〜史実無根の物語〜
〜其の一〜
様々な経験を積んで、一人前の部隊となった北郷隊。沙和も凪も真桜も、今では充分に独り立ちできるほどに成長をしていた。
とはいえ、北郷隊の主な仕事は戦闘や兵士達の調練だけではなく、治安の維持もあり、そちらの方には些か不安があった。
なにしろ、生真面目な凪はともかく、沙和も真桜も、何か事があるたびに、警邏をサボっては趣味に走っていることがたびたびあった。
怒りづらいのは、困った事に二人とも不真面目に遊ぶのではなく、真剣に趣味に走っている点である。
そういった趣味が、真桜のからくり技術だったりと、意外な場所で役に立つ事もあり、俺としては多少は寛容に見ることにしていたのだった。
「隊長、お買い物に付き合ってくれて、ありがとなの〜」
「いや、これくらいは何てことないよ。それほど、かさばる物でも無いわけだしな」
警邏の帰り、どうしても買いたいものがあると沙和に引っ張られて入ったのは、洋服のお店……そこで、あれこれと小一時間ほど買い物に付き合わされたのだった。
自分の服も買ってたけど、真桜と凪の新しい衣装についても何着か選んでいたな。二人に似合う服だと沙和は言っていたし、楽しみにしておくとしよう。
「あれ、隊長……? 沙和と一緒に買い物ですか?」
そんな事を考えながら、通りを歩いていると――――同じように警邏の帰りなのか、連れ立って歩いていた凪と真桜に出くわした。
警邏の帰りだと判断したのは、凪と真桜の手に、熱々の肉まんが握られていたからである。真面目な凪が買い食いをするとは思えないし、警邏は終わっているのだろう。
「ああ。警邏がてらに、ちょっとね……それはそうと、なかなかおいしそうだな、それ。真桜、少し分けてくれよ」
「ウチか? 別にかまへんけど……いや、食べるんなら凪の持ってる方がおいしいと思うで。凪も、隊長になら食べられても文句ないやろ」
「ちょ、真桜っ!」
真桜の言葉に、凪は慌てたように真桜に向かって声を張り上げる。何か、不都合でもあるんだろうか?
「あー……ひょっとして、好物で楽しみに取っていたとか? それなら悪かったな。いま言った事は、忘れてくれ」
「い、いえ、そういうわけではないんですけど……! はぁ……分かりました」
凪は溜め息をつくと、手に持っていた肉まんを二つに割って、片方を俺に手渡してきた。肉まんを受け取ると、出来立てなのか、あったかくで美味しそうである。
「うまそうだけど、貰って良いんだな? それじゃあ遠慮なく」
「ぁ」
何やら言いたそうな凪の前で、俺は肉まんを頬張る。もぐもぐと口の中に入れた肉まんを噛んでいた俺だったが――――
「うん、うまいうま――――ぐほぁ!?」
途中から、とんでもない辛さが口の中に広がって、俺は地面をのた打ち回って、悶絶する。変わった味の餡だと思ってたけど……何なんだ、これは!?
「ぷーっ、ひっかかった、ひっかかった!」
「ああ……やっぱり」
苦しむ俺の様子を見て、爆笑する真桜。凪はというと、哀しそうな表情で、手に持った肉まんの片割れを見つめると、俺と同じように頬張った。
もぐもぐと口の中で咀嚼すると、平気な表情でゴクリと飲み込む凪。俺が苦しんだあの辛さも、凪にとっては何でもないようだった。
「ねぇねぇ、真桜ちゃん、隊長はどうしちゃったの? 凪ちゃんから貰った肉まんに、何か入っていたの?」
「ああ、あれな、凪が持ってたのは特性の激辛麻婆饅で、凪以外の奴が食べたら、隊長みたいになるっちゅうこっちゃ」
「なるほどー、だから隊長ったら、打ち上げられた魚みたいに、地面をのた打ち回ってるんだー」
笑いを噛み殺しながらいう真桜の言葉に、のほほんとした表情で、なるほどーと頷く沙和。というか、お前ら見ていないで俺を助けてくれ。
「隊長、大丈夫ですか……? これ、お水です」
唯一、俺のことを心配してくれていたらしい凪が、近くの商家から分けてもらったのか、椀になみなみと注いだ水を持ってきてくれた。
あまりの辛さに言葉も出なかった俺は、内心で凪に礼を言いながら、受け取った水を一気飲みにする。まるで火事場のような口の中は、それで幾分かはマシになった。
