々しい戦果を挙げ続けていた雪蓮と比べれば、どうしても地味になりがちであり、それが元で、彼女を軽んじる豪族も現われ始めていたのであった。
雪蓮が居ない今が、独立独歩とばかりに揚州各地で反乱が起こった。しかし、それはあまりに浅はかな蜂起だったといえるだろう。

雪蓮や冥琳が築き上げ、蓮華が背負っている呉国というものは、とてつもなく頑強であり、今や、多少の反乱では、びくともしないものに成長していたのである。
各地の反抗勢力は、瞬く間に鎮圧されていった。ただ、それでもなお反抗の志を持つ者達が、一つの城に集まって徹底抗戦の姿勢を示している。
いま、俺達は軍を率い、その最後の反抗勢力を駆逐するために、彼らの立て篭もる城に向かっていた。これを落せば揚州の治安は回復するだろう。
意気揚々と、敵城に向かう俺達。ただ、そんな中で……蓮華の表情が冴えていない事が、俺には何となく気がかりなのであった。



「権殿、権殿!」
「――――っ、あ、ああ。何か用なのか、祭」
「いえ、用と言うほどのものでもないのですが。いささか緊張しておられるのですかな? そんなに鯱張らずとも、この程度の内乱、片手間で終わると思いますぞ」
「祭殿の言う通りです。既に各所の反乱は鎮圧、後は城に立て篭もる反抗勢力を落せば、それで終わりとなります。そこまで気負う必要は無いと思いますよ」

祭さんと冥琳に言葉を掛けられた蓮華は、重々しく頷くと、兵たちに一時休養を取らせるように、冥琳に命令していた。
二人が離れていっても、彼女の表情に変化は無い。どこか気負った表情で、一人、考えに耽っているようであった。正直なところ、あまり良い傾向とは言えないだろう。
蓮華は生真面目すぎて、肩の力を抜く事を知らないからな……思い詰めて自爆をしなければ良いんだけど。ここは一つ、蓮華の緊張をほぐす事にしようか。

「やあ、蓮華」
「――――…一刀か、どうしたんだ?」
「ん………特に用事はないんだけどな、ただ、蓮華の顔が見たくなってな。少し、話し相手になってくれないか?」
「そうだな…………少しくらいなら構わないぞ。城攻めの前に、しばらくは休憩を取る事になったからな」

そう言って、俺が隣に居る事を許してくれた蓮華。俺は、そんな彼女の隣に立って、彼女をじっと見つめる。
艶やかな長い髪と、気丈な瞳……雪蓮と似通った特徴を持つ蓮華は、俺の視線を受けて、どこか照れた様子で視線を逸らした。

「な、何をじろじろと見ているんだ。私の顔が、そんなに面白いのか?」
「ん――――いや、そんな事は無いけど、相変わらず、可愛いなあって思って」
「か、一刀! これから城攻めだっていうのに、不謹慎だと思わないのか!」

俺の言葉に、怒ったように蓮華は俺を睨んでくる。生真面目な彼女の事だから、俺の言葉がふざけているように聞こえたのかもしれない。

「そうは思わないけどな………だって、これから戦争なんだろ? 何が起こるか分からない、傷つくかもしれないし、最悪は死ぬかもしれない」
「………」
「だから、後悔の無いように、蓮華の姿を心に焼き付けておこうと思ったんだけど……迷惑だったか?」
「いや、そんなことはないが………一刀は、私で良いのか?」

俺の言葉に、蓮華はどこか陰のある表情で、そんな事を聞いてきた。私でいいのか、とは、どういうことだろうか?

「ん? 蓮華で良いかって、どういうことなんだ?」
「だから、心に残す相手なら、一刀には雪蓮姉様がいるでしょう? 何も、私に気づかわなくても良いのに」
「――――はぁ………あのな、蓮華。そんな事を言うと、さすがに怒りたくなるぞ。俺が、雪蓮と蓮華を秤に掛ける様な男に見えるのか?」
「い、いえ、そんな事は無いんだけど………ごめんなさい」

俺の言葉に、しまったという風に謝る蓮華。おそらく、さっきの言葉が蓮華の隠していた本音なんだろう。
今の蓮華は、常に雪蓮と比べられる状態である。あれだけ有能な姉が居るのでは、蓮華がどれだけ頑張っても、その評価が正当なものには成らないだろう。
今回の反乱も、そんな蓮華への過小評価から起きたものである。この状況では、蓮華が雪蓮にコンプレックスを抱くのも、無理からぬ事だった。

「雪蓮の事は、いつも気に掛けているよ。だけど、同じように蓮華のことも気になるんだよ、俺は」
「……それは、雪蓮姉様に頼まれたから?」
「いや、俺自身の意思だよ。雪蓮に頼まれなくても、多分、俺は蓮華の支えになりたいと考えたと思うな。雪蓮の御墨付きがあるから、こうして堂々と話せるんだけどね」

そう、今の蓮華は、おいそれと話しかける事も難しい立場であった。国という巨大なものを背負っているのだし、無理からぬ事だろう。
誰にも気持ちを打ち明ける事のできない、孤独な立場――――おそらく雪蓮は、俺にそんな彼女の支えになる事を見込んで、この抜擢をしたんだと思う。

「思うんだけど……そんな風に深刻に考える必要は無いと思うけどな。例えば、俺は雪蓮も好きだけど、蓮華も好きだ。ほら、何の問題もないだろ?」
「それはそれで、なんとなく腹が立つような気がするけど……」

そう言うと、蓮華は俺をじろりと睨んできた。う………ひょっとして、俺は地雷を踏んでしまったんだろうか?

「あー……いや、俺が言いたかったのは、ようは雪蓮は雪蓮で、蓮華は蓮華だって事で――――」
「くすっ……ええ、分かったわ。冥琳も祭も、こんな私に忠勤してくれているのだし……姉様と自分を比べて、卑屈になる必要は無かったのね」
「うん。そういうことだけど…………やっぱり、少しは卑屈になっていたんだ」
「――――ええ。姉さんだったら、もっと上手に出来たんじゃないかって、いつもそんな事を考えていたわ。でも、そんな事を思う必要は無かったのね」

そう言うと、蓮華は少しだけ、肩の力を抜いた。おそらく……これからも蓮華は、様々なコンプレックスに悩まされ続けるだろう。
雪蓮という英傑を姉に持ち、様々な試練に直面をしている蓮華……そんな彼女の支えに成れたら良いなと、俺は内心で思っていた。

「ありがとう、一刀。おかげで少し、楽になったわ」
「いや、俺は大した事はしていないよ」

笑顔で言われ、俺は照れくさくなって頬をかく。こうして面と向かって、お礼を言われるというのは、何となく気恥ずかしいものがあるなぁ。
とはいえ、良い雰囲気になったのは確かである。せっかくだし、もう少し大胆になってみるかな? そんなことを考えながら、俺は何となく、蓮華の手を取ってみた。
男の俺の手に比べれば、小さく、華奢な手であった。そんな事を考えながら、俺は蓮華の手を握る。蓮華も悪い気はしないのか、手を握り返してきた………と

「あの〜、お楽しみの所で悪いんですけど、少し、よろしいでしょうか〜」
「っ!? の、穏か………どうしたんだ?」

いつの間に近づいていたのか、ニコニコ笑顔の穏に声を掛けられて、蓮華は慌てた様子で俺から手を離してしまった。振りほどかれた俺の手が、妙に寂しい。

「その〜、ここから敵城までの行程と、現状の兵站や兵士達の士気、それと、城攻めを行う際の、幾つかの案を報告しようと思いまして〜」
「そ、そうか…………分かった。報告してもらおうか」

おまけに、口調が堅苦しいものに戻っちゃってるし……とりあえず、これ以上は蓮華と二人きりで話せそうもないし、この辺りが潮時だろう。
仕事の邪魔をしちゃいけないし、今回はこの位で撤収するとしよう。穏にからかわれたりするのを、蓮華も望んでいないだろうしな。

「……それじゃあ、俺も自分の部隊に戻るとするよ。蓮華も穏も、また後でな」
「ああ。出立の前に、一刀も鋭気を養っておくといい」
「え〜、いっちゃうんですか? そんなに長くはならないだろうし、待っていてくれていいと思いますけど〜。蓮華さまと仲良くしている姿は、見ていて面白いですし〜」
「…………穏」

からかい半分の穏の言葉に、蓮華は怒ったような表情を見せる。さすがに、自分が晒し者になるというのは、愉快ではないんだろう。
俺としても、蓮華と仲良くするのは望むところだけど……衆目の前で、バカップルを演じるつもりはさらさなかったので、そそくさと退散する事にした。

「まあ、俺も自分の部隊の様子を見に行かなきゃいけないから、これで退散するよ。けど、もし蓮華が会いたいって思ったんなら、いつでも呼んでくれて構わないからな」
「あ、ああ。わかった」
「それじゃあな、二人とも。穏も、あまり変なことを言って、蓮華を困らせないようにな」

去り際にそんな事を言いながら、俺は二人から離れ……休息をとっている、自分の部隊へと足を向けることにした。
優秀な副官が居るから任せっきりにしてもいいと思うけど、こういう時くらいは顔を出した方がいいだろう。自分に出来る事は、出来る時にすべきだろうしな。

「……よし! 蓮華も頑張っているんだし、俺も頑張らないとな!」

俺は、気合を入れるように声をあげる。蓮華と話をし、彼女の背負っているものを知って……その支えになれる事ならなんだってしようと、あらためて誓ったのであった。



「………まったく。あんなに大きな声で言ったら、周りに丸聞こえだというのが、分かっていないのだろうな」
「そうですね〜……でも、困った顔をして、蓮華様も本当は嬉しいんじゃないですか〜? 何となく、頬が緩んでいるみたいですし〜」
「なっ……そんな事は無いぞ! いったい何を見ているんだ、穏!」
「何って、蓮華様のお顔ですけど〜……蓮華様がそう言うなら、見間違いかもしれませんね〜」
「そうだとも。大体、何で私が嬉しそうな顔をしなければいけないんだ――――…って、そこで悟ったように笑うんじゃない、穏!」



幾度かの休息をとった後、蓮華に率いられた呉軍は、反抗勢力の立て篭もる城の前へと軍を進めていた。
既に、敵の城砦は目と鼻の先に迫っており、城壁の上には様々な種類の軍旗が立ち並んでいるのが見える。
斥候の報告では、各地から集まってきた叛乱兵の数は六万ほど……それが、あの城に立て篭もっているとの事らしい。こちらの軍勢は四万……数としては劣勢であった。

「しかし、大丈夫なのか? 相手の方が数が多いのに、城を攻めるなんて……冥琳達が止めないんだから、勝ち目は有るんだろうけど」

いよいよ城攻め間近となり、その準備に追われている合間………交代で休息を取っている時に、俺は気がかりであった事を、冥琳に聞いてみる事にした。
休憩用の天幕の中には、俺と冥琳の他に穏と亞莎もおり、文官どうしの会合の場のようにも見える。まあ、俺が文官と名乗るには、まだまだ実力が足りないのだけれど。

「勝ち目か……そうだな、幾つかある事はあるが…………」

俺の質問に、冥琳は面白そうに俺の顔を見てから、思案するように視線を巡らす。動く視線は、穏で止まった後、亞莎に向けられた。

「穏――――…いや、亞莎、今回の戦いに際して、我が軍が優位に立っている点を述べてみろ」
「へっ? わ、私ですかっ!?」

まさか亞莎も、自分が指名されるとは思っていなかったんだろう。びっくりした様子で、上ずった声をあげた。そんな亞莎とは対照的に、冥琳は至ってクールである。

「そうだ。お前も我が軍の文官ならば、現状の把握ぐらいは出来ているだろう? お前の見解を述べてみろといっているんだ」
「は、はい……分かりました」
「亞莎ちゃん、がんばってくださいね〜」

のんびりとした穏の声援とは対照的に、ガチガチに緊張した様子の亞莎は、俺の方に向き直って深呼吸を一つする。
自分より目上の相手の前で、俺に説明するんだから緊張するのも無理は無いだろう。特に、冥琳の採点は厳しそうだしな。
そんなことを考えている俺に、亞莎は説明を始める。それは、思いつきで話すような口ぶりではなく、積み木を一つずつ重ねるような、緩やかな口調であった。

「古来より、城を攻めるのは下策と言われています。ですが、今回の攻城戦に限っては、城に立て篭もった敵を攻める方が理に適うと思われます」
「え、でも……相手が城を盾に守りを固めるのは、こっちが不利になるんじゃないか?」
「その点については、確かに若干の不利は否めません。ですが、今回の場合は、こちら以上に、城に篭るのは敵方が理を捨てる事になっているんです」
「――――……?」

亞莎の言葉に、俺は首を傾げる。理を捨てるとは、どういうことだろうか?

