〜史実無根の物語〜
〜長江を渡る風は〜
気が付けば、俺は今、広大な長江を渡る、船の上にいた…………っ!
【一刀】
「ああ、それにしても、金がほしいっ……!」
ざわ………ざわ…………
ざわ………ざわ…………
【雪蓮】
「一刀ぉー、乗り合わせたお爺ちゃん達から、お酒をもらったわ、一緒に呑みましょ………って、どうしたの? 汗だくになっちゃって」
【一刀】
「いや、ちょっと現実逃避をね。なぁ、雪蓮………なんで俺は、こんな船に乗ってるんだろうか」
【雪蓮】
「あれ? 一刀って船が苦手だったっけ? ひょっとして、船酔いする性質だった??」
【一刀】
「いや、別に苦手でもなければ、得意でもないし、至って普通なんだけど――――問題は、どうして船に乗ることになったかなんだけど」
多分、城では大騒ぎになってるんじゃないかなぁ………憮然とする華琳や、オロオロとする桃香、怒っている蓮華の顔が簡単に予想できる。
まぁ、雪蓮の奔放さは今に始まったことじゃないし、冥琳をはじめ、呉の面々が、一生懸命フォローしてくれるだろうから、大丈夫だとは思うけど。
【雪蓮】
「どうして、って………? やぁねぇ、一刀。ボケちゃった? 私に付き合ってくれるって、言ってくれたじゃないの」
【一刀】
「――――まあ、確かにそう言ったけどさ」
雪蓮の言葉に、俺はあらためて、どうしてこうなったかを再確認するように、事の発端である出来事を、思い出すことにしたのだった。
※
【朱里】
「………という感じで、南部一帯で起こった水害の復旧作業、また、人的な被害の調査結果は、以上になります」
【冥琳】
「蜀も呉も、根本的な面においては、治水の安全、整備が未だに行き届いてはいないという教訓ということだろうな。今回の水害も、やはり長江近辺の被害が大きい」
【穏】
「そうですねぇ……とはいえ、並の河川なら兎も角、長江ほどの大きさともなると、どう手を加えてよいか、迷いどころではありますし」
今回の三国会議は、南部一帯で多発している、水害についてが議題となっていた。
山野から流れる河川の多い蜀や、長江を有する呉など、中国大陸の南部は、雨季になると水害の危険性が増す。
俺の居た時代ですら、大雨で床下浸水が起こったり、川が氾濫する事だってあった。整備の行き届かないこの時代では、被害は更に大きくなるだろう。
【風】
「こちらからも、復旧作業に人手を廻す準備は出来てますが、やはり、地元の人々に頑張ってもらうのが一番でしょうねー」
【冥琳】
「それは当然だろう。救援は確かに有難いが、それに頼ってばかりでは、いつまで経っても状況は改善されないだろうからな」
【朱里】
「とはいえ、せっかくの三国同盟ですし、やはり活用すべきとも思います。救援してくれる相手が居るという事実が、治安の維持に繋がるとも思いますし」
【蓮華】
「そうだな。民の中には、一日も早い現状の改善を望む者も多いだろう。そのあたりも踏まえ、南部には物資と人員を送るべきだろうな」
災害に対しての救助隊派遣か………よく、テレビのニュースとかでもやっているけど、あれってどのくらいの効果があるんだろうと、時々思っていた。
でも、実際の話、水害の起こった地域を視察してみたり、そこに住んでいた人たちの様子を見れば、焼け石に水でも、色々と救助は送るべきなんだと思う。
物理的なことはもとより、そういった状況で、誰かが助けに来てくれたっていう事実は、心の支えになることは間違いないのだから。
【朱里】
「では、各国は、それぞれ人選をして、復旧作業の部隊を派遣するという事に決定します。蜀は、馬良ちゃんを筆頭に、何名か候補を選んでおきますね」
【桃香】
「うん。よろしくね。朱里ちゃん」
そんな事を考えているうちに、話はトントン拍子に纏まったようで、大陸南部の復興の為に、各国から救援部隊を派遣することに決定したようである。
北部に居を構える、魏国もある程度の部隊を派遣するようだけど、やはり主力は、蜀と呉の両国からということになりそうであった。
【華琳】
「人的な努力は任せるけど、魏からも、それなりの物資は送らせてもらうわ。今後の三国間の修交のためにもね……荷駄部隊の編成は、そうね、稟に任せるわ」
【稟】
「御意。手配をさせて頂きます」
【冥琳】
「ふむ………こちらも、早急に手配をしなければな。穏、本国に派遣する人員と物資の選別を任せる」
【穏】
「は〜い、任せられちゃいますよ」
