〜史実無根の物語〜 

〜孫家の花嫁修業・追編〜



【雪蓮】
「よっ、はっ………と。うん、大体こんなところかしらね」

【一刀】
「ひぃ、はぁ…………ようやく終わりかぁ」

建業に向かうまでの道程、長江に沿って雪蓮と共に旅と続ける俺達だったが、悠々自適な二人旅というわけにもいかなかった。
三国同盟南部を襲った水害は、江南、江東地方にも波及しており、行く先々の集落や邑々でも、水害による土地への被害の傷跡が垣間見える。
雪蓮の性格上、そういった状況を見て、ただ傍観者に回るわけもなかった。

今日はここに泊まるから、田畑の復興を、今日はこの付近の畦道の補修をと………連日、立ち寄った地域の復興作業に参加している。
もちろん、一緒に旅をしている俺も、復興作業に参加することになり………今日も、水害で目茶目茶になった田んぼを、雪蓮と共に鍬を使って掘り返し終えたところであった。
こうした復興作業に参加するのに不満はないけど……それにしても、旅をしながら、連日、復興作業を平然とこなす雪蓮のタフさには、恐れ入るところだよな。

【雪蓮】
「あら? どうしたの、一刀? 何だか疲れた顔しちゃって」

【一刀】
「いや、見ての通りつかれてるんだよ。雪蓮は、ぜんぜん平気みたいだけどさ」

【雪蓮】
「うーん………一刀は、身体の鍛え方が足りないんじゃない? 普段から机仕事ばかりしていると、こういった作業は、大変かもしれないけど」

なっさけないなぁ、などと、言外にいわれているようで、さすがにちょっと、へこんでしまいそうである。
周囲を見てみると、共に田畑の復興に従事している皆さんは、ぜんぜん平気そうだった。
こういう面を見ると、農民の人たちのタフさというか、そういった強さが良く分かる。なんというか、身体のつくりからして違うような錯覚に陥りそうだった。

【雪蓮】
「でも、いい経験になったんじゃない? こうやって作業を行った後は、御飯やお酒が美味しく感じるだろうし」

【一刀】
「そうだな。雪蓮のいうとおりだと思うよ。色々と、学ぶところも多かったと思うし」

復興作業の部隊と一緒に、こういった水害地域に来たのなら、各部隊の統括やら、地方の豪族などとの顔合わせなど、実際に復興とは係わり合いのないことに従事していただろう。
もちろん、大規模な復興には、それなりの人数や、それを上手に纏め上げる役目が必要なのもわかる。
ただ、自らの腕で、自らの力で、地域の人々の生活の復興に協力する――――そうしてみることで、なんとなく見えてくるものもあるのではないかと思った。

【雪蓮】
「何はともあれ、お疲れさま。明日には建業に付く予定だし、そうしたら、何日かはのんびりしましょうね」

【一刀】
「そっか、今日で、こういった作業も終わりか」

【雪蓮】
「あら? 何だか物足りなさそうね? なんだったら、もう何日か泊まってこうか? まだまだ、しなきゃいけないことは沢山あるだろうし」

【一刀】
「う………雪蓮がそうしたいなら、付き合うけど」

【雪蓮】
「あはは、そんなに顔を引きつらせなくても良いのに。冗談よ、じょーだん♪」

俺のリアクションが面白かったのか、カラカラと笑いながら、雪蓮は鍬を杖代わりに立ちながら、可愛らしく首を傾げる。
それにしても、大陸一、農作業が似合う武将なのかもしれないな、雪蓮は。他の面子で、そういうのが得意そうな人がいないのもあるけど。
もともと農村の出である面子はというと、蜀でいうと桃香や、魏でいうと季衣や流琉くらいか。
ただ、こうして喜々として農作業に従事するのは、雪蓮ならでは、といえるんじゃないかと思う。

【老人】
「うぉーい、雪蓮ちゃん、それに、雪蓮の旦那さんも、そろそろ昼飯にしようや! 婆さんの作る飯が、炊きあがったからの!」

【雪蓮】
「はーい! 一刀、御飯だって。早く行きましょ。わたしもう、お腹ぺこぺこなんだ」

【一刀】
「ああ、そうだな………って、なんか、いつの間にか、雪蓮の旦那に認定されてるみたいだけど、俺」

今日の作業場所、洪水で荒れ果ててしまった田畑の持ち主の老夫婦から、昼食の誘いが掛かり、わーいと喜ぶ雪蓮。
ただ、その呼ばれ方が何となく気になって、頬をかいてみると、雪蓮はそんな俺の様子が不満だったのか、拗ねたように頬を膨らませた。

【雪蓮】
「あら? 一刀は不満なのかしら? 私と夫婦扱いされるのが」

【一刀】
「や、全然、そんな事ないよ。むしろ、雪蓮とそういう関係に見られるのは光栄だと思っているけど」

【雪蓮】
「けど?」

【一刀】
「何だか、冥琳に悪いような気がしてなぁ………って、何を言ってるんだか」

深く考えてないで、思わず口を付いて出た言葉に、俺は思わず自分に突っ込みをいれる。ただ、不思議と、その言葉を撤回する気にはならなかったけど。
そんな俺の言葉に、きょとんとした表情を見せた雪蓮は、しばらくしてクスクスと、合点がいったように笑い声を上げる。

【雪蓮】
「あー、なるほど。一刀は、冥琳が焼きもちをやくのが、怖いんだ」

【一刀】
「いや、そんなことは………あるのかなぁ?」

雪蓮の言葉に、俺は、むむむ………と首を傾げる。雪蓮のことも冥琳のことも好きだし、彼女達も、俺に好意を持ってくれているのは分かる。
ただ、雪蓮と冥琳の間には、なんていうか不可侵の絆のようなものがあるように思えるし、俺としては、そのあたりに割り込もうという気は毛頭なかった。
きっと、雪蓮の旦那云々の点が気に掛かったのも、そういったことを日ごろから思っていたからかもしれない。
などと、考える俺の思考を読んだのか、雪蓮は悩んでいる俺を面白そうに見つめながら、口の端をあげながら、軽い口調でパタパタと手を振った。

【雪蓮】
「大丈夫よ。他の相手ならいざ知らず、相手が一刀なら、冥琳も気にしないわよ。というか、冥琳も一刀の嫁にしちゃえば、何の問題もないわけだし」

【一刀】
「いや、そんな軽く言われても…………雪蓮がそんな事を言ったって、冥琳が聞いたら、それこそ怒り出すと思うけど」

【雪蓮】
「そうかしら? 別に怒りはしないと思うわよ。この前も、喜々として育児書とか読んでたし、気持ちは既に、定まっていると思うけど」

【一刀】
「…………」

雪蓮の語る、冥琳の一面を聞いて、何ともいえない気持ちになる俺。それは確かに、子供が出来るようなことはしているし、出来たら責任をとる覚悟はある。
ただ、普段はそういった色恋沙汰とは無縁にも見える冥琳の時折見せる一面というのは、新鮮な反面、言葉に出来ない気持ちになるのも確かであった。

【雪蓮】
「私としては、一刀は、もう少し積極的でも構わないと思うんだけどな。呉の女は、みんな俺の嫁だー。とか、そんなこと言うくらいの気概があってもいいと思うけど」

【一刀】
「いや、そんなに図太くはなれないって。それに、もしそんな事を口にしようものなら、思春とか、愛紗とか、春蘭とかが間違いなく刃を向けてくるだろうし」

【雪蓮】
「あはは、そうなったら、私が護ってあげるわよ」

【一刀】
「いや、護られるのは仕方ないとしても、それで血の雨が降るのは勘弁して欲しいし」

自分の一言で、三国同盟が内部分裂状態に――――なんて事になったら、さすがに笑えない。
まぁ、実際に口にしたら、呆れられるか、冷ややかな目で見られて終わりということも考えられるけど………嫁宣言をしても、何のメリットもないことは確かだろう。