「篭城する場合、守る側に必須とされる条件が幾つかありますが、叛乱軍は兵站の備蓄と、援軍のあてが無いままに城に篭りました」
「あ――――つまりは、孤立無援って事か?」
「はい。加えて、あの城で賄える兵站はそれほど多くないはずです。遠からず、食料が尽きて兵が飢える事になるでしょう」

そこまで言って、亞莎は僅かに顔を曇らせる。飢餓に苦しむであろう民や兵の苦悩を察し、心を痛めているようだった。
しかし、だからと言って敵に食料を送るわけにもいかないしな。今回は叛乱した相手を鎮圧するわけだし、情けをかけるわけにもいかないだろう。

「さらに、城塞の上に靡く旗の並びを見る限り、叛乱軍は統制を取る事も無く、各々が個々に動いているようです。烏合の衆では、城を守るのも難しいでしょう」
「つまりは、相手は城に篭る事で逆に不利になっているって事か……」
「はい。打って出てこられて野戦になれば、こちらが負けることもあったかもしれませんが……相手は自ら、勝ちの目を捨てた事になります」

説明が終わったのか、亞莎は冥琳に視線を向ける。採点を求めるの視線に、冥琳は溜め息を一つつくと、肩をすくめる。

「概ねは、そういうことだが……いささか説明が足りなかったな。私は、我が軍に有利な点を述べろといったはずだぞ……穏、補足してやれ」
「は〜い。わたし達は、叛乱を起こした人たちを、とっちめに来ましたよね〜、つまり、相手の人たちもまた、呉の国の人だということです」
「ああ、それは分かるけど」
「つまり、彼らをやっつける場合は、出来るだけ捕虜に出来る戦い方の方が望ましいわけです〜。その点は、野戦よりも攻城戦の方が向いているんですよ〜」

確かに、野戦なら撃破した敵兵力は四散するけど、城に篭っている場合は、逃げ道は無いからな。その分、抵抗が激しくなる事もあるけど。

「それに、攻城戦の場合は、割と簡単に士気をくじく事ができますから〜。同数の敵味方が攻城戦をしているとして、城門が破られた場合の心理はどうなるでしょう〜?」
「……確かに、攻めている方は勝ったと思うし、守っている方は負けたと思うだろうな」
「ええ、同じ数の戦力があるのに、城門一つで戦の流れががらりと変わるんです〜。そういうのって、面白いと思うんですよね〜」

と、そんな風に和気藹々と話している俺と穏だったが、無駄話になりそうな雰囲気を察したのか、冥琳が咳払いを一つする。
思わず黙り込んでしまった俺と穏。それを見て満足そうに頷くと、冥琳は話をまとめるように口を開いたのだった。

「つまりは、そういう事だ。我が軍は叛乱軍の討伐と共に、その兵力を吸収するのが目的になる。わざわざ城に篭った敵を攻めるのも、そういった理由からだ」
「なるほど。よく考えれば策も無く、城攻めをするはずも無いか」
「……実際は、戦が始まれば、大半の策など意味を成さないのだがな。戦場での駆け引きは祭殿達の役目だ。私達のすべき事は、戦の事後処理くらいなものだ」

そういう冥琳の表情は、どことなく誇らしげであり、それは祭さんを始め、武官の皆に全幅の信頼を寄せているからなんだろう。そう指摘したら、否定されそうだけどな。

「何にせよ、戦端が開かれた時は、北郷も私も後方で待機する事になるだろう。勝ち負けを気にしても仕方のないことだ」
「冥琳の言い様だと……まるで、勝つって分かっているみたいだな」
「そうでもない。雪蓮と旗揚げをして以来、勝つと分かった戦など無かったさ。無論、勝つための努力は欠かさなかったが、最終的に勝敗を決めるのは、別のものだった」
「――――別のもの?」
「天運だ。雪蓮にはそれがあったが、果たして蓮華様にそれがあるのかどうか……この戦で分かる事になるだろう」

そんな風に呟いて、瞳を細める冥琳の表情は、ぞっとするほどの冷淡さを秘めていた。
俺と亞莎は、思わず顔を見合わせた。冥琳の物言いは、蓮華を試すかのようであった。もし、蓮華が冥琳の期待に添わない場合、冥琳はどうするのだろう。
胸中に芽生えた僅かな不安――――…言いようの無い気分に沈黙する俺と亞莎の傍ら、穏だけは、のんびりとした表情で笑顔を浮かべていたのであった。



休憩を終えた俺は、気を取り直すように城攻めの準備に奔走する。後詰めである俺たちの役目は、補給路の確保や、物資の調達など、やる事には事欠かない。
奇妙な不安が付きまとっているものの、なすべき事があるため、そのことを気に掛ける暇が無かったのは幸いだった。まずは勝とう……考えるのは、それからだ。




叛乱の終結

〜新たなる覇王〜

自軍兵力 VS 敵軍兵力
40000  VS  60000

敵軍将軍:叛乱兵
敵軍軍師:叛乱兵

:選択可能武将:
孫権(蓮華)・周瑜(冥琳)・黄蓋(祭)・甘寧(思春)
周泰(明命)・呂蒙(亞莎)・陸遜(穏)・孫尚香(小蓮)



「敵城門が開きました! 黄蓋様が率いる部隊が、いち早く城内に突入した模様です」
「……そうか、予想よりも早かったな。これが、今の蓮華様の実力か」

斥候の兵士の報告を聞き、冥琳は満足げに頷く。素人の俺が、戦についてどうこう言えたはずも無かったが、蓮華の指揮は堂々としていたように思える。
矢継ぎ早に命令を下し、敵の防御の薄いところをつく指揮は、見ていて安心できるものであった。指揮官として、充分に仕事をこなしたといえるだろう。

「さて、後は掃討戦になるだろう。投降兵の処遇を、蓮華様と話さねばならんな。私は、蓮華様のもとに行くが……お前はどうするんだ、北郷」
「――――ん、ああ………もちろん行くよ」
「どうした? なにやら私に言いたいことでもあるようだが。先の戦の間も、私の顔を熱心に見つめていたようだしな」
「……気づいていたのか」

からかうような冥琳の口調に、俺は苦笑して頬をかく。まったく……気づいていたのなら、それなりに反応してくれてもいいと思うんだけど。
まるで、覗きをしていたかのような気分で、気まずいのと恥ずかしいのが半々といった所である。とはいえ、せっかく冥琳が話を振ってくれたんだし、いい機会だろう。
俺は咳払いを一つすると、気に掛かっていたことを、冥琳に問いただしてみる事にした。

「冥琳は、蓮華の指揮を見て、どう思ったんだ? 率直な感想を聞かせてくれよ」
「そうだな……まずは及第点といった所だろう。臆することなく戦い、采配も悪くは無い。いずれは雪蓮と肩を並べるかもしれないな。今はまだ、未熟な所もあるが」
「そうか――――冥琳が蓮華を認めてくれたなら、それで良いんだけど。何かさっき、蓮華を試すような事を言っていたからさ……気になって」
「ああ。この戦で、蓮華様の資質を試そうとしたのは事実だ。頼りにならないのなら、小蓮様に代役を頼むなり、何らかの策を講じねばならぬと思っていたしな」

俺の言葉を、平然とした表情で肯定する冥琳。そこには甘さは一切無く、呉の重鎮という立場を背負った者の、確固たる意思が身を包んでいるように見えた。
思わず、気圧されたように一歩下がった俺を見て、冥琳は苦笑する。その顔からは、さっきまでの剣呑さは消えうせていた。

「そんな顔をするな。孫呉という家を背負う事は、常に他者から試されるということだ。蓮華様も、その事は納得している」
「――――…そうだよな。蓮華が頑張っているのに、同情めいた事を言ったら、蓮華が可哀想だよな」
「そういうことだ。蓮華様に慰めや同情などは必要ない。ただ、北郷には、是非ともしてもらいたい事はあるのだがな」
「俺に……してほしい事? いったい何なんだ?」

皆目見当が突かない俺は、首をかしげて冥琳に聞く。俺の問いに、冥琳は静かに微笑むと、ポツリと呟いた。

「蓮華様のことを、信じてやってくれ。残念ながら、私は雪蓮の分で手一杯だからな」
「信じる……?」
「ああ。信頼という言葉通り、信じられ、頼られる存在であってほしい。その為には、相手を信じなくてはならないが……それが、なかなか難しくてな」
「――――そういうものかな? 信じろっていうなら、蓮華はもちろん、冥琳の事だって信じれるけど」

きっと、裏切りや叛乱が日常茶飯事な、この世界では、俺のような考えは稀有なんだろう。仲間ですら、身内ですら、時として疑わなければならない世界。
だけど、俺は、見知らぬ他人は別として、親しい人達のことを疑いたくは無かった。疑うより、信じたい……それで手痛い目にあっても、それは本望だと思う。
そんな俺の考えは、きっと温いものだったんだろう。冥琳は心底呆れた様子で、ほんの僅かだけ頬を緩めながら、ポツリと一言口にしただけであった。

「この、お人好しめ」



呉国内の叛乱を見事に収める事に成功した蓮華。その手腕に、周囲の声望は高まりを見せた。
その後押しを受けて、蓮華は本拠地を建業に移すことを発表する。首都の移転は、以前より決まっていた事でもあり、それほどの反対意見も無く実行に移された。
また、敵兵の毒矢を受けて負傷をし、第一線から退いていた雪蓮の傷も癒えて、国主として復帰する事になったのであった。
こういう場合、代理の国主となっていた蓮華と、雪蓮との間で軋轢が起こりそうなものであったが、幸いにもそういうことにはならなかった。

雪蓮は、政の多くを率先して部下に扱わせる型の君主であり、蓮華も、冥琳や穏のように頼りに出来るようになったと喜んでいたくらいである。
蓮華も、色々と気苦労の多い国主という立場よりは、その補佐役の方が性に合っていたのか、雪蓮の復帰を素直に喜んでいた。
なにより、小蓮も含めて……三人の姉妹は、傍目から見ているよりもずっと仲が良く、権力や地位といったものを巡って争う事も無かったのであった。

そうして、呉の国内は一応の落ち着きを見せた。雪蓮を国主に、蓮華と冥琳がそれを補佐し、部下である穏や思春達がそれを支える。
以前は、雪蓮一人が呉の象徴というべき存在だったが、蓮華も雪蓮に負けず劣らずの成長を見せ、呉国の内面はより一層に補強されたのであった。

さて、国内こそ安定を取り戻したものの、周辺諸国ではその間にも、様々な情勢が変動を見せていたのであった。
北方では、曹操が袁紹を攻め滅ぼしてその兵力を吸収し勢力を急成長させ、隣国では劉備と呂布が、それぞれ兵力を増強させて不穏な動きを見せ始めている。
群雄割拠となっていた各国も、曹操の北方平定を兆しとして、徐々に強国の台頭へと移り変わっていくかのようであった。



「さて、私が休んでいる間に、周りもなんだか騒がしくなってきたけど……これからどうするか、皆の意見を聞かせてくれるかしら?」

とある日の会議の席、皆を集めた雪蓮は、今後の方針を決めるために意見を求める。その質問に、真っ先に答えたのは冥琳であった。

「国内も安定し、軍備も充実を見せている状況であるし、後は打って出て、領土を広げるべきだと思う。問題は、どちらの方面に侵攻をするかということだが……」
「北、西、南、その三方のどちらに攻め入るかという事じゃな」
「北は……さすがに難しいだろ。曹操は戦に勝った勢いがあるし、劉備とは同盟を組んでいるしな」

祭さんの言葉に、俺が応じると、皆も一様に頷きを見せる。

「そうすると〜、西に進んで荊州を落すか、南に進み、南方一帯を制圧するかの、どちらかということになりますね〜」
「西か南か……どちらに進むべきなんでしょうか?」

穏の言葉に、亞莎が悩むように首をかしげる。どちらを攻める方が労少なく、益が多いのか悩んでいるようであった。

「儂は西に進むべきだと思う。いまの儂らならば、劉表軍など物の数でもないじゃろうからの」
「確かに〜、荊州は交易の要所ですし〜、出来れば手に入れたいところなんですけどね〜」
「………何か、気になることでもあるのか、穏?」

祭さんの言葉に、含みのある物言いをする穏に、蓮華が怪訝そうな表情で質問をする。蓮華の問いに、穏は眠そうな表情のまま、ゆるゆると口を開いた。

「劉表さんと劉備さんは、それなりに交流があるようですね〜。荊州に攻め入るとしたら、劉表さんは、劉備さんに援軍を求めるんじゃないでしょうか〜?」
「だが、劉備は私達と同盟を組んでいるが……それを自分から破棄したりするのだろうか?」
「はい〜、その可能性は薄いと思います〜。ですけど、可能性が薄い分、効果は高いと思いますよ〜」
「…………確かに、劉表軍だけなら兎も角、劉備軍も相手にすると考えると、いささか心もとないか。加えて、その状況を見れば、呂布も参戦して来るかもしれないしな」

重々しい口調で蓮華が呟きを漏らす。同盟を組んでいるといっても、それを全面的に信用できないのは、この時代では仕方のないことであった。
自国の立場から見ても、隣接する国が力をつけるのは、警戒すべき事である。周辺諸国にしてみても、呉の侵攻を黙ってみているとは思えなかった。

「そういうわけですし〜、西に進むのは、後にした方が良いと思うんですよね〜。それよりも、これを機に南方一帯を平定するのに尽力すべきだと思うんですよ〜」
「ふぅん、南方一帯をね…………その場合、呉に得られるものは何なのかしら?」
「そうですね〜、南方の穀倉地帯と、海からの交易、それに、西進する時に後背を気にせずになるという点でしょうか〜」

現在、呉は東を海に面しており、そちらからの襲撃を警戒する必要がない。これで南方を制圧すれば、東と南の二方向からの攻撃に怯えずにすむようになる。
そうなれば、南に回すべき戦力を、別の所に割り振れるようになる。南方への進出で得られるものは、西進よりも大きいのかも知れなかった。

「……悪くないわね。その場合も、呂布が何かしら、ちょっかいを掛けて来るかもしれないけど、連携して攻めて来ないのなら何とかなるだろうしね」
「ああ。隣接している勢力のうち、曹操は袁紹との戦後処理が忙しいだろうし、劉備の場合は、こちらを攻める大義名分が無い限りは動こうとはしないだろう」
「劉表のお爺ちゃんもそうだけど、劉性の人間は、どうにも保守的な考えが多いのかしら? おかげで、こちらとしては、やり易い所もあるんだけどね」

冥琳の言葉に、雪蓮は一つ頷くと、居並ぶ皆を見渡す。

「そういうわけだから、西はひとまず放っておいて、今回は南方一帯を平定する事にするわ。冥琳と祭は、出陣の準備をよろしくね。あと、蓮華は今回はお留守番ね」
「え……そんな! 私も、ご一緒させてください、雪蓮姉様!」
「駄目。この前の叛乱討伐で疲れているでしょうし、お城で休んでなさいな。もっとも、呂布の動きに備えてもらう事になるから、完全に休暇とはいかないんだけどね」
「呂布の――――…………分かりました。そういう事でしたら、喜んで残ります」

留守番を命じられ、不満そうな表情を見せた蓮華だったが、雪蓮に諭されて表情を引き締めた。
大切な本拠地を守る事は、敵城を陥落するのと同様に困難な任務である。本拠の守りを任された事を悟って、蓮華は生真面目な表情で、雪蓮を見据えて頷いたのだった。