「ふひぃ……あー、辛かった。しかし、激辛麻婆饅って言っていたけど、そんなものがあるなんて知らなかったよ」
「いえ、普通は売られてはいないと思います。この前、隊長も一緒に行った料理屋の主人が、懇意で作ってくれたものですけど……あ、もちろん、お金は払いましたよ!」
「ああ。その点は凪は真面目だし、心配はしていないよ。それにしても……この前の店っていうと、あの店か」
以前、凪達と食事をしに行った店を思い出す。あの店の主人は、俺がやって見せた麻婆丼を、実際に商品にしてしまうほどに、料理熱心だった。
その熱意が高じて、様々な食べ物と麻婆を組み合わせているらしい。無論、肉饅など、組み合わせる食べ物も自作できる腕があるからこそ出来る芸当なのだろうけど。
「しかし、こんなに辛いって分かっているなら、真桜も凪も止めてくれればよかったのに……人が悪いな」
「え〜、せやかて、隊長がどないな反応するのか見たかったんやもん」
俺が文句をいうと、真桜がしれっとした表情でそんな事いう。凪はというと、すまなそうな表情で顔を俯かせた。
「申し訳ありません。ただ、ひょっとしたら隊長も美味しいと言ってくれるかと、そう思ったものですから」
「う……いや、そう言われると――――」
凪には悪気が無かったのを知り、俺は気まずそうに頬をかく。そもそも、肉饅――――じゃなかった激辛麻婆饅をせびったのは俺なんだし、文句を言える立場じゃないか。
「……まぁ、辛さを感じる前は、確かに美味かったからな。好みに合わせて辛さを変えれるなら、売れ筋商品になるかもしれないぞ」
「――――本当ですか?」
「ああ。こんな事で嘘を言ってもしょうがないさ。それに、凪だって美味しいと思ったんだろ?」
「はい! それでは、隊長の言っていたことも、店主に伝えておきますね!」
麻婆饅を褒められて、凪は嬉しそうな笑顔になる。それを見て、ホッとした俺は、ついつい思ったことを口の端に乗せていた。
「それにしても、見た目は普通の肉饅だし、これを混ぜて、ロシアン饅とか楽しめそうだよな」
「ろしあん饅? 隊長、それってどんな肉饅なの?」
俺の言葉を聞き、沙和が不思議そうな表情で小首を傾げた。他の二人も同じように怪訝そうな顔。ロシアンルーレットを知らないだろうし、無理も無いか。
「いや、食べ物の名前じゃなくて、遊びの名前だよ。いくつかの肉饅の中に激辛麻婆饅を入れて、それを引いた人がハズレっていう遊びさ」
「おー、なるほど、それはおもろそうやな。今度、部隊の連中に試してみよか?」
「その場合、前に告知しない方が、仕掛け側としては楽しめるぞ。まぁ、顰蹙をかう可能性もあるから、前もって言った方が良いと思うけどな」
「激辛麻婆饅なら、当たりなんじゃ……」
俺の言葉に、どことなく不満そうに呟く凪。確かに、辛い物好きな彼女にしてみれば、激辛麻婆饅は当たりなのかもしれない。他の人にとっては、大ハズレだろうけど。
「さて、ほならウチは、やる事があるから先に帰っとるで。凪、明日の非番、あんじょうよろしくな〜」
「ああ。わかった」
頃合を見計らっていたのか、肉饅の話が区切りを迎えると、真桜は凪に声をかける。その言葉に、凪は真面目な表情で頷きを返した。
「そんじゃ、沙和も隊長も、また明日な〜。ウチは、これからする事があるからな」
「する事……? 何だよ、する事って。誰かと逢引でもするのか?」
「いや、そんな色気のあるもんでもないって……隊長が誘ってくれるなら、いつでも歓迎するけどな」
そんな事を言いながら、朗らかに笑う真桜。誘いは嬉しいんだけど、できればそう言うのは、他の娘が居ない所でしてほしいよな……凪も沙和も、呆れた顔になっている。
「真桜ちゃんたら、抜け駆けは禁止なのー!」
「そうだぞ、真桜。隊長に誘われるのが嬉しいっていうのは、分からないでもないが……」
「あはは、ごめんごめん。ほんなら、ウチは時間が惜しいさかい、また明日な〜」
友人二人のブーイングなど、どこ吹く風というように笑うと、真桜は小走りに通りの向こうに消えていってしまった。急いでいるみたいだけど、どうしたんだろうか?