【雪蓮】
「ま、口にするしないは兎も角、花嫁云々って話は……呉国の皆は、けっこう真面目に受け取って、花嫁修業をやってる娘も多いわよ。たとえば、思春とかもね」

【一刀】
「えぇ!? 思春が? まさか」

【雪蓮】
「そのまさかよ。思春の場合、蓮華の至らないところを助けるって名目だけど、それって、裏を返せば、一刀の為って事にもなるんじゃないかしら」

【一刀】
「うーん………そうかな?」

【雪蓮】
「そういうものよ。私の知ってる娘達は、多かれ少なかれ、何かしらの修行を、こっそりとやってるわよ。
 まぁ、実際の家事の実力は、皆、一長一短みたいだけど。飛びぬけているのは、祭くらいかしらね」

【一刀】
「ふーん………ところでさ、雪蓮はどうなんだ?」

【雪蓮】
「どう、って何が?」

【一刀】
「いや、他の皆は花嫁修業をしてるって話だけど、雪蓮はどうなのかなー、って」

【雪蓮】
「私? 私はいいのよ。だって、そんなのする必要もないし」

しれっと、そんな事を口にする雪蓮。その台詞の意味って、する必要がないくらいの実力なのか、修行なんてする気はまったくないのか、どっちなんだろう?

【雪蓮】
「だって、料理は祭が作ってくれるだろうし、洗濯やら何やらも、他の娘達が率先して、一刀の世話を見てくれるだろうしねー」

【一刀】
「って、やっぱりそんな理由か。単に、自分が楽をしたいだけなんじゃないか」

【雪蓮】
「まーね。でも、やれと言われれば、一通りの家事をこなせる自信はあるわよ」

【一刀】
「う………なんか、そこまで自信満々に言われると、本当かよって突っ込みも入れづらいなぁ」

なんだかんだで、雪蓮は華琳とは別の意味で天才だし、料理とか裁縫とか、何でも平然とこなせるという印象がある。
まあ、蓋を開けてみれば駄目駄目だったという結果もあるかもしれないけど、どちらにせよ、雪蓮らしいという感じはする。

【雪蓮】
「それより、今は御飯にしましょ。お爺ちゃん達を待たせるのも悪いし、遠慮なくご相伴に与るとしましょうよ」

【一刀】
「……ああ、そうだな」

農作業で疲れているのと、空腹も覚えているのもあいまって、雪蓮の言葉に頷く俺。
なんとなく、雪蓮の花嫁修業云々という話題をはぐらかされてしまったような気もするけど、ま、いいか。
無理に聞き出すような話でもないし、気が向いた時に、雪蓮が話してくれる事もあるかもしれないからな。



【老人】
「駄目になっていた田畑を直してくれたお礼じゃ。さぁ、たんと召し上がってくれ。といっても、こんな物しか出せんのじゃが」

【雪蓮】
「ううん、そんな事ないわよ、おじいちゃん。とっても美味しそうじゃない。それじゃ、遠慮なくいただきまーす♪」

老夫婦の用意してくれた昼食は、様々な野菜と雑穀を煮込んだ、文字通りの雑炊と呼ばれるものだった。
火にかかった鍋からは、湯気が立ち上っており、良い匂いが民家の中に漂っている。熱々の雑炊を、美味しそうに食べながら、雪蓮はご満悦のようであった。

【老婆】
「さあ、旦那さんも、熱いうちに食べてくださいな」

【一刀】
「ありがとうございます………ん、こりゃ、確かに美味いな」

差し出された雑炊の椀を受け取り、食べた俺は、素直にそんな感想を口にしていた。
一級品と呼ばれるような、上等な食材を使っているわけでもなく、雑炊の中身は普通の穀物と野菜である。
だが、手馴れているのだろう、程よい味付けと、和やかな食卓の雰囲気、それに何より、農作業をしての空きっ腹が、料理の味を何倍も美味しく感じさせてくれているようだった。
俺も雪蓮も、食欲旺盛とばかりに、雑炊をかっこむ。そんな俺達の様子を、老夫婦も食事を取りながら、微笑ましげに見つめていた。

【雪蓮】
「はー、美味しかったわ。ごちそうさま、お爺ちゃん、お婆ちゃん……ありがとね」

【老人】
「なに、礼を言うのは儂らのほうじゃよ。これでまた、田畑をやり直すことが出来るからの、婆さんや」

【老婆】
「ええ。雪蓮さんは、私達にとっては、天からの御遣い様のような存在ですよ」

【雪蓮】
「あはは、一刀、私が天の御遣いなんだってさ」

老婆の言葉に、雪蓮は面白そうに笑いながら、俺に声を掛けてくる。しかし、老夫婦がそういうのも、何となく分かる気がするな。
自分達の力じゃ、田畑の復興もままならないときに、颯爽と現れて、助けてくれた。雪蓮は、老夫婦にとってはヒーローのような存在なのだろう。

【一刀】
「そう呼ばれるのは悪い気はしないんじゃないの? 天からの御遣いって二つ名が付けば、箔が付くってもんじゃないか?」

【雪蓮】
「えー……いいわよ。そんなご大層な肩書きなんて、肩が凝るだけだし」

笑いながら、そんな風にまぜっかえしてくる雪蓮。ご大層な肩書きって………まぁ、確かに、自分でも大仰な呼び名だと思うけど。

【雪蓮】
「――――…それにしても、お爺ちゃんの所だけじゃなくて、まだあちこち、田畑が駄目になってるところもあるみたいね」

ひとしきり笑った後、食後に出された白湯を口にしながら、雪蓮はふと、真面目な口調でポツリとそんな事を言った。
ここに来るまでの間も、農作業をしたり、地元の人達と楽しそうに接する合間、ふとした弾みで、雪蓮は真面目な顔になることがあった。
自国の民の困窮、直面している困難、そういったもろもろを憂い、考える為政者としての一面がそこにはあった。

【老人】
「そうじゃのう……街道沿いの農家は、領主様から援助をしてもらったり、人を雇ったりできるじゃろうが、一つ道を外れれば、ここと似たような場所は、たんとあるじゃろう」

【老婆】
「それもまぁ、仕方がないでしょうけどねぇ。困っているのは私達だけじゃないだろうし、不満を口にしても、何も変わらないでしょうし」

【雪蓮】
「ったく………体裁を取り繕えば良いと思っているのかしら。それとも、純粋に多方に回せる人手が足りないのか……どちらにせよ、看過できないところね」

【老人】
「ん? どうしたんじゃ、何だか怒っているようじゃが」

【雪蓮】
「なんでもないわよ、おじいちゃん。ただ……そうね、これからどうすれば、状況が良くなるかって考えていただけよ」

と、険しい顔をしていた雪蓮は、老夫婦が怪訝そうな顔をしたのを見て、取り繕うように笑顔を見せると、席を立った。

【雪蓮】
「さて、昼御飯もご馳走になったし、私達は、そろそろ旅立つことにするわね。今夜までには、建業に着きたいと思うし」

【老人】
「………そうか。ここ最近は、戦もなくなったし、危険はないじゃろうが、気をつけてな」

【雪蓮】
「ありがと、おじいちゃん。おばあちゃんも、元気でね。また今度、寄らせてもらうわ」

【老婆】
「ええ、またいつでも来てくださいな。旦那さんも、雪蓮さんと仲良くね」

【雪蓮】
「だーいじょうぶよ、お婆ちゃん。私も一刀も、お互いが大好きなんだから。ね、一刀♪」

【一刀】
「まあね。それじゃあ、俺達は失礼します。ご馳走様でした」

老夫婦に頭をあらためて下げ、俺と雪蓮は、農家の裏手、馬をとめてある場所に向かうことにした。老夫婦も、名残惜しいのか、後についてくる。
と、馬をとめてある場所に、人だかりがあった。俺と雪蓮の馬の繋いである木、その周囲に、完全武装した呉の兵士が百名ほどの、隊列をなしていたのである。