「居城は私が守りますから、雪蓮姉様は後顧の憂いを考えず、平定に力を注いでください」
「ん。ありがと……頼んだわよ、蓮華。思春と穏は、蓮華の補佐をお願いね」
「……御意。全力を尽くします」
「は〜い、わかりました〜」

蓮華と共に、思春と穏も建業に残り、北と西に対して備えをすることになり――――残りの諸将は南方に出陣し、一帯を平定する事に決定した。
そうして決まった、南方への出陣を間近に控えることとなり、城内は慌しい気配に満ち溢れつつあった――――。



「ええと、冥琳はどこに居るのかな?」

出陣を、数日後に控えたある日、俺は冥琳の姿を探して城内をうろついていた。
兵站や武具、それに兵士達の編成などの様々な準備は、ほぼ終わっており、あとは出立を待つばかりとなっている。
ちなみに、ほぼ、というのは、輜重について、いろいろと手を回すのに時間が掛かっており、今日になってようやく、全ての準備が終わったのであった。

もっとも、時間と手間の掛かった原因が、輸送するお酒の都合であり――――こんな出陣寸前までドタバタする原因としては、苦笑すべきものだったけど。
雪蓮や祭さんを筆頭に、呉には飲兵衛が多いからなぁ………良いお酒を手に入れるのが、良い武器を探すのと同じくらいの価値になっているような気がする。

「まぁ、お酒って意外と使い道があるから、多くあっても問題はないんだけどな。消毒とかにも使えるし――――あれ?」

口中でそんな事を呟きながら、中庭を通ると――――囁くような優しげな声で、子守唄が聞こえてきた。
緩やかな旋律で口ずさむ声に引っ張られるように、中庭の奥に歩いていくと、そちらには、雪蓮と冥琳が居た。
横たわって眠る相手の髪を梳いて、穏やかに、緩やかに、安らいでくれと願うように子守唄は謡われる。と、近づいた俺の気配を感じたのか、子守唄が止んだ。

「誰――――って、なんだ、一刀か。どうしたの、何か用?」
「ああ。ちょっと冥琳に報告があって………それにしても、珍しい光景だな。雪蓮が冥琳に膝枕をしているなんて」

そう。芝生の上に横たわって眠る冥琳に、膝枕をして子守唄を謡っていたのが、雪蓮だったのである。
冥琳が雪蓮に膝枕をするという状況なら、何となく想像はついたが、その逆というのは少々驚いた。とはいえ、実際に見てみると、そこに違和感は無かったのだけれど。

「最近は、冥琳もちょっと頑張りすぎたからね。ほら、冥琳って気の抜き方を知らないから………だからこうして、時々、私が無理やりに休ませてあげてるの」
「なるほど………確かに、冥琳って、その辺りは不器用そうだもんなぁ」
「そういうこと……っと、もうちょっと静かに喋りましょ。冥琳が起きちゃうかもしれないし」

眠りについていた冥琳の眉が、僅かに動いたのを見て、雪蓮は慌てたようにそう言って、人差し指を唇に当てる。
その光景が、とても微笑ましいものに見え、俺は知らず微笑みながら、雪蓮の言葉にしたがって、声のトーンを落とす事にした。

「頼まれていた、お酒の都合はついたって、冥琳が起きたら伝えておいてくれないか? 浴びるほどは用意できなかったけど、必要量は用意できたと思う」
「ええ、分かったわ、伝えておく――――…って、冥琳が起きるまで、待っててあげないの?」
「いや、さすがに、それはなぁ………目を覚まして、そこに俺が居たら、冥琳は怒ると思うけど」

寝顔をまじまじと見られるのは恥ずかしい事だろうし、雪蓮の場合、雪蓮相手なら兎も角、他の人には寝顔を見られたくは無いんじゃないかと思う。

「そう? 一刀なら、別に寝顔を見られても、恥ずかしくないと思うんだけどなぁ。一刀だって、私に寝顔を見られても恥ずかしくないでしょ?」
「………いや、凄く恥ずかしいと思うけど」
「えー、そうかなぁ? 別に、寝顔を見るくらいは良いと思うんだけどな」

俺の返答が気に入らなかったのか、ぶー、と頬を膨らませる雪蓮。しかし、やっぱり寝顔を覗かれるのは恥ずかしいと思う。
現に、今の冥琳の寝顔は、険がとれて無防備というか、可愛らしいというか……そんな表情を見られていると知ったら、恥ずかしさの余り憤死するんじゃないだろうか?

「ともかく、用件は済ませたから俺は行くよ。冥琳が起きたら、輜重の件を伝えておいてくれ」
「うー……、一刀ともっと、お話したかったんだけどなぁ。でも、冥琳を放っても置けないし、しょうがないか……それじゃあね、一刀。またあとでね」
「ああ、冥琳と仲良くな。それじゃ」

ひらひらと手を振る雪蓮に、こちらも手を上げて応じると、俺はその場を離れることにした。何となく後ろ髪を引かれる気分の俺は、去り際に少しだけ二人の様子を見る。
木漏れ日の振りそそぐ庭の芝生の上、雪蓮は冥琳を膝枕した体勢で、愛おしむ様に冥琳の寝顔に微笑みを向けていた。
子守唄の旋律と、木々の梢を揺らす音………冥琳の髪をすきながら、優しげな表情を浮かべる雪蓮は、言うなれば、国母のような神々しさを身に纏っていたのであった。



「それにしても、珍しいものを見たなぁ………」

庭から離れ、廊下を歩きながら、俺は呟きを漏らした。冥琳の寝顔もそうだけど、雪蓮のあんな表情は、初めて見たような気がする。
優しく、全てを包み込むような微笑み――――それを向けている相手が、俺じゃなくて冥琳だという点は、納得いくけど、ほんの少し寂しかったりする。
雪蓮と冥琳は、長い付き合いで、水魚の交わりって言葉がしっくり来る仲だからな………俺もいつかは、誰かから、あんな風な表情を向けられてみたいものだと思う。
そんなことを考えながら、廊下を歩いていると――――通路の向こうから、穏を伴って蓮華が歩いてくるのが見えた。

「あ〜、一刀さん、こんにちわ〜。なんだか、ぶらぶらしていますけど〜、散策中ですか〜?」
「こんにちは、穏。冥琳に用件があったけど、それも終わったから今は暇している所だよ。穏は、蓮華の供をしているのか?」

からかうような口調の穏に、そう返答しながら、俺は蓮華に視線を向ける。俺の質問に、蓮華は微笑みながら小首をかしげた。

「ええ。私も穏も、今日の分の仕事は一区切りがついたから、これから雪蓮姉様と冥琳を、茶席に誘おうと思っていたの。色々と、聞いておきたい事も多いから」
「………そうか。蓮華も穏も、今回は留守番だもんな。当分は、お互いに話をする機会も無くなるのか」
「そういうことよ。ところで、一刀は冥琳の居場所を知っているの? 先程の話を聞くと、冥琳に用事があって、それを済ませたって言ってたみたいだけど」
「あー………確かに、冥琳の居場所は知ってるよ。それに、雪蓮も一緒だったけど――――けどなぁ」

なんというか、あの空間は、他人がおいそれと踏み込んでいいものじゃないような気がする。いや、蓮華は雪蓮の妹だし、他人というわけじゃないんだけど。
もちろん、雪蓮は別に、蓮華のことを拒みはしないだろう。だけど、逆に蓮華の方が萎縮してしまうような気がする。
なんというか、恋人同士が座る席に、相席をさせられる気分というのが、しっくり来るのかもしれない。雪蓮と冥琳が恋人というのは、語弊が………あるん、だよな?

「――――? どうしたの、一刀?」
「あー……いや、なんでもない」

不思議そうな表情をする蓮華に、俺は首を振る。しかし、どうしたものかな………場所を教えるのは簡単だけど、蓮華達が気まずい思いをするのは目に見えてるし。
………いや、蓮華は兎も角、穏は面白がって冥琳をからかうかもしれないな。祭さんという例外をのぞけば、怖いもの知らずの性格だし。
居場所を教えるのは宜しくないし、どうやって蓮華達を雪蓮達から遠ざけようか………そんな事を考えた俺は、ふと、あることを思いついた。

「ん………? それじゃあ、今は蓮華も穏も、暇しているって事なのか?」
「――――暇を持て余しているというのは、聞きようの悪い話だけど、確かにその通りね。本当に忙しいのは、南征の為に軍が出立した後になるだろうし」
「そっか………それじゃあさ、今から少しだけ、時間を取れないかな? もし良かったら、街を一緒に見て回りたいんだけど」
「………え?」

俺の言葉に、虚を突かれたのかキョトンとした表情をする蓮華。そんな彼女に俺は畳み掛けるように言葉を続けた。

「いや、良く考えたら俺も遠征に参加するだろ? 蓮華や穏と、しばらく会えなくなるし、機会があるなら思い出を作っておきたいと思ったんだけど」

何となく、思いつきで街に誘ってみたけど、思ったままに言った言葉は、割りと俺の本心だったのかもしれない。
蓮華や穏とも、当分、顔を合わせられないのだし、デートに誘って一緒の時間を取りたいというのは、内心で思っていたことだった。
もっとも、俺も蓮華たちも、出征前のゴタゴタでそんな暇も無く、日々を過ごしていたのだが……ひょんなことから機会が芽生えてきたのである。

「…………」
「駄目かな?」

俺の申し出に、俯いて考え込んでしまう蓮華。ひょっとして、断られるんじゃないだろうか? そんな風に、緊張しながら俺が問うと、蓮華は顔を上げ、笑顔を見せた。

「いいえ、駄目じゃないわ。突然の申し出に、ちょっと驚いただけ。喜んで、一緒に行かせてもらうわ」
「そうか。ありがとな、蓮華。でも、雪蓮のほうは良いのか? 誘った俺が言うのも何だろうけど」
「大丈夫よ。雪蓮姉様とは、夜中に話をする事にするから。その点、一刀の誘いは、いま限りなのでしょう?」
「まあ、そうだな。一緒に居たいからって……夜中に、蓮華の部屋に押しかけたり、俺の部屋に来るわけにもいかないもんなぁ」

さすがに、親しき仲にも礼儀というものはあるだろう。そんなことを考えながら俺がいうと、蓮華は苦笑交じりに、そうね、と首肯したのだった。と、

「んふふ〜、蓮華様ったら、なんだか残念そうですね〜。ひょっとして、一刀さんの部屋に遊びに行けないこと、残念がってるんですか〜?」

そんな俺たちのやりとりと傍目で見ていた穏が、楽しそうに「♪」といった表情で、からかいの言葉を投げてきたのだった。瞬時に、蓮華の顔が真っ赤に染まる。

「なっ………そんなわけ無いだろう! 馬鹿なことをいうな、穏!」
「あら〜、そうなんですか〜? 私には、残念そうに見えたんですけどね〜」
「べ、別にそんな事は…………って、一刀も、何を笑っているんだ」
「いや、別に」

怒る蓮華が可愛らしかったからだけど、それを口にしたら本気で怒られそうだったので、仏頂面になった蓮華に、俺は笑顔を返すだけだった。
さて……これ以上、穏に蓮華をからかわれると、色々と危険だろうし――――少々強引にでも、話題を切り上げるとしよう。

「さて、そうと決まったら街に出かけるとしようか。一緒にいる時間は、出来るだけ多く取りたいからな。行こう、蓮華」
「あ……」

さりげなく、蓮華の手を取って歩き出す。俺のいきなりの行動に、蓮華はちょっとだけ驚いた表情をしたけど、手を振りほどく事も無く、俺についてきてくれた。

「ふふ〜、初々しいですね〜」

面白がって、後をついてくる穏の言葉が耳に入ったけど、横を歩く蓮華の嬉しそうな顔を見たら、そんな事は気にならなかった。さあ、今日は思い切り、遊ぶとしようか!



慌しく準備を終えた俺達は、南方一帯を平定するために、軍を編成し終えて建業を出立した。
雪蓮を旗印に、冥琳と祭さん、文と武の筆頭を従えた五万余りの軍勢は、各地の小勢力を瞬く間に粉砕し、多くの領土を併合する。
その勢いに恐れをなしたのか、各地の領主は、諸勢力を糾合し、堅固な城塞に立て篭もった。その総数は八万ほどであり、士気も高いようである。
北方では呂布が怪しげな動きをしているとの噂もあり、なるたけ即急に、南方を平定したい所であった。



「呂布殿〜! 南方に出していた密偵が、情報を持ってまいりました! 呉の孫策、軍を率いて南方に出陣との事です!」
「………そう。攻める?」
「あう………それが、そうも行かないみたいです。建業の守りには孫権を残し、陸遜と甘寧が補佐しているみたいです。付け入る隙が見当たらないかと」
「…………そう。ならいい」

残念そうな陳宮の頭を、呂布はポンポンと撫でる。その手にうっとりとしていた陳宮だったが、気を取り直したのか、心持ち呂布から離れ、意気込んで声をあげる。

「ですが、この陳宮、それならと別の策を練ってきました! 聞いていただけますか?」
「……ん、言ってみて」
「ちょうど今、劉備の軍の張飛と馬超が、軍を率いて城を出たそうです。城外で馬を調達するらしいので、これを奪ってしまいましょう!」

陳宮の言葉に、呂布は小首をかしげる。戦の時は、鬼神のような強さを見せる彼女であったが、平時はどこか、気の抜けた子供のような表情をしている。
そんな所があるからこそ、陳宮は彼女を慕い、こうして一緒に居るのであった。その想いが、呂布に伝わっているのかは甚だ疑問ではあったが。

「お馬さん?」
「はい、そうです! 軍馬は、戦場で足になる大切なもの。我らが軍の強化には欠かせないものです! さっそく出陣しましょう!」
「…………」

意気込む陳宮の言葉に、呂布は淡々と頷く。彼女に大望は無く、野望も無い。ただ、自分の家族ともいうべき存在を守るために、彼女は今日も、戦いに赴こうとしていた。



南征を行い、小規模の戦いをすべて勝利に収め、多くの成果を上げた俺達は、いよいよ南方諸勢力が立て篭もる、城塞の前に布陣することになった。
城壁の上には、色とりどりの牙門旗が立ち並んでおり、多数の兵士の姿が垣間見える。決戦の時は間近に迫っていた。
そんな中、城攻めのための作戦会議が、呉の陣幕の中で行われた。その会議の席、雪蓮の放った言葉に、居並ぶ諸将は顔を見合わせることになった。