「何か急いでいるみたいだけど、いったい何があるんだろうな? 凪は、何か聞いていないのか?」
「はい……新しいからくり細工を試してみたいから、これから部屋に籠もると言っていました。一応、明日の警邏の仕事には出るように、釘を刺してはおきましたが」
「真桜の場合、サボるというよりは熱中しすぎて、時間を忘れそうだからな……差し入れでも持って様子を見に行く方がいいかもしれないな」
「そうですね……そうすれば、真桜も喜ぶと思います」
俺の言葉に、優しい笑顔を見せながら、首肯する凪。そういえば、さっき真桜から何か頼まれごとをしていたみたいだけど…………。
「ところで、凪は明日は非番だけど、何か用事でもあるのか? 真桜に何か頼まれていたみたいだけど」
「はい。明日、真桜の欲しがっていた物が売りに出されるそうなので、代わりに買ってきてくれと頼まれました」
「ふぅん、おつかいか……それって、からくりの部品か何かか?」
「ええ。何でも、からくり夏侯惇の補修部品らしいです。詳しい事は分かりませんが、お店に行けば用意されているそうですから」
凪の言葉に、なるほど、と頷く俺。それにしても、明日か……明日は俺も、ちょうど非番なんだし、凪に付き合って買い物をするのもいいかもしれないな。
「なぁ、凪……その買い物って、俺も同行して構わないか? ちょうど、明日は俺も非番なわけだし」
「え、た、隊長がですか!?」
「ああ、別にかさばる物でも無いだろうけど、荷物持ちは居た方がいいと思ったんだけど……ひょっとして迷惑だったか?」
「い、いえっ、そんな事はありません! 隊長さえよろしければ、是非、一緒に……」
俺の問いに、顔を真っ赤にしながら返答をする凪。恥ずかしいのか、語尾がゴニョゴニョと小さくなるさまは、見ていて可愛らしかったりする。
と、そのやりとりを隣で聞いていた沙和が、不満そうな表情をしながらブーイングを始めたのだった。
「ぶ〜ぶ〜、凪ちゃんばっかり、ずるいの〜。沙和も隊長と、お出かけしたいのー」
「ほら、ワガママを言わない言わない。今日だって、買い物に付き合ったじゃないか。また機会は、いくらでもあるよ」
「………ほんと?」
俺の言葉に、沙和は上目づかいで聞いてくる。女の子特有の仕草に、微笑ましさを感じながら俺は鷹揚に頷いた。
「ああ。何か甘い物を御土産に買ってくるから……それで一つ、納得してもらえるとありがたいな」
「――――…分かったの。おみやげ、楽しみにしてるからね、隊長っ」
機嫌を直したのか、笑顔を見せる沙和。と、その笑みが何かを企むかのような、悪戯っぽい表情になった。
「あ、そうだ〜。それなら明日のお出かけには、私の買った服を、凪ちゃんに着てもらうの〜」
「なっ、何でそうなるんだ、沙和!」
「え〜、だって、せっかく新しい凪ちゃん用のお洋服も買ったんだし、隊長だって、見たいと思うでしょ?」
そう言って、こっちに話を振ってくる沙和。俺にも、凪を説得してほしいらしい。まぁ、凪の新しい格好も見てみたいことだし、ここは素直に話に乗っておく事にしよう。
「ああ、そうだな。この前の服装も可愛かったわけだし、凪が着飾ってくれるなら、俺も嬉しいんだけどなぁ」
「う…………ずるいです、隊長」
俺の言葉に、凪は頬を赤らめながら、困った顔をする。凪の性格からして、俺が頼めば断らないだろうからな……分かってていう俺に、ずるいと言ったんだろう。
とはいえ、凪の着飾った姿を見れるというのなら、ずるいと文句を言われるくらいは、何てことの無い俺であった。
「えへへ〜、それじゃあ決定なの! さぁ、凪ちゃん……帰って、お着替えしましょうね〜」
「ちょ、引っ張らないで……隊長も、見ていてないで助けてくださいよ!」
「あー……ごめん、無理。まぁ、ここで裸に剥かれるよりはマシなんじゃないか?」
凪を着替えさせるという目的のためか、すっかり目の色が変わってしまっている沙和。
そんな彼女を、止めれるほどの度胸は持ち合わせてないし――――正直、止める気持ちもあまり無かった。
「凪ちゃん用の、お洋服は、いっぱいあるし……今夜は寝かせないからねっ」
「うぅ………隊長〜」
腕力で劣るはずの沙和に、ズルズルと引っ張られていく凪。その目が、まるで売られていく子牛のような感じだったが、とって食われるわけじゃないし、大丈夫だろう。
「さて、明日は凪とお出かけか――――楽しみだな」
沙和と凪の姿が見えなくなってから、俺は一人、ポツリと呟いた。この前の服も可愛らしかったけど、明日は、どんな服装で来るんだろうか?