【老人】
「な、なんじゃ?」

【呉兵士】
「孫策様、孫権様の命により、お迎えに上がりました!」

隊長格の兵士の言葉に合わせ、ザッと立礼をする。その光景を見て、俺の後ろに居た老夫婦や、周囲の農民達は、目を白黒とさせていた。
慌てていないのは、俺と、雪蓮であり………雪蓮は、どこかウンザリといった風の口調で、顔をしかめて吐き捨てるように呟きをもらした。

【雪蓮】
「ったく………こういう仰々しいことが嫌だから、わざわざ別行動をとったってのに、気の利かない妹ね」

【呉兵士】
「は?」

【雪蓮】
「なんでもないわ。それで、私の事を探していたようだけど、他にも動いている部隊があるのかしら?」

【呉兵士】
「は、建業より百名単位で四方八方の村々に、孫策様のお姿がないかを探し、見つけた場合は護衛をして建業に戻るように命令されております」

【雪蓮】
「………そう。なら、孫家の者として命じる。いまより一両日、あなた達はこの邑に滞在し、復興作業に従事しなさい」

【呉兵士】
「え、いえ………しかし、我々は孫策様を護衛するという任務が」

雪蓮の言葉に、戸惑った声を上げる隊長さん。実際、隊長さんの立場からすれば、困ったことだろう。
上司からは雪蓮を連れ戻すように命じられているといっても、蓮華に家督を譲ったとはいえ、孫家の筆頭とも言える、雪蓮からの命令を無視できるはずもないだろうし。

【雪蓮】
「今の世情で、護衛なんか必要ないわ。それより、ただ一人を護衛するより、民の百名の明日を担うほうが、孫家百年の礎の為に必要なことよ」

【呉兵士】
「仰ることは、ごもっともと思いますが……」

【雪蓮】
「………私の言うことが、聞けないとでも?」

【呉兵士】
「いえ、そのようなことは………ただ、我々としても君命で動いてますので、それを無視するのは些か………」

【雪蓮】
「はぁ………しょうがないわね。じゃあ、誰か一人を連絡役として選びなさい。私達が無事に建業に着いたら、確認の為に、そっちに戻すから。それでいいでしょ?」

【呉兵士】
「――――…承知しました。候選、孫策様に同行し、建業まで無事に送り届けよ」

【候選と呼ばれた兵士】
「はっ!」

【呉兵士】
「では、残る我々は、邑の復興作業に加わります。皆、聞いての通りだ、孫策様の名に恥じぬように、忠勤するぞ!」

【兵士達】
「応!」

隊長さんの言葉に、兵士達は張り切った声で応じると、三々五々に散らばっていく。気の早いものは、早速、田畑を耕し始めているようだった。
それにしても、雪蓮のカリスマというか、人望は凄いよな。戦場で剣を取って戦う事を誇りとしている兵士達が、雪蓮の一言で、真面目に農作業に従事している。
まぁ、日本の戦国時代みたいに、戦うことのみを専門としている集団というわけでもなく、農家の次男や三男も、軍人として参加しているだからというのもあるだろうけど。
それでも、こうしろという一言に、嫌な顔一つせずに皆が動いているのは、雪蓮の、そして孫家に対しての、呉の人々の崇拝ぶりが伺えるようであった。

【雪蓮】
「まぁ、今日一日で全部終わらせれるはずもないけど、それでもこれで、多少は楽になるでしょうね。それじゃ、行くとしましょうか」

【老人】
「雪蓮ちゃんや、あんたはいったい……?」

【候選と呼ばれた兵士】
「お、おい、口を慎め。この方はな――――」

【雪蓮】
「私は、私よ。それじゃあ、また会いましょうね」

連絡役の兵士さんの口を封じるように、雪蓮は明るい口調で言うと、颯爽と馬にまたがる。
昼の陽光に照らされたその姿は、周囲の者達が思わず見とれるほどに、爽やかであり、様になっていたのであった。



それから、建業までの道程を半日で踏破した俺と雪蓮だったが、建業に着いても、のんびりとする事は出来なかった。
城内に入るなり、雪蓮は城に在住する百官達を呼び集めると、あれこれと矢継ぎ早に命令を出し始めたからである。
雪蓮を見つけ出すように、という蓮華の命令はあったものの、蓮華自身が建業に来ているわけではないらしく、雪蓮の命令に逆らえる立場の人は誰もいないようだった。

【雪蓮】
「私を捜索するために、各地に兵を送ってるんあるでしょ? 捜索が終了したとしても、せっかくの配置した兵がもったいないわ。直ぐに、復興作業に回しなさい」

【雪蓮】
「魏や蜀、それに三国中央からも、多くの救援が送られてくるだろうけど、それだけじゃ手の回らないところが出てくるわ。
 特に、街道から外れた地域には、積極的に人を回すべきでしょうね。地図を出してちょうだい――――この地域と、ここは、特に被害が激しかったわ。手配をお願いね」

【雪蓮】
「資材が足りない? 糧食も? そんなの、溜め込んでいた城の備蓄を出せばいいじゃないの。許可なら私が出すわ。
 民は今日を生き抜けば、明日は税を納めてくれる。そういった意味でも、一人でも多くの民を生かすのが、私達の責務と思いなさい」

呉の御前会議には、天の御遣いとして俺も参加したけど、発言するような機会はなかった。というか、雪蓮のワンマンショーといっても良い会議内容だった。
建業に詰めている武官や文官たちは、冥琳達に言わせると二線級、三線級の人材といっても、俺なんかよりずっと優秀なはずである。
そうでなければ、主要人物が空にしている本国を、維持、運営など出来ないはずであろう。
そんな彼らに、矢継ぎ早に命令を下し、取りまとめている雪蓮をみると、あらためて彼女の凄さを思い知る。
何と言うか、キャリアウーマンというか、やり手の女社長という言葉がピッタリと当てはまる、そんな雪蓮の一面を見た気がしたのだった。



【雪蓮】
「はぁ〜〜〜………つっかれた〜、一刀ぉ、肩揉んでちょうだい」

【一刀】
「って、感心した直後に、これかよ!?」

会議が終わって、あてがわれた自室に入るなり、雪蓮はベッドにダイブして突っ伏し、足をパタパタと動かしている。
先ほどまで、城の百官達の前で立ち振る舞っていた姿はどこに行ったのやら………今はいつも通りの、自由気ままな雪蓮のようであった。

【一刀】
「あー、もう、靴も脱ぎ散らかしちゃって、しょうがないな……」

【雪蓮】
「だって〜、疲れたんだもん。久しぶりに、何枚もネコをかぶって国事をこなしたんだし、仕方ないじゃない」

【一刀】
「ネコをかぶる、ねぇ」

床の上に転がっている、雪蓮の靴を揃えてベッドの上におきながら、俺は先ほどの会議での雪蓮の様子を思い出す。
部下達を導く、理想的な指導者――――………そういった面では、完璧な人物がそこには居た。ただ、何となく違和感も感じていたことも確かだった。
きっと、雪蓮の本質は、もっと自由なものだったのだろう。だけど、生まれや状況、そして、天から与えられた才能が、彼女にもう一つの立場を強制することになった。
雪蓮の二面性――――……いや、身体の中に溜め込んでいる、もっと混沌としたものは、そういったものから生まれたのかもしれない。

それにしても、ネコをかぶるってのは微妙な表現ではあるな。明命が聞いたら、狂喜乱舞しそうな言葉だけど。

【雪蓮】
「ねえ、つーかーれーたー! 肩を揉んでくれないの?」

【一刀】
「はいはい………」

雪蓮に急かされて、俺はベッドに腰を下ろすと、うつ伏せになった雪蓮の両肩に手を掛けて、力をこめる。
緊張感のある会議での気疲れか、それとも、ここ連日の復興作業での疲労からか、確かに雪蓮の肩は凝っており、コリコリに固まっているようである。