「亞莎を、冥琳の補佐につけるのですか?」
「ええ。普段は穏が補佐しているんだけど、今回は蓮華と一緒に留守番をしてもらっているからね。代わりの補佐となる、人材が必要でしょうから。祭は不満なのかしら?」
「ふぅむ………亞莎の突破力は、前線に置いてこそ発揮されるものだと思うのですが。それに、亞莎に穏の代役が務まるのか不安なのは確かですな」

雪蓮の問いに、祭さんは真面目な表情でキッパリと言う。国のトップを相手に、真っ向から意見を放てる度胸は、傍から見ても感心できるものだった。
祭さんの言葉に、亞莎は顔を曇らせて俯いてしまう。その様子を見て、雪蓮は苦笑を浮かべると、まあまあ、といった口調で、祭さんに微笑みかけたのだった。

「出来るか出来ないかは、結果を見てからにしましょう。兎も角、亞莎は冥琳の副将として各軍の統括を任せることにするわ。亞莎も、落ち込んでいる暇は無いわよ」
「は、はいっ………頑張りますっ!」
「ん。いい返事ね………頑張りなさい」

気負う亞莎にニッコリ微笑むと、雪蓮は俺の方を見て、なにやら思案顔になった。雪蓮が何を考えていたのかは、その後、すぐに分かることになったのだが。

「え、俺が亞莎の補佐役!?」
「ああ。会議の後、雪蓮が、そうしておいてくれと言ってきてな……不満か?」

会議が終わった後、補給物資や武具の類の点検を再会しようと思った矢先、冥琳から呼び出しを受けた俺は、開口一番に、亞莎の補佐につくようにと命じられたのだった。
ここは、陣内にある天幕の中。簡易的な机と椅子があり、机の上には多くの書簡が置かれている。冥琳は椅子に座り、事務仕事をしている最中のようであった。
ジロリ、と冥琳に睨みつけられて、俺は首を横に振る。冥琳の傍らで、不安そうな表情をしている亞莎を、ちょっとだけ見た後、冥琳に向き直って返答をすることにした。

「いや、別に不満とかは無いよ。でも、良いのか? 正直に言って、俺は軍略とか、そういったものを、ほとんど知らないんだけど」
「……良いも悪いも無いさ。雪蓮が決めた事を、私が勝手に変えるわけには行かないからな。兎も角、邪魔にならないように働いてくれればいい」

それだけ言うと、冥琳は俺から視線を外し、手元の書類に目を向けた。亞莎はというと、その傍で黙って立っているだけである。なんだか、沈黙が肌に痛い。

「……ところで今は、何をやってるんだ?」
「ああ。今は、篭城している諸侯の情報を洗いなおしている所だ。戦局を優位に運ぶために、何かしらの策を練ろうと思ってな」
「なるほど………それって、俺が見ても構わないのか?」
「――――それは、問題ないが………見ても分からないと思うがな」

冥琳の呆れたような表情に、首をかしげながら書簡を手にとって開いてみる。なるほど、確かに色々と書かれているけど、雑然と書かれていて、さっぱり分からなかった。

「うーん、確かに良く分からないな。そうだ、亞莎にちょっと教えて欲しいんだけど、良いかな?」
「え、私がですが? ですけど……」
「駄目かな? 特に今は用事もなさそうだから、色々教えてもらいたかったんだけど……」

驚いた様子の亞莎に首をかしげ、俺は冥琳に視線を向ける。俺の視線を受けた冥琳は、俺を亞莎を淡々と一瞥した後で、肩をすくめて苦笑を浮かべた。

「……構わないぞ。そちらの机と椅子を使えば良い。ただし、必要以上に騒がないようにな」
「ありがとう、冥琳。さあ、それじゃあ亞莎は、こっちに座って」
「は、はい……」

亞莎の手を引き、半ば強引に席に座らせると、俺は天幕の隅に置かれていた書簡をいくつか手にとって、机の上に置いた。
肩を並べるように、亞莎の隣の席に座り、書簡を開いてみる。相変わらず、何が書かれているのかが分からない。

「んー……なあ、亞莎。これって何が書かれているんだ?」
「これは、南方諸侯の軍編成のようですね。それぞれの諸侯が、どのくらいの兵を持っているのか、それが分かれば力関係も察しやすいですから」
「なるほど……そういえば、戦局を優位に進めるために、策を練るって話だったよな……冥琳、今回は具体的に、どんな策を練ろうとしているんだ?」

冥琳に俺が聞いてみると、冥琳は書簡から顔を上げ、俺と亞莎を交互に見て、なにやら沈黙した。いったい、どうしたんだろうか?
何となく気になった冥琳の仕草に、俺が内心で首をかしげていると――――しばらくの間をおいてから、冥琳が静かに口を開いた。

「……今回は、大した智謀も無い豪族達が相手だからな。一部の豪族を離反させるなり、仲違いをさせるなりして、相互の連携を崩そうと思っているが」
「なるほど。それじゃあ、そういった点を考えて、調べ物をするとしようか」
「はい、一刀様」

俺の言葉に亞莎は真剣な表情で頷く。冥琳の言っていた、豪族達を仲違いさせるという策を具体的な案にするため、豪族達の情報を調べる事にしたのだった。

「しかし、離反させる相手を選ぶっていっても、実際には、何を基準にして選ぶべきなんだろうな?」
「そうですね……まずは呉とある程度交流のあること、それに、相応の程度の実力の持ち主であるということ……となると、ある程度は絞られると思うのですが」

それからしばらくして、用意された情報をもとに、俺と亞莎は離反を働きかける豪族を選びだした。これで少しは、冥琳の助けになれば良いんだけど。
いくつかの名前を紙に記し、俺は事務仕事をこなしている冥琳のもとに、持って行く事にした。

「冥琳、少し良いか? 亞莎と、離反させるのは、どの豪族が良いのか選んでみたんだけど」
「………そうか、見せてみろ」

俺から紙を受け取った冥琳は、しばらくの間、それに目を通した後………おもむろに筆を取ると、白紙にいくつかの名前を書き出し始める。
それが終わると、冥琳は亞莎の方に顔を向け、二枚の紙を右手に掲げ、淡々とした口調で命令を下したのである。

「亞莎、この紙に書かれている者達に使者を送るように手配をしろ。それと、こちらは私が選んだ豪族達だ。こちらにも、使者を送るように手を回しておいてくれ」
「あ、は、はいっ……!」

亞莎は慌てたように席を立つと、冥琳の傍に赴き、二枚の紙を受け取った。内容を確認する為に、書類に目を落とした亞莎だが、その顔に怪訝そうな表情が浮かんだ。

「……どうした? 何か、言いたそうだが」
「いえ……あの、冥琳様がお命じになられた豪族達ですが、彼らは確か、呉に対して、あまり友好的ではない豪族だったと思うのですが」

おずおずといった口調で、亞莎がそんな事をいう。先程、俺達で豪族を選んでいた時も、何名かの豪族は、呉に対し友好的でないからと、真っ先に除外していた。
冥琳の命令は、そういった面子に声を掛けろという事なんだろう。しかし、それはどういう狙いなんだろうか? その意図が分からないのは、俺も一緒であった。
そんな亞莎の質問に対し、冥琳はいつも通りのクールな表情で、淡々と答えを口にする。

「そういった面子にだからこそ、声を掛ける価値もあるということだ。呉を嫌いな諸侯の代表格が、こちらと内通しているといった風評が出れば、団結の崩壊も早まる」
「あ……なるほど、そういった狙いなんですか」
「それに、南方を糾合するからには……捕らえた旧領主達には服従するか、処断されるかの道しかないからな。こちらから声を掛けておけば、降りやすくもなるだろう」

今回の南征に際しては、いずれ戦うことになるであろう、劉備や曹操の決戦のために、多くの兵力を統合する必要があった。
その為の根回しに、冥琳も色々と苦心しているらしい。仲間が増えるという事は喜ばしい事だけど、味方同士の軋轢やら何やらと、上に立つ方が気苦労が絶えないらしい。
冥琳の説明を聞き、亞莎も納得できたのか……真剣な表情で、冥琳から二枚の紙を受け取ると、首を縦に振った。

「分かりました。それではこちらの皆様に、使者を出す事にします。文面の方はいかがいたしましょうか?」
「そうだな、雪蓮に頼むのも良いが、面倒だと一蹴しそうだな……亞莎、お前がやってみろ。それほど奇を衒う内容が必要というわけではないからな」
「わ、私がですか……?」

冥琳の言葉に、亞莎は戸惑った様子を見せて、俺の方を向く。迷っているというより、自信が無いんだろう。俺は、しっかりと亞莎を見据え、力強く頷いた。

「――――分かりました、お引き受けします!」
「ああ、頼んだぞ」

俺のリアクションで、心の不安が幾許か軽くなったのか、亞莎は張り切った様子で机に戻ると、諸侯に送るべき文章を書き上げはじめた。
今回の南征で、敵対した事に対しての罪は問わないこと、また、呉の臣下として尽力するなら、相応の立場を保障することがなどを書き記していく。
そして、しばしの後、横で見守る俺の目の前で、亞莎は複数の書状を完成させた。素人の俺から見れば、まさに非の付け所のない文章であった。

「書けました、一刀様! 上手に書けたと思うのですけど、いかがでしょうか?」
「うん、いいと思うよ。後はこれを、向こうに送りつけるだけだな。それじゃあ、手配をしに行こうぜ」
「はいっ」

書状の用意ができたこともあり、亞莎は張り切った様子で天幕を出て行こうとする。そんな亞莎を追って、俺も外に出ようとした。と、その時である。

「ああ、少し待て、北郷はここに残ってくれ。少し、話したい事があるからな」

天幕を出ようとした俺の背中に、冥琳が声を掛けてきたのだった。

「え、話したいこと? けど、亞莎一人で、大丈夫なのか?」
「大丈夫だろう。書簡の作成も済み、後は、使者の手配をするだけなのだからな。それとも、私と話すのは嫌とでもいうのか?」
「いや、そんな事は無いけど……」

じろりと睨まれて、俺はしどろもどろに返事をする。そんな俺を見かねてか、亞莎が苦笑まじりの笑顔で、フォローに入ってくれた。

「一刀様、大丈夫ですから、どうか、冥琳様のお誘いを受けてください。私の方は、一人でも問題はありませんから」
「ん、そうか? 亞莎がそういうのなら、俺は構わないけど」
「はい、それでは、行ってまいりますね」

亞莎はペコリと頭を下げると、天幕を出て行く。亞莎の気配が無くなり、しばらくの時間が過ぎた後――――…冥琳は俺を見据え、静かに口を開いた。

「私と亞莎の間を、上手く取り持ってくれたこと、感謝するぞ、北郷」
「え、な、なんのことだ?」

唐突に、冥琳に感謝をされて、俺はいったい何の事かと戸惑うばかりである。そんな俺を面白そうに見ながら、冥琳は口を開いた。

「お前に、自覚は無いのだろうがな……亞莎は才能はあるし真面目なのだが、私を畏怖してか、積極的に関わろうとはしてこなかった」
「――――確かに、亞莎はどことなく、冥琳に遠慮をしているような気がしたな」
「ああ。だが、それでは補佐役としては役に立たない。こちらが命令するよりも早く、望んだ事に手を回してくれるのが理想だ。その点は、穏は及第点だったが」

そう言うと、冥琳は面白そうに俺の顔を見つめる。思わず赤くなってしまった俺を見て、冥琳はクールな表情の端に、緩やかな笑みを浮かべた。

「その亞莎の足りない分を、北郷が動く事で埋めたのは少々驚いたぞ。もっとも、北郷の方は、行動力は兎も角、知識の方に問題があるようだったがな」
「……悪かったな、勉強不足で」
「そう拗ねるな。北郷と亞莎が組めば、穏の代わりを務めることが出来る。これは誇るべき事だと思うがな」

そうなると、雪蓮の見る目は正しかったということか……などと、小さな声で独り言を呟く冥琳。そういえば、俺を亞莎の補佐役にしたのは、雪蓮だったな。
雪蓮には、人と人との繋がりを見る才能があるのかもしれないな。この前の、俺を蓮華のパートナーにつけたことといい、人を見る目があるということだろうか。

「北郷には、他者を支える力があるのかも知れんな。今後も、呉国のために精進する事を期待しているぞ」
「ああ。冥琳の期待を裏切らないように、頑張るとするよ」

期待されるのは嬉しいけど、国の為にってのは、どうにもガラじゃないよな。雪蓮や冥琳のためなら、いくらでも頑張れるんだけど。
そんな俺の心情を察したのだろう。冥琳は俺の返答に、どこか呆れたような表情をしながら、俺を見つめてきたのであった。
そうして、南群諸侯に対する根回しも終わった頃――――…祭さんを先鋒とする部隊を先頭に、呉軍の攻城戦が開始された。
冥琳や亞莎の策が効いているのか、敵の動きがどことなく鈍いように見える。俺に出来る事は、勝利を信じて見守るだけであった。



南群平定

〜南征〜

自軍兵力 VS 敵軍兵力
50000  VS  80000

敵軍将軍:南群兵
敵軍軍師:南群兵

:選択可能武将:
孫策(雪蓮)・周瑜(冥琳)・黄蓋(祭)
周泰(明命)・呂蒙(亞莎)・孫尚香(小蓮)



「報告! 黄蓋様の部隊が城門を破ったそうです! 第二陣の周泰様の部隊が合流し、城内に突入を始めた模様です!」
「分かったわ………どうやら、勝ったみたいね。すぐに免死の旗を立てなさい。味方に取り込める数は、多い方が良いからね」