まるで、初デートの前日のような気分で…………期待に胸をわくわくさせながら、俺は明日を待つことになったのであった。
明けて翌日――――朝食を済ませた俺は……凪の部屋に向かっていた。昨日、買い物の約束をしたのだが、集合場所や時間を決めていなかったのからである。
こういう時は、ほんの少し不便さを感じる。元の世界に居た頃は、連絡を取るとなると携帯やメールで事足りたからな……そんな事を考えながら、廊下を歩く。
廊下から見える大空は晴れ渡っており、青い空にぽっかりと白い雲が浮かんでいた。天気も良いし、絶好のデート日和である。
「さて、今日の凪は、どんな服装をしてるんだろうな?」
この前の沙和が見立てた洋服も可愛らしいものだったし、今回も期待していいだろう。そんなことを考えながら、凪の部屋の前にたどり着いた。
真面目な凪の事だし、起きているだろうと思い、ドアをノックして確認してみる。
「凪、俺だけど、起きているか?」
「隊長? わざわざ来てくださったんですか?」
「ああ。凪と出かけるのが待ち遠しかったからな。入るぞー」
そう言うと、俺はうきうきした様子で部屋の中に入る。新しい凪の服装を早く見たいと思ったからなんだが――――
「きゃ……ちょ、ちょっと待ってください、隊長!」
「っと、ご、ごめん!」
部屋の中に居た凪は、シャツと下着だけというあられもない格好だった。どうやら、タイミング悪く、着替えの真っ最中だったようである。
衣類で身体の前を隠し、照れる凪に注意されて、俺は慌てて部屋から出る。どうにも浮かれすぎて、注意を怠ってしまったらしい。少し、反省しておこう。
「その……もう大丈夫ですよ。隊長」
「そうか? それじゃあ失礼するよ」
それからしばらくして、部屋の中から聞こえてきた凪の声に、俺は改めて扉を開ける。凪は、幾分か照れた様子で、俺を出迎えてくれた、
「さっきはゴメンな。悪気があったわけじゃないけど、結果的に着替えを覗くような形になっちゃって」
「いえ……鍵を掛けていなかった、こちらの不注意ですし……それに、見られたのが隊長でしたから、恥ずかしかったけど、嫌ではなかったです」
「う………まっすぐな目で言われると、ちょっと罪悪感があるなぁ。それはそうと――――それが、新しく沙和が見立てた服なのか」
そう言うと、俺は着替えた凪の立ち姿を見る。丈の短いフリルのついたスカートに、上半身はキャミソールの上から、胸元の大きく開いた上着を身に付けている。
首元にはリボンで出来たチョーカーを首輪のように巻いており、ワンポイントとして見栄えがあり………うん、よく似合っていると思う。
「ど、どうですか……? 似合ってます?」
「ああ。よく似合っていると思うよ。活発な凪の魅力がよく出てると思う」
「――――そうですか……隊長にそう言ってもらえると、自信が持てます」
俺の言葉に、嬉しそうに笑顔を見せる凪。こんなふうに朗らかな笑顔を見れるなんて、服を見立ててくれた沙和に感謝しなきゃならないな。
「さて、それじゃあ早速、街に出かけるとしようか。朝食はもう食べたんだろ?」
「はい、朝食は済ませてあります………って、街に出かけるんですか、この格好で!?」
「――――? いや、その為に着替えたんだろ?」
何故か慌てた様子を見せる凪に、俺は首を傾げる。わざわざ着替えたというのに、出かけたがらないのは何故なんだろうか?
俺がそんなことを考えながら、小首を傾げていると…………可愛らしく着飾った凪が、もじもじとした様子で視線を逸らしながら呟いた。
「いえ、これは隊長にお見せするために着替えただけで……街に、こういう格好で出かける勇気はないというか……」
「――――…」
照れる凪の様子に、思わず見とれてしまう俺。なんというか、俺に見せる為だけに着替えてくれたって事が、純粋に嬉しかったのであった。
しかし、その反面で、こんな可愛らしい凪を独占するのも、何かもったいない気がしたのも確かだった。
凪が、こんな可愛らしい格好をする事もめったに無いんだし、もっと多くの人に見てもらいたいと思ったのである。
「……よし、街に買い物に行くとしようか。着替える時間も惜しい事だし、すぐに出かけるとしよう」
「た、隊長! 私の話を聞いていたんですか!?」
「ああ。凪が恥ずかしがる気持ちは分からなくもないけど、似合っているんだし、大丈夫だよ。心細いのなら、俺が一緒についていてあげるからさ」