【雪蓮】
「んー、気持ちいいわ………あ、もうちょっと強めにお願いね。それが終わったら、腰もお願い」

【一刀】
「ああ。わかったよ」

雪蓮の肩をひとしきり揉んだ後は、背中に両手をあてて、ぐいっと押してみる。体重を掛けて力をこめると、雪蓮は気持ち良さそうに息を吐いた。

【雪蓮】
「はぁ〜……」

【一刀】
「何だかんだで、疲れが溜まってたみたいだな、お疲れ様、雪蓮」

【雪蓮】
「ふふっ、ありがと。一刀は甘えさせてくれるから、好きよ♪ 冥琳は、私が疲れたーって言っても、取り合ってくれないしさ」

【一刀】
「んー、そうかな? 冥琳は冥琳で、雪蓮に甘いと思うけど」

【雪蓮】
「えー? 一刀には、そう見えるの?」

【一刀】
「まぁね。というか、そんなことは雪蓮が一番分かってるだろ?」

雪蓮の腰を揉みながら、笑みを浮かべる俺。口では何のかんのと言いながらも、冥琳は雪蓮の事を溺愛してるからな。
そのことが分かっているから、雪蓮は冥琳に常日頃から、我侭をいったり、疲れたと愚痴をこぼしたりしているんだろう。

【一刀】
「雪蓮が愚痴をはいたり、本音を吐ける一番の相手は、間違いなく冥琳だし、それも冥琳が、雪蓮の事を好きだからなんだろうな」

【雪蓮】
「愚痴を言っても、取り合ってもらえないのに?」

【一刀】
「愚痴を聞いてくれるだけでも、気は晴れるからね。そのあたりの加減は、俺なんかより冥琳のほうが長けているんだろ」

【雪蓮】
「………まぁね。でもさ、そこのところが分かってるなら、冥琳はもうちょっと、私に優しくすべきじゃないかなぁ、と思うんだけど」

【一刀】
「あの厳しさが、冥琳の愛情表現なんだろ。冥琳以外で、雪蓮に厳しくあたれる人ってのも、そうは居ないだろうし」

【雪蓮】
「はぁ………随分と歪んだ愛もあったものよね」

【一刀】
「ははは、違いないな」

苦笑交じりの雪蓮の言葉に、思わず笑ってしまう俺。そんな俺の態度が不満だったのか、雪蓮はうつ伏せの姿勢のまま、顔をこちらに向けて睨んできた。
とはいえ、気分を害したということではなく、子供のような拗ねた表情で、頬を膨らませていたのだけど。

【雪蓮】
「もー、笑い事じゃないのよ。暢気に笑ってくれちゃって」

【一刀】
「ごめんごめん、別に、雪蓮のことを笑ってるわけじゃないんだよ。ただ、こういったのも何だか良いなって」

【雪蓮】
「こういうの?」

【一刀】
「なんていうか、仕事疲れの奥さんの愚痴を聞く、旦那の心境? そういった雰囲気を味わえてるなあと思って」

いうなれば、雪蓮がキャリアウーマンで、俺が主夫という立場といったところだろうか?
俺の居た時代だと、主夫っていうのも珍しくはないけど、こちらの時代では、そういう関係は珍しいだろうし、ちゃんと伝わるか疑問ではあった。
主要人物が、女の子達といっても、組織の中核を占める百官や、兵士達はみんな男だし、やはり主夫より、主婦が多い時代なんだろう。
そんな取り止めのないことを考えていると、俺に腰を揉まれたままで、雪蓮は俺の言葉に小首をかしげ、可愛らしく聞き返してきた。

【雪蓮】
「旦那様は、奥さんの愚痴を聞いてあげるだけなのかしら?」

【一刀】
「今は、腰を揉んでるけど………他に何か、して欲しいことがあるの? ここ最近、雪蓮は頑張ってたし、出来ることなら叶えてあげたいけど」

【雪蓮】
「あ、じゃあ、お酒が呑みたーい♪ 一刀、ひとっ走り、とってきてよ」

【一刀】
「お酒ね……了解。けど、夕食前なんだし、程々にしておいてくれよ」

雪蓮へのマッサージを中断し、ベッドから降りる俺。一応、釘を刺すように言ってはみるものの、それがどれほど効果があるかは疑問だった。
案の定、俺の言葉に雪蓮はというと、うつ伏せの体勢から、ベッドの上で、あぐらをかくように起き上がると、端正な顔に華のような笑顔を浮かべた。

【雪蓮】
「大丈夫よ。これでもお酒とは長い付き合いなんだし、適度な酒量は弁えているんだから」

【一刀】
「……それもそうか」

雪蓮が酔いつぶれるような場面を見た記憶は無いし、酒盛りにつき合わされると、間違いなく俺のほうが先にギブアップしているしな。
お酒との付き合い方という点については、心配するだけ無駄というものかもしれなかった。

【雪蓮】
「それに、今夜は一刀と飲み明かすんだから、夕食前に本格的に呑むつもりはないわよ♪」

【一刀】
「って、一晩中、呑むつもりかよ!?」

【雪蓮】
「まーね。旅の間は、お酒を飲む機会は、そう多くなかったし、その分も呑みたいからねー」

【一刀】
「あれ………? そうだったか? なんか、行く先々でお酒をもらって、喜んでいたような気がするけど」

【雪蓮】
「あはは、それはそれ、これはこれよ………そんな事より、お酒の準備、お願いね。飲み明かす分も、一緒に手配してくれると嬉しいなー」

と、笑顔でそんな事をいう雪蓮。これは、断りきれないなぁ。なんだかんだで、雪蓮に甘いのは俺も一緒である。

【一刀】
「……付き合うのは構わないけど、夜通し呑み明かせるかは保障できないぞ。俺は、そんなに酒に強いほうじゃないんだからさ」

【雪蓮】
「大丈夫よ。酔いつぶれたら、私が介抱してあげるから。あ、でも、酔いつぶれる前に、するべきことはしたいわよね」

【一刀】
「するべき事?」

【雪蓮】
「んー……夫婦の営み?」

【一刀】
「う………頼むから、酔っ払う前の真顔で言わないでくれよ」

【雪蓮】
「あれ? 照れちゃってる? もー、一刀って、可愛いなぁ」

【一刀】
「倉に行ってくるから!」

もてあそばれる心境? からかい半分の雪蓮の言葉に、顔が熱くなり、俺は逃げるように部屋を飛び出した。
普段、照れる様子が可愛いからと、亞莎とか月とか朱里とか雛里とかを弄っていたことに対する天罰だろうか、これは。
何ていうか、恥ずかしくて、むずがゆい感じ? そんな、表現しづらい気持ちは、しばらくの間、胸の奥から消えそうにも無かったのであった。



【??】
「一刀、起きて」

【一刀】
「ん…………まだ、あと五分」

ゆさゆさと、身体を揺すられて、まどろみの中で俺は眠気交じりの声で返事をする。薄く開けた目の先は、既に明るい。
昨日は、雪蓮に付き合って、真夜中まで呑んでて――――途中から、記憶が定かではない。一応、部屋までは戻ったはずだけど。

【??】
「もー、起きてってば、一刀ったら」

【一刀】
「う、分かったよ………はぁぁ〜〜〜」

だんだん、身体の揺れが大きくなってきて、眠ることも難しくなってきたので………俺は、あくび交じりに返事をして、身体を起こした。
明け方の日の差し込む部屋。先ほどは眩しいと錯覚をしていたようだけど、まだ、太陽が出始めたばかりの早朝のようだ。
昨晩の酒が、まだ抜けきってないのか、どこか気だるげな頭で周囲を見渡す。建業の城内の、俺にあてがわれた部屋。
そのベッドの脇に腰掛けていたのは、ニコニコと満面な笑顔の雪蓮だった。どうやら、先程から俺の身体を揺すってたのも彼女らしい。