戦場の後方に位置する本営。馬を飛ばして駆けてきた、伝令の報告を受けると、雪蓮はそんな命令を下した。
免死という旗は、降伏をすれば、命は助けるということを示す旗であり、これを立てる事で敵兵の降伏を促す役目を果たす旗である。
無論、免死を伝えても、最後まで戦おうとする城兵も居るだろう。しかし、大半の兵は、機を見るに聡い一般兵である。
自分の所属する軍が負けそうになっているのなら、戦わずに降伏が、命を長らえる最良の選択である事は、俺も理解していた。

案の定、雪蓮の命令を受けて免死の旗が立てられると、城内に移行した戦いの喧騒は、すぐに沈静の様子をみせていった。
もともと、呉の脅威に対抗するために作られた、にわか連合ということもあり、その結束は砂上の楼閣のように脆いものであったようだった。
それからしばらくして、南群諸侯の多くを捕らえたという報告が本陣にもたらされ――――こうして呉の南征は、成功のうちに幕を閉じる事になったのであった。



戦が終わって一週間後………俺は今、陥落した南群連合の城内を、のんびりと散策している最中であった。
南群諸侯の兵を吸収し、更に兵力を強化させた呉軍。しかし、兵力が増えたといっても、その実は烏合の衆であることに変わりはない。
多くの兵を管理し、統率するには、軍の中核……指揮官となる将が必要であった。そんな人材不足を補う為に、捕らえた南軍諸侯の中からも、人材を募る事になった。
そんなわけで、雪蓮や冥琳、祭さんなどは……連日、捕虜達と謁見をしては、配下として取り立てるかどうかを協議しているらしい。

その間、軍は休養を兼ねて城下で休ませており――――俺も、特にすることもなく、のんびりと過ごしている最中である。
本当は、俺も雪蓮達を手伝いたかったけど、そう申し出をしたら、いともあっさりと断られたのであった。

「一刀は良いコだからね。謁見した人を、皆、取り立てちゃうかもしれないし……気持ちだけ受け取っておくわ」

と、雪蓮に言われては、反論する事も出来ず、引き下がるしかなかったのである。同じように亞莎や明命も外されたことを考えると、今回の謁見は、かなり重要らしい。
実際、組織が巨大化し、曹操や劉備との戦いの足音も近づいたこの時期……必要とされているのは将来性ではなく、即戦力の才能なのだろう。
場合によっては、俺はもとより、亞莎や明命に命令できるくらいの立場で採りたてられる者もいるかもしれない。
そういうことも考えた上で、雪蓮は冥琳と祭さんという、文武の最高峰のみを伴って謁見する事を選んだのだろう。

「何にせよ、数日は掛かるって言っていたからな………今日は、何をして過ごそうか」

そんなことを考えながら、あてもなく場内の廊下を歩いていた時である。不意に、背後から気配を感じた。殺気!? ……ではなく、

「一刀みーっけ!」
「っと、と………なんだ、シャオか」

駆け寄ってきて、思いっきり俺の背中に飛びついたのは、元気一杯な御姫様のシャオである。俺の首に腕を回し、ぶら下がるような格好になっている。
惜しむらくは、背中にあたっている感触が、いささか心もとないくらいだろうか。口に出したら、そのまま首を絞められそうだけど。

「………? どーしたの?」
「いや、なんでもないよ。シャオは、どうしたんだ? 俺に、何か用事でもあるのか?」
「うん。あのね、城下に市が立ってるんだって。一刀も、一緒に行こうよ!」

そんなことを言いながら、頬を押し付けてくるシャオ。お誘いは嬉しいんだけど、城下に行くのは、少し考えものだと思う。
つい先日まで、戦闘があった城下では、未だに戦闘の傷跡が癒えておらず、住民達も、まだ呉軍に対して歓迎の意思は示していない。
そんな時に、浮かれ気分で城下を闊歩したりしたら、住民達も悪感情を受けるのではないか。城内で自重して過ごすように、冥琳に言われたのは、数日前のことである。
シャオもその言葉を聞いて、しばらくは大人しくしていたようだけど、さすがに我慢の無視も限界に来たらしい。俺の言葉に、むー、と顔を膨らませて不満を漏らした。

「だってー、お城の中って退屈なんだもん。こんなとこに、ずっといたんじゃ、息が詰まっちゃうわ。だから、市に遊びに行くのは仕方のないことなんだもん!」
「仕方のない、ね………シャオに、そう言われたんじゃ断るわけにも行かないよな」

俺が断っても、シャオは一人で市に行ってしまうだろうし、それなら目の届く場所に一緒にいて、フォローに回った方がいいだろう。
などと、理由をつけてはみたものの、実の所はシャオと一緒に出かけたいという気持ちがあったし、何より、城の中に居てばかりで、俺自身も飽きが来ていた所だった。

「それじゃあ、一緒に市に行くとしようか。けど、一応、冥琳に許可を取っておかないとな。あと、護衛もつけてもらわないと」
「えー、いいよ、そんなの。いちいち冥琳に言うことないわ。それに、護衛なんて必要ないよ。シャオ、強いもん」
「いや、言っておかないと、後で怒られるのは確実だしさ……護衛も、シャオはいらなくても、俺には必要だしさ」

一騎当千の将が山ほど居る呉の中で、俺の腕っ節は格段に弱い部類に居る。戦場では役に立たないし、こういう時も護衛が必須なのであった。

「大丈夫だって、冥琳への報告はすぐに済むし、護衛の方も、何人も連れて行くんじゃなくて、腕の立ちそうな人を一人、誘ってみる事にするからさ」
「ん〜〜……一刀くらいなら、シャオでも守れると思うんだけどなぁ」

俺の言葉に、不満そうに頬を膨らませるシャオ。その仕草が雪蓮と似通って見え、俺は思わず頬を緩めていた。何だかんだで、やっぱり姉妹だな。
そんなことを考えつつ、シャオを背中にぶら下げたままで、俺は廊下を歩き出した。さて、それじゃあ出かける準備をするとしようか。



「わあっ、凄く賑わってる! ほらほら、一刀も明命も、ぼうっとしていたら、置いてっちゃうよー」
「お、お待ちください、小蓮さま! 一人で行っては、危ないです!」

城下に立ち並ぶ市に出かけた俺達。さっそく目を輝かせて、人ごみの中をするすると歩いていくシャオを、慌てた様子で追うのは明命だった。
冥琳の所にいく途中、誰を護衛に誘おうかと、考えながら城内を歩いていると、廊下で明命とばったり顔を合わせることになったのである。
ものは試しにと、市にいく俺たちの護衛に誘ってみると、明命は笑顔を見せながら、二つ返事で了承してくれたのである。

呉軍でも屈指の実力者の明命の護衛ということもあり、冥琳は特に文句をいうこともなく、城下に出かけるのを承認してくれた。
もっとも、ふたりっきりで出かけられないことが不満なのか、シャオはずっと、ふてくされたような表情をしていたのだけど。

「へぇ……この地方だと、こんなものが売ってるんだ。あ、こっちは何が売ってるのかな?」

まぁ、ふてくされていたのは城を出るまでで、市を目の当たりにしたら、不機嫌はどこかに飛んでいったみたいだけど。
まるで、猫のように人ごみを擦り抜けて、あっちを見たり、こっちで歓声を上げたりと、大はしゃぎな様子のシャオ。そんな彼女の後を、明命も一生懸命追いかけている。

「小蓮さま〜、待ってくださいっ」
「やれやれ、二人とも元気だな……それじゃあ俺も、行くとしようか」

溢れるほどの人ごみだけど、シャオも明命も、どこに居るのかすぐに分かる。大騒ぎするというよりは、彼女たちの周りが華やぐような気配を見せるのだった。
そんなわけで、はぐれる心配もない俺は……のんびりと人ごみを縫いながら、シャオと明命の後を追うように歩き出したのであった。



「ん〜………これとこれ、どっちが良いかな? ねえ、一刀、どっちの方が似合うと思う?」

そうして、市を歩く事しばし……ちょこまかと、市内を闊歩していたシャオが、足を止めて考え込んでいたのは、街頭で商品を広げている露天商の前であった。
追いついた俺に向けて、シャオは両手に持ったものを見せてくる。手には片方ずつ、蝶を模した髪飾りと、華を模した髪飾りが握られていた。
どちらが良いかと聞かれて、俺はしばらく考える。どちらも、シャオには似合っていると思うけど、あえていうなら、華の髪飾りの方が似合っているかな?
蝶の華やかさも捨てがたいけど、何となくではあるが、シャオと蝶は相性が悪いような気がしないでもない。

「そうだな……華の髪飾りの方が似合っていると思うよ。煌びやかな所が、シャオにぴったりだと思うし」
「そう? それじゃあ、こっちにしよっと」

俺の答えに満足したのか、シャオは蝶の髪飾りを行商人に返す。と、行商のおっちゃんが俺に向かって手を差し出してきた。

「それじゃあ、お代をいただきましょうか。お嬢ちゃん、代金は、付き人のお兄ちゃんに貰えばいいんでしょう?」
「うん、でも、付き人じゃないよ。一刀は、シャオの恋人なんだから!」

堂々と、そんな事をいうシャオ。周囲からは微笑ましい視線を受けているけど、本人はまったく意に介していないようである。と、

「お代」
「あ、すみません。ええと、この位でいいのかな?」

差し出された手に、お金を乗せる。と、俺の袖がぐいっと引かれた。
何事かと、そっちを見ると、さっそく次の獲物――――もとい、興味のあるものを発見したのか、シャオが俺の袖を引っ張って歩いていこうとしていた所だった。

「ほら、次はこっちだよ、一刀も早く早く!」
「っと、ああ、分かったよ」

溌剌とした様子のシャオに、知らず知らず微笑みを浮かべながら、引っ張られるように俺はその場を離れる事になった。

「あ、お客さん、おつりおつり!」
「あ、おつり貰うの忘れてたな………ごめん、明命。ちょっと貰ってきてくれないか?」
「はいっ、分かりました!」

慌てて俺を呼び止めるおっちゃんと、シャオに引きずられる俺を交互に見ていた明命は、俺の頼みごとに、元気一杯に応じると、おっちゃんの方に走っていく。
これからしばらくは、明命のフォローに期待する事になるだろう。後でお礼をしなきゃいけないな。シャオに引きずられながら、俺はそんなことを考えていた。

そうして、束の間の休息の時間を、俺はシャオや明命と一緒に過ごす事になった。市を見て回る傍ら、居城で俺達の帰りを待つ、蓮華達への土産物も買う。
それに、今も忙しく働いている雪蓮や冥琳、祭さんへの御土産や、城で勉強をしている亞莎への御土産に、ごまだんごを買って帰ることにした。
俺が他の娘達へのお土産を買うと聞いて、最初の方こそ面白くなさそうな表情をしていたシャオだったが、後半は喜々として色々な品物を選んでいた。
護衛をしてくれた明命へのお礼にと、猫の置物を買ったところで、俺達は城に戻ることになった。

それからしばらく後、軍の再編を追えた俺達は、建業に帰還する事になった。出立した時よりも多くの部隊を率いての凱旋である。
南群を制圧し、意気あがる呉軍。次の狙いは、劉表の治める荊州の地であった。軍の編成を進める俺達に、ある日、二つの報が届けられる。
老齢の劉表が病床に伏し、具合が芳しくないとの事と、劉備軍と呂布軍が激突し、劉備軍が勝利、呂布は劉備の傘下に入ったとの事であった。
いよいよ、劉備との決戦も近い………肥大化した軍の再編に追われながら、皆がその予感を胸に感じているようであった。



「さて、軍の編成も終わった事だし、いよいよ荊州取りに動く事にするわ。それについて、皆の意見を聞かせて欲しいんだけど」

その日の朝議の席、居並ぶ武官や文官を見渡して、雪蓮が静かな口調で口を開いた。ついに始まる荊州への出兵に、皆も一様に、緊張した顔をする。
そんな中、雪蓮の声を受けて、一歩進み出たのは冥琳であった。彼女は、知性を湛えた瞳で皆を見渡した後、重々しい口調で言葉を発する。

「近況に至り、大陸の情勢は、北方を曹操、徐州周辺を劉備、そして、東南を我々が押さえ、この三つの勢力が台頭している状況なのは、皆、理解しているな」
「はい〜。荊州の劉表さんを始め、各地に小規模の勢力はあるものの、どれも対抗できる力は持ち合わせていないと思いますよ〜」

冥琳の言葉に賛同するように、穏が現状を補足する。曹操の袁紹軍撃破、劉備の呂布軍の統合、呉の南群制圧で、大陸東方の情勢は一応の落ち着きを見せ始めていた。
三つの勢力が台頭し、天下を三つに分けているこの状況………大勢力が出来た事により、小さな小競り合いは徐々に減りつつあったのである。
無論、それは一時的なものであり、いずれ来る大規模な戦乱の予兆を肌で感じているものは、数多く居たのだった。

「故に、そういった勢力が生き残る道は、我々を含む、三つの勢力のどれかに従属するより、他に道はないだろう。荊州も、いずれかの勢力に併合される事になるだろう」
「荊州の劉表は病床に付し、その配下とて大した事は無い。大軍を率いて向かい、脅しをかければ、あっさり城を明け渡すのではないか?」
「ええ。その見込みは充分にあるでしょう。しかし、そうした場合、我々の軍容に恐れをなした劉表が、他国に援軍を求めるかもしれません」
「他国………しかし、我々に対抗できるのは曹操か劉備のみ。それで援軍を求めた所で、援軍を頼んだ国に統合されてしまうのが関の山ではないか?」

冥琳の言葉に、祭さんは怪訝そうな表情を見せる。確かに、大勢力に援軍を頼んだとなれば、それをきっかけに、なし崩し的に、大勢力に取り込まれてしまうだろう。

「ええ。ですが、それでも援軍は頼まざるをえないでしょう。どの道、失陥が避けられないのであれば、良い条件で城を明け渡したいのが道理」
「ふむ………攻め落とされるか、援軍相手に城を明け渡すかといったところか」
「その通り。だとすると、劉表が援軍を頼む相手は、一人しかいないでしょう」
「まず間違いなく――――劉備じゃろうな」