【雪蓮】
「ねえ、冥琳、ちょっといいかしら?」
【冥琳】
「………なんだ、雪蓮?」
【雪蓮】
「その南方への派遣、私も一緒に行くことにしたから」
【蓮華】
「……雪蓮姉様が?」
唐突な雪蓮の言葉に、少し驚いた様子を見せる蓮華。とはいえ、他の面々はというと、それほど驚いた様子は見せていなかった。
雪蓮の行動的な所は、誰もが知るところだったし、今回のことも、呉の面子にしてみれば、またいつもの思いつきか、という風に捉えられているようであった。
【雪蓮】
「ほら、私もここ最近は、本国に帰ってなかったし、ちょうどいい機会だと思ったから」
【冥琳】
「……物見遊山に行くのでは無いんだぞ? 復興の為に行って、民に悪感情を植え付けでもしたら、どうするんだ?」
【雪蓮】
「そんな事しないわ。 ただ、久しぶりに帰ってみたくなっただけだし、復興の邪魔はしないわよ。穏は、反対しないわよね」
【穏】
「そうですね〜……まさか、冥琳様が同行するというわけにも行きませんし、押さえ役が居ないというのが、ちょっと不安ですけど、大丈夫じゃないでしょうか?」
【雪蓮】
「ほら、穏もそう言ってるし、大丈夫よ♪ ダメだって言われたら、一人ででも行くんだから」
【冥琳】
「はぁ………仕方が無いな。言っても聞かないだろうし、好きにするといい」
【雪蓮】
「やったー。だから、冥琳って大好きよ。蓮華、御土産を期待しててね」
【蓮華・冥琳】
「は、はぁ………」
「だから、物見遊山ではないと言っているだろうに………」
戸惑うような蓮華の応答と、疲れたような冥琳の呟きが見事に唱和し、その議題は結局、お開きになったのであった。
※
【一刀】
「ふぃ〜………終わった終わった!」
【蓮華】
「おつかれさま、一刀」
それから、いくつかの別の懸案を話し合いで解決した後で、三国会議は閉会となり、俺は蓮華達と一緒に、休憩がてらに中庭に出ていた。
先ほどの議題に上がった、南部への救援隊の派遣のこともあり、桃香や朱里、華琳や稟、冥琳に穏ほか、多くの面子は場を外している。
会議疲れで凝り固まった肩を廻してほぐそうとしていると、それを見かねてか、亞莎がおずおずと声をかけてきた。
【亞莎】
「あ、あの、一刀様? よかったら、お肩をお揉みしましょうか?」
【一刀】
「そうだな………せっかくだし、お願いしようかな」
【亞莎】
「は、はいっ、お任せください」
亞莎が肩を掴みやすいように、庭に設えられた東屋に移動し、椅子に腰掛ける。俺の両肩に、亞莎の手が添えられて、ぐりぐりと指先に力が込められる。
とはいえ、それは痛くて我慢できないというほどでもなく、凝り固まった肩の肉を程よく解すような、程よい力加減だった。
【亞莎】
「その、いかがでしょうか?」
【一刀】
「あー………いい塩梅だよ。その調子で、お願い」
【亞莎】
「はいっ」
気持ち良さそうな、俺の声に気を良くしたのか、亞莎は嬉しそうな声を上げて、肩揉みを続ける。
いい日和だし、肩からいい感じに解れてきて、甘露甘露というところだろうか。
【蓮華】
「…………」
【風】
「なんだか、いい感じに出来上がってますねー」
【蓮華】
「……出来上がっているとは、なにがだ?」
【宝ャ】
「二人の空気というか、夫婦水入らずというか、そんな生っちょろい空気を感じずには居られないぜ」
【蓮華】
「なっ………ふ、夫婦だとっ!?」
【宝ャ】
「聞いたところによると、あのねーちゃん、肩揉みだけじゃなくて、膝枕もしたそうじゃねーか。夫婦生活の切り札を、ちょくちょく習得しているのは、間違いないぜ」
【蓮華】
「くっ………そんな事までしていたなんて。花嫁修業をしているのは、シャオだけじゃなかったのか」
【風】
「まぁ、お兄さんの花嫁になりたいという人は、星の数ほど居そうですし、そこまで気にすることでもないと思いますけど」
【蓮華】
「ぐ………しかし、ああいう光景を見せ付けられると、やきもきすると言うか、何と言うか」
【風】
「まあ、気持ちは分かりますけど、あの空気に割り込めるのは、よほど空気読めないか、独特の空気を持つ人だけだと思いますよー、たとえば、あの人みたいに」
【蓮華】
「え?」
※
【雪蓮】
「あ、いたいた。やっほー、一刀」
【一刀】
「ん?」
亞莎に肩を揉まれてまどろんでいると、誰かが声をかけてきた。声をしたほうを見ると、ニコニコ笑顔の雪蓮が、颯爽とした足取りで近づいてくる。