【雪蓮】
「あ、やっと起きた。おはよー、一刀」

【一刀】
「ああ、おはよう、雪蓮。っていうか、どうしたんだよ、こんな朝早くから?」

【雪蓮】
「どうしたって………やだなぁ、ひょっとして、覚えてないの? 今日は、私と一緒に釣りに行こうって、約束したじゃない」

【一刀】
「んー………そうだったかな?」

昨晩の酒盛りは、途中から記憶が飛んでいたからなぁ。半ば酩酊としながら、雪蓮の言葉を話半分に聞いてたし、そんな約束をしたかもしれない。

【雪蓮】
「あと、お土産にお酒を買ってくれるとか、登の子守をするとか、私と子作りするとか、私の分まで冥琳に怒られてくれるとか、そんな約束もしたわよ」

【一刀】
「って、後半のは嘘だろ」

【雪蓮】
「即答は酷いわねー……まぁ、いま言った約束の、半分は嘘だけど」

俺の言葉に、むー、と頬を膨らませる雪蓮。しかし、半分は、嘘ですか。ということは、残り半分は、確かに約束したってことだけど………
酔っ払ってて、覚えていないといっても、雪蓮の口ぶりからして、実際に約束はしてしまったみたいだし、反故にはできないだろう。
何を約束したのか、全く覚えていないわけだし、出来るだけハードルの低いものを約束したのなら良いんだけど。

【雪蓮】
「ま、そんなことより………今は釣りよ、釣り! 準備は万端だし、早く出かけましょ、一刀」

【一刀】
「って、待ってくれよ………起きたばかりなんだし、せめて身だしなみくらい整えさせてくれって」

子供が急かす様に、腕をグイグイと引っ張ってくる雪蓮に、俺は寝ぼけ眼で応じながら、ベッドから引き摺り下ろされる。
建業について、少しはゆっくり出来るかもと思ったのもつかの間、やはりと言うべきか、今日も雪蓮に付き合って、忙しない一日を過ごすことになりそうであった。



身だしなみを整え、朝食をとった後で………馬にまたがり、雪蓮につれられて訪れたのは、建業の近隣にある川辺であった。
欝蒼とした森林の中にある川は、自然の作り出したものであり、流れる水は澄み、多くの魚が生息しているようである。
よほど楽しみだったのか、ウキウキとした様子で、川釣りの準備を始める雪蓮。

【雪蓮】
「さあ、頑張って釣るとしましょうか。城のみんなに御裾分けできるくらい、釣れると良いわね」

【一刀】
「そうだなー。ま、とりあえずは、昼に食べる分は確保したいところだよなー」

【雪蓮】
「もー、それじゃあ足りないわよ。やっぱり、こう、どーん、と皆を驚かせるくらいの釣果じゃないと」

【一刀】
「はいはい………っと、餌はこれでいいかな。冥琳に前に教わった時は、こんな感じだったと思うけど」

【雪蓮】
「そうね、確かそんな感じだと思ったわよ。それじゃ、私の分もお願いね♪」

【一刀】
「やれやれ、相変わらず、めんどくさがりやだなぁ」

などといいつつ、雪蓮の釣り針にも同じように餌をつける俺。二人共に、準備が整ったところで、さっそく川釣りの開始である。

【雪蓮】
「さぁ、沢山釣るわよー♪」

ノリノリな様子で、川に釣り糸を垂らす雪蓮。さて、どのくらい、このテンションが持つんだろうか?
この前、雪蓮と冥琳と三人で釣りに行ったときは、二、三時間くらいは我慢してたけど、結局は、飽きて山の中に入っていっちゃったからな。
そんな俺の心配をよそに、今のところは雪蓮の機嫌は上々のようである。鼻歌を歌いながら、水のせせらぎや、風が木々を揺らす梢の音に、耳を傾けているようだった。

【雪蓮】
「ん〜………やっぱり、自然は良いわね。街の中も活気があって好きだけど、こういう場所にいると、心が洗われるわ」

【一刀】
「そうだな、心身ともに、リフレッシュできるよなー」

【雪蓮】
「りふれっしゅ………何だか良い響きの言葉ね。それって、天界の言葉かしら?」

【一刀】
「ああ、そうだよ。意味合いは、まぁ、心が洗われると似たような感じかな」

【雪蓮】
「ふーん、そうなんだ。りふれっしゅ、りふれっしゅ、一刀と一緒に、りふれっしゅ〜……と♪」

即興で、歌を歌いながら、腰掛け代わりに、川に転がっている大きな岩に座りながら、楽しげに足をパタパタさせる雪蓮。
そんな微笑ましい様子を見て、俺は知らず知らずのうちに、笑みを浮かべていた。なんというか、雪蓮といると、いつの間にか、その笑顔に引き込まれるんだよなぁ。

【雪蓮】
「一刀も、りふれっしゅ出来てるみたいね? 朝は疲れてたみたいだけど、元気になったみたいだし」

【一刀】
「ああ、ここにつれてきてくれた雪蓮と、この風景のおかげかな。それにしても、大自然ってのは偉大だよな。そこにあるだけで、こんな風に癒してくれる」

【雪蓮】
「そうね。時折、気分を損ねて、多くの犠牲を生み出すことがあっても、大自然はそれ以上の恩恵を私達に与えてくれる。
 だから、私達は大地に根を張り、土地を耕し、その地を愛することが出来るんじゃないかって思うわ」

【一刀】
「大自然の二面性か――――…まるで、雪蓮みたいだよな」

【雪蓮】
「………?」

【一刀】
「雪蓮は、時々、怒ったりした時はおっかないけど………普段は優しいし、皆から愛されてるからな。まさに、大自然の娘って感じ」

【雪蓮】
「んー……なんか、微妙な評価よね、それ。褒められてるのかしら?」

【一刀】
「俺としては、褒めてるつもりなんだけどな」

【雪蓮】
「そうなの? じゃ、素直に喜んでおきましょうか♪」

降り注ぐ陽の光のような、輝くような笑顔で、雪蓮は朗らかな笑みを浮かべる。そんな雪蓮の笑顔を見て、俺は頬が熱くなるのを感じた。
なんというか、その笑顔はとても眩しくて、直視していると気恥ずかしいけど、それでも、目が逸らせないほどに魅力的な微笑みがそこにはあったのだった。



――――…さて、そうして雪蓮と釣りを始めて、小一時間が経ったころだろうか。
最初の頃は、自然の景観を楽しんだり、俺とのお喋りに興じて楽しんでいた雪蓮であったが、そろそろ、退屈の虫が騒ぎ始めたようであった。

【雪蓮】
「むー………なかなか釣れないわね」

【一刀】
「まあ、そんなに簡単に釣れるものじゃないだろ。釣りは根気が大事って言うし」

不満そうに頬を膨らませる雪蓮に、俺はそんな風に、のんびりと応じる。朝早くから、釣り糸をたらしているものの、今のところは、一向にあたりが来ない状況であった。
渓流の水は澄んでおり、時には、水の流れの中を泳ぐ魚が、この目で確認できるほどでもある。ただ、釣り針の先についている餌に食らい付いて来ることはなかった。
ひょっとしたら、魚も何かしらの殺気に気がついているのかもしれないな。餌に食いついたら命が無い事を、本能で悟ってるんだろうか。

【雪蓮】
「もー……少しは引っかかりなさいよね、可愛げが無いんだから!」

などと言いつつ、竹の釣竿の先でペシペシと水面を叩く雪蓮。というか、そんな事をしたら益々、魚が逃げるんじゃないかと思うんだが。

【一刀】
「ほらほら、短気は損気だぞー……釣りってのはさ、気楽に、のんびりと、するものじゃないのか?」

【雪蓮】
「それは、そうなんだけどー……ん、やっぱ無理。いいかげん、じっとしてるのにも飽きたしね」

と言いつつ、竹ざおを立てて、釣りの仕掛けを引き上げてしまう雪蓮。そのまま、釣竿をぽいっと傍らに投げ捨てて、雪蓮は座っていた大岩から腰を上げた。

【雪蓮】
「釣りの方は、一刀に任せるわ。私は山に入って、山菜とか木の実とか、何か食べられる物を探してくるから、あとは宜しくね」

【一刀】
「あいよ。けど……こっちの釣果を、あまり期待はしないでくれよ。俺は冥琳みたいな釣りの名人じゃないからな」

【雪蓮】
「はいはい。それじゃあ、その分まで、お姉さんが頑張るとしますか。猪とか、熊とかが見つかればいいけど。じゃ、行ってくるねー♪」

よっぽど、じっとしているのが退屈だったのだろう。雪蓮は一目散に、山の中に軽い足取りで分け入っていく。
しかし、何だか去り際に物騒な台詞を言ってたな。普通、山野での得物と言うと、兎とか鹿くらいなんだけど……熊とか取ってきても、捌き方なんて分からないぞ?