祭さんの言葉に、皆の顔が引き締まる。いよいよ、蜀との戦端が開かれるかもしれないとあって、皆一様に、緊張をその身に抱え込みつつあったのであった。

「荊州へ進出するとなれば、まず間違いなく、劉備も軍を派遣してくる。一応、体裁的に同盟を行っているが、事ここに至って、同盟を長続きさせる意味はないだろう」
「いよいよ、劉備軍との戦になるということですね」
「ほぼ、間違い無くな………我々の敵は劉表などではなく、その背後に控えている劉備であると考えておけ。それでは、陣容を告げることにする」

緊張した表情の亞莎に頷きを返すと、冥琳は居並ぶ面々にぐるりと視線を巡らし、そうして、その視線が最初に止まったのは蓮華のところであった。

「今回の荊州攻め、軍を束ねる役目は蓮華様にお任せしたい。軍を動員して城を陥落させるもよし、あるいは、説得での凋落するも判断にお任せします」
「私が……?」

冥琳から指名を受けて、蓮華は戸惑った様子で雪蓮に視線を向ける。てっきり今回も、雪蓮が軍の指揮を取るのだと思っていたらしい。
雪蓮は、穏やかな笑顔を蓮華に向けると、彼女に歩み寄って、その肩を優しくぽんぽんと叩く。

「お願いするわね、蓮華」
「……はい、雪蓮姉様!」

意気込んだ様子で、雪蓮の言葉に首肯する蓮華。そんな蓮華を満足げに見つめた後で、雪蓮は居並ぶ文官と武官達を見渡して言葉を続ける。

「荊州に派遣する軍の先鋒は明命。後詰めの軍は亞莎。蓮華の補佐は、穏と思春にお願いするわ。皆、頑張ってちょうだいね」
「はいっ、わかりましたっ」
「は、はいっ」
「はい〜、お任せくださいね〜」
「……御意」

雪蓮の言葉に、四者四様といった様子で、返事をする皆。蓮華を筆頭に、第一線の指揮官のそろい踏みである。これなら、どんな相手にも負けないだろう。と、

「……のう、策殿。軍容の中に、儂の名が入っておらぬのじゃが」

黙って雪蓮の言葉を聞いていた、祭さんが不満そうに声をあげたのは、その時だった。本人としては、指名されるものだと思っていたらしい。
儂も戦に出してくれ〜、と、その態度で示している祭さんに、雪蓮は苦笑を浮かべながら、肩をすくめた。

「今回は、自重してくれないかしら? いくらなんでも、全員で荊州に攻め込むわけにも行かないし、余力っていうのは残しておくものでしょう?」
「ふむ………真打ちは後に登場するということですか。それならば、まぁ、仕方がないですかな」

雪蓮の言葉に、自尊心を刺激されたのか、祭さんは満足そうな表情で頷いた。
結局、荊州に出陣するのは、蓮華と思春に穏。それに、亞莎と明命を中核とした軍となり、残りの面子は留守番ということになった。



「雪蓮、少しいいかな? 聞きたいことがあるんだけど」
「あら、どうしたの、一刀? あらたまった顔しちゃって」

朝議が終わり、皆が三々五々と散っていく中で、俺は何となく気がかりなことがあり、雪蓮のもとに歩み寄って問いただすことにしたのだった。
雪蓮の傍らには、冥琳がおり、淡々とした視線を俺に向けている。何となく、居心地の悪さを感じながらも、俺は気になっていたことを問いただす事にしたのだった。

「いや、今回の出兵なんだけどさ、何となく気になったんだけど……ひょっとして、何か企んでないか?」
「ん? 企むって、何が?」

俺の問いに、雪蓮はキョトンとした表情で、首をかしげる。その様子は、演技なのか、素でやっているのか、判別がつかない。

「いや、だってさ、軍のトップである雪蓮も、冥琳も、祭さんも荊州攻めに参加しないだろ? 荊州は重要な土地のはずなのに、力を入れてないんじゃないかって」
「なるほど、一刀はそう思うんだ。それで、何を企んでいるって考えてるのかしら?」

面白そうな表情で、俺を見据えて聞いてくる雪蓮。何となく、奇妙な寒気を感じながらも、問われたことに対して、俺は答えを口に出すことにした。

「思うんだけど、雪蓮達は、今回の戦いよりも、別のことを考えてるんじゃないかって、例えば、いずれ戦うことになる、曹s」
「北郷」

と、そこまで動いていた俺の口が、ぴたりと止まった。雪蓮の隣で黙って話を聞いていた冥琳が、静かな声で、俺を呼んだからである。
険しい表情で、俺を睨んでいる冥琳の顔を見て、俺は自分の予感が当たっていることを察した。同時に、その考えをこんな目立つ場所で口にしたことが恥ずかしくなった。
いつ何処で、間諜が聞き耳を立てているかも分からないのに、自分の予想を話すなんて、百害あって一利ないことだろう。

「……ごめん、調子に乗っていたよ。今の話は、忘れることにする」
「ああ。そうしておけ。雪蓮も、馬鹿話に付き合っていないで、行くぞ」
「はぁい。それじゃあね、一刀」

冥琳に促され、雪蓮はヒラヒラと手を振って朝議の席から立ち去っていく。その背中を、俺は何とはなしに見送っていたのであった。
後日、俺は蓮華の副官として、荊州遠征軍に参加するように命じられた。表向きは蓮華の補佐ということだろうが、やっかい払いということもあるだろう。
しばらくの間は、建業から離れていろと、そういうことなのかもしれない。色々な苦い思いを感じながら、俺は荊州へ向かうことになったのであった。



蓮華を大将とした五万の軍勢は、呉をたち、一路、荊州へと向かう。行く先々の村で噂に聞いたところによると、俺達の出陣の報は、風の速さで襄陽に届いているようだ。
にも関わらず、迎撃の軍を派遣してくる様子は無く、城門を閉めて篭城の構えを見せているらしい。太守である劉表が、病床であるというのも、原因の一つのようだった。
これといった抵抗も無く、俺達の軍は襄陽への道を進む。順調な旅路であったが、経路の天候とは対照的に、俺の気持ちは落ち込みを見せていた。
この前の、雪蓮や冥琳の前で、賢しげに予想を言おうとした事が、心の奥にしこりとなって残っていたのである。

「ふぅ………」

行軍が泊まっての休止中。いよいよ明日には、襄陽を眼前に捕らえようかという距離にまで、俺達の軍は進んでいた。
夜営の準備をするために、あちこちで兵士の人たちが走り回っている。そんな彼らの邪魔にならないように、俺は少し離れた場所に移ると、何とはなしに空を見上げた、
時間帯は、夕刻を過ぎた位だろう。遮蔽物が何も無い空は、無数の雲と、その雲を茜に染める陽光に満ちていた。何となく、空を見上げ続けていると、背後から声がした。

「……おい」
「――――ん、ああ……思春か。何か、用でもあるの?」

後ろを振り向くと、そこにはいつも通りの仏頂面をした思春が居た。俺の言葉に、思春はぶしつけな視線を、まっすぐに向けてくると、ムッとした表情で口を開く。

「別に、用という程のものは無いのだが………貴様が、どうにも煮え切らない様子だというのでな。蓮華様に無用な心配を掛けるなと、釘を刺しにきたのだ」
「ああ。そういうことか・・・……」

思春がここに来たのは、俺が元気が無い事を、蓮華が心配しているからとのことだった。まぁ、そうでなければ、わざわざ足を運んだりはしないだろう。
それにしても、蓮華にも心配をかけていたとは、よっぽど俺は、元気が無いように見えるのかもしれないな。

「まったく、何を落ち込んでいるのやら……背後から見ても、背中が煤けていたぞ」
「ん〜………まぁ、いろいろとね。一つ、聞きたいんだけど……大きな失敗をしちゃったと思ったら、どう挽回すればいいと思う?」
「………何か、問題でもあったのか? 補給か、兵站の不足でもあったのか?」

俺の言葉に、思春の表情が剣呑なものになった。俺が失敗をやらかしたと聞いて、その被害がどんなものかと、目つきを険しくして睨んでくる。

「いや、補給とか、そういう話でなく……雪蓮や冥琳が、特別な作戦を考えていたのに、それを俺が口にしようとしたって話なんだけど」
「――――ふむ」

俺の言葉に、思春はしばらく考えるそぶりを見せる。ややあって、思春は呆れたような顔で俺を見ると、肩をすくめた。

「……別に、実際に口に出したわけではないのだろう? だとすれば、何の問題もないではないか」
「そうかな? 冥琳は怒ったような顔をしていたし、雪蓮も顔は笑っていたけど、何となく、怒っているような気がしてさ」

俺がそう言うと、思春は、はぁ………と一つ、溜め息をついた後で、

「本当に怒らせたというのなら、北郷の首は既に、胴から離れていると思うがな。御優しい蓮華様と違い、雪蓮様は激しい気性のお方なのは、貴様も知っているだろう」
「……さらりと、怖い事をいうなよ」
「事実なのだから、仕方があるまい。何にせよ、貴様が考えているほどの失策ではないということだ」

キッパリと思春にそう言われ、何となく胸の奥で重くなっていたものが、すっ………と、軽くなったような気がした。

「まったく……何を悩んでいるのかと思えば、細かいことを気にするものだ。普段は、恐ろしいほどに朴念だというのにな」
「あはは……まぁ、たまには俺も、思い悩む事があるってことだよ」

照れ隠しに笑みを浮かべながら、軽い口調で俺がいうと、毒気を抜かれたのか、思春は彼女にしては珍しく、剣呑さの薄れた視線を俺に向けてくる。

「だとしても、悩むのは程ほどにしておくべきだろう。北郷が元気が無いとなると、どうにも影響を受ける輩が多いからな」
「そうかなー、俺はそんなに重要人物じゃないと思うけど………ん?」

と、そんな風に思春と話していると、視界の隅に何か動くものが見えた。夜営の為のテントの影から、こっちの様子をうかがう人影が二つ。どちらも見知った相手だった。

「亞莎に明命………二人とも、そんな所で何をしてるんだ?」
「ひゃぅっ………いえ、その………一刀様に、ごまだんごを差し入れようと思いまして」
「わ、私は亞莎の付き添いで――――その……」
「――――言った通りだろう? まったく、呉の一翼を担う将が、二人して何をしているのやら」

俺に声を掛けられて、慌てた様子で言葉を濁す二人を見て、思春は呆れたような表情で溜め息をついた。と、さすがに気に障ったのか、明命がふてくされた顔で反論をする。

「そういう思春殿も、一刀様のところに来ているじゃないですか」
「蓮華様のためだ。別に他意があってというわけではない」
「……そうでしょうか? 先程の二人の雰囲気を見ていると、思春さんは、一刀さまの事を気に掛けているように思えたんですけど」
「え、ひょっとして、思春も心配してくれてたのか?」

亞莎の言葉を聞き、俺は思わず思春にそう聞いていた。心配されるのは悪い気分じゃないものだけど、それに対しての、思春のリアクションはというと――――

「………」
「はい、俺の勘違いですね、どうもすみません」

喉もとに刃を突きつけられて、思いっきり睨まれる羽目になり………平謝りに謝るしかない俺なのであった。



「………………」
「あれあれ〜? 蓮華様、ひょっとして、仲間に混ざれなくて寂しいんですか〜」
「なっ………べ、別に誰もそんな事は言っていないだろう! まったく………なんにせよ、元気になったみたいね。よかった」
「ん〜? 何か仰いましたか〜」
「何も言ってはいないさ。戻るぞ、穏」
「はい〜。お供しますね〜」



劉表軍の本拠地である襄陽。普段なら、交易の妨げになるからと、大きく開いている門も、さすがに今は閉じられている。報告によれば、劉表率いる荊州軍の数は二万。
それほど有能な将帥が居るという話も無く、大した脅威にはならないのではないかというのが、呉の首脳部の見解であった。
城攻めの為の準備に追われる俺達。と、そんな最中、襄陽からの使いの者が、呉の陣中に到着した。思春と穏を両脇に控えさせ、蓮華は使者と謁見する。
俺は亞莎や明命と共に脇に控えながら、謁見の様子を見守ることにしたのだった。

「降伏……だと? 貴公らは、戦う気は無いということなのか?」
「はい、劉表様は無駄な争いを好まぬ御方。無駄に血を流すよりも、孫呉に従い、安寧を求めることを優先なされました」
「ふむ……降伏するというのなら、話は早い。では、我が軍を入城させることに異論は無いな」

劉表軍からの使者は、降伏の使者らしかった。相手が戦わないというのであれば、それに越した事は無いだろう。降伏するとの話に、陣内の空気も若干和らいだ。が、

「そのことなのですが、兵士を入城をさせるのは、今しばらく見合わせて頂けないかと」
「……なんだと、どういうことだ?」
「実は、今回の降伏に際して、重臣達の間でも意見が割れておりまして……その説得に、今しばらくの時間をいただきたいと思いまして」

怪訝そうな表情をする蓮華に、平伏しながら使者は口上を述べる。ようは、城を明け渡すのに、もうしばらく時間が欲しいとのことらしい。

「……そういうことか。で、どの位の時間が必要だというのだ?」
「出来れば、一週間か二週間ほど頂ければと……」
「なっ……ふざけるな! たかだか城内の説得に、そのような時間を許すと思うのか!」

蓮華の質問に、使者がそう答えると、思春が怒ったように怒鳴り声を上げた。刀の柄に手を掛け、使者を切り捨てようかという剣幕である。と、

「落ち着け、興覇」

ぴしゃりとした口調で、思春の動きを蓮華が止めた。蓮華は、探るような目で、平伏をしたままの使者をじっと見る。しばらくして、その口から低い声が漏れた。

「――――使者よ、降伏の件は、真の事なのだろうな?」
「はっ、それはもう……我が身命と、この首に誓いまして」
「分かった。それでは、一週間だけ待つことにしよう」
「蓮華様!?」