「で、ですが………あ、ひ、引っ張らないでください!」
普段の凪の腕力なら、引っ張る俺の手を振り払う事なんて造作も無いだろうに、凪は困惑しながらも、大人しく俺についてきてくれたのだった。
何だかんだと口で言っても、凪もこの格好で買い物に行きたかったのかもしれない。口に出したら、凪の事だから全力で否定するんだろうけど。
「おー、なんだか今日は、いつにも増して賑わっているみたいだな」
凪を引っ張って街に出ると、数多の人が溢れる雑踏が、俺たちの目の前に広がっていた。活気に満ちた街並みを見ていると、不思議と元気になるような気がする。
のんびりとした様子で行きかう人々を眺めていると………俺の隣に居た凪が、泣きそうな声でおずおずと俺に声を掛けてきた。
「隊長……やっぱり恥ずかしいですし――――…一度、戻りませんか?」
「駄目。そんなに恥ずかしがらなくても大丈夫だよ。凪はこんなに可愛いんだから、胸を張って堂々としていれば良いんだって」
「そう言われても……なんだか、視線が集まっているような気がしますし、さらし者になっているような気がするんですけど」
凪に言われて周囲を見渡すと、道を歩く男女や、市を出している露店のおっちゃんなど、興味津々な表情で凪に視線を向けているのが分かった。
それは、着飾った凪に向けられる好奇の視線というよりは、バッチリ着飾っていながら、どこか恥ずかしがっている凪に向けられる微笑ましい視線であった。
「あー………確かに、注目を浴びてるな。みんな、凪を見ているみたいだよ」
「っ………! やっぱり帰ります!」
「うわ、ちょ、ちょっと待った!」
逃げるように踵を返した凪の手を引っ張って、俺は慌てて止めようとする。俺の腕の力というよりは、声の方に反応して、凪は踏み出しかけた足を止めた。
しかし、危なかったな。戦場では軽々と大の男も投げ飛ばしたり弾き飛ばしたりする凪である。もし走り出していたら、俺なんかでは止められるはずもない。
きっと、トラックに牽引される小型車のような光景になるに違いない。そんなことを考えながら、俺は苦笑する。あまり、凪を刺激しない方がいいだろう。
「ほら、ここなら、さっきみたいに注目をされる事もないだろうし、凪も落ち着くだろ?」
「…………そうですね。さっきみたいに、じろじろと見られる事は無いみたいです」
あの場所に居たら、いつ凪が暴発するか分からなかったので、俺は凪の手を握って先導すると、市の傍らに店を出していた茶店に足を向けることにした。
今日はどこかで大掛かりな市でも開かれているのか、店内もかなり混みあっていたが、幸いなことに席を確保できた俺達は向かいあわせで席に座り、飲茶を注文する。
落ち着いた店内の雰囲気が気に入ったのか、凪はホッとした様子で店内を見渡している。さっきまでは、周囲の視線が気になって落ち着かない様子だったからな。
多くのお客を捌くためか、既に用意ができていたらしく、店の主人が茶器一式と幾つかの点心を盆に載せて、俺と凪の席に運んできてくれた。
「お待たせしました、当店自慢の茶葉と点心にございます。冷めぬうちに、どうぞお召し上がりくださいませ」
「あ、これはご丁寧に、どうも」
店の主人に頭を下げられ、凪も生真面目に頭を下げ返す。その態度が好意的に移ったのか、店主は、俺と凪を交互に見て笑顔で言葉をかけてきた。
「いや、よく出来た奥方ですな。うちの女房にも見習わせたいものですよ」
「お、奥方……!?」
店主の言葉に、凪が素っ頓狂な言葉を上げた。何事かと、店内のあちこちから視線が向けられる。俺は苦笑して、主人の言葉を訂正することにした。
「俺と彼女は、別に婚姻を上げているわけではないですよ。確かに、仲が良いのは確かですけど」
「おや、違われましたか。仲睦まじい様子でしたので、てっきり勘違いを……いやはや、失礼しました」
「いえいえ、別に気を悪くするようなことでもないですから」
恭しく頭を下げる店主に、俺は笑顔で応じる。実際、凪とカップルに見られて嬉しい事は確かである。まぁ、既婚者に見られる事は珍しかったんだけど。
凪はというと、顔を真っ赤にして、俯いてしまっていた。その光景を主人は微笑ましく見つめると、どうぞ、ごゆっくりといって立ち去っていってしまった。
店主が歩き去った後で、俺は苦笑をしながら、凪の気を取り直させるように言葉をかけることにした。