【一刀】
「ま、心配しても、しょうがないか――――……っと、きたきた」

雪蓮の姿が消えるなり、くいくいと当たりがきて竿がしなる。雪蓮の覇気が感じられなくなって、魚も少し、気が緩んだのだろうか。
ぼちぼちと、魚を吊り上げつつ、のんびりと時間を過ごす。なんていうか、こうして一人でのんびりと、釣りをするってのも新鮮だな。
政務に追われるわけでもなし、誰かに気を使うことも無く、ただのんびりと時間が過ぎていく。こういうのも、たまにはありだろう。

「ふぁ………それにしても、いい天気だよな」

木々の生い茂る、川辺から見上げる空は、白い雲がいくつか、悠々と蒼天の空に浮かんでいる。
のんびりと、空を見上げながら川辺で釣り糸を垂れていると、徐々に眠気が蝕むように染み出てきて、知らず知らずのうちに、あくびが口をついて出た。
なんだかんだで、昨日は夜遅くまで呑んでたし、朝も早かったからな………眠くなって、当然か…………な………



【雪蓮】
「〜〜〜〜♪」

なんだか、心地の良い歌が聞こえる。子守唄のような、緩慢な旋律は、耳朶からゆっくりと染み入るように、まどろんだ意識に混じっては溶けていく。
草木の香、せせらぎの音。ぱちぱちと聞こえるのは、焚き火の音だろうか。閉じたまぶた越しに、陽の光を感じ、俺は身じろぎをして、目を開けた。

【雪蓮】
「あ、起きたみたいね」

【一刀】
「ぅ………雪蓮…………?」

目を開けて、周りの状況を確認する。後頭部には柔らかい感触。視線の先には、笑顔で俺を見おろす雪蓮………ああ、この体勢って、雪蓮に膝枕されてるんだな。
少しだけ首を曲げてみると、先程、腰掛代わりにしていた大岩の上――――どうやら、釣りをしている最中に、寝入ってしまったみたいだった。

【雪蓮】
「戻ってきたら、餌のない釣り針を川に垂らして、釣りをする体勢で寝ちゃってたわよ。まるで太公望みたいだったわ」

【一刀】
「太公望か………確かそれって、いい歳した爺さんだったっけ。あまり、格好いい例えじゃないなぁ」

【雪蓮】
「そう? 何だか、一刀らしいって、私は思ったけどなー………で、一刀を起こさないように、お昼ご飯の準備をしてから、膝枕をしたってわけ」

【一刀】
「ああ、なるほど………どうりで良い匂いがすると思った」

寝ぼけていて気づかなかったが、言われてみると、火のはぜる音と共に、何かの焼ける、香ばしい匂いが鼻腔をくすぐった。
空きっ腹を抱えていることだし、昼食は美味しく食べれそうだ。と、ぼんやりとそんな事を考えていると、雪蓮が、むー……と不満そうに頬を膨らました。

【雪蓮】
「って……感想は、そっちのほうなの? せっかく膝枕をしたってのに、反応が薄いわね。もっと驚くか、喜ぶかなあって思ったんだけど」

【一刀】
「んー………俺も、けっこう不思議に思ってるけど。なんていうか、こうされるのが、あまりに自然すぎて、違和感が無かったからかな」

【雪蓮】
「……?」

【一刀】
「目が覚めたら、雪蓮が笑顔で傍に居てくれる……そんな事が毎日続いたから、それが当たり前みたいに感じてきたのかもしれないな」

そう。ここに来るまでの旅の間も、目が覚めれば、そこにはいつも、笑顔の雪蓮がいた。
朝、目が覚めたら添い寝をしていたり、寝ている俺を叩き起こしたり、くすぐり起こしたり、その他にも、目覚めには雪蓮の笑顔が傍にあった。
だから、まどろみから目が覚めたとき、雪蓮が膝枕をしてくれているのに気がついても、それほど驚きはしなかったのだろう。
そんな感想を述べると、雪蓮は微笑とも苦笑とも見える笑みを見せながら、俺の頭を撫でるように、端正な形の指で髪を梳きながら、小首をかしげた。

【雪蓮】
「やれやれ、変なところで慣れちゃったのかしらね。まぁ、いいわ。そろそろ御飯も出来上がることだし、起きましょうか?」

【一刀】
「ん………そうだな。でも、もうちょっと、このままでいいかな? もう少し、こうやっていたいんだ」

【雪蓮】
「もー………甘えんぼね、一刀は。ま、もうちょっと位は、このままでも良いかもね」

俺の言葉に、くすり、と微笑んで目を細める雪蓮。
木々の隙間から差し込む日の光が、彼女の髪を鮮やかに照らして、まるで後光のように、明るく雪蓮の姿を浮かび上がらせていたのだった。



焼いた魚や獣の肉、山菜のサラダに、竹の飯盒を使った御飯、山野の果物のデザートと、昼食は予想以上に豪華なものになった。
魚は俺が釣ったものだけど、それ以外の食材は、雪蓮が用意したり調達してきたものである。なんというか、サバイバル能力に長けているよな。

【一刀】
「雪蓮と一緒だと、どこででも生きていけるような気がするな。少なくとも、飢え死にするようなことはなさそうだし」

【雪蓮】
「そうねー……、一刀の面倒くらいなら、見れる自信はあるわよ。なんなら、このまま旅にでも出ちゃおっか? 私は一向に構わないけど」

【一刀】
「いや、さすがにそれはなぁ……雪蓮との二人旅は楽しいけど、ずっと雪蓮に頼りっきりってのも、何だか情けないし」

【雪蓮】
「別に、頼られっぱなしってわけでもないんだけど……ま、ほんとに長旅に出るわけにもいかないか。冥琳や蓮華達を放っておくわけにも行かないしね」

焚き火を囲んでの昼食の席、いつの間に荷物に紛れ込ませたのか、昼食をとりながら、お酒の杯を傾ける雪蓮。
上機嫌に呑みながらの会話だけど、どこか残念そうな呟きに聞こえたのは、多少は、俺との長旅というのに魅力を感じていたのかもしれない。



昼食後は、川辺での魚とりを再開することになった。といっても、今度は釣りという訳じゃなく、渓流の浅いところで、直接、魚を狩るという方法でだけど。
竹の先を尖らせて作った、手製の槍――――というか、銛? 戦では多分役にたたなそうな、そんな得物を片手に、水の中を泳ぐ魚に狙いを定めて、突いてみる。