東屋の階段を上がり、休憩所に上がりこんだ雪蓮は、亞莎が俺の肩を揉んでいる光景を見て、面白そうな表情を浮かべる。
【雪蓮】
「へぇ、一刀。亞莎に肩を揉んでもらってるんだ? 気持ち良いの?」
【一刀】
「ああ、凄く上手だよ。なんていうかさ、疲れが取れる感じかな」
【雪蓮】
「ふぅん、それはいいわね。ね、今度、私にもしてくれないかしら? なんだか最近、妙に肩がこったりするのよねー」
などと言いつつ、肩を揺らしてみる雪蓮。その動きにつられてか、大きな胸が弾みを持ってゆれるのが見えた。
というか、俺の場合の肩こりの原因は疲労だけど、雪蓮の場合は、その胸が原因じゃないだろうか、胸が大きいと肩が凝るって俗説もあるし。
【亞莎】
「はぁ、その………私で宜しければ」
雪蓮相手に恐縮したのか、その胸を見て萎縮してしまったのか、亞莎は半ば、俺の背中に隠れるようにしながら、雪蓮に対してそう返答する。
そんな様子の亞莎ではあったが、雪蓮は特に気分を害した様子も無く、朗らかに笑いながら、そんな彼女の様子を見ていたりした。
【雪蓮】
「ありがと。それじゃ、また今度お願いね。ところで、ちょっと一刀を借りたいんだけど、いいかしら?」
【亞莎】
「あ、はいっ」
雪蓮の言葉に、亞莎はコクコクと頷き、肩に添えていた両手を離して、身を離す。
多少は名残惜しかったけど、充分に肩を揉み解してくれたおかげで、リフレッシュすることが出来た。
【一刀】
「ありがとな、亞莎。それで、いったいどうしたんだ、雪蓮? 俺に、何か用事?」
【雪蓮】
「ええ、さっきの三国会議で、私が南方に行くって事に決まったでしょ?」
【一刀】
「ああ、なんか、冥琳にゴリ押しして通してたのは覚えてるけど」
【雪蓮】
「それでね、一刀にも……これから、ちょっと付き合ってもらおうと思って」
【一刀】
「あー……そっか、準備とか色々と大変だろうしな。俺でよければ、協力するよ」
何せ、救援という名目があるとはいえ、三国の多くの人間が参加するようなプロジェクトだ。準備にも相応の手間が掛かるんだろう。
そういう事なら、俺にも出来ることがあるだろう。もともと、武器を持つより、後方支援のほうが得意なわけだしな。
【雪蓮】
「やったー♪ それじゃあ、善は急げって言うし、早速、出かけましょ」
【一刀】
「ああ。それじゃあ、亞莎、また後でな」
【亞莎】
「はい、いってらっしゃいませ」
笑顔の亞莎に見送られ、俺は雪蓮に手を引かれて、東屋の階段を降りる。と、少し離れたところに居た蓮華と風が、歩を進める俺達の所に歩み寄ってきた。
【蓮華】
「姉様……? 一刀の手を引いて、どちらに行かれるのですか?」
【雪蓮】
「ええ。南方に出かけるから、一刀にちょっと付き合って貰おうと思ってね」
【一刀】
「さっきの三国会議でも聞いたけど、何だか、準備が大変そうだし、そういうことなら、俺も手伝えるだろうからな」
【雪蓮】
「というわけだから、一刀を連れてくわね。いいでしょ?」
【蓮華】
「………そういうことなら、仕方ないですね。ですが、あまり一刀に迷惑を掛けないでくださいよ」
【雪蓮】
「わかってるわよ。それじゃねー♪」
【一刀】
「お、おい、そんなに強く引っ張らなくてもいいだろ!?」
【風】
「………………なにやら、不穏な気もしますが、気のせいだと良いですね」
【蓮華】
「え?」
※
【一刀】
「………で、雪蓮に引っ張られて城外に出たら、何故か旅の準備が出来ていて、半ば強引に馬に乗せられてここにいる、と」
【雪蓮】
「そうよ、分かってるじゃない」
【一刀】
「準備の手伝いの為に、連れ出したんじゃなかったのかよ!?」
【雪蓮】
「誰もそんな事、一言も言ってないわよ? ただ、ちょっと一緒に来てって言っただけだし。大丈夫よ、冥琳に手紙は出しておいたから」
【一刀】
「……ちなみに、なんて書いたんだ?」
【雪蓮】
「気が変わったから、先に行ってるわねー、あと、一刀をちょっと借りてくから、後は宜しくね♪ 愛しの冥琳へ」
文面を聞いて、頭を抱えたくなった。まず間違いなく、冥琳は怒るだろうし、そのとばっちりは、俺にも向けられるだろう。
【雪蓮】
「大丈夫よ。そんなに長く留まる気はないし、往復の旅路を考えても、一月くらいだから」
カラカラと、笑いながらそんな事を言う雪蓮。しかし、ちょっと=一ヶ月というのは、さすがにボッタクリすぎじゃないだろうか?