「さて、それじゃあ早速、いただくとしようか。凪も摘んでみたらどうだ、この点心、なかなか美味しいぞ」
「――――…隊長は、落ち着いていられるのですね。先程、店の主人が言った事は気にならなかったんですか?」
のんびりと飲茶を勧める俺の言葉に、凪は拗ねたような表情を見せる。動じていない俺を見て、恨めしく思っているのかもしれない。
「ん………まぁ、客商売なんだし、仲の良い男女を見つけたら、ああ言ってくることも良くあるからな。いちいち気にしていたら、身が持たないと思うぞ」
「そ、そうなんですか………よくあること………」
俺の言葉に、しょんぼりとした様子で肩を落とす凪。落ち込んだ様子でも、見栄えのする凪を見つめながら、俺は更に言葉を続ける。
「まぁ、そうは言っても、俺と凪が一緒に店に入って、そんな風に言われる事も無かったから、珍しい事なんだけど………やっぱり、今日の凪の格好もあるかもな」
「?」
「いや、だから………今日の凪の格好は、俺と並んでいたら恋人に見られてもおかしくないって事だよ。まぁ、俺が恋人じゃ、物足りないかもしれないけどな」
「――――ぁ……い、いえっ! そんな事はありませんっ! 隊長と、そういうふうに見られる事は、光栄ですから……」
意気込んで答えるものの、言葉の語尾は照れたようにゴニョゴニョと小さくなってしまう凪。ああ、可愛いなぁ。
「そうか、そう言ってもらえると、俺も嬉しいよ。無理やりにでも、着飾った格好で連れ出してよかったと思っている」
「………その点については、今も少しだけ恨んでいますけど」
「あ――――なんというか、ごめん」
「いえ、いいんです。そのおかげで、ほんの少しだけですけど……自信がつきましたから」
凪はそう言って朗らかに笑った。なんというか、それは自然な笑みで……先程まで背伸びしていたように感じられた格好も、今は、しっくりと似合っていたのである。
女は化けるものよ――――とは、とある雑談の時に華琳に言われたことだったが……何となく、それが実感できるような凪の変化を、俺は目の当たりにしていたのだった。
「着きました、隊長………真桜に言われたのは、この店です」
それからしばらくの間、お茶を飲んで時間を潰した後――――俺は凪に手を引かれ、頼まれた買い物をすませるために、真桜の御用達の店に足を向けることとなった。
ゴテゴテした店内と、あちこちに転がっているガラクタというか、よく分からない品の数々………明らかに、普通の店ではないのは見て分かった。
「しかし、まぁ………見事に散らかっているよなぁ。これは、真桜の部屋と良い勝負だぞ」
「――――ひょっとして、この店をよく利用しているのは、通じ合うものがあるからなんでしょうか?」
冗談めかした俺の物言いに、凪は真剣な表情で、そんな事をいう。まぁ、確かにここのお店の主人は、真桜と趣味が似通っているのかもしれない。
と、そんなことを考えていると、店の奥――――というよりは、ガラクタの山の中から店の主人らしき男が姿を現した。白い髭を伸ばした、仙人みたいな老人である。
「おお、らっしゃい。何か買いに来たのかの?」
「失礼、自分は李典の使いで参ったものです。彼女から、この店に買い物に来るように言伝を頼まれたのですが」
「あー、あー、李ぃちゃんの使いのものかい。それなら、確かこの辺の………あった、これじゃよ」
凪の言葉に、老人はガラクタの山の中から、木の箱を取り出すと中身を空けてみた。真鍮で出来た歯車が二つ、その中に入っている。
「代金の方は、李ぃちゃんにつけておくからの、そのままっ持って帰りゃええよ」
「ありがとうございます」
老人の言葉に、凪は丁寧に頭を下げると、差し出された木の箱を両手で受け取った。これで、頼まれた買い物は済ませたわけだけど、これからどうしようか?
せっかくの機会だし、凪とぶらぶら、街の散歩をするのも悪くは無いかもな――――そんなふうに俺が考えていると、凪がきょろきょろと店内を見回している。
物珍しい店なんだし、こういう雰囲気に興味があるんだろうか? そんなことを思っていると、凪がお店の主人に声をかけた。
「その、一つ伺いたいことがあるんですが………真桜――――いえ、李典がこの店で欲しそうにしていた品物というのは分かりますか?」
「んー? 李ぃちゃんの欲しがってたものかい? それなら、これなんかそうじゃがの。先立つ物が足らんと、嘆いておったが」