【一刀】
「はっ………って、また逃げられたか」

すいー……と、足元を魚が通り過ぎて、俺は何度目かの溜め息をつく。最初は、なかなか獲れないことに腹を立ててたけど、こうも外してばかりだと、怒る気もなくなるな。
狙いを定めて、突くまではそこに魚が居るのに、銛の先に当たるのは、川底の地面だけというのは情けない。
そんな、まったく成果の上がらない俺とは対照的に、絶好調なのは雪蓮である。俺と同じ竹の銛で、次々と水辺の魚に狙いをつけては、一撃で仕留めている。

【雪蓮】
「やったー! また獲れたわ、見てみて、一刀っ」

【一刀】
「ああ、見てるって………それにしても、凄いな、これは」

雪蓮の傍らに目を移せば、そこには仕留められた魚の小さな山。ものの小一時間で、その数は百に届こうというんじゃないだろうか。
狙いを外してばかりの俺とは正反対に、突けば必ず当たるとなれば、こうなるよな………百発百中とは、まさにこの事じゃないだろうか。
しかし、さすがに獲りすぎのような気もするなぁ。このままだと、川から魚が居なくなるんじゃないかと心配にもなる。

【一刀】
「なあ、雪蓮。もう、この位でいいんじゃないか? 食べるにしても、持ってかえるにしても、これ以上は必要ないだろ」

【雪蓮】
「えー……せっかく、調子が出てきたのに。これからが、腕の見せ所なのよ」

【一刀】
「いや、雪蓮が凄いのは充分に分かったからさ。というか、これ以上凄いところを見せられたら、俺の立場がないんで勘弁してください」

【雪蓮】
「しょうがないわねー………それじゃ、魚獲りは、これで終わりにしましょっ………か!」

びゅん! という、尋常ではない唸りの音と共に、水を切り裂いて竹の銛が水中に消える。そうして、引き上げられた竹の銛の先には、魚が貫かれていた。
というか、本来は、細い先の部分だけが刺さるようになっているはずなんだけど、なんか、根元まで貫通しているように見えるんだが。
調子が出てきたって言ってたけど、絶好調になったら、どれだけ凄いことになるんだろうか。なんか、竹やりを投げて飛ぶ鳥とかも普通に落とせそうだよな。
…………まぁ、どこぞの筋肉達磨達みたいに、人外の域にまで達してないのが幸いといえるだろうけど。

【一刀】
「というか、今のままでも、充分に凄いんだけどな…………っ、わぷっ!?」

【雪蓮】
「あはは、油断してちゃ駄目よ、一刀♪」

俺が考え事をしているのを見て、ちょっかいを掛けたくなったのか、雪蓮は両手で水をすくうと、楽しげに俺に掛けてきた。
キラキラと反射する水の玉、まるで子供のように、はしゃぐ雪蓮につられるように、俺も竹の銛を砂利の地面に放り出すと、雪蓮に反撃する。

【一刀】
「よし、ならば勝負だっ………ていっ!」

【雪蓮】
「ふふ………勝負か、もちろん受けて立つわよ」

【一刀】
「って、早っ――――ぶほぁ!?」

【雪蓮】
「ほらほら、動きが止まったら、狙い打たれちゃうわよー♪」

余裕綽々といった様子で、ひょいっと俺の掛ける水を避けると、またまた、俺に水を引っ掛けてくる雪蓮。
まぁ、勝負といってみたものの、雪蓮に俺が勝てる道理があるはずもなく、下着から何やらまで、びしょびしょにされるのに、それほど時間は掛からなかった。
よろしい、ならば、戦争だ――――みたいな台詞は、相手を選んで言えという、良い教訓になったといえただろう。



それから………濡れた服を乾かしつつ、のんびりと雪蓮と共に時を過ごし――――気がつけば、中天にあった太陽は、木々に隠れ、周囲は夕焼けに覆われ始めていた。
なんだかんだで、のんびりと過ごすことができたよな。久方ぶりに、色々な事とは関係なしに、のんびりとした一日を過ごせた気がする。

【一刀】
「さて、それじゃあそろそろ、帰るとしようか。もう日も暮れ始めたことだし」

【雪蓮】
「えー………まだ、宵の口はこれからじゃないの。もう少し、ゆっくりしていきましょうよ」

俺としては、休暇を充分に堪能したつもりで声を掛けたんだけど、傍に居た雪蓮は不満そうな顔。どうやらまだまだ、遊び足りないようである。
ぶー、と頬を膨らませる様子は、まるで子供のようであり、まぁ、雪蓮の性格からして、素直に帰るかどうかは半信半疑だったけど。

【一刀】
「でもなぁ、日が落ちる前に戻らないと、心配されないか? 昨日も、大規模な捜索隊が四方八方に出てただろ?」

【雪蓮】
「大丈夫よ。子供じゃないんだし、多少は帰るのが遅くなっても、文句を言う相手も…………あー、まぁ、居ないこともないけど」

言葉の途中で、雪蓮が困ったような表情を浮かべたのは、昨日の建業に到着した直後のことを思い出したのだろう。
自由奔放な反面、古参の将である冥琳や祭さんには、時折、頭の上がらないことがある雪蓮。
それは、建業に戻ってからも変わらないのか、出迎えた宿老という感じの女官達とのやりとりから伺えた。

先代の孫堅のころから、雪蓮たちの身の回りの世話をしていた女官達は、いまや呉国の柱石となった雪蓮相手でも、ずけずけと遠慮なしな物言いをし、雪蓮を苦笑させていた。
さすがに、軍務や政務などには口を出してこないものの、私生活に関しては、口うるさそうな女官達は、雪蓮としても扱いづらい相手らしい。
………ひょっとして、今朝も早くから城を抜け出したのは、釣りにかこつけて、そういった御婆さん達から避難する目的もあったかもしれないな。

【雪蓮】
「まあ、叱られるのは後でも出来るんだし、もう少し、のんびりしていきましょうよ。城に帰ったら、また窮屈な生活になるんだしさ」

【一刀】
「やれやれ………しょうがないな。けど、本当に、もう少しだけだぞ」

【雪蓮】
「はいはい、わかってますって♪」

楽しそうに笑みを浮かべながら、川辺の砂利の地面に座っていた俺の身体に、もたれかかってくる雪蓮。
唐突に掛かってくる体重を支えようと、俺は片方の腕をつっかえ棒代わりにし、もう片方の手は雪蓮の腰に回して、バランスをとる。
とっさにとった体勢は、雪蓮を抱きとめるような姿勢になり、やわらかい感触が身体に触れ、雪蓮の顔が間近に近づいてきた。

【一刀】
「ちょ、雪蓮………顔近いって」

【雪蓮】
「あら? ひょっとして、照れてるの? こうして身体を重ねるくらい、珍しくないでしょうに」

【一刀】
「いや、それはそうなんだけど………それはそれ、これはこれだろ」

夕焼けに照らされた雪蓮の顔――――…普段から、綺麗だなと思っているけど、暁の色に照らされた彼女の顔は、よりいっそう神秘的に感じられた。
端正な顔立ちに、童女のようなあどけない表情、空の一部を切り取ったような、宝石のような瞳が俺の顔を見つめている。
そんな、雪蓮の美しさに魅せられ引き寄せられるかのように………腰に回していた手を、雪蓮の頬に寄せると、俺は顔を寄せて唇を重ねていた。

【雪蓮】
「んっ…………ちゅ…………」

キスをされた雪蓮は、特に驚くこともせず、積極的に唇を重ねかえしてくる。触れ合う唇の感触を感じていると、雪蓮の舌が伸ばされ、口中に侵入してきた。
口の中で、別の生き物のように動き回る雪蓮の舌に応じるように、舌を絡ませていると、身体が押されるような感覚。
更に体重を掛けてきた雪蓮に押し倒されるように、キスをしたまま、地面に仰向けに倒れた。息が苦しくなったのか、雪蓮が顔を離す。
燃えるような紅橙色の空を背景に、俺を見おろしてくる雪蓮。押し倒されるような体勢で、彼女を見上げる俺の口から、知らず知らずのうちに溜め息のような息が漏れた。