蓮華の言葉に、思春が戸惑ったような声をあげる。蓮華は、まっすぐに使者を見つめると、淡々とした声を投げかけたのだった。

「ただし、期日を過ぎた、その時は……我々は全力で、襄陽を陥としに掛かる。その事を、努々(ゆめゆめ)忘れないことだ」
「はは、肝に銘じておきますとも」

ペコペコと頭を下げる使者を、思春が険しい表情で見つめている。何故か、一触即発の空気を孕んだままで、使者との謁見は終わりを告げることになったのだった。
何にせよ、戦争になることもなさそうだし、一安心というところだろう。何故か不満そうな思春と、険しい顔をしている蓮華を見ながら、俺はそんなことを考えていた。

だが、それから幾日かが経過することになったが………予想に反して、襄陽から二度目の使者が来ることもなく、時間だけが過ぎていった。

「北郷様、朝餉の準備が整いましたよ」
「……ん、ああ、ありがとう。いつも悪いね」

そうして、一週間目の朝――――その日は、いつもと変わらず、穏やかな朝を迎えていた。陣幕で眠っていた俺は、いつも通り副官の人に起こされることになった。
俺があまり優秀でないこともあり、色々な雑務は全て副官に任せているのだけど、食事の準備や洗濯等の細々とした事までしてくれるのはありがたかった。
俺は、生活能力に特に秀でたわけでもない一学生なので、こういう特典はありがたく受けておくことにしていた。

「そういえば、今日は城の明け渡しの日だったっけ……? 城の方からは、使者が着たりはしてたかな?」
「いえ、そういう事は無かったと思いますが」

眠気覚ましに、濡れた手ぬぐいで顔を拭きながら聞いてみると、半ば予想通りの答えが返ってきた。それにしても、大丈夫なんだろうか?
城を明け渡すのに色々と用意がいるといっても、この一週間も、何の音沙汰も無いというのは、どうしたのだろう。それだけ、城での説得が難航しているかもしれないが。

「大丈夫ですよ。相手も戦う気が無いみたいですし。今朝も、城壁の上に、荊州兵の姿は見られませんでしたから」
「そうか……それなら良いんだけどな」

降伏の使者が送られてきた翌日から、襄陽の城壁の上から、劉表の旗印と共に、荊州兵の姿は消えうせていた。反抗する必要も無いからと、兵をさがらせたらしい。
その態度だけ見ていると、向こうは明らかに降伏する気があるように思えるんだけど………奇妙な違和感を胸のうちに抱えていると、天幕のなかに伝令兵が入ってきた。

「失礼します。北郷殿に言伝です。至急、本営に出頭せよとの命が下りました」
「こんな、朝早くから――――? わかった、すぐに行くって伝えておいてくれ」
「はっ!!」

俺の言葉に、敬礼一つ残し、きびきびとした歩調で兵士は掛け去っていく。その身体から、かもされている緊張感に……俺は知らず知らず、喉を一つ上下させていた。
どうにも、事態は俺の願望とは違い、剣呑な方へと流れていっているようであった。



「………遅かったな、一刀。寝付きが悪かったのか?」
「あ、ああ、ちょっとだけな。遅れてごめん……それより蓮華、こんなに朝早くから、一体どうしたんだ?」

呉の陣内にある本営――――その天幕内に入ると、蓮華に思春に穏、それに亞莎と明命と、呉の武将がそろい踏みで俺を出迎えた。というか、俺が一番最後だったらしい。
険しい表情の蓮華。相変わらず、にこにこ顔の穏と仏頂面の思春、心配そうな表情で蓮華を見る明命と、亞莎はというと落ち着かない様子で周りを見渡している。
俺が天幕の中に入り、入り口を兵士が固めると、蓮華は俺達をぐるりと見渡すと、静かに口を開いたのだった。

「皆……穏の話を、心して聞いて欲しい」



兵士の地を踏みしめる音と、騎馬の馬蹄の音が、幾重にも重なり、行進曲のように響き渡る。城外に陣を敷いていた呉軍は、軍容を整えると、城壁に向かい、進軍する。
呉の動きを見てか、襄陽の門から、一騎の騎馬がこちらに向かって駆けて来たのは、その時である。

「お、お待ちくだされ、孫権殿!」
「………来たか」

軍の先頭に立っていた孫権は、手を上げて進軍を止めると、馬から下りる。それに習い、思春と穏も騎馬から降りた。
他の者が遠巻きに状況を見守る中で、使者は馬から下りると、平伏する。その態度は兎も角、発せられた声は動揺に震えていた。

「こ、これはいったい、どういうことですか!?」
「どうもこうもない。約束の期日は今日であろう。だとすれば、いつ軍を進めようと、我々の勝手ではないか」
「で、ですが、こちらの連絡を待つことも無く軍を進めるとは……」
「――――では、聞こうか。城を明け渡す準備は出来たのか?」
「そ、それは、今も説得を続けておりまして………あと、二日、いえ、一日待っていただけたら、きっと――――」

平伏し、そんな事をいう使者。そんな使者をじっと蓮華は見つめると、静かな声で諫めるように言葉を発する。

「一日か……その一日が二日に、一週間に、一月にならぬという保障がどこにある?」
「そ、それは………」
「私は、一週間という期限を与えた。その信を裏切ったのは、そちらだろう。もはや、事は武で決するしかないということだ」

蓮華の言葉に、使者の肩が震える。ややあって、喉の奥から押し殺したような声が絞り出された。

「――――どうしても、軍は引けぬと?」
「ああ」

と、蓮華が頷いた瞬間である。

「死ねいっ! 孫権!」

身を屈めていた体勢から、跳ね上がるようにして使者が蓮華に躍りかかったのである。その手には、小ぶりの短刀が握られていた。白刃が蓮華に迫る、その直前、

「たぁ〜っ!」
「なっ!?」

蓮華の傍に控えていた穏が、自らの武器である九節棍で、刺客の短刀を弾いたのである。蓮華の傍には思春もおり、そちらの方を警戒していたのだろう。
予想外の相手の不意打ちに、刺客の動きが止まる。それを見計らって――――。

「はぁっ!」
「ぐっ………無念………」

狙い済ました思春の一撃が、刺客の身体を袈裟懸けに切り裂いたのであった。血しぶきを上げ、使者を装った刺客は、地面に倒れこむ。
しばらくの間、苦悶に身体を震わせていたものの、その身体からは、おびただしい血が流れ続け、すぐにその命を掻き消すことになったのであった。

「ご無事ですか、蓮華様?」
「ああ。穏と思春に助けられたな。礼を言うぞ」
「はっ、もったいなき御言葉」
「それよりも、これで向こうの狙いは、決定的になったな………皆、城壁の上を見よ!」

蓮華の言葉に、兵士達は襄陽の城壁に視線を向ける。やがて、兵士たちの中から、動揺の声が発せられた。
旗も無く、無人のはずだった城壁上に、いつの間にか、荊州軍が布陣を終えていたのである。兵士たちの動揺が収まるのを待ち、蓮華は改めて、口を開いた。

「見よ! 敵は降伏を語らいながら、このような備えを用意していたのだ。恐らくは、降伏はいつわりであったのだろう。我々は、騙されていたのだ!」

ざわざわと、蓮華の言葉が兵士達の間に、波紋となって広まっていく。その空気が、怒りに震える頃合を見計らい、蓮華は鬨の声を張り上げる!

「孫呉の兵達よ! 我々を虚仮にした、荊州の愚か者たちに、我らの強さ、恐ろしさを見せ付けてやろうではないか! 全軍抜刀………突撃ぃっ!!」

蓮華の言葉に呼応するように、兵士達の高揚した声が、そこかしこから立ち上がる。孫呉の兵士たちは城壁に取り付き、攻城戦の幕が切って落とされることになった。




荊州奪取

〜襄陽攻略戦〜

自軍兵力 VS 敵軍兵力
50000  VS  20000

敵軍将軍:荊州兵
敵軍軍師:荊州兵

:選択可能武将:
孫権(蓮華)・甘寧(思春)・周泰(明命)・呂蒙(亞莎)・陸遜(穏)



「全部隊を城内に入れた後、門を閉じろ! 思春、四方に斥候を出せ! 状況から考えても、蜀軍がこちらに向かってくる事は間違いないだろう」
「御意!」
「………それにしても、穏の予想通りだったな」

補給部隊と共に、襄陽に入城をしながら、矢継ぎ早に命を下す蓮華を見て、俺は攻城戦を始めた日の、密談の席を思い出していた。



「……劉表軍の降伏が、偽りだって?」
「はい〜。十中八九、そうであるでしょうね〜」

俺の言葉に、穏はのんびりとした様子で、首肯する。その様子はいつも通りの、のんびりとした様子であり……そのせいか、慌てた様子の者は、この場には居なかった。
しかし、それでも降伏が偽りであるという不穏な話に、皆の顔は、一様に強張っていたのだったが。

「しかし……降伏が偽りとは、その根拠は?」
「劉表さんは、利に聡い人ですから〜。降伏するのなら、なるべく早くしようとするでしょうね〜。それが、こうも返事が無いとなると、何かを企んでるんでしょうね〜」
「何かを……恐らくは、蜀からの援軍を待ってるんでしょうか」

思春の問いに穏が答えると、その言葉を聞いていた亞莎が、ポツリと呟きを漏らした。と、その言葉を聞いて穏は相好を崩した。

「その通りです、亞莎ちゃん、よく分かりましたね〜。襄陽の動きが鈍いのは、こちらに疑心を抱かせて、攻城を早めない為ではないでしょうか〜」
「劉表殿は病床だと聞いていますし、ただ単に、そのせいで軍議がまとまっていないのではないですか?」
「はい、ですから十中の一は、本当に降伏をしようとしているけど、手間取っているという可能性ですね〜」

明命の言葉に、穏は、ほんわりとした表情で頷くと、言葉を続ける。

「何にせよ〜、今日が一週間目ですし、そろそろ動くべきだと重いますよ〜」
「動くべきって、具体的にどうするんだ?」
「そうですね〜、軍を前進させて、襄陽に近づけるのはどうでしょうか〜? 降伏するのが本当でも嘘でも、相手は焦ってくれると思いますからね〜」
「心理面で、圧迫をかけるってことか」

穏の言葉に、考えてまとめてみる。軍勢が都市に近づけば、それだけで相手は慌てるのは間違いないだろう。軍勢ってのは暴力の象徴みたいなものだからな。

「軍を率いて襄陽に近づいて〜、それで襄陽が降伏の意思を示せば、そのまま入城。もし引き伸ばしや抵抗の意思を示したら、そのまま攻めれば良いと思いますよ〜」

穏の言葉に、その場に居た全員が、蓮華を見る。皆の視線を受けて、蓮華は大きく息を吸うと、一つ大きな溜め息をついた。

「……最初に使者が訪れた時から、奇妙な感じはしていた。それでも、降伏を信じたかったのは、私の甘さだったのかも知れないな」
「――――…蓮華様」
「気遣いは無用だ、思春。皆、出陣の準備をしろ。襄陽の鼻先に、我らが刃、突きつけるぞ!」

蓮華の言葉に、その場に居た全員が、真剣な表情で頷いたのであった。



城壁を突破し、襄陽内になだれ込んだ孫呉の軍。もともと、戦には乗り気でないものが多かったのか、荊州兵の抵抗はすぐに止み、投降者が続出した。
本城を守る兵士達も雲散霧消し、殆ど抵抗という抵抗も無く、俺達は、城の中に乗り込むことになったのであった。

「劉表を探し出せ! 逃げたという報告が無い以上、必ずこの城の中にいるはずだ!」

一部隊を率いて城内に乗り込んだ蓮華。明命を護衛につけ、兵士達に劉表を探すように命を下している。既に抵抗するものは居ないのか、場内は静まり返っていた。
時々、恐る恐るといった風に、こっちの様子を見てくる女官達がいる他は、人を見かけることも無く、俺達は城の置くに進む。
そうして、城の廊下を歩いていた俺達の前に、一人の完全武装の武官が現れたのは、城の奥深くに進んだときであった。
呉の兵士達も、まだこのあたりの捜索はしていないのか、周囲には人の気配は無い。俺と蓮華、明命の前に現われた中年の武将は、恭しく一礼する。

「孫権様ですね」
「貴様は、何者だ?」
「手前は、蔡瑁と申す者。劉表様の副臣をしておりました」
「劉表の部下か……貴様の主君はどこに居る? 隠し立てをするのならば、容赦はしないぞ」

そう言うと、蓮華は蔡瑁に向けて剣を向ける。殺気を込めた蓮華の恫喝であったが、蔡瑁はそれに怯えた様子も無く、静かに首肯し、廊下の奥を指し示した。

「ご案内いたしましょう。御連れの方ともども、こちらへどうぞ」
「そうか。行くぞ、明命、一刀」
「って、ちょっと待てよ。そんな風に、ホイホイついて行って大丈夫なのか? 罠とかだったら、どうするんだよ」

蔡瑁の後に続き、奥に進もうとする蓮華を、俺は呼び止める。いくら抵抗が収まっているといっても、大将が、こんなに少人数で先に進むのは無用心だと思えたからだ。
しかし、そんな俺の言葉を聞き、蓮華は静かに微笑みを浮かべると。その瞳に絶対の信頼を持って、明命を見つめたのだった。

「問題ない。私には幼平がいるからな。私と一刀の二人を、きっと守ってくれると信じている」
「はいっ、お任せください!」

蓮華の言葉に、明命は気合のこもった表情で頷く。確かに、明命ならば敵が何名いても、全て斬り伏せて、蓮華の身を守ってくれそうである。
それでも、用心するに越した事は無いだろう。せめて、蓮華達の足手まといにならないようにしたいものだよな……蔡瑁を追う蓮華の後に続きながら、そんな事を考える。
幸いなことに、罠とかそういった類のものは無く、蓮華は劉表と面会することになった。少々、意外な形の面会となったのだが。



「劉表様は、こちらに」
「これは、どういうことだ……!?」

蔡瑁という将軍に連れられて部屋に入った部屋……そこのベッドには、一人の老人が横たわっている。その顔には、横たわる死者にする為の布がかかっていた。
呆然とする蓮華の前で、蔡瑁は顔に掛かった布を取る。そこから現われた老人の顔は蒼白で、生きていない事は明白であった。