一ヶ月が、ちょっとかと、怨嗟の声がどこか遠くから聞こえてきそうである。まぁ、雪蓮にこんな所まで引っ張られてきた以上、いまさら悔いても仕方ないだろうけど。
【一刀】
「はぁ、まあいいや。ここまで連れてこられた時点で一蓮托生だしな。雪蓮、俺にも酒をくれよ。呑まないとやってられん」
【雪蓮】
「やった、そうこなくっちゃねー。ささ、ぐぐっとどうぞ♪」
※
渡された杯に、上機嫌で並々と酒を注いでくる雪蓮。注がれた酒をこぼさないように呷る間に、雪蓮は雪蓮で、自分の分を注いで酒を味わっている。
長江を渡る船の上。吹きさらしの風が雪蓮の髪を揺らし、衣類を靡かせる。長江を吹き流れる風に、心地よく目を細めながら、雪蓮は微笑を浮かべていた。
【雪蓮】
「やっぱり、長江の風はいいわね。一刀の城を通る風も嫌いじゃないけど、やっぱり、江東を渡るこの風は、格別だわ」
【一刀】
「………それってやっぱり、郷愁ってやつかな? なんだかんだ言っても、故郷が一番というか」
【雪蓮】
「どうかしらね? ただ、特別なものであることは確かでしょうね。一刀にも、そういう場所はあるんでしょ?」
【一刀】
「うーん………」
雪蓮の言葉に、俺は頭をひねる。故郷、実家、古里………そう呼べる場所は確かにある。ただ、そこに帰りたいのかと問われると、首を傾げてしまうのだった。
向こうの世界に戻る術が見つからないから、考えても仕方ないと思っているのか、それとも、いま住んでいる場所が、故郷といえる場所になりつつあるのか、微妙な所だった。
【雪蓮】
「なによぉ、はっきりしないわねぇ。教えなさいよー」
【一刀】
「って、しなだれかかって来るなって……もう酔っ払ってるのか?」
【雪蓮】
「このくらいで、酔うわけ無いわよ。これは、一刀に甘えてるだけだもーん」
【一刀】
「やれやれ………さっきの話だけど、説明しづらいんだよ。俺の場合、故郷があれだから」
【雪蓮】
「………そっか、一刀は天界から来たんだったよね。それじゃあ、話しづらいか」
【一刀】
「誤解の無いように言っとくけど、説明しづらいだけで、説明しろっていうならするよ。まぁ、俺の頭じゃ、上手に説明できないけど」
何せ、着ている服をはじめ、文化そのものが違うのだ。一から十まで事細かに説明しても、理解できるとは思えなかった。
【一刀】
「それより、俺は、雪蓮の話を聞きたいな」
【雪蓮】
「私の?」
【一刀】
「ああ、せっかく、こうして雪蓮に付き合って旅行しているわけだし、雪蓮の故郷の話とか、子供の頃の話とか、色々聞きたいなあって」
【雪蓮】
「んー………子供の頃の話かぁ。あまり面白いものじゃないけどなぁ。まぁ、冥琳の事とか、話せることは、結構あるけど」
【一刀】
「何でもいいさ。俺が、雪蓮の事を、もっと知りたいだけなんだし、どんな話でも聞くよ」
【雪蓮】
「あら、私の事を、もっと知って、どうするのかしらねー、一刀は。そんなことになったら、私のことが好きでたまらなくなっちゃうわよ?」
【一刀】
「それこそ、望むところだけど。ほら、お酒」
そう言いながら、徳利を傾けて雪蓮の持つ杯に酒を注ぐが、雪蓮は無反応。十秒くらいか、真顔で俺を見つめた後で、雪蓮はその顔に優しげな微笑を浮かべた。
【雪蓮】
「時々、一刀って、恥ずかしげもなく恥ずかしいことを言うわよねー。蓮華たちが夢中になっちゃうわけだ」
【一刀】
「……って、ひどい言われようだな」
【雪蓮】
「褒めてるのよ。まぁ、百聞は一見にしかずっていうけど、たまには良いか。そうね………そういえば小さい頃に――――」
酒の肴のつもりなのか、杯を傾ける度に、雪蓮の口から昔の思い出が、口をついで滑り出てくる。
残念なことに、雪蓮に付き合って飲み明かしているせいで、大半の思い出話は、右から左に頭を通過していった。
それでも、鮮烈に脳裏に焼きついているのは、江東を渡る風と、雪蓮の清々しい微笑。そして、実際に見ては居ない、小さな頃の雪蓮と冥琳の仲睦まじい空想の光景だった。
――――了
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