【雪蓮】
「どうしたの、溜め息なんかついちゃって」

【一刀】
「いや、雪蓮が綺麗だなってのを、あらためて思ったのと、そんな雪蓮の魅力に、あっさり負けちゃった自分が、少し情けないなって思ったんだよ」

自分が他の人よりも、充分以上に恵まれている立場にいるということは、自覚しているつもりで……だからこそ、軽々しく女の子達に手を出すのは如何なものかと思っている。
だけど、いざ良い雰囲気になると、どうにも我慢ができずに迫ってしまうんだよなぁ。こらえ性の無い自分が情けない。
そんな風に、自分を戒める俺だったが、雪蓮はというと、俺に覆い被さるような体勢のまま、ネコ科の動物のように俺に顔を近づけてきた。

【雪蓮】
「ふふ……そんな風に考えなくてもいいのに。見境なしにっていうわけじゃないんだし、好きな相手にせまられるのは、嬉しいものよ」

【一刀】
「雪蓮にとっては、そうかもしれないけど、俺としては、いろいろと考える所があるんだよ」

【雪蓮】
「んー……その辺りのことは、私にはよくわからないけど。それより、今は色々と考えるより、私のことを考えてほしいな」

と、そういうと、雪蓮は口元を俺の頬に近づけてくる。端正な唇が開き、紅色の舌が俺の頬を舐め、ぬらりとした感触を与えてくる。
まるで味見をするかのような行為……いや、実際それは、味見だったのだろう。雪蓮の瞳の中には、炎のような熱が灯っており、俺を焦がすような視線を向けてきている。
俺に覆い被さるように、カラダを触れ合わせ、雪蓮は情熱的なキスを求めてくる。実際に触れ合った肌の部分は、唇と、重ね合わせた手のひらのみ。
それでも、裸で抱き合うのと同等に、いや、それ以上に気持ちは昂り、俺は雪蓮の情熱的な口づけを受け止め、また、こちらからも唇を返し、貪りあった。

貪欲な獣なのか、愛を語らう恋人なのか、俺と雪蓮の関係は、おそらくはその両方に値するのだろう。
こうして唇を重ねて興奮する反面、そんな自分を、どこか冷静に見つめている自分がいることも確かだった。
心が冷めているわけではない、むしろ、熱く燃えれば燃えるほど、自分を行為を客観的に見てしまう……そんな奇妙な感覚が、そこにあった。

【雪蓮】
「んっ…………ねえ、一刀。一刀の身体、とても熱くなってるわ。もう、準備はいいみたいね」

猫科の獣のような、ある意味、獰猛ともとれる雰囲気を身に纏いながら、俺と口付けを交わしていた雪蓮。
彼女の言葉と共に、窮屈に感じていた下半身の一部が、解放されるように楽になった。それと同時に、夕暮れのわずかに漂い始めた寒気も感じられる。
雪蓮が俺にキスをしながら、ズボンのジッパーを器用に下ろして、張り詰めているものを取り出したようだ。
覆いかぶさった雪蓮の身体……というより、視界を覆う胸が、自分の下半身がどうなっているのか、わからなくしている。
と、いきり立っている肉の塊に何かが触れた。熱い高ぶりをからかうような動き……おそらく、それは雪蓮の指なのだろう。

【雪蓮】
「一刀ったら、凄く元気よね。そんなに、私としたいのかしら?」

【一刀】
「ああ、もちろんだよ。雪蓮と繋がりたくて、しょうがないんだ」

【雪蓮】
「一つになりたいのは、私も一緒よ……一刀はじっとしてて、すぐ、入れるからね……っ」

俺に覆いかぶさった体勢から、上半身を起こす雪蓮。俺の腰のあたりにお尻が乗るように座り、艶かしい笑みを浮かべている。
俺とのキスをしているうちに彼女も昂っていたのか、下着は濡れており、頬の火照りは夕焼けが理由というだけではないようだった。
雪蓮はわずかに腰をあげて中腰になると、整った指先で下着をずらす。そうして、ギチギチに張り詰めた俺の肉棒を、身体の中に咥え込んでいったのだった。

【雪蓮】
「くふぅ…………んっ、っ…………」

はちきれそうな肉棒を、身体の根元まで埋め込んだ雪蓮は、一息つくためか、落ち着くためか、言葉にならないため息のような息を一つ吐いた。
そうして、最初はゆっくりと、徐々にペースを上げて腰を動かし始める。
捕食される……俺の体の上に跨り、むさぼるように腰を動かす雪蓮を見つめ、俺はそんな感覚に囚われた。
雄や雌といった性別を超越し、絡みつくような肉の交わりは、生命どうしそのものの、ぶつかりあいであった。

【一刀】
「っ…………雪蓮、俺、もう出そうだっ……!」

【雪蓮】
「っ……一刀っ! このまま、中で出してっ!」

滴る液体の音と、絡み合う肉の感触に、限界はすぐにやってきた。さし出された雪蓮の手のひらに、自分の手を重ね合わせて握り合わせ……。
跳ね上がる腰は、理性という手綱をとっくに手放し、互いに絶頂を迎えようと、暴れ馬のように前後左右に動き続ける。
そうして、雪蓮の身体のなかに埋まった肉の塊から、火傷をしそうなほどに熱い液体が、彼女の最奥に注がれる。

【雪蓮】
「っ……! んっ……! んっ……!」

【一刀】
「っ、はっ、は…………」

ビクンビクンと、注がれる感触に達しているのか、俺が精を吐きだすたびに、雪蓮の身体が瘧のように震える。
俺自身も、絶え間のない快感に、真っ白な頭で何も考えることができず、荒い息を断続的に吐くだけだった。
そうして、快感の波が過ぎ去ったあとで、俺は雪蓮の顔を見る。雪蓮も、快感の余韻に浸っていたのか、どこか茫洋とした顔で微笑みを浮かべた。
太陽のように熱い情熱が、快楽の波に消えた今だけど、雪蓮を愛おしいという気持ちは変わりなく、春先の日向ぼっこのような、暖かな気持ちが胸を占めていた。

【雪蓮】
「一刀……んっ」

脱力したのか、俺の身体に再び覆いかぶさって、キスをしてくる雪蓮。
その口づけは、どこまでも優しく、親鳥が小鳥をついばむような、やさしいキスだった。



パチパチと、枯れ木のはぜる音。太陽が完全に落ちた空には、無数の星々が姿を見せ始めていた。
結局あれから、すぐに回復をして、何度も雪蓮と交わったあと――――俺達は川辺で身を寄せ合って、まんじりとした時を過ごしていた。
なんとなく、城に帰るのが億劫になったのもあるが、こうして、雪蓮と二人きりの時間を、なるべく長く過ごしたいというのが、最たる理由なのは間違いなかった。

【雪蓮】
「〜♪」

俺の肩に頭を乗せるように寄りかかりながら、雪蓮は上機嫌である。
普段はすぐに話題を見つけては、おしゃべりに興じる彼女だったが、今は、そういう気分ではないようだ。
俺も、雪蓮と視線を交わすわけでもなく、燃え上がる焚き火の炎に目をやりながら、ただ、彼女の存在を近くに感じていた。

【一刀】
「雪蓮」

【雪蓮】
「ん? なぁに、一刀?」

呼びかけに帰ってくる雪蓮の声。触れ合うほど近くにいながら、感じられない息づかい。雪蓮もまた、俺の方に顔を向けてはいないのだろう。
交わらない視線、それでも、俺と雪蓮は想い合っている……感じられないからこそ、不思議とそれが、実感できたのであった。

【一刀】
「うん…………雪蓮のこと、好きなんだなって、思ってた」

【雪蓮】
「…………そう。ありがと、一刀」

紡がれる言葉より、なお確かなもの。南部への旅で、俺は、雪蓮のことを愛しく想う、そんな自分を再確認したのだった。


――――了

戻る