「劉表様の容態が悪化したのは、呉軍が来る少し前のことでした。今際の時に、劉表様は、我が死を隠し、蜀の劉備への援軍を求めろと仰いました」
「では、我々が襄陽に来た時は、既に劉表殿は……」
「はい、旅立たれておいででした」

蔡瑁の言葉に、蓮華は無言。その瞳がいたたまれないといった風に、横たわる老人の亡骸に向けられていた。
きっと、劉表が望んでいたのは、俺たちではなく、劉備が軍を率い、この場所に来ることだったのだろう。残念なことに、この願いは果たされなかったのだが。
黙り込んだ蓮華に向かい、蔡瑁は深々と一礼する。

「事ここに至っては、もはや抵抗はいたしますまい。ただ、劉表様のご子息の劉j様をはじめ、皆の身の安全を保障していただきたいのですが」
「………ああ。捕らえた者達への処遇は、悪いようにはしない。劉表殿の亡骸も、丁重に弔ってやってくれ」
「――――はっ」

敬礼する蔡瑁を残し、蓮華は踵を返して部屋から出て行く。何も語ったりはしなかったが、その背中が、劉表の死を悼んでいたのは、俺にも理解できたのだった。



その後、城内を一通り制圧を終え、劉jや蔡瑁などの処遇については、ひとまず保留にすることにすることで、襄陽の攻防戦は終わりを告げる事になった。
戦が終わった後、思春は哨戒兵を四方八方に飛ばし、周辺の警戒にあたり、蓮華は穏を伴って、戦の事後処理に奔走することになった。
俺は、亞莎や明命と共に、蓮華たちの護衛として、その後をついてまわることとなった。最も、俺の腕を考えれば、俺自身が護衛してもらっているようなものだけど。
それにしても、劉表の亡骸との対面からというもの、どうも蓮華の表情に元気が無いのが、俺には気がかりであった。

「それでは、私はこれから、投降した皆さんの説得にあたってきますね〜」
「ああ、頼んだぞ、穏………ふぅ」

穏が部屋から退出し、様々な後始末が終わる頃、疲れが出てきたのか、蓮華が一つ溜め息をついた。城が落ちてから数日の間、働きづめだったし、疲れもするだろう。

「……よし。蓮華、少し席を外すけど、構わないよな?」
「――――? ああ」

蓮華に許可を貰い、俺は部屋から出た。勝手を知っている城というわけではなかったが、ここ数日で、ある程度の部屋の位置も把握できたし、迷子になる事は無いだろう。



「ただいま、戻ったよ、蓮華」
「ああ………北郷、それは?」

盆を両手に持って、俺が部屋に戻ると、出迎えた蓮華は、怪訝そうな表情を見せた。俺が両手に持った盆の上には、飲茶の用具が一式揃えられている。

「ああ、ここの城の厨房に行って、飲茶の用意をさせてもらったんだよ。ほら、ここ数日は働きづめで、疲れただろうし」
「別に、疲れてなどいないぞ」
「蓮華は、そうだろうなぁ。でも、俺の方は、もうへとへとでさ、できれば一服したい所なんだ」
「………」
「まぁ、そんなわけで、休憩につきあってくれると、俺としても嬉しいんだけど」

俺が、おどけた様子で蓮華に言ってみると、蓮華は肩の力を抜くように、一つ息を吐いてから微笑みを浮かべた。どうやら、上手に誘う事ができたらしい。

「そうね……政務も一通り終わったことだし、一刀の誘いに乗るのも悪くは無いのかもしれないわね」
「そっか、それじゃあ蓮華は寛いでいてくれよ。お茶の用意は、俺がするからさ」
「ふふ……北郷は、とても嬉しそうにお茶の用意をするのよね」

俺がお茶の用意をするのを眺めながら、蓮華は楽しそうに口元を綻ばせる。寛いだ様子の蓮華を見て、俺も何となく嬉しい気分になった。

「蓮華の為に、お茶を煎れてるからだよ。好きな人に飲ませるとなると、流石に気合の入り方が違うからさ」
「そ、そういうものなのか?」
「そういうものだよ。はい、どうぞ」

お茶の注がれた茶器を手渡すと、蓮華は静かに口をつけると、ゆっくりと、しかし、一息に、お茶を飲み干した。なんだかんだ言って、喉が渇いていたらしい。

「ふぅ、おいしい……もう一杯、もらえるかしら?」
「ああ、おやすい御用だよ。はい」

お茶のおかわりを渡すと、蓮華は今度も、嬉しそうに口をつける。喉の渇きはおさまったのか、一気に飲む事はやめ、味わうようにゆっくりと、お茶を飲む蓮華。
俺は、蓮華の対面に置かれた椅子に腰を下ろすと、その様子をみつめる。そんな俺の行為が気になったのか、蓮華はお茶を飲む姿勢のまま、瞳だけを俺に向けてきた。

「なんだ、人の顔をじろじろと見て? 何か気になることでもあるのか?」
「いや、そういうわけじゃないよ。ただ、蓮華の顔を見ているだけさ」
「……おかしな奴だな。私の顔など見ても、面白くもなんともないだろう。別に、珍妙な顔というわけでもないだろうし」

そんな事を言いながら、お茶をすする蓮華。その姿は、見ていて微笑ましいものだったけど、素直にそう言ったら、怒りそうな気もした。
それは兎も角、せっかく雰囲気も良くなってきたことだし、蓮華に一つ、気になった事を聞いてみることにしようか。

「――――それはそうと、少しは気が晴れたかな?」
「……何のことだ?」
「誤魔化さなくてもいいよ。何だかんだで、長く一緒にいるんだし、蓮華が、どこか落ち込んでいたことくらいは分っていたさ」

蓮華の瞳を見て言うと。蓮華も、俺の瞳をじっと見返してきた。深い湖畔のような、静かな沈黙………しばらくして、蓮華は茶器を机の上に置き、ポツリと呟きを漏らす。

「………そうか、心配をかけたみたいだな」
「今は、他に誰もいないしさ………話してみなよ、俺だけに」

俺がそう言って促すと、蓮華は数秒の沈黙の後で、静かに、唇を動かし始めたのだった。

「襄陽の太守であった、劉表のことで、少し考えることがあってな。今際の時に、国を守れといったその姿勢が、雪蓮姉様の時と酷似しているような気がしてな」
「……ああ」

蓮華の言葉を聞いて、俺は、雪蓮が賊に襲われた時の事を思い出す。賊の毒矢を受け、手傷を負いながらも、国のためにと奮起をした雪蓮。
幸い、命に別状は無かったものの、一歩間違っていれば、雪蓮も命を落としていたかもしれない。
あの時、あの瞬間、雪蓮は間違いなく、命を賭して曹操と対峙していた。死んだ劉表の、遺言めいた命もまた、雪蓮と同様に、命がけのものだったのだろう。

「命を掛け、国を、民を守ろうとした思い………その思いを、生者である私達が踏みにじっていいものかと、そんな事を考えてな」
「………」
「弱音を言って、すまない。だが、思春や冥琳に言えば、間違いなく甘いことを言うなと、言われるだろうからな」

そう言って、苦い微笑みを浮かべる蓮華。俺は、蓮華を見つめながら、彼女の先程の言葉を思い返していた。
今は乱世の時代である。他人の事を考える余裕があるのなら、自らの利を得るために動くのが当然なのだろう。
そういった意味では、蓮華よりは雪蓮の方が、乱世には向いているのかもしれない。ただ、他人を思いやれる優しい心、それは蓮華にとって大事なもののように思えた。

「そうだな………俺としては、蓮華がそういう風に考えてくれているのは、嬉しいけど」
「――――嬉しい?」
「ああ。蓮華がそうやって、他人を思いやれる気持ちを持ってるなら、きっと、襄陽の人達や、捕らえた将兵を無碍に扱ったりはしないからな」

覇者には必要のないであろう情の心………だけど、治世者としてその心は、必要なものではないかと、俺は思う。

「もちろん、蓮華がただ、甘いだけじゃないのも知っているよ。劉表だけじゃなくて、呉の皆も敵の兵達も、誰もが、この戦いに命を掛けていた事も、分かってるんだろう」
「……ああ。分かっていたさ。その上で、感傷に浸っていることもな。一刀は、それでも良いと言ってくれるが」
「他人の死を悼むのは、悪いことじゃない。表には出さないだろうけど、雪蓮や冥琳だって、きっとそういう気持ちを持っていると、俺は思うよ」

蓮華の瞳をじっと見つめ、俺は言葉を続ける。若鳥のように、これからも雄々しく成長していくだろう蓮華には、出来るだけ真っ直ぐに成長してほしいと、想っていた。

「まぁ、それを踏まえて、蓮華にはもう少しだけ、図太くなって欲しい所だよな」
「――――図太く?」
「ああ。劉表の死を悼むのはいいけど、それで落ち込んだ気持ちを、表に出さない位に、気丈に振舞えればなって。蓮華は、見た目以上に繊細な女の娘だしな」
「お、お前は……! また私を娘扱いする……」

俺の言葉に、照れたように俯く蓮華。そんな蓮華が愛しくて、俺は席を立つと、蓮華の傍に歩み寄って、その手を取った。

「俺にとっては、蓮華は可愛い女の子だよ。もちろん、為政者としての蓮華も知っているけど、それを知ってたって、気持ちは変わるものじゃないさ」
「一刀……」

何となく、いい雰囲気になってきた俺達。どちらともなく、見詰め合った俺と蓮華は、そのまま顔を近づけ――――

「蓮華様、歓談中に申し訳ありませんが……宜しいでしょうか」
「!? な、なんだ、思春か……驚いたぞ」

唐突に、間近から聞こえてきた声に、俺と蓮華は弾かれたように身を離すことになった。いつの間にか、思春が部屋に入ってきていたようである。
蓮華は、照れを誤魔化すかのように、怒ったような表情を作るが、それで動揺する思春でもなく、鉄面皮のような表情で、蓮華をじっと見つめていた。
どうも、その顔から只ならぬ雰囲気を察したのか、蓮華の表情も引き締まる。蓮華は思春に鋭い瞳を向けると、真剣な表情で問いを発した。

「何かあったのか? 思春には、四方に兵を出して、警戒にあたらせていたはずだったが」
「はっ。先頭に、関の旗印を掲げた5万余の部隊が、北方より襄陽に近づいてきております。後に続く旗も、趙、馬、黄と、錚々たる顔ぶれかと」
「噂に名高い、劉備の配下の五虎将のうち、関羽、趙雲、馬超に黄忠か……襄陽を攻め落としておいて正解だったな」
「そうですね。野戦で負けるとは思いませんが、襄陽を攻めながら、劉備軍を相手にするのは骨が折れたでしょう。それはそうと、もう一つ報告があります」
「…………? まだ、何かあるのか?」

思春の様子に、蓮華は怪訝そうな顔を見せた。劉備軍の動向以外には、今のところ気に掛けるような重要な事は、なかったはずである。

「周辺の警戒にあたっていた兵より、急報がありました。建業より、雪蓮様から蓮華様に手紙を持った遣いが何名か出され、その一人から、手紙を受け取ったとのことです」
「……雪蓮姉様から?」
「はい。事が事ですので、手紙の内容は確認しておりません。これを――――」

そう言って、思春は懐から一枚の手紙を差し出した。蓮華は、思春から手紙を受け取ると、折りたたまれた紙片を開いて中を見る。
と、その表情が見る見るうちに強張った。いったい、何が書かれているんだろうか?

「なん、だと………?」
「どうしたんだ、蓮華。雪蓮はいったい、手紙で何を伝えてきたんだ?」
「――――北方よりの凶報だ。曹操が大動員令を発し、大軍を率いて南下を始めたとの事だ。その総数は、数十万に上るらしい」
「なっ………数十万!? それは、流石に誤報ではないのですか?」

蓮華の言葉に、思春が一瞬呆気に取られた後で、信じられないといった風に呟く。しかし、言葉ほどに、表情は否定をしておらず、思春の表情は険しいものになっていた。
乱世の覇者である曹操――――北方にて袁紹を破り、勢いを増した今ならば、数十万という大軍を動員することも不可能ではない……いや、やりかねないだろう。
一度は魏国の軍勢と戦ったこともある俺達にとっては、その精強さは身に染みて分かっていた。それが、以前よりも多くの兵で攻め込んでこようというのである。
戦慄にも似た寒気のようなものが、その場に居た者の首元を、静かに撫でていったように感じる。蓮華は、その寒気を振り払うように、首を振って言葉を紡ぎ出した。

「魏軍の進路なのだが、宛より南へ……新野から襄陽に向かう道筋を取っているようだ。襄陽を占領しているのなら、兵を率いて柴桑まで撤退せよと書かれている」
「柴桑に、ですか?」
「ああ。そこで兵を統合し、曹操の南下に対抗するつもりのようだ。雪蓮姉様や冥琳も、この手紙がつく頃には兵を率いて柴桑に向かっているらしい」

柴桑は長江のほとりにある都市である。そこに兵力を統合するという事は、水軍兵力を持って、一大決戦を挑もうというのだろう。

「しかし、我々の撤退を、劉備軍が黙って見過ごしてくれるのでしょうか? 目と鼻の先に衝突が迫ったこの状況で、矛を収めさせるのは容易ではないと思いますが」
「そのあたりは、我々の才幹次第ということだろう。兎も角、曹操が南下を始めた以上、襄陽に留まることも出来ないだろう。思春、主だった将を集めろ。軍議を行う!」
「はっ!」

蓮華の命を受け、思春が部屋から駆け出て行く。それを見送った後で、俺は椅子から立ち上がった蓮華を見つめた。
曹操の南下という大事にも、蓮華は表面上は落ち着いているようであった。これなら、他の皆も安心して、蓮華に従うだろう。俺は、蓮華と頷き合うと共に部屋から出た。
襄陽を落とし、意気盛んであった呉軍。しかし、曹操の南下により、事態は新たな局面を迎えることになったのであった。


――――了

参考画像・中編終了時・勢力情報。青:曹操軍 緑:劉備軍 赤:孫策軍


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