「そうですか、では、それをいただけませんか? 代金は、私が払いますので」
「ちょ、いいのか、凪? 言っちゃなんだけど、それってかなり高価なものだぞ」
あっさりとそんな事をいう凪に、俺は慌てて声を掛ける。この手の品物はかなり高価なのは、前に同じようにパシらされたときに知っていたのだった。
しかし、凪はというと俺の言葉に動じた様子も無く、老人に代金を払って、品物を受け取ってしまったのだった。
「結局、買っちゃったけど――――良かったのか? ずいぶん高い買い物だったと思うんだけど」
店を出てから、荷物持ちとして二つの木箱を抱えた俺は、その重さというよりも、掛かった金の重さを考えて、溜め息をついた。
嗜好品ってのは高価なものだし、何も二つも買わなくてもいいのに………そんな事を考える俺だったが、凪の方は平然とした様子である。
「別に、そこまで気にするほどのことでもないと思いますけど………そうだ、隊長、この後、付き合って欲しい場所があるんですが」
「あ、ああ。予定もないし、構わないけど」
「そうですか。よかった………それでは行きましょう」
意気込んだ様子の凪が歩いていく後を、俺は荷物を抱えながら、千鳥足で追うのであった。
「隊長、こちらの服はどうでしょうか?」
「んー………どうだろ、似合うと思うけど」
「――――では、こちらの服はどうでしょうか」
凪に連れてこられたのは、婦人用の服を売っているお店であった。そこに着くなり、凪は店内を歩いては俺の方に服を持って来て聞いてくる。
ただ、自分の服を買うのかいうと、そういうわけではなくて――――
「なぁ、やっぱり本人を連れてきた方がいいんじゃないか? 沙和に服をプレゼントするのなら、本人に好みを聞くのが一番手っ取り早いだろ」
「ぷれぜん……? いえ、沙和と一緒にこの手の店に入ると、閉店まで居つきそうですから。それに、隊長が見立ててくれるというのなら、沙和も喜びますし」
「――――まぁ、それは確かに、そうかもしれないけどな。お、さっきの服よりは、こっちの方が似合いそうだ」
「そうですか、それでは、候補にとって置くとして………次の服を持ってきますね」
言うが早いか、服を丁寧に近くのテーブルに置くと、新しい服を持ってくる為に、陳列棚の方に歩いていってしまう凪。どうやら、まだ解放させてはもらえないようだ。
しかし、さっきの真桜への買い物といい、この沙和への服といい、高価なものばかりである。凪の給料も、真桜や沙和と大差ないはずなのに、大丈夫なんだろうか?
「お待たせしました、隊長。こちらの服はいかがですか?」
「ん、ああ……なぁ、凪――――余計なお世話かもしれないけど、自分の分の服は買わないのか? さっきの真桜への品といい、自分の為にも使った方が良いと思うけど」
「……いえ、これも自分の為の様なものですから。この服も、沙和からの贈り物ですし、真桜にも色々と助けてもらうこともありますから、お返しをするのは当然でしょう」
凪の言葉に、着飾った彼女の格好を見る。今、凪が着ているのは沙和が昨日、購入したばかりの服であることは俺も知っている。
この手の服は値が張る事は知っていたが、沙和が、そうして使った分を、凪がここで返していると聞かされれば、何となく納得できるものがあった。
「――――つまりは、持ちつ持たれつってことなのか」
「はい。沙和や真桜も、私の為にお金を使うこともありますから、その分を返してるだけのようなものですよ」
つまりは、女の子同士の友情というものらしい。うーん、俺には理解出来ない世界かもしれないな。同級生の及川なんて、俺にたかることが、しょっちゅうだったし。
「もちろん、そういう風にしようという取り決めがあるわけではありません。ただ、沙和も真桜も、私の大切な友達ですから……」
そう言って微笑む凪の表情は誇らしげであり、沙和や真桜のことを大切に想っていることが良く分かった。
凪の笑顔を見て、何となく俺も嬉しくなる。部下である女の子たちが、こんなふうに友情を育みあっているのを知り、温かな気持ちが胸の中にこみ上げてきたのであった。
「凪は、二人のことが大好きなんだな」
「はい――――二人には秘密ですよ。こんな事、恥ずかしくて本人達の前では言えませんから」
そう言うと、視線を逸らして照れる凪。しかし、口で言わなくても沙和達も理解しているんじゃないだろうか?
そうでなければ、個性的な三人が仲良くやっていけることなど出来ないだろう。まぁ、こういう事は言わぬが花ってことなんだろうけどな。
しかし、そうして聞いていると、俺も何かしてあげたくなるから不思議だ。よし、ここは一つ、凪のために俺も一肌脱ぐ事にしよう。
「よし、それじゃあ凪の服は、俺が贈り物をすることにするかな! 日頃から頑張っている凪に、ごほうびって事で」
「え、いえ、そんな……隊長に負担をかけさせるわけにはいきません。その……変に気を使わせてしまってしまったんでしょうか」
「いいからいいから。こういうのは、持ちつ持たれつだろ? あ、もちろん、沙和の服もきちんと選ぶから安心してくれよ」
「……そうですか。それでは、お願いしますね、隊長」
はしゃいだ俺の様子に困惑した様子の凪だったが、すぐに気を取り直したのか、微笑みを見せてくれた。
さて、それじゃあ凪の服は俺が選ぶとしよう。沙和が選ぶ服装も気に入っているが、こういう時くらいは、俺の趣味を押し通しても問題はないだろう。
そうしてしばらくの間……凪は沙和のための服を、俺は凪のための服を選んでは、互いに見せ合っては首を傾げ、笑いあい――――楽しい一時を過ごしたのであった。
「隊長、今日は付き合っていただいて、ありがとうございました」
買い物を終えて、服屋から出ると、洋服の入った包みを両手に抱えながら、凪はそんな事を言って俺に頭を下げてきた。
本来なら、服も俺が持つべきなんだろうけど……凪が、俺ばかりが物を持つのを不服とした為、軽い服の方を持ってもらうことにしたのだった。
「いや、そんなに礼を言われるほどのことじゃないよ。俺も今日は楽しかったし、凪達の仲の良さも知れて満足だったからな」
からくりの木箱がずっしりと両手に重みを与え、逆に懐の方は、服の代金でかなり軽くなってはいたが、俺の心は清々しいほどに晴れやかだった。
これから先も、呉や蜀との戦いを始め、様々な困難が待ち受けている。だけど、こうした結束があれば、きっと北郷隊は乱世を乗り越えれるだろう。
俺の言葉に、安らいだ微笑みを見せる凪を見つめながら………俺は心の中で、そんな事を考えていた――――の、だが
「あっれー? 隊長と凪ちゃんだ。どしたの、こんな所で?」
やたらのんびりとした声と共に、情報誌である阿蘇阿蘇を片手に、沙和がひょっこりと姿を見せたのである。沙和の登場に、凪は困惑した表情を見せた。
「沙和………? 確か今日の沙和の見回りは北地区のはずだと思ったんだが」
「あー、それ? あのね、沙和、こっちの方に行って見たいお店があったの。だから、部下の人たちに言って変わってもらったのー」
「――――…勝手に、持ち場を変更したのか?」
「うん。だってー、流行のお店なんだよ。阿蘇阿蘇にも取り上げられた、お洋服屋さんなんだけど」
そう言うと、キョロキョロと辺りを見回す沙和。その様子を見て、凪は眉をしかめる。不真面目な警邏の様子に不機嫌になっているようだ。と、
「う〜……いまいち首周りが緩いなぁ」
などとぶつぶつ言いながら、沙和の後を追うように、真桜が姿を現した。あっちにふらふら、こっちにふらふらしているが、器用にも通行人には、ぶつかってはいない。
その視線は、ずっと手元に注がれていて、何かをいじくっているように見えるんだが――――
「なぁ、沙和………真桜は何をやっているんだ?」
「んー、よく分からないけど、からくりをいじってるみたいなの。最初に警邏を始めたときから、ずっとこうだったけどー」
のんびりとした口調で、俺にそんな事を説明する沙和。正直なのは良いことだけど、そのおかげで、凪の怒りの堤防の水位が、どんどん上昇しているんだけど。
凪は今、沙和から送られた服で、可愛らしく着飾ってはいる。だけど、その身体から立ち上る怒気が、可愛らしさを雲散させようとしている最中だったのだ。
「勝手に持ち場を変える………おまけに、片方は流行の店、片方は趣味でまったく警邏をしていない………お前達、お前達――――」
「はれ? どしたの隊長? 急に凪ちゃんから身を離したけど」
「うーん………ここがなぁ、もうちょっと油を注すべきかなぁ」
「ははは、俺も多少は学習してるからな」
キョトンとした表情の沙和、手元に没頭している真桜と、爆発寸前の凪に気がついていないようである。俺は苦笑しながら、凪から身を離した。直後――――
「お前達、もっと真面目にやれー!」
「ひゃあっ!?」
「うわぁっ!?」
激昂した凪に怒鳴られて……沙和も真桜も、それぞれに悲鳴を上げた。やれやれ、良い雰囲気だったのに、何でこうなるんだろうな。
「――――まぁ、これもらしいと言えば、らしいんだけどな」
怒りの表情で二人をしかりつける凪と、反省をしているのか、しゅんとした表情になる沙和と真桜。そのいつも通りの光景に、俺は苦笑する。
「隊長ー。 凪ちゃんが苛めるー、助けてなのー」
「こら、沙和! 隊長に助けを求めるな! まったく………」
「やれやれ……」
沙和からの救難信号に、俺は苦笑しながら助け舟を出す事にした。俺が口を挟まなくても、三人の友情は壊れたりはしないだろうけど、引き際を示すことは出来るだろう。
仏頂面になってしまった凪、半泣きの沙和、驚いた拍子に壊してしまったのか、地面にばら撒かれた部品に涙する真桜と、三者三様の様子の娘達を前に、俺は口を開く。
仲が良いのか悪いのか……個性的な彼女達との日々は、こうした騒々しさとの同居が常であったのだった。
――――終
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